近代能楽用語索引Index of Nō-related Terms in Modern Texts

近代芸談における技芸用語

主にシテ方の技芸にかかわる用語の索引。姿勢、視線などの重要と思われるトピックのほか、『能楽大事典』(筑摩書房)に立項される技術用語を対象としました。同表記・別意味の語を別に立項した場合(例:「運び」を歩き方と謡い方で別立項)も、逆に同意味・別表記の語をまとめて立項した場合(例:眼、目、目玉)もあります。

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ひき【ヒキ】

宝生九郎『謡曲口伝』(1915)
  • 1–2初心の人と、一通り出来る人と、又素人と専門家とは、各目的とする処は違つてるから、苦心をするにしても苦心をする場所も違へば、其程度も異るのである。どう云ふ風に違ふかと云ふに、お素人は先づ声に苦心し、曲節に憂き身をやつす。それから位はどうの調子はどうのと云ふ事になる。強ちこれは悪いとは云はないが、只早く上手になりたがる。其結果どうしても速成的の教授を望む様になつて、つまり此節は斯う曲げて、此節は斯う引くと云ふ風に苦心し又此処はサラリとか、此処はシツカリとか、云つた様に只其上辺ばかりをソーツと撫で廻して居る様なものだ。
斉藤香村編『謡曲大講座 寶生九郎口傳集 第一』(1934)
  • 10オ素人の苦心 初心の人と、一通り出来る人と、又素人と専門家は、各研究の程度が違ふから、苦心をするにしてもその場所も程度も共に異るのである。どう云ふ風に違ふかといふに、お素人は先づ声に重きを置き、曲節に苦心する。それから、位はどうの調子はどうのといふことになる。強ちこれは悪いとはいはないが、只早く上手になりたがるから、速成的の教授を望み、この節は斯う曲げて、この節は斯う引くといふ風に苦心する。又こゝはサラリとか、此処はシツカリとか云つたやうに、只その大体基本のみを実習するに留まる。
観世左近編『謡曲大講座 観世清廉口傳集 観世元義口傳集』(1934)
  • 3オ九州人と奥州人との談話に、互ひの言葉が通ぜず、謡の言葉で以て始めて其意を通ずる事が出来たと言ふことは、昔から名高い話であります。其れと是とは事変りますが、私が諸国の方へ謡の御稽古をして見まして、地方の訛りが謡と面白い関係を持つているのを知りました。左に其の例を示して御参考に供へませう。[中略]京阪人 是は文字には甚だ書き現し難ふございますが、サシスセソの音の下へいづれも余音を引いて、これが舌の尖端へかゝる気味となります。例へば松風をマツカーズエと云ふ塩梅にゼと云ふ音が舌の先へかゝつてズエと云ふ様に聞へます。
  • 4オ[「曲節の名称と扱ひ方」]○引き節 これには二種類あつて、第一は胡麻を二つ並べしものにて、一音を二音分に引き延すことを示す。昔は可章と唱へ、上を長く下を短く書きましたが、今は胡麻を二つ並べて単に引クと唱へる。第二は胡麻の下に三つの点を打たるものにて、必す音を引き延せども、第三の胡麻の下に引字の略を附せしものは、カケリに掛る前など場所によりては引かずに謡ふことあり、これ等は其場々々により口伝を要する。
杉山萌圓(夢野久作)『梅津只圓翁伝』(1935)
  • 30翁が能静氏の門下で修業中、名曲「融」の中入後、老人の汐汲の一段で「東からげの潮衣――オ」と云ふ引節の中で汐を汲み上げる呼吸がどうしても出来なかつた。そこで能静氏から小言を云はれつ放しのまゝ残念に思つて帰郷の途中、須磨の海岸で一休みしながら同地の名物の汐汲みを眺めて居たが、打ち寄せる波が長く尾を引いて、又引き返して逆巻かうとする其の一刹那をガブリと担ひ桶に汲み込んで、そのまゝ波に追はれながら後退りして来る海士の呼吸を見てやつと能静氏の教ふる「汐汲み」の呼吸がわかつた。同時に「潮衣――オ――」といふ引節に含まれた波打際の妙趣がわかつたので、感激しながら帰途に就いたと云ふ。
  • 62「あんたは『俊成忠度』ぢやつたのう。よし〳〵。おぼえて居んなさるかの……』と云つた調子で筆者の先に立つて舞台に出る。「イヨー。ホオー〳〵。イヨオー」と一声の囃子をあしらひ初めるのであるが、それがだん〳〵調子に乗つて熱を持つて来ると、翁の本来の地金をあらはしてトテモ猛烈な稽古になつて来る。私もツイ子供ながら翁の熱心さに釣込まれて一生懸命になつて来る。「そら〳〵。左手〳〵。左手がブラ〳〵ぢや。ちやんと前へ出いて。肱を張つて。さう〳〵。イヨォー。ホオー〳〵。ホオ。ホオウ」「前途程遠し。思ひを雁山の夕の雲に馳す」「さう〳〵。まつと長う引いて……イヨー。ホオ〳〵」「いかに俊成の卿……」「ソラ〳〵。ワキは其様な処には居らん。何度云ふてもわからん。コツチ〳〵」と云つた塩梅で双方とも知らず〳〵喧嘩腰になつて来るから妙であつた。
松本長『松韻秘話』(1936)
  • 6–7極分り易い話が、謡本にはウとかヤ、又はヤヲなどゝある通り、打切には、打切の間を聞いて次句を謡ふと云へ、素謡では打切の謡ひ方はありますが、打切の間は必要としないと同様に、ヤヲハ、ヤヲなどゝあつても、寸法一杯に引き切らなくてはいけないと云ふ事はありません。仮にこれを真行草にあてはめて云ひますならば、能の謡は厳格に正しく、形に依つて謡ふものですから真とでも云ひませうか、囃子の謡は定則を守り、拍子を目的として謡ふものですから行とでも云ひませうか、さうすれば素謡は心持を主とするものですから草とも云ひ得ませう。それには拍子の嵌りよりも、謡の立派な事が肝腎ではあり、ますが、拍子の必要な事は勿論で、間拍子は絶えず腹の中で取つて居るのですが、能上於けるやうに、大小の緩急などかゝつて起るやうな、細かい所まで渡る事は寧ろ無益な所為でありまして、それでは却つて趣味を損つてしまふやうなものであります。
  • 11–12またアタリもウキと同様で普通に当つては幼稚になり、柔かく当つてはつまり形はよく聞えるが力がなく、本来柔かく確りと聞えるやうに当るのがアタリの型で御座いませう。それからウキアタリ、まア一字オチや二字オチも矢張りウキアタリですが、これも前の字に力を入れて、その余韻で次の字に移る間の字に力を入れてウキを出すやうにしなければいけません。それが往々一字オチとか二字オチは、その字のみに気をかけて仕舞ふから、甚だ拙いものとなつて仕舞ひます。 それと同じに引く場合があります。下音でも上音でもヤヲハとか引越しと云ふやうに引く場合がありますが、それが若し塞ぐ字であれば口を塞いで力を込め、あく字であれば口を開いて声を込めるのであります。これは大事な事でこれが声の美を保つばかりでなく同吟の場合や地を謡ふ場合はそれを欠いては仕方のないものになつて仕舞ひます。そのあとにウキのある場合は、つまりよく引いて浮くと云ふ訳で、浮いて口をあけ放しにして謡ふやうではいけません。これは要するに口の開合の力次第で出来る事であります。
  • 34いくらハリと力とがと云つても矢張り声も大事です。声を痛めて居る時は余分の力も要します。自分の声の八分で充分に張り得れば、これが本当のハリでせう。十分の力勢一杯の声を尽すのでは、これは只釣り上げられて節を謡つたに過ぎません。張つた後に猶それ以上に張り得る声、即ちハリ節のあとは必ず引きとか廻しとかゞあるのですから、それが柔かにも艶かにも又剛くにも謡へ得る余裕がなくてはなりません。大勢で謡ふ時は唯怒鳴ると云ふだけのもので、あれでは本当のハリではありません。ハリと云ふものは落着があつて徹底した所がなくてはならないものでせう。
  • 36重いものは殊に息継や引きなどの語尾を注意せねばなりません。「景清」や「隅田川」程のものになると殆とその句読に妙味があると云つても宜いでせう。節を謡ふにも活殺自在の力がなくてはなりません。一杯に張れば常のものになる、控へれば力の足らぬものになる、その半ばに張ると云つてもお解りになりませんでせうが、例へば「景清」ならば「命の辛さ」のハリの如きこのハリ一つで沈む景色にも華やかな景色にも変ると云つた訳合のものです。
  • 76同じクリ節、入りグリ、入り廻し、入りバネ、ハリ廻シ、引キなどの扱ひにしても、曲により処により、ハツてうたふものもあり、抑へて謡ふものもあり、調子のしまつたものもあり、ハデやかな扱ひをするものもあり、位と調子、位と節、調子と節、、その他心持や緩急などによつて節扱ひに変化があり、かういふ変化を持つ処に節扱ひの難かしい点があるのであります。
  • 111–112「根白ぶし」は「藤栄」の下り羽あとの「根白の柳」のクリ節をいふのであります。あとの「いつかは君と」も同様なうたひ方をするクリ節です。「根」はフリ節にクリを加へたもので、普通ならば「ねーエ」と繰つて少し引きを出せばよいのですが、次の「じ」のゴマがウキ当りですから、単にクツたゞけでは「じ」のウキが謡はれません。「じ」がウキ当リとするには、「根」のクリ節が入りグリでなければならないのですが、入りがありませんから猶むづかしく感ずるのかも知れません。そこで「根」をクツておいて生字の引きを入るやうな心で押しつけるやうにうたふのです。「いつかは」の「い」のクリも同様ですが要するにかういふ処は師匠の口づから教はらないではホントの節はうたはれますまい。
野上豊一郎編『謡曲芸術』(1936)
  • 228[「修羅物謡ひ方の研究」金剛右京]キリは殆んど皆、修羅ノリと称する手強い、当りの快適なノリで謡ふ。修羅ノリは中ノリの一種で、中ノリは修羅物に限つたわけではないが、修羅物には例外なしに、このノリがあるので中ノリの強吟のものを修羅ノリと称している。原則としては、中ノリのところの句は上八字下八字の十六字から成つている。例へば「田村」の「光を放つて虚空に飛行し」の如きが典型的な例であるが、これを謡つて見てもわかるやうに、拍子に文字が一々当つて行き、その文字がまた、たるみなく詰つて並んでゆく為、いかにもノリよく、、いそがしいやうな感じを与へるのである。むろん字数は十六字に限つたわけでなく、いろ〳〵であるが、字数が少なければ少ないで、それ〲「持チ」や「引キ」によつて、中ノリの拍子に当てはめてゆく。この中ノリの個所が強吟の時即ち修羅ノリの場合は、一層ノリよく聞こえ、運びがいい上に、カチリ〳〵と拍子に当るので、いかにも手強いそして又サラリとした颯爽たる感じを与へ、なるほど修羅能のキリに適はしいといふことがのみこめるのである。
梅若万三郎『亀堂閑話』(1938)
  • 78亡父から聞いてをりますのに、節にとらはれてはいかね。文句を生かせるために、トメの仮名のうみ字を引いて後へつゞかせる、小ブシにアの字のあるのはアタリに謡へ、と教へられてをります。小ブシは、一句の中に、一つか、二つ位で、ヲの字のついた小ぶしと申しますのは、抑へてあつかふ事ですが、小ブシの方はイロに少し似てをりますから大きくなります。
  • 79三つ引は仮名を三字分に引きます、二つ引は持ちになりますから二字位でございます一セイの謡のトメに■[節付記号]がございますが、この節はフリビキマワシと申しまして、トメのマワシをば切つて別に廻すのがよろしいので、又クセの前にあるのもイロをつけて同じでございます。他の場所ではつゞけて謡つてもよろしいのでございます。クルと入りは、一セイでは入りを二段に上げますが、合ひ方の所の入りは小さく入れる事になつてをります。
喜多実『演能手記』(1939)
  • 299六月六日、学生鑑賞能、「安宅」。出る前に大変疲労を感じて居た。出たらすつ飛んでしまふだらうと思つて居たが、少し力を入れると直ぐ疲れが加はつた。此の頃は、かういふ圧力を持つ役を軽々と扱ふコツを覚えた筈なので、大いに期待して居たが、当が外れた。かう身体が弱つて居ては駄目だぞと思つた。軽く演ると、弱くなつてしまふ。止むを得ず頑張ると、不自然な誇張ばかりになつてしまふ。特に謡の調子はまつたく詰つてしまつた。勧進帳だけは、軽く出したら不思議に甲が利いて来て、どうにか流暢らしい調子になつた。でも息が続かないので、引きを皆短く切つて、息継を延ばして、どうやら最後迄たどりついた。
  • 326[「杜若合掌留」所演について]合掌留の謡の位の変へ方は仲々むづかしいものだと思ふ。「花も悟の」の句末から締めると「心開けて」の句が生きて来ないで、手品の種が前に判るやうになつていけないと思ふが、「こころ」から締めるのは締めにくいらしい。地謡が締めることを忘れて居て、こと出して急に思ひ出してこの引き辺りから締める、さういふ呼吸だつたらきつとうまく行くと思ふ。稽古能でやつた時は実に工合よく行つて、こつちも思はず気持が粛然となつてしまつた。
三宅襄・丸岡大二編『能楽謡曲芸談集』(1940)
  • 172–173[「教外別伝」野口兼資]拍子盤をたたいて、教へて下さいましたが、その時分こちらは、何もわからないで夢中で謡ふのですから、引が長いとか、短かいとか小言をいはれても、どこまで引いてよいのかわるいのか、そんなことは一向わからずに謡つてゐました。そして何が何だかわからないで、叱られたものです。唯もう夢中で謡つてゐるうちに、拍子に合つて来るといつた訳でした。今日で考へますと、まづ地拍子を研究して、三ツ地のところがかうで、ツヾケのところはああだといふ工合になるのですが、あの頃はそんな理窟は一切ヌキの、お稽古でした。また、腑に落ちないから質問するなどの心は微塵もなかつた。そんなことは恐れ多い気がして、何ごともただ先生のなさる通りに、真似てゐたものです。
近藤乾三『さるをがせ』(1940)
  • 153「なふ」といふ呼掛けの詞でも、対手の距離の遠近によつて謡ひ様も心掛けねばなりません。隅田川の「なふ舟人」の如きでも初めは幾分遠く離れて居る心持で大きく謡ひ、次のは直ぐ傍に居る舟人にいふ心持で小さく謡ふといふやうに同じ詞でもその文意によつて発声に差がなければなりません。併しこれは心持のものですから引節や廻節のやうに、一定の節には書き現はせない訳です。
野口兼資『黒門町芸話』(1943)
  • 52かなり謡慣れた人の中に、未だに本ユリと半ユツとを取違へる人があります。本ユリの節付は引の下に廻節を二つ重ねて起し、昭和版には本ユリ、半ユリと書いてある。シテやツレの謡には半ユリはあるが、本ユリはクリ地の終のみにしか無いものです。
  • 64引きのある場合には引きの前、また引いたあとは大抵運ぶやうであります。心得て居て損はありません。またニベをつけられてあるモチ、モチといふと大概わざとらしくなりますが、これはあからさまに持つたのでは甚だ品の悪いものとなります。つまり一般には持ち過ぎるやうな傾きが御座いますが、持チと云つても殊更にこれを現はすものでは御座いません。又ノミ節も大概は小さいものですから膨れないやうにしなければなりません。
  • 64地渡しの前の文字は引かぬやうにする注意が肝腎です。引かれては地が出られるものではありません。
  • 70[「曲の位と心持」]謡ひ方について、段々に深みへ考へを及ぼして行きます、細かい節の扱ひ方とか、緩急とか、抑揚とか調子のメリハリなどに及びますが、これ等の事柄は一曲について申しても、仲々容易に尽せませんから後日にゆづりますが、遅速、動静とでも申しませうか、人間でも走つたあとは休むとか、ゆつくりと歩くとか、働いたあとは休養するといつたやうに、謡でも、ヒキ節の前やヒキ節を謡つたあどはかゝりめになるとか、しめたあせはゆるめるとかするやうに、動静の原理を失つてはいけません。また駆け過ぎてもいけないし、遊びすぎてもいけないやうに、物事には程合が必要で、それ等の原理とか程合とかは論にも必要なことで、大きい声で謡ふばかりがよいのでもなし、声を締めたり絞り過ぎるのもよい事ではなし、やたらに力むこともよろしくない。万事は程合、頃合をいふことが肝腎でありませう。
  • 90–91節の処にも詞の処にもツメてうたふものが沢山ありますが、このツメも詞の処は短かくツメ、節の処は引き気味にツメます。特別の処はあつても大体には右の約束にあてはまるのであります。