かねいり【鐘入り】
喜多六平太『六平太芸談』(1942)
- 179宮津の牧野弁太郎は和田其四郎さん兄弟のお父さんだが、昔は髷に結つていて、道成寺の鐘入りにその髷の元結が切れて、髪が撥ねていると、うまく飛込めた証拠になつたから、牧野は稽古の度に、元結が切れた切れたと自慢していたさうだ。外の人たちは、切れたんではあるまい、切つたんだらうと冷かしていたさうだ。
- 227――電灯といつても、今日のやうに明るいものではなく、舞台の四隅に小さなものが一つづつ点いただけなのですが、私の道成寺は夜になつてしまつたため、鐘入りをすると、鐘の中がまつくらでした。それでそのことをよくおぼえているのです。
- 240扠舞台に出て見ると御座所は近し、暑さは暑し、尚其上に役は重し、と云ふ訳であるから只最う一意専心、乱拍子を踏む頃には暑さも何も忘れて居たのです。愈々鐘入りとなつて、鐘の中は入つてホツと一と息吐くと、俄かにムーツとして来て目も眩暉んばかり、滝なす汗を拭きながら装束を着けて居ると、誰れが気を利かしたのか、鐘の中へ扇を入れて置いてくれたのを発見した。
- 193客 そんなに重いのなら鐘入りの時など、頭をついて随分痛いでせうが。
- 15ウ私が五十歳前後の事、能楽堂で道成寺を勤めたことがある。その時は恰も五十腕とかいつて、右の手が痛んで上へ上げることが出来なかつた。けれどもその位のことで辞する訳には行かぬので、愈々勤めることとなり扨当日に至つた。鐘入りまでは右の手も別に痛むとも覚えなかつたが、鐘の中に入つて面の紐を締める段になると、手が上らない。無理に上げやうとすればヅキン〳〵痛み出す。
- 五7ウ鐘の中はシテ自ら整へる 昔、道成寺を勤めた時鐘入りをして面をつけ替へようとした処、鐘の中に入てある筈の面がない。といつて直面で出る訳にも行かず、苦心の結果自分の指を喰ひ切つてその血で顔を隈取つて出たら、それが面をつけたよりも一層引き立つてよかつた。と云ふ話が残つて居る。その時のシテは当流の先組だといふ説もあるやうだが当流には斯うした話を残した人はない。元来当流では鐘の中のことは、出る前にシテを勤める者が自身でするのであつて殊に替の面までも用意して入れて置く。これが流法だから、鐘の中へ入つてから面が無いなどいふ心配は決してない。
- 五7ウ鍾の中に押し込まれ話 鐘入りについては色々な失敗談を耳にして居る。御維新後の事、当流のあるお素人が道成寺を勤めた。その頃私は人に邪魔されてその舞台には出なかつたのだから事実を目撃したのではないが、その日之を勤めたお素人が肝腎の鐘入りになると、どうしたものか方角を見失つたものと見え、鐘に入り得ないでウロ付く事暫時、後見が出て来てシテを後から抱へて鐘の中へ押し込んでやつた、それでどうやら斯うやら鐘入りが済んだといふ話が残つてる。
- 312実際鐘入りはむつかしいものでございまして、よく人様は「観世のは鐘の下に行つて手をかけて飛ぶのたから、鐘引さへうまければ大丈夫だ」と申されますが、勿論うまく入ればいゝのでございますが、往々この入る折の気組をお考へにならないなめに、さういふお説も出るのでございます。「鐘に入る所をもう一遍やつて見よう」と思へば、乱拍子からやつて来て、急之舞に進んでそれから勢ひよく入るのでございますから、只入ればよいといふので鐘に入る所だけをやらうとしても出来るものではありません。よし入つても、それはその人が入つただけで「道成寺」の鐘入りではございません。つまり観世の鐘入りは決して楽ではないといふ事を申上げておきたいのでございます。
- 313これは大変結構だつたのでございますが、お弟子たちが皆幕の中に入つて来てしまひました。これでは折角の御厚意も、無駄で、そんな所で秘事とされてゐます鐘入りが出来ませんから、前後だけを致しまして、やがて宿へ帰りましてから、手塚さんに「暮を張つてくださつたのは洵に有難うございましたが、お弟子たちが中へ入つて来られて、『竜頭に手をかけ――』となると皆さんが真似をしていらつしやいましたので、そんな所で秘事をお教へしてはと思つて帰りました」と挨拶をして、鐘引の六郎と二人きりで、よく息を合はして、私が「竜頭に手をかけ」とやると、六郎が呼吸をはかつて「飛ぶとぞ」で落す形を幾度もやつて見まして、お互に会得して寝につき、翌日は無事に勤めましたが、かうした申合せでキツシリ出来ますのは六郎ならこそで、私も六郎とは一番呼吸がよく合ひます。
- 316私の引きましたのでは近くは大正九年に、万佐世の披きの折でございます。これは私に呼吸がわかつてゐますから、当日は美事な鐘入りと申されまして、「まるで鐘の中へ吸ひ込まれるやうだ」との御評判をいたゞきました。
- 106芸事は修業々々といふが、修業はもとよりだが、工夫がなくては上達しない。たとへば足の運び方でも女物は一足、つまり足一ぱい、尉物は一足半、大べしとか飛出物などになると二足とかいつたやうに、足の歩み出すにもそれ〴〵キマリがありますが、唯このキマリだけを守つてゐたのでは完全とはいかない。曲により緩急によつてキマリを破らない程度の工夫がなくてはならないものです。又自分の体格をも考慮せねばなりません。小柄な私共は大股はおかしいが、大軀の人であれは、幾分キマリよりも大きめに運ぶといふやうな事も考へなければなりません。それでないと不自然で位や感じが失せるといふやうな事もあります。つまりこれ等が工夫です。
- 269【第三節】 いよ〳〵シテの出です。素袍の裾をパサ〳〵とさばいて橋掛の真中まで来てとまります。此の素袍の模様は「浜松ざし」と言つて、観世流で鉢木のみに用ひるキマリ型なのです。