たおれる【倒れる】
杉山萌圓(夢野久作)『梅津只圓翁伝』(1935)
- 82筆者は「土蜘」が舞ひ度くて〳〵たまらなかつた。ずつと以前に河原田翁の追善能で見た金剛某氏の仏倒れや一の松への宙返りをやつて見たくて仕様が無かつたが、翁が勝手に「小督」にきめてしまつたので頗る悲観した。
- 57斯う云ふ事がありました。先生(先代宗家)のシテに宝生金五郎氏のワキ、父(松本金太郎)の姉和で御前能に「正尊」を勤めた時のお話です。金五郎氏の弁慶がずうつと後へ退つて行く時、勢ひ余つて後へひつくり返つたのです。処が追つて来た父の姉和は頓着なしにきつと太刀を振り、構へて弁慶に向ひましたが弁慶は起上る事が出来ません。それでも見所には別に怪んで居る人も無い位平静で、後になつてあの時金五郎氏が転んだと云ふだけの話のものでした。これは太刀を構へた姉和が一寸も型を崩さなかつたり、又弁慶も転んだ儘の弁慶で居たからでありませう。同じ様に若し「巴」のシテが転んだとしても転んだら転んだ儘の巴御前でよいのを、周章るから忽ち巴御前が抜けて仕舞ふのです。
- 319–320[「土蜘」の枯木倒れ]此間、清之さんの追善会で喜之さんから、珍らしく「土蜘」を勤めるやうに役づけられましたが、廿五年ぶりでトメに枯木倒れをやりました。これは御承知のやうに枯木の倒れるやうに、真直に後へ倒れるのでございますが、老人がやつて、比較的、うまく行つたものでございますから、御評判になりました。あれだけは馴れて居りますが、も一つ前シテで、頼光との斬組に一畳台から飛びおりますのに宙返りを致しますのですけれども、年を取りますと危険でございますからやりません。それならば枯木倒れは安全かと申しますと、あれでも頭を打ちましたら眼をまはしてしまひます。
- 320–321[「土蜘」の枯木倒れ]枯木倒れも年が行きますとやらなくても宜いのでございますが、私はまだやれさうな気がしましたので、出来たらやらうと思ひまして半切の後へ内証で布団を入れさせたのでございました。それを武雄さんが見て居られましたので、後で「布団を入れられたから、何かなさるなと思つてゐたら、あれだ」と言つてをられましたが、何分年寄の事でございますから、兎角言はれましたが、なにあれ位は平気でございますよ。しかし宙返りはもういけません。
- 200今迄数度の乱の内今日のが一番十分だつた。もう一二度やれば余程思ふやうにやれさうな気がする。毎年一度づつ舞はうと思ふ。ハヤシ方も大分流儀の乱に馴れて来て居た。下り羽はまだまだ速すぎるやうだ。追つかけられて余裕が出ない。気持がよかつたので六段目で思ひ切つて足上げたまま頭振つてみたら見事によろけた。カカリの笛の方へ倒れる型はまだこはくてしつかりやれない。