近代能楽用語索引Index of Nō-related Terms in Modern Texts

近代芸談における技芸用語

主にシテ方の技芸にかかわる用語の索引。姿勢、視線などの重要と思われるトピックのほか、『能楽大事典』(筑摩書房)に立項される技術用語を対象としました。同表記・別意味の語を別に立項した場合(例:「運び」を歩き方と謡い方で別立項)も、逆に同意味・別表記の語をまとめて立項した場合(例:眼、目、目玉)もあります。

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ひらき(しょさたんげん)【ヒラキ(所作単元)】

片山博通『幽花亭随筆』(1934)
  • 250さうして最後に、「江口の君の幽霊ぞと声ばかりして失せにけり、声ばかりして失せにけり」と、女は舞台から姿を消します。だが、芝居の様にスツポンの中へかくれたり、松之助の忍術の様にすつとなくなつたりするのぢやありません。橋掛り際のところ(シテ柱)で、くるりと小さく廻つてヒラキ(型の術語ですが、舞台面を見ていたゞいたらお分りになるでせう)をして、静かに元の橋掛りを歩いて這入るのです。この橋掛り際の簡単な型一つで、如何にも消え去つた様に思へるのが、洗練されきつた能と云ふ芸術の特色であり、又これが様式化された、レアリズムの極致ではないでせうか。
喜多実『演能手記』(1939)
  • 28–29そこで写実的にしろ形容的にしろ、ともかく意味を有つた型の方を「シグサ」と仮に言つて置きます。全然意味のない型、これを「舞ノ手」と言ふのが適当ぢやないかと思ひます。その「舞ノ手」と申します意味のない型にはどう云ふ種類のものがあるか、それは極く僅かしかありませぬ。「シカケ」と「ヒラキ」。「シカケ」は斯うやるのです(実演)。「ヒラキ」かうやるのです(実演)。これらは全く意味はありませぬ。それから「左右」と云ふのがあります。「シカケ」「ヒラキ」は扇をすぼめて居ることもあります、開いて居ることもあります。孰れも全く無意義な動作であつて、「左右」と云ふのは、両手をかう廻して先づ左へ出、次ぎに右へ出る(実演)。これもやはり、扇を窄めても構はぬ。「左右」つまり、ひだり、みぎ。槍術の構へから出て居るさうです。
  • 36–37相撲で申しますれば、勝つには勝つたが、例へば向ふの力で向ふを倒してしまつた、本当にやつたら負けるかも知れないと云ふやうな気持、空虚さを覚える。さう云ふ場合に、三番目物にぶつかつて行きますと、三番目には筋がない、それから難しい技も何もありませぬ。先に申しました「シカケ」、「ヒラキ」、「サシ」、「左右」と云ふやうな型の連続であります。全く白紙のやうなものであります。それに向つた時に自分の心持を全部それに傾け尽す。それが出来て初めて本物だと云ふ気持がします。相撲で言へば堂々押切つて勝つた、又は自分の力で向ふを投げ倒した、本当の勝であると云ふやうな安心さを自分逹は体験するのであります、ですから三番目物と四番目物と同じく特色があると申しましても、これは対立的のものではない。価値からして違つて来て居る。三番目物は四番目物より遥かに価値の高いものであると私は考へます。
  • 192[稽古能「芭蕉」所演について]今日幕離れ先づ宜し。調子は痛めては居たがこれも宜し。初同は未だしと思ふ。唐織着流し物の初同、特に前へ出てシカケ開キ、これだけの型が手に入るやうになるのは何年先きの事だらうと考へたのは十四五の時でもあつたか。爾来約二十年に垂んとして今日まだ完う出来ないのは何等の凡骨であらうと思ふ。但し幾分の見当はついたかに思はれるのがせめてである。今一息離れればと思ふ。拘りがなくなればと思ふ。もう行き着いて居て唯一寸した考へ方一つだとも思ふ。その癖「道さやかにも照る月の」の半ビラキや、中入前脇へのヒラキの方はスラリと行く。然し初同のシカケ、ヒラキ、これが出来ればまづ大家とも云へよう。
  • 204[稽古能、初役「源氏供養」舞入について]後の初同は真中へ出て角へ袖被ぎ高く見る。ここは型付の通りではない。打切から左へ廻つて一且深く廻り込み、ワキへシカケヒラキ、大小前へ行き、下に居て合掌、舞アトの打出、ロンギの謡出しは打切なし、小鼓ホヽと聞いて「実に面白や舞人の」となる。「朝顔の露稲妻の影」の座は仕舞付の通り。
  • 208–209五月二十五日稽古能「梅枝」実、「春日竜神」和島。 「梅枝」は初演、前後を通じて楽々とやれた。特にクセを、その中にも最初のシカケヒラキを十分にやれたことは今日が初めてであつた。今迄何のクセをやつても十分でなかつたが、この点だけは記録するに足りる。といつて、これで宜し、といふ訳ではない。楽であつたために却つて自分としては物足りなかつたし、また平凡極まる出来のやうな気がして仕様がない。あるレベルでまとまつた、そしてそれは今日の一流の人のレベルより以下のものであるとの感が深い。こんな処で落著いては大変だ。尚々奥へ行かなければいけない。止つてはいけない、絶えず歩みつづけなければ。
  • 219–221大晦日をもつて漸う千番の仕舞を舞ひ切つた。[中略]何遍舞つても飽きの来ないものは、ヤマのない単にサシ、ヒラキ、左右等定石通りの型ばかリのもの。「東北」、「誓願寺」等の類である。謡に対して型の多いものは嫌ひで舞ひにくい。「杜若」なんか何遍舞つても舞ひにくい。 来年からは無論こんな仕舞の練習位を記録なんかしない。その代り一日に五番でも宜いから毎日万遍なしに舞ひたいと思ふ。勿論千番以上舞ふつもりだ。
  • 235十二月二十日、稽古能、「芭蕉」再演。 今年の不面目を取り戻さうと腰を据ゑて稽古をした。ずつと立直つて来たし、心の構へも十分だつた。だが当日はやはりいけなかつた。初同迄どうやらだつたが「中入に立つてからまるでひどいものだつた。「誠を知ればいかならんと」のヒラキがー呼吸早かつた。持て余して居る所へ地が「思へば鎮の声」で馬鹿に締めて心持をつけてしまつたので、もういけなかつた。口惜しい。期待した前を失つて後はどうしても気が進まなかつた。こんな年に不相応、芸に不相応なものを、仮りにもやらうとした自分が恥かしくて仕方がなかつた。
  • 236昭和九年 一月二十四日、稽古能、「翁」(三番叟無し)、「一角仙人」、「江口」、「猩々乱」。 「一角仙人」は先月のやり直しで兄が勤める。他は三つ共私が引受ける。但し「翁」だけは装束を著けず。 「江口」は稽古能に於て二度目のもの、前の時よりは余程確つかり摑めたやうに思はれるが、前の著流しの運びは猶々未しである。 切りの難所、「即ち普賢菩薩と現はれ」のヒラキは到底その真趣を出し得ない。 調子は珍しく楽々であつた。
  • 240[稽古能「加茂物狂」所演について]「名残さへ涙の落魄るゝ事ぞ」と正先下を見詰めて後へしさる辺は最も会心であつたが、曲に至つてまつたく不安な型を続けた。曲中「現や夢になりぬらん」と右廻り笛座の前迄行き「猶懲りずまの心とて」と角へ行き、「又帰り来る」と地謡の方ヘクツロギ、「思の色や」と左へ廻り大小前にて左右打込、「柳桜」とヒラキ、以上随分変な型ではあるが、型附の通りを演つてみたが、あれで宜しいとのことであつた。 この型は「又帰り来る」と云ふ意味だけのものと思ふが、かういふ演り方は他に余り無いと思ふ。
  • 241[稽古能「融遊曲」初演について]「霧のまがきの島隠れ」の右へのヒラキは稍不十分で、気合の籠り方不足かとも思つた。「忘れたり」の打合せは気合、型とも今迄のこの型より一歩出た出来と思はれる。中入は少し走り過ぎたが、時のはずみ、止むを得なかつた。 後は、ハヤシ方が揃つて良い位を出して居たので、思ひ通り舞つた。但し流しで橋懸へ行き次第に乗つて幕際から立返る時キザミになる。ここで一時位が締つてしまつた。一寸折角の腰を折られて気組が挫けた。
  • 254[稽古能「定家」初演について]初同、中入前ともじつくりと精一杯にやつたつもりだが、果して「庭もまがきも」の面遣ひが透徹したであらうか、「石に残る形だに」のヒラキがスーツと離れたであらうか、訊ねる人もなく不安である。
  • 287–289三月二十二日、喜多会、「弱法師」粟谷、「湯谷」父、「鵺」実。 確か「鵺」は初役のやうに思ふ。後は問題ではない。前の技が、自分のやうに小手の利かぬ芸で演れるものか知らと、ここに一面征服欲が沸立つた。研究の末八分通り演れる自信がついたところが、前の「湯谷」を見て居るうちに段々恐ろしくなつて、自分の芸に対する僅かな自信が全く微塵にくだけてしまつた。 鏡にかかつて居る間、自信を失つた心持を元へ戻すのに苦心した。 一声の出はスラスラと運んだ。この調子なら練習中の実力だけは出せると安心した。声の調子も楽、初同正先のシカケヒラキは伸びが不足のやうに思ふ。左廻りは十分。[中略]「王城近く遍満して」のヒラキ貧弱と云はれてしまつた。成程左陣さんのヒラキが、とても大きく強く立派だつたと云はれて見れば、その意味で十分力強くヒラクべきところだつた。これは知らなかつた。大変参考になる注意であつた。 然し、全体としてこれは力作だつた。生長の途上の一作と自ら銘すべを記念作だつた。
  • 312[「氷室・白頭」所演について]初同も、もつと外柔内剛にやるつもりだつたが、相変らずの外剛内剛になつてしまつた。誰かの言ひ草ぢやないが、生硬無比らしい。クセの型は此の間喜之さんの「高砂」を見て、巧いと思つたが、仲々あゝいふやうに柔かく技を利かせられない。何もあゝいふのばかりが能でもないが。 結局前では中入前のヒラキだけが十分にやれただけだつた。
  • 316–317[稽古能「江口」所演について]呼掛からして今日は大丈夫だぞと思つた。声がかれて居ても、調子は思ひ通りになつて来た。第一橋懸の運びが、足と板としつとりとついて居た。欲を云へば「江口の流の」の謡のうちに、出てひらきたかつたが、失敗したら後の気分を滅茶々々にしさうなので、大事を取つてしまつた。中入も先づ十分に演れたやうだ。 中入後も大体一貫した気持で舞ひ通せた。ただ「普賢菩薩」のヒラキはもつと離れた気分であるべぎものと思ふが、これはこの次ぎの時に譲らうとするやうな気持があつて、用意を怠つた。
  • 324–325[「杜若合掌留」所演について]一体、腰巻もので、長絹を著けたら大概やりよくなる筈なのに、このクセは文句にくらべて型の多いのが大変舞ひにくくして居る。それも一番初めの、シカケ、ヒラキ、左右、サシ廻シヒラキ、ここ迄が最も消化しにくい。これば稽古で毎日やつたに拘らず当日迄出来なかつた。 正面へ出てシカケる。これがどうにも一筋に行かない。出るのは出るのでなく、引くのである。この呼吸を十分に体得すれば、シカケヒラキなどは軽々と出来る、といふこと迄は確かに判つて来たし、時々出来かかることもあるし、立派に出来たことも今迄に一度や二度はあつた。
  • 349–350[「三輪岩戸の舞」所演について]難関である曲が先づしつくりと舞へたことが成功で、その曲も最初の一段、打込ヒラキが滑らかに行つたことが成功の原因だつた。左右をした時力がすつと抜けて、次ぎの打込との接続点が大変調子がよかつた。さうすると打込のあとのヒラキも伸び伸びとやれて、又力がすつと自然に抜けて行つた。かういふ風に好調になつたについては多少クセの舞出しのやり方を注意したためでもある。いつも余り力を入れ過ぎて型の線を鮮明にしないと気が済まなかつたのを、この日は、線はクツキリしなくても宜い、柔かい気分でかかつて、型はそのあとから軽くついて行きさへすれば宜いと、まあかういつた行き方を考へてみたのがうまく調子を引出したらしい。
観世左近『能楽随想』(1939)
  • 106[「井筒」について]「松も老いたる塚の草これこそそれよ亡き跡の」と常座から出て井筒の薄を見ながらヒラキます。シテの面と態度とによつて、井筒の薄がなくても、あるが如くに見所へ感じさせれば大した力であります。
喜多六平太『六平太芸談』(1942)
  • 67–68[「張良」について]この能はシテの方は全くなんにもなくてね、脇方のおつき合ひみたやうなものさ。それでも、沓をはいて舞台へ出るのは二百番中たつた一番だからね。尤も昔から貴人の前では沓ははかないことにはなつてるが、なんにしても足の工合の悪いものだよ。はこびなんかも無論爪先きを上げないで、ただズカリズカリ歩くんだがね。困るのはヒラキさ。ちやんと真直にヒラクと沓が脱げる惧れがあるし、一旦脱げたら自分ぢやあはくことが一寸むづかしいから、厄介なもめさ。だからなるべくヒラキはしないことになつてる。それでも全然足を引かないわけにはゆかないから、そのときはまあ足を横に引くんだがね。あの神主さんが沓をはいて段々を昇り降りする時に少し身体を横に捻つて一段々々やるだらう、あれでないと沓が脱げちまふからね。ああ云つた呼吸だね。しかしなるべくヒラキはしないやうにとしてある。
  • 82–83[「三老女」]それならそれほど重いものだから変つた型があるだらうとか、また囃子方のはうにしたつて、どんなにむづかしい手があるだらうかなんて一寸誰もが考へるだらうが、それやあ馬鹿げたことさ。なあにシテのはうぢやシカケにヒラキ囃子方では三ツ地にツヅケ、要するにそれだけさ、簡単に云へばね。そのシカケにヒラキ、三ツ地にツヅケ、それが檜垣らしく、伯母捨らしく関寺らしくやれればいい。そのらしくが問題なんだね。後学のために是非一度見せうと云はれても、少し皮肉に云へば見せて解る人間には見せなくても解る、見せなくちや分らない人間には見せても分らない。別に威張るわけでも出し惜しみするわけでもない。他人さまはどうでも御自由に批判なさるがいい。ただ、やる者としては無暗に側から煽られたからつておいそれとやる気になるものでもなく、まして金銭づくでは無論のこと、詮じ詰めれば潮時だよ。
野口兼資『黒門町芸話』(1943)
  • 12[「円照忌にて」]さて、今日一寸感じたことを申し上げます。何でも同じ事でありますが、今日坊さんが一人で立つて、色々儀式を執り行はれました。其の間のお経、あれを謡で云へば呂の調子せ申しませうか、落着いた底力のある低い調子で、ちやんと乙甲があり、運びの具合も遅からず速からず、誠に結構に思ひました。又一寸した動作もありましたが、型でいへばヒラキと申しませうか、一寸緩めて一寸詰めるといつたやうな所にもその加減が誠に結構でした。
  • 106型のお稽古について二三心付いた事を申し上げよう。 進む時には大概二足目まではゆつくりと、そして段々につめて行くやうにして、ヒラキの前、たゞ踏み止まるところ、角トリでも、左へ廻つて角を付けるところでも廻り返しの前でも、何れもみんな運んで来るやうにしなくてはいけません。