め【眼】
手塚貞三編『謡曲大講座 手塚亮太郎口傳集』(1934)
- 11ウ–12オ[梅若実主演木賊について]先年実翁が此能を勤められた時ワキは春藤六右衛⾨時に、両翁は愛の処を幾⼗度となく繰り返して演じて居られた。傍で⾒て居る私の眼には、あり〳〵と、そのはゝき⽊が⾒える様に思はれるのに、両翁は尚之を繰り返して稽古された。此の如く芸を⼤事にしてこそ名⼈と云はれるのだ、とつくづく敬服した事があつた。
- 13ウ–14オ盲⽬ものには弱法師、景清、蝉丸等がある。弱法師は同じ盲⽬でも、これは舞物の中である。当流では盲⽬の舞と云ふ習ひがあつて、⼼眼の杖、盲⽬の⾜とて、両⽅共に使ひ様に⼝伝がある。(中略)「⽇想観なれば」は、たつぷりと、抑さへて繰る。この処花やかになつては、騒がしくなるから注意を要する。「⾒えたり⾒えたり」と⼼で遠く⾒る。尤も眼で⾒るのでなく胸を突き出し、胸に眼のある⼼持ちを以つて謡も型もするのである。「満⽬⻘⼭は」と考へて謡ひ、「⼼にあり」とギクリと胸を扇で打つ。謡も其⼼持でうたふ。
- 260[隅田川について]只一筋に、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。人々の唱名に交つて一きは甲高い子供の声………我子の声か………いや夢か………今一声………まさしく子供の声です。母の眼には其の姿まではつきりと浮かみ出してゐます。
- 348–349以上で大体、素謡、仕舞、囃子その他に就て述べた。最後に注意してほしいことは、謡を謡ひ、囃子を囃し、舞を舞ふといふ事ばかりが、この道の芸ではないといふ事である。一挙一動、座作進退すべて皆これ芸の一部であるから、儀礼正しく、眼の配り堂々と、謹厳なる態度を以て進退しなければならぬといふことを心得ていて貰ひたいのである。是亦平素の訓錬にある。よろしく三思せられたい。
- 159–160亡父がよく「かう面の中から向うへ気合を掛ければ、きつと何誰も眼を見詰めることが出来ないものだ」と言つてをりましたが、それは見詰める方に力がないからでございます。 仮に今宝生新さんと、私が「鉢木」でもやつたとしますと、お互に眼を合してゐますが、これはどちらも恐れをなされ(?)から見詰めてゐられるのです。 今申しました春藤さんの場合は、私がまだ若年でこちらが恐れをまして居なのでございますから、とても見合つて居られない訳で、まるで段が違ふのですから、よそ見でもしてゐたければかなひませんのでした。
- 52大阪で私は或る人のを見たのですが、これは一流の人ではありませんでしたけれども、正尊が御殿から帰つて来る、舞台から橋懸の方へ戻つて来て、一の松の辺りでそつと振返る。振返つて所謂御殿の様子を見ようとするのです。さう云ふ気持で振返る。弁慶も後から、正尊あんなことを言つて帰つたが、出てから又どんなことをやるか分らないと思つて、後を踵けて行つて、一緒に両方の眼と眼が合つて、喫驚して双方へ別れる。さう云ふきはどいことをやつた。恰度私は坂元さんと観て居たのですが、思はず吹出してしまつた。巧い人がやつたら、それでも可笑しくはなかつたがも知れないのですが、とても可笑しかつたことを記憶して居ます。
- 161[「藤戸」稽古能記録]後、面掛け工合大いに不良。目の穴左一つしか見えず。たうとう片眼でやつてしまふ。前の厚板中格子、着付不良。
- 313[「氷室・白頭」演能記録]作物の内はすべてもう完全に自分のものになつて居るし、安心して十分にやつた。問題は働以後にあつたが、精一ぱいの出来だつたと思ふ。然し作物から飛出したら途端に額の面当がずり落ちて、左の眼を完全に遮つてしまつた。両眼共潰れた方がまだマシだらうと考へた程、丹下左膳ではやりにくかつた。中心をとることにどれ位の精根を消耗させたか判らない。
- 8面をつけると面にある目の穴と自分の肉眼での位置の関係から、一寸下を向いた位では身の廻のもの、例へば扇又は杖などを膝の前へ置いた時など、ちやんと見る事は出来ません。充分に下を向けば勿論見えませうが、夫れでは形がくづれて了ひます、杖を見る形はしても心で見るので一種の感じで行くのです。よく皆さんから姥の面や、盲人の面をつけると見えないでせうと尋ねられる事がありますが、事実は反対で目明きの面よりはよく見えます、大飛出の様な大きな目の面でも、瞳だけしか穴が明いてゐないのですから却つて見えない事になるのです。是は能の皮肉な処といつも考へます。
- 198問 舞台や謡会の席等で、独吟の時はどの辺に眼をつけますか。見台で上から見下して稽古してゐた人は、本が無くなつても、矢張りその辺を見ないを宜く謡へないとか聞いて居りますが。答 さうです。ありますね。見台を直ぐ膝の前に置いて稽古をしてゐる方は、舞台に出たり、謡会の時等謡ふ時、矢張りその辺に眼をやる、従つて首が前に曲り姿勢がくづれる事になります。大体舞台の上では、尤も独吟と素謡では違ひますが、独吟の場合では舞台の榧あたりを見るのがいゝのです。さうすれば視線にも身体にも無理が出来ないで、大変自然の格好を作り得る事になります。ですからお稽古の時もなるべく謡本は遠くへ置いて、その姿勢を作る事に心掛けるのがいゝと思ひます。私なんかは幾分上を見る癖がありましてね、これは若い時、能の地謡の後列に出た時、前列の人の頭上からシテの型を熱心に見た癖が残つてゐるんですね。その頃の地謡の前列は皆年寄ばかりでしたから、座つた丈も低く、どうしても頭越しに見る様になつたんです。それに私が肥つてゐるので、うつむき勝ちより上向きの方が楽のせいもありませう。
- 208次に仕舞の事を伺ひますが、舞ふ時の目の付け所は何の位の高さを見ますか。これは私共近頃は仕舞を始めたんですが、大変に六ケ敷い様に思はれます。いくら格好だけピンとして居た処で、眼玉がギヨロ〳〵動いたり、伏目勝ちや上目勝ちになつたりするのは、ぶち壊しですからね。答 眼の付け所、これはその人の脊格好、構へによつても違ひますから一概には云はれません。身体のきまつてゐない人にあの辺を見てといつた処で、上向癖のある人では所謂半白眼になつて了ふでせう。実際直面の目のつけ処は六ケ敷いもんですが、まあ構へが定まつて来れば自然に眼の置処も定まります。踊とは違つて顔は造り付けになつてゐるんですから……。
- 208–209[上記の続き]これは矢張り師匠に直して貰つたり、教へて貰ふしきやありませんが、大体は自分の眼の高さ、それも曲によつて違ひますが、なるべく遠い所に視線をやるのがいゝと思ひます。でお稽古の時には、面をつけた気持でやるのが一番です。あの面をつけて御覧なさい。見える処は穴のあいてゐる真直の方向しきや見る事が出来ませんからね。横眼をつかつたり、上目、伏目をたりしては何も見えません。下を見るとか、横を見るとかしても、顔をそつちに向けなければなりませんから、眼玉を動かす事は出来ず、従つて視線も目と面の穴とを通した直線の延長にやらざるを得なくなり、チヤンと定つて来る訳です。で能を稽古してゐる方の仕舞は、仕舞ばかりやつてゐられる方の仕舞と、何処か構へが違つてゐる。つまりしつかりしてゐます。要するに、仕舞に於ける眼の付け所は、その仕舞の活殺を握つてゐる程大切なものであります。大左右、打込とか云つた事は鏡に向つて型を直す事も出来ますが、是は鏡ではどうにもなりませんから、矢張り師匠によく教はるのが宜しいでせう。
- 31[新面]今日でも面を打つ人はありますし、なかなかいいと思ふのも見当りますが、然し面といふものは、手にとつて見ただけではわからないものです。相当にいいと思ふものも、掛けて舞台に出て見ると、案外ひどいことがありましてね。月を見上げると、藪にらみのやうになつたり、河を見渡すと、めくらのやうになつたりしてしまひます。何といつても眼ですよ。眼が第一で、人間の顔でも眼が表情の中心になります。仕舞のときなども、眼がちやんと決まづてくれば一つの進歩としてあります。
- 33眼といへば、九代目団十郎、あのひとのあの有名な眼が、あれだけの芸を大きくしていたともいへませう。それでいて、素顔をみると――私は一度、芝房茶屋から小屋へゆくとき、楽屋からあいさつに来たのを見かけたのでしたが、たいした男振りでもないのですが、舞台に出ると、眼から発する芸の力もえらいものでした。女団洲といはれた久米八、あのひとは小さな眼でしたが、これも舞台に立つとなかなか立派なものでしたね。
- 63–64イノリのとき観世流ぢやあ随分大きく面を切るが、清孝さんなんかのはもつと思ひ切つて大きく切つたやうだつた。またそれがよく利いてね。眼がピカリと光つたかと思ふやうだつたよ。清孝さんは大体が名人肌の人でね。ものによると恐ろしくいいものがあつた。
- 128前に芭蕉をしつかりお稽古なすつたのが、よほど下地になりました。とりわけ初同はよろしうございました。この定家の初同は芭蕉の初同とだいぶ趣が似てをりまして、その折も申しましたやうに、やはりシテが自身立廻るのでもなけれぼ、舞つて見せるのでもない。ワキの眼に映つたその場の有様、即ち時雨の亭のあたりの情景、閑かな、ものさびた環境をシテの動作で感じさせるといつたやうな動きですから、小水の傍の芭蕉のシテの初同の動きとよく似ている筈なのです。
- 251旅僧は「江口の君の幽霊と会話をしたのか」と不思議に思ひ、その霊をとむらはんとすると、月の光が白々と冴え渡つてゐる川面に、昔そのまゝの遊女の舟遊びの様が、蜃気楼の様に浮び出して来ました。まだ見物にはそれが見えません。先づ後見が舞台へ舟を持つて来て、それから遊女達が出てその舟へ這入ります。こゝで始めて、我々の目にもそれが見えるのです。
- 1ウ目のつけ所 立つた時は六尺向ふ、坐つた時は三尺向ふと云ふのが規則です。俗に牛眼と云ひまして、上目も使はず伏目にならず閉ぢもせず、全開にして置く事を適度とします。目を閉ぢると頭がかたくなつて、動きがかけます。然し少しでも心にかゝる事があると、目を閉ぢるものです。之は畢竟、不確な所から起るので決していゝ事ではありません。
- 12オ〇葵上 梓の出。空祈り。梓の出といふのは、シテの出の所の違ひで、「三の車」の後が直に「梓の弓の音はいくぞ」となつて文句が短くなります。空祈りといふは、ワキがシテに掛らず、正面に出してある唐織を目あてに祈るので、シテとワキの技が関係せざることになります。
- 107舞台に立てば、常に心を四方にくばり、注意を怠つてはいけないものです。先生は私共に、後方に目がなければいけない。いつでも自分の後方を忘れては身体がくづれる、といつてゐられました。後方に目をつけてゐる心だと、かゞみ過ぎたり、うつ向ぎ過ぎたり、後方の形がくづれたりする事はない訳です。留拍子をふんで橋掛りにかゝつても、後方を見る心で引込めば形がくづれるおそれはありません。クツロギにも物着にも、又ツレなどで切戸などから引込むものでも、常に舞台の上では、前にも後にも目をつけてゐれば決して緊張を破り、力をぬき姿をみだすやうな事はないのであります。
- 99同じく御所で、やはり亡父が「百万」を勤めました折に、徳川家康公から拝領の深井の面をかけて舞ひました所「木彫とは見えず、その目から涙が出たやうに思はれた」との御言葉をいたゞきました。御存じの通り、木彫の面の口が動くやうに見えたと申す方もございます。只面を借物にしてゐますのでは、如何に名作でも芸は生きてまゐりません。私もそれを承りましてから、面をつけますと、その心持になつて勤めるやうに致してをります。般若物などでワキを見つめますと、ワキの目が下がつて来ます。
- 108上げの前の心得 幕へかゝりまして、装束を直され、面のうけ(上向き、下向きなど)を見てもらひまして、幕上げの前に目を左右へつかひ、又上下へもつかつて、無事の演能を念じまして目を開き「お幕ツ」と声をかけます。これは十分心に落着きをつけるために致すのですが、かうして出ますと、面の目の小さい穴から、舞台も見所もひろ〴〵と見えるものでございます。
- 113橋がかりを歩むのも同じ事で、腰さへすわつてをりましたら決してよろけるものではございません。若い頃には、橋がかりを真直に歩いてゐる積りでも段々と左か右へよるので、目をつぶつて稽古をした事さへございます。体の構へも一緒で、目をあいて構へますと自分の曲つてをる事はわからないものでございますが、目をつぶつてやりますと、肩が上がつてゐるか、下がつてゐるかゞよくわかります。面をつけましても同じ事で、幕へかゝりまして、一度目をつぶり、それからあけてきめますと、照るとか、曇るとかいふ事はございません。
- 13能はさういふ風に古人の糟粕を嘗めて居るから、芸術として価値が無いと思ふ人があるかも知れませぬが、これ迄進んで来ると無駄な所をすつかり切り捨ててしまつて、最早要約する余地がなくなつて来て居る。物を見るといへばただ首を心持廻すだけのことで、それで十分物を見る感じを起させるのであつて、凡そ目で物を見るといふことは出来ない。つまりすべての型の原素を摑んでしまつたのですから、これ以上鳞へる必要が少しも無い訳であります。
- 54又事実、弁慶としては幸四郎が一番好いのでせうが、幸四郎の弁慶を観て居ると、時々目玉をきよろつとやります。何でも早く胡魔化して逃げちまはうと云ふ気分を見せます。あれは幸四郎が悪いのでなく芝居としてはさう行くべきが本当なんだらうと思ひます。そのきよろつとやるのを仲々巧くやつて居ると思ひます。
- 55芝居の方では、富樫が勧進帳を覗き込まうとする、弁慶がそれを見せてはならぬと云つて、横を向いて目玉を剝く所がありますけれども、あんなことは能の方ではしない。実際から言へば、そんなことがあつて然るべきだと思ふのです。
- 77[織部清尚の「清経」型付について]「夢になりとも」とワキが正面を向く時守を袂へ入れる、とある。此処まではツレの型、これから後はシテ清経になる。「たどる心の」と正面向くに、「心を下げ目もうつむき」とあるのは面白い。「うたゝねに」を「クワラリと謡へ」は味はふべき言葉である。
- 100[「藤戸」の型の説明]たぶべきに」とワキへ二足ツメ「召されし事は馬にて海を渡すよりもこれぞ希代のためしなる」と杖をついてワキを見こみます。「さるにても」と正面へ直し胸杖して、前シテがワキに教へられて見た所と同じ所へ目をつけまして「我をもつれて行く波の」と常座まで行きますが、こゝはつれて行く波のと、連れられて行くやうな心持を表はす所で難かしいのです。
- 7面物を演ずる時の注意として、面のつかひ方に注意があります。それは『面の如く……』といふことです。面はつけて居りませんが、自分の顔を面の様に扱ふ事になります、そこで『目をつかつてはいけない』といふ注意がうまれて来ます。是れが仕舞や囃子の時にもあてはまります。目をつかはぬ事が能楽にある特種の約束なのでありまして、是をつかへば根本から破綻を生ずる事になりませう。そこで、例へた話が下を見る事になりますと、上体ごと下にかゞめて見る事になります。是は丁度面をつけて居て下を見るのと同じ心ですべきであります。従つて物を見るのには目で見ないで、肩で見る事になります。
- 8–9面の中の自分の顔はどんなものだらうと考へた事があります。無表情でいゝ訳ですが、直面の時以上に表情を充分して居るらしいです。鬼女になつた時の目などは随分恐ろしいものではないかと思ひます。誰か急に面をはづしてくれる人があつたらといふよりは、舞つてる人に面をとつた事を知らせずにすんだら、その顔は面白いものでせう。
- 30梅津只円なんかも景清を直面でやつて見たいなんて希望を洩してたこともあつたが、どうも景清は肓目だから直面ぢやどうかと思つたがね。まさか目をつむるわけにもゆかないし、工合が悪いことだらうと思つたら、到頭やらずじまひだつた。しかし只円といふ人は、松村浅次郎張りの確りした芸風で、無論景清なんかは面の有無に拘らず良かつたには相違ないがね。