ふり【振リ】
手塚貞三編『謡曲大講座 手塚亮太郎口傳集』(1934)
- 14オ[「弱法師」について]「あさましや前世に」から気を替え「かき曇り」の「もり」の二字は重く抑さへ、「盲目」の「もう」の二字むつくりと出して「とさへなり」と運び「果てゝ」の廻しをたつぷり謡ふ。「生をも」としつくりとうたひ、「かへぬ」の振り節は浮いて振り、「此世より」の「こ」の入り節は細くゆつたりと謡ふ。「中有の道に」とぼんやりと浮いて謡ひ「迷ふなり」の「ま」のイロはざんぐりと付ける。
- 2ウ[「初入門心得」]元来謡の調子はこれを呂、中、甲の三階級に区別したものですが、私は更に之れを各三階級に区分して、都合九階級と致しました。[中略] ○中の上、クリの前の振りウキの所の調子にて四階級目です。
- 4オ[「曲節の名称と扱ひ方」]○振り節 一つの音を振り分けて謡ふもの。間の前の中廻の上に並べるものにて、強吟の迫りたる場合には此の振りを捨てゝ前へ持合せて謡ふこともある。例へば熊坂の「乱れいる」のいにある振りを謡はず、前へ持ち合せて謡ふ類。
- 4ウ[「曲節の名称と扱ひ方」]○大カギ カギ節の上へ一ツの胡麻の加はりし形にて、三ツの音を一つとして謡ふなり。例へば、田村の「春宵一刻」のシユとか「歓喜微咲」のクワとかいふ二つの仮名を更に一つ振りシユーとかクワアとか三ツの音なるを一ツとして謡ふ。
- 4ウ[「曲節の名称と扱ひ方」]○二重廻シ 拍子に合はず、多くの振り節や廻シ節の重る所にあり。田村の「月に影」など其一例。昔はこの廻シに振り廻シといふ名もありたれど、今は振り廻シと云ふと、振りと中廻シの重りたる節の名となりますから,二重廻シの方が適当である。
- 4ウ–5オ[「曲節の名称と扱ひ方」]○呑ミ節 振りしあとの仮名を耳立ぬ様に呑み込み、鼻へ抜かすもので、寸法は廻シと同様なり、所により大小の差ありて大小の文宇を附記してこれを示せども、此の外に特に大呑ミと称する節あり、例へば東岸居士の「聞くものを」のヲの呑み。「何を唯」のダの呑みの類なり。普通の呑ミの頭へ特に一つ突込んで大く謡ふ。
- 5ウ[「曲節の名称と扱ひ方」]○振リ浮キ 浮を掛けて振る内に更に一段浮く謡方にて、忠度の「弔ひの声聞て」の聞きの振リなどこの例なり。柔吟にては二つ振リ、強吟にては一つにするが常である。
- 97–98詞についで難かしいのは、クセでもロンギでもクリ地でも初同でもなく「サシ」謡であります。サシ謡は詞に節をつけたやうなもので、その節もゴマ節が主で、僅にウキと廻シとフリとハリがある位のものです。このサシは詞についで全くうたひ難いものであります。
- 111–112「根白ぶし」は「藤栄」の下り羽あとの「根白の柳」のクリ節をいふのであります。あとの「いつかは君と」も同様なうたひ方をするクリ節です。「根」はフリ節にクリを加へたもので、普通ならば「ねーエ」と繰つて少し引きを出せばよいのですが、次の「じ」のゴマがウキ当りですから、単にクツたゞけでは「じ」のウキが謡はれません。「じ」がウキ当リとするには、「根」のクリ節が入りグリでなければならないのですが、入りがありませんから猶むづかしく感ずるのかも知れません。そこで「根」をクツておいて生字の引きを入るやうな心で押しつけるやうにうたふのです。「いつかは」の「い」のクリも同様ですが要するにかういふ処は師匠の口づから教はらないではホントの節はうたはれますまい。
- 79三つ引は仮名を三字分に引きます、二つ引は持ちになりますから二字位でございます一セイの謡のトメに■■[節付記号]がございますが、この節はフリビキマワシと申しまして、トメのマワシをば切つて別に廻すのがよろしいので、又クセの前にあるのもイロをつけて同じでございます。他の場所ではつゞけて謡つてもよろしいのでございます。クルと入りは、一セイでは入りを二段に上げますが、合ひ方の所の入りは小さく入れる事になつてをります。
- 48節で云ひますならば強吟のフリ節の前の節は音尾をハネておくとか、振り節、張り節が続いて来れば、その前のゴマ節をハネ、振りの尻もハネて謡ふとか、又はイロ、ステなどの処は何時でも口切りして何う張つて、どう抑へて謡ふとか、さういふ事を一番毎にスツカリ覚えこんでしまふ事が肝要で御座います。 一番づゝを固める習慣をつけますと、節扱ひも文句もハツキリして参りますから、自然その曲は調子も整ひ、位も定まつて来ます。さうすれば何時の程にか、句の終りに振り節と廻し節があつて、次の句にヤヲなりヤヲハなりの間があれば、振り節も廻し節も小さく謡へばよいとか、ヤアの間のものが、謡本にヤアと書いてないものは振りを小さく謡つて廻しを大に廻はす。又大小といふ事は生み字を早く出せば小で、ゆつくり出せば大の扱となる、と云ふやうな事がハツキリと会得されます。
- 99–100先日、或るところで謡会が御座いました。その時蟬丸のツレをやつた人が、「世の中は」の「よ」を当つて謡はれましたので、その蟬丸が済んだ後、その人に「世の中は」のやうにフリ節にウキがある時は当つてはいけません、と直しましたところ、「世の中」といふのは何処にありますかといふ答でした。蟬丸の「世の中」と云へばかんどころです。それを「どこですか」といふ様ではどうもかうも仕様が御座いません。私もそれなり黙つて了ひましたが、要するに芸に対する熱心さが足りないので御座いませう。歎かはしいことです。