めんづかい【面遣い】
喜多六平太『六平太芸談』(1942)
- 63面を切る イノリのとき観世流ぢやあ随分大きく面を切るが、清孝さんなんかのはもつと思ひ切つて大きく切つたやうだつた。またそれがよく利いてね。眼がピカリと光つたかと思ふやうだつたよ。
- 64観世と反対に、金春流ぢやあ近頃はよく見ないが、元はイノリで面を切らなかつたやうだよ。面を切らないでワキを見込むんだね。こりやあなかなかむづかしい。私がまだ千代造時分、このイノリの稽古をしていたときに、福王繁十郎が、「千代さん、シテがワキへかかるとは、どういふ気持でやつたね」と訊いた。
- 64–65面を切らうが切るまいが、そんなことはどうでもいいんだ、面をぐつとあげてワキを見込んだとき、ほんたうにワキをにらみ据えればどうしたつて後へ退かずにはいられないものだ、そのにらみ方が大切なんだよ」と聞かされた。つまりは、面を切つても切らなくても、ワキを見込んだ時の面のきまり方が一番大事なわけだね。(註) 面を切るとは、面を定めた一点に対して他の一点から急激に振り向ける型。
- 105キリの井筒を見こむ時にも静かに見こむのでありまして、他流に見うけます様に面を切つて井筒を覗くと云ふやうな事は絶対にないので御座います。かういふ点は流儀の謡を謡ひ、型を学ぶ上に於いて非常に重大なことであります。
- 109シテが優に確かりめに謡つて渡しますのを地はスラリと受けて謡ふのであります。「恥かしながらわれなりと」とシテは面を伏せます。この面のテリ、クモリの加減が非常に難かしいので、この面のつかひ方一つで感銘を与へるのでありますが、やり過ぎると下品になつて、それこそ高安の里の女になりますし、と云つて、扣へ目〳〵ではそれらしい心持が出ないので御座います。中入の型は「いふや注連縄の」と常座へ行きまして正画へ二三足出て「井筒の陰にかくれけり」と退つて面を伏せ身を沈めます。
- 135「紅葉狩」や「土蜘」の後シテの退場法にはいろ〳〵あるが、流儀の正規の型は正面を向いて安坐して面を伏せたま、ジツとして居て、ワキが留拍子を踏み退場する時、ワキの後に従つて退場する行き方である。
- 81天鼓のキリの型どころ「月にうそむきト空を見水に戯れト正面下を見てワキ正面の方へ面つかひ見波をうがちト下に居ながらワキ正面の下をすくひ上げるやうに三ツ四ツうがつ、水を両手にて上下へすくひかへす。月かげの浪にうつるをうがつ心」とある。
- 295「むつかしの僧の教化や」と杖にすがつて立ち、常座へ行く。その常座の方を向く瞬間馬鹿に若いナアと思つた。「影はづかしき我が身かな」で、坐つたまゝ笠を少し前へ出し、かくれる様に面を伏せた時はよかつた。此れから後の型どころは喜之氏らしい美しいものだ。
- 316ロンギの終りでワキへ合掌する一寸前の正へさして開き、ワキへ向き、たら〳〵と二三足下がるあたりで、心持ち面をくもらしてゐられたが、それで丁度よい位に見えた。
- 80唯、面をきるのでも、普通に切つては面の様子が活きません、首だけは動くには動きますが。此間も、そんなのがありましたが、面づかひを、そのつもりで見れば見えはしますものゝ、本当のやうには見えません。張子の虎のやうに首だけ動かしなのでは面づかひになりません。
- 109シオリは大概左手でするが、場合に依つては右手の時もある。そして左手の場合は薬指が右の眉毛に触る位にシオリ、その場合は何れも体を少し前にかゝり面を曇らさなければならないのです。
- 194それに手ばかりで面を切らなかつたのは損だな。もつと強く、グツと来たやうに伴馬の時は思つた」と丁寧に雪鳥老はやつて見せてくれた。その時の雪鳥老の手真似は仲々上手だつた。大変参考になつた。どうしても、も一度装束で演り直さうと思ふ。
- 342稍気勢を殺がれて、この型はいつもより不出来、その代りワキへ巻ザシの前先づ面を強く切つたら、巻ザシが大変工合よく行つた。本当に気が入つて我を忘れたからだ。
- 60舞上げから鐘入迄、恐らく何処がどうだつたか、判らないうちに済んでしまふだらう。舞台も、見所も、ただ緊張の極である。「人々ねむれば」とワキからワキツレの方を面遣ひ、獲物を狙ふ猛獣のやうな迫力、「よき暇ぞと」と、キツと高く鐘を見上げる。
- 160「人目も知らず」とシサリ、右付き、左右と膝行で出、一寸面切り――この面の切り方曇りすぎ――あとじつとワキへかかる。手順は判つたが、そいつの連絡がたりよく行かない。
- 181「八島」は二度目かと思ふ。稽古の時よかつた調子又出なくなる。幕離れは宜し。床几のアシラヒ段々身体がずり落ち誠に難儀。「鉢附けの」〇型たうとう稽古で出来なかつたもの。此の日両手の力を抜くと不思議に身内に油然と力が籠つて来て思はず「左右へくわつと」の面遣ひまで夢中でやつてしまふ。
- 183「網の段」の「何れも白妙の」の面遣は今日の一番中での収穫だつた。偶然右へいつもより余計面を遣つたら、ヒヨツとした工合でうまく左へ面が切れた。あと従つて右へも左へもくつきりと行つた。思はぬ体得であつた。
- 212仕舞の件も流暢さを欠き、型は一つ一つ単なる型にのみ堕した。橋懸の型も一向に利かず、ただ合評会の時云はれたので特に「皆消え〳〵と」面遣ひの後暫く留つて見ることは忘れなかつた。
- 254初同、中入前ともじつくりと精一杯にやつたつもりだが、果して「庭もまがきも」の面遣ひが透徹したであらうか、「石に残る形だに」のヒラキがスーツと離れたであらうか、訊ねる人もなく不安である。
- 263「草茫々」の面遣ひもまだまだ。中入の廻り込みも満足出来ず。どうやら前は不出来と思ふ。
- 268塚の内、「亦恐ろしゃ飛魄飛び散り」の面遣ひ、これは雪鳥氏から最も賞讃を得た。同じく「すがり著き」の型は、もつと如実に両手にしがみつくんではないですか、と質問されたが、成程さう云へば自分のは大きく柱を抱擁したに過ぎなかつた。恰も隅田川の「此土を返して」の時のやうに。但しハツと退る工合は塚の内が広く見えて佳かつたとのことだつた。
- 292四月二十九日、招魂社能、「放下僧」父、「桜川」実、「葵上」高瀬氏等。どうも気が乗りかけると、反応の無い見物にウンザリさせられて、折角の気持をこはされ勝ちだつた。何度か自分に云ひきかせつつ気を持ち直しては舞ひ続けるといふ状態だつた。見物が今少し選ばれて居たら、もつとよく舞へた「桜川」だつた。「何れも白榜」の面遣ひは十分に演れた筈だ。
- 325さて、合掌留なので、「人待つ女」から橋懸へ行つた。前日一度、この替の型をやつて置かうと思つたのに、一寸怪我々したので、それに多分目信もあつてぶつつけにやつてみた。この日はクセが割に地の乗りがよかつたので、橋懸へ行くには一寸忙しかつた。元来こつちの型が重いので、面遣ひなど甚だ拙劣だつたと思ふし、あとの型との接ぎ目も不自然だつた。やはり一度は是非やつてみて置くべきものと、つくづく考へた。
- 334ただ「蘆辺の田鶴」をいつも下から真直に上へ見上げ居て、これは我ながら、電信柱を見上げるやうにしか受取れまいと感じて居たのを、今度ヒヨツと面遣ひをしながら段々と見上げて行くといふ仲々むづかしい型を試みて、どうにかこの型を物に出来たやうに思へたのは嬉しかつた。
- 341二月二十七日、喜多会、「弱法師舞入」父、「草子洗」兄、「殺生石」実。去年の暮から失敗ばかりで腐り切つた状態を、是が非でも此の一番で浮み上らせなければいけないと思つた。謂はば背水の陣の形だ。先づ問題は中入前の「闇の夜の空なれば」の型だ。ここで強い印象的な型が必要だと思つた。種々な型が出来る訳だが、面遣ひが最も有効でもあり、やり易いと思つた。
- 7直面物を演ずる時の注意として、面のつかひ方に注意があります。それは『面の如く……』といふことです。面はつけて居りませんが、自分の顔を面の様に扱ふ事になります、そこで『目をつかつてはいけない』といふ注意がうまれて来ます。是れが仕舞や囃子の時にもあてはまります。
- 7オシテの「不思議やな」は呂から謡ひ出し、「遊女と相馴れ」と「遊女」をたつぷりうたひ、「一人の子をまうく」と軽く心持をうたひ、少し愛情の心を浮めるのである。「なれぬ親子を悲しみ」と心に涙を持つて「父に向つて」と正面の先を的なしに、向うを見つめる心。「詞をかはす」とガラリと面を曇らす。