近代能楽用語索引Index of Nō-related Terms in Modern Texts

近代芸談における技芸用語

主にシテ方の技芸にかかわる用語の索引。姿勢、視線などの重要と思われるトピックのほか、『能楽大事典』(筑摩書房)に立項される技術用語を対象としました。同表記・別意味の語を別に立項した場合(例:「運び」を歩き方と謡い方で別立項)も、逆に同意味・別表記の語をまとめて立項した場合(例:眼、目、目玉)もあります。

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しかけ【シカケ】

喜多六平太『六平太芸談』(1942)
  • 83それならそれほど重いものだから変つた型がある充らうとか、また囃子方のはうにしたつて、どんなにむづかしい手があるだらうかなんて一寸誰もが考へるだらうが、それやあ馬鹿げたことさ。なあにシテのはうぢやシカケにヒラキ囃子方では三ツ地にツヅケ、要するにそれだけさ、簡単に云へばね。そのシカケにヒラキ、三ツ地にツヅケ、それが檜垣らしく、伯母捨らしく関寺らしくやれればいい。そのらしくが問題なんだね。後学のために是非一度見せうと云はれても、少し皮肉に云へば見せて解る人間には見せなくても解る、見せなくちや分らない人間には見せても分らない。別に威張るわけでも出し惜しみするわけでもない。他人さまはどうでも御自由に批判なさるがいい。ただ、やる者としては無暗に側から煽られたからつておいそれとやる気になるものでもなく、まして金銭づくでは無論のこと、詮じ詰めれば潮時だよ。
野上豊一郎編『謡曲芸術』(1936)
  • 226この一声の区別を述べることは一般には不必要であるから略して置くが本当をいへばそこがハツキリしていなければウソなのである。(囃子方自身が、その区別を知るや知らずや、後ジテの出の一声の際に、シテがシテ柱を越えても、足を留めねば、シカケないで、いつも踏みとめる一声ばかり打つといふやうなのがあつたものだ。今は先づあるまいが、以前はあつた。玄人にして且然とすれば素人の人達にそんな心得は、強要する方が無理といふものであらう)
喜多実『演能手記』(1939)
  • 28–29そこで写実的にしろ形容的にしろ、ともかく意味を有つた型の方を「シグサ」と仮に言つて置きます。全然意味のない型、これを「舞ノ手」と言ふのが適当ぢやないかと思ひます。その「舞ノ手」と申します意味のない型にはどう云ふ種類のものがあるか、それは極く僅かしかありませぬ。「シカケ」と「ヒラキ」。「シカケ」は斯うやるのです(実演)。「ヒラキ」はかうやるのです(実演)。これらは至く意味はありませぬ。それから「左右」と云ふのがあります。「シカケ」「ヒラキ」は扇をすぼめて居ることもあります、開いて居ることもあります。 
  • 36先に申しました「シカケ」、「ヒラキ」、「サシ」、「を右」一と云ふやうな型の連続であります。全く白紙のやうなものであります。それに向つた時に自分の心持を全部それに傾け尽す。それが出来て初めて本物だと云ふ気持がします。
  • 164あれから恰度十年になつてゐるが、果してどれ位進歩したかと顧みると忸怩たるものがある。真の一声あと舞台へ入るとごろ、大鼓のシカケが早くて、つい浅くとまつてしまふ。初同の正先へのシカケ、まだギコチない感がある。上羽あとの型は昔からやりよかつたが、今度はシカケ右へ開いて角の方へ二度掃いてみる。さもないと、作物へ向いたとき正面へ真向に背を向けることになるので。
  • 188五月二十七日、稽古能「竹生島」友枝、「湯谷」僕。曲がどうしても堅くなつて腰がフラつく。特に最初の正面へのシカケがいけない。舞になると例によつて軽くなる。今日は中の舞が始めて中の舞らしく思へるやうになつたと思ふ。運びはまだ本当に自分のものになつて居ない。殊に唐織が運びの度に足に当るのは腰を入れ過ぎるためではないか知らと思ふ。
  • 192今日幕離れ先づ宜し。調子は痛めては居たがこれも宜し。初同は未だしと思ふ。唐織着流し物の初同、特に前へ出てシカケ開キ、これだけの型が手に入るやうになるのは何年先きの事だらうと考へたのは十四五の時でもあつたか。爾来約二十年に垂んとして今日まだ完う出来ないのは何等の凡骨であらうと思ふ。但し幾分の見当はついたかに思はれるのがせめてである。今一息離れればと思ふ。拘りがなくなればと思ふ。もう行き着いて居て唯一寸した考へ方一つだとも思ふ。その癖「道さやかにも照る月の」の半ビラキや、中入前脇へのヒラキの方はスラリと行く。然し初同のシカケ、ヒラキ、これが出来ればまづ大家とも云へよう。
  • 204後の初同は真中へ出て角へ袖被ぎ高く見る。ここは型付の通りではない。打切から左へ廻つて一且深く廻り込み、ワキへシカケヒラキ、大小前へ行き、下に居て合掌、舞アトの打土、ロンギの謡出しは打切なし、小鼓ホヽと聞いて「実に面白や舞人の」となる。「朝顔の露稲妻の影」の座は仕舞付の通り。
  • 208五月二十五日稽古能「梅枝」実、「春日竜神」和島。「梅枝」は初演、前後を通じて楽々とやれた。特にクセを、その中にも最初のシカケヒラキを十分にやれたことは今日が初めてであつた。今迄何のクセをやつても十分でなかつたが、この点だけは記録するに足りる。
  • 239「夫婦の老人のかたじけなさ」と手を突く型のある事を知つて居たが、尉の姿に取り合はないからやるまいと考へて居たが、前の食ひ足りなさを取り戻したいためにたうとうやつてしまつた。演つてみれば、それ程悪い型でもないかしらとも考へた。中入前のシカケ開キ、一曲中一番十分の思ひをした。
  • 275六月二十三日、喜多会月並能。「烏頭」父、「飛鳥川」実、「国栖」兄。幕を出切らないのに大鼓にシカケられて弱つた。歩きながら一声を誘はせられた。初同ではツレに入替りで体当りを喰つた。余程不運の日である。腐るまいとするのに苦心した。唐織でサラリと舞ふなんて、先づ自分の今の程度では無理と思つたので、位の重くなるのを意にせず、静かに演つた。
  • 288鏡にかかつて居る間、自信を失つた心持を元へ戻すのに苦心した。一声の出はスラスラと運んだ。この調子なら練習中の実力だけは出せると安心した。声の調子も楽、初同正先のシカケヒラキは伸びが不足のやうに思ふ。左廻りは十分。
  • 304「オヒヤライホウ〳〵ヒ」「オヒヤイヒヨイ」と進むのを「ホウ〳〵ヒー」と長く引かれたので、すつかり引掛かつた。安福君は直ぐシカケてくれたが、結局無駄だつた。
  • 322クセが、殊に上羽前が、僅かなところで居て物にならない。正面ヘシカケてヒラク、結局これが何よりむづかしい。これを解決することが今の大事と思ふ。
  • 325それも一番初めの、シカケ、ヒラキ、左右、サシ廻シヒラキ、ここ迄が最も消化しにくい。これば稽古で毎日やつたに拘らず当日迄出来なかつた。正面へ出てシカケる。これがどうにも一筋に行かない。出るのは出るのでなく、引くのである。この呼吸を十分に体得すれば、シカケヒラキなどは軽々と出来る、といふこと迄は確かに判つて来たし、時々出来かかることもあるし、立派に出来たことも今迄に一度や二度はあつた。