近代能楽用語索引Index of Nō-related Terms in Modern Texts

近代芸談における技芸用語

主にシテ方の技芸にかかわる用語の索引。姿勢、視線などの重要と思われるトピックのほか、『能楽大事典』(筑摩書房)に立項される技術用語を対象としました。同表記・別意味の語を別に立項した場合(例:「運び」を歩き方と謡い方で別立項)も、逆に同意味・別表記の語をまとめて立項した場合(例:眼、目、目玉)もあります。

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はこび(うたひ・はやしとう)【運び(謡・囃子等)】

宝生九郎『謡曲口伝』(1915)
  • 78[高砂について]ツレの二の句は一セイよりは少し運んで浮きやかに謡ふのである。サシはサラリと滝の流るゝ如く淀なく、下げ歌で少し調子をしめ、上げ歌の「所は高砂の……」で運んで謡ふ。  
  • 79–80[中略を経て上記の続き]総べての謡は、其本に現はれて居る節丈けを見ればどの謡も大差ない様に思はれるかも知れぬ。それよりモ一歩進んで此処はドツシリ、此処はサラリ、此は運んで、と云ふ風に謡ひ様の説明を聞いたら稍々要領を得るかも知れぬ。がドツシリ、サラリ、はどの謡にもあるから高砂に於けるサラリ目と、他の三番目ものや狂女ものゝサラリ目とは自ら趣きが異つて居る。
手塚貞三編『謡曲大講座 手塚亮太郎口傳集』(1934)
  • 4オ[関寺小町について]中の打切「はじめの⽼ぞ恋しき」から⼼持が変り、シテの上げ端あと「諸⾏無常と聞くなれども」以下は、位を運ばす、少しく⼤きくうツきり謡ふことが伝授となつて居ります。
  • 7オ[景清について]「千⾏の悲涙」と⼿強く静かに「万事は皆」 と悟りの⼼「思ひ切りたる」と⼿強く、「呼ばゞ此⽅が」と運び、「答ふべきか」とはつきりと⽌める「其上我名は」と掛けてうたふ。
  • 8オ[中略を経て上記の続き]「⾶びかゝり」の「とび」の⼆字スラリとかけて出で、「甲を」とズカリ、「ゑいや」と重く⾼く出で、「引くほどに」と強く運び、「しころは切れて」と⼀⼨切り、「此⽅に」と抜いてやわらかく、「主は先へ」とスラリ、「逃げのびぬ」と気合をかけ、遠く⾒詰める⼼持ちである。
  • 11オ[木賊について]地の「影もかるなる」から運び⽬に、「刈れや〳〵」と⼼持がある。シテの「⽊賊刈る、⽊賊刈る」は⼀⼨しめて、ざんぐりと謡ひ「⽊曽の⿇⾐」の張りは鋭く「み、がゞぬ露」は底強く、「⽟ぞ散る」と綺麗に軽く謡ふ。「散るや霰のたまたまに」は地の付け様⼼せねばならぬ。シテは「胸なる⽉は曇らじ」と閑かにおさめて謡ふ、「実にまことよりも」と地は閑かに突ツ込んで謡ひ「真如の⽟ぞかし」と⼒あつて気を込めて謡ひ。「思へば⽊賊のみか」と気を替へ、「我も亦⽊賊の」とざんぐりと寂びて謡ひ、「⾝を古」の「を」の⼊り、⼤きく細く謡ひ、「磨けや」と切り、返し「みがけ」と運んで謡ふ。此時シテは腰の鎌を抜き、正⾯の中へ出て「⽊賊刈りて取らうよや」と木賊を刈る型をする。此処は曲中⼤切な秘伝のある処である。
  • 12オ[中略を経て上記の続き]地の「余所にてはまさしく⾒えしはゝ⽊の」は突つ掛けてサラリと謡ひ出し、「はゝ⽊の」の打切りを少し閑め、「陰に来て⾒れば」とスラリ、「はゝ⽊はおもしろや」と句読をしづめ「誠なりけり歌⼈の」は⽬⽴たぬやうに運びをつけて謡ふ。
  • 12ウ[中略を経て上記の続き]舞ひ上げの「⼦を思ふ」は調⼦は少し甲にとつて謡ひ出す。「げにや⼦を思ふ」の地の付け様も軽くザングリ。「五⽼の⽉の」から、少し急に運ぶ。「親ものに狂はば」は謡ひ⽅⼝伝、「⼦は囃すべきものを」から⼜⼼持違ふ。
  • 14オ[弱法師について]サシの「夫鷲鴦の衾の下には」は軽くねばらぬ様に、「憂き年⽉の」の廻し節たっぷり、「流れては」と運ぶ。「思も果ぬ⼼かな」と爰で⼀⼩段落を告げる。「あさましや前世に」から気を替え「かき曇り」の「もり」の⼆字は重く抑さへ、「盲⽬」の「もう」の⼆字むつくりと出して「とさへなり」と運び「果てゝ」の廻しをたつぷり謡ふ。「⽣をも」としつくりとうたひ、「かへぬ」の振り節は浮いて振り、「此世より」の「こ」の⼊り節は細くゆつたりと謡ふ。
  • 14ウ[中略を経て上記の続き]シテの詞「実々⽇想観の時節なるべし」はかゝつて謡ひ「盲⽬の」とのびやかに、「そなたとばかり」と運び「⼼当てなる」と静かに考へて謡ふ。そして気をしづめて「南無阿弥陀仏」とうたふ。「あら愚や」と軽くワキへかゝつて謡ふ。「阿字⾨に⼊つて」と何事なくうたふ。
  • 16オ[三井寺について]「畜類だにも」と⾒る⼼で運んで謡ひ「ましてや⼈の親として」と、かけて謡ふ。「いとほし悲しと」と⼼持がある。「⼦の⾏衛をも」と乗つて謡ふ。乱れ心や」とズカリとで出て「狂ふらん」とゆるりと謡ふ。爰でカケリとなる。
  • 17オ[中略を経て上記の続き]「又は⽼らくの」述懐の⾳に謡ひ「なみだ⼼の」と沈め、「さびしさに」と少し運ぶ⼼で謡ふ。気を抜いて「此鐘の」とズカリと謡ひ、鐘をしつかりと⾒る⼼。「つくづくと」と沈める。
  • 18ウ[江口について]ワキの「不思議やな⽉澄み渡る⽔の⾯に」云々はシヤンと謡ふ。シテは「何この⾈を」と引きしめ「川逍遥の」は暢んびりとうたひ、「⽉の夜⾈を御覧ぜよ」と運んで纑ふ。
斉藤香村編『謡曲大講座 寶生九郎口傳集 第一』(1934)
  • 6オ私達は、よしんば拍子の稽古をしない人でも、少くとも拍子には合ふ様に、ヤの間でもヤアでもヤヲでもヤヲハでも、其寸法通りに教へるのは勿論、その他の運びや当りなどが、此処には斯ういふ手があるとか、斯う当るとかいふことは説明しなくても、悉く拍子に外づれぬやうに教へてゐる。
片山博通『幽花亭随筆』(1934)
  • 43これが能楽におけるシテの演技に相当する。能楽ではシテ以外のワキ、ツレなどの登場人物は、どんな重要な役であつても、筋を運ぶためか、シテの演技上必要な場合の存在でしかない。そのために、シテが演技する場合には、外の役々は全く静止してしまつて、シテの演技を効果づける。
  • 317[勉強会での神歌について]分林君のお披き。少し軽すぎた。といふよりは寧ろ、謡をうたひ過ぎたと云つた方がいゝ。神歌といふものは、謡にして謡にあらず、一種の気合のものだと思ふ。その点一工夫ありたい。この事は千歳の谷本君にもあてはまる。谷本君はもつと、サラリと運んでもらひたかつた。
斉藤香村編『謡曲大講座 寶生九郎口傳集 第二、第三』(1935)
  • 五4ウ–5オ[高砂について]ツレの⼆句は⼀セイより少し運んで浮きやかに謡ふ。サシは位を保つてサラリと淀みなく、下歌で調⼦を改め、上げ歌の「所は⾼砂の……」で運び⽬に謡ふ。
  • 五5オ[中略を経て上記の続き]総べての謡はその本に現はれて居る節丈を⾒れば、どの謡も⼤差ないやうに思はれるかも知れぬ。それよリモ⼀歩進んで此処はドッシリ、此処はサラリ、此処は運んで、といふ⾵に謡ひ⽅の説明を聞いたら稍々要領を得るかも知れないが、ドッシリ、サラリ、はどの謡にもあるから、⾼砂に於けるサラリ⽬と、他の三番⽬ものや狂⼥もののサラリ⽬とは⾃ら趣きが異つて居る。その曲によつて各異つた⼼持ちを加味して謡つて始めて、サラリもしつかりも活きて来る。
松本長『松韻秘話』(1936)
  • 28調子が一定すれば次いで緩急自在を得なければなりません。詰り運びが自在に出来るやうになる事ですが、まづ徒息を費さぬやうにならなければなりません。初心の内は此の徒息を費す事が大方で、能管や尺八を稽古する人々が初心の内は徒息ばかり費してちつとも笛が鳴らぬといふのも同じ呼吸です。詰り此の境を会得する事が、俗に物の骨を呑込か呼吸を知るとか云ふ所です。
  • 28[上記の続き]徒息を費さぬと共に、一体に重いものでも軽く謡ふ事が肝要です。其軽い中に力がなければなりません。「松風」のやうな柔いものでも、調子低く軽く運びよく、其の中にも力が入つて品よく謡ふものでなければなりません。要するに重いものでも軽いものでも、軽く謡ふ中に力のあるのが即ち謡の力です。強いものでも荒いものでも、軽く謡ふ中に力の緩急調子の抑揚自在を以て差別がつかなくてはなりません。
  • 32位のある重いものゝ中でも軽く謡ふ処がありますし、サラリと運ぶ処が御座います。それを謡本にサラリとあるからと云つて、相当曲の重いものを、単に軽くサラ〳〵と「土蜘」か「小鍛冶」のやうに謡つてしまつたり、軽い物にヲサメとありますので「砧」でも謡ふ時のやうに静かになつたりしてはそれこそ大きな間違であります。
  • 43「船橋、松虫、烏帽子折、放下僧」は現在物ですから、装束も素袍上下といふ、至つて簡単な姿です。従つてその語りをするとしても、さらりと運んで謡ひます。尤も其中にも区別がありますが。
  • 66シテ方は大小の運びで能を運んで行く寸法になりますから、打ち手によつて、寸法に差を生ずる事勿論です。例へば川崎利吉さんと、幸悟朗(九淵)さん亀井俊雄(祥光)さんと瀬尾潔さん(昭和十年故人となる)と組んだとして、同じ曲を打つて貰ひますと、同じ流儀の人で、同じに打つ訳ですが、舞ふ方では違つて舞はなければなりません。是を組みかへても亦違つたものが出来て来ます。
  • 66[上記の続き]斯うした訳で、其の道の立派なお玄人の囃子でもさうした結果になりますので、お素人の囃子なら尚違つて来るのです。ですから、能の批評に種々な事を聞かされますが、大小の運びが完全に味へなかつたら、其の日のシテの足の運びだけでも分らないのです。兎に角、其の時の大小の調子で足の運びだけにしても非常な変化がある訳ですから、下手に打たれたら、足が運びません。丁度足にモチをつけて歩いて居る様な塩梅で、足があがりませんから恐ろしいものです。
  • 70次第、一セイなども、調子の変化で、謡の上手下手がすぐ分ります。サシ、下歌、上歌、皆調子が変るので面白くなるものです。是を一々区別して申し上げる事は出来ませんが、お素人の謡は主としてどれも重いことです。其の軽重はものによりますが、軽いものでも重いものでも、どうも一体に重くなり勝になりますから、謡が下手に聞えるのです。つまり無駄が多いのです。言ひ替へれば、運び、力の抜きさし、声のメリハリがはつきりしない事です。
  • 70[中略を経て上記の続き)それからお素人の方は何うも口が開きません。其のくせふさがなければいけない所では、開け放しになります。是は運び、力、声の三つの条件がよく分らない処にあるのです。そこで、此の条件を明らかにした上、はつきり謡はなければいけません。そして、たゞはつきりしたばかりでは何もなりませんので、声をしめる必要があります。つまり開く字は口を開けて声をしめ、ふさぐ字は口を結んで声を大きく出します。
  • 78位をうたふ上に息継が大事であると同時に、ハコビといふ事も大事であります。重いもかには重いものとしての運ビがなくてはなりません。処が位のあるものはハコベないで謡が重くれ勝ちになるものです。サシ一句のうちにも、緩急があり、重いものには猶更緩急も多いのであります。此のハコビといふことが程よくうたへないでは緩急抑揚の趣が出ないので、位の感じが表はれて来ないのであります。
  • 84[熊野について]調子でも、節でも大事にうたふと、兎角ノビ勝ちで、謡もダレるものでありますから、それを伸ぽさぬやうにうたふ。それでないと「位」が出て来ない。シツトリ謡ふのだといふと、だれたり、のびたり、重々しくなつたりするものでありますが、早くうたふのではないが、すべて静かなシツトリとしたものほど、節扱ひを垂れぬやうに運ぶ心で謡ふことが肝要であります。
  • 85–86[中略を経て上記の続き]詞の謡ひ方は節の部分よりも至難で、力を入れ過ぎ、抑へ過ぎると、音が重くなり、謡がのび、力を入れないで運べば無意味となり、力を入れ抑へを利かして、そして発音、節扱ひを軽く捌かねばなりません。声のハリ、音の開合に注意し、専ら腹でうたふのです。そして同じ三番目物でも「杜若」の詞をうたふ場合より、熊野の詞の方は寧ろツメる位でなくてはなりません。
  • 128[草紙洗の謡について]〇此のシテは、何処でもさういふ心持ちで謡へばよいのでせうか。△左様、其の心持ちで文意に依つて強く、又押へて運び、又はゆるめるのです。其外にヌク、シメルなどいふ事があります。〇それは、我々素人でも時にさうしたお話を承る事がありますので、其のつもりで謡つて居るのですが、先生方の方にはさう聞へませんか。△仲々聞へませんね。自分では運んで居る様にも聞へない事もないのですが、事実は他人が聞くと駄目です。
  • 129[中略を経て上記の続き]〇謡を品よく謡ふつて、むづかしいですね。△さう、考へると至難な事になりませうが、声をのんびりと運ぶ事です。いやに強くしたり、緩急がつきすぎたりしてはいけないのです。ツレの謡ひ方も種々ありますから、又其の折々に其の曲の分をお話致しませう。
  • 132–133〇地はシテ斗りの心持ちでせうか。▽いや、其の場所によつて違ひます。子方の心持ち、ツレの心持ち、ワキの心持ち皆夫々謡ひ分けなくてはいけません。〇子方の地所といひますと……。△マア、一口に申しますと、要するに軽く調子を張つて、運びをハツキリつければよい事になります。「竹の雪」の子方、「満仲」の子方、其の他にもありますが、あゝ行けばよいのです。
  • 133〇ワキの地所といひますと……。△「鉢木」の中入前の所、又は「蟻通」のクセアゲ後、「鷺」「羅生門」其他「張良」等、ワキの心持ちが多くなります故、其の場合はツレの地所よりは、重く張つて軽めに謡ひます。総じて、ワキの役所には強く張つて謡ふものが多く有ますから、此の黒主などでも、「能く〳〵ものを案ずるに」以下の文句は最も強く運び気合ひで謡ひます。さうしますと、シテの「のう〳〵」の呼びとめる具合がシツクリ合ふ事になります。そこで、「のう〳〵」以下の節は最も軽く運び、情を含み、調子のはづれぬ限り、張つて謡ひます。
  • 141〇成程さう伺つて見ると、頗る骨が折れますね。何うもまだ節を見て漸くの事で、たど〳〵歩くんですから、では一生懸命にさうなる様に心がけませう。……それから運びといふ事をよく申されますが、一寸其の核心にふれる事が出来ないのですが、分りやすく説明していたゞけませんでせうか。△成程、非常に簡単な事なので、一寸出来る様に思はますが、さて仲々むづかしいものです。自分では運んだつもりでも、仲々人にはさう聞へません。
  • 141[上記の続き]〇それなんです。教へられた通りに運んで居るつもりなんですが、よく駄目だといはれます。△駄目だといはれる様では、やはり教へられた通り運んでは居らないのでせう。そこで秘訣とでもいふ様なものを話しませうかね。早い話が静かなものでも、早いものでも、運ぶ時には自分では早くはないかと思ふ程、運んでよいのです。併し只早く運ぶとそれはこけるといふ事になります。こけるといふのは只読む様になる事です。そこでやはり力をぬかず、文字をはつきり、腹でしめて謡ひます。言葉の所でも同じ事です。
  • 143たとへ本を見て御謡ひになる場合でも、文意によつて声のメリハリをつけ、適当な所で句を詰め、或は間を置き、或は運びをゆるめ、又はシメル等の用意があれば、必ず面白く聞えます。但し、お説の通り芝居の科白になつては困ります。是は先生について習つておいでなのですから、先生の謡ふのを御注意しておいでになれば、詞と科白の差は直に知れます。
  • 149私共が「松風」を謡つて例へば六十七分かゝると致します。お素人の方はその六十七分を後生大事に守つて、その時間で松風が謡へればそれでいゝと思つてゐる方がある様ですが、これなども大間違ひです。時間などは玄人が謡つても、お素人が謡つてもそんなに大したひらきのあるものではありません。同じ時間の間でも、私共とお素人では謡の運びが違ひます。緩急が違ひます。ですからこう云つた根本的なものを会得しないで、只時間丈を守ることは感心致しません。
  • 150謡は運び、緩急、メリハリ、ヌキサシ如何で、面白くも聞け、まづくもなるわけであります。ヌキサシ、この調子を抜くといふことが仲々難しいものです。ヌキサシのない謡は一本調子となつて了ひます。謡に変化がありません。何の曲を謡一つても同じです。お素人の謡は、運びが少ないこと、句読がせはしないことの二つが最も大きな欠点でせう。この運びと句読で謡の面白味は出るものです。
  • 153[高浜虚子のコメントについて]晩年の父の「頼政」を見物された先生が日日新聞の能評欄で「長年なんであのやうな一見面白味を殺すに類した演り方を支るのかと考へてゐたが、、今度の頼政を見て略その心持が自分にも同感されるやうな気がした。定まつた型を堅実に運んでゆく中に自然に能らしい趣が現れて来る。それは恰も古いどつしりした家の大黒柱に見るやうな底光のした感じである。といふ意味の評を述べられたことがある。以て瞑すべきだと思ふ。
野上豊一郎編『謡曲芸術』(1936)
  • 198「⾼砂」のワキは、阿蘇の神主友成、「⼸⼋幡」のワキは勅使であるが、凡てこれ等は⼤⾂ワキと称へて、強く淀みなく、爽やかに謡ふのがよい。脇能の次第は三遍返と⾔つて、ワキ、地、ワキと三度繰返して謡ふことになつているが、常の次第よりも尚⼀層、ズカリと乗つて謡ふのを本旨とする。総じてワキの謡はサラリと運びよくと⼼得てよい。
  • 199 爰のサシはその前の、真ノ⼀声の位に準つて、淀みなくサラリと運び、⽂字のならばぬやうに、気をつけて謡ふ。 クセの前にあるサシ謡は、調⼦の加減が⼤切で、クリの調⼦に引きこまれぬやうに、別の調⼦で出て、クセの謡ひ出し易いやうに⼼せねばならぬ。
  • 200クセは、各々の曲によつて位も違ひ、謡ひ⽅も違ふが、総じて序破急の⼼得を第⼀とする。即ち⼀ノ打切までが序の位、上ゲ端前までが破の位、それから終までが急の位であるが、とにかく⼿強く、サラリと運んで謡ふことが⼤切である。
  • 202真ノ一声は、位を静かに抑へて確かりと、品よく出る。サシ、下歌、上歌、みな神舞物の項で、述べた要領でよいが、同じ運びでも、これは、前の真ノ⼀声の静かな位、静かな調⼦をうけてのことで、神舞物と同⼀の扱ひではない。位の相違といふ事が、肝腎なので、凡てはそれに基づいて解決される。
  • 203「⽼松」は、作の形式が異例で、クセの上ゲ端後は、直ぐ中⼊地になつたりしている。だから謡ひ⽅も、⼼せねばならぬ。このクセの⽂章は、「⾼砂」の如く松を礼讃しているが、謡ひ⽅は、⼤分異なり、「⾼砂」よりはグツと静かに、確かりと運ぶ⼼持である。後は、位重く、品格⼤きく、ドツシリとした感じを謡ひ表はすがよい。
  • 225–226ロンギはすべて、地は草の位で謡ひ、シテは真の位で謡ふものとなつている。地はとかく粗末に、忙しくなりやすく、シテは、とかくだれ易いが、その辺よく注意して、囃⼦⽅に引ずられないやう、しかもよく調和を得て、運んで⾏かねばならない。中⼊前は、むろん概して静める⼼持がある。
  • 228むろん字数は⼗六字に限つたわけでなく、いろ〱であるが、字数が少なければ少ないで、それ〲「持チ」や「引キ」によつて、中ノリの拍⼦に当てはめてゆく。この中ノリの個所が強吟の時即ち修羅ノリの場合は、⼀層ノリよく聞こえ、運びがいい上に、カチリ〱と拍⼦に当るので、いかにいかにも⼿強いそして⼜サラリとした颯爽たる感じを与へ、なるほど修羅能のキリに適はしいといふことがのみこめるのである。
  • 242序の舞を去つて中の舞の能を⾒渡すと、意外にもこゝには、「熊野」、「松⾵」といふ鬘物の最も代表的な曲がある。この⼆曲に序の舞がないといふことは、不思議なやうであるが、その点は却てチツとも不思議なことはなく、むしろこの⼆曲が鬘物であるに拘はらず、前者には構想の上に、三番⽬物とは思はれぬ程の複雑さがあり、⼀応戯曲的な運びがあるし、後者には、些か狂ひ物と似通つた狂乱のしぐさがあるといふことを意外とすべきである。
  • 245次第の次のサシは概してシツトリと謡ふ。しかしだれぬやうに運んで謡はねばならぬ。位にのみ拘泥して謡つていると、すぐだれて来て聴く⽅でアキがくるものである。
  • 247クリは、三番⽬物にあつては、あまり調⼦が⾼くならぬやうに注意し、サシは運ぶやうに、しかしシツポリとした気持を離れぬやう、クセになつてはその曲柄にもよることであるが、概して閑かに、位を失はぬやう、しかし、居着かぬやう謡ふのである。尤も「居クセ」と「舞クセ」によつて、相違のあることはいふまでもない。
  • 247[中略を経て上記の続き]「井筒」や「定家」のやうな居クセ(三番⽬物の居クセは少い)はシテに何の型もないのだから、ラクなやうだが、しかし⼜謡だけで聴かせ、舞台を引きしめてゆくといふのだから、更に容易でないともいへる。だれぬやう、運びをつけて謡ひ、それで⼗分優美な気分を出さねばならぬ。要するに、⼤少の⿎と謡とで緊張させ、満⾜せしめるやう、謡ひ囃すべきである。
  • 247[上記の続き]ロンギはサラリと調⼦をかへて運ぶのであるが、⼼持あるところは注意し、中⼊前は特に⼊念を要する。例へば「井筒」の「恥かしながらわれなりと、いふやしめ縄の」といふあたりよく〱⼤事に謡はねばならぬ。概して引きしめて閑かに謡ふがいゝ。
  • 261[遊行柳について]中⼊後はクセのところがむつかしく、「暮に数ある沓の⾳、」並に「⼿飼の⻁の引綱も」のあたり、感興充実して⼼持⼗分あるべきであるが、その表現はもとより内へとつて優美でなければならぬ。「暮に数ある」は蹴鞠の趣であり、「⼿飼の⻁」は猫のじやれる様を匂はせるのである。キリは運びよくのび〱と謡ふ。
  • 269–270[隅田川について]⼀声、カケリ、道⾏は、静に抑へ⽬のうちに、狂⼥物としての運びを持つて、粘らぬやうに謡ふ。ワキとの応対に、同じのうの詞が三ケ所あつて、その謡ひ分けに苦⼼を要する訳だが、最初は、船頭に⾈に乗せてくれと頼む時、中は、船頭との問答、後は沖の鷗の名を問ふ詞であるから、それ〲の⼼持を考へねばならぬ。
  • 270[上記の続き]都⿃の⼀段は、このシテとしての唯⼀の狂ひがゝりとも⾔ふべく、前半中の妙処でもあるが、緩急、抑揚の多い扱ひで、かういふ箇所は、能を⾒て⼗分にシテの型なり、⼼持なりを味はゝぬと、会得は難かしい。落着いて、あせらずに、しかも引⽴てゝ運びよく謡ふのである。師伝によらねば完きを得ない難処である。
  • 271[柏崎について]このクセは⼆段グセと⾔ひ、⾮常に⻑いので、謡ひ⽅も⼤分⾻が折れる、ダレヌやう、運びよく謡ふのである。それにシテは、⿃帽⼦を冠り、⻑絹をつけて舞ふから、その⽅も⼼せねばならぬ。
  • 272[班女について]後は、優婉にスラリと扱ひ、狂気が鎮まつてからは、静に艶やかに謡ふがよい。出の⼀段は、節扱ひが細かいので、それに囚はれて謡の調⼦が渋つたり、粘つたりしてはならぬ。すべて狂⼥曲は、スラリと運びよく謡ふことが第⼀である。
  • 283確かりと、運びよくとは、謡ひ⽅の根本条件であるが、詞の扱ひには殊に肝腎なことである。然しサラリと謡へと⾔ふと、軽くコセ〱となり易い、これはコケルと⾔つて⼤に戒めねばならぬ。すべて中庸を得ることが⼤切である。
  • 286[鉢木について]後になつては、最明寺時頼と堂々と名宣ること故、気品と温情を備へている訳で、確かりと、運びよく謡ふ。「語」は、最も⼤切な処で、ワキの⼒量を⾒せる謡ひ処である。詞の扱ひの効果の⾒はれる処である。語の⽣きるか、死ぬか、⼀にかゝつて詞の抑揚緩急にある。前に説いた詞の⾄難さがわかる筈である。仮名扱ひに注意し、発⾳を明瞭に⾔葉と⾔葉の句読に気をつける。
  • 288[中略を経て上記の続き]地は、シテとワキの型を考へて、サラリと運ぶうちにも、シツトリとした⼼持が要る。「総じてこの粟と申すものは」の⼀章は、⾃からの境涯を述懐するのだから、閑かに、しかも重くれぬやうに、確かりと謡ふ。こゝは⼼持は⼗分に、それを腹に蔵めて、表⾯へ露⾻に出さずに、シツカリと扱はねばならない。その句々の持つ情意による、気分の変化が⼤切である。
  • 290[小袖曽我について]兄弟で連吟の処は、調⼦を、揃えて運びよく確かりと謡ふ。ツレは飽くまでシテに従ひ、よく和さねばならぬ。このよく和することが容易であつて、容易でない。とかく不調和、不統⼀になり易いから注意を要する。
  • 291[中略を経て上記の続き]クセは、その⽂意を汲むと、兄弟が衷情を訴へて、⺟の結んだ⼼を解かさうとする処で、相当に感傷的ではあるが、謡ひ⽅としては、余りそれに拘はつては困る。粘らぬやう、滅⼊らぬやう、サラリと運びよく謡つて、そして兄弟のかき⼝説く⼼持が現はれて来ないといけない。
  • 316–317例へば次第といふものは本来は抑へめに謡ふべきものなのであるが、「⾼砂、」「⼸⼋幡」などいふ脇能の次第は、むしろ張つて、カラリとつつかけて謡はねばならぬのである。脇能のワキの次第が、だれていたならば、その脇能は、まるで体をなさなくなるであらうし、⼜その⽇⼀⽇の演能も必ずや調⼦よく運ぶまい。囃⼦⽅もノリよく囃すし、ワキもよく囃⼦に乗つて謡ふ。その次第がすんで、ワキの名乗となる。それぞれ曲による事ゆえ⼀概にはいへぬが、脇能の名乗は先づ渋滞なく、颯爽と謡ふのを本旨とする。
喜多実『演能手記』(1939)
  • 161[鉢木所演について]幕放れからの運び大いによし、調子も心配したより楽に出る。サクサク屈託なく演れる。早笛の謡稍荒かつたやうに思ふ。ワキ新氏、早鼓の中入に、序破急の運び、後からついて行つて感心する。
  • 162「昭君」のツレ和谷、子方和島。ざの日調子殊に悪し。水衣の肩を上げたが、これは上げぬ方が宜いやうに思はれる。心を慰めるための庭掃きだから、上げては商売の庭掃きのやうに見える。「散りかかる花や」の地のかかり方足らず。然し型を運ぶ上からは追ひ掛けられることなくてやりよかつた。
  • 168三月二十三日、喜多会、初番「忠度」を勤める。幕放れの出また工合悪し。調子甚だ痛む。後は運び直る。柳沢君が新聞で「身体の工合でも悪いか熱のない喰ひ足りないものだつた」と評して居たのが気になる。自分としては可なり一生懸命であつたつもりなのが、さういふ風に見えたとすると、もう自分の熱情が涸渇して来たのだらうか。芸に熱がなくなれば、これは致命的である。
  • 172五月十七日、福岡警固神社にて学生鑑賞能、「羽衣」を勤める。前半は大変よく行つたが、後半は型を運び切れず、粗末なものになる。天冠が重く、腰が軽くて、どうにもならなくなつてしまふ。天冠のカネのやつは困る。
  • 174「羽衣」は最初からの持役。直面で一番舞つて置いたので、「羽衣」も大変楽に行く。初同橋懸から舞台への運びは最もノリ好く行く。曲も宜し。舞は多少運びめにやつて貰つた。破の舞以下は例によつて満足とは行かず。切になるほど型を運び切れぬ破綻を暴露する。まあ然し僕の「羽衣」としては一番宜かつた方、キリを物にする事が大切である。キリさへ自分のものにすれば、やりよい曲の一つにならう。
  • 179十一月三十日、昭和会、自宅の舞台、「弱法師」。幕離れ宜し。調子不自由でクドキ、上歌少しも面白く行かない。面アテのこしらへをやり損じて、一曲中面がテリ過ぎて居たさうだ。狂ヒの段は運びが滑らかだつたため、可なりスラスラ舞へる。合評会では非常に不評を蒙つたが、自分では少しもシヨゲる気になれない。むしろ演後の心持は悪くなかつた。勿論「弱法師」らしくやれたとは思つてゐないけれど、そんな仕上げは後廻しで沢山だと思ふ。
  • 181[八島所演について]此の日両手の力を抜くと不思議に身内に油然と力が籠つて来て思はず「左右へくわつと」の面遣ひまで夢中でやつてしまふ。こんな陶酔状態で型をやつてしまつた事は特異な例。いつも意識を離れることの出来ない歎を飽いて居たので非常に嬉しく感ずる。この段地謡辷り過ぎて型の運び思ふままに行かず。概して前は不十分だつたと思ふ。
  • 182[山姥所演について]舞は申合せの時はしつかりしてゐたのに、当日は馬鹿に運ばれて弱つた。とれぢや猩々の中之舞と変りはない。でも後へ行くほどいつもの気分を取り返すことが出来て、どうやら無事だつた。
  • 184四月二十二日、稽古能、敏樹さんが珍しく「江口」、僕は、「鉄輪」。これも装束では初役。次第は割合にずつと一ト息に出られた。中入前の型は稽古の時ほどにも十分に行かなかつた。ギゴチなく且つ腹の中からの力が無かつた。表面だけ、味ひも無く事務的に運ばれてしまつた。今少しやれるつもりだつたが。雪鳥老も「ウンと力をためて置いてグツと外へ伸びるだけの含蓄がなかつた」と云つた。正にその通りだつた。
  • 188–189六月十日、稽古能「烏頭」僕、「花筐」兄。いつの間にか消極的になつてゐる自分だつた。余り自身を意識し過ぎるために型を運ぶ一つ一つに破綻を恐怖する気持が邪魔になつて仕方がない。もつと伸び伸びと「烏頭」にならうがなるまいが、思ひ切つてやつて行かなければ止つてしまふ。一つは知らぬ間に大家芸を気取り出したのがいけないと思ふ。大家と云つても、多くは破綻を出さないと云ふことだけの人たちである。出来ないことをやつて見せる人たちは殆ど無い。それを世間が容易く大家としてしまふ。
  • 238「国栖」は舞台新築前、喜多会を細川家の舞台を借りてやつて居た頃初演、今度が二度目。子方の出る頃に電気が消えて、ローソクの薄暗い舞台で始まつた。眼の悪い友枝がツレで、舟に乗るのに大分困つたらしい。舟を下りる頃漸く電気が来た。そんな騒ぎで気分を壊されてはと思つて、勉めて心を押し静めて出た。幕放れから運び工合非常に好調。
  • 244[舟弁慶真之伝波間の拍子所演について]この日声を痛めて居るところへ講演会があつて遂に四十分程しゃべつて来たので、謡は工合悪かつたが、型は近来会心の出来だつた。後は問題でないが、前の運びが気になつて居た。出てみると非常に楽で、思ふ存分に舞ふことが出来た。
  • 246[竹生島女体所演について]「舟弁慶」に引続き、この日も運び出し良好。中入前の文句少く、型多い無理な処も十分にやれた。間は山本晋君で本式の女体の間、随分長いシヤベリだつたが、それで装束がいつぱいの処だつた。
  • 250七月六日、昭和会梅津君追善能。「清経音取」橋岡氏、「景清」金太郎氏、「海人経懐中七段之舞」自分。どうも気持が悪い位スラスラ運べる。――秋になると又ばつたり、スランプに陥るんぢやないかと、心配になる。謡も咽喉は治らぬままだが、軽く出したら滞りなく謡へた。玉之段の前のカカリ工合が足りないので、これは失敗したと思つて「一つの利剣」をウンとかかつたら、玉之段はウンと気が入つて来た。前は総べて予期通り演れた。
  • 254八月二十九日稽古能に「定家」を初めて勤める。この春になつて、どうやら舞台の上が歩けるやうになつたので、かねての念願をこの夏こそ果さねばと思ひ立つたのだ。前日になつて急に「装束を著けなければ判らないから」との事で大いに面喰つた。その気構へでなかつたので、俄に責任の重大さを感じた。装束を著けようと著けまいと、稽古に差別あるべきでないのに、と我ながら気の緩みが責められた。心配の程もなく、幕離れから運びは調子よく行つた。
  • 264–265十二月九日、喜多月並能「清経」佐藤、「野宮」実、「一角仙人」父、自ら大いに期待した一番だつた。先日の「井筒」が多少の余裕をもつて舞へた――後ではそれがいやで仕方なかつたものの――ところから察して、更に一層引締めてやれば、相当の処迄行けるかしらと、野心を起して居たら、見事やり損つた。次第の出が大変うまく運び出せた時、占めた、と思つたら、又急に邪気が出てすつかり固くなつてしまつた。
  • 267–268四月十七日、稽古能、先月の稽古能は意外の病気で棄権してしまつたが、そのまま持越した初演の「求塚」である。先づ前の一声から運びは大いに困難であつた。息を引いて辛うじてよろけはしなかつたものの……。初同以後稍立直つて型を拾つたが、到底余裕のある芸ではなかつた。精一杯といふ形だつた。後に父から、前はもう少しサラリ浮立つべし、語の中から位変るべしとの教示があつた。雪鳥氏も前はもう少し可愛らしいのではないですか。少し初めから位過ぎると云つてくれたが、その謂ふ所の義は一つであつた。
  • 269–270[邯鄲傘の出所演について]此日は最初大変工合好く、次第から道行と調子も頗る柔がだつたし運びも十分であつた。これは占めた、と思つて気を緩ませて居るうちに、何となく緊張がなくなつて、調子も悪くなつてしまつた。それでも今度の「邯鄲」は稽古も十分に出来たし、自信があつたので、楽に入つて取返すつもりで居た。楽を舞ふことが前からいかにも楽しみになつて居た。此の前楽を早く小刻みに囃されて困つた経験があるので、出る前によく太鼓の柿本君に頼んで置いたが、始まつて見るとやはり早い。空下りなんか追つ掛けられて心持なんか出す暇もなく、さらりと手順だけ運んだに過ぎなかつた。仕方がないから楽上げからを確りやらうと思つたが、グングンと気がはずんで来ないので、遂に味のないものになつてしまつた。
  • 312一月二十四日、喜多会初会能、「翁」得三、「氷室・白頭」実、「東北」粟谷、「国栖」父、「金札」香一等。真の一声はちつとも声が出なかつた。サシコヱから無理をして絞り出したので、少々刺のある謡になつてしまつた。脇能だから宜いやうなものの。此の頃また運びが気になり出した。アユミは安福君がいつものやうに謡つてくれなかつたので、余計運びにくかつた。「高砂」と違ふから、わざと控へたんだなと思つて、後で訊ねたら、やはりさうだつた。
観世左近『能楽随想』(1939)
  • 90[藤戸について]ワキに⾒咎められたシテは、こゝに改めて「海⼠の刈る藻に栖む⾍の」云〻とワキへ向つてスラリと居つかぬやうに謡ひます。この⼀節は⽼⺟の愚痴なのですから、⼼持はしめやかに運びはスラリと扱ふ⼼持が⼤切であります。「御前に参りて候なり」と⼀⼆⾜出て坐ります。これから愈々ワキに恨みを⾔つてやらうと云ふ心持です。
  • 94[中略を経て上記の続き]謡ひ⽅注意 ワキ「さても」で気をかへて下に取つて謡び出し「浦の男を」と上から出ます。「さん候河瀬のやうなる」は稍々運んで謡ひまして「⽉頭には⻄にあり」のには⻄にありをシメて謡ひます。「たゞ⼆⼈」と⼼持し「盛綱⼼に」と調⼦下に取つて軽く出て「⼜もや⼈に」と上から謡ひ出すのであります。
  • 97[中略を経て上記の続き]謡ひ⽅注意 「今は何をか」と内へとりスラリと運びます。「あり甲斐も」と「あらばこそ」の間と「亡き⼦と」と「同じ道に」の間は共に⼼のやうに扱ひます。ワキ詞の「かへり候へ」と「申しつけ候」とはオサメて謡ひます。
  • 98[中略を経て上記の続き]後シテは恨を⾔ひに来たのでありますから、⼀セイは凄味を含んで確かりと誘ひます。然し粘つてはなりません。ワキとの掛合はシテは確かりめに出て、ワキはサラリと⼒強く運んでうけ渡する呼吸であります。この呼吸が巧く⾏かぬと⾯⽩くありません。「たぶべきに」の地渡はタツプリと聊か強めに謡ふのであります。
  • 99[中略を経て上記の続き]「あれなる」とメラシて「浮州の」から次第に気を⼊れて早くならぬやうにジツクリと気をこめて運ぶ⼼で謡ひ「底に」とメラシます。「藤⼾の底に」と運びをユルメて「悪⻯の」から元へ戻して運びをつけ「⽔神となつて」と進んで⾏き「思ひしに」とユルメ「思はざるに」以下気をかへてスツカリ成佛した気持で謡ふことが肝腎であります。
  • 106[井筒について]平物の初同としてはシテに⼤切な型がありますので地謡の難かしい所であります。初同は地頭の腕の⾒せどころ、地謡の⼒量の知れる所でございます。総体的にはシツトリと粘らないでスラリと謡ひまして、この津々たる情趣を表現するのであります。初同は何の曲に限りませんが、重くてはなぢす、軽すぎてはゐけない、確かりと謡つてそしてスラリと運ぶので無くてはいけません。本三番⽬物の初同は殊にそれでないといけません。
  • 107[中略を経て上記の続き]クリ、サシ、クセ  クリは節を⼤きくタツプリと誘ひますが、平ゴマはスラリと運びます。サシも品よく仮名のならばない様に美しくスラリと謡ふのであります。
  • 108–109[中略を経て上記の続き]ロンギから中⼊まで  ロンギは気を更へてスラリと美しく運んで謡ひます。妙に粘る事を最も戒めねばなりません。シテと地とのうけ渡はシテは麗はしく閑かに、地はシテよりも稍々引き⽴てめに美しくスラリと運ぶ要領が⼤切であります。掛合は双⽅の呼吸がピタリと合ひませんと巧く参りません。シテの意図を⼗⼆分に知つてゐる地頭であると、舞つてゐる⽅も⼤変気持良く⾏くもので御座います。
  • 110–111[中略を経て上記の続き]「われ筒井筒の昔より」以下はウツキリと調⼦を稍ん張つて謡ひます。「形⾒の直⾐⾝に触れて」は著てゐる⻑絹の袖を⾒⼊る型がありますから、その⼼持で型に調和するやうに謡はねばなりません。「恥かしや」以下はカラリと気を更へてスラリと運び次の序之舞にかゝる準備が必要であります。地の「雪を廻らす花の袖」は閑かに節をタツプリと謡つて序之舞の位に渡すのであります。
  • 111[中略を経て上記の続き]「さながらみ⾒えし」と地は閑かにノリをつけてスラリつと運んで⾏きまして「冠直⾐は⼥とも⾒えず男なりけり業平の⾯影」と⼤切な型になるので御座います。
三宅襄・丸岡大二編『能楽謡曲芸談集』(1940)
  • 14[梅若万三郎の回想]よく父に叱られましたものは、采女の詞、鉢木の詞、などでした。自分では一所懸命に運びをつけ、変化を尽して謡ひますのですが、「そんな風に同じ様に謡つては、すぐ倦きがくる」と度々父に叱言を言はれたものです。あゝ此処かな、なるほどかうすれば良いなと解るやうになりましたのは、ついこの頃になつてからのことです。
  • 145–146[楊貴妃について金剛巌談]地謡も随分難かしいのです。斯ういふ曲はとかく延びたり、ダレたりするものです。サラリと粘りなく運んで、そして幽玄の風情を謡ひ現すのは、地頭の責任であり力であるのです。地謡のためにシテの舞台が駄目になることはよくあります。どの曲だつて地謡は大切ですが、殊に楊貴妃のやうにシテの動かない物は、地の力が大変に影響します。
  • 322[観世左近について梅若万三郎談]又間に致しましてもせんからみますと余程違つて、よい運びのものでした。何でも私共のよいと思はれるところはどしどしおとり下さつて居りました。
近藤乾三『さるをがせ』(1940)
  • 169間を外づさぬやうに謡ふとかすることは、それ程むづかしい事ではありません。それよりも節扱ひ調子の取り方に誰しも苦心をしてゐるのであります。節扱ひなども調子が程よく運べば決して骨の折れることはありません、文句にしても、間にしても、節扱ひにしても調子さへ程よく整つてゐればそれ程難かしいことではないでありませう。
喜多六平太『六平太芸談』(1942)
  • 125–126[定家について]よく⾒物の⽅が、居曲は退屈だとか序ノ舞は⽋伸が出るとか申されますが、まことに御尤な次第なのですが、やつてるはうぢゃあ唐織を著て、ずいぶん確りしたあの曲の間を坐り通すことが、⼀番難儀な仕事なんです。井筒やなんかもおなじことなのですが、まだ井筒の⽅はいくらか運べば運べますが、全く定家ときちやあどうも運びやうがなく、つらいと申せばこのうへつらいものはありません。
野口兼資『黒門町芸話』(1943)
  • 12[先代九郎の法事についての感想]さて、今日一寸感じたことを申し上げます。何でも同じ事でありますが、今日坊さんが一人で立つて、色々儀式を執り行はれました。其の間のお経、あれを謡で云へば呂の調子せ申しませうか、落着いた底力のある低い調子で、ちやんと乙甲があり、運びの具合も遅からず速からず、誠に結構に思ひました。又一寸した動作もありましたが、型でいへばヒラキと申しませうか、一寸緩めて一寸詰めるといつたやうな所にもその加減が誠に結構でした。
  • 52重い曲だからと云つて、始終、牛の涎のやうに引張つて居るのは良くない。重ければ重いで、重いなりに運んで謡ふやうに心掛けねばなりません。人に依つて軽くつく人を重くなる人があるが、よく師匠の注意を守つて何れにか矯める事が肝要です。
  • 63楽のあるものといへば枕慈童、邯鄲、天鼓、唐船などがあるが総じて楽になる前は謡を締めなくてはいけません。併せて思ひますに皆さんの謡は大概反対になるやうであります。つまり運んでいゝところが運ばず、締めるところが締まらないといつた風であります。これ等はよく弁へて居らなくてはいけません。
  • 64引きのある場合には引きの前、また引いたあとは大抵運ぶやうであります。心得て居て損はありません。またニベをつけられてあるモチ、モチといふと大概わざとらしくなりますが、これはあからさまに持つたのでは甚だ品の悪いものとなります。つまり一般には持ち過ぎるやうな傾きが御座いますが、持チと云つても殊更にこれを現はすものでは御座いません。又ノミ節も大概は小さいものですから膨れないやうにしなければなりません。
  • 72「それ鴛鴦の衾」にしても、弱法師と砧の別があります。夫等は要するに、それの一句の謡出しに依つて区別が現はれねばならぬ事で、曲の位、役柄等によつて会得する所があらうかと思ひます。中には閑雅に謡ふ所でも随分かゝつて謡ふ方があります。またさうでなくても、一体に運びの付かない人があつたり、つき過ぎて早い人があります。口の開かない人があります。
  • 87–88呼掛に限らず、其他の所にもよくオサメとは記してありますが、これは全然調子が低くなつてしまふ意味ではありません。同じやうに静かな物柄といへば、皆様のは多く始めから終りまで静かで通されますから、ネバルとかダレルとかいふ風になつて、いけません。静かなら静かなりに、どこか運びがなくてはなりません。尤もこの呼吸は俗に云ふコツで、仲々会得の難しい事には違ひありませんが。
  • 93今時は余り来ない様になりましたが、「苗売り」といふのが来ました。これが非常にいゝ調子で「きうりのなえや、なすのなえ、とうがんのなえ」と触れて参ります。謡でいへぱ運びもとゝのつてゐて、非常にいゝ調子です。それから近頃、お昼時分に「あさり、しゞみ」と売りに来ますが、これがまた非常な美声です。あれは練習してゐるさうですが、練習しなければあゝいふ美声は出ません。それから豆腐売りの声、これも仲々一寸やそこらでは真似は出来ません。尤も近頃は豆腐売はラツパになりましたが、かういふ物売りの声は全く調子がいゝので感心して聞いてをります。
  • 101謡の文句と型との関係は大事で、その合はせ方で型が生きたり死んだりするのであります。一般に型が文句に遅れ勝ちといひますか、文句が型より早いいひますか、何れにしても型の方が文句よりあとになるのが、一般の傾向でありますが、これは注意すべきことです。鳴物もなく、運びもゆるやかになる様な処でも、兎角早くつけ過ぎるのが一般の弊かと思はれます。極くせはしく行く処などは、型を早めにとる事もありますが、大体に於ては、文句が出て型をそれに伴はせる位が可いのですが、型がおくれるのも困りものです。
  • 106運びと拍子  型のお稽古について二三心付いた事を申し上げよう。進む時には大概二足目まではゆつくりと、そして段々につめて行くやうにして、ヒラキの前、たゞ踏み止まるところ、角トリでも、左へ廻つて角を付けるところでも廻り返しの前でも、何れもみんな運んで来るやうにしなくてはいけません。
  • 107[中略を経て上記の続き]クセの始めに踏む一つの拍子も遅くもなく早くもなく、嵌りよく運ぶ様に注意する事が肝要です。鬟物は鬟物男物は男物の積りで心して踏まなければならない。謡の方でも拍子を踏む所は嵌りよく加減をしてうまく謡はなければならない。又立つた時にはよく腰を入れてあごの出ぬ様にしなければいけません。
  • 79靜かに謡はねばならぬと申しますと、今度は馬鹿にゆつくりになつて了ひますが、静かに謡ふ中にもどこかハコビがなければなりません。又早く謡はねばならぬと申しますと、駆け出して了ひますが、動中静といつたものがなければなりません。九郎先生は、せくところでもゆつくりしてゐなければならぬ」てよくいはれました。
  • 4三須錦吾さんを平司さんには小鼓を習ひました。その時分は修業中で分りませんでしたが、錦吾さんが一セイを打つと非常に出よかつたのを覚えてをります。シテの出は囃子方によつて気持よくゆく時と、さうでない時とあります。もう少し静かでいゝとか、もう少しはこびがほしいとかいふことがありますが、錦吾さんの鼓はそれがまことに好かつたのを覚えてをります。お稽古は親切でした。