しせい【姿勢】
斉藤香村編『謡曲大講座 寶生九郎口傳集 第一』(1934)
- 昔当流の弟子に矢田八郎左衛門といふのがあつた。これも不器用な上に猫背であつたが、若い時から謡にも能にも熱心であつた。けれども如何せん猫背では、芸に熱心なだけでは、その不ざまな姿は直らない、熱心に稽古すればするほど、傍の見る目が不憫なので、時の大夫丹次郎[中略]は、ある時矢田に向ひ、「謡はとも角、型の方は将来の見込が立たないから、一層その稽古の精力を謡だけに集注してはどうか。」と親切に言つて聞かした。矢田はこれ聴いて非常に悲み、如何にもして一ぱしの能役者になりたい、型がなくては一人前とはいはれない、のみならず矢田といふ古い家に対して相済まぬ、と自らこれを深く心に誓つた。爾来矢田は、毎寝る時に背中に薪をグル〳〵縛りつけ、そして猫背を矯正しようとした。それが歳月を続けてゐるうちに、猫背はいつとはなしに全治して、背柱が正しく立派な姿勢の男となつた。
- 107【大西信久】不動の姿勢をとつてゐても、何処かピクリ〳〵と神経的に身体のうごく人だ。性格もその通りで、うはべはひどくボンチらしいが、実はさにあらず。随分こまかい所にまで気のつく人だ。ひどく自信家の所為か、時々老大家の様な態度、口ぶりを見せる。やはり一種のとつちやん小僧か、おそるべしおそるべし。
- 71記憶に残つてゐる地謡連中の、マチ〳〵 に凝つた姿勢を⾒てもさうであつた。凝つて〳〵凝り抜いて、突つ張るだけ突つ張り抜いて柔かになつたのでなければ真の芸でないといふのが翁の指導の根本精神である事が、⼤きくなるにつれてわかつて来た。だから⼩器⽤なニヤケた型は翁の最も嫌ふ処で、極⼒罵倒しタヽキ付けたものであつた。そんな先輩連の真似をツイうつかりでも学ぶと、⾮道い眼に会はされた。
- 79翁は痩せた背丈の⾼い⼈であつた。五尺七⼋⼨位あつた様に思ふ。⽇に焼けた頑健な⾁附と、何処から⾒ても達⼈らしい⾵格を備へたシヤンとした姿勢であつた。肩が張つて、肋⾻が出て、皺だらけの⻑⼤な両⾜の甲に真⽩い⼤きな坐胝がカヂリ附いてゐた。
- 176それと、お稽古する時に扇を持つて居ながら、それを腰に差し、鉛筆を持つて稽古をして居らるゝ人があります。或は扇を前に置いて、鉛筆を扇の代りに構へて稽古して居らるゝ人を見受けますが、これも大きな間違ひです。矢張り扇はちやんと持つて、姿勢を正しく謡ふのが本当です。
- 197–198問 お稽古の時、本を置く位置はどの位の所が宜いでせうか。答 なるべく遠い方がいゝやうです。近くに置くと首が前に垂れるし、又咽喉を押し付けられて声を出すのに苦しい、こんな事を云ふと見台が売れなくなるつて怒られるかも知れませんが、私は弟や内弟子の稽古には見台を使はせません。見える限度の所まで遠くに本を置きます。かうする首が前に飛び出さず、ピンと胸を張つて幾分伏目勝だけで謡へますから、姿勢は自然に整つて来ます。一般のお稽古には矢張見台を用ひますが、なるべく本は遠くへ置く事ですね。
- 198[上記の続き]問 舞台や謡会の席等で、独吟の時はどの辺に眼をつけますか。見台で上から見下して稽古してゐた人は、本が無くなつても、矢張りその辺を見ないを宜く謡へないとか聞いて居りますが。答 さうです。ありますね。見台を直ぐ膝の前に置いて稽古をしてゐる方は、舞台に出たり、謡会の時等謡ふ時、矢張りその辺に眼をやる、従つて首が前に曲り姿勢がくづれる事になります。大体舞台の上では、尤も独吟と素謡では違ひますが、独吟の場合では舞台の榧あたりを見るのがいゝのです。さうすれば視線にも身体にも無理が出来ないで、大変自然の格好を作り得る事になります。ですからお稽古の時もなるべく謡本は遠くへ置いて、その姿勢を作る事に心掛けるのがいゝと思ひます。
- 173–174観世新九郎(観世流⼩⿎家元)といふ⼈は⼩柄な品のいいお爺さんでした。楽屋にいると、腰が⾮常に曲つていたので、舞台に出たらどんな恰好をして⿎を打つだらうとはじめは思つていました。所が舞台に出たのを⾒たら驚きました。橋掛りへ出る頃から、腰が延びはじめて、さて床⼏にかけて打つことになるとすつかり姿勢がシヤンとしてしまふので、⼦供⼼にもえらいものだと思ひました。とても綺麗な⿎で、調⼦もなかなかよかつたやうです。
- 51またたれも心得て居られる事でせうが、謡を謡はぬ時は常に袴の下に手を入れて置き、謡ふ時は二句前で手を出し、一句前で扇を右手に取つて、開口をはつきりと、真面目に謡出すやうに心掛けて居なければいけません。姿勢が前かゞみになるのもいけません。膝の上に置かれた双手は入の字形になつて居れば宜いのです。
- 49[安宅の子方を勤めた際のこと]よろ〳〵として歩み給ふ、で金剛杖にすがつて二三足正へ出るときに、本当によろ〳〵としたのだ相だ。それを同山頭をしてゐた伊東隆三郎氏(故人)が、アツあぶない、といふ格好で支へた。その姿がとても珍妙だつたので、舞台中の者がクスリ〳〵とやつたのだ相だ。
- 262[羽衣について]「なうその衣は此方のにて候。何しに召され候ぞ」切幕の中からシテの声がします。天人の出現です。よく見ると、何んだかズボリとした姿で、如何にも羽衣を失つた天人と云ふ態です。
- 93甚だ要領を得難い評かも知れないが、翁の型を⾒た最初に感ずる事は、その動きが太い⼀直線といふ感じである。同時に少々穿ち過ぎた感想ではあるが、翁の芸⾵は元来器⽤な、柔かい、細かいものであつたのを尽く殺しつくして、喜多流の直線で⼀貫した修養の痕跡が、何処かにふつくりと⾒えるやうな含蓄のある太い、逞しい直線であつた様に思ふ。曲るにしても太い鋼鉄の棒を何の苦もなく折り曲げるやうなドエライ⼒を、その軽い動きと姿の中に感ずる事が出来た。
- 94「海⼈」の仕舞でも地謡(梅津朔蔵⽒、⼭本毎⽒)が切々と歌つてゐるのに、翁は⽩い⼤きな⾜袋を静かに〳〵運んでゐた⾝体附が⼀種独特の柔か味を持つてゐた。且つ、その左⾜が悪い為に右⼿で差す時に限つて⾝体がユラ〳〵と左に傾いた。その姿が著しくよかつたので⼤野徳太郎君、筆者等の⼦⽅連は勿論、⾨弟連中が皆真似た。それを劈頭第⼀に叱られたのが前記の通り梅津朔蔵⽒であつた。
- 105只円翁の茶の⼿前は決してうまいものにては無かりし筈に候。それに唯翁が茶杓の⼀枝を⼿に取りて構へられたる形のみが厳然として⼨亳の隙を⾒せざる其の不思議さは何の姿に候ぞと⼈々はこの点を驚嘆せしものに候。
- 105⼜翁が博多北船の梅津朔蔵⽒宅に出向いた際、折節⼭笠の稚児流れの太⿎を⼤勢の⼦供が寄つてたゝいて居るのを、翁が⽴寄つて指の先で撥を作つて打ち⽅を指導して居た姿が、何とも云へず神々しかつたといふ逸話もある。(前同⽒談)⼀道に達した⼈だから⼤抵の事はわかつたのであらう。
- 107舞台に立てば、常に心を四方にくばり、注意を怠つてはいけないものです。先生は私共に、後方に目がなければいけない、いつでも自分の後方を忘れては身体がくづれる、といつてゐられました。後方に目をつけてゐる心だと、かゞみ過ぎたり、うつ向き過ぎたり、後方の形がくづれたりする事はない訳です。留拍子をふんで橋掛りにかゝつても、後方を見る心で引込めば形がくづれるおそれはありません。クツロギにも物着にも、又ツレなどで切戸などから引込むものでも、常に舞台の上では、前にも後にも目をつけてゐれば決して緊張を破り、力をぬき姿をみだすやうな事はないのであります。
- 344同じ「ユウケン」といつても修羅物と鬘物とではむろん違ふ。前者は⼤きめにし、後者は⼩さめに⽉形になるやうにする。⼜扇の使ひやうでも、同じ「左右」にしても、「胸差し」にしても、鬘物の場合は修羅物や四五番⽬物のそれとは、⼿の加減、⼼持、すべて⾮常な違ひで、柔かに、優美にしなければならぬ。⾜の運びはむろん、同じ⽴つている姿にしろ⼤変な違ひである。
- 108[井筒について]居グセの間のシテの姿はいかにも端麗で品の良いもので無くてはなりません。この感じを⾒る者に与へることの出来るシテは、本三番⽬物を真に会得してゐると云つて差⽀ありません。
- 85[大槻十三談]以前神戸に橋本熊三郎と云ふ金春の太鼓を打つ人がありました。この人は肩をイカらせて打つので、その姿がなつて居らんと、いはれてゐました。
- 142[金剛巌談]昔から楊貴妃、定家、小原御幸の三曲を、三夫人と言つてやかましい物になつてゐます。ある古書には、年とつた大夫は、此能を舞はぬが宜いと書いてあります。その訳は主人公が優婉この上もない高位の女性だから、真似るのに年若の大夫でなくては難かしい、声も美しく、姿も若やいでゐないと、それらしく見えないと言ふのでせう。なる程一応は首肯出来るのですが、然しそこが能です。能だから年齢に左右されず、声や姿に囚はれないのです。
- 38[絵馬女体についてのコメントのなかで]これからの時代は段々修業がおろそかになつて、ただ調⼦とか姿とかいふことばかりをやかましく云ふ時代になるから、もうかういふ⾻の折れるものを腕⼀つでやりʼ切るといふやうな⼈達が、追々少なくなるかと思ふといささか⼼細いよ。
- 125[定家について]ただ黙つて葛桶に腰を掛けて居る姿とか、何もしないでぢいつと下に居る姿に⼗分気品が出てくるやうにならなけりやあ、この能を舞ふ資格はまづないわけです。それがなかなか容易なことぢやあないのです。
- 133[景清について]あの「名乗らで過ぎし⼼こそ」とツレを⾒送る⼼持をして、あと「中々親のきつななれ」と思⼊れをしたままずうつと男とワキとの橋掛りい問答の⻑い間を姿を崩さず気持を変へずに居る。あそこなどは、⾒物の注意が全部橋掛りへ集中されてるのですから、舞台は空みたいなものです。しかし百⼈に⼀⼈、千⼈に⼀⼈は⼀⼨眼を光らせて、あの間のシテの様⼦を⾒ている⼈がある。中々油断がなりません。