はる【ハル】
手塚貞三編『謡曲大講座 手塚亮太郎口傳集』(1934)
- 7ウ[「景清」について]シテの語りの「いで其頃は」と大きく謡ひ出し「互に勝負を決せんと」とのびやかに謡ひ切る。「能登守教経」から気をかえ「去年播磨の室山」と少しサラリ。「ひとへに義経」の張り節は明瞭に而かもたツぷり。「いみじきによつてなり」と謡ひおさめる。「九郎を討たん」と思案の心持、「はかりことこそ」と大きく強く、「あらまほしけれ」と軽く「宣まへば」とおさめて気を替える。
- 8オ–8ウ[「景清」について]「昔忘れぬ物語り」から調子を替え、閑かに少し浮いてうたふ。「早立ち帰れ」は張りであつて、口伝、習である。此処でシテ杖を取り立つ。ツレも立つ。「暗き所のともし火」の張りは、高く細く謡ふのであるが、又抑へて低く淋しく謡ふ事もある。
- 9ウ「爰ぞ浮世の旅心」はしつかりと張り、上げ羽の「寺と宇治との間にて」から愈々しやんと謡ふ。「宇治橋の中の間」と伸びぬ様に切り「引きはなし」ときめて「下は川波」と下を見る心、「上にたつも」と上を見る心で謡ふ。此辺は型によつて謡の心持もあるのだから、能く注意して謡はねばならぬ。
- 11オ[「木賊」について]「雲間の朝づく日」の張りは、心してむつくりと謡ふ。下げ歌上げ歌は別に変つた事はない。ロンギは、普通の曲と違つて、余りサラ〳〵と謡はぬがよい。総べて文句に則して謡ふ。「磨かれ出づる、秋の夜の月影」の処は口伝あり、筆紙には尽くし難い。地の「影もかるなる」から運び目に、「刈れや〳〵」と心持がある。シテの「木賊刈る、木賊刈る」は一寸しめて、ざんぐりと謡ひ「木曽の麻衣」の張りは鋭く「み、がゞぬ露」は底強く、「玉ぞ散る」と綺麗に軽く謡ふ。「散るや霰のたまたまに」は地の付け様心せねばならぬ。
- 12オ[「木賊」について]」のワキの詞済んで、シテは一旦くつろぎ、木賊を後見に渡す。ツレとワキとの掛合すみ、シテは真中へ出て、落付いて「如何にお僧逹」と謡ふ。「今夜は」以下は尉の身の上話であるから、文句によつて心持肝要。誰かある御盃を」と気を替へ、此一句大きく張り上げて謡ふ。是より狂人の心になるのである、此処でシテ物着をする。
- 17オ[「三井寺」について]「また待つ宵に」と改める心、「更に行くかねの」の「か」の張りは、ヒヨイと高くなり易いから、其弊に陥らぬ様に抑へて謡ふのである。「又は老らくの」述懐の音に謡ひ「なみだ心の」と沈め、「さびしさに」と少し運ふ心で謡ふ。気を抜いて「此鐘の」とズカリと謡ひ、鐘をしつかりと見る心。「つくづくと」と沈める。
- 18ウ[「江口」について]初同「をしむこそ云々」の一段は最も閑かに謡ひ、ロンギは少しはツきりと謡ふ。「一樹の陰にや」としめ「声ばかりして失せにけり」とロンギの留めを、しめうきに張り、返しで静めるのである。
- 19オ[「江口」について]クセの「紅花の春のあした」は下の呂に極閑かに謡ひ出す、「凡そ心なき」の張りを高く張つて「草木の」を呂におとして謡ふ。謡も型も心持も大事であつて恋慕、無常、釈教を含蓄して、幽女の最たるものである。序の舞に平調返し、九品の序等ある。弱法師は春で双調。江口は秋で平調である。
- 3ウ声の善悪 一体声といふものは、其人の性来であつて、所謂珠をころがす様な美声もあり、皺涸れ切つた声もあり、又どら声もあり、キイ〳〵調子の女の様な声もある。処で謡にはどう云ふ声が適するかといふやうな問ひを受けることもあるが、美音に越したことはないけれども、つまりはどんな声でもよいのである。何故なれば、いゝ声でも始めから謡に適するといふことはなく、鍛錬を重さねて行つて、声に力も出て、張りもあるやうになつてこそ、謡に適した声と云ひ得るからである。
- 1ウ○或夏、いつもの通り先生の御宅に行つて台所で足を洗つていると、座敷でしきりに竹刀の音がきこえる。エイツ、お面、となか〳〵盛んだ。をかしいなと思ひながら座敷へ上つて行くと、今しも先生素裸で、竹刀を持つて縁の柱に向つてポン〳〵と打合つている。自分がはいると、ふりむいて「オ、お早う。今一寸剣術の稽古をしているから暫く待つていてくれ」と云ひすてゝ、又もエイヤツとばかり柱と剣術、しばらくして、柱にお胴と打込んで、そのまゝの身体の極りで、「なーアだのしーイおーくむ」と松風の一句。(左陣先生は声張り上げて諷はれた。) その調子、節あつかひ、又は気合までふだん自分等に稽古して下さる時と少しもかはりない。今まであんなにはげしくエイヤツとやつていられたとは思はれなかつた。
- 2オ[「初入門心得」]調子 通常談話の声と、笑ふ時の声が同じ調子の人は、必す謡の調子も外れません。笑ふ時の調子の違ふ人は兎角調子が外れ易いものです。が数へ方によつて合はぬ人も合ふやうに成るものです。 先づ教へる時の始めは、甲に張らせまして、次は呂の調子を習はせ、中間の調子は一番後に廻します。これが一番いゝ方法だと思つて居ります。当流では、調子は上中下に三大別し、更に三段宛に分け、都合九階級に分けています。
- 2ウ[「初入門心得」]元来謡の調子はこれを呂、中、甲の三階級に区別したものですが、私は更に之れを各三階級に区分して、都合九階級と致しました。 ○甲の上、クリの調子にて最上の高き所。 甲の中、ハリと言ふ所の調子にて二階級目。 甲の下、上と云ふ所の調子にて甲の最下級。 ○中の上、クリの前の振りウキの所の調子にて四階級目です。 中の中、張りの前のウキの調子で五階級目。中の下、入の前のウキの調子にて六階級目。 ○呂の上、普通の下と云ふ所の調子にて七階級目。 呂の中、下のウキの調子にて八階級目。 呂の下、俗にクヅシと云ふ所の調子にて最下級の声。 右の外にサシの中落し、下の内の上落しと云ふ特別のものがあります。是れ多くは習ひの節に用る所にて最も研究を要する所であります。
- 3ウ–4オ[「発音の心得」]アカサタナハマヤラワの音は、仮令声を張る所、又あげる所でも、張り上げる事は謹まねばなりません。此の謡方を俗にコロスとも内にとるとも申しますが、可成内輪に張り上げる心持にせねばなりません。若し無頓着に張り上げますと、仮名が分らなくなつてしまひます。 声の鼻にかゝる弊は兎角出来易いものですが、是れは畢竟十分に張つて謡はぬから起る弊で、中音で鼻歌風に自宅などで楽にやらるゝ所から来るのです。充分力を入れて張り切つて謡へば鼻にかゝる声は出ぬ筈です。-清廉
- 4オ[曲節の名称と扱ひ方]○直グ節 一名胡麻節。これはその形から名付けたもので、此節一ツにて、仮名一音を示す。その臀の下りたるは「下ゲ節」にて音を下ゲて謡ふことを示すので、ハリの場合は落しと云ひ、中の時は押へといふ。
- 5オ[曲節の名称と扱ひ方]○クル、ハル、上、中、下 これ等は音階の印で其高下を定るのである。
- 6オ[曲節の名称と扱ひ方]○入り節 楊貴妃の「其初秋の」の所の入リや、松虫の「是春の風」といふ所の入りやが、入リ節なので、前の落シに心付かずハリの中の入リだと思ふて調子を上げ過ることがある。これは前の抑へで下げて居るから、この入リでは元のハリへ戻れば可いことゝなる。項羽のワキの次第などもこの例でとかく謡方が一定せぬ恐れがある。
- 96–97吉本董三氏か大野仁平氏であつたと思ふ。「先生の傍に座ると、イクラ気張つても紡績会社の横で木綿車を引いて居るやうな気持ちになる」と云つて皆を笑はせてゐたが、全く子供ながらも、そんな感じを受けた。ツク〴〵翁の紡績会社振りに驚嘆させられてゐた。 喜多六平太氏は右に就いて筆者に斯く語つた。「ナアニ。声量の問題ぢや無い。只円の張りが素晴らしく立派だつたからですよ。全く鍛練の結果ああなつたのですね。ですから只円が死ぬと、皆が皆彼の張りの真似をして、間拍子を何も構はないで、たゞ死物狂ひに張上げるのです。これが只円先生の遺風だ。ほんたうの喜多流だつてんで、二人集まると怒鳴りくらが初まる。お能の時など吾も〳〵と張上げて、地頭の謡を我流でマゼ返すので百姓一揆みたいな地謡になつちまふ。その無鉄砲な我武者羅な処が喜多流だと思つて喜んでゐるのだから困りものですよ。」
- 329[昭和六(1931)年の杉山萌圓のメモに記された数首の短歌のうちの一首]声は張り張りは全身全身は心の力それか喜多流
- 8素謡は心持を本とすることは右に述べたやうなも、のでありますが、其土台として調子の大切な事は云ふまでもありません。一体宝生流の謡は低い調子を張つて謡ふといふのが主意でありますが近来一般に調子が高くなつたやうな傾を覚えます。これは腹から声の出ない事と、美声を誇らうとする弊に陥り易い憂ひを導くものと思ひます。
- 17–18努力も多くは高調に過ぎて失敗するのがまゝです。矢張り昔から云ふ調子のヒドルと云ふものでして、又メルと云ふのと共に、どちらも研究が足りないからだと思ひます。斯様なのはクセに多いやうです。つまりクセの出、クセ上げなどであります。クセの出の研究が足りないと其の出やハリが上調子になり勝ちです。クセと云ふものは、その出は下とか呂に出るものですが、その低い調子といふもの、研究が足りないのであります。又クセ上げ前のハリが高きに失するのもこの訳合だと思ひます。
- 27–28一体にお素人や、玄人でも未熟な内の謡は無闇に上ずつて調子がとれないのは、つまり、謡の力が築き上つて居ないからです。それを築き上るには日頃稽古の折から不断に調子を低く納めてハリを以て謡ひ練つて居なければなりません。低いと云つても滅入つたり、ハリと云つても甲走つたりするのでは不可ません。往々ハリと云ふ事は大きな声を出す事のやうに考へて居らるゝやうですが、このハリと云ふ事が謡の力と云ふ事でもあつて、大きな声を出すといふのもこのハリに依つて大きく聞こえるものでなくては駄目です。同じやうにしつとり謡ふと云ふ事も此のハリを以て調子を締めて謡ふ事です。一般に上の調子の時は大きい高い声が出るのに下ノ二の調子となつては聞きとれないや、うな声に消えて行くのも、詰りハリ即ち調子の一定が調つて居ないからです。「上の調子は臍の下から出せ、下ノ二は頭の頂でへ」、とはハリを教へる金言でせう。
- 29言葉を換へれば色々な風に云へませうが、要するに真剣な心掛けと年功鍛練とに依る外はありません。例へば「熊野」一曲を謡ふにしてもワキ宗盛、ツレ朝顔、シテ熊野と謡ひ分くるは容易な事ではありません。先づよく練つて声の力と腹の力とを築き、ハリと抑へとが利くやうになれば謡の力は出来上つたとも言へませう。
- 33–34怒鳴るといふ事、謡と云へば何んでも怒鳴るものとなつて居りますがこの怒鳴ると云ふ事も悪い事ではありません。然しそれも声を出す稽古、つまり初歩の間の事であつて、先づ謡も三四十番上つたならばそろ〳〵怒鳴る事は止めてハリを以て謡ふ事に努力せねばなりますまい。色々な方々がお稽古に来られよく「謡はどうすればよく謡へるやうになりませうか」と訊かれますが、私はいつも「ハリが肝腎です」と答へて居ります。調子を高くと云ふのも低くと云ふのも各々そのハリに依て定まる事であつて、高いと云つても調子はずれに高くなつて仕舞ふのはこのハリが無いからです。又低いと云つても滅入り込んで仕舞ふのもこのハリが無いからです。この高さならこれだけのハリ、この低さならばこれだけのハリと自在にその加減を取り計ひ得る力の加減がなくてはなりません。詰り腹部の力です。所謂丹田の力です。よく腹に力を入れてと云ふと、腹にぐる〳〵布を巻きつけたりしてウン〳〵力んで居る方がありますが、それでハリが出来たと云ふ訳のものではありません。矢張り稽古と修練によつて自づとその妙諦が得らるゝものでせう。
- 34それから節のハリ、これは又仲々完全には行きません様です。これもその完全に謡へるか謡へぬかは調子と腹の力です。例へばクセのハリ、「羽衣」で云へば「月清見潟」のハリ、このハリは一番に苦力を要します。それはクセの出る声、所謂出の調子如何に依るものですが、大抵は九分通り高く掛つて仕舞ふやうです。
- 34いくらハリと力とがと云つても矢張り声も大事です。声を痛めて居る時は余分の力も要します。自分の声の八分で充分に張り得れば、これが本当のハリでせう。十分の力勢一杯の声を尽すのでは、これは只釣り上げられて節を謡つたに過ぎません。張つた後に猶それ以上に張り得る声、即ちハリ節のあとは必ず引きとか廻しとかゞあるのですから、それが柔かにも艶かにも又剛くにも謡へ得る余裕がなくてはなりません。大勢で謡ふ時は唯怒鳴ると云ふだけのもので、あれでは本当のハリではありません。ハリと云ふものは落着があつて徹底した所がなくてはならないものでせう。
- 34–35「高砂」なり、「田村」なり一つでも完全に謡ひ得るハリ、抑揚、開口、それ等が出来れば勧進帳も謡へる訳になるのです。勧進帳であるからと云つて、節に於ては「高砂」も「田村」も大した相異のあるものではありませんが、勧進帳を謡ふには唯、それに要するハリの自在と、それに伴ふ心持が要るだけの事だと思ひます。 俗にハリ上がると云ひますが、往々クセ一つ謡ふにしても、始めの儘の調子では行き得ないやうです。調子は変つてもそんなに上下のあるものではありません。いはゞ無いやうであるのが調子の上下でせう。それ等が一通り調へば始めて十一番なり三老女なりにも進み得るものです。前にも云つた通り十一番、三老女と云つた処で別に節に差異はなく、たゞ調子一つに依るものです。「大原御幸」や「鸚鵡小町」を謡ふに怒鳴る人もありますまいが、よく注意して謡つたからと云つてそれで老女物になる訳のものではありません。
- 36重いものは殊に息継や引きなどの語尾を注意せねばなりません。「景清」や「隅田川」程のものになると殆とその句読に妙味があると云つても宜いでせう。節を謡ふにも活殺自在の力がなくてはなりません。一杯に張れば常のものになる、控へれば力の足らぬものになる、その半ばに張ると云つてもお解りになりませんでせうが、例へば「景清」ならば「命の辛さ」のハリの如きこのハリ一つで沈む景色にも華やかな景色にも変ると云つた訳合のものです。
- 36–37それから「唐船」の「索いて行く」の所、これも大抵は索いて行けない様です。つまりカングリを謡ふ時は余程前からその準備を要します。目の前に迫つて来て急に声を張り上げて見た所で息が切れるばかりで謡へません。ロンギなども兎角調子の狂ふものですが、常に調子を調へる事に注意せねばなりません。
- 37よくお素人などに蘭曲を謡ふ人がありますが、蘭曲と云ふものは難かしいものではなくまあ半分は誇りとして謡ふべきものとも申されませう。ハリ、抑揚、調子、声、総ての活殺自在を得てから、つまり謡に精通してから後で謡ふべきものでありませう。
- 40語りと云へば殆んど、詞ばかりのものですが、其の詞の中に緩急と抑揚の工夫がなくてはなりません。これは大抵解り切つたやうな事ですが、仲々、さうは行かず皆一様なものになつてしまふのです。然らばそれはどう云ふ所で語り分けるかど云へば、「鵜飼」についてなれば、初めの方は大した事はありませんが、「一殺多生の理に任せ」といふやうな所は調子を張つて、文句も込めて謡ふ、と云つた訳であります。
- 41「景清」となると御承知の通り哀れな場面の曲で、さすが剛の聞こえ高かつた悪七兵衛景清が、盲目の流人とさへ老い果てゝ、その戦場に於ける壮将を物語るのですから、仲々容易ではありません。老いたりと云へ、盲ひなりと云へ、平家の侍に其人ありと聞こえた悪七兵衛です。憔悴するのみでは景清にならず、と云つて張り過ぎては目明きになつてしまひます。これはどこまでも張りを腹に保ち、口には張りを出さずに語らねばいけません。
- 42また「融」になるとこれも尉物ですが、融の大臣といふ位を以て語るべきで、語りの前半はどこか豪奢の跡を偲ばるゝやうに「浦は其儘」あたりから寂しくなります。そして「池辺によどむ溜り水は」といふ難節がこゝに出ます。これは皆様が大いに悩まるゝ所ですが、「溜り水」の「り」の字を張りめにして「み」の当りを軽く当り、「づ」をまた張りめにして「は」の当りを抑へ、語尾を張つた余りを下へ捨てるのです。これはステルと云ふ謡ひ方よりも、淋しい心持をステルといふ気持で捨てます。上へ捨てれば華やかになつてしまひますから、つまり淋しく見えるやうに捨てるのです。
- 44–45同じ脇の語りでも、「摂待」は山伏姿をした弁慶其者の語りで、而も屋島に於ける合戦を物語るのですから、余程しつかりして居ります。張りを強くしつかりと、教経などの事をいふ時は強く張つて、継信の所は幾分抑へめにあはれをもつて、義経の時は品よく、自分や其他の者の時は調子を抑へて軽く、それから「弓を放す」とか、「胸板を徹す」とかいふ時は、渾身の力を以つて謡ふのです。そして継信が痛手を負つた心持、義経が憐み労はる所は調子を幾分抑へめに憐みをもつて謡ひます。
- 45「藤戸」の語りとなると、盛綱といふ武張つたものですから、張りを十分持つて軽く、その中に落着を以つて読ひます。これも前と同じやうになりますが、船頭に教はる時は軽く、自分の時は張つて大きく、或は「取つて引寄せ二刀さし」や「其儘海に沈め」などの所は其気色の現はれるやうに、「さては汝の」といふ時はもとへ戻り、殺された子の母に向つて云ふのであるから幾らか柔らげ、憐みを以て謡ひます。
- 71それから、兎角一本調子になる事を注意せねばなりません。言葉の長いものに対しては、おさへ、軽く又はシメ、又調子を低める等の事を、文句がらによつて、それ相応に立て替へ、謡ふやうに勤めれば、面白く聞えます。此の心持ちがなく、只一生懸命に張つてばかり謡へば、其の情が見えません。是では謡は面白く聞えやう筈がありません。つまり、喜怒哀楽の心をめりはりにより、夫にふさはしいものとして現はす、そこにむづかしさもありませうが、面白味もあるのです。
- 75謡は最初から上手にうたふ事は出来ないものです。上手な謡になるには準備と修業が十分なくてはなりません。職分の修業法は別として一般お素人方は、上品なよい謡がうたへればよいのではないかと思ひます。それには第一歩の稽古法を誤まらない事が何より肝要であります。始めは声を出すことを学ぶ。声のアヤを出すよりも高い声、低い声、細い声、太い声を出すことが先づ第一で、次に之にハリ、即ち力をこめたものを出す修業をするのであります。仮へば「小鍛冶」とか、「車僧、鵜飼、舎利」といつたやうな曲を懸命に学びます。声が出来てから次に節の扱ひ方を学ぶのです。声調の鍛練をせずに、イキナリ節扱ひに、一足飛びにされ勝ちなために謡が暢びず、物になちないことになるのです。
- 76同じクリ節、入りグリ、入り廻し、入りバネ、ハリ廻シ、引キなどの扱ひにしても、曲により処により、ハツてうたふものもあり、抑へて謡ふものもあり、調子のしまつたものもあり、ハデやかな扱ひをするものもあり、位と調子、位と節、調子と節、、その他心持や緩急などによつて節扱ひに変化があり、かういふ変化を持つ処に節扱ひの難かしい点があるのであります。
- 78–79柔かいもの、女もの、老女物などの位は静かなことを第一とします、即ち前にのべた事は主に女物、柔かいもの優しいものゝ位の話でありますが、二番目物とかキリ物などの如く、強くハツテうたふものゝ位は又うたひ方が違ひます。三番目ものなどの位は、調子を静かにシツトリと取つてうたひ、二番目物やキリ能物はハリと力とで調子を出すのであります。「安宅」の如きも、シテは弁慶で、ワキは富樫といふ何れも武人の行を方で手強い処をハリで位をつけてうたふのであります。これ等の曲意を考へ役柄曲柄にふさはしくうたふ事が肝要です。
- 79「詞」は調子もむづかしく、息継ぎや緩急もむづかしい。多くの人が詞の分ケについて気にする傾向がありますが、分ケは自然にきまつてゐる。が前後の関係で時により稀に二様にうたふやうな事もないでもないが、これ等は気にすべき点ではありません。それよりも位と心持とをうたひ表はす事が詞の本意です。例へば「如何に申上候」の詞でも、シテの場合とトモの場合とは違はねばならず、調子にも注意し、重く、かるく、ハリなどに心してうたはねばなりません。男と女とでも詞の具合を分けてうたひ、強いものはメリハリを主とし、女物などは心持を根本とするといつた心掛けも大事であります。同じ詞の中でも、語りは、抑揚、緩急、調子の高低、息継、句読のツメ、ノバシなどに留意し、本をよむといつた感じの謡ひ方や、文句を知つてゐるやうな謡ひ方は語りには禁物であります。
- 85「熊野」の詞をお素人方は、ゆつたりと伸ばして謡はれるのをよく耳にしますが、前にも言つたやうにこの曲の詞などはツメてうたふ心が肝要です。尤もシメて謡つてゆつたりとした処を聞かせるには、声の力、腹の力といつたやうな修業の効にまたねばなりませんが、要するに無駄を省いて正味ばかりをうたふ心掛けが大事であります。詞の謡ひ方は節の部分よりも至難で、力を入れ過ぎ、抑へ過ぎると、音が重くなり、謡がのび、力を入れないで運べば無意味となり、力を入れ抑へを利かして、そして発音、節扱ひを軽く捌かねばなりません。声のハリ、音の開合に注意し、専ら腹でうたふのです。
- 86文の段は又一段と難かしく、長い変化の少ない文句をだれぬやうに、母に接する心でうたはねばなりません。調子が浮きやかになつたり晴々しくなることは絶対にゆるされず、と言つて、メツテしまつては熊野の読む「文」でなくなる。低い調子にハリを込めて静かなうちにもハツキリした処をうたふ工夫が必要になつて来ます。かうなると一つの息継、一つの句読、一つの当りにしてもそこに曲に相応はしい扱ひがあらはれねばなりません。曲による心の持方によつて、謡ひ方、扱ひ方、メリハリ開口などに工夫を要する、その程度問題が即ち難かしいといふ処でありまして、之に対して比較的易しい処の存在する所以であります。
- 97–98詞についで難かしいのは、クセでもロンギでもクリ地でも初同でもなく「サシ」謡であります。サシ謡は詞に節をつけたやうなもので、その節もゴマ節が主で、僅にウキと廻シとフリとハリがある位のものです。このサシは詞についで全くうたひ難いものであります。
- 100若しモツト芸が出来てなるとしますならば、玄人の「下」をうたつたその謡ひ方の工合がある程度までハツキリ解る。「下」をうたふ前の仮名の音を重くなく、又かるく浮かず、張りこめて音尾の力をぬかずに「下」の記入してある節にうつり、その仮名を前の仮名に着けるごとく発し、そして生字を出す扱ひを軽く致します。さうすると「下」音になつてからコケズ、重くれず、軽くて然も力がこもつてゐます。寧ろ「下」の記号でなく、その一字上の扱ひ方に注意すべき処がある、といつた風な事がわかるでありませう。
- 102春夏秋冬でそれ〳〵人間の調子が変つて来る。夏はおのづから身心ともに疲れるので調子はよくない。つまり力が足りないことになるので、調子にハリがありません。調子にハリがなく力がないと、自然に甲高になりがちです。力がはいつてゐれば調子が落着いて低めになるものです。大体宝生流の調子はあんまり高くはない。調子が落ちついてゐて実際は低くめであつても、十分にハリがあれば高く聞えるものです。私共が先生(先代宗家)から稽古をして貰ふ時は、低く〳〵謡はされたものです。低く謡ふには力をこめハリで謡はなければ節がうたへないので、うんと腹に力を入れて稽古したものです。高く上(ウワ)調子で稽古をしたり、ふだん謡つてゐれば、声にハリが出て来ないで、調子に落つきがありません。力がなく、落着きがなく稽古をすると、声は大きく出るが、謡がそう〴〵しくなつて、所謂品のわるいものになるのです。謡に品のないのは最もよくない事です。
- 103先生(先代宗家)の謡は美声で好調だつたから綺麗で一寸高い調子のやうでしたが、同吟してみますと決してそれ程高いものではありませんでした。あのよい調子でありながら声や調子に引きづられないで、力のあるハリ切つた落着きある謡だつたのですからえらいものです。調子を高くせず、ハリを利かして、腹力で落ついた声でうたふのが謡の特色で、他の音曲と違つてゐる点であります。尤も調子が高ければ高いなりに、調子がまとまつてゐればそれでよいのです。カンから下の二に至るまで調子がとゝのつてゐて、調子に崩れがなければよい訳であります。
- 103–104謡はすべて声で謡はず、調子でうたひ、その調子は力でうたふのが原則です。上吊つて高く謡ふと声は細くなり、声がわれ、節扱ひに無理が生じてつまり声でくづれることになるので、謡は駄目になつてしまふのです。 然しメリハリといふことがあつて、例へば「如何に申し上げ候」といふ簡単な詞一つにも或は高く張つてうたひ或はメラして低くをさめて謡ふものがあります。脇能物から切能までの五番にはそれ〴〵五番とも別々な調子があつて、決して一様ではありまん。調子が整はずメリハリがない謡は、一番の謡が始めから終りまで一本調子となり、五番が五番とも同じやうな調子になつてしまひます。
- 104–105職分の者と一般の皆さんとは修業の仕方がおのづからちがつてをりますが、調子を高くせず力でうたふといふ事には変りはありません。謡はすべて自分の力だけしかうたへないのですから、分を越えてうたはふとする事はよくありません。青年楽師は青年楽師として自分の力相応にうたひ、お素人方は自分の力だけに謡ふのです。その分を越しますと声にも調子にも無理が出来て謡が却つてこわれてしまふものです。声を絞りすぎて、まるで踏みつぶされたやうな謡をうたつたり、力以上に謡はふとして、調子のハリでなく、からだの力がうたひにあらはれて、唯力んで重苦しい謡になつたりするのを聞くことがありますが、これはまことにつまらぬ努力が謡をこわしてゐる事になります。
- 110「遍昭上げ」といふのは「雲林院」のクセの中「かの遍昭がつらねし」の「へ」のハリ節の事で、普通ハリは中から上にあげるのですが、こゝは「下調」からイキナリ上調まであげるので変則的のハリ節となるので珍らしいのです。「海士」の「竜宮のならひに」のカングリのやうなもので「宮」のカングリといふのは、調子から言つたなら普通の上でありますが、下から出るので、一足とびに謡ひ上げることになり、調子といふよりも扱ひがカングリ風になるのです。前者は上、後者はカンといふのでありますが、扱ひ方は同じやうなものであります。
- 110–111「キライ節」といふのは「当麻」のクセの終り辺の「綺羅衣の御袖も」の「羅」のハリマワシ節をいふのです。昭和版改訂の砌りマワシ節のハリ節は除いて補助記号で補ふことになつたのに、この「羅」のハリ節のみは除くことが出来なかつたのです。「ら」のマワシはハリをふくめてやゝたつぷりめに謡ひ、マワシの後半のハネを短かくハネるやうに張りをふくめて「アイ」とツメて消しを謡ひ「オ」のではじめて普通に戻るのです。
- 113ステとイロとについては[吉田]魯洋君なんかゞよく調べてゐるが、理屈なしに一口で言へば、イロは淋しさ、やさしさがあり下へステルもの、ステは強みであつて、ハネルのです。謡ひ方には或はハルのがあり、おさへるのがあつて、イロといひステといひ、曲と処とで多少の謡ひ方はありますが、左にあげるものは、特に注意すべき変つたものであります。
- 115先づ「高砂」のワキは「引立」と記してあります様に、其の調子を張り、如何にも立派に、そして重くなく強く謡ひます。詞は軽くして位どりが入ります。シテとの掛合ひになつても、夫を忘れずに謡ふのですのに、時々シテと同じ様に謡つて居られるのを伺ふ事がごさいます。もとより同吟はシテに付合ひます。此時は其考へで謡はねばなりません。
- 117–118又「砧」のワキなどは少しばかりの謡ひはじめの名乗りだけで、既に全曲の位がきまつて、成程「砧」だな、とうなづける事になります。ですから後の言葉から待謡にうつる具含など、実に苦心を要します。此の待謡は淋しく弔ふ心持が如実に出なくてはいけませんから、調子を低めに張り、節を柔らかにしつかりさせ、「うらはづ」になど只「は」に当りがあるばかりですが、「は」の字を低めにしつかり押へ「づ」の所でヌク力で押へる注意がいります。是で後シテが現はれて来るキツカケになりますので、是によつてシテが何うにでも動ける事になるのです。
- 119–120又曲によつてシテの位を如何に軽重をとるかについて、その具合に大いに工夫を要するのがあります。淋しいものなどですと、シテの位と同じやうにならぬ位どりがいひますが、それなどの事です。例へば素袍男にしましても「砧」は位がありますが「鳥追」となりますと、張つて強く如何にも憎く〳〵しくと云ふ風に謡ふ必要があるのです。此辺の事は、一度その曲について工夫をして見ると、私の意のある所がお分りにならうかと存じます。
- 121次に姥のツレですが「高砂」「嵐山」「絵馬」などは心持ちを若く、余り調子を張らず、のんびり軽く謡ひます。同じ姥でも「国栖」「絃上」「雨月」などは幾分か位が要りますので軽いうちにも、少々やさしい強味がいります。「昭君」「大蛇」などは軽く淋しく調子を抑へシテの調子より、心持ち高く張る事が必要です。
- 121–122次に中老のツレ、即ち曲見といふ面をつけるツレ「鉢木」「善知鳥」「大原御幸」の内侍、「望月」「小袖曽我」「大仏供養」などがありますが、是は姥より若く、小面などよりは年寄りなのですからその心持ちで謡へばよいのです。併しこれもツレとしての具合がむづかしく、実は何の程度に行つたらよいか問題なのです。そこで概念をお話しますと、もとよりシテとかワキよりは軽く謡ふべき事は勿論ですが、最も注意を要するのは、落付いた調子と、淋しく哀れな心持ちがなくてはいけないのです。その心持ちで謡へば、若い女と姥との中間の声が出るのです。それですから「大原御幸」の内侍の花筐の件などで、高調子の浮いたものになる人がありますが、あれではいけない事になります。あの謡は女院と大納言の風姿を表現するのですから、品よく淋しく軽く張る事が必要なのです。
- 122–123「小袖曽我」のツレ時致は同じ軽い中にも調子を内へ取り、張る声に淋しみがいります。是が豪快な五郎でやつてのけたら場面はまるで、こはれてしまひます。「夜討曽我」のツレ祐成は、シテの時致よりは軽く、その軽いうちにも位をとり、やさしく張つて情味を充分に出す必要があります。是はシテの五郎を充分に引立たせるのに役立つもので此の条件にはづれた祐成は、ツレの役を勤める事は出来ません。 「放下僧」のツレは、張つて軽く、サラリとして強味がいります。敵討の心持ちだけで、作戦は兄の方にあるのですから、たゞ〳〵目的に進むといつた心持ちであればよいのです。
- 123–124若い女のツレといひますと、前に話が出ました「熊野」「砧」などもさうですが、「葵上」のツレ即ち巫子。「松風」のツレ、「花筐」のツレなど皆さうです。然し、同じ小面をつけましても夫々曲により心持ちがいります。でも総じて美しく、調子を押へ張つて謡ふのです。但し、同吟の時にはシテの調子につき、自分の時は軽く謡ひます。
- 124もつと特例のものをいひますと「綾鼓」のツレなどがあります。それはツレの謡ひます「如何に人々」より「あら面白や」迄の調子がどうも浮ついて、あわて気味になる事で是は注意一つでさうならないで済む事なのです。夫には最初の謡ひ出しに注意を要します。あのツレの心持ちは、文意の通り浪の音が鼓の声に似て面白いといふ、それはうつゝなき心持がさせた事なのですから、心持ちにさうした表現がほしい事になります。そこで其の謡ひ方は「如何に人々」の調子を柔かく押へ、一句々々と調子を張ります。併し、其の声が余り力強くてはいけません。「あら面白や」の条りの■[クリ節の記号]から■ [廻シ節の記号]までと、其のかへしのくだりは普通ある節ですが、一生懸命声をはるばかりではいけません。充分に声は張りますが其のうちに柔かに美しいといふ様な謡ひ方にならねば駄目なのです。
- 127シテは小野の小町ですから、美しく品位を持つて、如何にも優美に謡はねばなりません。三番目ものにも種々其の曲によつてシテの謡ひ方に差異を生じますが、此のシテは現在の人物ですから、是も余り延びて謡つてはいけません。 〇その辺が私には分りませんが、延びていけないといふと何うしたら一番よいでせうか。 △先づ、お腹では一パイに謡ひ、口では延びぬ様に気をつけて、文字のめり張りに力を強く入れ、内輪に控へて謡ふのです。
- 132–133〇地はシテ斗りの心持ちでせうか。 △いや、其の場所によつて違ひます。子方の心持ち、ツレの心持ち、ワキの心持ち皆夫々謡ひ分けなくてはいけません。 〇子方の地所といひますと……。△マア、一口に申しますと、要するに軽く調子を張つて、運びをハツキリつければよい事になります。「竹の雪」の子方、「満仲」の子方、其の他にもありますが、あゝ行けばよいのです。
- 133〇ワキの地所といひますと……。 △「鉢木」の中入前の所、又は「蟻通」のクセアゲ後、「鷺」「羅生門」其他「張良」等、ワキの心持ちが多くなります故、其の場合はツレの地所よりは、重く張つて軽めに謡ひます。総じて、ワキの役所には強く張つて謡ふものが多く有ますから、此の黒主などでも「能く〳〵ものを案ずるに」以下の文句は最も強く運び気合ひで謡ひます。さうしますと、シテの「のう〳〵」の呼びとめる具合がシツクリ合ふ事になります。そこで、「のう〳〵」以下の節は最も軽く運び、情を含み、調子のはづれぬ限り、張つて謡ひます。
- 134〇ツレの多いもので、私共がいつも感ずる事は、同吟などが何うにも揃はない事です。何う工夫しても思ふ様に行きませんが、何うしたらいゝでせうか。 △それは矢張り工夫をして居る様でも、何処かうつかりして居る処があるんでせう。ですから謡ひましても揃はない事になるんでせう。曲に依つて違ひますが、「草紙洗」のツレの同吟の時は、就中声の調子を考へる事が肝心です。皆が気を揃へ「実に有難きみぎんかな」と云ふ調子はどの位のものかといふ心持で、成るべく下から張つて謡ひます。高からず、低からず、張りがあつて、素直の心持ちがあれば必ず揃ひます。ですから、其の場合文意をよく考へた調子が師匠から写されてある筈ですから、夫を記憶して謡へば、其の場面、文意に叶つた調子になるものですから、さう工夫したらいゝと思ひます。
- 135〇それから、我々がシテと同吟の場合、何んでもかでもシテの調子につかなければいけないものでせうか。 △成るべくはシテに付き合ひたいのですが、調子ハヅレにつく事はいけません。むしろ、ツレの人が夫を助けるつもりで、よい調子所へ張り込んで宜敷しいのです。夫も力の問題ですが、或時何処でしたか忘れましたが、「求塚」のシテをお謡ひになつた方がありまして、初め一声の具合は誠によろしく、中程まで仲々お上手だと思つて居りますと、次のツレが一句高く謡ひました。それから同吟ですから、シテの位でツレも謡ふべきを、シテの方がツレについてしまひ、とう〳〵最後まで其の調子で、終つてしまひました。斯うなるとおシテは折角いゝ調子だつたのに、ツレのために一曲総てが滅茶々々になつた訳でして、お素人の方にはよくある失敗ですから、充分此の辺の事は気をつけていたゞきたいと思ひます。
- 136〇草紙洗の切のノリ地などは、私共が謡ひますと、段々高くなつて、声を出すのに非常に骨が折れますが、あれは何ういふ訳なんでせう。 △つまり、よくいふ話ですが、腹に力が入らないんですね。いひかへれば腹の力が足りないのです。そこで押して謡ふ事が出来ませんから、力が抜けてしまひます。総じてノリ地は腹の力が最もいるもので、腹の力で張つて、調子をオサメて謡へば、さうした失敗はない筈です。
- 136–137……それから、老若男女の何れでも同じに謡つて居りますが、それで差支えないものでせうか。 △それも度々聞かされる問題ですが、同じではいけません。といつて謡曲では老若男女の声を、色で出す事は出来ません。併し、気持ちで表現する事は出来るのです。例へば老人ならば、調子を低く張り、此の張りで文句をハツキり聞える様に謡へばよいのです。又若い男のものでしたら、調子を張つて軽くオサメます。老女ものは最も調子を低くし、其の調子と気持ちで、腹の力は充分にし力強く、声は弱々と出します。たゞコツといひませうか、説明は廻りくどいですが、のみこんでしまへばそれ程骨の折れる事ではありません。そして、強いものでしたら充分に声を張り、其の張りを力強く押へるのです。女の位のものは、充分に声を張り、其の張りを押へ、シメて高めに徐々に張ります。斯ういつた訳で、それ〴〵扱ひ方が違ひますので、老若男女の表現はたゞ謡つて居らないで、大いに工夫していたゞきたいものです。
- 139–140[■は節付記号]共の様な初心者には、解つた様で分らない所がとても沢山あるので、さうした分らない人の代表でお伺ひ致します。……クリなり、■なり、■なり又■■■■■■等の大小を、ハツキリ謡ふ事は、どういふ様に謡へばよろしいのでせう。 △やあ、大分並やあ、大分並べましたね。……左様、皆力を入れて張りで謡へば宜しいのですが、其の前にさうした節が来る事を腹の中で考へて置き、夫を謡ふ下ごしらへをしておく事が必要です。謡つて居るうちに節が来ませう。そら来た旨く謡おうつたつて、さうは行きません。ですから■があれば、其前に調子を抑へて母音に力を入れ、ウミ字を抑へ力を入れぬ様に謡ひ、又■■の様なものは、上音の節故、一層声に力の綾を要します。 〇綾といひますと……。 △味の事ですね。■■■■■等は、其節をたゞ幼稚に謡へばそれですみます。併し夫等の節をより以上にうまく謡ふには、強みをもつて、其の文意、曲に相当した情調を出す必要があります。悲しいものには哀愁をおびます。といつた具合で、怒りをふくみ、涙ぐみ、喜び、自由に夫らしく謡ひます。つまり、張り抑へ強く弱く、或はやわらかく、ヌク等の声を忘れぬ様に扱へば、さのみ難儀の事ではありません。
- 142それから、声をはるといふ事は、上調子の時ばかりでせうか。 △いや声をハルと申しますと、お素人はたゞ声を高くする事の様に思はれる人がありますが、高く出す事ではありません。最も腹に力を必要としまして、高調子のものもむしろ力強く抑へ、声に巾をつけて謡ひます。又下の調子のものは、調子はくづさず、声は張らなければいけません。例へば、下歌下音のものは、下の声を高めにハリますし、上歌上音のものは、むしろ抑へ、ひくめにハリます。
- 146〇声をしめるには何うしますか。 △しめるといふ事は、声に力を入れ張り、其の声を抑へ高くならぬ様、優美に謡ふ事です。
- 148狂女物にも色々ありますが、「隅田川、柏崎、三井寺」の様な曲見物は幾分強味を持つて謡ひ、軽いうちにも重みがなくてはいけません。それから若くて優しいもの、「班女、加茂物狂、花筐、玉葛、三山」等は艶麗といふか、艶がなければなりません。曲見物は自ら調子がをさまつてはるやうな心持、若いものは艶があつてをさまるやうな心持に謡ひます
- 256[「鬘物の謠ひ方要領」梅若万三郎][「松風」について]「三瀬川」以下は、十分静めて謡ふが、次いで「あらうれしやあれに」以下は気をかへ、かなり張つて謡ふ、このところシテには一種の狂乱の心持がある。シテとツレとの掛け合ひは、だから、かなり外へ張つて謡ふので、それがだん〱押されて行つて、「立ちわかれ」で一段落となる。「いざ立寄りて、磯馴松の懐かしや」のところは恋慕の情切なる趣を描き出すのであつて、型にも突込んだところがあり、謡ひ方にも心持がなくてはならぬ。
- 288[「現在物の謡ひ方」 野口兼資][「鉢木」について]なふ〳〵旅人お宿参らせうなふ」は、遥か彼方を歩み去るワキ僧を呼ぶのであるから調子を張つて大きくシツカリと出る。能ではシテが舞台の正先から、橋懸のワキを呼ぶ処である。調子を張つて、その調子が割れるやうな事では駄目だ。タツプリ籠めて、なふなふと呼び、お宿参らせうと、稍つめて、つけて、なふと確かり抑へる。
- 316–317[「脇の謠ひ方研究」宝生新]脇能は、一日の演能の最初の能である。(「翁」の事は暫くこゝには問題外とする)。しかもそこには神々しい神の出現があり、一挙一動片言隻句にも清浄なすが〱しい空気が行きわたらねばならぬ。従つてそのワキの謡ひやうも、陽の中でも殊に陽であり、いはば朝日の出づるが如きおもむきがなければならぬのである。例へば次第といふものは本来は抑へめに謡ふべきものなのであるが、「高砂、」「弓八幡」などいふ脇能の次第は、むしろ張つて、カラリとつつかけて謡はねばならぬのである。脇能のワキの次第が、だれていたならば、その脇能は、まるで体をなさなくなるであらうし、又その日一日の演能も必ずや調子よく運ぶまい。
- 320[「脇の謠ひ方研究」宝生新][「修羅物のワキ」]所謂着流僧、即ち熨斗目・水衣のまゝの装束で、大口を穿かない僧形のワキは、概して寂びた謡ひ方をするのであるが、「田村」。「箙」などのワキは着流僧であるに拘はらず、カラリと幾分張つて謡ふのである。勝修羅だからでもあり、曲の位がひねくれたものでないからでもある。
- 324–325[「脇の謠ひ方研究」宝生新][「カタリの研究」]むろんカタリの中の詞は、謡の中の普通の詞同様であつてはいけず、心持を多少とも加味しなければならぬが、さりとてあまりに工夫すればいや味になる。その辺非常に呼吸のあるところである。節はもとより難かしいが、詞は殊に難かしい。力の抜きさし、─といふと語弊があるが、つまり力を張つて外に出すか、殺して力を内に入れるか、その扱ひ方で心持が出もすれば、出なくなりもするのである。むろんいかなる場合であつてもラクに謡ふてはならぬ、あくまで力が入つていなければならぬ事はいふ迄もない。
- 92–93[「謡ひ方注意」(「藤戸」)]一セイの中の「越えて」の入マワシは特に注意を要します。内へとつて謡ひます。「昔」のカのクリも同じく内へとつて謡ひます。シテカヽルの中の「何か恨みん」のミを小さく扱ひ「もとよりも」のトのマワシ中ニは扱ヒオトシに謡ひます。次のカヽルの「人は知らじとなう」のナウは稍強吟風に「少しは恨も晴るべきに」のハルを少しメラシて謡ひ「せめては弔はせ給へや跡」のヤとトの所ヤートとならぬ様に文字の発音その他に注意を要します。
- 99[「謡ひ方注意」(「藤戸」)]となつて」「彼の岸に到りいたりて」の初句は型があり足拍子がありますからノリよく謡はねばなりません。返句はノラズにタツプリと「到り〳〵て」とメラシてシメます。「得脱の」のハリは扱ひバリに謡ひます。
- 110[「井筒の謡ひ方」]われ筒井筒の昔より」以下はウツキリと調子を稍ん張つて謡ひます。「形見の直衣身に触れて」は著てゐる長絹の袖を見入る型がありますから、その心持で型に調和するやうに謡はねばなりません。「恥かしや」以下はカラリと気を更へてスラリと運び次の序之舞にかゝる準備が必要であります。
- 129–130[勅題小謡「「海上雲遠」について]「たなびく横雲の金色に匂ふよそほひは」は普通なれば本地二聯に作曲する所であるが、それでは余りに平凡であるし、また此の句が此の小謡の眼睛ともいふべき部分であるから、少しく技巧をこらして、トリ・本地・片地の三聯に割り附け、観世流独特の甲グリを用ひて作曲して見た。拍子当りは少し難しい。次の通りである。 謡ひ方は「横雲の」の「ぐ」で甲グリの音位に張り上げ、「の」の下ゲ章でクリの音位に下げ、更に「金色に」の「こ」の入り消シ廻シの音尾で上音に下げるのである。
- 20–21[「演能三千番」梅若万三郎]何でも咽喉の奥に、瘤の様なものが大小二個出来まして、大きい方はすぐ手術出来るさうですが、小さい方をとる機械がないとのことでした。それで、その機械が出来るまでに、丁度北村さん大倉さんにたのまれて居ります京都のお能に出て、帰つて来てから手術をすることになつたのです。 お弟子さん方も、この手術にはいろ〳〵御心配下さいまして、若しも後で、声が出ないやうになつては大変だと云つて下さいましたが、そんなわけで京都へ出かけて行きました。 織雄からお灸のよいものがあると聞いたものですから、静岡まで行きました。そしてそのお灸へ行きましたが、癰や疔ならば癒るが、これでは癒らないといふことでした。それで京都の能で、安宅を勤めたのですが、最初の謡ひの「弁慶は先達の姿となりて」と謡つてみましたら何だか自由に声が出ました。これはをかしい、すつかり具合がよいと思つて、自分でもびつくり致しました。そんな身体でしたから、勧進帳は亀之(現景英氏)に代つてもらひ、それから後をまた私が勤めまして、舞の後の「嗚るは滝の水」を思ひ切つてはつて謡つてみますと、これが普通の通りに声が出て、満場は非常に驚かれたやうでした。私もすつかりびつくり致しました。その翌日、例のお医者へ参つて見てもらひましたが、もう何もなくなつてゐるといふお話で、癒つてしまつたものか、それとも謡つてゐる間にその瘤が飛んでしまつたものか、そこはよくわかりません。全く妙なことがあるものだと話しあつたことでした。未だに不思議に思つてゐます。
- 156[「難節」]先づ当麻の綺羅衣節を披いて見ますと、「羅衣」にハリの消廻シが付いて「の」で下になつて居ます。これが普通の廻しでしたら別段な事はありませんが、消廻シで次の「の」が下になつて居るばかりに、廻シの生み字がツキ節のやうになつて、「きらーツあイの」と謡ふ所が変つて居ります。
- 157次に遍昭節を披いて見ますと、「我大内に」の「に」で下の下りになつたまゝ、「遍」で急にハリ節が付いて居ます。普通は下の中からハリに上るのが例ですから、一度下りから直つて、其上で、ハリに上るのなら珍しくもありませんが、こゝはそれを一足飛びに上らなければならない丈に、大層異つた節扱ひに聞えます。野宮のノリ地にある「りん〳〵と」の「と」の下り、「また車にうち乗りて」の「う」の下りの如きは、丁度此の反対の扱ひになる訳です。
- 158序に御注意申しますが、それに次いで廻しのあとにある下を、往々深く落す方がありますが、総じてサシの謡ひ方の所で、上から出たウキの次にある下は、中に下げるのが常例です。そしてハリ節は、其の中の調子からうんと張り上げるのです。処が高野物狂の「人をも尋ね一つは又」や、隅田川の「かたの如くも都の者を」の謡出しは上になつてをりますが常よりぐつとをさへ心して謡はねばなりません。それが往々今申したハリの如く中から心なく高く謡出す方があります。が是等は特異な節扱ひとして特に御注意なされて宜しいでせう。
- 166–167力の抜き差しといふことを能く言ひますけれども、謡は、カルクうたふ場合でも、サラリと謡ふ場合でも力をヌクといふことは絶対にありません。力は常に丹田に充実させておく事につとめ声の吟とか、張りとかを加減調節して、或は強く、或は弱く、優しくも柔らかくも、美しくもするのであります。力を抜いては声の価値はなくなります。仮りにある物体を持つ場合、唯手先にのみ力を入れたのでは完全に持ち上げることは出来ません。先づ下腹に力を入れそれで物を持ち上げると易々と軽くもつことが出来ます。声の出し方もこれと同じで、下腹に力を入れ、その上で声の吟とか、張りとかを加減して発すると、声扱ひが自由で、しかも声に力がふくまれてゐることになるのであります。
- 170[「調子の修行」]声が高く上ずることを「ヒドル」といひ、低くずらかることを「メル」といひ、力がぬけてしまふこをを「コケル」など言つてゐますが、何れもよくない行き方です。性来に低い調子の方は高くうたふといふ事が不可能ですから、かういふ人は声に力をつけ、張りのある声、即ち吟でうたつて低い調子を調節する必要があります。謡ひ切れないでキイ〳〵声を出すのは醜体ですが、ある程度までは高調子で差支へありません。高い調子をそのまゝ出すと、うはずつて俗謡かなんかのやうになり、謡曲の性質を根本から打ち毀はすことになりますが、高い調子に抑へをつけ力をこめ、吟でうたふことになると、メリ調子よりも更に引立つてよい結果が生れます。高い調子をそのまゝ不用意に発声する場合は、所謂非芸術的の野良声となりますから、それを引しめ、抑へと張りをふくめて出すことを研究するのです。この工夫と苦心が一通りの業でなく、この修行を積めば所謂自然であつて然も洗練された芸術的の謡ひ声となるのであります。
- 171[「調子の修行」]謡ふといふだけでは中音にハリをつける位で謡つてゐると、非常に調子が楽で、節廻しなども思ふまゝにうたへるのでありますが、それではホントの謡ではありません。ホンノ独居のなぐさみにすぎないのであります。兎角一般には高い調子を抑へたり、しめたりして謡ふことが苦しいので、楽な低調子をイキミてうたはれ勝ちであります。低い調子でうたふ事は、高い調子でうたふことよりも遥かに楽で、一般にはこの楽の方でなれる気味があります。その結果は、真の調子と真の節扱ひとが謡へませんから、無理に張つたり、イキンだりする事になるのです。即も俗に言ふ浪花節声といふやうな咽喉でしめた声が出るのであります。これは単に咽喉へのみ力を入れる結果なので、声そのものには却つて力ははいらないのであります。
- 200–201私は調子に就いては常にかういふ事を頭に描いて居ます。それは一本の針金を引きましてね、いつでもこれに上調下調をからませる様にするんです。つまり上調になつた時これを抑へてこの中心の針金に近づけ様とする。又下調の時はなるべく張つて矢張りこの中心線に近づける様にします。さうすれば常に此の針金が中心となつて、上下をからんで行く事になりますから、調子が上づつたり滅入つたりするといふ事も無くなります。無軌道を走る調子が一番いけません。皆さんがお聴きになつても分るでせうが、我々の下歌はお素人の方のに比べると割合高く、反対に上歌の方が却つて低めに感ずる様に謡ふのです。熊野に例を取つて見ましても「げに長閑なる東山」から上調の「四条五条の橋の上」となつた場合に、お素人のは馬鹿に高くなりますが、我々のはそんなに上らず随分低く聴えるでせう。つまりこれがさつきの針金を中心線としてお互に近付けようとしてゐるからなんです。かうすればつり上り過ぎたり、又下り過ぎるなんて事はなくなります。又さうやつた場合も直ぐ元の調子に直す事が出来ます。これは謡ひ方になりますが、田村の道行で「霞むそなたや普羽山」と下に下つて次の「滝の響きも」は「た」にハリ節がありますが、此のハリを抑へて出さなくてはいけないのですが、よく間違へて高くなる事があります。
- 201–202よく耳にする事ですが、ヨワ吟は謡へるがツヨ吟は謡へないつていふ事です。然しこれは逆です。何もヨワ吟だといつて端唄や清元ではないのです。只扱が違にすぎない。声は決して弱くありません、だから矢張りツヨ吟から入つで精一杯謡ふ稽古をしてヨワ吟に入るのが本当です。ヨワ吟からだつたり、こればかりをやつてゐると、無暗に節ばかりに気を取られるから、自然声を一杯に出さない、つまりハリとか吟とかゞ覚えられない事になります。
- 213[「素謡問答謡」]問 謡を初めて習ひ初めると、強吟よりは弱吟の方を習ひたがるものですが、本当の順序としては強吟と弱吟とどちらから入つた方がいゝものでせうか。答 強吟から入つた方がいゝと思ひます。弱吟は節が細くて、いかにも謡らしく、面白味がありますので、弱吟をやりたがるものですが、この弱吟はほんとの弱吟とはいへません。順序からいへば弱、強、弱でせう。この最初の弱は無論ほんとの弱吟ではありません。強吟をぬけて来た弱吟が始めて本当の弱吟といふ事が出来ませう。強吟をうんと稽古して、これが充分に謡へれば、弱吟は謡へます。強吟ならば力一杯声をハルことが出来、それが発声の稽古ともなります。
- 142古書に「謡は念珠のごとししといふのがそれで、ここのところを迷つてはいかぬと『悪魔払』に述べてありますのは、即ち謡は何よりも発音が大切なわけで、張過ぎる文句は、さう強くするなとか、ぼやけてしまふ文句は、さうぼやけるなとか、一字一句すべてハツキリ謡ふことが謡の本義で、モグモグと口のなかでことばを噛みつぶしたり、あいまい、もうろうに、さも趣の深いもののやうに聞かせることを流儀ではやかましく言つて避けさせます。
- 34楊貴妃は作物の中から、引廻しを下ろさず謡ひ出します。かういふものは、常の謡出しとは違ひます。自分の家の中にゐて、自分のおもはくを云つてゐる様なものですから、その心がなければなりません。楊貴妃、枕慈童、景清等皆同様です。尤も曲々によつて位取りは違つてをります。 引廻しの中から謡ひますので、調子をハツてゐる様に思ふ方がありますが、ハツてはをりません。むしろシツトリと謡ひます。 シテの謡出しは総じて難しい、殊にノリのあるものはいゝのですが、ノリのないサシ謡で謡出すものは、難しい節がついてゐる訳ではありませんのに難しいのであります。謡ふ人の力量次第で、結局口伝といふことになりませう。位と心持と調子でせう。
- 47–48[「急がば廻れ」]謡だけは矢張り、ぢみちにゆつくりと固めて行く方が宜いやうで御座います。宜い加減の速成は、五十番稽古したと云つても、その中の一番すら満足とは謡ひ得ないものであります。 一番々々固めて行く時には、先づその曲の位取りの事、つまりどの位の早さで謡ひ、どの位の静かさで謡へばよいかと云ふ事を会得してしまふことです。さうして次には調子をどの位の程度に出し、何の部分を、どう謡へばよいと云ふ事、節扱ひ、仮名扱ひ、緩急などをすつかり危げなく、安心して謡へるやうに固めるのであります。[中略]節で云ひますならば強吟のフリ節の前の節は音尾をハネておくとか、振り節、張り節が続いて来れば、その前のゴマ節をハネ、振りの尻もハネて謡ふとか、又はイロ、ステなどの処は何時でも口切りして何う張つて、どう抑へて謡ふとか、さういふ事を一番毎にスツカリ覚えこんでしまふ事が肝要で御座います。
- 83–84問 ワケとダシの謡ひ方、たとへば張るとか、抑へるとか、あげるとかの点について。 答 ワケとダシとは緊密な連絡があつて、ワケたならば、ダシあと二字目であげてうたふし、ワケなければあげが二字目と限らず、段々に文句によつてあげる字があとになつて来るのである。あげるといつてもそれ〴〵心持ちがなければいけません。
- 85–86問 ダシのあと三字目、四字目、五字目など不規則的にあげられる処のうたひ方は真にむつかしく感じます。詞のトメなどの総心得といたしたいのですが、簡単に私どもにわかるやうに教へて頂けませんでせうか。 答 すべて詞はダシのあとであげて謡ふのですが、何字目であげるかは、文句によつてきまつてくる。文章といふのか、文句といふのか、ダシあとの文句が、二語ならば普通はダシあと二字目であげるが、二語三語からなる場合は、一語の終りにハリがつく。その語の字数が多いと、ハリ、つまりあげる字があとの方になつてくるわけです。詞は扱ひがきまつてゐて、それでゐて、一字一字、一句一句の工合がちがふからむつかしい。詞の終りの字は、あとへつゞく場合、うたひ切る場合、これもそれ〴〵心持がちがふにつれて、とめ工合にも心持があるわけです。 節のところでも、詞のところでも、あげるとか、張るとか、押へるとかの扱ひ方はすべて自然に行はれなければならず、無理があると謡はこわれます。
- 87謡本には、呼掛けには概してオサメとありますが、これは調子の低いオサメではなく、さうかといつてかゝり過ぎるのではありませんが、相当に程遠い所から、向ふへ行く人、又は佇んで居る人に呼び掛けるのですから、調子はオサメた内に充分のハリを以て謡ふのであります。要するに腹の力で謡ふのです。