こし【腰】
松本長『松韻秘話』(1936)
- 107歩びの事を一寸言ひましたから、序にこれについて気づいた点を言つてみませう、歩く時は自然にヒザが折れますが、原則としてはヒザを折り曲げない事になつてゐます。つまり大事なのは腰であつて、腰の入れ方に工夫がある。足で歩るくのではあつても、足であるく心ではいけません。腰であるくつもりが肝要です。近来総じてカヾトが上がりすぎるきらいがありますが、これなども腰の力の加減ではないかと思ひます。立居なども腰の力をからなければ身体がぐらつきます。すべて立ち方は腰が大事で、腰さへしつかりしてゐれば立居も運びも乱れません。
- 64藤戸の切の句「岩の硲に流れかかつて」と云ふ辺だと思つたが、杖を両手で首へかけて、腰をしつかりグツと伸び上る反り返りのやうな型だつたが、とても凄くつてね。なんだか一たん水の底に沈んだ死骸がモ一度浮び上つてきたやうな、云ふに云へない恐ろしい感じがしてね。今でもよく覚えてるよ。
- 125吾々から申しますと、このやうな曲はいくども稽古をして貰つてやつと出来たとか、何とかいふべきものでなく、年功を経て自然に舞へるやうになつてきたのでなくてはいけないのです。型も何もなく、位だけを見せるなんてものは教へるにも教へやうがないぢやあございませんか。ただ黙つて葛桶に腰を掛けて居い姿とか、何もしないでぢいつと下に居る姿に十分気品が出てくるやうにならなけりやあ、この能を舞ふ資格はまづないわけです。
- 228父は「教へるわけにゆかないといふものを無理にといふつもりも何もない。ただ私もすこしばかり鎗をつかふので、あなたがあの鐘引の綱をはなすところを見ていると、鎗を繰り出すのと全く同じコツのやうだ。恰度おシテが拍子を踏んで腰を浮かす途端に、さつと綱をはなす、その意気込みといふか、やりかたは正に鎗法と異るところがない。あすこで鎗を繰り出せば、きつと対手を突き倒せる。鐘引は、まづ武芸と同じ行き方だ。……」
- 229帰宅した父は私にその話をして、あれは足ではない、やはり腰だといはれました。それからは金子亀五郎にも父から教へていました。
- 3ウ或時、是界の稽古をして貰つた。イロエのところへ来てから、段のあとワキ正面へ出て腰を入れジツとワキへのかゝりの込みをとつていると、先生は自分の後ろに来て、自分の腰を押ヘ口でアシライ乍ら「マダ〱〱」と云ひながらトツタンツクツクヤアツハツハツとかゝつて、ワキへ見込んだ時「こゝだ」とばかり腰を両手でどんと突飛された。その勢で自分は、車に突ツ込み、羽団扇にかへて扇を持つていた右手のまゝ壁ヘドンとブツかつてしまつた。壁を破ると同時に自分の手の甲の節々の皮は破れて血が出るといふ仕末。それを拭ひもあへず先を舞ひつゞけた。今思へば有難いことゝ思ふ。又、通小町の稽古の時、かづきをかついて一ノ松に立つている間、先生は後に立つていて、扇の要の方を自分の腰の脊すぢの骨にあてゝ、腰が少しでも丸くなると「それア〱」といつて突ツつかれる。ハツと思つた拍子に謡の力がぬけるすると又、腹、腹、と許りに責められる。この位の苦しさはなかつた。
- 110少年の頃には全くの天才で、麒麟児でした。私が十回もやらなければ出来ないのに、要君は二三回やれば立派に呑込んで了ふと云つた誠に器用なものでした。形もよく、腰なども実に立派で、芸をする上によい素質をもつてゐました。ですから深川の先生にも大変可愛がられて居りました。
- 78「腰より、と左を引き腰を見て扇を腰のそばへよせ、ぬき出だし、と物をぬく様にゆたかに出し」とあるなど良く味ふべき書振だ。笛をぬくやうとは書かずに、そしてゆたかに出しが肝要だ。この所作をコセ〳〵とやつては気分も何もあつた物では無い。
- 342仕舞といふものは、玄人の立場からいへば、やはり素謡同様難かしいものである。丁度素謡で、どんな些細な声や調子の破綻でも暴露されるやうに、仕舞にあつては、装束をつけていない為に、一切のごまかしがきかず、ハツキリ腰の据はりも見え、型の一々が何の潤色もなく露出するので、全く油断が出来ない。真に純粋に、何らの夾雑物なしに、能楽美のエツセンスだけを味はせるといふのであるから大変なのである。
- 343仕舞は先づ「熊野」だとか、「紅葉狩」だとかのクセのやうな、ごく易しいものから始める。最初は師の教へるところに従つて理屈なしに稽古を励むことが肝要である。そして第一に足の運び、第二に手の動作、之を十分に習錬する。次いで腰の工合、体の構へ、足の緩急等に留意して、専らその正しい型を習得すべきである。謡にあつても最初のごく初歩は、心持よりは節や調子が大切である如く、仕舞にしても、先づ体の構へやサス、ヒラク、打込み、左右、カザス等々の如き基本的な型に、心持など除外して、十分に習熟して置かねばならぬ。(昔は仕舞などを稽古する時は素裸で袴をつけて舞つたものである。形がそのまゝ露出するし腰、心、気分等がすぐわかるからである。)それが十分に修錬が積んだなら、次には漸次趣のあるものを選んで教はるのである。
- 123そんな心持でこれを演りました。坂元(雪鳥)さんが朝日新聞の評に、腰が余り曲らなかつた事を、いゝと指摘されてゐましたが、それは一つには前に言ひました様にさう年老いた男といふのでもないといふ私の考へからと、も一つは、能といふものは、そこまで写実的にならなくてもいゝ、否なつてはいけないと思つたからです。
- 153乱拍子は足を使ひ腰を使ひして、すぐ次に急急之舞になるのですから大変苦しむところです。次に鐘入ですが、この鐘入ではおシテより寧ろ鐘引がえらいのです。私はよく鐘引でほめられるのですが、これは近頃のことで、昔は鐘引は縁の下の力持で少しも認めてくれなかつたものです。
- 249尚私の勤めます他の二番、才宝と茶子塩梅も亦珍らしい狂言でございまして、近頃トント舞台に上つては居りません。才宝はまづ狂言中の皮肉な曲とも申しませうか、あのシテの祖父の開口に第一の秘事があり、又その歩きかた、腰の入れかたに大切な習がございますので、当流では孫算雪打の二番とこの才宝とを三祖父と申し面倒な習ひ物として居ります。
- 253狸の腹鼓や、鈞狐の場合ですがあの足と腰のつかひ方は大変なものです。普通は腰を折つて上体をかがめるのですが、これが不可いので、膝を折つて腰をたてて、膝をきつかりつけてゐるへきものなのです。勿論、誰も云ふことですが、肘もつけるのです。これも肘をつけて杖を正しく持つて、そのままにゐるだけでも大変なのが肘をつけたまま頭へ手をあげるのは、仲々出来るものではない。肘をつけたままもいいが、シテ柱のところで、グッと正へ身体を向きかけるときには、うつかりすると膝が離れ、肘が身体を離れてしまふ。何と云つても大蔵流の釣狐の如きは大変なものです。大小前のあの長い語りがすつかりこの膝を折り腰をたてて、肘を身体の両側につけたままで演るのですから寿命を縮めます。
- 94梅津朔蔵氏の「安宅」の稽古の時に翁は自分で剛力の棒を取つて、「散々にちゃうちやくす」の型の後でグツと落ち着いて、大盤石のやうに腰を据えながら、「通れとこそ」と太々しくゆつたりと云つた型が記憶に残つてゐる
- 65ためしに都踊の御殿の場を思ひ出して下さい。あの中之舞はどうですか。変に腰を入れて、見られたざまではありません。鷺娘の祈りを思ひ出して下さい。全く悪い恰好の連続です。私は鷺娘の前半に於ては、井上流のそれが、各流を通じて一番すぐれてゐると思つてゐるだけに、余計情なく思はれてならない。
- 125客 なあーにね。珠数を下げてゐるのがさう見えるんです。竹谷と云ふ人はまるで腰が駄目ですね。主人 そんな事はないでせう。その日はどうかしてたんですよ。客 さうですかね、舞の所へ来たら、腰の這入つてゐないのと、笛に追つかけられるのとで、ヒヨロ〳〵してゐましたよ。ありやつまり本当に芸の出来ないのに大物ばかり手がける為ぬでせうね。
- 300仕舞。関西御曹子連としては余りに貧弱すぎた。下田君、中々元気があつて結構。舞台も大きいが変にコセ〳〵した所が眼立つ。師匠の不注意か、それとも師匠の悪い癖が知らず〳〵の間にうつゝたものかしらない。大西君兄弟の中では信彦君が一番いゝ。癖のないのは嬉しい。信弁君はまだ未知数。信秀君は今少し勉強してほしい。大槻君、腰を変に落ちつけた所が眼ざはりだつた。大江君、お素人仕舞と云ふ感じ、今まで学校ばかりだつた為、芸事はこれからと云ふ由、大に奮励を望む。
- 377養老、水波之伝の神舞を見て、はじめて舞の面白さを知つたのは、僕一人ではないだらう。息もつけない緊張──誰一人あくびをした者もなかろう。(何しろ二十分も三十分もかゝる静かな舞は我々素人にとつて睡眠剤以外の何者でもないのだから。)とにかく、これは左近氏の腰の強さを証して余りありだ。
- 46腰がすわつてをれば大丈夫でございますが、若しお素人の初心の方でございましたら人差指一本で押してもよろけてしまひます。かう申しましても、私どもでも力を入れて押されましたら、それこそよろけるより倒れてしまひます。
- 112一の松辺へ参りますと、またグラ〳〵となります。これも若年の頃は夢中でございましたから、腰がすわらないためだと思つてをりましたが、段々にわかつてまゐりました。わかると三の松、一の松の二ケ所が心配ですから容易く歩けないものでございます。
- 113橋がかりを歩むのも同じ事で、腰さへすわつてをりましたら決してよろけるものではございません。若い頃には、橋がかりを真直に歩いてゐる積りでも段々と左か右へよるので、目をつぶつて稽古をした事さへございます。
- 304お話がそれますが、私が老女物をやりますと、人様が「腰を出す、前へ屈む」とおつしやいますが、決して前へ屈むのではございません。老女物は杖を短くしますから、幾分さうなりますが、決してお爺さんやお婆さんのやうには屈みません。唯、膝を折つて杖も、幽霊物などと違つて全身の重味がこもるやうに致しますのです。尤もそのために杖がしわるやうでは未熟と言はれても仕方がございませんが。
- 304杖は普通でございましたら、乳いつぱいの長さが本当でございますが、老女物のはそれより、少しつめます。杖が長いと老女には見えにくいからでございます。それで杖は短くはしてゐますが、そのために腰は曲げませんで、唯膝だけを折るのでございます。
- 107クセの始めに踏む一つの拍子も遅くもなく早くもなく、嵌りよく運ぶ様に注意する事が肝要です。鬟物は鬟物男物は男物の積りで心して踏まなければならない。謡の方でも拍子を踏む所は嵌りよく加減をしてうまく謡はなければならない。又立つた時にはよく腰を入れてあごの出ぬ様にしなければいけません
- 111立つた時の構へは大事なことですが、手を張りすぎてもいけず、張らないでもいけず、大変むつかしいものであります。腋の下がくつ付くと構へがくづれますから、くつ付けないやうにして、腕を弓なりに構へます。肩は極く自然のまゝに顎をなるべく引つけます。そして腰を入れます。運びは能ですと唐織着流ものは一足、その他のものは一足半をなつてをります。併し仕舞では余り細かには致しません。それかといつて大股になつては尚いけません。これも葛物と荒い物とは違ひますから、一概には申上げられません。運ぶ時、膝が伸びると腰がくだけますから伸びないやう注意せねばなりません。
- 112拍子を踏むと形がくづれますが、それは膝が伸びるから腰がくだけるのです。膝と腰とは非常に深い関係があります。
- 113最後に、形も謡と同じやうに、腹に力が入つてゐなければなかません。腹に力が入つてゐないと腰もふらついて形が崩れます。
- 87唯「石橋」はさうは行かない。芸も芸だが、更に肉体的の条伴が重要さを持つ。腰が、膝が、更に精力が、思ふまゝに働いてくれなければ、意余つて身の不自由さを唧たねばなるまい。四十五と云つたのは、芸と肉体との比較的釣合のとれさうな年配をさしただけのことだ。
- 126ただ今度の乱は、父の一生、何十度かの乱の内の最高のものではあり得ない。これは腰とか膝とかの強靱さを失つて来た老境の如何とも為し得ないところである。然しただ一歩の乱足、一行の流足だけでも、その無比の絶技を認めることが出来ると思ふ。
- 166実は「遊行柳」のやうに静かに、ただ気品一つのものとばかり思つて居た矢先なので、大いに参る。「脇能ぢやないか」と云はれて、すつかり閉口してしまつた。やはり、しつかりしつかり舞ふべきものだつたのだ。最初から飛んだ勘違ひをして居たこの「老松」は、全然駄目。演り直さねばならない。今日も腰がフラフラ。いつになつたら本当の中入が出来ることやら。
- 172前半は大変よく行つたが、後半は型を運び切れず、粗末なものになる。天冠が重く、腰が軽くて、どうにもならなくなつてしまふ。天冠のカネのやつは困る。他に「船弁慶」、前を正利、後を兄。
- 175六月二十五日、稽古能に「籠太鼓」。これは稽古の時は何でもなかつたのが、幕離れ悪く、たうとう又ヨチヨチして居る内に一曲を終つてしまふ。結局ゆつくりしたものはどうにか行くが、サラリと軽く舞ふ所になると、腰の重さや膝のかたさに災されて、手も足も出なくなる。そしてそれはやはり底力の不足からであると思ふ。この行詰りを突破せねば、僕の芸もこれ限り。
- 184夢野久作が、帝展の絵のやうに隅から隅まで綺麗にすき間なくやつてたね、と云つた。成程そんな風にやらうとして居たと思ふ。でも表面だけの綺麗さを目がけて居る訳では無いが、一寸そこに安心して腰を据ゑる惧れは十分にありさうだ。戒心すべきだと思ふ。
- 188五月二十七日、稽古能「竹生島」友枝、「湯谷」僕。曲がどうしても堅くなつて腰がフラつく。特に最初の正面へのシカケがいけない。舞になると例によつて軽くなる。今日は中の舞が始めて中の舞らしく思へるやうになつたと思ふ。運びはまだ本当に自分のものになつて居ない。殊に唐織が運びの度に足に当るのは腰を入れ過ぎるためではないか知らと思ふ。
- 207三段目にクツロギをしたが、あとが長すぎて工合が悪い。どうしても四段目にする方が宜いやうだ。前は一体に存分にやれて居たが、玉之段は所々未だしだ。後の舞は駄目だ。もつと腰だけで舞へなければいけなかつた。身体の上の方にばかり力が入りすぎる。上は軽く、腰は磐石のやうにならなければいかん。心得違ひだつた。舞台に根が生えたやうに見えるやうにならねばまだまだだ。
- 211この小書は初めてである。二通りの内橋懸へ行く方を用ひる。常闇の世と早成りぬの後イロエ。くらやみの中を唯探し歩く心持なのだから、位がついたり、乗りがついたりしてはいけないとのことである。手をきき終つて舞台へ帰る。トメはコイ合。「三輪」は度々の事だし好きな能でもあるが、まだまだいけない。腰の危さが時々出る。上端後はどうしても思ふやうでない。神楽だけ面白く気が入つて舞へる。
- 285但し、大鼓にことわるのを忘れたため、三の松正面向くと同時にヲキを打たれて少々困つた。床几にかかる暇がないのだ。後の出はどうもフラフラで腰が定まらず、王様に大分引離されてしまつた。立衆がこつちが謡出さなければ謡はないので大いに弱り、且つ稽古の届かなかつた事を愧ぢる。
- 286処がまだそれも一向熟して居ないので、唐織を著ると依然として五体が引緊らないで、腰や腕や膝に力が散らばつてしまふ。クセがどうしても舞へない。
- 289これでは一羽だぞと、自分でも感じて居たが、スルスルと出て角の面を突込む、その呼吸が判つて居るのに、腰がいふことをきかないので、まあ〳〵その方を先きにやり遂げなければ、といふ気がして居て、見上げる方は後廻しにしてしまつて居たのだ。今度は出来るらしく思はれる。画を軽くつけて斜に見上げて見れば、きつと群立つ態を旳し得ようと思ふ。
- 293これは初役である。子方は度々勤めて居るが。好きな前シテだが、此頃直面物はいよいよ演り辛くなつてしまつた。どうも本当に気が乗らない。後半切の腰が淋しいと始終云はれるので、大いに踏ん張つた。型も重味をもつて舞つた気で居るが、どうだつたか。
- 五7オ若い女の曲には紅入の装束、年とつた女の曲には紅なし。これは能ばかりでなく、吾々の日常生活でも同じだが、扨同じ紅入りでも、品のよいものと意気なものとあり、紅なしでも渋いものと高尚なものとある。この能には渋いものがよいか、意気なものがよいか、先づ判定しなければならない。そして胴が上品で、腰から下が意気だッたり、上がゴテで下が下素だッたりしてはまるで調和がとれない。けれども余りにくつ付過ぎてもいけず、離れ過ぎた配合でもいけない。所謂不離不則の取合せが難かしい。