くび【首】
観世左近編『謡曲大講座 観世清廉口傳集 観世元義口傳集』(1934)
- 1ウ又体の前に傾くのや後方へ反つたのも見苦しいものです。頭が仰向いたり、俯いたりするのも勿論ですが、扇や手で拍手をとつたり、首や体で拍子をとるなどは全く以て困つた癖です。此のやうな癖は修業中から注意しなければならない事です。
- 195つまり行儀の善い悪いと云ふ事は、悪い癖のあるか無いかに依る事になりますね。例へですが、お稽古の時に、膝の上で盛んに親指と人さし指をこする方があります。又本ユリの所など来ると、首を節の通りに、義太夫張りで左から右へ振る方もあります。これは御自分では無意識にやられて居られるんですが、こつちでも「指の皮がむけますよ」「余り首を振らない様に」とも云へず、全く困る事がありますが、斯ふ云ふのも、まあ行儀の悪い中に入りますね。
- 196さつきお話した悪い癖、これは謡だから困るんですが、仕舞はそこへ行くど至極宜ござんす。指をこすらうと思つたつて、首を振らうと思つた処で出来ません。又謡でなく形が主体ですから、もつと顎を引いて、なんても云はれますからね。ですから仕舞の場合の癖を直すのは大変に楽だし、又そんなに癖の出るものでもありません。
- 54やはり五十近かつた氏に、口の開き方が悪いと云つて張扇を突込んだり、「首が縮む、シヤンとせよ」と云つて張扇で鼻の下からバネ上げて鼻血を出させたりしたといふ話である。しかもそれが冬の極寒の時であつたと云ふから随分辛かつたであらう。むろん其鼻血ぐらいの事で稽古中止にはならない。斎田氏は襟元を血だらけにしたまゝ舞ひ続けたといふ。
- 44そのために、シテが演技する場合には、外の役々は全く静止してしまつて、シテの演技を効果づける。さうしたシテの演技中の最少の動きの場合──たとへば静止してゐて僅に首をあげて月を見るとか、ほんの少し顔を下げて泣いてゐる表情を出すとかいふ時、それが大写の効果をあげる。
- 381G 「いつぞやの大雪に宿借りし修行者よ見忘れてあるか。」此処で左近氏はグーツと大きくワキを見てそのまゝサラ〳〵と後へ下り両手をつく。万三郎氏も殆ど同じだが、「見忘れてあるか」の言葉と同時にヒヨイと首をあげ、思ひ出すと同時に驚いた表情でスル〳〵と下つてピタリと平伏する。
- 44横に亡父が立つてゐまして「それ首がゆがんだ」「手が下すぎるぞ」「足だ、足だ」と直してくれます。
- 80唯、面をきるのでも、普通に切つては面の様子が活きません、首だけは動くには動きますが。此間も、そんなのがありましたが、面づかひを、そのつもりで見れば見えはしますものゝ、本当のやうには見えません。張子の虎のやうに首だけ動かしなのでは面づかひになりません。
- 109上をさすにしても、下をさすにしても、扇を畳んで居る時でも、扇の先きまで気が通じて居なければなりません。又サシワケをする時も指の先迄魂が入つて居なければいけません。見廻シにしても腹が這入つて居ないと、たゞフワ〳〵と首ばかり動かす事になる。
- 13物を見るといへばただ首を心持廻すだけのことで、それで十分物を見る感じを起させるのであつて、凡そ目で物を見るといふことは出来ない。つまりすべての型の原素を摑んでしまつたのですから、これ以上鳞へる必要が少しも無い訳であります。
- 188今の友枝兄弟の祖父に当る小膳といつた人は、特別で石橋まで許された人だが、若い頃は箱の中に入つて体の構へを矯正したさうだね。頸の据え方とか肘の張り方を、箱を定規にして直したのだね。