ちゅうがえり【宙返り】
杉山萌圓(夢野久作)『梅津只圓翁伝』(1935)
- 82ずつと以前に河原田翁の追善能で見た金剛某氏の仏倒れや一の松への宙返りをやつて見たくて仕様が無かつたが、翁が勝手に「小督」にきめてしまつたので頗る悲観した。
- 175–176浜町に田中四郎左衛門さんといふ方がいらつしやいまして、其頃大阪から亮太郎さん(手塚亮太郎氏)が参られて、三年程この田中さんの御邸から亡父の所へ稽古にお出でになつてをられましたが、或時その御邸で御酒宴がございました節、鉄之丞さんは「綱渡うを御覧に入れます」と申されまして、鼻毛を両手で引き出しましてそれを延ばして柱から柱へ結び渡したやうにし、その上に乗つていろ〳〵芸当をする真似を致しまして、しまひに綱が切れたやうに見せて、自分は宙返りを致します。申し落しましたが鉄之丞さんの宙返りは能楽界随一と言はれたもので、大きな体の上に立派な装束をつけてゐても、又長刀のやうなものを持つてゐても、そのまゝ音を立てずに綺麗にひつくり返られました。
- 177余り身近でございますので取り立てゝいふ事もございませんが、義兄で思ひ出しますのは鉄之丞さんと共に宙返りは上手で、特に座つて膝をついたまゝでせられたのには一同驚いてしまつた事がございました。
- 320あれだけは馴れて居りますが、も一つ前シテで、頼光との斬組に一畳台から飛びおりますのに宙返りを致しますのですけれども、年を取りますと危険でございますからやりません。それならば枯木倒れは安全かと申しますと、あれでも頭を打ちましたら眼をまはしてしまひます。宙返りは若い中にやらなければいけないと言つて皆やります。
- 321それを武雄さんが見て居られましたので、後で「布団を入れられたから、何かなさるなと思つてゐたら、あれだ」と言つてをられましたが、何分年寄の事でございますから、兎角言はれましたが、なにあれ位は平気でございますよ。しかし宙返りはもういけません。此間、日比谷の公会堂の観世大衆能に、この「土蜘」が出まして、左近さんのお役でトメの「きりふせ〳〵土蜘の首うち落し」の所で宙返りをなさいました。私は正面から拝見致してをりましたが、お若いから勢がよろしうございまして、宙返りは御見事でございました。