鷺流間狂言・宝暦名女川本「語立雑」翻刻 永井 猛 稲田秀雄 伊海孝充 凡 例 一、鷺流間狂言・宝暦名女川本のうち、「語立雑」(法政大学能楽研究所蔵)の一冊を翻刻する。 一、「語立雑」は、語リアイと立シャベリ、その他の間狂言を五〇曲所収している。 一、底本を忠実に翻刻することを原則としたが、通読の便宜を考慮し、本誌第四六号の「鷺流間狂言・宝暦名女川本「脇末鱗」翻刻」で記した「1」から「23」の方針に従った。ただ、次の二項目を追加する。  24、傍記されている言い換えは、出来るだけ傍記したが、長いものは※印を付けて本文中に入れた。〔※・・・〕が言い換えで、傍記の※印がそれが入る個所である。    左側に傍記されている場合は、〔 〕で括って右側に傍記した。  25、文中に「雷上」とあるのは「来序」の意味だが、特に振り漢字等はしていない。 一、翻刻は、「語立雑」の一〈天鼓〉~拾七〈龍虎〉を永井、拾八〈雷電〉~三拾五〈長郎〉を稲田、三拾六〈忠信〉~五拾〈涿漉〉を伊海が担当して原稿を作成し、全体について三名で検討し、最終的に永井が調整した。 一、法政大学能楽研究所には、貴重な蔵書の翻刻公開許可ばかりでなく、研究所紀要『能楽研究』の紙面まで提供していただき、篤く感謝申し上げる。 (間狂言台本) (「語立雑」) (目次) 一  天皷 二  藤渡 三  海士 四  船橋 五  項羽 六  阿濃((漕)) 七  鵜飼 八  ●((鵺)) 九  松虫 拾  鐘馗 拾一 野守 拾二 融 拾三 熊坂 拾四 豊干 拾五 大瓶猩々 拾六 殺生石 拾七 龍虎 拾八  雷電 拾九  鞍馬天狗 廿   是我意 廿一  石橋 廿二  大曺((会)) 廿三  葛城天狗 廿四  車僧 廿五  一角僊((仙))人 廿六  昭君 廿七  飛雲 廿八  紅葉狩 廿九  第六天 三拾  合浦 三拾一 枕慈童 三拾二 絃上 三拾三 愛宕空也 三拾四 大蛇 三拾五 長郎((張良)) 三拾六 忠信 三拾七 鉢木 三拾八 小鍛冶 三拾九 現在● 四拾  橋弁慶 四拾一 羅生門 四拾二 土知((蜘))蛛 四拾三 夜討曽我 四拾四 檀風 四拾五 烏帽子折 四拾六 千引 四拾七 錦戸 四拾八 吉野天人 四拾九 常陸帯 五拾  涿漉   一 天皷 「御前ニ候 「畏て候。あらいたわしの事かな。旁々の愁嘆(シウタンナ)は尤なれ共乍去是玉殿なれば先おたちやれ 〔トテシテノ腰ヘ手ヲ付テ〕皆人の無器用(フキヨウ)な子をもかわいく思ひ。東西(トウサイ)をわきまへぬ養((幼))子さへ別れをば悲しむに。増(マシ)て成人(セイジン)の子を失ひ(ウシナヒ)なげかるゝ事ハよきなけれども。其方の罪(ツミ)深(フカ)きを助給わん御方便(ホウヘン)に。仏(フツ)菩提(ボサツ)仮(カリ)りに親子と現じ来り。かゝるうき目を見せ給ふとおもい。方々の後世を大事と能ねがい。逆様なれ共天皷が菩(ホダイ)薩をも弔ひ給へ。又諸式の訴詔(ソセウ)有ハ我等迄おしやれ。随分お取合を申さうする間。先旁々は私宅へお帰りやれや (「)扨も唯今の老人が子の天皷と哉覧(ヤラン)申者。玉(キヨク)殿(デン)の皷仕ればよきねの出たるが。余人(ヨジン)のうてハ少もならぬに仍テ。其父に参りて仕れとの仰出シにて有ふずる。左有バ子の打さゑ聞事ならば。ましてや親の仕らハ嘸(サソ)面白(ヲモシロ)からんに。拙者も能聞て人に語覧と存じ。嬉しう思ふたればさわなくして。当国の住人に王伯(ヲヽハク)王母(ヲヽボ)といへる。只何となき夫婦(フウフ)の民の有けるが。男子にても女子にても子を独り(ヒトリ)ほしく思ひ。明暮此事をのミ仏神に祈誓(キセイ)し。若くさかん成し時よりも正直(セウジキ)を第一として。殊に慈悲(ジヒ)深ク二親(ニシン)に孝(コウ)有ル故(ユヱ)やらん。此以前(イセン)にも少の寄瑞(キツヰ)度々有りと雖(イヱド)。其中ニも〔有ル夜の夢中に〕。碧(アマツ)満虚(ミソラ)より皷一ツ降(フリ)下り。正敷(マサシウ)う王母(ヲヽボ)が胎内(タイナイ)に宿(ヤト)ルと見て。誰起人(ヲコスト)ハなけれ共夢ハかつはとさめし程に。扨も是ハ不思義((議))な事をみて有物哉。惣じて夢(ユメ)と云物ハ逢(ヲヽ)事ハ稀(マレ)にて。拾(トウ)ニ九ツハあわぬ物とハ云ながら。され共是ハ妙なことを見て有物かなと思ふ折ふし。程なく王母懐胎(カイタイ)し十月(トツキ)の末(スヘ)にハ。玉をのべたごとく成男子をよろこび。夢の告(ツケ)にまかせ名を天皷と付ケ。いづ((ママ))きかしづき●(ソダテ)し所に。後にハ真(マコト)の皷(ツヽミ)降(フリ)下る。打てみれバなにとも心詞におよばぬ程の。じゆんなねの出ルと有が内裏(ダイリ)迄隠なくして。ためしすくなき事なれば勅諚(チヨクシ)として召れしに。誠にかれハ天めいのつきたる故哉覧。天皷つゞみをおしミ深山(シンザン)へ逃(ニケ)行を。数千(スセン)の官(カン)人を以テさがしいだし。彼者をば呂水(ロスイ)の江(エ)に伏漬(フシヅケ)に被成。皷ハ阿房(アヲヽ)殿(デン)雲龍閣(ウンリウカク)にすゑをかれ。音楽(ヲンガク)の役者の事ハ申に及ず。工卿(クキヤウ)天上人の立替り遊せ共。終に前のやうなる音の出さりし間。若(モシ)皷(ツヽミ)にきずがついてならぬか。扨ハ●(ドウ)に響(ヒビキ)などのいて音がとまつたか。但又中に何ぞいつひても有ルかなどゝ。思ひ〳〵に御不審(フシン)なされけるを。忝も帝(ミカド)此由聞召れ。元より皷ハ心なき物とハいへど。空(ソラ)より降(フル)程の神変(ジンベン)の有上ハ。いか様是ハ主(ヌシ)の別れ(ワカレ)を悲し(カナシ)ミ。ならぬ事の有ルべきとの宣旨(センジ)にて。父王母(ハク)を召して打せらるれば。又元のごとく感に(カンニ)たゑたる音の出シ故(ユヘ)。人ハ高いもひきいも親子の中程な事ハなひぞ。あの心なき物さへ親子の間ハへたてなきとて。君辺(クンヘン)の老若(ロウニヤク)迄も御袖をぬらし給ふニより。老人おば我等の承て私宅へ帰し申た。いやなにかと独(ヒト)り事を啓(モウス)間におそなわりた。先あれえ罷出申さうずる 〔ト云テワキノ方ヘ行テ〕 只今の老人ハ私宅(シタク)ゑ帰し申て候 「さん候 扨も只今の老人が躰ハ哀(アワレ)な事で御座る。御存じのごとく此中いかなる高位(カウイ)の人々迄も。老(ヲイ)た若ひによらず遊ばしてならぬ皷が。父(チヽ)王伯(ヲヽハク)が打て成((鳴))様なふしぎな事ハ御座らぬ。是に付ても人の親子の中ハ申に不及。親類迄も大切な事成ルに。あの王母は子に別れし老の身なれば。何とぞしてお取合を以て身命(シンミヤウ)をつぎ。二親(ニシン)のなげきのやむやうに被仰付ひかしと存ル 「夫こそ人口(ジンコウ)然る(シカル)べき御意なれ。左有らバ急で某ハ先管弦(カケン)の役者を相触申さうずる 「やあ〳〵皆々承候え。天皷が事を不便(フビン)に思召により。我が君ハ呂水(ロスイ)の堤(ツヽミ)に御行被成。天(アマ)の皷(ツヽミ)をすへをき給ひ。管絃(カゲン)講(コウ)を以テ御弔(トムラ)有可との御事なれば。管見((弦))の役者ハ相構て其分心得候へ〳〵 〔「いや何角とひとり事を申間に延引仕りた。先あれへ出うずる〕 〔「何角とひとり事を申内に。思ひの外路次にて逗留仕た。先あれへ罷出申さうずる。老人おばしたくへかへし申て候〕   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 〔初ニワキ一人出ル 名乗過テ一セイ シテ出ル サシ 下哥 上哥 ワキシテ詞カケ合テシテ上哥返より地付ル 此あたりにて狂言ふたいへ出テ𠮷 太皷座ニ居ル ○夫よりシテワキ少詞有てクリ サシ 曲舞 ロンギ 謡過テ  ワキ「いかに老人 只今皷の音出る事誠に哀と被思召るゝ間老人にハ数の宝を被下るゝなり 又天皷か跡をハ管弦講を以テ御弔有へきとの勅諚也 心安存し先々老人ハ私宅へかへり候へ シテ「荒有難や候 さらバ私宅へ帰り候へし ワキ「いかに誰か有 ト云ト狂言シテノ左りの方へ少出ル (狂言「)御前にニ候 ト云テワキ詞 狂言(「)畏テ候 ト云テシテのうしろへ廻りこし引立ル 夫よりうしろへ手を付テおくり行 シテ柱をこすとひとりごとを云テまくきわへ行 まくすりはらいに手ヲ付テ入テ扨ぶたいへ出 シテ柱の先にて云なり〕   〔〈天皷〉シテ中入橋掛ノヲクリ 幕ノ内ヘシテ入ルト狂言ハ一ノ松ニ立テ居テ間語ル 左近一世ノ時大蔵弟子云也 シヤベリ過テ舞台へ出テワキト常ノ通リ〕   二 藤渡 「御前ニ候 「畏て候 旁(カタ)々の愁歎(シウタン)ハ尤なれ共。さりながら是ハ御前なれば先おたちやれ 〔ト云テシテノコシヘテヲツケテ立ル〕 実(ケニ)と成人(セイジン)の子をうしなひなげかるゝ事ハよきなけれバ。今ハ頼申人も不便(フビン)に思召シ。我等躰迄も別而いたわしう存れ共。早替らぬ道なれバ此上ハふつと思ひきらしませ。又跡をば世にたてさせらるゝやうに。某お取合を申さうする間。先私宅へお帰りやれや 「扨も去年(キヨネン)此所にて源平の戦(イクサ)を。思ひ出せば今もおそろしや。平家ハ数千(スセン)艘(ソウ)の兵舟(ヒヨウセン)をうかめ。此児嶋(コジマ)が前に居たりしが。源氏ハ向ひの西河尻(カワジリ)。藤渡に簱(ハタ)を立られし程に。源平互(タカイ)ニ海岸(カイガテ〔ガン〕)の隔(ヘダテ)陣(ジン)の取給へバ。舟なくしてこすべきやうもなかりし所に。最前頼ミ申人の御物語の如ク。兼テ案内をとわれ御存知なれば。頼朝(ヨリトモ)より被遣し葦毛(アシゲ)成馬に乗り。家(イエ)の子郎等(ラウトウ)誰((唯))六騎相ぐし。海へさつと乗入レ給ふ時。某もたれにかをとるべきと存じ。盛(モリ)綱(ツナ)について向(ムカ)ヒの磯(イソ)迄来りしが。藤渡をわたすと見て平家ハ舟をそはだて。指詰(サシツメ)引詰(ヒキツメ)散(サン)々に射立(ウツタテ)てし程に。我ハ其まゝ取テ替し。面目もなき申事なれども。人足のしをきをいたした。先あれへ罷出申さうずる 〔ト云テワキ方ミテ〕 唯今の老女をば私宅(シタク)へ帰シ申て候 「さん候。扨も只今の躰ハ哀(アハレ)な事で御座る。何も親子の別(ハカレ)ハかなしむ者とハ申ながら。中にも今の老(ヲヒ)たる母の愁歎(シウタン)ハ。ふかく有べきと存ル其子細。我が子の案内者(シヤ)仕り為((たる))故に先陣(センジン)をも被成。則当嶋を御拝領なれバ。この砌(ミギリ)にハ御褒美(ニハイカナルゴホウヒ)にも預ルべき所にさわなくして。やミ〳〵とがひせられし事を。親の身としてなげき申も断((理))なれバ。恐(ヲソレ)ケ間敷(ガマシキ)申事なれど。一ツハ後者(コウシヤ)の計略(ケイリヤク)の為。又ハ生残(イキノコリ)りたる母の思ひをやめ。亡者(モウジヤ)の恨(ウラミ)をはるゝ様に。彼者の妻子を世に立させられ。無跡をも御弔あれかしと存ル 「是こそ人口(ジンコウ)然べき御意なれ。其上空敷(ムナシク)なりし浦の男ハ。我が身のとがなきに一命をうしなわるれば。恨(ウラミ)の悪念(アクネン)などの若又残ルとも。しぜん左様の御沙汰あらば成仏(シヨウフツ)の素懐(ジユカイ)をとげ。しゝてのよろこびをなし申さうずる。某も別而いたわしう存ル間。管絃(カゲン)の内ならバ何ぞ一役仕たひが何と御座らう 「夫ハ近比忝ふ御座ル。去りながら一円に存ぜぬ事を。俄に稽古致ても成まひが。何をがな仕らふぞ 〔爰ニテ管絃道具ノ内ヲ云 常ニハイハズトモヨシ 口伝〕 「いや思ひ出した。爰にならう役が御座る。管絃過テ定テ御酒がでませう。其時分大盃を以ていで御酒の〔ヲ〕相手に成ませう。左有らバ某の役ハ是ニ仕り。残りの役者を相触申さうずるか 「畏て候。やあ〳〵皆々承り候へ。去年此所にてうしなハれし者の跡を。管絃講を以て御弔有べきとの御事なれば。管絃の役者ハ相構てそのぶん心得候へ〳〵 〔一七日の間浦々のあミをもあけせつせうきんだんのよし被仰出て有そ 相かまへて其分心得候へ〳〵 トモ云〕   熨斗目 長上下 小サ刀 扇 〔ワキ出ルト其まゝ出テ太皷座ニイル ワキ次第 道行過テ詞有 (ワキ「)いかに誰か有ル 狂言(「)御前ニ候 と云テ出ル ワキ云付ル (狂言「)畏テ候 ト云テシテ柱のさきにて云 △(狂言「)やあ〳〵此辺の面々承り候へ。佐々木の三郎もりつな 当嶋へ御入部なさるれバ。何ニてもそせうあらん者ハ申上よの御事なり。其分心得候へ〳〵 と云事モ有り 仁右衛門方ニ有り〕 〔「夫こそ人口然べき御意なれ。某も別而いたわしう存ル間。官見((管絃))の内ならバ何ぞ一役仕たいが何と御座らう 「定て官見すぎましたらバ御酒がでませう。其時分大さかづきを持て出。御酒のおあいてを仕り二三ばいものミ。其後おゑんのさきにて高いびきを仕る役致さうずる〕   三 海士 「当浦の者とハ誰にて渡り候ぞ 「心得申候 「当浦の者のお尋ハいか様成御用にて候ぞ 「是ハ思ひも寄ぬ事を仰らるゝ物哉。我等も当浦に住者とハ申ながら。左様の御事しかとハ存も致す候。乍去初たる御方の召出シお尋有を。勝て存せぬと申もいかゞなれば。かたはし聞及たる通り御物語申さうずる 「先あれに見へたるハ海士野ゝ里と申て。以性(イニシヘ)海士人の住給ひし御在所(サイシヨ)にて候。又是成を新珠(シンジユ)嶋と申子細ハ。昔(ムカシ)天知(テンチ)天皇(テンノウ)の御時。淡(タン)海(カイ)公(コウ)の御(ヲン)妹(イモウト)ハ。唐土(モロコシ)高宗(コウソ)皇帝(コウテイ)の后(キサキ)に立せ給ふ。然ハ南都(ナント)興福寺(コウフクジ)ハ。彼(カノ)后(キサキ)の御(ヲン)氏寺(ウシデラ)成により。大唐(タイトウ)より種(シユ)々の宝を渡さるゝ。花原磬(カケンケイ)血濵(シビン)石(セキ)。面(メン)向(コウ)不背(フワイ)と申。中にも面(メン)向(コウ)不背(フワイ)と云玉ハ。玉中(ギヨクチウ)に釈迦(シヤカ)の像(ソウ)ましますを。何方より参りておかミ奉れど。同(ヲナシ)如(ゴトク)に御面相(コメンソウ)を拝し申に仍テ。おもてをむかふるにそむかずと書て。面向不背(メンコウフハイ)の玉とハ申習す。此内二ツの宝ハ京(キヨ)着(チヤク)致し。名珠(メイシユ)ハ此浦にて龍宮(リウゴウ)へ取為((たる))を。大臣殿此玉をおしく思ひ給ひ。当浦へ忍て(シノヒテ)御下向有り。いやしき海処女(アマヲトメ)と契り(チキリ)を籠メ(コメ)。程なく一人の男子を祝給ふ。其折節大臣殿(ダイシントノ)蜑人(アマビト)に被仰ける様ハ。此澳(ヲキ)にて龍女(リウニヨ)のしつめし名珠(メイシユ)を。潜(カツキ)上よと御申あれば。安間の事玉おば取上ケ申べし。左有バ今の御子を代次(ヨツキ)にと望れ(ノソマレ)しを。則御同心被成し程ニ。扨ハ我が子故すてん命ハおしからじと。千尋の(チヒロノ)縄を腰(コシ)に付。其(ソノ)侭(マヽ)海中(カイチウ)へ分入(ハケイリ)給ふ所に。やゝ有テ水底(ミナソコ)の縄がうごきけるを。すハ約束の縄(ナハ)こそゆるげとて。上に待為((たる))者共ハ我先にと取付引上。是成嶋にて彼玉を初て見初メ為に仍テ。所を新(シン)珠(シユ)嶋とは申習す。か程の宝(タカラ)を二度(フタヽビ)日本の宝となし。興福寺(コウフクジ)に納被置たるも此故ニて候。され共蜑(アマ)人ハ龍神(リウジン)の見入(ミイリ)けるか。程なく空敷(ムナシク)成給へども。御契約(ゴケイヤク)なれば御子ハ代次(ヨツキ)の位に(クライニ)そなわり。今都ニ房崎(フサヽキ)の大臣殿と申て御座ルも。此子細にて有由承及候 「左様の雲の上人共存ぜずして。只今ハ聊尓(リヨウジ)を申迷惑(メイハク)仕て候 「畏て候 やあ〳〵皆々承候へ。房崎(フサヽキ)の大臣(ダイジン)殿此所への御下向も。御母海士人の御追善(コツイゼン)の御為なれば。一七日の(イツヒチニチノ)間浦々の網(アミ)をもあげ。殺生(セツセウ)禁断(キンダン)の由被仰出て有。然らば御跡(アト)をば。管絃講を以て御弔有べきとの御事なれば。管絃の役者ハ。相構へテ其分心得候へ〳〵 〔間ニ所を指テ語ル事習也。所をさすならバ。ワキ次第道行すんでシテ出テ謡有テ。ワキトシテト詞有テ地へ取ト出テよし。其時シテノ先(シテ「)あれに見へたるハあまのゝ里。又是成をしんじゆ嶋 ト云テ。見る所をよく覚ていて。間語時に同所を見て云物なり 常にハ所をさゝずに語テよし。とくと地ノ謡ながき所で出ルがよし。(地「)かゝるきにんの。いやしきあまのたいないに と。うとふ時ニ出テ太皷座にいてよし。扨玉取段過テ追付中入〕 〔(「)花原磬ト申ハうちならしニテ候。いちどならしてより更に静り不申候を。九帖((条))ノ袈裟をかけ申せハなりしづまりたると申ス。泗濵石ト申ハ硯の石ニテ御座有ルト申ス。御用の御時水なくして御すり候へハ。水出テ思召まゝに有ルト申ス〕 〔興福寺ハ和銅三年。内大臣淡海公造立。七堂加藍四丁四方。元禄五年マテ九百八十三年ニ成ル也。寺領二万千百拾一石五斗余。南都絵図ニ有。年代記ニハ宝永三年マテニ。九百九十九年ト有り〕 〔(「)淡海公ノ御娘こうはく女ハ。無隠美人ニテ大唐迄聞へ。唐高祖皇帝の后に立せ給ふ。長キ海上風波ニ付舟の内ニテ。氏寺興福寺へ。立願有為故ニ籠置給へとて渡さるゝ、くわげんけひと云打ならし。しひんせきのすゞり。めんこうふはいの玉。四寸四方すいしやう中にしやくせんだんと云。ちんこうにてしやかのぞうを作りこめ。何方よりむかひてもかわらずおかミ申により。文字ヲ改名付ク〕   熨斗目 長上下 小サ刀   四 舟橋 ○「是ハ上野の国佐野々郡内(クナイ)に住者にて候。今日ハ川向迄用所のあれば罷出うと存ル 「昔当国此佐野々在所に。忍妻(シノヒスマ)に狂浮(アコガレ)たる若き者の有しが。其両人の家の間に河を阻(ヘダ)テ住しゆへ。いつも道ハ此舟橋を渡り行。夜更(ヨフケ)人しづまりてひそかに成し間。初の程ハ人のしらざりけれど。度々重なれば頓而(ヤガテ)顕れ(アラハレ)て。ひとりしれハ悪事千里と世上にばつと風分((聞))致すを。後にハ二親(ニシン)の聞付申様。内々ハ然ルべき縁者(エンジヤ)をもとらんと思ひつるに。かゝるふしぎの仕合出来致事。人のおもわく外聞(カイフン)旁(カタ)々口惜き(クチヲシキ)とて。我が子の友達(トモダチ)を頼ミ種(シユ)々に異見(イケン)申せ共。早か程にあまねく人の御存知と云。其上二世迄と契りし中なれば。思ひきらん事夢々成ル間敷由申間。所詮(シヨセン)此橋があればこそかよへ。これなくハ河を渡ル事ハ成間敷と思ひ。彼両人の子にハ深ク隠して。橋の板を二三間取放(トリハナシ)テ置を。夫をハ二人の子ハ夢(ユメ)にもしらず。兼てより契(チギ)りしをたかへず有闇の(アルヤミノ)夜(ヨ)。いつものごとく更ゆく(フケユク)鐘(カネ)をしるべに内を出。橋の他りに立やすらう所に。向ひ(ムカイ)に人陰(ヒトカケ)の見ゆるを我が待君(マチキミ)と存シ。行間もをそしと心そゞろになりて渡ルとて。踏(フミ)はづして落テ空敷(ムナシク)成為((たる))を。今一人のものハ知らて思ふ様。是へ向より人の渡ル姿(スカタ)の見へつるが。誰もこなたへハ来らぬよと存シ。下をハみずニ向〔イ〕に斗心の有りて渡ルとて。是も橋より喝破(カツバ)と落テ相果申を。夜明テ親々ハ子の見へぬを不思義((議))に思ひ。爰かしこを呼共居さりし程に。扨ハ橋の下へも落たるかとて。後悔(コウカイ)千万中々流涕(リウテイ)こかれけれ共其甲斐もなく。せめて死骸(シガイ)をなりと見度と云て。河の上下を尋けれ共なき折節。有古老(コロウ)の人の申され事にハ。か様に水に溺(ウモレ)て死骸(シカイ)の見へぬにハ。雞(ニハトリ)を舟に乗せて他りをこぎまわれバ。必死骸(タガイノシカイ)の上にて時をうとふと云し程に。左様に致さうずるとて鳥を尋けれど。昔より此佐野三里が間ハ一円ニ雞(ニハトリ)のなき在所なれば。爰を以テ万葉集(マンヨウシウ)の哥に。東路(アツマジ)の佐野々舟橋鳥ハなしとも。又は取放(トリハナシ)シとも二流(ニリウ)によまれたる哥ハ。いづれも本説有とハ此子細ニて有ふずるとの御事ニ候。先我等の存知為((たる))ハ如此ニ候 ○「是ハ近比奇特成事を仰らるゝ物哉。左様にいつく共なく若き男の来り。忍妻の子細委く可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ客僧の行力達し給ひし故に。彼者ハ恋の渕(フチ)にしづミ〔ツミ〕深き事(ミ)なれば。有難御法をも請度思ひ顕れ出。声詞を替し為かと存ル間。あまりニいたわしき御事なれば。暫是に御逗留あり。彼者の跡を御弔有り(ナサレ)。(※)重而奇特を御覧あれかしと存ル〔※其後イツクヘモ御通有かしと存ル〕 〔△東路の佐野々舟橋とりハなしかねこそひゞけ夕暮の空 舟橋取はなしトモ 又ハ鳥ハなしとも〕 〔△上佐野下佐野の両の中に川有 舟のこうらを以テかけわたしたる故に佐野々舟橋と云〕 〔△〈舟橋〉の能ハ上総助末子ノ由〕    熨斗目 長上下 小サ刀 〔△(「)是ハ上野の国さのゝ郡ニ住者ニテ候。川向まて用所あれハ罷出ふと存ル。いや是に見なれぬきやくそうの御座候。いづ方への御通りなれば是にハ御座候〕 〔「言語道断 きどく成事を仰らるゝ物かな。扨ハうたごふ所もなき。ふうふの者のぼうこんにて御座有うずるとすいりやういたす。それをいかにと申に。かの者ハこいのふちにしづミつミふかき身なれば。きやくそうの行力たつしたまいたる故ニ。有りがたきミのりをもうけたく思ひ。あらわれ出こゑことばをかわしたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。しばらく是に御逗留有り。かさねてきどくを御らんあれかしと存ル〕   五 項羽 ○「是ハ烏江(ウコウ)の野辺の渡守にて候。今日ハ某の路津(ワタシ)番(バン)なれバ。罷出〔テ〕ゆきゝの人を舟に乗せて越ばやと存ル。喃々(ノウ)草刈達(クサカリタチ)。向ひへおじや(リヤ)らバ舟におのりやれ ○「夫ハ如何様成者が越申たるぞ 惣じて此所の大法で。案内もなくして人の舟を某のゑこがず。又我等の舟をも人にまかする事ハ致さぬが。夫ハ如何様成者が越申たるぞ 「心得申候。扨お尋有度とハ如何様成御用ニて候ぞ 〔是より常ノ通り〕 「先項羽(コウヲ〔コヲウ〕)高祖(コウソ〔コヲソ〕)の戦(タヽカイ)と申ハ。秦天下(シンノテンカ)を望(ノソミ)給ひ。初ハ御兄弟の契約(ケイヤク)有り。先へ入た覧((らん))人を王と崇(アガメ)。おそき人ハ臣下(シンカ)とならうずると。義(ギ)てひの御前にて堅ク仰合され。二手(フタテ)に分テ切て登り給ふに。高祖(コヲソ)ハ無勢(フセイ)なりとハ申せ共。謀を(チエヲ)めぐらし慈悲を(ジヒヲ)被成るゝに仍テ。行先(ユクサキ)の国々迄も靡随ひ(ナビキシタガヒ)。早ク都ニ入給ふ。又項羽(コヲウ)ハ猛勢(ヲヽゼイ)を頼ミ。手柄をのミ被成るゝにより。路次にて隙入おそく御達(ツキ)有ルを無念(ムネン)に思召。後にハ項羽(コヲウ)高祖(コヲソ)の戦と(タヽカイト)なり。七拾余度(ヨド)と及為(ヲヨビタル)事と承る。去れ共初ハ度々項羽御勝(ヲンカチ)有り。後ニ高祖一度の理を得給へバ。名ヒ(メヒ)大将成故敵(カタキ)も味方(ミカタ)となり。却テ(カエツテ)項羽を攻奉(セメタテマツ)り。烏江の(ウコウノ)野辺にて果給ふに。其折節望雲騅(ホウウンスイ)と云馬ハ。一日ニ千里をかくる程の名馬なれど。主(ヌシ)の運命(ウンメイ)つきぬれば。膝を折(ヒザヲヽリ)きなる泪を(ナミダヲ)ながし。一足もひかず候程に。項羽ハ呂馬童(リヨバヲ〔リヨバドウ〕)を近付給ひ。我が首(クビ)取ツテ高祖(コウソ)に拝ケ(サヽケ)。名ヲ後代(コウダイ)に上よと御申あれど。さすが主君(シユクン)の御事なれば。左様に立寄人も御座なきにより。我とわが首をかき落し給ひ為((たる))と申ス。又項羽の后(キサキ)に虞氏(グヒ)と申ス御方の御在スが。別れを悲(カナ)しミ身をなげ空敷(ムナシク)成給ふを。取上(トリアケ)土中(ドチウ)に籠(コメ)置レしに。其塚の上より草花(ソウカ)一本(ヒトモト)生出為(ヲヒイツル)を。見なれぬ花とて不審致所に。有點人の(コザカシキヒトノ)被申ごとに。是ハ后の廟所(ビウシユ)より出たる花なれば。美人草(ビシンソウ)と申さうずるとて。其より皆人麗春(ビシンサウ)とハ申習す。項羽高祖の戦(タヽカヒ)。又ハ麗春(ヒシンソウ)の謂(イハレ)太方(ヲヽカタ)如此ニ候 ○「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様ニ何国共なく老人の来り。舟をこそうずる者。此他にてハ不覚候が。扨ハ我等の存ルにハ。以性(イセン)の后(キサキ)の事をなつかしく思召。項羽の亡魂(ホウコン)顕出。草花(サウカ)を御所望被成たるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれば。何れも弔ハ僧々にあらず俗々にあらずと申せば。彼御菩提(ホダイ)を御弔(トムライ)有り。其後私宅(シタク)え御帰りあれかしと存ル 〔「なふ〳〵くさかりたち。むかいへおこしやらハ舟におのりやれ 「それハどの舟にのつておこしやつたぞ。惣じて此所の大法デ。案内もなくして人の舟をゑこかず。又我等の舟をも人にまかする事ハ致さぬが。夫ハ如何様成者がこし申たるぞ〕 〔「なふ〳〵草かりたち。むかいへ御座らハ舟におのりやれ 「惣じて此所の大法にて。案内もなふして他の舟を某のゑこかず。又我等の舟をも他に任する事ハ致さぬが。夫ハいか様成者が越申たるぞ〕   狂言上下 嶋物 〔但シ〕熨斗目 長上下 小サ刀ニテモ   六 阿漕 「是ハ伊勢の国阿古木(アコキ)が浦に住者にて候。今日は物徒然折柄なれば。罷出浦の景色を詠((ながめ))ばやと存る 「先此所ハ伊勢の国阿古木が浦と申て。隠なき名所にて候其子細ハ。忝も天照太神の当国え。初テ御光臨(ゴコウイン)被成し以後。此辺ハ御膳(ゴゼン)調進(チヨウシン)の網(アミ)を塘(ヒク)浦なれば。いづれか神慮(シンリヨ)に漏(モルヽ)者なきゆへ。山谷(サンヤ)江河(ゴウカハ)の鱗(ウロクヅ)此磯にあつまるを。世を渡る近郷(キンゴウ)の蜑人(アマビト)共是を能存じて。思ひおもひに縁の以テすなどりを望(コノミ)けれど。誰も神罰と(シンバツト)怖敷(ヲソロシク)存シ(セラレ)。未是を(イマダコレヲ)ゆるし申されぬ所に。爰に心底(シンテイ)のつたなき魚人(リヨジン)の有りテ。忍て夜な〳〵網(アミ)を塘(ヒク)を。初の程ハ一円に人のしらざりけれど。度々重ルにしたがつて有者思ふ様。かれ程能キ魚を数多取者ハなきと。心中にいかばかり羨敷(ウラヤマシク)存。朝暮(アサユウ)心を付て見れバ当浦成りしを。独(ヒト)りしれハあくじ千里と世上にばつと沙汰の有て。在所(ザイシヨ)の老若(ロウニヤク)聞付申けるハ。此浦の殺生(セツセウ)致さぬと有事ハ。近ケ国(キンカコク)迄も其隠なきに。殊ニ当国に有ながら太神宮を恐ぬと(ヲソレスト)いゝ。かつうハ此里の者を有がなしに致事。余りに憎奴(ニクキヤツ)なれば。何とぞしてとらへて後代(ゴタイ)のためしに。罧(フシヅケニ)に致さうずるとて。深く隠して夜毎(ヨゴト)に待をバ夢にもしらで。有暮に月入(ツキイリ)夜更(ヨフケ)人しづまりし時分。澳(ヲキ)にハ舟も見へず陸(クガ)にも余人(リヨジン)ハなきと存ジ。いつものごとく網をおろしひく所を。覘(ネロヲ)人々左右(ソウ)より一同に出て。走(ハシ)りかゝつて阿古木をむずととらへ。葉流(ハヤリ)若者(ワカモノ)ともハ矢庭(ヤニワニ)に成敗(セイバイ)せうずると云を。此重(ヂウ)科人(カニン)の唯殺さん(コロサン)もをしけれバ牛割(ウシザキ)に致さうなどゝ種々に申を。在所(サイシヨ)の年寄(トシヨリ)がいや〳〵当国ハ神国成に。左様に昔より例(レイ)なき事ハいかゞと申て。長ク(ナカク)簀巻(スマキ)にして大きな石を二つ結付。所も替へず其網を塘(ヒキ)為(タル)此浦の沖(ヲキ)へ罧(フシヅケ)に仕りた((ママ))を。古性(イニシヘ)の哥人(カジン)ハよくしりて哥に。伊勢の国阿古木(アコギ)が浦に塘(ヒク)網(アミ)も。たびかさなればあらわれにけりと。か様によまれたるよし承る。先我等の存たるハ如此ニ候 「是ハ奇特成事を仰らるゝ物哉。誰有て罷出。か様の御物語致さうずる者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の存ルにハ。お僧の御心中貴う(タツトウ)在す(ヲハシマス)により。一遍(イツヘン)の御廻向(コエコウ)にも預り度思ひ。阿漕が亡魂(ホウコン)顕(アラハレ)出。声詞をかわしたるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれば。暫是に御逗留有り。重て寄((奇))特を御覧なれかしと存る 〔○「言語道断きどく成事を仰らるゝ物かな。左様にいづくともなく老人の罷出。あこきの子細くわしく可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の存ルにハ。おそうの御心中たつとうましますにより。いにしへのあこきかぼうこん顕出。声ことばをかわしたるかと存る間。あまりにふしぎ成御事なれバ。しばらく是に御逗留有り。重てきどくを御覧なれかしと存ル〕   嶋の物 狂言上下 扇 〔おとこワキノ時ノせりふ 「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。左様にいづく共なく老人の来り。あこぎのしさいくわしく語へき者。此他りにてハ覚ず候が。扨ハかた〴〵の御心中たつとうましますにより。いにしへのあこきがぼうこんあらわれいて。こへことばをかわしたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれバ。いづれもとむらいハそう〳〵にあらずぞく〳〵にあらずと申せバ。彼あとをねんごろにとむらいあれかしと存ル〕   七 鵜飼 「誰にて渡り候ぞ 「尤お宿参らせ度ハ候え共。旁々の様成修行者に。宿借シ申事堅キ法度なれば。思ひなから叶ひ候まじ 「いや〳〵私にてハ成まじく候間。唯日の暮(クレ)ぬさきに。何方へも御通り候へ 「中々の事叶ひ候まじ 「あらいたわしや。何れにがなとめ申さうやれ。しゝ申 お宿参らせう 「あの川崎(カワサキ)の辻堂(ツジドウ)へおじやつておとまりやれ。あれを借申さうずる 「左様におしやつても。夜なよな光(ヒカ)り物が上ルと申ぞ 「一段とすねひ僧じやよ 「夜前往来の僧の。宿を借せと被仰たを。川崎の辻堂へ教(ヲシ)へてやり申たるが。未あれに御座ルか。但何国へも御通り有たるか。参りて見申さうずる。〔ト云テワキヲミテ〕 いや是成お僧ハ。未何事もなくはつたとして御座ルよ。扨夕部((べ))ハ何事も無御座候か 「中々夜前の者にて候 「心得申候。扨お尋有度とハいか様成御用にて候ぞ 「去程に此射和川(イサハガハ)と申ハ。昔より河(カハ)の上下三里か間ハ。堅ク殺生(セツセウ)禁断(キンダン)の所成に。是より下に岩落(イハヲチ)と云在所の者。夜毎(ヨゴト)に忍(シノビ)登つて(ノホツテ)鵜を遣ふ(ツコウ)由〔風聞致ヲ〕。悪事千里と其隠無クして。此里の老若(ロウニヤク)共に被申事に。伊沢(イサハ)川の殺生(セツセウ)致さぬと有事ハ。近(キン)ケ(ガ)国(コク)迄も流布(ルフ)仕ルに。当所の者を有がなしに致す事。余りに憎(ニクキ)奴(ヤツ)なれバ。いか様一度ハ見顕し(アラハシ)。後代の例涔(タメシ)に致さうずるとて。ふかく隠してよなよな待をば夢にもしらず。有(アル)闇(ヤミ)の夜(ヨ)よふけ人定(シツマ)ツ(ツ)テ後。いつもの鵜(ウ)匠(ヅカイ)真(マ)鳥(トリ)を更(サラ)ニ放(ハナチ)テ遣う(ツコウ)所を。覘う(ネラウ)人々左右より一度に出て。彼(カノ)重科(チウカ)人を無手(ムヅ)と捕へ。汝ハ此辺の者を慢(アナドリ)。堅き法度の所にて漁捕(スナドリ)致事。前代(センダイ)未聞(ミモン)の曲事(クセゴト)成と訶(シカリ)けれハ。其時盗人の魚(ギヨ)翁(ヲヽ)答(コタエ)て(テ)曰(イハク)ク。某も近郷(キンゴウ)に住者とハ申ながら。か様の殺生(セツセウ)禁断(キンダン)の川共不存して。皆人に異見をも可申老の身の。誠に天命の竭(ツキ)斯(カヽ)ル料尓(リヨウジ)成事を仕り。今ハ一段迷惑(メイハク)致す。乍去先此般(コンバン)ハ我等の命をも御助あれ。是よりハ御意次第に致さうずると侘(ワビ)けれども。利悲(リヒ)をもきかぬ慓(ハヤリ)若者共ハ。矢場(ヤニワ)に(ニ)成敗(セイバイ)せうずると云者も有り。先走(ハシ)りかゝつて散(サン)々に打人も有を。去ル人の見付皆々に異見申様。いかに科人成共左様にないためそと云テ。他りの人を退(ノケ)テ広ク置。大竹を取にやり一間程包((宛))に切せ。弐つ宛に割為((たる))を三所網(アミ)て。其簀(ソノスノ)の上に彼うつかひを緩(ユル)りとねさせ。片端(カタハシ)よりきり〳〵とまひて。強(ツヨ)キ縄を以て五所(イツトコロ)しつかとしめ。両の端(ハシ)ニ大キな石を二ツ結付(ユイツケ)。一切(イツセツ)他生(タセウ)の利(リ)にまかせ。所も替ず射和河(イサハカハ)の渕(フチ)へ湛浮と(ダンフト)はめたハ。何方漢然(ヲトナシ)ひ(ヒ)異見(イケン)にてハ無御座候か 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物かな。扨ハ此堂へ上ル光り物ハ。彼鵜遣(カノウズツカ)ひの亡魂(ボウコン)にて御座有ふずる。夫をいかにと申に。彼者ハ此世にて殺生(セツセウ)を致し罪深き(ツミフカキ)身なれば。一遍(イツヘン)の御回向(コヱコウ)ニも預度存じ顕れ(アラハレ)出。薬力(ヤクリキ)の鵜(ウ)をつかふて御目にかけたるかと存ル間。余りに不思儀((議))〔成〕御事なれバ。ありがたき御経をも御読誦(コドクシユ)有り。重て寄((奇))特を御覧あれかしと存る。 「左様に候ハヽ。我等もともに石をひろいて参らせうずる   嶋物 狂言上下 但シ熨斗目 長上下 小サ刀ニテモ 〔○「是ハきとく成事を仰らるゝ物哉。扨ハお僧の御心中たつとうましますにより。いにしへのうつかいの亡魂あらわれ出。声詞をかわしたるかとすいりやういたす。あまりにふびん成事なれバ。一石に一字書付。彼者の跡を念比に御弔あれかしと存ル 「さあらバ我等も。石をひらふて参らせうずる 「心得申候〕   八 鵺 「誰にて渡り候ぞ 「尤御宿参らせ度ハ候へ共。旁々の様成修行者に。宿借申事堅キ法度なれハ。思ひながら叶候まし 「いや〳〵私にてハ成間敷候間。唯日の暮(クレ)ぬ(ヌ)先に何方へも御通り候へ 「中々叶候まし。あらいたわしや 何方へがな留申さうやれ。しゝ申シ お宿参らせう 「あの州崎(スサキ)の御堂へおじやつておとまりやれ。あれを借申さうずる 「左様におしやつても。夜な〳〵妖化(ハケモノ)が上ル(イヅル)と申ぞや 「一段とすねい僧じやよ  「夜前旅の僧の宿をかせと被仰たを。洲崎(スサキ)の御堂(ミドウ)へ教へてやり申たるが。未あれに御座るか。但し何国ゑも御通り有たるか参りて見申さうずる 〔ト云テワキヲミテ〕 いや是成お僧ハ。未何事もなくはつたとして御座候よ。扨夜前ハ何事も無御座候か 「心得申候。扨お尋有とハいか様御((ママ))用ニて候そ 〔是より常の通り〕 (「)昔(ムカシ)近(コン)ン衛(エ)の御位(クライ)の時。帝(ミカド)の〔御〕悩(ノウ)以の外に御座候ひ(※)しを。〔※間((朱))霊地の貴僧高僧ニ被仰付〕大法(タイホウ)秘法(ヒホウ)の御祈祷(コキトウ)にも不叶。博士(ハカセ)をめして占せ(ウラナハセ)らるれば。占方(ウラカタ)を考(カンガ)へて申上ル様。是ハひとへに変化(ヘンゲ)の者の業(ワザ)にて。夜半(ヨナ)〳〵御殿(テン)の上まで来ル由申上ルを。いかゞ有べきとて工卿(クキヨウ)僉義(センギ)被成るゝ所に。其中にも有知臣〔ス((朱))ヽミ出テ〕宣ふ様。先帝(ミカド)にも去ルためしのあれば。武士(ブシ)に仰て射さ(イサ)せられよと有を。諸人一同(イチドウ)に此儀尤然べきとて。源平両家(リヨウカ)の中を尋給ひて。中にも頼政(ヨリマサ)と云射手(イテ)をゑり出されたに。頼政(ヨリマサ)の出立にハ。魚陵(キヨリヤウ)の直垂(シタヽレ)おちやくし。繁藤(シゲドウ)の弓に鋒矢(トガリヤ)二筋(フタスシ)添(ソエ)テもち。郎等にハ遠江(トウミ)の国の住人(チウニン)。猪早太(イノハヤタ)と云ずんどのはや者を一人連。大裏(ダイリ)〔南((朱))殿〕の大床(ヲヽユカ)に伺公(シコウ)シ。良(ヤヽ)久敷(ヒサシク)またるれば。案の如ク東(トウ)三条(サンセウ)の森の方より。黒雲(コクウン)一群(ヒトムラ)立来り。玉殿(キヨクデン)の上に覆ひ(ヲヽヒ)たるを見て。鋒(トガリ)矢を取テつかへ。雲の中とおぼしき所を。能(ヨツ)彎(ヒヽ)テ切テ放(ハナ)されたれば。当(アタ)つたと摴して(テゴタエシテ)御殿の上をころめいて。庭上(テイゼウ)へどうど落ル所を。早太ハつる〳〵と寄て取テ押(ヲサ)へ。鎧(ヨロヒ)通(ドウシ)しを持て九日突(ツカ)れたると申。「実と〔九((朱))日まてでハ御座ルまい〕九刀が本で御座らふずる。扨火をともし御らうじられたれば。種々の者が媚(バケ)たと申ス。先頭(カシラ)ハ猿(サル) 胴(ドウ)ハ狸(タヌキ) 目(メ)ハ柚(ユ)。足(アシ)ハ(ワ)尺八(シヤクハチ) 尾(ヲ)ハ(ワ)長剣(ナギナタ)。鳴声(ナクコエ)が笛(フヘ)に似た(ニタ)と有テ。夫より彼者の名を笛(フへ)々と申為((たる))実候 「鵺(ヌヘ)。笛(フヘ)。実(※)と是も●(ヌヘ)が本で〔※マ((朱))コトニヌヘガゼウデ〕御座有ふずる。か様のおそろしき者を聊尓に捨(ステ)おかれてハと有。坹(ウツロ)舟(フネ)を作り淀(ヨド)川へ流れ(ナガサレ)たれバ。しばしハ此所に流とゞまりたるとハ申せ共。委事(クワシキコト)ハ存もいたさず。先我等の聞及為ハ如此ニ候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。扨ハ此堂へ上ル媚者(バケモノ)ハ。彼●の亡魂ニて御座有ふずると存ル間。余りにふしぎ成事なれば。彼者の跡を御弔有り。重て奇特を御覧あれかしと存ル  〔△東三条●木 昔主上ヲナヤマシ奉ル●此木ヨリ通ト云々 今ハ名斗也〕 〔△仁平三年癸酉四月夜毎ニ●出ル 頼政 御剣あやめ前ヲ給ふト云〕 〔朱((朱))ニテ書入たる所正本ニ有り ぬくべし〕   嶌物 狂言上下 〔但シ〕熨斗目 長上下 小サ刀ニテモ   九 松虫 「是ハ津の国天王寺の他りに住者にて候。今日ハ阿倍野々市にて候程に。罷出見物仕らばやと存ル。いつもとハ申ながら。けふハ殊外の市立多ク候よ。又爰に存為((たる))人の候間。立寄申さばやと存ル。いかに申候。今日ハおそなわり申て候 「さん候 拙者も早々伺公致シ。酒をもたべ慰申べきを。不叶用所有テ今迄延引仕て候 (「)尓程(サルホド)に松虫の音に友を忍ぶと申子細ハ。以性(イニシヘ)当所ニ中能(ナカヨキ)男弐人有しが。生国ハ和州方の人成由云(イヘ)へど真(マコト)の節(セツ)ハ不知(ソンゼツ)。数年(スネン)此所に住ンテ一段と親ク(シタシク)致シ。春ハ花を見夏ハ水辺(スイヘン)に出。秋ハ月にめで冬は雪(ユキ)を愛(アイツ)す(ル)る迄も。互ニいつも不離(ハナレス)して。此阿部野々方へ出テ酒を愛(アイ)しけるが。有(アル)夕暮(ユウクレ)に此原を通し時分。虫(ムシ)の音(ネ)いともの冷(スゴク)聞へ。四方(ヨモ)の景色(ケシキ)面白ク見遊れ(ミユケレ)バ。一人の男彼虫の音に深ク心を入草路(クサジ)を分(ハケ)入聞に。今の虫も見ゑず声留為(トヽマリタル)ハ不思義((議))ぞと思ひ。鳴声(ナクコヘ)に付先々へ行聞しが。男ハ焦(コガレ)入為か。但又(タヽシマタ)有為転反(ウイテンベン)の習にてもや有けん。草(クサ)を枕(マクラ)にし露(ツユ)の命の終り(ヲワリ)しを。今一人の友人ハ左様の事おば夢にも不知。しばしハ此方ニ相待けれど。余(アマ)り遅(ヲソ)しとて其跡をしたひこゝかしこを尋けるに。彼者ハ空敷(ムナシク)死骸(シガイ)斗りなれば。驚操(ヲドロキ)嘆悲め(サワギカナシメ)共更(サラ)に不叶。真(マコト)に幼少(ヨウセウ)の時竹馬(チクバ)に鞭(ムチ)を当(アテ)しより此方。少離(スコシハナ)るゝ(ルヽ)事もあらず。死するも一所と替(カワ)しつるにと。中々流涕(リウテイ)焦臥(コガレフシ)転(マロビ)けれ共其甲斐も無ク。出入(イデイル)息(イキ)も絶(タヘ)て終(トモ)に無墓(ハカナク)成し間。か様の儀(ギ)を松虫の音(ネ)に友を喚(ヨブ)とハ申習す。されハ有歌に。なき人の是を形見の野辺にきて。松虫の音に袖ぞぬれけると。か様ニ被読(ヨマレ)為由申す。惣して松虫の鳴声ハ秋野の。生死(シヤウジ)無常(ムシヤウ)の季(キ)を(ヲ)観(クワン)し。後世(ゴセウ)菩提(ボダイ)を願せ(ネガハ)ん為(タメ)成由(ナルヨシ)承(ウケタマ)ル。先拙者の聞及為ハ如此ニテ候か何故只今此事をお尋ハ近比不審に御座候 ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉 扨ハ疑ふ(ウタゴウ)所もなき替らぬ友にて御座有ふずると推量(スイリヨウ)致す 余りにいたわしき事にて候間何も弔ハ僧々にあらず俗々にあらずとハ申せ共彼跡を懇に御弔あれかしと存る 「左有らハ我等ハ御暇申候 〔(「)是ハ津の国天王寺の他りに住者にて候 今日ハ阿部野々市にて候程に罷出見物致さはやと存ル いつもとハ申なから今日ハ市立多ク候よ さて此所に存たる人の候間立より申さばやと存ル いかに申候 今日ハ殊外にぎやかにて候よ 「其事にて候 我等も早々参り酒をもたべ慰度存候へとも不叶用の事候ておそなわり申候 扨ふしき成事の候 只今是よりぬりかさをめして出られたる人の有候程にいか様成人ぞ見申さはやと存ル所に笠をかたむけて御通り有と見へて姿を見うしなふて候が思召合らるゝ事ハなく候か〕 〔松虫中入習 金春流又喜多流ニモ有事也 宝生流ニハ無シ 中入 ツレ入ルトシテ見をくりテ又舞台へ帰りとめるなり 扨シテ中入スル其時に狂言切幕ニテ出ル そろ〳〵ト出テ橋掛り中程ニテシテニ行合テシテノ笠の内を見うとすると其まゝシテハ笠をかたむけて板付の方見て楽屋へはいるヲ狂言跡を見をくりて夫よりシテ柱の先ニテ常の通り名乗 狂言モすげ笠ヲ持出ル 間語内ワキノ方ニ置習也〕 〔「是ハ津の国天王寺の他りに住居する者にて候 今日ハ阿部野々市ニテ候程にさしたる売物ハなく候へども市に出テ見物致さばやと存ル 殊に某が知ル人の候間急て参り酒をもたべて慰はやと存ル 扨々今日ハ思ひの外成市の立やうにて候 いかに申候 いつもとハと申ながら今日ハ一入にきやかにて候 「其事にて候 我等も早々参り酒をもたべて慰申度存て候へともかなわざる用の事あつておそなわり申て候 「去程に爰にふしぎ成事の候 只今是よりうつくしき若ひ衆とおほしき人のぬりがさをめして御出候程に笠の内を見申さうずると存じて候へハ其まゝかさをかたむけてお通り有ルと存じたれハ見うしなひて候か人の申ハいつも是へハ市毎に若ひ衆の御出候由申候が何とて左様の人の御出ならば某か様成者も御よび有テ御盃をも給り候ハぬぞ あまり心づよき御事にて候ぞ 「夫ハふしぎ成事ニて候 扨夫ならば我等凡承り及たる事の候間あら〳〵語テ聞せ申さうするニて候〕 〔「言語道断奇特成事を仰らるゝ物かな 此市毎に罷出酒をあいする者ハうたごふ所もなきかわらぬともにて御座有うする あまりにふしぎ成事ニて候間重て真の姿を御覧あれかしと存る 「さあらハ我等ハ是より御いとま申候〕   狂言上下 嶋ノ物 脇((腰))帯 扇   拾 鐘馗 「是ハ唐土修南山(シウナンサン)の麓(フモト)に住者にて候。今日ハ物徒然折からなれば。罷出心を慰ばやと存ル。 (「)各(ヲノ)々も遍(アマネク)ク御存知の事なれバ。是ハ祥に(ツマビラカニ)語申ニ及バねど。大方大唐の習にハ。其人の器量(キリヨウ)骨幹(コツガラ)の能悪敷(ヨキアシキ)に寄(ヨラ)らず。又老た若ひの隔(ヘダテモ)も無シ。氏種姓(シユシヤウ)の家高(ケタカキ)分チ(ワカチ)モ無(ナク)して。如何成田夫(デンフ)野人(ヤシン)の子成といへ共。学門(ガクモン)の達(タツ)し為((たる))者なれバ。栄耀(エヨウ)栄花(エイクワ)高位(コウイ)の望(ノソミ)も叶ひ。一類(イチルイ)迄も夫に応(ヲヽ)じて人と成り。諸人に囲繞(イニヨウ)渇仰(カツコウ)せらるゝに仍テ。子々孫々迄も名を後代に揄(アグ)ル故。一在所の物智り(モノシリ)ハ憐(リン)向(カウ)の司(ツカサ)を望(コノ)ミ。一郡(クン)の学匠(シヤウ)ハ一国を心懸(ガ)ケ。国中に名を得た儒者(シユシヤ)ハ及第(キウタヒ)致(イタ)ス。すでに天上の交り(マジワリ)をなすに仍テ。士農工商の家々の稚ひ(ヲサナヒ)衆も。八歳小学(セウガク)拾五大学とハ申習す。然ルに昔(ムカシ)此(コノ)修南山(シウナンザン)の(ノ)麓(フモト)ニ。鐘馗といへる進士(シンし)の有しが。幼少の時より書物ト(シヨモツト)面白ク思ひ。如何様一度ハ学文の奥儀(ヲウギ)を極(キハメ)ンと。夜ル昼(ヒル)の境(サカイ)もなく嗜れ(タシナマレ)けるに。早一度(ハヤイチド)聞為(キヽタル)事をば忘(ワスレ)て((ママ))大知成故。萬巻(マンクワン)の書(シヨ)を諳シ(ソランジ)給ひ。以性(イニシヘ)より儒者(ジユシヤ)の用(モチヒ)来ル事と。文字の上にハ何を答懸(トヒカケ)為(タリ)共。つまる事ハ有間敷と自慢(ジマン)のせられ。白夫(ハクフ)の御時武徳(ブトク)年中に。終(ツイ)に及第(キウタイ)にのぼられし所に。類ひ(タグヒ)少き(スクナキ)大智な博学(ハクガク)の学匠(カクシヤウ)た(タ)りといへ共。真(マコト)に天命(テンメイ)のつきたる故か。及第(キウタイ)不叶(カナワス)して其まゝ帰(カエリ)し時。鐘馗心に思ふ様。此年月学仕(ガクシ)為(タル)事を空敷(ムナシウ)して。二度古郷(コキヨウ)に帰り人に面(ヲモテ)を曝ン(サラサン)事。忽(コツ)随(つイ〔スイ〕)にしミて面目なふや思ハれけん。何方(ナンホウ)短慮(タンリヨウ)成人にて渡り候ぞ。玉階(キヨツカイ)に我と頭(コウベ)を振レ(フレ)テ死するを。忝も帝(ミカド)聞召(キコシメシ)及せ給(ヲヨハセタマ)ひ。彼者の心中を余りに不便に思召。頓而死骸(シガイ)を土中に籠(コメ)置キ。緑棒(リヨクホウ)を贈官(ソウクワン)被成為と申ス。去レども其悪念今に残り。修南山(シウナンザン)に住ンテ(スミテ)年月を送り。人に託添(ツキソヒ)ひ忽(タチマチ)奇瑞(キツヒ)をなすと承ル。先我等の存知為((たる))ハ如此に候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。以性(イニシヘ)の鐘馗ハ贈官(ソウクワン)の身なれば。死シ(シヽ)テの祝((悦))をなす故に。此度禁中(キンチウ)の悪鬼(アツキ)を静(シズ)メント思ハるゝ折節。旁(カタ)の帝(ミカト)都(ミヤコ)へ趣キ(ツキ)給ふにより。雲(クモ)の上へ此事を告(ツゲ)知らせ申さんとて。鍾馗(セウキ)大臣(タイジン)の亡魂(ホウコン)顕(アハワレ)出。左様の奇瑞(キスヒ)を見せ給ふかと推量(スイリヨウ)いたす。余(アマ)りに不思義((議))成御事なれば。暫是に御逗留有り。重而寄((奇))特を御覧シ。其後奏聞あれかしと存ル。 〔○「是ハ我等の推量仕ルハ。古性の鐘馗ハ増官の身なれバ。しゝての悦びをなすゆへ。此度禁中の悪鬼をしづめんと思わるゝ折ふし。かた〴〵のていとへおもむき給ふにより。雲の上へ此事をつげしらせ申さんとおもひ。左様のきずいを見せ給ふかと存ル間。あまりにふしぎなる御事なれば。しはらく是に御座候ひてきどくを御らんじ。其後そうもんあれかしと存る〕   拾一 野守 (「)是ハ和州(ワシウ)春日(カスガ)の里に住者にて候。今日ハ物徒然(モノサビシキ)折柄(ヲリカラ)なれバ。春日野々他りへ立出心を慰ばやと存ル (「)先野守(ノモリ)の鏡(カヾミ)とハ則是成池を申す。夫をいかにと云。((ママ))に御覧せらるゝ如クなりも鏡(カヾミ)の様に丸クして。さながら曇(クモリ)もなく影(カゲ)の移(ウツ)ルに仍テ。野守の鏡とは申実候。又去ル人の御雑談(ゴソウタン)被成候ハ。古性(イニシヘ)此春日野を守ル者の有シが。いつも野を守に出申時ハ。是成池水にて我が陰(カゲ)を移(ウツ)シ。姿(スカタ)を能見為((たる))故に。野守の水とも申シ。又一切((説))にハ昔有賢(ケン)王(ノウ)の有しが。当国において御狩(ミカリ)を被成し時。御秘蔵(ゴヒソウ)の白腐(シラフ)の鷹(タカ)を失(ウシ)なわれ。爰かしこを〔○((朱))〕鳥のおつ草をかきわけ〔○次((朱))〕思ひ〳〵に尋あるき。折節是に野守の翁(ヲキナ)の有し程に。御鷹(ヲンタカ)の行衛(ユクヱ)を見て有かと仰られければ。彼者頓(ヤカ)テ答(コタヘ)て申様。御鷹ハあれ成ル水の底(ソコ)に有由申を。しらぬ者とて笑敷(ヲカシキ)事を云つるかなと。目を曳(ヒキ)指(ユビサシ)をさして御笑あれば。其時(ソノトキ)彼翁(カノヲキナ)大きに腹を立。左様に偽(イツワリ)と思召においてハ。御出有リテ御覧ぜよと申に付。狩(カリ)人我(ワレ)先にと走り(ハシリ)寄見給へバ。実と渠儂(カレ)が云如ク水の底(ソコ)に。翦鷂(ソレタルハシタカ)の有ルを不審(フシン)に思召。暫心をしづめて御覧あれば。水底(スイテイ)にハ無クして側成(ソバナル)木(キ)に。木居(※ コ ヒ)を取テ居為を〔※ハヲヤスメテイタリシヲ〕。今の者ハ。あどなき事をのミ申為実候。扨大宮人(ヲヽミヤヒト)ハ御鷹を居(スエ)上(アゲ)られ。悦ひ勇て(イサミテ)御帰り有為由承ル。是に仍テ哥に箸(ハシ)鷹(タカ)の野守の鏡ゑてしがな。思ひをもわず余所(ヨソ)なから見んと。詠ミ(ヨミ)給ひ為由聞及候。又真(マコト)の野守と申事ハ。塚(コノツカ)の中に鬼神の住けるが。其鬼が秘蔵(ヒソウ)致て持為こそ。正身(セウジン)の野守の鏡成由申ス。夫をいかにと申に。彼鬼神昼ハ(ヒルワ)人と現(ゲン)して此野を守。夜ルハ鬼となつて是成塚に隠れ住に。其鬼が三千世界(セカイ)須弥迄(シユミマテ)移(ウツ)ス浄波璃(シヤウハリ)が。真(マコト)の野守の〔鏡成由申習ス。されば野を守おにの〕鏡成に仍テ。是が本説(ホンセツ)にて有ふずるとの御事に候。又春日野にをいて。飛火(トブヒ)の野守と申に付。数多子細の有実候へ共。先我等の存為ハ如此に候  「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく老人の来り。箸鷹(ハシタカ)の野守の子細委可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ客僧の行力達し給ひし故に。此塚に住鬼人野守と現し。詞を替し為かと存ル間。余(アマ)りに不思義((議))成御事なれば。迚の事に一祈御祈被成。鬼神の誠の姿を二度御覧あれかしと存ル 〔○「近比寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉 左様に何国共なく老人のきたり飛火の野守の子細委可語者此他りにてハ不覚候が扨ハ我等の存ルにハ客僧の行力たつし給ひし故に此塚に住鬼神野守と現し声詞を替し申為かとすいりやう致す 余りにふしき成御事なればとてもの事に一いのり御いのり被成鬼神の真の姿を御覧あれかしと存ル〕   狂言上下 脇((腰))帯 嶌ノ物 扇   拾二 融 「是ハ下京辺に住者ニテ候。今日ハ物徒然折柄なれば。河原面へ立越心を慰ばやと存ル  (「)昔仁王五拾二代嵯峨(シヤガ)の天皇(テンノウ)の御宇(キヨウ)に。融(トヲル)の大臣(ヲトヾ)と申御方。父母(ブモ)の御寵愛(コチヨウハイ)限(カギ)りなかりし故。古来ニも聞(キヽ)も不及と有程の。種々様々の御遊覧の被成るゝ。春の花秋の月。千種(クサ)にすだく虫の音。詩哥(シイカ)管絃(クワンゲン)琴碁(キンギ)〔書〕画(シヨガ)ハ申に不及。有時ハ鷹(タカ)をつかわれ鹿(シカ)を狩(カリ)。又翌(ツグ)の日ハ池を掘山を歕(ツカセ)せ〔○((朱))〕麓の竹林にハ駒を放テ〔○次((朱))〕其(ソノ)高山(コウザン)にハ古木(コボク)大木(タイボク)を植(ウヘ)置れ。朝夕立さらず御覧有とハ雖ど(イエド)。是も一段(イツタン)面白思召テ。重而もて遊給ふ事も無御座候。有時大臣(ヲトヾ)仰らるゝ様。何にても替りて珍敷(メツラシキ)事哉有ル。見て慰(ナクサミ)度と御意被成しを。去ル人御前にて語り申されしハ。陸奥(ミチノク)の千賀(チカ)の浦波(ウラハ)の躰。世越(ヨニコ)へて詠(ナガメ)一入の由申されけるを。則御覧被成度思召ど。是より遠路(エンロ)にて御下向も叶ざれば。思召出されて此六条河原院(カワラノイン)に。千賀(チカ)の海保(カイホウ)少もたがわず移(ウツ)され。三千の人足(ミンソク)を三手(ミテ)に分(ワケ)テ。津の国御津(ミツ)の浜よりも毎日(マイニ)潮(ウシヲ)を汲(クマ)せ。塩時(シヲトキ)を待(マチ)テ一同にあけし程に。誠に指来(サシクル)ル潮(ウシホ)の如ク(ゴトク)ニ有為((たる))ト申ス。去共塩焼(シヲヤク)有様(アリサマ)無(ナク)テハと思召。此河原院(カワラノイン)に浜(ハマ)ヲ列(ナラ)シ塩家(シホヤ)を立。風もしづまり日(ヒ)も和日(ウラヽ)成ル折節ハ。皆海士人の出て塩を焼に。流石(サスガ)花の都の事なれば。宮殿(クウデン)廊客(ラウカク)の内よりも。塩家(シホヤ)の烟(ケムリ)の細(ホソ)ク立(タチ)昇(アガル)ル躰を。見ル人毎(ヒトゴト)に面白う存ぜられて。行還(ユキヽ)人も立とまり為と申す。又咹成(アレナル)ハ陸奥(ミチノク)離島(マガキガシマ)を移(ウツ)され。いつも左府(サフ)ハ御舟(ミフネ)に召テ御出有り。思ふ友達(トモトチ)御遊(ヲンアソビ)被成為ル由承ル。其刻(ソノキザミ)業平(ナリヒラ)の哥に。塩竈(シホガマニ)ニ早晩(イツカ)きにけん朝暖(アサナギ)に。釣(ツリ)する舟も爰によらなんと。か様に被遊為由申ス。去共大臣(ヲトヾ)空敷(ムナシク)成給ひて後。相続(ソウゾク)してもて遊ぶ人も無御座により。今はか様に名耳(ナノミ)斗(バカリ)にて候。其後(ソノノチ)貫之(ツラユキ)ハ立寄一首の歌に。君まさで烟絶(ケムリタヘ)にし塩竈(シホガマ)の。浦徒然(ウラサヒシク)も見ゑわたるかなと。作意(サクイ)を種(シユ)々に詠(ヨマ)れたると申す。先我等の存為ハ如此ニ候 「是ハ不思義((議))成事を仰るゝ物哉。誰有つテ此所へ塩汲(シホクミ)の躰にて罷出。左様の御物語致さうずる者。此他りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴う(タツトウ)在す(マシマス)により。融(トヲル)の大臣(ヲトヾ)の亡魂(ボウコン)仮りに塩汲と現(ケン)し。所の名所旧跡(キウセキ)などをも懇(ネンコロ)に御教(ヲシヘ)有為と存ル間。暫是に御逗留有。重而奇特(キドク)を御覧あれかしと存ル 「御逗留の内是にハいかゝにて候間。見苦敷ハ候へ共。此他りに小家を持候間。お宿を仕らふずる   長上下 熨斗目 小サ刀 〔○「言語道断きとく成事を仰らるゝ物哉。左様にいづく共なく老人の塩汲のていにて罷出。所の名所せうせきをもくわしく可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等のすいりやういたすハ。お僧の御心中たつとうましますニより。とをるの大臣の御ぼうしん顕出。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれバ。しばらく是に御逗留有り。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔「是ハふしき成事を仰らるゝ物かな。誰有つテ塩くミの躰にて罷出。左様の御物語致さうする者。此他りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中たつとうましますニより。とをるの大臣の御亡心塩くミとけんじ。所の名所きうせきなどをも念比に御おしへ被成たるかと存ル間。しばらく是に御逗留有り。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔(「)又あれ成ハまがきが嶋をうつされ と云前ニ狂言出テ太夫の見る所をきを付テ見る物なり 後に間の内狂言ワキニおしゆる時同所をさす物也 是ハならひなり〕 〔仁王五拾六代清和天皇御宇貞観十四年八月左大臣被任 仁和三年従二位ニ昇 寛平元年ニ御年六拾七才輦車宣旨ヲ蒙り 宇多天王ノ時寛平七年乙卯八月十五夜年七十三才〕   拾三 熊坂 (「)是ハ逢墓(ヲヽハカ)の宿に住者ニて候。今日ハ凄涼(モノサヒシキ)折柄なれバ。青(アヲ)野(ノ)が原の他へ立出心を慰ばやと存ル。いや是成お僧ハ。何国より何方への御通りなれば是ニハ御座候ぞ 「中々此他りの者ニテ候 「心得申候。扨お尋度とハ如何様御用にて候ぞ 「さん候 此他において。法躰の身ニて悪逆(キヤク)を致シ相果為((たる))者ハ。爰に熊坂の長範(チヨウハン)とて。隠なき夜盗(ヨトウ)の有シが。則此逢墓(ヲヽハカ)野(ノ)宿にて終(ツイ)に空敷(ムナシク)成申せしを。荒々承り及て候間。其分御物語申さうずる 「先熊坂の長範(チヨウハン)と申ハ。生(ウマレ)ハ北国(ホツコク)の者成シガ。幼少の時より仮初(カリソメ)ニ人の物を掠(カスメ)。夫を稚(ヲサナ)心(コヽロニ)に面白ク思ひ。夫よりひた取に取程に。後にハ悪党(アクトウ)の名を得。諸国の盗人彼に付添。有徳(ウトク)成者をおさへて取ルに。一度もふかくを致為事なかりたると申ス。然ハ源家(ケンケ)の大将(タイセウ)義朝(ヨシトモ)の末子(バツシ)。常葉腹(トキワバラ)には三男遮那(シヤナ)王(ホウ)殿(ドノ)と申少人(セウジン)の御在スが。平家の代(ヨ)の萬(ヨロス)みだんなる有様を御覧じ。何とぞして東国へ下り。御舎兄(ゴジヤキヨウ)兵衛(ヒヨウヘノ)佐(スケ)殿(ドノ)へ此事を語申シ。如何様(イカサマ)一度ハ切ツテ登り。源氏一同(イツトウ)の御代となし度思召折節。其比三条の橘次(キチジ)信高(ノフタカ)と云商売人(セウバイニン)ハ。毎年五畿内の宝物(タカラモノ)を買集(カイアツ)メ。奥へ下ル商人を御頼有御下向被成しを。夫おば夢にも不知して張噲(チヨウハン)ハ。橘次(キチジ)が高荷(タカニ)をとらんと工ミ(タクミ)。京都(キヨウト)を出(イツス)ル時より目付を置。東国(トウゴク)赤坂(アカサカ)の宿(シユク)にまんまとつけこミ。究竟(クツキヤウ)の盗人七八十人。此青(アヲ)野か原へ寄合(ヨリアイ)談合(タンコウ)致シ。夜半(ヤハン)過(スキ)とりの前とおぼしき時分。吉次か旅宿(リヨシク)へ夜討を懸し(カケシ)刻(キサミ)。内にも老た(ヲイタ)若いによらず人多シといへど。何れも路次(ロシ)に草臥(クタビレ)前後も不知伏(フシ)たりしに(ニ)。沙那王殿(シヤナヲヽドノ)斗唯御一人渡りや((ママ))い。薦テ(スヽンデ)懸ル盗人を残(ノコ)りずくなに討(ウチ)給へバ。夜党(ヨ トウ)の大将張樊(チヨウハン)ハ独(ヒト)りと無念に存じ。討物(ウチモノ)追取(ヲツトリ)り直シ少人に切テ懸り。詰(ツメ)ツ開(ヒライ)ツ請(ウケ)ツ流(ナカシ)ツ秘術(シシユ)とつくし戦(タヽカ)へ共。沙那王殿(シヤナヲヽドノ)ニハ年月の手柄(テガラ)も出ずして。終(ツイ)にハ討(ウタレ)レ為由承る。夫迄ハあのひとみの松に遠見(トウミ)を置。登り(ノボリ)下りの旅人(リヨジン)さと通ひの者迄も。やらずすごさず討取はぎとり仕り。近国(キンゴク)他国(タコク)の者迄も迷惑(メイワク)致たるが。熊坂が果(ハテ)てからハ。上下の旅人(タヒビト)も心易(コヽロヤスク)通り為と申ス。先我等の存知為ハ如此ニ候 ○「近比奇特成事を仰らるゝ物哉。此所へ法躰の身にて罷出。左様の御物語致さうずる者。此他にてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴うましますにより。長範(チヨウハン)が亡魂(ホウコン)顕出。声詞をかわしたるかと存ル間。暫是に御逗留有り。重而奇特を御覧あれかしと存ル   狂言上下 嶌ノ物 脇((腰))帯 扇   拾四 豊干 〔ブカン〕 「是ハ国清寺(コクセイジ)の門前に住者ニテ候。今日ハ志(コヽロザス)日ニ相当り申て候間。国清寺へ参らばやと存ル 「先此寺ハ天台(テンダイ)大師(タイシ)の旧跡(キウセキ)国清寺(コクセイジ)と申て。則(スナハチ)豊干(フカン)禅師(センジ)寒山(カンザン)拾得(ヂツトク)の住給ひし所成が。其(ソノ)拾得(ヂツトク)ト申ハ。豊干(ブカン)有時市ニ出テ子を椒(ヒロヒ)。養育(ヨウイク)しやしなひゑたるとて。其名を拾得(ヂツトク)と名付給ふ。去ル頃(コロ)拾得(ヂツトク)の如ク(ゴトク)成童子(ドウジ)来りテ。帚(ホウキ)を持(モチ)庭(ニワ)を度々はくを見給ひて。何(イ)国(コク)より来ル者と尋(タツネ)給へバ。我ハ寒山(カンザン)より来ルと答う(コトウ)。其寒山ハすでに七百里を阻(ヘダテ)し山なり。夫を遠(トウ)しとせず朝(アサ)来りテ夕部(ユウベ)に帰ル。不思儀((議))の思ひをなす所に。閭(リヨ)丘(キウ)と申人来リテ豊干(〔ブカン〕)に仰られ候ハ。あの二人ハ如何成者ぞと尋給へバ。豊干の仰にハ寒山(カンサン)ハ文殊(モンシユ)。拾得(ヂツトク)ハ普賢(フゲン)なりとの給へバ。其まゝ二人を拝し給ふ程に。二人(リヤウニン)肝(キモ)をつぶし。何とて我をらいし給ふぞと御申候へバ。其事にて候。豊干(フカン)の教(ヲシヘ)に任せ如此と答へ(コタヘ)給へば。左様に我等が本地を顕(アラハ)し給ふ上ハ。豊干の本地を申べし。あれこそ弥陀(ミダ)の化身(ケシン)成とて幽屈(ユウクツ)の内に入給ふ。夫より三人の本地顕れ給ふ。又有節に豊干ハ釈迦(シヤカ)の化身共申ス。不断(フタン)虎(トラ)に乗(ノ)りあるき給ひし人成由申候。則あの宝蔵(ホウソウ)のうしろに旧院(キウイン)御座候。又寒山箒(ホウキ)を持給ひし事。定めて御存知有べけれ共人ハ六塵(ヂン)の境界(キヨウガイ)にまよひ。貪(トン)欲(ヨク)愚痴(グチ)の三毒(サンドク)を〔たへず是を〕払ひ捨(ステ)度との御心にて御座有と承り申候。惣じて最前より申ごとく。委(クワシキ)事ハ存も致さず候が。何と思召テお尋不審に存候 ○「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物かな。扨ハ疑ふ所もなき寒山(カンサン)拾得(ジツトク)にて御座有ふずると存る間。お僧も左様に有つべしく思召ハ。暫是に御逗留有。重てきどくを御覧あれかしと存る 〔「是ハこくせいじの門前ニ住者ニテ候。今日ハぶかんぜんじのきういんへ参らばやと存ル〕 〔「しぜん間の謡なきも有ベシ 左様の時ハ能力しやべりにもする 前方ニ大夫え尋べし〕 〔ワキ方より狂言ヲ呼出時 「此他りの者とお尋ハいか様成御用ニて候ぞ 「さん候 此経蔵のうしろこそぶかんせんじの旧院ニて候。今にたつとくはいし申といへども。たへて人なけれバ物すごくて候。先あれへ御出有テ御覧候へ〕 〔寒山 唐ノ大宗ノ時隠テ幽窟座禅ス 国清寺ノ十徳ニ法ヲ以交ル〕   拾五 大瓶猩々 〔 此間よびだしにてハなく候 中入ニ狂言よりワキの方ヘかゝり間也 初のせりふハあとに書テ置なり〕 「案内とは誰にて渡り候ぞ 「某も唯今伺公致べきと存候。さらば御供申さうずる 先御出候え 今日ハ御尋祝着申て候 「御不審〔モツトモ〕にて候。早々参らうずると存候へ共。去がたき用事候ておそなわり申て候。いやゐつもと申ながら。今日ハ夥(ヲヒタヾ)敷市人にて一入賑(ニギヤカ)にて候。いつものごとくに御酒を被下慰(ナグサミ)申さうずる 「是ハ思ひも寄ぬ事をお尋にて候。我等も左様の者を見申為((たる))事も無ク候え共。人の物語めされ為を大方承りて候。しかと致為事にてハ有間敷候へ共。聞及為通り御物語申さうずる 「内々聞及為猩々と申者ハ。姿(スカタ)顔(カホ)ばせハ人の如クにて長き尾有り。物云事人間に増(マシ)シ通(ツウ)うを得為者成が。足手の爪(ツメ)ハ鷲(ワシ)の如クにて。木に登ル事自由(ジユウ)に致す者と承及テ候。其様子ハ唐土(モロコシ)の愿(ゲン)憲(ケン)と申者。鳳(ホウ)契(ケイ)と云所にて慥に見申され為と申習シ候。住家(スミカ)ハ山谷(サンヤ)の間(アイ)に有リテ。海川を住家として一所(イツシヨ)に集り(メグ〔アツマリ〕)居テ。寿命長ク(ナカク)萬事(バンジ)目出度物にて候。かれが気ニ入出入仕候えバ。必富貴(ヲノスカラフツキ)の身と成由承テ候。かれを側(ソバ)へ近付ケ申にハ。里人山河の傍に(フモト〔ソバ〕)酒を多(ヲヽ)クたゝへ〔○((朱))〕其そばへ草(クサ)にて履(ハキモノ)の様成物を拵(コシラヘ)テ置〔○((朱))次〕相待申せハ。かの猩々酒おすく物にて。酒の香(クワ)に付て来り候へども。通(ツウ)うを得為者なれば。人間に向ひ。其者の各名字を明(アキラカ)ニ喚(ヨブ)などゝ承ツテ候。総而(ソウジテ)仏も酒を五戒(ゴカイ)の中ニ入。禁(イマシ)メ給ふと承り候。去ながら酒ハ百薬(ヒヤクヤク)の長(テウ)とほめられ。寒気をふせぎ心をはらし。寿命を延(ノベ)人間の心を勇(イサ)メ候時ハ。一段(イチダン)目出度物にて御座候。先我等の存為ハ如此ニテ候ガ。扨如何様の子細にてお尋被成為ぞ不審に存候 ○「是ハ奇特成事を仰らるゝ物哉。扨ハうたごふ所もなき。彼猩々と申者にて御座有ふずると存候〔○((朱))〕最前も申ごとく。猩々と申者出入仕候へバ。必富貴(フツキ)栄花(ヱイクワ)にさかゆる【事】と聞及テ候が。うたごふ所も御座なげに候〔○次((朱))〕是と申もかた〴〵の御心中正直(セウジキ)にして。慈悲(ジヒ)有故と存ル間。弥々富貴に御なりあらふずる。急酒をたゝへてかの猩々を御待有れかしと存候 「左様に候ハヽまづ某ハ罷帰り。重而参り酒を給申さうずる 「心得申候 〔観世流〈大瓶猩々〉かゝり也〕  〔○(「)是ハ唐土かねきんさんのふもとに住者ニて候 爰ニこうふうと申人市ことに出テ酒をうり申され候 今日ハ未不参候程ニ急参らはやと存ル。 ○(「)只今参りて候 トモ云 「さん候 拙者も早々まいり可申を〕 〔(「)か様に候者ハ。もろこしかねきんざんのふもと。やうすの里に住ひする者にて候。爰にふとく成者の候間。毎日やうすの市に出テ酒をかうてたへ候が。かなハざる用の事候ハヽおそく出申候間。急デ参り酒をたべ申さばやと存ル  「只今参りて候 「拙者も早々参り可申所に。不叶用所御座候て今迄延引仕て候 「是ハ思ひもよらぬ事を仰るゝ物かな 常ノ通語後セリフ過テ 「左様ニ候ハヽ先我等も罷帰。重テ参様子を見申さうずる〕   拾六 殺生石 「誠に御急被成たる故に。無程下野国那須野々原に着せられた。ありや〳〵。又々〳〵 「あれ成ル大石の上へ鴈がくひやうて落まする。取て参りお非(ヲヒ)時(ジ)の汁に仕らふずる 「実と楚忽(ソコツ)な事を申て御座る 〔シテ中入 作物ノ内へ入ル〕〔此狂言シテ柱ノ先ヘ立テ出テ「やあら さいぜんの女の有さまハがてんか参らぬか.先あれへ参らう ト云テワキノ方へ行下ニイテ〕 「扨も只今の女ハ何となく風(フ)と(ト)出テ。知識(〔チシキ〕)をもおそれず種々の事を申を。某の心を付テ能見まらする程。次第に彼(カレ)が姿(スカタ)物凄(モノスサマシ)ク成。殊に人にハ其石の辺へ立寄らせられそと云て。其身ハ大石の傍(ソバ)へ立寄と見て姿の見へざるハ。なんぼう不思義((議))成事にてハ無御座候か 「是ハ思ひも寄ぬ事を被仰るゝ物哉。左様の御事我等躰の者が存シ為((たる))事にてハなく候へ共。併(シカシ)旅のお慰の為。爰かしこを御物語申上うずる 「去程に殺生石の由来(ユライ)を委(クワシ)ク尋ルに。先天竺(テンジク)より発初(ヲコリソメ)し事成。唐土(トウド)においても数多帝(ミカド)を取奉り。野干(ヤカン)ハ神通(シンツウ)を得為故。我朝(ワカチヨウ)にてハ鳥羽院(トバノイン)の御宇に。父母(フボ)も出所(シツシヨウ)も知らぬ宮女(キウニヨ)の。何(イツ)の程よりか来りて上童(ワラハ)に宮(ミヤ)付(ツキ)。容顔(ヨウガン)美麗(ヒレイ)ハ宮(キウ)中に并なければ。一入(ヒトシヲ)君(キミ)の叡慮(ヱイリヨ)に叶ひ。君(クン)辺(ヘン)を片時(ヘンシ)も立去ル事のなかりしが。有時智恵(チヱ)を斗(ハカリ)諸色(シヨシキ)万物(バンモツ)の発(ヲコリ)を問(トヒ)給ふに。一字も無滞(トヽコウリナク)明に(アキラカニ)申上ケ。詩哥(シイカ)管絃(カンゲン)琴碁(キンキ)書画(シヨガ)ハ不及レ申に。経論(キヤウロン)聖教(シヤウゲウ)和漢(ワカン)迄も。遍ク(コトコトク)大才(タイサイ)に能(ヨク)極メ(キワメ)。〔少も((朱))〕心中に闇(クラキ)事のなき故に。玉藻(タマモノ)の前と名付給ひ。天子の御寵愛(ゴチヨウワイ)浅からざりし折節。其比ハ晩秋の夜にて月も未出ざるに。清涼殿(セイリヤウデン)にて管絃(カケン)の御遊(キヨユウ)の有し時。俄に空(ソラ)かき曇(クモリ)風吹来つテ。玉(キヨク)殿(デン)の燈(トモシビ)一同に消ル(キユル)。其時玉藻(タマモノ)の前が身より光(ヒカ)りを出し。禁中(キンチウ)を日月の如ク照(テラシ)。夫より主上(シユセウ)ハ御悩(ゴノウ)とならせ給ふニ仍テ。急博士(ハカセ)を召て占(ウラナ)ハせらるれば。占方(ウラカタ)を勘へ(カンガヘ)申上ル様。是ハ偏(ヒトヘ)に玉藻の(タマモノ)前が芸(シヨイ)成り。御祈禱なくてハ叶まじとて。調伏の祭を取行(トリヲコ)ハせらるれバ。彼玉藻の前ハ正敷ク(マサシク)とうかと顕(アラハレ)レ〔○((朱))〕長一丈の白狐となつて〔○次((朱))〕此下野国那須野々原へ逃(ニゲ)て来(キタ)ルを。三浦助上総助へ勅使立つ〔テ。かれをたいじせよのせんじをこうむり〕を。両助〔ハ((朱))〕家の面目是に過(スギ)しと悦ひ。家の子郎等引供し当国に下り。此野を狩レ(イレ)共他生(タセウ〔ケセウ〕)の者にて射ら(イラ)れざりしを。種々謀(ハカリコト)を以て彼を退治(タイジ)し。君も寿命(シユミヤウ)長遠(チヨウヲン)に目出度御代とハなれど。併(シカシ)其(ソノ)野狐(ヤコ)の執心(シウシン)大石となつて。か様に殺生致かと存ル間。少此石を喝(カツ)して御通りあれかしと存ル 「さあらば払子(ホツス)を参らせう。我等も是にて力を添申さうずる 〔狂言ほつすを右のかたにかたげワキの供して出ル。ワキシテ柱の先ニて大皷打の方を見て。次第をうとう内ハ。狂言ほつすかたげて。かたひざ立テ太皷座ニ待て居る。○ワキ(「)なすのゝ原につきにけり ト云時ニ立テ。ワキのうしろへ少出る。ワキ道行過テ(ワキ「)急候程になすのゝ原に着て候 ト云トキ。ワキの右ノ方へ少出テ詞云テ。作物の方見て(狂言「)ありや〳〵 又々〳〵 ト云 ワキ「何事を申ぞ 狂言「いや あれ成大石の上へ。鳫がくひやうて落申て候 ワキ「ふしぎ成事を申かな。さりながら立越見うするにて候 狂言「尤ニ候 ト云ト シテ(「)なふ〳〵 と云ト。狂言シテの方を見て。太皷座へ行テ。ほつすをうしろへたてかけて。((ママ))置其前ニ下ニ居る〕 〔△扨中入ニシテ石の作物の中へ入ル。大小ノ前ニ有り。狂言中入ニ立シテ柱ノ先ニ下ニいて「何と御草臥ニテ候か ト。((ママ))云ながら下ニ居テ〇(「)扨も只今の女ハ ト云テ〕 〔ワキ「汝ハこざかしき者ニて候間。殺生石のいわれ存たらハ語り候へ (狂言)「是ハ思ひもよらぬ事を被仰るゝ物かな。左様の義ハ我等躰の存たる事ニてハ無候え共。思召寄て御尋有を。存せぬと申もいかゝなれバ。承り及たる通り御物語申上うずるト云テやはりワキノ方ミていて語出し。云ながら正面むく。扨語過テ(狂言「)少と此石をかつして御通りあれかしと存る ワキ「さあらバ一かつしかつして通らふずる間。ほつすをまいらせ候へ 狂言「畏テ候 ト云テ太皷座へ行ほつすのゑ中程を両手ニて持右の手ノ方ニさきのほう左りの手の方ニ下ノ方を持テワキの前へ出テ〇(狂言「)さあらバほつすを参らせう ト云テそれなりにおく。扨跡へ開テ下ニいて。(狂言「)我等も是ニて力を添申さうずる と云テ。又太皷座ニ下ニイルト。ワキほつすをつきて立テ〕 〔△春藤家ニテハほつすのおきようにいんようあると云習なり〕 〔(狂言)「是ハ思ひもよらぬ事を被仰るゝ物かな。左様のぎハ我等躰の存じたる事にてハなく候へとも。此程奥に御逗留の内。人のつれ〳〵の折節咄し申されたるを。旅の御慰にもならうずる間申上うずる〕 〔△ワキト狂言詞云テ。ワキシテ柱ノ先より真中へ出ル時ニ。(狂言「)ありや〳〵又々〳〵 ト云也 又ワキノ流ニより。ぶたいにて次第うとふて(ワキ「)なすのゝ原に付ニけり ト云時ニはしかゝり一の松の他りへ来ルも有り。又宝生流ノワキハ次第道行詞ぶたいにて云。狂言其跡ニテ云〕 〔△ワキノ流義ニより。(狂言「)あれ成大石の上へ鳫がくいようて落まらする。とりて参りおひじの汁に仕らうずる ト云テめいわくがるも有り。其時ハ(狂言「)いや あれ成大石の上へ鳫がくいやうて落申て候 ト云也〕   出立  むしのしめ 狂言袴 脚絆ニてくゝル 水衣 こしおひ こうしすきん 扇 ほつすかたけて出る 〔シテ作物ノ中ヘ入ルト間立テ ○(狂言)「さいせんの女ノ有様ハかで((ママ))んがまいらぬが。先あれへ参らふ ○(狂言)「是ハ思ひもよらぬ事を仰らるゝ物かな。かやうの事ハこなたこそ御そんじ有へき所に。かへつて我等にお尋ハふしんに御座候。しかしながら御なくさミと存候間。かたはし聞及たる通り御物語申さうずる〕   拾七 龍虎 〔観世流語間 僧脇也〕 「是ハ大唐(ダイトウ)に住者にて候。某唐人の中に取つテも。他国の人に通師(ツウジ)を致て世(ヨ)を渡り申が。就夫何国の人か唯今御着の由申間。取物も取あへず罷出た。南蛮(ナンバン)か高麗(コウライ)か但(タヽシ)又(マタ)琉球(リウキウ)人ニても有か。どの国の人ぞ参りテ見申さうずる 「いや かた〴〵ハ此他りにてハ見馴不申候が。いづくの人にて渡り候ぞ 「是ハ思ひもよらぬ事ヲお尋被成るゝ物かな。我等も所に住者とハ申ながら。龍虎の戦(タヽカイ)と申事。昔より慥ニ有物の様ニ承り及候へ共。眼前(ガンゼン)に見申為((たる))事ハ無御座候。乍去旅の御慰の為に。古き人の咄申されたるを爰かしこ語テ聞せ申さうずる 「又龍虎の戦と申事ハ。龍ハ常にいづくに有とハしらね共。雨を降(フラ)せんと思ふ時ハ正敷(マサシウ)うかたちを顕(アラ)し。供水忽降下(コウスイフリクダ)ル。左有ニ仍テ以性(イニシヘ)より上り龍下り龍是なり。又虎ハ千里が野辺を住家として。竹林の巌洞(カントウ)ニ身をうづくまつて隠れ住ム。然ル所にいをあらそわんと思ふ時ハ。あの向ひの高山の上より黒雲みち〳〵天(テン)光稲妻(イナツマ)頻成(シキリナル)折節。あの竹林(チクリン)の巌洞(カントウ)よりもうこ悪風(アクフウ)を吹かけ飛出れバ。金(キン)龍かたちを顕し(アラハシ)角をとぎ。虎をまかんとうづもふを。もうこハ一口にくわんと飛ンデかゝる。互(タカイ)ニ土をうごかし勢を論フ(アラソウ)。昔より龍(リヨウ)虎(コウ)の戦(タヽカイ)と申伝(ツタヘ)候。最前(サイセン)も申如(ゴト)ク委(クワシキ)事ハ存も不致。先我等の存為ハ如此に候が。扨何と思召寄龍(リヨウ)虎(コウ)の戦(タヽカイ)を御尋有為ぞ不審(フシン)ニ御座候 ○「是ハ寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。扨ハ承及為ル龍虎の戦を。かた〴〵に御目ニ掛可申と存シもうこ仮りに山賤(ヤマガツ)と現シ。声詞を替し為かと推量致す。是と申も御僧の御心中貴う座すにより。有難御法りに預(アツカ)り。畜類(チクルイ)苦(ク)をまぬかれ度思ひ。顕出為かと存ル間。さあらば傍(カタハラ)に御身を隠し給ひ。彼戦を御覧あれかしと存ル 「左様に候ハヽ。我等も片影(カタカケ)より卒(ソ)度(ト)のぞき申さうずる 「心得申候   狂言 出立 じゆばん かるさん 官人頭巾 髭懸ル 唐団か又扇ニても 同ハ唐扇よし 〔御城ニテ大蔵弟子ハ長上下 小サ刀ニテ云 (「)是ハ此他りに住ひ致者ニテ候 いや 是成お僧ハ 常ノ通」〕   同 〔下懸ノ間 雷上ニテ出ル〕 (「)か様に候者ハ。此国の傍(カタワラ)に住者にて候。爰ニ珍敷クおもしろき事出来候 其子細ハ。龍虎の戦の御座候。龍ハ虎を呑ンとすれバ。又虎ハ龍をくわんと致す。誠に是にて〔ニン〕げん(人間)くわぎうの論(ロン)ニ似(ニタ)り。惣じて海中(カイチウ)の鱗(ウロクス)山谷(サンヤ)の獣(ケダモノ)其数はかりなしといへど。中ニも龍ハうろこの司と云位の高ひ物なれば。忝も天子にこん龍の御衣とて。御紋に龍を第一と織付ケ。御眼(ヲンマナコ)をも龍顔(リヨウガン)といゝ。其上色取飾(カザル)御顔(ヲンカヲ)を龍がと名付ク。又虎ハ常に竹(チク)林(リン)を住家として。人間のすぐ成者にたわむれ。誠に仏法のあきらか成事をしつて羅漢(ラカン)に仕へ。四睡(ラ)の内ニ入と申ス。金龍雲うがつてもうこ遠山に風をいだす。爰を以龍吟ずれば雲をこり。虎うそ吹バ風せうずと。則たとゑにも申習す。誠にか様の御代に生合ヒ。我等ごときの者迄も。かゝる気毒((奇特))成事を見物仕ル様な大慶な事ハ御座らぬ。いや又漸々(ヨウ)龍虎の戦の有哉覧。大風ふきあれ成高山より黒雲が出たぞ。皆々心をしづめて見物あれ。構テ其分心得候へ〳〵   出立  厚板 そばつぎ 狂言袴 きや半 こしをひ 扇 官人ずきん   拾八 雷電 (「)か様に罷出為((たる))者ハ。比叡山(ヒヱイザン)延暦寺(アンリヤクシ)の座主。法性坊(ホツシヤウホウ)の僧正(ソウセウ)に仕へ申能力にて候。去程に我等の是へ出る事別の義にあらず。此程大内よりの宣旨(センジ)ニハ。頼申御方に急御参内あれとの御事ニテ。頻(シキリ)ニ勅使(チヨクシ)立申故。則只今昇殿(シヤウデン)を被成るゝ其子細ハ。爰ニ延喜(アンキ)の臣下菅承相(シンカカンセウ)と(※)申ハ〔※〇((朱))トカ承ルハ。元より知恵才かく諸人にこゑ。しいか官見((管弦))いうしよくの事ハ申に及バず。何事もくらき事のなきにより。大臣の大将に△((朱))〕当始風月の本主文道の大祖たり。天にお在シテハ日月ニ光を顕し。地に降ツテ塩梅の臣となつて。詩哥管絃有識の事ハ申に不及。智恵才覚諸人ニ越へ。何事も闇(クラキ)事なければ。右大臣の〔〇次△((朱))〕大将に叙せらるゝ(ニンジタモウ)。され共其比悪心の佞人(ネイジン)有ツテ。無実(ムシツ)の罪(ツミ)にふせられ給ひ〔○((朱))〕昌泰四年正月二十日〔〇次((朱))〕九(ク)州(シウ)大(ダ)宰(ザイ)苻(フ)へ流(ナガサ)れ給ふが。明暮(アケクレ)配所(ハイシヨ)の思ひに沈(シツミ)終(ツイ)に空敷(ムナシク)成給ふ。左有に仍テ讒言(ザンゲン)の輩(トモカラ)を悉(コト)ク亡(ホロボ)シ。本意(ホンイ)を達(タツ)し度思召ス。就夫(ソレニツキ)奇特(キドク)成ル事の候ぞ。此間僧正の法味を延(ノベ)給ふ折節。深更(シンコウ)ニ望(ヲヨン)で妻(ツマ)戸(ド)を扣(タヽク)ク音(ヲト)セリ。不思義((議))に思ひ扉(トボソ)を明て御覧ずれば。菅承((丞))相すご〳〵と立給ふを。先内へ御入あれと請(シヤウ)じ参らせ。御身ハ正敷(マサシク)ク筑紫(ツクシ)にて後世(コウセイ)し給ふと聞つるが。此(コノ)世(ヨ)の見参(ゲンザン)ハ無覚束(ヲホツカナシ)と仰られければ。承相泪(カンセウナミタ)を(ヲ)流し(ナカシ)宣ふ様(ノタモウヨウ)。誠に三世(サンセ)の(ノ)契(チキ)り深(フカキ)故(ユヘ)。今更(サラ)かやうにまみへ申なり。迚(トテ)も(モ)師弟(シテイ)の御情(ヲナサケ)に。偏(ヒトヘ)ニ頼申可子細有り。我(ワレ)凡天(ボンテン)の御免(ユルシ)を蒙り雷(ナルイカヅチ)となつて内裏(ダイリ)に乱入。讒言(ザンゲン)の雲客(ウンカク)を亡(ホロボス)べ(ヘ)し(シ)。其時僧正を召るる共参内をとめ。我本望を達しさせ給ハヾ。一入の御芳志(コホウシ)可為と申されけれバ。頼うだ人被仰るゝハ。たとひいかやう成勅(チヨク)諚(セウ)成共二度迄ハ参ルまじ。宣旨たび〳〵に重(カサナ)らバ。普天(フテン)の下に住身の。勅(チヨク)をバいかでもれかたければ。参内可有由宣(ノタ)ふ(モウ)。其時菅承相の面(メン)色(シヨク)俄に変(ヘン)シ(シ)。仏前の柘榴(ザクロ)ヲ取テかミくだき。妻戸にくわつとはきかけ給へバ其侭(ソノマヽ)火(クワ)焔(ヱン)となつて炬(モヘアガル)ル。僧正ちつ(スコシ)ともさわ(モサハギタマハズ)かせ給ハず。頓而灑(シヤ)水の印(イン)を結(ムス)ばせ給へバ。火焔(クワヱン)ハ消(キユ)ル烟(ケムリ)のまきれに承相ハ。其侭暮に失給ふ。左有ニ仍テ内裏(ダイリ)より僧正に急御参内あれとの勅により。先拙者にハ此巻数(クハンシユ)を持御先へ伺公致せとの御事なれば。取物も取不敢是まで罷出た。急で参らうずる 〔ト云テ道行〕 か様に頻(シキリ)に僧正を召も。定て是ハ菅承相のしよいと見へた。さりながら頼申人の御参内あらば。少も別義ハ有間敷と存ル。荒不思義((議))や。九重ゑ近付ニ随(シタカ)ツテ雲の気色(ケシキ)が替りたよ。さればこそ殊の外の高(カウ)水かな。何と致〔イ〕てよからうぞ。いや〳〵我等の力にてハ中々成間敷候間。暫此所に待あわせ僧正の御供仕らうずる。さあらば此辺の人々を頼ミ申ぞ。座主の御坊の御出と申さバ拙者ニ御知らせあれ。構ヘテ其分心得候へ 〳〵〔(「)拙者に御しらせあれ おの〳〵を何やうにも頼申そ 相かまへて其分心得候へ 〳〵 トモ云〕   出立  無地のしめ 狂言袴 きや半 腰帯 こうし頭巾 くわんず持出ル クワンスト云ハ茶ノ湯ノ釜ノ事ナリ 〔比叡山延暦寺建立ヨリ宝永三年迄九百十九年 伝教大師八百八十五年〕   拾九 鞍馬天狗 「是ハ鞍馬の西谷に住者ニテ候。毎年の事とハ申シながら。何(イツレ)の春よりとり分当年ハ花が見事にて。今を盛りなれば。東谷の僧正へお文を持お使に参る。急で伺公致さうずる〔ト云テ道行〕か様の折節我等も遊山仕らふずると存れバ。心が飛立様ニ嬉敷う御座ル 〔此内ニ子方二三人トワキ出ル〕 いやはや是へ御出被成たよ。いかに申〔候〕。西谷より御文の候。急で御覧ぜられうずる 〔ト云テ文ヲワキのそばへ行持テいて渡し其そはにかたひさ立テ待テイテ子方ワキふたいへ通ルト其あとより付テ出テ太皷座ニ下ニイル 又文ヲ渡しすくニも太皷座ニイル事も有り 小謡過テワキよひ出ス〕 「御前ニ候 「畏テ候 〔小舞〈いたいけ〉か又ハ〈一天四海なミ〉まう 其内ニシテ舞台ヘ出ル〕 扨もけうがつた人が是へ来りた。此由申上うずる。いかに申上候。此お座敷へ見馴ぬ客僧が参られたが。引立申さうずるか 「苦からぬ事追立まらせう物を 〔爰ニテ子方ワキ立〕 いや其侭爰て御覧ぜられゐて 〔ト云なから皆々楽屋へ入ヲ見をくりテ扨シテ柱ニテ〕 是程しうだお座敷を妨(サマタクル)ニ。あの客僧を某がまゝならバ。是々を二三十戴(イタヾカセ)せたひよ 〔にきりこふしをしてはるまねをして楽ヤへ入ル〕   中入間〔雷上ニテ出ル〕 ヲモ「か様に罷出為((たる))者ハ。鞍馬の森ニ住小天狗ニテ候。去程に何も春にもなれば花見とて。都人爰かしこに群集(クンシユ)をなす 〔ツレ出ル せきばらい〕 いやわごりよハ何と思ふて出さしました ツレ「そなたがあわたゝしうでさしましたに仍テ何事かと思ふて是まで付て出たよ ヲモ「扨ハわごりよハ此度の様子をしらぬか ツレ「いゝやしらぬ ヲモ「夫ならバ咄テ聞せう 聞しませ ツレ「心得た  ヲモ「此程ハ鞍馬の西谷の花今を盛にて。一山の人々木本(キノモト)に集(アツマ)り遊(イウ)舞(ブ)をなすを。頼申大天狗は浦山敷(ウラヤマシク)思はれ。山伏の姿になつて今の花見の座敷へ御出あれば。疎忽(ソコツ)成者が追立うずると云を。其中に古老の仁の申さるゝハ。源平両家の童形(ドウキヤウ)達(タチ)の御座候中へ。尤外(グハ)人ハいか〔が〕なれ共人を撰(エラム)に似れば。花をば明日御覧あれとて一度(イチド)を其座を立給ふ。其跡に沙那(シヤナ)王(ヲヽ)殿(ドノ)と申児(チゴ)一人残り給ひ。客僧に近寄ツテ花御覧ぜよと有を。頼申御方ハ少仁の御詞に懸り。心(コヽロ)の(ノ)優(ヤサシキ)人かなと奥床敷(ヲクユカシウ)う思われ。夫より彼方此方え御伴(トモナ)ひ有り。吉野初瀬の事ハ申に不及。比良(ヒラ)や横川(ヨカハ)の遅(ヲソ)桜(ザクラ)迄不残見せ給ひ。君ハ元より源家の大将なれば。兵法(ヒヨウホウ)の大事を悉(コト)〔ク〕伝(ツタヘ)申。平家を安々と亡(ホロボサン)為(タメ)に。僧正が谷にて兵法(ヒヨウホウ)を御相伝(コソウテン)有〔ル〕。就夫我等ごときの小天狗ニも参。少人(セウシン)の討(ウチ)太刀致せと有程に。日比稽古仕たる奥の手を取出シ戦共。誠に蝶鳥のごとく飛かけり。結句(ケツク)ハ某が切れさうで浮雲(アブナイ)程ニ。我等ハ中々成まひと思ふが。わごりよ〔ハ〕いて少ト譍答(アイシロウ)て見よかし ツレ「そちが分でハ成まひ 某あひしらふて見よう。なんのならぬと云事があらふ。さらバ持て参らう ヲモ「心得た 〔ツレ竹杖ニテ打テクル ヲモ請ル〕 是々。此かげんぢや ツレ「其通りじや ヲモ「是をバ引ずは成まひ ツレ「いかにも引ずハ成まい ヲモ「わごりよから打テきた程にそちへひけ ツレ「心得た 〔ト云テ杖ヲ引ときにかたを打テ〕 ヲモ「ちやうと参た ツレ「あいた〳〵 ヲモ「いや〳〵其ぶひやうしでハ中々成まひ 〔ト云テ幕方ミテ〕いやあれを見れバ師匠の御出と見へて。大風吹谷峯迄も震動(シンドウ)するに。少人の御稽古なくてハいかゞな。只急で喚出し申さうずる いかに遮那(シヤナ)王(ヲヽ)殿(トノ)〳〵   初能 力出立 無地のしめか又ハ嶋ノ物ニテモ 狂言袴 腰 帯 十徳 ごうし頭巾 扇   後間 天狗二人 厚板 水衣 狂言袴 脚伴((絆)) こしおび 鳥ノ羽頭巾又ハ官人頭巾ニテモ 鳶ノ面か又ハうそふきけんとくヲかける 二人トモニ竹つへを持 〔鞍馬本尊多門天脇立ユゲ女院吉祥天女 寺建立より宝永三年迄九百十一年〕 〔観世左近一世ノ時シテ白頭くわらじゆず持木ノ葉ノ枝づへ〕   廿 是界 「か様に罷出為(タルモノ)ハ。叡山〔〇((朱))〕居((飯))室〔〇次((朱))〕の僧正に仕へ申沙(シヤ)弥(ミ)にて候。去程に我等の是へ出ル事別の義ニても御座なひ。先大唐(タイトウ)の天狗の首領(シユリヤウ)善界坊。此年月つく〴〵と思ハるゝ様。我国震(シン)旦(タン)において。慢心(マンシン)の高僧(コウソ)数多有とハいへど。皆我か道に誘引(ユウイン)せずと云事なき((マ)き(マ))。仏法(ブツホウ)東前(トウセン)と聞時ハ心に懸ル間。いか様一度〔ハ〕日本に渡シ。仏法ヲ妨(サマタゲ)ン(ン)ト工匠(タクミ)しが。其心中を耕(タガヘ)ず此秋津(アキツ)洲(ス)に来ル。乍去太郎房と云不合(イヽアハセス)ハ成間敷と存ジ。〔先〕愛岩(アタコ)山ニ行案内と被申るれバ。太郎房ハ出合此方へ請(シヨウ)じ被レ申。扨只今ハ何の為の御出ぞと尋られし時。善界答(コタエ)テ申様。唐土においてハ育(イ)王山(ヲヽザン)青(セイ)龍寺(リウジ)槃(ハン)若(ニヤ)台(タイ)に至る迄。悉(コト)ク摩(マ)道(ドウ)へ引なし申たるが。誠屋(マコトヤラン)日本ハ未仏法(イマダフツホウ)盛(サカリ)成由申間。旁(カタ)も御同心においてハ。我(ワカ)行徳(キヨウトク)をも見せ申さうずるとの給へバ。太郎房下(シタ)心にハ同心被申ねども。某の事ハ委細心得存ル。又あれに見ゑたるハ比叡山とて。我(ワカ)朝(チヨウ)の天台山(テンダイサン)にて候間。先あれへ御出有て。心のまゝに伺(ウカヾ)ひ(イ)御申あれと宣(ノベタマ)へば。善界ハ祝(ヨロコヒ)愛岩((宕))山を立出る。仏法の事ハ申に不レ及。先(マス)王法(ヲヽホウ)を妨(サマタげ)ン(ン)〔ト〕致すを。僧正に御出有りて御祈祷(キトウ)あれとて。度々勅使(チヨクジヨウ)立申により。則御参内(ゴサンダイ)被成ンと思召せど。流石(サスカ)頼申人の御出の事なれば。御車(ヲンクルマ)の牛(ウシノ)飼(カイ)のなどゝ有りて〔〇((朱))〕次第〳〵の御供役人の被仰付。彼方此方と御用(ヲン)繁(ヒマノ)に(イリ)仍テ〔〇次((朱))〕遅(ヲソ)り(ナハリ)給ふも無余(ヨキ)義(ナキ)次第ニ候。然リといへ共王土(ヲヽド)に住身の。勅諚(チヨクシヨウ)を油断有リテハ空(ソラ)おそろしきに。縦(タトイ)僧正ハ今少遅(ヲソク)ク共。先此巻数(クハンシユ)をさへ御寺(ミテラ)を出せ(イダセ)ば。早(ハヤ)捧(サヽ)ケ申たるも同御事なる間。拙者ニ早々に持て参れと有ニ付。取物も取(トリ)不敢(アヱス)是迄罷出た。急で伺公致さうずる〔ト云テ道行〕 誠に珍敷からぬ御事なれど。先我朝ハ天地(テンチ)開闢(クハイヒヤク)より神国なれば。霊神(レイシン)国々に地をしめ御入有を。如何(イカ)に摩(マ)群(グン)の是界成ト云共。聊尓に妨(サマタク)ル(ル)事ハ成間敷と存ル。荒不思義((議))や今迄能天気が俄に雲(ソラ)の気色(ケシキ)の替りたが。是ハ何と仕たる事ぞ。殊に旋(ツジ)風が吹て跡(アト)へも 〔橋かゞりの方ヲミル〕 先へも〔正面ノ方ヲミル〕 ゆかれそもなひ。実と今思ひ出した。彼是界とや覧ハ神通(シンツウ)を得て。大内へ御参有事を存じ早(ハヤ)魔(マ)の態(ハザ)をなすと見へたよ。夫ならバ我等の一人すゝんで先へ伺公致事はこわ物ぢや〔爰元ニテ〕頼うた人を待御供仕らふずる。然らば此辺の人々を頼申ぞ。然(コレ)ハ僧正の御出あらバ我等に御知らせあれ。相構て其分心得候へ 〳〵   出立  無地のしめ 水衣 狂言袴 こしをび きや半 ごうし頭巾 扇 くわんずヲ持   廿一 石橋 ヲモ謡〽影降((向))の時節も今幾程かよもすきし〽 詞是ハ此他り近(チカ)き深(シン)山(ザン)ニ住小天狗ニテ候 〔爰ニテツレ四人出ル せきばらいをする〕 わごりよ達ハ何と思ふて出さしました ツレ「そなたかあわたゝしう出さしましたに仍テ。何事かと思ふて皆是迄ついて参た ヲモ「わごりよ達ハ此度の様子をしらぬか ツレ「いゝやしらぬ ヲモ「夫ならバ語て聞せう 先第(ダイ)日本(ニツホン)国(コク)大江(ヲヽヱ)の定元(サダモト)といわれし人。出家(シユツケ)し今ハ寂(シヤク)照(ゼウ)法師(ホツシ)と成。此度(コノタビ)入唐(ニツトウ)渡天(トテン)シ此石橋ニ望(ノソミ)。去程に国土(コクド)世界(セカイ)ニおいて橋の数あまた有とハいへど。中にも此石橋と申ハ人の渡せる(〔カケタル〕)いしばしにて〔モ〕なし。只おのれと出生したる橋にて。其長サ廿三町(〔三丈アマリ〕)ニ及。横の広サ(〔せマサハ〕)尺にもたらずせまくそりたる所〔ヲ〕。物にたとふれば虹(ニジ)の吹たるごとくにて。雲にそびゑて見えたり。底ハ(ソコ〔シタハ〕)霧(キリ)深(フこウ)して見ゑがたく如何程有も知レ難き。滝の音(ヲト)ハ雲より落るごとくにて。嵐にひゞきおびたゞし。橋の土は(ハ)苔(コケ)むして滑(ナメラ)か成所も有り(〔ル〕)といゑり。されバ此橋に望(〔タチ〕)向ひを見渡せバ。目昏(メモクレ)肝(キモ)つぶれ腰(コシ)も立ず足もふるひ(〔ヱ〕)。中々人間の分にて渡ル事ハ成難し(〔ハカナヒカタシ〕)。されば向ハ(〔ムカイハ〕)文(モン)珠(シユ)の浄土(シヤウド)にて花降(〔ツネニ〕ハナフリ)音楽(ヲンガク)聞へ。目前(モクゼン)のきどく(〔フシギ〕)様々なれば。我も〳〵と望(ノソミ)をなせども橋を見てハ肝(キモ)をつぶし。渡らんと云者一人もなし。如何(イカ)様(ナル)貴(キ)僧(ソウ)高僧(コウソウ)達(タチ)も。此橋の元にて難行苦行(ナンキヤウクキヤウ)をして渡ルと云に。今の寂(シヤク)照(ゼウ)法師ハ。身命(シンメイ)を仏(フツ)ちに(チニ)任(マカ)せ渡覧と云程に。少あれゑ居て摩(マ)の(ノ)来迎(ライコウ)をなして。さまたぎようと思ふが何と有ふぞ ツレ「是ハ一段とよからう ヲモ「さあ〳〵おりやれ〳〵 ツレ「心得た 〔ト云テ道行〕 ヲモ「いかに貴(タツト)き寂(シヤク)照(ゼウ)法師(ホツシ)成と云共。聊尓(リヨウジ)に橋を渡ル事ハ成まひ ツレ「其通りじや ヲモ「扨ゑせ坊主ハどこもとに居るぞ。さればこそあれに見ゆる。扨々殊勝な顔付じや。何と思ふぞ。摩(マ)の(ノ)来迎(ライコウ)をなして。若仏(モシフツ)ばちでもあたれば迷惑(メイハク)な事ぢや。いざやめにせう ツレ「一段とよからう ヲモ「さあらバ此様子をうとふて帰(カヱ)らふ 謡仏法(フツホウ)のさまたげ〽小天狗ハ寄合〽て。ツレ地彼旅人(タビビト)の〔ワキノ方扇ニテスクイサシ〕。信心(シンジン)〔正面ノ方ムク〕のおこさんに〔目付柱ノ方ヘ行〕摩(マ)の(ノ)来迎(ライコウ)をなして(一一)我が道に引いれんと。〔ツレノ方両方ヲミル〕談合(ダンコウ)申せバ若仏(モシブツ)ばちにて〔正面ヘ出テ開たる扇打込テ上ル〕御かうの光りが〔ハガハナヘユヒサシ〕我身の〔上ノ方アヲグヨウニシテカルク二ツ三ツ〕ねつてつとなりや(一引)せん〔トビアカリカタヒサ立下ニイル 夫ヨリ立テ左リヘ小廻りして〕。其上天狗ハ鼻の長き阿弥陀(アミダガ)が〔正面ムクト〕いもせか弾指(ツマハジキ)の〔左ノテノヲヤユヒト人サシユヒトニテハジキ〕。あたらぬさきにはずさんと(上一入)〔キリカヘシ〕〳〵夕間(ユウマ)に〔サキヘ出テアトヘ引〕かきくれて〔ユウケイ二ツ三ツ〕失(ウセ)に〔ヒヤウシ弐ツかるく〕けり 〔〇(「)夕間にはやきへてうせにけり 共云 是ハ宗元((玄))ノ御書候謡の留なり 〇昔ハ〈石橋〉ノ間流義((儀))ハ仙人也 元禄十二年ノ比了寿伝右衛門殿代より天狗ノ間ヲ相勤申候 夫より仙人間ハ替間ニ致候  〇左ニこまかに書入候ハ昔ノ仙人間見合書入置候〕   ヲモ 間 厚板 狂言袴 脚絆ニテ括ル そばつき 腰帯 鳥羽頭巾 面とび 扇   ツレ 間四人出ル 厚板 狂言袴 脚絆ニテ括ル 水衣 腰帯 官人頭巾 面うそ吹見徳之内ヲカケル 扇    喜多七太夫 御城ニテ〈石橋〉相勤候時中入早鼓 仙人一人 厚板 かるさん そばつき 上に水衣 こしおひ 末社頭巾 面上り髭 竹杖 〔△観世左近一世ノ時初ノシテ童子ニテ勤ル 〇謡ニ橋ノ長サ 三丈余ト有 中入ノ謡ハ(「)ようごうのじせつも今いくほどによもつきじ 間過テ作物ヲ出ス〕 〔△仁右衛門方ニテハたまつて出テシテ柱のきわかたひざ立テ下にいてふたいの方をのそきてそれよりうたひ出ス 夫よりぶたいへ出ル (「)たび人 ですくいさし夫より左りまわり(「)ここうのひかり デ正面の上の方を二三ツあをぐ 夫よりくわつしする (「)はなのなかき ハ我はなへゆひざし(「)あミたかいもせか ト云時ニひやうし五ツふむ とめ時ニひやうし一ツふむ〕 〔△謡はやしなし〕   廿二 大会 ヲモ「か様に罷出為((たる))者ハ。忝も比良野(ヒラノ)々峯に住給ふ。次郎坊の御内成溝(ミソ)越(コヘ)天狗ニテ候。去程に我等(ソレカシ)の是え出(〔コヽヘマカリ〕)ル事別の義ニても御座なひ。夫をいかにと云ニ。 〔爰ニテツレ二三人モ出ル うしろよりせきばらいおする〕 いやわごりよ達ハ何と思ふて出さしました ツレ「そなたがあわたゝしう出さしましたに仍テ。何事かと思ふて皆是迄付て参た ヲモ「扨ハわごりよ達ハ此度の様子をしらぬか ツレ二人「いゝやしらぬ ヲモ「夫ならバ語テ聞せう程に聞しませ ツレ「心得た ヲモ「先頼申次郎房ハ。先度(センド)鴟(トビ)になつて洛中(ラクチウ)洛外(ラクカイ)を飛行(ヒキヨウ)自在(ジザイ)に飛(トビ)翔(カケ)り。都(ミヤコ)東北院(トウボクイン)の他りの事成に。大きな蜘(クモ)の(ノ)家(イヘ)の有ニ行(ユキ)懸(カヽ)り。切もきられず馳(ハズヽ)も不レ馳(ハスサレ)して(シテ)。中にかゝつてまぢ〳〵として居給ふ〔ヲ〕。童部(ワランベ)共が是を見付テ。爰な蜘(クモ)の家に鴟(トビ)こそかゝつたれとて。頓而鴟(トビ)を取其侭(ソノマヽ)羽根(ハネ)を貫(ヌコ)う(ウ)と云者も有。いや唯しめ殺(シメコロセ)などゝ云者も有所へ。比叡山(ヒヱイザン)の僧正(ソウセウ)の通りて御覧ぜられ。元より慈悲(ジヒ)深(フカ)き御方なれバ。其鳥を我に得させよと被仰。今の稚(ヲサナキ)者共にハ扇(ヲヽギト)数珠(ジユス)を被下。自鴟(ミツカラトビ)を請取蛛(クモ)の家を能取テ。其侭(ソノマヽ)お放(ヲハナ)しやつたれバ。二ツ三ツ身揮(ミブルイ)をして頼うだ人ハ被帰(カヱラレ)たが。なんぼうあぶなひ事でハなひか ツレ「誠に是ハあぶなひ事ぢや ヲモ「扨次郎房ハ此御恩(ゴヲン)の報度(ホウジタク)思われ。客僧の姿に身をなして。僧正の法味(ホウミ)を延(ノベ)給(タモ)ふ(ウ)折節参り。日外(イツソヤ)我等が一(イチ)命(メイ)危(アヨウ)ク見へしところに。御哀(ヲンアハレ)ミにより命助り申御芳志(ゴホウジ)に。何にても御望の有ルにをいてハ。刹那(セツナ)が(ガ)間に叶へ申さうずるとあれば。山伏の命助たる事未覚へぬ由御申有を。都東北院(トウホクイン)の憐(アタリ)の由申さ〔ル〕れば。扨ハ其時の鴟(トビ)ハ天狗ニテ有つるよと。そこで思ひお当(ヲワタ)りやつた所デ。我何事も此世ニ望ハ無シ乍去。釈尊(シヤクソン)霊(リヤウ)鷲山(ジユサン)にて御説法(ゴセツホウ)有為(アリツル)様躰(ヨウダイ)。眼前(モク〔ガン〕セン)にをいて見まくほしきと宣(ノタ)ふ(モウ)を。安き間の御事刹那(セツナ)が間に。学(マナビ)テ御目ニ懸うずるとて御帰有が。其(ソノ)釈迦(シヤカ)の法談(ホウダン)とや覧ハ。五百(コヒヤク)羅漢(ラカン)の(ノ)御弟子(ミデシ)。菩薩(ホサツ)の数多(カツアマタ)入と有ルが。皆々にも何ぞ一役請(ヒトヤクウケ)取(トレ)と(ト)あらば。面々ハ何にならふと思ふぞ ツレ「某ハ阿難(アナン)にならう ヲモ「いや〳〵其方〔ノ〕様な知恵(チヱ)もなひ者ハ成まひ。阿難(アナン)ハ御弟子(ミデシ)の中でも知恵(チヱ)第一の人じやよ 又ツレ「身共ハ目連(モクレン)にならう ヲモ「何が目連(モクレン)ハ神通(シンツウ)第一の人じや。其方が様な者ハ成まひ。あまのじやくにならしませ 又ツレ「いかに身共でも。踏(フマレ)られて居る事ハ成まひ ヲモ「夫ならば何がよからふ。とかく色々打寄て分別せう。是へ寄しませ 二人「心得た ヲモ「笑敷(ヲカシキ)天狗(テング)ハ寄合て〔太皷打返シテ〕二人地「おかしき天狗ハ寄合て。何仏(ナニボサツ)か(ニカ)〔両方ヲミル〕ならうやれと。談合(ダンコウ)するこそおかしけれ ヲモ「愛岩(アタゴ)の〔ツヘツキナカラ正面ヘ出ル〕地蔵にゑ成まひ。地大峯(ヲヽミネ)〔杖ニテサシ〕葛城(カヅラキ)ハ〔廻シソレヨリヲロシ身ニ付テ右ヘ廻ル〕法喜(ホウキ)菩薩(ホサツ)。是(コレ)亦(マタ)大事(ダイジ)の仏なり。能々〔ツヘヲ前ヘヨセ左ノ手ヲ上ニノセツムリサケテ〕物を案ずるに。堂(ドウ)〔目付柱ニてスイテサシ〕の角(スミ)成ル。賓頭慮(ビンヅル)ニならんと。〔大臣柱ノ方ヨリ目付柱ノ方サシ廻シ〕皆(ミナ)紙(カミ)衣(ギヌ゙)を拵(コシラヘ)テ。〔キリカヘシ 左ヘ小廻して〕皆紙衣を〔左手開テ左ノアトサス〕着つれつゝ〔杖ニテ右アトサス〕。ごそり〔身ぶるいをヲ二三ツして〕〳〵と。〔カタヲスボメテ〕帰りけり( 〔〇 〇〕)   ヲモ 間 厚板 そばつぎ 狂言袴 こしをひ きや半 官人頭巾 うそふき 竹つへ   ツレ二人ハ水衣 つゑなし 扇 うそけんとくの内 〔同勢ヲ先へはいらせてシテ一人跡に残りとめても不苦候 口伝有り〕 〔△狂言間ノ太皷一調ト云ハ〈大会〉ノ謡ノ事也〕 〔△釈迦十大弟子之事 〇頭陀第一迦棄((葉)) 〇多聞第一阿難  〇智恵第一舎利弗 〇解空第一須菩提 〇密行第一羅睺羅  〇説法第一冨楼那 〇神通第一目蓮 〇論義第一迦栴延  〇天眼第一阿那律 〇持律第一優婆離〕 〔〈大会〉間語仕舞付仁右衛門二男音次郎左近一世ノ時是ハ書違申候 弟子今七右衛門間ヲ勤也  (「)愛岩((宕))地蔵 ト云時むかふをさし 〇(「)大ミねかつらき ハさし廻し 〇(「)よく〳〵物をあんするに たつはいする 〇(「)とうの角成 ハ大臣柱をさし 〇(「)皆紙きぬ ハさし廻し切返し 〇(「)きつれつゝ ハ左右両の袖を二三度打合テ 謡ノ内アト二人ハ跡ヘ行テイル〕   廿三 葛城天狗  ヲモ「是ハ和州(ハシウ)葛城(カツラキ)山に住溝(ミソ)越(コヘ)天狗ニテ候 〔ツレ二人出ル セキハライヲスル〕 いやわごりよ達ハ何と思ふて出さしました ツレ「そなたがあわたゝしうでさしましたに仍テ。何事かと思ふて皆是迄付て参た ヲモ「扨ハわごりよ達ハ此度の様子をしらぬか ツレ「いゝやしらぬ ヲモ「夫ならば咄テ聞せう 聞しませ ツレ二人「心得た ヲモ「去程に役(ヱンノ)行者(キヨウジヤ)嶺(ミネ)を(ヲ)踏(フミ)分(ハ)ケ(ケ)。大峯葛城山ニておこなわせらるゝを。頼申大天狗心に思ひ給ふ様。役(ヱン)の(ノ)優(ヤサ)姿(スガタ)塞(ヒソカ)に我(ハカ)住家(スミカ)を浅間に被成てハいかゞと思召。色々㝵(ケ)縛(バク)シ妨(サマタゲ)給へど。役(ヱンノ)行者ハ通力ヲ得ル人ニテ。あそこへハ指出爰へハひよつとぬけ。何共妨(サマタゲ)が成(ナリ)そむ(ソモ)なひ(ナイ)程に。せめて先達(センダツ)成共魔道(マドウ)へ引入ンとて。葛城山の岩窟(ガンクツ)にて勤をなす所へ。魔(マ)群独(グンヒトリ)被遣。御身ハ何国の法力ヲ得。いかばかりの慢心(マンシン)を俱(ク)属(ソク)せし。其妄念(モウネン)ハいかな覧とあれば。先(セン)達(ダツ)は頓而(ヤガテ)心得て被申ける様。我行徳を妨(サマタケ)ン(ン)為ニ。魔群(マグン)の霊(レイ)鬼(キ)来ルか名乗(ナノレ)と云シ程に。此山に住(スム)大天狗の眷属(ケンソグ)じやが。師匠へ申さんとて(アイダ)暫待給へと有折節。頼申御方ハ●(ヲヽ)●(コエ)ヲ上テ帰れと被仰た。此上ハ大天狗の自身御座らずハ成まいが。其間に何とぞして妨て見とうハなひか。ハごりよ達ハ何と思ふぞ。是を魔道(マトウ)へ引なせバ皆の手(テ)幹(ガラ)に成事ぢや ツレ「其通りじや ヲモ「左有ハ一刻も早う碍に行う こふをりやれ ツレ「心得た ヲモ「先またしませ ツレ「何事ぞ ヲモ「いやよふ思ふて見るに我等か様な溝越天狗の分として聊尓に妨(サマタゲ)たてをして帝釈(タイシヤク)のとがめに逢うてハこわ物ぢやニ仍テ是ハ止にせう ツレ「是ハ一段とよからう ヲモ「夫ならバ皆の心に想う事を倡(イザ)諷(ウト)ふ(ウ)て帰らう ツレ二人「一段とよからう ヲモ「〽溝越天狗の好にハ〽〔太皷打返テ〕ツレ地「〽みそこへ天狗の好にハ。諠(ケン)誮(クハ)口論(コウロン)其外悪気(アツキ)の知識(チシキ)旋(ツシ)風。是等をけばくす時こそ〔心も〕面白けれど。飛行(ヒキョウ)自在(ジザイ)に翔らんとするをり。凡天(〔ホンテン)帝釈(タイシヤク〕)いかり給へハ。力およはずめいわくさに。ひつそとしてこそ帰りけれ〽〔(「)ちからおよばずめいわくさに〳〵 ト返テ謡テよし〕   間天狗三人    ヲモ 間出立 厚板 そばつぎ 狂言袴 脚伴((絆)) 鳥ノ羽頭巾か又ハ官人頭巾ノ内 面鳶又ハ見徳 こしおひ 扇   ツレ 二人出立 厚板 水衣 狂言袴くゝル こしおひ 官人頭巾 面うそふき 〔鷺流ニテハ天狗ニ鳶ノ面ヲカケル 面無之ハうそふきけんとくが吉〕 〔〈大会〉〈石橋〉〈鞍馬天狗〉〈葛城天狗〉何も出立三人トモ同事なり〕 〔〈車僧〉ニハ鳶ノ面ハわるし やはりうそふきの面がよし〕   廿四 車僧 「か様に候者ハ。太郎坊の御内に仕へ申溝越天狗ニテ候。某を何故かく申そなれバ。洛中洛外の大みぞ小ミぞをお((ママ))こゆる事。京(キヨウ)童部(ワランベ)老若共に続(ツヽク)者なくて〔身のかろき事を〕自慢仕たるにより。太郎房の羽先(ハサキ)ニてなてられか様ニ溝越天狗とハ罷成りた。されバ就夫世(ヨ)ニハ不思義((議))成事の有ぞ。爰に車僧とて貴(タツト)き僧の座(ヲワシマ)ス(ス)が。丑(ウシ)も引ず人も引ぬ車に乗りて。山(サン)河竹(カチク)木(ボク)岩石(クワンゼキ)共いわずして。谷峯をも陸地(クガヂ)のごとく飛行(ヒギヨウ)自在(ジザイ)ニ飛歩く(トヒアルク)人の候。左有ニ仍テ我程貴(タツト)き者ハ。三国にも有間敷とまんしんの有を。太郎房にくしと思召。彼僧が今日さが野々他りへ来ルを。頼申御方ハ〔うれしうおもわれ〕客僧に成て行合。いかに車僧と詞を懸給へバ。車僧ハねそ〳〵と何事ぞと答(コト)ふ(ヲ)ル(ル)時。太郎房ハ一首の哥に。浮世をバ何とか廻ル車僧。まだ輪(ワ)の内ニ有とこそと見れと被仰ルれば。彼車僧が返哥(ヘンカ)に。浮世をばめぐらぬ物を車ぞう。法(ノリ)もうるべき輪(ワ)があらハこそとかく申さるゝを。某の推量(スイリヨウ)ニハ。車僧の乗(ノリ)為(タル)車の輪(ワ)の事かと存たれバさわなくして。禅(セン)の(ノ)話頭(ワトウ)と申て一千七百則(ソク)斗(バカリ)有事を。太郎房ハ未讃(イマダサン)ぜぬと云心にて被仰たれバ。車僧ハ悉(コト)ク讃(サン)して有程ニ。法(ノリ)もうるべき話(ワ)が有らバこそと云ハたそとか様に被仰たを。常の詞かと存たれバ是もた(タ)そ(ソ)の話(ワ)の心にて有実候。時に車僧ハ空(クウ)道(ドウ)風(カゼ)涼(スヽ)ひ(ヒ)ト(ト)。拙者の様成者ハ合点致さぬ事じや。さつてお僧の住家ハ。一所(イツシヨ)不住(フジウ)。車ハいかに。火宅(クワタク)の出車(シユツシヤ)。廻れ(メグレ)と廻ら(メクラ)す引もひかれぬ車僧じや。世(ヨ)の中ハしやうじの引て峯(ミネ)の松。燧(ヒウチ)袋(フクロ)に鶯の声。か様にしれぬ事を半時もたゝかわるれど。問(トヒ)つ(ツ)答(コタ)へつ請つ流ツ一字淹事(トヽコウルコト)の(ノ)なけれバ。頼申人の思召様ハ。か様〔ノ〕貴き僧に聊尓に詞をすごしてハと思(ヲモ)召(ハ)れ。立のき給わん詞の由なくて。我住む方ハ愛岩((宕))山。少と太郎房が庵室(アンジツ)にお尋あれと云もあへず。其侭(ソノマヽ)飛テ帰り給ひ。我等の木末に遊山仕為ヲ。急であれへゆき車ぞうを辞(ナブツ)て見よと申さるゝ程に。取物も取(トリ)敢(アヘ)ず是へ罷出た。車僧ハどこ元に居らるゝぞ。参りて見申さうずる 〔ト云テ道行〕 是ハ聞及ふだ僧なれば。常々見たひと思ふたに嬉しい事じや。去りながらどこ元におりやるぞ。いや爰ニじやよ。あぶなひすでに行あたらふとした。先見た所が貴そうな僧じやよ。太郎房も詞を懸(カケ)られたに。某も詞をかけう。いかに車僧〳〵。〔ト云テ笑テ〕 いかな しゝの角(ツノ)を蜂(ハチ)か刺(サイ)た様ニ。卒度(ソツト)も用意(モチイス)ぬ顔ぢやよ。何と致て能らふぞ。思ひ出た。人ハ老たも若ひも。又貴人(キニン)高人(コウニン)も笑(ヲカシ)ひ事ハこらへられぬ物じや。いかに車僧が貴(タツト)ク共こそくらバゑ怺(コラ)へられまひ程に。刮(コソクツ)テ(テ)なり共笑ふ気色(ケシキ)の有ハ。摩(マ)道(ドウ)へ引入た同前じや。急で刮ぐらふ。くツ〳〵〳〵。笑敷(ヲカシ)い(イ)か車僧。面白か車僧。〳〵の。鼻の先を廿日鼠が。どひやう靱(ウツボ)を急度付テ。あなたへハちよろ〳〵。此方へハちよろ〳〵。くつ〳〵〳〵や。ちよろ〳〵やちよろ〳〵。可咲(ヲカ)ひか車ぞう。くつ〳〵やくツ〳〵 〔ト云テワキノそばへ行ク〕あいた〳〵。是ハいかな事。少も笑ふ気色ハなくて。却(カヘツ)テ(テ)爰元をしたゝかにちやうちやくせられた。某の分デ魔道(マドウ)へ入るゝ事ハ成舞程ニ。急デ頼ふだ人を喚出シ申そふ。いかニ太郎坊〳〵   出立  厚板 そばつぎ 袴 きや半 腰帯 鳥羽頭巾か官人頭巾ノ内 面うそふき 竹づへ又ハ水衣ニテモヨシ   廿五 一角遷((仙))人 (「)是ハ天竺(テンジク)波羅奈(ハラナ)国(コク)の他りに住悴(セカレ)仙人にて候。去程に我等の是へ出ル事別の義にあらず。こゝに一角遷(イツカクセン)人(ニン)とて独(ヒト)りの仙人御座(ヲワシマ)ス(ス)。然ルに彼レヲ一角(イチカク)と名付シ子細ハ。姿(スガタ)ハ人なれ共鹿(シカ)の胎内(タイナイニ)宿(ヤトリ)シ故。頭(カシラ)ニ一ツの角生(ツノセウ)シ為((たる))ニ仍テ。則(スナハチ)一角(イチカク)仙人(センニン)と申て。我等ごときの中にも神通(シンツウ)器用(キヨウ)第一の僊人(センニン)ニテ御座候。此仙人雨降(アメフリ)為後(タルノチ)山路(ヤマジ)を通(トウ)られしに。何とかしたりけん濘(スヘリ)テ地にぞ倒(タヲ)れける。一角は神通を得為身の濘(スヘリ)たる事を怒(イカ)り。連綿(ツクツク)と案し居給ひけるが。濘(スヘリ)為事ハ雨(アメ)の降(フリ)為ル故なり。元来(カンライ)雨(アメ)を不降(フラス)ルハ龍神(リウシン)の芸(ゲイ)成りとて。遍(ヘン)諸龍(シヨリヨウ)をとらへて。悉(コト)ク岩の中ニ封(フウ)シ籠(コ)メられし間。夫より国土に雨(アメ)を降(フラ)スべき龍神(リウシン)なけれバ。天下大きに干魃(カンバ)して。人民(ニンミン)の慷慨(ナゲキ)以の外成ニより。帝(ミカド)此由聞召及せ給ひ。いかにもして民の愁(ナゲキ)をのぞかんと思召。諸郷(シヨゴウ)を集(アツメ)僉(セン)義有しに。其中ニも有老(ロウ)臣(シン)すゝみ出て被申けるハ。元来(カンライ)一角通(イツカクツウ)を得たりといへ共。未至(イマダイタ)らぬ所の有にこそ。濘(スヘツ)テ怒(ヲソ)ル心あれバ。ねがわくハ三千の宮女(キウニヨ)の中に。容色(ヨウシヨク)すぐれたらんを一人かの草庵(ソウアン)へ被遣。謀(ハカリコト)を以テ仙通(センツウ)を失(ウシナハ)ハ。天が下豊(ユタカ)ならふずると被申候間。三千第一の扇陀(センダ)夫人(ブニン)と申を。踏迷(フミマヨ)ひ(イ)為旅人(リヨシン)の如ク饗応(モテナシ)仙郷(センキヨウ)へ送り給ふニより。遥(ハル)々の山路を凌(シノギ)傍(カタワラ)を見給へバ。異香(イキヨウ)四方(シホウ)ニ薫(クン)シ香敷(コウハシキ)庵(アン)有り。其辺へ立寄一夜の宿をかるべき由御申被成ルれば。一角ハ驚(ヲトロキ)給ひ。爰ハ人倫(ジンリン)稀(マレ)成所成ニ如何成人ぞと尋られしを。是ハ往来の者成が。山路(ヤマジ)に踏迷(フミマヨ)ひ(イ)参りたり。一夜の宿を借給へと龍(ウチ)鐘(シヲレ)給ふ程に。げにさもあらんとて柴(シハ)の網戸(アミト)を押(ヲシ)開(ヒラ)キ。則内へ入参らせらるれバ。后(キサキ)も斜(ナノメ)ならず悦給ひ。かねて期(ゴシ)為(タル)酒肴を取出シ主(ヌシ)に酒を進(スヽ)メ給へバ。其時一角被申けるハ。夫仙人ハ松の葉を敷木(コ)の葉(ハ)を身にまとひ。葛(カツラ)の露を飲(ナメ)年ハ歴(フレ)共。更(サラ)ニ不老(フロウ)不死(フシ)の此身なれば。酒ヲ用ル事中々思ひも寄ぬと有を。彼扇陀(センタ)夫(フ)人酌(シヤク)ヲ取り糸竹のしらべを奏(ソウ)し給ふ故。一角も岩木ならねバ頓而后(キサキ)ニ心を移(ウツ)シ被申シ程に。仙法(センキヨウ)忽破(タマチニヤフ〔タチマチヤフ〕)れ通力(ツウリキ)失(ウ)せ。酔伏(ヱイフシ)給ふ其内に。封(フウジ)籠(コメ)られたる岩屋の龍神悉(コト)ク出(イデ)ント致間。此由一角に告知(ツケシラ)せうと存ル。先急て参らうずる〔ト云テ道行〕 さすがの一角仙人なれ共。帝(ミカト)のたばかりに仍テ酒をのミ。仙人の通力をうしなわれし事。返々も聊尓(リヨウシ)な事で御座る。参ル程に大方此他りで有ふが。されバこそ是に正体(セウタイ)もない躰でおりやるよ。急此由申さうずる。いかに一角僊人(センニン)慥ニ聞給へ。かた〴〵ハ人間にまじわり酒を用ひ。酔伏(ヱイフシ)給ふ其内。此程封(フウ)じ籠(コメ)られたる岩屋の龍神。悉ク出ンと致間。急酔(イソキネムリ)を醒(サマ)し覚(カク)語(コ)あれ。構テ其分心得候へ 〳〵 〔△金春流そくむ((即夢))の時分より間なしの由〕   間出 立 厚板 水衣 狂言袴 脚伴((絆)) こしおび 官人頭巾 竹づへ 面鼻引又ハうそ吹か   廿六 昭君 〔ライシヨニテ出ル〕 ヲモ「抑是ハ胡(ゴ)国(コク)の主(シウ)韓(カン)邪(ヤ)将(セウ)ニ仕へ申眷属(ケンソク)ニテ候。去程に我等是へ出ル事余の義にあらず 〔ツレ出ル〕 いやわごりよ達ハ何とて出たぞ。ツレ「そなたがよう有げに出たに仍テ。何事かと思ふて是迄出ておりやるハ ヲモ「扨ハ其方達ハ今度の様子をしらぬか ツレ「いや何共しらぬよ ヲモ「わごりよも其通りか 又ツレ「夢にもしらぬ ヲモ「夫ならバ子細を語テ聞せう 聞しませ 二人「急で語しませ  ヲモ「唯今此所へ頼申御方の御出にて候其子細ハ。もろこしこうほの里に伯(ハク)道(トウ)王母(ヲヽボ)と云へル夫婦の民の有ツルが。一人の姫を持。余りに美女成故に帝(ミカト)へ被召。御名を照(セウ)君(クン)と付給ひ。御寵愛(ゴチヨウワイ)限(カギ)りなかりたると申す。去ル間頼申御方と元帝(ゲンテイ)と御(ヲン)軍(イクサ)座(マシマ)シテ(シテ)。すでに韓(カン)邪将(ヤセウ)の勝軍(カチイクサ)ニ成給ふ。去有ニ仍テ元(ゲン)帝(テイ)の方より和談(ハダン)座(マシマ)シ(シ)テ。三千人の后(キサキ)の内一人遣(ツカワ)シ可申と。御約束有りて軍(イクサ)もやむ。元帝(ゲンテイ)思召るゝ様ハ。三千人の后(キサキ)の内。随分(スイフン)見苦敷后(キサキ)を一人被遣べしとて。其時の絵師(ヱシ)毛(モウ)延寿(ヱンジユ)ニ被仰付。三千人の后の絵姿(ヱスカタ)を写(ウツ)させ申せとの御事に候。左有に仍テ三千の后達ハ。彼絵師毛(モウ)延寿(ヱンジユ)の方へ色々賄賂(マイナイ)を遣(ツカワ)シ御申候。然ル所照君斗り何共候事無候ニ付。毛(モウ)延寿(ヱンジユ)ハ是をそねミ。照(セウ)君(クン)の御姿(スガタ)斗悪敷(アシク)絵(ヱ)ニ書(カキ)申候を。帝は三千人の后の絵姿を御覧ずるに。不残(ノコラス)美女(ジン)に書候中に。照君の御姿斗見苦敷書候を。帝(ミカト)も不審(フシキ)ニ思召せど。一旦(イツタン)御約束のある故に。見くるしき照君を胡(ゴ)国(コク)へ被遣ければ。韓(カン)邪将(ヤセウ)ハ嬉敷ク思召。則(スナハチ)王(ヲヽ)照(セウ)君(クン)と名付御申有といへど。胡(ゴ)国(コク)の夷(ヱビス)のおそろしき有様を御覧じ。唯(タヽ)唐土(モロコシ)の事斗御申出シ候いて。終(ツイ)に空敷(ムナシク)御成候。韓(カン)邪将(ヤセウ)も照君の御別(ヲンワカレ)を悲(カナシ)ミ(ミ)。是も空敷ならせ給ひて候。去ル間照君の父母(フボ)是を悲ミ給ひ候間。死後(シゴ)の姿を二度見せ申そうずるとの御事ニ候。左有ニ仍テ我等ハ御先へ参れとの御事に候間。そなた衆もおりやルまいか ツレ「一段とよからふ ヲモ「さあ〳〵おりやれ〳〵 二人「心得た ヲモ「やあ〳〵何と云ぞ。はやくるしミの番と申すか。夫ならバ早ク冥途(メイド)得(ヱ)帰らうと思ふ程に。そなた衆も是へきさしませ 二人「心得た 〔「やあ〳〵何と云ぞ 我等のくるしミの番に当たと云か。夫ならバみ共ハ先へ行程に。わごりよ達ハあとからきさしませ〕   ヲモ 間出立 下ニ厚板 かるさん こしおび 上ニ厚板つぼ折 鬼頭巾 竹杖 面まむきの祖父   ツレ 二人出る 厚板 狂言袴 脚絆 腰帯 官人頭巾 扇面同前或ハ蛭子上リ髭ニテモヨシ 〔△金春流間無シ 中入ニ雷上も早皷も無シニ中入スル〕 〔享保七年十二月水戸様御能之時嶋屋吉兵衛相勤候時中入雷 上有り 右ノ間云〕 〔か様ニ罷出為者ハ漢王に仕へ申官人ニテ候 我等是へ罷出ル事別の義にあらず 此国のかたわらに夫婦の民の有ルか一人の息女をもつ 其名を昭君といふ やうがん誠にびれいにしてようゆふの風にしたこふごとく大こく広しといへ共ほまれをとりたる美女成故漢王聞召及はれ一の后ニそなへ給ふ それのミならず三千人のきうちよをそろへゑいくわを極メ給ふにふしきの事有テ期((胡))国おこつておだやかならず 帝御心のまゝに思召せどもゑひすもてのうちにおもへば此事数年はてずしてくわんぐんのたねハうせ牛馬もたゆる ゑんを持テあつかわせらるゝに一人の宮女をのそむ 帝じひのまなこあきらかにおわしませハ民のわづらいをふかくかなしミぜひなくわたさるへきに極り三千人中にておとれる者をと有し程にゑしにおふせて后の姿をのこさず書す 数の宮女ハしらぬ期国へゆかんをかなしミゑしの方へ忍しのひにいんもつせられけるに昭君ハかくれなきかたちそのうへいちの御てうあひなれば一度の使もなけれバ筆をつくしかしこくちかう有実に色黒くかけり 帝王御覧せられ是をつかわすへきよし勅諚有しに昭君成由申せとりんけん出テかへらざる法なればぜひなし らうしたる父母に別れかんきうを出テより道すからの有様中々ことばにおよばす ぐぶの官人りよはくのおもいをはらさせ申さんとけんくわんのあつめ馬上にてひわことならすも此時のれい 然ハ其時の約束に跡に柳を植置われ病気ならバかたゑたかれよもしめいおわらばねよりかれよといひ別れ給へば父母ハ彼柳をこそ息女と思ひ明暮こかけをきよむ 惣してまんの有ル物ハかならず身をうしのふ事をしらず たのむべき者をハたのミ時よにしたごふこそ道なれとそれより皆思ふ 然ルに彼形見の柳ゑたくちてねもいけるしるしなし ふうふ民ハ是をなげき我か子の約束のことばたかわねば期国にてしゝさ((た))るにうたかいなしと明暮なげく 帝不便に思召彼者に悪敷あたりたる者をハてうるい共にめいをとりたまわうずるとの御ふれなれば程ちかき人々ハといなくさめられ候へ 其分心得候へ 〳〵〕   出立 常ノ通官人也 〔右ノ間 昔ヨリ仁右衛門方ニ有由 享保七年ノ比迄ハ間家元ニ無之故急ニ入用ニ付三代目ノ伝右衛門初ニ大キク書置間ヲ作リ相勤申候 其後ニ仁右衛門弟子甲州屋彦右衛門書物に有写置物也 然共此以後も相勤候ハヽ初ニ写置家元ニテ出来候間ニテ相勤可申候〕   廿七 飛雲 「か様に罷出為((たる))者ハ。熊野山大権現に仕へ申末社の神にて御座候。去程に我等の是へ出ル事余の義にあらず。爰に熊野山の先達。出羽(テハ)の国(クニ)歯(ハ)黒山(クロサン)へ参籠(サンロウ)申されし所ニ。一年(ヒトヽ)世(セ)近江の国胆吹(イフキ)が嶽(タケ)ニおいて。飛(ヒ)雲走(ウンハシ)ル雲あやかすひ木(コ)の神と云鬼神集(コモ)り。行来(ユキキ)の人を取り脳(ナヤマ)ス事限り無シ。左有ニ依テ国中の事ハ申に不レ及。遠国(ヱンゴク)他国(タコク)ニも此沙汰頻(シキリ)ニ致すにより。帝(ミカト)此由聞召及ばせ給ひ。急退治(タイジ)有べきとの御事にて。武士(フシ)の中を撰(セン)シ給ひ。則(スナハチ)平(タイラ)の惟(コレ)茂(シケ)に被仰付シ間。其侭(ソノマヽ)軍兵(クンヒヨウ)を催し胆吹(イフキ)が嶽(タケ)に押寄(ヲシヨ)せ。彼鬼神を安く(ヤスク)退治(タイジ)有シ程に。君の叡慮(ヱイリヨ)浅からずして。御恩賞(コヲンセウ)に頓而近江の国余(ヨ)五(コ)ノ庄(セウ)を給ハり。夫より余五(ヨコ)ノ将軍(セウクン)平(タイラ)ノ惟(コレ)茂(シケ)とハ申ス。然ハ其時の討(ウチ)もらされし飛(ヒ)雲(ウン)と云鬼神今ニ残り。又只今此先(セン)達(ダツ)を妨(サマタゲ)ンと致を。大権現ハ元来神通なれバ御存知有り。我が山に住て我を頼む行者に少しなりとも悪事の有りては神徳の甲斐なきに似りと思召。急拙者ニ参り此由先(セン)達(ダツ)え告知(ツケシラ)せ申せとの御事なれば。取物モ取(トリ)不敢(アヱス)是迄罷出た。急で参らうずる 〔ト云テ道行〕 誠に此国ハ神国成に殊(コト)に類(ルイ)ひ少き(スクナキ)行者(ギヨウチヤ)成をいかに飛(ヒ)雲(ウン)が妨(サマタク)ルとまゝよ。神の力のあらん限り(カキリ)ハ。少も別義ハ有間敷と存ル。とこふ申内ニ早参りついた。扨先(セン)達(タツ)ハどこ元にいらるゝぞ。さればこそ是にじや。急で告しらせう。いかに先達慥に聞給へ。是ハ熊野々権現に仕へ申ス一の王子なり。最前おことに詞を替したる老人ハ人間にてハなし。飛雲とて隠なき鬼神なれバ。急睡(ネムリ)をさまし行力を以テ退治(タイシ)あれとの神詫(シンタク)なり。相構ヘテ其分心得候へ 〳〵 〔書物ノ中ニ〈飛雲〉ノ雷上太皷ニ断ルベシト有リ 併間ノ雷上ノ事拍子方ニ断事ハ無 前方ニシテノ中入雷上ニテ入か聞合テ吉 シテ雷上ニテ中入すると其侭狂言の出羽ノ雷上打事也 自然シテ雷上無ニ中入すると狂言ハ末社故出ル事ならず シテ方へ尋ベシ〕   出立  厚板 そばつぎ 狂言袴 脚絆ニテ括ル 腰帯 末社頭巾 面鼻引 扇さし 竹杖ヲ突   廿八 紅葉狩 〔シテトツレ女大勢出ル 其跡ニ狂言ノ女付テ出テ太皷座ニ居ル 次第道行過テ謡ノトメニ(「)こかげになミいていざ〳〵花をなかめん ト云テ皆座ニ付クト狂言立シテ柱ノさきにて云〕 悪女「折にふれて山々の紅葉多しといへど。取分き此他り程色のよひ見事なハ御座なひ〔ホトニ〕是ニ暫ク御逗留有ツテ紅葉を御覧ぜらりやうする。 〔ト云テシテノ方ヲミル 又正面方ミテ〕 然(サア)らバ爰に幕打廻し屏風を立。急テ酒宴の用意被致候へや 〔ト云テシテツレ女ノ末ノ方ト作物トノ間ノ方ニ居ル ワキトワキツレ大勢出ル 橋かゝりニテ一セイ謡有テワキツレヲ呼出シテ云付ル ツレワキシテ柱の先へ出テ案内ヲ云〕 悪女「案内とハ誰にておりやらしますぞ 〔ト云テシテ柱ノ方ヘ行ワキツレシカ〳〵〕 「是ハ此他りの上臈達紅葉を御覧せられ候が 〔橋掛ノ方ヲミテ〕 又あれに立給ひたるハいかなる人にて御座候ぞ 〔又(「)あれにお立有ハいかやう成人にて渡り候そ 共云〕 「よし〳〵そなたハ誰にてもあれ。こなたハ只さる御方と斗御申候へ 〔ト云テ又シテツレノ脇の方前ノ座ニじやまにならぬ様にあとへより下ニイル 中入ニ大せひはいる其あとニ付テがくやへ入ル〕   同 中入ノ間 〔末社右ノ手ニ太刀持出ル 雷上ニテ出ル〕 「か様に罷出為((たる))者ハ。八幡宮の一の末社武内(タケウチ)の神(シン)ニて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢(カイヒヤク)より神国なれバ。霊神国々に地をしめ給ひ。威光(イカウ)区(マチ)々成とハ申せ共。中にも当社の御神(ヲンコト)ハ。皇后(コウクウ)の胎内(タイナイ)ニテ早三韓(サンカン)の随へ。後ニ弓矢の守護(シユゴ)神(ジン)と成給ふ故。此秋津(アキツ)洲(ス)にて武家の誉(ホマレ)を取給ふ事。偏ニ八幡の利生にあらずと云事なければ。老若共ニ弓馬(ユミトリ)の道を嗜(コヽロガクル)人々ハ。毎日毎夜終古(トコシナヱ)ニ歩(アユミ)を運(ハコビ)び。神前の賑(ニギ)しう在ス(マシマス)御事。凡并為神も無御座候。就夫我等の是へ出ル事別の義にあらず。爰ニ与(ヨ)五(コ)の将軍平(タイラノ)惟(コレ)茂(モチ)。信濃々国富樫(トガクシ)山の御狩(ミカリ)を被成れんとて。此程種々様々の御用意有を彼山ニハ鬼神の住けるが。神通(シンツウ)を得為故ニ此事を存ジ。何とぞして取覧(トリイラン)と(ト)工(タクム)ニ。人間ハいか成貴人高人も。酒(シユ)博(バク)女の道ニハ心をなやます物なりとて。并なき美女と現シとある山の傍(カタハラ)に。楓(モミジ)見と号して並居(ナミイ)為(タル)を。大主(タイジユ)ハ夢にも御存(シリタマハズ)シなく。只深山(シンザン)に女人の多(ヲヽ)ク有ルを御覧シ。いか成御方ぞと使者を立テ尋給へバ。是ハ此辺の上臈(ジヨロ)達(タチ)楓(モミジ)を見給ふと申上ルを。よし〳〵誰にてもあれ上臈の。酒宴(シユヱン)の折柄乗打ハ叶間敷とて。馬よりおりさらぬ躰にて通り給ふを。九献(クゴン)を一ツ御参りあれとて袖をひかゆる。惟(コレ)茂(モチ)も岩木ニあらざれバ立帰り(タチトマリ)座(ヲハシマ)シ。鬼女ハ無明(ムメイ)の酒を取々数盃つぎ。前後をわきまへ給ハぬ〔御〕心中を。八幡三所ハ御存シ被成。此度惟(コレ)茂(モチ)ニ少も悪事の有りてハ。神(シン)徳(トク)の甲斐(カイ)有間敷と思召。拙者に早ク彼山ニ飛移(トヒウツ)り。此由告(ツゲ)しらせ申せとの御事にて。則御釼(キヨケン)を被遣るゝ間。〔太刀ヲミル〕此御釼を持富樫(トガクシ)山へと急候。さすが知恵(チヱ)才覚人にすぐれ。大剛(ダイコウ)の勇者(ユウシヤ)たりといへど。謀(マコト)を御存じなひハ尤じや。兎角(トカク)時刻(ジコク)移(ウツ)りてハ叶ふまひ。今少急申さうずる。〔シテ柱ノ方より正面ミル〕是ハ早富樫(トガクシ)山とをぼしくて。他りハ人倫(ジンリン)はなれた深山(シンザン)の。たに峯(ミネ)〔ワキ正面見廻シ〕遥(ハルカ)ニ岩窟(カンクツ)多(ヲヽ)ク。〔大臣柱ノ方ミテ〕さながら鬼神の住そふな山じやよ。〔ツクリモノヲミテ〕又此かたわらな紅葉ハ扨も見事な事かな。〔ト云ナカラミル〕大方爰元ニて有りさうなが。〔ワキ見付テ〕さればこそ是に請待(セウタイ)もなひ躰で御座ルよ。〔正面ミテ〕いそいで此由告知らせ申さうずる。〔アマリソバヘヨラスニ〕いかに惟(コレ)茂(モチ)慥に聞給へ。是ハ八幡宮の一の末社武内(タケノウチ)の神(シン)是迄参りたり。此山ニ住鬼神御身に毒酒(ドクシユ)をあたゑ。酔伏(ヱイフシ)給ふをとらんとするを。八幡大菩薩ハ影身(カゲミ)をはなれずそひ守り。則〔タチヲミテ〕御釼を被遣るゝ間。〔ト云テ下ニイテ太刀ヲ取直シテ置〕此御釼を持鬼神のしたがへ給ひ。早々御上落((洛))あれとの神勅(シンタク)なり。〔立テ〕相構て其分心得候へ 〳〵〔カヘシハ拍子一ツふむ〕 〔太刀置様ハ前方ニワキニ尋ベシ 先ハワキノ左リ方のひさの前より四五寸程間ヲ置テ吉 あまりとをくに置と後にワキとりにくし 夫故とりよきやうに置へし 尤下ニ置時ニ両手ニて持テイル 太刀をつばとさやの方持テさやの方ヲワキノ左り方へ置ク ツカノ方ヲ前ニして前方ニ太刀ヲワキ方より請取物なり 惣しテシテ方ノ供なとハ太夫より出ス ワキ方ノ供ハ太刀ヲワキ方から請取か作法なり〕   悪女出立 はくの物 さけをび びなん 扇こしにさし   出立  厚板 そばつぎ 狂言袴 脚絆 腰帯 末社頭巾 面鼻引 扇腰ニさし 右ノ手ニ太刀持テ出ル ワキ方より楽やニテ請取申候 〔△武氏神ハ武内神也 臣下トシテ官左大臣也 委ハ年代記有り〕 (舞台の図。後座に右から「太皷 大皷 小皷 笛」、大小前に「造物」、ワキ座から作り物の左横へかけて「シテ女 ツレ女 同 同 狂言」と記す。)   廿九 第六天 (「)か様に罷出為((たる))者ハ。伊勢太神宮ニ仕へ申末社の神にて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我が朝ハ小国とハ雖と神国ニテ。霊神国々に地をしめ給へハ。弥〔国土〕繁昌仕候。就夫我等の是へ出ル事別の義に不レ有。洛(らく)陽の傍ニ解脱(げたつ)ト申テ貴キ御僧の座スが。此度当社へ参給ふ所に。第六天の魔王此由聞色々妨ント致を。太神宮ハ此由聞シ被召。我を信ずる者ニ悪事の有りテハ。神徳の甲斐有ル間敷と思召。急き素盞(そさの)烏(ふ)の尊ニ仰被付けれハ。畏り候とて解脱の参り給ふ所へ。老人と現し顕出色々御物語被成。第六天の魔王障礙(シヤウゲ)をなすべし。其時出合力を添〔ン〕といゝもあへず。其侭暮に失給ふ。か様の貴キ御方なれば。我等ごときの者も罷出力をそゑ申せとの御事なれバ。取物もとりあへず是迄罷出た。どこ元に御座ルぞ。さればこそ是ニ御座候。扨々殊勝な躰かな。あの前へ某の此躰ニてハ成まい。ゐや〳〵くるしうなひ事参らふ。いかに申候。是ハ太神宮に仕へ申末社の神にて候。然は御身貴う座スニより。第六天の魔王妨ンと致故。我等ニも参りて力を添申せと有ニ付。是迄参りたり。然ハ弥信々のおこし此難をしのぎ給へ。我等も是にて力を添申べきぞ。あれ御覧候へ魔王数多来り候。急テ神前へ御出候へ。構テそのぶん心得候へ 〳〵   出立  あついた そばつぎ 狂言袴 きや半ニテ括ル 末社ずきん 面鼻引 竹づへ 〔観世流 雷上〕   三拾 合浦 〔 此あしらいのつとハ習也 いわぬかよし あとにのつとなしのあいしらいを書テ置なり〕 「是ハ此浦ニ住猟((漁))師にて候。今日ハ一段と能天気なれば。罷出我等も釣を垂ばやと存ル 〔ト云テシテ柱先ニテ〕 さればこそかゝつた〳〵 「此魚ハ何と云ぞとおしやるか 「是ハこうじんと云うをニテ候 「何と此魚をはなせとおしやるか 「そなたハやくたひもなひ事をおしやる。せつかく情((精))を出して釣た魚を。はないてよい物ておりやるか 「いや夫ならバ目出度事ニテ候。頓而放シ申さう。びた〴〵。あれ御覧候え うれしがつていんで御座る 「心得申候 「俄の事ニテ候間。持為((たる))扇を御幣と定メ。祝詞をこそ申ける。再拝〳〵。あそこも再拝。こなたも再拝。かしこも再拝〳〵〳〵 五百八十年。万々歳 目出度御座る 〔ト云テ切幕ニテ楽ヤへ入〕   同 中入ノ間 「か様に候者ハ。此浦ニ年久敷住ンテ。目出度御代を見る貝の情((精))にて候。惣じて此浦を勝浦と申子細ハ。地((致))景四方の浦々にすぐれたる故に。則すぐれたる浦と云(カイテ)勝浦ト申習シ候。又我等ごときの貝そう迄も。寄集ツテ和合仕ル故に合(アハセル)浦共書申候。誠ニ有り難き御事にて候ぞ。君慈悲心深座テ万民を哀ミ給ふ故〔ニ〕。天も納受ニより五穀成就仕テ。民百性((姓))久年のたくわへを仕ル。是と申も君の御哀ミあるにより。国々在々に至迄。知ルも知らぬもおしなめて皆仁義の道に帰り。或ハいけるをはなち申故ニ。我等ごときの鱗貝そう迄もいさミ悦申事ハかぎりなく候。夫ニ付此浦に住給ふ亀鏡と申人本より親に孝ニして慈悲第一ニし給ふ故に。諸天も哀ミ給ひ。福冨栄花ニ栄へ被申候か。猶も数の宝を買とらんが為。此浦ニ出給ふが。慈悲第一にし給ふ龍神も感シ給ひ。龍宮海に隠なき龍眼玉と申名珠を。かの亀鏡〔ニ〕さづけ申さんとの御事なり。か様のためしすくなき御事ハ有間敷ク候間。彼亀鏡を一目見申さばやと存是迄罷出て候。さればこそ是ニ御入候。誠に人躰けたかき御方ニて候。急で名珠を授ケ被申るゝを告しらせ申さばやと存ル。いかに亀鏡へ申候。是ハ此浦ニ住貝さうの情にて候。御身親孝々にして慈悲もつはらとし給ふ故。龍神感シ入り給ひ。わだづみの都に隠なき名珠を。授ケ可被申との御事なり。頓而龍神さづけ申されうずる間。此所に〔暫ク〕御待候へ。其分心得候へ 〳〵 〔初ニワキ出ル (「)是ハ唐土合浦の浦に住居仕ル者ニて候 今日ハ日もうらゝにて候程に浦ニ出テ釣を詠((ながめ))ばやと思ひ候 ト云テ脇座ニ下ニイルト狂言出る 本幕ニテ「是ハ此浦のりやうしニて候。今日ハ一段とよき天気なれハ。浦へ罷出釣を致さばやと存る ト云テ浦ヲ色々ほめて〕   出立  嶋の物 狂言上下 腰帯 釣竿 釣糸ヲ付かたけて出ル 尤薄((箔))置ノ針付ル    後間  厚板 狂言袴 脚絆 水衣 腰帯 鱗頭巾 面うそ扇 〔シテ初ノ出立〈田村〉の童子の通り 中入雷上 後ノシテ龍神の出立 白頭ノ上ニ虵の羽ねのはへたるやう成物也 こうじんと云魚の情なり〕 〔左近一世ノ時進藤平右衛門ト申合相勤申所其時分紀州様御能故仁右衛門弟子相勤候 「是ハ此他りに住者にて候。今日ハ一段とよき天気なれば。浜へ出テ釣をたればやと存る。誠に当浦と申ハ。ちけいよもの浦々にすくれ。一入詠たへなる所にて候。けふハ殊外おきも静なれば。いつものとをり釣をたればやと存ル どこもとがよからうぞ〔ト云テ釣針を〕されバこそかゝつたハ。〳〵。〔ト云テ扇の上ニのせるていをしてさほをかたけて〕是ハ珍敷物にて候間。やどへ持テ帰り。人々に見せ申さうずるにて候 ワキ「しばらく 夫ハいづくへ持テ御出候ぞ 「是ハめづらしき物にて候間。やどへ持テ帰り候 ワキ「左様の物ハ殺生いたさぬ物にて候間。急で御はなし候へ 「心得申候 ひた〳〵 あれ御覧候へ うれしかつていんで御座る。扨何と申魚にて候ぞ ワキ「あれハこうじんと申魚ニテ候 「扨ハこうじんよの ワキ「さらバ家ぢに帰らふずるにて候 「こなたもおいとま申候〕 〔「初ハ常の通り。是ハこうじんと申目出度魚にて候 「扨々そなたハやくたいもない事を仰らるゝ。せつかく情((精))を出して釣た物を。はなしてよいものにて候か 「かさねて仰候程に。やがてはなし申さう。殊に今や我等もふしぎの夢を見申て候間。急はなし申さうずる。ひた〳〵 あれ御覧候へ うれしがつていんで御座る 「こなたもおいとま申候〕 〔△福王流ニテハ狂言よりワキへかゝるよし (「)のふ〳〵此魚(これ)ハ(ハ)何と申魚ニて候ぞ〕 〔初祝詞アシライハ元祖伝右衛門殿ノ写 是ハ後書入為祝詞也 (「)然も此所に勧請仕奉ルに卒尓の事なれバ持たる扇子を御幣と定能方向テ賛詞を進らする 再拝〳〵 彼是こも再拝 爰もさいはい〳〵〳〵 五百八十年万々年 目出度候 我等ハ是より御いとま申候〕   三拾一 枕慈童 〔 初ニ慈童こしかき二人ワキ狂言付テ出太皷座ニイル ワキ次第名乗 周穆王ノ臣下也 テツケン山ニ付クトこしかき二人ハ桐((切))戸より楽ヤへ入ル ぢどうハ大臣柱の方ニイル ワキ枕ヲわたす ちとう請取テ中入する ワキふたいにてシテヲ見おくりはしを引はなすテをしてきりトよりがくヤへ入ル也 宝生流ワキ又まくの方へ入るか聞合へし〕 「か(※)様に罷出為((たる))者ハ魏の文帝に仕へ申官人ニテ候 去程に此君文帝の御事ハ未御幼少ニ御座せど賢王にて座せハ吹風枝をならさず民戸指を鎖ぬ御代にて候 然は其昔周穆王と申て目出度帝御座すが慈童と申すわらハを召仕われ御寵愛浅からさる折ふし慈童あやまつて帝王の御枕をこす 公卿大臣是を見付其罪大方ならぬ事なれば凡ニしてハ叶間敷と種々様々に御評諚有り 其中ニも古老の臣下すゝみ出て宣様是より百里の外に酈縣山トいへる深山有り 彼山ニ捨置べしと被申しを此義尤と御同心有 さあるに仍テ穆王余の常ならず哀み給ひ一年せ霊鷲山ニテ釈尊法花経読誦有シ時穆王八匹の駒ニめして法味をのべ給ふ所へ御参り有り 其時穆王普門品の二句の偈 具一切功徳慈眼視衆生福寿海無量是故応頂礼 此二句の偈を授(ヲンサヅカ)り有シヲ則慈童ニ御相伝被成るゝ 其要文を菊のはに書付水にしたし毎日呑給ふニ此水不老不死の御薬となつて七百歳をへ今ハ彭祖といへる仙人と成り只今是へ御出有 菊水の目出度事共色々御物語し給ひ則薬の水をわが君へさゝげ寿命を授申さんとの御事にて慈童ハ其侭御帰り有り 是ニ仍テ勅使を立られ彭祖か仙家を叡覧可有との御事也(ナレハ)百管((官))卿相ニ至ル迄相構テ其分心得候へ 〳〵 〔※(行間に細字で記す)か様に候者ハ。きのぶんていに仕へ申官人ニテ候。去程に〔此きミ〕けんなふにおわしますにより。吹風ゑだをならさず。民とざしをさゝぬ御代にて候。さるに仍テふしぎの事ども数をつくす。それにつき此ほどてつけん山のふもとより。目出度くすりのいづミいできたりたるを。のミてみれバかんろもかくヤらんと覚て。心もすゞ敷よのつねなら((ず)と())ふうぶんいたすを。忝もみかど聞召。あまりにきどく成御事なれバ。いそ〔ぎ〕見て参れとのせんじにより。只今勅使御参り有ル。左有に仍テ我等ていの者にも御供仕れと有ニ付。取物も取あへず罷出た。急デ参らうずる。誠に目出度御代にうまれおふて。かやうのしうちやくな事ハ御座らぬ。此度御供を致て。水上をめうと存れば此様なうれしい事ハ御座らぬ。やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。何と勅使の追付御出と申か。夫ならバ我等ハ此ていて御供ハ成まい。宿へ帰りしたく〔ヲ〕仕らうずる。さあらバ此辺の人々を頼申ぞ。勅使是まで御出あらバ我等に御しらせあれ。相かまへて其分心得候へ 〳〵 〇〈枕慈童〉の間此こまかにかいて有がよし 大キク書テ有ハ〈キクヂドウ〉ノ間ナリ  右のしかた付ハ宝生流也 喜多十太夫方ニテハ間なし 明和三丙戌九月御本丸中御奥の時間無シ〕 〔周ノ穆王ノ時酈縣山ニ被棄時代推移テ八百余年過テモ少歳ノ貌ニテ魏ノ文帝ノ代ニ〈菊慈童〉ノ謡是也〕 〔驥(キ)●(タウ)驪(リ)驊(クワ)騮(リウ)騄(ロク)駬(ジ)駟(シ) 是ヲ八匹ノ駒ト云也〕 〔魏文帝七歳彭祖出ル 酈縣山帝城ヲ去事三百里〕 〔中入間過テ台正面三方ノ方ニ菊ノ花ヲ真中ニ枕ヲ置テ後見舞台さきに直ス シテハ造物の中ニ入テ出ル 此造物ハ大小の前ニ置 後ニ引まわしを取テぢどう出ル   三拾二 絃上 「か様に夜中に罷出たるを。御存知なひ人ハ武家共見へずさながら郷人にてハなし。きようがつた者と思召れうずる。是ハ大政大臣師長公の御内の下々にて候。去程に我等か主君師長公ハ。天下にたぐいすくなき琵琶の上手にて御座候。夫をいかにと申に。一年せ宇宙(チウ)旱魃(カンハツ)して。山田の早苗徒に土民(タミ)の愁を催す折柄。師長公ハ神泉苑にをいて琵琶を遊せば。龍神も是を聞感を垂給ひけるか。清((晴))天成に俄に空掻曇大雨降シ。田水(ン)みち〳〵国土豊に成し故。帝の叡慮浅からざるにより。迚の事に入唐渡天被成れんと思召。国々の名所旧跡を御覧せらるゝ躰にて。下心ハ唐土の門出と思召。先都を出テ山陽道に赴キ。須磨あかしの月を御覧有所に。有傍に老人夫婦柴の庵を結ひよし有躰にて住し故。立寄一夜のやとをかり給ふに。姥祖父ハ頓而内へ入奉り。様々持賞((もてなし))琵琶の一曲を所望申せし間。安き間事たんじてきかせうずると被仰被遊るゝ時分。時ならぬ村雨の降来り調子の違へバ。老翁苫を取出シ屋根を葺を御覧じ。何とて此もらぬ屋根を苫ニて葺たるぞと仰られければ。其時老翁答へて申様。さん候板屋に当ル雨の音ハ盤渉なり。又音楽の音ハ黄鐘にて調子の違へハ。態ト篷にて葺たる由申せバ。頼申人心に〔思召様。賤きふせやなれ共心に〕くしと思召。少琵琶を仕れと御意被成し時。祖父ハびわをしらむれば。姥ハ柱(ヂ)を立駢(ナラヘ)撥(ハチ)音爪音けたかくして。秘曲を不残引し間。師長心に思召ハ。我天下にをいて。琵琶琴の奥義を悉ク極為((タ))ルと思ひ渡天をせんと思ふに。日の本にもかゝる上手の有に。大国を伺がわん事我ながら愚なりと思召。主に深ク隠して帰らんと被成し所に。夫婦ハ御袖縋停(スカリ)けるを。扨御身ハいか成人ぞと問ひ給ゑバ。我ハ以性((いにしへ))の絃上の御主村上天皇。并ニ●((梨))壺の女御夫婦なり。御身の渡唐を停めん為に。是迄顕れいて〔タル〕成りとて其侭暮に失給ふ。左有に仍テ先此度ハ。ひそかに都へ御上落((洛))有べきとの御事成間。皆々御供の用意仕れとの御事なるぞ。相構テ其分心得候へ 〳〵   出立  熨斗目 狂言袴括ル 懸素袍 腰帯 小サ刀 折烏帽子 扇 〔唐土ヨリ絃上青山獅子丸三面の枇杷((琵琶))日本ニ渡ル 一ト年雨ノ祈ノ時大政大臣師長ハ神泉苑ニテ枇杷ヲタンジ給ふ時雨降 夫ヨリ師長ヲ雨大臣ト申也 十日程降 青山ハ仁和寺御室ノ御譲トシテ守覚坊親王ノ御相伝 獅子丸ハ龍宮へトラレ下界ニ有 唐土ヨリ日本渡ル事仁((人))王五拾四代仁明天皇御宇嘉祥三年三月下旬〕 〔秘曲ト云ハしやうけんせきしやうト云ひきよくなり〕 〔享保十八年西御丸御能ノ時〈絃上〉中入喜多十太夫方ニテハ何も無に中入仕候由申候 大蔵弥右衛門方ニテ相勤申候 当日ニテ急ニ御座候間重而の例にハ仕間敷候間と有ニ付何もなしに弥右衛門方ニて相勤申候所ニ元文元年ニ二御丸御能ニ又十太夫へ被仰付候 間も弥右衛門方にて相勤候はづに御座候 然ル所ニ御番組書候ハヽ山田藤左衛門方迄前ニ例ニ仕間敷由ニテ間(アイ)申付候 此度何もなしにハ仕かたく御座候由御断申上候 夫故伝右衛門方へも〈絃上〉の間ニ何もなしに出候間候やと申来候 鷺流にても何もなしに相勤候間(アイ)無御座候由申上候 十太夫方にてハ太皷無之由 早皷ニて入由ニテ済申候〕 〔宝暦二年御本丸御能之時大蔵太夫相勤ル時中入雷上有リ 観世流も中入らいしよ〕   観世いしやう    ツレ もろなか 狩衣 金風折 ひわなし 扇を開左りの手に持引てい    シテ 老人ふうふ 常の通り 是もひわなし 持たる扇開き左りの手に持引てい     中入 後シテ ひむくひの大口 白地のすきかりきぬ かんむり 中将の様成面    ワキ  すおふ ゑほしなし 後藤色のさしぬき もへきすき狩衣 金風折  〔後ニ龍神作物ニて致候ひわ持テ出ル もろなかにわたし引込なり〕 〔△十太夫流ニてハ本のひわをひく〕   三拾三 愛岩((宕))空也 「か様に罷出為((た))ルハ。(モノハ)愛岩山の別当に仕へ申能力にて候。去程に拙者の是へ罷出ル事余の義に非ず。爰に不思義((議))成事の候ぞ。今夜当山の老若一同に。新成瑞夢を見ル其夢中の様躰は。寅(トラ)ノ一天に正身の弥陀来迎登山可(ベシ)レ有(アル)。必無疑拝シ申せと。我も見た〳〵と被申るゝにより。何も喜悦の思ひをなし。相待所にさハなくして。延喜の帝の王子空也上人。登山有ル時刻も不違(タカハズ)寅(トラ)ノ一天也。実と是ハ弥陀の化身にても御座有ふずる其子細ハ。誠に此上人ハ悉(シツ)達(ダ)太子の跡を尋ネ。忝も十善の位を捨て。〔〇((朱))〕草(サウ)衣(イ)木食(モクジキ)の形と成り。出離(シユツリ)生死ヲ専(モツハラ)とし。又ハ衆生を化度の其為に。口にハ仏号ヲ唱え心にハ実相を観し〔〇次((朱))〕六時不断(ロクジフダン)の称名ヲ怠(ヲコタラ)ズ。不借(シヤク)身命の行者なれば。霊仏霊地に歩を運ひ給ふ故〔〇((朱))〕殊ニ地蔵菩薩ハ六道の能化。慈悲第一の御方にて。則所持の錫(シヤク)杖(ジヤウ)ハ。四躰四仏法(ホツ)報応(ホウヲウ)の三身(ジン)を見せ。地水火風空の五躰ヲ顕シ。六波羅密(ミツ)ヲ象(カタト)リ。日月星(シヤウ)の三光ヲ表す。か様の有難キ〔〇次((朱))〕菩薩の御内証に御叶有ニより。山谷(サンコク)の僧の夢中に見へ給ふ。左有に依て一山挙(コゾツ)て崇(アカメ)奉ル。然ル間。〔〇((朱))〕先ツ尊聖ハ〔〇次((朱))〕仏前におゐて。法花経読誦被成るゝ所に。何クともなく老人一人来り。法花八軸を聴聞して上人に申上ル様。妙経の内に仏舎利御在スヲ愚老(クラウ)に与(アタ)へ給へ。我龍王なれば虵道の苦ミ堪難(タヘカタ)シ。願クハ此仏舎利を身ニ触。十二ノ角鱗忽(カクリンタチマチ)落シ。法座に連(ツラナリ)成仏仕度と申を。上人被仰るゝ様。我法花をこそ読誦すれ。御舎利ハ感得(カンドク)セズと宣ふ〔ヲ。〕龍王重て申さるゝハ。其御経の軸ヲ放シ拝せ給へと有ニより。不審に思召則放シテ御覧ずれば。案の如ク玉軸(キヨクジク)の内に仏舎利御在スヲ。大龍に授給へバ不斜悦ひ。十二ノ角鱗即座(ソクザ)に落成仏疑所なし。此御芳志(ゴホウシ)に何事にても。御望のあらば刹那が間に叶申さうずると有を。我沙門の身にて此世の(に)望なし乍レ去。当山ハ峯高して谷深けれバ。山上に水なくして遥の谷より汲運(ハコ)び。老若悩(ナヤミ)いかゞなれバ。此山上に水を出シ。用水不絶(タヘズ)与(アタ)へ給ハヾ。何よりの善根可為と被仰るゝを。安間の御事成とお請を申。三(サン)日の中に我(ハガ)等〔ノ〕真の姿を顕し。小龍の眷属共を引供し飛来り。此山上に水を出さんとて其侭暮に失せける間。唯今にも龍王来らんハ必定(ヒツシヤウ)なり。然らバ当山の老若共に皆々其覚悟あれ。相構て其分心得候へ 〳〵   出立  むしのしめか嶋の物か 水衣 狂言袴 脚伴((絆)) 腰帯 ごうしずきん 扇持出ル 〔愛岩山御鎮座より宝永三年迄九百三十九年〕 〔空也上人七百十年〕   (大蛇) 〔湯津ノ爪櫛ト云ハ其時迄ハ男定まらざる女ハくしをさゝず 男定ルと櫛さすよし 稲田姫も素盞尊の后に立給ふにより始テくしをさし給ふ由 つげの木のくし也 てなつちあしなつちの御子八人 稲田姫も其内也 ふりそでのはじまりいなだひめおろちにむかい給ふときふりそての物をちやくしそのそでの内へけんをかくし置ゆへふりそてハけんなり それよりまへハふりそてと云事ハなき由 稲田姫かはしまりなり 今に其所にてハふり袖きる事ならす ふしき也 出雲の大社より参候御師の様成人旅宿江戸ニテ大社の御札ヲくばる人多 久喜太夫ト云〕   三拾四 大蛇 〔 中入雷上 ワキシテツレ楽屋ヘ入ル 造物モ入ル 扨狂言出ル 其内雷上ヲ打也〕 「か様に罷出為((たる))者ハ。伊弉諾伊弉冉第四の御子。素盞烏尊に仕へ申者ニテ候。去程に我等の是へ罷出ル事別の義にあらず。尊いか成御にくまれにや。白ラ城国へ流れ給ひ。此所へ御下向有り。彼方此方と立やすらひ御座す所ニ。何国ともしれず。いみしく●((泣))声のする。尊不思義((議))に思召如何成事ぞと御尋あれば。是ハ手摩乳脚摩乳とて夫婦の者成が。子を九人持テ候が。憐ミ養育(ヤウイク)シテ生立シ処に。簸川上ニ大蛇住ンデ。一年に独り宛服すれバ。八年ニ早八人迄取失れて。漸一人残り稲田姫と申て。像(カタチ)すくれたる姫有り。是を当月取うしなわれしこと。【を】我ハ悲むなりと申しゝ程に。尊弥哀ミ給ひ。其稲田姫を我ニ得させば。彼大蛇を安々としたかへ国をしつめんと被仰ルヽを。二親ハ祝((悦))ひ尊に姫を参らせ上ル。扨大蛇おば如何様成義にて御随へ有ぞと聞ければ。先大蛇を討べき謀ニ床を高ク掻。稲田姫の葛に湯津ノ爪櫛ヲ指。四方ニ火ニ焼廻シ甓(モタヘ)に酒を入テ置ならバ。大蛇ハ真の姫ぞと思ひ。八ツの甓に八ツの頭を湛シ酒を歓((飲))バ。許(モト)より毒酒なれバ五躰にしミ酔ふさん間。其時尊ハ劔ヲ以(モチ)大蛇を安々と随へなバ。夫婦の者ハ寿命の神と祝れ。姫ハ后になさんとあれば。各々悦申事数が((ママ))きりなし。左有に依テ謀の御用意早々出来テ候へハ。則尊ハ姫を伴ひ。只今簸川上へ御光臨なれば。か様の時節皆々も罷出。尊を拝し被申候へ。相構テ其分心得候へ 〳〵〔湯津桂ノ木ニテ作之 黄梳ノ如シ 爪ハ妻ノ義也 稲田姫指故也〕   出立  厚板 そばつぎ 狂言袴 脚絆 腰帯 官人頭巾 竹づへ   三拾五 長郎((張良)) 「か様に罷出たる者ハ。忝も漢の高祖の臣下。長良の御内に仕へ申者にて候。去程に珍敷からぬ御事なれど。高祖の御内に我劣しと思召ス人々数多おわしますとハ云ながら。中にも頼奉ル長郎ハ。神明を憑ミ君子をおもんじ。人に挺て朝暮御伺公被成し故。御前の御出頭并なけれど。下として上を斗ル事なく。冨にしておごり不給。親に孝有事余仁に越へ。民を哀ミ慈悲心を専とし〔テ〕。心剛にして武具を集メ。家中の法度堅ク被仰付。常に御内の者ニ情深に仍テ。哀此主君の御用ニ立て。一命をも参らせ上ンと思ひ。起臥に諸人の忝存心中。誠に天道迄も通じけるか。此已前にも色々の寄((奇))瑞有テ。何事も思召ス侭に御座候。されバ夫ニ付此程も不思義((議))の夢を見給ふ其夢中の様躰ハ。此山影に下邳と云所に土橋有り。其辺に何となく跰((さすらひ))給ふ所に。老翁の馬上ニテ来ルに行逢たるに。某などの至らぬ者の分別にハ。長郎程の者に乗打ハさすまじひなどゝ有リテ。其翁を馬より引おろし。散々に打擲あらんかと存たればさハなかりしにより。彼老人詞を懸申さるゝ様。今より五日に当ン日爰ニ来り給へ。兵法の一巻の書を授けんと。慥に云と見て夢ハかつはと覚ヌ。頼うだ人の心に思召ス様ハ。扨も寄((希))代な事を見て有物かな。惣じて夢と云物ハ逢事ハ稀にて。大方ハあわぬ物とはいゝながら。され共是ハ兵法を伝へんと有を。知らぬ由にて置ん事も残多おもわれ。五日目に土橋へ御出あれば。案のごとく夢を見せたる老人ハ。早とくに来りて被申ける様。長郎ハ何とて遅ク御出有為((たる))ぞ。老為ものと契約有と云。殊ニ大事の秘伝を授ンと云に。其様な無執心な人に相伝ハ成間敷キと有て。殊の外無興被申しかども。老たるを親と思ひ。若ひに随ふを師とすと云。此(コノ)【事(ゴヲ)】を思ひ出シ給ひたるか。頼うだ御方ハ師弟の契約をたがゑじと。誠に誤りたる風情にて。暫謹テ御入あれば。彼老翁も程なく機嫌のなをし。又今日より五日して爰に来り給へ。其時我も必出合。約束の大事をおことに伝へ。頓テ高祖の天下となし。名を後代に上させ申さんと云もあへず。其侭暮に失給ふニより。長郎ハ已前の夢中斗をさへ人不知レ嬉敷う思召スに。正き是ハ目の前の契約なれば。人も愛せぬ笑を御((啣))テ御帰り有ル。然れハ明日が約束の五日に相当りテ候が。今度下邳(ヒ)へ御座ル時の御供にハ誰々を。召れらるゝぞ少窺ふと存て是迄罷出た。急参りて申上う。其皆の雑談ハ何事ぞ。何と早頼申人の御出と有か。さればこそ一日の遅を無念に思召。今度ハ早ク御座ルと見へたに。今御供の沙汰など御意得たらば。却テ油断者と思われうに申まひ。去りながら長郎の我等を召さば御知せあれ。各々を何様にも頼申ぞ。構て其分心得候へ 〳〵   出立  厚板 そばつぎ 狂言袴 脚伴((絆)) 腰帯 官人頭巾 竹づへ 〔長郎ニケンニンヂヤウノ一句ヲシメス〕   三拾六 忠信 〔〈空腹〉〈吉野忠信〉〕 ヲモ「か様に候者ハ。吉野の本宮(ホングウ)の阿闍梨(アシヤリ)の御坊に仕へ申者ニテ候。扨も我等の是へ出ル事余の義にあらず〔ツレ一人出ル せきはらい〕いやわごりよハ何と思ふて出さしました ツレ「そなたがあわたゝしう出さしましたに仍テ。何事かと思ふて是迄付て出たよ ヲモ「扨ハわごりよハ此度の様子をしらぬか ツレ「いゝやしらぬ ヲモ「それならバ語て聞せう聞しませ ツレ「心得た  ヲモ「先頼朝義経(ヨリトモヨシツネ)御中(ヲンナカ)不和(フワ)にならせ給ふにより。判官殿(ホウガンドノ)ハ此所を頼ミ。御出被成るゝ其子細は。渡辺(ワタナベ)にて景時(カゲトキ)が申さるゝハ。舟ニ逆櫓(サカロ)と云物をたてゝ。駒(コマ)の懸引(カケヒキ)の様に。戦(ツレ〔イクサ〕)も致たらハよふ御座らふずると申されたれば。判官殿御申被成るゝハ。逆櫓(サカロ)を立てハ夫ハにくる用意の事じや程に。我等ハにぐる用意ハ中々思ひもよらぬと被仰るゝ。其時梶原申ハ。夫ハ野猪(イノシヽ)武者(ムシヤ)とて人のきらう由被申ければ。其時判官殿は我等を畜類(チクルイ)にたとへたにくいやつじや。今朝よりしてハ我前へハ中々叶間敷と御申あつたれば。後(ノチ)のなんをやおそれけん。頓(ヤカ)テ判官殿より鎌倉え先へ行。義経(ヨシツネ)を様々に讒想(ザンソウ)申によつて。頼朝(ヨリトモ)より討手(ウツテ)を御登(ヲンノホ)せ被成るゝ間。九条(クセウ)の御(ヲン)住居(スマイ)難義(ナンキ)故(ユヘ)。則此所を頼御出有ヲ。衆徒(シユトウノ)の人々心替りし。今夜(コヨイ)夜打を被成ンと有て。皆々談合の声が耳にふつと入た程に。さあらバ人寄先懸(ヒトヨリサキガケ)して。後代(ゴダイ)迄も大剛の者(ダイコウノモノ)ニテ有といわりやうと思ふて出たが。してそちハ何とするぞ ツレ「是ハ一段と能事を聞出た。某も是え出合たこそ幸なれ ゆかひでハ ヲモ「何とわごりよもゆこふと云か ツレ「中々 ヲモ「扨々けな人じや。さあらバわたらしませ ツレ「心得た 〔道行〕「なふ聞か ヲモ「何事ぞ ツレ「爰に少とすかぬ事が有ルは ヲモ「夫ハ何事ぞ ツレ「判官殿(ホウカントノ)の郎等(ロウトウ)に。亀井(カメイ)片岡(カタヲカ)伊勢(イセ)駿河(スルガ)。常陸(ヒタチ)房(ホウ)海尊(カイソン)武蔵(ムサシ)坊(ホウ)弁慶(ヘンケイ)。殊ニ忠信(タヽノブ)と云。大剛一の(ダイコウイチノ)兵者(ツワモノ)が有ルと云程に成まいわひやゐ ヲモ「尤それハそふなれ共。猛虎(マウコ)深山(シンザン)ニ有ル時ハ百獣(ハクジウ)ふるひをづ。がんせひの内に有時は尾(ヲヽ)をふつて食(ジキ)をもとむとて。たけきとらの深山(シンザン)に有時ハ。万の獣(ケダモノ)のおぢをそれる。いほりの内にこめられてハ。尾をふつて人にむかふと云事のあれば。いかなる大剛の者成共。落武者(ヲチムシヤ)になつてからハ日比(ヒコロ)の手柄(テカラ)も成まひ程に。某ニまかせて渡しめ(ハタラシマセ) ツレ「心得た ヲモ「はやうおりやれ〳〵 ツレ「参る〳〵 〔△奥州庄司か子忠信始中院谷後ニ山科法眼ニ籠りヂフノ法眼 イヲウ禅師 カクハン ヒタチノ禅師 トモノスケ ヤクイノカミ カヘリ坂ノ小聖 此衆中大将トシテ〕 〔△観世流早皷 シテ忠信也 喜多流ハシテカ角判((覚範))ツレか忠信 間なし 義経太刀持ワキ出ル シテヲ呼出シ色々有テ三人中入 シテハ舞台ニ入扨立テ中入スルトキ早皷間出ル 後ニ法師二人男二人出ル〕   ヲモ 間 嶋ノ物か腰替りのしめニテモ 狂言上下 きや半こしおひ 小サ刀 扇 竹つへ    ツレ同前   三拾七 鉢木 「是え御用有さうにふと罷出為((たる))者を。御存知ない人ハ何者ぞと思召りやうずる。是ハ忝も今天下を守護(シゴシ)し給ふ。鎌倉(カマクラ)西明寺殿(サイミヤウジトノ)の御内(ミウチ)。さる御方に仕へ申者にて候。去程に珍敷からぬ御事なれど。保元(ホウげン)平治(ヘイジ)の比より源平両家の中ニ〔◯((朱))〕凡萬天の星か廻ルかごとく〔◯次((朱))〕天が下を治メ給ふ人々多しといへど。中にも此君(コノキミ)最明寺殿(サイミヤウジドノ)ハ。御先祖ニも弥増(イヤマシ)文武二道ニ名を得。御法度たゞしう被仰付るゝに仍テ。国々在々所々迄もふくかせ枝をならさず。民(タミ)戸指(トサシ)を鎖ぬ(サヽヌ)御代にて候。されバ就夫此程忍々に被沙汰仕ルハ。在鎌倉被成るゝ諸大名の御出仕ニも。又朝夕御前に御伺公の侍衆迄も。此間主君(シユクン)の御目見へ仕らぬと有ツテ。各(ヲノ)御(ゴ)参会(サンカイ)のお座敷ニても。明暮此耳(コレノミ)御不審(フシン)被成るゝと承り。有若き人の分別だてして申さるゝ様ハ。お内義の御用仰付させられて表へ出させられぬか。若(モシ)哥道(カドウ)か儒道(ジユドウ)を聞せられて御隙の入か。扨ハ盤(バン)の上の勝負(セウフ)が長(チウ)じて御出なきかと。老若までも思ひ〳〵に宣ふ(ノタモウ)を。拙者一人すゝミ出て申事に。某の推量(スイリヨウ)致ハ左様にてハ御座なひ。是ハ奥方の御遊山共が打続か。但又お気相などの悪うて出させられぬかなどゝ。種々に取沙汰申せバ左ハ無而。か程御(コ)政道(セイトウ)正敷(タヽシイ)上にも。若(モシ)俸録賄賂(ホウロクマイナイ)にめてゝ非分(ヒフン)の捌(サバク)か。又利(リ)を持乍(モチナカラ)時の検(ケン)に恐(ヲソレ)テ申も上ぬか。万(ヨロス)侒(ネイ)人(ジン)悪人(アクニン)を御聞被成。諸人の愁(ウレイ)を除(ノソ)き給わん其為に。此中忍て御(ゴ)修行(シキヨウ)に御出有たるを。能御存知被成た御一門や御出頭(ゴシユトウ)の人々ハ。一年(ヒトヽ)せも二年(フタト)せも御帰有間敷と思召。御心易思ひ(ヲンコヽロヤスクヲモイ)給ふ所に。此一両日已前にふと御帰国(ゴキコク)被成。東(トウ)八ヶ国の大名小名ニ至まで。物の具を用意し早々御参あれとの御諚なれば。早諸国へ飛脚を被遣てあれど。其上にも諚意(シヨウイ)を大事と御念を入られ。重て我等にも参れと被仰付た故。取物も取不敢(アヘス)罷出た。急で伺公致さうする〔ト云テ一辺廻ル〕誠ニ頼申人の御家中に人多しと雖と。某を随分達者なと思召テ被仰付て。外分旁々忝ないよ。此度油断仕りてハいかゞな。早ク参りて御感(カン)ニ預う(アツカロウ)と存ル。又世間て風聞致スハ。主君(シユクンハ)近キ頃(コロ)御修行(コシキヨウ)被成たるとやらん申が。思ひの外早ク御帰りさへ不審(フシン)なに。此納((治))た御代に俄に御(コ)陣(ジン)触(フレ)を被仰出たハ。たそ上(タソウヘ)の御事を影言(カゲゴト)ニ悪敷(アシウ)申たか。但又最明寺(サイミヤウジ)殿(ドノ)共不知(シラス)狼藉(ロウゼキ)を仕たかを。御成敗(ゴセイバイ)有うずると有ぎか。いか様よい事でハ有間敷と存る。是に付ても心中に少も誤り(アヤマリ)の有人ハ。大名小名によらず気遣な事で御座る。乍去拙者に御(ゴ)懇(ネンゴロ)被成るゝお衆ニ。あやしひ御方ハ一人も御座ない程に祝着な。先是より武蔵へ懸つて(カヽツテ)下総(シモウサ)へ出申さうずる。常(ツネ)に武具(フク)を嗜(タシナマ)ぬ若ひ衆ハ。此度俄にめいわく仕らうずると推量(スイリヨウ)致す。あれへ四五千斗(バカリ)押(ヲシ)出ひたハ誰(タレ)のしうぞ。何と上州(シヤウシウ)野州(ヤシウ)ノ軍兵(クンヒヨウ)じや〔○((朱))〕何と云ぞ安房上総の軍兵ハ。早舟にて悉ク鎌倉へ登ル〔◯次((朱))〕夫ならハ参るに及ぬ事じや 是より戻らう。去りながら若我等を尋ル人有バ。早是より罷帰りたる由御申有れ。相構テ其分心得候へ〳〵   中入後 〔 ワキ次ニ二階堂ノ次ニ狂言出テ舞台へ付テ出テ二階堂の次になをりて下ニいる ワキ二階堂ヲ呼出シ云付ル 又二階堂立テ狂言ヲ呼出ス〕       〔 此あ((朱))しらいハ昔のニテながし 今ハずいぶん みじかく云也 あとにみじかく書テ有リ」 「御前ニ候 「畏テ候〔ト云テ立テ〕是ハいかな事。此中御陣触(ゴ ジンフレ)を仰被出たを。いか様な事ぞと存たれば。物の具のぶきれいなを。御ぎんミなされうずるとの御事じやと見へた。急で尋申さうずる。いやあれへをし出たハどの勢ぞ。何と下総(シモウサ)の勢(セイ)じや。扨々夥敷い(ヲヒタヽシイ)人かなやれ。又爰に見ゆるハあらけない人ぢやが。何程有ふずるぞ。太方(ヲヽカタ)五六万(マン)余騎(ヨキ)程も有うが。是ハどの勢ぞ。武蔵勢ぢや。道理じやよ。扨々きらびやかな出立かな。中にもあのきほろの武者ハ。馬(ウマ)物の(モノノ)具(グノ)こつがら。あつはれひときりやうしさうな人じやよ。此中(ウチ)にハ中々仰被出た様なル仁ハ見へぬ〔ト云テシテヲ見付テ〕うたごふ所もなひ是さうなよ。いかに申。御前へ被召候間急御出候へ 「いや慥に旁の事にて候。則仰付られたるハ。ちぎれたる腹巻(ハラマキ)にさびたる薙刀(ナキナタ)をよこたへ。やせたる馬をじしんひかへたる武者と被仰出たるが。此諸軍勢(シヨクンゼイ)の中(ウチ)ニ。旁(カタ)々程成物のぐのふきれい成ハ無御座候間。急ぎ御前へ御参り候へや〔ト云テ大方元ノ座ニイル〕 〔シテ(「)実々是も心得たり。某がてきしんむほん人と申上。御前ニ召出されこうべをはねられんためな。ト狂言ノ方ミル 爰ニテ狂言下ニイル シテ(「)よし〳〵それも力なし。と云正面むく 云合ニ尋べし〕 〔△中入後のあしらいハ成程みぢかきがよし。右の通り長ク云時ハ。シテがほさるゝ故ニ。太皷座へくつろく事も有り。其時ハ狂言此内ニハ中々被仰出た様な人ハ見へぬと云テ。尋てい有リ。時ニ太皷の方ヲミテしてを見付テ。(「)うたごふ所もない是さうな。と云トシテ又シテ柱のさきへ出る有事也。今ハしてほさるゝとて。いやがるゆへに。みぢかくするがよし 左ニ書テ置通り〕 〔「御前ニ候 「畏テ候。是ハいかな事。此中(ヂウ)御じんぶれを被仰出たを。いかやうな事ぞと存たれバ。物の具を御ぎんミ被成れうとのおことじやと見へた。扨も〳〵きらびやかなでたちかな。此内ニ被仰付た様な仁な見へぬ〔ト云テシテヲ見付テ〕うたごふ所もない是そうな。いかに申シ御前へ被召候間〔いそき〕御出候へ 「いやたしかにかた〴〵の事にて候。則。被仰出たハ。ちぎれたるはらまきに。さびたる長刀をよこたへ。やせたる馬をぢしんひかへたる武者と仰出されたるが。かた〴〵程物の具のぶきれいなハ御座なく候間。急御前へ御参り候へや〔ト云テ座ニツク〕〕 〔△シテが(「)たれが承りニて候ぞ ト云テ尋ル事あらバ其時ハ(「)にかいどうの承りにて候 と云テよし〕 〔中入間過トワキ出ル 次ニ太刀持其跡ニ狂言付テ出ル 太刀持の次ニ成共又ハ太皷座ニても見合次第ニ居る 扨シテ出ル 謡有テ(「)のりぢからなければおいかけたり と云テしてばしらの先へ出テ長刀によりかゝりているトワキ太刀持ヲ呼出ス 云付テ扨二階堂立テ狂言を呼出ス 狂言立テ出テ大つゞミの他りに下ニいて請テ扨立テシテトワキトノ真中ノ正面へ出て目付柱ノ方ミて云テシテヲ見付て云 色々云テ(「)御前へ御参候へヤ ト云トシテかまわずに正面むくも有り 心持を請テシテ正面むく事も有り 其時ハ狂言見合テのき太皷座ニ下にいてこまいに□□□してはいる(綴じがきつくて読めず)〕   三拾八 小鍛治 ヲモ「爰許へ用有そうにふと罷出たる者を。御存なひ人ハ何者ぞと思召れうずる。是ハ都三条の横町に小家をもちて。幼少の時より細工を致す。我等ハ小鍛治宗近の弟子にて候〔二人シテ云時ハ爰ニテツレ出せきはらいする たかいにあいさつ常ノ通り 但一人間時ハすくニ語ル〕 ヲモ「去程に宗近の打被申たる太刀刀ハ研の重ルに随テやきばハあざやかに見へ。地汗詰(ツマ)りて年々にゑあらわれて。鋒指合(ボウシアイ)などに様々のちけひいでき。わざハやわらかな物もかたき物迄も。さわ〔ル〕所はかけずたまらぬ物きれなるによつて。老若ともに小鍛治をさゝぬ人ハ。皆男ハならぬ様にの給ふ程に。国々在々よりもひゞに打物あつらへ申さるれど。少も隙なくて皆請取申されぬを。又様々の縁(フチ)を以御頼被成るゝ。夫ニ付爰に目出度事の御座候。今の帝一条の院。此程つく〴〵と被思召るゝ様。人間ハいか成高位成も下々も。老少不定の身なれば。我一天の君とあをがれ天下泰平の御代に。何ぞ国土の宝に成事を被成置。御名を後儀に留度思召せど。詩(シイ)哥管(カ)絃(ゲン)墨跡(ボクセキ)も器用がなければならず。諸道具の内にも劔ハ身をはなさて朝敵(テウテキ)をもしづめ。むかし鍾馗の剣叢の劔とて。今ニ名高宝なれば。劔をうたせて置ンと思召。今日の本に〔ハ〕何と云者か太刀かたなを能打ぞと御尋あれば。鎌倉物か見事な。備前が上手じやの。いや〳〵大和物がわざがよひ。北国にハ替り物が有などゝ。工((公))卿大臣種々様々に被仰るゝを。其中にも有古老の臣下すゝミ出テ宣ふ様。小鍛治ましたるハ無由風分((聞))致スとあれば。実も是が上手成由一同に被仰るゝに付。殊に今夜帝不思義((議))の御霊夢在スにより。三条の小鍛治宗近ニ御劔を仕れと。橘の道成卿宣旨を蒙り勅使立を。宗近一世の面目と存ジ。謹而(シタハ)申上られける様ハ。御劔なと仕ルにハ。我等におとらぬ椓撃打物なくてハ罷成ズ候え共。綸言ハ如汗。出テ二度かへらざる故。ぜひなく領掌(リヤウジヤウ)被申たが。難方((なんぼう))大事の御請ではなひか ツレ「其通りじや共 ヲモ「宗近心に思わるゝ様。か様の大事の打物をバ。神力をたのまずハ成間敷と被レ存。先氏神稲荷へ参給ふ処に。何国共なく見馴ぬ人の出テ。面々ハ三条の小かじ宗近ニてましますか。雲の上の君より御劔を仕レと有を。心安ク思ひて御請を申上。檀((壇))の飾て待給へ。其時節我も行テ力を添ンといゝもあへず〔○((朱))〕こん〳〵と鳴テ〔◯((朱))次〕しけミの内ニ入給ふ。劔の勅ハ只今成が。早知り為((たる))ハ扨も〳〵きどく成りとて。弥稲荷の明神を信シ其侭下向被申たが。なんぼう目出度御事でハなひか ツレ「誠に御劔を仰付らるゝと有事ハ。外分かた〴〵手柄な事で御座る ヲモ「やあ〳〵其許の賑なハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ。扨も〳〵早ひ事かな。いや〔我等ノ〕頼申宗近の所にハ此度の御劔の仕覧とて悦いさミ。新敷かりやを立檀の筑。其上に鉄挺をすへ。稲荷の明神を勧請申され。細工所にハ夥しい用意じやと云よ ツレ「其義ならハ某ハ先へ行ぞ ヲモ「そちが先へ行ならバ。某ハすぐ道をさきへはしれ〳〵。一飛に行様にいそげ〳〵 〔一人之語ル時    狂言上下 きや半くゝル 竹杖 (「)弥いなりの明神のしんじ其まゝ下向被申たが。なんぼうめてたい御事にて候。やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ。扨も〳〵はやい事哉。頼申宗近の所にハ。此度の御劔を仕らんとてよろこびいさミ。あたらしくかりやをたてだんのつき。其上にかなとこをすへ。いなりの明神のくわんじやう申。細工所にハおびたゞしい用意なれバ。小かじをまねぶしうハ。宗近の所へつめられよとの御事なり。相かまへて其分心得候へ〳〵〕 〔△鷺流ハ早皷ニテ竹杖ツキ出ル 早皷なき時ハ常ノ語間の通り長上下ニてクセノ内に出テ太皷座ニ居テ中入ニ立間ヲ語ル 大蔵流ニテハ雷上間末社也 鷺ニテハ雷上間ハいわぬなり  〇中入ハシテノ跡にワキ付テはいるト狂言見合テ間ヲ云〕   三拾九 現在●((鵺)) ヲモ「か様に罷出為((たる))者ハ。源の兵庫の守の御内に仕へ申者にて候。我等の是へ出ル事別の義に不非。〔ツレ一人出ル せきはらいをする〕いやわごりよハ何と思ふて出さしました ツレ「そなたかあわたゝしう出さしましたに仍テ。何事かと思ふて是迄付て出たよ ヲモ「扨ハわごりよハ此度の様子をしらぬか ツレ「いゝやしらぬ ヲモ「夫ならハ語テ聞せう聞しませ ツレ「心得た ヲモ「去程に此君近衛の院と申奉ルハ。民を哀ミ国土を恵給ふ故。吹風枝をならさず。民戸指をさゝぬ御代にて御座候。然りとハいへども此程御脳((悩))頻にして。百官卿相に至迄。息を詰テのミ居給ふ其故ハ。時ハ夜半過丑の刻半の事成に。東三条の森の方より黒雲一群立来り。玉殿の上に覆ト思えば其侭帝魘((うな))させ給ふ故。近国遠国の諸寺諸社に被仰付。大法秘法の御祈祷ニも不叶。如何可有とて公卿僉儀被成るゝ所に。其中にも有大臣すゝミ出テ宣ふ様ハ。是ハ正しう変化の態と覚れバ。堀川の院の例にまかせて。武士に仰付られて然ルべからうずると有を。禁中一同に此義ハ尤と御同心有を。さあらバ誰がよからうずるとて源平両家の内を僉義被成。とかく源の兵庫の守ならでハ化性((生))を平ル者ハ有間敷との御事により。只今頼うた人の方へ勅使立を。朝敵などの御事こそあれ。あの目にも見へぬ化性((生))を平よとの御事ハ迷惑成とて。様々じたひ被申けれと。輪((綸))言如汗。出テ二度ひるかへす事成間敷由被仰るゝに付。力不及お請を被申たが。扨々迷惑な勅諚てハなひか ツレ「誠に是ハ迷惑な事でハ有よ ヲモ「何と思わしますぞ。か様の者をいそんずる程のお方でハ有まひと思へども。若御運もつきたらば矢つぼかちこふかと思ふて。我等ごときの者迄もせんひをくう事ぢや ツレ「其通りぢや共 ヲモ「此度の事じやに仍テ。我等の御役に立まひけれ共。お供に参らふと存ルか何と有ふぞ ツレ「其方が云通り。日比御扶持方を被下るゝ事ぢや程に。お供に参らいでハ ヲモ「やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。やあ〳〵ぢやあ。是ハいかな事。お供にハ猪早太一人召連らるゝと申か。是ハ口惜事でハなひか ツレ「其通りじや ヲモ「某なども御供したらば。あつはれ猪早太にもおとらず一手柄致さう物を。是非に及バぬ こちへおりやれ ツレ「心得た ヲモ「早うおりやれ 〳〵   間出 立 嶋ノ物かのしめニテモ 狂言上下 きや半 腰帯 扇 小サ刀 竹つへ 右かたぬぐ    ツレ出立同前 竹つへなし かたぬかず 〔一人して語時ハ  「か様に罷出為者ハ。源の兵庫の守の御内に仕へ申者にて候。去程ニ我等の是へ出ル事余の義にあらず。去程に近衛の院と申奉ルハ。ト語ル〕 〔語ノトメ (「)力不及お請を申されたが。扨々めいわくな勅諚にて候。さりながら源平両家の内にてゑり出され被仰付たるハ。弓箭取身の面目にて候。我等も此度お供致し御ほうびにあづからうと存る。然れども誰々を召連らるゝぞ。少うかゞをふと存て是迄罷出た。急で参て申上う。やあ〳〵何と云ぞ。お供にはいのはやた一人召連らるゝ有((ママ))ルか。夫ハ誠か。身共ていのおともをうかごふハいらぬ物じや 只帰らう。左有バ此辺の人々を頼申ぞ。兵庫の守の我等をめさば御しらせあつて給われ。相構へて其分心得候へ〳〵〕 〔やあ〳〵何と云ぞ。御供にハ猪早太一人召連らるゝと申か。是ハにか〳〵しひ事じやがぜひに及バぬ。さりながら我等を尋ルひとあらバ御しらせあれ。相かまへて其分心得候へ〳〵〕 〔ツレ大臣呼出ス事も有リ 「御前ニ候 「畏テ候。いかに此内へ案内申候。頼政の御座候か。勅諚の子細仰ハたさるゝ事の候間。急テ御出候へ ワキシカ〳〵〕   四拾 橋弁慶 ヲモ「是ハ下京辺に住者にて候。去程に平家一天四海を掌の内に治給ふといへど。入道相国の悪逆ニより。諸人息を詰てのミ居給ふ所に〔ツレ出ル せきはらいをする ヲモツレ詞常の通り〕此程西塔の武蔵坊弁慶ハ宿願の子細有リテ。東山十善((禅))寺に参籠被申シ所に。又今夜より五条の天神へ丑の時詣せんと有を。去ル人異見被申しハ。きのふ夜更て五条の橋を通りし時。拾二三成稚き者の小太刀にて切ツテ廻ルハ。さながら蝶鳥の如ク早ければ。今夜の丑の時詣をば思召とまれかしと有を。たとひ如何成天魔鬼神成と云共。弁慶程の者が聞にけハせまじひ。ぜひとも参らうずると有が。難方((なんぼう))ぶしあんな人でハなひか ツレ「誠に是ハ無分別な事じやよ ヲモ「其橋へ出テ人を切ル稚キ者をよふ聞ケば。源家の大将義朝の末子。常盤腹ニハ三男遮那王殿と申少人の御在スが。幼少の時より父におくれ。鞍馬の東谷東光坊に御入有ル比。天狗に兵法を御相伝被成。稽古の手柄を見せ度思召折節。此程母上にかうがんのために都へ帰り給ふが。其児の日暮テ五条の橋へ御出有り。行来の人をやらずすごさずきらるゝと云。よし〳〵遮那王殿ニてもあれ。又ハ化生の者ニテモ候へ。其方達ハ此年月人の前にて口を聞ながら。か様のしれぬ者を只おかんも口惜け(イニ)れば。今宵弁慶よりも先へ行。彼いたづら者ヲ退治しテ。天下において誉をとらふと思ふが。何そ((ママ))あらふぞ ツレ「是ハ一段とよからう ヲモ「さあ〳〵おりやれ 〳〵 ツレ「心得た ヲモ「喃さりながら能物をあんじて見るに。主人よりの御意なれば是悲((非))に及ぬ事ぢやが。是ハ誰が頼事てもなひ事なれば。たとひしをふせてもせんもなひハ ツレ「其通りじや ヲモ「若又身共がとりはづいて。してやられてハ口惜ひ事じや程に。いらぬ事に取かゝつてあぶなひ目をせうより。宿へ帰テ緩りと休息いたさう ツレ「実と夫がよからう ヲモ「一刻も早ふおりやれ 〳〵 ツレ「心得た          ヲモ 間 嶋ノ物 狂言上下 きや半 こしをび 小サ刀 竹つへ 右ノかたぬく   ツレ 出立同前 かたぬかず 竹なし 但仁右衛門方ニテハ二人共に竹つへをつく 〔一人して語ル時ハ。ツレノ詞をぬき。すぐに語リテよし。ひとり留メの云やう(「)天下にをいてほまれをとらうと存ル。先いそいで参らうする。さりながら能物をあんじて見るに。主人よりの御意なれバぜひニおよばぬ事じやが。是ハたれが頼でもない事なれば。たとひしおふせてもせんがなひ。若又身共がとりはづいてしてやられてハ口をしい事じや。いらぬ事に取かゝつてあぶなひめおせうよりも。やどへかへつてゆるりきうそくいたそう。やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ。誠ニ五条のはしぢかくかして殊外にぎやかな。某などが爰元に居て。じぜん打切れもすれバいかゞな。是より罷帰らうと存ル。只急でのこうと存る。はやうのけ〳〵〕 〔大蔵流ニテハ〈大藤内〉如クニ語ル也 昔ハおも間からかさ持出ル〕   四拾一 羅生門 〔〈綱〉トモ云〕 「是え罷出為((たる))者ハ。渡辺の綱の御内ニ仕へ申者にて候。然は頼申綱ハ。唯今人と留論の致さるゝ 其子細ハ。去程に源の頼光。丹州大江山の鬼神をしたがへ給ひしより此方。武士を数多御集メ被成し故。武辺を心懸ル程の輩ハ。日々に出仕致さるゝ所ニ。此比ハ春雨の晴間も見へぬつれ〴〵に。頼光を始として。其外保昌綱金時。定光末武何れも列座ニ伺公致シ。種々の御雑談の有折節頼光の御意にハ。此程都に何事にても珍敷事哉有と御尋被成るゝ。惣じて貴人の御前などにて聊尓に物ハ申間敷事成ぞ。保昌のすゝみ出テ咄給ふ様。此比九条の羅生門にハ鬼神の住ンデ。日暮て通ル者をバやらずすごさず取よし申されしを。頼申人の被仰けるハ。土も木もわが大君の国なれば。いづくか鬼の宿と定めんと聞時ハ。さすがにかの羅生門ハ都の南門なれば。たとひ鬼神のすめバとて住せておかるべきか。かゝる不思義((議))成事を御申有物かなとの給ふ程ニ。夫が保昌の耳に当((留))り。扨ハ御前にて我等の偽りを申と思召るゝか。此事都に隠れなければ申ス。誠左様に思召ハ。今宵の中ニ成共かの羅生門へ行て御覧せよと有を。又頼申人のむかとつられ。か様に承候ハ。扨ハ某のえ参ル間敷者と思召るゝか。其義ならば今夜の内に彼所へゆき。しやうぜきを見せ申さうずるといかり給ふを。御座敷の人々さりとてハ御無用と御留被成るゝ。いや保昌にたいしていこんななけれ共。王城に鬼神の住とあれば。一ツハ君の御為なれバ。頼光ニ印の札を被下い。立て参らうするとこハるゝを。頼光も下心にハ留度思召せど。左様に御申有ては。御心おくれたりと人に思われてハと思召。則印を被遣ければ。綱ハ札を給り其侭宿へ御帰有り。面々ハ何と思ふぞ。じやうのこわひも殊にこそよれ。難方((なんぼう))ぶしあんな人でハなひか ツレ「誠に是ハ無分別な事ぢやよ 「やあ〳〵其元のにきやかなハ何事ぞ。やあ〳〵何と云ぞ。御伴にハ参ルに及ばぬと云か。夫ハ誠か。なふ〳〵御伴にハ一人も召連られぬと云程に。是悲((非))に及バぬ こちへおりやれ ツレ「心得た ヲモ「早うおりやれ〳〵 ツレ「参る〳〵 〔二人間ニして語ル時ハ    ヲモ 間 嶋ノ物 狂言上下 きや半 こしおび 小サ刀 右かたぬき 竹つへ    ツレ出立 のしめニテモ同前 かたぬかず つへなし 「是へ罷出たる者ハ。渡辺の綱の御内ニ仕へ申者にて候。然ハ頼申つなハ。只今人と留論の致さるゝ其子細ハ。ト云トツレせきばらいをする 常ノ二人間の通りのあひさつして夫より語ル〕 〔一人間ニしテ語ル時ハ。右ノ間ノ通りヲ云。ツレノあひさつをぬくべし。語りとめに。(「)なんぼうぶしあんな人にて候。やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。やあ〳〵ぢやあ。いや〳〵爰元ニて御目にかゝつたらハ。若お伴に参れと有てハこわ物じや。唯急でのこう。去ながら此辺の人々を頼申ぞ。頼ふだ人の我等をめさば御しらせあれ。相構へて其分心得候へ 〳〵〕 〔「やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。何と頼申人の御出と申か。いや〳〵爰元にいて。しぜんお供に参れとあれハいかゞな。此様すをふれてのこうと存ル。やあ〳〵皆々承候へ。頼申人のお尋あらバ。はや是より罷帰りたる由御申あれ。相かまへて其ぶん心得候へ〳〵〕 〔「やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。何と頼申人の御出と申か。いや〳〵爰元にいて。しぜんお供に参れとあらハ。此ていにてハ成まい したくを仕らうずる。さあらバ此辺の人々を頼申ぞ。若我等を尋ル人あらバ。はや是より罷帰りたる由御申あれ。相かまへて其分心得候へ〳〵〕 〔平井保昌 和泉式部後ニ保昌之妻也 息女サダコヲ小式部ト云 渡辺綱 坂田金時 ウス井ノ貞光 浦部末武 綱禁札 高サ一尺程 横二尺程 品川田町 八幡ニ有  東寺ハ建立ヨリ宝永三年迄九百拾一年〕   四拾二 土蜘蛛 「か様に罷出為((たる))者ハ。源の頼光の御内独武者ニ仕へ申者ニテ候。去程に我等の是へ出ル事余の義に不有。此間頼光公ハ風の心地にて御座有ニより。医者数をつくして御養生被成ルれど其験更ニ見へぬ所に。今宵夜半斗と思敷時分。誰もしらぬ僧形の一人来り。頼光の御枕近ク立寄て申様。今夜の御心地ハ何と御座有ぞと尋けれバ。頼光心に思召様。荒ふしぎや行衛もしらぬ僧形の。殊ニ夜更て是へ来り。我をとう事不思義(シンナリ)と思召。汝ハいかなる者ぞと枕を上テ御覧すれバ。彼僧ハ古歌にて御返事を申た其哥ハ。和餓勢故句倍枳隠譬菜利佐瑳餓泥能。区茂能於虚素比虚隠比辞流辞毛と。か様に詠ずるを御聞被成。扨ハ化生の者と思召。不断御側に置せられた御太刀を抜。調度御きり被成なれハ。暮に失て見ゑなんだ所へ。頼うだ人ハ是を聞そのまゝ御所へ欠((駆))付ケ。御声の高ク聞へつる間。心元なふ存シ伺公致たると被申けれバ。扨も早ク来りたるとて御感なり。扨只今の様子を語テ聞せふずると有テ。跡先の事をつぶさに御物語被成るれバ。誠に今に初ざる御手幹((柄))共にて御座候。実も粘の引たる様躰。隠なけれバ。是をしるべに某ハ尋参り。彼者を退治致さふずると有けれバ。頼光ハ尤と被仰るゝに付。頼うだ人ハ化生の者をしたがゑにおりやる所て。我等ごときの者迄も御供ニ参れと被仰出た。急で伺公仕らふずる。〔と云テ道行〕誠ニ此度お供を致し手幹を仕り。子孫におひて名をのこそうと存れバ。此様なうれしい事ハなひ〔ト云テ幕ノ方ミテ〕やあ〳〵其元のにきやかなハ何事ぞ。やあ〳〵なにとたのミ申すひとの御出じやあ。是ハいかな事。殊外いそがせらるゝと見へた。我等も此躰でハ成まひ程に支度を仕らうずる。左有ハ此辺の人々を頼申ぞ。若我等尋ル人あらバ是より帰り為由御申あれ。相構へて其分心へ候へ〳〵 〔たのふた人ハ化生の者をしたがへに御出被成るゝが。何としてよからうぞ。とかく此度おともをいたしひとてがら仕り。しそんにおいて名を上うと存ル やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。何と頼申人の御出じや。是ハいかな事。殊外いそがせらるゝと見へた。それならバ此ていにてハ成まひ したくを仕らふずる。然らハ此邊の人々を頼申ぞ。たのふだ人の召ハ御しらせあれ。相かまへて其分心得候へ〳〵〕 〔二人間ニして語ル時ハ   ヲモ 間 嶋の物 のしめニても 狂言上下 きや半 こしをび 小サ刀 右ノかたぬき 竹つへ    ツレ出立同前 かたぬかす つへなし 「か様に罷出為者ハ。源の頼光の御内ひとりむしやに仕へ申者ニて候。去程に我等の是へ出ル事よのぎにあらず。ト云トツレせきばらい 常ノ通りの二人間のあいさつして夫より語ル〕 〔「たなふだ人ハ化生の者をしたがへにおじやる所で。我等ごときの者迄も。お供に参れと被仰出た。急でゆこう ツレ「一段とよからう ヲモ「さあ〳〵おりやれ〳〵 ツレ「心得た ヲモ「なふなにとおもわしますぞ。此度お供をいたしてがらを仕り。しそんにをいて名をのこそうと存れバ。此やうなうれしい事ハない ツレ「おしやる通り。ずいぶんせひを出してはたらいたがよいぞ ヲモ「其通りじやど((ママ))も。やあ〳〵其元のにきやかなハ何事ぞ。やあ〳〵何と云ぞ。頼うだ人の御出と申か。是ハいかな事。〔のふ((朱))〕殊外いそがせらるゝと見へた〔誠((朱))にいそがせらるゝとミへた 「夫ならバ〕此ていでハ成まい程に。したくをせう こちへおりやれ ツレ「心得た ヲモ「はやうおりやれ〳〵 ツレ「参ル〳〵〕 〔△土蜘蛛 長サ七尺斗ノ法師ト云 北野ノうしろニ大キナル塚有リ 則塚ヲ堀((掘))くづしてミルホドニ四尺斗ノ山蜘蛛ト云 △わがせこがと云哥ハ衣通姫の御哥 是ヲ玉津嶋明神〕 〔△初ニ台出ル 頼光太刀持出ル 座ニ付ク 次第ニテツレ女小蝶出ルト一セイニテシテ僧出立ニテ出ル カケ合有テシテヲ頼光切ル 早皷ニテ中入スル 扨ワキ出ル 又初カケ合テワキ中入 早皷 ワキノ次ニ頼光太刀持皆はいると狂言出ル 立間云テ入ル 間過テシテハ造物の中ニはいりてふたいへ出シ台の上ニのせて置クトワキ出ル〕 (〈夜討曽我〉の系図)   四拾三 夜討曽我 ヲモ「やるまいそ〳〵 ツレ「遯((逃))すな〳〵 〔ト云テ何遍モ云テ橋かゝりヲ出テ舞台へ出ルト〕ヲモ「いやわごりよハ何として出た ツレ「某ハ何心もなふねて居たれバ。寝耳に風とわめく音がしたニ仍テ。何事ぞと思ふて居〔タ〕所に。そちが遣まいぞ〳〵と云声がした程に遯すなとハ云たが。扨是ハ何とした事ぞ ヲモ「扨ハ只今の様子をしらぬか ツレ「くどひ事を云 勝テ知らぬ ヲモ「其義ならバ語て聞せう ツレ「急で咄さしませ ヲモ「先今夜の夜討の発りと申ハ。伊豆の国の住人伊藤入道助近ニ。工藤祐経が先祖の本地を推((押))領せられ。何とぞして彼伊藤入道を討ント便冝を窺ひ待所ニ。一年せ頼朝を慰メ奉覧とて。伊豆相模武蔵両三ケ国の諸侍。赤沢山奥野々狩を催し。夥敷キ遊舞を懸酒宴の無((な))シ。種々様々の興をなす。彼河津俣野が相撲も此時なり。か様の時節能折柄と思ひ。祐経が普代の郎等近江八幡に心を合。何とぞして討ントせしが。祐親をば討責((損))し。嫡子河津ノ三郎祐重を念なふ射落シぬれば。其子ニ一万箱王とて兄弟の者の有しが。稚クテ父におくれ爰かしことたゞよひ幼なけれバ母のつれて。相模の国の住人曽我の太郎祐信が所へ縁に付シ故。兄弟の者ハ幼少にて親を討せ。何様父の敵を討ンと工しが。今ハ成人して曽我の十郎祐成。五郎時宗とて并なき大剛の者なれば。今夜祐経が屋形へ忍入。本望をとげたるとハ聞たれど定切((説))ハ然とハしらぬが。是が定なれば手幹((柄))な事で御座る。定て偽てあらふと存れど。乍去夫もしらぬ事ぢや ツレ「扨々夫ハ夥敷い事おしたなあ ヲモ「されバ手幹な事を仕たぞ。いやあれゑ居((行))て誠か偽か聞ふ ツレ「一段とよからふ ヲモ「左有バ此方へおりやれ ツレ「心得た〔ト云テ道行〕 ヲモ「いや喃。定て偽で有うとハおもゑど。乍去知らぬ事ぢや ツレ「誠に是が定なれば手幹な事でハ有ルぞ ヲモ「やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ ツレ「何と云ぞ ヲモ「いや五郎十郎が只今是へ討てくるといやひ ツレ「夫ならバ定じや ヲモ「中々定切じや ツレ「なふ聞しませ。爰が分別所じや。彼兄弟の者ハ常々大剛の者と聞及ふだに。其方や身共か様な無力な者か拘たらバ捻事もなるまい。某ハ戻ぞ ヲモ「はて扨是迄来て逃ると云事が有物か。某も是に居る程に居さしませ ツレ「わごりよいたくハ其所におりやれ。身共ハ行ぞ。唯逃々 ヲモ「やい其許は扨も〳〵臆病な。いや〳〵いわれぬ事を云うよりも。某も足許の明ひ時ニ離う。併是迄きて唯帰ルもいかゝなれば。此様子を触テ帰らう。やあ〳〵皆々承リ候へ。今夜の夜討ハ曽我兄弟なれば。面々の屋形の前ニかゞりをたき。辻々を堅メ番を能仕れとの御事なり。相構テ其分心得候へ〳〵 〔但シ一人間ニシテ語ル時ハ (「)是へ罷出たる者ハ。かまくら殿の御内。去ル御方ニ仕へ申者ニて候。それニ付我等の是へ出ル事別のぎにあらず。先今夜の夜打のおこりと申ハ。ト云テ段々語ル 夫よりとめに (「)今夜祐経がやかたへ忍入。本望をとげられたるとハ聞たれど定説ハしかとハしらぬが。是がじやうなれバ手からな事で御座る。定ていつわりであらふと存れど。さりながらそれもしらぬ事ぢや。やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。何と五郎十郎が討てくる。いや〳〵彼両人の者ハならびなき大剛の者なれば。某なとがとらゑられたらば中々うごく事か成まい。身ハ帰らう。去りながら是まできてたゞ帰ルもいかゞなれば。此よしふれてのこふと存る。やあ〳〵皆々承り候へ。今やの夜打ハ曽我兄弟なれば。面々のやかたの前にかゞりをたき。辻々をかため番を能仕れとの御事成り。相構へテ其分心得候へ〳〵〕   間二 人出立 嶋の物 狂言上下 脚絆括ル 腰帯 小サ刀 ヲモ間 かたをぬぐ 右ノ袖を 二人共ニやり持出ル    一人して云時ハ竹杖ツき出ル  〔◯したび此間二人して云時ハ道具を持ならハ弓か長刀よし やりハもたぬ物也 其時代迄ハ鑓なし 然共弓ハシテか持 長刀ハ造物ニ不仕候 夫故乍無理持〕 〔河津三郎祐茂ガ子。曽我太郎祐信ニ育セらルヽ故ニ。曽我ヲ以テ氏トス。稚名兄ヲ一万。弟ヲ箱王ト云。後ニ一万ヲ祐成。箱王を時宗ト云。祐成九歳時宗七歳ヨリ。父ノ仇ヲ報 後鳥羽院ノ御宇。建久四癸午五月廿二日より。七日の間頼朝公冨士野巻狩ニテ。廿八日ノ夜祐経ヲ討。祐成後ニ仁田忠常祐成ヲ斬ル。小舎人童五郎丸。時宗ヲ虜ル。由井濱ニテ誅せらるゝ祐経ガ普代郎等近江小藤太八幡三郎ト云〕   四拾四 檀風 〔 本間供狂言出立 嶋ノ物 狂言上下 腰帯 小サ刀 楽ヤニテワキ方へ行太刀請取テ夫ヲ持テ供して出ル〕 〔初ニシテ本間狂言太刀持出ル こしかき二人 初シテ舞台へ出テ大臣柱ニこしかけテいる 其時本間シテ柱の先ニテ名乗ル内狂言太刀を持 大((太))皷座ニ下ニイル 名乗過テ(「)いかに誰か有 ト云〕 「御前ニ候 〔本間シカ〳〵〕 「畏テ候 〔ト云ト本間ハ笛の上ニ下ニイル 狂言ハ本間のとなりにならびて下ニいる 又太皷座ニいてもよし〕 〔其時太刀をば本間のうしろ地謡の前ニ見へぬ様に下ニ置ク 扨ワキ出ル 橋かゝりニテ次第道行有テ子方ト入替り橋かゝりよりワキ案内ヲ云〕 「案内とハ誰にて渡り候ぞ 〔ト云テ橋掛りノ方へ行 ワキシカ〳〵〕 「さん候 囚人(メシウト)の所縁(ユカリ)に。御対面ハ堅キ法度にて候え共。稚(ヲサナ)キ人を御同道なれバ。御機嫌を以申さうずる間。夫に暫ク御待候へ 〔ト云テシテ柱の先ニかたひさ立テ下ニイテ〕 いかに申上候。都今熊(イマグマ)梛木(ナギノキ)の坊に。師(シ)の阿闍梨(アシヤリ)と申山伏の。〔助朝の子ニテ有トテ〕稚子(ヲサナキ)人を御供ひ(ヲントモナヒ)有。則御対面有度由被申候〔本間シカ〳〵〕 「尤左様にて候へ共。資朝の卿(スケトモノキヨウ)の御事ハ。別(ヘツシ)て御劬(ヲイタハ)りと見へ申て候間扨申上候 〔シカ〳〵〕 「畏テ候。一段の御機嫌に申合テ御座る。急で此由申さうする〔橋掛りの方見て〕 最前の客僧ハ渡り候か 「其由披露(ヒロウ)申て候へバ。則対面(スナワチタイメン)有うずるとの御事に候間。かう〳〵御通り候へ〔ト云テ太皷座ニ下ニイル 又本間となり笛ノ上ニイテよし かたをぬぐ時ニ狂言てつどう 又入ル時もてつだいする ワキト子方舞台へ通ル 色々有テシテワキ子方一遍廻リテシテの首ヲ本間打テしまい太刀ヲ納テはだを入下ニいる ワキきられたしがいを持テそろ〳〵と太皷座迄以テくる 其時本間狂言をよびだす 狂言太皷座より出テシテ柱のさきに下にいて(「)御前ニ候 と云 本間(「)番を上テ休 と云 狂言(「)畏テ候 と云テふれル事も有リ 又ふれずにすぐに太皷座ニいて本間桐((切))戸より入ルト其まゝ狂言もきりとよりかくやへ入テよし〕 〔春藤流ニてハ狂言呼出シテ(「)ふれろ と云 高安流ニてハ狂言を呼出ス事なし 本間が(「)番ヲ上テ休 ト云事ヲふれテのく 宝生流ワキモ呼出しハなし〕   同 中入ノ間 〔 ヲモ間 嶋ノ物かのしめの類 狂言上下きや半 こしをひ 小サ刀 右のかたぬく やりを持 ツレ出立同前 かたぬかず 弓矢持出ル〕 ヲモ「遣(ヤル)まいぞ〳〵 ツレ「何者成共のがすな〳〵〔右ノ通り二人共ニ橋掛り出ル内何返も云テ出ル シテ柱を過テ〕 ヲモ「扨も〳〵口惜(クチヲシ)ひ事をした ツレ「〔ノウ〕是ハ何事じや ヲモ「いやわごりよか ツレ「中々 〔其方ハ何と思ふテ出たぞ〕 ヲモ「そちハ様子をしらぬか ツレ「いゝやしらぬ ヲモ「夫ならば咄テ聞せう。惣じて物に油断のせまい事じや〔ハ〕。今度都より生捕て下り給ふ。壬生の大納言(次○)資朝(スケトモ)の卿(キヨウ)ハ。佐渡の嶋此所へ流され給ひ。則頼うだ人の預(アス)から(カラ)れて。余(ヨノ)ノ囚人(メシウト)よりも一入御念(ゴネン)を入られ。日夜(ニチヤ)朝暮(アサユウ)ともに油断(ユタン)無ク寝(ネ)ずの番(バン)を仕れと。家中の者共堅ク被仰付たに仍テ。皆々気を詰(ツメ)テ番(バン)をした処に。又都より俄(ニワカ)に飛脚(ヒキヤク)立テ。資朝(スケトモ)の卿(キヨウ)ハきのふ誅(チウ)せられたれバ。最早用心も居らさる故。本間殿よりの御意にハ。此中皆々苦労(クロウ)を致したる者共に。今日より番(バン)をあげ休(ヤスム)様に仕れと仰出され。すなわち頼うだ人ハ御しん所(ジヨ)へ入せ給ふ程に。下々も是を嬉敷(ウレシク)ク思ひ。我も人も帯紐(ヲヒヒモ)をとき。此間の草臥(クタビレ)をなをさうずるとて。いかにも心安う思ふていた処に。都今熊(イマタマ)梛木(ナキノキ)の坊に。師(シ)の阿闍梨(アジヤリ)と云客僧が。資朝(スケトモ)の子ニテ有ルとて稚(ヲサナ)キ者を一人連テ来り。今夜(コンヤ)忍入(シノヒイリ)本間殿(ホンマドノ)を指殺(サシコロシ)シ。其侭(ソノマヽ)縁(エン)を飛(トヒ)をりのくと聞テ。何かわしらず彼(カノ)いたづら者を討(ウチ)とミやうと思ふて出たが。わごりよハ夫をしらぬか ツレ「面目もない事なれとも。此中殊外草臥(クタビレ)ハする。前後(ゼンゴ)もしらずねていた処に。皆のさわくがね耳(ネミヽ)に入りふと起(ヲキ)テ出うとしたれバ。此道具(ドウグ)が足(アシ)ニ碍(サハ)つた程に。其まゝ是を提(サゲ)テハ出たれ共。其(ソノ)子細(シサイ)ハ夢(ユメ)ニもしらなんだ〔が〕。扨々にがつた事をしたなあ ヲモ「されバ其事じや。両人の者が是迄来た事ぢや程に。迚(トテモ)の事に追懸テ見たいとハ思へども。此闇(コノヤミ)の夜(ヨ)で足元も見へぬに。ゐづくをさ(ドコヲサイテ)してゆこうともわきまへぬが。扨是ハ何としてよからうぞいなふ ツレ「いや(サレハ)某の分別にハ及バぬ事ぢやが。わごりよハ何と思わしますぞ ヲモ「いや身共(ソレガシ)の分別(シンジウ)じやと云てもべつに珎ら(メツラシイ)しい事もなひが乍去〔大事の事ヲ此ごとくに云テ。じこくヲうついてハいかゞなほどに。たゞ我等のおもふハ〕浦々の舟を留たらばよからうと思ふ ツレ「一段と尤じや。是程のことわ有まひ 急テ留さしませ ヲモ「さあらバ某ハ南浦をふりう程に。わごりよは北浦を触さしませ ツレ「委細(イサイ)心得た。左有ハ身どもハ北浦を触に行ぞ ヲモ「早うゆかしませ ツレ「心得た〔ト云テツレハかくやへはいル〕 ヲモ「さあらバ某も急でふれまらせう。いかに南浦の舟頭共承れ。都今熊の梛の木の坊に。帥の阿闍梨が此所へ来り。今夜忍入本間殿をあやまつて有ぞ。聊尓(リヨウジ)に舟に人を乗せておし出すなとの御事成り。相構ヘテ其分心得候へ 〳〵 〔資朝卿権中納言従三位検非違使別当 後醍醐天皇ノ時ノ人也 日野俊光卿ノ三男 太平記ニハ新(クマ)若ト有〕   四拾五 烏帽子折 〔〈現在熊坂〉間 能ハ違有リ〕 〔拍子方出ルトワキ次第道行有テ沙那王出ル よひかけ詞有 謡少有(「)かゝみのしゆくに付にけり ワキ詞有(「)先こう〳〵渡り候へ ト云テ座ニツク 幕上テ早打出ル 仁右衛門方ニテハ(「)はい〳〵扨も〳〵いそかしい事かな と云テ出ル 八右衛門方ニテハ吉次ニ付テ出テ太皷座ニイテ皆々座ニ付ト立テふれる〕 早打「是ハ平家方に仕へ申者ニテ候。去程に我等の是え出ル事余の義にても御座なひ。爰に源家ノ大将義朝の末子。遮那王殿と申す少人の有しが。平治の乱の後鞍馬の寺に学文被成て御座候ひしが。此程人を頼東国へ御下りの由聞召。誰にてもあれ告しらするにおいてハ。望次第に御褒美可有との御事成り。相構テ其分心得候へ〳〵    早打 出立 嶋ノ物 狂言上下 脚伴((絆)) 腰帯 小サ刀 右ノかたぬぎ 竹つへ    ヤト出立 のしめ 長上下 小サ刀 扇持出ル 〔沙那王其まゝ立テ(「)只今早打の申て通りつるハ我等が身の上の事ニテ候 此まゝにてハ叶まし 身をもかへて下らばやと思ひ候 ト云テ橋掛り向テ(「)いかに案内申候 ト云 シテ出ル (「)誰にて渡り候ぞ と云 (「)ゑぼしの所望ニ参りて候 と云テ色々謡有テ(「)扨ゑぼしか出来て候 召され候へ と云テシテ沙那王にきせて扨ゑぼし代に小サ刀を渡ス シテ請取テツレヲよひ出ス まくの内より出ル 扨シテトツレ刀ヲ見て色々して扨刀をかへす 其内沙那王笛の上ニいる 扨色々謡有テ(「)ちからなし とて請取テ(「)旅人をともない ト云時ニワキ太皷座より出ル (「)赤板((坂))のしゆくに付にけり〳〵 ト云時ニシテモツレモ中入する 扨ワキ(「)急候程にあかさかの宿に付て候 此所にてやとをからばやと思ひ候 いかに吉((ママ))やどを取候へ ト云 (「)畏テ候 ト云テ (「)いかに此内へ案内申候 狂言借宿前方謡内出テよし〕 ヤト「誰にて渡り候ぞ 〔ツレワキシカ〳〵〕 「安事ニて候(キアイタノコト) かう〳〵御通り候へ〔ト云〔沙〕那王ワキトツレワキ常ノ通りふたいへ通ル内狂言太皷座ニ少下ニイテ皆座つくと其まゝ立橋掛りの方ヲミテ〕やあ〳〵夫ハ誠か。是ハ(サテサテ)にが〳〵しひ事じや〔ト云テふたいへ出テワキノ方ミテ〕 いかに申上候 皆(カタガタ)の是へ御着被成た〔ル〕をきいて。此所の悪とう共が今夜ようちを致さふと(カクルヨシ)申程に。御用心被成候へ〔ワキシカ〳〵〕 「さん候 〔ト云テ又太皷座ニイ桐((切))戸より入 沙那王(「)面々ハ何事を仰候ぞ ト云テ色々詞有リテ(「)打入ヲおそしと待いたり ト謡ウ 沙那王ハ大臣柱ノ方ニいる 爰ニて早皷ヲ打也 ぬす人三人出る〕 ヲモ「か様に〔○((朱))〕罷出(候者ハ)為((たる))者ハ。美濃の国〔○次((朱))〕青野が原の辺〔ニ〕おひて。人の物をかすめ〔テ〕世を渡ル者にて候。いやわこりよ達ハ。様子をしつて出たか 但ししらぬか ツレ「いや某も大方ハ聞たれ共委ハしらぬ ヲモ「そなたもしらぬか 又ツレ「中々 ヲモ「夫ならハ語て聞せう程に聞しませ 二人「心得た ヲモ「先都三条に(ノ)金売橘次(キチジノブタカ)とて。年々五畿内の宝物を集メ高荷を作り。奥へ下ル商人の有を。かれが都を出ル時より目付を置(ツケヲキ)。今日青墓の宿に着て候間。彼高荷をとらふずるとの御事ニ付。先我等ごときの小盗人共ニ参あらぬきを致せ。追付長半((範))殿を初。いづれも統領衆の御出有ふずるとの御事じや。何と目出度事でハなひか ツレ「実と大方にハ聞たれ共委事ハしらなんだが一段の思ひたちじや よからふ ヲモ「さあらバ時分もよいぞ いさ打たて 二人「心得た ヲモ「いざこちへこひ〔ト云テ一返廻ル〕 〔ヲモ「なふ皆もてがらをしてほうびをとるやうにさしませ ツレ「心得た ゆだんする事でハなひ ヲモ「早是じや 扨此大戸を何としてあけうぞ ツレ「されハどうづきをかけうか ヲモ「夫ハいらぬ物じや てこをこうてこじはなそう 二人「一段とよからう ヲモ「夫ならハ是へよつて両人しててこをかわしませ 二人「心得た ト云テツレ盗人二人して扇をてこにして右の片にかけてこじはなすてい(「)めり〳〵〳〵 ト云 ヲモ盗人ハツレ両わきからてこをかう まんなかにて両手ニておすていしていて(「)ぐわら〳〵〳〵 ト云テ戸を明ルてい(「)まんまとあけた 某ハ内のていを見よう 二人「よからう 「おも盗人内のてい見るなり (「)のふ殊外くらふて物のあいろか見へぬ 今の物をだせ 二人「心得た ト云テ三人共ニはしかゝりに下ニイテうしろにさしたるたいまつを出しふりてとぼすていをしてたがいに(「)そちゆけ (「)先なんじゆけ と云テじたいをして末の者をやる 其時そろり〳〵と行シテ柱の方よりミて大臣柱の方へ行時ニ沙那王を見付てなげ付ル 切落ス (「)是ハいかな事 と云テにげてはしかゝりへくる 二人共に(「)なんとした と云 (「)いや何者やらたい松を切テおとしたハ 二人「是ハすかぬ事じや ヲモ「夫ならハ汝いて見てこひ ツレ「身共ハゆるしてくれい 二人「なんのゆるせと云事か有物か はやうゆけ ト云テ二人しておし出ス ツレ「是ハめいわくな事じや きミのわるい事じやが と云なから ふるへ〳〵左の手ニテ刀ニそりを打右の手のたい松をふり〳〵行 沙那王を見て跡へ引テ足の方へなけ付ル 其まゝふミけすと(「)あゝかなしや と云テにけてはしかゝりへくる 二人なから(「)是ハなんとしたぞ ツレ「身共かたい松をハふミけしたハ ヲモ「やあ〳〵ふミけした ツレ「中々 ヲモ「いよ〳〵かてんのゆかぬことじや 二人「さあ〳〵わこりよいて今度ハせうぜきを見てこひ ヲモ「某ハゑ行まひ程にゆるしてくれひ ツレ「おくひやうな事を云 せひともそちもいて見とゞけてこひ ヲモ「とう有ても成まい ト云テにくるを二人しておも間をつき出してやると立かへりて(「)そりや と云ハ (「)はやう出合てくれい 二人「きすかいをするな 其まゝゆこうぞ ヲモ「あゝすかぬ事じや 是ハ ト云テたい松を左りへ持目付柱を見て小サ刀に手をかけるていをして夫より又右の手へたい松を取直しテふりなから上をミたり下を見たりして或ハつくほうて居テ沙那王を見付テ左りの手をかさして見夫より立テ両手ニて沙那王のむねのあたりへなげ付ル 沙那王取テなけかへすと其まゝ取に行ト太刀ニてかたを切ル (「)あゝかなしや と云テたをるゝ成り 二人「されハこそ落(ヲト)がしたか心元ない と云テくらやミを二人して下ヲさかして行てい 或ハあふなそうに尋々行 其内ハヲモ間(「)あいた〳〵 ト云テいるト二人共ニ行テ(「)やれこゝな者 なんとした と云 (「)あゝしたゝかにきられた あいた〳〵 二人共ニ(「)是ハ殊の外のおもてじや 先つれてのこう (「)よからう ヲモ(「)是でハかなわぬ あいた〳〵 (「)扨々きのよわい事を云 心をしつかりともつていゝ ト云 (「)是てハたまるまいそ あいた〳〵〳〵 二人してたかいに手をとりてかたへかけてがくやへはいる〕  〔宝生流ハ一のたいまつふミけし二のたい松を切テ落し三のたい松なげかへし〕 〔一のたひ松ハ又ツレ持也 沙那王を見付テなげる 二のたひ松ハツレ足のきわへころかし或ハかたてニてさしたすことも有り 三のたひ松ハほうる 右の手にてまん中を持テほうつてよし 子方がひたりニて請取候間かけんしてほうつてよし〕   中入 間強盗ヲモ 昔ハそばつき或ハすわふの袖ヲ折込テ(ヲリコミ)狂言袴 きや半 コシヲヒ 嶋の物キル おくずずきんひけ 小刀 扇 今ハ狂言上下ニテ袴くゝりてもする   ツレ 二人 嶋の物 袴きや半にてくゝり 小サ刀 おくす頭巾 ひげ こしおひ 羽おり 一人ハもぎとうにて   三人トモニたいまつをうしろへさし   四拾六 千引 〔ワキ名乗詞(「)是ハみちのくつほのいしぶミを知行仕ル甲斐の何某ニテ候 扨も此所に千引の石とて大石の候が此石ニ魂有テ人をとる事数をしらず候 去ル間此石ヲほかへ引出しちゞにわりてすてさせばやと存候 いかに誰か有ル〕 太刀持「御前ニ候〔(ワキ「)汝もしるごとく彼千引の石を引出シ千々にわり外へすてさせふするニて有ぞ 上ハ六十下ハ十五をかぎつて罷出石ヲひけとかたく申付候へ〕(太刀持)「畏テ候〔ト云テツレ女ノ方へ行テ〕いかに案内申候〔女(「)誰にて渡り候ぞ〕 (太刀持「)是ハ甲斐の何某殿より御使ニて候。此所の千引の石を他国へ引出し。千々に御割可有との御事ニて候間。急で出テ石を御引候へ〔女(「)ひん成者ニて候程ニよの人もなく候〕(太刀持)「たとひ貧女成共此事〔そむき〕申ならば。此所にハ叶間敷いとの御事に候。とふ〳〵御出あれとの御事ニテ候〔ト云テふれる〕皆々承候え。此所の千引の石を他国へ引出シ。ちゞにわり捨有べく候間〔上ハ六十下ハ十五ヲカギリ〕男女によらず急て石をひかれ候え。其分心得候へ〳〵 〔ト云テワキノ次ニイル 女謡有リ シテサシ 女謡カケ合下哥上哥 シテト女詞上哥 女上ハ有地謡ノ末に(「)あくるしのゝめのあかぬ中の中々になにしに馴そめて今更悲しかるらん ト云テ中入ニシテ石の作物の中へ入ルト立間出ル〕 ヲモ間「か様に候者ハ。此他りに住居致者にて候。去程ニ我等の是へ出ル事余の義にあらず。扨も此所ニ千引の石とて無隠大石の候が。彼石に魂有ツテ。年どし人を取ル事限りなし。左有ニ仍テ何某殿よりの仰にハ〔上ハ六拾下ハ拾五をかきりに〕男女によらず罷出。其石を他国へ引出シ。ちゞに割捨よとの御事にて候間。皆々を喚出し石をひこうと存ル。なふ〳〵皆おりやるか ツレ「何事じや ヲモ「別の事てハおりなひ。千引の石を他国へ引出せとの御事じや。若引ぬ者の有ニおいてハ当所の住居ハ成まひと被仰出たに仍テ。石をひこうでハないか ツレ「是ハ迷惑なれ共。被仰出た事ぢや程にいざひこう ヲモ「さあ〳〵是へおりやれ 皆々「心得た〔ト云テ布ノ切ヲ作物ニゆひ付テ尤付所有り〕 ヲモ「なんとよひか 皆々「中々よい共 ヲモ「さらば引ぞ 皆々「よからふ ヲモ「ゑひさらゑさら 皆々「ゑひさらゑさら ヲモ「ゑひと云てハゑひ〳〵ゑ 皆々「ゑひさらゑさら ヲモ「ゑひや〳〵 皆々「ゑいや〳〵 〔右ノ通リ云テはやす (「)是ハ中々いごく事でハない ト云 (「)にが〳〵しい事じや 何としたらバひかりやうぞ と云 (「)扨々きのどくな事じや ト皆々云 其時に女より詞ヲかけ候やうに云合べし 女(「)いかに申候 皆々御のき候へ わらハひとりしてひこふするニて候〕 ヲモ「何と此石をかた〳〵一人してひこふずると御申候か。さ(※)あらハ夫に〔※其由申さうズル間夫ニ暫ク〕御待候へ 此由申上う〔ト云テ狂言の太刀持へ云〕いかに申候 太刀持「何事にて候ぞ ヲモ「あれに女性の渡候が。此石を独して引ふずると申候 太刀持「其由申上うする間。汝等ハ休候へ ヲモ「畏て候〔ト云テツレ方へキテ〕休と被仰るゝ程に。皆々こちへおりやれ 皆々「心得た ヲモ「早うをおりやれ〳〵〔ト云テ石ヲ引為((たる))者楽ヤヘ入ル 其内ニ太刀持ハワキノ方へ行テ〕 太刀持「いかに申上候。あれに女の候が。此石をひとりして引ふずると申候 〔ワキ(「)是ハふしき成事を申者かな 某出テしきに尋うずるにて候 こなたへと申し候へ〕 太刀持「畏て候。此方へ御出(ハタリ)候え〕   ワキ 供太刀持出立 腰替り熨斗目 狂言上下 腰帯 小サ刀 扇 楽ヤニテワキ方より太刀請取テ出ル    中入 ノ間大セイ出ル 嶋ノ物かのしめ類 狂言上下 きや半 こしおび 扇 何も出立同前 縄ハひなんか細引か前方ニ尋べし 〔((太刀持)「)何某殿より仰にハ。上ハ六十下ハ十五をかぎつて。男女ニよらず罷出其石ヲ他国へ引出シ〕 〔ワキ陸奥(ミチノク)壺碑(ツボノイシブミ)甲斐(カイ)ノ何某〕   四拾七 錦戸 〔 ワキ供 狂言嶋ノ物か熨斗目ニテモ 狂言上下 小サ刀 扇さし 楽ヤニテワキ方より太刀請取持出ル〕 〔ワキノ供して出ル 太皷座ニイル ワキ名乗長シ (ワキ「)和泉が舘ニ行か様の事をも談合せばやと存候 いかに誰か有ル〕 ワキ供太刀持「御前ニ候 〔ワキシカ〳〵(「)和泉か舘へ出うするニテ有そ 供し候へ〕 (太刀持)「畏テ候 〔ワキ(「)是迄来りたる由ヲ申候へ〕 (太刀持)「心得申候 いかに和泉の三郎殿の御座有ルか。錦戸太郎殿御出にて候 〔シテワキシカ〳〵詞長シ 地へ取謡テワキ中入スル 狂言付テ楽ヤヘ入ル シテト女詞有カヽル 謡なと有テシテ詞 下哥地上哥地(「)実や義経も〳〵秀平((衡))にほともなくおくれ給ひし事もたゞ御運のすへと覚たり さしも社遺言に委く有しとも〳〵今何ならぬ御敵と成給ふ義経の御所存の内ぞ痛わしき〕 〔シテ供文太皷座より持出ル〕(シテ供)「大方様よりお文ニて候。御開心なきにより。太郎殿もふぜひにて押寄せられたる。先何方へも御忍有との御事ニ候 〔シテ詞女詞カケ合テ上哥地クセ過テシテ詞女謡地へ取テ謡のとめニ(「)よろ〳〵と倒ふしけれハいつミハしがいにとりつきて泣より外の事そなき〳〵〕   同 後間 〔 二人出ル 出立 嶋の物か熨斗目類 狂言上下 脚伴((絆)) 腰帯 小サ刀 右ノかたぬぐ 竹つへ ツレ出立同前 つへハなし かたぬかず〕 ヲモ「か様に候者ハ。秀平の舘に仕へ申者にて候。去程に我等の是へ出ル事余の義にあらず〔ツレ出テせきはらいする 常の通りのあいさつ〕ヲモ「頼朝義経御中不和にならせ給ふニより。判官殿ハ秀平を御頼有御下向被成候所に。秀平空敷ならせ給ふニより。頼朝より御教書参たる。錦戸太郎殿二心に相見へ申ニより。義経も太郎殿出仕日々に致され候へ共。一度も御対面なきにより。太郎殿三郎殿に此事を御相談有り。御教書の趣御同心ニて候かと御申あれハ。其時仰らるゝ様ハ。秀平の御ゆひこんニて堅被仰候間。左様の事ハ中なか思ひもよらぬとて其座敷を御立被成た。左有ニ仍テ錦戸思召様ハ。先三郎からしてにくきやつなれバ。是を討ントの御事ぢやが。わごりよハ何と思ふぞ。 ツレ「扨々是ハにが〳〵しひ事が出来たなあ ヲモ「其通りじや。某の思ふハ。ぎりのかたひ三郎殿へ味方ニ参らふか。但シ錦戸へいて((ママ))物であらふか ツレ「され〔ハ〕どちらゑ居((行))てよかろうぞ ヲモ「身が思ふハ。兎角一人も大勢の方がよひ程に。錦戸へ行う ツレ「そちが云通り。大勢程の事ハなひ 参らう ヲモ「やあ〳〵其許のにぎやかなハ何事ぞ。何と最早出らるゝと云か。夫ならば帰テ支宅((度))を致シ。御供申さう こちへおりやれ ツレ「心得た ヲモ「早うおりやれ ツレ「参る〳〵 〔太刀持ワキ供「御前ニ候 「畏テ候。いかに案内申候。太郎殿の御出にて候〕 〔文持出ルシテ供「いかに申候。太郎殿より御文の参りて候。扨御返事おば何と申候へし 「畏て候 文ひらき見る内待テイル。扨返事の事ヲ云ト腹切べきよしヲ云付ル〕 〔後間「是ハにが〳〵敷事が出来た。何と仕らふぞ。方角もないよ ツレ「やい〳〵何事ぞ〳〵 ヲモ「わごりよハ此度の子細ヲしらぬか (ツレ)「いゝやしらぬ (ヲモ)「夫ならば様子を咄テ聞せう。聞しませ (ツレ)「急ではなさしませ (ヲモ「)頼朝よしつね御中不和ニならせ給ふニより。判官殿ハ秀平を御頼被成御下り候所に。頼母敷御頼まれ候が。秀平むなしくならせられ候ニ付。かまくら殿より御教書参り候間。太郎殿二心に相見へ申ニより。義経も太郎殿出仕日々に被成候へども。御対面なく候ニ依テ。太郎殿三良殿へ御談合有り。御教書のおもむき。御同心ニて候かと御申あれば。和泉の三郎殿ハ。秀平の御ゆいごんにかたく被仰候程に。とかくと語ルに及ハずと有テ座敷を立せられた。夫ニ仍テ三郎殿を討ずるとて。もうぜい御用意有。具足をきる者も有リ。鉢巻する者もあり。たてをしめいてしんどうするが。身ハぎりのかたい三郎殿の味方ニ参らうか。いや〳〵おふいやうハくるしうない。もうぜひの太郎殿へ参らう ツレ「されバどちらへいたかよからうぞ ヲモ「やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。何ともうぜひ出らるゝと申が。某ハ足本のあかい時にのこふと存ル ツレ「わごりよものくならバ。一所に身共も行う ヲモ「夫ならバこちへおりやれ ツレ「心得た ヲモ「たゞいそいでのけ〳〵〕 〔ワキ中入ノ後出ル 初ノ太刀持又出ル 今度ハ刀ヲ指肩衣ヲかた〳〵ぬぎ竹杖ヲツキ出テ(「)いかに誰か有ル ト云時ニ〕 〔ワキ供初ノ者後出ル〕「御前ニ候 〔シカ〳〵 (「)和泉か躰ヲ見て来候へ〕 「畏て候 〔シテ柱ノ元ニテ〕 いかに和泉の三郎殿〳〵 〔シテノ太刀持出ル事も有リ 其時ハ 「誰にて渡り候ぞ 「其由申さうする間。夫ニしばらく御待候へ 「いかに申上候。錦戸の太郎殿の御参りにて候 「畏て候。さいぜんの人の渡候か。「こふ〳〵御通りあれとの御事ニて候〕 〔初ニワキ出ル 狂言供して出ル ワキ名乗テ(「)いかに誰か有 ワキトモ「御前ニ候 ワキ「某が来為((たる))由申候へ ワキトモ「畏て候 いかに案内申候 シテ供「誰にて渡り候ぞ ワキトモ「太郎殿御出被成候 シテ供「其由申さうずる間。それにしばらく御待候へ。いかに申上候。錦戸の御参ニて候 シテ「こなたへと申候へ シテトモ「畏テ候。さいぜんの人の渡り候か ワキトモ「是ニ候。こふ〳〵御通りあれとの御事ニ候 ワキトモ「心得候。こふ〳〵御通りあれとの御事ニて候〕 〔ワキ錦戸太郎。シテ三男和泉三郎也。詞色々有テ。ワキ中入スル。ワキノ供付テ入ル。シテ妻ヲ呼。(「)いかに渡り候か。シテツレ女。シテト詞色々。謡くどき有テ。又謡に謡有テ。トメニシテノ供。(「)いかに申候。太郎殿より御文の参りて候。扨ハ返事おハ何と申し候べし 「畏て候 文ハ太皷座より持出ル〕 〔シテ供無時ハ。幕ノ内より。謡のとめぎわニ出ル。事も有り。其時ハ(「)のふいそがしや。いかに案内申候。太良殿より御文ニて候。錦戸太郎殿の御申事。三郎殿の御同心なきニより。太郎殿まふせひニておしよせられ候間。先何方へ成共御忍あれとの御使にて候〕 (ノドにもう一行あり。綴じがきつくて読めず)   四拾八 芳野天人 (「)是ハ和州吉野の郷に住者にて候。扨も当山の桜世に無隠により。毎年花の盛ハ貴賤群集致事。申も中々おろかにて候。就夫都人花見とて若き人を伴ひ来り。爰かしこと詠((なが))メ申されけるに。やごとなき女性のまみへ候程に。いか成人ぞと不審をなし申されけれバ。我ハ上界の天人成が。今宵ハ爰ニ旅居して待給ふならバ。以性((徃))の五節の舞今日〔の〕やゆふに。まなびて見せ申さんと。迦陵頻伽(カレウヒンガ)の声ばかりして失給ふと承る間。か様のためしすくなき事をバ。諸人ハ存間敷候間。此由申聞せばやと存ル。やあ〳〵皆々承り候へ。当山にをいて上界の天人やゆうをまなび申さるゝ間。老若ともに罷出て見物被申候へ。構て其分心得候へ〳〵〕   間出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇子 〔初常ノ女也 中入後〈羽衣〉ノ通りの乙女三人出ル 左近一世ノ時ワキ福王流也〕 〔「是ハ此他リニ住居仕ル者ニテ候 今日ハ物さびしき折からなれバ当山ニ上り花ヲ見心を慰ばやと存ル 「いや是に見馴御方の御座候 「是きとく成事を仰らるゝ物哉 左様にいつくともなく女性の来り当山の子細委ク可語者此他リニテハ不覚候が扨ハ我等のすいりやう致ハあまおとめ顕出声詞をかわされたるかと存ル間あまりにふしき成御事なればこよいハこかけに御逗留有重而寄((奇))特を御覧有かしと存ル 大蔵ノ弟子語間ニ云也 〈吉野〉の間ヲ云〕   四拾九 常陸帯 〔ワキ名乗(「)か様ニ候者ハ常陸国鹿嶋の明神ニ仕へ申者ニて候 扨も当社ニおいて御神事御座候中ニも正月十一日の御神事おば常陸帯の御神事と申候 今日ニ相当り候程ニ急き社中ニ相ふれ御神事を取行ひ申さはやと存候 いかに誰か有ル 狂言太刀持付テ出ル 名乗の内待テ居ル〕 「御前ニ候 〔ワキ(「)今日の御神事の事急取行ひ申さうするニて有そ 各へ其由相ふれ候へ」 「畏テ候 〔ト云トワキハ座ニ付クト狂言シテ柱ノ先ニて触ル〕 やあ〳〵社中(シヤチウ)の面々御聞あれ。毎年のごとく御神事を。取行わ(トリヲコナハ)れんとの御事にて。神主殿御出にて候間。皆々御出候へ。其分心得候へ〳〵 〔ト云テ太皷座へ行テ下ニ居ルトシテツレ出ル サシ小謡過テワキカヽル シテトツレ女トカケ合テ地へ取 ロンキ地の留に(「)あらうたて御神ひたちおひかへし給へや ト云テ中入〕 「去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我が朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神国々に地をしめ給ひ。威光区々成とハ申せ共。中ニも当社の御事は。諸神に弥増霊現新成御神なれば。一入御威光あらたに御座候。左有ニ仍テ当社において。年中ニ御神事数多御座候。中にも今月今日の御神拝を。常陸帯の御神事と申て。妻をかたらひ度ク思ふ人ハ貴賤(キセン)によらず。帯(ハラダノヲビ)に哥を書付神前ニ懸(カケ)置モウスを。如何成女にても。其歌を読(ヨミ)為((たる))を妻にかたらひ申すニより。常陸おびの御神事とハ名付給ふ。先是ハ当社の目出度子細。今日ハ一段と能天気なれバ。殊外大参りにて最早御神事も済候えバ。急社人達を喚出し。くわんこうをなし申さうずる。皆々おりやるか ツレ「何事でおりやるぞ ヲモ「今日の御神事も。首尾能ふ治り目出度事でハなひか 皆々「誠に目出度事でおりやる ヲモ「さあらバくわんこうなし申さう 皆々「一段とよふおりやらふ ヲモ「是へよらしませ 皆々「心得た 〔ト云テ作物のそばへ行テ二人して御こしの両方のぼうを持テ上ルていをして御こしの作物ハなし シテの中入の作物はかり出る〕 ヲモ「ゑいとも〳〵ゑいともな 皆々「〳〵〳〵〳〵 ヲモ「一里方歩(ホツホウ)さいやれ 皆々「さいやれ〳〵 ヲモ「千歳楽万才楽 皆々「ゑひや〳〵 ヲモ「扨々ふしぎな事ぢや。御こしが御上りなひハ ツレ「誠に是ハ合点のゆかぬ事ぢや ヲモ「此段の申上う ツレ「早う申さしませ ヲモ「いかに申上候 〔ワキノ方へ行テ〕還幸なし申候へども。御こしが御上りなく候 ヲモ「実と思ひ出し為事の候。最前若き男の。余多(ハラタ)の帯に哥を書神前へ備へ申を。女の寄て哥を詠じ申程に。男縁を結ぼうと申て御座れば。女ハさわ候ましいなどゝ色々云て御座れ((ママ))が。後に男神のちかひも空敷成為ルと申て立かくれ候が。若左様の事にても御上りなきかと思ひ当りて候 「御尤ニ候   ワキ 供太刀持 熨斗目 かけすわふ 狂言袴 脚伴((絆)) 腰帯小サ刀 扇 折ゑぼし   ツレ 出立 厚板 水衣 狂言袴 きや半 こしおひ 大臣ゑぼし前へ折テ 扇 〔ヲモ「是ハ常陸国鹿嶋の明神に仕へ申神職の者ニて御座候。今日ハ当社の御神事ニて御座候か。殊外成おう参りニて御座候。はやよう〳〵御神事もすぎ候へハ。頓テくわんこうなしたてまつらばやと存ル。先社人達を呼出し申さうずる。なふ〳〵皆おりやるか ツレ「何事でおりやる ヲモ「御神事も治り目出度事でハおりやらぬか ツレ「其通りておりやる ヲモ「さあらハいそぎくわんこうなし申さうでハおりやらぬか ツレ「中々よい時分じや。くわんこうなし申さう ヲモ「さあ〳〵こちゑよらしませ ツレ「心得ておりやる ヲモ「ゑいとも〳〵ゑひともな〕 〔△常陸帯の御神事と云ハ正月十日也〕 〔宝暦五年戌((亥))正月十一日宝生太夫方稽古能ニ有之候 大蔵弥太夫方ニテ大蔵ノ弟子相勤申候 初ニ大宮の造物出テ夫ヨリワキ出ル 狂言供して出テ太皷座ニイル ワキ名乗過テ呼出ス 狂言シテ柱ノ先へ出テ請テ夫ヨリふれる 扨太皷座ニ下ニイル 太刀ハもたぬよし〕 〔シテ男 すわふ上下 ツレ男三人斗 外ニ女も一人有リ 御神事に参詣するていなり 扨中入ニハシテハ造物の内へはいる ツレ男女ハ楽屋へはいる らいしよハなし 夫より中入後の間狂言四人 あついた 水衣 狂言袴くゝり 大臣ゑぼし前へ折テ 〈氷室〉の間の出立の通り 扨四人してみこしをかたけがくやよりはやして出る ぶたいへ持テ出造物の前におろしテ下にじきに置テ爰ニて子細をはなしに云テ夫より(「)くわんこうなし申さうする と云テ常の通り (「)あからぬ と云テ色々詞有テワキへ其通り云テ皆々楽屋へはいる 其時後見出テみこしを持テ桐((切))戸ヘ入ル みこしを狂言ニ引候様ニと云 今日ハ大せい出テ無人故大夫後見を頼引テもらい候よし 〇其後鷺仁右衛門弟子矢田清右衛門申候ニはあの方にてハみこしの作物なしに致由申候 初のワキの供待テいて中入に立間云テ夫よりツレを呼出しテ二人してみこしを上るていを致候由 シテの方ニ中入ニらいしよハなしに致候〕   五拾 涿漉 〔 拍子方出ルト台ニ大宮造物出ルト狂言官人口明ヲ云〕 (「)抑是ハ軒轅黄帝に仕へ申官人にて候。扨も此君堅((賢))王に御座スにより。吹風枝をならさず。民戸ざしをさゝぬ御代なれバ。今日ハ此殿へ御幸被成。御遊有べきとの御事也。相構テ其分心得候へ〳〵 〔ト云テ太皷座ニ居ルト真乱上ニテワキ出ル 皇帝也 ツレ大臣二人出ワキ造物ヘ入 大臣ハ地ノ謡ノ前ニ下居ルト何モ無シニシテ一人橋掛ヘ出名乗テ舞台エ出ル 色々有テ扨中入 ワキ同大臣シテ口明ノ狂言何も中入スル 造物も入ル〕 〔上懸謡本ニハシテサシ臣下謡貨狄詞名乗(「)是ハ軒轅黄帝に仕へ奉ル貨狄ト申臣下也 扨黄帝貨狄臣下詞多シ 舟ノ謂ヲ貨狄語ル 夫ヨリ地曲舞の留すくに中入ノ謡也 〽君此由を聞よりも。急き用意をなすべしと御さをたゝせ給へハ。官人一同に。皆退出をしたりけり〳〵〽〕 「か様に候者ハ。忝も軒轅黄帝の臣下。貨狄と申御方に仕へ申者ニテ候〔常ノ通りツレ二人程出ル セキハライヲスル〕爰に蚩尤といゑる逆臣有。頭ハ銅鉄(アカヾネテツ)のひたひ砂をくらい石をのミ悪を肆(ホシイマヽ)にして王他(クハ)にしたがわず。諸侯(コウ)を責(セメ)靡(ナビ)けて天下をうごかし。度々戦に及といへど。未勝負(セウブ)決(ケツ)せず。あまつさへ蚩尤一万騎の兵を引ぐし。涿漉のやにたてこもるよし君聞召れ。臣下をあつめ色々御評諚なされ候。就夫彼涿漉の地と申ハ。行程(ギヤウテイ)二三日ハ人家なく。がんぜきをふミてかけはしたゑ。馬のひづめ及がたく。東へまわらんとすれバ。大海にして鳥ならでハかよわず。たやすくせむべきようもなき所に。頼ミ申御方仰らるゝハ。我有時池のおもてに立出しをりふし。いちやうの水にうかめ。其うへゑちゝうのふき落風にしたがい行を見て。則浮木を作り梶を付ケ。まん〳〵たるはとふをも。自由自在にしのかんとたくみし由御申あれバ。急用意致シ数萬の軍兵を乗せ。彼涿鹿へ押寄せ給わんとの御事じや。何と大事の事でハないか 「いかさま是ハあぶなさうな事じや 「某の思ふハ。先懸をして其舟と云物に乗り。一手柄せふと思ふて出たが。わごりよハ何と思ふぞ 「是は一段とよからう 「夫ならバ身共に引ついておりやれ 「心得た 「何と思わしますぞ。蚩尤がふるまひを天道もにくみ給ひ。たなふだ人に思ひも寄ぬ知恵をさづけられた物で有う程に。定て今度ハ勝軍に成て有う 「其通りぢや 「荒不思義((議))や。俄に雲きりがおあふてあとさきが見へぬ 「誠に是は合点の行ぬ事ぢや 「いや思ひだゐた。彼蚩尤ハようじつをほどこす人ときいたが。軍兵トモに方角をうしなハせうなどゝ思ふ手だてゞかな有う 「其様な事も知れぬ 「是でハ中々かけ引も道をうしなふ程に。足元のあかるひ内にまづ爰をばひこう 「それがよからう 「此様子をたなふだ人え申上う 早々をりやれ 「参る〳〵 (「)急しませ 「心得た   ヲモ 間 厚板 そばつき 狂言袴クヽル 脚伴((絆)) 腰帯 官人頭巾 ひげ 杖つく    ツレ二人 厚板 袴 脚伴 腰帯 官人頭巾 〔元文二年正月十八日ニ於紀州若殿ノ方〈涿鹿〉ノ能御被仰付候 シテ喜多弟子十良左衛門 ワキ春藤弟子勘助 両人トモニ御手前衆也 其時ハ狂言口明ヲ云間モ跡ニ書テ間ニテ相勤候 此間ノ儀ハ先年奥ノ御能ノ時相勤候間ヲ借写置 寛延三歳五月廿五日 同所ニテ又被仰付候 シテ喜多弟子日向富三良相勤申候 此時ハワキ無シ シテ方ニテツレ大セイ出ル狂言ノ口明もイウタヨシ シテ口明ノ間ハイハズ 同流ニテモチガイ有リ 入時々尋ベシ 中入ノ間斗〕   同 涿漉 〔 是ハ前方ヨリ相勤候間也 近代ハ右ニ書写間ヲ用ル〕 「抑是ハ軒轅黄帝に仕へ申官人にて候 扨も此君堅((賢))王に御座すにより吹風枝をならさず民戸指をさゝぬ御代なれバ今日ハ此殿へ御幸被成御遊有へきとの御事なり 相構て其分心得候へ〳〵 〔ト云テ太皷座ニイル 皆々出ル シテサシ臣下謡地貨狄詞名乗(「)是ハ軒轅黄帝に仕へ奉ル貨狄ト申臣下也 扨黄帝貨狄臣下詞多シ 舟ノ謂ヲ貨狄語ル 夫より地曲舞の留すぐに中入ノ謡也 〽君此由を聞よりも。急き用意をなすべしと御座をたゝせ給へ ば。〔臣下〕官人一同に皆退出をしたりけり〳〵〽 皆中入スル〕   同 中入間 「か様に候者ハ〔忝モ〕皇帝の臣下貨狄と申御方に仕へ申者ニテ候 〔常ノ通リツレ出ル せきをする〕 「爰に蚩尤と云へる大武道の者有ツテ天下(コノクニ)をくつがへさんと思ひ度々戦に及といへど未勝負もけつせずあまつさへ蚩尤一万余騎の兵を引供し涿鹿の城(シヤウ)に取籠ル 彼涿鹿の城と申ハ八方ハ大海にして中々せむべきやうもなかりしを頼申御方有時一葉の水にうかめるを見給ひ則浮木を造り立数万の人数をのせ涿鹿へ押よせ給わんとの御事じやが何と大事の事でハなひか アト「〔実と是ハ大事の事ができたぞ〕誠に是ハわこりよがおしやる通り大切な事じやなあ ヲモ「就夫我等にハ御舟が出来たらバ御先へ参れと有程にいざあれへ参て様子を見う アト「一段とよからう ヲモ「さあ〳〵おりやれ〳〵 アト「心得た ヲモ「何と思ふぞ たなふた人の御心中ハ深ひ事でハなひか アト「其通りじや共 ヲモ「やあ〳〵其元のにきやかなハ何事ぞ やあ〳〵ぢやあ なふ〳〵最早皆出らるゝと有ル程に此躰でハ御供ハ成まひ いざしたくをして御供をせうでハなひか アト「いかにも此躰でハ成まひ ヲモ「夫ならバこちへおりやれ アト「心得た ヲモ「はようおりやれ〳〵〕   口明 ノ官人 厚板 そばつき 狂言袴くゝル 脚絆 腰帯官人頭巾 扇か團    中入 ノ間 二人ニテモ三人ニテモ云 出立何も官人同前    ヲモ間 髭懸ル 杖 〔本稿は、法政大学能楽研究所「能楽の国際・学際的研究拠点」二〇二二年度共同研究「新出・宝暦名女川本(能研本)の総合的研究」(代表:永井猛、稲田秀雄、伊海孝充)の成果の一部である。〕