のり【ノリ】
松本長『松韻秘話』(1936)
- 69例へば、ロンギなり、ノリ地なりで、段々調子が高くなり、終りには遂に謡ひ切れなく、只うはづる許りで、面白くも何んともありません。
- 136〇草紙洗の切のノリ地などは、私共が謡ひますと、段々高くなつて、声を出すのに非常に骨が折れますが、あれは何ういふ訳なんでせう。△つまり、よくいふ話ですが、腹に力が入らないんですね。いひかへれば腹の力が足りないのです。そこで押して謡ふ事が出来ませんから、力が抜けてしまひます。総じてノリ地は腹の力が最もいるもので、腹の力で張つて、調子をオサメて謡へば、さうした失敗はない筈です。
- 51白是界の地(地謡)、あれは駈足で謡はれては駄目です。静かにやらなければ駄目です。所が普段早くやつている大ノリ地を静かにやると、文句は間違へる、間は間違へる、始末にいけません。普通のが口についてますから、ゆつくりは出来ないものです。型でもさうで、撓めきつてますが地が早ければつい乗つちまふ危険があります。
- 120つまり動けば必ずノリがつく、そのノリが出ちや佇んでる姿にはならない。それぢやあノリが全然ないのかと云へば、あるにはある。だいいち、ノリなしぢやあまるで動くことは出来はしませんからね。然しそのノリはほんたうにかすかなもので、腹の底の底に一寸蔵つてある程度のものですね。
- 132さうしますと松門が最初の句でなく途中の句になる。さうすると自然に柔かいノリが出て来ます。つまり反動を利用すると云つたやうなやり方ですが、実にうまい考へですね。
- 151囃子なども三流どころでまづまづうまくゆく筈はないとタカをくくつていたところが、囃子の出を聞いていると、いかにも気合がかかつているゆ気合といふよりも、いくらかあがり気味になつて、却つて調子が出ている。ノリ工合がまことにいいのです。つい私もいい気持ちで舞へましたが、そんなこともあるもので、かういふところが能のおもしろさ、芸のたのしさと言へませう。
- 152ただ得意不得意はあるもので、地謡をうたはせるとノリもよく、緩急も思ひのままに扱へるやうなものでも、仕手になるとまことに変哲もなく、役の気分も場面の変化もあらはれないといふやうなことはあります。
- 181この人が或る時、いつだつたか忘れたが、黒田家で石橋が出た時だつた。申合せに間を勤める大蔵流の狂言方で、これも忘れたが、誰だつたらうな……とにかく「今日は来序をお打ちになりますか」と聞かれた。すると、彦兵衛さんは、「ええ、打ちますよ。私の方では後に乱序があつたつて、それは全然ノリが違ふんですから……」といふ返事をした。
- 182所が、黒田さんは平気で、彦兵衛さんの通りに言つて「全然ノリが違ふのだから……」と言葉を結んだ。知つての通り、観世流の太鼓には石橋に来序はない。だから側に坐つていた元規さんが驚いた。普通ならば流儀にないものを無闇に打たれては困ると、家元の権式だけででも止められる筈なんだが、何しろ兄弟子ではあり、おまけに有力な後援者でもあるので、さう頭からも止めかねたと見えて、柔らかな調子で中止をするやうに注意をしたんだが、いつかな聞き入れない。そこで元規さんも困つたが、手こずつた揚句の窮余の一策で、「では此度限りといふことに願ひたい」と、譲歩したといふよりは懇願された。所が黒田さんは、「イエ、これからもやりますよ。ナニ、全然ノリが違ふんだから……。」
- 5オ◯走リ 文字を寄せて短くする時の謡方にて太皷ノリの所に多い。
- 113なんかも可なり手際よく聞かれた。却つて太鼓の方が二所ばかり変な所があつて、悪く外れかゝつた。撥の捌は元々鮮かでなく、撥自身がとかく貫目を欠いて居る人であるから一調となつて見るとことにそれが目立つた。次に女郎花はシテ嘉内氏、助吟桐谷氏等、大鼓川崎氏、謡が強て悪いとはいはぬが、少くとも大鼓の気合にもノリにも調和してはゐなかつた。
- 157次に遍昭節を披いて見ますと、「我大内に」の「に」で下の下りになつたまゝ、「遍」で急にハリ節が付いて居ます。普通は下の中からハリに上るのが例ですから、一度下りから直つて、其上で、ハリに上るのなら珍しくもありませんが、こゝはそれを一足飛びに上らなければならない丈に、大層異つた節扱ひに聞えます。野宮のノリ地にある「りん〳〵と」の「と」の下り、「また車にうち乗りて」の「う」の下りの如きは、丁度此の反対の扱ひになる訳です。
- 78「西にかたむく」と「西の方へソメイロの扇」とあるのを見ると、此頃は雲扇をそめいろの扇と称んだらしい。この型附の他の所にも、同じ言葉が用ひてある。打込左右とかノリ込とかの術語はあつたが、雲ノ扇の語はまだ無く、羽衣の蘇命路の山で雲ノ扇をするから、それをその儘の用語としたものだらう。
- 99「水馴れ棹」とメラシ「さし引きて」は心持し「生死の海を」と以下気をかへてスラリと謡ひます。「彼の岸に到りいたりて」の初句は型があり足拍子がありますからノリよく謡はねばなりません。返句はノラズにタツプリと「到り〳〵て」とメラシてシメます。「得脱の」のハリは扱ひバリに謡ひます。
- 110この一句は和歌でありますかち、その心でスラリと品良く譲ひまして「かように詠みしも」からはノリ気味に扱ひ「人待つ女と云はれしなり」の一句はワキに対つて言ふのですからその気持が要ります。
- 111ワカは暢び〳〵と大きく謡ひます。ノリ地「寺井に澄める月ぞ」以下は前とは別にスラリと乗つて謡ひます。シテの「月やあらぬ」はノリを外して閑かに出て「つゝ井筒」は気をかへて下から出て閑かにノツて謡ひます。この「井筒にかけし」「まろがたけ」のシテの型は非常に面白いものであります。シテはツマミ扇をして下から土へ持つて行きます。これは、丈くらべ心持を見せるので、扇と自身とで業平と井筒の女との丈を象徴してゐると考へられます。「さながらみ見えし」と地は閑かにノリをつけてスラリつと運んで行きまして「冠直衣は女とも見えず男なりけり業平の面影」と大切な型になるので御座います。
- 228キリは殆んど皆、修羅ノリと称する手強い、当りの快適なノリで謡ふ。修羅ノリは中ノリの一種で、中ノリは修羅物に限つたわけではないが、修羅物には例外なしに、このノリがあるので中ノリの強吟のものを修羅ノリと称している。原則としては、中ノリのところの句は上八字下八字の十六字から成つている。例へば「田村」の「光を放つて虚空に飛行し」の如きが典型的な例であるが、これを謡つて見てもわかるやうに、拍子に文字が一々当つて行き、その文字がまた、たるみなく詰つて並んでゆく為、いかにもノリよく、、いそがしいやうな感じを与へるのである。むろん字数は十六字に限つたわけでなく、いろ〱であるが、字数が少なければ少ないで、それ〲「持チ」や「引キ」によつて、中ノリの拍子に当てはめてゆく。この中ノリの個所が強吟の時即ち修羅ノリの場合は、一層ノリよく聞こえ、運びがいい上に、カチリ〱と拍子に当るので、いかにも手強いそして又サラリとした颯爽たる感じを与へ、なるほど修羅能のキリに適はしいといふことがのみこめるのである。
- 248後ジテは、概していへば、前ジテよりは幾分サラリめに謡ふのであるが、むろん三番目物の位は儼として守らねばならぬ。一声の出にしても、出端の出にしても、前よりはノリ気味に謡ふぺきであるが、あまりノリ過ぎると三番目物でなくなつてしまふ。
- 249序の舞がすんでワカとなる。「東北」なれば「春の夜の闇はあやなし梅の花」云々のところであるが、幾分ノリを心持に含んで謡ふと、そのあと、地が出よいものである。キリは先づ概してサラリめに謡ふのだが、それも物によることはいふまでもない。
- 251序の舞すんで、「実相無漏の大海に」をシツカリと謡ひ、漸次呼吸を押し詰めて来て「あらよしなや」で一段落となる。この間は舞の型も頗る多く、謡も大ノリの事であり、引立てゝ調子よく謡ひ進むのである。
- 259キリは、喜びの色を秘めて東に帰るといふ気持を心にとめて、ノリよく謡ふのである。
- 304待謡の後の喝、(「汝元来殺生石」以下)は心持が要るであらう。シテの呼びかけや、クセのところは、謡つてそこに多少とも妖気の漂ふやうであれば成功である。キリは型多く、謡又ノリよく型と併行して謡はれねばならぬ。
- 317囃子方もノリよく囃すし、ワキもよく囃子に乗つて謡ふ。その次第がすんで、ワキの名乗となる。それぞれ曲による事ゆえ一概にはいへぬが、脇能の名乗は先づ渋滞なく、颯爽と謡ふのを本旨とする。
- 146邯郸の「日月遅しといふ心をまなばれたり」で両袖を上げる型も似てゐます。型はちがひますが心持は同じものがあります。あれは祝言の心ですから脇能のトメの袖を捲いて常座へノリ込むのと同じです。
- 150しかし少し主張を云はせてもらへば、舞の中が、普通の曲は三段でも五段でも段々とノリがよくなつて来るものなのですが、ああした曲は反対に、段々とおさへて、そのくせダレぬやうに舞ふものなのです。それが先日の檜垣は二段目からあとが、居つきすぎたと思はれるのです。
- 45その謹之介氏の「松風」の時、翁は自身に地頭をつとめたが中の舞後の大ノリ地で「須磨の浦半の松のゆき平」の「松」の一句を翁は小乗に謡つた。これは申合はせの時にも無かつたので皆驚いたらしかつたが、何事も無く済んでから、シテの謹之介氏は床几を下つて、「松の行平はまことに有難う御座いました」と翁に会釈したと云ふ。
- 319山田君は当日第一の殊勲者だ。穴を拾へばいくらもあるが(型のくばり方が第一わるい)熱のある点を買ふ。ともかくはじめて能をやつて、あれだけの大物を無難にやれたら大成功といふべきだ。このよきデヴユウに気をよくして大勉強してほしい。あまり大物を手がけず軽いものでミツチリ修業してほしい。それから、杉三次郎、光田、谷口喜代三、前川の諸氏の序之舞はノリのよい気持のいゝものだつた。
- 33老人の修羅物は頼政を実盛の二番丈です。普通の修羅物と違ひ、このキリは、ノリ合ひよくしつかり謡ひます。ノリがいゝとかるくなるし、しつかり謡ふとノリがなくなります。難しいどころです。
- 34シテの謡出しは総じて難しい、殊にノリのあるものはいゝのですが、ノリのないサシ謡で謡出すものは、難しい節がついてゐる訳ではありませんのに難しいのであります。謡ふ人の力量次第で、結局口伝といふことになりませう。位と心持と調子でせう。
- 65又シテが一セイの囃子で出てサシを謡ふものがあります。狂女物に多いのですが、これはかるく、ノリをもつて謡ひます。又次第で出るものがあります。これも物によつていろ〳〵ですが、おうむね静かに謡ひます。朝長、芭蕉、三輪等の色なし物だと淋し味をもつて謡ひます。
- 107拍子の種類にも色々あり、物柄や場所に依つて、踏む心得も各々違ふ訳ですが、六ツ拍子は始め二つはドン〳〵、あとの四つはトン〳〵トドンと踏む。ノリ地の時はドンドントントンドンドンをなる。七つ拍子は始め一つをドン、二つ目を消し、三つ目をドン、あとの四つは六つ拍子の場合と同じ踏み方です。
- 170これも亦余り練習をせずに舞つたところ、日頃より成績が宜いので愈頼りなく思ふ。前の一声、近藤君と松本君だつたが程よいノリで出られる。舞台まで一度もヒヨロつかずに行く。中入前「かげろふ人の面影」と型附にはなかつたが花の枝は肩げながら右へ廻る。かうする方がここの乗りに合ふやうに思ふ。
- 171後の一声は調子楽に出る。前は謡が難儀だつたのに、此の頃は声を外へ出すと楽に出て来る。今迄はやはり内攻しすぎて居て、引く息が全然無かつたのに相違ない。流儀の謡はともすればかういふ危険に陥る惧がある。「序の舞」は幕の内でサラリと太鼓に注文したため大変速かつたが、ノリはよかつたので、五段舞つても何ともなかつた。しかし「序の舞」は気持よく舞へたと思ふ。但し「曲」が速すぎて、たうとう手も足も出ずに終る。一体この「曲」、文句が短かすぎて型の処置に困る。
- 172元来調子の悪い舞台へ持つて来て、咽喉が閉がつてしまつて二進も三進も行かず、近来の不出来で汗顔。「葵上」も調子悪く、そのため気をくさらすこと夥し。何度やつても進歩しない曲で、余程僕にとつては苦手である。それに舞台の板の凸凹がノリを妨げて困る。
- 174「羽衣」は最初からの持役。直面で一番舞つて置いたので、「羽衣」も大変楽に行く。初同橋懸から舞台への運びは最もノリ好く行く。曲も宜し。舞は多少運びめにやつて貰つた。破の舞以下は例によつて満足とは行かず。切になるほど型を運び切れぬ破綻を暴露する。まあ然し僕の「羽衣」としては一番宜かつた方、キリを物にする事が大切である。キリさへ自分のものにすれば、やりよい曲の一つにならう。
- 204高木君と一度申合せてはあつたが、尚ほノリ過ぎたきらひがある。能の後に坂元翁が、このクセはもつと静かなものではあるまいかとの意見であつたのが、前の書物の説と偶然合致して特に注意をそそられた。又舞入となる場合クセがあゝノツテしまつては、後の舞のノリがすこしも引立たないと云ふ説は傾聴すべきもので、更にクセ単独として見ても、はやすぎては、面白くはあるが品が無いと云ふ言も、同感である。
- 205獅子は頭五つ聞いて幕を上げたが、まだノリが単て居なかつたので、出辛かつた。非常に静かな出になつた。どうしても八ツ九ツ聞く必要があるやうた。後で獅子は大変流暢だつたとの詳を聞いた。又疲れて居たとも聞いた。これは前者は賞讃であり、後者は多少不評の意味らしい。
- 206声を潰したのがまだ癒らぬところへ、「清経」の地に出たのでまた逆戻り、最初から苦しい謡だつた。起請文もすつかり吊つてしまつて醜態。中入前の大ノリ地は早くなつて、この一曲をすつかり軽々しくした。これは一体金子さんの地時代からの習慣のやうに思はれる。自分等もそのやうに謡つて来たのを、いつか直されてから成程と思ひ、「正尊」の重い曲であることを示す大事な場所であると考へ当つた。
- 245短い曲、「紅葉狩」とか「舟弁慶」の曲を追ひ立てられず、落着いて舞つたことは殆どなかつたが、この日は地の文句が足らないなんて少しも思はなかつた。上端からは殊にノリ十分だつた。
- 267稽古の時相当手に入つて居た筈の前、運びが固くて悉く失敗。初同も、ロンギ前も少しもノリ出ずじまひ。重苦しく舞台に立つて居るばかりで、無能振りを発揮する。新しいままの足袋がイヤにボテボテして、重い履をはいたやうで、少しも舞台の上を滑かに歩けなかつた。不快々々。
- 271「色々の」の段になつて、もう運びに対する懸念を捨てて、ただ歩けさへすれば宜いと思つて、軽く運んだら以下頗るノリよく運べた。頭の中に一つの固執があるためにいけないらしい。これも一つのコリであらう。色衣と頭で要領を考へてかかるために、実際になると運べないらしい。何も考へずに歩かねばならないのかも知れない。この次ぎは足のことを頭に置かずに舞つてみよう。
- 295竜台を戴いての早舞はいつもノリよく行つたことがないのに、少々ヤケも手伝つたのだらう、初めてコツが判つたやうな気がして来た。この機を外さず近々早舞ものをやつてみよう。