うける【受ける】
観世左近『能楽随想』(1939)
- 102このワキは角帽子著流僧であります。閑かな中にスラリとして、本三番目物の位を体して謡はねばなりません。このワキの名宣で井筒の位をこしらへて貰へれば理想的であります。「初瀬に参らばやと存じ候」の次の「これなる寺を」は、ワキは一寸右をウケますから、素謡でも一息おいて出るのが宜しいのです。「さてはこの在原寺は」以下は作物の前へ出て謡ふのですから、前の「一見せばやと思ひ候」とは別に気をかへて一息おいて出ます。
- 259是でシテから笈を持つて来る事を命ぜられる迄、用はありません、ワキの方の狂言は鏡板の前で、ワキと向合つて座つて居りますし、剛力は狂言座にクツロいで居ります。御約束通り進んで、シテの発案で剛力の形に判官を仕立てる事となり『いかに剛力』と呼びます。狂言座から剛力は立つて、角に出てシテをウケ下に居て『御前に候』といひます。
- 171厩橋の舞台で「盛久」をお勤めの時、橋がかりでロンギの「三保のいう海、田子の浦」と申します所で、右ヘウケて見る型を亡父が口をきはめてお褒め申したことを、今も覚えて居ります。
- 217十二月二十一日、稽古能、正月別会の予行演習のつもりで「景清」を出す。今迄やつて来たものと全然行き方を異にしてゐるので、何分見当がつきかねる。例へば面のウケ方が、照り過ぎては居まいか、曇り過ぎるのではあるまいかと絶えず気になる。常の面と同じつもりで差支ない筈と、思つてみても、盲はいくらかうつむき加減の方がふさはしいやうにも思はれ、又、そんなことは万事面の作者が研究し尽して制作してあるから、演者は十分それを信頼してよいとも考へられる。
- 246「竹生島」に限つて真ノ一声越シアトから常ノ一声になり更に一段あつてウケ頭で幕明ケとなるさうだ。これは後で安福君から注意があつたが、実はコシを聞いて直ぐ幕を明けさせてしまつた。
- 250所が後は幕へかかつて見ると、面がひどく照るので、ハタと困つた。丁度のウケにすると、まるつ切り下を向いて舞はなければならない。直すには間に合はない。幕を離れる頃には、七段にしたことをすつかり後悔して居た。楽屋が混雑して居たので、茶の間で暗いところでウケて貰つたので、こんなことになつたのだ。
- 315シテ。巌氏としては中位の出来だつた。それでも二時間もの長い間、退屈せずに見られたのは全く前シテの技倆の致すところだつたらう。非常に感心するほどの所はなかつたが、後シテになつてから、橋掛りから舞台へ這入るなり「紫雲たなびく夕日影」とワキ正へ受けて右袖を強く巻いたのは、大変効果のある型だ。