近代能楽用語索引Index of Nō-related Terms in Modern Texts

近代芸談における技芸用語

主にシテ方の技芸にかかわる用語の索引。姿勢、視線などの重要と思われるトピックのほか、『能楽大事典』(筑摩書房)に立項される技術用語を対象としました。同表記・別意味の語を別に立項した場合(例:「運び」を歩き方と謡い方で別立項)も、逆に同意味・別表記の語をまとめて立項した場合(例:眼、目、目玉)もあります。

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ゆびさき【指先】

松本長『松韻秘話』(1936)
  • 109肱で扇を持つてゐる心ですから、指先には力がはいつてゐてはいけません。従つて油断すればポロリと扇は落ちる位でなくてはなりません。手首で持ち、指に力がはいつてゐては、扱ひに無理が生じ、型が生きて来ません。
野口兼資『黒門町芸話』(1943)
  • 105扇を持つて居る時に、初心でない方でも、よく人差指の先をはなして居られる方がありますが、これは指先まで気の入つてゐない証拠です。何事る稽古事は気の入つてゐないのが最も悪い欠陥だと思ひます。
梅若万三郎『亀堂閑話』(1938)
  • 14十八年六月四日、皇太后陛下の芝能楽堂行啓に、「摂待」で鷲尾、同じく十八日には「雲林院」の囃子を舞ひました。この時は御前ゆゑ心配しまして、「降るは春雨か」と扇を上げて見ます時に手が固くなり、ブル〳〵とふるへて困りました。何しろまだ腹に力もなく、手先だけで舞つてゐた頃でございますから、お恥かしい次第でございました。
喜多実『演能手記』(1939)
  • 253「阿漕」は二度目、共に稽古能に於て勤めたものだが、中入前の型は依然として手に入らぬままである。特に「繰り返し〳〵」のところは型そのもののやりづらさもあるが、もすこし何とかなりさうに思へるが、どうもならない。手先でやらずに身体で左右へ乗り込むんだな、と迄考へては居るが、実際になると綱糸と竿とがこんがらかつて煩はしい。兎に角不満足のまま残つてしまつた。
  • 298手先の要領ばかりうまくのみ込んでしまつたといふことらしかつた。さう云はれてみると、そんな気もしないではない。初めてのことだつたので、部分々々の型の工夫は相当した。今度は型を型としてやるよりも、先づその心持になることを第一として、型はそのハズミだと観念してかかつた。