近代能楽用語索引Index of Nō-related Terms in Modern Texts

近代芸談における技芸用語

主にシテ方の技芸にかかわる用語の索引。姿勢、視線などの重要と思われるトピックのほか、『能楽大事典』(筑摩書房)に立項される技術用語を対象としました。同表記・別意味の語を別に立項した場合(例:「運び」を歩き方と謡い方で別立項)も、逆に同意味・別表記の語をまとめて立項した場合(例:眼、目、目玉)もあります。

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きまり【キマリ】

松本長『松韻秘話』(1936)
  • 106芸事は修業々々といふが、修業はもとよりだが、工夫がなくては上達しない。たとへば足の運び方でも女物は一足、つまり足一ぱい、尉物は一足半、大べしとか飛出物などになると二足とかいつたやうに、足の歩み出すにもそれ〴〵キマリがありますが、唯このキマリだけを守つてゐたのでは完全とはいかない。曲により緩急によつてキマリを破らない程度の工夫がなくてはならないものです。又自分の体格をも考慮せねばなりません。小柄な私共は大股はおかしいが、大軀の人であれは、幾分キマリよりも大きめに運ぶといふやうな事も考へなければなりません。それでないと不自然で位や感じが失せるといふやうな事もあります。つまりこれ等が工夫です。
観世左近『能楽随想』(1939)
  • 114観世流では、この能には何々の模様の物を著る、これ〳〵の唐織は、何の曲のシテに限つて用ひる、と云つたキマリがある。それは勿論二百余番の能全部に亘つてのことでは無い、限られたる数種の曲だけである。唐織のこともあり、鬟帯、腰帯のみの場合もある。中啓の模様がキ:マリの物もある。
  • 172舞台上の事に就いても夫々の主張なり、キマリなりを十分に諒解し、然る上で議論して貰ひたいのです。批評は自由でありませうが、それを第三者に発表するときは、そこに責任を生ずるのですから、斬捨御免のやうな勝手な議論は遠慮して欲しいのです。観世には観世の流是があり、家元には家元の立場があります。それを平等無差別に、上懸も下懸も一緒に論じ、又家元も弟子家も区別なしに論じたりされるのは、聊か迷惑する次第です。近頃若い人達が盛んにいろいろ書いたり話したりされるのは、能楽界にとつて大いに感謝すべき事でありますが、一気呵成に筆をやると言つた調子のやうに見えます。事苟くも能楽道に関する限り、今少し慎重に分別して公表して頂きたい。流儀の主張やキマリは勿論、家々の系統や格式なども、研究された上にして欲しいのです。その点が少々不足してゐるやうに思ひます。
三宅襄・丸岡大二編『能楽謡曲芸談集』(1940)
  • 51舞台上の事に就ても夫々の主張なり、キマリなりを十分に領解し、然る上で議侖して貰ひたいのです。批評は自由でありませうが、それを第三者に発表するときは、そこに責任を生ずるのですから、斬捨御免のやうな勝手な議論は遠慮して欲しいのです。観世には観世の流是があり家元には家元の立場があります。それを平等無差別に、上懸も下懸も一緒に論じ、又家元も弟子家も区別なしに論じたりされるのは、聊か迷惑する次第です。
  • 51近頃若い人達が盛んにいろいろ書いたり話したりされるのは、能楽界にとつて大いに感謝すべき事でありますが、一気呵成に筆をやると言つた調子のやうに見えます。事苟くも能楽道に関する限り、今少し慎重に分別して公表して頂きたい。流儀の主張やキマリは勿論、家々の系統や格式なども、研究された上にして欲しいのです。