鷺流間狂言・宝暦名女川本「脇末鱗」翻刻 永井 猛 稲田秀雄 伊海孝充  宝暦名女川本は、鷺伝右衛門家の高弟・名女川家の五代目・辰三郎(一七七七没)が宝暦十一(一七六一)年頃までに書写し、全二〇冊程度と推定されるものである。  これまで、檜書店蔵の七冊(「檜本」と略称。本狂言五冊、間狂言一冊、伝書「萬聞書」一冊)のみの現存が確認されていたが、新たに笹野堅氏旧蔵の七冊(本狂言二冊、本狂言秘伝集一冊、間狂言四冊)が発見され、法政大学能楽研究所の所蔵となった(「能研本」と略称)。  能研本のうち、本狂言二冊は本誌四四号に、本狂言秘伝集一冊は本誌四五号に翻刻紹介した。間狂言は「脇末鱗(五〇曲)」「語立雑(五〇曲)」「真替間(六八曲)」「遠応立(一〇二曲)」の四冊ある。ちなみに、檜本の間狂言一冊は、「羅葛部(五〇曲)」である。  なお、「脇末鱗」に宝暦十一年以降の安永四年(一七七五)の明和改正本廃止に伴う記事がある(卅八〈難波〉)が、すでに書かれていた本文への注記的加筆であり、同筆による後年の追記と認められる。本文は宝暦十一年頃までにまとめ、亡くなるまで加筆していたのであろう。  間狂言の多くの曲に宝永三年(一七〇六)までの年数書があり、宝永頃のアイを記した名女川家伝来本をもとにして書き留められ、内容的には、宝暦より古いアイの姿を伝えるものとなっている。     凡 例 一、鷺流間狂言・宝暦名女川本のうち、「脇末鱗」(法政大学能楽研究所蔵)の一冊を翻刻する。 一、「脇末鱗」は、脇能と末社(まっしゃ)の神(しん)・物の精(鱗(うろくず)の精など)の登場する間狂言を五〇曲所収している。 一、底本を忠実に翻刻することを原則としたが、通読の便宜を考慮し、左の方針に従った。  1、仮名遣い、送り仮名は底本通りとした。  2、濁点・拗音・促音の表記は、底本のままとした。  3、合字等は通行字体に改めた。   (例)ヿ→コト、ゟ→より、●→トモ  4 、漢字の異体字や旧字体は、原則として通行の字体や新字体に改めた。ただし、一部そのままとしたものもある。     (例) 哥 嶋 嶌 附 躰 喚 皷 萬  5、漢字の振り仮名の表記は底本のままとした。特に読みにくい漢字には適宜振り仮名を( )に入れて傍記した。     漢字の両側に振り仮名が振られているものもあるが、同じ読みの場合は記さず、違う場合には、左側の振り仮名を〔 〕に入れて右に傍記した。  6、片仮名と平仮名の共通の書体である「ニ」「ハ」「ミ」は、片仮名として翻刻した。  7、片仮名の「セ」「ツ」「リ」と平仮名の「せ」「つ」「り」の判定が困難な場合は、平仮名にした。  8、得・之・見・茂・和・居の類は、文意によって適宜「え」「の」「み」「も」「わ」「ゐ」とした  9、反復記号については、二字以上の繰り返しの「〳〵」はそのまま用い、漢字一字の繰り返しは「々」、平仮名一字の繰り返しは「ゝ」、片仮名一字の繰り返しは「ヽ」に統一した。  10、句読点は底本のままとしたが、それが施されていない場合は、文の切れ目(句点を打つべき個所)を一字空きとした。  11、各役の初めの\は「 に改めた。底本においてそれが欠落していたり、そこに記されている役名に誤りがある場合は、( )に入れて傍記した。  12、役名(またはそれに代わる記号)は、ポイントを落とし、右寄せとした。  13、抹消(ミセケチも含む)部分は示さず、訂正された本文に従ったが、抹消部分も参考になると判断した場合は、【 】にくくって傍記するか、本文中に示した。  14 、書き落とし部分の細字による書き込み等も本文に入るものは入れ、演出注記等も〔 〕でくくって示した。  15、ト書き、言いかえ等、底本に割注の形で記された部分は〔 〕でくくって示した。  16、節付けのある部分は〽〽でくくり、ゴマ点・上・下等の節付記号は省略した。字数が少ない場合には記号だけを傍記したものもある。  17、本文中に出てくる能・狂言の曲名は〈 〉でくくった。  18、虫損・汚損・難読等により判読不能部分は推定字数分の□によって示した。  19、難読文字や誤写の推定などを( )でくくって傍記したり、?を添えて曖昧な字体あることや、(ママ)として原文通りであることを示したりした。( )でくくった部分はすべて校訂者の付加である。  20、「彼」と「皮」のくずしが似ており、判定が困難な場合は、文意により適宜書き分けた。  21、装束付等は、二字下げとした。  22、各曲曲名はゴチック体にした。  23、底本には項目番号や読み、注記等に朱筆があるが、翻刻にあたっては一部を除き、特に断っていない。     本文横に朱筆で「○」「次○」と書かれた個所があり、この朱の記号で挟まれた部分は弟子に相伝する場合には抜くとの注記がある(廿七〈江嶋〉)ので、朱筆と分かるように〔○((朱))〕〔次((朱))○〕と記した。 一、書誌等については、本誌第四四号の永井猛「新出 鷺流狂言『宝暦名女川本』の離れについて」を参照されたい。 一、翻刻は、「脇末鱗」の一〈高砂〉~拾六〈芳野〉を永井、拾七〈代主〉~卅五〈厳嶋〉を稲田、卅六〈大般若〉~四拾九〈春日龍神〉を伊海が担当して原稿を作成し、全体について三名で検討し、最終的に永井が調整した。 一、法政大学能楽研究所HPの能楽資料アーカイブ「6、狂言」に「名女川本狂言台本・伝書」として、能楽研究所蔵宝暦名女川本の全冊が写真公開されている。ぜひ、写真版をご覧になって、難読字や朱筆部分などをご確認いただければと思う。 一、法政大学能楽研究所には、貴重な蔵書の翻刻公開許可ばかりでなく、研究所紀要『能楽研究』の紙面まで提供していただき、篤く感謝申し上げる。 〔本稿は、法政大学能楽研究所「能楽の国際・学際的研究拠点」二〇二一年度共同研究「新出・宝暦名女川本(能研本)の総合的研究」(代表:永井猛、稲田秀雄、伊海孝充)の成果の一部である。〕 (間狂言台本) (「脇末鱗」) (目次) 一  高砂 二  老松 三  弓八幡 四  呉服 五  右近 六  志賀 七  養老 八  淡路 九  伏見 拾  放生川 拾一 御裳濯 拾二 佐保山 拾三 草薙 拾四 逆鉾 拾五 箱崎 拾六 芳野 拾七 代主 拾八 鵜羽 拾九 賀茂 廿  嵐山 廿一 大社 廿二 松尾 廿三 浦嶌 廿四 白髭 廿五 冨士山 廿六 岩船 廿七 江嶌 廿八 白楽天 廿九 源太夫 卅  鵜祭    〔道明寺有〕 卅一 雨月 卅二 和布刈 卅三 久世渡 卅四 玉井 卅五  厳嶋 卅六  大般若 卅七  七夕 卅八  難波 卅九  絵馬 四拾  寝覚 四拾一 東方朔 四拾二 西王母 四拾三 竹生嶋 四拾四 氷室 四拾五 金札 四拾六 輪蔵 四拾七 皇帝 四拾八 鶴亀 四拾九 春日龍神 五拾  道明寺   一 高砂 〔〈相生〉トモ云〕 「当浦の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 「当浦の者の御尋ハ如何様成御用にて候ぞ 「是ハ思ひもよらぬ事を被仰るゝ物哉。我等も当浦に住者とハ申ながら。左様の御事しかとは存も致さず候去りながら。初たる御方の召出シ(ヲホシメシヨリ)お尋有を。一円に存ぜぬと申も餘り(イカヽ)なれば。片端聞及為((た))ル通り御物語申上うする 〔爰ニテワキセリフ云事モ有リ 又無事も有り 心得有ベシ〕 「先高砂の松とハ則是成木を申す。然は高砂住の江の松を相生と申子細ハ。昔上代に。高砂の松に譬(タトヱ)萬(マン)葉集(ニヨウシウ)を撰(センゼ)らる。今又延喜(ヱンキ)の御代にハ住吉の松に譬(タトヱ)。古今(コキン)の撰(センジ)給ふ事。是ハ昔も今も相同し様に御座有ハとて古今(コキン)序(シヨ)に。高砂住の江の松も相生(アイヲイ)の様に覚と。しるし置れたる由承ル。又当社と摂州住吉の明神とハ。夫婦の御神なれば。当社住吉え御(コ)影降(ヨウコウ)の御時ハ。住の江の松にて神がたらひをなさるゝ。住吉大明神此所へ御(コ)出現(シツケン)のおりふしも。諸木様々多き(ヲヽキ)中に。松ハ一寸になれば定(チヨウ)千年の齢(ヨハヒ)を(ヲ)たもち。雨露(ウロ)霜雪(ソヲセツ)にもおぼれず常盤成ル物なれば。松に上越(ウヘコス)木(キ)ハ有ル間敷と思召。我が宮(ミヤ)居(イ)も松諸(モロ)共に有ふずるとて。是成神木を植給ふに。当社も出合(イテアイ)相(アイ)諸(モロ)共に植給ふにより。相植(アイウヘ)の松共。但シ是は此在所の者の申事に候。然るに住吉と申ハ。忝も推(スイ)仁(ニン)天皇(ノヲ)の御宇に。摂州津守の浦に。金色(コンジキ)の差((「光」脱カ))を。あしたに勅使(チヨクシ)を立て御覧ずれば。四本の松生出たるを。則四所明神と祝(イハ)ひ御申有により。住吉にてハ松を御(コ)神木(シンボク)共。又ハ御神躰共あがめ御申有などゝ申す。有古人(コジン)の言葉(コトバ)にも。砂(イサゴ)長じて巌(イハヲ)と(ト)なり。塵(チリ)つもつて山となる。浜の真細沙(マサゴ)の数ハつくるとも。当社住吉の御座有ン程ハ。男女夫婦の栄(サカヘ)和哥の道神道(シントウ)にをいて。目出度事ハつきすまじいとの御事に候。相生の松の謂(イハレ)。数多子細の有とハいゑど。先我等の存たるハ如此に候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様の老人夫婦ハ。当社住吉の御神にて御座有ふする〔推量致ス。〕 夫を如何にと云(モウス)に。一躰分神〔ノ〕御事なれば。当社へ御参の御方(カタガタ)ハ。必住吉へ御参詣なふてハ叶ハぬに。唯今あれにて承れば。是よりすぐに都へ御登り有事を。神ハ能御存被成。翁夫婦と顕れ。住吉にてまたふずると仰られ為((たる))と推量致す。左有ハ是より住吉へ御参り有ふずる。去ながら陸(クガ)を御廻りあれば抜群(ハツクン)の路次にて候。某此間新艘(シンソウ)の舟を持て候が。いまだ乗初を仕らぬ〔○((朱))〕あわれよき御方をも哉((や))乗せ始メ申度と存ル所に。肥州阿蘇の宮の神主殿と申。殊にハ当社明神の直に御声をかわされ候程の。神慮目出度御方を乗初メ申ならバ。舟路の行末千秋万歳と目出たからふする間〔次((朱))○〕此船に被召候へ 我等柁人致シ。住の江へ浦伝へに付申さうずる 「あれ御覧候え 神慮の寄特ニ。日本一の順風が吹来つた。頓而お舟に被召候え 〔住吉三社 筑紫日向(ヒユカ)小戸(ヲド)橘之檍(アハキ)原(カハラ)祓除(ハライ)之處也 表(ウハ)筒(ツヽ)男(ヲ)命(ミコト) 中筒男命 底筒男命〕   二 老松 〔「門前者とハ誰にて渡り候そ 「心得申候 〕 「門前の者のお尋ハ如何様成御用にて御座候ぞ 「是ハ思ひもよらぬ事をお尋有物哉。我等も門前に住者なれど。左様の御事しかとハ存も致さず候去ながら。初為((たる))御方のお尋有を。一円に存ぜぬと申も餘りなれば。片端(カタハシ)聞及為通り申上けうずる 「去程に当社天満天神ハ。御名を菅承相(カンシヤウセウ)と申奉り。御幼(コヨウ)少の時ハ都に御座候ひしが。未(イマダ)いとけなき時よりも御才覚ハ世に越へ。詩哥(シウカ)に付てもくらき事のましまさねば。忝も醍醐(ダイコ)天皇の御宇に。大臣(タイジン)の大将に成給へど。去ル子細有て当国へ御下向なされんとて。久敷住馴し紅梅(コウハイ)殿を出させ給ふが。折節比ハ衣更着(キサラキ)の事成ニ。暁(アカツキ)方の雲晴テ。折わすれたる梅が香の(カノ)御袖にうつる間。東風(コチ)嘘(フカ)バ匂ひを越よ梅の花。あるじなしとて春なわすれそと遊し。渡海(トカイ)を陵(シノキ)此辛府(サイフ)へ(ヱ)御着(ツキ)有に。誠に東風(コチ)吹(フク)かせのたよりをへて。一夜に此梅飛来ルに仍テ。則飛梅の神とハ名付給ふ。又色もひとしく候へばとて。紅梅殿といつきまします。いつも京都にてハ松梅を御寵愛(チヨハイ)なされけるに。何とて松のつれなかるらんと詠じ給へば。草木(そウモク)心なしとハいえど。取わき松にハ心の有けるぞ。跡よりおひ〳〵したひ来ルを以て。老松の神共あがめ御申候。其後高山に御上り有。つげ文をさほのさきにつけて差上。七日爪(ツマ)立(タテ)梵天(ホンテン)に御祈誓(キセイ)あれば。黒雲おりさがり巻物とつて天にあがり。正敷ク大(タイ)自在(ジザイ)の神力を得て。刹那(セツナ)が間に御上落(ゼウラク)有り。何事も思召まゝにほろぼし。今に北野々南無天満大自在天神と。君も臣(シン)も偈仰(カツコウ)なされ。王城(ヲヽシヤウ)の鎮(チン)守(シユ)にてまします。是に仍テ上十五日ハ都におわします。下十五日ハ此所に御座有由申す。先我等の存たるハ如此に候 (「)言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。扨ハわれらの存ルにハ。常に北野を御信向((仰))被成るゝ故ニ。神ハ一入嬉敷思召。老松紅梅殿の神仮りに人間と現し。声詞を御替し被成たるかと存ル間。餘りに不思義((議))成御事なれば。暫是に御逗留有り。重而誠の神盗((姿))を御拝ミあれかしと存ル。 「御逗留中御用の事候ハヽ被仰候へ 「心得申候 〔「言語道断寄特成事を被仰るゝ物か((ママ))哉。左様ニ何国共なく老人と若き男の罷出。か様の御物語致さうずる者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の存にハ。かた〳〵の常に北野々天神を御信向被成るゝ故。老松紅梅殿の神顕出。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。餘りにふしぎ成御事なれば。しばらく是に御逗留有り。重て誠の神姿を御おかミあれかしと存ル〕 〔△「言語道断寄特成事を被仰るゝ物哉・かた〴〵の常に北野を信心・歩を運ひ・殊に是迄はる〳〵御下向有事を・神ハ一入御納受被成・老松紅梅殿花守と現じ・御雑談有りたると存ル間・暫是に御逗留有り・神前において信心私なく御祈念被成・其後都へ御登りあれかしと存ル 「尤ニ候〕 〔〈老松〉ノ能ニ紅梅殿出ル事有 ツレナリ〕 〔同間ニ松笠ト云事有リ〕  〔菅原是善 文章博士ニ任ス 菅相承((丞相))父承和十一年甲子二月生ル 菅原道真右大臣ニ至リ玉フ 道真公アザナハ三ト申シ昌泰四年讒ニ依テ筑紫に左遷(サセン)し玉フ〕 〔菅丞相 諱(イミナ)ハ道真 字(アサナ)ハ三 故ニ世ニ菅三ト申 塩梅ノ臣風(フ)月神ト也 延喜元年正月廿九日左遷 同二年二月廿五日安楽寺ニヲイテ薨シ玉フ 宝暦二年迄八百五拾年ニ成 年代記抜書ニ有リ〕    三 弓八幡 「山下の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候  「山下の者のお尋ハ如何成御用にて候ぞ  「是ハ思ひも寄ぬ事を仰らるゝ物哉。我等も山下に住者とハ申ながら。左様の御事しかとハ存も致ず候去りながら。初為((たる))御方の召出シお尋有を。一円に存ぜぬと申も餘りなれば。片端聞及為((たる))通り御物語申上うずる 「昔神(ジン)功(コウ)皇后(コウコウ)異国(イコクヲ)退治(タイジ)の御時。我朝の神々をかたらひ御申有り。長門国豊浦の郡におわしまし。舟木山に分入り楠(クスノキ)一本にて。舟を四拾八艘(ソウ)御作り被成。九州松浦の湊(ミナト)に浮(ウカ)メ(メ)給ふ。猶も計略(ケイリヤク)の其為に。長門の沖(ヲキ)に檀(ダン)の築(ツキ)。いこく調伏(チヨフク)の法を執(トリ)行(ヲコ)なわせ。皇后(コウゴウ)ハ四王寺の峯に御上り有。おが玉の木の枝に五重(コチウ)の(ノ)こかねの鈴を結ひ付。七日七夜四(シ)誠心(シヤシン)にして。夫よりいこくへ思召立に。一艘(イツソウ)の舟に召れたる御神ハ。早(ハヤ)余(ヨ)の舟にハ御座有間敷御事成が。何もの舟に同神々の乗移(ノリウツ)り。神力を以て三韓(サンカン)を御したがへ被成御帰朝(キチヨウ)有り。御産(コサン)の紐(ヒボ)をとき給ふ時。天より白幡(ハタ)四流(ヨナカレ)赤幡四流降(フリ)下ル。左有に仍テ御名を八幡と付給ふ。其後王城(オヽチヨウ)近く宮(ミヤ)居(イ)をなして。弓矢の守護(シユコ)神(ジン)とならふずると思召。八流の幡をこくうに御とばせ有り。此幡の落着たる所を則御鎮座に被成むとあれば。忝も王城(オヽチヨウ)の南。本山此男山の峯に。悉(コトゴト)ク(ク)幡落(ハタヲチ)とゝまるに依テ。当山を八幡山とハ申習す。此所へ御影降(ヨウゴウ)の御年が。卯の年の卯の日にて御座候を。取敢(アヱ)ず(ス)袖(ソデ)神楽(カグラ)を(ヲ)参らせしを。初卯の神楽と申て。年中に七拾余度の御神事と申ながら。中にも今月今日の御神拝を。初卯の御神楽と名付申て。是を本(ホン)にとりおこなふも此子細にて御座候。先我等の存たるハ如此に候 ○「言語道断きとく成事を御諚被成るゝ(ヲヽせラルル)物かな。左様に何国共なく老人と若き男の罷出。当社の子細委御物語可申者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ某の推量致ハ。当社の一の末社高良(コウラ)の神にて御座有ふすると存ル。夫をいかにと申に。賢(ケン)王(ノウ)の臣下(シンカ)是へ御参詣有事を。当社一入嬉敷う思召。君へ桑弓捧(サヽケ)給ひたると存ル間。餘りに新成御事なれバ。暫是に御逗留被成。神前において御祈念有り。河(コウ)羅(ラ)の神【の】真(マコト)の姿を御覧じ。其後奏聞あれかしと存る 「近比有難う候 〔(「)言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様に何国共なく老人と若き男の罷出。当社の子細委可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の存にハ。賢王の臣下此所へ御参詣被成たるを。大ぼさつハうれしう思召。君へそうきうをさゝげ給ひたるかと存ル間。弥神前において御祈念被成。高良の神のまことの姿を御覧あれかしと存ル 「御用の事あらハ被仰候へ 「心得申候〕 〔「言語道断寄((奇))特成事を御諚被成るゝ物哉・左様に何国共しらず老人の・弓を錦の袋ニ入〔レ〕持参申されん人爰元にてハ不覚候が・こざかしき申事なれど拙者の推量致すハ・かわらのしんかりに人間とま見へ給ひ・そうきうを我か君へさゝげ申されたると存ル間・弥神前において信心私なく御きねん被成・其後奏聞あれかしと存る 「有難う〕 〔高良(カハラ)神 武内宿祢ノ事 左大臣也 宇佐八幡宮 宝永三年迄千百丗六年 鳩峯正八幡宮 建立ヨリ八百四拾八年〕   四 呉服 「所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 「此所の者のお尋ハ如何様成御用にて候ぞ 「是ハ思ひもよらぬ事をお尋被成るゝ物哉。我等も此あたりに住者とハ申ながら。左様之御事治定((事情))ハ不存候去ながら。初為((たる))御方の。何と思召てやらん お尋有を。一円に存せぬと申も如何なれば。片端(カタハシ)聞及為通り御物語申上うずる 「先仁王拾六代応(ヲヽ)神(ジン)天皇(テンノウ)の御宇に。我朝の事ハ申に不レ及。新羅(シンラ)百済(ヒヤクサイ)高麗(コウライ)迄も。残らず日本になびきしたごふ御代なれば。唐土よりも数の宝を岩船につミ。綾女(アヤメ)糸目(イトメ)ト申て。二人の織姫の女夫(ニヨフ)を添(ソヱ)。大船ンの明州(ミヤウジユ)の津よりも押(ヲシ)出し。順風(シユンブウ)にまかせ程なく日本の地に〔付。〕始ハ和泉の国深井(フカイ)の沖にうかめしが。是より都へハ程遠く候とて。其後難波の浦迄船をよせ。則此松原に機(ハタ)を立〔テ〕。色々様々の御衣を数多織。とこしなへに調(ミツキ)を捧(サヽ)ケ(ケ)申されけれバ。主(シユ)上(チヨウ)御感(カン)浅からさりし時分。織姫ハ猶も珍敷紋(モン)もがな。呉服に織付度と思わるゝ所へ。五しきの山鳩(バト)一羽(イチハ)飛来るを。仏神のおしへぞと思ひやがて織付。今に山鳩色の御衣(ミノリ)と申て。殿中(デンチウ)の上衣(チヨウヘ)成由語伝へ候。然ルに呉服とり綾羽部(アヤハトリ)と申子細ハ。機(ヲリ)物の中に糸引木をくれはといへば。業(ハサ)を(ヲ)いとなむとき呉服とるてによそへて。一人の呉服部(クレハドリ)とハ名付給ふ。又今一人の綾羽(アヤハ)部(ドリ)と申事ハ。ごふくを織時はたの上にて糸を取引き。綾の紋を心のまゝに出すに仍テ。則是をも綾羽どりとハ申実候。されば其織姫の居たる所なればとて。当所をも呉服の里とハ申習す。其後爰かしこへ帝都(テイト)を移されても。〔今にをいて都の町の内に。〕綾の小路錦の小路と申て御座ルも。此子細ニて有由申す。惣じて我が日の本にて機織(アヤヲル)事ハ。彼織姫の元来成故に。後にハ二人共神に祝ひ。呉服の明神綾羽の明神と申て隠なきれいしんにて候。是に付数多子細の有とハいへど。先我等の存たるハ如此ニ候 ○「是ハ奇特成事を被仰るゝ物哉。左様に何国共なく女性の弐人罷出。呉服綾羽とりの子細委可語者。此他りにてハ覚す候が。扨ハ我等の推量(スイリヨウ)仕ルハ。雲の上人是迄御参詣を明神ハ嬉敷思召。権((か))りに人間と現し顕出。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。自然左様に有ツべしく思召バ。暫是に御逗留有。重而寄((奇))特を御覧あれかしと存ル 〔「言語道断きとく成事を御諚被成るゝ物哉・目出度御代にハ此松原において・はた物の音のきこゆると申すが・弥国土豊ニ目出たからふする御瑞雑((相))に・当社明神権りに人間とまミへ給ひ・いにしへのはたをり給ふけしきを・まなふで御目にかけ給ひたるかと存ル間・神前において信心私なく御祈念被成・其後奏聞あれかしと存ル 「有難う〕 〔享保十九年西御丸御能ノ時金剛喜内〈呉服〉ノ造物出ス 寛延三年神田筋違橋ノ外観世左近一世能時十四日目〈呉服〉能有 造物無シ〕   五 右近 「此所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 「当所の者のお尋ハ如何様成御用にて候ぞ 「去程に当社天満天神において。年中に御神拝様々有とハ申せと。中にも射礼(ヒヲリノ)の日の御神事と申子細ハ。先社頭(シヤトウ)の左りをば左近(サコン)の馬場と云。右をば右近の馬場と申伝へたるが。御祭(マツリ)の時此右近(ウコン)の馬場に随身(スイシン)二騎居て。左右の随身一度にかけ出るとき。其神職(シンシヨク)の〔ヒトノ〕赤(アカ)装束(シヤウソク)の袖を引おりて駆(カケ)出すに仍テ。則射礼(ヒヲリノ)の日とハ申習す。是をいにしへの業平御見物被成るゝ折節。さすが都の事なれば御所車を数多たてならべ。翠簾帳(ミスキチヨウ)の内よりも嘘来(フキクル)ル風のこうばしければ。在原の中将ハ奥床敷う思召か哥に。見すもあらず見もせぬ人の恋しきに。あやなくけふやながめくらさんと。か様に詠じ給ひたるとやらん申す。又右近左近の馬場に桜の多き事ハ。当社の御社内に桜(サクラ)葉(バ)の明神とて。隠れなき新成御神のおわします故に。皆々御立願に桜を植置申さるれば。参詣の人々我等こときの者共(マテ)も。御神木(シンホク)の桜の枝葉にもさわらじと渇仰(カツコウ)申候。当社ニ付目出度子細数多有とハ申せト。先我等の存たるハ如此に候 ○「言語道断奇特成事を被仰るゝ物哉 扨は東より遙々(カタガタノヒタチヨリ)御登り有り 此右近の馬場の花を詠給ふにより神慮も一入嬉敷う思召桜葉の明神権((か))りに顕れ給ひ御詞を御かわし被成たるかと推量致す 餘りか程新成御事なれば今宵ハ木影に御逗留有重而真の神姿を御覧あれかしと存ル 〔○「言語道断きとく成事を被仰るゝ物哉・芳((旁))の常陸の国よりはる〳〵御登り有り・洛陽の名(メイ)花残りなく御見物被成殊に当所の花盛り迄一入に詠メ給ふにより・桜葉の明神御納受被成・権((か))りに人間とまみへ給ひ・くわしく御物語有りたると存ル間・しばらく是に御逗留有り・重てきどくを御覧じ・其後御きこくあれかしと存ル 「尤ニ候〕 〔△〈右近〉間 大蔵弥右衛門方社人しやべり間 ○八右衛門方社人語有り 享保廿一年二月廿五日二御丸御能之時観世太夫より伝右衛門方へ申来候 宝生新次郎方ニテ喚出シなし 社人の語間有由流義((ママ))ニハ待謡も無之由観世流ならハ喚出シにして語間待謡有にも仕候由被申候由申来候 廿三日西御丸御能楽屋ニテ聞合済候由併此御能ハ廿四日ニ御延引被遊候由廻状参候 其ヨリナシ 伝右衛門弟子飯野佐右衛門間ヲ相勤候 銘細書指上候 △観世流語間 宝生流中入雷上也〕 〔見すもあらずみもせぬ人のこいしきにあやなくけふや詠くらさん しるしらぬ何かあやなくハきていわん思ひの身こそしるべなりけれ〕   六 志賀 「所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 〔是より常の通り〕 「先当社志賀の明神と申奉ルハ。大伴(ヲヽトモ)の黒主を祝(イハイ)まいらせたる由承る。去程に此志賀の都ハ所柄。面白名所にて候其子細ハ。先海近ふして山又遠からず。他りにハ霊仏(レイフツ)霊社(レイジヤ)いらかをならべ。もとより志賀辛(カラ)崎の一ツ松。詠妙成(ナカメタヱナル)所なればとて。忝も天知((智))天皇の御宇〔ニ〕都を移(ウツ)し。か様に山桜を植置れし所に。いつも春の花盛にハ御覧ぜらるゝごとく。峰(ミネモ)も●(ヲノ)峯(エモ)も皆白妙(シロタヱ)にて。雪か花かとうたがわるれば都人ハ申に不及。東国北国の鄙(ヒナ)人の花見の舟のゆきこふ有様。是一入の詠なれば〔トテ。〕いにしへの哥人も作意を種々によまれたると申す。左有に依て帝も一年せ此所へ行幸(ミユキ)なさるゝを。大伴(ヲヽトモ)の黒主ハ君を入奉覧とて。御座をかまへて待給ふ所に。いかゝ思召けん 名所ばかりをゑひらん有つて既(ステニ)に還幸(クワンコウ)被成んと有を。黒主ハ残多ク思われ一首の哥に。さゞなミやまなくもきしをあらふめり。なぎさきよくハ君とまれかしと。か様に遊さるれば誠に哥の心をやさしと思召か。やがて立帰らせ給ひたると申す。又鏡山いざ立よりて見てゆかん。年へぬる身ハおひやしぬると。是ハ鏡山を詠(ナカメ)やりてよミ給ひたる哥と聞及候。其後黒主をば此所の神に祝参らせ為((たる))由承る。然は黒主をいか成人ぞと申せハ。志賀の明神とこたへ。志賀の明神の御本地を尋奉れば。大伴の黒主と我等ごときの者まてもか様に申上候。先我等の存為ハ如此ニ候 〔中ノせりふ〕 「是ハ寄((奇))特成事を承候物哉。左様に何国共なく老人と若き男の山賤(サンソク)の躰にて。薪(タキヽ)を持左様の御物語可仕者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の存にハ当今に仕へ御申被成るゝ臣下(カシン)此所へ御下向を当社明神ハうれしく思召かりにまミへ声詞を御かわし被成たるかと存ル間餘りに不思義((議))なる御事なれば暫是に御逗留有り重而寄特を御覧あれかしと存ル 「近比難有う候 〔カはリノセリフ〕 〔「是ハ此他りに住者にて候。今日ハ物さびしき折からなれバ。志賀の明神へ参らばやと存ル〕 〔下せりふ〕 〔○「言語道断きどく成事を被仰るゝ物かな。左様の心有山勝((賤))ハ。此他りにてハ不覚候が。是ハ我等か推量致ハ。うたごふ所もなき大伴の黒主。まれ人の御参詣をうれしう思召顕出。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。是にしばらく御逗留有り。重而きどくを御覧被成。其後御上落((洛))あれかしと存ル〕 〔上習のせりふ〕 〔「言語道断の事を承候物哉。誰有つて左様の心有山勝ハ。此辺にてハ不覚候。是ハうたこふ所もなき。大伴の黒主まれ人の御参詣をうれしく思召し顕出。声詞を御かわし有たるとすいりやう致す。夫をいかにと申に。かの貫之が筆の跡にも。大伴の黒主の御哥ハ。薪をおへる山人の。花の影にやすめるがごとしとあれば。此心にても御座有べきかと存ル間。今少是に御逗留被成。かさねてきどくを御覧じ。其後御上落あれかしと存ル 「何にても御用の事あらば仰付られうずる 「心得申候〕 〔辛崎の松ハ葉一葉成故ニ一ツ松ト云也 一本有ノ事ニテハ無シ 葉ノ事〕   七 養老 「所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 「当所の者のお尋ハ如何様成御用にて候ぞ 「是ハおもひも寄ぬ事を被仰るゝ物哉。我等も此他りに住者とハ申ながら。左様の御事しかとハ存も致す候乍去。初たる御方の召出しお尋有を。一円に存ぜぬと申も餘りなれば。片端(カタハシ)聞及たる通り御物語申上うずる 「先此所において養老の瀧と申て。目出度薬の泉(イヅミ)出(デ)来(キ)たる子細ハ。一切(イツセツ)にハ養老元年よりうるをひ出来(デキ)たるに仍テ。則養老の瀧とハ申といへど。併(シカシ)世上にあまねく養老ときこへし事ハ。たとわば当所に親子の民とて。老たる親を持たる若き者の有しが。幼少の時より一段親に孝有ル者にて。何事も二親の気にそむくと云事のなければ。おのつと妻子(サイシ)も姥(ウバ)祖父(ヲヽジ)も囲繞(イニヨウ)渇仰(カツコウ)仕り。今の代の孝々仁(ジン)とほまれを取し間。稚子(ヲサナイコ)を持たる者共ハ是にあやかれとて。名を付させ盃をのませ人の崇敬(ソウキヨウ)有を。是も父母(フホ)の御恩徳(ヨトク)とて猶弥増(イヤマシ)に敬(ウヤマイ)申候。然ルにこの老人の若き時ハ父子(フシ)諸(モロトモ)に出て。春ハ田料(タカエ)して秋ハ田作(デンハタ)に能実の(ミノラ)らせ。夏ハ五穀(ゴヽク)の作まうを(リモヲ)あまた執行(トリヲコナヒ)ひし故。彼者の世を渡ル経営(イトナミモ)も心安有けるが。後にハ翁が年の重ルに随て(シタカツテ)。次第〳〵に行(キヨウ)骨(コツ)も衰(ヲトロヱ)し程に。若き者ハ濃作(ノヲサク)のすき林鐘(リムセウ)文月(フミツキ)の比にもなれば。毎年山に入柴(シバ)を樵(コリ)渡世(ウキヨ)をおくりし間。いつものごとく薪(タキヾ)をとりかへるさに。餘り嶮(ケハシキ)谷(タニ)峰(ミネ)をこへ山路の疲に(ツカレニヤ)や。此瀧に立寄水を抔て(ムスヒテ)たべければ(ルニ)。甘露(カンロ)もかくやあ覧と覚て。心も涼疲(スヽシクツカレ)も助り。まことに尋常(ヨノツネ)ならぬ事と存ル時。もし親のらうくもやむべきや覧と存じ。瀧の水を汲て我か家に持て帰り。じこくもうつさず老たる親にあとふれば。衰(ヲトロ)へたる姿も見る内にはやなをり。起居(タチイニ)に行歩(キヨウフ)の叶さるも俄に達者を致し。鬢髭(ビンヒケ)のはくはつたるも頓テ黒くなり。腰にハ梓(アヅサ)の弓を張。額(ヒタイ)にハ四海の浪をたゝへし老人が。こしもすぐになり皺(シワ)ものび。年壮(サカリ)(?)の若者に成し間。此事を聞よりも近江((郷))の人々ハ老若男女共に。我も〳〵と水を汲運(ハコビ)び是を用(モチ)ゆれば。老たる者ハ悉ク(コト)若うなり。持病(ジヒヨウ)の有人ハ息災延命ニ成し間。年来(ネンライ)の貧者(ヒンシヤモ)も俄に有徳に成り。誠ニ寿命常穏(シヤウヲン)に目出度水にて候。是に付色々様々に申せども。先老たるをやしのふに仍テ。養老の瀧と申が。本(〔ホン〕)説(セツ)成由語伝へ候。先我等の存たるハ如此ニ候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。誰有て罷出。左様の御物語致さうする者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の存ルにハ。勅使(チヨクジヨウ)此所ヘ御下向の由を聞。彼両人の者罷出たるか。さなくハ此山の牛(ギウ)王(ヲヽ)山神(サンジン)。権((か))りに親子の民と現じ。養老の瀧の子細念比に御物語被成たるかと存ル間。餘りに不思義((議))成御事なれば。暫是に御逗留被成。重而奇特を御覧し其後奏聞(ソウモン)あれかしと存ル 〔「言語道断きどく成事を御諚被成るゝ物かな。左様ニいづく共なく老人と若き男の来り。養老の瀧の子細委可語者。此辺にてハ不覚候か。扨ハ我等のすいりやうにハ。賢王の臣下此所へ御下向ヲ嬉敷思召。此山の護法山神親子の民と現し。姿をまミへ給ひたると存ル間。信心私なく。重てきどくを御覧被成れうずる 「御用の事あらハ何事も我等仰付られうずる 「畏て候〕 〔○「言語道断きとく成事を被仰るゝ物かな 誰有て罷出養老の瀧の子細委可語者此他りニてハ不覚候か扨ハ我等の存ルにハ勅使此所へ御下向を嬉敷思召此山のごおふさんじん親子の民と現し養老の瀧の子細御念比に御物語被成たるかと存ル間餘りにふしき成御事なれば暫是に御逗留被成重てきどくを御覧し其後奏聞あれかしと存ル 「御用の事あらハ何事も我等に仰付られうする 「畏て候〕 〔「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉・左様ニいづく共なく老人と若き人の出て・此養老の瀧の子細を委可語者・爰元ニてハ覚へす候〔か〕・こざかしき申事なれと我等の推量にハ・雲の上人此所へ御下向を一入御納受被成・此山の御神かりに人間とげんじ給ひ・御ぞうたん被成たるかと存ル間・しばらく是に御逗留有・重て誠の神姿を御覧じ・其後奏聞あれかしと存ル 「有難う〕   同 同 〔里人立間〕 「是ハ濃(ノ)州(シウ)本巣郡(モトスノコウリ)に住者にて候。先此所において養老の瀧と申て。目出度薬の泉(イツミ)出(テ)来(キ)たる子細ハ〔是より常の通りを云テ〕 近郷の人々老若男女共に。我も〳〵と水を汲はこひ是をもちゆれば。おひたる者ハ悉クわこうなり。誠に寿命(シユミヨウ)常穏(シヨウヲン)に目出度水なれば。我等も此れひすひをたべてわかやこふと存る 「一はい〳〵又一杯〔爰ニテ三段の舞有テもよし 又舞なしにもする〕 (「)あら〳〵目出度や。〳〵な。山神(サンジン)護(キウ〔シユ〕)王(ヲヽ)のあたへ給ふ。くすりの水を呑ければ。髭のまわりハぞぞめきて若き男となりたれば。是迄なりと祝いさミ。〳〵て。元の住家に帰りけり    出立 段のしめ かけずわふ 狂言袴きや半にてくゝル   こしおひ 黒ひけ掛テ 角ずきん 扇持出ル      但シ仁右衛門方ニてハすきすわふ 大臣ゑぼし前へ折髭かけず 〔△〈養老〉ノ間 下懸ハ雷上 近代ハ観世流も中入雷上 宝生も同前 △春藤流ニテハ間のせりふ習成とて弟子とハいわぬ家の者とハあ((?))いしらうと申候 弟子ニハせりふおしへぬ由申候 △間ニ〈薬水〉ノ勤ル事 大蔵弥右衛門方ニてハ道𠮷時より間宜無之候とて相勤不申候由八右衛門被申候 何の方ニて八右衛門ハ覚候間相勤申候由御座候〕   同 里人  鷺仁右衛門流 「か様に候者ハ。此他に住居する者ニテ候。承れハもとすのこふりに。薬の水いできたりたるやうに申す 其子細を聞バ。先此所において養老の瀧と申て ○是ヨリ常ノ間ヲ云 とめようちがい有 年比のひん成も俄にうとくになり。誠に寿命じやうおんに目出度水にて候。我等ごときの者もあれへ参。誠の事ニて有ルならば。水をたべわかやごふと存ル。先急で参らう。是が誠なれば一段の事で御座る。参程にもとすのこうりへついた。扨どこもとに薬の水が有ぞしらん。是にながれが有ル。是かしらん事じや。ちとのふでみう。誠に是そうな。扨も〳〵うたごふ所もなひ 此水で有〔ル〕そうな。心がはつきとなつた。今少たべ申さう 〔三段舞ハナシ〕 「あら〳〵目出たや〳〵な おさまる御代のしるしとて。 〽かゝるいづミの出来〔ル〕を。皆我さきにと瀧にいたりて是をのめば。病即(ソク)消滅(シヤウメツ)不老不死に猶も姿ハ若水の。福徳自在にさかゑんと。よろこひいさミ私宅をさしてかへる事こそ。嬉しけれ〽   出立 透(スキ)素袍 狂言袴 〔美濃ノ国本巣ノ郡ニ有ル民朝夕山ニ入草臥テ休テ夢中ニ此瀧ノ水ヲフクムトミテ夢覚不審ニ思ヒ頓テ眼スレバ其マヽ若ク成リ夫ヨリ老タル親ニ呑セケレハ二度若ヤグ 夫ヨリモ養老ノ瀧ト名付タリ 仁王廿二代雄略天皇ノ御時〕   八 淡路 〔〈楪葉〉トモ云〕 「所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 「此所の者のお尋ハ如何様成御用にて候ぞ (「)去程に此穐津須(アキツス)と申ハ。天地開闢(カイビヤク)のいにしへ。則天神(テンジン)七代初(ハジメ)国(クニ)常達(トコタチ)の尊(ミコト)是なり。然ルに沙土煮(スビチニ)の尊(ミコト)迄男女の形有といへど。未婚合(コンアイ)の義さらになかりしが。伊奘諾(イサナキ)伊奘冊(イサナミ)の尊(ミコト)天の浮橋の上にして。此下に国なからんやと思召し。天の瓊矛(ホコ)を指おろし下界(ケカイ)をかきさぐり給へど。国なければ矛(ホコ)を引上給ひけるに。我朝の出来すべき先表(センビヨウ)にてや有覧。大海(タイカイ)の波間(ナミマ)に大日ト云文字の浮ル(ウカメル)が。其文字の上に矛(ホコ)の滴(シタヽリ)落とゞまりて国となりし故。扨こそ大日本国とハ名付申ス。次に一ツの国を産(ウミ)給ふ所に。此国ちいさき御(ミ)国成に仍テ淡路の国とハ名付座ス(ヲハシマス)。其後宮作(ミヤツクリ)被成ンと思召せと。芦原(アシワラ)生茂(ヲヒシケ)り所もなかりしを。其葦(アシ)を悉(コト)ク引捨(ステ)給ふに。此芦を置れし所ハ山となり。引たる跡ハ川と成たる由承る。されば淡路ハ国の初り成故此所に宮(キウ)下宝(ホウ)上と(ヲ)御作り被成。伊奘諾伊奘冊の夫神(ヲカミ)女神(メカミ)住給ひ。一女三男を儲(モウケ)給ふ。左有に依テ忝も当社ハ。諸神の父母(フホ)にて御座(ヲハシマ)せハ。陰陽夫婦(インニヨウフウフ)の御神共。又ハ五行(ゴキヨウ)の神(シン)共渇仰(カツコウ)申ハ此子細ニテ候。当社の御神秘(コジンビ)数多有とハ申せ共。委(クハシキ)事ハ存も不致。先我等の承り為((たる))ハ如此に候が。扨只今ハ何と思召寄お尋被成為ぞ。近比不審(フシン)に御座候 ○「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。扨ハ我等の推量致ハ。是迄の御参詣を神ハ嬉敷思召。二柱(フタハシラ)の御神権(カリ)りに顕出給ひ。神秘(ジンヒン)を委御物語被成為かと存間。餘り新成御事なれば。暫是に御逗留被成。猶々神前において御祈念(コキネン)有り。重而寄特を御覧なれかしと存ル   九 伏見 「所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 「伏見の里の者と御尋ハ如何様成御用にて候ぞ 〔(「)此所の者ト御尋ハいか様御((「成」脱カ))用ニて候ぞ 共云〕 「去程に伏見の明神と申ハ。忝も伊勢太神宮の御誓(チカイ)として。伊勢国阿古祢(アコネ)か浦にしてハ。天津太(フト)玉(タマ)神(シン)と崇メ(アカメ)。此所に跡をたれ給ひ。王城(ヲヽジヨウ)を守覧との御事にて。廿一ケ年に一度(イチト)宛(ツヽ)宮作(ミヤツク)り仕給ふ。惣(ソウジ)テ伏見ハ日本の惣名にて候。 昔伊弉諾伊弉冊の尊天(アマノ)磐座(イハクラ)の苔(コケ)筵(ムシロ)にて。伏テ見出し給ふ国成ルに依て。則伏見と【ハ】名付〔ヲ〕まします。取分当所を伏見の里と申ハ。当社明神此所にて伏見の里を守給わんとの御誓(チカイ)にて住給へば。其子細により伏見の里とハ申習す。又御宮作りの時分天より金札御殿の上へ降(アマ)下ル。是も当社の御神徳にて御座候。其外伏見の翁と申に付。様々子細の有実候得共。〔クハシキコトハゾンジモイタサズ。〕先我等の存為((たる))ハ如此ニ候 ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉 左様に何国な((共))く老人の罷出伏見の里の子細委可語者此他ニてハ不覚候か是ハ我等こざかしき申事にて候へ共うたこふ所もなき天津(アマツ)太玉(フトタマ)の神(シン)にて御座有ふすると推量致す 餘りにふしき成御事なれバ御心中に御祈念被成重而寄((奇))特を御覧あれかしと存ル 〔「是ハきとく成事を被仰るゝ物哉 左様ニ何国共なく老人の来伏見の里の子細くわしく可語者此他りニてハ不覚候か扨ハ我等の推量致ハうたごふ所もなきふしミの翁顕れ出給ひたると存候 夫をいかにと申に是迄の御参詣を嬉敷思召やごとなき老人とげんじ御詞を御かわし被成たるかと存ル間か様に神慮に御叶ひ有事ハ目出度御事ニて御座候間弥信心私なく御祈念有 其後御心静に御上落((洛))あれかしと存ル〕   拾 放生河 「当山の者とハ誰にて渡り候ぞ 〔又ワキノ方より呼出シニヨリテ(「)山下ノ者トハ 共云也〕 「去程に此秋津州(アキツス)と申ハ。天地(テンチ)開闢(カイヒヤク)の初より神国(シンコク)なれば。霊神国々に跡を垂(タレ)。数多おわしますとハ申ながら。中にも此八幡(ハチマン)大菩薩(ダイホサツ)と申奉ルハ。皇后(コウクウ)の胎内(タイナイ)にて早三韓(サンカン)を御したがへ被成。則弓矢の守護神(シユコシン)にて。天下泰平(タイヘイ)国土(コクト)安全(アンゼン)に守給ふにより。君臣(クンシン)共に渇仰(カツコウ)被成。ていたうの皷の音さつ〳〵の鈴の声。誠にちうやのわかちもなく。神前のにぎわしうまします御事。又とならびたる神も御座なく候。左有に仍テ当社において年中に七拾余度(ヨト)の御神事御在ス(ヲハシマス)。中にも今月今日の御神拝(バイ)を。放生会(ホウジヨウヱ)の御祭(マツリ)と申子細ハ。神功皇后(シンクウコウクウ)異国退治(イコクタイジ)の御時。我が朝(チヨウ)の神々をかたらい御申被成。長門の国豊浦(トヨウラ)の郡(コウリ)に御在(ヲハシマ)シ。舟城(フナキ)山に分(ワケ)入楠(クスノキ)一本にて。船を四拾八艘(ソウ)御作り有り。九州(キウシウ)松浦(マツラ)の湊(ミナト)に浮(ウカ)メ給ふ。猶も計略(ケイリヤク)の其為に。いこく調伏(チヤウフク)の法を執行(トリヲコナハ)せ。皇后(コウクウ)ハ四王寺(シヲヽシ)の峯(ミネ)へ御上り被成。様々の御祈念有ツテ夫より御出舟(ゴシユセン)有に。兼而より龍宮(リウクウ)海(カイ)への契約(ヤクソク)なればとて。干珠(カンシユ)満珠(マンシユ)と申てしほのみちひの玉をかり持むかへ給ふ所に。異国(イコク)の獫狁(ヱビス)雲霞(クモカスミ)のごとく。数千艘(スセンソウ)の舟に乗りおめきさけんで責(セメ)来ルを。なんぼうふしぎ成事成ぞ。一艘の舟に召されたる御神ハ。早余(ハヤヨ)の(ノ)ふねにハ御座有間敷事成ルが。何もの舟に同神(ヲナジカミ)々の乗移(ノリウツ)り給ひ。神力(シンリキ)を以て御合戦(コカセン)有ルに。頓て皇后の御はからひとして。先(マツ)干珠(カンシユ)を海ニ入給へば。千里の外迄のしら(ラ)浜のごとく成し故。獫狁(ヱビス)ハ悦かつにのつて。利剣(ホコノヤヱハ)ヲ提(ヒツサケ)々白浜に討(ウチ)立て。神々の舟を中に取り籠。火水になれと責(セメ)ける時。又満珠を海ニ入給へば。千里の白浜俄にしほさしみつれば。獫狁(ヱビス)共ハ舟に乗べき隙なくして。ミな潮(ウシヲ)にむせびほろびし間。頓テ都へ御帰朝(コキチヨウ)被成。末世(マツセ)の今に至迄。か様に国土豊(ユタカ)成御事も。偏(ヒトヱ)に当社の御神徳にて御座候。然ハ此御神胎内(タイナイニ)ニて鬼性(キセウ)の者をおふくうしなひ給ふ故。善根の御為にか様に放生会の願(ガン)をおこし給ひ。今月今日の御神事ハ。いけるをはなつ祭成故。則放生会共云。又放生川と申も此子細にて御座候。惣じて当社の御神秘(コシンビ)に付。色々様々有とハ申せ共。先我等の存たるハ如此に候 ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左様ニ何国ともなく老人と若き男の来り。当社の子細又は放生川の謂(イハレ)など委可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ某の〔スイリヤウ〕仕ルハ。旁々ハ鹿嶋より遙々御参詣被成たる事を。神ハ一入嬉敷思召。当社一の末社(イチノマツシヤ)武内(タケノウチ)の神(シン)人間と現じ。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。餘りに不思義((議))成御事なれば。弥神前において御祈念被成。重て寄((奇))特を御覧なれかしと存ル 〔金春流中入雷上 大蔵間鱗ニテ云 (「)か様ニ候者ハ放生川の鱗の情((精))にて候 金剛流ニテハ語間の由 ○昔ハ金春も語間の由 金春そくむ((即夢))大蔵道きつ((吉))の時より 春藤流ニせりふ無由ニて替間の鱗間ヲ云よし〕   拾一 御裳(ミモスソ)濯 「所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「尓((さる))程に内外(ウチト)の太(ヲヽ)御神(カミ)に付。目出度子細数多有りとハ申せと〔モ〕。中にも此流を御裳濯(ミモスソ)川と申す事ハ。仁王拾一代垂仁天皇の皇女。倭(ヤマト)姫の尊と申奉ルハ。神女成に仍テ未御幼少の時より。不思義((議))の奇瑞(キトク)様々ましまして。忝も御神鏡(シンケイ)を御戴(イタヽキ)被成。神の御鎮(チン)座によき所を尋おわしまし。国々在々所々を御廻り有しが。有時当国へ御出被成。蓋(フタミ)見の浦より川路に付て御登り被成し時。皇女(コウニヨ)の御物染(スソ)よごれたるを。此川にて洗給ひたるに依て。則御(ミ)裳染(モスソ)川とハ申由承及候。其比是に田作の翁の居たるに。神の御鎮座に然べき所や有ルト御尋あれば。老翁畏て申様。此川上に人間とも見へず何共あやしき者の居たるが。かれハ三拾八萬歳の間。此お山を守護し奉ル者の候程に。〔我等〕案内者致さうずるとて此川上へ偈行(カツコウ)申され。下津岩根おしきてまいらせられたると申。其時の田作の翁ハ。今の興(ヲキ)王の神にて御座有由承ル。其折節此河を御通り有ニより。今神路川と申習す。御越被成たる所を神が瀬と崇(アカメ)奉ル。其刻あの山を指て御上り被成たる故に。しるもしらぬも神路山と偈仰(カツコウ)仕候。誠に神慮ハあがめてもあきたらぬ御事成ぞ。あの神路山より降く(フリクル)る雨の音ハ。春の小田のたをさの。種をまくに少もたかわず聞ゆるに仍テ哥(--)に。千早振神路山のむらさめハ。種をまくなる神の代の跡と。古哥にもよまれたる由申習す。惣じて風ハ一天(イツテン)を遍ク(アマネク)吹とハいへど。取分神路山より吹下ス嵐に。草木を吹なひけたるていハ。さながら秋万作の小田を。たをさのかりほしたごとくに見ゆると申。か様の有難神秘数多有とハ申せ共。神慮をおそれて御存の御方も御語なければ。委事ハ存も致さず。先我等の承り為((たる))ハ如此ニ候 ○「言語道断寄((奇))特成事を御諚(ヲヽセ)被成るゝ(ラルヽモノカナ)物かな。かた〴〵の遙々是迄御下向有を御納受なされ。おきたまの神かりに人間と現し給ひ。御詞をかわされたると存ル間。弥神前において信心私なく御祈念被成。其後都へ御帰りあれかしと存ル (「)有難う   熨斗目 長上下 小サ刀 扇 〔「言語道断きとく成事を被仰るゝ物哉。扨ハ我等の推量致ハ。うたごふ所もなきおき玉の神ニて御座有ふずる。餘りにあらた成御事なれば。弥神前にをいて御きねん被成。重て誠の神姿を御覧あれかしと存ル〕 〔「是ハ寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。左様ニいづく共なく老人の罷出。当社の神秘委御物語致さうする者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の推量致すハ。うたごふ所もなきおき玉の神かりに人間と現じ。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。あまりに新成御事なれバ。弥神前において御祈念被成。重てきどくを御覧なれかしと存ル〕 〔伊勢国外宮 宝永三年迄千二百廿九年 同内宮 千七百九拾二年〕   拾二 佐保山 〔ワキ方ヨリ喚出ス事モ有リ 其時ハ常ノ脇能ノ通リ(「)所の者とハたれにて渡候ぞ と云 又時ニヨリ末の能ノ時ハ狂言ヨリかゝりにもする (「)是ハ和州南都に住者ニて候 今日ハ物さひしき折からなれば佐保山のあたりへ罷出心をなぐさまはやと存ル〕 「去程に此佐保山と申ハ。春日山北の藤浪(フジナミ)匂ひ(ニホイ)て。山そびへたる有様ハ。さながら竿を(サヲヽ)渡せるごとくなればとて。則竿(サホ)山とハ申習す。惣て四季(シキ)をつかさとらせ給ふ御神ハ。夏ハいつた姫秋ハ紅葉にめで給ふにより。当国龍田の明神とあかめ奉る。冬は春日大明神。春ハ則此佐保(サホ)姫の明神。此御神何も四季(シキ)を司(ツカサ)どらせ給ふにより。天下泰平五穀(コヽク)成就(セウシウ)に治ル事も。偏に当社の御神徳成由申ス。又佐保山にをいて霞の衣(キヌ)とて目出度衣(キヌ)を曝(サラシ)給ふを。貴き(キ〔タツト〕)人の御目にハさだかに見ゑ申により。其折節我等毎き(コトキ)の者もお見申すに。雲かと思へば霞。又かすミかと思へば霧(キリ)のごとく靉靆(タナビキ)候。左様の事昔よりためしのあれバ古き哥に。たちぬわぬ衣(キヌ)きし人ハなき物を。なに山姫の布さらす覧と。か様の哥も有実候。又あの川を佐保川と申候。あの川にて絹をすゝぎ。佐保山にて曝し(サラシ)給ふと承る。夫のミならず誠ニ神慮ハあがめてもあきたらぬ御事成ぞ。佐保山にて千穐(センシウ)とつゞれ。三笠のお山にハ万歳(バンセイ)とこたへ。佐保河の絶(タエ)ぬ流と諸(モロ)共に。国土安穏(アンセン)に守り給ふするとの御神詫(ジンタク)と承る。先我等の存シ為((たる))ハ如此ニ候 ○「言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物〔哉〕。扨ハ旁の御参詣を神ハ一入嬉敷ク思召。竿姫の明神権((か))りに女と現じ。声詞を御替シ被成為かと存ル間。餘りに不思義((ママ))成御事なれば。暫是に御逗留有。重而誠の神姿を御拝ミあれかしと存ル   拾三 草薙 〔ワキ喚出シ常ノ通リ 又狂言ヨリかゝル事モ有リ 「是ハ熱田の門前に住者にて候 此間恵心僧都の御下向被成最勝王経をく((か))うじ給ふ間今日も参らはやと存ル (「)只今参りて候〕 (「)去程に当社と申奉ルハ。仁王拾二代景行(ケイコウ)天皇第二皇子(ヲヽジ)をば。御名を日本武(ヤマトダケ)の尊(ミコト)と申せしが。せひ高う(カウ)して御心もたけく強力(コウリキ)にておわしませば。度(ド)々においてほまれを取給ひたると申ス。然ルに景行(ケイコウ)四拾年の比。東夷(トウイ)おこつて静ならねば。則御追伐(ツイバツ)の為に此尊(ミコト)を被遣ル。先伊勢太神宮へ御社参(シヤサン)有りて。やうら姫のミことを以て。崇(ソウ)神天皇の御宇に籠(コメ)置れし。天の叢雲(ムラクモ)の釼を申請。夫より東国へ御下向被成しに。尾張の国松子(マツコ)の嶋へ御着有り。源大夫(ゲンシヤウ)ト申人の所に旅宿(リヨシク)被成けるに。岩戸姫とてみめかたちよかりけるに。〔ヒメノ有シヲ。〕尊御心をうつされ一夜の御ちぎり深うして。互に御心指浅からされ共力不及御立被成。駿河の国ふじの裾(スソ)野に至り給ふに。いてき拾万余騎とハ申せ共。何も鉾(ホコ)をかたむけかうさん申間ゆるし置るゝ。折節比ハ陽月(ヤウゲツ)の事なれば。其国の凶徒(キヤウト)等(ラ)申上ルハ。此野に鹿(シカ)多ク御座候 狩(カリ)して慰メ(ナグサメ)可申とあれば。尊ハ色(イロ)付〔ク〕木々に詠入四方(ヨモ)の気色(ケシキ)をゑいらん有所に(ヲ)。夷(ヱビス)ハ尊を中に取籠メ(コメ)奉り。四方(シホウ)の枯(カレ)野に火をかくる故。風はげしければ(クシテ)焔(ホノヲ)頻(シキリ)に●(モヘ) 上(アカリ)り(アカリ)。野火(ヤクハ)も鬼神も攻(セメ)近付ケハ。既(スデ)に御命も危(アヤウク)見へ給ふ所に。尊ハ釼をとらせ給ひ四方の草木(ソウモク)を薙(ハライ)給へば。焔(ホノヲ)忽(タチマチ)吹返し夷(ヱヒス)悉(コト)ク亡(ホロヒ)申。夫より草薙(ナキ)の釼とハ名付給ふ。又火石(クハセキ)水石(スイセキ)の不思義((議))も御座有実候。尊ハ猶奥へ御下向有(ナサレ)。国々の凶徒等(キヤウトウ)所々の悪神を不残御しづめ被成(アリ)。同五十三年に尾張の国へ御帰り有り。〔○((朱))〕岩戸姫に御対面被成〔○((朱))次〕夫より都へ御上落((洛))有しが。去子細有ツてろしより御悩(ゴノヲ)とならせ給ふが。終にハ白鳥となつて南方へ飛去り。後にハ正敷神明と現し。忝も熱田(アツタ)大明神と顕れお在ス。同岩戸姫も神となり。又源太夫夫婦も東海道の守護(シユゴ)神(ジン)と成給ふ。惣して此所を熱田(アツタ)と名付し事も。草薙の釼よりおこりたる名にて候。〔先当社の神秘ハ大方如此ニ候〕 ○「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉 扨ハ我等の存ルにハ当社明神にて御座有ふすると推量致す 夫をいかにと申に天下泰平に治り目出度折節なれば明神かりに顕出給ひ目出度子細を委御物語有たると存ル間餘りにあらた成御事なれば弥御祈念被成重て寄((奇))特を御覧なれかしと存ル 「左有らハ我等ハ御暇申候 〔(「)是ハ奇特成事仰らルヽ物哉 扨ハうたこふ所もなき日本武ノ尊橘姫顕れ出御言葉替されたるかと推量いたす 弥おこたりなく御経をも御とくじゆ有重テ寄((奇))特を御覧有れかしと存ル〕 〔熱田社鎮座ヨリ宝永三年迄千五百七拾八年〕   拾四 逆鉾 〔ワキヨリ喚出ス事モ有リ 又狂言ヨリカヽル事モ有 其時ハ ○(「)是ハ和州龍田の山下に住者にて候 今日ハ明神へ参らはやと存ル〕 「先当社に付此豊葦(トヨアシ)原と申ハ。昔転輪(デンリン)聖王(シヨウヲヽ)の御代に俄に天地六種(ロクシユ)震動(シンドウ)して。天竺(テンジク)霊鷲山(リヨウジユサン)の艮(ウシトラノ)の角みつたらせんと云嶽かけ下ツて。大海ニしづミ此辺迄来ルを。夫より廿萬一千四百余年をへて。伊弉諾伊弉冊出世し給ふ。当初(ソノカミ)国常達(クニトコタチ)の尊(ミコト)侘((?))しての給ひけるハ。豊葦原に千五百種(センコヒヤクシユ)野(ノ)国(クニ)有り。汝よく知ルへしとて天の(アマノ)御鉾(ミホコ)を授(サツケ)られしを。夫婦の御神ハ天祖(テンソ)の御教(ヲシヘ)へのごとく改(アラタ)めんとて。天の浮橋に二神(フタカミ)たゝずミ給ひて。かのみほこを以て下界(ゲカイ)をさがし給へハ。淡路嶋鉾(ホコ)の先に当りしを。阿波国かとて鉾を引上給ふ。其霤(シタヽリ)の潮(ウシホ)こりかたまつて一ツの嶋と成〔ル〕。されば其時御鉾(ミホコ)を青海原(アヲキウミハラ)にさしをろし給ふ故に。天(アマ)の逆鉾(サカホコ)とハ申実候。然ハ日(ヒ)の(ノ)本(モト)を初て(ハシメテ)見初(ミソメ)我が国と成事が。甲(キノヘ)子の年成に仍テ。子を一番に置ハ此子細と承ル。其時一ツの芦原生(ヲヒ)出し故。豊芦原中津(ナカツノ)国とハ申ス。又秋津(アキツス)洲ハ南州(ナンシウ)とハ云ながら。東海とて巽(タツミ)にて日の堺成により。日輪(ニチリン)をかたどり日域(ヒシヨウ)共申実候。然ル〔ニ〕此伊弉諾伊弉冊の尊の御本地ハ。大日(タイニチ)覚(カク)王(ヲヽ)如来(ニヨライ)成ルが我が朝をあらわさんが為に。忝も夫婦の御神と現じ。和光(ハコウ)の姿をかりにあらわし給ひたると申。又か程の御鉾を当山に納置れし故。此お山をも宝山(ホコサン)と申由語伝へ候。其御鉾(ミホコ)の守護(シユコ)神(ジン)瀧(タキ)祭(マツリ)の御神と申ハ。則当社明神にておわしますよし承る。故に此山の紅葉ハ常のと替り。鉾のはさきのやいばのごとく皆(ミナ)八葉(ハチヨウ)有故に。神前のいがきの内まで生茂れ(ヲヒシケレ)共。一枝(イツシユ)一葉(イチヨウ)折事もならず。か様に渇仰(カツゴウ)致も此子細にて御座候。当山の目出度謂(イワレ)ハ如此。扨唯今ハ何故お尋被成為((たる))ぞ。不審に御座候 ○「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国な((共))くかんなきの躰にて罷出。当社の神秘(ジンビ)をくわしく可語者ハ。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の推量致すハ。当社瀧(タキ)祭(マツリ)の御神にて御座有ふすると存候。夫をいかにと申に。此所へ御参詣を嬉敷う思召。かりに人間と現じ。声詞を御かわし被成為((たる))かと存ル間。餘りに新成御事なれバ。弥神前において御祈念被成。重而きとくを御覧なれかしと存ル 〔(「)言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様之御方ハ此あたりにては覚ず候。扨ハ我等の存ルにハ。当社の御神たきまつりの神にて御座有うずるとすいりやういたす。あまりにあらた成御事なれバ。いよ〳〵しんぢんわたくしなく御きねん被成。かさねてきどくを御覧あれかしと存ル〕   拾五 箱崎 〔ワキ喚出シ〈高砂〉同前也〕 「先当浦に於て箱崎の松と申子細ハ。昔(ムカシ)神功(シングウ)皇后(コウクウ)異国(イコク)退治(タイジ)の御為に。九州(キウシウ)四(シ)王寺(ヲヽジ)の峯(ミネ)ニあからせ給ひ。去ル霊木(レイボク)の枝(エタ)にこがねの鈴を結(ムスヒ)付。七日七夜御祈祷(コキトウ)有り。此浦に於て戒(カイ)定(ヂヤウ)恵(エ)の三学(ガク)の妙文(ジク)を。則金(こガネ)の箱に入レ〔玉ヒ〕。此松の下に埋(ウス)ミ置給ふに仍テ。扨こそ箱崎の松とハ申す。左有に仍(ヨリ)テ此所にて松吹風なれば〔風〕。磯(イソ)打(ウツ)浪(ナミ)なれば波と存候へは。貴(タツトキ)人の御耳(ミヽ)にハ。松風も波の音もたぐへて聞ば。四徳(シトク)波(ハ)羅(ラ)密(ミツ)〳〵とひゞくと承及候。頓(ヤカ)而御出(シユ)舟(セン)有ツテ異国(イコク)へうつ立給ひ。彼土(カノド)に押渡り夷(エヒス)を悉(コト)ク御(ヲン)亡(ホロボ)しなされ。御弓の弭(ハス)にて岩窟(ガンクツ)に異国の夷(ヱヒス)ハ。日本の犬成と遊し帰らせ給ふに。彼夷(エヒス)共無念(ムねン)ニ存シ。其字を鏟(ケツリ)候えば。其下猶的歴(アザヤカ)に文字の姿見へ申事。弥天下(テンカ)泰平(タイヘイ)国土(コクト)安穏(アンセン)の瑞相(ズイソヲ)ニテ御座候。是ニ付様々子細有実候え共。委事ハ存も致す 先我等の存たるハ如此ニ候 (「)言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉 扨ハ旁(カタ)の遙(ハル)ばる当社へ御参詣有に誰有て罷出箱崎の松の謂(イワレ)委(クハシク)御物語申者有間敷と思召当社の御神かりに人間と現し委(クハシク)御(コ)雑(ソウ)談(タン)被成たると推量(スイリヨウ)いたす 餘りにふしき成御事なれば今宵ハ是ニ御参籠(コサンロウ)有り神前にをいて私(ワタクシ)無(ナク)御祈念(コキネン)被成重て誠(マコト)の神(ジン)姿(セイ)を御覧し其後都へ御登((上))りあれかしと存ル 「御尤ニ候   拾六 吉野 「当山の者とハ誰にて渡り候ぞ 「去程に当山と申ハ。天竺五台山(ゴダイサン)の片割(カタワレ)にて御座候間。此吉野ハ金(カネ)の御山(ミヤマ)の由申。左有に依て金の峯(ミネ)とかいて金峯山(キンフサン)と読(ヨム)などゝうけ給ル。当来(トウライ)導師(ダウシ)弥勒仏(ミロクフツ)ハ三会(サンカイ)の暁(アカツキ)。則此山後御出(シユツ)世有べき程に。かゝる目出度此山に守護(シユゴ)神(ジン)なくてハ叶間敷とて。役(ヱン)行者(キヨヲシヤ)七日七夜御祈(イノリ)あれば。地蔵ヲ一躰(イツタイ)祈(イノリ)出し給ふを。則川上へ勧請(カンシヨウ)被申。重て御祈誓(キセイ)候へバ弁才天現(ゲン)シ給ひて候。是をば此山深ク祝(イハ)ひ申され。てんのかわの弁才天にて御座候。其後真実(シンジツ)の守護(シユゴ)神(シン)顕(アラハ)れ給へと。肝胆(カンタンヲ)摧(クダキ)御祈被成るれば。蔵王(サハウ)権現顕れ給ふ。是社(コレコソ)当山(トヲサン)の守護神なれバとて。行者(キヨウシヤ)喜悦(キヘツ)の思ひをなし。今ハ是迄なりと御数珠(シユス)をなけ給へば。権現数珠(シユス)におそれ一方の御足を上給ふ故に。昔が今に至ル迄蔵王(サハウ)の足の落もつかぬとハ申伝候。其後子守(コモリ)勝手(カツテ)の明神も御出現被成。弥当山繁盛(ハンチヨウ)仕候。又吉野々花と御賞翫(シヤウクワン)有ハ。明神桜を一枝御指(サシ)被成候へば。一夜の間にか様に夥敷(ヲヒタヽシク)成たる故。千本(チモト)の花と名付申シ。哥人(クワジン)の詠(ヱイ)にもよミ置れ。天下に無隠名(メイ)木(ホク)にて候。しかのミならず当山と申ハ。当来(タウライ)導師(タウシ)出世(シユセ)の地(チ)なれば。五拾六億(ヲク)七千万歳の三会の暁(アカツキ)の成(シヤウ)道(タウ)成由承ル。惣して此山に付色々子細有実候え共。委事ハ存も致ず 先我等の存為((たる))ハ如此に候 「言語道断不思義((議))成事を仰らるゝ物哉 左様何国共不知(シレス)山賤(サンソク〔ヤマカツ〕)の罷出当山の子細委可語者此他りにてハ不覚候が扨ハ我等の存ルにハ子(コ)守(モリ)勝手の明神かりに顕れ出給ひ声詞を御替し被成たると存ル間餘りに不思義成御事なれば暫是に御座候て重而奇特を御覧有其後御上落((洛))あれかしと存ル  〔「言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。惣して山勝((賤))などに左様に心のあらふする者ハ不覚候か扨ハ我等のすいりやういたすハ子守の明神かりにいやしき山がつとげんじ御詞をかわされたるかと存ル 是と申も余人にかわりたる御方なれば和哥の道にハ神ものうじう有と申程に左様の子細により顕れ出給ひたるかと存ル間しばらく此所に御逗留有り重てきとくを御覧なれかしと存ル〕 〔「是ハきとく成事を被仰るゝ物哉 左様ニいつく共なく山賤のていにて罷出当山の子細委可語者此他りニて不覚候か扨ハ我等の存ルにハ子守勝手の明神かりに顕出声詞を御かわし被成たるかと存ル間誠左様に思召ハしばらく此所に御座候てしんじん私なく御きねん被成重てまことの神姿を御覧なれかしと存ル〕 〔金峯山 蔵王 宝永三年迄千百六拾九年 役行者 千六年 ○元文四年迄千三拾八年ニ成 年代記抜言((書))ニ有り〕   拾七 代主 〔〈葛城賀茂〉〕 「山下の者とハ誰にて渡り候ぞ  「先当社葛城(カツラキ)賀茂(カモ)の明神と申ハ。王城(ヲヽシヨウ)の鎮守(チンシユ)と崇(アカメ)給ふ。則(スナハチ)都(ミヤコ)鴨(カモ)の明神と御一躰(コイツタイ)と承ル。然とも開闢(カイヒヤク)より此かた影降(ヨウコウ)の初メハ此明神なり。抑神ハ正直(シヤウジキ)の頭(コウベ)にやどり誓(キセイ)新(アラタ)成御事にて候。惣じて神と云も仏と云も〔タヽコレ〕水波(スイハ)のへだてにて。本(ホン)地(チ)すいしやくと顕(アラハ)れ給ふ。左有に仍テ国土万民あゆミをはこび貴賤(キセン)群集(クンシユ)をなし申す。殊に此御山は御代(ミヨ)の宝(タカラ)の山とも。又(マタ)己(ヲノレ)身(ノミ)の弥陀(ミダ)唯心(ユイシン)の(ノ)浄土(シヤウド)共名付給ふ。是に仍テ法喜(ホウキ)菩薩(ボサツ)の御説法(コセツホウ)の所にて候。神(シン)蛇(チヤ)大王(ダイヲヽ)仏法(フツホウ)の守護(シユコ)神(ジン)として天下泰(タイ)平に守り給ふ。去程に玄弉(ケンソウ)三蔵(サンソウ)渡天(トテン)の時。流砂(リウシヤ)川(カハ)を渡り大般若(ダイハンニヤ)の妙軸(ミヨウジク)を授(サヅカ)り。末世(マツセ)の宝となし給へば。弥仏法(フツホウ)守護(シユコ)の為とうけ給。先我等の存たるハ如此ニ候 〇「言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。左様のやごとなき老人ハうたごふ所もなき。当社のこと代主の御神にて御座有ふずると推量致す。餘りにふしぎ成御事なれバ。弥信心私なく御祈念被成。重て奇特を御覧あれかしと存ル   シテ尉 小嶋厚板 大口 水衣 尉髪 末広 面   〇ツレ若男 厚板 大口 水衣 ちやせんかミ 末広    ワキ大臣   後シテ 〈高砂〉の切の通り   拾八 鵜羽 「鵜どの岩屋の者とハ誰にて渡り候ぞ 〔又(「)当浦 と喚出ス事も有り〕  「先天神七代地神五代の御神を鸕鷀草葺合(ウカヤフキヤワセ)尊(ミコト)と申子細ハ其父の御神御兄弟の釣針(ツリハリ)をかり海上(カイシヤウ)にうかミ釣をたれ給ふ所に鱗(ウロクス)の中にも心のわろき魚の有て針の糸をくひ切こくうにうせけるを御帰有此由かくと御申あればよのつねならず御ふきやう有シ故御釼(キヨケン)を針(ハリ)にくずし数を参らせらるれと夫も御同心なくとにかくに本(モト)の針をとらうずるとしきりにこわれ海底(カイテイ)に分(ワケ)入り龍宮(リウグウ)に至(イタリ)て見給ふに他(アタリ)もかゞやきおもはゆく思召桂(カツラ)の木(キ)の本(モト)に立寄給ふ所に豊玉(トヨタマ)姫(ヒメ)玉(タマ)の釣瓶(ツルベ)を持(モチ)井(イ)に向(ムカ)ひ水をむすひ被申しが水底(スイテイ)に人影(ヒトカケ)の見ゆるを不思義((議))に思召れ他を御覧有て御姿(ヲンスカタ)を見付如何様(ナル)御方ぞととわせ給へば我(ワレ)ハ日本(ニツホン)の尊(ミコト)成か釣針(ツリハリ)を魚(ウヲ)にとられ是迄尋来(タツネキタリ)為(タル)由(ヨシ)御申あれば其時鱗(ウロクス)の中を尋給ふにあかめ針を返(カヘ)し申 然ハ尊(ミコト)も豊姫(トヨヒメ)も互(タカイ)に御心を移(ウツ)され無程(ホドナク)懐胎(カイタイ)し給ふ 折節釣針に塩(シヲ)の満干(ミチヒキ)の玉を添(ソヘ)て参らせ此国へ送(ヲク)り帰シ申 御産家(ゴサンヤニ)に是成かりでんを作鵜(ウ)なての(ナテノ)森(モリ)より鵜(ウ)の(ノ)羽(ハ)を集(アツ)メやねをふき(カセ)一方(イツホウ)ふき今一方(イマイツホウ)吹も合(アハセ)さるにはや尊(ミコト)ハ御誕生(タンセウ)有ニより天神(テンジン)七代(ヒチタイ)地神(ジシン)五代(コタイ)鵜(ウ)かや吹合(フキアハ)せすの尊(ミコト)と申も此子細ニて有由承及候 先我等の存為((たる))ハ如此ニ候  「言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉 扨ハ某の推量にハうたこふ所もなき豊玉姫御兄弟の御方ニて御座有ふすると存ル 夫をいかにと申に宣旨(センジ)を蒙り是迄御下向なれバ嬉敷思召顕(アラハレ)出給ひ御詞を替されたると存ル間左様ニして暫是ニ御逗留有重而奇特を御覧じ其後御心静に御上落((洛))有かしと存ル   拾九 賀茂 〔〈矢立鴨〉〕 「か様に罷出為((たる))者ハ。都賀茂の明神に仕へ申末社の神にて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢(カイヒヤク)より神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光(イコウ)区(マチ)々成とハ申せ共。中にも当社賀茂の明神ハ。忝も王城(ヲヽチヨウ)の鎮守(チンシユ)にて。天下を守り給ふ御神なれば。一入御威光(ゴイコウ)新(アラタ)御座候。然は当社の御神躰(コシンテイ)と申奉ルハ。昔此所に秦(ソ)の氏女と申人の御座候ひしが。正直第一にして親に孝有。殊に慈悲(シビ)深(フカ)ク神の敬(ウヤ)ひ(マイ)。いつも川辺に立出流を汲て。神に手向られし故やらん。有時水上より白羽(シラハ)の矢一筋(ヒトスシ)流レ来ツテ。今の女人の水(ミツ)桶(ヲケ)にとゝまるを。何心もなく其矢をとりて帰り。我家の軒(ノキ)に指(サシ)置給へバ。彼秦(ハダ)氏の主程なく懐胎(カイタイ)し十月(トツキ)の末(スヱ)にハ。玉をのべたごとく成男子をよろこび。我ながら不審(フシン)に思われけれけれど。なのめならずにそだてし処に。その子三歳(サンサイ)斗に成比。御身の父ハいか成人ぞと尋ければ。軒(ノキ)に差置たる矢にゆひをさす。其時白羽(シラハ)の矢ハ鳴(ナル)雷(カミ)と現じて天に上り。分(ワケ)ケ雷(イカツチ)の神(シン)とならせ給ふ。故(カルガユヘ)に其御母御子も神に祝。かミ賀茂下鴨中(カモナカ)賀茂とて。賀茂三所(サンシヤ)の御神是成。先是ハ神徳の目出度子細。又当社と播州(ハンシウ)室(ムロ)ノ明神とハ。同(ヲナシ)一躰(イツタイ)の御神にて御座ハ(ヲハシマス)。室ノ明神の神職(ジンシヨク)の御方。唯今此所へ御参詣の由申間。先あれへ参。如何様成御方ぞ少見申さふする 〔ト云テ廻ル〕 先急で参らう。誠にか様の目出度折柄なれバこそ。遥々(ハル)室(ムロ)よりの御参詣なれ。只今お目にかからずハ中々見る事ハ御座ルまい。去ながらどこ元に御座ルぞしらぬ事じや。さればこそ是に御座るよ。さすが室の明神の神職(シンシヨク)の御方程御座るぞ。中々甍(イラカ)をならべた様につつく〳〵としておりやる。先某ハあれへ出うか。此様な躰で出るハいかゝなが。いや〳〵くるしからぬ事唯参らふ。是は当社に使((仕))へ申末社成ルが。此所へ御参詣の由承り。取物も取あへず是迄出て御座ル。此所に御逗留の内に。何のお慰もなふてハいかゞな。面白ハ御座なく共。何ぞ一曲致さうずるか 「やあ 「で御座る。心得て御座る。さすが室の明神の神職(シンシヨク)の御方程有ぞ。何ぞ一曲致さうずるかと申たれバ。よからうと思わるゝやら。左りのほがにこり〳〵と致た。何をがな致さうずる。いや思ひ出した。某此前ひとさしもふた事が有。急で是をかなぢやうずる。「目出度かりける時とかや 〔三段舞過太皷打上〕 あら〳〵目出たや目出たやな。かゝる目出度折柄なれば。末社の神も。顕出て。よろこびいさミ。是までなりとて末社の神ハ。〳〵。本の社に帰りけり   間出 立 厚板水衣 狂言袴 脚 伴 腰帯 末社頭巾 面登り髭 大扇 〔鎮座ヨリ宝永三年迄三千三百二十余年〕 〔△賀茂三所上賀茂分雷神 中賀茂タケツノミノ尊〔にぬりの や松尾〕 下鴨ミヲヤノ神玉奇((寄))姫〕 〔△中入雷上ノ事 シテノ中入雷上幕ノ内ヘ入ルト雷上ヲなをりて狂言ノ出羽ヲ打 是ヲすべて拍子方ノ方ニテハ門守ト云 狂言ノ方の門守ト云ニハ口伝有リ        厚板 水衣 かるさん こしおひ 太刀 弓矢 かんむりおいかけ  右之出立ノ時ハ謡ちごう〕   廿 嵐山 〔〈子守〉トモ云〕 「か様に候者ハ。和州(ハシウ)三吉(ミヨシ)野々子守(コモリ)勝手(カツテ)の明神ニ仕え申末社の神にて御座候。去程に此三吉野と申ハ花(ハナ)の名所成故。春にもなれば峯(ミネ)も●(ヲノ)峯(ヱモ)も華までにて。いにしへの哥人も雪(ユキ)か花(ハナ)かとうたかわるれば。花木(クハホク)多き(ヲヽキ)中に殊ニ千本(チモト)の桜とて。天下に隠なき名木(メイホク)の候を。君聞召及ばせ給ひ。ゑひらん被成度思召ど。遠万(ヱンマン)十里(ジウリ)の外なれば。花見の御幸(ゴコウ)成難(ナリカタ)ク(ク)して。千本の桜の種(タネ)を取り。都の西嵐山に移し(ウツシ)植(ウヘ)置れし所に。元より恵(メクミ)深(フカ)き故花木(クハホク)悉(コト)クおひつき。誠に吹風迄も此山をよぎて吹けば。花の栄(サカ)行(ユク)事数かぎり無御座故((ママ))。君の叡慮(ヱイリヨ)浅からずして。急見て参れとの宣旨(センシユ)により。唯今勅使(チヨクセウ)御下向被成るゝを。子守勝手明神ハかりに顕。 千本の桜の子細など委御物語有り。重而和光(ハゴウ)の姿を顕し神遊(カミアソビ)被成。勅使(シシヤ)を御慰有べきとの御事なれば。某にもあれへ参勅使(チヨクセウ)を慰(ナクサ)メ申せとの御事により。取物も取あへず罷出た 急て参らうずる   間出 立 厚板 水衣 狂言袴 脚 伴 腰帯 末社頭巾 面登り髭 扇 〔和哥習 「三吉野々花をかさせる袂かな 「花もさかゆく時とかや 「三吉野々花もさかゆくけしきかな あら〳〵目出たや〳〵な なをよろこびハをゝい川花もさかゆく末社の神ハ〳〵ハ三吉野さしてぞいそきける〕 〔大和国吉野ノ明神ノ末社ノ神ト名乗 鷺仁右衛門方〕 〔和州三吉野ノ蔵王権現ノ末社ト云 大蔵弥太郎方〕   廿一 大社 「か様に罷出為((たる))ハ。出雲の国大社に仕へ申末社の神にて御座候。先此秋津須と申ハ。昔天地開闢(カイヒヤク)の始より神国成しに。伊奘諾伊奘冊出世の後ハ。神道弥盛(サカリ)なれば。霊神国々に跡を垂(タレ)威光(イコウ)様々成とハ申せど。取分当社の御事ハ。辱(カタジケ)も(ナクモ)二神(〔フタ〕ハシラ)の御神第四(タイヨ)の御子にて御座(ヲハシマ)ス(ス)に(ニ)より。神の父母三拾八社(シヤ)の御神を不残勧請(クハンチヨウ)の霊地(レイチ)なれば。則大社と崇(アカメ)奉り効験(カウゲン)一天に聞へ。利益(リヤク)四海(シカイ)に満(ミチ)々ければ。遍(アマネ)ク(ク)衆生(シユセウ)ハ申〔ニ〕不レ及。諸神も各(ヲノヽ〔ヲノ〕)渇仰(カツコウ)成され(ナサレ)。毎年当月一日〔ノ〕刁(トラ)の刻(コク)に。日本の神々悉(コト)ク当社へ御影降(ヨウゴウ)被成。男女の縁(ヱン)を結ひ給ふ事。偏(ヒトヘ)に当社の御神徳なり。夫に就あれ成海道(カイドウ)ハ上(カミ)道下(ミチシモ)道(ミチ)中道とて去ル子細有ツテ当月ハ。あの上道を人の通り申事罷ならず候。然に是成柴(シバ)を神(ジン)守(シユ)の柴と申謂(イハレ)ハ。此柴へ神々駒(コマ)を放(ハナチ)給ふ故。当月ハ件(クタン)の柴へ人間ハ牛馬(ギウバ)を放(ハナチ)不申候。左有に依て他国(タコク)にてハ楊(ヤウ)月を神無月(カミナシズキ)と申を。此所え諸神悉(コト)ク集り(アツマリ)給ふにより。当社にてハ神有月と申も此子細にて候。是ハ神徳の目出度謂(イハレ)。又当今(トウギン)に仕へ御申有臣下(シンカ)。当月の神秘(ジンヒ)を拝(ヲガミ)度思召。唯今御参詣の由申間。先あれへ参りいか様成御方ぞ少見申さうすると存て罷出た 急て参らう 〔ト云テ道行一返廻ル 常ノ通 三段ノ舞有 太皷打上 謡〈賀茂〉同前〕   間出 立 厚板 水衣 狂言袴 脚 伴 腰帯 末社頭巾 面登り髭 扇 〔大社御鎮座ヨリ宝永三年迄五百四十六年〕 〔御神躰ハ大己貴尊 則大こく也 御宝物常のミのかさつちと云ハくわなり 御宮はしやうでん作りと云 外ニハなきよし 毎年十月十一日より七日の内御祭 いつく嶋よりしゝ さぬきのこんひらより猿使者 龍宮よりりやうじや使者 則大社の御札ヲ所々ゑくばる御師なとの様成人江戸ニ旅宿多久喜大夫と云人被申候〕   廿二 松尾 「か様に罷出為((たる))ハ。松尾(マツノウ)の大明神に仕へ申末社(マツシヤ)の神(シン)にて御座候。去程に我が朝(チヨウ)日域(ジチイキ)ハ小国(シヨウコク)なれ共神国にて。諸神国々に跡(アト)を垂(タレ)。霊神(レイシン)四方(シホウ)に御座スとハ申せ共。中にも此松尾の明神ハ。秦(ハダ)の都(ト)理(リ)大宝(タイホウ)元年に。始テ当社を御建立(ココンリウ)有り〔○((朱))〕ふとしき立(タテ)テ大山听(ヲヽヤマギ)神ヲ祝(イハ)ひ奉り。則賀茂日吉当社何も一躰(イツタイ)分神(フンジン)にて〔次((朱))○〕忝も大雷神(ヲヽイカツチ)にて霊験(レイケン)無双(ブサウ)の神明なれば。御祭(コサイ)礼ハ貞(ジヤウ)観(グハン)年中に始り。四月上(カミ)の申の日取被(トリヲコ)レ行(ナハセ)。近里(キンリ)遠浦(ヱンホ)のわかちもなく。毎日(マイニチ)毎夜(マイヤ)老若(ロウニヤク)男女(ナンニヨ)共に。あゆミをはこぶ衆生(シユシヤウ)数(カス)限(カキ)りなければ。神前の賑(ニキハシ)ウ(ウ)座ス御事。凡幷(ヲヨソナラヒ)為(タル)神も御座無候。誠に神慮(シ リヨ)ハ崇(アカメ)ても厭(アキタラヌ)御事成ぞ。和光同塵(ワコウトウヂン)の御垣(ミカキ)の内にハ。年ヲ迎(ムカヘ)て般若(ハンニヤ)の真(シン)文(モン)を講(コウ)し。利生(リシヨウ)方便(ホウヘン)の社(ヤシロ)の前にハ。日ヲ追(ウツ)て慮(リヨ)在(サイ)の霊天(レイテン)を仰(アヲグ)。神明の納受(シユノヲ)疑(ウタカイ)無(ナシ)。摂取(セツシユ)の願望(グハンモウ)成就(セウシウ)円満(ヱンマン)の霊地なれば。社内(シヤナイ)山林(サンリン)の草木(ソヲモク)を動ス(ウゴカス)風迄も。取分〔キ〕長閑(ノドカ)に見ゆる松尾の。千年世の秋も所柄(トコロカラ)。峯(ミネ)の紅葉や染(ソメ)ぬ覧。然ハ以(イニ)性(シヘ)一条院。初テ当社へ行幸(ミユキ)被成。宝祚(ホウソ)長久の御念涌(コネンシユ)有シに。其時源の兼隆(カタ)の哥に。千早振松の尾の影(カゲ)見れば。けふそ千年世の初なりけりと。か様に詠(ヱイ)し給ひ候。夫より代々(ヨヽ)の帝(ミカト)弥(イヨ)渇仰(カツコウ)の御神にて御座ス。是ハ当社の目出度子細。又当今(トウキン)の臣下(シンカ)唯今御参詣の由申間。拙者ハあれえ参いか様成御方ぞ少見申さうずる 〔是より常ノ末社の通り 三段舞有 謡〈加茂〉同前 出立も同前〕 〔千早振松の尾山のかげ見れは今日ぞ千年の始なりける 源兼澄哥 後拾遺神祇〕 〔大山唯神 〇神道家ニハ大巳貴ノ変化也ト申 大宝元年秦ノ都理始テ此社ヲ建テリ 日吉三輪松尾皆同体ノ神也 延喜式第九神名帳ニ山城国葛野郡松尾神社ニ座ト有リ 〇貞観年大宝始テ神殿ヲ建立シケルカや 大山唯神ノ御事 〇御鎮座ヨリ宝永三年迄千六年〕   廿三 浦嶋 〔〈 龍神浦嶋〉ノ時ハ蓬莱ノ作物出ル 持テ出テ正面ノ真中ニ置テ名乗ル 又目付柱ノ元ニ置トモ有 其時ニ尋ベシ〕 「か様に候者ハ。丹州水の江に跡を垂給ふ。浦嶋の明神に仕へ申末社の神にて候。去程に当社と申奉ルハ。当国与謝(ヨウチ)の郡(コウリ)に浦嶌太郎と申人。毎日あの嶋さきにて釣を垂(タレ)給ひしが。有時海中より頭(ヒタイ)にハ青(セイ)玉(キヨク)をいたゞき。甲にハ五色の文のあらわしたる大き成ル亀一つ釣上たるを。亀ハ万年をふるときけば我も夫にあやかり所も繁昌居タスやうに守レと云て。又元の海へ放(ハナチ)テ我家に帰ル所に。いづくともしらず姫一人来り太郎を呼出し。此方へ御出あれとて先へ案内者していざなわれて海中に入ハ。種々様々に持(モテ)賞(ナシ)日夜(ニチヤ)朝(チヨ)暮(ボ)の遊覧心も詞も及がたく。さながら雲の上人のごとくに渇仰(カツコウ)し。蓬莱(ホウライ)山に一七日逗留にて帰らんといへバ。彼の姫浦嶋に玉匣(タマテバコ)を与(アタヘ)へ。かまひて此箱をあけ給ふなと堅クいわれて〔セイシトモ云〕。太郎ハ嬉敷ク思ひ送(ヲク)られて古郷に帰り見るに。人のさま家の躰迄も富貴(フツキ)繁昌(ハンチヨウ)致す間。以(イニ)性(シヘ)住たる他り(アタリ)とをほしき所ニ立寄。我身の事を余所の様に尋ければ。其浦嶋太郎ハ知らぬ女にいざなハれテ。七百年先に行方知らず成給ふと云を聞。名乗て子孫にあひたる故ニ。七世の孫に逢と云ハ此事也。其後彼玉手箱を床敷(ユカシク)思ひあけて見れば。七百年のしわをたゝみつるを巻籠入レ置に仍テ。太郎ハ俄に白髪の老人と成ニより。浦嶋が玉手箱あけてくやしきとハ此ことにて候。故ニ浦嶋の明神と祝ハれ給へど。とびらをもあくる事なく神楽も庭(シイ)火(クハ)も宵(ヨイ)斗にて。あくる事をいミ申ス御事ニ候。先当社の目出度子細ハ如此。又亀山の院の臣下是へ御参詣の由申間。先あれへ参て見申さうする 〔是より常の末社の通り 三段舞有 謡〈かも〉同前 出立同前 シテハ老人 ツレ女也 ワキ大臣 ワキ出テ作物亀に宝木ヲカザリテ出ス 中入シテ雷上ニテ入ル(以下一行綴じがきつくて読めず)〕   廿四 白髭 「か様に候者ハ。江州白髭の明神に仕へ申末社の神にて御座候。去程に天地已(スデニハカレ)分(スデニハカレ)テ後。第九の減劫人(ゲンコウニン)寿(シユ)二萬歳の時。迦葉仏(カシヨウブツ)西(サイ)天に出(シユ)世仕給ふ時分。大(タイシヨウ)聖(タイシヨウ)釈(シヤクソン)尊(シヤクソン)其授記(ジユキ)を得て都卒(トソツ)天に住給ひしが。 八相成(シヤウ)道の後遺(ユヒ)教(キヨウ)流布(ルフ)の地。何の所〔ニ〕か在可とて。此南瞻(ナンセン)部州に遍(アマネク)飛行(ヒキヨウ)し(シ)御覧ずるに。漫々(マン)たる大海の上にして。一切衆生悉(シユシヨウシツ)有(ウ)仏性(フツシヨウ)。如来常住(シヤウジウ)無有(ムヘ)変(ン)若(ニヤク)と立浪(ナミ)の音有り。釈迦(シヤカ)如来此理(コトハリ)を能聞召テ。扨ハ此浪の流(ナガレ)止らん(トヽマラン)する所一(ヒトツ)の(ノ)国となり。我(ハガ)行法を弘通(グズウ)する霊地たるへしと思召。則其浪の流行ニ随(シタガ)テ。拾万里の滄海を凌(シノキ)来り見給ふに。彼浪一葉(ヨウ)の葦(アシ)の海中に浮(ウカメル)に(ニ)止り(トヽマリ)。其芦果(ハタシ)し(テ)て一ツの嶋と成ル。今の比叡山(ヒヱイサン)の麓(フモト)大宮権現の波止土(ハシト)濃(コマヤカ)なり。是に仍テ波止土(ハシト)濃(コマヤカ)とハ。なミとゞまつてつちこまやかなりとかけり。扨其後人(ニン)寿(シユ)百歳(ヒヤクサイ)のとき。悉(シツ)達(ダ)太子(ダイシ)ハ中天竺摩竭提(マカタ)国(コク)の。浄(シヤウ)飯(ホン)ノ王(ヲヽ)宮誕生(タンシヤウ)し給ふ。御年拾九にて二月上の八日の夜半に。王(ヲヽ)宮を遁レ(ノガレ)出(セツ)雪山(センサン)に身を捨(ステ)。万事の正覚(セウガク)をとげ其以後数年の((ママ))へて。此芦(トヨアシ)原中津(ナカツ)に来り見給ふに。其比ハ鸕鷀草(ウガヤ)葺合(フキアハセ)尊(ミコト)の御代なれば。人未仏法の名字をだにもしらず。然とも此地ハ大日遍照(ヘンジウ)の本国として。仏法東漸(トウセン)の霊地たるべければ。何れの所にか応化(ヲヽケ)利生(リシヤウ)ノ門を開くべしと。かなたこなたを尋給ひ。此比叡山の麓(フモト)志賀の浦の辺に。老人の釣(ツルギ)をたれて居たるを御覧じ。汝此所の主ならバ当山を我にゑさせよ。頓テ仏法の霊地になすべしと被仰ければ。其時漁(キヨ)翁(フ)こたへていわく。我人寿(シユ)六千歳の昔より此辺を住家として。此湖水(コスイ)の七度迄桑原(クハバラ)と変(ヘンゲ)ぜしをもまさしく見たるに。唯今爰に仏閣(ブツカク)を立殺生(セツシヤウ)禁断(キンダン)となすならば。漁捕(スナドリ)する所有間敷きと思召。釈尊(シヤクソン)早クさつて他国(タコク)に御求あれと。荒(アラ)々との給ひたるハ。忝も今の白髭の明神にておわします。是と有も神と云も仏と云も皆是水波の隔(ヘダテ)にて。釈迦如来ハ菩提(ボダイ)の道に引入レ給ひて。遍(アマネ)ク(ク)衆生(シユシヤウ)を助(スクイ)給わんとの御方便(ゴホウヘン)なり。又白髭の明神ハ。現世にてハ諸々(モロ)の魚人を助来世にてハ。業尽有情(ゴウシンウシヨウ)雖(スイ)放(ホウ)不生(フセウ)。故宿(ゴシヨク)人中(ニンシユ)同証仏果(ドウセウフツクハ)の御心(ミコヽロ)にて。一切の鱗(ウロクス)をすくひ給わんとの御結縁(ケチヱン)と承ル。先是ハ当社の目出度ハ如此。又雲の上人の御参詣の由申間。先あれへ参りいか様成御方ぞ見申さうする 〔是より常の末社の通り道行云テ三段の舞有 謡〈加茂〉同前 出立も同前〕 〔白髭大明神社 神代ヨリ鎮座 〇江州湖 宝永三年迄千九百九十三年〕    廿五 冨士山 「是ハ浅間大菩薩に仕へ申末社の神にて御座候。去程に我等の是へ出ル事別(ヨ)の義にあらず。先此冨士山と申ハ。仁王六代孝安天皇九拾二年。六月の比(コトナルニ)一夜の中(ウチ)に涌出して。月氏七道の大山天竺より飛来ル故。則新山共名付申す。頂上(チヤウジヤウ)ハ八葉(ハチヤウ)にして万(マン)水(スイ)を湛(タヽヘ)。誠に西天(サイテン)とうど扶桑(フサウ)にもならびなき名山にて候。然は昔もろこしより方士(ホウシ)と申(云)者此山に至り。不老不死の薬を求シ例に任せ。今又聖明王の士卒(シソツ)此土へ渡り。則冨士山に尋入給ふ所に。大菩薩ハ仮リニ顕れ当山の妙(タヘ)成(ナル)子細。又冨士(フロウフシ)の薬にて冨士の烟(ケムリ)の立しいわれとう委ク御説話被成候。扨又当山の薬を服する輩ハ。寿命長遠成事うたかひなし。猶も権現耀(カクヤ)姫御姿を顕し。冨士の御薬を唐土の勅使へあたゑ御申有べきとの御事なれば。其間に我等ごとき者にも罷出。何ぞ一曲仕り韓人(カラヒト)を慰メ申せとの御事なれば取物も取(トリ)敢(アヘ)ず罷出た 〔是より常の末社の通り道行有テ三段舞有リ 謡〈加茂〉同前 出立も同事なり〕 〔△冨士浅間大菩薩 あさまをふじにうつすゆへにせんげんとハあさまと書なり〕 〔△仁王六代孝安天皇九十二年ノ六月ノ比一夜ノ中ニ涌出ト有ル 化((ママ))流ノ書物ニハ仁王二十二代雄略天皇ノ御宇ニ一日一夜ノ中ニ涌出シタリシ山ナレトモ霞ニ隠て見るもなかりしを仁王三十一代敏達天皇ノ御宇ニ役ノ行者見付給ひ山を踏分給ひしより冨士山と顕レタリト有ル 是ハ仁王ノ代違申候 初ニ書テ有がよし 年代記ニハ出現ヨリ宝永三年迄ニ千九百九十三年ト有リ〕   廿六 岩船 「か様に罷出為((たる))者ハ。忝も摂州住吉の大明神に仕え申ス末社の神にて御座候。先此日域(ジチイキ)に跡を垂給ふ諸神多シといへど。中にも当社住吉大明神ハ。檍(アヲキ)原(カハラ)の浪間より顕(アラハレ)出給ひ。霊験(レイゲン)あらたなる御神なれば。一入御威光新に御座候。左有に仍テ君も別而渇仰(カツコウ)の霊神なれば。弥此所繁昌の其為に。此度新市を立テ。高麗(コマ)唐土(モロコシ)の(ノ)宝を商売(セウバイ)仕り。万民の力に叶さる財(タカラ)をば帝へ備(ソナヘ)べきとの宣旨(センジ)にて。唯今勅使御下向なれば。明神も嬉(キエ)悦(ツノ)の思ひをなし給ふ故。上界(カイ)の天人下界の竜神(リウジン)迄も悦(ヨロコビ)をなし申により。天の作(サク)女ハ唐(カラ)ひとの躰にて出合。声詞を替シ給ふが。今度ハ昔の嘉例(カレイ)を引。数の財を岩舟に積(ツミ)当浦へ付ケ。君へ捧(サヽ)ケ申さうするとて其儘(マヽ)帰られ為ルにより。我等ごときの者までも罷出勅使を慰メ申せとの御事なれば。取物も取あへず是迄出テ御座る。先あれへ参申さう 〔是より常ノ末社ノ通り 和哥ヲ上三段舞太皷打上テ謡〈賀茂〉同前なり 出立も同事也〕 〔△大蔵流ハ語間也 初当浦者 後ノセリフ (「)是ハ奇特成事を御諚候物哉 扨ハ此所に宝ノ市ヲ御立被成故高磨唐土ノ宝ヲ買とらせられうずるとの御勅使ニて御座候へハ下界ノ龍神天ノ作女龍神ノ真ノ様躰を御覧有て其後心静に御上落((洛))有かしと存ル〕 〔△喜多流中入雷上有リ〕    (江嶋) 〔〈江の嶋〉ノ間空山居士ノ時より此間ヲ弟子へ相伝スル (「)是ハ相模の国江の嶋の弁才天ニ仕へ申嶋津鳥の情((精))ニテ。我等も末社の神ニテ御座候。去程に当嶋と申奉ルハ。きんめい天皇〔の御宇に〕【十三年】世間打おゝひ。ぢうじつばかりが内ハ日月もあきらかならぬ所に。少のはれまと思召折節。諸々の神明ぶつだの出現被成。とこやミのごとく成しが清((ママ))天となり。見れば当嶋涌出仕ルを。此浦の江のになぞらへ江嶋と申而(テ)。廻れば三十余町 是よりあとにかいて有常の通〕 〔跡ニ書テ有間ハ古来ヨリノ間 朱ノ丸ヨリ朱ノ丸ニ次ト云字ノ所迄ハ弟子へぬいて相伝すべし〕   廿七 江嶋 是ハ相模の国江の嶋の弁才天に仕へ申鸕鷀(シマツトリ)の情((精))にて〔嶋津鳥ノ情ニテ〕。我等も末社の神にて御座候。去程に当嶋と申奉ルは。欽明天皇〔〇((朱))〕拾三年(の御宇に)卯月十二日戌の刻より〔〇((朱))次〕。世間打霞(ヲヽイ)十日斗(ジウジツハカリ)の(ガ)内(ウチ)ハ日月も明らかならぬ所に〔〇((朱))〕。殊に此嶋の近辺にハ雲霞覆(ヲヽヒ)くらふして。時ならぬ●(シグ)留(レ)のごとくに大雨(ヲヽアメ)降(フリ)しが〔〇((朱))次〕。少の晴間(ハレマ)と思敷折節〔〇((朱))〕見れば。上ハ凡天帝釈しだいの天皇。上界の天人下界の龍神。山神夜刃((叉))鬼神雷電迄〔〇((朱))次〕。諸々の神明仏駝((陀))の出現被成〔〇((朱))〕。〔とこやミのごとく成しが〕。大石を重上岩をそばだて様々有りて。同廿三日の午の刻ニハ〔〇((朱))次〕。晴天と成し間(り)見れば当嶋涌(ユジユ)出仕ルを。此浦の江のになぞらへ江の嶋と申て。廻れハ三十余町高き事ハ数千余(スセンヨ)丈(シヤウ)なり。是ゑ弁才天の影降(ゴヨウゴウ)被成し故。忝も福寿(フクジユ)円満(エンマン)の霊地なれば。当嶋へ一度成共参詣の輩ハ。三千世界の内無量(ムリヨウ)の福の宝をあたへ給わんとの御誓(チカイ)ひなり。夫のミならず天仏の御利益(リヤク)深き事。申もおろか成御事にておわします〔ぞ〕。夫をいかにと云に。武蔵相模の間に深沢と云水海に大蛇(ヲロチ)すんで。人を取事かぎりなし。殊に其比ハ龍悪さかん成しを。弁才天仏ハ衆生(シユセウ)をいたわしく思召。今より人を取やむにおいては。夫婦のかたらひをなすべしと被仰ければ。大蛇(ヲロチ)は喜悦(キヱツ)の思ひをなし人を取やミ。夫より国土の民ゆたか成事も。偏に弁才天の御恵(メクミ)深(フカ)き故なり。然は彼大蛇(ダイジヤ)ハ龍(タツ)の(ノ)口の明神といわひ。天仏夫婦の御神にておわしますも。いにしへの悪心を引かへ善心と成給ひ。君を守護し国家を守り給ふ。夫に就当嶋へ勅使御下向の由申間。如何様成御方ぞ参りて見申さうする〔是より常の末社の通り 三段舞過テ太皷打上テ謡〈賀茂〉同前 出立も〈加茂〉の通り也〕 「いて〳〵鵜のとくを語り申さん 地神五代の尊のさんやを我等が羽にて吹も合せぬ其内に尊ハ生れおわしませば扨こそ鵜かや吹合せずの尊と申も鵜の羽のいとく吹合せすの尊と申て鵜の羽のいとくぞ目出度けれ〕 〔此謡を舞時ハ常の末社の通り舞なし 謡斗 鵜の作物をいたたき出ル 或ハうの面にても吉 又ハ鵜の作物に鵜の面なればなを吉 常の黒きすきんの時或ハのほり髪((髭))の面の時ハ謡〈加茂〉同前也〕 〔江嶋 高サ仁右衛門方数十余丈 伝右衛門方数千余丈 又ニ四十余丈ト有ル〕 〔武蔵ト相模ノ間藤沢ノアタリニ深沢ト云水海ニ大蛇住五頭龍王ト云 五けん龍王トモ 神武よりすいにん迄ハ人不知 けいこう天皇の御宇大あくさかんなり〕 〔「あら〳〵目出たや。〳〵な。かゝる目出た((ママ))折からなれば。我等がやう成ゑ((真))とりの情も。顕出テ。悦いさミ。是までなりとてゑとりの情ハ。是迄なりとて嶋津鳥の情ハ。元の住家に帰りけり〕   廿八 白楽天 「か様に罷出たる者ハ。忝も住吉大明神に使((仕))へ申末社の神にて御座候。去程に我朝に霊神数多あれど。中にも当社住吉大明神ハ。君を守護シ国家を守り給ふ。夫をいかにと申に。唐の太子の賓客(ヒンカク)白楽天ハ。大唐にてさへ利(リ)根(コン)者といわれしに。増て日の本ハ粟散(ソクサン)辺地(ヘンチ)の小国なれば。定て知恵(チエ)も愚(ヲロカ)に有べし。然らハ日域(ジチイキ)の人の心をもはかり見て。したがゑんとたくミ此度わたすを。住吉大明神ハ神通なれば御存被成。彼者を陸(クガヘ)へ上てハあしかりなんと思召。賤(イヤシキ)釣(ツリ)の翁と御身を現し。今の唐舟の辺の海上に浮(ウカミ)給ふを。唐土人是を見付て。咹(アレ)成(ナル)ハ日本の者かと云を聞。扨ハ心(コヽロ)易(ヤス)しさせる知恵にてハなし。日の本の人を見て日本の者かと問(トヲ)程(ホト)鈍(ドン)でハ。差(サシ)為(タル)事ハ有間敷と思召れ是ハ日本の魚翁にて候が。扨御身ハ唐の白楽天にて座スかと御申有レバ。漢(カン)朝人(テウジン)ハ大きに驚(ヲドロキ)。我(ハレ)此土(コノクニ)へ初テ渡り為((たる))に。早名を知りたるは不思義((議))成と思われ。此比日本にてハ何をもて遊ぞと問(トハ)れし程に。扨又唐土(トウド)にハ何事をもてあそび給ふぞとあれば。唐にハ詩を作ツテ遊よと云シ程に。日本にハ哥をよミて人の心を慰候と被仰ければ。そも哥とハいかに。天竺の霊(レイ)文(モン)を唐土の詩賦(シユフ)とし。唐土の詩賦を以テ吾(ワカ)朝(チヨウ)の歌とす。されバ三国を和(ヤハラ)げたるを以て。おゝきにやわらく哥と書て大和哥とよめり。しろしめされて候え共。翁が心を御覧ぜんためかとあれば。いや其義にてハなし。いで目前の気色(ケシキ)を詩に作て聞せうずるとて。青(セイ)苔(タイ)衣をおびて巌(イハヲ)の(ノ)片に懸(カヽリ)り。白雲帯に似テ山の腰を廻(メクル)ル。心得為か魚夫といへるを。又明神ハ此心を哥に。こけごろもきたる岩尾ハさもなくて。きぬ〳〵山のおびをするかなと。かくゑひじ給ふ 楽天聞。姿ハいやしき釣(ツリ)人成が。哥をよむことふしん成といわれしに。吾(ワガ)朝(チヨウ)にて哥〔ヲ〕よむ事ハ。人間ハ申に不及。鳥類畜類迄も哥をよミ候 其しさいハ。孝(コウ)謙(ゲン)天皇の御宇に。大和の国高間の寺の鶯ハ。初陽(シヨヨウ)毎(マイ)朝来(チヨウライ)不遭還本棲(フサウケンホンセイ)と鳴。文字に写し(ウツシ)やわらけ見れば哥なり。はつ春の晨(アシタ)毎(ゴト)にハ来れ共。あわでぞ帰るもとのすミかにと。かく御物語有を楽天聞。大唐にて鳥類畜類などの詩を作り為((た))ルためしなし。唯是より押もとらんと思ふ心を御存有り。楽天暫(シバラク)御待有れ。海上に立舞楽をなして慰めんと有り。其まゝ御帰り被成たると申間。まづあれへ参り唐舟の模様(モヨウ)を見物仕らうすると存て罷出た。先急で参らふと存ル 〔ト云テ小廻スル〕 誠に我朝ハ小国とハいへと神国として。殊ニ知恵第一の国なるを。いかに大智な白楽天成りと云共。聊尓(リヨウジ)ニ日本の知恵を量(ハカル)事ハ成間敷と存ル。是ハ早ほどなふ松浦が沖(ヲキ)に着た。扨白楽が船ハどこもとに有ぞしらぬ。いやあれに見ゆる沖の唐舟がそで有ふずる。扨も〳〵健(シタヽカ)な事哉。先あれへゆかふか。いや〳〵参ても聊尓に詞をかけられてから其返答が成まひ。唯是より戻らふと存ル。去ながら是迄きて唯帰ルも如何なれば。何ぞ一曲かなでゝ罷帰らふと存ル 〔ト云テ和哥ヲ上ル〕 目出たかりける時とかや 〔是より三段の舞 太皷打上 謡〈かも〉同前なり 出立も同事なり〕 〔和哥替  「おさまりなびく時なれや 一天四海のうちのミか人の国までひのもとの諸越が原も此ところ 三段舞過テ 「酒宴なかばの春のきやう〳〵 くもらぬ日影長閑にて君をいわう千秋の橋立の松の葉のちりうせずしてまさ木のかづらなかひハをそれあり〳〵とまかり申仕りたつ((ママ))しゆつしける末社の神心の内ぞゆゝ敷〳〵〕 〔和哥「悦に又よろこひをかさねつゝ〕 〔和哥「武の八十う治川の流迄源清し弓張月 「あら〳〵目でたや〳〵な とうとにまさる日本なれハ楽天知恵にも叶ハすしてもとるへきとの御事なれバ是迄なりとて末社の神ハ〳〵本社に帰り(以下綴じがきつくて読めず)」   廿九 源太夫〔 太皷持出ル 一の松ノキハニ置テ夫ヨリシテ柱ノキハニテ名乗〕 「是ハ尾州熱田の宮に仕へ申末社の神にて御座候。去程に当社と申奉ルハ。昔素盞(ソサノ)烏(ヲ)の尊(ミコト)いづもの国におわしましける時。彼国の●(ヒ)の(ノ)河上に大蛇(ヲロチ)有りて。かれハ尾頭共に八ツ有。八ツの尾八ツの谷に盤(ハビコ)レ(レ)リ。眼ハ日月の如ク光輝(ヒカリカヽヤキ)。背(セナカ)にハ苔む(コケムシ)して諸々の草木生たり。年々人を取り村南村北のこくする声たへず。国中の人種皆捕失(ウシナわ)レテ。今ハ山神(サンジン)の夫婦手(テ)摩(ナツ)乳(チ)脚摩乳(アシナツチ)斗残(ノコリ)りけるが。稲田(イナダ)姫(ヒメ)とて八歳に成小女を中に置て悲(カナシム)を。尊あやしく思召。いか成事ぞと問せ(トハセ)給へバ。今夜(コヨイ)岐(ヤマダ)の大蛇(ヲロチ)に姫を飲(ノマレ)れん事を。我ハ悲(カナ)むなりと申せし程に。尊弥哀(アハレミ)ミ給ひ。其稲田姫を我に得させば。かの大蛇を安ク(ヤスク)退治(タイジ)せんとの給ふを。二親(ニシン)ハ悦尊に姫をまいらせんと申により。先大蛇を討べきはかり事にゆかを高くかき。稲田姫のかづらにゆずの爪(ツマ)櫛(グシ)をさし。四方に火をたきまわし甓(モダヘ)ニ酒を入て置を。夜半の時分岐(ヤマダ)の大蛇来りて。床ノ上成稲田姫を飲(ノマン)ンとすれど。四方に火をたきぬればよるべきやうもなかりし所に。姫のかげもたひの酒槽(フネ)に移り見ゆるを。大蛇ハ悦(ヨロコヒ)八ツもたひに八ツの頭をひたし呑ほせば。又懸(カヽリ)樋(ビ)を以てつきこミしゆへ。大蛇(ヲロチ)ハ酒に酔前後もしらず伏為((たる))を。尊ハ劔を持大蛇をずた〳〵に切退治シ。其尾に有し最上(サイシヤウ)の劔をとり。天照太神に奉り給へバ。則天(アマ)の(ノ)叢(ムラ)雲(クモ)の劔と名付給ふ。扨尊ハ出雲の国に宮作り有リテ。稲田姫を妻と定メ●(ヒノ)川上に置給ひ。尊ハ国土安全の為に。則当社と再来被成るゝ。又手摩乳(テナツチ)脚摩乳(アシナツチ)ハ。熱田(アツタ)の町ニ源太夫の神と申て。東海道の守護神にて御座候。先是ハ当社の目出度子細。又当今の臣下(シンカ)唯今御参詣被成るゝを。源太夫の神権((か))りに老人夫婦と顕レ。声詞を替し給ふが。重てハ舞楽をなして慰めんとの御事なれば。我等ハ太皷なりとも置申さうと存じて罷出た 〔ト云テ橋掛り内一ノ松ニ置たる太皷持出テ〕 扨どこ元に置て気ニあわふもしらぬ事ぢや。太方爰元がよからうか 〔ト云テシテ柱ト目付柱ノ間ニ置テミて〕 いや〳〵これは片脇でわるさうな。どこ元がよからふぞ 〔ト云テ太皷の台持立テ〕 是がよさそうな 〔ト云テ正面のだんばしご右ノ角より目付柱ノ方ゑ置也 扨立テ見テ〕 見た所が一段とよひ。扨やごとなき御方の御出と申間。あれへ参らばやと存ル 〔ト云テ小廻して〕 誠にか様の治る御代なればこそまれ人の御参詣なれ。此度お目にかゝらずハ中々見る事ハ成まひ。さりながらどこ元に御座ルぞ。さればこそ是に御ざるよ。さすがまれ人程御座ルぞ。中々いらかをならべた様につつく〳〵としておりやる。先あれへ出うか。此躰でハいかゞなが。いや〳〵くるしからぬ事唯参らう 〔ト云テシテ柱のさきへ出下にかたひさ立テ〕 是ハ当社に当社((マ)に(マ ))使((仕))へ申末社成ルが。此所へ御参詣の由承り。取物も取あへず是迄出て御座ル。此所に御逗留の内に。何のお慰もなふてハいかゝな。おもしろくハ御座なくとも。何ぞ一曲致さうずるが。やあ。で御座ル。畏て御座る 〔ト云テ立テ〕 一((ママ))日本一の御きげんに申合た。何をがな致さうずる。いや思ひ出した。某此前一指まふた事が有。急で是をかなぢやうずる 「目出たかりける時とかや 〔三段舞過太皷打上テ〕 あら〳〵めてたや目出たやな。かゝる目出度折からなれば。末社の神も。顕出テ。よろこびいさミ。是までなりとて末社の神ハ。〳〵。本の社に帰りけり   出立  あついた 水衣 きやはん 狂言ばかまくゝり こしをび 末社ずきん 面のほりひげ 扇 作物ノ太皷持出ル〕 〔太皷ノ造物 置所ハ正面のだんはしごのかとより右ノ方ニ置 金春流喜多流同置所〕 (舞台の図あり。白洲梯子より右の目付柱寄りに□を書き、「太皷ノ造物爰ニ直ス」と記す。)    卅 鵜祭 か様に候者ハ。能州気(ケ)多(タ)の明神ニ仕へ申末社の神にて御座候。去程に珎敷柄(メツラシカラヌ)ぬ御事なれども。先我(ハカ)朝(チヨウ)ハ天地開闢(カイヒヤク)ヨリ神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光(イコウ)区(マチ)々成とハ申せ共。中ニモ当社気(ケ)多(タ)の明神と申奉ルハ。諸神に弥増(イヤマシ)霊(レイ)現(ケン)あらたに御座候。其上君を守護(シユゴシ)シ国家(コツカ)を守り給ふにより。弥(イヨ)々国家(コツカ)安全(アンセン)の為に。年中に七拾余度(ヨト)の御神事(ジンジ)の御座候。中ニも今月今日の御祭(マツリ)をバ。贄(ニエ)の御神事と申ハ取分ケ目出度御祭にて候。夫をいかにと申に。何国共なく鵜(ウノ)鳥(トリ)一ツ飛来り。参詣のともがらおふき中を少も恐(ヲソレス)ず。神前に飛(トビ)うつり(ウツリ)候所に。はちじん達此鳥をいだき則ごくうにそなへ申候。か様の目出度ふしぎの御祭なれば。大内迄も隠なくして。稀人(マレビト)勅使(チヨクシ)に御立被成候程に。当初明神も顕出声言葉をかわし給ふ。又我等ごときの末社にも罷出慰メ申せと有ニより。取物も取あへず罷出たが。扨かの稀人ハ何国に御座候ぞ。されはこそ是ニ御座る 〔是より常ノ末社ノ通り三段舞 〈加茂〉同前也 出立も同事也〕 〔当社女躰也 御祭十一月初午当国籠嶋湯のごう正月一日ヨリ鵜の鳥来ル〕   五拾((ママ)) 道明寺 〔〈白太夫〉トモ云〕 「か様に罷出為((たる))者ハ。河内の国道明寺の天神に仕へ申末社の神にて御座候。先此所ハ天神の御在居の霊地として昔時天照太神の初奉り。其外七社の御神を観((勧))請の霊地なれば。誠に類ひ少(スクナ)き御寺にて御座候。中にも天満天神と申奉ルハ〔〇((朱))〕昔風ウ月の本主文道の大祖(タイソ)たり。天に御座シテハ日月の光をあらわし。地に天くだつてハ。延喜(エンキ)の帝の御宇に〔次((朱))〇〕御名を菅承相(カンソウセウ)と申奉り。詩哥(シウカ)管見(カンケン)十能七藝(ケイ)共に達(タツ)し給ひ。君臣(クンシ)の道明か成所に。去ル子細有り九州へ御下向被成し刻(キサミ)。此土師寺(ハセテラ)に旅(リヨ)宿(シク)の折節。一切(イツサイ)衆生(シヨセウ)現当(ケントウ)二世の其為に。五部(ゴブ)の大乗(ゼウ)経(キヨウ)を書供養して埋(ウツメ)メられしに。はたさずその軸(ヂヽ)より名木(メイボク)一本生出(ヲヒイツ)ル。則此木を木槵樹(モクケンジユ)と名付申す。夫に就爰に不思義((議))成事の候ぞ。是より東国相模の国田代(タシロ)と申所に。尊(ソン)正(セウ)と云ル貴き(タツトキ)聖(ヒジリ)の有ルが。明暮(アケクレ)観念(カンネン)の(ノ)窓(マトニ)に入つテ眠(ネムリ)をさまし。唯(タヽ)一筋(ヒトスジ)に念仏三昧(サンマイ)の場(ゼウ)に入り。往生の素懐(ソクハヒ)をとげんといのられけるが。此度信濃(シンシウ)の国(クニ)善光寺(ゼンコウジ)に一七日参籠(サンロウ)申されければ。満(マン)ずる暁(アカツキ)に(ニ)至て。忝も如来ハ御厨子(ヲンミヅジ)の戸を開かせ給ひ。年たけたる老僧と御身を現シ。あらた成(ナル)御声(ヲンコヱヲ)を出しの給ふ様。汝念仏往生のこゝろさし神妙成リ。左有ハ是より河内の国土師(ハジ)寺へ行。木槵樹(モクケンジユノ)のこのミをとり珠数(ジユスト)し〔テ〕。念仏百万遍申ならば。必極楽へ引乗(インジヤウ)うたがひ有間敷と。慥に仰らるゝと見て夢ハかつはとさめし間。尊正心に思召様ハ。元より夢ハ逢事(ヲヽコト)ハまれにて。大方ハあわぬ物とハ云ながら。され共是ハ正敷(マサシク)瑞夢(スイム)なればとて則是へ御出有ルを。天神なのめならずに思召し〔〇((朱))〕翁白太夫の神の以テ〔〇((朱))次〕爰かしこの霊地を拝せ御申有たるが。重てハ舞楽奏し(ソヲジ)て慰めんとの御事なれば。先あれへ参如何様成御方ぞ少見申さうすると存て罷出た。先急て参らう 〔ト云テ廻ル〕 誠に相模の国より是迄ハ遥々の路次に成に大義な御事にて候。去りなからどこもとに御座るぞ知らぬ事ぢや。さればこそ是につつく〳〵としておりやる。先あれへ出ふか。此躰でハ如何なが。いや〳〵くるしからぬ事唯参ふ。是ハ当社に使((仕))へ申末社成ルが。此所へ御参詣の由承り。取物も取あへず是迄出て御座る。此所御逗留被成るゝに。何のお慰もなふてハいかゞな。面白は御座なく共。何ぞ一曲致さうずるか。やあ。で御座る。心得て御座る 〔ト云テ立テ〕 さすが尊正程有ぞ。何ぞ一曲致さうずるかと申たれば。よからふと思わるゝやら。ほつくり〳〵とうなづかせられた。何をがな致さうずる。いや思ひ出した。此前一指まふた事が有ル。急で是をかなぢやうずる 〔和哥ヲ上三段舞 太皷打上謡〈加茂〉同前 出立同事 但シフレル時ハ鼻引ノ面がよし 竹つへ〕 〔脇能の時ハ如此 末の能ならハ三段の舞なし ふれてのくなり〕 (「)重てハ舞楽をなして慰めんとの御事なり。相構へて其分心得候へ〳〵 〔ト云テハイルナリ〕 〔宝生流もくげんじゆの作物なし 但シ出ス事も有り 是ハ習のよし 喜多流ニてハ常ニ作物出ス〕 〔(「)天神なのめならずに思召し。古(イニシヘノ)翁白太夫の神を以こゝかしこのれいちをおかませ御申有たるが。かさねてハぶがくをそうしてなぐさめんとの御事なれば。先我等ハあれへ参尊性とやらんを見申さふずる 〔ト云テ道行〕 誠に我朝にきそうこうそうあまた有りとハいへど。中ニもかの御方のやうなしゆせうな事ハ御座有まいと存ル。併どこもとにぞ 是におりやるよ。一だんとたつとそうな。此躰ニて出ルハいかゞな 何とせうぞ。くるしからぬ事たゞ参らう 〔是ヨリ常ノ通り〕〕   卅一 雨月 〔 中入シテトツレガクヤヘ入 作物もはいルト狂言雷上ニ乗テ出ル〕 「か様に候者ハ。住吉大明神に使((仕))へ申末社の神にて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝は天地開闢より神国なれハ。霊神国々に地ヲしめ給ひ。威光様々成とハ申せ共。中にも当社の御事ハ。君を敬ひ(ウヤマイ)国家を守護し。殊ニ和哥(ハカ)の道を専(セン)と守給へバ。此度嵯峨(サカノ)の奥に住給ふ。西行法師宿願(シククハン)の有ツテ。当社へ参籠(サンロウ)あらんと有を。明神ハ悦ひ老人夫婦と御身を現シ。当社の釣(ツリ)台(ドノ)の辺へ御出有り。雨月の二ツを論(アラソ)ふ(ヲ)躰にて。祖父(ヲヽジ)ハ板家(イタヤニ)に雨の当ル音が面白きとて。我がいゑの屋根をいかにも薄き板にて一方葺ク(イツホウヲユク〔フク〕)。又祖母ハいつも月をのミ寵愛(チヨウハヒ)する由にて。わざと軒(ノキ)葉(バ)を葺(フカ)て(デ)置たるを。西行ハ立寄御覧じて一夜の宿を借度との給ふが。彼(カノ)有様を見て不審(フシン)致れしを。老父(ラウフ)答(コタヱ)て被仰るゝ様。いや我等ハ雨露(ウロ)の恩(ヲン)の絶難(タヱカタク)思ひ雨を(アメヲ)乞(コウ)。祖母ハ四季(キ)共にいつも月にめて面白ク思ひ。今一方の屋根を葺ずにおいて。則賤(シヅ)が伏(フセ)やを葺(フク)ぞ煩ふと云を下の句にして。此上の句をつがせ給ハヽお宿ハ惜からしと有を。西行ハさすが名を得し哥人なれば。月ハ洩(モレ)雨(アメ)ハたまれと兎(ト)に角(カク)にと。則座(ソクサ)につかせ給ふにより。もとより大明神ハ和哥の道を守り。則此人界(ニンカイ)に住の江(スミノヱ)の(ノ)松(マツ)諸友(モロトモ)に。千年(チトセノ)世の齢(ヨハヒ)をたもたせんとの御事成が。餘りに万目出度御悦の折柄なれば。神慮ハ冝祢(キネガ)が頭(コウベ)にやとり移(ウツ)りおわしまして。弥旅人を慰メ給わんとの御事成ぞ。相構て其分心得候へ〳〵 〔脇能ノ時ハ〈加茂〉同前ニ和哥上テ三段舞 謡同事 但シ末ノ能之時ハふれにしてよし 其時ハ面もはな引よし 竹づゑをつく〕 〔脇ノ時ハ触ニモスル 又道行して三段舞有り 謡〈賀茂〉同前也 出立同事 舞無ハ面鼻引〕 〔(「)旅人ヲ慰メ申さんとの御事なれハ先あれへ行いか様成人ぞ少よそなから見申さうと存て罷出た 先急て参らう 誠にさがのおくより是迄はる〳〵のろしにて候か大義成御事ニて候 さりなからとこ元ニ御座ルぞ 〇〈道明寺〉同前〕 〔〇(「)さすか西行程有そ 何そ一曲致さうするかと申たれハよからうと思召やらほつくり〳〵とうなつかせられた 〇和哥謡イも同前 和哥「あら〳〵はゞきの神たいハ 「あら〳〵はゞきの神たいハ明神の神勅を能々(以下綴じがきつくて読めず)〕   卅二 和布刈 〔 中入雷上シテトツレト楽屋ヘ入 狂言出ル 造物ハ舞台有 ワキモ居ル〕 「か様に罷出為((たる))者ハ。長門の国文字の澳(ヲキ)に住鱗(ウロクス)の情((精))にて候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢(カイヒヤク)より神国なれば。霊神(レイシン)国々に跡を垂給ひて。威光(イコウ)様々成とハ申せ共。中にも長門の国早(ハヤ)友(トモ)の明神ハ。本地玉(タマ)奇(ヨリ)姫(ヒメ)にておわします。又是に地をしめ給ふ住吉も。同し海神(カイジン)にて御座候。夫をいかにと申に。神代の時分海中より。顕(アラハレ)出給ふあとめのいそらを。頓テ此所に観請(カンセウ)有りて。末の代までも君を守護(シユコシ)し弓矢の家を守り。海舟(カイセン)の事ハ申に不及。和哥の道迄も祈ル事の叶ぬハ御座なき故。一入御威光(ゴイコウ)目出たふ候。されば夫に就当社において。年中に神拝(ジンバイ)様々多シといへど。中にも十二月晦日の御祭(マツリ)をば。和布刈(メカリ)の御神事と申て。当宮(トウゴウ)住吉両社の神主(カンヌシ)。寅(トラ)の一天(イツテン)に松明(タイマツ)に御鎌(カマ)をもち。滄海へ分入給ふに。龍神潮(ウシヲヽ)を守護(シユコシ)し被申て。よせくるなミも左右へ分れ。行さきが干方((潟))に成し程に。半町斗も浪(ナミ)の(ノ)底(ソコ)へ(ニ)下り。海庭(カイテイ)の若和布(ハカメ)を三(ミ)鎌(カマ)狩(カリ)て。元日に当社の神前へ備(ソナヘ)給ふが。其御神事が今夜に相当りたるに。殊に当年ハ目出度つけの有りて。神主(クハンヌシ)殿も早御出と申間。我等(ソレガシ)躰の者もあれへ参り見物仕らふする。誠にか様の〔目出度〕御代に生れ逢ふて。此様な嬉しひ事ハ御座らぬ。急て参らふずる。やあ〳〵其許のにきやかなハ何事ぞ。何(ハ)と(ヤ)神主殿の御出と申か。夫ならば爰許にいてハ成まひ先帰ふ。乍去是迄来て唯帰ルもいかゝなれば。何ぞ一曲かなでゝ罷帰ふ 〔和哥舞なしにじきに謡出ス〕 あら〳〵目出たや めてたやな〔なミかぜしつかになりぬればわれらがやうなるうろくずまてもあらわれ出テうたひかなで〳〵テもとの海中ニ入けり〕四海ハ浪もおさまれば我等か様なる鱗迄もあらわれ出て謡かなで顕れ出てうたひかなでゝもとの海中に入にけり    水衣 厚板 狂言袴 脚伴 腰帯 うろくず頭巾 面うそふき 扇 〔「誠に毎年相替らず有と云様な目出度事ハなひ やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ 神主殿はや御出と申か 扨も〳〵目出度事かな 我等の是まてきて只帰ルもいかゝなれば何そ一曲かなてゝ帰ふ〕 〔「神主殿の御出と申か 扨も〳〵目出度事なれば我等もかなてゝ立帰る波間に入う〕 〔「あら〳〵目出たや〳〵な かゝる目出たき折からなれば我等かやうなるうろくずまてもあらわれ出テうたひかなて〳〵てもとの海中に入にけり〕 〔「あら〳〵目出たや〳〵な かゝるみちしほに我等か様成うろくすまてもうかミ出て神前をしほらしくはいまわる事の有かたさよ 是迄なりとておいとま申〳〵て海中にすんぶと入にけり〕 〔「いて〳〵御供申さんとて〳〵しやちほこの大つれひれ〳〵にとりつきさつはとふなをりすばしり出てわかなをいわふにたれもいるかとあかしだい月もくらけのはれまに行やとひうをのひれにとりつきとひこミ〳〵入にけり〕 〔長門ニテハわかめの事ヲ初日ハ若布(ワフ)ト云〕   卅三 九世渡 「是ハ豊葦(アシ)原北国浦の海中に住鱗(ウロクス)の情((精))にて候。去程に我等の是へ出ル事余の義にあらず。先丹後の国九(ク)世渡(セノト)の文(モン)珠(シユ)ハ神代のこせきなれば。当今(タヽイマ〔トウキン〕)の臣下唯今此所へ御参詣被成るゝ。夫ニ就北国浦の中にも。此丹州与謝の海ハ。北風はげしく吹てあらき波のとこしなへに立を。伊弉諾(イサナミ)伊弉冊(イサナミノ)の尊(ミコト)ハ是をつく〴〵と御覧じて。竜神(リウジン)の心をとり浪をしづめんにハ。天竺(テンジク)五台山(ゴダイサン)の一字文(モン)珠(シユ)こそ。三世の諸仏(シユブツ)出生の知母(チボ)なり。殊に龍宮の道((ママ))師にておわしませば。定て龍神のたけき心もやわらぎ浪もしつまらんと思召。五台山の大聖文珠を初てしやうじ奉り。彼嶋に座して御説法をのべ給ふを。龍神ハ不残よりて是を聴聞(チヨウモン)致シ。有(ユウ)海(カイ)の大臣まで悉(コト)く仏果(フツカヲ)を得。か様に波風(ナミカセ)おさまる御代とハ罷成ル。されば夫に就当浦に千歳住給ふに依て。千年世の浦とハ申習す。其後文珠此浦を立て海に入。あそこや爰と居所を尋給ふ時。伊弉諾伊弉冊の尊村雲の中より女意に乗りて下り。向ひの嶋へ天の浮橋をわたさんと思召。めしたる女意をうしをに〔うかめ〕給ふ〔ニ〕。龍神寄て土を置一夜に嶋となす。是に仍テ天の浮橋とハ名付ク。其時分雲霞(ウンカ)覆(ヲヽヒ)とこやミのごとく成ル〔ヲ〕。帝釈(タイシヤク)あまくだり火をとぼし給へば。上界の天人ハ千代の姫小松を植られし時。早夜ハ明て捨(ステ)られし所を。則日置(ヒヲキ)の嶋とハ申つたゆる。かゝる目出度此嶋に。守護(シユコ)神(ジン)なくてハと思召。其時の竜神(リウジン)をかの嶌に移(ウツ)シ(シ)置れ。今の橋立の明神是なり。左有に依て文珠ハ伊弉諾の尊の御作り被成けるを。獅子(シヽヲバ)をば凡天(ボンテン)帝釈(タイシヤク)の御作なり。又左右の童子(ドウジ)ハ毘首羯磨(ヒシユカツマ)が作られし故。天神七代地神の二代忍(ヲシ)穂(ヲ)耳(ミノ)の尊迄。取分ケ此嶋を守り給ふに仍テ。九世渡とハ名付らる。か程妙(タヱ)成(ナル)神作の霊仏(レイフツ)霊社(レイシヤ)なれば。今も御神木の松に天燈龍燈を備給ふ。か様の目出度時代なれば。我等ごときの者も謡て舞遊ぼふ 何がよからふ。いや思ひ出した。此前一指もふた事が有。急で是をかなぜう 〔ト云テ和哥 舞なしにすくに謡ヲうとふ〕 あら〳〵目出たや。〳〵な。四海ハ浪もおさまれば。我等が様成うろくすまでも。顕れ出てうたひかなで。あらわれ出てうたいかなでゝ。元の海中に入にけり   間出 立 厚板 水衣 狂言袴 脚 伴 腰帯 鱗頭巾 面うそ吹 扇   門守 神出立 随身かんむり おひかけ 水衣 かるさん こしおひ 太刀 弓矢 謡ちがう〕   卅四 玉の井 〔 シテ中入雷上ニテはいると作物二ツをも引テヨリ狂言ノ間出ル〕 ヲモ間「か様に罷出為((たる))者ハ。海中に住鱗(ウロクス)の情((精))にて候。去程に我等の是へ出ル事余の義ても御座ない 〔ツレ四人出ル せきばらいする〕 いやわごりよ達ハ何と思ふて打そらふて出さしましたぞ アハビ「そなたが何やら用有そうにずるに依て何事かと思ふて是迄付て出たよ ヲモ「してそちハなんぢや ハマグリ「わらハヽ蛤の情で御座る ヲモ「汝は アハビ「蚫の情ぢやよ ヲモ「其方ハ サヽイ「栄螺の情で御座る ヲモ「わこりよハ アカヾイ「あかがひの情ぢやよ ヲモ「身共ハいたら貝の情じやが。扨皆よふでさしました。してわごりよ達ハ今度の様子を知つたか アハビ「いゝやしらぬ ヲモ「わごりよ達も聞ぬか 皆々「中々 ヲモ「夫ならば語テ聞せう きかしませ 皆々「心得た ヲモ「先天神(テンジン)七代地神(ジチン)四代の御神をば。彦炎(ヒコホヽ)出(デ)見(ミ)の尊(ミコト)と申奉ル。然ル((ママ))此御神猟(リヨウ)にのミすかせ給ひ。朝な夕な釣を垂給ふ所に。有時御舎兄炎(ホノ)酸(ソヽ)荷(リ)の尊の釣鉤を借り。海上に浮メ釣を垂給ふ所に。鱗の中にも心のわるき魚の有りて。針の糸を喰切虚空(コクウ)に失けるを。御帰有り此由かくと御申あれば。よのつねならず御不興(キヨウ)被成シ故。御釼を針にくづし数を参らせらるれど。夫も御同心なくとにかくに。本の針(チ)をとらうずるとしきりにこわれ。力不及件(クダン)の海辺に来り。ここかしこと彳亍(タヽズミ)給ふ所に塩津(シヲツ)の老翁の来り。目(マ)無籠(ナシカタマ)を作り尊を入奉り。海庭(カイテイ)におろし龍宮に至り見給ふに。こがねの瓦を敷(シキ)瑠璃(ルリ)の光門の琢(ミガキ)立。則門前に玉の井有。其井の辺に立寄せ給ひ。四方の気色を見給ふに。他りも暉(カヾヤキ)面煩(ヲモハユク)思召。桂の木の本に立寄せ給ふ所に。豊玉姫玉寄姫弐人玉の釣瓶を持。玉井に向ひ水を抔((すくひ))申されしが。水庭((底))に人景の見ゆるを不審(フシギ)に思召。他りを御覧じて御姿を見参らせ。如何成御方ぞととわせ給へバ。我ハ日本の尊成が。釣鉤を魚にとられ是迄尋来りたる由御申あれば。さすがミやびたる御姿成し間。尊も豊姫も互(タカイ)に御心をうつされ。帰(カヘ)りて父にかくと被申し程に。頓テ宮中へ偈行(イサナイ)奉ル。さすが龍の都の事(コト)なれば。金銀重々(トウ)に四角重ル内に〔〇((朱))〕瑠璃(ルリ)硨磲(シヤコウ)瑪瑙(メノウ)珊瑚(サンゴ)琥珀(コハク)を鏤メ(ヲチリバメ)〔〇((朱))次〕雲の八重席薦鋪(タヽミヲヒキ)尊を請(シヤウ)シ(シ)奉り。様々に饗応(モテナシ)給ふ折ふし。釣鉤の事を仰られけれバ。安間の事尋てまいらせうするとて。滄海に所有(アラユル)鱗の中を尋給へハ。赤目針ヲ出す。是を背夫(シウト)とまつちと云て御返しあれとて。則彼針に干(カン)珠(シユ)満珠(マンシユ)の玉を添(ソヘ)。頓而(ヤカテ)日本へ送り申さるゝと有ル。左有ニ依テ今より後ハ海陸の隔(ヘダテ)も有間敷との御事ぢやが。難方(ナンホウ)目出度事でハないか アハビ「誠に是ハ目出度事じや ヲモ「左有らバ何と思わしますぞ。か様の時ハ酒宴のなして皆の名を謡に作てうとふて遊う 皆々「一段とよからう 急でうたわしませ ヲモ「さあらばうたわしませ アハヒ「先ハごりようたわしませ ヲモ「かくて酒宴(シユヱン)も貝(カイ)がひしく 〔打切テ皆々〕 角(カク)テ(テ)酒宴(シユヱン)も貝々(カイ)敷(シク)蚫貝(アハビガイ)〔目付柱ノ方ミル〕を盃(サカス)に定メいたら貝の銚子(チヨシ)を出シ〔扇ニテハマクリノ方サス〕眉目(ミメ)よき蛤(ハマグリ)の上臈(シユロウ)貝に酌(シヤク)をとらせ〔ハマクリ扇開出ル シテ扇ヘ請テ呑ナカラ正面向〕軒(ノキ)葉(バ)の桜貝簾(スダレ)貝(ガイ)懸(カケ)ならべ〔扇開両手上テウシロヘアヲキ〕紅梅に来なく鸎(ウグイス)〔両手前ヘ出シひとゝころへよせて扇正面へ打込上ウヘヲミル 右ノ手ヲ前ヘ出シ右ノ方ノ上ヲふりかへり高ミル〕の鳥貝も晨(アリ)明(アケ)の西にかたむく月も蚶曇(アカヽイクモラヌ〔○ ○〕)時 を吹梭尾螺(ホ ラカイ)〔右手前ヘ出シアトヘ開サシ廻〕も天地二人(ジン)の栄螺(サヽイ)となりて〔切返シ〕〳〵治ル〔前方ヘ手ヲ出シアトヘ開ユウケイ〕海中に入に けり   シテ  イタラ貝ノ情 厚板 そばつぎ 狂言袴 きや半にてくゝル 腰帯 鱗ずきん 面鼻引 鱗の情の時も       出立同前 但シシテ栄螺ノ情ノ時ハ面見徳ヲ掛ル事 も有り   ツレ  蛤 薄((箔))の物 そばつぎ 腰帯 かづら 末広 面 乙   ツレ  蚫栄螺蚶三人ノ出立 厚板 水衣 狂言袴 きや半     ニてくゝり 腰帯 官人頭巾ノ内色々用ル 面ハう     そふきけんとく上り髭の内ヲ掛ル シテモツレ三人     モ皆常ノ扇   〔以上五人出ル〕 (縦に三つの舞台図。上の図には、角(目付)に「あわひ」、脇座に「はまぐり」、常座に「さゞい」、大小前に「いたらがい」、笛座前に「あかかい」とあり、「仁右衛門方ニテハ如此」と記す。中の図には、角に「蚫」、脇座に「蛤」、常座に「いたら」、大小前に「鱗情」、笛座前に「栄螺」とあり、「同舞ノ時ヲモ間前ニツレハウシロニ下ニイル」と記す。下の図には、正先に「鱗」、常座から笛座前にかけて「イタラ」「栄螺」「蚫」「蛤」と記す。) 〔是ハ替の仕やう △(「)酒宴をはじめう と云て下に居テ酒盛〔(「)蛤お酌にたゝしませ ト云〕して小謡うとふて(「)いざさらば皆の名を謡に作りうとうて帰らう と云て跡ハ常の如ク〕 〔常の心やすきせりふ 「いやわこりよ達ハ何として出たぞ 「そなたのいそがしそうに出たに仍何事かと思ふてついて出たよ 「扨ハわこりよ達ハ此度の子細をしらぬか 「いゝやしらぬ 「夫ならハ語テ聞せう きかしませ 「心得た〕 〔「夫ハ目出度事じや 「か様の折から打そらうて出られたこそ幸なれ 酒ゑんをはじめ目出たふうとふて帰らう 「是ハ一段とよからう 「さらハ某の上うか〕 〔「今より後ハ海中じや陸地じやと云へたてハ有まいとあれば我等の様なる者迄も目出度事じやにいざ此よろこびに酒をのふて遊ほふ〕 〔△造物ハ井筒ト丸キ台ニもちの木のよう成木ヲさす 二ツトモニ中入ニ引なり〕 〔△塩津翁 日本記ニ事勝国勝なかさの翁 〇まづしばりめつばりしやうと兄 〇ほのすそり 〇あかめはらかの魚の事 あまたひに似り〕 〔△兄弟(セウト) 背(セウト) せな共ふうふ共よむ〕 〔△三尺ノ剱ノ先ヲ三寸 クチト云魚〕 〔天神七代 一 国(クニ)常(トコ)立(タチノ)尊(ミコト) 又天御中主ト号ス 陽神ニテ五行ノ徳有リ 二 国狭(クニサ)槌(ツチ)尊(ミコト) 陽神 水徳 三 豊斟渟(トヨクンヌノ)尊(ミコト) 陽神 火徳    以上各一躰ニテ陰神無シ 四 泥土(ウイチ)煮(ニノ)尊 陽神 水徳   渉土(スイチ)煮(ニノ)尊 陰神 五 大戸(ヲヽト)道(ノチ)尊 陽神 金徳   大戸間(ヲヽトマ)辺(ベ)尊 陰神 六 面(ヲモ)足(タルノ)尊 陽神 土徳   惶(カシコ)根(ネノ)尊 陰神 七 伊弉諾(イザナギ)尊 陽神   伊弉冊(イザナミ)尊 陰神〕 〔地神五代 天照大神 又大日霊貴 伊弉諾ノ尊御子 忍(ヲシ)穂(ホ)耳(ミヽノ)尊(ミコト) 天照太神御子 瓊瓊(ニニ)杵(ギ)尊 ヲシホミヽノ御子 炎(ホヽ)出(デ)見(ミ)尊 ニヽギノ御子 鸕鷀羽(ウカヤ)葺不合(フキアハセズノ)尊 ホヽデミノ御子〕   卅五 厳嶋 〔イツクシマ〕 「抑是ハ此海中に年久敷住居仕鱗の情((精))にて御座候。去程に我等の是へ出る事別の義にあらず。先当国此安芸(アキ)の厳(イツク)嶋(シマ)の大明神と申奉ルハ。娑褐(シヤカツ)羅(ラ)龍王第三の姫宮にて御座候。左有に依て此海辺に大宮作りし給ふ。又当社をこんたう女と申子細ハ。我等ごときの様成鱗迄も不便(フビン)に被思召。さんどくのくるしミに替り。ちうやのしやべつもなく妙(タヘ)かたき苦(クルシミ)を請給ひ候が。誠にか様の御方便(ゴホウヘン)通シけるか。今ハ蛇躰(ジヤタイ)の形をへんじ。卅二相の姿をさうし。則厳(イツク)嶋(シマ)の明神と現シ御申被成。当国に跡を垂給ひ。諸神に弥増(イヤマシ)別而利生あらた成御神なれば。国々在々よりも老若(ロウニヤク)共に知ルもしらぬもおしなへて。参詣の人々中々貴賤(キセン)群集(クンシユ)仕ル。是ハ当社の目出度子細。又爰に天上天下(ゲ)独(ドク)尊(ソン)如来(ニヨライ)の御使として。此土に出世被成るゝ日蓮上人只今此所へ御参詣被成。南無妙法蓮花の妙軸(ジク)を書顕(アラハ)シ(シ)。宮中(キウチウ)に御(ヲン)籠(コメ)被成るゝ間。大明神ハ嬉敷思召。忝もかりに人間と現シ。法(ホツ)花(ケ)大乗(ゼウ)の味(ミ)妙(ミヤウ)成所(テカラ)。女人忽有仏種の縁と成所。色々有難事を御物語有り。其後宮中に入給ふ。誠にか様の貴き上人。御心中を弥はらさん為に。真(マコト)の姿を顕し。重而妙(タヘ)成(ナル)御法(ミノリ)を御のべ可被成との御事に候。か様の折節面々も罷出。此上人を拝ミ申せとの御事なり。皆々其分心得候へ〳〵   水衣  厚板 狂言袴 脚伴 腰帯 鱗頭巾 扇 面うそふき 〔法花大乗微妙成所 女人成仏の縁となる所 謡本ニハけんたう女と有ル〕 〔仁王三拾四代推古天皇御宇癸丑十一月十二日 厳嶋大明神 天照太神御孫沙褐羅龍王第三御娘 御本地大宮 大日 弥陀 普監((賢)) 弥勒 中宮 十一面観音 客人ノ宮 仏法守護 多門天 釈迦 薬師 地蔵〕 〔厳嶋鎮座ヨリ宝永三年(綴じ込みがきつくて以下読めず)〕   卅六 大般若 「か様に候者ハ。此河の主神虵大王に仕へ申眷属ニテ候 (「)先大唐霊岸寺の住僧。玄奘法師と申は真虵大王の御子なり。去ル間しなんとの尊は一生ぶほんの御方成ルお。大虵の女人と現じてちきりをこめ給ふに依テ懐胎と成リ。其時尊大きに驚給へ共叶ず。月日重りはや御産の紐をとき給ふを。頓テ空舟(ウツヲブネ)に作り籠〔メ〕しなんと河へ流されけるが。此浮木流レ唐土霊岸寺の浦に吹よする。折節霊岸寺の住寺浦遊に出テ。彼浮木を見付ふしんに思召あけて見給へバ。玉をのべたことく成ル男子一人有〔リ〕。如何様子細有べしとて。取上テ養育し学文の道に入給へバ。一字を千字にさとり。利根第一の人にて学文のおふぎを極め給ふ。左有に仍テ大般若の妙軸を。我が朝へ渡さんとて御出候え共。真虵大王ハ最前老人と現シ。流砂川のほとりにて色々御物語有為((たる))が。此真虵大王と申ハ。姿ハおそろしき大虵のかたちなれトモ。御心ハ慈悲深ク御座ス故ニ。七度まては此河にて命をとり。此度ハ大般若の妙軸を。玄奘法師に御渡し有べきとの御事ぢやが。皆々も此様な御代にむまれおふて。大般若をおがむような嬉敷事ハなひ  ツレ「誠に其方か云通り仕合な事ぢや ヲモ「左有ば此様子を皆々にふれてのこふと思ふ ツレ「一段とよからう (ヲモ)「やあ〳〵そうれいのけだもの流砂のうろくず聞給へ。此度大般若の妙軸ヲ玄奘に渡さんとの御事なれば。皆々罷出おかみ申せとの御事なり。相構テ其分心得候へ 〳〵  ○ 間出 立 ヲモ 厚板 そはつぎ 狂言袴脚 伴ニてくゝる こしおび うろくすずきん けんとくの面 つへ  ○ ツレ 二人出立 あついた 水衣 こしおひ 狂言袴きや半ニてくゝり うろくす頭巾 扇持出る 二人共ニうそのめん       但し一人して云時ハ 水衣 あついた 袴クヽル こしおひ ずきん 面うそよし 〔ヒトリ間ノトキ入テ云テモヨシ 又三人間ニ入テモよし (「)大般若の妙軸を。玄奘に御渡し有へきとの御事也。左有らバ今少御待あれと云もあへず。川のおもてをるりのばんの上をはしるがごとく。さら〳〵とむかいにわたり。三蔵が命をさきのよにて。七度迄御取有ルこうべをむねにかけて姿をあらわし。彼僧に見せしめ大般若をあたへ給わんとの御事なり。しからバそうれいのミねのけたもの。りうさのそこのうろくずまでも。こと〴〵く罷出じやうぶつのゑんをむすび申せとの御事なり。相かまへて其分心得候へ 〳〵〕 〔ウタイトメニスルトキノ事 (「)御事ぢやが。何とおもわします かやうの目出度事ハ有まい程に。いざミなうとうてかへらうてハないか ツレ「一段とよからふ ヲモ「あら〳〵めてたや〳〵な。かやうに浪かぜおさまる〽御代となれば〽。りうさの川のうろくずまても。あらわれいてて御経をはいし。是までなりとてうろくずどもハ。〳〵。もとのすいちうに入にけり〕 〔(「)あら〳〵めでたや〳〵な 大般若はらみ女のきとうによけれバ はやくひぼとけ よろこひや〳〵 ばんミんふゆるはんじやうきやうハたゞ大般若にかきるなれば いたゞきまつれ 我等かやう成うろくずまてもうたいかなて まいあそび〳〵て もの((と脱カ))かいちうに入にけり 酒井彦左衛門書物ニ有り〕 〔天竺ト震旦ノ境流砂葱嶺ト云ハ西比((北))ハ大雪山ニ続キ東南赤高山遠峻(ソビヘ)タリ 此境テ東ヲ震旦ト云 西ヲ天竺ト名付ク 路ノ遠サ八百余里〕 〔涂砂(シンジヤ)大王 深(同)砂〕   同 大般若 「か様に罷出為((たる))者ハ天竺震旦ノ堺成ル流砂川ニ住鱗の情((精))にて候 去程に我等ごときの水底に住者ニハ何にてもあれ世間の苦ハ有間敷事なれど併龍神にハ熱砂熱風金(ネツシヤネツフウコン)地鳥(ジテウ)とて必三つの苦身有 故に昔釈尊霊鷲山にて御説法の刻 海底の竜女ハ出現して宝珠をさゝげへんじやうじゆの法を請て成仏ト得 忽苦身をまぬかれ給へハたとひ天竺にてなく共此唐〔ニモ〕隠(ソノカクレ)れなき霊地多シ 夫をいかにと云に先天竺五台山路さんしやうりうしはんにやたひ金山寺のうにんじなどゝてか様の霊地に貴僧高僧数多あれ共中にも大唐霊巌寺の住侶の玄奘三蔵と云法師ハ此流砂川の御主真虵大王の御子なり 其故ハしなんとの尊ハ一生ぶほんの御方成ルを大蛇の女人と現じて熱((契))りをこめ程なく月日重りてなんなく御産の帯をとき給ふを空(ウツホ)舟に入てしなんどの川へ流されけるが霊厳寺の浦に留ルを其時の住寺浦遊に出て浮木を見付あけて見給へば男子一人有を取上養育し学文の道に入給ふに一字を十字と聞リ 三世両達の知恵有テ仏法王法諸学を極メ慈悲心深き故今末の世に及て人の齢のちゞまる事を骨随((髄))にしミていたわしう思召れだいはんにや六百巻の妙軸を何共して此震旦国に渡シ万民の寿命を延給ひて我名を後記に留度思召れ渡天の望有て流砂の大川の東の岸に着き山川の気色を詠メ人を待給ふ処に涂砂大王ハ山賤と現じ行逢給ひし間詞をかけ流砂の渡瀬をとわれければ此川の西の広き事は数千町底の深き事ハないりを知す 水上より白浪みなぎり落て早き事飛鳥(ヒテウ)射矢も事の数ならず 昼ハきやうふう吹立て砂をとばして雨のごとし 夜ハゆうきはしつて火をともす事星ににたり たとひ此川を御通り有ても行先の葱嶺(ソウレイ)を越給わん事賢ルべしと御申あれバ三蔵申されける様ハ左様の悪所にて〔モ〕誰も昔も通し事のあればこそかゝるためしの御入有ルとの給へバさすが親子の道とて痛敷御心ふと出て来り ぜんしやうにハ未至ざる心中なればこそ七度迄命をうばひ取申せども子となりばんと成り種々に生を転じてぜひともに此妙軸を渡さんと有ル深き御心指を空敷なすべきかと思召れ 左有らハ今少シ御待あれと云もあへず 河の面を瑠璃のばんの上を走ルがごとくさら〳〵と向ひに渡り三蔵命を先の世にて七度迄御取有かうべを胸に掛て姿を顕し彼僧に見せしめ般若をあたへ給わんとの御事なり 左様に有ニおいてハ人間ハ中々及ハず 天人ハ天下り仙人ハ山より出 二十五の菩薩しやうしゆハ紫雲にぜうし花降異香四方に薫シ 音楽の声すべし 然らば其時ハ葱嶺の峯の獣流砂の底の鱗迄も悉ク罷出成仏の縁を結素懐をとげ申せとの御事なり 相構て其分心得候へ 〳〵        水衣 厚板 狂言袴 脚 伴 腰帯 鱗頭巾 面うそふき 扇   卅七 七夕 〔 雷上ニテ出ル 尤ツレ二人出ル アイサツ常ノ通り〕 (「)是ハ天上の星(ホシ)にて候。去程に我等の是へ出ル事余の義にあらず。震旦国(シンダンコク)の主漢武王(カンノブヲヽ)。天上の有様を見まくほしく思われ。張伯(チヤウハク)と申者宣旨(センシ〔ヨロシキムネ〕)を蒙。浮木(ウキヽ)の桴(イカダ)に乗り此所へ来ルを。男女弐人出テ詞をかわさるゝ。是則七夕の二星(ジセイ)成り。然に此星(ホシ)の本地を尋ルに。唐土けいとゝ云所に幽子(ユウシ)伯養(ハクヤウ)と申て夫婦の民の有けるが。いつもとこしなへに月を愛(アイ)シ。夕部(べ)にハ月の出入べき山を心にかけ。暁(アカツキ)ハ又月の入佐(サ)の山を〔ながめ西に心をおくりいれて〕明シ暮シ給ひしが。誠にか様の心天道に通しけるか。ふら〳〵と二ツの星と成給ふが。張伯(チヤウハク)此所へ来り候程に。彼夫婦の星ハ出合詞を替シ。則天上の有様など委う物語被申 其まゝ帰られしが。乍去今一度姿を顕シ申べきとの御事にて候。左有ハ今度ハ已前の姿に引替。衣裳(イセウヲ)をも改メ給ひ。荘厳(シヤウゴン)魏(ギヽ)々としたる躰を見せ申さんとの事なり。然ハ常の時と替り。今月今日ハ七月七日なれバ。逢(ヲヽ)夜(ヨ)待星(マツホシ)合(アイ)の空(ソラ)とて。必七夕贄((祭))をなし給ふへし。又自然(シセン)雨降(アメフリ)候へハ天の川の水出申により。星合(ホシアイ)の贄((契))り不叶候。乍去七夕の先世ニ(サキノヨ〔セン〕)鷺を寵(テウ)愛(アイ)せられし縁(ヱン)にて。鷺悉(コト)ク集(アツマリ)り翅(ツハサ)をならべ橋と成り。安々と渡シ申候。左有ニ仍テふれどふらねど。今(コ)宵(ヨイ)七夕あひ給ふ事一定(イチシヤウ)也。左様の〔そばに〕あれバ我々も心うつゝなく成申間。如何様の星のそばへ成共行。今宵ハ少とぎを仕らバやと存ル。幸我等が習ニて候程によばひを初申さうずる ウタイ 今宵七夕逢(ヲヽ)夜(ヨ)なれば。〳〵。我等も独寝(ヒトリネ)いかゝせんと。中立しさうな星引(ホシビキ)つれて。あそこ爰をよばひ星。あそこ爰をよばへども。終にすはるハなかりけり 〔(ヲモ「)よばいを初申さうずるか 何と有うずる ツレ「一段とよからう ヲモ「こよひ七夕おうよなれば ト云ト太皷打返シテヨリ ツレ二人地ヲ付ル〕 〔武帝 しやうけいト謡本ニ有リ〕   卅八 難波 〔 中入ニ太皷持テ出 一ノ松ノキハニヲキサテシテ柱ノサキへ出テ名乗〕 (「)是ハ津の国難波の梅の青葉(アヲバ)の情((精))にて候。去程に此梅花(バイクハ)の名高子細ハ。昔応神天皇に。王子数多おわします中に。帝(ミカド)の御位(ヲンクライ)を難波(ナニハノ)の王子え譲り(ヲクリ)給へば。帝(ミカト)位(クライ)ハ望(ノソミ)なしとて御取なかりし程に。さあらばと思召菟道(ウジ)の御子へ参らせらるれば。現在(ゲンサイ)の嫡々(チヤク)だにめされぬ御位を。我王子なればとて庶(ケン)人(ニン)の身として。春宮にたゝむ事(ンコト)中々思ひも寄ぬと被仰。何も賢人(ケンチン)なればかなたこなたと御辞退(ゴジタイ)有。三年が間天子の御位定まらざる折節。百済(ハクサイ)国より王人といへる相人。初て此土へ渡ルに。天下の事を相(ソウシ)シさせ給へば。勅諚(チヨクチヨウ)を蒙(クマハリ)り念比(ネンコロ)に考て(カンカへテ)申上ルやう。〔是ハ難波の王子の御位につかせ給わハ。〕宇宙(アメカシタ)目出度からふずると。相人(ソヲニンノ)の判(ハン)じたるにまかせ。重而難波の御子へ勅使(チヨクシ)立バ。其時何とか思召候哉覧。御位を請取御申被成。大鷦鷯(ヲヽサヽキノ)の尊(ミコト)とあがめ奉り。唐土(トヲト)の堯舜(キヨウシユン)にもいやまさんとの御事に候。其比王人の哥に。難波づに咲(サク)や此花冬(フユ)籠(コモリ)り。今ハ春辺と咲やこの花と。かく目出度君を添哥なれば。此梅ハ我朝(ハカチヨウ)に隠(カクレナキ)無(カクレナキ)名木(メイボク)にて候。先是ハ梅花(バイクハ)の名高子細。又当今(トウキン)に仕へ御申被成るゝ臣下(シンカ)只今此所へ御下向なれば。いにしゑの王人ハ仮に花守と現し顕(アラハレ)出。声詞をかわし給ふが。今度ハ舞楽(ブカク)をなして慰(ナクサメ)めんと有ニより。某ハ(ソレカシハ)太皷を成と置申さうずる(タイコヲナリトモヲキモウソヲスル)と存是迄罷出た。扨どこ許において気 に合ふもしらぬことじや。大方爰元がよからう 〔ト云テシテ柱ト目付柱ノ方ノ脇正面ニ置テ〕 いや〳〵是ハ片脇でわるさうな。どこ元がよからふぞ。是がよさそうな 〔ト云テ正面の真中たんはしこのきわ ふたいさきのふちのきわより置〕 見た所が一段とよひ。扨やごとなき御方の御出と申間。あれゑ参らばやと存ル 〔ト云テ道行 一返廻ル〕 誠にか様の納ル御代なればこそ稀人(マレビト)の御参詣なれ。此度お目にかゝらずハ中々見る事ハ成まひ。去ながらどこ元に御座ルぞ。さればこそ是に御座ルよ。我等風情にて御前へ伺公仕ルハいかゞな。いや〳〵くるしからぬ事唯参らう 〔ト云テシテ柱の先へ出テ下ニイテ〕 是へ罷出たるを。きやうかつた者と思召れうずる。是ハ此難波の梅の青葉の情にて候が。稀人(マレビト)の御来臨(ゴライリン)の由承り。取物も取不敢出て御座ル。此所に御逗留被成るゝに。何のお慰もなふてハいかゞな。面白ハ無御座共。何ぞ一曲致さうずるか 「やあ 「で御座る 「畏て候。さすが雲の上人で御座ルぞ。何ぞ一曲致さふするかと申たれば。よからふと思召やら。ほつくり〳〵とうなつかせられた。何を致てよふ御ざらふ。いや思ひ出した。此前一指舞ふた事が有。急で是をかなじやう 〔ト云テ和哥上ル〕 目出たかりける時とかや 〔三段の舞過テ太皷打上テ〕 あら〳〵目出たやめてたやな。かゝる目出度折からなれば。我等がやうなる青葉の情も。顕出て。悦いさミ。是迄なりとて青葉の情ハ。〳〵。本の住家に帰りけり   出立  厚板 水衣 狂言袴 腰帯 きや半 官人ずきん 面うそふき 〔△太皷の造物両手ニテ真中の持よき所を持テ出テ一ノ松ノきわにかたひさ立テ下ニ置て夫よりふたいへ出テ間云テ又とりニ一の松へきてかたひさ立テ持物也 扨太皷の置やうハ初ニわき正面ノ方ニ置テ(「)いや〳〵是ハかたわきてわるそうな と云テ正面の真中ニふたい先より五寸程も間をおいて置ク 観世流なり〕 (下に太鼓の作り物を置く場所を示す図。右図は「喜多流」「正面ノ段はしご」、図の中は「ツクリモノタイコ置所」、左図は「観世流」、図の中は「ツクリモノタイコ置所」。) 〔△安永四乙未四月六日 左近弟織部家督成 進藤久右衛門 同平右衛門 鷺仁右衛門 鷺伝右衛門呼参 一座ニテ織部殿被申候ハ左近改正ノ謡相やめ昔より只今迄有之御謡致申候 間も只今迄有来候間ニテ御勤候様ニ被申候 新能新間もやめ被申候 併〈難波〉の間ハ立間ハ無用 是ハ語間ニテ御勤候様ニと申事ニて候〕 〔△ワキ 常の大臣脇ノ通 (ワキ「)当所の人の渡り候か 狂言も常ノ通 所ノ者語出シ (狂言「)去程に此梅花の名高き子細ハ昔おうしん天王ニ王子数多御座ス 常ノ通り ○語のしまいに〕 〔△(「)もろこしのきやうしゆんニもいやまさんとの御事ニ候 又此梅の名木成事ハミかどの御くらい定ざる内ハミとせか間冬こもりして花のさかざりしがきミの御そくいあれハいろか一入たへにして花も殊外見事ニさきミたれしを御覧しておうにんの哥に難波づにさくや此花冬こもり今をはるべとさくや此花とかくめてたき君をそへ哥なれハ此梅ハ我朝ニかくれなき名木ニて候 先我等の為((存))たるハ如此ニて候〕  〔王仁ハ仁王拾六代応神天王ノ御宇来朝 百済国ノ王子也 仁徳天王の御師範(ハン)也〕   卅九 絵馬 〔 サガリハニテ鬼トモ出ル 橋掛ニ立ナラブト太皷打上テ謡出ス〕 鬼ヲモ「有難や。ツレ二人(「)〳〵。納ル御代のしるしとて。蓬来の嶋よりも。鬼こそ君の御威光(ゴイコウ)に。数々の宝物をいざや君にさゝげん。いざ〳〵君にささげん ヲモ「是ハ蓬来(ホウライ)の嶋より出たる鬼(ヲニ)で御座る。大炊の帝の臣下当国へ御下向に付。宝物を捧(サヽゲン)ン為是迄罷出た 〔ツレ鬼付テ出テシテ名乗済テせきばらいをする〕 いやそなた達も唯今出さしまするも。定て御貢物をさゝげうと思ふて出たか ツレ「おふ其事じや。先か様に納目出度御代なれば。御謂物をさゝけうと存て出た ヲモ「定てわごりよハ聞もおよぼふが。目出度事でハ有ぞのふ ツレ「有増(アラマシ)ハ聞てあれども委(クハシイ)事ハきかぬ。そなたハつぶさにおしりやつたそうな。少咄テきかさしませ ヲモ「扨ハ様子をしかとおしりやらぬか。夫ならば咄テ聞せう ツレ二人「急で語らしませ ヲモ「其子細ハ。当今に仕へ御申有臣下(シンカ)。伊勢太神宮え参籠(サンロウ)被成。折ふし今夜ハ節分の夜なれバ。此所に絵馬の懸ル由を聞た。則御覧有と思召ス内に。案のごとく絵馬が懸つた。当年ハ扨々目出度絵馬じや。駱馬(アシゲノムマ)と黒の馬と弐匹かゝつたが。是ハ天土おだやかに民(タミ)豊(ホウネン)にして。五穀(ゴヽク)成就の絵馬なり。なんぼう目出度事でハなひか ツレ「誠に当今の臣下此度御下向に。幸か様の目出度絵馬の懸つたハ。定て御感(ヨロコビ)に思召さいで叶わぬ事ぢや ヲモ「某の存ルハ。か様の折から我等ごときも。少受文(チトシユモン)の(ノ)唱へ(トナへ)て種(シユ)々の珍敷(メツラシキ)宝物を〔打タシテ〕。捧(サヽケ)たひと存ルが何とあらふそ ツレ「いかにも一段尤じや。身共も左様に思ふ。迚の事に片時(ヘンシモ)もはやく上たらばよからう ヲモ「夫ならばいざこち(レ)へ寄しませ ツレ「心得た ヲモ「さあいざとなへさしませい。さ両(サン)人ながら一同に申さう 三人「蓬来の嶋なる。鬼の持宝ハ。隠蓑(カクレミノ)に隠笠(カクレカサ)打出(ウチデ)の(ノ)小槌(コツチ)。諸(シヨウ)行無常(ムチヨウ)し(シヨ)よ。月氏国(カツシコク)にくわつたり 〳〵 ヲモ「扨々種々の宝が出たハ 急で上けう ツレ二人「よからう ヲモ「皆こちゑおじやれ ツレ二人「心得た    ヲモ 間 厚板 狂言袴 脚 伴 腰帯 上厚板ヲツボヲリ 鬼頭巾 小槌かたけ出ル 面不悪    ツレ二三人 厚((ママ)) 袴くゝり 鬼頭巾 ふあく こしをび 〔ヲモ「月氏国にくわつ 二人「いやくわつ 扨々種々の トモ云也〕 〔ヲモ「是ハほうらいの嶋より出たる鬼で御座ル 〔ツレセキハライ〕 いやわごりよ達も出さしましたか ツレ「中々目出度折からじやと存て。是まで付て出たよ ヲモ「扨ハわごりよ達ハ様子をしつたか ツレ「いやくわしうハしらぬ。語テ聞さしませ ヲモ「そちもしらぬか 又ツレ「いゝやしらぬ〕 〔鬼五人面々に小槌かたけ出ル 槌のゑの長サ二尺七寸程 「皆々も是へ出テろくにいてきかしませ 五人ぶたいへならび下ニいて語ル 「わこりよかいわします通りか様の目出たひ事ハ有まいと思ふて我々も皆是迄出テおりやる 「おも(「)宝来の嶋成ル ト云時さし廻し廻りて拍子◯打出ス時ツレも皆一度打出ス あとにておも斗(「)くわつ と云テかたけてはいる〕 〔△絵馬作物ハ初ヨリ出ス ツレ天女二人出ル事も有り 又天女ト力士出ル事も有り  シテハタチカラ王也 造物ノ前ニへい((幣))ヲ切テ付ル事も有り 金剛流ノ大事ハシテ女躰ニテ勤ル 是ハ精進げつさひにて勤ル吉〕   四拾 寝覚 〔〈三帰〉トモ云〕 ヲモ「か様に候者ハ。木曽の高山に年久敷住(トシヒサシウスム)世悴(セカレ)仙人(センニン)ニテ候 〔ト云時ツレ二人出せきばらいをする〕 いやわごりよ達ハ何としてきたぞ ツレ「そちが用有そうに出たに仍テ。何事じやと思ふて是迄出た ヲモ「扨ハわごりよ達ハ様子をしらぬか ツレ二人「いや何共しらぬ ヲモ「夫ならば語テ聞せう ツレ二人「急で語しませ (ヲモ)「先我が朝ハ神武(ジンム)天皇(テンノヲ)より名君(メイクン)数多(アマタ)おわしますとハいへど。中にも此君賢王(キミケンノヲ)にをわします故。仙人も山より出聖人賢人(セイジンケンジン)も参内(サンナイ)致シ。不思義((議))の奇(キ)瑞(ズイ)様々有内に。又此程もあらた成霊夢(レイム)の御座候いて。信濃(シナノヽ)の国木曽(キソ)の郷(ゴウ)ねざめの里に。三帰(ミカヘリ)の翁と申す者の有りて。寿命(ジユミヤウ)常穏(チヤウヲン)の薬(クスリ)を用(モチユ)ル由。忝も帝(ミカド)聞召及ばせ。急御覧有て奏聞(ソヲモン)あれとの勅(チヨク)により。延喜(エンギノ)の聖主(セイジユ)に仕へ御申被成るゝ臣下(シンカ)唯今当所へ御下向有ル。夫ニ就(ツキ)ね覚(ネサメ)〔((の))里にをいてねさめ〕のとこと申ハ。役(ヱンノ)の行者(キヨウチヤ)此ゆかにざして。観念(カンネン)の眠(ネムリ)をさまし給ふ所也。去れハ彼(カノ)行者(キヨウチヤ)仙通(センツウ)を得たもふゆへ。三帰の翁住所もあらずしゆつしよもなく。唯忽然(コツセン)と顕(アラハレ)出。いつもね覚の床(トコ)を住家(スミカ)として老(ヲヽ)せぬ薬を服(フクシ)シ。一度ならず二度ならず三度迄若やぐ。故(ユへ)に三帰の翁とハ申習す。是と有も君(キミ)聖徳(セイトク)にましますにより。仏菩薩(ブツボサツ)権(カ)りに老人と現シ給ひ。不老(フロウ)不死(フシ)の御薬を唯今君へ捧(サヽゲ)給わんと有が。なんぼう目出度事でハないか 〔ツレ「誠に是ハ目出度事じや ヲモ「さあらバ何と思わしますぞ。か様の折からなれば。いざうとうて帰ルまいか ツレ「一段とよからふ ヲ「いざうたわしませ ツレ「先わごりよがよからう ヲモ「夫ならばうたわふか ツレ二人「中々〕 ヲモ「荒々目出たや〳〵な。ツレ二人(「)かゝる目出度折柄なれハ〔両テニテ扇ヲ返シ〕。仙人共ハ顕(アラハレ)出て〔右テニ扇ヲ持 正面へ出ル アトへ開キ〕。 寝覚の床の。目出度〔左右ノ方ヲミル〕子細を語り申シ。帰覧とせしが〔はしがゝリノ方へ行〕。猶も〔正面へ出ル〕所を富貴に守り。七百歳(ヒチヒヤクサイ)を〔手ニテゆひをり〕国土に捧(サヽ)ケ〔扇ニテスクイサシ〕。是迄〔サシマハシ〕成とて仙人共ハ。〳〵〔切返シ〕。元の仙境(センキヨウ)ニ〔右ノ足出シテ引〕帰ケリ(〔○○〕)〔タツハイ〕   ヲモ 間 厚板 そばつぎ 狂言袴 きや半 こしをび      官人ずきん 扇 上り髭   四拾一 東方朔 〔 拍子方出ルト台出ス 脇座ニ置クト狂言出テ口明ヲ云〕 官人口明「抑是ハ漢(カン)武帝(ブテイ)に仕へ申官(クハ)人にて候。扨も此君(キミ)賢王(ケンヲヽ)ニおわしますにより、吹風枝(フクカゼヱダ)をならさず。目出度御代にて御座候。然は此程青き鳥の足の三つ候が。禁中を飛廻(メグ)ルを。百管(クハン)卿相(ケイソウ)不審(フシン)申され。博士(ハカセ)を召て占(ウラ)せらるれば。君の御為目出度御(ゴ)瑞相(スイソウ)と占(ウラ)ひ申す。又今日ハ七月七日七夕の節会(セチヱ)なれば。我が君ハ承花殿(セウクハデン)に車駕(ミユキ)被成。御遊(ゴラン)有べきとの御事なり。百管((官))卿相に至(イタル)ル迄。其分心得候へ 〳〵 〔ト云テ観世流ノ時ハふれてから楽やへ入 シテ出テ奏聞の時ハワキツレ取次也 下懸り時ハやはり狂言取次故ニふれてすくに太皷座ニ待ている シテ出ル〕 官人「奏聞申さんとハ誰にて渡り候ぞ 官人「其由申上うする間夫に暫ク御待候へ 官人「いかに申上候。此国の傍(カタハラニ)に住者成ルが。君の御為けしからず目出度御(ゴ)瑞相(ズイソヲ)おわしませば。此事を奏聞可申とて唯今参内仕り候 官人「畏て候 〔ト云テシテノ方ムイテ〕 最前の人の渡候か 官人「御申の通り奏聞仕りて候えバ。則庭上へ通シ申せとの御事に候。急で御参内有うずる 官人「こふ〳〵御通り候へ  仙人ヲモ「か様に候者ハ。他り近(チカ)き深山(シンサン)に住仙人にて候。只今罷出ル事別のぎにあらず 〔ツレ仙人二人出ル うしろよりせきばらいする〕いやハごりよ達ハ何と思ふて出さしました ツレ仙人「そなたが用有さうにてさしましたに仍テ。何事かと思ふて出たよ ヲモ「扨ハ様子をしらぬか ツレ二人「いや何共しらぬ ヲモ「夫ならば語テ聞せう程に聞しませ ツレ二人「心得た ヲモ「去程に此君賢王(ケンノヲ)に御座すにより。様々の目出度き事共数をつくす。然は東方朔奏聞(ソウモン)申さるゝ様ハ。此間青き鳥の足の三つ候が。禁中(キンチウ)を飛廻(メグ)り候事余の義にあらず。爰に崑崙山(コンロンサン)の仙人西王母と申者寵愛(チヤウアイ)の鳥なり。彼王母三千歳ニ一度花咲ミのなる桃を持。是を一つぶくすれば。則三千歳の齢(〔ヨハイ〕)をたもつ(タモツ)桃成ルが。東方朔ハ三つ迄服(ブク)仕ルにより。九千歳を歴(フル)ル。其寿命目出度桃(トウ)実(〔シツ〕)を。西王母我が君へ捧(サヽケ)申さうずるとの御事にて。則三足(サンク)の青鳥(セイテウ)を先達ル由申せバ。君ハ一入叡感(キヨカン)被成。猶々仙人の目出度子細を申上よとの勅ニより。仙徳の不思義((議))委申上ケ。又彼西王母ハ。(ト申ハ)西方極楽の無(ムリ)量寿仏(シユブツ)の化身(ケシン)なれば。命ハはかりなき仙人にて候。然らハ君桃実(トウシツ)と聞し召さば。三千年の齢(ヨハイ)を御たもち有べき事うたかひ御座なく候。頓テ西王母をともなひ追付参内(サンダイ)申へきとて。其まゝくれに失給へば。君御感浅(ヨロコヒアサカラ)からず候。又我等ごときの仙人も。かたのごとく寿命長遠に目出度仙人共なれば。か様の時節罷出。王母の参内(サンダイ)を余所(ヨソナガラ)ながら見物せうと思わぬか ツレ「一段とよからう ヲモ「さあらバ是にやすらふて。目出度様子を見物致さう。皆是へよらしませ ツレ二人「心得た 〔ト云テ一セイニテ桃人情((精))出ル〕  トウ人「抑是ハ三千歳に一度。片枝に花咲片枝にミのなる。西王母の園の桃の。とうにんと我((は))事なり ヲモ「いや是へきやうがつた者がでました。詞をかけませう ツレ二人「よふ御座らふ ヲモ「是ハ人間とも見へず。又仙人共見へぬがいか様成者ぞ。トウ人「御不審尤じや。是ハ西王母の桃の桃仁(トウニン)成ルが。目出度折からなればか様に顕出て候 ヲモ「何とおしやるぞ。西王母の桃のとうにんじや トウ人「中々 ヲモ「夫にちとおまちやれ トウ人「心得て候 ヲモ「喃々あれへ西王母の桃の桃仁が参りたが((る))。西王母の桃を一つ服すれば。三千歳の齢をたもつと有ルが。其桃をば中々我等ごときの者にハよせつくる事でハなひほどに。あの桃仁なりとねぶつて。命をなごふせまいか ツレ「是ハ一段とよからう ヲモ「喃々そなたに少むしんか有ルが。聞ておくりやらうか トウ人「何事ぢや ヲモ「別の事でハなひ。西王母の桃を一つ服すれバ。三千歳の齢をたもつと有ルが。中々我等にハあてつくる事でハなひ程に。そなたのあたまをねぶつて。命を長クせうと思ふ程に。ねふらせまいか トウ人「いか様にも御ねぶり候へ ヲモ「いで〳〵さらばねふらんとて。(〔打切〕)皆謡(「)〳〵。先我さきにと。すゝミけり トウ人「其時桃仁ひざまづきて。〳〵(地皆付ル)。頭をさしだし待ければ。よりてハねぶり。帰りてハねぶり。あまりにつよくねぶられて。頭ハちいさく成りたれど。命ハながき桃仁の。命ハながき桃仁の情ハ。王母のみもとに帰りけり 〔みもとに参りけり 元の住家に帰りけり〕 〔(官人)「か様に候者ハ。漢の武帝に仕へ奉ル官人にて候。扨も此君賢王にましますにより。吹風枝をならさず。目出度御代にて候。然ハせいてうの足の三つ候が禁中をとひめくる。な((故?))。各々御覧じいか成けてうそと御ふしんなされ。はかせをめしてうらなわせらるれば〕 〔(ヲモ)「扨も漢の武帝ハ賢王にましますにより。さま〳〵めでたきずいそうおハしますが。就夫只今東方朔奏聞申さるゝ様ハ〕 〔(ヲモ)「いやわこりよ達ハ何と思ふて出さしましたぞ (ツレ)「そなたの用有さうでおでやつたに仍テ。取物も取あへず出たよ (ヲモ)「扨ハ様子をしらぬか (ツレ)「いや何ともしらぬ (ヲモ)「それならば語テ聞せう〕 〔(桃仁)「是ハ崑崙山の仙人。西王母の桃仁の情成ルが。目出度御代にハ仙人も山より出ルと申せハ。此君賢王にておわしますにより。桃仁の情((精))罷出て候〕 〔ヲモ「是ハ仙人共見へず。又人間共見へぬが。いか様な者じや。 トウ「御ふしん尤じや。是ハ西王母のもゝのとうにん成ルが。目出折((度))からなればか様にあらわれ出テ候 ヲモ「是ハ言語同((道))断目出事じや。かた〳〵ハ何とおもわるゝぞ。桃実ハ中々我等にあてつくる事でハ有まひ程に。いざせめて此桃人なりともねぶつて。少成共ながいきをせまいか ツレ「是ハ尤よからう ヲモ「なふさいわいの所へ出さしました。少其方のあたまをねぶらせまひか トウ「いかやうにも御ねぶり候へ〕 〔△日本開化天皇五拾九年ニ当テ漢ノ武帝 △蘇武ヲ大将トシテ胡国ニ被レ向 △東方朔 漢武帝ノ時名ヲ改ハス荒身ノ長サ九尺ト云〕   初官 人出立 厚板 そばつぎ 狂言袴 きや半 腰帯 扇 官人ずきん   仙人 ヲモツレ三人トモニ水衣 厚板 狂言袴 きや半  こしおひ 官人頭巾 上り髭 はな引ノ内    とう にん 厚板 そばつぎ 狂言袴 きや半 こしをび 面うそ吹   同 東方朔 官人口明「抑是ハ漢(カン)ノ武帝(フテイ)に仕へ奉ル官人ニテ候。扨も此君賢王御座スニより。吹風枝をならさず。民戸指をさゝぬ御代にて候。左有ニ依て此程不思義((議))の奇瑞御座候。然ハ今日ハ七月七日星(ホシ)の祭なれば。帝ハ此殿へ行幸被成。四方の気色を叡覧有べきとの御事なり。百管((官))卿相ニ至ル迄。相構テ其分心得候へ 〳〵 〔ト云テ観世流ノ時ハスクニ楽ヤへ入 但シ下懸ノ時ハ太皷座ニイルトシテ一セイ謡過テ奏聞有リ 是ヲ狂言取次也 シテ(「)いかに案内申候〕 狂言官人「誰にて渡り候ぞ 〔シテ(「)是ハ此国の片原ニ住者成が君ノ御為目出度事奏シ申さん為是迄参内仕りて候〕 官人「さあらハ其由奏聞申さうずる間。暫((マ)ニ(マ))暫ク御待候へ 〔ト云テワキノ方へ行テ〕 いかに奏聞(ソウモン)申上候。此国の傍(ホトリ)ニ住者成ルが。君の御為目出度御ずいそう御座せハ。此事を奏聞(ソウモン)申可とて只今参内仕て候 官人「畏テ候。最前の人の渡り候か 官人「最前の御奏聞申て候へバ。則庭上(テイシヨウ)へ通シ申せとの宣旨なれば。かう〳〵御通り候へ 〔中入過テ仙人同勢三四人も出ル〕 仙人ヲモ「か様に罷出為((たる))者ハ。此他りに住居仕仙人ニテ候。やハごりよ達ハ何と思ふて是へ出られたるぞ ツレ「いや其事じや。わごりよが何と哉覧((やらん))よろこばしさうな躰て出たるに仍テ。我々も様子を聞たさに出たよ ヲモ「うゝ扨ハ某が機嫌よささうな躰で出たに仍テ。わけハしらねど先出た ツレ「中々 ヲモ「わごりよ達も其通りか 皆「尤さうじや ヲモ「さあらバ語てきかせう。先此君ハ古今ならびなき賢王にて御座有ニより。四海波治り万目出度折柄なれば。不思義((議))の奇瑞有其子細ハ。此間三(サン)足(ゾク)の青(セイ)鳥大内を飛廻ルを。いか成事と思召ス所に。東方朔と申仙人来りて奏(ソヲモン)する様。件(クダン)の鳥は崑崙山(コンロンサン)ニ住。則西王母と申仙人の寵愛(チヨウハイ)の鳥成が。此君祭事正う(タヾシウ)御座ス故。三千年ニ一度花咲キ実(ミノ)成ルたうじつを捧(サヽゲ)申。弥御寿命御長遠ニて御世運久しからふずるとの御事也。左有ニ依テ彼鳥さき立ツテ飛来ル。此様子を東方朔参て奏(ソヲモン)せられたるが。なんぼう目出度事でハないか 〔ツレ仙人シカ〳〵〕 ヲモ「彼桃(トウジツ)実と一つふく致せバ。必三千年の代合((齢))をふる。彼東方朔ハ一つならず二つならず三つ迄ぶく致されたに仍テ、則九千歳迄寿命目出度仙人なり。件の西王母に桃実を持せ。東方朔諸共に追付参内(サンダイ)致さるゝが。此様な目出度事ハ。何とためしすくない事でハないか 〔ツレ又シカ〳〵〕 ヲモ「誠ニ聖人の御代にハ仙人も山より出ルと申が是じや。皆々何と思わるヽぞ。何も幸の所へ出た程に。彼桃実をぶくする事こそならず共。せめて見物成共せまいか ツレ「是ハ一段とよからう ヲモ「さあらバ是へよつてまたしませ 一セイ桃人「抑是ハ三千年ニ一度。片枝に花咲片枝に実(ミ)のなる。西王母の園の桃のたうにんなり ヲモ「是ハ人間共見へず。又仙人共見へぬがいか様成者ぞ トウ「御ふしん尤じや。是ハ西王母の桃のたうにん成ルが。目出度折柄なれバか様に顕レ出て候 ヲモ「是ハ言語道断目出度事ぢや。旁ハ何と思わるゝぞ。桃実ハ中々我等ニあてつくる事でハ有まひ程ニ。いざせめて此桃人なりともねぶつて。少成共長生(セイ)をせまいか ツレ「是ハ尤よからふ ヲモ「なふ幸の(ヨイ)所へ出さしました。少其方のあたまをねぶらせまいか トウ「いか様ニも御ねぶり候へ ヲモ「いで〳〵さらバねふらんとて。〳(打切テ皆付ル)〵。大勢の中ニ取籠テ。先我先ニとすゝみけり トウ「其時桃人ひさまづきて。頭を指出シ待ければ。寄てハねぶり帰りてハねぶり。餘りにつよくねふられて。頭ハちいさく成りけれと。命ハ永き桃人の情ハ。〳〵。本の住家に帰りけり   四拾二 西王母 〔初ニ台出ルト狂言出ル〕 「抑是ハ漢の武帝に使((仕))へ申管(クハンニン)にて候。扨も我君祭事((政))たゝしうましますにより。五日の風十日の雨折をたがへねば。おのづから民の愁もなく。誠に目出度御代にて御座候。又今日ハ此殿へ御車駕(ミユキ)被成。四方の気色を叡覧有べきとの御事なれバ。百官卿相に至迄。其分心得候へ 〳〵 〔ト云テ太皷座ニ下ニ居ル〕  「去程に此君(キミ)漢の(カンノ)武帝(ブテイ)の御事を。我等ごときの申ハ空おそろしき事なれど。いつも朝祭事おこたり不給。君臣二つの道をわかち。殊に君の御心ハ大海のごとく豊(ユタカ)に広(ヒロク)クおわしまして。水上清ければ流の末も渇(ニゴ)らざる故。下として上をはかる事なく。冨(トン)成ル人も貧者(ヒンシヤ)をいやしまざるに仍テ。弥天下泰平国土安穏に御座候。左有に依テ爰目((に))出度事の候ぞ。夫を如何と申(云)に。崑崙(コンロン)山の他りに西王母と云へル仙人のおわ(アルガ)しますが。最前是へ参内(サンダイ)申さるゝ。先此西王母と申ハ。古性(イニシヘ)金を三千両持給ふを。御子息兄の金砂(キンシヤ)に是を参せらるれば。左様の物ハ望なしとて御取なかりし間。左有らばと思召し舎弟金王(キンキヨク)に遣さるれば。現在(ケンザイ)の嫡々たにめされぬ黄(タイ)金を。われらの請べき事思ひもよらぬと仰られ。彼方此方と賢人のたて御取なかりし程に。力不及して御兄弟の御殿(ゴテン)を作り。其間に彼金を埋(ウス)ミ置上に植((ママ))を被成るゝ所に。程なく金の上より桃木一本生出ルを哥に。中垣の花にふたりの主ありて。植し金や桃と成覧と。是を西王母の薗(ソノ)の桃と申て候。三千歳に一度片枝に花咲片枝にミの成桃にて候が。かのこのミを一つ服仕れハ。則三千歳の齢をたもつ桃成を。名に聞シ東方朔と云ヘル仙人ハ。一つならず二つならず三つ迄服せらるゝにより。則九千歳の齢を歴(フルト)と聞ク。か様の目出度桃の花を持て候。天津(アマツ)御空(ミソラ)も(モ)晴(ハレ)吹くる風もこうばしき内に。王母是迄参内(サンダイ)被申。君辺(クンヘン)に座して君の御為目出度事共様々申上。重て誠のとうじつを捧(サヽケ)け申さうずるとて。宮中を出ルと其まゝ天上致すを叡覧あれバ。いづくをふまゆる共なく風に木のはのちり。さながら浮雲の如クにして。遥(ハルカ)にあかると見て白雲の中に入けるを。聖人(セイジン)の御代にハ仙人も山より出ルと申せバ。天乙女の参ルを帝(ミカト)の叡慮(ヱイリヨ)に叶ひし故。大内の人々ハ男女共に御悦なのめならず候〔○((朱))〕さればかの寿命目出度このミを捧(サヽケ)たらば。先帝の聞シ被召て以後〔ニ〕。定て王子達后の参りて後ハ。さんこうの人々中納言(チウナゴン)宰相(サイシヨウ)以下。工卿(クギヨウ)天上人迄次第〳〵に参りて跡に。我等の所迄さがりたるを。このミをたぶる事ハ及なし。少桃仁(トウニン)をねぶりても或ハ五百歳。又ハ三百歳の齢をたもとふずるハうたがいなき事なれば。我等こそ万事不調法者なれ。孫子共ハ未若者の事なれば。後に天上の儒(シユシヤ)者といわれんも。又十能七藝が何程器用(キヨウ)にあらんも知らざる間。少と取りて帰り稚者(ヲサナキモノ)共にたべさせふと存ル〔○((朱))次〕然はか程にたくひ少なき桃実を。餘り心なげに唯納メ置れんより。管見(カンケン)を以テ請取御申あらんとの御事なれば、其御役の人々ハ。一人も残らず御参あれ。相構て其分心得候へ 〳〵 〔ト云テすぐに楽屋へ入ル ○後ノシテ幕きわへ懸ルに依テ間済と早ク入テよし〕   出立  厚板 狂言袴 そばつぎ こしをび 官人すきん 唐扇 又ハ常の扇ニテもよし   四拾三 竹生嶋 「か様に罷出為((たる))者ハ。江州竹生嶋の弁才天に使((仕))へ申社僧にて候。去程に我朝に福殿数多有りとハいへど。中にも当嶋の天女の御事ハ。福徳自在を叶給へハ。国々在々所々よりも。朝夕袖を連ね(ツラネ)踵(クビス)を継(ツイテ)。老若共に知るもしらぬもおしなめて。参詣の人々多シと申せと。取分き程近き都より。毎日毎夜貴(キセン)賎郡集(クンシユ)なし申さるゝ。夫に就当嶋の天女の霊神成ル御事ハ。大内迄も隠なくして。延喜(ヱンキノ)の聖(セイ)主(ジユ)に仕へ御申被成るゝ臣下。唯今此所へ御参詣の由申間。先あれへ参り御礼を申。又御用有においてハ走(ハシリ)り廻らうと存ル 〔ト云テ道行〕 誠に目出度御代成ルに仍テ。稀人(マレビト)の此所へ御下向被成た。乍去どこ元にぞ。大方此他りにてあらう。さればこそ是に御座るよ。あれへ参らう 〔ト云テ下ニイテ〕 先御礼申上候。是ハ当嶋の天女に使へ申者成ルが。此所へ御参詣の由承り。取物も取敢ず罷出て御座ル。御逗留の間に。何ニても御用あらば被仰付られうずる。随分御地走申上う。又此所え御参詣の方々ハ。天ぶの御宝物を拝せらるゝが。是ハ何と御座らう 「畏て候 〔ト云テ立テ〕 一段の御機嫌に申合た。急で御目にかけうずる 〔ト云テ太皷座へ行テ腰懸のふたの上に色々の物のセテシテ柱の先へ持出テ〕 「是が則宝蔵(ホウソウ)の御鍵(ミカギ)で御座る〔作物ヲ右ノテニ持テヒダリノ手ヲ開 右ノテノ下へそへテ見セる〕。是ハ牛(ウシ)の玉駒(タマコマ)の角(ツノ)〔これも見せやう同事〕。ためしすくない物で御座る。とつくりと御覧ぜられひ。扶竹(フタマタノタケ)〔是も右之通り申て見せる〕是ハ当嶋涌出の砌に生じたる竹て御座ルに仍テ。則当所をも竹生嶋とハ申習ス。〔扇ヲ開 左りの手ニ持 右の手ニじゆずヲ持テ扇ヲじゆずの下へそえへて見せる〕是ハ天女の朝夕看経(カンキンノ)の被成た御(ヲ)珠数(シユシヨ)で御座ル。是ハ少と戴(イタヽカ)せられい〔持テ立テ遠クよりいたゝかせる躰をする〕 旁もお戴きやれ〔トツレワキノ方へ云〕 先御宝物ハ如此。扨又爰に岩飛の有を御覧ぜられまひか 「畏て候 〔腰懸ノふた太皷座持テ行下ニ置 水衣ノ片ヲ取テ扇ハ腰ニサス〕〔シテ柱ノサキヘ出立テイテ謡出ス〕いて〳〵岩飛を始めんとて。〳〵(〔太皷打上テ〕)。〔右ノ足開上ヲミル〕高き所に〔正面へ出〕はしり〔一ツトビ〕あがり。〔大臣柱ノ方ヲミル〕東を見れば。日神〔目付柱ノ方ミル〕月神てりかゞやきて。〔下ヲミル〕水にうつれる 〔右ノ手ヲ出シフリカヘリミル〕かげを見れば。おそろしそうなる岩巌を。〳〵。〔一ツトヒ〕飛越〔左り手ニテ水衣もちそへてかざし右へ小廻りシテ〕水底にすぶと入つてぞ帰りける〔右ノテニテカホナテナカラ〕 あゝくつさめ 〔鷺流ニテハ一ツ 但シ二ツ云事も有 大蔵流ニテハ二ツ云〕   間出 立 水衣 むしのしめ 狂言袴くゝり こしをひ  こうしずきん 扇     こしかけのふたニふた又竹 角 牛玉 じゆず かぎヲ入テ後見太皷座ニ置也 〔「是ハ当社の御かきて御座ル 急て御戸を開き申さう ごと〳〵〳〵 ぎいぎり〳〵〳〵 ト云テかきニてあけ扨左右へ開躰をする 「此嶋現れ出たる時生じたる竹て御座ル 是に仍テ当嶋を竹生嶋とハ申習ス 「是ハ天女の御珠数て御座ル 少と各々にいたゝかせませう 「是ハ牛の玉て御座ル 珍しい物じや 能御らふじられい 「是ハ馬の角で御座ル それへ持て参り御目に掛う 能御らふじられひ〕 〔「爰にお目にかけうずる物の御座ル しちなんが ト云テ笑テ(「)わきげで御座ルト ト云かつらを見せて〕 〔「急て御宝物をおかませ申さうずる 「是ハほうぞうのミかぎて御座ル 「是ハふたまたの竹で御座る 当嶋ゆじゆつのみぎりにせうじたる竹成により所をも竹生嶋とハ申実候 うしの玉こまのつのて御座る いづれもためしすくない物なれハとつくりと御らうしられい 「是ハ天女のあさゆふかんきんの被成たおしゆずて御座る 是をハちといたゞかせられい かた〳〵もおいただきやれ 先ミたから物ハかくのごとく〕 〔江州湖 宝永三年迄千九百九十三年〕 〔△日本五弁才天ノ事 ○奥州金花山弁才天 ○安芸厳嶋弁才天 ○江州竹生嶋弁才天 ○駿州冨士山弁才天 ○相州金亀山江嶋弁才天〕 〔出現ヨリ宝永三年迄景行十庚戌竹生嶋出現 千六百七十二年〕   四拾四 氷室 「か様に罷出為((たる))者ハ。丹波の国氷室の明神に使((仕))へ申神(シン)職(シヨク)の者にて候。去程に此氷室(ヒムロ)の子細と申ハ。昔御狩の行幸の(ギヨコウ〔ミユキト云〕)有し時。比ハ六月中半(ナカバ)の事成ルに。折節有ル一村の森の方より。時(トキ)ならぬ寒風(カンブウ)頻(シキリ)りに吹(フキ)来ツテ。御衣(ギヨイ)の袖にやとると思召せバ。さながら冬(フユ)野々御狩の如ク成し故。主上(シユジヨウ)是をあやしめ給ひ。此風をしのぎ給わんとの御事にて。彼の一村のほとりへ御行(ミユキ)被成。庵(アン)ノ内を詠覧(ヱイラン)あれば。雪氷(ユキコウ)を多(ヲヽク)ク家内にたゝへ申〔ス〕。帝(ミカド)餘りに不思儀((議))に思召。是ハ如何成事ぞと宣旨(センジ)あれば。其時あるしの翁申様。夫仙家(センクハ)と申には紫雪(シセツ)紅雪(コウセツ)とて薬の雪有り。翁ハ其薬ノ雪と(ヲ)ぶく致すにより。か様に息災延命に候と申上ケ。則薬の雪を備(ソナへ)へ申さんとて。君へ氷を供御(グゴ)に上奉れば。帝の叡慮(ヱイリヨ)浅からずして。夫よりひの物の供御(グゴ)と申事始りたり。其後ハ仁王拾七代仁徳天皇の御宇(キヨウ)に。大和の国葛下(カツゲ)の郡(コウリ)に氷室を構(カマ)へ。氷乃(ヒノ)供御(グゴ)を年々備へ申す。夫より以後ハ山城の国松が崎。又此比ハ丹波の国桑田(ソウ〔クワタ〕)の郡(コウリ)に御座候。去りながら是ハ先氷室の目出度子細。又都より勅使(チヨクシ)の御下向と申間。急ぎあれへ参らばやと存ル (「)先御礼申上候。是ハ当社に使へ申神職(シンシヨク)の者にて候が。此所へ御参詣の由承り。取物も取敢(トリアへ)ず罷出て御座る。此所に御逗留(ゴトウリウノ)の中(ウチ)何にても御用のあらば被仰付うずる。随分(スイフン)御地走申上う。又此氷室の明神の神秘(ジンビ)において。我等ごときの者が雪を乞(コイ)申せば。か様の晴天にも時ならぬ雪が其まゝ降(フリ)候が。是を少と御覧せられまいか 「畏て候 日本一の御機嫌に申合た。急で今一人の者を喚出し申さうする 〔ト云テまくの方ミて〕 なふ〳〵居さしますか いるかなふ ツレ「某を呼ハ何事ぞ ヲモ「はて扨わごりよハぬかつた人じや。爰にめてたひ事の有が。夫を知テだまつたか 但シしらぬか ツレ「いや何共しらぬ ヲモ「それならば語テ聞せう。都より勅使(チヨクシ)の御参詣被成たが。外分((聞))かた〳〵目出度事でハないか ツレ「誠にそなたのいわしますごとく。在々より平人のきせん郡衆(クンジユ)致すさへ。当社の御威徳(イトク)じやと思ふニ。殊に雲(クモ)の(ノ)上人(ウヱビト)の御参詣ハ。一入明神の御威光(ゴイコウ)と思へば我躰迄も大慶な事ちや ヲモ「就夫某のお前へ出たれハ。当社の神秘(ジンビ)を御覧じられたいと有程に。いざ雪を乞て稀人(マレビト)のお慰ニせう ツレ「是ハ一段とよからう ヲモ「さあ〳〵是へ寄て拵さしませ ツレ「心得ておりやる 〔ト云テ二人共ニ太皷座ニて水衣のかたをとる〕 ヲモ「何としたくハよひか ツレ「中々よふおりやる ヲモ「夫ならバこふ出さしませ ツレ「心得ておりやる ヲモ「さらばこおう ツレ「よかろう ヲモ「雪こう〳〵〳〵 ツレ「あられこう〳〵〳〵 ヲモ「さればこそふつてくるハ ツレ「其通りぢや ヲモ「唯こへ〳〵 雪乞(ユキコウ)〳〵〳〵 ツレ「雹乞(アラレコウ)〳〵〳〵 ヲモ「何とおびたゞ敷ふつた事でハなひか ツレ「其通りぢや ヲモ「さらば雪こかしをせう 一所へよせさしませ ツレ「心得た ヲモ「さあ〳〵つくねひ〳〵 〔ト云テ雪を手ニてよせる躰をする〕 さらば雪こかしをせう ツレ「一段とよからう ヲモ「雪転ばかし ツレ「雪まろこかし ヲモ「ぐひり〳〵〳〵や ツレ「ぎし〳〵〳〵や ヲモ「あらつめたひ事じやハ 卒度(ソト)此雪を氷(ヒ)室(ムロ)の谷へ納めう 寄しませ 二人「ゑひ〳〵 さあ づしづしどふ ヲモ「まんまと〔タニヘ〕納た ツレ「誠にとつくりと納すまいた ヲモ「いざ又乙雪(ヲトユキ)を乞(コウ)て降(フラ)せう ツレ「よからう ヲモ「雪こう〳〵〳〵 ツレ「雹乞〳〵〳〵 ヲモ「雪乞〳〵〳〵 ツレ「あられこう〳〵〳〵 ヲモ「お寺の垣軒(カキノキ)に降(フリ)りやとまれ こう〳〵   出立 二人トモニ あついた 水衣 狂言袴 きや半 こしをひ 初ニかたにもとゆい     (以下一行は綴じ込みがきつくて読めず) 〔(ヲモ「)氷室の谷へ納めう トモ又ハ(ヲモ「)いざ谷へほかそう トモ云 此時ハぶたひの正面先へすてる (ヲモ「)いざ内神へ納めう と云時ハ作物前へ二人して納ル躰する〕 〔(ヲモ)「乍去是ハ氷室の目出度子細 又亀山の院使御申被成るゝ臣下只今此所へ御参詣の由申間 急あれへ参らばやと存ル (ヲモ「)先御礼申候 是ハ氷室の明神に使へ申神職の者成か 此所へ御参詣めてとふ存ル 然ハ我等こときの者か雪をこひ候へハ当社の神秘にて か様の晴天にも時ならぬ雪か其まゝふりきたり候間 是をちと御覧せられまひか (ヲモ)「畏て御座ル 一段の御きけんに申合た 今一人の者を呼出し申さうずる なふおりやるか (ツレ)「何事ぞ (ヲモ)「そちをよび出すも別成事てなひ 只今亀山の院の臣下の御参詣じやか何と目出度事てハないか (ツレ)「誠に目出度事じや (ヲモ)「夫についてお慰に雪をこうてお目ニかけうと申たれハよからうと被仰るゝ程にいざ雪をこうてまれ人のお慰にせう (ツレ)「一段とよからう (ヲモ)「いさしたくをさしませ (ツレ)「心得た (ヲモ)「なんとこしらへハよいか 「中々よいぞ (ヲモ)「雪乞〳〵〳〵 (ツレ)「あられこう〳〵〳〵 (ヲモ)「さあふるハ〳〵 雪乞〳〵〳〵 (ツレ)「あられこう〳〵〳〵 〔ト何へんも云テ〕 (ヲモ「)扨も〳〵おひたゝしうつもつたハ (ツレ)「其通りぢや (ヲモ)「いや雪こかしをせう (ツレ)「よからう (ヲモ)「雪まろこかし (ツレ)「ゆきまろこかし (ヲモ)「ぎし〳〵〳〵や (ツレ)「ぎし〳〵〳〵や (ヲモ)「扨々したゝかな物になつたハ いざ内神へ納めう 〔二人して〕(二人「)どろ〳〵〳〵ずつしり (ヲモ「)まんまと納た いさあとの雪をこおう (ツレ)「よからう (ヲモ)「雪乞〳〵〳〵 (ツレ)「あられこう〳〵〳〵 (ヲモ)「お寺のかきのきにふりやとまれ こう〳〵〕 〔右ハ手前ニ云テ有通リ〕 〔ヲモ「なふおりやルか ツレ「何事そ ヲモ「いやまれ人の御下向じやが何と目出度事てハなひか ツレ「誠に是ハ目出度事ておりやる ヲモ「さあらハいつものごとくゆきをこうてお目にかけう ツレ「一段とよからう〕 〔△雪を乞事二人ふたいの真中ニ立ならび扇をひろけて(ヲモ「)雪こふ〳〵 と云テ両手上る アトも(「)あられこう〳〵 と云テおも間の通りする 二人大廻りして正面向テ(ヲモ「)されハこそふる〳〵 ト云テ面々廻り両方より雪をよせるてい(ヲモ「)おゝつめたひ と云て両手へいきをふきかけるていする 正面の方へ三つ斗こかし(ヲモ「)したゝかになつた と云て (ヲモ「)内神へ納めう と云テ作物の方へ三つほどこかし一所に拍子一つふミ 跡の雪面々小廻りして一所に大廻りして小廻り 正面向テ一所ニ左右にてとめる〕 〔△高安流ニてハ狂言懸りても詞いわず 夫故ワキへハかゝらずにもする〕 〔△春藤流京都ニテ観世安休勧進能之時春藤六右衛門せりふ云〕 〔ヲモ間(「)是ハ先氷室の目出度子細。又都より勅使御下向と申間。いそぎあれへ参らばやと存ル 道行常の通り ヲモ間「是ハ当社に使へ申神職の者成ルが。此所へ御参詣目出度存ル。然は此氷室の明神のじんひにて。我等ごときの者が雪をこい申せば。かやうの晴天ニも時ならぬ雪が其まゝふり候が。是をちと御覧せられまいか (ヲモ)「畏テ候。日本一の御きげんに申上た。さあらバ今一人の者を呼出し申さうずる。のふおりやるか ツレ「何事ぞ ヲモ「いやまれ人の御下向じやが何と目出度事でハないか ツレ「誠に是ハ目出度事でおりやる ヲモ「さあらバいつものごとくゆきをこうて御目にかきやう ツレ「一段とよからう 〔是より常の通り〕 右ハ家元ニ有之借本ノ通り〕   四拾五 金札 「か様に爰元へ罷出為((たる))者を。御存知被成ぬ人ハ何者ぞと思召れうずる。是ハ伊勢太神宮に使((仕))へ申す神職(シンシヨク)の者にて候。去程に我(ハカ)か朝(チヨウ)ハ天地開闢(テンチカイビヤク)より神国なれば。霊神(レイシン)国中に数多御座スとハ云ながら。中にも太神宮の御事ハ日本の主(アルジ)の御神なれば。毎年国々在々所々よりも老若男女共ニ。内外(ウチトノ)の御神へあゆミをはこび申さるれば。神前の賑敷(ニギハシウ)うまします御事。又と并(ナラビ)たる神も無御座候。左有に仍テ我等も是を見聞に付正直(セウシキ)を第一と仕ル故か。何事も思ふ様に御座候。されバ夫に付一〔作((昨))〕夜も不思義((議))成。御霊夢(コレイム)を蒙りて候 其子細ハ。此度天子へもあらた成御告(ツゲ)の有テ。俄に山城の国伏見の里に帝より大宮(ヲヽミヤ)作り被成るゝを。拙者に急あれへ参りて。社頭(シヤトウ)の霊(レイ)地(チ)の清(キヨ)めを仕り。則新宮(シングウ)の社人(ジヤニン)に成申せとの。太神宮より慥成御告の御座候間。取物も取敢罷((ず))出た。急で参らうずる(〔伺公致そう〕) 〔少出ル〕 参る程に早伏見の里に着た。誠に神慮(シンリヨ)の有難さハ崇(アガメ)ても厭(アキタラ)ぬ御事成ぞ。此伏見の里へ参りて聞申せば。今度大内へも新(アラタ)成御告(ツケ)の有りて。則大宮作り被成んとて。唯今勅使(チヨクシ)御下向の由申間。某もあれへ参り。拙者にも告の有りて 是迄参り為由申上うと存ル。さればこそ是に御座候よ。あの甍(イラカ)を並(ナラベ)た様なる中へ。此躰にて出うハいかゞなれども。苦しからぬ事唯参らう。是へ罷出為ハ。伊勢太神宮に使へ申す神職(シンシヨク)の者成ルか。太神宮よりも我等迄新成御告(ヲンツゲ)の御座候ひて。急ぎ伏見の里へ参り。社頭(シヤトウ)の立新地の清めを仕り。則其社人になれと慥成御告の御座候て。勢州より遥(ハル)々参仕て候が。社壇(シヤダン)の立新地お清メ申さうずるか 「畏て候 「左有らば急で祓(ハライ)申さうずる 〔祝詞正面向テ拍子有り〕 〔此((朱))のつとハ昔ハはやしたれども今ハはやし方のほうにて習由にてはやさぬなり 心得有へし  其時ハはやしなし云〕 夫我れ日の本天地開けはじまりしより。あまてるおをんがミの御国なれば。爰に観((勧))請仕奉ル。俄の事なれば庭のいさごを散米(サンマヒ)とし。扇を幣帛(ヘイハク)と定。よき方に向テ祝詞(ノツトヲ)まいらする。謹上(キンチヨウ)讃語(サンコ)。再拝(サイハイ)々々 〔太皷打上テ((朱))初((朱))はやさねハ爰もはやしなしニ云〕 あそこもさいはひ。爰もさいはひ。〳〵。〳〵と。申納て。帰りけり 〔ト舞テからワキノ方へ行 下ニイテ〕 是より御暇申候   出立  腰替りのしめ 狂言袴 脚 伴 かけずわふ こしおひ 折ゑほし 小サ刀 扇      又〈氷室〉の出立ノ通りにもスル 〔紀州様若殿宰相様ニテ延享元年子ノ十月十九日之御能ニ喜多十太夫養子八之丞〈金札〉被仰付候 十大夫流ハ雷上ナシニ謡ノ内ニ中入致候由申候 雷上無之候てハ間勤りかね申候由十大夫方へモ葛野市郎兵衛森田長蔵へも右之段申候所ニ又十大夫方申候ハ左候ハヽ雷上ヲ聞テ中入可致由ニ相済 則仁右衛門弟子浦井貞九郎相勤申候 太皷ハ観世左吉弟子多田伝七也 伝七申候ハ此方ニテハ大夫次第ニて雷上ニテ作物へ入候ハヽ打可申由申候 金春惣右衛門流ニテハシテ作物へ入或ハツレニテモ楽ヤヘ入候能ハ雷上打申候 〈金札〉などハシテ斗ニテ作物ニ入候間雷上ハ打不申候由申候 〈金札〉ノ脇能ならハ大夫ノ中入雷上ヲ有かなきかをシテ方へ尋へし〕 (輪蔵) 〔宝生流ノワキ初次第道行過テ〔(ワキ「)都にはやくつきにけり 〳〵 詞 急候程に都ニ早ク著て候 是より北野へ参ハやト存候〕詞有テ狂言ヲ呼出ス ワキ「所の人の渡り候か 狂言「誰にて渡り候ぞ ワキ「是より北野への案内(道をしへ)して給り候へ 狂言「尤案内者(ミちをしへ)仕らふずるがさりながら拙者も叶ざる用所候へ共都はじめたる御方と見へ申テ候間案内者致さうずる 先こう〳〵御座候へ ワキ「心得申候 狂言「とこう申内に是こそ北野にて候 則是成が隠なき輪蔵ニテ候間心静ニ御一見候え 此あしらいハ宝生流ニテハ云也 観世流ニテハいら((わ))ぬなり あとに書テ有中入の間斗ニテすむなり〕   四拾六 輪蔵 「か様に候者ハ。当社に仕へ申神職(シンシヨク)の者にて御座候。去程に唐土(トウド)より釈迦(シヤカ)一代経(キヤウ)日本へ渡り。此北野々輪蔵(リンソウ)に納り申を。筑前(チクセン)の国宰府(サイフ)の人にて御座候が。是ハおさなき時より五戒(ゴカイ)をもやふらず。貴(タツト)き人にておわしますにより。かの御経をおかミ度思召。則此所へ御出被成候。就夫一代経ハ阿難(アナン)迦葉(カセウ)出世の羅漢(ラカン)として。五百四拾八巻(カン)四百五拾億(ヲク)。三萬一千五百の御経を。大唐より我が朝へ渡シ。王城(ヲヽチヨウ)の北野々輪蔵に納メ給ふを。火天顕(アラハ)レ貴(タツトキ)心指(コヽロサシ)を感(カン)シ給ひ。神通(シンツウ)方便(ホウヘン)にて一夜の中に拝せ申さうずる。然らば上人も弥(イヨ)衆生(シユセウ)齊渡(サイド)し給へ。我も姿を顕し。行道(キヨウトウ)の利(リヤク)益をなさんといゝもあへず。其まゝ暮に失給ふが。か程あらた成ル御事なれハ。皆ミなも罷出拝ミ給へ。相構て其分心得候へ 〳〵    出立  あついた 水衣 狂言袴 脚 伴 こしをひ 大臣ゑほし前へおり 扇 〔シテ作物ノ中ニイル 脇ニ子方童子二人経ヲ持テ両方ニイル作物舞台ニ直ストワキ出ル 次第道行有テ火天出ル ワキヲヨヒカケテ出ル 扨舞台ニテ色々有テ火天雷上ニテ中入スル 夫ヨリ間出ル 鷺流社人 大蔵末社 又ふくべの神ニテモスル 間過ト作物の引廻シヲ取トシテト童子出ル〕    シテ  狩衣 けさ 半切 ずきん 唐團腰ニさし しゆもく杖突 面尉    童子 二人 ふり袖はく二つ着シ両はたぬく 上袖折込テ 黒頭 手ニ経を台ニのせ持テイル   初ノ 火天ツレ也 小嶋厚板きなかし 水衣 末広扇 髪 面尉 後出立ハ半切 そばつき 厚板 黒たれ 輪冠末広 面小天神 (下に作り物等の図。文字は右から「輪蔵」、「大宮作物タイノ上ニ有」、「輪蔵」、「ダイ」、「太 大 小 笛」、「ワキ ツレ二人」) 〔傅大士(ブタイシ) 善恵大士ト号 唐ノ双林寺ニテ輪蔵トテ一切経を八面の箱ニシテクル〳〵廻ルヤウニ拵為((たる))人也 二人ノ子有 兄を普建(ケン)ト云 弟を普成(シヤウ)ト云 有時父ノ影水ニ移リテ光明宝蓋有ヲミテ普建(ゲン)是ニ指(ユビ)ヲサシ普成是を見て笑ふト云々 今経蔵ニ置所ノ像也 俗ニ笑仏と云 天竺ノ仏法大唐ニ渡ル事 後漢ノ明帝ニ始ル 又異説有リ 大唐ヨリ日本ニ渡ル 仁王卅代欽明天皇拾三年云々〕 〔北野社建立ヨリ宝永三年迄八百余年 菅承((丞))相八百五年〕   四拾七 皇帝 「か様に罷出為((たる))者ハ。忝も唐の玄宗(ケンソ)皇帝(コウテイ)に使((仕))へ申す官人にて候。扨も此君賢王(ケンノヲ)におわしますにより。吹風枝をならさず。民戸指をさゝぬ御代にて候。去ル間三千人の后(キサキ)を御寵愛被成るゝ。中にも第一の楊貴妃(ヨウキヒ)。此程御悩(ゴノヲ)なのめならず候が。今日ハ此殿へ車駕(ミユキ)被成。貴妃の様躰を叡覧(エイラン)可有との御事なれば。百官卿相に至ル迄。相構へてそのぶん心得候へ 〳〵 〔拍子方出ルト台二つ鏡出ル 舞台へ置ト狂言出テ舞台の真中ニテ名乗触テ楽ヤヘ入〕   厚板 狂言袴脚絆ニテ括ル 腰帯 そばつき 官人頭巾   扇 〔大方扇ヲ持事ハふれて太皷座ニイテシテ成共ワキなり共王出テから楽やへ入物也 同しなから竹杖つき出ル事ハふれてすぐにかくやへ入物也〕 〔置皷ノ事習 〈鶴亀〉〈皇帝〉〈東方朔〉〈西王母〉〈咸陽宮〉 口明事ハ置皷有大事 六ノ下ヨリ出ル 笛吹出シ一つ吹又二つメノ吹時ヲ六ノ下ニ云也 幕ヲ上サセ常ノ通出テシテ柱ノサキニテ右ノ足ヲ出し又左りノ足を出し右ノ足ヲ引左りの足を引 足トリヲミテ皷ヨリ合スル 六ノ下ヨリ前ニ出テヨシ 六ノ下ニテハヲソシ 跡ニ委有リ〕 〔見懸置皷習 幕ヲ上ルト皷打出ス 右ノ通り 橋懸リノ長短ニヨリチカイ有リ 長キ時ハ皷打内ニ打ダスケト云事入テ打由〕   四拾八 鶴亀 〔〈月宮殿〉トモ云〕 「抑是ハ唐の玄宗皇帝に使((仕))へ奉ル官人にて候。扨も此君賢王におわします故。吹風枝をならさず。民戸指を鎖ぬ御代なれハ。毎年四季節会(セチヱ)の毎始にハ。忝も帝此殿へ御幸被成。一千年の丹頂の鶴。万歳緑毛の亀にまわせられ。月宮殿にハ舞楽を奏し給ふ。か様の目出度折節罷出。皆ミな拝し申されよとの御事なれば。百管((官))卿相に至ル迄。相構へて其分心得候へ 〳〵   狂言出立〈皇帝〉同前 触テ楽屋へ入ル 〔○幸五郎次郎狂言置皷ノ大事打様〕 (小皷の打ち様の図。終わりから二行目に「此間少待」、最後の行に「狂言ヱヘント云コヘ有り」とある。)   四拾九 春日龍神 〔〈三笠龍神〉トモ云〕 か様に罷出為((たる))者ハ。春日大明神に使((仕))へ申末社の神にて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光(イコウ)区(マチ)々成と申せ共。中にも此春日大明神ハ。諸神に弥増(イヤマシ)霊(レイ)現(ケン)あらた成ル御神なれば。神護(ジンゴ)景雲(ケイウン)弐年(ニネン)に河内国平岡より。当国三笠山へ御影降(ヨウコウ)有り。諸々(モロ)の菩薩(ボサツ)和光(ハコウ)の姿を仮(カリ)に顕わ(アラハ)しおわしまし。現在(ゲンゼ)安穏(アンノン)後生(コセウ)善生(ゼンシヨウ)慈悲(ジヒ)萬行(マンキヨウ)の御神なれバ。四海(シカイ)万民(バンミン)愚知無知(グチ)の(ノ)輩(トモカラ)。毎月毎夜老若男女共に。袖を連ね(ツラネ)踵(クビス)を従て(ツイデ)。あゆミをはこぶ衆生(シユセウ)数かぎりなければ。神前のにぎハしうまします御事。凡(ヲヨソ)ならびたる神(シン)も御座なく候。左有に仍テ当社へ参給ふ貴僧(キソウ)高僧(コウソウ)多(ヲヽ)シといゑと。中にも栂尾(トガノヲヽ)の明恵(ミヨウヱ)上人をば太郎と頼。笠置(カサキノ)の解脱(ケダツ)上人をば次郎と名付御申有。昼夜(チウヤノ)の擁護(ヲヽゴ)誠に有難御事に候。其中にも明恵ハ過去(カコ)より殊勝(シユセウ)におわしますにより。明神も直(ジキ)に御声(ミコへ)を被替(カハサレ)候。夫のミならず御登山(ゴトウサン)の折節ハ。氏(ウテト)人の国民等(コクミンラ)ハ申に不及。あの心なき鳥類畜類迄も。皆奈良坂へ御迎(ムカイ)に出て。ひざをおり羽(ハ)をたれていにやう渇仰(カツコウ)仕候。されば夫程貴(タツトキ)き御方なれど。御心中にいかゝ思召候やらん。俄に入唐渡(ニツトウトテ)天(ン)有べきとて。只今当社へ御暇乞(イトマコへ)に参給ふを。明神ハいらざる事と思召。秀行(ヒデユキ)を以御留(ヲモツテヲントメ)あれば。我仏跡(ハレフツセキ)を拝ま(ヲガマン)ん為との給ふを。経論(キヨウロン)聖教(シヨウキヨウ)の中にても御存知御座可有事なり。其上天台山(テンダイサン)を望(ノソム)人ハ叡山(ヒヱイザン)へ参るべし。又霊鷲山(レイシユサン)の心指の輩(トモカラ)ハ。幸(サイハイ)当社(トウシヤ)を御信仰(コシンコウ)あれ。則五台山(コタイサン)の角欠(スミカケ)下(クダ)ツテ。吉野筑波(ツクハ)と成リたれば。我朝に御座有ても同シ御事なれバ。遠海万里の波濤(ハトウ)をしのぎ給わん事。さりとてハ御無用と御留被成るゝ。猶も不思義((議))に思召バ。今夜の中に三笠山に五天竺(コテンジク)を移(ウツシ)シ。摩耶(マヤノ)の誕生(タンセウ)伽那の(カヤノ)成道(セウド)。鷲峯(シユフウ)の説法(セツホウ)仏(ホトケ)御入滅(ゴニウメツ)の躰(テイ)迄も。悉(コト)く(コトク)顕(アラハ)わし拝(ヲカマ)せ御申有へきとの御事なり。然らバ俗在(ソクザイ)出家男女共に。相構て其分心へ候へ 〳〵    出立  水衣 厚板 狂言袴 きや半 腰帯 末社ずきん     鼻引 又ハ登リ髭か 但シやしやの面ニテモ   同 同 〔 観世流語 此間ハ進藤流福王流ニテハアイシロウ 春藤流ニテハ大習ニテ弟子トハイハズ家ノ者トハ云ヨシ アシライ無時ハアトニカキテ有里人間ヲ云也〕 「是ハ和州南都に住者にて候。去程に珍敷からぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光区々成とハ申せ共。中にも当社の御本地ハ。誠哉覧((やらん))釈薬(シヤクヤク)地(ジ)観文(クハモン)にて御座すが。和光同塵の結(ケチ)縁(ヱン)に。仮りに春日の明神と顕れ給ひ。迷の(モロノ)衆生を八相成道に被成。終に仏道に引入給ふと承ル。現在安穏後生善生の為に。知るもしらぬも安(ヲシ)託(ナミ)て。在々所々より老若男女共に。袖を連ね(ツラネ)踵(クビス)を縦で(ツイデ)。歩(アユミ)をはこぶ衆生数かぎり無御座候。夫ニ就此程寝(ネラレ)られざるまゝつく〳〵と存ル様。誠に老少不定(ロウセウフセウ)の世の中に。旦忙然(ボウセン)と明(アカ)シ暮(クラ)らさんより。某も後(ノチ)の世を願わんと存ル付((に))。先何れの宗旨にならん。彼方此方と存ル所に。唯今承れバ。栂尾(トガノヲ)の明恵上人当社へ御参詣の由風分((聞))仕ルが。誠か偽(イツハリ)か是よりすぐに伺公致し。神前の他りにて窺(ウカヽイ)申さうすると存て罷出た。いやされバこそ是に御座候よ 〔ト云テ下ニイル〕 此程ハ久敷上人の御参詣被成ぬとて。南都の人々待申されたるに。此度の御(ゴ)登山(トウサン)先以目出度候。いつも御(コ)社参(シヤサン)被成るゝ時ハ。五日十日已前より其隠なくて。皆路次迄御迎ニ参候が。此度ハ御沙汰もなくふと御参詣ハ不(フ)審(シキ)に御座候 「是ハ思ひもよらぬ事を仰らるゝ物哉。上人の御身にて。経論(キヨウロン)聖教(シヤウキヤウ)に御望ハ有間敷と存ルに。遥々(ハル)の波濤(ハトウ)をしのがれ天竺震旦(シンダン)へ御越あらば。其間ハ明神もさび敷ク思召るべし。其上古き人の宣給(ノタモウ)ふ様(ハ)。他国の仏跡(フツセキ)を拝(ヲカミ)度おもわば。秋津須比叡(ヒヱイ)山ハ天台(ダイ)山を移(ウツ)されたり。又霊鷲(リヤウジユ)山を心指の輩(トモカラ)ハ。則当社へ詣(モウデ)で給へ。春日の本地ハ釈迦(シヤカ)如来(ニヨライ)にてお座(マシマセハ)せバ。此三笠の森の冬枯を。是ぞ涅槃(ネハン)の所と観念(クハンネン)しらいし申せと承ば(ル)。和国(ハコク)に御座有ても同じ御事なれば。此度大唐(タイトウ)月氏(クハシ)国(コク)への渡海(トカイ)の義ハ。只思召御とまりあれかしと存ル 「言語道断奇特なる事を仰らるゝ物かな。左様のあらた成御事ハ。昔も今も聞も及バぬ事なれば。此辺の人々にも罷出拝(ヲカミ)ミ申せと相触申さうするか 「畏て候 〔ト云テ立 シテ柱ニテ〕 やあ〳〵皆々承候へ。此度栂尾(トカノヲ)の明恵(ミヤウヘ)上人の御参詣ハ。入唐(ニウトウ)渡天(トテン)被成るゝ御暇乞(イトマコイ)成ルを。春日大明神ハ慈悲(ジヒ)万行(マンキヤウ)の御神なれば。今夜の内に三笠山に五天竺(ゴテンジク)を移(ウツシ)し。上人に拝せ御申有べきとの御事なれば。心指の輩ハ皆々罷出よとの御事なり。相構て其分心得候へ 〳〵    間 のしめ 長上下 小サ刀 扇   同 同 〔 観世流立間 里人 観世ノ能ニテモ春藤流高安流宝生流ノワキノ時ハ此立間ヲ云也〕 「是ハ和州南都に住者にて候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれと。先我朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神数多御座スとハ申ながら。中にも此春日大明神ハ。愚痴無痴の輩を救給わん御方便ニ。諸(モロ)々の菩薩(ボサツ)の和光の姿を仮りに目見へ。当社と現シ給ふと聞ニより。現在(ケンセ)安穏(アンノン)後生(ゴセウ)善所(センシヨ)の其為ニ。当国の者ハ我等を始て渇仰(カツコウ)ス。国々在々所々迄も。老若男女共ニ袖を連ね(ツラネ)踵(クヒス)を継て(ツイテ)。毎日毎夜歩(アユミ)をはこび。神前の賑(ニキハ)しう座ス(ヲハシマス)御事。又と并為(ナラヒタル)神も無御座候。夫に付此秋津須ニおいて。貴僧(キソウ)高僧(コウソウ)おふき内ニ。栂尾(トガノヲ)の明恵(ミヤウへ)上人をハ太郎と名付。笠置(カサキ)の解(ゲ)脱(ダツ)上人をハ次郎と頼ミ。此〔ゴ〕両人の御方をバ。当社の両眼さうの手の如ク思召シ。天下の御祈禱をもまかせ御申被成るゝ。其中に取ても明恵ハ過去(カコ)より殊勝(シユシヨウ)ニ御座ス(ヲハシマス)故。明神の直(ジキ)に御詞ヲ替さるゝなとゝ申。誠ハ左様ニも御座有ふずると存ル。其故日外明恵御当山の刻(キザミ)。俗在(ソクサイ)出家共ニ人間ハ申に不及。鳥類畜類迄も奈良坂へ御迎ニ出。上人を見付畜類ハ膝を折鳥類ハ羽ヲ垂草木のたぐひまでも。正しう囲遶(イニヨウ)渇仰(カツコウ)の躰あれば。末の世迄もか程殊勝成御方ハ。大唐の身ハいさしらず。倭国にハ有間敷との御事ニ候。然ハ今日明恵御当山の由風聞致ス其子細ハ。入唐渡天の御心指有ニより。御暇乞の為ニ当社へ御参詣被成るゝと申が。誠ニ我等躰の存ルハ。万里のさうはをしのき入唐渡天ハいかゝと存ル。殊ニ上人の御身にてハ。経論聖教の内にても御存知有べし。其上人の申習すハ。天台山を望の物の人ハ比叡山へ御参あれ。五台山(コタイサン)を拝ミ度御方ハ。吉野筑(ツ)波(クハ)を拝し給ふときく。又霊鷲山(リヤウシユサン)の心さすともからハ。則(スナハチ)当社を御信仰有と申せバ。日本ニ御座有ても同し御事かと存ル所に。明神秀行と現し御留被成。仏跡(フツセキ)を拝し度思召ば。今夜の内に三笠山へ五天竺(ゴテンジク)を移(ウツシ)シ。拝せ御申有ルべきとの御事なれば。南都において心指の輩ハ。早々出テ拝ミ被申よとの御事なり。構へて其分心得候へ 〳〵    長上下 小サ刀 扇 〔△(「)和国にハ有ましきとの御事ニ候 夫ニ付今日明恵御当山被成るゝ其子細ハ入唐渡天の御暇乞の為と有ルを誠に我等躰の存ルハ トモ云〕 〔△(「)明神ハ秀行と現し御留被成 左様ニ有ニおいてハ今やの内に トモ云〕 〔御誕生ヨ((釈迦如来))リ元文四年迄二千七百七十五年 年代記抜書ニ有リ 釈迦如来御入滅ヨリ宝永三年迄二千六百五十年ニ成ル 春日社御鎮座より九百三十九年〕 〔五((朱))拾番〈道明寺〉とげ〔ダ〕いにハ有之候えとも 間の有所ハ三拾番目〈鵜祭〉の間の次ニ五十番と云印ヲ付テ書テ有 げだいに云落し候故如此ニ候〕