鷺流間狂言・宝暦名女川本「遠応立」翻刻 永井 猛 稲田秀雄 伊海孝充  宝暦名女川本は、鷺流伝右衛門派の高弟である名女川家五代目の辰三郎(一七七七没)が、宝暦十一(一七六一)年頃までに書写し、その後も亡くなるまで注記等を加えたと思われるものである。  宝暦名女川本の間狂言台本は五冊現存している。法政大学能楽研究所蔵の「脇末鱗(五〇曲)」「語立雑(五〇曲)」「真替間(六八曲)」「遠応立(一〇二曲)」の四冊と、檜書店蔵の「羅葛部(五〇曲)」一冊である。  「脇末鱗」「語立雑」は、本誌四六号・四七号に翻刻掲載したのでご参照いただきたい。本号では「遠応立」を翻刻紹介したい。「遠応立」とは、遠い(上演されることが稀な)、応答のアイ(アシライアイ)と立(たち)シャベリを意味する三文字で、台本の背に他台本と見分けるために書かれた符号・符丁のようなものである。   凡 例 一、鷺流間狂言・宝暦名女川本のうち、「遠応立」(法政大学能楽研究所蔵)の一冊を翻刻する。 一、「遠応立」は、上演の稀な珍しい、アシライアイと立(たち)シャベリなどの間狂言を一〇二曲所収している。 一、底本を忠実に翻刻することを原則としたが、通読の便宜を考慮し、左の方針に従った。  1、仮名遣い、送り仮名は底本通りとした。  2、濁点・拗音・促音の表記は、底本のままとした。  3、合字等は通行字体に改めた。    (例)ヿ→コト、ゟ→より、●→トモ  4、漢字の異体字や旧字体は、原則として通行の字体や新字体に改めた。ただし、一部そのままとしたものもある。     (例)哥 嶋 嶌 附 躰 喚 皷 萬  5、漢字の振り仮名の表記は底本のままとした。特に読みにくい漢字には適宜振り仮名を( )に入れて傍記した。    漢字の両側に振り仮名が振られているものもあるが、同じ読みの場合は記さず、違う場合には、左側の振り仮名を〔 〕に入れて右に傍記した。  6、片仮名と平仮名の共通の書体である「ニ」「ハ」「ミ」は、片仮名として翻刻した。  7、片仮名の「セ」「ツ」「リ」と平仮名の「せ」「つ」「り」の判定が困難な場合は、平仮名にした。  8、得・之・見・茂・和・居の類は、文意によって適宜「え」「の」「み」「も」「わ」「ゐ」とした  9、反復記号については、二字以上の繰り返しの「〳〵」はそのまま用い、漢字一字の繰り返しは「々」、平仮名一字の繰り返しは「ゝ」、片仮名一字の繰り返しは「ヽ」に統一した。  10、句読点は底本のままとしたが、それが施されていない場合は、文の切れ目(句点を打つべき個所)を一字空きとした。  11、各役の初めの\は「に改めた。底本においてそれが欠落していたり、そこに記されている役名に誤りがある場合は、( )に入れて傍記した。  12、役名(またはそれに代わる記号)は、ポイントを落とし、右寄せとした。  13、抹消(ミセケチも含む)部分は示さず、訂正された本文に従ったが、抹消部分も参考になると判断した場合は、【 】にくくって傍記するか、本文中に示した。  14、書き落とし部分の細字による書き込み等も本文に入るものは入れ、演出注記等も〔 〕でくくって示した。  15、ト書き、言いかえ等、底本に割注の形で記された部分は〔 〕でくくって示した。  16、節付けのある部分は〽〽でくくり、ゴマ点・上・下等の節付記号は省略した。  17、本文中に出てくる能・狂言の曲名は〈 〉でくくった。  18、虫損・汚損・難読等により判読不能部分は推定字数分の□によって示した。  19、難読文字や誤写の推定などを( )でくくって傍記したり、?を添えて曖昧な字体あることや、(ママ)として原文通りであることを示したりした。( )でくくった部分はすべて校訂者の付加である。  20、「彼」と「皮」のくずしが似ており、判定が困難な場合は、文意により適宜書き分けた。  21、装束付等は、二字下げとした。  22、本文の曲名はゴチック体にした。  23、底本には項目番号や読み、注記等に朱筆があるが、翻刻にあたっては特に断っていない。ただ、本文横に朱筆で「○」「次○」と書かれた個所があり、この記号で挟まれた部分は弟子に相伝する場合には抜くとあったりするので、朱筆と分かるように〔○((朱))〕〔次○((朱))〕と記した。  24、傍記されている言い換えは、出来るだけ傍記したが、長いものは※印を付けて本文中に入れた。〔※・・・〕が言い換えで、傍記の※印がそれが入る個所である。    左側に傍記されている場合は、〔 〕で括って右側に傍記した。 一、五拾七〈巴園〉には、二枚の紙が挟み込まれている。二枚とも本文とは別筆。   一枚目は、裏表に漢字の読みを書いたものである。その語句は本冊ではないが、「語立雑」の「三拾三 愛宕空也」にすべて含まれ、一部前後はしているが、ほぼ順序通り抜き書きされている。   二枚目は、裏表が異なる記事である。二枚目表は、鷺浩次郎が慶応元(一八六五)年一二月二四日に家督相続して鷺伝右衛門家の一一代目となるが、その挨拶回りに持参した礼状の下書きと思われる。鷺権之丞は後の一九世鷺仁右衛門だが、一八世が文久三(一八六三)年に没してから慶応元年一二月二七日に相続するまでの間は「名代」を勤めたらしい。   二枚目裏は、能組のメモで、金春広成、桜間伴馬、喜多千代造、梅若実、金剛泰一郎、宝生九郎の顔ぶれから明治一五年から明治二〇年までの演能と思われる。 一、書誌等については、本誌第四四号の永井猛「新出鷺流狂言『宝暦名女川本』の離れについて」を参照されたい。 一、翻刻は、「遠応立」の一〈浦上〉~四拾四〈悪源太〉を永井、四拾五〈木曽願書〉~七拾二〈宮河〉を稲田、七拾三〈八幡〉~百二〈野干〉を伊海が担当して原稿を作成し、全体について三名で検討し、最終的に永井が調整した。 一、法政大学能楽研究所HPの能楽資料アーカイブ「6、狂言」に「名女川本狂言台本・伝書」として、能楽研究所蔵宝暦名女川本の全冊が写真公開されているので、朱筆部分などをご確認いただければと思う。 一、法政大学能楽研究所には、貴重な蔵書の翻刻公開許可ばかりでなく、研究所紀要『能楽研究』の紙面まで提供していただき、篤く感謝申し上げる。 〔本稿は、法政大学能楽研究所「能楽の国際・学際的研究拠点」二〇二三年度共同研究「鷺流狂言宝暦名女川本(能研本)の総合的研究」(代表:永井猛、稲田秀雄、伊海孝充)の成果の一部である。〕 (間狂言台本) (「遠応立」)        (目次) 一  浦上  二  会盟  三  侍従重衡   四  浜平直  五  西寂   六  長兵衛  七  小林   八  女沙汰   九  植田   拾  長郷寺  拾一 安字 拾二 室任((住)) ((住))拾三 村山   拾四 信夫太郎 拾五 佐保川  拾六 千寿((手))寺   拾七 岩瀬 拾八 大聖寺   拾九 武文   廿  鐘巻   廿一 守屋  廿二 身売     廿三 清重   廿四 陰山 廿五 磯崎   廿六 刀   廿七 連獅子  廿八 木幡 廿九 馬融 卅  権守   卅一 相場   卅二 光季   卅三 楠木 卅四 更科物狂 卅五  三浦  卅六  瀧口   卅七  政徳西王母   卅八  空也 卅九  贄((熱))田   四拾  神有月   四拾一 龍頭太夫   四拾二 真無井原  四拾三 岡崎     四拾四 悪源太   四拾五 木曽願書    四拾六 鐘引   四拾七 引鐘 四拾八 河水   四拾九 池贄   五拾  菊慈童 五拾一 佐々木 五拾二 大施太子 五拾三 桜間  五拾四 鈴鹿 五拾五 小環  五拾六 帰雁   五拾七 巴園   五拾八 薗田 五拾九 承久    六拾  広基  六拾一 韋多天   六拾二 鳳来寺   六拾三 樒天狗   六拾四 花軍 六拾五 鳶窩 六拾六 松山天狗 六拾七 橘   六拾八 孫思邈  六拾九 降魔  七拾  橋立龍神  七拾一 玉津嶋龍神 七拾二 宮河   七拾三 八幡 七拾四 日光山 七拾五 香椎   七拾六 駒形猩々  七拾七 玄弉 七拾八 現在七面 七拾九 和泉賢将  八拾  清時田村   八拾一 湛海  八拾二 信貴山   八拾三 犀  八拾四 九穴  八拾五 内府 八拾六 一来法師   八拾七 菅承((丞))相   八拾八 今生巴   八拾九 楯尾 九拾  異国退治   九拾一 松鶴西王母   九拾二 武王   九拾三 二度掛   九拾四 融通鞍馬 九拾五 仲算 九拾六 星 九拾七 飛鳥寺   九拾八 真田  九拾九 比郎((良))    百   大木   百一  大子    百二  野干     一 浦上 〔〈浦壁〉〕 〔ワキ次第サシ過テ上哥に(ワキ「)〽しはしたゝ住なす方も隠家の。〳〵。心とめねハともかくに。心つくしを。よそに見て。肥前の国に着にけり〳〵〽 詞急候程ニ肥前の国に着て候 はや日の暮て候程に宿をからはやと存候〕 初間「誰にて渡候ぞ (初間)「尤宿借申度ハ候得共。此所の習にて往来の人に。宿借申事堅き法度にて候間。是より先へ御出有つテ。洲崎の御堂へ御出有て御とまり候へ 〔シテ「か様に候者ハ肥前の国浦上の何某にて候 扨も浦上三千八百町の所を去ル事有てとくたひ((得 替))仕て候 其身をさゑ口惜存候所に結句妻ニ住をくれて候 あつはれ其みきんにも遁世仕らハやと存候へどもむそち((六 十))に及母十歳に餘るおさなき者にさゑられ今に遁世仕らす候 又あたりちかき所に貴き霊仏御座候程に一七日参籠申候 今日満参にて候程ニ急参らはやと存候 いかに誰か有ル〕 トモ「御前ニ候 〔シテシカ〳〵〕 同「畏テ候 〔今日ハ満参にて一入目出度候 我等も御供仕らうするニて候 トモ云〕 〔シテ「や 是ニ修行者の御座候よ いかに申べき事の候 ワキ「何事にて候 シテ「あの里にてお宿をめされ候ハて何とて此だうにハ御留り候ぞ ワキ「其御事にて候 里にてやとをかり候へハ此所の大法にて我等ごときのひとり旅人にハ宿をかさぬよし申され候程に扨此御堂にまと((ママ))り候 シテ「実ニ此所ハ昔よりの大法にて候 乍去我等かありあひ候ハヽお宿を参らせ候へき物を 明日某か所へ御心に懸られ候へ ワキ「御心指有難候 乍去誰とか尋申へき シテ「尤の御断((理))にて候 毎日此御堂へ日参仕者と御尋候ハヽかくれハ有ましく候 や 此人ハ後生を一大事にかけたる人にて候 何と仕候へき 急とあんし出したる事の候 いかに誰か有ル〕 トモ「御前ニ候 〔シテ「おことハ私宅へ帰候へ 某ハ思ふ子細候程ニ今夜ハ此堂につや申さうするにて有ぞ〕 同「畏テ候 扨明日ハ御迎に参候べきか 〔シテ「明日ハ此修行者を御とも申さうする程ニ其用意致候へ〕 (トモ)「畏テ候 〔ト云テ太皷座ニ居ル 是よりシテワキ詞〕   初間 熨斗目 長上下 小サ刀 扇   後間 シテノ供也 太刀持 嶋の物 狂言上下 腰帯 扇 〔(初間)「誰にて渡り候ぞ (初間)「尤お宿参らせ度候へ共。 〔往来ノ人ニ宿借申事所ノ大法ニテ成申サス候トモ〕かた〳〵の様成執((修))行者にやど借申事。かたき法度にて候間叶ひ候まし (初間)「いや何と仰られても成不申候間。何方へ成共御通り候へ ○右ノあしらいハ謡本に有り〕   二 会盟 (狂言)「か様ニ候者ハ。唐土秦帝王(シンノクニノテイハウ)に仕へ申官人にて候。去程にりんこくてうわう((趙 王))と申て御座候。然共秦の国より会盟有べきとの勅使を立られ候所に。今日互に国堺へ御幸有て。御酒宴有べきとの御事にて候。此旨相心得候へ〳〵 〔臣下「是ハもろこし秦の国の帝王にて御座候 然は隣国にてうわうと申て小国の王座ス 彼王にてうへき((趙 璧))の玉とてかくれなき名珠の御座候 此玉を御取有へきとの御はかりことにに((ママ))より会盟有へき由てう王へ勅使をたてられ候所に今日しんてう((秦 趙))のさかいへたがひに行幸被成べきとの御事にて候 去ル程に会盟と申事ハ両国のさかひにてひつし((羊))の血をあひし酒宴をなしたかいのけんさい((健 在))をたくらふる事にて候 此酒宴の内に彼玉を御所望有べし 其上をしミ給ふならバおさへて御とり有へきため廿万騎の軍兵をそつし只今此所に行幸被成候 いかに誰か有ル〕 (狂言)「御前ニ候 〔臣下「てうわうの行幸あらバこなたへ申候へ〕 (狂言)「畏テ候 〔テウ王ノ臣下「是ハてう王の臣下にて候 然は隣国秦王より会盟被成べきとの御事ニて候間只今此所へ行幸被成候 いかに案内申候〕 (狂言)「誰にて渡り候ぞ 〔(テウ王ノ臣下「)テウ王ノ行幸ニテ候〕 (狂言)「頓テ此((御))殿へ御移シ候え 〔地「〽臣下けいしやう((卿 相))一同に。〳〵。たがひにれつざ((列 座))さだまりて。すでに酒ゑんをなすとかや〳〵〽 秦ノ臣下詞 てう王サシ 地へ取 テウ王詞 秦王謡 ガク過テ地へ取 てう王詞 秦王詞 てう王クトキ謡地へ取テ謡長してう王少謡 地へ取 秦臣下詞 てう王詞 地へ取 秦王てう王少謡 地(「)〽かくてながひのあるならば。〳〵。無念たび〳〵かさなりて。あしかりなんとおほしめしはやくわんこう((還 幸))とすゝむれど。これも思ひのうちなれば心ハさきに行かぬる 玉のみこしにのりの道。めくりあわむとのたまひてくわんきよ((還 御))なりしもことわりや〳〵〽 ○爰ニテ中入スル〕 (狂言)「扨も〳〵目出度御事の候。日比望に思召所の。てうへきの玉の(ヲ)御所望候所に。てう王安々と御出し候事。君の御よろこび以の外御事にて候。則此所を大((内))裏に被成暫御逗留被成(アツテ)。てう国まで御したがへ有べきとの御事なれば。民はくせいに至まて。訴訟の事あらバ急罷出奏聞申候へ。其分心得候へ〳〵 〔ト云テ太皷座ニイル〕 〔一セイ(藺相如)「〽抑是ハてう王の臣下りんしゃうしよとハ我事也〽 詞扨もせんねん会盟のときてうへきの玉を秦王より十五しやう((城))にかへてとり給ふ 其後やくをへんじ給ひ一しやうもまいらせられす候 あまつさへてうこくまで御したがへ有へきとの御事により国さかいに今に御座候事かへす〳〵も口をしき次第にて候 是も偏に玉を安々御取(トリ)候故なれば何かし一人秦王へ参内申二度玉を取返し君のしんきん((宸 襟))をやめ申さんはかりことをめくらし只今参内仕候 急候間是ハはや大裏に着テ候 いかに案内申候〕(狂言)「案内とハ誰にて渡り候ぞ 〔(藺相如)「是ハてう王の臣下りんしやうと申者ニて候かてうへきの玉にかくれたるきすの御座候をかくとも申さて参らせられ候事何よりもつてのおちとなり 玉のきすをちきそう((直 奏))申さん為只今参内仕りて候 此由御申上候へ〕 (狂言)「暫ク御待候へ。其由申上うずるにて候。いかに申上候。てうわうの臣下りんしやうと申者。玉のきづを申上ンが為にて。只今参内申候 〔秦臣下(「)心得て有ル 詞 秦王詞有テ直ニ臣下りんしやうへ云 夫より玉のきづの事を直ニ云テ地へ取 切也〕   狂言 出立 厚板 狂言袴括ル そばつぎ こしおひ 官人頭巾 唐扇持テ   三 侍従重衡 〔ワキ次第 詞(「)抑是ハ梶原平三景時ニテ候 サシ 下哥 上哥(「)さらてたに物うき旅に東路の〳〵都ハ跡に遠さかる 花も名残の春の鴈 それハ越路に行旅の我ハ東に思ひたつ名残の山の朝霞 日もへだゝりて行末の国の名問ハ遠江池田の宿ニ着ニけり〳〵〕 (狂言)「案内とハ誰にて渡り候ぞ 〔シカ〳〵〕(狂言)「安間の事 奥間へ御通り候へ 〔シカ〳〵〕 (狂言)「御用ちんの事ハ御心安ク思召れ候へ 〔ワキ詞(「)此所をハ池田の宿と申候 重衡謡有 夫より地へ取テ過て シテ詞(「)いかに初花。けふ此やとに着給ふハよしある人よなふ ツレ「〽是ハ平家の公達三位〔の〕中将重衡ニて御入候〽 シテ「〽かしこし〳〵 事もおろかや。其身ハ雲の上人に〽 ツレ「〽袖ふれなるゝ花ころもの〽 シテ「〽匂ミちくる橘の〽 ツレ「〽雪のあさのゝかりはのあそひ〽 シテ「〽四季折々の御遊ひを(ナグサミヲ)こそ〽 ツレ「〽其身のわさとし給ひしに〽 シテ「〽定なきよの習とて〽 ツレ「〽浮((憂き))東路の旅衣。日もはる〳〵の旅宿の思ひ〽 地(「)〽さこそ涙も重衡の。〳〵。あつま男にさそわれて。ならわせ給わぬ旅姿。さこそ御身もおちふれてこそハおわすらめ。実やさかりを白露の色朝顔の。けさまでは。花の盛と夕の秋 名残に近き心かな〳〵〽 シテ「旅の習とハ申なから誠に御いたわしう候程に是なる一筆をはゝかりながらかミの御めにかけ候へ ツレ「さん候 いかに誰か渡り候ぞ〕 (狂言)「案内とハ誰にて渡り候ぞ 〔ツレ「此家の長者の方より是成一筆を中将殿の御目ニかけ候へと申候〕 (狂言)「中々御機嫌の見て申上候べし。夫に暫ク御待候へ。いかに申上候。此しゆくの長者の方より。中将殿へ御目掛((ママ))よと申御文の参りて候が。夫へ参らせ候べきか 〔ワキ「心得申候 いかに申上候 此家の長者の方より此一筆を御目ニかけよと申候 シゲヒラ「実や此程ハ思ひたへにし鳥の跡 なれもせさりし一筆の末 能々見れハ面白や あつまちのはにふの小屋のいふせさに古郷いかに恋しかるらん あら面白とよミたる哥や候 是ハいか成者の手跡にて候ぞ ワキ「さん候 是ハ大臣殿のまた当国のかミにて御座候ひし時久敷都に召置れしゆやが娘侍従ト申てかひとう一の遊君にて候 シゲヒラ「あらやさしや さらバ此返事を届候へ ワキ「心得申候 いかに誰か有〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキ「是ハ上(カミ)よりの御返事にて候〕 (狂言)「畏テ候。最前の御方の渡り候か。かミより御返事の候 御持候え 〔ツレシカ〳〵 地ヲ取 ロンギ 地 クリ 地 サシ〕   四 浜平直 (初間 文の使い)「か様に候者ハ。清水の門前に住居する者にて候。こゝにおさなき人の清水へ御参詣候が。御文を深草の右衛門殿へ届候へと仰候間。唯今持て参り候。先急で参らふずる。いか様成御文ぞ知らぬ事ぢや。先此所にやすらうて参らう 〔ト云テ太皷座ニ待テイル〕 〔シテ「是ハ深草の右衛門尉と申者ニて候 扨も某菊若と申子を一人持て候が此間清水に一七日参籠申て候 今日満参にて候程に立越つれて帰らばやと存候 此由妻にて候者に申さばやと思ひ候 ツレ「右衛門尉殿の御事ハ皆々人のしらせ給ひて候 女の身ハくるしからず候間立越つれて帰らふずるにて候 シテ「実是ハ尤ニて候 さらば諸共ニ出てつれて帰らうずるにて候〕 (初間 文の使い)「いや是へ右衛門殿御出にて候。幸の事此文を届申さふ。いかに申候。菊若殿より御文をことつかりて候 〔ツレ女「なふ菊若が方より文の来候 あら思ひよらずや候 扨何と推量めされ候ぞ シテ「定てむかいのおそきとの文にて候へし 尤ニて候 頓てひらいて見候べし ○カヽル 謡少 又詞 女詞 二人謡 上哥 地也 (地)「〽いにしへもひんか((貧 家))をなけきこう〳〵の。〳〵。心々の品々もそはぬは親の思ひなり。殊にひとり子の。たくひなきたにかなしきに。命の内ハ尋ねんと。鳴々まよひいてゝゆく〳〵〽 二人中入スル ワキ次第「〽御代も長閑き春の花〳〵ひらくる道に出ふよ〽 詞 是ハ九州あしやの庄の御代官ニて候 扨も高津殿御下向ニて候間ろし迄御迎ニ参長門府より御舟にのせ申候 只今あしやの庄へ御供申候 上哥〽思はすに花見かてらの道すてに。〳〵。是まてきぬる旅衣 けふ鶯の声なら((く))ば。また雪きへぬ山里の。春行事をしるへしや〳〵〽 ○シカ〳〵 ワキ「何皆々承れ 始テ主君の御下向にて有ぞ 某が内者ハ皆々参り御目にかゝり候へ けふハ日もうらゝにて浦はの躰も長閑ニ候 ○シテサシニ謡有り 詞 一セイ シテト女カケ合 謡 地へ取 (地「)〽みつ塩をまつほのあまのはまならし。〳〵。波こす松の。梢まてやくしほけふり立波の。汀ハならす浜風に。村立千鳥跡とめて。浜ならせ人々 此はまならせ人々〽〕 (後間)「いかに申候。京物語をわらんべ共が。聞たがり候 ぞ((ママ))と語て御聞せ候へ 〔シテ「尤語度ハ候へども御主へもれ聞へてハ一大事ニて候程ニ思ひもよらす候〕 (後間)「いや〳〵くるしからぬ事。語テ御聞せ候へ 〔シテ「たとへハ都のおもしろきといつは 是より詞過謡 (シテ)「〽わすれたり〳〵。今一帰り塩くまむ。おそくかへらば頼つる。お主のきにもたかふへし。くるしなからもはまならし塩くまふよ。さすが命のためなれば。なら〔ハ〕ぬわさも思ひ子に逢迄の命つかんとて。かくうきわさを塩汲ていざや家路に帰らん〳〵〽 ワキ「某か内者ハ参りて主君の御目懸りテ候か〕 (後間)「新座の者が未御目にかゝらず候 〔ワキ「いかに新座の者 シテ「御前ニ候 ○是よりシテワキ詞 ツレ謡 又シテワキ詞 ツレ謡ノ切ニ(ツレ「)〽よし〳〵我子にあふまてハ。三とせ〳〵の思ひ草。もしか関にハ有なから。涙をとむる便もなし せめて夢にも思ひ子を。見る便りたになきあかす。なミたや袖をぬらすらん〽 ワキ「いかに誰か有〕 (後間)「御前ニ候 〔ワキ「今日若子様へ御酒を申候そ いか様成一興も有間敷か〕 (後間)「新座の者が面白ク謡候間。是にうたわせ御申候へ 〔ワキ「何と新座の者か謡をうとふと申か〕 (後間)「さん候 〔ワキシカ〳〵〕 (後間)「夫ハくるしからぬ事にて候 〔子「一ツうたわせられ候へ ワキ「畏テ候 いかに新座の者 シテ「御前ニ候 ○是よりワキシテ詞有テワキ(「)さらバ某酌とらうずる時頓テうたひ候へ シテ「畏テ候 ト云時ニ狂言云〕 (後間)「急でうたわれ候え 〔シテ謡出ス 曲舞 ロンキ 切り〕  ○ シテ深草右衛門尉忠助 ○ツレ女房 ○子菊若丸 ○ワキ九州芦屋ノ代官    初ノあしらい 嶋の物 狂言上下 腰帯 扇 文持出ル   ワキ供 太刀持 出立 右同断    五 西寂 〔ワキ「是ハ備後の国ノ住人努賀ノ入道西寂ニテ候 爰ニ伊予ノ国ノ住人河野四郎道清と申者道後島前のさかい高縄ト云城ヲ拵平家をそむき候所に某立越即時ニ城ヲ責落し道清を討て候 然間其忠ニヨリ当国を給わつて候 今日ハ天気もうらゝかに候程に鞆ノ浦へ出テ網をひかせばやと存候 いかに誰か有ル〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキ「今日ハ長閑ニ候程ニ鞆の浦へ出て網ヲ引せ慰ばやと存候間其旨心得候へ〕 (狂言)「畏テ候 やあ〳〵皆々承り候へ。当国の御守護西寂殿。今日ハ此浦にて。御舟遊被成べき由被仰出候間。何(イツレ)も舟をかざり。囃子物ニテおして被参候へ。其分心得候へ〳〵 〔ト云テ太皷座へ入テイル 下り羽((端))ニテ出ル〕 (地「)〽夕浪の。〳〵 ともの海つら長閑にて。浪風をさまれる御代の春そのとけき 此御代の春ぞのどけき みつしをに。〳〵 磯山桜散うきて波も花も白妙の雪なれや跡絶て。舟をいざやひかふよ つなで縄いさやひかふよ〽 (狂言)「扨も〳〵。はな〴〵敷よき囃子物にて候。先々陸へ御上り候へて。暫ク御休ミ候へ 〔クリサシ曲舞過テ一セイニテシテ出ル 西寂トシテト詞カケ合有テ地ヘ取 謡ニ(地「)〽心ハ罪に引網の。〳〵。面白のけしきやな。今ハ花咲春なれば桜うをやよるらん 「難波のみつに引網の。〳〵。あことゝのふる声々大宮のうちに聞ゆらん。あこきか浦の網ならねどたびかさなればいかならんと。ひきあくる此網に数々うをも入たりや。御覧ぜよ人々 よきお肴と覚へたり〽 (狂言)「やれ〳〵御しんらふや。先々皆々御酒を被下候間。参り候え〔爰ニテ舟の中を見てきもつぶして云〕 あら不思義((儀))や。先此由申さばやと存ル。いかに申上候。猟((漁))師の舟に乗り移り申所に。舟底に討物を入置申候。是ハあやしき者にて候。いか成事にて候ぞ。彼者に御尋あれかしと存候   シテ河濃四郎道清か子道信 ○ワキ努賀入道西寂   狂言供太刀持也 出立 嶋の物 狂言上下 腰帯 扇 〔ワキ出テ名乗 狂言着((付))テ出テ太皷座ニイル 扨ワキ名乗テ座ニイル 喚出し無キ時ニハ狂言其まゝ立テシテ柱ノサキヘ出テ云ナリ  (狂言)「是ハ当国ノ御守護入道殿ニ仕へ申者ニテ候 扨も頼奉ル西寂ハ伊予の国に渡り給ひ河野と合戦被成討勝給ひ御かいぢんにて御座候 然は目出度折柄にて候へハ今日ハ此浦にて御舟遊被成へき由被仰候間何も舟をかざりはやし物にてをして被参候へ 其分心得候へ〳〵〕   六 長兵衛尉 〔〈信連〉〕 〔シテ「〽比ハ五月十日餘り。軒のあやめ浅茅生の。忍ふにましる草迄も。みたれかわしき世の中かな〽 上哥〽実や世の中ハとにも角にも成ぬへし。〳〵。宮もわらやもはてしなき。心をしれは今更に。驚くへきあらね共。さハかしき世の中々に。心くるしき住居かな〳〵〽〕 (狂言)「荒いそかしや いかに申候 〔シテ「何事ぞ〕(狂言)「源三位入道頼政より。御状にて候 急で御覧候へ 〔シテ「あら心えかたや 頓て見うするにて候。や。言語道断の事 御返事迄もなし 心得申と申候へ〕 (狂言)「畏テ候 〔ト云テ引込也〕 〔シテ「頓テ此由披露申さうずるにて候 是より詞 謡 シテ詞 地へ取 ワキ一セイ〕 ワキ越中ノ前司守俊  シテ長兵衛尉長谷部信連(ノブツラ) 〔セウフミヲ村山ニ遣ス 〈村山〉急ノ使是也〕 〔狂言文ヲ持幕ノ内ヨリ出ル (狂言「)扨々いそかしき事かな 先急て持て参らふずる ト云テシテノ前へ行テ(狂言「)いかに申候 ト云〕   出立 嶋の物 狂言上下 腰帯 扇     七 小林 〔ワキ僧詞(「)在俗の昔を尋ルに丹波の方の者ニて候 扨陸奥の守氏清ハ内野にて果給ひて候 其一類とハ申なから軍の習ひ討もらされ本国なればと思ひ丹波の国に下りか様の姿と罷成て候 又八幡のお山ハきせんくんじゆの所にて候間八幡に参り氏清の御事をよそながら聞ばやと思ひ候 シカ〳〵〕 (狂言)「誰にて渡り候ぞ 〔ワキシカ〳〵〕 (狂言)「さん候 此山のりんごうにごぜの候が。氏清の御事を。小哥はやふしに作り謡申に。聞人感を催し。是悲((非))なく面白ければ。ともなひて所望致さうずるにて候。こなたへ御出候え 〔ゴゼ同(「)〽痛しや さるにても。よしなき科をみちのくの。神や仏のはなつなる八幡山を立出テ。其日も暮や暮ざるに。あふしうハ御腹切の小林いたてみな。おハしの三郎小次郎殿も内野の露霜と成行果ぞいたわしき〽〕 (狂言)「如何に瞽女達。是成お僧の御所望なれば。いつものごとく氏清の御事を。造り給ふ謡一ふしうたわれ候え 下地(「)〽いたわしのあふしう勢や よしなき御謀叛たくミて御運のきわめ。あんのうち野に腹切討死 其外名高き侍武士の。嵐松風かたきの花を散せは只何事もめてたき御代と成物〽 ○シテ詞(「)いかにごぜ達誰が所望にてうたわせ候ぞ ワキ詞有 シテモ詞 下哥 同地 シテ詞 ワキ語所望 長シ 語也 過テ謡地ヲ取 又シテ詞 謡 ワキシテ詞 又少シ語ノヤウなる事有り 詞 地へ取ル ウタヒニ(地「)〽たとへハかんの高祖の。〳〵。楚王を責むとて。せうか((蕭何))かんしん((韓信))を左右にたて。三尺の剣をひつさけしも是にハいかてかまさるへき〽 シテ「〽さればよ其ハゐなから。天下を取し梓弓 下同是ハ引かへて。名をこそのこせ陸奥の。忍ふもちすり誰ゆへの世の乱成らん 人口の程ぞ無念成〽 ワキシカ〳〵〕 (狂言)「是ニ候 〔シカ〳〵〕 (狂言)「中々 一こう当社にて見馴ぬミやつこにて候が。いか様不思義((議))なる者にて候。去ながら我等の推量致ハ。お僧こそいにしへの氏清の。所縁の御方なれハこひ敷思召れ。氏清の御幽霊か。扨ハ小林の亡魂顕出たると存ル。今の瞽女こそ隠無。梓の上手なれば唯今の御方を。梓にかけて御覧せられ候へ 〔シカ〳〵〕 (狂言)「急で御掛候へ。いかに瞽女。今の人を梓に掛られ候へや   狂言出立 のしめ 長上下 小サ刀 扇   八 女沙汰 〔ワキ「是ハ鎌倉殿の御代官横山の何某にて候 扨も某訴詔((訟))の子細有ニより在鎌倉仕早三年ニ罷成候 訴訟悉く叶ひ結句十人の奉行の内ニ被成申諸国の御沙汰を取行ひ申候 爰ニふしき成御沙汰の候 夫をいかにと申に当国の住人月岡の何某と申者舟木の何某を親の敵ニ持 或時雪の下を通ると告る 日比ねらいし事なれば夜にまきれ下馬の橋にて討て見れは敵の舟木にてハなく知音無双の国傍輩松沢の何某を討テ候 去程ニ月岡ハ人たかへ面目なしとていつく共なくちくてん仕て候 去ル間松沢の小太郎か母月岡か一子の候を切テ出せと申候 月岡が妻ハ其身失つる上ハと申 前代未聞の御沙汰にて候 頼朝の御諚にハ何れも出仕させ御前にてさいきよせよとの仰ニより其分申付はやと存候 いかに誰か有ル〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキシカ〳〵〕 (狂言)「畏テ候。いかに此内へ案内申候。松沢殿の母と月岡殿の母と。急で御出あれとの御事なれば。とう〳〵御参り候へや  〔女子次第「浮雲さそふ風の間に〳〵月の行衞を尋ねん 母シテ次第「散にし花を松沢の〳〵木陰そさびしかりける 女詞「是ハ月岡が妻ニテ候 シテ「是ハ松沢の小太郎か母ニテ候 サシ 上哥 (地「)〽よる鳴鶴の露涙。〳〵。かゝる思ひの乱髪。いはてやみなハをのつから。しづミやはてん生田川。いきてもあらハいかはかり。嬉しからまし我心。かりの身なから何とてかあらそふ心持つらん〳〵〽 シテ「是ハ松沢の小太郎か母ニテ候 女「みつからハ月岡が妻ニテ候 同花若ともに出仕申為((たる))よし御申候へ〕 (狂言)「両人の母是へ参られて候 〔ワキシカ〳〵〕 (狂言)「こふ〳〵御通り候え 〔是より詞多シ 後ニ母花若を助ル〕   狂言ワキ供太刀持 嶋の物 狂言上下 腰帯 扇   九 植田 〔シテ「か様ニ候者ハ武蔵ノ国ノ住人入間の何某にて候 扨某訴詔((訟))ノ事候て永々在京仕候所ニ召仕候者欠落し植田ト申者一人ならでハなく候 彼者を呼出し何事も談合せはやと存候 いかに植田 植田「御前ニ候 ○是よりシテト植田詞有テ謡二人下哥上哥地過テシテト植田詞長シ 謡少有て地へトル 謡に(地「)〽はかなき夢の内をたに。〳〵。もしやと頼ミ有明の。夜もほの〳〵になるつゝみ。六原へこそ参けれ〳〵〽 ワキ「抑是ハ六原殿ニ仕へ申何某ニテ候 今日吉日ニテ候程ニ沙汰初ヲ致さふするにて候 いかに誰か有ル〕 (狂言)「御前に候 〔ワキ「今日吉日にて有間国々の訴詔のさたはしめを致さうずるにて候 其分心得候へ 去ながら入間か訴詔ハ叶ふまじ 申つぐに及ばず 追帰し候へ〕 (狂言)「畏テ候 〔シテ「いかに案内申候〕 (狂言)「誰にて渡り候ぞ  〔(シテ「)入間が出仕申為((たる))由御披露候へ〕 (狂言)「いや〳〵入間殿の事ハ。仰出さるゝ子細候間。いつまで都に御逗留有ても。御訴詔ハ叶ひ候まじひ。急で御帰り候へ 〔シテ「是ハ御意にて候へ共いくへも堪忍仕そせう申さうずるにて候 植田「〽いかに人々聞給へ 我若年の昔より。恨をふくむくはいけいのもん。とめたき人ハきりて出テ。手なミの程を見給へかし 一セイ 名こそおしけれ弓取の。身ハ時の間の夢そかし〽 シテ「何と申ぞ 御前ニ狼藉人あり 向ふ者あらハうちとめよは((ママ))わるハ誠か たとひ命ハうするとも組とめんする物をと思ひひたゝれのかみとつてのけそばたか〳〵と取テはさミ庭上に出テ見渡せハ〽咲乱たる秋はきの。花も我身も梅のまかきを。こたてにとつてそ待かけたる〽 (地)「〽時しも秋の比なれハ。萩吹風もそよかたきと〽 (シテ)「〽心を置や〽 (植田)「〽露霜の〽 地「〽ふたつの命いつれさて。〳〵。まつちりの身と成へき。よしや何事も。因果の車めくりきて生死のさかいハ今こそ互ニまちかく成ぬ。のかすましやと隙行駒のふちうちあけてすかりむすとくミ。力ハしらすきもまさりに。くミふせられてやミ〳〵と。千筋の縄をかけまくも庭上に。引すへてなミいたる人々の前にかしこまる〽 (狂言)「なふをそろしや。いや唯今の狼藉人をば。入間殿の捕(トラヘ)テ縄を懸ケ。是へ被参て候 〔(ワキ「)何と狼藉人の有を入間か召捕為((たる))ト申か〕 (狂言)「さん候 急で御覧候へ 〔ワキ「左有ハ某出テ見うスルニテ候〕   〔是ヨリ詞長シ 切謡少有り〕 〔△流義ニヨリシテ案内ヲいわぬも有り 其時は狂言触ニスル (狂言)「御前ニ候 (狂言)「畏テ候 ト云テ立テ触ル。 (狂言「)皆々承り候へ。六原殿ニテ今日御沙汰初の候間。国々の訴詔人相詰候へ。又入間が訴詔ハ叶間敷由被仰出候間。たとひをして参り候共追返し候へ。其分心得候へ〳〵 (狂言)「何と申そ。御門外に狼藉者有テさうどうすると申か。此由申上う。いかに申候。御門外にらうぜき者有て。そうどう致候 (狂言)「さん候 急で御覧候へ  (狂言)「いかに申候。御門外にらうぜき者の御座候か。入間殿とあらそひの有由申候 トモ云ナリ〕   シテ武蔵国の住人入間ノ何某    ツレ植田    ワキ六原殿内何某    供 狂言太刀持出立 嶋ノ物 狂言上下 腰帯 扇 〔△前ニ○(狂言「)いかに申候。真木次郎殿ちうしんニて候 ト云事モ有り〕 〔△(狂言「)なふおそろしや。いや只今のらうせき人をハ。入間殿へとらへられたると申か。中々の事。急テ此由を申さう。いかに申候。只今のらうぜき人をハ。入間殿の捕ヘテ縄ヲ懸テ是へ参られテ候。カヤウニモ云ナリ〕   拾 長郷寺 〔ワキ僧「是ハ陸奥こゝのへひに長郷寺と申寺の住僧ニテ候 扨も当寺の旦那ニ南部の何某と申人大剛の人ニテ候ひしか此度くわうせん((黄泉))のかうしよくのかれかたくやもふ((病))の床にてあへなく空敷成給ひて候 其ゆいごんに我度々の合戦に高名せし重代の太刀をそへて池にしつめよとの御事にて候間ゆいこんに任せ水さうにおこなひ申て候 今日彼人の命日ニて候程に別て法事を取おこなひ申さばやと存候 〽扨も亡者の弔に。法事ハ様々多けれとも。諸経中王最第一と聞時ハ。法花にすきたる事あらし〽 地(「)〽此妙典のくりきにて〳〵はやくまよひをはなれつゝ仏果をえしめ給へと。夕の月も諸共に法の光やさそふらん〳〵〽〕 (狂言)「いかに申候 〔ワキ「何事にて候そ〕 (狂言)「不審成事の候。此寺の沙弥瑞益(ズイヱキ)俄に狂乱仕て候が。寄((奇))特成事を申候。我ハ南部(ナンブ)の何某がつきそひて有が。何とて重代の太刀をば池へ入候わぬぞ。余の太刀を池へしづめて候間。〔ぜひに〕十((重))代の太刀を入テ呉よと申て。以の外に狂ひ申候 〔ワキ「是ハふしき成事を申物かな ずいゑきハいづくに有ぞ」 (狂言)「是へ引立テ参りて候 〔ワキ「実是ハ以の外狂乱して候ハいかに かやうの事南部殿の御子息氏春ニ語申共誠しからず思召れ候はんずる間汝罷越てふしき成事御座候間急御出あれと氏春に申候へ〕 (狂言)「畏テ候。いかに案内申候 〔ナンブ「案内とハいか成人ぞ〕 (狂言)「いや某にて候。長郷寺より御使に参て候  〔ナンブ「何と申御使ニて候ぞ〕 (狂言)「さん候 ふしぎ成事の候間。急御出あれとの御使ニて候 〔ナンブ「何とふしぎ成御事の候へハ急参と仰候か〕 (狂言)「中々の事 〔ナンブ「今日ハ御使候ハず共親にて候者の命日ニ相当り候程にさんじて焼香仕ルへき心中ニテ候所に急参れとの御事心得申候 頓テ参上ずるにて候 狂言(「)畏テ候 トモ云也〕 (狂言)「さあらバ頓而御出候え 〔ナンブ「心得申候〕 (狂言)「いかに申候。氏春〔ドノ〕の是へ御出にて候 〔ワキ「や氏春の御入と申か こなたへ御出あれと申候へ〕 (狂言)「畏テ候。こなたへ御出候へ 〔ナンブ「今日ハ親にて候者の命日ニ相当候間めさずとも参じせうこう仕べき心中にて候所ニふしき成事の候間急て参れとの御使にて候ハいかやうなる御事にて候ぞ ワキ「其御事にて候 仰のごとく先今日ハ御親父の御命日にて候間別て法事を取行申て候 又ふしぎ成事と申候ハ此寺の沙弥すひゑきと申者俄ニ狂乱仕て候程にいか成事ぞと尋候へハ御親父南部殿のつきそひ給ひたる由を申て色々きとく成事を申候程ニ扨御出あれと申候 ナンブ「是ハふしき成事を仰候物かな 扨其すいゑきハいづくに候ぞ ワキ「是ニ候 頓テ御目ニかけうするにて候 いかに能力〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキ「すいゑきを連て来り候へ〕 (狂言)「畏テ候 〔ト云テ連テ来ル〕 〔ワキ「御覧候へ 此者ニテ候 ○是ヨリ南部瑞益ニ子細ヲ段々聞 詞余程長シ 子細ヲ尋仕廻テ ○ワキ(「)是ハ寄((奇))特成事共にて候 ○南部(「)実々ふしき成事共ニて候 先々沙弥を片原へつれて行候へ ト云時〕 (狂言)「心得申候 〔夫ヨリ太刀ヲ池ヘ入ル 跡大天狗出ル 大蛇出テ戦也〕    狂言出立 能力 無地のしめ 狂言袴 腰帯 十徳 こうし頭巾   拾一 安字 狂言口明((開))(文字売)「是ハ蜀(シヨク)の国の傍に。文字を売て世を渡ル者にて候。此間色々の文字を売て候。又此他((あた))りに文字を売市の候。近き間にも此市立候。又罷出もじを売ばやと存ル 〔ワキ「是ハ唐土かうほの里にゆうしんと申者ニテ候 是より西ニ当ツテ蜀の国と云所有 彼国に文字ヲ売市の候 昔さうけつといつし者鳥の跡を見て作りたる文字也 是末代の宝なり 急彼国へ渡り文字を買取家の宝トなさばやと存候 又妻ニテ候者ニ此事を申さばやと思ひ候 いかに渡り候か 我此程あらまし申つる蜀の国へ思ひ立候程ニ御いとまこひの為参りて候 シテ「実や此程のあらまし成し御事の別れとなれば今更に〽あらさる外の心地して。むすふ涙のたま〳〵にも。行かへるべき旅ならねバたへて待べき月日の末。思ひやるこそかなしけれ〽 詞 扨彼国に行帰るへき日数ハいか程にて候そ ワキ「さん候 彼国に行帰るへき日数ハ三とせの程と申候 シテ「〽それ程の命もしら雲の。きへなば是をかきりそと〽 上同(「)〽共に涙の夕暮の。〳〵。雲のはたての西の空。そなたとはかりおもひやる。旅の道こそさひしけれ〳〵〽〕 (文字売)「文字召れ候へ 〔ワキ「いかに申候 文字を買申さふするにて候 何ニテモ候へ然へき文字ヲかわせて給り候へ〕 (文字売)「何と然ルべき文字をうれと候や 〔ワキ「中々の事〕 (文字売)「更ハ是にあんの字の候を売申さふ。惣じて何事を一さいあんじても。なすわざがやすふ候。去程に此あんの字をやすしともよミ候。此文字ハかふりの下に女と云字を書候。是ハ一字千金に売文字ニて候 〔ワキ「荒嬉しや 更ハ古郷に帰らばやと思ひ候 シテ「〽偖もゆうしん立出テ。末はる〴〵の春秋を。思ひやるたにまちとをの。年ふる里の草衣。きのふも過けふとくる。日数も今ハめくりきて。三とせの秋にもはやなりぬ〽 地同(「)〽常にこととふ物とてハ軒の松風ばかりなり〽 上哥〽かれ〳〵の契りのすへハあた夢の。〳〵。面影ばかりそひねして。あたりさびしき床の上涙の浪ハ音もせず。そて行水ハ有なからおふせハいつく成らん〽 ワキ「あら嬉しや 急候程に古郷に着テ候 急度物を案し出したる事の候 我彼国に行帰るべき日数ハ三年の程ニて候 夫たのミてもたのミなきハ女の心にて候 今やハ此やかけに候て内の躰を聞はやと存候 シテ「実々此比ハ我妻((夫))のたのめし三とせの秋なればまつ心のミ有明の月のよすからうちもねぬきぬたのひゝき軒の松風〽ところもかうほの江もちかし。秋の水みなきり落て。舟のさる事すミやかなり よるの雲おさまりつきて月の行事遅し〽 下同(「)〽きりのつま琴かきならし。今宵の月をなかめてすこし思ひをなくさまん〽 ワキ「〽我ハかくとも白露の。〳〵。たま〳〵帰る古郷の其つま琴のねをそへて。猶も心を見るやとて此横笛を吹ならす〳〵〽 (狂言)女「あゝをそろしや。今の笛の音ハ何国にて候ぞ。これは正敷皆人(ヌスヒト)の吹笛にて候。あらおそろしや 〔シテ「実々うたかひもなき盗人の笛にて候 扨いかゝ有べきぞ〕 (狂言)女「是ハ幽信の御留守を存て。か様に人の他((あたり))へ立寄と思ひ候。扨如何被成へきぞ。所詮是に幽信の召れたる冠の候。是を召れ又鉾を御持候へて。此屋形を御廻り候ハヽ。余所よりハ唯男とならでハ見申間敷候程に。是をめして家形を御廻り候え 〔シテ「いざ〳〵さらバ今よりハ余所にも男と白玉のかふりを着鉾を横たへかうらうにのほり月におつ やかけハそれか秋の夜の 是ヨリ地次第 シテ一セイ クリ 地サシ 曲舞〕   口明 官人出立 厚板 狂言袴 脚絆ニテ括ル ソバツキ 腰帯 官人頭巾 唐扇   後ノ あしらい シテニ付テ出ル女也 薄((箔))ノ物 びなん 女帯   拾二 室住 〔ワキ「是ハ播摩((磨))ノ国書写山の住侶性空と申者ニテ候 我此寺を建立し加((伽))藍立申テ候 ○是ヨリ詞長シ 道行有テ(ワキ「)〽程もなく室住につきにけり〳〵〽 詞急候程に室住に着テ候 長者ノ屋を尋テあわばやと思ひ候 所の人の渡り候か〕 (狂言)「誰にて渡り候ぞ 〔ワキシカ〳〵〕 (狂言)「さん候 江口の長ハ。あれに見ゑたる高もかりの内にて候。初たる御方ならば御出有て御覧候え (狂言)「御用の事あらバ被仰候へ (狂言)「心得申候    出立 のしめ 長上下 小サ刀 扇   拾三 村山 〔シテ「か様ニ候者ハ讃州西方上野殿の御内ニ仕申村松((山))の何某にて候 扨も頼奉候上野殿ハ去ル御訴詔((訟))ノ事有ニより過し春より御在京にて御座候 又御子息松若殿と北の方ハ御留守ニ御座候 某松若殿御乳母子ニテ候間此方ニ残し置れテ候 此程ハ北ノ御方松若殿をつれ参らせて他((あた))りちかきしゆしやか((出 釈 迦))寺と申霊仏御座候に一七日参籠にて御座候間毎日ミやつかへ申候 今日も参ばやと存候 誰か渡り候 村松が参て候〕 (狂言)「いや村松殿にて御座候か。其由申上うずるにて候。いかに申上候。村松殿の御出にて候 〔女「村松と申か 人迄もなし 此方へ参候へ〕 (狂言)「畏て候。こう〳〵御通り候へ 〔シテ「心得申候 女「いかに村松 此程ハ夢見悪敷候程に都の事御心元なく候 シテ「さん候 都より久敷御音信も御座なく候 又夢見悪敷御座候由承候 惣して夢ハ風の前のちりのごとく跡もなき御事ニて候 御心には御かけ有間敷候 女「実々夢ハ風の前のちりのごとくあともなく〽はらふ嵐の月をのミ 下哥見るまゝに山風あらくしくるめり〽 上哥地(「)〽都も今ハよさむそと。〳〵。思ひやる身ハ夢にて。見ゆるらん物をなけきつゝうちぬるよいの袖の色 ふかき心の行かよふ。夢のたゝち(キ)やいかならん〳〵〽〕 (狂言)「いかに村山殿へ申候 〔シテ「何事ぞ〕 (狂言)「都より注進状にて候 〔文渡ス〕 〔シテ「あらふしぎや 頓テ此由申さふするにて候 いかに申上候 都よりの注進御座候 まきの次郎か方より状にて候〕  〔女詞 シテ詞 女謡クトキ 子ノクトキ 地へ取 曲舞過詞有 長尾打手ニ来ル〕    シテ村山ノ何某 ツレ女 子方   狂言 嶋ノ物 上下 腰帯 〔(狂言)「いかに申候 (狂言)「まきのゝ次郎殿よりの注進にて候 ト云テ文ヲ村山ニ渡ス カヤウニモ云ナリ〕   拾四 信夫太郎 〔〈信夫〉トモ云ハ違有〕  〔シテ次第過テ(「)か様ニ候者ハ陸奥に信夫ノ太郎 信夫ノ次郎と申兄弟の者ニて候 扨も我訴詔((訟))の子細有て兄弟なから在京仕て候へ共訴詔もかなわす結句三年御沙汰とゝまる由国々に触られ候程に力なく古郷へ罷帰候 二人サシ謡下哥上哥過テシテ詞(シテ「)参候程ニ越後の国直井津ニ着て候 未日高ク候へハ餘りに草臥て候程に此所にとまらふするニて候 宿を御とり候え 二良「如仰日ハたかく候へ共此所に御とまりあらふするにて候 御宿を取てまいらせうするにて候 いかに案内申候 アルシ「誰にて渡り候ぞ 二郎「旅人二人候 一やの宿を御かし候へ アルシ「心得申候 お宿を参らせうするにて候 こなたへ渡り候へ 二郎「いかに申候 御宿を取申て候 アルシ「御両人なから奥間へ御入あらうするにて候 シテ「心得申候 アルシ「是ハいつくより何方へ御通り有おたひうとにて候そ シテ「さん候是ハはるか奥の者にて候か去子細(ソセウ)の事ニて永々在京仕候へ共そせうも不叶候程ニ力もなく只今古郷へ罷下候よ アルシ「言語道断 遙々の御旅と申旁いたわしう存候 是よりかち路ハ御太義((大儀))にて候へし 幸明日此所より奥へ下舟の候 めされ候へかし シテ「夫こそ日本一の事ニて候へハさらハ舟にのらふするにて候 アルシ「さらハ舟頭に其由を申候へし シテ「然ルべきやうニ頼申候 アルシ「心得申候 いかに誰か有ル〕 (初間 舟頭)「何事にて候ぞ 〔アルシ「此二人の者をいつものことく松崎の兵衛殿へうらうするニて候間汝つれて渡り候へ〕 (舟頭)「心得申候。是ハ調法成御事かな。已前の者ハ殊外ふがんぢやうにて。其上びやうじやなれば役にたゝず。あたゑを捨たる由にて。ふくりうの気色見へ候へつるよ。一段の事にて候 〔アルシシカ〳〵〕 (舟頭)「さらバ頓テ舟を出申さうずる 〔シカ〳〵〕 (舟頭)「畏テ候 〔アルシ「いかに申候 お舟を申仕て候 頓テめされ候へ シテ「さらバのらふずるニて候 近比かしこまり存候 アルシ「めてたう重て御尋あらふずるにて候 ○是ニテ狂言舟ニ二人ヲのせてこき出ス躰 (「)ゑい〳〵 と云テこぐ 二郎「あらふしぎや 此舟ハ殊外沖へ出候よ シテ「実々是ハ許のりて候より沖へ出候ハ何と云為((たる))事ニて候そ〕 (舟頭)「此他((あた))りハ遠近ニ名所の御座候間。咄々参らうずるに。静に召れ候へ 〔(シテ)「心得て候 シカ〳〵〕 (舟頭)「中々 あれ成嶋へ着。荷をもつミ人をものせてゆけバ。か様にこぎ行候よ 〔シカ〳〵〕 (舟頭)「はや舟が着て候。ちと御おり候へ。〔中々あれへ付候。何角と云内ニ舟の付たれバ。少折((下))て御休ミ候へ シテ「いや〳〵をるゝまでもなく候 このまゝ舟にて待申さうずるにて候〕 (舟頭)「いや〳〵此所にて暫ク用意し。荷物をつミ申間ひらに少御おり候へ。わざと心の有方ハ。尋来りて御覧ぜらるゝ嶋にて候間。先々折て見へかすむ方をも御覧候へ 〔シテ「なふさらバ御おり候へ 我等もおりてやすもふずるニて候 二郎「心得申候〕 (舟頭)「あら嬉しや とうしすまいた。松崎の兵衛へに案内申さう。いかに案内申候 〔ワキ「誰にて渡候ぞ〕 (舟頭)「いや某にて候 〔ワキ「や めつらしや候〕 (舟頭)「誠に已前ハ御意に入兼そう成を召連。何とや覧((らん))心に懸り。餘り迷惑さにあの方にても様々申て候が。只今よき若き者をつれて候。則お文の参て候 御覧候へ 〔ワキ「荒祝着や候 やかて文を見うずるニテ候 や 日本一の事ニて候 御文にハ二人有由仰られ候か二人候か〕 (舟頭)「中々あれに二人有者にて候が。若き者共なれば。次第にすくやかになり候べし 〔ワキ「実々是ハすくやかさうなる者共にて候 さらハやがて返事申候 近比畏たる由を申 急て舟を出し候へ〕 (舟頭)「心得申て候。さらハ頓而参候べし 〔二郎「あらふしきやなふ はや舟か出候よ シテ「や 言語道断 あの舟ハ何とて出すそ 某かのらうずる舟にて有ぞ 急てもどし候へ 二郎「中々 其舟もとせとこそ〕 〔是よりワキシテツレ共ニ詞長シ 扨シテクトキ ツレモクトキ 下哥 上哥 地 詞カケ合謡 一セイ サシ 二人謡 下哥 上哥 又シテトツレ詞 上哥ニ(シテ「)〽草かりにあらぬ我身もおり〳〵ハ。〳〵。すなとり笛の音もさひし。さてまた山路に日をくらし帰らん事をわするゝ。くるしやしつのをたまき。むかしを今になさばや〳〵〽 シテ「あら面白や候 一ツうたひて候へハいにしへの心地して心を慰て候ぞや あなたにあたつて人声の数多聞へ候ハいか成事ニて候ぞ 御尋候へ 二郎「畏テ候 なふ〳〵そなたに数多人数((声))の聞へ候ハいか成事にて候ぞ 何板橋殿の御狩に御出と候や いかに申候 尋て候へハ板橋殿の狩に御出と申候 是ハ存たる者にて候間御忍あらうずるにて候 シテ「板橋とのと候や 二郎「左様ニ申候 シテ「実々板橋ハ存たる者にて候程に笠をきかたはらにしなふで通うずるにて候 二郎「然るびやう候〕 〔一セイ板橋出ル 狂言供して出ル (板橋)「〽鹿にのミ。心をいるゝ益雄ハ。山をも見ずや。こゑぬらん〽〕 (後間)太刀持「のふ〳〵山へ行人々。しほ木がいそぎ成と御申有ぞ。急で行れ候へや。おそなわりたる者にハ。くわたいをあてうずるとやらん きこゆれば。せうしさに申す はやくおりやれよ 〔ト云テ板橋ノ方ヘきて〕 いかに申上候。あれなる草村を狩候所に。思ひもよらぬ御方を見申て候 〔板橋「思ひもよらぬ人とハいかやう成者ぞ〕 (太刀持)「其事にて候。信夫太郎殿兄弟。さも浅ましき有様にて御座候よ 〔板橋「すしなき事を申物かな 何とて此所にハ居申されうするぞ〕 (太刀持)「いや〳〵しかと兄弟の人々にて候 〔板橋「是ハ誠か〕 (太刀持)「中々の事 〔板橋「是ハふしき成事を申物かな 人して申さば定めて御隠あらふずる間某直に立越尋申さう〕 (太刀持)「さらバちと御覧候へ 〔板橋「なふ〳〵御身ハ信夫太郎次郎殿ニてハ御座なきか 是ハそも何と申たる御事にて御座候 シテ「さん候 願の訴詔((訟))不叶して下り候所ニ運のつくる所ハ人あき人の舟にのり此嶋へ来りか様の身と成て候よ 板橋「や 言語道断の次第ニて候物かな 去なからくるしからぬ事にて候 常ニ人の有習ニて候程に御心にハかけられ間敷候 御目ニかゝり候こそ幸にて候へハ先某が私宅へ御供申さうずるニて候 御両人なからこなたへ御座候へ シテ「畏て候 さらハ参らうずるにて候 (板橋「)いかに誰か有〕 (太刀持)「御前ニ候 〔板橋「御兄弟餘りふしぎ成御躰にて候間急てゑほしひたゝれをきせ候へ〕 (太刀持)「畏て候。いかに御兄弟へ申候。急で烏帽子直垂を召れて。御出あれとの御事にて候 〔シテシカ〳〵〕 (太刀持)「畏テ候  〔是ヨリワキ詞有り 養子ニスル 上哥 サシ 曲舞〕    シテ信夫太郎 ツレ信夫次郎 ワキ松崎兵衛 アルジワキツレ 板橋ワキツレ   初間舟頭 嶋ノ物 上下 腰帯 扇   後間板橋ノ供太刀持也 出立 嶋ノ物 狂言上下 腰帯     扇   拾五 佐保川 〔ワキ「抑是ハ和州春日の社人ニテ候 扨も当社ノ御神事ハ九月十八日より霜月迄御神事ニて候間其間ハ殺生禁断の所成を此佐保川の魚をよな〳〵人の忍て取ル由承候間使廰の者ニ堅申付ばやと存候 シテツレ二人出謡有 サシ ツレトカケ合 謡 下哥(シテ「)〽いざ〳〵魚をとらふよ〳〵〽 (地「)〽春の名におふ桜鯛堺のはまにとりけるハ〽謡也 シテトツレト地トノロンキ過テ仕舞ノ謡ニ シテ(「)〽いざや帰らん〽 ツレ「〽もろともに〽 同地(「)〽いさやかへらんもろともに。人月なきよを忍ひちの。たよりの月ぞよしなき〳〵〽〕 (狂言)「此間心を掛テねらい候へハ。女の二人有か魚をとる 此由申さう。いかに申上候。此程(ホド)ねらい申候へバ。女の二人佐保河にて魚を取申候 〔ワキ「何と申ぞ 女の二人佐保川の魚を取ルと申が言語道断の事 立越て見うするにて候 やあいかに是成女 何しに似合ぬわさをば致候ぞ シテ「さん候 奈良のミやこに梅定と申者の二人の娘にて候が父にハおくれ母一人持テ候か此比病家に伏て此左保川の魚をねがいの物と申候程に〽孝行と斗。思ひさむらいて。忍て魚を取テ候〽 ワキ「たとひいか様の孝行成共大法をやふるハらうぜきなり いかに誰か有〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキ「あの女をちやうちやく仕候へ〕 (狂言)「畏テ候。曲事にて候間唯打ころし申さう。御身の事ハ我等心得にてたすけ申にて候。あこね((ママ))の死骸を御覧候へ   ワキ社人    狂言供 嶋の物 狂言上下 腰帯   シテ女 ツレ女    後ノシテ三笠ノ山ノ山神こおうみつやの神也   拾六 千寿((手))寺 〔ワキ「抑是ハ陸奥の間((はざま))さいぢやうと申者にて候 扨も我代々うとくの家に生れ何事につきてもとほしき事もなく候 又爰ニいつく共しらぬ美女の候か身を売へき由申候間買取て召仕候所ニ此十日ばかり暮に見へす候 堅ク申付て尋させはやと存候 いかに誰か有〕 (狂言)「御前ニ候(ナニゴトニテ候ゾ) 〔(ワキ「)シカ〳〵 此間買取たる女の見へ候ハぬ急度尋テ来り候へ〕 (狂言)「畏テ候(コヽロヘ申候)。扨も〳〵不思義事((ママ))かな。御召使の女性。此間何方へやら参て候か。今に帰らぬ由被仰而候。就夫我等に心懸て尋出せとの御事にて候間。心を付て見申さばやと存る  〔ツレ次第ニテ出ル サシ上哥過テクトキ(ツレ「)〽なむや千手せんげんねかわくハ。別し父母の御跡を。心やすくもとふらうべき。身になし給へとよもすから 下哥なく〳〵祈ル涙の袖お枕にねんじゆする〽 (狂言)「いやうたごふ所もなひ是ぢや。いかに申。かた〴〵は誰にゐとまを乞うて。何方へ行て有ぞ (狂言)「最早十日餘りも帰られず候間。とう〳〵参られ候へ (狂言)「いかに申上候。最前被(※)仰付た女性を尋出して候〔※被仰付た新座の女。千手寺ニ参籠致て罷有ヲ。ツレテ参テ候〕 (狂言)「さん候 〔ワキトツレ詞シカ〳〵 謡(地「)なく〳〵お田ニ立出テ 此謡過テシテ出 ツレ謡シカ〳〵 ロンキ 詞 謡(地「)千手の廿八ふしゆ〳〵の其中の龍女成ルカ汝朝暮千手寺にはこふあゆミの利生を忽に見せ知する也 猶此後も思ふハ諸願成就なるへしと云すてゝ失にけり かきけす様にうせにけり シテなかいり〕  〔(狂言)「何と申ぞ。百代(モモシロ)田ニ水ヲこと〳〵く入たると申か。近比ふしき成事を申物哉。様子を見て其由申さふ。誠ニ申か偽てハない。乍去女の分テ一夜の中に。悉ク田ニ水ヲ入候事。ならぬ事を申付られたにがてんのゆかぬ事ぢや。若夜前内の者誰にても。新座者の外ニ参らなんだが。何今日山へ行とて。皆々宵より休ミてしらぬと申か。我々のせんぎにてハしれまい。有やうに申さう。いかに申〔上候〕。御申付のごとく百代の田へ。今夜の間に水をことごとく入テ候 (狂言)「中々 ふしん成事ニて候程ニ。御出候て御覧候へ〕  △ワキ陸奥サイヂヤウト云百性((姓))也    間 太刀ハ持ズ 狂言上下 腰帯   拾七 岩瀬 (狂言 従者)「か様に罷出為((たる))者ハ。嶋津殿の御内に仕へ申者にて候。去ル程に頼奉ル御方ハ。去年春の比空敷ならせ給ひ。御子息御座なきにより。御舎弟左衛門尉殿御子を養子として。御一跡を譲り御名を五郎殿と申す。未年若ク御座せハ。其伯父子に浮洲太郎殿と申て御座候か。是ハ左衛門殿の御舎兄にて座せ共。是も然べき御子もなければ。左衛門殿の御子を取り家督をつがせ給ふ処に。去年夏の時分謀反のたくみ。され共五郎殿ハ御譲りたゞしき故に思召とまり。今ハ御中も能わたらせ給ふ間当年ハ清龍寺の花盛成由聞被召。太郎殿嶋津方の御一族衆を御同道有て。花を御覧ぜんとの御事にて候間。拙者に此由相触申せとの御事なれば。此由相触申さうずる。やあ〳〵皆々承り候へ。浮洲太郎殿嶋津殿の御一族衆御同道有り。清龍寺の花を御覧有へきとの御事なれば。道をも造り花の本をもさうじいたされ候へ。構て其分心得候へ〳〵 〔次第詞(五郎「)抑是ハ九州嶋津の何某ニテ候 少詞有テカヽル 上哥 五郎岩瀬詞有 浮洲も詞有り 地ヘ取 曲舞ノ内上ハ(地「)〽花上苑に明らかにけいけんきうはく((軽軒九陌))の塵つもり白雲かゝる山桜。さながら雪のをもかけも有明のひかりさすさかづきもかすそひて。帰らんことやわするらん〽 岩瀬「何と申すぞ 当山の衆徒達嶋津殿御花見に一曲をもよふしてはやし物をして能力さま〴〵に狂る((ママ))と申か 是ハ近比の御事にて候 御覧し候へ〕 〔○爰ニテ能力ノ内よりはやし立テ何ニテモ舞ふ 又花をかたげ三人程出ル 能力也 一セイ(能力「)〽雲も霞も白妙の。花のさかりハをもしろや〽 (能力)「忝も国の守の花御覧有へきとて此寺ゑ御出有り 御酒宴半成程に当山の若大衆申合慰申せとの御事なり 先我等ハ先へ参候て御酒もりのきやうをなせとの事にて罷出て候 (能力)「いかに岩瀬殿へ申候 (能力)「是ハ衆徒達の申せとの御事ニて候 殿の御出を当山の面目と存し若大衆児達をともないけ((?))れ〕 〔岩瀬「荒不思義((議))や 浮洲殿の御座敷を立給ふやう何とやらんふしんに存候 されバこそ一大事の出来て候 先此由を五郎殿へ申さう いかに五郎殿へ申上候〕  〔是より跡ハ戦になる 此の岩瀬の詞ハ切也 書違也 跡ニ書はづなり〕 〔(能力)「ゑ参申うずる さりながら案内不申候てハいかゝと存し能力を参らせ候 追付参らうずる 其間何ニても一曲仰付られ候へ 此しんぼち共ハ物ことに心得たる者ニテ候 御所望なくとも舞申せと申付られて候間三人もろともに舞候て帰り候べし 〈老武者〉ノ吟也 (能力)「〽つきせぬ春の遊ひの数。霞の衣をかへして立まふ花のかけ〔ニ〕酔乱。帰る山路もよろ〳〵と。つえにも桜の枝を手折。かさしも花の袖引つれて〳〵。わが本坊にぞ帰りける〽 (能力)「長居ハおそれにて候 先おいとま申候〕   拾八 大聖寺  (能力)「是ハ上野の国那波の庄金沢の内に。大聖寺と申御寺に仕へ申能力にて候。扨も当寺の院内に。蔵立院と申御坊に稚人御兄弟御座候。御兄を花菊殿御弟をバ千満殿と申候。是ハ去ル人の御子息にて御座候が。此御方こそ大事の敵を御持候。其敵の名をバ那波の将監成澄と申候。彼人過し暁本堂の場に忍入。御勤過テ皆々御帰候隙に。彼成澄本堂に閉籠り。彼者申様ハ。花菊殿を害し申て出し申されずハ。本堂を焼失せんとの事にて候間。一山の者御不興是に過ず候。則集会を被成。此義にどうじ(〔タンコウシ〕)給へバ。皆々寵愛の稚人を。おめ〳〵と敵の手に渡シ申されん事。(※)傍若無人是非に及ばず候。我人の御命捨ても助申されてこそ。〔※云甲斐なし。我人の命ヲすて助申されてこそ〕世上の聞へも然ルべく候ハんずれ。又此義を背き給へは。(※)本尊ハめいよの霊仏にて。子細御座候へバ一大事の御事と申。〔※名誉霊仏寺共焼失ン事誠ニなげかしき事也〕扨何と(サテ何ト)有べきぞと御談合おちつき申さず候。又彼花菊殿の御乳母子。那須十郎親任と申人。当寺の花盛にて候ニより。日々に花の御会御座候間。親任も此間花菊殿の御坊に渡り候。さぞ此人ももたゑ申され候らん。先々蔵立院へ参て直に申さばやと存候。や。是ハ蔵立院の御出にて候よ 〔ワキ「いかに能力 扨もふしき成事の出来して有よな〕 (能力)「其事にて候 〔ワキ「いや愚僧が命を捨る迄にて有間くるしからぬ 先々花菊殿御兄弟こなたへ御出あれと申候へ〕 (能力)「畏テ候 〔幕方見て〕 いかに御兄弟へ申候。急て御坊の御前え御出あれと被仰候 〔子方二人出ル〕 是へ御出にて候 〔ワキ「いかに兄弟へ申候 是よりワキト花菊ト詞有 クドキ 地へ取ル 謡 上哥過テ弟詞有り ワキ詞 花菊詞 ワキ謡に(ワキ「)〽此人々の御心の内。さこそと思へば露の身も。置所なき思ひをのミ。しのふ山のしのはしき。思ひそふかきさく花もつらなる枝をなとへたつる露なるらん〽 男「いかに御坊へ申候 ワキ「何事にて候ぞ 男「何とて集会の御座敷をハ御達((立))候そ。老若色々御思案候へ共。御本尊を何とか仕らんずらん。御痛しながら花菊殿を出し申されて。当寺をなんなく置申されうするにて候。彼てき゛人((ママ))もし花菊殿を伴ひ申。おめ〳〵とのき候ハヽ。若き人々一軍御沙汰有へきにて候。〔命なからへテこそ世上の聞へもいかゝにて候へハ。〕若き人々花菊殿の御為に御合戦有てハ。当寺を無為に御沙汰有べき御為にて候程に。此上ハ出し申されよとの御事にて候 ワキ「委細心得申候〕 〔是よりワキト乳母花菊詞カケ合 謡 地へ取 サシ 兄弟 地ヲ取 曲舞過テカケ合謡〕  〔弟「〽行方も。涙にたとる袖の露。おくれさきたつあわれ世にたゞみつからか命を。御身にかへてたひ給へ〽 花「〽情もよしや去とてハ。なかき闇路をとひ給へ〽 弟「〽とはんも誰か 花「〽なからへて〽 下地同(「)〽憂世に有へきかと。師匠乳母子涙とともに行道もそこはかとなく。たより〳〵もさそふ風にちる花を。したふもつきぬ名残哉〳〵〽〕  (能力)「いかに申上候。暫御待候へ 目出度事が出来申て候 〔ワキ「目出度事とハいか成事ぞ〕 (能力)「さん候 某堂の内陳((陣))の御番ニて候間。灯明を参らせ候と申てわひ事仕り。内陳へ酒を一ツ呑れよと。敵人に色々申て酒をしひ候処に。悉ク給酔油断仕候隙に。灯明を参らせつる次に。御厨子の内の御本尊より。一寸八分の観音にて御座候。某ふところへ入。隙をうかゞひふところ((ママ))より罷出し。御本尊をバ院主の御坊へのけ申て候 〔ワキ「是ハ誠か〕 (能力)「中々の事  〔是より詞長シ 戦也〕   ワキ蔵立院尊堯法師  乳母親((ママ))任 子方二人花菊千満   狂言能力出立 常の通り   拾九 武文 〔シテ次第過詞(シテ「)か様ニ候者ハ左衛門のふしやう秦の武文と申者ニテ候 扨も一院の御息所土佐ノはたへ御下向ニテ候程に我等も御供申只今罷下候 ○上哥過テ (シテ)「急候程ニ津ノ国此他((あた))りハ尼か崎大物の浦ニテ候 宿ヲからはやと存候 ○爰ニテ宿を取事も有り 又とらずに居ル事も有 云合次第自然の為ニ書テ置 シテ(「)いかに案内申候〕  シテ方宿「誰にて渡り候そ 〔シカ〳〵〕 (シテ方宿)「お宿ハ安間の事借申さうする。奥の間へ御通り候へ 〔(ワキ)「是ハ九州松浦の何某にて候 我自訴の事有テ在京仕訴詔((訟))悉ク安堵しよろこひのまゆをひらき本国に罷下り候〕 ワキ方ヤト「案内とハ誰にて渡り候ぞ  〔シカ〳〵〕 安間の事 こう〳〵御通り候え 〔シカ〳〵〕 同「尤足早き舟の候間。先々順風を御待候へ 〔(ワキ「)是ニて順風を待候 餘りに徒然ニ候間浦へ出テ一見せはやと存候 いかに誰か有ル〕 同「御前ニ候 〔シカ〳〵〕 同「承り候へバ一院ノ御息所成ルが。ながされ人の妻なれば其行衞を尋。土佐のはたへ御下の由を申候 〔シカ〳〵〕同「いや〳〵左様の道をバ。我等ごときの舟人なとが存ル事にてハなく候 同「見物と承同心の様に申さハ。さながら姿にかわらぬ心をあらわすにて候え共。左様に深ク思召バ。上臈の御宿を忍て云合。たばかりうばひ取申さうずる。され共彼供人大剛の者なれバ。おろそかにてハ成間敷候間。ひそかに才覚仕らうずるにて候 〔シカ〳〵〕 ワキ方ヤト「おりやるか シテ方ヤト「案内とはたそ ワキ方ヤト「其方の旅宿被成たる上臈を。盗取くるるならば。たからを致さうずると云人の有が。なるまひか シテ方ヤト「夫ハ安ひ事じやが。彼供人常ならぬけしきなれば。大方にてハ成まひ。わごりよと身共が談合をさへしたらハ。火事をいだゐて。其さわぎにうばひとらふ ワキ方ヤト「是ハよひ才覚ぢや。夫ならば構てはづを違へさしますな シテ方ヤト「心得た ワキ方ヤト「急で申上う。いかに申上候。只今の義を。お宿のせんどう中間を談合致候へハ。火事を致シ。其まきれにてなくハ成間敷と申間。左様に仕らふずるか何と御座候べし ワキ方ヤト「心得申候 〔(地「)〽此義尤といわれたり。〳〵。とてならひの家に火をかくる〽 扇ニテあをぎ。さわがしきていをして。(ワキ方ヤト?「)やう〳〵きへたる と云時 (シテ方ヤト「)イカニ申候。夜打カ入テ候。表へ切テ御出候へ シテ「何と申そ 浦へ盗人か入たる 実々先こなたへ御出候へ 是ニ大舟の候 是ニあつけ申さう ○太夫彼の上郎をつれて松浦が舟ニあつくる 其時ワキ方ノ舟頭出ル シテ「いかに案内申候〕 ワキ方ヤト「誰にて渡り候ぞ 〔シテ「さん候 思召よらぬ申事にて候へ共此御舟へ物をあつけ申とう候〕 ワキ方ヤト「安間の事夫にのせ申され候へ 〔狂言「安事ニて候。但いづれ辺の者(ヒト)ニて候ぞ シテ「さん候 是ハ此浦にとまりたる旅人ニて候か此所へ夜打をうつて候とて以の外ふつそうニ候 火のしつまらん程人を預申度候 狂言「安事夫にのせ被申候へ シテ「あらうれしや 是へめされ候へ 火静つて頓テ迎に参らうするにて候〕  ワキ方舟頭ヤト「いかに申上候。上臈を預りこの舟にのせ申て候 〔一セイ(地)「〽舟子を下知しいかりを上テ。奥に舟おぞ。出しける〽 シテ「さればこそはやしつまつて候 やかて御むかひに参らふ あらふしきや 扨此ふねハいづくへ行テ候らん なふ〳〵是に候ひし舟ばし御知候か〕 〔○是ヨリ男役ト有り 又狂言勤ル事モ有り〕 男「あふ其舟ハ筑紫松浦殿の舟にて候。近年在京有ツテ。此二三日以前ニ都より御下り候て。此所に御逗留の間。一院の御息所。土佐のはたへ御下向を見被レ申。流人のゆかりくるしかる間敷とて。うばひとり申さんたくミ有に。うんな天のなせるわざとて舟こそおふきに。御息所を松浦殿の舟に預ケ被レ申候ニより。天のあとふる所と有て。其舟ハ早とく出て候が。され共大舟なればおゝくハ行まし。未見ゆる事も候べし。あの雲すきをはしる舟にて候 〔シテ「是を小舟に乗てをわバおひつかうずるか〕 男「中々押様に依て。詞を懸ル程にハ追付候ひでハ 〔シテ「さらハ此舟にのらふ こひてくれ候へ 追付テ只一詞物を申てもとらふするにて有ぞとよ〕 男「こひで参せ度ハ候え共。某ハふねこひたる事が候ハぬよ 〔シテ「此浦に住なから舟こかぬとハ何事そ 惣して初より少ふしんニ思ふ処にこぐまいと申か 扨ハ松浦と同心の者  やいこげとこそ〕 男「あふ某ハいやしき身なれバくるしからず候。され共此所にて左様のごうぎを被成。御命をバ何と被成候べきぞ 〔シテ「本より松浦とさしちがゑんも又汝をがいして腹きらむも同し事よ〕 男「とかくたのむなどゝ承候ハヽ。頓而分別致事もあらんに。さわなくして左様にちやうちやく被成候ハヽ。いかやう〔ニ〕成〔候〕共ふつと聞候まし 〔シテ「扨ハたのまばご((ママ))くべきか〕 男「夫ハ何とか候べきな 〔シテ「某あやまつて候 ひらにこひて給り候へ〕 男「さあらバ何とて以前より左様に承候ハぬぞ。随分こひで参らせうするにて候。さらば梶を取申さう 〔云合次第〕 〔一セイ(シテ)「〽よせかくる。波の追手の風しはし〽 ワキ「〽知ぬよしにて力をそふれは〽 シテ「〽心斗ハいそけとも〽 上地「〽おそしや〳〵おひての舟の。よすへきやうなき小舟かな〽 上哥〽松浦ハ是を見るよりも。〳〵。ろをたてそへておす舟の程遠けれハ。おつつくへきかと一度にとつとそ笑いける〽 シテ「〽武文やすからす。〳〵。今ハかなわじいてさらハ。悪霊となつて忽。其舟をとゝめんと。さも高声によはわりつゝ。腹かき切て。海中にとんて入。実おそろしき有さまかな〳〵〽 地「〽酒宴をなしてとり〳〵に。〳〵。さすさかつきをめぐらすや。てん雲をおさまりて寒暑時をたかへす。四海波しつかにして風雨枝をならさす〽〕 ワキ方舟頭「此所ハなるとゝ申て。大事の悪所なれば。色々の謂候え共我等躰ハ覚へず候。いやあれへ見なれぬ雲が出た。扨も大風大波かなやれ。是ハ龍神いろ(色)有物をのぞむと見へ候間。上臈のお小袖どもをしづめられ候へ。扨も〳〵。南無観世音菩薩。〳〵。 〔〈舟弁慶〉ノ舟頭のことく (「)風か替た ヲ云 波をしかる〕 〔サシ(ワキ)「〽餘りの事の悲しさに。御息所のめされたる。御きぬを給り海中に入。皆きせひをぞ申ける。南無や本国松浦の氏の神。ねかわくハ二度。古郷にかへし給へと。さにひ((ママ))あひたる斗なり〽〕 〔武文ノ幽霊出ルト間カマハズ 云合次第也〕   ワキ松浦何某 シテ秦武文 ツレ一院御息所   シテ方宿 ワキ方宿 舟頭 狂言上下也   後男ハツレスル 但シ狂言勤ル事モ有り 其時ハ狂言上下 〔○狂言ノヨセテ。二三人モ竹杖を以テ。(「)ゑいとう〳〵 ト云テ。押ヨセル事モ有り。其時ニシテ方ノヤド。(「)いかに申候。夜打が入テ候。表へ切テ御出候へ ト云。武文切テ出ル内ニ。ヤト御息所ヲ舟へのけ((ママ))るも有。又武文が舟へツレテ行預ルも有。云合次第也〕 〔ワキヤト「案内とハ誰にて渡り候そ (ワキヤト)「お宿の事(ハ安キ間)借申さうずる。奥間へ御通り候へ (ワキヤト)「何事ニて候ぞ 〔其事ニテ候〕 早雲の気色がなをりて候間。一両日の内ニおいてが吹申さうずる間。其御用意有うずるにて候 (ワキヤト)「いや〳〵珍しき事もなく候。此程一院のミやす所とやらん申御方。とさのはたへ御下向被成候が。風を待此所に御逗留にて候が。一段と美人ニて御座候由申候 (ワキヤト)「頓て此他((あたり))にて候 〔シカ〳〵有事も有り〕 (ワキヤト)「さあらバわら((ママ))ハ案内ちや致。御目ニ懸申さうずる こなたへ御座候へ 〔シテ柱よりミせる〕 あれ成上郎の事ニて候 (ワキヤト)「是ハ御尤ニてハ候へ共。旅人ニ御宿参らせてハ。いづれも(〔イツモ〕)大事にかけ申候間。左様ニりやうじ成事ハ中々成間敷候。只思召御とまり候へ (ワキヤト)「やらめいわく成事を仰候物かな。左様ニ思召候ハヽ。彼者の主を面白クたばかり。つれて参申さふずるにて候間。御前ニて御頼被成候由御申候ハヾ。しぜん同心申さうずる事も有うずる間。左様ニ被成候へかし (ワキヤト)「心得申て候。先々こふ御入候へ。いかに案内申候 武文ヤト「誰にて渡り候ぞ ワキヤト「いや某にて候 (武文ヤト)「御出満足申て候。先こなたへ御出候へ ワキ(ヤト)「心得申候 (武文ヤト)「扨只今ハ何の為御出候そ (ワキヤト)「其事にて候。つくしの松浦殿と申御方。此浦へ御着ニて候御宿仕りて候。是ハ細((再))々つくしへ舟をのる人ニて候程ニ。しぜんの為ニ礼を御申候へかしと存。又思召の為参て候 (武文ヤト)「夫ハ御念比ニ忝存候。某も〔ヲ〕旅人の御入候間隙なく候へ共。しぜんの為ニそと御礼申さうずるニて候 (ワキヤト)「さあらバ御供申候べし。こふ〳〵御入候へ (武文ヤト)「心得申候 (ワキヤト)「いかに申候。是は此浦の者ニて候が。折々つくしへ舟をのる者ニて候。御礼を申度由申候間。召つれて参て候 (ワキヤト)「いかに申候。松浦殿のそなたニ御頼有度由仰候 (武文ヤト)「夫ハいか様成事ニて候ぞ (ワキヤト)「そなたに御座候。一院の御息所一目御覧候。夫ハ流レ(ナカサレ)人ニて候間。後のとがめも有間敷候程ニ。うばいとり申度との御事ニて候。御同心あつて給り候へ (武文ヤト)「是ハ思ひも寄ぬ事を仰候物かな。そなたの松浦殿を大切ニ思ひ給ふように。何も旅人大事ニ存候間。中々思ひも寄ず候 ○松浦せりふ有 (ワキヤト)「か程迄御頼候間。只御同心有ふずるニて候 (武文ヤト)「近比めいわく成所へ参て候。此上ハ力なき事。頼まれ申さうずるニて候 (ワキ)「御同心満足申て候。扨何としてうばい取候べし (ワキヤト)「いや只押入て御取候へ (武文ヤト)「尤押入テ。御取あらうするもなり申へけれ共爰ニ大事の候ハ。はだの武文と申て。若男の候が。太刀〔ヲ〕わきばさミ。すこしも御そばをはなれ不申候間。れうじニ取かゝり候てハ。中々成間敷候。能御談合あらうずるニて候 (ワキ)「いかにも其御ふんべつ候へ (武文ヤト)「我等の存候ハ。にもつにめをかけとうぞくと号シ。ならびの宿に火をかけ候ハヽ。若者ハはやる物にて候間。おもてへ切テ出候べし。其隙ニ御息所を。内より某御供申さうするニて候。皆々あれゑ御出候へ (ワキ)「近比のたくミにて候。さあらバ是ニ御定有うずるにて候〕  〔ヨセテ「ゑひとう〳〵 〔ト云テ三人斗出ルトそこにてシテ方ノヤト武文へ〕 武文ヤト「いかに申候 夜打が入テ候。おもてへ切テ御出候へ〕   廿 鐘巻 〔ワキ「是ハ紀州道成寺の住侶ニテ候 扨も当寺において去子細有久敷撞鐘退転仕候を再興仕鐘を鋳させて候 今日吉日ニテ候程に鐘の供養を致さはやと存候 いかに能力〕(能力)「御前ニ候 〔ワキ「今日鐘供養致さふするにて有ぞ 其由寺中へ相触候へ〕 (能力)「畏テ候。(能力)「やあ〳〵寺(ジチウ)の面々御聞あれ。今日吉日なれば当寺において。鐘の供養の有間。其分皆々心得候へ〳〵。其由相触申テ候 〔ワキ「今日鐘をしゆらうへ上うするにて候 ツレ「尤然へう候 ワキ「鐘ヲしゆらうへ上候へ〕 (能力)「畏テ候  〔下懸ハ楽ヤへ鐘を取ニ行 二人して持テ出ル 〈道成寺〉同前 上懸ハ前ニ釣故ニ○(能力「)中々しゆらうへ上申て候 ト云〕 〔ワキ「又去子細ノ有ル間供養ノ庭へ女人禁制と相触候へ〕 (能力)「畏テ候。皆々承り候へ。紀州道成寺にをいて。今日鐘の供養の有間。心指之輩ハ皆々御参候へ。又何と思召候哉覧。供養の庭へ。女人堅ク禁制の由被仰出候間。相構て其分心得候へや 〔ワキ「〽抑道成寺と申ハ。さうりうさつて七百歳〽 是ヨリツレワキ謡 上哥 地へ取 謡 夫ヨリシテ出ル 次第 サシ 下哥 上哥 常の〈道成寺〉ノ謡 (シテ)「〽日高の寺に着ニけり〳〵〽 シテモ狂言モ常ノ通り〕 (能力)「尤拝せ申度ハ候え共。何と思召候哉覧 供養の庭え。女人ハ堅ク禁制の由被仰出候〔其上垣((埒))の内へなどハ思ひもよらぬ事ニテ候〕間。思ひなから叶ひ候まじ 〔(能力)「あらむつかしや。さあらバ其由申さう しばらく御待候へ。いかに申候。此国のかたわらに住女にて候が。鐘のくようをおかミ度由申候程に。きんせいのよし申て候へハ。なにかくるしう候へきとて。垣(〔ラチ〕)の中へおして入らんと仕候。御出有テ御示し有かしと存候 ワキ「らちより内にをしていらんと申す女ハいつくに候ぞ シテ「おしていらんとハ申さす候 我等こときの女ハかやうの法会の庭をふミさふらひてこそ一こうの罪をもたすかり候へけれとこそ申候ひつれ ワキ「いや〳〵何と申ともらちより内へハかなひ候まし シテ「うたてやな水波のへたてと聞時ハ神も仏も一躰の。〽悲願にもらさせ給ふかや〽 地(「)〽うらめしの明神や。〳〵。なとしもかくハつけのをくし。うらミかこてハときうつり夕陽にしに入相の。遠寺の晩鐘ハひゝけとも。此鐘ハ洞庭の月たらばこそ聞へめ〽 ワキ「いかに誰か有ル 狂言出ル〕 (能力)「御前ニ候 〔ワキ「遠寺の晩鐘洞庭の月なとゝハ常の女ハしらぬ事ニて候 いか成者ぞと名を尋候へ〔心有け成女ニテ候 名ヲ尋候へ トモ云〕〕 (能力)「畏テ候〔いかにかた〴〵ハ何国いか成人ぞ。名ヲ申され候へ シカ〳〵 院主の尋テ参れと仰候間。尋ル事ニテ候〕旁々の名ハ何と申候ぞ 〔シテ「是ハ此国の片原ニ住白拍子ニて候 鐘の供養を拝せて給り候ゑ 鐘の供養に舞を舞候へし〕 (能力)「左有バ其由申さうずるに(※)て候。〔※間夫に暫ク御待候へ〕 あれへ参て尋て候へハ。此国の傍に住白拍子ニて候が。鐘の供養に(※)舞をまふて御目に懸ませう程に。供養を拝せて呉ひと申候〔※を拝せて給らハ。舞をもふて御目にかけうと申候。けちゑんと申白拍子ハ珍敷事ニテ候間。舞ヲ御所望候て御拝せ有かしと存候〕〔ワキ「か様の法会の座ニテ白拍子ニ舞をまわせて見られ候へきか〕 (能力)「尤(※)成御事にて候〔※サヤウニ思召ハぜひも御座ない〕〔ツレ「いかに申候 もし((若))たいしゆ達の望の御座候 此程かねニついて皆々しんらう仕りて候程に此白ひやうしに舞をまわせて見度由仰候か何と仕候へき ワキ「某存ル子細の候程に無用とハ存候へ共各々衆議にハもれ候まし ともかくにて候 ツレ「心得申候 〔狂言(「)何事ニテ候ぞ〕 ワキ「さあらハかねの供養に舞を面白ふまへと申候へ〕 (能力)「畏(※)テ候。さあらバいかにも面白ふ御舞候へ〔※心得申候。一段の事にて候。急テ所望仕らう。のふ〳〵くやう拝せ申へき間。舞候て御見せ候へと。大衆達の所望にて候ぞ。いそいで御舞候へ〕 〔折節是ニゑほしの候。是をきていかにも面白ふ御まひ候へ とも云〕 〔シテ「〽うれしやな 望し事の叶ふかと。袖かきつくそ((ろ))ひ色々の〽 地(「)〽花の外ニハ松はかり〳〵〽 上ハ サシ 曲舞 地トカケ合有テ〕 〔シテ「〽去程に寺々の鐘〽 下同地(「)〽月落鳥なき霜天にミちしほ。程なく出る日高の寺。((ママ))のかうそんの漁火うれひにたひして人々ねむれハよき隙ぞと。ねらひよりてつかんとせしかおもへハ此かねうらめしやとて。ふしきや何とかおもひけん。りうつ((竜頭))に手をかけとふとそ見へしか。引かつひてそふしたりける〽〕 〔鐘の中へ中入する 狂言二人常の〈道成寺〉ノ間ヲ云 初ヨリ脇もしりたる事なれば常の間をぬきて云テよし 我云人云トハ云ス 直ニ云〕 (能力)「如何に申上候。鐘がおりて(ヲチテ)候 〔ワキ「何とかねかをりたると申か〕 「さん候〔竜頭も其まゝ候が只大地へにへ入テ候〕 ワキ「是ハ誠におりて候 〔扨最前の女ハ何国ニ候そ〕 (能力)「行(※)方知らすにうせて候〔※舞に心をとられて。しかとハ見す候へしか。慥ニかねの中へ飛入。引かつきたるかと覚候〕 〔ワキ「されハこそか様の事を存てこそ女を堅ク禁制とハ申て候へ 其子細を能力ハ存候へし 卒度語テ大衆達ニ聞せ候へ〕 (能力)「い(※)や左様の儀ハ私躰の存事にてハ無御座候間。御物語有て御聞せ候へ〔※尤我等も勝テ存ぜぬニテハなく候へバ。かやうの事ハ末世迄の例ニテ候程に。御物語候て寺僧達へ御聞せ有かしと存候〕 〔ワキ「さあらハ語テ聞せ申候へし 爰ニテ語有り〕   廿一 守屋 〔 囃子方出テ座ニ着ト間狂言弐人出ル 口明((開))也〕 ヲモ「やるまひぞ〳〵 アト「のがすな〳〵。其さきへ行がそぢやぞ ヲモ「やるまいぞ〳〵。まさしく爰へ見へたが此木の他((あた))りにて見うしなふた。不思義((議))な事じや (アト)「されば合点の行ぬ事ぢや 〔ワキ「やあ〳〵太子を打とめ申たるか」 (ヲモ)「さん候 此木の本迄目懸ケ申候が。此木の本にて見失ひ申て候。御馬ハ天にあがりたると見へ申候。急で杣をめされうするにて候  〔(ヲモ「)さん候 此木の本迄目かけ申て候が。まさしく御馬ハ天にあかり。太子ハ此木の本にて見うしなひ申て候〕 〔ワキ「言語道断の事 扨ハ此木ふしんニ候程に杣をめして此木をなおさせうずるにて候 ツレ「しかるびやう候 急て杣をめされうするにて候 此他りに杣か有ルか急てめして来り候へ〕 (ヲモ)「畏テ候。いかに杣が有ルか。急で参り候へ 〔(シテ)「杣と仰候ハ何の御用ニて候ぞ〕 (ヲモ)「用の事有間とう〳〵参候へ。いかに申候。杣をつれて参て候 〔ワキ「いかに杣 此木を急て切候へ (シテ)「此木ハ何の御為にきらせられ候ぞ ワキ「さん候 太子をおつかけ申て候へハ御馬ハ天に上り太子ハ此木の陰にてうせ給ひたる間此木の中ふしんに候へハ急て此木を切候へ (シテ)「暫候 是ハ仰にて候へ共御馬ハ天にあかる程の太子の御じんべんならば此木をきる隙ニ天にもあかり地ニもいらせ給ふへし ○是より地へ取 謡 曲舞過テ〕 〔(シテ)「かゝる有難御事こそ候ハね 太子御じんべんニより皆々味方ニ御参り目出度存候 ツレ「先々只今馳集る御勢ハいか程有ぞ 急て着到に付候へ〕 (狂言 太子方従者)「畏テ候。着到に付申て候へバ。四拾八騎御座候 〔(狂言 太子方従者)「此御勢ニテハ餘りにふせいに程((ママ))にあの伊駒のだけにかゞりをたかせ国中の御勢を集て御合戦あれかしと存候 翁ふるき者なれハ罷出ていけむ申候へ ○是ヨリツレト太子ト詞有 地へ取 一セイ守屋出ル〕    狂言 出立 嶋ノ物 狂言上下 右ノ肩ぬく 小サ刀指 鑓持出ル 但袴括ル   アト出立 同断 但シ左ノ肩ぬく 弓矢つかへて出ル 〔○右ノ間ハ上懸ノ謡本ニ引合テ書置也 又跡ニ書置間ハ先年西ノ御丸御奥ニテ御能御座候節此間ニテ相済申候由 是ハ下懸ノ時ノ間か 上懸とハ違有 ワキノセリフ無シに狂言二人シテ云テ杣人ヲ喚出ス間也〕   同(守屋) ヲモ「やるまいぞ〳〵 アト「のがすな〳〵 ヲモ「やるまゐぞ〳〵 アト「其さきへ行がそじやぞ ヲモ「やるまいぞ〳〵 アト「のかすな〳〵 ヲモ「まさしう此木のあたりにで((ママ))見ゑぬ アト「さればがてんの行ぬ事じや ヲモ「某の思ふは。杣を喚出シて此木をきらせて見う アト「一段とよからう ヲモ「いかに杣人の渡り候か。とう〳〵出られ候え 〔シカ〳〵〕 ヲモ「我等ハ守屋の大臣に仕へ申す者成ルが。聖徳太子を追懸申せとの御事ニより。是まで参りて候が。此木のほとりにて見失ふて候間。此木の元(シタ)が心もとなく候程に。急ぎ此木を切て御見せ候え 〔シテ中入〕 ヲモ「実と唯今の杣が云通り。中をせんぎしたりとも。神通の人なれば。此木を切ル間にゐづくゑ行もしれぬ程に。先此よし守屋殿え申さう アト「それがよからう ヲモ「いざこちゑをりやれ アト「心得た ヲモ「はやうきさしませ (アト)「まいる〳〵       廿二 身売 〔シテ「是ハ越後ノ国神原ノ湊に住居する者ニて候 扨も某親ニテ候者の十三年母の七年何も当年今月ニ相当テ候へ共一僧をも供養すへき了簡もなく候 又某弟を一人持て候 彼者ヲ呼出し談合仕らばやと存候 いかに小次郎の渡り候か 弟「何事ニて候そ ○是よりシテト弟詞有りてシテ謡 二人一所ニ謡 地下哥上哥有 又シテ詞〕 〔シテ「能々物を案するにあんしやそくめつきこうそくしやうと聞時ハ只何事も夢にて候 今度の仏事を仕へき了簡を案し出して候 あの湊につくつくし舟のせんとうハもつはら人を売買と申候間立越身を売仏事をいとなまはやと存候 いかに小次郎 今度の仏事いとなむへき了簡を案し出して候 弟「扨いか様成御了簡ニて候そ シテ「あの湊につくし舟の舟頭ニ能存の者の候間立越代物をからはやと存候 (弟)「いや我等ていの者ニハかすましきかと存候 (シテ)「いや親にて候者の時より能存の者の有間からふするニて候 (弟)「さあらハ諸共に立越からふするにて候 (シテ)「いや〳〵おことハくかミの寺へ上り導師を請して下り候へ (弟)「畏て候 シテ「誠ハ若者ニて候 誰有て我等躰の者ニ代物をかし候へき おろかに心得候物哉 頓テ立越身を売らふするにて候 いかに舟頭殿の御宿ハ此他((あた))りにて候か ●「((朱の印。舟頭。以下同じ))舟頭と御尋ハいか様成人ニて御入候ぞ シテ「そこつ成申事にて候へ共若人やめされ候か ●「さん候 左様のあきないをのミ仕ル者にて候 扨年の程御身のげいのうハ候か シテ「年の程ハ三十餘り弓矢細工馬のつめかミなとをも心得たる者にて候 ●「殊ニ左様の人をこそ買申度候へ 頓テ買申さうするにて候 シテ「扨いか程にめされ候ぞ ●「夫あきないと申ハ其色を見てこそねをはさせ未ミぬあきなひおば仕らす候 よの舟頭に御尋候へ シテ「なふしばらく 身を売ふずると申ハ某か事ニて候 ●「是ハふしき成事を承候物かな 何とて身にて身を御売候ぞ シテ「面目もなき申事ニて候へ共親ニて候者の十三回母の七年 何も当年に相当て候へとも御僧を供養すべき了簡のなきまゝ扨かやうに申候 ●「あらいたわしや 扨代物ハいか程御用にて候ぞ シテ「凡千疋斗用にて候 ●「あまりに高直ニ候へ共父母孝養の為と仰候程に買申さうするにて候 ○爰ニテ狂言ニ(●「)鳥目渡せ ト云〕 (狂言)「畏テ候。いざ鳥目を参らせうずるにて候 〔シテ「畏テ候 シカ〳〵有〕 (狂言)「心得て候。只今の人御目に懸度由被申候 〔●「大法ニテ候 急舟ニ召れ候へ トモ云 シテ「最前より申スことく父母の孝養の為ニて候間三日ノ隙を給り候へ ●「あふ 是ハ実もにて候間三日の暇を参らせうずるにて候 シテ「あらうれしや候 ●「のふ〳〵三日とハ申て候へ共風追手ニ成候はヽ三日の内も入ましく候 シテ「心得申候 弟ニて候者のさそ待かね候らん 急罷帰らふずるにて候 弟「はや御帰りにて候よ 扨代物ハ候 シテ「かりて来りて候 導師ハ御下向候か 弟「中々 御下向ニて候 御対面候へ シテ「是迄の御下向忝う候 ワキ「父母の孝養かへす〳〵もやさしう候 さらハふじゆをさゝけ申さうするにて候 是よりワキサシ謡 シテワキ謡 二人して謡(「)〽慈父の尺((釈))迦悲母〔の〕弥陀誰かはハたのまさるへき〽 上同地(「)〽されハとうきやうハ。老たる母をたつとミ。ぐしゆん((虞舜))ハ父をうやまふ。其こうをんのくらふれは。しゆミ((須 弥)さうかい( 蒼 海))にすくれたり。ゐんゑんへうひやく((因 縁 表 白))の言葉の花もあさやかに。心の玉のくもりなき。こんく((言 句))のせつのたつとさに。なミいたりけるちやうじゆ((聴 衆))皆袖をぬらさぬ人ハなし〳〵〽〕 (狂言)「なふ扨よき追手かな。急で申さう。おひてがおりて候間。お舟を出し候へし。最前の者ハもどりて候か 〔●シカ〳〵有り〕 (狂言)「さらばつれて参らうずるにて候。いかに申 〔シテ「何事ニて候そ〕 (狂言)「懸たるるひ舟皆々。よき追手を見て出し候よ。何と被成候ぞ。後にハをひてなり共。ふさふにハすこしすき候ハん間。はや〳〵めされ候へ 〔シテ「昨日より三日の暇と申て候物を ●「三日とハ申て候へとも風追手ニなり候ハヽ三日の内にもいるまじき由申て候 シテ「御約束ニて候へとも未説法半ニて候程ニ一ハ慈悲一ハ御利益ニひらに明日迄の御いとまを給り候へ ●「仰ハ尤ニて候へ共我等躰の者ハ慈悲をも道心をもわきまへぬ者にて候 ふつと御出なふてハ叶ましく候 シテ「何御いとまを給るましいとや ●「中々の事 とく御出候へ シテ「実や出舟にハ舟棹をたにとり忘るゝと申たとへの候 〽御いそきハ去事なれとも。あらうらめしの風の唯今吹出たるや候〽。力およはす候 参らうするにて候 ●「見申せハ餘りに御痛敷う候程ニさあらハ明日迄のいとまを参らせうずるにて候 シテ「近比有難候  弟「何とて説法半ニ御立候ぞ シテ「某ハよの事を申付てハかなはす おことの立事こそ心得す候へ 弟「いや御身の立居事しげくやう有げ成御ふるまい人もあやしミ候ハヽつゝミやはてん思ひの色 (シテ)「よし色おも香をもしる人そしる梅の花 カヽル(弟「)〽それそと人におもはれしと〽 (シテ)「〽さらぬやうにて立帰る〽 下地同(「)〽本の座しきになをりつゝ。ちやうもん申すせつほうの。一しをなミたなる兄か心そいたわしき〽 上地同(「)〽去程に御説法。すてに終わりに成しかハ。廻向のかねを打ならし。導師高座をおり給へハ聴衆一度にはつとたつ。中にましわり商人のつれて行こそあわれなれ〳〵〽 ●「つれて来候へ〕 (狂言)「畏テ候。たゝれ候へ。あれハきこゑぬ人ぢやよ 〔引立ル事いく度も有なり〕 〔弟「されハこそやう有者と見へて候 やあ男やるまいぞ シテ「暫ク 是より段々詞有 クトキ過テシテト弟ト詞有テ 弟「扨ハ身を売給ひて候か シテ「さん候 弟「夫身を売仏事をいとなミ給ハす共草のかけなる父母のおろかにおほしめさるへきか かゝる浅ましき御方便こそ候はね シテ「申事ハさに((ママ))て候へ共父母思((恩))重経にいはく人あつてほね身をくたき百千劫を経るといふとも父母のおんにハしやしかたしと見へたり いわんやありはつましき身を売三宝ニくやうせんハ是こそふかきこう〳〵なれ すじなき事なの給ひそ 弟「さあらハ某御身替りに立かわり商人の手にわたらふするにて候 シテ「いや一度売たる身の何の身替りの有べきそ 弟「いや 其身ハ妻もまします おさなき人も候へハ別給ひて其跡の妻子のなげきいかばかり 我等本より妻もなし ましてあいなす一子もなし 何に心のとまるへき はやともなひておわしませ ●「〽かくてもんとうきわまらず。時刻移て出舟のさはり。はやとく〳〵とせめけれハ〽 シテ「〽ゆかんとすれば〽 弟「〽袖をひかへ。御身にかわらんと〽 シテ「〽しらぬ国へと出舟の〽 弟「〽互にあらそふ〽 シテ「〽心のうち〽 地同(「)〽何にたとゑん朝ぼらけ こき行舟の商人に此身をともなへと〽 ○是ヨリ余程長シ〕  〔上シテ「〽替ル憂世の習とて〽 地同(「)〽今商人の手に渡り。またみもなれぬみちのくの。あこやの松に木陰((隠))て。出もやらさるうき住居。けふの細布はたはりも。なき世の中と成果る。みちのくの有様を。思ひやるこそ哀なれ〽 ●「只大法の別さへ悲しむ習ひ有物を。ましてや親子兄弟の別ほどの痛ハしさよ。よし〳〵只今の身の代を。かた〳〵二人にとらするなり はやともなひておわしませ シテ「〽是ハたゞ夢かとはかりおもわれて。只ほうぜんとあきれいたり〽 ●「よろこふふぜひ見へさるハ。もし偽とや思ふらん シテ「〽猶も心をおく人の。誠にゆるし給ふへきか〽 ●「米山六所も照覧あれ 誠にゆるすぞ兄弟よ シテ「〽是ハ誠か〽 ●「〽中々に〽 是ヨリ謡切り〕 〔上懸謡見合書置〕  ○シテ兄 ○ツレ弟 ○ワキ導師 ○舟頭ト有ハ連か   狂言供ト見え申候 夫共ニ舟頭ト云所ヲ狂言モ勤ルか      朱ノ印(●)付テ有所舟頭ノ役ト有之 〔外ニ〈身売〉と云アシライ有ニヨリ跡ニ書テ置〕    同(廿二) 同(身売) (狂言)「舟頭殿とハ誰にて渡り候ぞ 〔○(狂言「)舟頭殿とハいか様成人ニて(御用ニテ)候そ 共云なり シテ「そこつ成事にて候へ共若人やめされ候か〕 (狂言)「心得申候〔舟出してから脇正面〕いかに商人達へ申す。人やめすと尋候が御買候か 〔シカ〳〵〕 (狂言)「心得申候。あれに立たる人にて候 〔(地「)なミいたりけるちやうじゆ皆袖をぬらさぬ人ハなし〳〵 ト云時ニ上懸ノ謡本ニハ ○(狂言「)おいてかおりて候。きのふかいとつて候人を。ともない来らふにて候。あらいたわしや候。いまた説法半ニて候よ。なふ〳〵 シテ「何事ニて候ぞ (狂言)「風追手になりて候。急舟に被召候へ ト有り〕 〔此あしらいの本にハ〕 (狂言)「一段の追手が吹テ候。急でお舟ニ被召候へ 〔シテ「昨日三日の御いとまと申て候 御約束ニて候へ共未説法半ニテ候程ニ一つハ慈悲一つハ御利益ニひらに明日迄の御いとま給り候へ〕 (狂言)「いや〳〵待事ハなるましく候。さあらば御いそぎ候へ 〔シテ「何御いとま給るましいとや〕 (狂言)「いやるひせんなこと〴〵く出て候。我等が舟迄ニて候 〔シカ〳〵有テ〕 〔地「去程に説法すてにおわりに成しかバゑこうのかね打ならし導師高座をおり給へハちやうしゆ一度にはつとたつ 中にましわり商人のつれて行こそ哀なれ〳〵〕 (狂言)「いかに申候。我等が舟迄にて候間御急候へ〔イソキヲンノリ候へ トモ〕 (以下は次の〈清重〉の口開アイの詞章) 〔△〈清重〉口明((開))有ル事もあり (狂言)「か様に罷出たる者ハ梶原源太景末((季))の御内に仕へ申者ニテ候 我等の是へ出ル事別の義にても御座ない たのミ申御方ハ今日にわかにたかのに御出にて候 それにつき何者によらず御きんへんへ罷出ル事無用の由急度相ふれ申せとの御事により取物も取あへず罷出た 此由いそいで相ふれ申さうずる やあ〳〵皆々承り候へ 頼ミ申御方ハ今日たかのへ御出なさるゝ間なにもの成とも御近辺へ罷出ル事かたく無用の由仰出されて有間かまへて其分心得候へ〳〵 トふれテかくやへ入ル〕   廿三 清重 〔△シテによりてやどかル事も有ル あとに書テおく 又シテ出テ太皷座ニ休むトワキ出ル 一セイノ謡〕 〔ワキ一セイ「かりはの雲の朝ぼらけ月遠見にや成ぬらん〕 狂言二句「〽鳥をもとらぬ此鷹に。かうてやきじを。くるゝらん〽 〔立衆「〽とたちする野されの鷹の面白や。〳〵。いさ手はなして合せん 鷹人の心は空にならしはの。露打はらひ行道の鳥の落草跡とめて。犬の鑓((遣))縄心せよ〳〵〽〕 〔下掛ニテハ(シテ「)さらぬやうにて行過ル〳〵 ト謡〕 〔右ノ謡過テワキノ前ヲとをり狂言二三人舞台へ出ル 犬引トたかぢやうなり 犬引ハつなと竹ヲ持 犬に鷹を合する心〕 アト「大方此他((あた))りがよからふ ヲモ「広ひ野でハなひか。さりなから鳥が見へぬ。いざさらば犬を付てかつて見う アト「一段とよからう 〔ト云テ清重ヲ見付テ〕 ヲモ「あれに見なれぬ客僧が居る。あれを見たか アト「中々(マコトニ)あやしひ躰ぢや 〔狂言見付ルト忍躰をする〕 ヲモ「殊にしのぶ躰ぢや程に。急で申上う アト「中々 よからう 〔ヲモ間ワキノ方ヘ行テ〕 (ヲモ「)いかに申シ〔候〕。あれにミなれぬ客僧がおりまする 〔ワキシカ〳〵〕 あれ成しげミの内におりまする 〔扨ワキトシテト言葉ヲカケワキ中入狂言も付テはいる 後ハかまひなし〕  ○犬引 狂言上下 腰帯 左ニ縄右ニ竹杖   ○鷹匠出立同前 はりこのたか持テ出ル  ○せこノ者出立同前 さゝのは付の竹かたけて出る    以上三人  〔義盛ト別レテ(シテ「)片原へ忍ばやト存候 ト云時一セイワキ梶原也 立衆も出ル 其跡ニ狂言三人出ル ワキ一セイ謡ト狂言ノヲモ間二ノ句ヲ謡う 夫ヨリ立衆謡うなり 謡の末に○(シテ「)さらぬやうにて行過ル〳〵 〔ワキノマヘヲトヲリブタイヘ出ル〕 (狂言「)とつたか〳〵 ト云テ爰ニテ鷹をつかうやうにして清重を見付てワキニ云〕 (狂言)「いかに申候。判官殿の御内の。駿河の次郎清重がとをられて候 〔ワキ「清重と申か〕 (狂言)「中々の事 〔ワキ「皆々番のしてにかさぬやうに仕候へ」 (狂言)「畏テ候 〔シカ〳〵〕 (狂言)「あの草のかげ成山にかくれて候 〔(ワキ)「夫ハいつくにて有そ〕 (狂言)「あれにて候 〔他流 (狂言)「△とつたか〳〵。とつたかとおもへハ土をつかふだ。いや是成人を能々見れハ。駿河次郎清重ニテ候。此由梶原殿へ申さう。いかに申候。あれに山伏の候を。何人ぞと存候へハ。駿河次郎清重かと存ル。御覧候へ (狂言)「畏テ候。扨々六ケ敷事を被仰付た。いや笠をぬいた。何事やらするよ 色々云テワキヲ呼出しテ入ルナリ〕   ワキ梶原 シテ駿川((河))次郎清重   狂言せこノ者 〔△ツレ次第道行過テ(ツレ「)入間ノ里に着にけり。此家の内へ案内申候 間「案内とハいか様成御方ニテ候ぞ 客僧二人(「)一夜の宿ヲ御借候へ ト云 (間)「安間の事お宿を参らせう。おくの間へ御通り候へ〕  〔謡ニハシテ(「)側へしのばばやと存ル ト云時梶原内者鷹野ニ出ル〕 〔右ノコトクニモスル〕   廿四 陰山 〔〈鬼黒〉〕 (間)「誰にて渡り候ぞ (間)「さん候 君ハ追手のせいらうへ御出にて候 (間)「御尤ニ候 〔爰ニテ語有 色々謡も有 舞なとも有也 (地「)君も御さん所に入せ給へハ各々本陳((陣))に帰りけり〕 〔喚出ス〕 (間)「御前ニ候 (間)「畏テ候。やあ〳〵皆々承り候へ。早夜も明方なれハ。大将御馬を出さるべき由被仰候間。何も其分心得候へ〳〵   ワキ陰山ノ何某 シテ八幡太郎   間 狂言上下   廿五 磯崎 (間)「御前ニ候 (間)「畏テ候  (間)「誰にて渡り候ぞ (間)「心得申候。夫に暫御待候へ。扨も〳〵哀成事共哉やれ。花若殿の御父磯崎殿の御出の由申す。頓而申上うと存ル 〔ト云テ〕 (間「)いかに申上候。いそざき殿の御着にて候が。花若殿の御母子も御座候へ共。山の御太((大))法御存知なきにより。麓(フモト)にこしをとめおかれたるが。是へ御つけあらんかと御窺にて候よ (間)「中々の事 (間)「畏て候 (間)「最前の人の渡り候か (間)「こなたへ御通りあれと御申候へ (間)「御前ニ候 (間)「さん候 こなたにて承り。我等躰迄も落涙致て候よ (間)「仰にて候え共。色々申されても叶わぬ御事なれば。唯何となく御物語の末に。御雑談あれかしと存候よ (間)「頓テ御申候へ   間出立 能力 常ノ通り   廿六 刀 〔〈筁扖((おひさがし))〉〕 〔シテ初ニ出ル〕供「御前ニ候 供「畏テ候。皆々承り候へ。羽黒山の先達の御通りにて候ハヽ。申上よとの事にて候ぞ。其分心得候へ〳〵 〔シカ〳〵有テ〕 能力「御前ニ候 (能力)「畏テ候。いかにきやうの殿こなたへ御入候へ。如何に案内申候 シテ供「誰にて渡り候ぞ 能力「先達是迄参りて候へ共。同宿餘りに多ク候間。きやうの殿斗被参候。重而御参可申由被申候 シテ供「暫御待候へ。其由申上候べし 能力「心得申候 シテ供「いかに申上候。羽黒山の先達の御着ニテ候が。餘りに大勢ニテ御座候間。重而御出可有との事にて候。先きやうの殿斗被参候と被仰。きやうの殿の御出にて御座候 〔シカ〳〵〕 (供)「是に御座候 〔扨先達ニ刀殿御相有りテ刀ヲワキ所望する 酒盛有 先達も同宿もねぶり候時おひを上面ノ方ニ置 先達のおひワキノ方 きやうのとのゝおひ脇上面ノ方ニ置也 先達ときやうの殿のおひの間によのおいあらばおくべし おいども置すまし〕 女「か様にさむらう者ハ。刀殿の御内に仕へ申女ニて候。去ル程に刀殿の若子様。二人御座候が一人ハ先腹ニテ候。其先腹をバ出羽の羽黒山に上申され。客僧に成給ひ候が御峯入とて。先達のきやうの殿を御同道被成御出にて候処に。継母の仰にハ。此刀の(ヲ)先腹の御子きやうの殿の。笈の中に入て置候へと仰にて候ぞ。是ニ御入候が。折節まどろミ給ひ候程に。此隙に笈の中へいれ申さふ 〔ト云テ刀ヲ笈ノ中ヘ入テ〕 刀を笈へ入たらば。申せと被仰たる事の候。いかに誰か渡りて候 能力「何事にて候ぞ 女「最前表へ参たる刀ハ。奥へハ参らず候。大事の刀にて候間。能御置候へとの御事にて候 能力「いやそれハかた〴〵御内へ参りて候 女「いや〳〵参らず候 能力「いや慥に参て候 女「そなたハ大事の事をおしやる。ふつと参らず候 能力「左様に候ハヽ座敷ニ御座候べし 女「中々 客僧達の。御覧候てよりまひらず候間。座敷へ此由御申候へ 能力「心得申候。先達をおこしてみう。いかに。申々。いやよねんもなく御しんなつて候。後に申さうずるにて候 女「いや〳〵たゞ今御申候へ 〔能力ハ是迄ニてかまわず 女じきに客僧へ云〕 いかに御座敷の衆え申候。先程御覧有たる刀。こなたへハ不参候間。御せんさく被成候え 〔シテ女((ママ))「何事を申ぞ〕 女「御重代のかたな。御座敷にて御覧じてより。御上の方へハ不参候間。御座敷へ申せとの御事にて候。夫を申上さむらふ (女)「心得申候 〔ト云テ女入〕 〔(女「)きやうの殿の笈の中ニ。入テ置候へと仰にて候ぞ。左様の事ハおそろしき事ニて候へとも。仰にて候間ぜひに不及候。客僧達ハいづくに御座候ぞ。是に御入候 共云なり〕 〔女と能力として(能力「)参たの。(女「)参らぬの と云テ。せり合。(女「)急でおこしやれ と。云テ居ル時に。太夫中へ出テ。(シテ「)何事を云 トとう。女(「)参らぬ と云。(シテ「)はや申たるか と云。女(「)申て候 と云。(シテ「)汝がりやうじこそあがつた と云。女あやまツテ座ニイル〕   初ニシテ出ル 供 狂言上下   ワキ羽黒山ノ先達也 供強力 常ノ通り   後ニ女出ル はく びなん さけおび 小サ刀を持て出ル   廿七 連獅子((つれじし)) ((つれじし))〔シテ「是ハ三(次第過テ)木左衛門と申者ニテ候 扨も頼奉候政重ハ過にし筑紫の軍ニも御無恙候を去ル人の讒言言((ママ))ニより陸奥国へなかさせ給ひ候所ニ風の心地と被仰空敷成給ひて候 夫より我等高野へ上りて候 又某兄ニて候左近将監ハ若子桜丸の中将殿ニ付置申されしか此程鎌倉殿より流人の一族御改有テ桜丸殿を御上せ有り六条川原にてちうしせ((ママ))るゝ由候間我等も御迎ニ罷出御最後の御供仕らはやと存ル 上哥(「)かるからぬ命の恩に重からず〳〵二世迄契ル心指浅からざるや君と我 死出の山路を兄弟の御供するぞたのもしき〳〵 漸急に程なく江州ゑち川に付て候 日の暮て候程に一宿せハやと存候 (シテ)「やあ何と申ぞ 桜丸殿ハ御赦免ニて御登りと申か あらふしきや 是ハまことしからず候 去りなから此所にて待申さうずるにて候 ○次第三人出ル〕 〔ワキ「か様に(次第過テ)候者ハ左近将監と申者ニテ候 又是ニ御座候ハ頼奉り候人の若子ニて御座候か父政重ハ去ル子細有テ奥州ニて果給ひて候 此若子桜丸殿ハ某預り申常陸の国に隠置給ひ候か流人の一族御改被成さかし被出申 すでに誅せられ候所ニ三嶋の別当の御申により御赦免ニて候間只今思ひ立御供申上り候 扨又我等弟ニて候左衛門尉も何と成行候も不存候間上方ニて少の御いとま申行衞を尋よろこはせはやと存候 上哥有り ワキより詞ヲカケシテ詞 たかいに詞有り〕 〔ツレ「左近の将監一指舞候へ ワキ「畏テ候 〽君の御慰にとて〽 上地(「)〽一指こそハ。舞にけり〽 シテ「〽都路に。おもむき見れは。いく千世や〽。 地(「)〽柳桜を。うへおきて〽 ワキ「〽錦をかさるか〽 地「〽君と民と〽 シテ「左近将監も一つ参られ候へ われら御しやくに立候べし ツレ「いかに左衛門尉 是程目出度折なれば一さし舞候へ おさなき時山寺ニて兄弟しゝさるのまね能致候と政重常に申候間そとまなふて見せ候へ シテ「御諚のことく夫ハせかれの時の事にて候へハ御言葉をかへすにてハ無御座候へ共失念仕りて候間只今ハ成間敷候 此度ハ御免被成候へ〕 (狂言)「いや〳〵おかしき事こそ面白けれ。卒度まなふで御目に懸られ候へ 〔シテ「心得申候 私宅((支度))候て舞候べし 迚の事ニ手拍子ニてはやいて給り候へ いさしたくニ参へし 中入 狂言立橋掛りを送ル時云〕  (狂言)「夫こそ望なれ。さあらばいそゐで御拵有て。迚の事にとんづはねつ。種々に秘曲をつくして。いかにも面白う御舞候へや 〔ト云テシテ幕ノ内ヘ入ト狂言シテ柱ノ先ヘ出テ〕 扨も〳〵目出度御事かな。桜丸の中将殿の御父政重殿ハ。奥州ニテ去ル子細有テ空敷ならせ給ふ。此桜丸殿ハ左近将監の御預り有。常陸の国に御座候処に。流人の一族御改ニより。すてに誅せらるべき処に。三嶋の別当の御申ニより御赦免被成るゝ。是と申も正直第一にして。慈悲深き御方なれバ則天の御加護有り。不思義((議))の御命をたすかり給ふ。殊に御内の左近将監兄弟廻りあい。よろこひのまゆを開き御酒宴被成るゝ。就夫左衛門殿へおさない時。獅子を御舞候事を思召被出御所望被成るゝ。則お請を被申支宅((度))を致さるゝ。我等にハ手拍子にてはやせと被仰るゝによつて。勝てへ参大盃て一はひのふで。心面白ふ一はやし致さうと存ル。やあ〳〵したくがよくハ早々御出候えや 〔ト云テ座ニイル〕   出立 狂言上下 太刀持也 〔右ノ間ノ外ニ〈連獅子〉ト云間有り 是ハ上懸ノ謡トハ違有 然とも間有故ニ奥ニ書テ置也〕   同(廿七) 同(連獅子)   ヲモ間共に人数四五人も出ル    出立 のしめ 長上下 小サ刀 扇 ヲモ間「誰にて渡り候ぞ 同「や 奇特の御出かな。何と思召て御入候ぞ 同「夫ハ一段目出度御事なれバ。若き衆中をともなひ参て。酒宴を致さうずる間。父子共に獅子の用意を被成候へ。其間ハ目出たふ謡候へし 同「心得て候 同「いかに皆々若ひ衆御座ルか アト「是ニ居まらする ヲモ間「某のとなりのていしゆ。常々の心懸故世に被出て候か。名残なれば日比のなさけに。父子共に連獅子を舞ふする間。其内各々をともなひ。酒宴を致せとの御事なれバ。いざわたり候え アト「夫ハ一段目出度き御事にて候 ヲモ間「さらばこう渡り候へ。某御酌お取候べし 〔何ニテモ一ツヽ舞て謡 獅子出来スル時太鼓打出スト〕 ヲモ間「最早獅子の用意かできたると見へ候間。いざ〳〵かたわきにて見物申さふずるにて候 アト「尤ニテ候 ヲモ間「皆々こふ御入候え   廿八 木幡 (狂言)「是ハ伏見の里に住居する女にて候。童が頼奉りたる尼公の御息女ハ。当り近き木幡の左衛門殿の北の方にて候が。尼公ハ此御方よりの育ミにて身命を御つき候。又御心づけをゑさせられん為。御文を被遣候間。急き木幡殿へ持て参らばやと思ひさむらふ。程なく参つきて候。いかに案内申候。伏見より御使に参たる由御申候へ や 左衛門殿ハ御留守にて。北の方御一人御座有実候。直ニ御文をまいらせうずるにて候。伏見より御文にて候 御覧候え  (狂言)「是ハいか成御事にて候ぞ。文ハ伏見の御文にて候物を。あら浅ましや 先伏見へ帰り。此由申さふと存ル (狂言)「いかに申候。北の方を左衛門殿の害シ給ひて候 (狂言)「只今の事にて候 (狂言)「さん候 此方より参候御文を。いか成者の文ぞと思召。害シ給ひて候 (狂言)「慥是ハ後までなき名をとり給わん事。よその聞へも口おしく候間。ぜひ共文を取出して御覧候え   廿九 馬融 〔脇臣下名乗ト其まゝ間博士ヲ呼出ス〕 (間)「御前ニ候 (間)「畏テ候 占(セン)文(モン)をさゝくる迄もなく候。月日ト御卦体と相刻にて候程。是ハ一大事の御脳((悩))にて候。又怨敵のために害の恐れ有り。能々考申候に先帝の御時。馬融と申忠臣を故なく討給ひ候。魄霊君ニ近付悩シ申と存候程に。とく〳〵彼臣が跡をも弔。●((?))念を晴され候へかしと存候 (間)「大国の祭にハ。舞楽に過たる事ハ候まじ。管●((弦))にて御弔候へ    間出立 大口 厚板 半被 官人頭巾        又ハ官人出立ニテモ    卅 権守 (狂言)「愈々御世に御出有様に御才覚候へ (狂言)「暫申上候べき事の候。権守ハ今夜篭を破りて。逃申され候由申候 (狂言)「さん候 (狂言)「御前ニ候 (狂言)「畏テ候 やれ〳〵目出度事かな。先御酒をきこしめされ。御いわゐ候え   卅一 相場 (狂言「)是ハ相場左衛門貞家が母にて候。此年月貞家か妻と子を童預り申て候。餘りに久敷おき申てたいくつ申て候間。貞家方よりのつくり文をこしらへ。親子共におい出し申さはやと思ひ候。いかに申候。花若殿を伴て此方へ御出候へ 〔シテシカ〳〵〕 貞家方よりつての候て。親子共に追出せとの文の下り候 〔シカ〳〵 シテ 子シカ〳〵〕 (狂言)「童其方達を。貞家が妻や子にてなきと申か。とにかくに早々御出候え   卅二 光季 〔名乗済ト呼出ス〕 (狂言)「御前ニ候 (狂言)「畏テ候 いかに熱田の三郎殿。殿の御尋にて候 とう〳〵御出候へ。熱田の三郎を召て参りて候。こう〳〵御参り候へ 〔熱田問答有テ同音一ツ有テ三郎か呼出ス〕 (狂言)「是ニ候 (狂言)「心得申候。いかに寿王殿。殿の御召にて候 とう〳〵御出候え。寿王殿の御出にて候 (狂言)「畏テ候   卅三 楠 〔〈正行〉トモ〕 シテ供「御前に候 同「畏テ候。今度当山へ御供致事。大事とハ存ながら。折々ハ花をも詠メ。谷峯の慰も有うずると心掛申処に。もはやおふせ出さるゝハ。つまり〳〵に矢倉をあげ。かいだてをかき逆茂木を引と有ル。おそなわりてはいかゞなれバ。やがて用意仕らふ。扨もぢやうぶ成事かな。かた〴〵と致した。先某ハ番を致さう 能力「か様に罷出為((たる))者ハ。当山の衆徒中に仕へ申者にて候。去ル子細有つテ当てい此山へ御籠被成るゝ。就夫楠の太郎政つらと云者。たのまれ申供奉致候。彼者のはからいとして城郭を構へ。花をふミちらしらうぜきさま〳〵致さるゝにより。各々寄合御状を遣さるゝ。尤のぎなれバ急て参申さうずる。いかに案内申候 シテ供「誰にて渡り候ぞ 能力「しゆと中より御状の候。上て給り候へ シテ供「心得テ候。是へ給り候へ 〔文渡シ太皷座ニ待〕 いかに申上候。衆徒よりと申て状の参て候。御覧せられ候へ シテ供「御前に候 同「畏テ候。さいぜんの人の渡り候か 能力「是に候 シテ供「御返事の候 能力「心得テ候 是へ給り候へ 〔ト云テ帰ル 道行〕 ひまがいらうかと思ふたれば。早々出た。急で参らう 〔ト云テカクヤヘハイルナリ〕 シテ供「御前ニ候 同「畏テ候 〔ト云 幕ノ方ミテ〕 やあ〳〵何と云ぞ。それハ誠か。急で其由申さう。いかに申上候。承テ候えバ。只今の御返候うたあまりおもしろきとて。小人達を伴ひ。御出の由申候 畏テ候〔さかりはにて出ル (ワキ「)和ク心なれや しばしまたせ給へや〕 能力「いかに楠殿の御陳((陣))へ申候。最前の有様不骨にして。面目もなく候とて。衆徒達是迄酒を持せて参られて候。其由御申候へ シテ供「心得て候 〔右ノ通取次〕 かう〳〵御通りあれとの御事に候 〔〈楠正行〉トモ云間右の通 又〈花矢倉〉の間ト初の程ハ同事也 あとハちかい有之 能は〈楠〉ト〈花矢倉〉とハちかふなり 但し〈花櫓〉の間を初の内をもちいてあとをなをして〈楠〉の間ニ勤テもよし 然は〈花櫓〉の間初を用テあとを直して書テ置なり〕 〔(シテ供)「御前ニ候 (シテ供)「畏テ候 ト云テ笛座ノ上ニ居ルト能力出ル 橋掛りニテ名乗 (沙弥「)是ハ当山の沙弥ニテ候。爰ニ正行と申人。此所ニて矢倉かいだてをあけうずるとて。花木を切らうせきを致され候ほとに。当山の面々より御状ヲ持テ。只今正行の方へ参候。いかに此内へ案内申候 (シテ供)「誰にて渡り候ぞ (沙弥)「是ハ当山の衆徒より御ふミにて候。是ニ参らせられ候へ (シテ供)「心得申候。いかに申上候。当山の面々より御文の候。御覧候へ (シテ供)「さん候 一大事にて候。さりながら正行の御事ハ。天下にかくれなき哥の上手にて御入候程に。是ハ哥にて御返事有かしと存候 (シテ供)「畏テ候。さいぜんの人の渡り候か (沙弥)「是ニ候 (シテ供)「則御返事ニて候 (沙弥)「心得申候 ト云テがくやへ入ル 是迄ニて〈花櫓〉の間用テ是よりあとちがいなり (シテ供)「御前ニ候 (シテ供)「畏テ候。やあ〳〵何と云ぞ。それハ誠か。いそいで其由申さう。いかに申上候。あれへ参て承テ候へハ。只今の御返候哥おもしろきとて。小人達をともない。是へ御出の由申候 (シテ供)「畏テ候  さかりはにて出る (沙弥)「いかにくすのきどのゝ御ぢんへ申候。さいぜんの有様不骨にしテ。面目もなく候とて。衆徒達是迄。酒を持せて参られて候。其由御申有テ給り候へ (シテ供)「心得申て候 〔其通りヲ云テ〕 こう〳〵御通り候へ〕 〔又能力ひとり事を云事も有り (能力)「当山の衆徒より書状をおくられて候。是々御覧候へ ト云テ文を渡候 太鼓座ニ居テ後ニ立テひとり事を云事も有り (能力)「扨々一段の事かな。楠正行此山へ取のぼり。じやうくわくをかまへ申さるゝ所に。当山ハ花の名所にて候。ことさら花もさかり成に。さきたる木どもをきり。山をたいらげしろをかまへ申さるゝ事。さたのかぎりなるとて。当山の衆とせんぎ一決して。さいぜん書状をさしこされ候ところに。武士の道なれバ。爰をひらかん事も後代のなをれなり。またとがなきしゆとゝたゝかいて。ほうしをきらんも本意ならずとて。一首の哥をゑいじ。矢文をしたためしゆとのぢんへい給ふ。大衆此哥を聞なから。たゝかわん事も情なしとて。先かへり申されせんき有て。よし〳〵今ハせむるとも。衆徒の手がらにハ成まじい。又此まゝうちすておかんも不骨なりとて。若大衆児達をかたらい酒をもたせ。くすのき殿へ酒をしんぜ申さんとの御事なり。皆々とう〳〵御出候へや 是よりさかりは〕   卅四 更科物狂 (狂言)「愚僧ハ当寺におひて。御どうをすゝむる者ニて候。今日ハおそなわり候。殊外成ル大人じゆにて候。皆々御どうのすゝめに御入候え (狂言)「さん候 当寺にをいて。色々面白き事の御座候。中にも物狂の候が。面白う狂候 是が見事にて候。今少シ御待候ハヽ是へ来候。其時夫へ案内を申候べし。笹の葉にさゝらをゆひ付当寺の謂を申候。是を御覧候へ  (狂言)「さあらバこう〳〵御通り候へ  (狂言)「如何に申候。最前申たるハ此物狂の事ニて。急で当寺謂を御所望候へ    卅五 三浦 〔ワキ喚出ス (ワキ「)イカニ誰か有ル〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキ「我君納涼の御為ニ三浦へ御渡り有べきとの御事なり 海の上ニハ舟をかざり浦々ニハ大網をおろし下知ニしたがひ引寄へきよしこと〳〵く相ふれ候へ〕 (狂言)「畏テ候。やあ〳〵皆々承り候へ。我君三浦へ御渡被成べきとの御事なれバ。海の上にハ舟を飾浦々にハ大網をおろし。下知に仍テ引寄べきとの御事也。相構て其分心得候へ〳〵 〔シテ席((広))常也。席常義実口論其事也〕   卅六 瀧口 〔ワキ次第道行過テシテ一セイニテ出ル 色々謡有テ ワキ(「)いかに里人の渡り候か〕 (狂言)「里人の御尋ハ何の御用にて候ぞ 〔ワキ「嵯峨のゝ御寺往生院とかやおしへて給り候へ〕 (狂言)「〔サン候〕あれに見へたる御寺こそ〔寺社共云〕往生院にて候。心静に御参詣候え 〔シカ〳〵〕 (狂言)「御用の事あらハ被仰候へ (狂言)「心得申候   卅七 政徳西王母 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。漢ノ文帝に仕へ申官人にて候。云に及ばぬ事なれ共。君聖王に御座ス故。吹風枝をならさず。民戸指をせざるせいたいなれば。国広く園々もしげり。諸鳥も心のまゝにすめり。人間もゆふにして物の命をとらず。然ル間此国のかたわらに。木鳥をあひする者の有が。いつれがまさしきとくあらん 尋べき為に。只今勅使をたて給へバ。其道すがらの人々何事によらず。申上度儀あらバそせういたし候へ。其分心得候へ〳〵 〔ト狂言触テ楽屋へ入ルトワキ大臣詞(「)是ハ漢ノ文帝ニ仕へ奉ル臣下也 扨も此国の傍に松葉鶴養とて二人者有 彼者鶴と松とを愛する 徳いつれかすくれたるぞ 仙家の洞にある西王母ヲ召急き判してまいらせよとのせんしを蒙り只今王母か私宅にと急候〕   卅八 空也 〔ワキ次第サシ(「)〽是ハ延喜第二ノ御子空也ト申聖にて候〽 下哥上哥過 シテトツレ一セイサシ下哥上哥 シテ詞 ツレ詞  ワキ詞 カケ合 謡地へ取 又ワキシテツレ詞 物語も有 長シ 地へ取 サシ曲舞過テ シテ「〽いさ〳〵念仏申さんと。しやうこをおつとりたちあかり〽 ワキ「〽手にとる珠数((数珠))の数々に〽 シテ「〽さんきさんけの心の月〽 一セイ「〽出よやいてよ世の中に〽 地「〽すめばうらみの。有物を〽 シテ「〽夜念仏と人や聞らん 身ひとりハ。いつをいつとか。思ひわくへき。南無阿弥陀仏〽 上同「〽時をうつせる四季の色々 春ハ花〽 シテ「〽夏ハみどり〽 同「〽秋ハくれない〽 シテ「〽冬ハ雪の〽 上同「〽はたれになひく呉竹の。は音ハ聞へて色をミぬ。盲目の此身の哀世にうきふししけき竹の杖。月にもうときやミ心 はらさせ給へ上人よ〳〵〽 ト謡トキ〕 (狂言)「いかに申上候。筑紫はかた西浜の何某。むなしくなりたると申て。腰の刀に状を添上人に送り申て候 〔シカ〳〵〕 (狂言)「さん候 〔ワキ「言語道断ノ事 シカ〳〵 文ヨム 狂言ハ文ト刀渡ス分也〕   ワキ空也上人 シテモウモク ツレ男    間狂言 嶋ノ物 上下 腰帯 扇   卅九 贄((熱))田 (狂言「)是ハ尾州贄((熱))田の明神ニ仕へ申末社の神ニテ候。誠に珍敷柄((から))ぬ御事なれども。当社贄田の大明神は霊現((験))新に座すゆへ。日本第一の御神と号して。猶々悦深く守り度と思召。五月三日より八月八日まてハ御社を出させられ。西ノ門に御座有ニ仍テ。西〔ノ〕門の額をちんくわう門と打れて。又南門ハかいさう門と申額の御座有たるに。其比南門〔ノ〕外ハ鹵(シヲ)の差あがりたるに。弘法大師御覧じて。額のうへの海の字を御なをし有つテ。字の作りをうへに置きへんのさんずいを下におかせられ候へバ。夫より鹵が廿余町引申て今に額の如クなり。又東の門をしゆんかう門と申子細ハ。唐の玄宗皇帝楊貴妃のこんはくの有家を尋。方士(ホウシ)と云仙人をかたらひ当社迄尋来り。東ノ門をたゝきて楊貴妃に二度逢奉りて候。其折節春にて有シ程に。春たゝく門なればとて春ンかう門と申なり。扨当社にをいて八剣ノ宮と申ハ。神代の御時素盞烏ノ尊。出雲の国にて大蛇を殺シ。尾ノ中に有しつるぎを取て。叢雲剣ト名付天照太神へ参せられたりしに。其後仁王の御代となりて。拾二代景行天皇の御(※)子〔※第三ノ皇子〕日本武の尊と(※)〔※ハ東夷ヲ征耻((?))ニ〕威((伊))勢詣に後下向の時。天照太神より〔カノ〕御剣〔ン〕を尊に給り。駿河の国神原にて。東夷のゑひす拾萬余騎。甲をぬぎかうさんの躰にもてなし。尊をたばかり枯野々草に火を懸。四方のかこミをなし攻けるに。尊彼御剣にて他((あた))りの草を薙払給へバ。ミやうくわハかゑつて夷の方(カタ)へ(ニ)萌((燃))上り。十万騎ハ時の間にほろび失。安々と東夷(トウイ)を納め御帰り時〔去ル〕子細有〔ツ〕て御剣ンを此所に納給ふ。左有に仍テ以往((いにしえ))ハ其剣を叢雲ノ剣ト申奉しが。東夷を退治の時草を薙国を治メ給ふにより。草薙の剣と名付御申候なり。去程に出雲ノ国にて御殺シ被成たる大蛇。草薙の剣に執心のなし申間。同シ寸ニ剣を七つ討((打))せ。彼剣と一所にこめ八剣ノ宮共。又八剣ノ明神共崇メ奉ル也。先是は当社に於テの子細如此。只今当社へ稀人の御出にて候間。罷出て御目に懸り。何にても一曲仕り慰メ申さばやと存ル 〔跡ハ常ノ末社の通り〕   四拾 神有月 (狂言)「抑是ハ当社大明神に仕へ申末社の神にて御座候。去程に我等の此所へ出る事余の義にあらず。先我が朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に跡を垂。威光区々成とは申ながら。中にも当社と申奉ルハ。別而有難御事にて候ぞ 其子細ハ。神の父母卅八社の御神を。残らず観((勧))請申ニ仍テ。則大社と名付申。又五人の王子と申ハ。第一麻鹿ノ大明神ト顕レ給ふ 山王権現是也。第二ハ湊ノ大明神と顕せらるゝ。第三稲佐ノ速霊神。常陸ノ国鹿嶋ノ大明神と偈仰仕候。扨第四ハ鳥屋ノ大明神。信濃ノ国諏訪ノ大明神ト同一躰也。第五ハ出雲路ノ明神。今ノ伊予の三嶌大明神と顕れ給ふ故に。吹風枝をならさず。民戸指((鎖))をさゝず 誠に目出度御代ニて候。然ハ何国いかなる国にても十月をハ神無月と申せ共。此所にてハ神有月と申子細ハ。諸国の神々当月一日刁ノ刻に悉ク御影降((向))ニ成て。男女夫婦のかたらい縁を結び置給ふ。左有ニ仍テ此所にてハ。神有月と申も此子細にて候。又あれに見へたる海道ハ。上道下道中道とて道多ク御座候が。去ル子細有ツテあの上道を当月ハ通り不申候。又此柴を神守のしばと申候。是へ神々駒を放チ給ふ故。人間ハ当月ハ牛馬をはなさず候。是ハ当社の目出度子細。又此所へ当今の臣下御参詣の由申間。先あれへ参りいか様成御方ぞ少見申さうずる  〔道行三段舞常ノ通り 此間仁右衛門方ニテハ常ノ〈大社〉ニ云也 〈大社〉ト〈神無月〉トハ間同事なれ共能にハ違有別也〕 〔飛鳥(アジカ)ノ大明神 ○飛(ア)鹿(ジカ) ○上ニ書テ有ハ仁右衛門方ノ常ノ〈大社〉ノ間ニ有り 宗像(ムナカタ)ノ大明神○ 南方(ミナ)刀(ト)美(ミノ)○ 稲佐(イナザノ)速(ハヤ)霊(タマ)神○ 鳥屋(トヤ)大明神○ 出雲(イツモ)路(ジ)ノ大明神 伊豆ノ三嶋ノ明神〕   四拾一 龍頭太夫 (狂言)「か様に候者ハ。稲荷大明神ニ仕へ申末社の神にて候。去程に当社と申奉ルハ。昔弘法大師入唐有シ時。明神に行あひ給ひ日域ノ守護神となつて。王城を守給へし(エト)と堅ク御契約有に。頓而熊野々岩田と申所に影降((向))まします。夫より都東寺へ移り給ふを。嵯峨ノ天皇へ奏聞あれバ。則当山へ勧請申せとの勅ヲ請。此山に宮造りし給ふ故。華表の額も大師の御手跡にて遊し。弘仁七年の夏の比影降有所に。山神龍頭太夫勅ヲ請御輿を移シ崇給ふ。其後龍頭太夫末社と成て。此山ヲ守護シ申さるゝ。先是ハ当社の目出度子細。又当君に仕へ御申有臣下。たうしやへ御参詣被成るゝ所に。老人夫婦まみへ。当社の謂を懇に御物語有り。龍頭太夫といゝもあへず。神隠に失給ひたると承る。扨又某ハ先あれへ参り。如何様成御方ぞ少見申さうずる。誠にか様の目出度御代なればこそ。稀人の御下向被成た。併どこ元に御座るぞ 〔是より常の末社の通り 三段の舞有り〕 〔右ノ間西尾殿ヨリ参候ヲ写〕 〔稲荷ハ年代記宝永三年迄御鎮座ヨリ九百九十六年ト有  弘法大師元文四年迄九百五年年代記抜書ニ有り〕        四拾二 真無井原 (狂言)「か様ニ候者ハ。丹後ノ国当社明神ニ仕へ申末社の神ニテ候。誠ニ目出度御事ニて候ぞ。当社明神と申ハ日本第一天照ル御神なれバ。いきとせいける者恵(メグミ)を請ぬ者ハ無御座候。去程に此所を真無井原と申子細ハ。仁王廿二代雄略天皇ノ御宇ニ。日本神国たりといへトモ。当国にかぎり誠におそろしき魔国にて。鬼神毒虫(トクチウ)野火(ヤクハ)のごとくむらがり。すでに代のさまたけとなりしかバ。工((公))郷大臣此由を聞給ひ帝へ此由奏聞申され候へバ。帝此由聞召。忝も丸子ノ親王に急退治あれとの御事にて候えハ。親王倫((綸))言にまかせすでに討立給ふ所に。忝も天よりこがねの御札降下けるを(〔則〕)。取上御覧じけれバ。神明天下ルとまなにて書付。此御山に降下りしが(バ)。扨ハ神明の神力有とて。天道にむかひとくしん被成候へハ。忝も天照太神天くだり給ひ。神道の御光りに御身を変化。神力を添たまひ三年(ミトセ)三月(ミツキ)が其間に。数万騎の鬼神共を残さず攻亡シ給ひしより此かた。真無井原とハ名付給ふ。其後御宮作たちおさまつて今の末(マツ)世に至ル迄。有難御事申もおろかに御座候。誠に珍敷柄((から))ぬ御事なれども。国土世界萬木千草に至迄。此御神の御神徳を請ぬ者ハ無御座候。先是ハ此所ニ於テ昔物語。去程に当今に仕へ御申有大臣殿。只今此所へ御参宮被成候処に。明神嬉敷思召仮りに顕レ出給ひ。神秘を御物語被成先御帰り被成た。重而ハ舞楽を奏して。御慰被成れうずるとの御事にて候。其間たゞハ何とて御座有ふするぞ。我等ごときの末社にも罷出一曲をも致し。慰メ申せとの御事ニより是迄罷出た 〔是より常ノ末社の通り〕 〔(狂言「)神明天ふり給ふと御座候程に扨ハ梵天より神力有りとて親王御悦被成候所ニ天照太神天降たまひ〕   四拾三 岡崎〔〈花小塩〉〕 〔ワキ詞「是ハ都ノ西大原ノ明神ニ仕へ申神主ニテ候 扨も当社と申ハ藤原氏の神ニテ御座候間藤原氏の人々殊ニハ后ノ宮ノ行啓も南都迄ハほど遠く候とて閑院冬嗣公当山へ御勧請ニて御座候 去ル間御幸を初奉り都より御参詣常に御座有所にて候 又昔より神前に桜の御座候か色ことなる名木なれハ一度も見る人ハ今生後生の名木と申伝ヘテ候 当年ハいつの春よりも花盛にて候程に貴賤群集申はかりなく候 此花にかきり一枝折事かたき禁制ニて候程に番を堅ク申付花を守らせ候 今日も番の事を申付はやと存候 いかに誰か有る〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキシカ〳〵〕 (狂言)「畏テ候。やあ〳〵皆々承り候へ。当年も花折申事禁制の由被仰候間。其分心得候へ〳〵  〔一セイ花見衆シテ子方出ル (花見衆)「〽春立し。日よりかそへて待花の。ひらくるけふの朝かな〽 サシ 〽名にしおふ花の都の春なから。殊に詠も大原や 小塩の山の山桜〽 上哥 〽さかりしられて都人。〳〵。貴賤群集も色々の。袖引つるゝ雲霞。たへまも見へぬこし車。駒も数ある大原や。小塩の山に着にけり〳〵〽〕 〔子方こしかけて花ヲ見るトき〕 (狂言)「是ハ由有げ成御方と見へて候。扨申上候。是ハ神木にて中々花の枝手折事ハ禁制ニて候。併小人の御様躰を奉見候に。此花詠一入の様に被存候間。一曲かなで慰メ申さうするにて候 〔ト云テ小舞〕〽花をふんでハおなしくをしむ少年の。春の夜も。しつかならでさわかしき三吉野々山風に落花迄も。追手の声やらんと。跡をのミ三吉野々おく深くいそく山路かな〽 〔ト舞しもふて〕我等ハ御いとま申候 復々御慰ミ候へ 〔ト云テ桐((切))戸口より楽やへ入ル 子方シテワキ詞有テ地謡也〕 〔(地)「〽神も小塩の山桜花ゆへ身をバ捨ルとも。おらるゝ事ハ有ましと。宮人面々に太刀取直し立向ふ。都の人ハ宮人の。ゆるさぬ花のあらそひに。少人の御ため。悪かりなんと互に。味方をせひし花守に。おそると思ふなけふこそハ。あすハ雪共散さん花と。のゝじりつれてぞ帰りける〳〵〽〕   同(岡崎)中入間 〔二人早皷ニテ出ル 竹杖ヲツキ〕 (ヲモ)「か様に候者ハ。小塩大明神に仕へ給ふ神主殿の御内仕へ申者にて候 〔ト云内ニアトせきばらいをする〕 いやそなたハなんと思(シ)ふて是へ来たそ 此小塩大明神と申奉ハ。忝も和州春日明神を勧請申され。別而藤原氏の御方名木数多植置給ふ。花の栄行事限りなし。殊に神前の桜今を盛成を。花見の人々立寄。中にも小人此花一枝おらんと有を。神主見給ひ。是ハ神木にて候 おらせ申事ハ一命にかけて成間敷由の給ふ。是悲((非))ともおらうずると有て。互にあやうく見へし処に。少人の方よりいや〳〵先私宅へ御帰りあれ。重而意趣をとげんと何も帰り給ふが。はや武具を用意し弓矢を対((帯))し。是へよせて来ると云がにか〳〵しひ事てハなひか (アド)「誠に是ハ気毒な事じや (ヲモ)「さあらバ身共ハ此様子を触う (アド)「急でふれさしませ (ヲモ)「心得た。やあ〳〵皆々承り候へ。小人の方より早押寄て参ると申程ニ。神主殿の御内の衆中。不残神前へ詰られよとの御事なり。構て其分心得候へ〳〵   初ノ間 ワキノ供して出ル 太刀持也 狂言上下   中入 ノ間 二人出ル 狂言上下 小サ刀 右ノ肩ぬき竹杖つきテ出ル 一人ハ肩ぬかず竹杖もなし 二人共ニ袴くゝるなり  〔又一人間にして云事も有り 其時ハ (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。大原小塩の神主に仕へ申者ニテ候。只今是へ出ル事余の義にあらず。此小塩大明神と申奉ルハ。忝も和州春日の明神ヲ勧請申され。別而藤原氏ノ御方。名木を数多植おき給ひ。花の栄行事かきりなし。殊に神前の桜今を盛にて。花見の人々立寄。中ニも少人此花一枝おらんと有を。神主の見付給ひ。是ハ神木ニて御座候間。おらせ申事ハ一命にかけてなるましき由の給ふを。ぜひともをらふすると有て。すでにあやうく見へし処に。小人の方よりいや〳〵先私宅へ御帰り有。重而いしゆをとげんといづれも帰り給ふ間。武具を用意し弓矢を対し。是へおしよせると申程に。神主殿の御方の衆も。急き神前へ相詰られ候へ。其分心得候へ〕 〔カヤウニモ云 ○(狂言「)是ハよし有げ成御方と見へて候。いかに申候。此花折申事ハ堅ク禁制にて候。又見申せバ小人を御ともなひにて候。一曲かなで申さうするか〕 〔フレカヤウニモ云 ○(狂言「)皆々承り候へ。明神の桜の義ハ申迄ハなく候え共。当年も手折申事罷不成候間。皆々左様に心得候へ〳〵 ト云テ太鼓座ニイル シテト子方出テ謡有 せうきにこしかけて詞有り 扨狂言立テ〕 〔カヤウニモ云 (狂言「)扨々おびたゞしきくんじゆかな ○(狂言「)いや是ニ小人の御座候。いかに申候。何ぞ一曲かなで申さうずるか (狂言)「畏テ候。〈花をふんて〉の小舞〕 〔○(狂言 神職「)か様ニ候者ハ。小塩の明神に仕へ申神職ノ者ニ御座候。只今是へ出ル事別の義にあらず。扨も当社において無隠名木御座候。毎年春にもなり候へハ。色うつくしく咲乱たるを。見る人うれへをわすれ。よろこびの興をもやうす事かきりなく候。去程に都より当社の花盛を承り及。小人を伴ひ数多花見に来り。酒宴をなし様々慰まるさに。神木の花を手折ンとて。此由神主殿へ望申たる間。其時神主当社の花を手折事。禁制成由色々せいし被申候へ共。落花らうせきくるしからずとて。木陰に立より候間。神主も折せてハあしかりなんとて。たがひにせひをあらそひすでにかうよと見へしとき。中にも村松の忠広とやらん申者。すゝみ出テ小人をともなひたる間。無念のいきおひをとゝめ。明日こそ参候べけれとてのゝじりつれて帰りて候。彼者の面魂けしからぬやうだいなれば。当社の名をけがしてハいかゞなりと。皆々かつちうをたいし。あい待申べしとの御事なり。此由我等に相ふれ申せとの御事なれば。其分心得候へ〳〵〕   右ノ間ハ神職出立ニテ云 〔○初ノあしらひ小舞過テ桐((切))戸より楽やへ入也  又ワキノ流義((儀))によりてシテワキ詞あらそひてワキ刀ニ手を懸ル時ニ狂言とめる事も有り 云合ニ尋へし〕   四拾四 悪源太 〔ワキ「是ハ江州石山寺ノ住僧ニテ候 扨も源氏ノ大将悪源太義平落人となり給ひ当寺を頼御落候間当寺衆徒共頼れ申本堂の西の((?))妻戸ニ置申て候 又都へ注進申事の候間岩の坊へ移し申酒をすゝめ申さはやと存候 いかに誰か有ル〕 狂言供「御前ニ候 〔シカ〳〵〕 トモ「畏テ候。いかに案内申候。悪源太殿の御座候か。寺中より御使に参つ((?))テ候 〔シテ「何の為の御使ニて候ぞ〕 トモ「さん候 本堂ハ人目しげき処にて候。岩の坊と申てよふがいよき所にて候間。あれへ御移り候へ 〔シテ「扨も義平落人となり落下ル所に当寺の人々かい〳〵敷たのまれ給ふ事誠にたのもしうこそ候へ 殊に岩の坊への心指切に存候 さらばいわの坊へ立越うするニて候〕 トモ「畏テ候 〔シテ「いかに申候 ワキ「何事ニて候ぞ シテ「左馬の頭殿の行衞やしろしめし候や 是ヨリ詞 シテカヽル 謡有 扨詞有 ワキ少語ノ様成事有 カケ合 謡 地へ取テ又詞有テ地へ取ル 曲舞過テシテ語ノ様成事有 扨地へ取 ロンギ〕 〔ロンギ(地)「〽よし何事もさためなき。ならいをたのミおはしまし御代をまたせ給へや〽 シテ「〽か様に聞ハなくさミの。心もよほすさかつきの情有とよ人々〽 地「〽はや時うつる日の影の。かたふく酒のさかつきの〽 シテ「〽数かさなれハ程もなく〽 地「〽むミやうのねふりすゝみきて〽 シテ「〽ゑひの心も〽 地「〽其まゝに 地前後亡して義平ハ。たけき心もよはりて。らいはんを枕にふし給へハ。衆徒ハ静にさし足して。座敷を立さりぬ 御運の程ぞ痛ハしき〽〕    同(悪源太)後ノ間 〔二人〕 ヲモ「きいたか〳〵 アト「いや きかぬぞ〳〵 ヲモ「何と思ふて出たぞ アト「何事かハしらねども。そちがきいたか〳〵と云程に。きこうと思ふて出たハ ヲモ「夫ハ先一段の事(コヽロ)かけでこそあれ。さらバ語て聞せふ 源氏左馬頭の嫡子悪源太義平ハ。爰かしこの軍に父子共に討まけ。身をも隠さん所なけれバ。義平ハ当寺を頼暫ク御座す事。世上ニ隠なけれバ頓而都へ聞へ。飛脚立其ことわりは。何とて寺中悪源太と一身するぞ。搦取て出さぬにをいてハ。一山を焼払ひ寺中曲事に仰付ンと有ニより。皆々寄合談合せらるゝは。常々の祈祷にも山だに富貴して。何事もなきやうにとこそいのるに。都近クして何とて信をそむかるべきぞ。搦手出さうずると云衆もあれバ。又若き人々の分別にハ。当寺を御頼ミ有に。心替りハさりとてハほうしに似合ぬ。とかく一こらへもつて見ゆうと云僧も有り さだまらぬに。庵の古(フル)ひ老僧出ていわるゝハ。とかく観音の誓ひといふも。うん(運命)つきざる人こそあれ。最早おちぶれたる悪源太ハよし。ひらに身共次第にせられいとて。頓テ御りう(リヤウ)じやう申さるゝ故。唯今討手がむく。夫ニ就当寺のそうとう衆ハ先がけして。義平のてなみをみよと仰けれどもつゞく者なし。そちと某斗じやが何とするぞ アト「五人の中(ウチ)にては三人え付と云程に。先かけのしてのなひをば談合におよばぬ。さらば〳〵 ヲモ「やれ〳〵そこな者。扨も〳〵臆病至極のやつかな。とハ云ながら。某も一人にてハ思ふたりとも成舞。とかく私も宿所に帰り。身共の家をかためうと存ル。只急てひけ〳〵   初ノ間 狂言上下   後ノ 間 狂言はかまくゝル 肩衣 小刀 右ノ肩ヲぬく こしおひ 竹杖   アト 狂言上下 〔みじかく云間 (狂言「)加様に罷出為者ハ。当寺の住侶に仕へ申者ニテ候。去程に悪源太と申ハ。義朝の嫡子ニテ御座候が。爰かしこにて討もらされ給ひ。当寺石山寺を御頼有テ御座候所に。都より飛脚立テ。急悪源太義平をからめ取テ参れと被仰候。然ハ寺中も大事の御事と思ハれ候て。いろ〳〵の御だんこうを成候ハ。山も寺も何事なきように。又当寺を御頼有テ御座候を。何として心替りハ有べきぞと。若き衆被申ければ。其時老僧衆御申候ハ。いかにも平家安穏と存候へとも。都と当寺と他心有ならバいかゞと有テ。頓テ御れうじやうにて候程に。只今打手むかい候を当寺の衆徒衆ハ先かけして義平の御手なミを見よと御申候へともつつく者ハなし 私一人にてハいかやうの天摩((魔))のわさも成まい程ニ先某ハ宿へ帰り私の家をかためうするそ 只つめよ〳〵〕   四拾五 木曽願書 〔一セイ立衆シテトカケ合 謡 上哥〽日月も手の内に。〳〵。とり〳〵なれや梓弓の。矢さけひハ雲にひゝきときの声ハ倶利伽羅か。谷風もはけしく山河草木も震動す。され共味方の計略。明日の合戦と触けれハ。敵味方に矢をとゝめくつはミをかへし砥並((砺波))山。あくる空をそ待居たる〳〵〽 シテ「いかに誰か有ル トモ「御前ニ候 シテ「あの茂の中に新き社檀の見えたるハいか成神を勧請申たるぞ 尋て来り候へ トモ「畏テ候 いかに在所の人の渡り候か〕  (狂言)「里人とハ如何様成御用ニて候そ 〔トモ「あれに新敷社檀の見へて候ハいか成神を勧請申て有そ〕 (狂言)「あれハ初テ八(ハチ)幡を勧請申て今やわた共申ス。又羽生(ハブ)のやわた共申候 〔トモ「御教ヘ祝着申候〕 (狂言)「御用の事あらハ重而御尋候へ 〔シカ〳〵〕 (狂言)「心得申候 〔トモ「いかに申上候 在所の者ニ尋申て候へハ新く八幡を勧請申テ候か今八幡共申はにふの八幡共申由を申候 シテ「近比目出度事にて候 頓テ社参申さうずるにて候 学((覚))明を召て願書をこめ候へ トモ「畏テ候 いかに学明御参り候へ 急願書をかいて御こめあれとの御諚にて候 学明「畏テ候 頓テ仕らうするにて候 サシ立衆地へ取 謡 願書有リテシテ上ハ〽義仲願書にかふら矢を神前に捧申セハ〽 同(「)〽御供の兵共も。上矢のかふらをひと〔ツ〕づゝ。彼宝前捧て南無帰命頂礼。八幡大ほさつとて皆礼拝を参らする〽 〇願書過テ太夫(「)今夜夜討致さうする間皆々用意仕候へ ワキ「畏テ候 ト云テ皆々中入スル也〕   同(木曽願書)中入間 (中入ノ間)「加様に候者ハ。今井四郎兼平の御内の者にて候。扨も今度木曽殿頼朝の仰(クライ)を承り。其勢五萬余騎にて都へ御登り候間。先頼奉る今井の四郎殿先陳((陣))の御沙汰候て。当国砥並((砺波))山に御先陳をめされ候。今日木曽殿御陳所を御覧せんため。ほう〴〵を御覧ずべきとの御事にて候。其分心得候へ〳〵   初ノアシライ里人 熨斗目 長上下 小サ刀   中入 ノ間出立 嶋ノ物 狂言上下 小サ刀指 袴括ル 竹     杖   シテ ノ供ト云ハツレ也 又狂言勤ル事も有り 其時ハ狂言上下 小サ刀指 〔狂言供スル時前ノ云様ハ右ニ供ト書テ有通り云也 シテ(「)あれへ願書を書せう と云時に トモ「とれ〳〵と申共。覚明坊ならでハ有間敷候。急で覚明を召て被仰付候へ (狂言)「畏テ候。いかに覚明房。急で願書を認参らせ候へとの御事にて候 (狂言)「願書を御認候か トモ云也〕   〔同(木曽願書)立間二人 (狂言)「か様に候者ハ。木曽義仲ノ御内ニ仕へ申者ニテ候。去ル程ニ我等の是へ出ル事別の義ニ不有。常ノ通ツレ出ル。先平家ハ頼奉ル木曽殿を亡さんとて。十万騎ノ勢ニテ北国へ押寄。越前の国ひうちか城ヲ責取。其外爰かしこの城廓を責取。夫より此となミ山へ押寄。頼奉ル御方此由聞召れ。おごる平家をおいちらさんと思召。五万余騎の勢ヲもよふして信濃国を御立被成。此所ニ御陳((陣))のとらせ。扨合戦ハ明日と御約束被成。たがいにしづまりかへツテ御入候が。所ハくりからがとうげたにミねかんぜきおふくして。こまのかけ引じゆうにならぬ難所なり。平家方ニハ所の案内もしるましい。夜軍にして押寄てき何十万き有共。一軍ニも及ましい程に。よに入押よせんとて計言ヲ廻し給ふ間。皆々諸軍勢夜打の用意致されよとの御事ニより。某も夜打の用意致さうすると存テ出たよ (狂言 ツレ)「是ハ一大事の事じや。平家ハいきをいつよく。其上十万騎のせいなり。味方ハ五万騎なれハ。此度之軍にかたせられうハおぼつかない事なり。其上夜などゝ云物ハ。どし打なとする物じやときいたに仍テ。夜軍におふ事ハ同心ない程に。人数にくわゝ((ママ))事ハいらざる事。某ハ先帰らう (狂言)「扨も〳〵おくびやうなやつかな。某ニ語らせすまいてはづいた。某ハ人数にくわゝらうと存ル。皆々うけ給り候へ。今夜ようちに御かけ被成べきとの御事なり。其用意を致され候へ。其分心得候へ 〳〵〕   四拾六 鐘引 〔 僧ワキ連トモ三人 能力も出ル ワキ名乗の内連二人シテ柱ノキハニツクホウテイル 名乗過テ能力ヲ呼出ス (能力「)御前ニ候 〇(能力「)畏テ候 ト云テ太皷座ニ居ル 但シ能力ハいらぬ事も有 尋べし〕 〔ワキ「是ハ江州園城寺の住僧ニテ候 扨も当寺の鐘餘りにちいさく候程に今日集会をなし鐘を大きにいさせはやと存候 ト云テワキシヤウキニ腰ヲ懸ルト狂言出テ名乗ル 文持テイツル〕 (狂言 文の使い)「是ハ田原藤太の御内に仕へ申者ニて候。江州園城寺へ書状を被遣候間。唯今持て参り候。いかに案内申候。藤太殿より書状をおくられて候 〔ワキ「何と秀郷卿の方より御状の有と申か〕 (狂言 文の使い)「中々御覧候え 〔ト云テ文ヲ渡しすくに楽屋へ入なり 是ヨリワキ文ヲよむ 詞 ワキツレ詞有 上哥 地 ワキ能力ヲ喚出し〕 能力「御前ニ候 〔ワキ「しゆらふを立候へ〕 同「畏テ候。当寺に鐘の渡候に付。鐘楼を被仰付候間。鍛冶番じやう皆々罷出其用意仕候へ。其分心得候へ〳〵 〔又鐘楼を立ル事も有り 大工出テ色々云事有り 是ハいらぬ事もあり〕 〔シテ一セイ ワキ詞 シテ詞 夫ヨリ謡 地 クリ 地 サシ クセノ内上ハ シテ「〽其時龍神秀郷に〽 地(「)〽数の宝を贈しに。中ニも妙なるハ此かねの法のちからによるゆへ此寺に施入すへきなり。うたかわせ給なと。ゆふべの風に声たてゝ。物さはかしき海つらに。行かと見しか沖つ波に立隠れうせにけり 浪間にかくれ失にけり〽〕   同(鐘引)後ノ間 (中入ノ間 鱗)「か様ニ候者ハ。此水海に住鱗の情((精))ニて候。我等の是え出ル事余の義にあらず。田原藤太園城寺へ撞鐘を奇((寄))進申さるゝ其子細ハ。龍王の敵(テキ)百足を退治被成シに仍テ。龍王悦給ひ。様々の引出物お秀郷へ参らせらるゝ。其品々ハ鎧太刀。とれどもつきぬ俵 きれ共尽せぬ巻物。天竺祇園精舎に有し撞鐘なり。此鐘を園城寺え御奇((寄))進有べきとて。龍王達寺迄引付給われとの御事也。則龍王顕れ給ひ寺中へ此段御申候へハ。いそぎ鐘楼を拵待べしとの御事なれバ。此水海ニ住鱗ハ。悉ク出てかねを引申せとの御事なり。此鐘ハ玄奘三蔵渡天の時流沙河ニテ。真蛇へ手向の其為にしづめ給ひし鐘なり。則四句偈(シクノゲヲ)唱(トナヘ)此声(コヘ)ヲ聞者ハ。じやうやのやミをはらしさとりに至ルべし。猶以かねの綱を引ならバ成仏疑ひなし。鯉鮒の事ハ申に及バず。はへうなぎどぜうゑびざこのたぐひ迄も。罷出て引事ならずとも。拝(ハイシ)て成仏の縁をむすび候へ。其分心得候へ〳〵   初ノアシライ出立 狂言上下 文持テ出ル    脇供能力ハいらぬ事も有り 尋べし   中入 ノ間 厚板 狂言袴括ル 水衣 腰帯 鱗頭巾 扇 面うそ吹 〔(狂言 文の使い)「是ハ田原藤太秀郷ノ者ニテ候が。急ノ御使に参ル。急で参らうずる (狂言 文の使い)「いやはや是へ御出にて御座候よ。田原藤太秀郷より。御文を持御使に是迄参て候。先御覧候へ〕  〔ワキニ文ヲ渡し其まゝはいるなり 後間鶯ノ情((精))ニてもする 又能力と大工出テしゆらう立ルも有なり〕   四拾七 引鐘 〔大臣次第名乗 (ワキ)「抑是ハ延喜ノ御門ニ仕へ奉ル臣下也 扨江州園城寺ハ御門御建立の御寺ニテ候 未つきかねのなき由を聞し召及れかねをいさせられんとの御事ニて候間只今江州園城寺にと急候 是ヨリ道行有り〕 〔僧「扨只今ハ何と申す御勅使ニて候そ ワキ「只今の勅使よのきにあらず 鎮守がらんハ立納りて候へともつきかねなき事を聞召及れ急かねをいさせよとの勅使ニて候 其由寺中へ御ひらう有ふするにて候 僧「宣旨畏て承り候 仰のごとくちんしゆがらんハこと〳〵くたち納りて候 然れ共未つきかねなく候間かねをいさせんと存候所にかねをいさせよとの勅定何寄以テ忝候〕 (狂言)「是ハ山城の国田原藤太秀郷の御内の者ニテ候。何事哉覧江州園城寺へ。御状を被遣候間只今持て参候。先急て参らふずる。いや参ル程ニ早是ぢや。いかに案内申候 〔僧「案内とハいか成人ニて候そ〕 (狂言)「是ハ山城の国田原藤太秀郷の方より。当寺へ御状の参て候間。御覧せられ候へ 〔僧「此方へ給り候へ〕 (狂言「)畏テ候 〔ト云テ文渡ス すぐに楽屋へ入ル〕      出立 嶋ノ物 狂言上下 腰帯 小サ刀 文持出ル 〔僧トワキト詞 シカ〳〵 上哥 サシ 又詞有テシテ出詞有り 上哥地へ取 クリ サシ 曲舞有り クセヨリ中入ノ謡 〈鐘引〉同前 謡ノ文句ニ少シツヽノ違有り 大方ハ違なし〕    同中入ノ間 〈鐘引〉ノ間ヲ云也   四拾八 河水 〔間官人ワキノ供しテ出太皷座ニ居ル〕 〔ワキ「抑是ハ震旦国の御門ニ仕へ奉ル臣下なり 扨も此国の傍に一つの大川有 彼水を以テ国土の民の用水とす 然れ共いか成事にや 此間彼河水こと〳〵くひ落ぬ 国中の民なけき申はかりなし 帝此由を聞召れ天下においていか成大事か出来すへきとの御事にてさま〳〵御きとうにて御座候 先此有様を見て参れとの勅を蒙り只今彼河の辺へと急候 ト云テ道行有 夫よりかゝル 謡有トシテ喚かけテ出詞有り ワキトカケ合有テ上哥 地(「)〽よしさらハつらさハ我にならひけり〳〵。たのめてこぬハ誰かおしへしと詠せしも今身の上に白雲の。遠山まゆのかほはせもなへてならさるけしきかな〳〵〽 〇龍女中入スルト 〇乱上ニテ王出テカラ前へ出ル 臣下詞 ワキ「是と申も我君の賢王のいとくをしらせん為に龍女の姿ヲまのあたりに見奉ルそふしきなる いかに官人 ト云テ呼出ス〕 官人「御前ニ候 〔ワキ「只今の通りを承テ有か〕 同「中々悉ク承て候 〔ワキ「左有ハいそいてたいりへ参り只今の由奏聞し百官ノ内を一人申請て来り候へ〕 同「畏テ候 〔ト云テ正本ニハひとり事有 是ハいらぬ也 然共書テ有故写置也〕 〔(官人「)扨もふしぎ成事かな。当国の池共皆からほりとなつて。大かにも水一てきもなく。雨露のおとづれもたゆれバ。草木ハねをうしなひ。人馬ハちまたにたおれがいこつ道にミてり。然間国中の民なげきてすひりやうすれどもいでず。かなしむ事かぎりなし。君賢王成故民をあわれミ。種々の事のミ有つれども更に其印も見ず。たへてしさいもしれさる間。上官河上へ見せに遣さるゝ所に。龍女ハ美女のかたちとへんじ出て。そうもんしたき事有りという。其子細をとうに。我龍宮せかいにしてゑいぐわのミ有といへども。妻((夫))なけれバ地有りて天なきがごとく。身に思ひあれバわがなすわざにてかすいをとゞむ。とても君せいたひならバ。くんへんの官人一人妻に給れかし。水まん〳〵とため雨露のめくみもあらせ。御国ゆたかに民栄へさせ。くんめい長久に守らんと云寄((奇))特なれば。先々某ハきんないに行。こうりもとけん子細奏聞申せとの御事成間。急参申さうずる。あらうれしや禁中にて候。やがて奏聞申候へし 〇右ノ間ハぬくべし いわず共すむ也〕 (官人)いかに申上候。上官彼河上に行給へバ。竜女出合つまなきくるしミにて。此川をほせバ。君辺の官人の内一人給り候ハゝ。思召まゝに河水を出シ御国豊に守ルべし。奏聞致呉よと申候間。御前近き上くわん達申上られ候へ 〔立衆「暫ク夫に待候へ 奏聞申上ずるにて候〕 官人「心得申候 〔立衆シカ〳〵有テ(「)最前の者有ルカ〕 同「是ニ候 〔立衆「奏聞申て候へハ百官ノ内遣さるべき 水をも出し国土豊に有ル様ニとの御事なり 其分心得候へ〕 同「畏テ候。奏聞申て候へハ。委細聞召て。百官の内を妻にと申ならハ。何(イヅレ)にてもゑらひ出シ龍女の望を御叶へ有り。水をも出して国土の民をもゆたかに有様ニとの御事にて候。其分御心得有ふするにて候 〔〇是ハいとわづれ((いゝはつる))と立衆謡に〕 〔立衆「〽扨も帝の宣旨にハ。龍女ののぞむ百官の内を一人送りつかわすべし朝家をうやまひ国土の民を。あわれむ心有べき仁躰。一人出よとの勅定なり〽 臣「其時百官の内よりすゝみ出て我天下のために身をすてゝ国土ゆたかになすべしと〽いきをとゝのへ駒に乗し。かきりも是や古郷を〽 一セイ〽移り行。ひつじのあゆミひまの駒。名残つきせぬ。心かな〽 上哥〽昔見し雲井を立て芦田鶴の。〳〵。沢辺に鳴や我身なるらむと思ひよるへの水上に。駒をはやめてうつ程に。彼川原にも着しかば〽 女「〽龍女ハよろこひ立あかり。御道しるべ申さんと〽 地「〽いへハふしぎや雨おちて。かミなりさわぎ震動して。俄に洪水ミち〳〵たる。波間を分て馬上をともなひ竜女ハ水底に入にけり〽 〇中入スル〕   同(河水)後ノ間 〔 カイサウノ情((精))五人 内二人して太皷かたげル サガリハニテ出ル ヲモ間ヲンド取ル〕 (中入ノ間 海藻の精たち「)〽此君の。〳〵。おさめし国のためしにハ。山河草木おだやかに。をとせぬ浪の太皷を。いざやさゝげ申さん 此君に捧申さん〽 〔ト云テ正面ノ先ニ置テ云ト有 夫共ニ前方ニ太夫ノ方へ尋ベシ〕 ヲモ「扨も〳〵目出度事でハなひか アト「されはめでたひよ ヲモ「竜女の御座すとハいへ共。おつとのましまさねば某躰迄もわがまゝにして。物毎かたまる事もなきに。此世界の君けん王にて御座有により。上官にも心指深き人あつて。我等がせかいまて思召まゝになるたいこを捧ルでハなひか アト「其通りぢや共 ヲモ「去ル程に此太皷ハ奇特有りて宝となる。その国にことあらんにハうたねどひゞく。つひに龍宮世界にことなくして。悦の浪数々打ともさらにひゞかず。か様にこけむしたるが。弥々此土においてもならぬやうに。こひ太もながらかれいの声を上ケ。いな和哥をあけてとびうをせう アト「一段とめでたひ〳〵 ヲモ「〽あら〳〵めでたや 目出度ハ 七こんまても御肴とて。めしいださるゝ賞翫の品々。うしをにこ((ママ))けいりちかひきりたひとゝろかまぼこ れうさししらなますさしミ。うしのしたたかのは。せひごわにくらげにかつほうほおこぜ。其外鮭鱈ゑいはむさわら。是迄なりと。暇申てていしやうをたちのうほ。いさゝいなんといふなミにいるかも〳〵ミやうきちまいらんと申けり〽 〔地「〽有難や此君の。〳〵。明君のいとくまのあたりかゝるたへなる御宝を。月卿雲閣一同にいさミよろこぶ其声も。雲にひゝきて地にミてり。実たくいなき御影かな〳〵〽 下中〽よろこひの数々を。〳〵。菊の盃とり〳〵に。舞楽をそうしもろともに君もゑひりよのあまりにや。とうめい楽を舞給ふ〽 上同(「)〽舞楽の時節も時過て。〳〵。五更の天もしらミ渡れる御はしの霜もさゑまさる明ほのに〽 カヽル〽ふしきや竜女よりさゝけし太皷。おのれと則めいとうして宮中ひゝき震動せり〽 シテ王「ふしきやな この太皷のなるハふしんなり 急て尋候へ (ワキ)「畏テ候 いかに官人〕  官人「御前ニ候 〔(ワキ)「龍宮より捧し太皷おのれとならバ天下の兵乱あるへきとのをしへ成ルか只今彼太皷おのれとめいとうせり きとくに思召るゝ間急て尋申せとの御事なり 汝ハはしりちつていか様成事か国中に申急尋候へ〕 官人「畏テ候。扨々不思義((議))成事かな。君聖賢なるを民も有難あをぎ奉る上ハ。御国ゆたかにさかゑんずる瑞相成べけれ共。私としてハ申かたし。先々走りめぐりうけ給わらばやと存ル。や何と云ぞ。龍宮より捧たる太皷うたぬに成((鳴))ハ。りん国より此国をとらんと云つげぢや あゝ。夫ハ誠か。何もはや南の門へよせてくるふ((ママ))。是ハいかな事。急で申さう。いかに申上候。仰渡さるゝ通り尋て候へハ。ならびの国より此国をとらふと申〔ス〕瑞相。最早南門までよする由申程に。我等もすミかに帰り支宅((度))を仕らうずるにて候 〔シカ〳〵〕 同「心得申候 〔是ヨリワキ此由帝王へ奏聞スル 地謡有 跡ハ戦也 ちんけいし 〇りう出ル 是ハ竜女ニ遣ス官人也 太皷ノ情((精))出ル〕   ワキ臣下 狂言供して出ル 官人出立 太皷座ニ居テ吉   中入 ノ間カイサウノ情 厚板 袴括り 水衣 腰帯  鱗頭巾 面うそ見徳 ヲモ間ハそばつき 面鼻引 〔太皷ノ事。常ノ太皷ならバ。狂言五人ノ内二人してかたけ出ル。ヲモ間先へ出ル 謡出ス。又〈難波〉ノ造物の通りにする事も有り。其時ハヲモ間造物の太皷を持先へ立出ル。皆々あとに付出ル。一ノ松にておも間謡出ス。尤さかりはの内太皷を正面むけて持ていて。謡しまひて正面へ持出テ直シ。置所ハ〈難波〉の通り 〇常の太皷の時は正面ニ置にくき物也 とかく太夫へ聞合可申候〕   同(四拾八) 同(河水)間 官人「御前ニ候 同「中々(サン候)〔事〕委ク承りテ候 同「畏テ候。いかに奏聞申候 同「大川の河上へ宣旨の臣下ノ御着有所に龍女一人顕れ出て奏聞有(申)度事有て水を留メたる由申候間いか〔ヨウ〕成事そとの御事ニて候へハ彼龍女いまた妻((夫))を持申さす候程に百官の内を一人妻に給ルならハ水をも出し国土の民もゆたかに君あんせんに守ルへしと申され候間急百官の内を一人給れとの臣下よりの奏聞にて候 同「心得申候 同「是ニ候 同「畏テ候 奏聞申て候へハ委細聞召て候 百官の内を妻にと申ならハ何れにてもゑらび出し龍女の望を御叶有り水をも出して国土の民をもゆたかに有様ニとの御事ニて候 其分御心得有うするにて候   同(河水)中入ノ間 〔五人〕 サカリハ(中入ノ間)「納れる。〳〵。御代の印のためしとて。おとせぬなミの太皷を。きミにさゝけ申さん ヲモ「扨面々ハ何と思ふぞ。王宮の姫宮の御祝言ハ。目出度事でハないか アト「其事 御祝言有と聞てあれ共。しかとハしらぬが。子細をしつたらハ語てきかさしめ ヲモ「しらずハ語て聞せう。皆々よふきかしめ。たとへバ龍女の思召にハ。我かたのごとく龍宮【せ】かいの姫宮とハなりぬれども。妻((夫))をもたざる〔コト〕ハふかくなり。いか成者を妻に定めん去りなから。当君の百官の内を一人妻にかたらわんとハ思召せ共。奏聞有べきようなかりしかハ。能々あんし給ひて。いや〳〵とかく大河の用水をとゞめ(ム)ならハ。民百性((姓))のめいわくに成べし。然にをいてハ民をはこくミじひしんの君なれバ。定て河水をお尋なき事有ましい。其時龍女顕れて奏聞して。百官の内を一人妻にかたらうべしと御たくミ有て。大川の用水をはたと御留被成たる間。国土のなやミ以の外成程に。しゆ〴〵さま〴〵の御きとう被(ナ)成(リ)けれ共。何が龍女のわざなれバ其印さらになかりしかハ。大川の〔カハカミ〕水上へ宣旨を蒙り臣下殿御出にて候程に。龍女ハたくミもふけ給いたる事なれハ顕れ出て。河水(〔カミ〕)の水をとゞむる事。我が望有故也と御申候へハ。臣下殿いか成望成とも叶へ申べき。水を出してたび給へと御申候所に。百官の内一人妻ニ給れと申されしかば。臣下殿やがて君へ奏し。百官の内一人妻に被下候へハ。龍女ハ悦ひ其まゝむかいに出給ひて。龍宮へ御供有り御悦ひかぎりなし。是成たいこもきどくじんべんのたいこにて。もしや君ニさわりあらバ。打(ウチ)てもないになり出しんどうする太皷成を。龍女の妻を給りたる其上(ユヘ)に。君ニさゝげ申さるゝに仍テもちて出たり。なんぼうめて度事でハなひか アト「誠にかやうに目出度事ハない程に。いざ面々も酒盛して。慰むまいか。ヲモ「其事ぢや。上々の目出度けれハ〔マタ〕下々もめて度程に。いざさらハ是ニなミいて。酒をのもふ。〔サカモリアリ〕 ヲモ「か程の大酒にいざ面々相舞にもふてかへらう ヲモ「あら〳〵めてたや目でたひハ。〳〵。七こんまくらもお肴とて。召出さるゝしやうくわんのしな〳〵。うしをにこ((ママ))けいりちがいきりたいおしをなます。さしミにすばしりさけたらまても。ゑいけれハ。いざ〴〵さらバいなんとて。ざしきを〔タチウヲ〕たとう。月もせいごにいるかとなれば。〳〵。ミやうきちまいらんとうせにけり 官人「御前ニ候。同「畏テ候。荒寄((奇))特や。今迄何の沙汰のなきにふしき成事を仰出され候。さりながらかやうの事ハ一大事にて候間。何方へ〔参らう 国中へ〕参らうぞ。いや何と申ぞ。〔夫ハマコトカ サレハコソ〕急て申上う。いかに奏聞申候。国中をはしりまわりて聞申て候へハ。りんこくのちんせ((ママ))いしと申者。此国をとらうずると申て。大ぜいにて南門よりをしいらんとの事。いづれも此さたかくれなく候 〔右ノあしらい一通り前方より家元ニモ有り 官人前後ノ詞ハ上懸謡本ニモ有り 中入ノ間ハ謡本ニハなし さかりはの謡斗有之候 然共謡に違有り 写シ置也〕 〔〇此君の。〳〵。おさめし国のためしにハ。山川草木おだやかに。おとせぬ波の太鼓を。いざやさゝけ申さん 此君にさゝけ申さん〕 〔○他流ニテハ一人して云事モ有り 雷上ニテ出 尤〈難波〉通りニ太皷持テ出テ太皷座ニ置テ立間ヲ云テ扨太皷を持テ出置所を〈難波〉ノ通り二三度も云テ正へ置テ〇(中入ノ間「)先太皷ハ置すまいた か様之目出度折からに是迄出テたゝ帰ルハいかゝな 一曲かなてゝ帰らばやと存ル と云テ和哥を上ル (中入ノ間「)目出度かりける時とかや 三段舞有 (中入の間「)あら〳〵めでたや〳〵な。納ル御代のしるしとて。浪も音なき太皷をさゝげ。是迄なりとて海草の情((精))ハ。〳〵。本の海中に入りにけり 〇間ノ名乗も(中入の間「)龍宮界に仕へ申海草の情((精))ニテ候 ト云ナリ〕   四拾九 池贄 〔シテ出テ次第過テ名乗 (シテ)「か様ニ候者ハ都方ニ住居仕ル者ニテ候 扨も某いか成宿縁ニや次第〳〵におとろへ都の住居もかなひかたく候間東の方に知人の候を頼妻を伴い只今東の奥へと急候 道行過テ (シテ・ツレ「)〽から衣きつゝなれしと詠しけむ。三川に渡す八橋の。くもてに物を思へとや。猶行末も遠江。はてなき旅を駿河なる吉原の宿に着にけり〳〵〽〕 〔シテ詞シカ〳〵 (シテ「)案内申候〕 (初間 宿「)案内とは誰にて渡り候そ 〔シテ「旅の者ニて候 宿ヲ御借候へ〕 (初間 宿「)何と宿をからせたひと仰候か。安間の事 頓テ奥の間へ御通り候へ 〔老人夫婦女ノ子ヲつれて来ル〕 (初間 宿「)見申せハ足弱衆を御供にて候。殊におさなき人も御入候か。是ハ何国より何方へ御通り被成候ぞ 〔シテ「是ハ都方より人を頼テ下り候〕 (初間 宿)「夫ハはるばるの旅にて候。緩々と御くつろき候へや。や思ひ出して候。明日ハ冨士の犠(イケニヘ)ニテ候。急で此由申さう。いかに申候。我等はたと失念してお宿を参らせて候。明日ハ冨士の御神事にて生贄と申て。冨士の御池へ人を備申候が。此宿に伯((泊))り為((た))ル旅人に鬮をとらせて。一の鬮を取たる人を贄に備申候。夜中に成共御立有れかしと存候 〔シテ「あらうれしや候。更ハ急て罷立候べし シカ〳〵有事モ有り〕 (初間 宿)「さん候 旅人の役にて候。何方へ成共早々御出候へ 〔シカ〳〵〕 (初間 宿)「尤にて候。さらバ此方へ御出候え。此通りを急で御出候へや 〔三人共ニのく也 其時神主出テ案内云事も有り 狂言(「)誰にて渡り候そ と云 ワキ(「)老人夫婦か見へぬ と云テせんさくをする」 (狂言)「最早立ていかれまして御座る 〔ワキ「言語同((道))断にくき事也 急ておつかけ候へ〕 (初間 宿)「畏テ候 〔ト云追懸ル 扨追付テ老人夫婦へ云〕 (初間 宿「)いかに申候。神主殿御用の有間。急御帰り候へ 〔ワキシテトシカ〳〵有テ 地「〽中有黄泉の罪人の。呵責のせ〔メ〕もかくやらんと。思ひ白露の。消るはかりの心かな 是や屠所に趣ける。ひつしの歩ミ程もなく。涙と共に行程に。ふしの御池に着にけり〳〵〽 ワキ「〽扨ふしの御池につきしかは。神主を始祢宜や乙女。神楽おのこに至ルまて。御池のあたりに座列せり〽 地「〽贄の御くじハひとつなれ共。若我にてや有へきと。思ふ人数ハ数百人〽 ワキ「〽胸をいたき手を握り〽 地(「)〽色をうしなひ〽 ワキ「〽肝をけす〽 地「〽誰身の上と白雪の深ぞ頼む氏の神。守せ給へと手を合せきせい申けり〽 ワキ「〽神主頓て立あかり。〳〵。御鬮の箱のふたをあけ。諸人にとらせ数を見る〽 地(「)〽数の人々残りなく。みくしを取て立帰り。披きて見れは一のくし。なきハ悦ふ其中に。因果ふひんハ是かとよ 旅人の姫取当り。臥まろひてぞ泣居たり〳〵〽 〇狂言くしをとりて〕 (初間 宿)「是でもなひ。〳〵。〔ト云テひとり〳〵にミる 老人夫婦をあとに見て〕 (初間 宿「)此内にハ一人も御座なく候 〔ワキ「旅人ハ三人有ルカ鬮ハ二ツ出て有ぞ あの旅人の中に今一つのくじを出せと申候へ〕 (初間 宿)「誠に失念仕候。姫の鬮を見不申候 〔ト云テミて〕 (初間 宿「)此姫に極りて候 〔ト云ト老人夫婦謡 シカ〳〵 なげく〕 〔地(「)〽ふしの煙のうへもなき思ひや我に替らん 実わかれこそ悲しけれ〽 上哥〽歎きにハ如何成花の咲やらん。〳〵。身となりてこそ。思ひしらるれと詠せし人の心も今身の上と哀なり。きせんくんじゆハ是を見て。実ことハりや父母の。思ひハさこそとゆふ露の袖をしほりて諸共に。歎きあひたるけしきかな〳〵〽〕 〔ワキ(「)急て人ぶくを備候へ〕 (狂言)「畏テ候 〔ト云テ姫を台ノ上に上ル〕 〔夫ヨリワキのつと有リ 地へ取テ謡有リテ 上地(「)〽あれ〳〵見よや御池の面。〳〵。さゝ波立て水うずまき。風ふきあれて。あけのそほ舟をのれと沖に。ゆられ行ハ父母あれはと舟をしたへハ姫も互に名残をおしミ。まねけバまねく。風情ハさなから松浦さよひめかくやらんと。汀にひれふし泣居たり〽〕   同(池贄)後ノ間 〔乱序又ハ出端ニテモ〕 (中入ノ間 大蛇)「か様に候者ハ。冨士の御池に年久敷住大蛇成り。只今是へ出ル事余の義に非ず。今月今日ハ冨士権現より。我等生贄をあたへ給ふ程に。丸呑に致さふと存て罷出て候が。定て贄を備へぬ事ハ有舞と存ル。扨も〳〵嬉しひ事かな。今日の御神事を待兼て御座有ル。やう〳〵池贄の時分になりて候が。何者を備へて御座有ルぞ。急でのもふと存ルが一段と面白ひ事ぢや。備へたかしらぬよ。されバこそ生贄を舟に乗せておし出したハ。やれ〳〵嬉しや のふでくれうぞ。いやよう見れば〔アレハ〕未をさなひ者で有が。さりながらあれをあらけなふのうづなどして。きばにあててハかわいゝ事じや。唯丸のミに致ふ。さらバ頭から呑ふか。あゝ。いや〳〵かわひさうに足から呑ふてくれう。夫もかわいゝ事じや。どこからのまふぞ 飲((呑))所がなひ。唯ねぶり飲にする〳〵とのまふ。わん。やあ〳〵何と云ぞ。日の御子の神を御使として。只今の池贄をバおたすけ被成るゝ程に。なのふぞとの事にて有と申か。いやそれハ誠か。言語道断の事を致た。飲ふでくれう物を。何角とあせらかひて呑そこなふた。扨も残りをゝひ事哉。唯一口に呑ふでくれう物を。じやうだんが過て沙汰のかぎりを致た。いや〳〵然どもの〔モ〕ふづなどしてから。権現よりしかられてハ成まひ。飲ぬがましぢや(ニナツタ)。定て此分でハ有まい。我等にハ別の贄を給る事も有う程に。くるしからぬ事じや。誠に此人ハ我等が呑そこなふた程に。猶々寿命じやうおんに有うずる事ハ疑ひなし。さあらば先此大蛇ハひつこもふ 謡あら〳〵残りおふくもたすかる生贄や。〳〵とて。大蛇ハ見置御池の底に。ざんぶと沈ンで。渦にまかれてうせにけり。あゝしなひたり〳〵   初間宿 長上下ニテモ狂言上下ニテモ   中入 ノ間大蛇也 昔ハ厚板狂言袴括ル はつひそばつきの内 腰帯 龍立かふり 赤頭 面黒髭ト有り      今ハ厚板 狂言袴括り はつひの肩ヲ取リ 腰帯 赤頭 龍立 面ハ不悪 〔〇此通リノアシライ有 (初間 宿)「誰にて渡り候ぞ (初間 宿)「安間の事 こう〳〵御通り候へ (初間 宿)「見申せバ足よハしうを御供にて候。殊におさなき人も御入り候か。是ハ何国より何方へ御通り被成候そ。(初間 宿)「夫ハはる〴〵の旅ニて候。緩々と御くつろき候へや〕 〔〇扨ワキ出ル 社人也 (ワキ「)池贄へ人ぶくを今夜の旅人の内ニテ致せ ト云 狂言(「)心得申候 ト云テ。旅人へ其段を云。扨老人夫婦へ其通ヲ云テ。狂言脇へのいて。(初間 宿「)扨々いたわしき事ぢや。三人の内ニ見れバおさない上臈をともなひ御座す。しぜん三人の内へ一人ぐし((ママ))を取あたりたらハ。いたわしき事にて候間のけ申さうずる。ト云テ老人夫婦へ。(初間 宿「)いかに申候。はつたとしつねんしておやとを参らせて候。明日ハふじの御神事ニていけにへと申て。ふじの御池へ人をそなへ申候が。此宿ニ伯((泊))りたる旅人にくじをとらせて。一のくじを取たる人をにへに備へ申候。夜中ニ成共御立あれかしと存候。さん候 旅人の役ニて候間。何方へ成共はや御のき候へ〕 〔〇是ハ上懸ノ謡本ニ有写 (初間 宿)「誰にて渡り候そ (初間 宿)「宿と仰候か 此方へ御入候へ。いかに申候。旅人ハいづくより御下り候ぞ (初間 宿)「荒いたわしや候。又ひそかに申へき事の候。今や此宿に御伯((泊))り候人ハ。明日ふしの御池の。贄の御くじに御出なくてハ叶ハぬ事にて候間。御いたわしく存か様ニ申候。夜の中に此宿を御通り候へ。是ハ我等か内証ニて申候ぞ。とう〳〵御立候へ ワキ「いかに誰か有ル ●トモ「御前ニ候 ワキ「今夜此宿ニ旅人が三人伯((泊))りて候が。やちうに立たる由申候。急でとゞめ候へ ●「畏テ候。いかにあれ成旅人御留り候へ シテ「此方の事にて候か ●「中々の事 シテ「何とて御とゞめ候やらん。其謂が承り度候 ●「実々御存知なきハ御理りニて候。当所にをいて。毎年ふじの御池贄の御神事御座候。則今日ニ相当りて候間。御神事に御あひ候へとよ シテ「委細承候。たとへハ其所の神事なとをハ。其郷につらなれ又ハ其生れ氏人なとこそ。御神事にあふ事ニて候へバ。行衛も知ぬ旅人が。在所に伯りたれハとて御神事にあふべき事。更に心えがとう候 ●「いや〳〵いかに仰候共叶候まじ 〇ワキシテ詞有テカケ合謡に ワキ「〽神主宮人すゝむれハ〽 母ヒメ「〽いかゝハせんと母や姫ハ。父の袂にすがりつけば〽 シテ「〽父もいひやる方もなく。只ぼうせんとあきれいたり〽 ワキ「〽かくやすらいて叶ましと。三人の中をおしわけて〽 トモ●「〽先に追立行有様〽 ワキ「〽物に能々たとふれハ〽 地(「)〽中有黄泉の罪人〽 段々謡 夫よりワキト地カケ合有リテ地謡過テ ワキ「旅人ハ三人有がくじハ二つ出て有ぞ 今一つのくじを御出しあれと申候へ トモ●「畏テ候。いかに旅人へ申候。三人御座候かくじハ二つ出て候。今一つのくじを御出しあれと。神主殿より仰られ候 シテ「いやはやこと〴〵く参らせて候 トモ●「いやおさない人のくじが出申さぬ 実々されバこそ 是ニ候。や。しかも一のくじにて候よ〕 〔右ハ謡本ノ内 是ニテハ初ノ宿斗狂言ニテ後ニワキ出ル時ハ供にワキツレ出ルか 但シ狂言宿ノ外ニ供して出ルか 尋べし〕 〔〇此アシライ有 ヤト「案内とハ誰にて渡り候そ (ヤト)「安事 こう〳〵御通り候へ。旅人ハいづくよりいつ方へお通り有ぞ (ヤト)「あらいたわしや。当所の大法を御存じなきと見へて候。今や此宿にお伯((泊))り有方ハ。明日ふじの御池のにへに。そのふるみくじに御出なくてハ不叶。餘り御いたわしけれバしらせ申程に。あすハよの内に此宿を御立候へ。是ハ身共が心さしの内せうにて候ぞ。とう〳〵御立候へ。 (ヤト)「誰にて渡り候そ (ヤト)「中々りよ人の候へつるが。夜の(半)内(に)たゝれて候よ〕 〔トモ「御前ニ候 (トモ)「畏テ候。いかにあれ成旅人御とまり候へ (トモ)「中々とまられ候へ。誠に御存じなきハことわり。けふふじの御池のにへの御神事。毎年かれい成に御あひ候事。天ハいつわりなし。うんにまかせられ候に御とまり候へ (トモ)「いや〳〵何と仰候共。叶わぬ事に心のこさずとも。はやくあゆまれ候へ (トモ)「御前ニ候 (トモ)「畏テ候。いつものことく旅人ハたび人。じげ人(ニン)ハ地下人とならバれ候へ (トモ)「さらバ先じげ人のくじを給り候へ。くじにはづれ是ニてハなく候。め出度〳〵 急で申上う。いかに申上候。当年ハ地下人くじにはづれられて候 (トモ)「旅人もくじにはづれられて候よ (トモ)「中々三人にて候 (トモ)「畏テ候。仰らるれハそうじや。扨ぶねんな事かな。いかに旅人へ申。その方達ハ三人 くしハ二ツ出たれバ。今一ツ出され候へ (トモ)「あらしやうしや。是にひめの一ツもたれて候 (トモ)「なむさんぼう。しかも一のくじじや (トモ)「心得申テ候。あらいたわしや たゝれ候へ。何事も前々の事と思ひきり。此上にのられ候へ。いかに申上候。ひめをバ舟の上にのせ申て候〕 〔〇同(池贄)中入ノ間 (中入ノ間 大蛇)「是ハ冨士の御池に年久敷住大蛇で御座る。某是へ罷出ル事別の義にあらず。毎((ママ))生贄の神事とて。人身ごくがそなわるに。其人の五躰をハ我等ごときの大蛇共。番に当り一代に一度つゝぶくする。当年ハ某が番ニて候間。罷出ぶく仕らはやと存ル。どこもとにそなへたるぞしらぬ事じや。はあにおふよ〳〵。さればこそ是に有。扨も〳〵某ハふのわるい者かな。いつもハ大きにこゑた物そうなが。ことしハうつくしいひめじや。あれをくうハいたわしいか何とせうぞ。くうまい。いや〳〵今くわずハ又いつが番にまわらふ。たゞくわふ。さらハとてもの事にひやうしにかゝつてくわふ。ちいさうハあれともほねハやわらかそふなよ。くわふよ〳〵。あたまからくわふか。足からくわふか。手から先くわふか。かたぼねからくわふか。一口にくわふか。二口にくわふか。三口にくわふよ。〳〵。あらおそろしや。神々の御かげがさして。神かぜがふく。のふさむや。〳〵。ふじおろしが身にしミた。〳〵〕    右ノ間ハ寛永廿年七月吉日大鷺仁右衛門弟子酒井彦右衛門書物ヲ写 〔〇扨大蛇(「)姫をくわふ と云時シテ冨士権現ノ御使日ノ御子ノ神出ル也。其時鬼ハキモヲツブシ台の脇へ隠るゝなり。それよりシテトたゝかいてにくる事もあり〕 〔〇大蛇シテノ出ル前ニ。(「)合点ノゆかぬ気色じや と云テ。のくも有り〕 〔〇(大蛇「)あら〳〵不思義((議))にたすかる贄や。思へバをしき池贄やとて。名残ハつきせすかれを見置き。大蛇ハ深淵にいらんとて。浪を蹴立。渦にまかれ池水の底にぞ入にける〕   五拾 菊慈童 〔〈菊水〉〕 〔大臣名乗「抑是ハ唐魏ノ文帝ニ仕へ奉ル臣下也 扨も此君七歳ニテ御即位有 当年拾五歳ニならせ給ひ候 賢王ニテ座ス間吹風枝をならさす民戸指を忘れ誠に目出度御代ニテ御座候 去程に山々の仙人共出て仕へ申候 今日も来ぬ事ハ候まし 尋はやと存候 いかに誰か有ル〕 (初ノ間 官人)「御前ニ候 〔大臣シカ〳〵〕 (初ノ間 官人)「畏テ候 〔一セイニテシテ出ル 謡 サシ 詞 上哥過テ(シテ「)いかに奏聞申候〕 (初ノ間 官人)「奏聞とハ誰にて渡り候そ 〔シテシカ〳〵有〕 (初ノ間 官人)「委細心得テ候 〔桶ヲ請取〕 夫に暫ク御待候え。 〔桶ヲワキノ方へ持テ行〕 (初ノ間 官人「)いかに申上候。酈縣山より菊水を持て参りて候 〔大臣(「)此方ヘト申候へ〕 (初ノ間 官人)「畏テ候。最前の人の渡り候か (初ノ間 官人)「庭上へ参られ候へ 〔是ヨリシテワキ詞有テ 上哥 地取 サシ 曲舞〕 〔大臣「実有難菊水の謂を聞クこそ目出たけれ 同しくハてつけん山に行幸なりはうそか仙家の菊水を急ゑひらん有へきなり シテ「今ハ何をか包べき はうそか仙家の菊水を我が君にさづけ奉り。〽御遊をもてなし申へし〽 地同(「)〽いとま申て帰るなり。〳〵。君のよわひハ久堅の。雲の上にて見る菊の。花の枝を折そへて。あかる夕空の。星も照そふ白菊の。てつけん山に帰りけり てつけんの山にかへりけり〽〕   同(菊慈童)後ノ間 (中入ノ間 官人)「抑是ハ魏文帝に仕へ奉ル官人にて候。扨も我が君賢王ニ座スにより。五日の風十日の雨おだやかにして。政事たたしう座スにより。国土萬民悦申事数かぎり御座なく候。誠に聖人の御代にハ仙人も山より出ルと申が。夫ニ就目出度事の候。以徃((いにしえ))周の穆王の召仕ハれし慈童と申者。餘り王位に叶ひ申を臣下大臣そねミ申され〔テツケン山ニ流サレタルガ〕我七百歳をたもち仙人と成ル事。穆王に告の子細有ツテ。八匹の駒に乗り。霊鷲山に至り釈尊にまみへ。普門品の二句の偈〔ヲ〕直ニ授り給ひ。毎日〔○((朱))〕おこたらず〔○次((朱))〕おこなひ給ふ〔ヲ〕。我等も君の御形見と存ジ。毎朝おこたらず菊の葉に書付となへ申せバ。いつとなく七百歳をたもち。又酈縣山の麓(フモトニ)南陽嶮(ナンヤウケン)と云所有。彼里へ酈縣山よりつゞく河有り。此川の辺にて菊の流を用ル人ハ。寿命長穏成由申せハ。餘りに奇特成ル事とて。君南陽嶮へ御幸被成。仙人の住家を叡覧有べきとの御事なり。相構て其分心得候へ〳〵   初ノ 間官人 厚板 そばつぎ 狂言袴脚絆ニテ括ル 腰帯 官人頭巾    中入ノ間出立同前 但シ髭ヲ懸ル 唐扇か団持出ル 〔(中入ノ間 官人「)扨も〳〵御代目出度御座すニより。菊水をさゝぐる仙人有。此仁ハ周穆王ノ御時仕へ人数五百中に。慈童と云テ王位に叶ひ。其知恵常ならず万事不足なき者の有つるが。有時あやまつて。君の御枕をこゆる。此事禁門に隠なけれハ。臣下大臣せんぎ有つテ。てつけん山へるざひせらる。其山こそあらしはげしふして音すさまじく。物の住べき所にてハなきに。臣下大臣同意して。つミのおもきにまかせかのやまへ流す。帝あわれミ給ひ観音ほんの二句のげを被下るゝ。てつけん山ハ菊のもりたる山なれハ。其葉に書付て毎日おこのふ。其故にやいつとなく七百才をたもち。寿命ちやうをんに年もよらず。元の姿にてみづ〳〵とみゆる。かるがゆへ此きくのしたゝりくむ者のむ人ハいふまでもなく。長久にさかへ姿も餘りかわらず調法成薬水。今ハぢどうと云名をかへて彭祖と改む。帝せいけんニておわしますをよろこび菊水を持てさんじ。此水を聞しめされ七百歳をたもち。いよ〳〵民をあわれミ給へとて来る。夫ニ付君もせいりやうでんまで御幸有間。絃見((管弦))の役者不残急で出られ候へ。其分心得候へ〳〵〕   五拾一 佐々木 〔〈馬乞佐々木〉〕 〔頼朝「いかに佐々木 木曽か狼藉をしつめん為皆西海ニ指遣シテ有に何とてたかつなハおくれて有ぞ シテ「仰畏テ承候 只今出仕申事余のきにあらず あの一のつほうたつたるいけずきの所望にて出仕申て候 〇是より頼朝の詞有 シテト詞余程有り長シ (頼朝「)はや〳〵生食とらするぞ 地(「)〽御諚の下に高綱ハ。〳〵。彼生食をひかせつゝ。いさむ心は有なから。かくてうらミを春駒の。いさミをなしてのぼりけり いさミをなしてのほりけり〽 中入間出ル〕 (シテノ供「)是ハ近江源氏の大将佐々木ノ四郎高綱ノ御内ニ仕へ申者ニテ候。然ハ信濃国木曽義仲ハ。鎌倉殿ノ御代官として侈ル人数を亡シ給ひ。今ハこふよと思召候て。餘りにほしきまゝ成御振舞にて御座候。然ハ僉義まち〳〵にて。鎌倉へ宣使を御立被成。急頼朝に御上落((洛))有り天下を御しづめあれとの御事ニ候。然共頼朝殿ハ上落もなく。御代官として蒲ノ御曹子範頼九郎御曹子義経。其勢弐万余騎ニテ御登り被成。去程に梶原(カジハラドノ)の仰にハ。いや〳〵此度都へ御登り被成候へバ。宇治瀬田ノ橋をハヅシ乱(ラン)杭(グイ)をうたぬ事ハ有間敷候。然らバ面々乗たる馬共よわくてハ叶間敷と思召。頼朝ニ生唼(イケヅキ)と申御馬の御座候を御所望被成候。生唼をバ給わらずする墨と申御馬を給り候。其後佐々木殿御暇乞に被参候へハ。何と思召候やらん生唼を給り候。佐々木殿ハ時の面目と思召其まゝ御登り被成候。去程に面々乗給ひたる御馬。強クたくましき御馬どもにて候まゝ。少々の馬家にてハ引やぶり候べし。先我等ごときの者ハ急先へ参候て。強き馬家の御座候ハヽ取り申せとの御事にて御座候間。各々其分心得候へ〳〵 〔一セイ ワキ「〽扨も源太ハするすミをひかせこたかき所に駒かけあけ。前後をはるかに見渡せとも。するすミにます馬なけれバ。心も空にうき嶋か原。名をもあくへき。ふしおろし〽 シテ「〽高綱も生唼をひかせて。さもしつ〳〵とのほり馬の足柄箱根あけぬに。はやこへ海山ふたつ。夜を日に駿河の浮嶋か原に。さきたつ勢にそ追付たる〽 〇爰ニテシテノ供狂言馬ノいなゝくまねをする〕 〔ワキ「いかに誰か有ル〕 ワキノ供「御前ニ候 〔ワキ「只今のいばい声ハまさしくいけづきかいばひこへなり いか様成者の給りたるそ 尋来り候へ〕 ワキノ供「畏テ候。いかに申。只今のいばひ声ハ。慥に生唼がゐばひ声ぢやときいたが。いづくの程にて候ぞ シテノ供「中々生食がいばひ声にて候。是ハ佐々木殿の申請じやとおしやれ ワキ供「心得て候。佐々木殿の申請られ。是へ御参ぢやと申候 〔ワキ「佐々木名字も数多有へし いつれのさゝきか給わつたると重て尋候へ〕 ワキノ供「畏テ候。佐々木名字ハ数多有が。いづれの佐々木殿にて候ぞ 〔シテ「佐々木の四郎高綱か給りたると申 ちともくるしかるましきそ〕 ワキノ供「畏テ候。佐々木の中にても。高綱の御乗じやと申候 〔ワキ「佐々木にあいて物一言いはん 其分心得候へ〕 ワキノ供「尤にて候 〔ワキシカ〳〵〕 ワキノ供「中々の事  〔ワキ「いかに佐々木殿か めつらしう候 シテ「源太殿か めつらしう候 ワキ「荒浦山しの生食や候 シテ「あゝよくかましや 生食にましたるするすミハ候 〇是よりたがいに詞多シ 切うたひ〕   シテ供 狂言上下 小サ刀 腰帯 太刀持    ワキノ供 狂言出立同前 〔謡本ニハ〇(ワキノ供「)いかに申候。只今の嘶声ハ生食がいばひ声にて有が。いか様成人の給りにて候ぞ シテ「さゝきが給りて候 (ワキノ供)「心得て候。尋申て候へバ。さゝ木殿の御給りと申候 ワキ「さゝき名字も数多有べし。いづれのさゝ木が給わつたるぞ。重て尋候へ (ワキノ供)「畏テ候。さゝ木名字も数多有べし。何(イツレ)のさゝき殿の御給りにて候ぞ シテ「佐々木の四郎高綱か給りたると申せ。ちともくるしかるまじきぞ (ワキノ供)「心得申候。佐々木の四郎高綱の御給りにて候 ワキ「さゝきにあひて物一言いはん 其分心得候へ (ワキノ供)「畏テ候〕    五拾二 大世太子 〔大臣「抑是ハ天竺波羅門((内))国の帝太施太子ニ仕へ奉ル臣下なり 扨も我君国土の貧成事を歎き給ひ梵天にきせひし給へハ龍宮の宝如意宝珠を此太子にあたへ給ふ 則此玉宮中におさまつてより七珍万宝みち〳〵たり 急辻々に高札を立て貧成民に参れと勅諚を蒙り只今宝をあたへ候 いかに誰か有る〕 (初ノ間)「御前ニ候 〔大臣シカ〳〵〕 (初ノ間)「畏テ候。皆々承り候へ 〔○((朱))〕有難き事かな 堅((賢))帝の御代なれバ。民のおとろへたるを不便に思召し。忝も帝梵天に向ひ御祈候へば。清王の御本心顕て。帝釈天王より宝珠を送り給ふ。彼玉にむかつてほしき物を乞に。いうより早ク出れば悦給ひ。万物を出し民にあたえ。何事成共望を叶へんとの御事なれば。上中下官に至まて触申せとの仰なれバ。急ぎ高札を上ケ其触をなさばやと存ル。いかに面々承候へ 〔○次((朱))〕此比民のおとろへたるぎ帝王不便に思召れ。帝釈天に祈給へハ。御心指深き有様目前ニ顕れ。天より宝珠降下ル。其玉を玉殿ニすへ置れ。夫々の望物をこひて。民に給ルべきとの御事成ぞ。其外何事成共。望あらハ恐ず罷出て申上候え。其分心得候へ〳〵 〔触皆云テハ長シ 丸ノ印ヨリ跡を云テヨシ〕 〔次第ニテ出ル サシ 上哥過テ詞有 又一セイ 二句 サシ 上哥詞有 シテワキツレ謡有テ地へ取 謡 又ワキ詞女詞有リテカケ合謡有りテ中入前ノ謡 (地「)〽御かきをとりて玉殿の。〳〵。きさはしをあがりつゝ。きんさをあけてちやうとのけ。御戸をひらけハ有難や。五色のひかりかゝやきて。光明かくやくと玉ハあらわれおわします。化女ハよろこび立よりて。つくづくと見る玉のひかりもくらくなるやらんと。見る人のめをくら目こハそもいかに鳴神の。稲妻のことくとび入て。玉を衣に引かくし行〔ク〕と見れハ庭上に。水をたゝへて浪をたて。龍女ハ我と云捨テ。跡しら波となりにけり〳〵〽〕   同(大世太子)後間 (後ノ間)「か様に候者ハ。天竺原内(ハラナ)国大施太子に仕へ申官人にて候。此君民の貧(ヒンク)を(ヲ)救(ヲンスイ)ひ候わん為。天道に御祈誓候へハ。天より如意宝珠をあたゑ御申候。則宮中に納メ置給ひ。七珍万宝あつまり申候間。民百性((姓))にあたゑ給わんとの高札を御打候所。((ママ))に女性一人来り宝珠を見度由望申候ニ付。則拝せられ候へバ彼玉を盗取テ候間。梵天帝釈おかたらひ。龍宮をしたがへ給わんとの御事にて候ぞ。皆々其分心得候へ〳〵   初ノ間 官人出立   後ノ間 一人ニテモ二人ニテモ 出立官人也 〔二人間ニして語ル時 ヲモ「ふしや。しやあしゆじや〳〵 いやそちハきいたか アト「何共しらぬ ヲモ「其事じや。珍敷からぬ事なれど。当くんハせいけんにておわしますゆへ。民をあわれミ給ひ。梵天に御いのり有所に。帝釈天より女((如))意宝珠をくたし給ふ。彼玉にもん有 ほしき物をこふに。いふよりはやく出るによりて。其玉を玉殿にすへおき。色々かつごうあつて。宝物をこひ出し民に給る所に。女一人のこりていゝしハ。我ハ宝の望にあらず。ねがわくハ其玉を一目拝し度とのぞむ。臣下上官のいわるゝハ。やすきのぞミなれ共ほうとうにこめをき七ゑにやうらくをかけはたけまんをつくり帝王毎日かつごう有事なれハ中々叶ふましきと有し程に彼女のいひけるハりんげんハあせのごとく出て二度かへらさる事ハいつわりとなげく 左有ニよりせひなくおかませ給ふ所に彼玉をおつとり行方しらずうせたがふしきな事でハなひか。アト「扨ハ其事て有うず 龍宮へうばい取ル程に又たひしやくてんに御いのり有テ二度取返し給ふといふ程ににやうたやうにこひ我等ていハ帝釈のけんぞくへ成共いのらふ ヲモ「尤じや それならバこひ したくをせう こひ〳〵〕 〔〇中入ノ後ニ大臣喚出ス事モ有リ 初ノ間太皷座ニ待テイテ後ニ出ル〕 (初ノ間)「御前ニ候 〔臣下シカ〳〵〕 (初ノ間)「畏テ候。供物を悉く調へ申て候 〔云合次第也〕   五拾三 桜間 〔シテ「是ハ阿波ノ国ノ住人桜間の助義遠ニて候 扨も頼朝の舎弟九郎判官当国勝浦に舟をよせ某か舘を責めらるべき由注進仕候間家子若とうを集メ此事を談合せばやと存候 いかに誰か有ル〕 (太刀持)「御前ニ候 〔シテシカ〳〵〕 (太刀持)「畏テ候。皆々承り候へ。判官殿此所へ御着にて候間。ゐぞ((ママ))き押よせ討捕申せとの御事なり。構て其分心得候へ〳〵 〔此呼出シ有事も有り 又無事ニ有ル 云合ニ尋へし 有時ハ触テ太皷座ニイル 中入ニ供していルナリ〕 〔シテ「いかに面々聞給へ 頼朝の舎弟九郎判官当国勝浦に押渡り某か舘をせむへき由注進仕候 面々何と思ひ給ふぞ ツレ「御諚畏テ承候 是ハ名大将の御事ニて候程に無勢ニてハ叶ふ間敷候間ひとまづ御ひらきあれかしと存候 シテ「いや〳〵討てハ叶わすハ腹切ル迄にてこそ候へ 此思案ハのく事ハ有まし ツレ「此義尤と皆一同すれハ シテ「其時桜間よろこひて 地同「〽いそぎ用意をなすへしと。〳〵。座敷をたつて各ハ私宅にこそは。帰りけれ〳〵〽〕   同(桜間)後ノ間〔二人〕 ヲモ「きいたか〳〵 〔ト云テ走ツテ出ル アト(「)何事じや〳〵 ト云テ出ル〕 ヲモ「荒ぬかつたものぢやな。様子を語て聞せう 〔アト常通りのあいさつをする〕 ヲモ「扨も頼朝の御舎弟九郎判官。平家を退治有て矢嶌の浦へ趣((赴))給ふ。当国勝浦に舟をよせ。桜間の舘(タチ)を攻落シ。八嶋の門出にせんとて中々夥敷い事じや。桜間此由を聞テ寄((ママ))より若とうを集メ談合被遊。各々被申ルヽハ〔是ハ〕名大将なり。其上無勢なれバひとまづ御引候へと被申ルヽ。桜間聞召テいや〳〵〔矢〕ひとすじいわ(イ)では叶ふまじい義と有て。急ぎ御拵ぢや。此よし皆々へ相触いとの御事し゛や((ママ))ハ アト「はて扨夫ハにが〳〵敷事が出来たなあ ヲモ「其通りじや。さあらバ身共ハ此様に触う アト「よからふ ヲモ「皆々承り候へ。頼朝の舎弟九郎判官。当国勝浦に船をよせ。桜間の舘を御攻被成候。何も年寄若きによらず。ろうじやう仕れとの御事ニて候。其分心得候へ〳〵   シテ ノ供太刀持 狂言上下 小サ刀さス 又アシライいらぬ事も有り   中入 ノ間二人 狂言上下 右ノ肩ヲぬく 袴括ル 小サ刀 竹杖 アトハかたぬかすニ杖もなし 袴括らす   五拾四 鈴鹿 〔〈巌洞〉〕 〔一セイ立衆ワキカヽル (ワキ「)抑是ハ坂ノ上ノ田村丸とハ我事也 扨も勢州鈴鹿山けしやうの鬼女籠居テ関ハなけれ共安からず候 〇立衆謡 上哥 〇女サシ (女「)〽山遠してハ雲かうかくのあとをうづミ松寒してハ風旅人の夢をやふる あら物すこのけしきやな〽〕 〔ワキ「如何に誰か有ル〕 (初ノ間 供)「御前ニ候 〔ワキ「あれに見へたる女をつれて来り候へ〕 (初ノ間 供)「畏テ候 いかに是成女性。大将の被召候間。急で御入候え 〔女「いやはゝかりにて候〕 (初ノ間 供)「いや〳〵くるしからず。唯御入候へ 〔ワキ詞 女詞有 地謡〕   同(鈴鹿)後ノ間 (後ノ間 眷属)「か様に候者ハ。高丸の鬼神に仕へ申眷属の者ニテ候。扨も田村の五郎としなり。二百余騎にて此三年が間御在陳((陣))にて。我等親方の一大事にて候。先此としなりと申ハ代々武辺の家にて。はくぶをとししげの将軍と申すハ。としひとの将軍奥州せつくのこをり。田村の郷にてもふけ給ふに依て田村と申候。奥州より都迄三日に京着被成たる間。いか成神の化身ぞと皆々ふしん申候。又田村の御はかせをそやわうと申御釼ンにて御座候。又鈴鹿姫と申ハ立烏帽子と申鬼神にて候。田村と夫婦にて候えども。今ハはや鬼神(〔キシジン〕)〔遂心〕と見へ申候程に。赤頭の四郎殿御運(コウン)ノつきたる故と存シ。はや面々の身の上迄〔イチ〕大事ニ極り候間。眷属をも喚出し欠落の用意致さうずる間。皆々其分心得候へ〳〵   初間 ワキノ供太刀持也 狂言上下   中入 ノ間 厚板 そばつき 狂言袴括ル 腰帯 官人頭巾 面見徳 杖   五拾五 小環 (初間 女)「罷出たる者ハ。豊後の国片山里に住居する女ニテ候。わらハ姫を一人持参らせつるが。最早成人ゐたすに付いて。別に家を造り置申所に。何国共しらず人の通ふ由きひて驚入て御座ル。人ハ筋なき事ハ沙汰せぬ物なれば。とかく姫を呼出シ委ク尋ばやと存ル 〔ト云テ幕ノ方見て〕 いかに姫の渡り候か 〔ヒメ「何事ニて候そ〕 唯今呼出ス事余のきではなひ。そなたが寝室へ夜な〳〵人の通ふというハ誠か。のふさもふしや。され共若きおりからハたが身の上にも有事なれバ。くるしからずせめてつゝまずかたられ候へ 〔ヒメ「〽実やつゝめとも袖にたまらぬ白玉ハ。人を見ぬめの涙なりけり さりなから。余所に立名ハ恥かしの。もりける事よさしも実。人しれすこそ思ひねの夢かうつゝかねてかさめてか。あらはつかしの事や〽〕 (初間 女)「扨其通ふ人ハ如何様の姿ぞ 〔ヒメ「されハこそ夢ニきて夢にかへるかごとく来ルもさるもまほろしのさたかにもなき其姿ハかふり直衣にて候〕 (初間 女)「あらふしぎや。此辺に左様の人ハ覚へず。あまりに心元なければ。わらハの日比うミおく糸の小手巻有。此糸を参らせうずる間。其人来りて候ハヽ。帰るさに頸に付てあとをしたひ。五里も拾里もあらん間ハつけとめて。住家を見あらわし給へや。あらにくのあたなる心や 〔ト云テ楽ヤへ入〕 〔姫カヽル 地へ取テシテサシ 又姫トシテトカケ合謡 上哥地 又姫シテ詞 謡 地へ取ル〕 〔(地「)〽しのゝめの空もほの。〳〵と。あさまになさしとあゆミゆけば女ハおだまきのいとをとり。ぬしにハしられぬ物からに忍ひ〳〵さゝかにの。糸を道のしるへにて。しつのおだまきくり返し〳〵行程に。豊後日向のさかいなる。岩屋のうちにつなき入たり。内よりあたゝかに風吹て。おそろしげなる所なれハ糸をすてゝ帰りけるか。今迄ちきりたる人なれば。さすかゆかしき心ちして。いわやの前にたゞ((ママ))すミて。あきれてそなきいたる。あきれてそなきいたりける〽〕   同(小環)後ノ間 〔 時ニヨリ中入ノ間ハナシニモスル 前方ニ尋ベシ〕 (後ノ間 眷属)「か様に罷出為((たる))者ハ。豊後日向の堺姥武ノ嶺に住大蛇の眷属ニテ候。我の是へ出ル事別の義にあらず。頼申御方ハ此国の片山里に住姫の有しが。仮染に御契り有しが。思ひの外成ル大けがを被成るゝ其子細ハ。人間と御身を現し彼姫の方へ通ひ給ふが初の程ハ一円ニ人もしらさりけれと。たびかさなれバ母上聞付驚キ給ひ。姫の別家へ行て。おことのねやへ夜な〳〵人の通ふ由風聞致すが。誠か偽か有やうに語れとの給へバ。姫もおもはゆく思われせうしなる躰ニて有しが。是悲((非))共といわれ。夫ならバはづかしながらの給ひけるやうハ。烏帽子直垂きたる者が。夢ニきて夢にかへるがごとくにて。来ルもさるもまぼろしのごとくと語れハ。母弥不思義((議))におもわれ。其時針に糸を付て渡シ。しぜん彼者来り候ハヽ。其いしやうゑ此はりをぬい付テ。其跡をしたひ尋給へとて小手巻を渡さるゝ。其時姫請取て母の仰のごとくせんと思われ。今や〳〵と待所に。案の如ク人静て後。いつものごとく来り夜の間に帰ルを。姫隠して糸を持てよりて。跡をしとう躰にていしやうへ針を通シければ。大蛇ハ針を身に請て。さらぬ躰にもてなし帰りしに。次第〳〵に其身をくるしめ。岩屋えかへり今をかぎりなれバ。元の蛇身のかたちとなり。其針をぬき度思召せどぬけさるよし申す。又承れハ彼姫。岩屋の口まであとをしたひ被参たる由申間。参て見うと存ル。さればこそ是に御座候よ。見た所が先うつくしい躰じ〔や〕。いかに申。御身と契りし大蛇。おもわざる外ニきづをこうむり。我と其身をくるしめ。岩やの内にて悪風吹かけなやミ申され候間。おことあの針を早々ぬき給へ。構て其分心得候へ〳〵   初間女出立 薄((箔))ノ物 さけ帯 ひなん   後間  厚板 そはつき 狂言袴くゝル 腰帯 官人頭巾 面鼻引 竹杖 〔(初間 女)「是ハ豊後ノ国ニ住居する女にてさむらう。わらハ姫を一人持て候が。殊外せいぢん致いて候程に。べちやを作り置て候が。承れバ何国ともしらず。夜な〳〵人の通ふと申が。誠かいつわりか彼者をよひ出し。尋申はやと思ひさむらう。いかにひめの渡り候か (初間 女)「只今呼出ス事余のきにあらず。皆々被仰候ハ。おことのねやへよな〳〵通う人の有と申が。誠かいつわりかまつすぐに申候え (初間 女)「言語道断の事かな。扨かよう者ハいか様成者ぞ (初間 女)「あらふしぎやな。此他((あた))りに左様の人ハなひが。何共きどくな事じや。わらハあんじ出したる事の候。日比わらハうミ置たる小手巻の候。是をやる程に此いとを針につけ。彼者のいしやうにぬいつけ候へ。是ハ五里も十里もつゞき候ハんずるぞ。扨もいとをしるべに有家を尋候へや 〔長府松尾氏書物〕〕 〔上懸ノ謡ニハ此通り有 写置ク〕 〔(初間 女)「是ハ豊後ノ国ノ片山里に住居する者ニテ候。わらハ姫をひとり持て候が。はやせいちんして候程に別屋を立て置候所に。いつく共しらず夜な〳〵人の通ふ由申され候程におとろき入て候。いそき彼者をよび出し。くわしく尋はやと思ひ候。いかに姫有ルか (初間 女)「只今よひ出す事よのきにあらず。まことやおことのねやへよな〳〵人のかよふと申が(ハ)誠にて候か。つゝまずまつすぐに申候へ (初間 女)「扨其かよう人ハいか様成姿にて候ぞ (初間 女)「あらふしんやな。此他((あたり))にてハ左様の人ハ有間敷候か。いづれふしんに候。わらハ急度あんじ出たる事の候。年比わらハかうミ置たる糸の候。此おたまきを参らせ候。此いとにはりを付候てかの人の装束につけ候へ。此いとハ五里十里迄もつゝき候ハんする程に。糸をしるへにかの人のありかをよく〳〵見候へ〕 〔豊後ト日向ノ堺姥武ノ嶺九州一嶋ノ守護神姥武ノ明神也〕 〔シテ大蛇也〕   五拾六 帰雁 〔シテ次第過テ詞 (シテ)「抑是ハ八幡太郎義家ニテ候 扨も此度東夷を追罰ノ為ニ近日出陳((陣))仕候 御暇乞ノ為八幡に参詣仕候 〇サシ地へ取テ童子出 詞 シテ同前 上哥 地へ取ル謡に 上哥(地「)〽たかき名も文の道。〳〵。しらすハいかゝ弓取の。是より立帰りて文を学したまへや。今ハ是より帰りつゝ。〳〵。文を学して出陳の。日をは重てえらハんと都にこそハ帰りけれ〳〵〽〕 (狂言)「か様ニ候者ハ。八幡太郎義家公に仕へ申者ニテ候。唯今是へ出ル事余の義にあらず。奥州来藻((衣))河の城ニ。貞任宗任とて兄弟の者の候が。武勇(ブユウ)ニちやうじ国にもしたがわず。やうおんにをごる由聞召れ。急御追伐被成べきとて。源の頼義公に被仰付。則将軍ノ位を下され。既に奥州へ討立給ふが。関東にて失給ふにより。頼奉ル義家公御下向有り。東夷(トウイ)をたいらげ給ふとてあづまへ下り給ふが。御暇乞の為に八幡宮へ御参詣被成候処に。童子壱人忽然と顕れ。義家公に御申候ハ武道斗にて。文道かけてハ敵を亡ス事成がたし。文武両道の大将ならバ。軍にまくる事有間敷いとの御事にて候により。則八幡大菩薩の御告と。有難ク思召文道を御学ひ有り。其後東夷を御追伐有べきとの御事ニて候。惣じて以徃((いにしえ))より文を以テ敵をしづめ。代を治メ給ふためし。かんか本朝にも数多御座候。中にも日本ハ哥道を専として。哥一首にて敵を亡シ給ふ例有り。〔則〕其哥ハ。つちも木も我が大君の国なれバ。何国か鬼の宿と定めんと云哥にて候。たちまち千方も亡び天下泰平となりしなり。誠に義家公の武道の上ニ。文道を相添給ふといか成(サマ)がうてき成共。亡し給わんハ疑ひも有間敷との御事にて候。夫ニ就末々〔ニ〕至ルまで文を学び。常に軍の計略をくふう致すべしとの御事なり。皆々其分心得候へ〳〵 (挟み込みの紙一表) 来迎(ライコウ) 登山(トウサン) 必無疑(カナラツウタカイ) 時刻(ジコクモ) 跡(アト)を尋(タツネ) 十善位を(ジウゼンノクライヲ)捨(ステテ) 生死(シヨウシ)ヲ出離(シツリ) 衆生(シユシヨウ〔シユヂヤウ〕)を化度(ケトウ) 唱(トナヱ) 実相観(ジツソウヲクハンジ) 地蔵菩薩(ホサツハ) 慈悲(ジヒ) 地(チ)水火風空(スイクハフウクウ) 六波羅蜜(ロクハラミツ) 表(〔ヒヤウ〕)す 読誦(トクシユウ) 法花八軸(ホツケハチヂク) 聴聞(チヨモン) 妙経(ミヤウキヨノ) 仏舎利(ブツシヤリ)御在(ヲハ)ス 蛇道苦(ヂヤトウノクルシミ) 触(フレ) 落(ヲト)シ 成仏(ジヨブツ)仕度(ツカマツリタク) 宣ふ(ノタモウ) 御経の軸(シク)ヲ放(ハナ)シ拝(ハイ)セ 不審(フシン)に思召(ヲホシメシ) 則(スナハチ) 案(アン)の如(ゴトク) 授(サヅケ) 不斜(ナナメナラツ) 角(カク)鱗(リン) 称名(シヨミヨヲ) 歩(アユミ) 証(シヨに) 尊聖 (ソンセイハ) (挟み込みの紙一裏) 疑所(ウタコウトコロ) 谷深(タニフカ) 遥(ハルカノ) 汲運(クミハコヒ) 善根(センコン) 可為(タルヘク) 三日中(サンジツノウチニ) 真(マコト)の 顕(アラハし) 小龍眷属(シヨリヤウケンソク) 引供(ヒキク)し 覚悟(カクコ) 尊聖 (挟み込みの紙二表) 願之通跡式被下置  鷺浩次郎 難有仕合奉存候((?))右    名代 御礼参上仕候       鷺権之丞 (この紙を横にして文字の上から「盛久 鉢木 野宮」と墨書) (挟み込みの紙二裏) 十月 今春広成   能組 錠((碇))潜 伴馬 小袖曽我 鉱七郎 千代造    砧 実 望月白頭 広成 龍虎 泰一郎 猩々乱 九郎   五拾七 巴園 (官人「)抑是ハ漢の皇帝に仕へ奉ル官人にて候。云及バぬ事なれ共我君堅((賢〕)王にて御座す故。吹風枝をならさず。雨土くれをうごかさぬ事なれハ。葛皷もこけ深ク実と鳥も驚間敷有様。民も戸指せず有難聖代ニて。国中の園々も広ク鳥類つばさも心のまゝに飛遊ひ。木々も思ふ事もなく枝を垂葉ならべ。木の実もなりよく何におろかわなけれど。殊に南国の傍に巴園と云園有り。是ニ目出度ためし有とて。園近ク年へて住(ヂウ)する翁奏聞致ニ付。頓テ勅使たつて御覧ずるに。誠にはてもしれぬばくたひ成ル園有(ナリ)。木の元ハ苔厚クしておのづから清し。彼翁も玉はうきを老の杖と頼ミ。夫婦出て勅使に詞を替し語けるハ。我此園に住ンデ百年に餘ルに。園の橘も年久敷めなるゝ。殊更此比ハ彼木の上に。珍敷雲おゝひ七日七夜立さらず。然ル所に少鳥飛来りてさゑづるを聞バ。やさしきこわねにてかりやうびんがもかくハあらじと。思ふ色やにほひもミやう不思義((議))成鳥成ルが。雲井に入かと見れバこくうに音楽ひゞいて。匂ひ四方にくんじ日も程なく暮方になれり。暁とき作る鳥の声をきゝ。ごこうの天もひらくと出て園の躰を見るに。山のは出る日輪のごとくにて。一間にあまる橘有 しかも色匂ひ常ならず。又有べきとも思ハれぬ神変奇特の木実なり。是偏に君聖堅((賢))たる故園も広ク。木の実も思ひのまゝ成義を顕したりと語ル。勅使もあきれ給ひ。老人をつれて彼園に分入給へバ。万木共ニもミぢせん事をわすれ。皆常盤ニてめつら敷キ木の実の中に。まん月のごとくひかりかゞやき。王母が桃けんほがなしとうがんせいの栗にもまさり。治ル御代のためしをミする橘誠に寄((奇))特有実見ゆる。それのミならずいく十かへりともしれざる。松に久敷靏の巣を懸て。小靏を数多引つれ峯に遊ぶ。其谷へ落ル滝壺にハ。幾万歳をへる共しれぬ亀すめり。此辺こそ彼翁が住家とミゆ。勅使も帰ルさをわすれて御座すが。先帰りて此事を君に奏聞せんとの給ふ。声をきゝて彼橘の内に声するハ。暫ク御待候へ。月諸共に顕れ稀人に姿を見せ申さんと云。其声をきくと翁もいさミ。誠に我もすゝみ出て勅使にさけをすゝめ申さん。かた〴〵舞楽を奏し給へと云捨て。夫婦ハ林の奥にいる。か様の目出度ためしのあれバ。弥国土豊に民栄へんとの御事成ぞ。皆々其分心得候へ〳〵   五拾八 園田 〔ワキ「抑是ハ津嶋の天王に仕へ申社人にて候 今日ハ御神事にて候程に各罷出御神事を取おこなわせはやと存候 いかに誰か有〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキシカ〳〵〕 (狂言)「畏テ候 〔ト云テシテ柱ノ先へ立テふれる〕 やあ〳〵皆々承り候え。毎年のごとく御神事を執行ひ給わんとの御事なれば。皆々其分心得候へ 〳〵 〔園田次第ニテ出ル 名乗  (園田「)是ハ尾州の傍に薗田と申者ニテ候 扨も天王の御子に月光女ト申御子((巫女))の息女王((玉))光女ト申御子国中一の美人ニテ候 あわれ〳〵と存候へとも一度も常にハ神前へ出さす候 今日ハ御神事にて候間神前へいたさぬ事ハ候まじ 参詣申何とそしてうはいとらはやと存候 上哥過テワキ謡有 園田詞 地謡 御子謡 和哥 地有 地「〽去程に。〳〵。折節よしと一同に走り寄とり〳〵みこを。きせんの中に。飛鳥のごとく。とひかけつて。行衛もしらすそ成たりける〽〕 (狂言)「やあ〳〵夫ハ誠か。是ハにが〳〵敷事ぢや。そのよし申上う。いかに申上候。玉光女を園田がうばい取テ参為((たる))由申候 〔ワキ「何と申そ 玉光女をうばい取て行たると申か やるましいそ〕 (狂言)「暫候。今日ハ御神事なり。あすハさしよせ打とり申さん 〔ワキ「〽実々是もことわりなり。神意もさそな神楽うたに。いはひこし。神ハまつりつあすよりハ〽 コトハくミのおゝしめあそひたちはき〕 (ワキ)「〽けふハ還御を急つゝ〽 〔(地「)〽あすハさしよせそのだを。〳〵。打とり本望をたつせんと。せんきをなしてかへりけり〳〵〽〕   同(園田)中入間 (中入間 神主従者「)か様に罷出為((たる))者ハ。津嶋の天王に仕へ申神主殿の御内の者にて候。去程に我等の是へ出る事余の義に不有。今月今日ハ当社の御神((マ)に(マ))て御座候所に。此国の傍に薗田の何某と申人の御座候ひしが。当社の御子((巫女))月光女と申人の息女に。玉光女と申て国中に隠なき美女のましますが。薗田一目見給ひ。何とぞしてうばい取度と思召せ共。常に神前へ不出(イダサス)候ニより。云寄給ふ便なければ。如何せんと談合の有をバ。皆人不知。此度の御神事を能折柄と思ハれ。定テ祭礼の当日にハ玉光女出ぬ事ハ有まじ。何とぞしてすき間を見合テとらんと。今や〳〵と待をバ当社の人々ハ夢ニも不知。御子か出ルとねらいすまし為事なれバ。其まゝ貴賤の中にまきれ忍入。走り懸て彼玉光女を供ないこくうに失けるを。神主御子を集((奪))取れ。殊外いかり給へとも其甲斐も無シ。又皆々の申さるゝハ。今日の御祭礼を仕舞。明日ハ善悪さしよせ薗田を打取候えと申間。左有らバあすハ早々をしよせんとの御事なり。拙者ハ此やうすを皆々に相ふれ申さうと存て罷出た。やあ〳〵皆々承り候へ。明日早天より薗田の方へ押よせんとの御事なれバ。神主殿に御味方申仁ハ相構テ其分心得候へ〳〵   五拾九 承久 〔ワキ次第過詞 (ワキ)「か様ニ候者ハ下野ノ国ノ住人千葉ノ助殿の御内朝野と申者ニて候 扨も承久乱出来鎌倉勢都へ討手ニ上り候由聞へ候 頼奉候人ハ久敷在京ニて候か此間病気仕候 然間古里に御子息二人御座候 兄小次郎殿を呼登せ代官に出べきよし被仰候間只今御迎に罷下候 道行有り (ワキ)「〽住なれし都の空ハ雲井にて。〳〵。朝立そふる旅衣。日もかさなりて行程に。はる〳〵なりし下野や。千葉の里にも付にけり〳〵〽 詞急候程に古里に付て候 いかに案内申候〕 (狂言)「誰にて渡り候ぞ。や久敷御下もなく候。頓テ申上うずるにて候。いかに申上候。朝野が罷下りて候 〔母「何朝野か下りぬと申か〕 (狂言)「さん候 〔母「此方へと申候へ〕 (狂言)「畏テ候。こう〳〵御通り候へ 〔アサノ「只今罷下候事よのきにあらず 承久の乱出来り鎌倉せい都に上り候由聞食((きこしめし))候程ニ千葉の介殿は此比以の外の病気にて御座候間小次郎殿をよひ登せ申御代官に戦場へ出へき由被仰候間御迎に罷下て候 母「何と殿ハ此比御病気と申か あら心元なや さらハ兄弟の者を呼出し候へ〕 (狂言)「畏テ候。いかに申候。御兄弟ながらとふとう御参り候へ 〔兄弟出ル〕 是え御出にて候 〔兄弟母詞有 地へ取 謡 地(「)〽なき悲しめと武士の。いとけなき身の心にもひきハかへさぬ弓矢の道ぞ悲しき〽 (地)「〽さればかしこき詞にも賢人二君に仕へす貞女両婦((夫))にまミへすとの。其理を聞なから今更我等か二張の弓をひかん事ハ。末代の家の為と思へハ。此上ハ力なき身と覚しめせ。暇申て出るとて兄弟の者ハ引別れ。京へといへハ鎌倉へ上り下るを見送りて。声もをしまずなきいたり〳〵〽〕   同(承久)後ノ間 (後ノ間)「か様に候者ハ。千葉の助の御内に仕へ申者ニて候。去程に我らの是へ出ル事余の義に不有。扨も此度承久乱出来候ニ付。鎌倉勢都へ討手ニ上り候所ニ。頼申御方ハ久々御在京にて候処に。古郷に残し置給ひたる御子息を喚登せ。御名代に御代官に被成可由にて。朝野殿に被仰付則御迎に下り給ひ。御子息御兄弟に御対面有て。右の段を御聞仰ければ。兄の小次郎殿の給ひける様ハ。我ハ鎌倉奉公の身なれ共。此度ハ都に登り父の代官すべしと有けれハ。御舎弟菊満殿の仰にハ。いや〳〵兄子の義ハかまくら殿の御奉公大切の身なれば。鎌倉にしよくし給ふべし。我こそ都に登りて父の代官申べしと被仰けれハ。御母君の給ひけるハ。いやかた〴〵ハいまだいとけなき身なれば。兄を登せ給へと御意あれば。菊満殿の仰にハ兄ハ鎌倉殿の御奉公人なれば。二張の弓を引給わん事我等が家の不覚成べし。是悲((非))ともと云て御談合極り。其時兄弟の衆ハ御母君へ御暇申シ。此上ハ力なき(シ)と思召せとの給へバ。なき〳〵立て京と鎌倉へ御下り有ル。誠ニ幼少ニても武士の子ハ違ふた物じや。某など御兄弟の内でハどなたの方へ御供致さうぞ。やあ〳〵何と云ぞ。早皆々の御達被成たと云か。是ハいかな事。よしなひ事を云ていておそなわつた。急で小次郎殿の方へ追懸お供申さうずる。やあ〳〵皆々を頼申ぞ。若我等を尋ル者あらハ。鎌倉へ下り為((たる))由御申有て給り候へ。相構て其分心得候へ〳〵   初ノアシライ 狂言上下  〇後ノ間 狂言上下 袴括ル 小サ刀 竹杖   六拾 広基 〔(時則)「か様ニ候者ハ奥州ノ住人津軽ノ太郎時則ニテ候 是より詞色々談合有テ上哥地過テ入ル ワキ「是ハ奥州ノ住人安原ノ豊後守秀房と申者ニテ候 爰ニ同国の住人津軽ノ六郎広元と申者がうきを致子細ニよりからめとり籠舎させて候 彼者大剛の者ニテ候間番ノ堅ク申付ばやと存候 いかに誰か有ル〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキ「彼籠中の番の事油断なふ皆々仕候へと堅ク申付候へ〕 (狂言)「畏テ候。いかに皆々承り候へ。籠舎に被仰付たるは。殊外大事の囚人にて候程に。番の事念の入よと被仰出た。相構て其分心得候へ 〔女「いかに案内申候〕 (狂言)「案内とハ誰ニて渡り候ぞ 〔女「さん候 是ハ此他((あた))りの白拍子ニて候か承及候てはる〳〵是迄参りて候 御心得を以テ見参ニ入て給り候へ〕 (狂言)「心得て御対面の事ハしかとあらふ共存せね共。先々御機嫌の見て申て見うずる間。夫ニ暫クまたれ候へ 〔女「然ルへきやうにたのミまいらせ候〕 いかに申上候。此国の傍に住白拍子なりとて。御門外ニ来り御目に懸り度由を申て。某を頼申候が何と御座候べし 〔ワキ「いか様成者ぞ〕 (狂言)「いや前々旁々より参たる女とは替り。殊外うつくしう御座候 〔ワキ「用心致時分にて誰ニも見参申さねどもはる〳〵来りたらハそとおふて一つのませ申さうずるにて有そ こなたへ召候へ〕 (狂言)「畏テ候。最前の人の渡り候か。御用心の折からなれば。人にもりやうしニハあわせられね共。お心しりの身共が申たるにより。頓而御同心有てあわせらりやうずるとあれば。そなたハ果報な人ぢや。お気に入ルかたきぢや。こう〳〵おりやれ 〔ト云テ通して〕 さらバ一ツめされ。おひかゑの内なれバ。かんがへて面白き所をうたわれ候へ  〔上哥女「〽すききにし程をは捨つ今年より。千代ハかぞへん住吉の松にぞ君か命をも。何れ久しとかきらん〳〵〽 ワキ「近比おもしろううとふて候な。とてもの事に面白ひ小哥をうとふて。そと一さし舞を所望し候へ〕 (狂言)「畏テ候。扨々そなたハ仕合よしかな。殊外の御機嫌成に。当世はやるきやうがる小哥をうとふて。迚の事に一指御舞候へや 〔下小哥 シテサシ 女詞 シテ詞 女謡 地へ取 謡 (地「)〽千筋の縄もさま〳〵の。さもおそろしきいましめに。心もきへ〳〵と。むねうちさわくばかりなり。かく〔テ〕あるへき事ならねハ。時刻をうつさしと。さはかりかくし持たりし。刀をぬいて立より。皆一門も御迎に。来り給わんとはかりを。云も程ふるいましめを。きりとけば其ときに刀をとつて水鳥の 上たちあかり則大せいりきの。力をいたし。くわんぬきを押切ゑいやとおされ。ごろくもくだけて四方へのけハ。かしこにはしり出かゝる情ハおほいその虎にもおとらぬ遊女をともなひどくじやの口をのかれ行〳〵〽 中入後間出ル〕   同(広基)後 〔二人出ル〕 ヲモ「きいたか〳〵 アト「何事ぞ〳〵 ヲモ「いや広元がぬけた アト「やあ〳〵ぬけた ヲモ「中々。彼白拍子がしらぬ事ハ有まひ程に。急でおつかけやうと思ふて出たが。わごりよハ何と思ふぞ アト「尤夫ハよひ心懸ぢや。身共も同心したけれ共。叶ぬ用が有程ニ成まひ。迚の事に独ゆかしませ ヲモ「やれそういわず共。此度の事ぢやにひらにこひ アト「いや此様な事にしんしやくハなひ物ぢや。ぜひともをかしませ かとう成まい ヲモ「ゐぬるか〳〵。扨も口のこうしやハおくびやうの花といふがさふじや。常々詞にさかせらるゝ花が今ちつたよ。身にならぬやつとハあの様な者を云事ぢや。先々某ハふりやう。いかに皆々承り候へ。津軽の六郎左(ヒロ)衛門(モト)。子細有ニより籠舎させらるゝ所に。今夜ぬけた程に女男の宿を致候な。其分心得候へ〳〵   ワキノ供 狂言上下   後ノ 間二人 狂言上下 小サ刀 杖付出ル アト狂言上下 杖ハ無シ   同(広基) 〔(狂言)「御前ニ候 (狂言)「大事の御談合の候間。御出被成候へ (狂言)「其由申候べし (狂言)「御前ニ候 (狂言)「畏テ候。皆々承り候へ。広元殿と申御方ハ。一段くせ人にて候間。番を能仕候へ。替事有らハこなたへ被申候へ 狂言下女「此内へ案内申候 (狂言)「案内とハ誰にて渡り候ぞ (狂言下女)「此国の白拍子ニて候が。目出度折からなれバ。一ふし謡申度候 (狂言)「中々其由申さうずる間。夫にしばらく御まち候へ。いかに申上候。此国の片原に住白拍子にて候が。目出度折からなれバ。謡い申さうずる由申候 (狂言)「女の事ニて候間。くるしからぬ事 一ふし聞せられ候へ (狂言)「畏テ候。こなたへ御通り候へ シカ〳〵 (狂言)「なふおききやるか。あの上郎ハ殿様に進上ず。わごりよと身共ハ。跡さしあひてねう程に。足をそこなわぬやうにして呉さしめ〕 〔ヨノ者「されバこそ 広元殿の御ちぎりぢや。近比目出度事ぢや。先〔ソレカシガ〕はかまをきめされ候へ。かやうに古く候へ共。一段めて度ぐそくニて候。先某ハ罷出申候〕 〔(狂言「)御前ニ候 (狂言)「畏テ候 〔女連道行〕 (狂言)「案内とハ誰にて渡り候ぞ (狂言)「暫御待候へ。御見参有うずるハ存せず候え共。先申入テ見うするニて候 (狂言)「心得申候 (狂言)「いかに申上候。此国の白拍子ニてこなたの御事承り及び。御礼の為参りて候が。某の心得を以御目にかけて呉よと申候。(狂言)「前々かなたこなたより参候よりも。是ハ一段とみめかたちうつくしき白拍子ニテ候 (狂言)「畏テ候 (狂言)「さあらバ此方ゑ御入候へ (地「)門前さして出テ行〳〵〕 〔〔シテセリフ〕 (狂言)「畏テ候 (狂言)「扨も〳〵殊外の大酒ニテ前後も存ぜなんだ。あらふしぎや 戸せうしも打やぶりて有ル。先々籠の他((あた))りを見申う。是ハいかな事。広元籠をやぶり出た。急で此由申さふ (狂言)「いかに申候。広元籠をやぶり。いづ方へやら落申されて候 (狂言)「さん候〕   六拾一 韋駄天 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。唐土に住居致者ニて候。去程に我等の是へ出ル事余の義にあらず。爰ニなんかくのせつりつしと申て。貴き沙門の座すが。仏法こうりうの志深き故に。何国共知らぬ者が毎朝定て斎を持来り。彼僧にあたへ其まゝ帰ル。有時仏前に観念仕給ふ時。詞を懸給ふを御覧ずればいつも来ル人なり。我仏法の志深故哀ミ給ふ事。三世の契り深き故なり。御身ハいづくの人にて有哉覧と被仰けれバ。我ハ北天の太子なたと云者成が。りつし仏法こうりうの志有ニより来り為由御申あれバ。扨ハ韋多天ニテましますか。我仏法守護の志今にたへせぬ御身なり。然らハ仏めつごの時しつきが取たる仏舎利を。取替給ふ事承度と被仰けれバ。韋多天の給ひけるハ。仏ハ常住ふめつほうかいしんめうたいなれバ。生死のはじめをしらせんが為。八十年の春の比ばつだいかの波にきへ給ふ。諸天諸菩薩ハ云に不及。草木ハ色をうしなひ。鳥けだ物に至ルまで鳴かなしむ折節。帝釈の眷属疾鬼と云足早き鬼が。釈尊の御はを引もぎこくうにうせ。刹那が間に三拾三天を須((マ)に(マ))廻ルを。我ハ其まゝきやくに廻りておい付。元の下界においをろし取返シ持給ふと被仰けれバ。りつしの給ひけるハ。かゝる有難仏舎利を一らいはいし。末世の衆生を斉((済))度の為と被仰ければ。夫こそ安き御事なり。我も須弥の四州をめくりて。仏法を守護しけれハ隙もなし。追付りつしにさつけんとて其侭北天御帰り被成たると申す。かゝる有難事ハ昔も今も無御座候間。此辺の人々にも相触申さふずる。やあ〳〵皆々承り候へ。今度なんかくのせつりつしに。韋多天より仏舎利をあたゑんとの御事なれば。志の輩ハ罷出韋多天の拝し申され候へ。相構て其分心得候へ〳〵   無地のしめ 狂言袴括ル 水衣 腰帯 こうし頭巾 扇   六拾二 鳳来寺 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。三州煙(ヱン)巌(カン)山ニ住青葉の情((精))ニて候。去程に我等の是へ出ル事別の義に不レ有。扨も此君文武天皇御悩以の外ニ御座候ニより。諸郷((卿))僉義有てうらかたをめして占せらるれハ。則感テ申上ル様。是より東に煙(ヱン)巌山(カンザン)あり。彼山に利修仙人と云者有り。かれが参内申ならバ御平喩((癒))と申上ル。諸郷((卿))一同に此義尤と被仰るゝニ付。急仙人をめさるべきとの勅諚を蒙り。只今きんのふ当山に来り四方のけしきを見給ふに。有傍の草庵を御覧じ。定て仙郷と思召案内を被申けれバ。其時利修仙人ハ驚給ひ。いか成人ぞと尋給へハ。是は文武天皇の勅使なりと宣へハ。仙人こたへていはく。何の為の勅使にて有哉覧といわれしを。きんのふ被仰るゝ様。帝の御脳((悩))以の外〔ニ〕御座候て。大法非((秘))法の御祈祷ニも不叶故。儒(ハカセ)ヲ召て占せらるれバ。うらかたを感て申上ル様。是より三州煙巌山ノ仙人参り。御修法あらハ則平喩((癒))と申ニより。是迄参り為由御申あれハ。其時仙人申さるゝ様。我等躰の者ハ山居を住家として。桂の露をのミ松の葉を食として。唯空寂として有なから。勅命ニも何かしたこうべき。はやく帰り給へと有けれバ。勅使も色々もんとう仕給ひて。是悲((非))共と有けれバ力およばず。柴の細戸をおしあけてきんのふをいれ参らせ。其とき利修宣ふ様。我此山に分入て四方の気色を詠((眺))ル所に。花降霊香くんじ音楽の音聞へければ。不思義((議))に思ひ猶高山(嶺)に登りて見れば。東方より童子八人下り。杉の立木を礼して天上に帰るを御覧じ。扨ハ誠の御衣(ミソ)木(ギ)成と思われ。杉の一方をかたどり手ヲ合。南無薬師如来ととなへ御申あれハ。みくしをかたふけ給へハ有難しとて。則仏ハ是成へし我作にハ及がたし((ママ))思召。此寺の本尊にし給ふ。浄瑠璃世界の薬師とハ。煙巌山の医王仏にて御座候。先是ハ当山の有難子細ハ如此。最早仙人大内へ参内の時分なれバ。拙者なども御供致さうと存て罷出た。やあ〳〵何と云ぞ。御供にハ及バぬと云か。扨々口惜い事かな。此度御供をして。内裏の様子を見うと思ふたれハ是悲((非))に及バぬ。実とおもへバ左右じや。仙法の通力を得た人ぢやほどに。時の間に大内へゆかるゝハうたがいなひ。けつく某などハ足手まといで。わるいと思ふて無用ぢやとおしやると見へた。急で帰らう。只のけ〳〵   出立  厚板 狂言袴括ル 水衣 腰帯 末社頭巾 面うそ吹 扇 〔大法悲((秘))法の御祈祷ニも不叶故はかせを召てうらかたをかんかへさせて御覧なれハうらかたをひらきて申上ルやう〕   六拾三 樒天狗 (狂言)「か様に候者ハ。愛岩((宕))山の太郎房ニ仕へ申木葉天狗ニテ候。我等頼奉ル太郎房ト申ハ。柿本紀僧正と申。高験智徳の勝れたる御方にて有為((たる))が。魔障の業にや。忠信公ノ御息女入内有テ。染殿の后と申奉りしを恋給ひて。大驕慢の心出来天狗道に入テ此山ニ住。狗品の棟梁と成給ふ。然者天狗と申ハ須道を以テ人を恵ミ。迷なるヲ悪くミ慢心ヲ妨ケ申。か様に申も慢心ながら我等ごときの小天狗も。六道を自在〔ニ〕し人の心中を悟り。或時ハ人間に交レとも。通を得たれば人間の目にもミへず。愛岩よりひゑにとび。ふじよりつくば浅間。所もさだめず飛行自在を致ス。大身と現シてハ虚空に満。小身と成テハ芥子の中にも立こもり。又すこしの風にも乗吹れ行者なれば。木葉天狗トモいわれ候。然ルに六条の((マ)息(マ))所ハ。御形の美敷ク御座ス事を慢し給ふを。太郎房にくミ奪奉り天狗道ニ誘引し。毎日〳〵熱鉄の苦ミを請給ふ。苦しきの餘りに。本山の山伏此山の樒が原に来り申さるゝ程に。頓テ御息所御詞をかわされ。魔道に落テ苦しミ有事を。山臥達に御告有所に。早時刻も来ル程に先御帰有た。如何様行者達の慈非((悲))の心を以テ。か持あらバ此苦しミをまぬかれ給ふ。いやゐわれざる事を申内に。熱湯を呑時節に成て候〔ゾ〕。いかに口をしや。もと来(ヨリ)功(コウ)も積(ツモラ)ざる我々が慢心故に。加様の苦ヲ請申事のかなしさよ。今ハ何と悔テモ甲斐無事ニテ候。此由いつもの通り触申さう。皆々大小ノ天狗達早時刻が来り候。とふ〳〵罷出候へ。其分心得候へ〳〵   六拾四 花軍 (狂言)「か様に候者ハ。山城の国伏見の野辺の虫の情((精))にて候。唯今是へ出ル事別の義にあらず。是ハ申に及バぬ御事なれども。惣〔シ〕て此伏見の里と申ハ。忝も伊弉諾伊弉冊((冉))ノ尊。天の岩倉の苔莚にて。伏テ見出されたる国なればとて。伏見の里と申候。又此野辺に草花数多御座候。中ニも伏見の里の白菊と申て。無隠名木御座候。其上此野辺のしらぎくを翁草と申子細ハ。仁王五拾代桓武天皇。此伏見の里に大宮作り有し時。何国共不知老翁一人来り。是ハ伊勢の国あこねの浦に住者成ルが。王法をたつとミ是迄参りたり。此度大宮造り有へき御事。弥目出度子細にて御座候。此大宮作りたちおさまらば。なを〳〵国もゆたかに民栄へ。上下万民息災安穏に。何事も諸願成就して目出たからふずるとて。一首ノ哥をよませられ候 其哥ハ。露ながらおりてかさゞ((ママ))ん菊の花(ハナ)。おひせぬ秋の久しかるべきと。かやうに御よミなされ。其まゝこくうを指て失御申候間。皆人不審に思ハれ。彼翁の立給ひたる跡を御覧ずれバ。しら菊ひともと出き候間。猶々ふしんをなし申され。夫より此所に御社を構。白菊の明神と崇メ申御事にて御座候。則伊勢の国太玉ノ明神と同一躰ノ御神なり。左有ニ仍テ此野辺の白菊を翁草とハ申実候。夫に付只今都の御方。此野辺の花を御詠((眺))メ有べきとて。皆々御誘引にて御座候所ニ。女良花の情((精))かりに顕れ。人々にむかひ此野辺の女郎花を。御賞翫あれかしの様ニ申。御手折まいらせうずる由申しかども。いや〳〵此野辺ハ白菊をこそ。名有草花と申て御承引御座なく候間。早白菊に恨を残し。女郎花ニ縁有ル草花を伴ひ。花軍有べきとの御事にて御座候間。我等の様成ル虫ノ情も罷出て。とも〴〵に力を付ケ申さばやと存じて。是迄罷出て候間。若御尋にて候ハヽ此方へ御しらせ候へ。相構て其分心得候へ〳〵   六拾五 鳶窩 〔〈鴟〉〕 (ヲモ)「か様に罷出為((たる))者ハ。杉村ノ森ニ住木葉天狗にて候 〔是ヨリ〈大絵((会))〉ノごとくアト出ル せきばらいする 常の通り〕 我等の是へ出ル事別の義にあらず。此度三熊野に籠申されたる客僧。不思義((議))の霊夢を蒙り筑紫え渡り給ふを。頼申人ハ能ク御存知被成。いやしき老翁と御身をやつし顕れ出給へば。あんのごとく彼客僧。早詞をかけ申さるゝやうハ。我此山に初テ来りし間。道しるべせよと御頼申さるゝ。頼申御方被申けるハ。いか成事にて此所へハ御出被成候とあれバ。彼客僧こたへていはく。此所の地をけつかひとなし。衆生をたすけんと御申被成るゝ。頼申人大きに驚。左様に候へバ。我等ごときの者迄もたゞ((ママ))ずむ所もなきと思召。色々あらそひ御申被成。其まゝとんで帰り給ひ。我等ごときの者にも参り。彼客僧をなぶつて見よと有ニ付。取物も取あへず是迄出たが。わごりよ達ハ何と思ふぞ アト「実と是ハ色いろとなぶつたらバよからふ ヲモ「夫ならバこちへおりやれ 二人「心得た ヲモ「扨彼客僧ハどこもとに居らるゝぞ アト「されバどこ元ニいらるゝぞ ヲモ「いやあれにぢや。先見た所が六ヶ敷ひ顔じや。れうじに詞を懸る事ハ成まひ アト「其通りぢや ヲモ「唯謡て帰らう 二人「一段とよからう ヲモ「おかしき天狗ハ寄合て 〔打切テ〕 二人「おか敷天狗ハ奇((寄))合て。諠誮口論。其外あつきの知識旋風。これらをけばくす時こそ心もおもしろけれど。飛行自在にかけまわり。是までなりとて天狗共ハ。〳〵。元の住家に帰りけり   ヲモ間アト二人出ル 〈大絵〉ノ通り   六拾六 松山 〔 本院後白河院 関白大臣 源義朝 平清盛 大将トシテ 新院近衛院 六条判官為義ハ父子武者大将 保元元年七月十日寅ノ刻より宮軍初同辰ノ刻ニ御合戦彼新院打負八月十一日ニ此所へ流玉ヒ〕 (狂言)「抑是ハ讃岐ノ国白峯の大天狗。相模房ニ仕〔へ〕木ノ葉 天狗ニテ候。去程に以徃((いにしえ))保元ノ比。新院本院位を論給ひ。則新 院打負給ひ。此所へ流され候所に。程なく崩御被成候。然者都嵯峨の奥に住給ふ。西行法師此由を聞給ひ。御跡弔ひ申さん為に。唯今此所へ御下向被成るゝを。新院嬉敷思召か顕出。声詞を御替し被成。則松山に案内者有を。西行ハさすが天下に無隠哥人なれば。頓而哥をよミ給ふ。よしや君昔の玉のゆかとても。かゝらん後ハ何にかわせんと。かやうに口ずさミ給へば。弥新院御満足ニ思召。則夜もすがら舞楽をなして。慰め御申有べきとの御事にて候。去なから西行ハ諸道ノ達者にて。萬の道を極メ給へバ。如何様の六ヶ敷事か申されんもしらねバ。聊尓にあれへ出ルもいかゝなが。何と致さう。いや〳〵おもひ出ひた。頼申大天狗を喚出し申さうずる。いかに相模房とう〳〵御出候へ〳〵  仁王七十四代 〇鳥羽院   寿五十四 崇徳院  七十五代 治十八年 寿四十六 鳥羽第一ノ皇子 御母待賢門院 重仁親王 本院後白川院 七十七代 治三年 寿六十六 鳥羽第四ノ皇子 新院近衛院  七十六代 治十四年 寿十六 鳥羽第八ノ皇子 御母美福門院 〔跡を謡にて留ル時 仁右衛門流なり (狂言「)よしやきミむかしの玉のとことても。かわらん後ハ何かわせんと。か様ニよミて御ひやうに手向申さるゝ程の。世ニも隠なき哥人と申間。先あれへ参り。いか様成御方ぞ少見申さうずる。内々我等の存ルハ。すこしこしおれ哥を。よミ習たひと思ふ折ふし。是ハ幸の人が被参た。先あれへ参りしる人になつて。大天狗の方へ同道いたし。二年三年も留テ置いて。哥道をけいこ致シ。後ニハ西行よりも哥をよふよむなどゝいわれたらバ。たまらぬおもしろき事でハ有う。さればこそ是におじやる。いかに西行。〳〵。しゝの角をはちがさいた様な。いかに哥をよふよむと有ても。何とやらぢまんくさいかほじや。にくさもにくし。色々の事を云テ。少シ广道へおとそう。とてもの事にうたひに作テ謡て帰らう (狂言)「あらつらにくや〳〵 「あらにくやつらにくや。〳〵。ふてんの下にまんきの人をさまたけんと爰やかしこを尋るにあれ成法師爰に来りて和哥の道をまんちんするをけざくをないていさやまとうへ引落さんと心うれしく小天狗共ハはくほに飛てぞ帰りける〕   六拾七 橘 (狂言)「か様に候者ハ。唐はぎうの深山に住忰仙人にて候。去ル程に我等の是へ出ル事余の義にあらず。 〔ツレ二三人出ル 常ノ通り〕 先時至て此君賢王に御座シ。民を哀ミ給ふに仍テ。仙人も山より出都にせひ城を構。君萬歳を崇(アヲキ)奉り候。夫ニ就別而爰ニ目出度事の候。此はぎうの里において。大き成橘みのりたれば万民是を見る。か様の珍物(チンブツ)の出ツシ致事。未聞も及不申色々不思義((議))をなす所に。此事漢の武帝聞し召され。急見て参れとの宣旨有れバ。勅使此所へ御下向被成御覧有所に。何国共なく老人まミへたるに。御詞をかわされたちバなの子細をお尋あれバ。其時彼翁こたゑていわく。我当所に数年住ンだれども左様の事ハ不存候。併稀成人の遥々御出なれバ。先此所に御逗留被成候へ。其間に橘の有所を尋出し。又当所の目出度子細を語給ひ。夫蓬莱山のせんとふに花咲実なる橘ハ。一萬歳の齢を振((経))と申上。費長房こちうに入たる謂など懇に語給ひ。御尋候橘も。仙人の住家にてもやあらんとうたがひ。其後夕暮にまぎれ。そのをの方に行と見て失給ひて候。誠に是と申も国土豊に納ル御代といゝ。君のめぐミ深き印なれば。我等ごときも此深山に住といゝながら。か様のためしすくなき瑞相。別て目出度事でハなひか 〔ツレアトシカ〳〵〕 (狂言)「あら〳〵めてたや。〳〵な。納ル御代のしるしとて。仙人共ハ顕出て。勅使をなぐさめ舞遊。千年万歳(サイ)の寿命を君にさづけ奉り。是までなりとて仙人共ハ。〳〵。元の仙郷に帰りけり   出立  厚板 狂言袴括ル 腰帯 官人頭巾 面上リ髭 扇 水衣 商山四(シウザンシ)皓(コウ) 東園(トウエン)公(カウ) 夏(カ)黄(クワウ)公(コウ) 〇 此二人ハハギウノ里ニテ橘ノ成候を住家トシテ定テ朝暮其中ニテ碁ヲ打慰ける 綺里(キリ)季(キ) 甪里生 (コクリセイ〔コクリ先セイ〕)   六拾八 孫思邈 (ヲモ)「抑是ハ水府(モロコシスイフ)ノ(ノ)主(アルジ)。ふくんに仕へ申鱗の情((精))にて候 〔アト出ル 常ノ通 シカ〳〵〕 扨も天下泰平吹風枝をならさず。国土安穏にて四海浪静に御座候ニより。我等ごときの者も何と目出度事でハなひか (アト)「其事じや。誠に目出度御代にて候〔よ〕。(ヲモ)「してわごりよ達ハ唯今の事をきいたか (アト)「いや何共しらぬが。いかやうな事ぞ (ヲモ)「左有らハ委う語て聞かせう (アト)「急で咄さしませ (ヲモ)「唯今も云ごとく。天下豊に浪風治ル折柄なれば。頼申ふくんの若子。水府(スイフ)の辺へ遊山に御出有し所に。ぐにんども是を見付ケ。色々なぶり既に命もあぶなかりし処に。孫思邈と云仙人折節通り給(アイ)ひ是を見付。種々に御貰(モライ)被成けれど。童(ハランベ)トモ(ドモ)終にハはなさず候えバ。其時仙人うつくしき衣将((装))束など取らせ給へバ。そこでやう〳〵はなつを。其後仙人薬などあたへ。よくいたわりて草の中へおはなしやつたれば。からき命をいきのび其まゝ帰り給ひ。此由ふくんへ御物語被成ルれば。〔フクンハ〕なのめならず御悦有り。則仙人を此所へ請シ申され。色々様々にもてなし給ふ事限りなし。夫ニ就我等ごときの者ニも罷出。慰メ申せとの御事ニより某ハ是へ出たが。わごり((ママ))達ハ何共知らぬか (アト)「いや何事もしらず。只むさとそちが跡を追(ヲヽ)て出たが。扨々それハあぶなひ事があつたな 重賞下(テウシヤウノモトニハ)必(カナラズ)有(シフ)二死夫(アリ)一香(カウ)餌下(チノモトニハ)必(カナラズ)有(ケン)二懸魚(キヨアリ)一 〔(狂言)「荒々目出度めてたやな。かゝる目出度折柄なれば。我等が様成鱗まてもうかみ出て。千代万代とうたひかなて。〳〵。もとの住家に帰りけり〕   同(孫思邈) 一人間 〔(狂言)「か様に候者ハ。唐土すいふのあるじ。ふくんに仕へ申うろくすのせひにて候。扨も天下大平国土ゆたかなる御代成により。吹かせ枝をならさず。民とさしをさゝぬ御代成により。我等ごときの者迄もゆたかに住居仕候。夫ニ就我等の是へ出ル事別の義にあらず。此程ふくんの若子。谷(ケイ)水(スイ)の辺へ遊山に出られし所に。わらんべとも是を見付。色々なぶりすでに命あぶなかりし所に。そんしばくと云仙人折節通り合。種々に御もらい候へ共終にはなさず。其時仙人うつくしきいしやうとらせ給へバ。わらんべとも則あたへ申。其後種々のくすりを用。京中へはなち給へハ御子ハ其まゝ帰り給ひ。此由かくと夫君に被仰けれハ。ふくんなのめならずよろこび給ひ。則仙人を此所へしやうじ被申。色々に御もてなし被成るゝ事かぎりなし。夫ニ付我等のやうなる者も罷出。仙人の慰申せとの御事ニより。取物も取あへす是迄罷出た。先急で参ふずる。扨どこ元に御座るぞしらぬ事ぢやまて。されバこそ是に御座る。先御礼を申候。いつぞやふくん若子すでに命あやうき所に。御あわれみにより命たすかり申。かへす〳〵も忝う候。夫ニ就我等ごときの者ニも罷出。御ミやづかい致せと有ニより。是迄〔マカリ〕出て御座る。何ニても御用の事あらば。被仰付れうずる。又御とうりうの内おなくさミもなふてハいかゝなか。面白ハ無御座とも。何ぞ一曲致さうずるか 〔シカ〳〵 常ノ通り 〈和布刈〉同前〕〕   六拾九 降魔 〔 シテ前ハ女也 中入らいしよにて作物の中へはいるとツレ女四五人らいしよにて出テワキトことば有テ(ツレ「)鬼神ノ姿ヲあらわさん と云テ皆はやし方のうしろへはいる 其時らいしよ有テ狂言出ル〕 (ヲモ)「加様に罷出為((たる))者ハ。第六天の魔王の眷属ニテ候。去程に我等の是え出る事別の義にあらず 〔アト三人出ル シカ〳〵〕 爰に浄飯大王の御子悉達太子ハ。中天竺摩竭提国ノ。浄飯王宮に誕生仕給ひ。御年拾九にて仏方((法))にもとづき給ひ。今ハ早金剛座にて釈尊成道を被成へきと有て。数多の御弟子達残らず並居給ひ。既に説法初ンと仕給ふ折ふし。此事を浄(ジヤウ)居(ゴ)天聞給ひて思召様ハ。世尊説法をとき給ふにおいてハ。定て衆生ども仏果を得へし其時ハ魔王の住家有間敷と。此度の成道を何とぞして妨げんと思召。とかく人ハかたちよき女に心をなやます物なればとて。三人の美女となり霊鷲山ノ会座近ク参り居たるを。大聖釈尊御覧じ宣ふ様。汝ハ第六天の魔王成が。我仏法を妨ン為に来りたり。たとへさま〴〵しやうげをなすと云共心を移す事有べからず。いで〳〵汝等を鬼面(キメン)になさんとて。則御声の下よりも。忽鬼面に成ツテかきけすやうに失給ふ。左有ニ仍テ拙者に参妨を致せと有ニ付。取物も取あへず是迄罷出た。先急で参らう アト「一段とよからふ ヲモ「さあ〳〵おりやれ〳〵 三人「心得た ヲモ「誠に頼申人の申さるゝ通り。若仏法の国にもなつたらバ。我ごときの者ハどこにおらふぞ。なにとぞ妨を致たひ事じやが。三人「其通りぢや共 ヲモ「さればこそ是に居らるゝ。誠に見事にしゆせうな躰ぢや。定て左右に居らるゝが阿難加葉などゝ云かしらぬ迄。左有バ。あれへ行ふか。いや〳〵参ても。聊尓に詞を被懸たらハ請こたへか成まひ アト「いや高座近ふ行ふとすれば。足がもぢへて行れぬよ ツレ「近ふよれば。かほへおきを指つくる様にあつひ ヲモ「いや又行ふとすれバ目が暮((暗))ふ成ぞ。是で〔ハ〕なる舞程に。只此由を皆々に触テのこう 三人「急でふれさしませ ヲモ「やあ〳〵皆々承候へ。たとへ釈尊成共。广道へ引いれんとの御事なり。左有らハ广王の分ハ不残罷出よとの御事なり。相構テ其分心得候へ〳〵                   ヲモ 間 厚板 そばつき 狂言袴クヽル 末社頭巾 上り髭面 竹杖 腰帯    ツレ 三人 厚板 水衣 袴クヽル 腰帯 面見徳 うそ 鼻引 頭巾 扇  〔間一人して云時ハアトノ詞ぬいて云テよし〕         〔四群ト云間別ニ有り 仁右衛門方ニテハ一人ニテ云 出立ハ間ツレノヲモノ通り〕 〔(狂言)「あら〳〵おそろしや。〳〵。足本ハよろ〳〵と。よろめけバ。目もくらミ。つえにすがり。行べき方ハしらねども。足にまかせてにげにけり〕   七拾 橋立龍神 〔〈祝言橋立〉トモ云〕 (狂言)「御前ニ候 (狂言)「畏テ候 やあ〳〵承り候へ 今日は明神の御神事なれば道筋をもきよめ候え 其分心得候へ〳〵   (末社「)か様ニ候者ハ。丹後の国橋立の明神に仕へ申末社の神にて御座候。先当社に於テ御神事の数。一年(ヒトヽセ)の内に七度(ナヽタビ)迄取おこなわれ候。中にも今月今日の祭ハ。天灯龍灯の祭と申て目出度御神事也。先此橋立と申事ハ。地神二代の御神此国に天降り。末世の衆生済度の為。天竺の五台山の大聖の文珠((殊))を。御勧請有テ久世戸ト名付給ふ。其九世渡と申ハ天神七代。地神二代を以テ号((なづ))け給ひしと也。然ハ此国へうつり御申候折節も。広海の都へ入給ひ。下界を広め此嶋に御上り有。其時御渡り被成たる所を師子の渡と申て御座候。又橋立を御作有べきとの御事成に。其比ハ神代いまだ遠からぬ御事なれバ。雲きりこくうんにミちてとこやミのごとく有し程に。神々あつまり神火を灯シ。日夜に造り成就し奉れバ。松程目出度物ハ有間敷いとて松を植置給ふ。猶も神代より広海の宮と隔もなく。龍神〔今〕に至迄。龍灯をさゝげ松の枝に移し給へハ。其時も同しく天ノ灯を松の枝にうつし。天地共に偈((渇))仰被成ル御事にて候。即今日の御神事を調へ申べきとて。神主社頭の番を申付らるゝ所に。けしたる人玉ぼうきを持。神前のきよめ給ふ程に。いか成人ぞと尋給へバ。けふの御神事を待ヘテあらわれたり。猶も夕暮れの空を待給へ。天灯龍灯顕すべしとて。かきけすやうに失給ふ。か様に竜神顕れ給ひ。詞をかわし申さるゝ事も。天下安全の折なれば。天神地祇も納受まし〳〵て。かゝる寄((奇))特に逢申さるゝ。神慮の程も末世にハ。難有神主にて候ぞ。我等もけふの御神事に舞曲をそうして。慰ばやと存テ罷出た。さらバ一曲かなで申さう。目出度かりける時とかや 〔是より三段舞 謡〈かも〉同前 外ニ謡有り 併拍子方習有故ニ常末社がよし〕 (末社「)酒宴半の春の興〳〵 曇ひかげ長閑にて君をいわふ千秋の橋立の松の葉のちりうせずしてまさきのかづらなかいハおそれあり〳〵と罷申仕り退出しける末社の神 心の内ぞゆゝしき〳〵 〔(末社「)か様ニ候者ハ。橋立の明神に仕へ申末社の神にて御座候。去程にめづらしからぬ御事なれど。昔ハかのしまどろの海なりしを。文珠龍神と心を合。又我が力を以テ右の嶋を建立せんとて。女((如))意をうみになけ給へハ。今に女意なりに有なり。きんていとう左りうてんわう右にして。文珠ハ五太((台))山より御出現被成るゝ。然ルに天の橋立と申ハ。昔あらうミの大臣と申者わうりやうす。去ル間天神の代に右の文珠を被遣けれバ。千年説法をのへ給へバ。則千年世の浦と申なり。初ハ丹後の国波路村。かいかんしにハ右の文珠お在スを。二神二柱して彼嶋へ入奉り給ふ。其後天人天下り。彼嶋に松なへを以テ。火をとほし被植しに。夜あけけれハ捨られし所を。今に火置ト云なり。嶋の長サ卅六町。松を植ル事七十二町。其後垣((桓))武天皇彼嶋を天橋山と号シ。文珠の寺号を知恩寺と名付給ふ。彼荒海の大臣を失い。其悦に舞を舞給へハ袖しの浦とも云なり。又神の五代二神二代なれバとて。九世渡とも申なり。先是ハ当所の目出度子細 〔是より常ノ通り〕〕 〔右之橋立の文句昔ヨリ有之トいへとも是よりハ初ニ書テ有間勤テよし〕   七拾一 玉津嶋龍神 (狂言「)か様に罷出為((たる))者ハ。和哥の浦に住む鱗の情((精))にて候。去程に我等の是へ出ル事別の義にあらず。当今の臣下只今此所へ御参詣被成るゝ。夫ニ就当社と申奉ルハ。仁王廿代允恭天皇の后。御名を衣通姫と申奉りしが。御身光妙なる故に。十二重を通に仍テ衣通姫とハ申実候。此御神和哥の道すたらん事をかなしみ。和光のちりにまじわり。住吉大明神と御心をひとつにして。和哥の道を守覧との御誓にて。住吉玉津嶋と申て。是和哥の大祖たり。然ルに此日本を和国と申事も。和哥の詞をさきとしてやわらげ給ふ名なりと承る。其上和哥の言葉にも。いさごちやうじていわをと成りちりつもて((ママ))山となる。浜のまさごの数ハつくるとも。よむ事のはハつきすまじいとの御事にて。此玉津嶋根に跡を垂。汀に御神木に松を植置れ。惣じて松ハ色とこしなへにして代合久しき物なればとて。和哥の両神共に御寵愛被成。なんぼう有難御事にて御座候。先是ハ当社の目出度子細。又雲の上人の御参詣なれば。我等ごときの者ニも罷出よとの御事なれハ。取物も取あへず是迄罷出た 〔是より常ノうろくすの通り 舞同前〕   七拾二 宮河 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。伊勢太神に仕へ申末社の神にて御座候。去程に珎敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神国々に地をしめ給ひ。威光区々成とハ申せ共。中ニも当社神明と申奉ルハ。日本第一の御神なれハ。太神宮の恵を請ぬ者ハ無御座候。左有に仍テ毎年御神事数多有とハいへど。中ニもさつき三日とよけの御神拝と申子細ハ。丹州与座((謝))の郡真名井の原より。当国山田の原に御せんがう被成るゝ事。あらよにこよの神あらふる神達。不残御幸にくうじ奉り。此宮川のほとりにをり居給ひし御時神哥にいわく。宮河の清き流にみそぎして。いのらん事の叶ハぬハなし。其折節あめをしほあまと云魚人参合て。此川にてあゆをすなどりして。柏の葉に包て神前へ捧ケ申に。神ハ一入御悦有し故。夫より御代の嘉例と引網の。目出度河ニて候間。今以彼葉にあゆを包神に備へ申なり。其時分よりあゆの名をとしの魚とかいて。ねんぎよとよむ事も。御影降((向))の始よりおこりたる事と承る。先是ハ当社の目出度子細。又当今の臣下此所へ御参詣の由申間。いか様成人ぞ。よそながら見うと存て罷出た 〔是より〈加茂〉同前〕   七拾三 八幡 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。石清水八幡宮に仕へ申末社の神にて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我が朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光区々成とハ申せ共。中ニも当社八幡宮と申奉ルハ。皇后の胎内ニてはや三かんの御したかへ被成。後に弓矢の守護神と成給ふ事。偏に八幡の利生にあらずという事なし。去レハ夫ニ就我等の是へ出ル事余の義にあらず。此度新羅の大王此国へ乱入うばひとらんと致ス故。頃日((ママ))ちやう(( 張  )きやう(行)ち(馳)く(駆)の(?))沙門有。其名をたうきやう((道 鏡))と云。かれに勅して我国の神々をすいひやう((水 瓶))に封こめ。光禄太夫栄芳と云者を大将として。此国に攻来ルべし。去れども此国に残い((つ))て。皇義を守護し一万人の沙門を供養し。大仁王会しゆすならば。必すいひやうやぶれて神も威光をまし給ふへし。此事を奏し度思召折節。当今の臣下御参詣なれば。神ハ一入嬉敷思召。朝家を守の神出合詞を替シ。急都へ御帰り有。此事を奏聞あれとの神勅なれバ。其まゝ臣下ハ都へ帰り給ふ。左有に仍テ拙者にハ当山の末社達へ。悉ク相触申せとの御事なれば。取物も取不敢是迄罷出て候。左有バ此様子を相触申さうずる。やあ〳〵当山の末社達不残聞給へ。此度新羅の帝王此国へ乱いらんとて。光禄太夫栄芳と云者を。大将トしてをしよする由申間。則八幡宮ハ御したがへ有べきとの御事なれば。当社の末社不残罷出よとの御事なり。相構て其分心得候へ〳〵   七拾四 日光山 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。当山に住ンデ東照権現に仕へ申。つミふかきゑつさひ((悦哉))の。しゆしやうをこのり((兄鷂))の道へ引入。わし((鷲))のたかね((高嶺))をはいせよと云大鷹ノ神ニテ候。某是へ召るゝ事別の義ニあらず。たいらかなる代とて水もわかやぎ。木の目も豊にふくミ若葉の。松のみとりも実と千年をへぬべき折からなれば。山々に住仙人もいまいち〳〵といづへきこゝちして。きりんもときをしらんと思ふに。鳳凰も舞遊ふべき有様を見て。夫にうつり我も心のあしかわ((足革))をわすれ。すゞ敷風にともなひぬきん出テ。さしば(())しやうと思ひ罷出た。ふちゑなる鳥類なれ共ゑげ((餌器))さたいふ。所々にへを((綜緒))付て尋聞ニ。神といひ仏といふも皆水波のへだてなれバ。何ももとのすハ替事なきに。今しんすをあらたむるにあらねど。中ニも我かつこふる大権現の御事こそ。忝も人王五十六代清和天皇に九代。新田ノ太郎義重に十七世の後孫。征夷大将軍大政大臣。従一位源ノ家康公ト申奉り。ぶんぶ二道の達者。有時ハ武略を以テ大てきをなだめ。又一戦の下ニてハ懸引のざいをあげ。味方にたやすく理をとらせ。ちじんゆふのふかけれバ。なびかぬ草木もなく。大国迄もしたがひ皆人ハ是こそ。軍の守護神よと思ふに。てんじやうしたまへハはぐんじやう((破 軍 星))と号ス。此はぐんじやうといふハ 「とん((貧))。こ((巨)) 「ろく((禄))もん((文)) 「れん((廉))。ふ((武))。は((破))とて。七せい((星))の中ニもとりわけ剣ノ道をつかさど〔レ〕り。かるかゆへに此七しやうの四たひをわけてみるに。ほんじやくの二もん是広きに依て。たひこん両ぶ共法花廿八ほんとも。天の廿八宿共いへり。何としてか七やうを廿八にわくるぞと云に。おわりはしまりもなき。まんじ一字の心をわかつ。又日月しやうの三光ハ。此山の三仏堂のくらげ中の。三躰なる事をも権現ハ能さとり給ひ。神(ジン)づふをもつてこくどをしづめ。有時ハ薬師如来と現し民を哀ミ。かゝる貴き御事成を聞伝へたるともがらハ。国々在々より袖をつらねくびすをつき。参詣申に一人として。神徳をかふむらずといふ事なけれバ。世上に隠なく。頓テ大内に聞へ勅使御下向被成。三国に并なき御建立有り。社々にハ玉を飾いらかをならべ。我等躰の住家まで。ことばに及ぬ御ぞうゑひにて。よろこびの折からけふハ日柄もよければ。すはい子共をともなひ。中善じ((禅 寺))にあがり慰ばやと存ルに。稀人御下向と聞。あがけふためき罷出た。何方に御座有ぞ知らぬ事ぢや。されバこそ是ニ御座有ル。急で御礼を申さうする 謡「あら〳〵目出たや〳〵な 日光月光照りかゞやきてさとりの道を諸人にしらする三ことつこれいしやくじやうのおとたゆる隙なき日光山とハこれなれや有無の中善じおかミ奉れへたてゝ遠からす皆身にこもる宮帳の有様妙法の五字にまねひたる物なり荒有難やとふしおかミ一二三の鶏栖を通る〳〵又元の都ニ帰けり 〔寛永廿二年七月晦日大鷺仁右衛門弟子酒井彦右衛門書物写〕   七拾五 香椎 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。当社明神に仕へ申末社の神ニて御座候。去程ニ香椎の大明神と申奉ルハ。神功皇后を祝申社其子細ハ。以徃((いにしへ))中哀天皇せいぶん。神武の徳を以テ三韓を攻戦ひ給ふが。ついに理をもとめ給わず。其後神功皇后ちほうふびの((智  謀  武 備 ?))たらぬ所なりとて。軍(イクサ)ひやうじやうの為。諸々の天神ぢぎをあつめ給へるに。大小の神祇常陸ノ鹿嶋へ寄給ふ。海底に跡を垂給ひしあとべのいそら一人めしにあふせすいかさまゆへあらんとて諸神不残此浦に来り給ひ。庭火をたきさか木の枝にゆふしてきりかけ。神楽を奏し給へバ。いそらかんにたへ兼神遊の庭ニ出られけるを。御頼あつて龍宮の宝。干珠満珠をかり給ふ事をたくミ。神勅を以テの仰に。しやかつら龍王の申さるゝハ。日本ハ神国としてしかも賢王にて御座すに。龍女の身として人王の后にたゝん事。更に心得かたければ。かゝる御身に二けんあらし。一ゑに面目なれはいかて神勅そむくへきとて。彼二つの玉を豊姫とう大じんに持せ参らせけるに。皇后大きに御悦有ツテ。諏訪住吉此両神を副将軍比将軍と定メ。序ノ神々ハ三千余艘を。こぎならべ高麗国へよせ給ふ。三韓の夷共。兵舟一萬余艘に取乗つテ海上に出向ふが。たゝかい中ばにして首尾をいまだけつせず。其時皇后干珠を海中へなげ給へバ。うしほ俄にしりぞひて。海中りくじになる三韓のつわもの。天より我に理をあたへたると悦びて。皆舟よりおりてかちたちになつて戦ひし時。満珠をとつてなげ給へバ。うしほ十方より皆きり((漲))来りて。数万の夷波におぼれてうせたる由申。さるにより我か願心のまゝに納る。彼豊姫と云ハ川上の明神。あとへのいそらハ筑前鹿麻の大明神。常陸国にてハ鹿嶋大明神と崇メ。大和ノ国にてハ春日大明神とたつとむ。何も一躰分神にて座す。其後皇后ハ仲哀天皇の笏(シヤク)を取出し。香椎の浜成椎の木の三つ枝に懸置給へハ。其かのうつりにほひふかきにより。かうばしきしいと書てかしいと申習す。まつ是ハ当社の目出度子細 〔是より常ノ通り 〈加茂〉同前〕 〔○語間にする時○(狂言「)何もほそき栗をさゝぐりといふ事。めづらしからぬぎなれども。とりわけ当所にて名物の子細は。天神の御ゑい哥に見へしハ○つくし人そらごとしけりさゝ栗の。さゝにハならでしばにこそなれと。かやうの哥により名高くきこゆ。去ル程に香椎の大明神と申ハ 是より右間ヲ語ルナリ しまいに。(狂言「)其かのうつりにをいふかきにより。かうばしきしいと書てかしいと申習すか。嶋たちかぶとのいわれ。三せつたうしやう三つの鳥井。さか木のいわれひたちおひの子細様々有とハ申ぜ((ママ))と。我等ていの存ルぎにてハ無御座候。先拙者の聞及たるハ如此て候〕 〔○後ノせりふ(狂言「)とよひめ。川上の明神。あとべのいそら。罷出給ひたるか と云なり〕 〔藤原奥則筑紫へ下ル シテ磯ノ童海神也 ツレ神功皇后ノ妹川上ノ明神豊姫也 仲哀天皇御□((?))河水ノ浜ニ有ケル椎ノ木ノ三ノ枝ニ□((?))玉ひしより香かぎり(以下綴じ込みがきつく見えず)〕   七拾六 駒形猩々 (狂言「)か様に候者ハ。三州駒形の明神に使へ申末社の神にて候。只今是え出ル事別の義にあらず。惣而国々在々所々に。霊神数多地をしめ給へと。中にも当社駒形の明神と申ハ。都鄙(トヒ)安全に守り霊現((験))あらたなる御事なり。就夫爰に近比きどく成事の候其故ハ。大海に住猩々毎日当社の神前に参り。不老不死の名酒を捧申ス。然ルに猩々と申者は。大唐にも目出度例有其子細ハ。周の国の傍に。香風(コウフウ)と申民あり 市に出テ酒を商ふ。彼者正直にして親に孝有故にや。市毎に童子来〔リ〕テ酒を呑。数盃に至れ共。面色さらに替らす候程に。扨汝ハ如何様者ぞと尋けれバ。我ハ海中に住猩々と云者なり。明日潯陽(シンヨウ)の江に出テ。待給へ。誠の姿を顕シ不審の晴し申さんと。かきけす様にうせしとなり。彼潯陽の江と申は。大海漫々(マンマン)として。うしろハ長山ぎゞとそびへ。汀(ミギハニ)ハ瀾相の波打いぶせき事限なし。こうふうまことしからず思へども。其江の近に行てやゝ暫ク待所に。海中動揺(シンドウ)して瀬ハ雪((雲))の上をたゝみて。びう〳〵たる刻彼猩々出現す。その形人間の如ク。頭ハちゞミ顔ハしわみて。赤き事にをぬりたるにひとし。手足のつめハわしくまたかとおなじくして。ひとつの瓶をいたき。浜辺ちかくすへおき謡もふて酒を呑。頓而其瓶をこうふうにあたへ。御身此瓶に酒をたゝへて売ならバ。汲共呑共さらにつきることなく。ふつきの家と成べしと。篠(サヽ)の葉をおゝてさづけけれバ。こうふうかきりなくよろこび。其篠を印に立て酒をあきのふに。次第にふつきの家トなりしとなり。か程目出度猩々此土に出現する事。此君賢王にて在すと。当社の霊現あらた成故なり。君此よし聞し召ゑいらん有度思召ど。円満十里の外なれば勅使を立られ。急ぎ見て参れとのせんじにまかせ。臣下殿此所へ御下向有を。明神ハかりに老翁の姿と現じ御ことばをかわされ。重而海中の猩々不老不死の。名酒を捧申寄((奇))特を御覧あれとて。神隠し給ふ。か様の目出度事におふも。ひとへに此所に住故にて候。左有ば当所の面々も罷出。勅使をあかめかの猩々を待べし。其分心得候へ〳〵 〔〈駒形猩々〉と云謡ハ。四百番目程の謡本之内ニ有。其本ニ有之謡ハ〈大瓶猩々〉之諷に大方替事なし。この〈駒形猩々〉と云ハ。三川ニテの事なり。謡も右之外別に有るべし。さるによつて間も〈大瓶猩々〉〈七人猩々〉とちがい。〈駒形猩々〉の間ハ。別に有故に。右之間をせんぎして。写置物なり。入用之時ニ能々せんぎず((ママ))へし。此間ハ家元より参候〕   七拾七 玄奘 〔〈三蔵〉トモ〕 (狂言「)か様に罷出為((たる))者ハ。天竺震旦の堺成ル。龍砂河に住鱗の情((精))ニて候。去程に大唐霊厳寺の住僧。三蔵法師ハ真虵大王の御子ニテ候。去ル間しなむとの尊ハ。一生ふぼんの御方成を。大虵の女人と現じて。契りをこめ給ふニ依テ懐胎と成給ふ。其時尊大きに驚給へ共叶わず。御産の帯をとき給ふ。頓テうつを舟に造りこめ。しなんと川へ流されけるが。此浮木流レ唐土霊厳寺の浦に吹よする。折節霊岸((ママ))寺の住寺浦遊に出給ふ。此浮木を不思義((議))におもわれわりて見給へバ。男子一人有り。取上ケ如何様子細有べし。養育し学文の道ニ入給ゑバ。一字を千字とさとり。利根第一の人ニて学〔門〕のをゝぎを極給ふ。去程に此度大般若の妙軸を。我朝へ渡さんとて御出候へ共。神虵大王ハ最前老人と現ジ。流砂河のほとりにて。大般若の妙軸を渡事ハ成間敷とて。色々御物語有て。重而誠の姿を顕さんとの御事なれバ。構テ其分心得候へ〳〵   出立  小嶋厚板 狂言袴クヽリ 水衣 腰帯 鱗頭巾  面うそ吹   七拾八 現在七面 (狂言「)か様ニ候者ハ。甲斐の国身延山日連((蓮))聖人ニ仕へ申能力にて候。惣テ此身延山と申ハ。則頼奉りたる御方の。開給ひたる御山ニテ候其子細ハ。衆生斉渡((済 度))の為ニ国々を御廻り有。爰かしこにて御法をのべ給ひしに。此身延山の御山の木色(ケシキ)を御覧ジて。仏在世の霊鷲山末世のじやつくわう浄土にたとへ給ひ。則此所にて明暮御経をこたり不給候。去程ニ頼奉為((たる))大上人ハ。仁王八拾五代の後堀川の院の御代。貞(シヤウ)応元年ニ生させ給いて候。又此山に移り給ひし其比ハ。亀山院の御代文永十一年とかや申候。去レバ此山ニ御入有テ明暮御経どくじゆ被成候所ニ。爰に不思義((議))なる事の候。御経読誦の折節。何国の誰共知ぬ女性一人花水を持テ来り。仏前ニ手向毎日参詣をこたらず候間。上人不思義に思召候所に。則今日彼女人来候程に。其時上人仰候ハ。御身ハ何国の人なれバ。毎日花水を持て来り給ふぞと仰候へバ。女性こたへて申され候ハ。今ハ何をか包べき。我ハ此山の池ニ年久敷住大虵成が。我三ねつのくるしミ有を御経のくりきにより。人間に顕れ来り為((たる))と申され候程に。其時上人シカラバ誠の姿を顕し給へ。猶も有難御経をさつけ給ふずると御申候へハ。其時彼女人左有ハ重而まことの姿を。見せ申さんとてかきけす様ニ失テ候。なんぼうふしぎ成事ニテ候。誠ニ皆人の申候ハ。此山の池〔ニハ〕昔((?))より大虵有て。顕出たる所ハ頭ハ七つ有て。七ツの尾七ツの谷ヲふさぎ。中なかをそろしきかたち成と申伝へ候。若其大虵人間にばけ顕レ出為事もや候らん。先不思義成事ニテ候。然ハ工夫(タクミソレヲ〔クフウヲ〕)上人も奇特ニ思召。弥御経御読誦有り。彼大虵を仏果ニいたらしめ給わんとの御事成間。御弟子達ハ申ニ及ばす。御内の者迄も御経を読奉リ。寄((奇))特を拝ミ申せとの御事成間。皆々其分心得候え〳〵   出立  無地のしめ 狂言袴クヽリ 水衣 腰帯 合仕頭 巾 〔明和三年迄四百八拾五年ニ成 年代記抜書ニ有リ 天和元年此比ハ四百年 日連聖人御父ハ三国氏 聖武天皇ノ御末 遠江守貫名次郎重忠 御母ハ清原氏 天武帝ノ閑院山崎左近義兼娘也 人王八十五代後堀川院貞応元年二月十六日ニ誕生御名ヲ薬王丸ト申 十二才御時同国清住寺道善坊ヲ師ト頼御出家ニなり蓮長坊ト申ス 延応元年十月八日十八才ノ御時自日蓮と改諸家ケンガクノ心ざし十二ケ年極 人王八十八代後深草院建長五年四月八日御年三十弐才ニテ朝日ニ向〕(以下綴じ込みがきつく見えず)   七拾九 和泉賢将 (狂言「)か様に候者ハ。和泉の国賢将と申ス武士ニ仕へ申者ニて候。唯今此所へ出ル事余の義にあらず。頼奉ル人不思義((議))の和泉を持給ふ。此由帝聞し召れ。急きさゝげ申せとの勅使立テ候。此薬と申ハ豊後の国川山の大虵。不老不死の薬に。小桜おとしの鎧を添テ賢将にあたゑ候。されば和泉の徳ハくめどもつきず。諸病悉除の徳をうけ。寒風も身にあらず。又小桜おどしの鎧ハ。悪魔降伏を払切共突共。其劔を通さず寄((奇))特成宝なり。誠ニふしぎ成御事にて候ぞ。是と申も君の政事正敷故。吹風ゑだをならさず民とさしをせず。国家安全に納((治))り目出度御代なり。其上頼奉りたる人常に聖賢の道を学ひ。五常を専と取行。中にも親孝行の御方成ニより。此ことよもつて隠なし。さあるによつて。天道よりのあたゑぞとよろこび申され候。すなわち此おふくの宝をさゝげ。ゑいらんにそなへ給わふずるとの御事にて候。たゞいま大内へ案内被成るゝ間。皆々御ともの用意仕候へ。其分心得候へ〳〵   出立  嶋の物 狂言袴クヽリ 肩衣 腰帯 小サ刀 扇 竹杖   八拾 清時田村 〔早皷ニテ出ル〕 (狂言)「か様ニ候者ハ。清時の御内に仕へ申者ニて候。去程に我等の是へ出ル事余の義にあらず。頼奉ル清時。奥州三津ノ浜に集ル鬼神を。退治せよとの宣旨を蒙り。一大事の事と思召。泊瀬の観音へ御参詣被成候所に。何国共なく童子の顕れ。夫成ハ清時ニてハなきか。此馬に乗り鬼神の安々と退治せよと有しかバ。如何様成御方ぞと御尋あれば。よし〳〵誰成共唯頼メ。しめじが原の一切衆(サシモグサ)生と云捨て。かきけすやうに失給ひて候程に。清時御悦無限。急き奥州へ御立て有との御事なれバ。御供の人々ハ相構て其分心得候へ〳〵   出立 肩衣 狂言袴括ル 右ノ肩抜ク 小サ刀 竹杖   八拾一 湛海 〔早皷ニテ出ル〕 (狂言)「か様ニ候者ハ。北白河湛海の御内に仕へ申者ニテ候。只今此所へ出ル事余の義にあらず。扨も義朝ノ八男沙那王殿と申御方御座候。然ニ此沙那王殿喜知(キイチ)法眼を師匠と頼。兵法を御習候。元より御器用ニ御座候間法眼〔モ〕御悦有ツテ。様々の大事を御伝給ふ所ニ。沙那王殿何と思召けん。法眼の御ゆるしもなきに兵法の一巻を皆出し写シ給ふを。法眼聞召言語道断の振舞かな。此上ハ沙那王を打一巻を取替((返))すべきと思召。まづ湛海を喚出し右之あらまし談合被成候へば。湛海さあらバたばかり討申さうずると御申被成。其義にて有ならハ沙那王をすかし出シ。五条の天神へ参らすべし。ごへんも跡より忍有て。あれにて討給ふべしと御申あれば。湛海御心安思召。あれ程の冠者ヲ討申さんハ何寄以て安き御事也。若時の運悪敷しそんずる物ならば。二度御対面申間敷と云捨て御帰被成。五条ノ天神え御出有ツテ。沙那王殿を御討有べき支宅((度))にて候間。我等が様成者も御供申さうずると存是迄罷出て候。やあ〳〵何と申ぞ。御供にハ一人も召連られぬと申か口惜い事かな。我等も御供に参らふずると存候が。定て足手まとひにいらざる物と思召と見えた。いかさま能々しや((あ))んするに。沙那王殿と申ハ源家の統((棟))領といゝ。余の常ならぬ人ニて兵法ハ不残御覚候へバ。我等が様成者ハ何程参りたりとも。物の数にも思召まい程に。唯いらざる事急て帰らう。拙者一人御供に参らうずると存じ是迄参て候え共。一人もつれ間敷由被仰候間。御存知の方々ハその通り御申有て給り候へ。其分心得候へ〳〵   出立  肩衣裾クヽル 腰帯 小サ刀 右ノ肩ぬく 竹杖   八拾二 信貴山 〔早皷二テ出ル〕 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。忝も上宮太子ニ仕へ申者ニて候。去程に我等の是ヘ出ル事余の義にあらず。扨も此度守屋ノ大臣ハ仏法王法を背き。河内の国稲村が城にたて籠り。諸国の軍兵を集ル由聞召及給ひ。急御退治可有為唯今御出陳((陣))被成。此信貴山の辺に御陳をとらせ給ひ。あけなバ守屋を攻給ふべきとの御事ニ候。夫ニ就爰に奇特成事の候。何国共なく山賤弐人来ルを御詞を懸給ひ。此山より河内へこゑべき道有べしと御尋あれば。其時山人申様。見申せハ夥敷軍兵を召連られ候が。いかなる御方ぞと尋申せバ。是ハ上宮大子守屋を御追伐の為と御申あれバ。扨ハ左様ニ御座候かとて。此所の子細委申上。此山ハ毘沙門天の浄土にて。福寿円満の峯と申上。天の逆鉾の子細御物語有り。我ハ多門((聞))天の化身成由いゝもあへず。其侭かきけすやうに失給ひて候。是と申も仏法の有難徳ニより。か様の寄((奇))瑞も御座有との御事ニ候。然は明日辰の一天に押寄せ。守屋を御退治有べきとの御事なれば。軍兵ハ其分心得候へ〳〵 〔醍醐天皇延喜十庚午信貴山出現〕 〔聖徳太子元文四年迄千百十八年ニ成年代記抜書ニ有り〕   八拾三 犀 〔早皷ニテ出ル〕 (狂言)「か様ニ罷出為((たる))者ハ。和泉ノ小次郎に仕へ申者にて候。去程に源ノ頼朝御狩に御出の折節。此河を御覧ぜられいか様用有げ成躰なれバ、子細なき事ハあらじと御尋有しを。案内者にとへバ犀と云者住故。犀川と申由教へけるを。御前近き人々其ことく申上ルを。頼朝聞召れ其犀と云物ハ。いか様成かたちぞとお尋有程に。又人々彼者にあひて其ごとく尋給へバ。委ハ知らず候え共。犀ハ常住(チヤウジヤウ)に角一ついたゞき。水中をくゞる時ハごミ(())たつて水をわかち。たとへハもろ(シヨ)鳥(テウ)のこくうをかけるごとくにて。すさましき由承りたると語ル。君へ其ごとく申上ルに。頼朝聞召れ左有ら其((ママ))犀の角をとり。家の宝ニなすべし誰かあらんと仰らるゝに。誰有て此事うけ給わらんと云人なきを。有人のひ((い))ゝしハものゝふの風雨雪波をいとふハ。こわきふないくさにあふて。かたきにもうたれす水にもおほれてしなん口をしき物なり。常に心懸給ふこそ和泉の小次郎殿なれば。此人ならでハ誰か覚すといわれ。もつともいわれしごとく一度ハ。水神悪龍ともくまばやとハ思へ共。しもよりはからわれてハかくこに及ハずと有けしき成に。頼朝よりの仰なれば背きかたく。人おふき中にてゑらまるゝ事家の面目。大国の張郎かはやき高波にむかつて。せきかうがくつをとりしに何とておとらんと。御前をたつて宿所に来り出立を軽ク拵。唯今犀川へ出給ふ。夫ニ就我等躰の者共も御供仕度と申上たれば。必無用とハ御意被成たれ共。此度のことなれバ心懸の旁々ハ。いかにも出立とかるく拵。見え隠れに忍て参られ候へ。其分心得候へ〳〵   出立  狂言上下右ノ肩ぬく 竹杖 小サ刀 但シ裾クヽル 酒井彦左衛門書物有 〔同(犀)間 右ニ有ト少替リ有故書置也〕 〔(狂言)「か様ニ罷出為者ハいつミの小次郎ニ仕へ申者ニて候。去程に源頼朝。御狩ニ御出候。折節此川を御覧せられ。いか様用有け成河なれは子細なき事ハ候ましと御尋被成候間。案内者を一口とひけれハ。彼者申上ルやうハさいと申物住とて。さい川と申由語申を。御前の人々頼朝ニさいと申上ル。頼朝聞召其さいと云物ハいかやうのかたちそと御尋有る。彼者申やうハくわしくハしらず候へとも。先犀と申物ハちやうじやうに角一ついたゞき。水の中をくヽる時ハごミ立て水をわかち。たとへハ諸鳥のこくうをかけるかことくにてすさましき由申上ル。頼朝聞召れさあらハ其さいの角を取て。頼朝か家の宝になすへし誰かあらんと被仰るゝに。誰有て此事承らんと云人なし。有人云しハもののふの雨風雪波。こわき舟いくさニ合いて。かたきにもうたれすして。わすかの水におほれてしするこそ口おしき物なり。さりなからかやうの事ハ常にいつミの小二良殿こそ心かけ給ふ人なり。あつはれ仰付られかしと申上ル。頼朝聞召小二良ニ被仰るゝ。いつミ畏て申上ルやうハ。人多き中ニ某を召出さるゝこと((?))家の面目。たいこくの長郎がはやきたかな巳((み))に向ツテ。せきこうかくつをとりしに何とてかおとり申さん。たとへハ水神悪龍共くミ。其角を取つて御目にかけ申さんと。其まゝ宿所へ帰り出立をかる〳〵とこしらへ。たゝ今犀川へ出給ふ。某も御供と申たれ共無用と被仰付た。乍去此度之〔御〕事なれば。心懸の方々へハいかにも出立をかる〳〵とこしらへ。見へかくれに忍て参られ候へ 相構て其分心得候へ〳〵   長府松尾氏書物ニ有〕 〔◯和泉小次郎親衡 犀形如レ水牛ノ猪頭三蹄一角也入レ寸水ニ則水分ニ用フ 数尺〕   八拾四 九穴 (狂言)「か様ニ候者ハ。秩父ノ六郎重安ニ仕へ申者ニて候。唯今是へ出ル事余の義にあらず。頼奉ル御方の。御身の上に大事出来候其子細ハ。先頼朝思召ハ今日ハ日も長閑に候間。由井の浜へ御出有て御慰被成れうずると思召。大名小名不残御供にて彼浜に御出有り。種々様々の御慰にて御酒宴の餘りに。梶原を召出さるゝ様ハいかに景時。何ニても世に珍敷事あらハ申べしと被仰候処に。景時申さるゝハ別に珍敷事も御座なく候。誠やらん此沖の龍宮界に。九穴の貝とて妙成宝珠有由承り候。則九穴の貝と名付ル事ハ。其まわり九の広にして九やう有由申。左有ニ依テ九星の貝共九穴の玉共申由承候。去間此玉を守護又仕ル輩ハ。此世にてハ無比の楽にほこり。寿命たもち又怨敵をたいらげ。来世にてハ安楽国に生るゝと申候間。何とぞ君の御宝物に仕度と申されけれバ。其時頼朝の仰にハ。左有らバ龍宮界へ尋入。今此玉を取て来ルべき者ハ誰か有と仰られしかバ。其時梶〔原〕申さるゝ様ハ。誰々と申共龍宮へ分入覧者ハ。秩父の重安ならでハ覚へす候。仰付られかしと申され候間。左有らハ急き重安を召て来れと仰被遣候間。則梶原上使として。君より御召の由被申御前へ同道御申有〔リ〕。扨右之次第仰出され候間。頼奉ル御方波濤をしのぎ。龍宮界へ入覧事めいわくに候へ共。とかく命を捨ルも君の御為と思召。又何とぞ御了簡も御座有たるか。畏たと御請を申され頓テ御用意有て。わたずミに分入給ふずるとの御事成り。御内の面々も是程一大事の事ハ有間敷候により。皆々せんひをくう事にて候程に。仏神へ祈念をも致シ。玉取給ふ事成就致す様にとの事にて候。龍宮へこそ御供ハならず共。由井浜迄成共御供候え。其分心得候へ〳〵   出立  狂言上下かたをぬぐ 袴くゝル 腰帯 小サ刀 竹杖   八拾五 内府 (狂言)「か様に罷出為((たる))者ハ。家貞に仕へ申者にて候。去程に我等の罷出ル事別の義にあらず。新大納言成親ハ今禁内を広クする故。浄海の御事を散々にさんしん申程に。帝御承引なされ。平野((家))の一門を亡シ給わんと有事を。たが沙汰するとハなけれ共。悪事千里を行とやらん云ごとく。最早浄海へきこへ入道おもわれけるハ。所詮代を治ン間ハ。仙洞を鳥羽の方丈に押籠メ参らせ。じんきんをなやまし申さん。其時北面のやつばら。こひ(( 小)よやう(兵 ))のさひや((錆矢))にてふせく事あらふす。味方ニも其手たてせられよと有ニより。家貞定義の返事に先御心をしつめられ御一類をよせられ御談合あれかしとゐわれたれば。浄海殊の外ふくりうにて。面々を頼にあらず。余人をこそかたらふべけれと有ニより。二人ハおどろき先々御請を被申。我等に仰付らるゝハ。早々行まわつて辺土の軍兵ニ触て。皆々よせよとの御事なれば。急て触申さうずる。いかに辺土に住給ふ軍兵達慥ニ聞給へ。其御触ハ去ル子細有ツテ。西八条殿御謀叛にて候間。其身〳〵にわふじたる出立にて。家家の御旗印をたてならべ。早々被参候へ。又馬をもひかへかしらをもいたさん人ハ。武具をわすれ給ふな。鎧甲さしものむちゆかけ。扇ハ金銀にだみて。其下々にけじ((下知))をなせよとの御事なり。相構て其分心得候へ〳〵   狂言 上下左ノ肩ぬく 袴クヽル こしおひ 小サ刀  竹杖   八拾六 一来法師 (狂言「)か様ニ候者ハ。渡辺競の御内の者ニて候。我等の是え出ル事別の義にあらず。先宮軍の発と申ハ。頼政の嫡子伊豆守仲綱の。皇((星))鹿毛と云名馬を持れけるが。餘りに秘蔵被致シ故。あだにも引出ス事のなければ。木の下ト号シ自曼((慢))限りなかりし所に。其比平の〔右〕大将宗盛ノ聞付給ひ。折々御所望被成けれ共。仲綱ハ身ニ替て惜ク思ひ給ひ。しばし有て参らせけれバ。右大将なのめならずに悦給い。内馬屋に立て御籠((寵))愛被成けるが。されども延引の程をにくしと思召か。其仲綱目ニ鞍置(ヲケ)。伊豆守引出して攻よなどゝ宣ふを。頼政父子ハ伝へ聞。骨随((髄))にしミて口惜ク思われ。高倉ノ宮へ御謀叛のすゝめられし事が。悪事千里と其隠無して。宗盛の聞付瞋り給ふ。又大内ニも聞し被召。以の外ニ逆鱗有し程に。宮ハ京都に御叶ひ無して。三井寺へ入御被成しかバ。頼政父子も家子郎等引供シ。後朝に園城寺へ被参し刻。頼政の御内に競竜((滝))口と申て。無隠兵の有しが如何思ひけん。都に一人とゞまりけるが六波羅へ参り。何とかたばかりけんこかすげと云名馬を給り。競ハ兼て期したる事なれバ。あしたに彼馬に乗り三井寺へ馳行。伊豆守にあひ此由かくと語し間。頼政父子渡辺等ニ至迄。皆々喜悦ノまゆを開たると申ス。其まゝ彼馬の尾髪を切り。平ノ宗盛入道とかなやきあて。逢坂捨て追ツ放ければ。元より名馬なれバ。恙無ク六波羅へ来りし故。平大将大きに瞋り給ひ。扨ハ競にたばかられけり。何とぞして此度ハ生捕にせよとて。其侭へひをわけて差遣さる。左有に仍テ園城寺ニテハふせぎがたく思ハれ。南都の衆徒を頼まんと思召か。夜中ニ是迄御座被成て。宇治橋の板を引放シ。宮ハ御しん所へ入せ給ふ。なんぼう気毒な事て御座候。其元のにぎやかなハ何事ぞ。やあ〳〵じやあ。夫ならバ此躰でハ成まひ支宅((度))を致さう。乍去我等を尋ル者あらバ御知らせあれ。構て其分心得候へ〳〵   出立  狂言上下右ノ肩ぬく 袴クヽル 腰帯 小サ刀  竹杖   八拾七 菅承((丞))相 (狂言「)是ハ比叡山法照坊ノ僧正に仕へ申能力にて候。唯今これへ出ル事余の義に不有。仁王六拾代醍醐天皇の臣下。菅承相ハれうぜんゑじやう((霊 山 会 場))より降人にて。御幼少の時より利根第一にて。学文の為当山に登り。僧正の御弟子と成給ひ学文世にすくれ。詩哥管弦((絃))迄くらからず。かゝる奇((希))代の御方なれハ。帝の御寵愛浅からず。万事菅承相にこす人なかりしかば。百管((官))卿相そねミ。時平ノ大臣讒奏により。既ニ流罪におこなわれ。延喜元年正月廿五日ニ。筑紫安楽寺へ流され給ひ。鄙の物うき御住居。慰方もやなかりけん。都庭上に植給ふ。御罷((寵))愛の梅レ松桜を床敷思召。御哥をよミ給へハ。草木心なしとハ申せ共。主の別を嘆(ナケキ)き筑紫へ飛行候間。御悦被成たると申す。惣じて菅承相ハ漢朝まで。隠なくはくきよゐにもこへ給ふ。上代にもたぐ〔い〕なき。神変奇特の(ナル)いきどをり。又ハ人間無(※)実の難を遁(ノガ)さん〔※サイナンヲノガサン トモ云〕為の御方便にや。顛沛(テンハイ)が峯と申へ御あがり有て。七日七夜梵天ニ祈誓シ。天満大自在天神ト有ル巻物降下ル。夫より鳴雷公ト成テ都へ御登り有テ。雷電稲妻頻りにして。内裏より僧正に御出有つテ。御祈禱あれとの勅使度々重りければ。御参内有べきとの御事にて。御車を出シ申せとの御事なり。皆々御供の用意仕り候へ。其分心得候へ〳〵   出立 無地のしめ 狂言袴クヽル 水衣 腰帯 かうし頭 巾 扇   八拾八 今生巴 (狂言)「か様ニ候者ハ。今井ノ四郎兼平の御内に仕へ申者にて候。我等の是へ出ル事余の義に不レ有。木曽義仲の御内に。巴と申女武者を召連らるゝ。此巴と申御方ハ強(ツヨ)弓の精兵。討物とつてハ鬼神をも不恐。誠に一騎当千の兵なり。殊に人の手ごたゑしたる。荒馬をもきよく乗ル程の御方成ル故。数多の軍兵討れけれ共。友絵ハうす手をもこうむらず。夫程の人なれ共義仲何と思召候や覧。友絵にむかい被仰るゝ様ハ。我ハ此度討死せんと思ふなり。汝ハ何方へも落行候えと御諚あれば。其時泪を流し古郷木曽を出ル時より君に付そひ。片時もはなるゝ事もなく候間。御最後の御供せんと宣へハ。義中((仲))御意には我が最後迄。女をつれたりと人のこうなんも如何成。なんじハ急古里へ帰り此様子を語ルならハ。供にハまそうずるとしきりにいさめられ。即御形見を被遣けれバ。力不レ及泣々りやうじやうし給ふ。友絵の御心中痛しき御事にて候。いや某なとも能々思安((案))ずるに。今迄数度の合戦に討もらされたルはふしきじや。巴程の人さゑ御暇を被下たに仍。我等ごときの者も。猶いらぬ物ぢやとおぼし召れうハ一定ぢや。某なども是よりすぐに何方へ成共のこふと存ル。唯急でのけ〳〵   八拾九 楯尾 ヲモ「きいたか〳〵 アト「何事を云ぞ ヲモ「今度の事ハ聞ぬか アト「いや何共聞ぬ ヲモ「さりとてハぬかつた〔コトヲ云〕者ぢや 聞ずハ語ラウ 頼申藤左衞門殿ハ物詣とて御出被成た。其御留守に嶋津方と。我等のほうばい共少の口論をして。嶋津方を数多あやめたにより。相手大にいかり軍をせうすると云に就テ。御内の楯尾殿ハ。頼ふた人の舎兄菊地殿と云合テ。是悲((非))一合戦せいてハ叶わぬと有時。藤左衞門殿の御子息千若殿是を聞せられて。此度の軍場へこそ出テ。花々敷軍し年寄ての物語にせうずる。其家に生れ常に心懸ルといへ共。手馴事ハうたかわしきに。此様な義ハ有舞とよろこばせらるゝを。楯尾殿ハめいわくさせられ。伯父の菊地殿を頼ミ。又母子などへも語申され。種々に留給へ共聞入給ハず。母子の御申有に此事を聞ずハ。今日より勘当するぞと迄仰らるれ共。中々親の仰ハ聞入てハ御座れど。弓矢の家ニ生れ。後名をおしまぬ者が誰かあらん。母のめいハそむかじとすれバ父の種をうしのふ。こゝの月胎内に宿り。出生してハ養育せられ。荒風おも我が身にてふせかるゝ。恩ハ云もおろか成事なれ共。こつにく((骨肉))の利((理))をとくしん((得心))するに。又父の恩ハあげてかぞふるに及はず。其上軍陳((陣))にて。能敵を心懸組テ首を取り。其名をのこす事ハ餘り珍敷からずと。いさミにいさんでおりやるによつて。もはや叶わず。御用意有テ御出有るが。汝等ハ御供致まいか アト「夫ハ扨いたいけな事ぢや。何がお供をせぬと云事が有ふか。たとへハ人ハともあれかし。身共ハお供致すぞ。去共つをミはかりがよいてハなひ。是ハかんの有事さうな程に。先親ぢや者と居て談合して。母ぢや者に方々神々へも宿願してからの事にせうぞ ヲモ「やれ〳〵のくか。さたのかきりな事ぢや。あれら躰ハこふこそ有ふと思ふたれ。千万人がのくとまゝよ。後名かをしい程に。某ハぜひお供を申て打死を心懸ル事ぢや。何と云ぞ早御出と申か。夫ならバ此躰てハ成まい。やあ〳〵皆みなを頼申ぞ。若我等を尋ル者有ハ早々御知らせあれ。構テ其分心得候へ〳〵   ヲモ 間 狂言はかまくゝル かたきぬはたぬく こしを ひ 小サ刀    ツレ 狂言上下 〔(ヲモ「)皆々承り候へ。我等が主の菊地殿。嶋津方といつたんのこふろんの上にて。大けんくわになり。嶋津方を大せい打取テ候其事嶋津殿御聞候て。多せいを以テ只今此所へ。よせ来。御事一定にて候間。此方ニてもおびたゞ敷御用意にて候が。爰にせうし成事の候。夫をいかにと申に。菊地殿の御兄弟。藤左衞門殿と申ハ。御物詣にて他行にて候か。御子息に千若殿と申て。幼き御方の候か。皆々御内の者共を召れ。此度の御合戦に。御出候半と被仰候間。御内の立尾。色々御とめ候へども御せういんなく候。其上御母のしゆぐ(())に御とめ候へとも。中々御同心なく候。まことにぶけのとうりやう程有ぞ。ついに御出候よしに定り。おうへより十((重))代の御太刀を千若殿へ被遣候。此度之事にて候間。御内の者共男ハかミ六十。下ハ十二三をかぎりに。一人ものこらず罷出候へ。其分心得候へ〳〵〕 〔(ヲモ「是ハ菊地殿の御内ニ仕へ申者にて候。去程に嶋津方とハ親のかたきにて候。我等主せんま殿ハ。御袋に御いとま申され。嶋津方へとりかけさせられうずるとの御事にて候を。立尾と申御内の人。色々申とゞめられ候へ共。若子被仰候ハ。それさむらいの子ハたいないにて。おやのなき事を聞七才にて。おやのかたきをとるも有とかや申程に。せんあくと被仰候。それに付て伯父子の藤左衞門殿も御ともにて候程に。我等に人数をあつめ申せとの御事ニて候間。一人ものこらず参られ候へ。其分心得候へ〳〵〕 〔右之間ハ。初ニ書テ置間二番とハ。文句ちがいのやうニ存候。それともに。めづらしき間故。先うつし置。謡本と引合。いづれがよろしく可有哉〕   九拾 異国退治 (狂言「)か様ニ候者ハ。筑前の国鹿の沖ニ住水神にて候。只今是へ出る事余の義にあらず。神功皇后異国のゑひすを御退治有べしとて。此所にて御舟を揃られ候。又吹上と申所ニ松を植させ申さんとて。勅使此所へ御下向候所に。龍神顕れ給ひければ。勅使ハ何となく詞を掛られ。松の目出度子細共を御尋候へハ。翁こたへての給ふ様。松と申物ハ雨露霜雪の化さゝるハ。是第一の徳成へし。其上十八公共云。一千年の色雪の裏(ウチ)に深しなどゝ申て。目出度物にて有由御物語被成。扨又三韓を亡シ給わん事。何より目出度御事也。さやうにあらハ新羅百済高麗のゑひす共ハ。定而船軍を好むべし。然ハ龍宮に候干満の両顆を借り給へかし。干珠と申珠の徳ハみなぎる水をもほす珠也。満珠と申ハ陸をも海になす玉なれバ。ゑびす共舟にてよせ来らん所を。干珠を持て汐をほし舟のうごかぬ所を見すまし。火を放て責((攻))ならハ。廃亡して舟よりおりてたゝかわんところを。満珠を持て俄に汐をたゝへ。浪にたゞよわせ候ハヽ。異国のゑびすハ一人も生て帰る者ハ候まじ。然ハ三韓の事ハ申に不レ及。天竺震旦迄も武勇ヲ恐れて。招さるに随申へしと御物語候。左有ハ鹿の嶋明神を勅使として。龍宮へ遣スべしと有けれバ。其儀ならバ此尉が帰りて両珠を捧て。其上異国迄も御供申べしとて。先海中に入給ふ。此君女帝の御身として。かゝる大儀を思召立給ふに。天神地祇も納受有て御かといでの御吉きやう。誠に目出度御事にて候。然は八大龍王を始。諸のけんぞく迄も御供仕れとの御事なれば。小龍水神海藻鱗迄。皆々御舟を守護し御供仕候へ。其分心得候へ〳〵   九拾一 松靏西王母 (狂言)「か様に候者。此国の傍に住仙人にて候。扨も漢ノ文帝賢王ニテましますにより。吹風枝をならさず。たミ戸ざしをせず何事も思召まゝに御座候。就夫爰ニ松靏と申て。目出度夫婦のものあり。多ク子を持富貴栄花に暮し候。是と申も彼者道を学び天道に叶ひし故なり。去ルに仍テ西王母松靏が。志を感し桃実をあたへ給ひ。弥富貴の身と罷成て候。此事かくれなければ。勅使をたてられ。急ぎ松靏が館を見て参れとの御事にて。勅使松靏が許に御つきにて候程に。松靏色々の御物語を仕り。西王母を伴ひ舞楽を奏シ。慰申さうずるとの御事成ル間。舞楽見物仕らふずると存じて是まで罷出而候。皆々罷出て見物致され候へ。其分心得候へ〳〵   九拾二 武王 (ヲモ)「是ハ周の武王に仕へ申官人にて候。誠に此君堅((賢))王にてましますにより。諸公民百性((姓))に至迄此君を崇奉ル。夫をいかにと云に。殷(イン)の紂王(チウヲウ)の御政乱れ。悪逆不道をたくミ給ひ。諸公国土の民百性の。訴申事を聞召いれられず候程に。万民の悩是に過す候。我君の御恵深き事を聞。あわれ我君の御代になし度と。此君を仰き奉ル事かきりなく候。君ちう王の悪逆を委聞召れんがため。今日ハ此辺へ御幸被成候間。皆々此殿へ参内申され候へ。其分心得候へ〳〵 ヲモ「扨も紂王(チウヲウ)の御政乱たる子細ハ。だつきと申后を御罷((寵))愛候て。酒の池をたゝゑ日夜朝暮の御酒宴ばかりにて候。又ほしじゝのはやしなどゝ申て。御肴共を林木のしげきに立ならへ。其中にしてよるひるのさかいもなく御酒盛にて候。左様の事を大臣如何と思召。御政をいさめ申され候へば。汝は賢人にて有。賢人の胸をハ七けう七かう七つの穴七つの毛がはゆる。常の人にハ替ルと云事有リ。先是をゑいらん有べしとて。怱ニ胸をさきてゑいらんある。是を見聞大臣達或ハ逃去山中ニ隠などして。いさめ申人なかりしかば。弥悪逆不道を被成し間。我君の御恵深き事を承及。諸公天下の万民に至迄。あわれ紂王を滅シ給へかし。武王を崇奉り。国も治ル様にと存ルにより外の事ハなく候 ヲモ「扨々日比の諸人の望たる事ハ。只今叶ひ申て候。近比目出度御事にて候ぞ。紂王の悪逆不道を武王聞召。左様にみたんにしてハ。民百性のめいわく尤也。其義ならば急き紂王を亡し。天下安全になすべしとて。はや大公望を((ママ))諸侯を集軍兵を引具し。ほくやへ先係をなされよとの御事にて候間。官人共罷出八百の諸候((侯))達。其外天下の民百性迄も。此由を相触。兵を集メ候へとの御事にて是迄罷出テ候。皆官人達も出られ候え〔シカ〳〵 常ノ通〕  (アト)「方々を呼出す事余の義にてもなく候。各もしられうが数年紂王悪逆により。民の悩太((大))方ならぬ事にて候。就夫君の民を哀ミ慈非((悲))を専として。天下を閑にと思召事隠もなくて。是非共武王に紂王を亡し給へかし。左様の事あらば八百の諸候民百性。立子這(ハウ)子いざる子までも。武王にしたがいあつめ奉ルへしと望。武王聞召さあらバ紂王を亡し。天下安全ニなすべしとて。早大公望に大将を被仰付た。夫に付て官人共罷出。天下へ此由を知らせ。兵をあつめそろへ申せとの事にて候間。呼出して候〔アト シカ〳〵〕  ヲモ「其事にて候。紂王の悪逆申も愚にて候。御政乱れ明暮御酒宴にて暮し給ひ。悪をたくミ御申有り。御心にいらざれバとが人と号して。炮●((?))の法と申事をたくミ出し。庭上ニ銅の柱を二本たて。其上にてつのあミをはり。下に炭の火をこと〴〵しうをこして。彼罪せらるゝ者に大きなる石をおハせ。官人銅の柱へおいのぼせ。てつのあミを渡らせ御申有。其時かの者ハ靏頭(クハクドウ)のごとくなり。炭の火の中へ落焼死候。物にたとへハ焦熱大せうねつ黒縄(コクセウ)集蔡(シユコウ)なとゝ申。地獄をうつしたる様躰にて候間。見聞人おぢおそれ或ハ行末をしらず落行。又ハ位を捨あさましき身となり給ふ。とかく紂王ハじひをきらいて悪道を好ミ給へハ。西伯左様之悪逆を深くいたミ。人をあわれミとうきをなつけちかきを恵給ふにより。天下の万民たいテイせいはくになびきしたこう紂王聞召。大きにいかりせいはくをいうりしやうに禁給ふ。さりながらせいはくの臣下達なげきかなしミ宝をささげ。名高美女などあげ御きげんをとり。謀り申されしかば西伯をゆるし給ふ。か様に筋なき事ばかりなれバ。紂王の臣下官人ニ至迄。あわれ我君の御謀叛をおこし申され候へかし。御味方を申。武王を代ニ立崇ントノ事にて有ル。是程天道に御叶有たる事ハある間敷と存候。大公望頓テ御出有うずる間。国々ゑふれ申さう アト「尤よからう乍去。皆々ふれをなす事ハ成ましく候。或ハ川をこへ。山路海土をへだてゝの事なれば。俄に参る事ハ成まい程に。某ハ帰ルぞ ヲモ「いや左様に申さバ。参ル者ハ有まい我も帰ルぞ  同(「)言語道断の事にて有〔ル〕。是ハふれずとも望かけたる事なれば。聞伝へ見伝へ先々より。御味方に参ふする事うたかいも有ましい。何と申ぞ。大公望周公旦(シウコ タン)御出有と申か。某も此度ひらい((拾))くび((首))なりとも致うと存ル間。先陳((陣))へ参る程に。皆々武王へ御忠節のかた〳〵ハ。此度加勢被成候へ。其分心得候へ〳〵 商共 冀国侯(キ コク コウ) 姓(ハ)姜名ハ尚字ハ子牙(ガ) 殷共云 蘇護(ソゴ)カ女 大公望ト云 乙   妲己  受辛(三男)塑  微子(長子)啓  微仲(二男)衍  武王 姜后ヲ廃シ 妲己ヲ后トス 西伯公 姫発 姫旦  周公旦也 姫蔡(セキ?) 西伯侯姓ハ姫 名ハ昌後ニ周ノ 文王ト諡ス   九拾三 二度掛 (狂言)「か様ニ罷出為((たる))ハ。梶原殿の御内ニ仕へ申者にて候。去ル程に只今是へ出る事余の義にあらず。平家は木曽義仲に都を落されちり〳〵に御成なされ。津の国一の谷に逃籠り給ふ所に。東国兵衞佐殿院宣にまかせ。木曽殿を打果し猶も平家を亡シ申さんとて。義経範頼六万余騎にて向給ふ。此生田の森一の谷の大手搦手を責((攻))てハ。中々打取へき事に有へからずとて。搦手の大将判官殿ハ。御陳((陣))を僣ニひらき御申有べし。緩の山三草越と申にとかう有テ。御せめ有べきとて趣((赴))キ給ふ。定て是ハ鵯越をハ落し御申有べきとて。頼奉ル梶原父子ハ。河原太郎の打死有たる生田の森の逆茂木とらせ。たぐいなき御はたらきなされ引取給ひて候え共。源太殿の味方の陳に御見ゑなく候間又敵の中へ御入有り御尋有べきとの御事にて候 我等も日比習申たるほうの手なりとも出し源太殿の助太刀を打申べきため罷出て候へども定て木戸より内へ深入し給ひて敵に取込られて御入有う 然る処へかけ込テ我こそ源太殿の味方の者ぞと口にて云たりとも敵の太刀のかけを見たらバこしがぬけうず さふあらバ味方の名折にて有ル程に只味方の陳へ罷帰うと存る なふおそろしや たゝのけ〳〵   九拾四 融通鞍馬 (狂言)「是ハ鞍馬寺多門((聞))天の眷属の第一天の邪鬼とハ我事なり。扨も当山の大非((悲))多門天ハ本地妙覚の仰を出テ。三明六道の自在を現シ。柔和を内に秘し給ひ。忿怒の姿に。悪广降伏の鉾をもち忍辱の鎧甲を着シ。仏法王法を守護し給ふ。日本最初の霊場。難波の津に跡をとめて天王寺と申も。増上((長))広目多門持国の四天を勧請し給ひて。仏法擁護の影久し。中ニも此鞍馬山都ニも遠からず。王位国家の御守他に異なる霊山成り。然ハ大原と申所ニ。たつときちしきの御座ス。御名を良忍上人と申候が慈非((悲))の願のおこし。ゆづう念仏を世にすゝめ給ふ。然ルに多門天王ハ。釈門加護の御眸りに感涙をうかめ給ひ。かゝる貴キ上人に。親りにきとくをもおかませその念仏の名帳に四天王を初。梵天帝釈閻羅冥官。諸眷属迄載せ申ス物ならバ。結縁トいゝ一ツハ又迷深き一切衆生の難を晴し。信心の出来ル様とて。様々の御事有り 普ク諸天善神残らず進メ。今三日が内に名帳に記シ。上人あたへ給ふべきとの御事なり。我住山といゝなから。名にあふ鞍馬のくらきにまよふ天の邪鬼も結縁にひかれ。成仏せん時にあふたるうれしさよ(ハ候)。山神木魂の類迄姿を顕し。上人に結縁仕候え 其分心得候へ〳〵   九拾五 仲算 (狂言)「か様ニ候者ハ春日大明神ニ仕へ申末社の神ニテ候。只今是へ出ル事余の義に有ず。此度禁仲((中))ニおいて。南都北嶺の宗論有べきとの御事にて。天台ニハ横川のさいぎう。法相宗ニハ松室の仲算を撰ミ出さるゝ間。仲算都へ登り給わんとて。已(スデ)に木津川につき給ふ所に。一ツハ仲算心中ゑとくの為。一ツハ仏神加護のきずいを見せしめん為ニ。木津川の水ノ屋ノ神ン自在を以テ。彼川ニ洪水をたゝへ。大浪をたて。則彼神(カノカハニ)老たる舟人となり出迎給ふ所に。か程の高水ニ老衰たる老人なとが。一人にて舟を仕覧事ハ危しと有しかバ。翁あざ笑の給ふ様ハ。さらバ何とてそれより危き宗論にハ出給ふ。此川水を法力にて渡り給わん程にてこそ。流石の仲算共申べけれと恥しめ給へハ。仏法ニハ様々の妙力有といへ共。洪水を渡ル方便ハなし。いや方便こそ有たる例の候。古往((いにしへ))の尊意僧正ハ。加茂川の洪水を車ニて渡し給ひしも。行徳法力にあらずやと有しかば。さあらバ法力にて渡してみんとて。慈非((悲))万行春日大明神へ祈誓し給ひ。御足もぬらさず渡り給ふと。翁ハかきけす様に失給ふ。仲算寄((奇))異の思ひをなし。弥都へと急給ふ。係ル貴き高僧なれバ。春日大明神御姿を顕シ論證ヲモ被成。此度の宗論に勝給ふ様にとの御事なり。か様に天神地祇迄も守り恵ミ給ふ御僧をハ。末社迄も罷出値遇仕れとの御事なり。構て其分心得候へ〳〵   九拾六 星 〔間脇ノ供シテ出ル官人也 太皷座ニ居ル 脇名乗テ「紀信 ト詞有テ地へ取 謡シテ呼かけ地へ取 少謡有テ中入過ワキ呼出ス〕 (狂言)「御前に候 (狂言)「畏テ候。扨も〳〵目出度事かな。君今夜天より御告の候。明日の軍にハてきを。こと〴〵く御退治有べきとの御事也。ときのかね太皷の相図にまかせ。軍官こと〴〵く揃申さるゝやうにとの御事なり。皆々其分心得候え〳〵   同(星) 立間 〔 初ノふれ斗にて中入の間相済事か 又立間斗ニテ済か 聞合可申候〕 (狂言)「か様ニ罷出為((たる))者ハ。漢高祖の臣下韓信ノ御内ニ仕へ申者ニテ候。去程に我等の是へ出ル事余の義有ズ。扨も此君高祖ト申奉ハ。秦天下を納((治))給ふ所ニ。楚項羽秦始皇の都ニ責((攻))入リ。我代を持ン事(ト)論給ふにより。已ニ戦に及と雖ど勝ヲ不得。頼申人御心ニ思ハるゝ様。何とぞして此度の御合戦に利ヲ得度思召此事ヲ紀信と御談合有所ニ。紀信宣ふ様ハ。仰の如ク我も内々左様ニ存ル也。然らハお事の思召通り大将へ御申あれと宣へハ。扨ハ旁も御同心ニ於テハ。諸共ニ高祖に申上ンとて其座を御立有所ニ。何国共無ク童子来り。我ハ高祖の本命星成り絶ス守ルといへ共。大将祭事おろか成り。我((先))戦場ニ出ン時我ヲ念ジ軍神ヲ祭給ふならバ。必ス勝軍と成給事うたかいなし。汝等君を思ふ故也といふもあへず。其まゝ暮に失給ふニより。両人乍喜悦の思ひを無((な))シ。早々高祖の御前ニ参此義を被仰上けれバ。御祝((悦))なのめならず候。やあ〳〵其元のにぎやかなハ何事ぞ。扨も〳〵早ひ御事かな。はや皆押よすると申か。夫ならバ此躰でハ成まい したくを仕らふ。然らハ各々を頼申ぞ。若頼ふた人の我等ヲ召ハ早々御知せあれ。構テ其分心得候へ〳〵   九拾七 飛鳥寺 (狂言「)か様に罷出為((たる))ハ。当寺の住僧に仕へ申能力ニテ候。去程に我等の是へ出ル事別の義に不レ有。当寺ニ於テ不思義((議))の他((化))生の者有テ。色々形を顕し老若をおどし候子細ハ。児の姿となり。又ハ出家山伏男女居((異))類いぎやうの姿を顕し。或ハ寺中の門にたゝずミ。森の木末に顕れ神変ふしきの事をなし。此比はしゆらうに上テ鐘お突。初夜の時分にハ後夜。人しつまつて鐘を突程に。誰云共なく鬼が住などゝ云ふらす。夫より人の出入もなく。当寺のはめつと成とて下々の者ハ是を悲しミ。いかゞせんと思ふ処に。此事院守聞付給ひ。是ハ安からぬ事なれバ。何とぞしてけせう〔の者〕をたいらげ度思召せど。他生ハ自在をゑてさだかに目にもとゞまらぬ程なれバ。大形ニテハとらゆる事も切事も成ましいと思召。寺僧達をあつめ此義を御談合被成るゝ所に。皆々のたまいける様ハ。とかく他生をたいらぐるものハ。道場法師より外にハ覚がなし。此仁こそ可然由被申ければ。則召寄られ此段を御物語有ければ。彼法師の給ひける様ハ。仰にて候え共。あの目にも見へぬ飛行自在の他生を。たいらぐる事ハ中々思ひもよらぬとの給ふを。院主被仰るゝ様。寺中広しといへども。御身より外に退治しそう成者ハ有ルまし。とかく〔◯是((朱))ヨリあとにかいて有がよし〕早々思召立給へと様々御いさめ被成ルれば。其時道場被申るゝ様。某を人がましく思召被仰付。外分かた〴〵忝なきとて。其まゝ仕((支))宅に帰られたが。いか成他生にも有レ仏力に勝事ハ成まい。道場が手にかゝり。ほろび候ハん事ふびん成事にて候。やあ〳〵何と云ぞ。はや支宅((度))をして出らるゝと云か。夫ならバ爰元に居て自然お目にかゝつたらバ。お供に参れとあれハこわ物ぢや。只急で爰をのけ〳〵   出立  むしのしめ 水衣 狂言袴くゝり こしおひ  こうしすきん 〔◯(狂言「)ぜひともと御頼有ニより。此上ハ力なき事。寺の為と申住侶の仰にて候程に。先罷出テ。何とぞ心の及たけハ仕て見申そうすると。りやうぜう有テ御帰りにて候。いか成けせう成共。仏力ニハかつ事ハなるましい間。道場法師か手にかゝりて。ほろひ候ハん事ふびん成事にて候。やあ〳〵何と云ぞ。はやしたくをして出らるゝと云か。それならバ爰元ニいてしぜんお目にかゝつたらバ。おともに参れとあれバこわ物じや。たゞ爰をのけ〳〵〕   九拾八 真田 (狂言「)か様に罷出為((たる))者ハ。岡崎殿の御内に仕へ申者にて候。只今此所へ出ル事余の義に不有。兵衞の佐頼朝ハ。伊豆の国に流人の身となりて年月を送り給ふ処に。遠藤武者盛遠入道文学。度々伺公有テ物語の次に。時々御謀叛を進奉り。終にハ都へ忍上り院宣を給り伝て。頼朝に奉り給ふ程に頓テ儀((義))兵をおこし。先八牧判官を夜討ニし給ふ。是に仍テ国中の騒動不斜して。大場の景親を大将として。平家重恩の武士を集らるゝに。三千余騎と著到を付。則土肥の杉山に陳((陣))をとる。源氏にも一人当千の人々三百余騎。小早川に御陳の召れ戦給ふ処に。今日ハ牛((互))角の合戦にて候。十分が一分の勢ニテ牛角の合戦ニテハ。終にハ御運ひらかるゝ事堅ク御座有べし。所詮大場が舎弟股野五郎手痛軍をする人なれバ。先是を討取度とて。岡崎殿の子息真田与市殿に被仰付。今夜の軍に必股野と組候へと被仰渡テ候。大切成御事ながら御請を御申有テ。御立被成候が近比大事にて候。仕合も運による物なれバ。与市殿の仕合が能テ。景久と組テ手柄をもなさるれバよい〔が〕。もし出合給わぬ事も有うずる。又出合給ひても。能(ヨキ)時分を見合。はづされなどしたらバ何とあらうするぞと。皆々せうしに存ル事にて候。去ル間諸軍勢御用意有て。追付打立給わふずるとの御事なり。皆々其分心得候へ〳〵   九拾九 比良 〔(ワキ「)抑是ハ能州ゆ〔ス〕るきの山伏ニテ候 又是ニ御座候少人ハ近江の国坂田何某と申せし人の一子ニテ御座候が去ル子細有テ幼少の時より某か坊ニ御入候か利根第一の人ニテ学問御勤候 又入峯有度由常々被仰候へ共未おさなき事なれハとめ申所ニ当年入峯セテハ叶ふましき由御申候程ニ我々同道申此秋入峯仕候 ◯ワキサシ ツレウタイ カケ合テ上哥地有テ〕 〔下地「〽日も数そいて行程に。〳〵。かりねの枕苔むしろ。しきちの宮をふしをかミ。はる〳〵きぬるあつさ弓つるか((敦賀))のけい((気比))を過行ハ。色つく木々のあらち山梢になミを水海の。舟のかいつや浦つたいひらのとまりにつきにけり 〳〵〽 ワキ「急候程に比良の伯((泊))ニ付テ候 庄司ト申者ノ所ニ伯候べし ツレ「然べう候 ワキ「いかに案内申候〕 狂言ヤト「案内とハ先達の御出にて候。又当年も御峯入目出度う存候 ヤト「心得申候。去々年より峯入の御沙汰候べし。当年ハ殊に大勢御入にて候。庄司が許に替らずお宿の事を祝着申て候。随分御地((馳))走申さうずる。殊に小人も御入候。定而御草臥候べし。洗足をも申付うずるにて候 〔ワキ(「)いかにかた〳〵へ申候 是よりワキ子方詞有り クトキ 下哥 上哥 地又ワキ詞 子方謡 クトキ 下哥 地 曲舞過テ〕 〔(ワキ「)実々此上ハ力及ハぬ事 彼比良の何某を打((討))テ参らせ候へし 去にても本山ニテ存候ハヽ其((某))具足をも笈ニ入候へき物を口惜こそ候へ ツレ「其時賢学阿闍梨申様何をか包申べき おとわか殿ニたのまれ申皆々物の具を笈ニ入候程に先達の御腹巻をもあじやりが笈ニ入参りて候 ワキ「かゝる御心つかいこそ候ハね 乙若殿こそ御かくし候共かた〳〵を恨申て候か 只今の御心つかいに諸事を忘テ候 扨比良の何かしかたち((館))ハ何方のしろ((城))にてか候覧 ツレ「さん候承り候へハ此宿より十町斗引あかり山のふもとにしろをかまへて候由承テ候 ワキ「扨大事ニて候 いつれに今やニ忍入テ打候へし 此座敷ハていしゆの有所より引のいて候程に夜ニ入て閑に忍ひ出べく候 先こうりきをつかわしてしらぬよしにてしろの躰を見せばや思((ママ))ひ候 いかに強力〕 ゴヲリキ「御前ニ候 〔ワキ「汝ハひそかに比良の国久かたちへ立越城の用要ヲ見テ来候へ〕 ゴウリキ「畏テ候。仮染なから一大事の義を被仰付た。去ながら兼てか様の事有べき旨をバ。小先達あじやりのふかくたのまれて候程に。随分心を付テ見て参らう。扨々橋のようがいきび敷ていにて候が。おもふたよりも心安ひ事じや。いかに申上候。城の様子を見て参て候が。堀をほり廻し橋をかけ。一段とよきかまへにて候。去ながらへいもほりも只一重にて。中々用心とハ見へ不申候 〔ワキ「扨其辺にくろみハなきか〕ゴウリキ「さん候 此宿をはなれて。五六町も参候へハ森の一村候 〔ワキ「さあらハ其森の中にてこゝろ静ニ物の具を仕候へし 其分心得候へ〕 ゴウリキ「畏テ候 〔ワキ「〽かくてやう〳〵夜も深ければ。人目をしづめてめん〳〵に〽 ツレ「〽笈かたはこのからミやう。はやきを用ル行者の道〽 ワキ「〽いかなる山陰そはつたひも〽はしり馴たる山伏の 〳〵 足おともせす忍ひ出里をはるかにへたてつゝ森のこかけに入にけり〳〵 ワキ連強力皆々中入スル 狂言女走リ出ル〕   同(比良)後間 女「是ハ浜の庄司が召仕にてさむらふ。一大事の事が出来候まゝ。急しらせ申さばやと思ひさむらふ。如何に此内へ案内申さむらふ 〔江川「荒不思義((議))や 夜陰ニ女の声ニテ案内と呼テ木戸ヲ扣候 案内トハいか成者ぞ〕女「わらわゝ浜の庄司の召仕にて候。御館の御為事急成ル大事の出来テ候程に。しらせ可申ため参て候。急で其由御申候へ 〔江川「暫クまて ゑい((び))をはついて入候へし 暫待候へ 殿へ申入うするぞ〕女「畏テさむらう 〔(江川「)イカニ申上候 江川か参テ候 比良「荒けう〳〵しや (江川)「さん候 浜の庄司か下女と申テ木戸ヲ扣候程ニ何事そと申テ候へハ一大事ニ申へき事の候由申候程ニ木戸ヲあけテ入候へハひそかに申候ハふしき成事を申候 御前へ召出して聞召され候へ (江川「)「畏テ候 是へ参り候へ〕 女「心得テさむらふ 〔比良「いかに女 今夜陰に何事を申て参りたるそ〕 女「さん候夕部((べ))能州ゆ〔す〕るぎとやらんの山伏。大勢にて御泊り候程ニ。庄司お宿を被申候所に。小山伏の御座候が。童は用の事候て座敷のうしろにて立聞致候へハ。こゝは庄司が伏床とハはなれたる所也とて。忍声にて申さるゝを聞申て候。小人ハ此国の坂田殿御子息にて。此館ハ親のかたきなれば討度由被申候。せんだつハ同心なく候え共。同宿達ハ何のわきまへもなく皆々同心にて。夜にまぎれ庄司が処を御達((立))にて候。一大事にて候間。知らせ申さんため参りて候 〔(比良)「扨山伏ハいか程有けるそ〕 女「拾四五人も御入候 〔(比良「)能知ラセテ候 クルシカルマシソ 早帰り候へ〕 女「心得申候 〔(比良)「いかに江川 (江川)「御前ニ候 是ヨリ互ニ詞有〕 〔(比良「)〽実や(カヽル)仏も因果ヲハのかれ行ハすいはんや凡夫の。いかに云ともかなふまし〽 (地「)〽唯一(上哥)筋に思ひ切。〳〵。此身をすてゝ名をのこし。家をそだ((ママ))てんいまハはや。木戸をもひらき此上ハ心のまゝに入たてよ。物の具せんと国久ハ。おもひきるこそあわれなれ 〳〵〽〕   同(比良)中入ノ間 中入立間「か様ニ候者ハ。比良ノ国久殿の御内に仕へ申者ニテ候。我等の是へ出ル事余のきにあらず。頼ミ申御方と坂田の何某と申者と口論被成。其時何某打まけ此所にて討れぬ。其子息未いとけなけれバ、能州石動(ユスルギ)の客僧ニつきそひ。明暮学問して御座候が。年月おさな心に思わるゝ様。何とぞして親の敵なれバたなふだ人を討度思ひ。此度峯入の有をよき幸と思われ。御供して此所迄御着有ルが。旅宿にておさなき人先達に向ひ。当所にて比良の国久と云者こそ。某が親の敵にて候間。何とぞして父の敵を討教((孝))養にも御手向被下候ハヽ。今生後生の御恩にて候間。是よりすぐに思召御達被下かしとの給ふ程に。先達驚て左様の御心懸にて候ハヽ。在所に有時兼て御相談こそ有べけれ。我等ハ此度の義ハ御ゆるしあれとたつて御じたいあれば。同行の衆中も此事を気毒に存ぜられ。色々様々と御頼有テ。ぜひ共としきりにこわれ。力をよばす先達も御同心被成たるよし申が。扨々大事の事が出来た。やあ〳〵何と云ぞ。頼ミ申御方にても御用意有と云か。夫ならバ此躰でハ成まい程に支度を仕らふ。若我等を尋者ならバ此方へ御しらせあれ。構テ其分心得候へ〳〵   ワキ 供強力 厚板 水衣 狂言袴 脚胖((絆))括ル 腰帯 小 サ刀 強子頭巾   宿借 熨斗目 長上下 小サ刀 扇   女 薄((箔))ノ物 提帯 美男   後立 間 嶋ノ物 肩衣 狂言袴 脚伴((絆))括ル 腰帯 小サ 刀 竹杖 右肩ヌグ 〔ヤト「案内とハ誰にて渡り候そ (ヤト)「安間の事 こふ〳〵御通り候へ (ヤト)「さん〔候〕おとゝしハ御峯入の御さた候が。当年ハ御さたもなく。殊ニこれハ大せいニテ候。見申せバ小人も御座候。御くたびれニテ御ざ有へく候間。御心静に御やすミ候へ〕 〔コウリキ「御前ニ候 (コウリキ)「畏テ候。急テ参てやうすを見うと存ル。扨も〳〵橋のやうがいきびしきかまへにて候。急テ此由申上うずる。いかに申上候。国久がやうがいを見テ参て候。ほりをほり廻し橋ヲかけ。一段とよきかまへニテ候 (コウリキ)「さん候 此里五六丁あなたに。もりが一村御座候〕 〔女「わらわゝはまのせうじが下女ニテ候。一大事がいでき候間。比良殿へしらせばやと存ル。いかに案内申候 (女)「わらハヽはまのせうじが下女ニテ候が。やぜんのふしうゆするぎの山伏。大ぜい庄司が所へ御座候が。其内ニちこ山ふしの御座候。当所の国久殿ハおやのかたきなれハ。打申さうするとて。よにまぎれ庄司が所を御達候。是ハ大事の事ニて候程ニ。しらせ申さん為参りて候 「心得てさむらふ〕 〔(女)「畏テさむらう (女)「さん候けふの八つ時分ニ。能登のゆするぎとやらんの山伏の。数多峯入に御のぼり候とて。庄司が所へ御とまり候が。十四五斗成児山伏を連テ参らせ候えしが。わらハヽ山伏の御入候座敷うしろへ。用事有テ参て御座れバ。何とやらん物をさゝやかれ候を聞候へハ。此児ハ当国坂田殿の子息ニテ渡り候が。此殿様ハおやのかたきにて候程ニ。今宵(コヨイ)忍入うとうずるとて。早宿をバいてられて候。あまりかなしう候程に。御しらせまいらせうと思ひ参てさむらう (女)「十四五人御入候 (女)「畏テさむらう。いかに江川殿へ申候。かまいてわらハが申たると御申候な ト云テ楽やへ入ル〕 〔(女「)是ハ庄司が下女ニテ候。山伏ノ談合ヲ物こしに聞テ候。比良殿へ告しらせ申さう ト云テハシリ出テ木戸たゝくテイ ◯(女「)いかに案内申候〕 〔(女「)是ハ浜のせうじが下女ニテ候が。一大事の事を申べき事の候。御あけ候へ 謡本有〕   百 大木 〔ワキ「是ハ長門の国あふ((阿武))の郡観音寺の住僧ニテ候 当寺の本尊ハ千手鎮守ハ権現ニテ御座候 当年本堂御造りに相当リテ候間杣トモヲ申付用木ヲ取せ候 本堂ノ棟木ニ成ヘキ木北谷ノ大杉ナウデハ無ク候程ニ此木ヲ申付ナヲサハヤト存候 イカニ誰カ有〕 (狂言)「御前ニ候 〔ワキシカ〳〵〕 (狂言)「畏テ候 〔ワキ座ニイルト〕 やあ〳〵杣トモ承り候へ。当年ハ本堂の御造りに当候が。棟木に成べき大木なければ。北谷の大杉ならでハなく候間。急参りて切テ参れとの御事なり。構ヘテ其分心得候へ〳〵 〔一セイ杣出 謡ハサシ 上哥過トシテ詞ニテ杣ヲ喚懸テ扨杣トシテトカケ合 コトハ謡ナト有リ 地へ取謡 又シテト杣トカケ合 又地ヘ取テサシクセ過テ杣人数カヽルウタイ 尤シテモカヽルウタイヂ〕 〔(地「)〽和合のかげにてこそ。人も人に有へけれ。此木をきらんやといふより。けしきも立かわり谷嶺ひゞき震動して。雨風おちこちの。たつきもしらぬ山中に。おぼつかなくもよふこ鳥のつはさとなりあがつて。雲を分テとんでゆく 〳〵〽〕 ヲモ「か様に候者ハ。長門の国観音寺の住僧ニ仕へ申ス沙弥ニテ候 〔アト出ル 常ノ通セキヲスル〕 いやわごりよハ何として出たぞ アト「其方が用有さうに出たに仍テ。何事かと思ふて出たが。扨何とした事じや ヲモ「其事ぢやハ わごりよも知るごとく。当年ハ本堂の御造事に当たに付て。我等を初皆々も方々をすゝむるでハなひか アト「其通りじや ヲモ「夫に就むなきに成べき大木なけれバ。北谷の大杉ならでハなきにより。杣を被仰付木を直しに被遣候処に。何く共なく見馴ぬ人の出で杣に申様。いづくの木を切らせ給ふぞとあれバ。北谷の大杉ならでハなき故。大杉を切べき由申けれハ。前々より此木を被残置候程に中々成間敷由被レ申。若是悲((非))此木を切申さバ。たちまち恨をなすべしとあれば。杣人共是悲切ぬと申時。我こそ杉の情((精))成由申し。かならず恨をなすべしと〔テ其まゝうせたと〕有ルが不思義((議))な事でハなひか アト「誠に是ハふしぎな事じや。此観音寺の御事〔ハよにかくれなけれハ〕なり。殊に当年ハ御作(サクジ)に当りむなぎをきらせらるゝに。草木心なしとハ申せども。其情出て杣人に詞を替し申様な。ふしぎな事ハなひ ヲモ「然らバ杉の他((あた))りへ行てみやうでハなひか アト「一段とよからう 〔ト云テ道行 一辺廻ル〕 ヲモ「さあ〳〵おりやれ〳〵 アト「心得た ヲモ「なふ何とおもわしますぞ。杉の情が出て杣人に詞をかわしたと有が。是がじやうなれバ希代な事でハないか アト「そなたのおしやる通り。めいよな事でハ有ぞ ヲモ「いや何角と云内に早是ぢや。何とおもわしますぞ。常々見たと違ふて木立もすごく。物すさまじい躰でハないか アト「わごりよか云通り。是ハ只事ならぬ木にミゆる ヲモ「いや何とやら俄に空かきくもり。他も物すごくなつた。是ハおそろしひ事じや。いざ帰らふでハなひか アト「実と是ハこわひ気色になつた ヲモ「いざこちへおりやれ アト「心得た ヲモ「なふ〳〵おそろしや〳〵 〔ト云テ二人共ニ楽屋ヘ入ル〕   初ノ間ハ狂言上下 ワキノ供して出ル   後間 二人 無地のしめ 水衣 狂言袴括ル 腰帯 こう し頭巾   百一 太子 〔 ワキ方せりふなき時ハ立間ニもいたし候 此あとにうつしておく〕 (狂言)「天王寺門前の者とハ誰にて渡り候ぞ (狂言)「心得申候 (狂言)「門前の者のお尋は如何様成御用にて候そ 〔常ノ通り〕 (狂言)「去程に聖徳太子と申奉ルハ。天竺にてハせうまん夫人にて御座す。唐土ニてハ南岳大師として。仏法を広メ給ひしが。身を転じて南瞻部州大日本に御誕生有り。二歳の春の比迄。御手の内に仏舎利をはなさず持給ひて。南無仏と御唱被成種々のきどくを顕シ。左有ニ仍テ南無仏の舎利とハ名付座す。夫より拾歳の御時より。仏閣を数多御建立有り。経巻を集メ教化被成。去れ共其比守屋の大臣とて。悪逆武((無))道の者有りて。寺々を焼失ひ経巻をほろぼし。科なき僧尼をいましめけれバ。弥陀釈迦ハめうくわのほのをの内よりも。光を放し虚空に飛去り。他((あた))りちかき池に移り。水上に御立有りてしつミ給わず。太子ハ是を御覧じ御拝ミ給ふ所に。跡より守屋の大臣飛来り。邪見の眼に門をたて。悪口しける故に都の住居不叶して。河内の国稲村に城を構へて居たりしを。用明天皇崩御の後。聖徳太子守屋を退治せんとて。稲村の城へ押よせ攻給ふ所に。一度戦に御まけあれども。又取テ返し押よせ。さすが大剛の守屋大臣を討。則首を取り太子還御被成候て。用明天皇の教((孝))養にさゝげ給ひ。夫より寺を御建立被成四天王寺と名付。日本最初の御建立にて御座候。是ニ付数多子細の有とハ申せ共。委事ハ存も不レ致。先我等の聞及為((たる))ハ如此ニ候  (狂言)「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく見馴ぬ人の出て。四天王寺の子細委可語者。此他りにてハ不覚候が。扨は我等の推量致ハ。当寺御建立の御為。勅使是迄御下向を一入うれしう思召。聖徳太子仮りに人間と現じ。声詞を御替し被成為かと存ル間。餘りに新成御事なれば。暫是に御逗留有り。重而奇特を御覧なれかしと存ル   同(百一) 同(太子)立間 (狂言「)是ハ此他((あた))りに住居する者にて候。只今是へ出ル事余の儀にあらず。天王寺御再造有ふずるとて。後醍醐天皇の臣下殿此所え御出被成候。是は寄((奇))特成御心指なれば。定て太子も御感なされうずる。惣じて此国の仏法ハ。偏ニ太子の御せいりきに仍テ弘ル。殊に天王寺ハ勅願の初なれば。仏法最初の御寺と申也。誠ニ太子の御事ハ。天竺唐土我朝ニ無隠御事なれば。申に及バぬ事なれ共。三国に生をかへ仏法を弘(ヒロメ)。国家を豊になし給ふ。然ル所に守屋と云シ悪人仏法を破し。あまつさへ太子をほろぼさんとたくミしを。四天王太子を守護シ給ひ。河内の国稲村が城にをいて。守屋をたいらげ給ひ仏法はんじやうなり。左有に仍テ四天王寺を建立仕給ふ。然レども星霜ふりたれバ大破に及しを。此度御再造あらバ。弥四海安堵の思いをなし。万御心のまゝ成べし。是に仍テ取分キ此他りの者ハ。よろこび申事限りなし。皆々罷出て勅使を拝し申さるべし。其分心得候へ〳〵   百二 野干 〔 ワキ方せりふ有時ハ語間ニもいたし候 此あとに語間うつしておく〕 (狂言「)「か様に罷出為((たる))者ハ。下野の国那須の住人。三浦の助殿の御内ニ住居する者にて候。只今罷出ル事別の義にあらず。云におよばぬ事なれ共。しつが((ママ))成代の習とて。色々様々の御遊。まつり事種々の嘉例有中に。御哥合の折から不思義((議))風吹きたつて。其夜御殿中のともし火悉クきゆる。其比玉もの前と云御ミやづかひの有が。其女の身より光を出し。禁中を照す事日中のごとし。帝叡覧有テ人間にあらず。化生の前と御名付なさるゝ。其夜より御脳((悩))以の外成間。い師数をつくし。いりやうさま〴〵なれ共さらに其しるしなけれバ。工((公))卿大臣此事をあんじはかせにとわる。頓テ八卦のおもてをかんがへて語るハ。御みやづかひの玉もの前がしよいなりと云。おどろきて色々の御まつりかへ。様々御祈禱諸社には新敷ちやうれん(( 注  連 ?))を引。ぬさ切てたてならべ。神前に御子かんなぎをたてゝ湯花をまいらせ。貴僧高僧にハ大般若をくらせ。ひけんをよますかゝりし程に。たまりがたくや思ひて。かざりたるぬさおつとつてにげ行姿ハ狐なり。臣下大臣同所に集り。たばかられつる口おしさよ。せめて行衞をきかんと尋給ふ所に。下野の国那須野々原に行。往来(ユキヽ)の者をとる。されどもいづくかわうじならねバ。頓テたなふだ人に仰付られ其まゝ下着して。生国なれバ案内ハしらるゝ。かんをつくしさがし出シ。もとより沙汰したる大ひやうの矢引たもち。しんぢんをつとめ八幡の御名をとなへひようどはなし給ふ。彼物王位をうごかす天罰なれバ。唯一矢にてやミ〳〵とふす程に。たなふだる人ハ名を天下ニ残し給ふ。然共かのやつ余の化生と替りたるゆゑ。底心ハ面白からずとて。諸の法事をなし給へバ。かれがぼうれひ顕出て。二ちやうの法にてハうれしからず。一やうの法にてうかへ給へなどゝ云。左様の事をバたがおしへたるぞと尋給へハ。釈尊御入(ゴニウ)ねはんの折柄。五十二類法座につらなりちのなミたをながし。十代((大))御弟子にちかづき聞ならいたるとかたり。迚の事にちくるひとおほしめさずとも。一やうの法にて弔給へ。さあら〔バ〕又夢の内にさんげの姿を顕し申さん。弥弔給へとて彼者ハ。野干の火をとぼし草村に入。今宵が大事ぢや程に。三浦殿の御内に有合する程の者ハ。かまひて心を付られ候へ。其分心得候へ〳〵   同(百二) 同(野干)語間 (狂言)「御前ニ候 (狂言)「畏テ候。やあ〳〵皆々承候へ。那須野々原の化生の者の跡を。御弔ひ有べきとの御事なれば。皆々其分心得候へ〳〵 〔ト云テ太皷座ニイル 中入ニワキ呼出ス 但シ呼出し無時ハ狂言ヨリカゝリニモスル〕 〔ワキ(「)イカニ誰か有〕 (狂言)「御前ニ候 〔(ワキ)「近ふ来候へ 物をふしんせうずるにて候〕 (狂言)「畏テ候 〔(ワキ「)汝ハ本よりこざかしき者ニて候へハ玉もの前のいんねん存たらハ語候へ〕 (狂言)「是ハ思ひもよらぬ事を御意被成るゝ物かな。左様の御事我躰の存じたる事にてハ無御座候へ共。常に人の雑談有為((たる))を。片端承及て候間。爰かしこを御物語申上うずる 〔(ワキ)「頓テ語り候へ〕 (狂言)「去程に玉もの前の由来を委尋ルに。鳥羽院の上童に無隠美女の有しが。何方よりミれ共裏表なく見ゆればとて。玉藻前と名付給ひ。経論聖教詩哥管弦((絃))ハ申に不及。諸々の古((故))事来歴に付てもくらからざるによつて。帝も一入御寵愛浅からざる折節。其比は晩秋の夜にて。清涼殿にて管弦の御遊の有し時。俄に雨ふり神鳴さわぎ。ゑいその如ク成風吹来つテ。玉殿のともし火一どうにきゆる。其時玉もの前が身より光りを出し。日月の如ク照しけれバ。君叡覧有テ扨ハ玉藻前ハ人間にあらず。化生の者ニて有ぞと勅諚有しにより。夫より皆人けしやうの前とハ云習ス。時に帝ハ其光を御覧じて。御脳((悩))となり玉躰もいかかと見ゆれバ。君辺の老若驚工((公))卿せんぎ有て。貴僧高僧をせうじ種々様々の。御きとう数をつくし被成けれ共其印なけれバ。頓テ安部安成を召て占せらるれバ。安成占方を感へ申上ル様。是ハ玉藻前こそ人間にあらず。天竺ニてハ斑足太子の塚ノ神。大唐ニテハ幽王ノ后ほうじと現シ。我朝へ飛来リ。御代ニさゝわる一大事なれバ。御祈禱無てハ叶間敷とて。檀の飾七五三のへいはくをたてならべ。薬師の法をおこなひけれバ。彼玉藻前かなわじとや思ひけん。其姿を顕し都に留まりかたく思ひ。当国那須野々原へにげ来り為由承る。夫より皆人の給ひけるハ。扨々執心おそろしき物にて有との御事ニて候。先我等の聞及為ハ如此ニ御座候 〔ワキ「念比に語候物哉 某此程玉もの前の跡を弔候へ共未しうしん残けるか只今も罷出候間けふよりしてハかのけしやうの物のあとを弥念比に弔ひ申さふするニて候〕 (狂言)「是ハ寄((奇))特成事を御意被成るゝ物かな。餘りに不便((憫))成事にて候間。彼者の跡を念比に御弔ひあれかしと存ル 〔ワキ「汝が申ごとくふひん成事ニて候間やがて法事をなし弔ずるにて候〕 (狂言)「御尤ニ候   狂言出立 嶋の物 狂言上下 腰帯 〔此ワキノせりふハ春藤流ト有せりふ本ノ内ニ有り 又流義((儀))ニヨリ呼出シ無事も有り 其時ハ狂言よりワキヘカヽルせりふ〕 (狂言)「扨々不思義((議))成事かな。頼申御方那須のゝ化生の者を御退治被成。余の化生とちがひ。執心おそろしき者にて候間。法事を被成たれどもうかミがたく思ひ。今又まみへたるかと存ル間。先あれへ罷出申さうずる 〔ト云テ下ニイテ〕 扨も只今ハ不思義成事ニてハ無御座候か (狂言)「是ハ思ひもよらぬ事を御意被成るゝ物哉 〔是より常の通り〕