なおり【直り】
手塚貞三編『謡曲大講座 手塚亮太郎口傳集』(1934)
- 4オ[「関寺小町」について]「とても今宵は」でワキはワキ座に帰り、シテは心持をつけて居を直します。
- 7オ[「景清」について]真実の娘がはる〴〵尋ねて来たのに、名乗らでそれを帰したばかりで、もの思ひに耽つて居た処だから、怒る心で「かしまし〳〵」と謡ふのである。此時にシテは左手を後ろに突き、右の手で耳を覆ふ型をする、此型は弱からず又強からぬ様にする。「故郷の者とて」と体を直し「名のらで返す」とたツぷり「悲しさよ」と軽く外す。
- 7ウ[「景清」について]「さすがに我も」は体も心も直して昔の景清に立ち帰り、杖を持ち、作り物から出る。シテと地との心持がしツくり合はねば、此杖の段の型は出来ない。シテの「如何に申し候ふ」は低く目に出る。「短慮を申して候ふ」と心持あり、「御免あらうずるにて候ふ」と低く目に謡ひ止める。「いや〳〵御尋より外」と以前の事を包み、少しとぼけ心で謡ふ。シテの「今迄は」は極しめやかに「置所なや」と一寸切り、「はづかしや」とズカリ。
- 12ウ[「木賊」について]此舞は老入ものであるから、二段目又は三段目のオロシに一トクサリだけの休息がある。然して左の手の扇を見て、子の事を思ひ出す。其扇を見た目で一クサリ。あとも一クサリでシヲル。つまり最切の休息の一クサリと合はせて三クサリになる。あとは常の序の舞に直るのである。唯、三段目のあとに老人の足づかひがある。これは口伝の一つ。老人の舞といふのは、あとになる程乗りがなくなつて、さも草臥れた様に見えねばならぬ。段々舞つて来て、舞が面白くなつてしまつては、老入の舞とは云へない。
- 15ウ[「三輪白式」]普通地で謡ふ処の「八百万の神遊」の一句はシテが謡ひ、普通の神楽のある処は立廻りになり、「八百万の神達岩戸の前にてこれを嘆き」と此処に神楽が入る。神楽も普通より短かくなつて、直りになつてから橋掛りに行き、流しになつて作り物の中へ入る。其処で「神楽を奏して」といつもシテの謡ふ処が地で謡ふのである。
- 17オ[「草紙洗小町」]黒主との問答の間は終始ワキの方へ向いて十分に心を入れて掛ります。「不思議や上古も末代も」で呆れし心持で正面へ直し「これ万葉の歌ならば」でワキへ向きます。「さらば証歌を出せとの」で何となく気を悪くした心持で正面向き、ワキが草紙を出し一枚開き「これこそ今の歌なりとて」とさし上げて讃上げんとする所は、我れには信する処あり、よもやとは思へども何となく不安の心持となります。
- 17オ[「草紙洗小町」]「胸に苦しき」といふ所から小町の側に居つた女連は立つて男連の上へ座を代へます。これは気の毒に思つて小町の側を離れると云ふ心持で、此辺の挙動は注意せねばなりませぬ。「況してや小町が心の内」で正面へ直しますが、最も淋しい心持で居ります。
- 17ウ[「草紙洗小町」]貫之から「青丹衣の風情たるべし」と言れて、己を得ずといふ心持で正面に直し「兎に角に思ぴ廻せども」と切なき心持で「やる方もなし」とシホリ「なくなく立つて」と徐に立ちスゴスゴと面目なさそうに橋掛り迄行きます。これは宮殿内の廊下を通る様な心持であゆむのです。
- 258[「鬘物の謠ひ方要領」梅若万三郎、「熊野」について]文の段はかなり長いからダレヌやう序破急の心得甚だ肝要である。最初はサラリと謡ひ出し、「生死の掟てをば」で沈め、又「過ぎにし」から重くれず謡ひ、「涙にむせぶ」でシツポリと収めて、「たゞ然るべくは」から元に戻し、「世にだに」で呂に、「孝行にも」とサラリめに、「たゞ返す〲も」と心持を直し、「老いぬれば」の歌は歌らしく静めて謡ひ、「涙ながらに」でシツポリと閑めて、しかもしつかり地に渡すのである。上歌はむろん静かでなければならぬ。
- 291[「二人静」の思ひ出]その時の笛は森田操さんでしたが、森田流ではあれを現在物の序之舞として扱つていらつしやるので、私どもの常々舞つてゐます幽霊の時とは譜が違ふのでございます。 私共はそれに気づかずに常の積りでそのまゝ舞台へ出ましたが、いざ舞にかゝりますと違ふので、さあ困りました。私は譜に合して、どうやら舞つたのではございますが、合舞をしてゐます六郎がどうしてをりますかゞ心配で、冷汗がタラ〳〵と流れて来るのです。まるで馬車馬のやうに一切横が見えませんから、六郎が見附柱の方へ行つて立つてゐるか、どうかがわかりませんでしたが、やつと、角へ行つて、直して、呂を聞いてこちらへ廻つたら、六郎も廻りかけて居るのが見えました。いやその時の嬉しかつた事つたらございませんでした。
- 224二月二十二日、稽古能「葛城神楽」を勤める。 呼掛の橋懸の出、猶足許危し。神楽幣捨て「竜田」と同じ。太鼓打出しに惣右衛門流は手がある。この手一寸工合の悪い手である。常より少し長くなるので幣を戴いたまま「降る雪」の謡出し迄間が延びてやりにくい。神楽から序の舞に直つてからの位も、常の五段の序の舞の三段目からの位では都合が悪い。改めてここから序の舞を舞ひ出すつもりで締めてかからねばやりにくい。この位のとり方が皆錯覚を起しやすい。この時も、自分も相手も探り探りの体であつた。
- 314–315二月十四日、大阪能楽殿、調和会能、「養老」山本氏、「頼政」金太郎氏、「葛城大和舞」左近氏、「融曲水」実等。 一声のハヤシが段迄は乗りがよかつたのに、幕が揚ると乗りが落ちて、甚だ無力となつたのは、どうした訳か。恐らく何か考へ違ひだつたらう。幕を振り返るのも、正へ直すのも、そのためか去勢されたやうな気持だつた。
- 91[「藤戸」演じ方について]シテは「なか〳〵に」とワキへ向いてゐたのを正面へ直します。「まああんな白々しい噓を……」と云つた調子で恨みを述べ「まあ呆れた」と云つた心持で愚痴を言ふところであります。
- 93[「藤戸」演じ方について]飽くまでもワキとしての位を外さないことが大切で御座います。ワキは床几にかけた儘で「近う寄つて聞き候へ」と言ひ、「さても去年三月二十五日」と謡ひ出し、シテはその前にシオリの手を下して正面に直し穏やかな気持でワキの語をシホ〳〵として聞く態であります。
- 94[「藤戸」演じ方について]シテは「さては人の申しゝも」と謡ひ「あの辺ぞと夕波の」と教へられるまゝ何気なく立ち上ります。この何気なく立ち上るのがなか〳〵難かしいのであります。寝かした足を直し二段に立ち上るのを一段のやうに見せねばなりません。汗などを搔いてゐると上手く行きません。
- 100[「藤戸」演じ方について]。「さるにても」と正面へ直し胸杖して、前シテがワキに教へられて見た所と同じ所へ目をつけまして「我をもつれて行く波の」と常座まで行きますが、こゝはつれて行く波のと、連れられて行くやうな心持を表はす所で難かしいのです。
- 105[「井筒の謡ひ方」]次の「嵐はいづくとも」では遠くの方を見つめる、心持がありますから、これらのシテの型を考へて謡はねばなりません。「何の音にか覚めてまし」と正面へ直しまして、見付柱の下の方に古塚がある心で、常座から二三足出て木の葉を下に置き合掌いたします。
- 107[「井筒の謡ひ方」]「いつの名残なるらん」と足をネヂリまして「草茫々として」とワキ正面を遠く見廻し「露深々と」と面を少し下へつけて見廻しながら、「古塚の」と正面の古塚へ目をやります。そして「まことなる哉」と、正面へ直し左へ廻つて常座へ戻ります。この一段は最も大切な所でありまして此型を巧く演りますれば、まづ井筒は成功と云つても差支へないと思ひます。
- 112[「井筒の謡ひ方」]「見ればなつかしや」から大小鼓の合方が変りましてシテは井筒を覗きこみながら閑かに謡つて、地の「われながらなつかしや」と直して退るのでありますが、なの地はグツと調子宜抑へて出ます。趣をかへて位も変へて謡ふのであります。
- 157[「難節」]次に遍昭節を披いて見ますと、「我大内に」の「に」で下の下りになつたまゝ、「遍」で急にハリ節が付いて居ます。普通は下の中からハリに上るのが例ですから、一度下りから直つて、其上で、ハリに上るのなら珍しくもありませんが、こゝはそれを一足飛びに上らなければならない丈に、大層異つた節扱ひに聞えます。野宮のノリ地にある「りん〳〵と」の「と」の下り、「また車にうち乗りて」の「う」の下りの如きは、丁度此の反対の扱ひになる訳です。
- 99[「舞台のいたづら」]芸の上でも、こんな調子のことがありましてね。何しろ腕こき揃ひですから舞台でいたづらをしたり喧嘩をしたりすることもめづらしくはありませんでした。あるとき森本登喜が「けふは序ノ舞のところで一クサリ早く替の手を吹いたら、利三郎があわてて、もう直るんだと思つて、直りの手を打ちかけたんでたうとううまく引つかけてやつた」と痛快がつていたことなども、ひとつ話になつています。
- 221乱拍子は、御承知の逼り、小鼓の一調に時々笛のアシラヒがはいつて、その小鼓の音と一種底強い掛声とがシテの動作と相互にせりあふといふやうな意気込みのもので、位は極めて静かなものですが、内に籠る力の実にはげしいものです。シテが一歩片方だけ踏み出して、しつかりと踵をとめます、それから爪先きをあげる、その足をやがて外へひねつて、また元に直す、それから今度はその爪先きを下ろして、踵をあげ、ついと足をひく。かういふ型を左、右の足でたがひちがひに繰り返しその型が左足から右足へ戻るたびに右足で拍子を一つ踏みます。これが舞の一段です。
- 108角トリの足は分り切つた事ではありますが、必ず右左と左でふみ止め、右をひねつて左を揃へて正面へ直し、左廻りならば改めて左より出るのです。角トリにふみ止めた左足はとかく正面へ出たがるものですが、矢張り角へ向つた足であるから、正面へ出ぬ様にせねばなりません。但し鵜飼の「驚く魚を追ひ廻し」や、善知鳥の「罪人を追つ立て」の如き場合の角トリは、左でふみ止め別に正面へ直して揃へずとも直に左へ廻る方が宜いのです。