つめる【詰める】
手塚貞三編『謡曲大講座 手塚亮太郎口傳集』(1934)
- 9ウ[「頼政」について]「一来法師、目を驚かす」で一段であるから其心持。「橋は引いたり」と伸べ「水は高し」とつめ「さすが難所の」のさすがを少しゆるりと心持して謡ふ。「名乗りもあへず三百余騎」と乗らずにズカリと謡ひ、直に「くつばみを揃へ」とつけて、ノツシリ〳〵と謡ふ。老武者であるから、此切りは乗つてゆるりと謡ふ。若し乗過ぎて早くなつては若武者になつて了ふ。。「ざざつと」とつめて謡ひ、「浮きぬ沈みぬ」と心持する。「さばかりの大河なれども」は暢びぬ様に大きく謡ふ。
- 12ウ–13オ[「木賊」について]シテ「あら恨めしや」と突ツ掛けて謡ひ「たゞ」と極しづめて謡ひ、地の「恨めしや」は閑かに「子故なれば」と急に詰め「今一と目」迄つめて謡ひ、「見へよかし」と閑づめ、打切りを緊めて打たせる。 ロンギ「此上は云々」は常の狂女ものなどよりは少し重く、掛合は凡べて文句に注意し「子なりけるぞや」を引ツ立ててつめて謡ふ。
- 21オ[「西行桜」について]シテは、ワキの「不思議やな」の謡出しに頓着せず、「最は夢中」から始めてワキに取合ふのである。「心を猶も」と尤むる心、「尋ねん為」と柔らかくワキへ、脇はシテの文句に注意して受ける心で謡ふ。シテは凡て問ひの謡で、閑かに手強く詰め合の気味である。けれども老人は古木の精である事を忘れてならぬ。「群れつゝ人に」と我が心におさめ、考へつゝ謡ひ「扨桜のとがは」と咎めながら、ワキへかゝる。
- 4オ[「曲節の名称と扱ひ方」]○カギ節 二つの音を一つに詰めて謡ふ意。上を短く次の仮名へ早く取付く。
- 5オ[「曲節の名称と扱ひ方」]○ツメル 詞を延ばさず詰めて謡ふことを示せるものにて、「打立」をウチタチと云はずウツタチと詰める時の印である。
- 43「定家、求塚」になると地獄に落ちた苦患を語るのですが、尤もシテの貴卑によつて、此の二曲は相違があります。これには前半と後半といふやうなものがあつて、「求塚」は段々沈んで行かねばなりません。語るにつれて段々暗くなつて行くと云つた気分です。これとても重くならぬやうに句読とか調子の緩急が大事で、或る時は句読を伸ばし、或所は文句の連続をつめる、といふやうな工夫がいります。
- 71次に句読が非常に大切なものになります、いくら上手に謡ひましても、句読がまづいと謡は死にます。それは重に語り、又は夫に似た様な長い言葉の所です。そこでは句読をゆつくり、併し、つめて謡ふのです。是は一寸言葉や文章では簡単に聞えますが、腹の力が大いに必要とされます。
- 79同じ詞の中でも、語りは、抑揚、緩急、調子の高低、息継、句読のツメ、ノバシなどに留意し、本をよむといつた感じの謡ひ方や、文句を知つてゐるやうな謡ひ方は語りには禁物であります。
- 85–86「熊野」の詞をお素人方は、ゆつたりと伸ばして謡はれるのをよく耳にしますが、前にも言つたやうにこの曲の詞などはツメてうたふ心が肝要です。尤もシメて謡つてゆつたりとした処を聞かせるには、声の力、腹の力といつたやうな修業の効にまたねばなりませんが、要するに無駄を省いて正味ばかりをうたふ心掛けが大事であります。尤もシメて謡つてゆつたりとした処を聞かせるには、声の力、腹の力といつたやうな修業の効にまたねばなりませんが、要するに無駄を省いて正味ばかりをうたふ心掛けが大事であります。詞の謡ひ方は節の部分よりも至難で、力を入れ過ぎ、抑へ過ぎると、音が重くなり、謡がのび、力を入れないで運べば無意味となり、力を入れ抑へを利かして、そして発音、節扱ひを軽く捌かねばなりません。声のハリ、音の開合に注意し、専ら腹でうたふのです。そして同じ三番目物でも「杜若」の詞をうたふ場合より、熊野の詞の方は寧ろツメる位でなくてはなりません。
- 110–111「キライ節」といふのは「当麻」のクセの終り辺の「綺羅衣の御袖も」の「羅」のハリマワシ節をいふのです。昭和版改訂の砌りマワシ節のハリ節は除いて補助記号で補ふことになつたのに、この「羅」のハリ節のみは除くことが出来なかつたのです。「ら」のマワシはハリをふくめてやゝたつぷりめに謡ひ、マワシの後半のハネを短かくハネるやうに張りをふくめて「アイ」とツメて消しを謡ひ「オ」のではじめて普通に戻るのです。
- 118私が子方の時分、先生(先代宗家)がシテで、今の新さんの父、金五郎さんがワキ、先頃亡くなつた尾上始太郎の父新次氏、当時六十歳位の人でしたが日暮殿で「鳥追」が出た事があります。其の時私は子方でしたが、金五郎さんが私に当る言葉がほんたうに力強く、私は舞台て叱られて居る様な気はするし、何んだかなさけなくなり、全く泣き声で請け答へをしました。後になつて、ワキとワキヅレの日暮殿とが掛合ひがありますが、其の僅かのつめひらきを見て、恐ろしい気合ひに、芸の力の偉大さを子供ながら感じた事を未だに忘れません。そして、先生のシテが情のある謡ひ方、あの美くしさは、とても私共の真似ても及ばない所です。事の序に一寸申添へておきます。
- 143節のあるといふ例は、先づかけ合等にもありますが、語り等がさういふ事を一層明らかに致しませう。お聞きになつてもお分りになる様に、謡本の通りに語つて居りますが、決して読んでは居りません。是が主要な御注意でして、あなた自身があなたの言葉を読んで居る様に聞かれる事は、謡本を見て読んで居られる証拠です。読んではいけません。謡はなくては面白くないのです。たとへ本を見て御謡ひになる場合でも、文意によつて声のメリハリをつけ、適当な所で句を詰め、或は間を置き、或は運びをゆるめ、又はシメル等の用意があれば、必ず面白く聞えます。但し、お説の通り芝居の科白になつては困ります。是は先生について習つておいでなのですから、先生の謡ふのを御注意しておいでになれば、詞と科白の差は直に知れます。
- 228[「修羅物謡ひ方の研究」金剛右京]キリは殆んど皆、修羅ノリと称する手強い、当りの快適なノリで謡ふ。修羅ノリは中ノリの一種で、中ノリは修羅物に限つたわけではないが、修羅物には例外なしに、このノリがあるので中ノリの強吟のものを修羅ノリと称している。原則としては、中ノリのところの句は上八字下八字の十六字から成つている。例へば「田村」の「光を放つて虚空に飛行し」の如きが典型的な例であるが、これを謡つて見てもわかるやうに、拍子に文字が一々当つて行き、その文字がまた、たるみなく詰つて並んでゆく為、いかにもノリよく、いそがしいやうな感じを与へるのである。むろん字数は十六字に限つたわけでなく、いろ〳〵であるが、字数が少なければ少ないで、それ〴〵「持チ」や「引キ」によつて、中ノリの拍子に当てはめてゆく。この中ノリの個所が強吟の時即ち修羅ノリの場合は、一層ノリよく聞こえ、運びがいい上に、カチリ〳〵と拍子に当るので、いかにも手強いそして又サラリとした颯爽たる感じを与へ、なるほど修羅能のキリに適はしいといふことがのみこめるのである。
- 251[「鬘物の謠ひ方要領」梅若万三郎(「江口」について]序の舞すんで、「実相無漏の大海に」をシツカリと謡ひ、漸次呼吸を押し詰めて来て「あらよしなや」で一段落となる。この間は舞の型も頗る多く、謡も大ノリの事であり、引立てゝ調子よく謡ひ進むのである。
- 284[「現在物の謡ひ方」 野口兼資、「大切な「詞」の扱ひ」]詞の扱ひで、今一つ大切なことは、文字の発音と訛である。消え易い音、耳立ち易い音に注意し、文字と文字の断読に心を用ひねばならぬ。謡本のダシの記号だけに頼つていたら、詞の扱ひは完全かと言ふに、決してさうではない。ダシのほかに、ツメヒラキの心持がないと、意味を誤まる場合がなか〳〵多い。
- 288[「現在物の謡ひ方」野口兼資、「鉢木」について]「なふ〳〵旅人お宿参らせうなふ」は、遥か彼方を歩み去るワキ僧を呼ぶのであるから調子を張つて大きくシツカリと出る。能ではシテが舞台の正先から、橋懸のワキを呼ぶ処である。調子を張つて、その調子が割れるやうな事では駄目だ。タツプリ籠めて、なふなふと呼び、お宿参らせうと、稍つめて、つけて、なふと確かり抑へる。
- 138父がよく地謡に叱言を云ふ。 謡に緩急がない、といふのである。この緩急とは、位が早まつたり、緩まつたりすることを云ふのではない。同じ位の中にまた絶えず緩みがあり、緊りがあり、伸びがあり、詰りがありするのを指すのである。「此の頃の謡はどこもかしこも同じだ」とよく叱られる。「巴」を謡ふとする。「少し恐るる気色なれば」まで我慢する。「敵は得たり」で、さあ急げ急げと多くの人は考へるだらう。だが、さう追立てられては、シテは長刀が扱ひ切れないのである。長刀が扱ひ切れないばかりでない。「八方払ひ」も「木の葉返し」もあつたものではない。「八方払ひ」はそのやうに、「木の葉返し」は又そのやうに、チヤンと区別して心して謡はなければならない。そこで初めて謡が生きて来る。「花の滝波枕を畳んで」となる頃にはシテの長刀の扱ひは細かく、小刻みに、そして段々切迫して来る。勿論地もそれについて次第に急迫してかかつて行く。そこにこの段の面白さが初めてある訳である。
- 299六月六日、学生鑑賞能、「安宅」。 出る前に大変疲労を感じて居た。出たらすつ飛んでしまふだらうと思つて居たが、少し力を入れると直ぐ疲れが加はつた。此の頃は、かういふ圧力を持つ役を軽々と扱ふコツを覚えた筈なので、大いに期待して居たが、当が外れた。かう身体が弱つて居ては駄目だぞと思つた。軽く演ると、弱くなつてしまふ。止むを得ず頑張ると、不自然な誇張ばかりになつてしまふ。特に謡の調子はまつたく詰つてしまつた。
- 262[「安宅」の間狂言 野村 万斎]やがて、南都東大寺建立云々のシテワキのやりとりになり、シテの『よもまことの山伏を止めよとは仰せ候まじ』と云ふのをきいて「……昨日も三人まで切つて懸けたぞ』と一段と声を高めてツメます。是でシテがかかつて『さて其の切つたる山伏は判官殿か』といふのを、ワキがおつかぶせる様に『あらむつかしや問答は無益』といふのです。
- 57竹生島の「有難かりける奇特かな」の「くかな」や、船弁慶の「前後をばうずるばかりなり」の「りなり」等によくある節ですが、廻しが三つ重なつて、其次にカケ節と廻し節とを重ねて結ぶ時は、重なつた三つの廻し節の内、真中のは、前二例で云へば「奇特かな」の「か」、「計りなり」の「な」の初めの廻しは少しツメルやうに、そして三つ目のを大きく謡ふのです。
- 80クリ地のあとのサシをいゝ心持で謡つてゐられる方が多い様です。だら〳〵とならない様に注意しなければなりません。ツメてはいけませんが、クリの高い調子をおさめる意味がありますから、そのつもりで謡ひます。
- 90–91節の処にも詞の処にもツメてうたふものが沢山ありますが、このツメも詞の処は短かくツメ、節の処は引き気味にツメます。特別の処はあつても大体には右の約束にあてはまるのであります。