鷺流間狂言・宝暦名女川本「真替間」翻刻 永井 猛 稲田秀雄 伊海孝充 宝暦名女川本は、鷺伝右衛門家の有力な弟子家である名女川家五代目の辰三郎(一七七七年没)が、宝暦十一(一七六一)年頃に書写し、その後も亡くなるまで注記等を加えたと思われるものである。 宝暦名女川本の間狂言台本は五冊現存している。法政大学能楽研究所蔵の「脇末鱗(五〇曲)」「語立雑(五〇曲)」「真替間(七〇曲)」「遠応立(一〇二曲)」の四冊と、檜書店蔵の「羅葛部(五〇曲)」一冊である。 「脇末鱗」「語立雑」「遠応立」は、本誌四六号・四七号・四八号に翻刻掲載したので、ご参照いただきたい。本号では「真替間」を翻刻紹介してみたい。「真替間」とは、真の間(しんのあい)と替間(かえあい)を意味し、台本の背に他台本と区別するために書かれた三字の符号のようなものである。読み方は不明だが、仮に「しんかえあい」と読んでおく。真の間とは、野村又三郎「和泉流狂言秘書(其四)」(『謡曲界』一九三一年一二月)に「真の語は、神、仏、天子の御事、都(すべ)て故実来歴縁記((起))の事を真の語とする。心持真に守りて語るべし」とあるように、通常の間狂言に比べて、神仏、天皇等に関する故事来歴、場所の由来などが詳しく語られたりするものである。通常の間狂言の元になった正式な間狂言を意味し、真行草の真として、別格に扱われたようである。   凡 例 一、鷺流間狂言・宝暦名女川本のうち、「真替間」(法政大学能楽研究所蔵)の一冊を翻刻する。 一、「真替間」は真の間と替間を七〇曲所収している。これまでは六八曲所収としていたが七〇曲所収に訂正する。目次にある「御裳染((濯)) 御田」「半蔀 立花供養」は本文がない。 一、底本を忠実に翻刻することを原則としたが、通読の便宜を考慮し、本誌第四八号の「鷺流間狂言・宝暦名女川本「遠応立」翻刻」で記した「1」から「24」の方針に従った。ただ、次の「3」「4」「20」の項目に追記等の変更を加えた。  3、合字等は通行字体に改めた。    (例)?→コト、?→より、→トモ、〆→しめ  4、漢字の異体字や旧字体は、原則として通行の字体や新字体に改めた。ただし、一部そのままとしたものもある。     (例)哥 嶋 嶌 附 躰 喚 皷 萬 厂  20、漢字のくずしが似ており、判定が困難な場合は、文意により適宜書き分けた。     (例)彼と皮、性と往、柄とネ 一、五拾五〈和布刈〉には、三枚の紙片が挟み込まれている。三枚とも同筆で、本文とは別筆。    各紙片の上部には「上」「中」「下」と書かれ、〈和布刈〉の間狂言のシテ(鱗(うろくず)の精)の詞章が順に一部分ずつ抜書されている。ひらがなが主体で、詞章の暗記用と思われ、本文と比較すると「御座ス((おわす))」が「こざ候」、「目出度告」が「めでたいきつさう」と違うだけで、後は同じである。 一、書誌等については、本誌第四四号の永井猛「新出 鷺流狂言『宝暦名女川本』の離れについて」を参照されたい。 一、翻刻は、「真替間」の一〈高砂〉〜四拾五〈龍田〉を永井、四拾六〈三輪〉〜七拾七〈海士〉を稲田、七拾八〈藤渡〉〜〈吉野静〉を伊海が担当して原稿を作成し、全体について三名で検討し、最終的に永井が調整した。 一、法政大学能楽研究所HPのデジタルアーカイブ、能楽貴重資料デジタルコレクション「6、狂言」に「名女川本狂言台本・伝書」として、能楽研究所蔵宝暦名女川本の全冊が写真公開されているので、朱筆部分などをご確認いただければと思う。 一、法政大学能楽研究所には、貴重な蔵書の翻刻公開許可ばかりでなく、研究所紀要『能楽研究』の紙面まで提供していただき、篤く感謝申し上げる。 〔本稿は、法政大学能楽研究所「能楽の国際・学際的研究拠点」二〇二四年度共同研究「鷺流狂言宝暦名女川本(能研本)の総合的研究」(代表:永井猛、稲田秀雄、伊海孝充)の成果の一部である。〕 (間狂言台本) (「真替間」)        (目次) 一  高砂 真 二  同 中 三  同 上 四  右近 真 五  同 社人    〔同 末社 末社〕 六  淡路 真 七  伏見 真 八  志賀 真 九  同 極真 拾  松尾 語 拾一 芳野 真 拾二 老松 真 拾三 同 松笠 拾四 兼平 武者揃 拾五 同 真 拾六 八嶌 真 拾七 同 那須与市    〔同 二番語〕 拾八 朝長 懺法 拾九 同 大乱 廿  同 真 廿一 箙 真 廿二 実盛 真 廿三 敦盛 語 廿四 同 語無 廿五 同 常 廿六 碇潜 替 廿七 巴 真 廿八 維盛 真 廿九 田村 由来 卅  軒葉((端))梅 真 同  同 四季 卅一 定家 真 〔〈江口〉入事〕 卅三 野々宮 真 卅四 同 中 卅二  江口 真 卅五  芭蕉 真 卅六  同 語好事 卅七  誓願寺 語 卅八  同 真 卅九  同 極真 四拾  同 独事 四拾一 玉葛 真 四拾二 井筒 真 四拾三 胡蝶 真 四拾四 当麻 真 四拾五 龍田 真 四拾六 三輪 真 四拾七 同 替 四拾八 鵜飼 替 〔此次ニ紙二枚有〕 【五拾九 難波 替】 【六拾  同 真】 【〈白楽天〉の次ニ入ル】 四拾九 賀茂 御田 五拾  同 神子神楽 五拾一 大社 神子神楽 五拾二 同 説詞  五拾三 白髭 道者 五拾四 江嶋 道者 二 五拾五 和布刈 鱗 五拾六 嵐山 猿婿 五拾七 白楽天 鴬蛙 五拾八 同 鱗 〔五十九 六十〈なにハ〉入     同 かへ 真〕 六拾一 雨月 真 六拾二 真無原 御子 六拾三 御裳濯 末社 六拾四 放生河 鱗 六拾五 石橋 仙人 六拾六 鍾馗 立間 六拾七 一角仙人 真 六拾八 常陸帯 替 六拾九 西王母 替 七拾  春日龍神 町積 七拾一 同 町積 七拾二 同 真猿 七拾三 同 替 七拾四 同 真     〔社人〕 七拾五 天皷 真 七十六 同 送り 同   同 楽器 七拾七 海士 楽器 七十八 藤渡 替 七十九 同 送り 二 八十 同 楽器 二 八十一 現在七面 蛭 八十二 橘 語 八十三 安宅 旅人 八十四 船弁慶 独言 八十五 同 語 八十六 同脇エ語好事 八十七 同断 八十八 同 名所事 八十九 橋弁慶 替 九十  夜討曽我 替 九十一 同 大藤内 九十二 同断 九十三 同断  九十四 烏帽子折 替 九十五 同断  九十六 同断 九十七 黒塚 替 九十八 同断 九十九 同断    百  車僧 替   百一 龍虎 語 百二 竹生嶋 替 百三 同 霊宝 百四 葛城 替 百五 同 弱木 百六 七夕 替二 百七 降魔 四群 百八 山姥 四性 百九 雲雀山 鷹野  十 同断  十一輪蔵 鉢扣  御裳染((濯)) 御田  半蔀 立花供養  吉野静 一番能間   一 高砂 真 「先高砂の松とハ取分キ是成木を申す。又当浦を高砂と名付シ事ハ。惣じて山ハ塵?(チリヒチ)よりおこつて。??(アマ)雲懸ル千丈の峯と成が如ク。譬(タトハ)バ天の廿八宿地の卅六鬼の潤(ウルヲヒ)。海の波とこしなへに打来テ。海底の砂を高ク上置シ故。則高砂とハ申ス。然ハ此播州高砂の松と摂州住??の松とハ。海岸国を障(ヘタテ)為((たる))を何とて相生と申ぞなれば。昔上代に。萬葉集を撰られしを高砂の松に諭(タトヘ)。今又延喜の御代にハ古今を撰給ふを。住吉の松と号す故ニ古今集の序に。高砂住の江の松も相生の様に〔ヲホヘト〕記(シルシ)置れ為由承ル。又当社と摂州住吉の明神とハ。夫婦の御神なれば。当社住吉へ御影向の御時ハ。あの住の江の松にて神がたらひを被成るゝ。住吉大明神此所へ御出現の時節も。諸木様々多キ中に。松ハ一寸になれば定千年萬年の齢をたもち。雨露雪霜にも?(ヲボレ)ず常盤木ニテ。栄久敷物なれバ有詩ニ曰ク。青山(セイザン)ニ有(アツテ)レ雪(ユキ)諳(ソランズ)二松ノ性(セイ)を一。碧落(ヘキラク)ニ無(ナフシ)テレ雲(クモ)称(カナヘリ)二鶴(ツル)ノ(ノ)心(コヽロニ)一と被レ作たる由聞及候。左有ニ仍テ松に上越テ目出度物ハ有間敷とて。君の齢を松に譬(タトヘ)代のたのしミを住吉になぞらへ。我か宮居も松諸共ニあらふずるとて。是成神木を植給ふニ。当社も出合両神諸共に植置レしゆへ。相植の松共。但シ是ハ此在所の者の申事ニ候。然ルに住吉と申奉ルハ。忝もいにしへ檍(アハキカ)原ニテ祓除(ハライ)し給ふ時分。海底より出世被成るゝ三神成由申す。其後仁((人))王拾一代推((垂))仁天皇の御宇ニ。摂州津守の浦に金色の光立を。朝ニ勅使を立て御覧ずれば。四本の松生出為を。則四所明神と祝御申有ニより。住吉ニテハ松を御神木共。又ハ御神体トモ崇御申候。扨又神功皇后摂津国ニ至り給ふ刻。真住吉の国なりと御神託有故。則彼所に御鎮座を構。住吉大明神と偈((渇))仰申奉ル。惣テ松ハ二葉より色とこしなへにして。代合((齢))久敷ものなれば翁草共云。又一祝((説))にハ初代草共申実候。其子細ハ有哥に。住吉の庭のあたりの翁草。なかひもてくる人を守らんと。か様によミ給ひたるトモ申。しかのミならずなんぼう有がたき御事の候ぞ。我此所を五拾六億七千萬歳迄も。守り給わふずるとの御神託と承ル。相生の松の目出度子細。数多有実候え共。先我等の存知為ハ如此ニ候   二 同(高砂) 中間 「先此所にをいて高砂の松とハ則是成木を申。又当浦を高砂といへる子細ハ。凡山ハちりひぢよりおこつて。天雲かゝる千丈の峯と成かごとく。譬(タトヘ)ハ天の廿八宿。地の三拾六盒のうるをひ海の波とこしなへに打来りテ。海底の砂を高上置シゆへ。則高砂とハ申習す。然は此播州高砂の松と摂州住吉の松とハ。海岸国を隔たるを相生と申子細ハ。古今の序に高砂住の江の松も相生の様に覚と有。其上松ハ雨露霜雪にもをかされず常盤木にて。栄久敷物なれバ和哥の道さかふる事も。高砂住の江の松の葉の散(チリ)失ざる〔如ク〕成べしと有(※)実候〔※印置れたる由申習候〕。それのミならず上代に万葉集を撰せられしを高砂の松とシ。延喜の御代にハ古今を撰し給ふを住吉の松にたとへ。昔も今も和哥の道さかゆる事は相同シことく成をたとへおかせらるゝかとも申。又説に( イツセツ)ハ当社と住吉の明神とハ夫婦の御神なれば。当社住吉へ御影降((向))の御時ハ住の江の松にて神かたらひを被成るゝ。住吉大明神此所へ御出現の折節も。諸木様々多キ中ニ此松え御出現有由申伝へ候。左有ニ仍テ昔より今至((ママ))ルまで幾久敷クあひ来り給ふ故ニ。相生の松とも色々是を申習す。殊に当社住吉ハ一躰分身にて。和哥の道さかゆく事も又男女夫婦の末。さかへ目出度事も偏に当社住吉の御神徳成由申故に。和哥の詞にも砂ちやうじて岩尾となり。塵つもつて山と成ル。浜のまさこの数ハ尽ルとも。当社住吉の御座あらん程ハ。和歌の道神道にをいて。目出度事ハつきすまじひとの御事にて御座有と。以往((いにしへ))の歌人もかきをかせらるゝ由承る。しかのミならず有詩にいわく。青山に雪有ツテ松のせいをそらんす。へきらくに雲なふして鶴の心にかなへり。此松をほめて詩にもか様に被作たると申。惣テ〔松ハ〕一寸のふれば色とこしなへにして。定千年万歳の代合((齢))をたもち。松に植越テ目出度物ハ有間敷とて。両神諸共ニ植給ふに仍テ。相生の松共種々様さまに申候。又なんぼう有難事の候ぞ。我此所を五拾六億七千万歳迄も。御守あらんとの御事成由承ル。相生の松の謂。数多有とハ申せ共。先我等の聞及為ハ如此ニ候   三 同(高砂) 真 「先此所にをいて高砂の松とハ取分キ是成木を申。又当浦を高砂と名付シ子細ハ。譬(タトハ)バ天の廿八宿地の卅六鬼の潤。海の波とこしなへに打来リテ。海底の砂を高上置し故。則文字ニモ高砂と書由申習ス。然ハ此播州高砂の松と摂州住吉の松とハ。海岸国を隔(ヘダテ)為((たる))ニ何とて相生と申ぞなれバ。昔上代〔ニ〕。万葉集を撰せられしを高砂の松に諭(タトヘ)。延喜の御代〔ニ〕ハ古今の撰シ給ふを住吉の松と号ス。さ有ニ依古今集の序に。高砂住江の松も相生の様ニ覚と。記置れ為由承ル。又当社と摂州住吉の明神とハ。夫婦の御神なれば。当社住吉へ御影向の御時ハ。住江の松にて神がたらいを被成るゝ。住吉大明神此所へ御出現の折節も。諸木様々多中ニ。松ハ一寸ニなれば定千年の代合((齢))ヲ保(タモチ)。雨露霜雪ニも?(ヲボレズ)ときハ木〔ニ〕て。栄久敷物なれば有詩に曰ク。きうか三ふくのしよげつたけさく此かぜをふくミけんとうそせつのかんてうにまつくんしんの徳をあらわすと被作たる由承ル。さ有に仍テ松にこして目出度物ハ有間敷とて。君の代合((齢))を松にたとへ。代のたのしミを住吉になぞらへ。我宮居も松諸共にあらふずるとて。是成神木を植給ふにより。相植の松共。但シ是ハ此在所の者の申事ニ候。然ルに住吉と申奉ルハ。忝も伊弉諾伊弉冊の尊。日向国橘の檍原にて祓除し給ふ時。海底より出世被成るゝ三神成由申。其後仁((人))王拾一代垂仁天皇の御宇に。摂州津守の浦に金色の光立を。朝に勅使をたてゝ御覧ずれバ。四本の松生出たるを。則四所明神と祝御申有により。住吉にては松を御神木共。又ハ御神躰共申実候。扨又神功皇后摂津国に至り給ふ刻。真(マコト)住吉の国なりと御託宣有故に。則其所を(ニ)御鎮座を構へ。住吉大明神と崇御申有などゝ申ス。惣じて松ハ二葉より色とこしなへにして。代合久敷物なれば。翁草共云。一切((説))にハ初代草共申す。其子細ハ有哥に。住吉や庭のあたりの翁草と読。又大内やもゝしき山の初代草。幾年せ人になれて立らんと。かやうに読れたる由承る。然のミならずなんぼう有難御事の候ぞ。我此所をバ五拾六億七千萬歳迄も。守給わふずるとの当社の御神宣成由申。相生の松の目出度子細。数多有実候え共。先我等の存たるハ如此ニ候 〔是ハ元祖直本ノ写也〕   四 右近 真 「然ハ当社の御神拝を被行時ハ。一条大宮をかぎツテ東ハ左近の馬場ニ付。又西ハ右近の馬場に皆付テ。昔ハ賀茂の桂((競))馬に少もたかわず。左右近衛の舎人弐人装束を致シ。馬に乗りて弓射ル事二度有ニ。毎年五月三日ハ左近の馬場の荒手(アラテ)結(ツカイ)。明ル四日は右近の馬場の荒手結ニテ。又五日ハ左近の馬場の真手結(マテツカイ)有り。同六日ハ右近の真手結成を。何とて是を射礼(ヒヲリ)の日と申ぞなれば。真手結致す時ハ舎人ともの装束に。がちと云四位色の狩衣の後へさかりたるを。引折テ着為((たる))故ニ射礼の日とハ申習〔ス〕。然ハ以往((いにしへ))此右近の馬場のひおりの日を。在原業平御見物有ニ。流石(サスガ)都の事なれば。可然所に女車数多立ならべたる。其内よりも吹くる風の薫(カフバ)しきを。在原の中将ゆ(ヲクユ)かしく思召か哥に。見すもあらずミもせぬ人のこひしきに。あやなくけふや詠くらさんとよまれたると申す。又右近の馬場に桜の多き事は。当社の御社の内ニ桜葉の明神とて。隠なき新成末社の御座すが。何事も申事の叶ぬハ御座なきにより。御立願に桜を植置給ふ。左有ニ仍テ御参詣の人々も我等ごときのミやづこも。御神木の桜の枝葉にもさわらじと渇仰申候。是ニ付目出度子細有とハ申せど。神秘の御事なれば的暦ニハ申されず候。先我等の承及たるハ如此ニテ候   五 同(右近) 社人 雷上ニテ 「是ハ王城の鎮守北野の天神に仕へ申〔忝も〕神職の者ニテ候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。まづ我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神数多国々に御座すと云ながら。中ニも当社天満天神と申奉ルハ。風月の本主文道の大((太))祖たり。天におわしましてハ日月の光を顕し〔テ〕。遍ク国土を照し給ひ。地に天くだつてハ延喜の帝の御宇に。塩梅(ヱンハイ)の臣と成ツてくんしやうを利シ給ふが。去ル子細有テ北野の南無天満大自在天神と。くわんを上御申有り(申タテマツリ)。君も臣も渇仰の御神なれバ。まして洛中洛外の人々ハ老若男女共ニ。日夜朝暮あゆみをはこへバ。何も神前のにぎわしうまします御事。又と並たる神も無御座候。先是ハ当社の目出度子細。又毎年春ニもなれバ右近左近の馬場の花見とて。貴賤郡((群))集をなす〔が〕。今年は何比が盛デ有ふぞ参て見う。是ハはや花が少ひらくと見へて人がおゝいよ。あの一村つれだちて見あるくハ山家衆か但シ在郷の者か。扨も存たより花がひらいたハ。一両日長閑なゆへじや。殊ニ此木ハさきも不残ちりも初ず盛ぢやよ。是成ル輿車の奥ニ屏風を引まわしたる内ハ。いか様御摂家かせいくわのお衆さうな。其〔ハ〕きにちご若衆のおふく見ゆるハ。是ハ名にきこへたる一山の貴僧高僧達と見へた。〔ト云テワキヲミテ〕いや是成ハ都衆とハ見へ申さぬが。何国より御登((上))り被成たるぞ  「いや是ハ思ひもよらぬお尋かな。我等ハ当社のミやづことハ申ながら。左様の事委ハ存もいたさぬ者にて候。然共遠国より初テ御登り有りお尋有を。社人の身として一円に存ぜぬと申も余りなれば。かたはし(ヲヽカタ)聞及為((たる))を御物語申さうずる 〔是より常の間ヲ云 但シ真間ヲ云テハなをよし〕 〔△清華(セイグハ)ト云ハ。久家((我))。転法輪。西園寺。徳大寺。花山院。大炊。今出川〕   同 同(右近) 末社 「か様に罷出為((たる))者ハ。北野の天満天神に仕へ申末社の神ニテ御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先王城の鎮守数多有りとハ申乍。取分キ当社天満天神ハ。隠なき霊神ニテ御座す故。老若男女共に袖を連ね踵を継テ。歩を運ふ衆生数かぎりなければ。神前の賑しう座ス御事。又と並為神も御座なく候。去レハ当社ニおいて神拝様々成りとハ申せど。中ニも五月(サツキ)上旬ニ取りおこなふ。右近左近の真手結をバ。射礼の日と申子細ハ。近(コン)衛の舎人のきたる歩行(ガチ)のうしろヲ引折ル故に。則是を日折の日とハ申習ス。然ハいにしへ在原業平も右近の馬場の日折の神拝御見物被成し時。さすが都の事なれば。花見の人々の女車を数多立ならべ。輿をつゞけおき給へバ。誠に異香四方にくんじ吹くる風もかうばしき内ニ。然ルべき所に女車を立たるを御覧じ。見づもあらずみもせぬ人の恋しきに。あやなくけふや詠くらさんと。か様ニ詠ジ給ひ為由承ル。又当所にて桜葉の明神と申ハ。右近の馬場左近の馬場ニ桜の木数多候ニより。いせにてハ桜の明神此所にてハ桜場((葉))の明神と申て。君をしゆごし国家を守り。当社において第一の末社ニテ候。先是ハ当所の目出度子細。又稀人の御参詣の由申間。先あれへ参り。いか様成人そよそながら見申さうずる 〔是より常の末社の常ノ通 三段舞謡〈かも〉同前〕   六 淡路 真 「去程に此秋津洲と申ハ天地開闢の初(ハジメ)州(シウ)壌(シヤウ)浮(フ)漂の(ヘン〔ヒヨウ〕)境(サカイ)譬(タトヘハ)措(ナヲシ)遊(ユウ)魚の水上に浮(ウカミ〔※〕)〔※ヒヲズルゴトシ〕 其中〔ニ〕一〔ノ〕物(モノ)生(シヤウ)ゼリ 其形(カタチ)葦(アシ)牙(カイ)ノ如シ 則化(クハシ)テ陽神と成。則天神七代の初国常立の尊是なり。然を泥土煮(ウヒチニノ)尊より男女の形有といへ共。未婚合(コンゴウ)の義なかりしが、伊弉諾伊弉冊の尊天の浮橋の上にして。此下にあに国なからんやと思召。天の瓊矛(トホコ)を指をろし下界を掻捜(カキサグリ)給へと。国なけれバ逆鉾を引上給ひけるに。吾朝の出来すべき先表(センヘウ)ニテや有覧。大海の波間に大日と云文字の浮ルが。其文字の上に鉾の滴(シタヾリ)落(ヲチ)凝(コヾリ)湘(クニ)と成シ故。扨こそ大日本国とは名付申〔ス〕。次ニ一つの国を産給ふ所ニ。此国余りにちいさき御国成ニ仍テ淡路の国とハ名付座す。其後宮作被成んと思召に。芦原生茂所もなかりしを。其芦を悉ク引捨給ふニ。此芦お置れし所ハ山と成(ナリ)。曳たる跡ハ河と成たる由承ル。去ハ淡路ハ国の初り成に仍テ此所に宮室(キウシツ)と御作被成。伊弉諾伊弉冊の男神女神住給〔ヒ○((朱))〕ふといへと。未陰陽和合の道をしり給ハぬ折節。鶺鴒(セキレイ)と云鳥飛来りて。尾ニテ土をたゝくを御覧せられ。共為(クイ)の夫婦を初テならツテ〔○次((朱))〕一女三男出世し給ふ。此日の神と申ハ伊勢太神宮の御事ニテ。則日天子の御垂跡(スイシヤク)なれバ日本を御譲被成(アリ)。又月ェの明神ニハ山を御譲被成。蛭子ハ海ヲ領する神なれバ。津国西宮〔ノ〕([(朱)ニ〕)恵比須三郎殿と祝申〔ス((朱))〕。素戔嗚尊ハ出雲の大社と申奉リ。是又無隠霊神ニテ御座候。左有ニ依三千七百余ケ所。諸々の御神の忝も当社ハ父母ニテ御座セバ。陰陽夫婦の御神共。又ハ五行神共偈((渇))仰申ハ此子細ニテ候。惣テ当社の神秘数多有とハ申せ共。委事ハ存も不致。先我等の承たるハ如此ニテ候   七 伏見 真 (「)去程に此豊葦原中津国の。惣名を伏見と申子細ハ。先混(ケン)渥(コン)未分(ミブン)の昔ハ。世界空劫(クウ)宿(ヂヤク)々として有しを。五行に分テ其中ニも。青陽(セイヤウ)かろき物ハ空(クウ)に上りて天と成。重濁(ヲモクニゴル)物ハ残りて地と成りて。忽然と天地二ツに開けて後。第一国常立尊出世し給ふ。是則无始(ムジ)無終(ムジウ)の陽神。天神七代の始ニテ御座候。其後せいさう遙(ハルカ)経(へ)テ。第七伊弉諾伊弉冊の二神(フタバシラノカミ)顕れ給ひ。天磐座(イハクラ)の苔筵の上にして。つく??と思召るゝ様ハ。天地已に分ル上は定て。此下に国なか覧やとて伏テ見出シ給ふ故。日本を伏見と名付申。左有ニ依テ地神五代ハ申に及ず。神武天皇より此かた。人の代と成りても日域の事ハ申に及ず。唐(トウ)国迄も靡(ナビキ)随ふ事。偏に神国の威徳(イトク)成由承ル。殊ニ此君賢王に御座すニより。天下泰平国土安穏王位目出度御国なれば。吹風牧((枝))をならさず。民とざしをさゝぬ御代にて候。又当所を伏見の里と申も此心にて有実候。是ニ付数多子細の御座有由申せ共。委事ハ存もいたさず。先我等の承及為((たる))ハ如此ニ候   八 志賀 真   「先当社志賀の明神と申奉ルハ。大伴の黒主を祝参らせたる由承る。去程に此黒主と申ハ。忝も応神天皇拾一世の後胤。継体(ケイタイ)天皇の御末に。猿丸太夫と申哥人御座スが。其末葉(ハツヨウ)大友の家守の養子成に仍テ。則大友の黒主とハ申たる実候。夫をいかにと申に醍醐天皇の御時。古今を撰セられしを真ナ序ニモ。大友の黒主ハ猿丸太夫か次なりと書おかれたるなどゝ申。然ルに此志賀の都ハ所から。面白キ名所ニテ候其子細ハ。先海近ふして山又遠からず。他((あた))りにハ霊仏霊社甍をならべ。元より志賀辛((唐))崎の一ツ松。詠((眺))メ妙成所なればとて。天智天皇の御宇に都を移シ。か様に山桜を植おかれし故。何も春の花盛りにハ峯も峯も皆白妙にて。雪か花かとうたかわるれハ都人は申に及ばず。東国北国の鄙人の花見の舟の行かふ有様。是一入の詠メなれバ。以往((いにしへ))の哥人も作意を種々によまれたると申。左有ニ依帝も一年せ此所へ行幸被成るゝを。大伴黒主君ヲ入レ奉らんとて。御座を構へテ待給ふ所に。如何思召けん名所斗を叡覧有て。すでに還幸被成れんと有を。黒主ハ残多思われ一首の哥に。さゞ波やまなくも岸をあらふめり。なぎさきよくハ君とまれかしと。か様に詠し給ふを聞召。誠に哥の心をやさしと思召か。頓テ立帰らせ給ひたる由承ル。又鏡山いざ立よりて見てゆかん。年へぬる身ハ老やしぬると。是ハ鏡山を詠メやりて読れたると聞及候。其後黒主を此所の神に祝参らせたる由申。然ハ黒主をいか成人ぞと申せバ。志賀ノ明神と答へ。又志賀の明神の御本地を尋奉れば。大伴の黒主と我等ごときの者迄もさやうに申上候。是ニ付色々様々の子細有とハ申せど。先我等の承り及たるハ如此ニ候   九 同(志賀) 極真 「先志((朱)サルホトニ此)賀の都と申ハ。仁(人)王拾三代成務(セイム)天皇の御時。御開き被成たると申伝へ候。其後天智天皇の此所へ都を移されたるに依テ。則此君を近江の帝共申〔奉り((朱))〕たる由承る。去程((朱)又)に其比大友の大臣殿と申奉シ((朱)ス)御方の御座候ひしが。園城寺ハ天智天皇〔の〕御開基(カイキ)にて候により。彼大((朱)此)友の大臣殿の加持を奉られたると申〔ス((朱))〕。去ル間志賀の明神と申ハ大友の大臣殿を祝ひ申たる様に聞へ候が。又有ル説には大伴の黒主を。志賀の明神に祝ひたる共〔色々((朱))様々ニ記され〕御座候 両説承テ((朱)及)候が。何(イツレ)が本説〔ゾ〕然とハ不レ存候。〔シカ((朱))ルニ〕則大伴の黒主ハ貞(チヤウ)観(グハン)の比より延喜に至ル迄の。大掌会(ダイジヤウエ)の哥人にて御座候ひしが。わづか六位ニテ御座有為((た))ルと申〔ス((朱))〕。されば以往((いにしへ))よりいくらも多キ哥人の中に。紀の貫之古今〔ノ〕序に哥人六人書記(シル)されたる。其内の一人にてわたらせ給ふ。其詞に大伴の黒主ハ其さまいやしうたとへを取ルに。薪をおへる山人の。花の影にやすめる((朱)む)がごとし((朱)ク)と有実候。夫をいかにと申に黒主の御哥に。思ひ出て恋しき時ハ初かりの。鳴て渡ルと人しるらめやと御座候。此哥の上の句はゆうけんなれ共。下の句の鳴テ渡ルと人ハしらず(シルラメ)やとよまれたるハ((朱)が)。いやしき様にきこう〔ル〕との御事に候。又鏡山いざ立寄て見てゆかむ。年経(へ)ぬる身ハ老やしぬると申哥の。いざ立寄て見てゆかんと御座有か。((朱)候か)少たゞ詞の様にいやしかるべきかと申伝へ来りたる実候。貫之の御息紀良持(キノヨシモチ)かさねて奉らるゝ真序にも。大伴の黒主ハ以往の猿丸太夫が次なり。頗(スコブル)一興(イツケウ)有りて然も〔テイ〕甚賤シと有実候。右の難も此人の哥の風(フウ)を云立たるにて御座有実候((朱)ラレタルユヘトウケタマハル)。又猿丸太夫と申ハ天武(テンブ)天皇の御子。弓削(ユゲノ)法皇と申奉り候((朱)シ)御方共申〔ス((朱))〕。又有((朱)イツ)説にハ下野の国薬師寺と申所へ。流レたる御方とやらん申候其故ハ。田の上と申所に其ゆいせきの有由にて候。併慥にけいづのしら((朱)レ)ざる様に承て候。されば黒主とハ時代遙に三百五六拾年ちがいたる人と申が。猿丸太夫の哥の流を学(マナビ)てひとしき風情(フゼイ)と聞へ候〔○((朱))〕去程ニ園城寺を三井寺と申ハ。天智天武持統(チドウ)三代の帝の。御生(ウブ)湯をもちいられしに依テ御井と号シ。きやうだひ和尚此水をすくひ。百六拾年きやうじ給ひしを。其後智証(チセウ)大師去ル子細候て。三井と改〔メ〕給ひ三井寺と申も。三会の暁(アカツキ)にいたらしめんがためと申伝へ候〔○次((朱))〕惣じて大伴の黒主ハ諸人ニてうくわせる人にて渡らせ給ふが。何と申為((たる))御事哉覧明神と黒主とハ。別の事にあらざる様に承候( (朱)ル)。昔が今ニ至ル迄。長柄(ナカラ)の山と申も志賀の山と申も同御事ニて御座候。又此山桜ハ天智〔天皇((朱))〕の御時植置せられ。夫より志賀の花薗志賀の山桜などゝ御哥にもよませられ候と承((朱)れタルト申が。誠ニ)りて候が。此山(此)桜ハ余の詠ニ替りて見所多キとの御事ニ候((朱)テ)。夫をいかにと申に。花の盛成ル折節ハ申に不及。散(チリ)方にハ今道峠よりのやま颪(ヲロシ)にふかれ。水海(うみ)へ入ル((朱)吹入たる)気色さながら雪か花かとうたがわれて。たぐひすくなく面白との御事ニ候。先我等の存たるハ如此に候 〔此〈志賀 極真間〉大鷺仁右衛門殿正本ヲ写〕 〔朱ニテ書入候分ハ元祖伝右衛門殿御書候ヲ写 尤丸ノ印ヨリ次ト云字迄ハ元祖ノ正本ニ不見〕   拾 松尾 語間〈高砂〉同意   「先当社松尾の大明神と申奉ルハ。大宝元年に秦の都理(トリ)と申御方。始而当社を御建立被成。大山听の神を崇奉ル。是則賀茂日??当社何茂御同一躰にて。忝も大雷の神ニテ御座有由承及候。御祭礼ハ貞観年中より初り。四月上の申ノ日被取行。別而新成御神成故。毎日毎夜老若男女共に。袖を連ね踵を継テ。神前のにぎわしう座す御事。凡并為((たる))神も無御座候。誠ニ神慮ハ崇てもあきたらぬ御事成ぞ。和光同塵の御垣の内にハ。年を向テ般若ノ真文を講じ。利生方便の社の前にハ。日を追而慮在の霊天ヲ仰ク。神明の納受無レ疑。摂取の願望自成就円満の霊地なれば。社内山林の草木を動ス風迄も。取分キ長閑ニ御座候。左有ニ仍テ一条の院の帝初テ当社へ行幸被成。宝祚長久〔ト〕の御念誦の砌源の兼隆の哥に。千早振松の尾山の影見れバ。けふぞ千年の始なりけりと。か様に詠じ給ひ為((たる))由承る。然ハ当社ニ三層(サウ)塔を被立しに付。色々様々不思ぎの神秘御ざ有げに候。又二鳥(ニテウ)の鳥と申も子細目出度御神徳と承ル。先我等の存たるハ如此ニ候   拾一 芳野 真 「当山ニ於テ謂様々御座候。先此山ハ天竺五台山。坤(ヒツジサル)の片割(カタワレ)来テ中ニテ二ツ〔ニ〕成。一ツハ常陸国筑波とならせ給ひ。今一方ハ当山と成給ふ。か程妙成ル名山ニ。守護神無てハと思召。役の行者ハ来り給ひ天に向テ御祈?有ハ地蔵一体降給。是ハ殊勝第一に御座候え共。余り若(ニヤク)編ニ御座ハ。此山の守護神にハ似合不申とて川上へ入申。河上の地蔵と申て験仏(ゲンブツ)者ニテ御座候。其後御祈念候へハ。十五童子を先として弁才天仏出現有ヲ。是も福殿ニテハ御入あれど女躰にて御座シ〔候間〕当山の守護神ニハ叶間敷とて天(テン)の川へ送り奉り。今に天の河の弁才天とて人々御信仰ニテ御座候。重て肝胆を摧祈給へハ蔵王権現顕れ御座す。是ハ最前に引替嶮(ケハシ)ク御座候間。当山の守護神と定メ置レ候。又昔清見原の天皇大友の王子に襲(ヲソハレ)。此山ヲ頼ミ御下向有。又京(ミヤコ)へ還幸有可ために天ニ御祈?被成。色々の秘曲を尽(ツクシ)給ふ。中ニ〔モ〕天皇ハ琴の御上手ニテ。月明(メイ)々と明(アキラ)か成夜(ヨ)半(ハ)に。色々様々の曲を奏シ給ゑば。上界従(ヨリ)天人天降(アマクダ)り花の梢ニして。一度成ず二度ならず五度袖を返シ舞(マイ)給ふ。かゝる奇瑞の印にや。程無ク君も還幸被成目出度御代とならせ給ふ。夫より此舞を五節の舞と名付申。今ニ禁中にをいて四季の節会の舞と申スも。此御代より初り申候。又子守ノ明神ト申スハ。御子卅八社の守(モリ)をし給ふ故子守の明神と名付ク。勝手の御前と申ハ。異国度々の軍に勝せ給ふに依テ。則勝手の御前とハ崇メ申ス。先我等の存為((たる))ハ如此ニ候   拾二 老松 真 (「)先宇多法皇と申ハ。延喜の帝の御父ニテ御座候。又式部卿と申ハ帝の御弟ニテ候。当社と申ハ延喜帝の御宇ニ菅原卿に至り。有ル梅花の本ニ三歳の御年比にて黒雲涌出仕給ふ。菅原の大臣彼少童ヲ見付。頓而椒て養育被成候折節。庭上に梅花の候を御覧じ御哥を被遊候。梅の花べにのいろにもさもにたり。あこがほうにも付てたへかしとか様に被遊候。夫より稚人の名をあこゝと申習候。其後色々不思義((議))成事とも候へハ。やがて此由奏聞被遊候。則勅諚として参内被成候へバ。叡慮浅からざる御事ニて候により。七歳の御年比にて官にすゝめ給ひ。菅丞相と申て延喜の帝右大臣にて御座候。又時平の大臣と申ハ帝の左大臣にて候。然ども色々の寄((奇))特成事共御座候えハ。帝御寵愛有ル時。宇多式部菅丞相御両三人。御物語被成候を左大臣物ごしに聞給ひ。頓而此由帝に横様に申なし候。然共時平のざんさうにより。筑前の国安楽寺に流され給ひ。都を御出候時我宿を見送り給ひ。哥を被遊候其御哥ハ。君が住宿の木末を行々も。かくるゝまでに帰り見ぞするとか様に被遊候。又都にてハ松桜梅を常に御寵愛被成候が。都を御出候事浮世の習定なきと思召か。有るつれ??に都の事を思召被出けるか。梅ハるさいゑん路のあわれミ。松ハ是きらくほんぐわいのほうこうをけんにすと被遊候。又詩に曰ク家をはなれて三四(サウシ)月(クハツ)。落涙ハ百千(ハクセン)行(カウ)。万事ハ皆夢の如シと被遊候。又御哥に東風吹ハにほひをこせよ梅の花。あるじなしとて春なわすれそと被遊候へバ。御寵愛の梅此所に飛来り候を。不思義((議))に思召又御哥を被遊候。梅ハとぶ桜ハ枯るゝ世の中に。何とて松のつれなかるらんとか様に被遊候へハ。此松御跡をしたひおひ??来ルを以テ。夫より老松紅梅とて末社に崇奉り候。其後菅丞相無念に思召。高山に上り給ひ大石の上に立せ給ひ。七日七夜五色ノ幣帛を持。肝胆摧祈給へハ一ツの巻物降り下り候。開ひて拝見したまへバ天満天神と御座候。夫より彼山を顛沛(テンハイ)が嶽と申候。御備候石をハ顛沛石と申習候。其以後都に上り給ひ。鳴雷となつて内裏へ乱入すでに。王法を失ひ申さんとし給ふ所に。公卿臣下僉義((詮議))有テ。北野に勧請申され其時贈り官をなし給ひ。天満大自在天神と崇奉り。夫より禁中はしづまり申候。惣て梅花の御座有ふずる所にハ。天神のふだん御影降((向))有ルと思召。らいはひ祈念をし給ふずるにて候。然ハ御詠哥ニも梅あらば。我住宿と思ふべし。かならずそこにやしろなくともと遊候上ハ。うたがひもなき御事にて候。扨最前ハ何と思召テ御尋候ぞ不審ニ存候   拾三 老松 松笠 〔 〈老武者〉ノコトシ 児二人出ル 残ハ面掛ル〕 一セイ「風吹ハ落しと思ふ甲斐もなく。?おともゆかん身ぞつらき? 「夜ふかくも月の都を立出て。??。嵐の春の松の尾都にちかき松かさきひとりこかるゝ唐崎の松笠ともを?引つれて?猶行末ハ住吉の松の立枝もひとつなる高砂の浦に着にけり?? 「?さす盃も時うつり??名残もつきせぬいにしへ人かな はやおひわかしゆと思召共常にハおとつれおわしまして御そう言のあからせ給ふやいかて左様に思ひ給ふべき 我ハかわらし是まてなりとおいとま申て立帰れバたもとにすがりとゝめ申せハ実名残り有り 西国人に近付給へ 都に有とも心ハかわらじとたのめやたのめとかすおふき松笠ともを引つれ??都ゑとこそかゑりけれ?   拾四 兼平 武者揃 (「)蒲の御曹子範頼に。同相倶(アイトモ)なふ兵にハ。竹田ノ太良鏡野次郎。板垣三郎榛谷(ハンカヘ)の四郎。稲毛ノ三良猪(イノ)又小平六を先として。都合其勢三万五千余騎。近江の国野路篠原に陳((陣))を取。又搦手の大将軍ハ。九郎御曹子義経に。同供せらるゝ侍にハ。安田三郎大内ノ太郎。糟谷(カスヤ)渋谷(シブヤ)畠(ハタケ)山。佐々木の四郎梶原源太。平山の武者所を先陳として。彼是以上二萬五千余騎。宇治橋の詰に押寄せ給ふに。〔是ヨリ常ノ通り〕   拾五 同(兼平) 真 「扨も木曽義中((仲))ハ五百余騎の兵を引卒(インゾツ)シ。越中の国ニ討テ出給ひ。礪並山倶梨伽羅カ峯の御合戦に討勝給ひ。夫より勝に乗ツテ都ニ討テ上り給ひ。(ヲゴル)平家を平(タイラ)ケ御勢(イセイ)なのめならず候。左有ニ仍テ禁中をも不恐狼藉以の外ニ御座候間。帝より鎌倉へ勅使を立られ。急罷登り木曽が狼藉を鎮(シツメ)よと有シカバ。頼朝聞召範頼義経に。六萬余騎を差添テ遣さる。去ル間木曽義中ハ此由を聞。都の中(ウチ)へ入テハ叶わじとや思召けん。宇治瀬田の橋を引放シ軍兵を分テ指被遣ル。先瀬田ハ大手なればとて。勢田へハ今井の四郎を大将と号シ。八百余騎を相副(ソヘ)らるゝ。又宇治橋へハ仁科高梨山田ノ次良。五百余騎ニテ待懸たり。一口(イモアライ)ヘハ伯父の志ノ三郎。先生(センジヤウ)義教三百余騎をぞ引ぐしたり。去共東国より攻登((上))ル大手の大将軍ハ。蒲御曹子範頼に。同相倶なふ兵にハ。武田太郎加々見の次郎。一條次郎板垣三郎。榛谷(ハンガヘ)の四良猪又ノ小平六。是等をさきとして以上三万五千余騎。近江の国野路篠原に陳((陣))を取。又搦手ノ大将軍にハ。九郎御曹司義経に。同供せらるゝ侍にハ。安田ノ三郎大内ノ太郎。畠山ノ庄司次郎佐々木ノ四郎。梶原源太糟谷藤太。シブや右馬丞平山の武者所ヲ先陳として。都合其勢二萬五千余騎。宇治橋の詰ニ押よせ給ふ。去れ共橋を引イたりし間。互ニ勝負も見へさりし所に。数万騎の中より佐々木の四郎高綱。梶原源太景季を初として〔是より跡ハ常ノ間の通り〕 〔△ 平家物語ニハ猪俣ノ小平六ト有 盛衰記ニハ猪俣ノ近平六ト有 小平六と云ガヨシ。コンヘイロクト云ハアヤマリナリ〕   拾六 八嶋 真 「去程に九郎の太夫判官(ホウクハン)〔ヨシツネ〕ハ。元暦元年正月十日〔ニ〕院参(インザン)して。大藏卿泰(ヤス)経の朝臣を以奏せられける様ハ。平家ハ神明にも放(ハナサ)せまいらせ君ニも捨られ奉り。西海ニ漂(タヽ)(ヨウ)落(リヤク)人となれり。此度義経罷向(ムカ)ツテ候ハ。鬼麗高麗契丹迄も。海ハ櫓械((櫂))の立ン程。陸ハ駒の蹄(ヒツメ)の通わん間。何ク迄も追ツ蒐(カケ)責(セメ)亡シ。三種の神祇((器))事故なく。都へ入奉るべき由奏聞申されけれバ。法皇なのめならずに叡感有ツテ。急退治すべき由院宣を蒙り。頓テ渡辺を立ツテ已(スデ)ニ御出舟あらんとし給ふに。北風木を折ツテあらけなく吹バ。舟のしゆりの為ニとて三日ハ御逗留被成るゝ。左有ニ依テ判官と梶原は逆櫓(キヤクロ)の異((遺))恨有ツテ。義経ハ舟五艘に取乗。大風をも不恐押出シ給ふ。然に此五双の舟と申ハ先判官の御舟。田代(タシロ)冠者信綱(ノブツナ)の舟。後藤兵衛父子金子兄弟。淀(ヨト)の江内(カウナイ)忠俊(トシ)とて舟奉行の船。同キ十六日に渡辺を立ツテ。三日に漕(コク)所を唯三時斗ニ。阿波の国へ御登((上))り有りお尋あれば。当所ハ勝浦と云所と申奉ルを。義経(ギケイ)聞召軍の門出ニ。勝浦に着たる事の目出たさよと。其まゝ桜馬((間))の城を責((攻))落シ敵を打ツ取。坂西(ハンサイ)の近藤(コントウ)六親(チカ)家を安((案))内者ニテ。讃岐の八嶋へ押被寄シ程に。平家ハ是を見て取物も取不敢。我先ニと舟え乗沖へ出給ふ。左有ニ仍テ平家ハ舟。源氏ハ陸の戦なれば。互ニ海岸を隔(ヘダ)テ武略ヲ廻シ。辰の頭より申の尾迄の矢軍成ルに。平家の方より小舟一双磯へ付ケ。楯(タテ)ヲ持て一人弓を持チて壱人。討((打))物もつて一人以上三人陸ニ上り。其中より一人進(スヽミ)出大音上テ名乗様。近(チカ)い人ハ目ニも見よ。遠き者ハ音にも聞ケ。討物取ツテハ鬼神ともいわれし。上総の悪七兵衛景清是にあり。源氏に我と思わん兵ハ。出合組や??とよばわるを聞キ。東国の兵ハ我も??と討テ出ル〔是より常のごとく〕   拾七 那須与市 「是ハ讃岐の国八嶋の浦に住者ニて候。今日ハ一段とよき天気なれば。罷出浜をもならし塩をも焼せばやと存ル。荒ふしぎや塩屋の戸が明テ有よ。殊ニ是ハ人の切々出入をした足跡が有ル。いや是成るお僧ハ。何とて人の塩屋へ案内もなふて押入てハ御座候ぞ 「主(アルジ)ハ某成に。扨ハかた??ハ妄語おしやるか  「実と御出家の身にて偽りハ御座ルまひが。いか様成者が借申たるぞ 「心得申候 扨お尋有度とハいか様成御用にて候ぞ 「是ハ〔○((朱))〕思ひもよらぬ〔○次((朱))〕お僧にハ似合ぬけんどな事を仰らるゝ物かな。左様の御事委ハ存も不致候。乍去古〔キ〕人の咄申されたるを〔○((朱))〕承及候間。聞及たる通り〔○次((朱))〕仕方にて〔アラアラ〕まのふで御目にかけ申さうずる「扨も四国の兵。平家をそむき源氏を待ける侍。爰の峯かしこの洞寄も。拾騎廿騎走集ツテ。御勢((ママ))レ((ママ))程((ママ))なく三百余騎に成給ふ。けふ日暮ぬ。あすの軍と定引き退所に。沖の方を見れ(テアレ)バ。尋常に飾たる小舟一双。陸へ向ひて。しんず??とぞ漕せける。いかにと見る所に。柳の五衣に紅の袴を着たる遊君の。年の齢ひ拾八九斗成ルガ。皆紅の扇に。日出したるを舟のせがいに挟立テ。陸え向ヒてぞまねきける。判官御覧じ。後藤兵衛実基を召(レ)。あれハいかにと御諚有。実基承りさん候存ルに。いよとてぞ候覧。あれいさせられびやうもや候らんと申されければ。扨味方ニいつべき仁な誰か有ル。さん候御味方に。きこう〔ル〕いて多う(ク)御座有ル。中にも下野の国の住人。奈須〔ノ〕太郎助高か子に。与市宗高とて手上手の候が。懸鳥など仕ルに(ハ)。三ツに二ツハかならずいをゝせ候と申されければ。左有らバ其与市を呼べ。畏テ候とて被召しに。はたち斗のおの子成ルが。はだにハ皆白縅テ一重。精好の大口に。萌黄にをいの鎧をき。褐のよろひひたゝれの。四ツのくゝりをしつかとあげ。甲をはぬぎ高ひもにかけ。主君(キテイ)の御前に畏ル。其時判官(ホウクハン)〔ゴランジ〕与市とハかれが事か。あの遊君の立たる扇の真中射テ。敵ニも味方ニも見物させよかし。与市畏て申様。かやうの分は仕り為((たる))事無御座候。只一定致べき者(ジン)に。仰付られびようもや候らんと被申ければ。其時判官大きに怒給ひ。今度鎌倉を立て西国におもむく輩。一人も義経がめいをそむくべからず。夫にとかくを存せぬ人ハ。とう??引テ御帰りそゐ。(〔(朱)タイシツアレ 祝言ニ云〕)後日に鎌倉にて沙汰すべしと被申(アリ)ければ。与市ぢしてハあしかりなんと存シ(ヲモイ)。仕らん事ふぜうに候へ共。致して見候らわめとて御前を罷立ツ。其比那須の小黒とて。きこうる名馬に金ふくりんの鞍をかせ。我身軽げにゆらりと乗り。弓取直し手綱??。みぎわをあゆませ行ハ。味方の兵(グンビヤウ)与市がうしろ影を見送り。彼者一じやう仕ル(イタス)べし(ベキヨシ)と申されければ。判官もたのもし実ぞ見へ給ふ。かゝり(カケシ)ける所に。すこしやごろ(ヤゴロ少シ)とうかりければ。海へさつと乗入。馬のふと腹もひたつ程にぞ見へし。比ハ三月十八日。酉の一天の事成に(ナレハ)。折節北風はげしく嘘き。波ハ高シ舟ハちいさし。浮ぬ沈ぬゆられければ。扇も安定ならず。与市目を塞(フサギ)。南無帰命八幡大菩さつ。那須ハ由善((湯泉))大明神。ねがわくハあの扇の真中射させてたべ。若射損物ならば。弓切折(ヲリ)死骸((自害))し。人と二度面をむくべからず。今一度本国に(へ)むかへてたび給へと(サセタマエト)。心をしずめ目を開見れば。風もすこし〔ハ〕吹よわつ(リ)て。扇もいよげに見へにけり。与市こひやうというぜう。拾二束三ツぶせをよつ引しをりしばしかため。ひやうふつとはなつ。あやまたず扇のかなめぎわ一寸斗をいて。ひいふつといきつたる。かぶらハ海に入ければ。扇ハ空ニ上リけるが。春風に一?二?揉レ。海に颯と落ける(ヌ)。白波の上に皆紅の扇の。浮ツ沈ツ。??ゆられけるハ。さながら紅葉の水にうかめるにことならず(カゴトクナリ)。其時平家ニハ船ばたを敲(タヽイ)テ。射たりや与市。射たりや??と感すれば。源氏には胡?を敲テ感シける。電頂(シバシ)ハ東西しづまらず候(候ヘトモ)。(候ヘトモ)其時判官余りの嬉しさに。小額をちやうと打テ。先ハ射たる与市かな。しんばにいきを継せよ。乗驛よ。ぢゞばゞ??。戦ハ数度有為((たる))とハいへど。元暦元年三月十八日の此合戦が。一はなやかに有為と申す。先我等の存知為ハ如此ニ候。〔後のせりふハ常のごとく〕   同 同(八嶋) 二段語 〔初ノせりふ常の間の通りニ云 間も常のを云 (狂言「)讃岐へ落ル平家ついとうの為ニ。のりより義経ハ渡辺福嶋に陳((陣))の取り。数千双の舟をあつめ置れし時分。判官殿と梶原ハさかろのいこん有テ。と云トワキ(「)暫ク と云テとめさせてよし。間を長ク語ルハわろし。云合の時ワキへ望へき也 ワキ(「)いやその武者物語ハむやく。那須与市扇のまとをいたる所を。仕方ニてまのふて御見せ候へ ト云 狂言(「)是ハ又六ケ敷事を御所望有物哉。さあらバそとまのふで見せ申さうずる  △(「)去程に源平ときのこへを合せ。たがいにことしづまる折ふし。白はと廿はばかり源氏のぢんへとび来り。いかにもゆふにまいあそぶ。是ひとへに吉事のそうぞとて。四国のつわ物平家をそむき源氏を待けるさむらい。右ノ通り那須の間也〕 〔△祝言ノ時(「)とう??引テ御帰りそへ と云所ヲ(「)とう??退出(タイシツ)あれ 後日ニ鎌倉 ト云テよし 扇ノまといル時上客ノ方ヲよけべし とかく人なき方よし △平家物語ニハ北風ト有り 盛衰記ニハ西風ト有り ○福嶋より四国へ順風ハ東風也ト云 △平家語ニハ二月十八日ト云〕(以下綴じ込みがきつくて読めず)   拾八 朝長 懴法 大乱トモ         大崩 〔狂言ノ出様ハワキ出ルト其まゝ出テ太皷座ニ下ニイル 扨ワキ呼出ス時に橋掛へ立一ノ松ニテ〕   「誰にて渡り候ぞ 「さん候 朝長(トモナガ)の御墓所(ゴムシヨ)ハ。あれに見えたる森の中ニ塔婆の数多候。中ニも新敷が朝長の御しるしニて候間。初為御方ならバ御出有テ御覧候へ 「御用のあらハ被仰候へ 「心得申候 〔ト云テ太皷座ニ下ニイル〕 〔扨中入ニ上懸ハシテツレヲ呼出シテ(「)罷出宮仕致せと申付候へ ト云テシテハかくやへはいるトツレふたいにて狂言ヲ呼出ス時(間「)御前ニ候 と云 ツレシカ??(間「)畏テ候 ト云テ又太皷座へ行下ニイル ツレカクヤへはいるト狂言太皷座より立シテ柱の先へ出テ云 下懸ノ時ハシテジキニ狂言ヲ呼出シテ云付ル 是も請テ一段太皷座へのいて下ニイテヨシ シテとつくりとかくやへ入テまくおろして立シテ柱の先ニテ云 シテ呼出ス時ハふたい正面向テ呼出ス時ハ目付柱の方へ狂言出テかたひさつき下ニイテよし 又シテまくきわの方向テ呼時ハシテ柱ノ方ニ下ニ居テヨシ〕 「荒ふ思義((議))や いつも旅人の御着なれば。座敷をとりおけの此方へ申せとまで有ルが。此度ハ罷出宮仕へ致せと被仰るゝハ。いか様成御方を御同道有為((たる))ぞ 近比ふしんに存候。いや是ハ最前御目ニかゝりたるお僧ニテ候〔ワキ「扨かた??ハさいぜん朝長のむしよをおしへられたる人ニテ候か△(間)「中??さいせん御目にかゝりたる者ニテ候 (ワキ)「左様に候ハヽ先ちこふ来りて御物語候へ (間)「心得申候 共云〕△(間)「さん候 我等ハ此家のあるじに仕へ申者ニて候が。参りて宮仕致せと有ニより是迄罷出て御座ル。折しも時分の用事有りテ参ルカ。又頼申人の御使に参ルかして。一年ニ五度も三度も彼方此方へおり上り仕ルが。何と心安ひ旅ぢやと申ても。旅宿は万不自由成物なれば。何ニテモ御用の事あらば被仰付い。随分御地((馳))走申上うする〔ワキ「御身ハ御内の人ニテ候ハヽ。朝長の御さいごのようす。御存じ候べし 語テ御きかせ候へ 間「中々朝長の御さいごの御事。其夜ハひそか成御事ゆへ。くわしき事ハ存ぜす候 さりながら。あらあら承りたるとをり御物語申さうずる ○かたりハつねのを云 しまいの所ハ○(間「)あへなく御しがい((自害))被成候 然ハ長ハ一たひたのまれまいらせし其心中をたかへてハとおもわれ ○是より常の通り〕「是ハ思ひも寄ぬ事を仰らるゝ物哉。左様の御事しかとハ不存候乍去。あら??承り及為通り御物語申さうずる 〔爰ニテ語ル 常ノ間ヲ云テとめぎわに〕聟の鎌田迄をたばかり。やミ??と討たると申。先我等の存為ハ如此ニ候 〔ト云トワキ(「)今ハ何をか包候べき 是こそ朝長の御めのと何かしニて候〕 「扨ハ御乳母何某殿ニて候か。左様ニ候ハヽ都大くづれ〔のおこり。又たいけい門の夜軍〕の子細。此田舎の者ハ一円不存候間。委ク語テ御聞せ候へ。「近比にて候 〔爰ニテワキ大乱語有り 過テ〕 「念比に御雑談(サウタン)ヲ承。日比のふしんをはれて御座ル。誠ニか様の怨敵の中を忍テ。是迄御下向被成たるハ。よのつねならぬ深き御志ト存ル間。〔扨御とむらいハいか成仏事を被成候ぞ○((朱))〕緩りと是に御逗留有り。御心静ニ彼御菩提を御弔あれかしと存ル。○((朱))「誠ニ有難〔御〕事ニて候。仰(※)の通り〔※観音せんぼうと申事ハたまさか成事なれバ〕長ニも申聞せ。又我等も是ニて聴聞仕らふずる 「心得申候 〔ト云テ又太皷座ニ下ニ居ル 他ニテハ懴法ノ時ハふれテから下ニイル 鷺流ニテハふれなし〕   拾九 同(朝長) 大乱  〔狂言間ヲ云ハズニワキヘ語斗ヲ好ム時ノ事〕 前ノせリふ初ノ通り 「随分御地((馳))走申上うずる。又只今あるじの被参たる墓所(ムシヨ)ハ。最前お尋有シ源家の大将義朝(ヨシトモ)の次男。進朝長(トモナガ)の是ニテ御自界(ジガイ)被成為((たる))ヲ。長ハ無限(カギリナク)痛敷う被レ存。空敷野辺の塵となし被申。何も七日??ニハ御墓(ハカ)へ参。花水を手向御跡を弔ひ被申るゝ。則今日も御命日ニ相当り墓(ム)所へ被レ参たるに。夫よりかた??を御同道有為ハ。義朝の御一門の衆か。扨ハ朝長のゆかりの御方か。いかさま只人ニテハ御座有まひ。我等ハくるしからぬ者なれば。つゝまず御名字を御あかし被成。又源平の御中不和ニなりて。平治の乱(ラン)となりたる様躰。此田舎の者ハ一円ニ不存候間。委語テ御聞せ候へ。〔爰ニテワキ大乱語有り〕「念比に御雑談ヲ承り日比のふしんをはれて御座る。誠ニか様の怨敵の中を忍ひて是迄御下向被成たるハ。よのつねならぬ深キ御心指と存ル間。緩(※)りと是ニ御逗留有り。御心静に彼御菩提を御弔あれかしと存ル〔※さて御とむらいハいか成仏事を被成候ぞ〕「誠ニ有りかたき事(ヲンコト)ニて候。仰(※)せの通り〔※観音せんぼうと申事ハたまさか成事なれハ〕長ニも申聞せ。又我等も是ニテ聴聞仕らふずる 「心得申候   廿 同(朝長) 真 「去程に平治の乱れのおこりと申ハ。後白川の院の御乳母。少納言入道しんせいと。権中納言藤原の信頼卿ハ。何も院内の叡慮(ヱイリヨ)浅からざる故。りやういうハ必論(タガイニアラソ)ふ習なれバ其中不快(フクハイ)に成シ間。のぶよりハしんせひをほろぼさんと思ひ。しんせいハ又信頼をうしなわんとたくミ。互(タガイ)ニ古老(コロウ)の思ひをなし隙をうかゞひ居給ふ時分。平治元年十二月四日に互に清盛父子ハ宿願有とて熊野参詣有を。右衛門の守ハ能折柄とよろこび。源氏ノ大将左馬の頭義朝を頼奉。五百余騎にて三條殿に押よせ。御厩に火をかけシヤウ皇を大内へ入奉り。しんせいか一類をば大方退治(タイジ)し給ふ刻。安芸守清盛ハ路次にて此事を聞安からずニ思ひ給ひ。其まゝ道よりとつて返シ六原へ帰り給ふ。左有ニ仍テ大内にハ六原よりよすると云てさわぎ。六原にハ大内よりよせ来ルとて取々に申折節。さんぬる十二月廿六日の夜半斗ニ主上ハ六原へ御幸被成。しやうくわうハとくに仁和寺御室え御行有し程に。平家ハきをひ源氏ハあきれて御座候所に。嫡子左衛門佐重盛三河守頼盛。淡路守乗((教))盛を大将として。やうめひゆうはうたいけひもんへぞよせられける。其時重盛の給ひけるハ。年がうハ平治成くわう??ハ平安城。味方ハもとより平家なり。皆さうおうせり いさめや兵とて。一千余騎を引ぐし大宮表へ討て出。先五百余騎ニてたひけひ門に押よせ一同ニ鯨(トキ)をとつと作ル。爰をば信頼のかため給ふ〔が〕。矢の一つもいず頓テひかれ候間。平家弥力ヲゑ大庭指テ攻入けるを。義朝ハゆうほう門の大将成ルが此由御覧じ。いかに悪源太ハなきか。のぶよりと云臆病(ヲクビヤウ)者が。たいけひ門をバはややぶられつるぞや。あのてきをひ出せとの給ひければ。承り候とて懸出給へば。つゝく兵にハ鎌田兵衛後藤兵衛。和田の次郎三浦の荒(アラ)次郎熊谷の次郎。兼子の十郎関の次郎佐々木の源蔵。岡部の六弥太猪又の小平六彼是以上拾七騎。くつはミをならべ蜘手(クモデ)十文字ニかけたてけれバ。平家の軍兵(ツワモノ)ふせきかね大宮表へ颯(サツ)と引。然間大将軍重盛口惜ク被思けるか。初メ五百余騎をハ残シ置。あら手五百余騎ニて又大庭指テ攻入けるを。悪源太是を御覧し給ひ。唯今向ハ皆あら手と見るハひがめか。されども大将ハ元の重盛ぞ。已((以))前こそのがす共此度ハあますまじ。侍を討てハ何かせん大将とくめと下知せられ。重盛今ハ叶わしとや思われけん 六波羅指て引給ふ。三河の守頼盛もゆうほう門へよせられけるか。義朝の(ニ)戦イまけて是も叶わで引給へバ。余りに敵のにぐるか面白さにながをひし給ふ其隙に。平家けひりやくを廻シ大内へくわんくんを入かへし故。大内へも不叶して六波羅へ押寄せ攻給へ共。敵ハ大勢にてふせきければ源氏終に討まけ北を指テ落給ふを。斎藤の法師此由を聞討留ンとて。二三百人ちつか((千束))ゝ影に待たりしを。永井ノ斎藤別当のぶりやくを以テ通シ申さるゝ。又龍家((華))越ニハ逆茂木を引掻楯(カイダテ)をかひて。横河法師五百人弓に矢(ヤヲ)属(ハケ)テ相待けるが。大勢ノ中より指詰引詰ゐける矢に。進朝長の弓手の御膝(ヲンヒザ)口(グチ)をしたゝかに射ル(イル)を。其矢をぬいてこと共せず。御乗(ノリ)替(ガヱ)に召て落給ふに。御供の人々も少々有シヲ。御暇給わり只八騎にて御落有に。不破(フハ)の関をハ敵堅メたりと思召(キコシメシ)。夫より小関に懸り此所迄御落ルが。廿八日の夜の事なればくらさ(クラサ)ハ暮し雪(ユキ)ハ降ル(フル)。終に(ツイニ)兵衛佐殿をバ路次にて取落し給ひ。漸(ヨウ)是へ着(ツカ)せ給ふを。此家の主ハ不浅もてなし奉ル。折節左馬の頭被仰ける様ハ。是より義平ハ飛?の国へ行キ道仙(トヲセン)東(トウ)を切テ登((上))給へ。次男朝長ハ信州ヘ下り。甲斐信濃の源氏共を催して上落((洛))あれ。我ハ東国に下勢を付。海道ヲせめ登ルべしと御意被成し故。頓テ悪源太ハ飛?の国の方へ山路に付テ御越シ有。かゝる処に朝長ハ龍家(リウケ)越(ゴヱ)ニテの御手難義成を。何が寒天(カンテン)の時分余所(ヨソサ)さへはげしき雪の空ニ。うき近江路をしのかせ給ひ。摺(スリ)針(ハリ)峠(トウゲ)の大雪ニ御身もすくミ。行歩(ギヨブ)も次第ニ叶ざれば。頓テ帳(チヨ)台(ダイ)へいらせ給ひ御心静に念仏を御唱被成。なん方痛敷御事成ぞ。廿にだにもたらせ給わで。安倍((あへ))なく御死界(ジガイ)被成候。左有ニ仍テ長(チヨウ)ハ一度頼れ被参シ。其心中をたがへてハと思召(ヲモイ)給ひ。跡のしるしを立被置何(イツ)も七日??ニハ御墓(ミハカ)へ参。花水を手向御跡を弔ひ申さるゝ。則今日も御命日に相当り墓所へ被参たるに。夫より旁(カタ)を御同道有為((たる))ハ。何様義朝の御一門の衆か。扨ハ朝長のゆかりの御方か。如何様唯人〔ニ〕てハ御座有まい。我等ハくるしからぬ者なれば。つゝまず御名字を御あかし候へ   廿一 箙 真 「去程に平家ハ讃岐の八嶋を出テ摂津国難波方ニ押(ヲシ)渡り。西ハ一の谷を城郭(シヨウカク)ニ構へ。東ハ生田の森を大手の木戸口トぞ定ける。其間に福原兵庫板宿(イタジユク)須磨ニ籠ル勢。山陽南海以上拾四ケ国を打随がへ。籠(コモ)ル所の軍兵(ツワモノ)拾萬余騎(ヨキ)とぞ聞へける。先一の谷の北ハ山。南は海口せばくして奥広シ。岸(キシ)高ウシテ屏(ビヨウ)風(フ)を立たるごとく成。北の山際(キハ)より南の海の遠浅迄大石を重上。大木を切ツテ逆(サカ)茂(モ)木(ギ)ニ引。深き所にハ大舟共をならべて掻(カイ)楯(ダテ)にかき。又城の表の高櫓(タカヤクラ)ニハ四国鎮西(チンゼイ)の兵共。甲冑(カツチウ)弓箭(キウセン)を帯(タイ)シ雲霞のごとく並居(ナミイ)たり。櫓の前にハ鞍直(ヲキ)馬共十重(とへ)廿重(ハタヘ)曳(ヒキ)立。常に太皷を懸テ乱声ス。一張の弓の勢ハ半月の胸(ムネ)の前にかゝり。三尺の剣の光ハ秋の霜腰の間に横たゑり。高所ハ赤旗(アカハタ)いくらも打立ければ。春風に吹れテ天に翻り(ヒルカヘリ)。唯火焔(クハエン)の燃(もへ)上ルにことならず。然りとハいへ共源氏の方ニハ。範頼義経ハ二手に分テ押寄せられ 〔是より常ノ通り〕   廿二 実盛 真 「先実盛ハ北国方の人ニテ御座候ひしが。中比源氏へ御参り有武蔵国長井ノ庄を領地に給ハり。則長井の斎藤別当真((実))盛とハ御名乗有為((たる))と申ス。其後平家へ御参り有宗盛卿に御座有為と申。去程に平家ハ木曽殿を討ンとて。北国方へ其勢拾万斗ニテ向イ給ふ。真盛も其御人数にて候間。宗盛へ御訴訟の事御座有為と申 其子細ハ。古郷へハ錦をきて帰ルと云事を思召。錦の直垂ヲ望給ふ。則御訴訟叶ひ候へハ夜ヲ日ニつき御下り候。度々の合戦にあわれ候が。此篠原ニテハ是悲((非))討死被成れうずると思召。いかにも声花((はなやか))に御沙汰あらうずると思召。具足のさねをば猿なめしを以おどされ候由。一段と声花ニ有為と申。然共びんの髪が白ク候間。是をも何とぞ被成れうずるとあつて。しぶずミを以染給ひ候間。まつさかりの若武者ニ御成候。其外懸走りの達者ニ御座候へハ。諸人目を驚シたると申。然共老武者の事なれバ。軍ニしつかれ給ひたる所を。難方あらけなき者が御座候ぞ。耳の裏(ウラ)よりごそりとかきおとしたると承ル。扨験(シルシ)を木曽殿御覧ジテ。如何様成者の験ぞとお尋候へハ。有人被申けるハ是ハ真盛の御首じやと申。いやそでなひと申人も有所ニ。又有人の被申るゝハ是が真盛ならば。先年大原の花見の時ミて候が。其時の真盛ニちがわぬ程ニ。是ハ只大原真盛ニてもあらふするかと被申候。兎角首かよごれて候間。篠原の池水ニテ洗せて御覧候へと被申シ程ニ。さあらバと仰られすゝがせて御覧ぜられ候へバ。正身((真))の真盛ニテ御座有為と申。言語道断弓取ハ。か様の御たしなミにてこそあらふずるとて。各感シ給ひたると聞及候。最前より申如ク。委事ハ存も不レ致。先我等の聞及為ハ如此ニ候   廿三 敦盛 〔ワキへ語好事〕 〔初常の通り間を少々ぬきてみしかく云テよし 間のとめに(「)先あつもりのはて給ひたる子細大方か様ニ承及て候〕 〔ワキ「念比に御物語候物哉 是ハ熊谷次郎直真((実))出〔家〕し 今ハ連性((蓮生))法師と申者ニて候 あつもりの御ほだい弔の為此所ニ下向仕て候〕 「左様の御方共不レ存して。只今ハりやうぢを申めいわく仕て候 〔ワキ「いや??くるしからず候〕 「我等も当所ニ住者ニて候えば。常に皆の雑談(ゾウタン)の承る。誠蓮生法師ニて御入候ハヽ。旁々の一の谷にて高名の子細。又敦盛を御手ニ懸られ為((たる))様躰。此者(トコロ)の者ハしかとハ不存候。か様に御目に懸りたるも他生の縁ニて候間。正身((真))の御物語承度候間そと語テ御聞せ候え 「近比御雑談(ザウタン)の承り日比の不審をはらし申て候。誠に悪ニ強(ツヨ)キ御方ハ善ニもつよひとハ此事ニて候。申迄ハ無御座候え共。敦盛の御菩提を懇に御弔あれかしと存ル 「我等ハ此他((あた))りに宿を持たる者なれバ。御逗留の中一夜のお宿をも仕度候 「心得申候   廿四 同(敦盛)〔狂言間ヲ語ズシテワキヘ斗語ヲ好事〕 「是ハ津ノ国須磨の浦ニ住者ニテ候。今日ハ物さびしき折柄なれバ。上野の他((あた))りへ立出心を慰ばやと存ル。誠ニ当所ハ古跡多とて都人ハ尋来り。浦波やあれたる海人のとまやニも心を付。浜風荒き時ハ若木の桜をいとひ。静成折柄ハたへて松風の音なきと恨ミ。大唐(モロコシ)の山河をも爰ニうつしたる様に思ひ。口ずさミ給ふに鄙の者なれば夫面白からず。浅間敷我等の有り様にて候。いや是成お僧ハ。何国より何方への御通りなれハ是にハ御座候ぞ 〔ワキ「是ハ熊谷の次郎直真((実))出家し今ハ連生法師と申者ニて候 敦盛の御ほだいを弔の為此所ニ下向仕テ候〕 「扨ハ連生法師ニて御入候か。我等も当所に住者とハ申ながら。敦盛の御最後の子細。又旁一の谷にて高名の様躰。折々人の咄を承ルか。御目ニ懸ルも他生の縁ニテ候間。正身((真))の御物語を承度候 〔爰ニテワキ語有り 語過テのせりふハ初ニ書テ有通りニてよし〕 (「)扨も??哀成御物語にて落涙仕候。誠に悪に強き御方ハ。善にも強きとハか様の御事で御座る。申迄ハ御座なく候え共。暫是に御座候て。彼御菩提を心静に御弔ひあれかしと存ル   廿五 同(敦盛) 〔間常の通りよりみじかくかたりとある。先あつもりのさいこの子細。大方かやうに承及テ候 ワキ常ノ通り〕 (「)左様の御方共存ぜずして。唯今ハれうじを申めいわく仕て候 〔ワキ(「)いや??くるしからす候〕 「先是ハ所ニ申伝へたる分にて候。熊谷殿にて渡り候ハヽ。その時の有様御物語有て御聞せ候へ 「仰ハさる事にて候え共。〔一ツハ〕罪障さんけの為と思召テそと語テ御聞せ候へ 〔ワキ語あとハ右の通り〕   廿六 碇潜 「去程に平家ハ木曽義中((仲))ニ都を落され。津の国一の谷に御座候所に。源の頼朝ハ院宣ニまかせ。舎弟蒲の御曹子九郎義経を大将として。六万余騎を指登せられおごる木曽殿を討果シ。夫より津の国一の谷へ押寄せ。平家を讃岐の屋嶋へ追(ヲイ)落シ。跡より追欠(ヲツカケ)様々戦給へバ。平家ハ討負ケ(マケ)此所迄逃ケ給ふに。義経ハ尋常(ヨノツネ)ならぬ名大将にて座せバ。何国迄かハのかすべきと是迄追欠給ふ。平家の一門ハ是より落給ふべき所なければ。兎角勝負を快(ケツ)せんとて我も??とすゝミ出。舟軍に戦給へど終平家負軍ニ成シ所に。其時知盛并ニ二位殿思召様ハ。早御運も窮りたり。御痛わしながら安徳天皇を。海底(テイ)へ供奉シ申さんと泪を流シ仰られしが。二位殿泣々尤のがれぬ御身なれば。御供申さんと神尓((璽))を脇ニ挾ミ宝剣ヲ腰ニ指シ。内侍所を局にいだかせ。主上にむかひ奏し申されけるハ。此浪の下ニ極楽世界と申て目出度所の御座候間。急御幸(ミユキ)無シ奉覧と宣へハ。龍眼((顔))に御泪を浮メ給ひ。東西ニ向ひ観念をなさるゝ所に。二位殿走り寄り玉体(ギヨクタイ)をいだき。ちいろの底ニ入給ひたると申ス。其時門脇の教(ノリ)盛の次男。教経ハ義経の召たる舟ニ乗り移り。戦ふ所に判官ハ叶(カナ)ハじとや思ひけん。二丈計隔(ヘダ)テたる味方の舟に飛乗給ふを。教経あきれ果て御座候所に。安芸ノ太郎同次郎ハ。教経お討取ンと押寄ルを。兄弟の者共を近付。汝等(ラ)を冥途の供に連ンとて。引(ヒツ)(ツカ)ンデ両の脇ニ挟ミ海へ入水有ル。又平家の大将宗盛親子ハ。水心ヲ能ク御存知有ツテ。游(ヲヨギ)上り逃ンとし給ふ所に。源氏の兵共何かハのがすべきと舟を押寄せ。ろかいを以て打流シ生捕にして。鎌倉へ曳れたると申スガ。是も海へ沈ミ申されたるかとも取沙汰ニて御座候。先我等の存為((たる))ハ斯の如ニテ候   廿七 巴 真 「去程に木曽官((冠))者義中((仲))ハ平家追討の其為ニ。五万余騎の軍兵を催し。中にも今井樋口(ヒクチ)?(タテ)根井(ネノイ)。又兼平が妹に友絵と申て。無隠大剛の女武者の有を供(グ)せらる。然ル間平家此由伝へ聞。拾万余騎の勢を指遣さる。左有に依テ木曽殿ハ頓而信濃を打立。越中の国へ出向砺波山供((倶))利伽羅。其他所々の合戦ニ打勝其まゝ京都に攻(セメ)登((上))ル。平家ハ防に便なく。戦ニ力無して西国へ下給ふ故。義中都に入替勢(イキヲイ)天地天地((ママ))をしのきし間。法皇なのめならずに思召。頓テ大将の宣旨を蒙り。則伊予の守に任(ニン)ぜらる。去共侈(ヲゴリ)深ふして院内(ナイ)をも恐ず。悪逆法に越(コヘ)シきざミ。頼朝是を被聞召範頼義経ヲ大将として。六萬余騎を二手ニ分テ上洛有ル。義中宇治瀬田にて防がるゝといへど。両陳((陣))悉クやふれしかば。鎌倉勢雲霞(ウンカ)の如ク乱入を。落((洛))中ニテモも暫支(サヽヘ)給へ共。度々の軍に一度も利無クして。軍兵数多討れ主しう只七騎に討被成。則北国を心掛江州指て御落有シが。七騎の内迄巴ハ討れ給わず。是迄付そひて被参たると申。其時木曽殿被仰ける様。汝は女なればくるしかるまじ。急古郷に帰我最後をも語れと有を。友絵泪をながし被申シハ。ミづから女成共御行末を見捨。命ながらへても何かせん。ぜひ御供となげかれけれバ。義中しきりにいさめ則御形見を被遣シ間。力不及りやうじやうし給ふ処へ。かたきの大勢追懸来ルを。爰こそ望所よと思ひ主君の目の前にて。名有兵を数多討取シ内に。難方痛敷御事成ぞ。木曽殿ハ流矢に当り空敷ならせられしかば。々御死骸に御暇を申。信州へ下差(チヤク)被致シが。夫より頼朝へ召被出。終に鎌倉ニて果られたる由承ル。先我等の存為((たる))ハ如此ニ候   廿八 維盛 真 「去程に小松の三位中将維盛卿ハ。身がらハ八嶋ニ有ながら。心ハ都エ通ハれけり。古郷に留置給ひし北のかた。稚キ人々の面影のミひしと立添テ。忘るゝ隙もなかりけれバ。有ルに甲斐なき我身かわとて。寿永三年三月十五日の暁忍ツヽ。八嶋の館をハ紛れん。与惣兵衛重景石童丸と云童舟ニ乗りたればとて。武里と云舎人是三人を召具シテ。阿波の国結城(イウキ)の浦より舟に乗。鳴渡((門))の沖を漕過テ紀伊路へ趣給ひけり。和哥吹上衣通姫の。神と顕れ給へる玉津嶋の明神。肥前(ヒゼン)国懸(ケン)の御表(ミサキ)を過テ。紀伊の湊〔ニ〕こそ着給へハ〇三つ〔ノヲ〕山の参詣事故のふとげ給ひ。浜の宮と申奉ル王子の御前より。一葉の舟に棹をさし万里の蒼海ニ浮ミ給ひ。遥の沖ニ山なりの嶋と云所有。中将夫に舟漕よせさせ。岸に上りナナル松の木を削(ケヅリ)テ。泣々名跡を御書付られける。祖父大政大臣平の朝臣。清盛公法名浄海。親父小松の内大臣の左大将。重盛公法名浄蓮。三位中将維盛法名浄円。年廿七歳寿永三年三月廿八日。那智の沖ニテ入(ジ)水すと書付テ。又舟に乗沖へぞ漕出。一高声に念仏百返斗唱(トナヘ)給ひて。南無と唱(トナフ)ル声共に海へこそ飛入給ひける。与惣兵衛石童丸も同う御(ミ)名を唱へつゝ。つゝいて海にぞ沈(シヅミ)ける    廿九 田村 (「)大和国高市郡八多郡児嶋寺住持。報恩大師ノ弟子賢心法師或夜ノ夢ノ告ニ依テ。宝亀九年戌牛((午))四月八日ニ此長岡ニ至らんとするに。淀川ニ金色の一流を見る。水ノ源を尋て川を逆のほるに。山城の国愛岩((宕))郡八坂郷音羽川ノ水上。清水の瀧の下ニ至ル三ツの庵有。白髪ノ(衣)老翁千手ノ神呪ヲ誦ス。其名ヲとへバ行恵居士ト云。此所〔ニ〕隠居スル事二百歳。汝ヲ待事久し。吾東国修行の願有 吾ニ替りテ。汝ヲ暫ク住ヘシトテ東ニ向〔ヒ〕テ去ぬ。賢心教ニまかせ住給ふといへ共。終ニ不帰恋慕の涙袂ヲ潤シ。東方ヲ指テ尋行ニ。山科岑に居士がはく所の沓有り。夫をトりて帰り三年ふる所ニ。宝亀十一年庚申。近衛ノ将監田村丸妻室ノ産薬の為。一の鹿を狩テ此山ニ来リ。賢心ニゑつして右の子細ヲ聞。檀越ならん事をちぎり〔テ〕帰り草創をなし。将監上奏シテ延鎮ト改。其后東夷逆をなすに依テ。田村丸ヲ征夷大将軍としてさしつかわす。速ニたいらげあらたまりて上洛し。清水寺をたて給ふ 〔桓武帝〔御〕宇延暦十四年給将軍号為東夷勢州越 同廿年東夷討亡上洛 同廿四年田村丸清水事始ス 五十一代平城天皇御宇大同二年ニ供養ス 五十二代嵯峨帝御宇弘仁二年五月廿三日田村丸薨ス 大納言坂上大宿祢田邑麿命婦高子ハ三善清継か女也〕   卅 軒端梅 真 四季トモ 「先都の内ハ申ニ不及辺土洛外(ラククハイ)の内ニも。名ニ聞へたる霊地(レイチ)の仏閣多シといへど。殊更此東北院と申ハ。御堂ノ関白道長公ノ御息女。上東門院と申奉りシハ。一条ノ院の后ニテ渡らせ給ふが。則此所に住せ給ひしが。去ル子細有御寺と成〔リ〕東北院とハ申実候。去レハ東北院と名付シ事。此寺都の北と東の間に御建立被成。王城の鬼門を守ル御寺成ニ仍テ。即東北院と名付申其隠なき御寺ニて候。然ハ以往(イニシヘ)上東門院の御所成シ時。和泉式部紫式部赤染右衛門。清少納言などとて今に名高き哥人多シといへど。中ニも和泉式部と申御方ハ。本国ハ因幡の国産見(ウブミ)の里の人成ルが。橘の和泉守の妻成故ニ。則名を和泉式部と申て。上東門院に宮付給ひし所ニ。幼少の時より敷嶌の道ニ執心深ク。朝暮事の心いろ香に染ハ。おのづから其風(フウ)を得られて。何方(イツカタ)ニて御哥合の有時も。人に先立名哥をよみ給ふニより。和哥の達者とほまれを取レたると申ス。又あの方丈の西の妻((端))ハ。式部の御休所にて有シヲ。後にか様ニ御寺と成〔リ〕ても。名匠ノ住給ひシ所なればとて。作も替ず方丈ノ内にこめをき。今に式部の伏戸成ル由語伝候。惣して梅の名ハ八重一重。紅梅白梅香((好))文木。鶯宿梅などとて数多有中ニ。此梅を和泉式部と申子細ハ。式部手づから植給ふニより。即名を和泉式部とハ申習す。又方丈の檐近ク植給ふニより。軒端の梅共申実候。最前も語シ如ク。式部此梅を植置。春の花盛ハ申に及ばず哥に。くれなひの色よりはやく咲そめて。にほひことなるのきの梅がへ。夏の木末しげる中ニも。若炎天の梅ずいも出ルかとうたがひ。秋は梅の紅葉を一入あひし。冬ハ寒苔をへづほめるが面白きなどゝて。四季ともにめがれせず詠給ひしを。忝も帝聞召勅諚としてめされけれバ。式部ハ梅をおしミ鶯と云題にて。御玉章をまいらせらるゝ其哥に。勅なればいともかしこし鶯の。宿ハととわばいかゞこたゑんと。忝も天子此哥を叡覧被成。扨ハ鶯の宿の梅にてあるならば。定て名ハ鶯宿梅ニテあらうずるとて。重而綸旨を被成。夫より此梅をバ鶯宿梅共申シ。又綸旨を蒙りたる梅なれば。綸旨梅ニテも有うずるとの御事ニ候。先我等の存為((たる))ハ如此ニ候 〔元文五庚申歳二月十八日二御丸御能ノ時〈軒端梅〉観世太夫ニ被仰付間辰三郎ニ四季梅語被仰付候所ニ俄に〈軒端梅〉取止〈定家〉ニ十七日ニ替り申候間〈定家〉間辰三郎相勤申候 同年十二月廿一日二御丸御能ノ時宝生太夫ニ〈東北〉被仰付候 又辰三郎へ〈東北〉ノ間四季梅語被仰付候 右ノ真ノ間ヲ相勤申候 ワキハ春藤源七相手也〕 〔上東門院ヲ長元三年庚午八月下旬ニ寺ト号シ東北院ト云 稲葉ノ国高草郡ウブミノ里越前守大江ノマサスケト云人ノ息女和泉式部〕   卅一 定家 真 「古郷五条の三位俊成ノ郷((卿))の御子。藤原ノ定家ノ郷ハ二條ニ住せ給ふが。都の内ニ名所旧跡多シといへど。中にも千本の地競と申ハ。東西ニ山有リテ遥ニ霞渡り。北ハ高山打続(ツヾ)キ遠路の晩鐘幽ニ聞へ。心聚(スゴク)物哀レなれば是成亭ヲ立置レ。折々ハ御出有テ哥を詠ジ。心を慰給ひたる所と承ル。取分神無月ノ比ハ山谷ノ紅葉も色深ク。北の峯よりハ時雨ノ降来ルを一入面白思召テ。時雨ときを知ルと云題ニテ。偽りのなき世なりけり神無月。たがまことより時雨そめけんと。かく詠ジ夫より時雨亭と額ヲ打給ひ為((たる))と申ス。又仁((人))王七拾七代後白川の院。第三の姫宮に式子内親王と申御方。初ハ賀茂の斎院の宮ニ備り給ふが。如何成謂の御座すや覧程無クおりいさせ給ひしが。内親王ハ敷嶋の道に執心深キ御方成ル故。定家郷とむつましく(シク)御座候ひシヲ。定家郷ハ色ニ出さじと包給へど。なげくともと有五文字ニテ。思ひふかき詞を読給ひけれバ。内親王心中ハ打とけ給ひたるが。桐ノ葉も踏分ケがたく成ニけり。必人を待となければとか様ニ詠シ給ひシヲ。帝此由聞召定家の郷ハ。一度(タビ)勅勘の身と成給ひ為と聞及候。左有ニ依テ内親王も浮世の有様を見聞ニ付ても。心うく思召か頓テ后((薨))去ならせ給ひしが。誠ニいもせの道は二世迄も浅からぬ事成ぞ。無程定家も空敷成給ひしを。跡のしるしを立置れし所ニ。皇女の御墓ニ蔦葛のはいかゝりたるを。去人の取のけて置けるに。また一夜の間に前のごとくまとひしを。各ふしん仕給ふ所ニ。有貴キ僧の夢ニ。内親王の御墓の蔦ばしのけ給ふな。定家の郷の執心ニテ有由申を。京童の是を聞テ。定家の執心かづらとなつて。御墓にはいかゝる由申て。夫より蔦葛をば定家かつらとハ申習ス   卅二 江口 真 「惣して江口の長と申ハ本国ハ。周防の国室津美((積))の中の御手洗の人ニて御座候。衆生斎渡((済度))の為ニ流ヲ立給ふべきとて。都ぢかう津の国中嶋。此江口の里ニ住せ給ひて候折節。西行法師と申せし人一夜の宿ヲ借給ふニ。江口の君ハ流ヲ立給ふ御身なれバ。世の源を思召御宿を借シ不給候。其時西行法師の哥に。世の中をいとうまてこそかたからめ。かりのやとりを惜む君哉と被遊候へハ。江口の長の御返哥に。世をいとう人ときけば仮りの宿。心とむなと思ふ斗ぞと遊シ候。先江口の君ハ普賢菩薩の御さいたんニて御座有たると申ス。夫をいかにと云ニ。播广((磨))の国書写ノ開山性空上人ハ。さか中の文珠((殊))ニ御祈誓候様ハ。正((生))身ノ普賢菩薩とおかませて給わり候へと。御祈候所ニ有夜新成御霊夢有り。是より津の国中嶋江口の長ニあひ給へとの。御告ニまかせ此所へ御出候へハ。折節長ハ(江口ノ君ハ)数多の遊女を集給ひ。舟遊を被成て謡遊給ふ。其時の謡ニ周防室津美中のミたらひの。池水にさゝらなミ立やれとん(クトン)とゝ御座候。是皆普賢経の感文ニテ御入候由承候。上人様不審ニ思召。閉目則失と御おかミ候へバ。普賢菩薩ニて候。又開目則見と御をかミ候へば。本の江口の長ニて御座候。其後舟ハ白象トなり。其身ハ普賢菩薩と成り給ひ。西の空を舞遊ひ給ひ候由今に語伝候。先我等の存たるハ如此ニ候   卅三 野々宮 真 「去程に此野々宮と申ハ。昔仁((人))王拾一代。垂仁天皇の皇女大和姫と申神女。初而斎宮にたゝせ給ひシより此方。斎宮に御立有人の。仮りに移御座ス。御精進やの為ニ立被置たる所と承る。是にて御身を清メられ。夫より桂の祓ニあひ。竹の都ニ御座候由申習す。然ルに桐壺の帝の御せうト。せんほう((前坊))と申御方ニ姫君一人御座ス。後にハ中宮(チウクウ)ト申奉りシ比。斎宮に立給わんとて此野々宮へ移ラセ給ふ。御母御息所ハ源氏の君忍ひ給ひ。初は御契り浅からさりしが。世にすぐれてねたましき御方なれば。葵上ニ付空敷なし給ふ故。都の御住居もおもはゆく思召。息所の斎宮にはなれかたしとなぞらへ。いせへ御下可有とて是へ御出有に。光源氏ハ御息所の御心。愁気(ツラキ)者とハ思召せと流石(サ□□(虫損))が又。別給わん事も最愛(イトヲシク)思ひ給ひ。此のゝ宮えとむらい参らせらるゝ。其折節殊更成ル物の音なと聞へけれど。源氏渡り御座ス由聞シ被召。御遊をもやめられたると申。其時源氏の君ハ榊の枝を折テ。かわらぬ色をしるべとて。いがきの内へ指置給ゑハ御息所の御哥ニ。神垣ハしるしの杉もなき物ヲ。いかにまがへておれる榊ぞと被遊レハ源氏の御返哥ニ。乙女子があたりと 思へハ榊ばの。かをなつかしミとめてこそおれと。互ニよミ替シ御申有。色々様々の御恨共にて。月もかたふけば源氏の御哥に。明(アカ)月のわかれハいつも露けきに。こハよにしらぬ秋の空哉と。かく詠じ給へハ御息所。大方のあきの別レもかなしきに。鳴音をそへて野辺の松虫と遊し。きぬ??の御有様にて光源氏ハ御帰り被成。御息所ハ都の方名残をしく思召せど。力不及シテ伊勢へ御下り有為((たる))と申。是ニ付色々様々ニ子細有実候へ共。先大方ハ如此ニ候。扨只今ハ何と思召テ御尋被成為ぞふしんに存候   卅四 同(野々宮) 中替 「此野々宮ト申ハ伊勢斎宮に御立有人。仮り(カリ)ニ移(ウツ)りお座シ。是ニテ御身を清メ精進(シヤウジン)潔斎(ケツサイ)の所と承ル。然ルを以性((いにしへ))朱雀院の御世に。六条の御息所の御息女。斎宮に立給わんとて此野々宮に御移り有り。其御母宮す所ハ光源氏と御契り深〔ク〕おわしつるが。源氏の北の御方葵上。加茂の祭御見物の折節。御車の論より恨ミ深有りテ。葵上物ノ気と御成有。終ニ葵上空敷成給ふ間。源氏の君も心能思召ざるにより。息女の斎宮にはなれかたき□□□□((虫損))被成。伊勢へ御下り有へきとて此野々宮に移らせ給ふ。光源氏も御息所の御心。愁気(ツラキ)者とハ思召せど。さすがひた道に別給わん事。彼御心中いとをしく思召。此野々宮へとむらひ参らせらるゝに。御神事の躰にぎ??敷神さひたれば。今迄お尋被成ぬ事を御口外(コウクハイ)の様ニ思召所に。小柴垣を大かきにして。ひたきやかすかに見へ気色かう??敷折節。殊更成物のねなど聞へけれど。源氏渡りお座す由きこしめされて。御遊をもやめられたると申。御忍の事なれば内々の北西(ホクサイ)より。源氏立寄御詞の便なければ。榊の枝をいさゝかおりて。みすの内へさし入給へハミやす所。神垣ハしるしの杉もなきものを。いかにまがへておれる榊ぞとよませ給へハ。源氏の御返哥に。乙女子があたりと思へば榊葉の。かをなつかしミとめてこそおれと。たがいによミかわし御申有。夫より色々様々の御恨ミつきせざるまゝ。月もかたむけば源氏の君ハ御帰被成るゝ。誠に長月初ツ方の事なればあさじが原の。虫の音も花もかれ??に成行。いとゞ物哀ニ思召れたると申ス。扨御息所ハ斎宮桂の御祓被成。都の方名残おしませ給ひ。伊勢へ御下り有たると申す。先我等の存たるハ如此ニ候   卅五 芭蕉 真 「先芭蕉の情((精))ハ女成由申 夫をいかにと申ニ過にし方安成の彭元?と云者此宴水の山中ニ庵を抔テ山居致に比ハ秋の暮ツ方の事なれば折節月の明々と有夜中ニいづくとも不知女性一人来りて。宿を借を何者ぞと問ハ宴水の者と答レと彼奴子女ヲ喚被入ハ婦人下部が伏戸入テ不去推出せハ彼女人終ニ逃さりし程に妖化(ハケモノ)成と怖令思印を結て咒を唱なと致せバ彼女左様に経を読共恐間敷と云しか夜明方に其庵の晨朝ヲ撞けるを鐘はし撞給ふな 頭摧と慈て門ヲ出帰ルを見送り申に正敷松の林に入ルと見て姿を見失ひけるに其傍に芭蕉のむらがりおいしげりたるを(ニ)不測思ひ帰テ居室の壁を覘ハ五言の詩有 芭ハ宴水の辺に住ス 君ハ青山下ニ住と有ハ芭蕉ノ情ハ女が必定ニテ有ト申事ニ候 又雪の中の芭蕉の偽ル姿とハ古性((往))玄宗開元年中画工の名匠王摩詰と申人ハ古今ニハ並なき上手なれば芭蕉を青々と書 夫に雪をしたゝかに持せたる躰ハ言語道断珍敷見事なれど併雪中ニハ無物ナル故に雪の中芭蕉の妄誕?とハ此ヲ以世間流布仕為((たる))事ニテ候 又画?と云モ此時より初為由承ル 惣して此磨詰ハ如何成貴人高人儒者其外迄ニも崇敬せられ天下のほまれを取シ人成ニより時節ニもあらぬ芭蕉などを書れ為を後の代迄も人の用申さるゝ事且は其身の手幹成由申 然ハ芭蕉にあたる秋の??に憂ハナケレトモ愁嘆を持人の耳にハ哀に聞ゆるか七言ニ云ク芭蕉葉上無秋雨自是離人聴断腸加様の詩などを御僧に?ハ誠ニ仏の前の経とやらん申が夫より是ハ筋なき事ニて候間定て片腹痛思召ルべし 扨又何故芭蕉の事を御尋ハ不審ニ御座候   卅六 同(芭蕉) 脇語ノ事 〔初ノ間ハ常ノ通り〕 「是ハ寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。扨お僧へ御不審モウシ度事の候ぞ。うじやうひじやう草木しつかい成仏ト申事。我等躰の者ハ勝手不存候。御物語有て御聞せ候へ 〇〔ワキ語有リ〕 「又不審申度事の候。倶舎(クシヤ)法相(ホツサウ)ノおしへにハ。五性(ゴセウ)格別(カクベツ)ニシテ有無性(ウムセウ)ノ二道(ドウ)ヲたて。成仏(ツメル)すると成仏(ツメル)せざるとの御事ニテ候由。此うたがいをはらし度候 〇〔又ワキ語有リ〕 「近比有難候。扨最前の女性ハ疑ふ所もなき。芭蕉の情((精))仮りニ女ト現シ。声詞を替し給ふと推量いたす。あまりにふしぎ成御事なれば。弥草木成仏の御法を遊シ重テ奇特を御覧あれかしと存ル   卅七 誓願寺 語 「惣して此誓願寺申((ママ))ハ。仁((人))王卅九代天智天皇の御草創。御本尊ハ春日大明神の御作。正身((真))の無量寿仏ニテ御座候。一切衆生利益の御為ニ。御建立有為((たる))御寺と承及候。又和泉式部と申ハ。御堂関白道長公の上童ニテ候。此上東門院と申子細ハ。一条の院ノ后ニテ。世上に其名聞へ為宮女を数多召つかわれて候。中ニも此和泉式部と申御方ハ。小野々宮の未((末))に祐高郷((卿))の御娘共。又大江の権の佐の息女とも申候。此御方を和泉式部と申子細ハ。橘の師基公の未孫(バツソン)。和泉守道貞郷((卿))の。妻(サイ)女成ニ仍テ和泉式部とハ申候。御子一人まふけ給ふ。則小式部と申て是も哥の道能心得給ひたる由承て候。有時法花経の中の。みうミやうにうミやうの心を哥に。くらきよりくらき道にぞ入ぬべき。はるかにてらせ山のはの月と被遊て候。常に後世菩提の事を心に懸給ひ。毎日当寺に御参有たるにより。往生〔ノ〕素懐をとけ御申有たると申。去に仍テ当寺に御墓(ハカ)を立被置。則あれニ見へたる石塔ハ。和泉式部の御跡にて候。此寺ニ付様々子細有実候へ共。まづ拙者の存為ハ如此ニ候 「是ハ不思義((議))成事を被仰るゝ物哉。扨ハお上人様ノ御心中貴う御座候ニ付。か様の御夢相((想))有為と存ル間。急キ女((如))来の御告ニまかせ。六字ノ名号ニ御なしあれかしと存ル 「心得申候 やあ??皆々承り候へ。昔より誓願寺と打たるかくをのけ。上人の御手跡にて。六字の名号に御なし有べきとの御事成ぞ。其分心得候へ??   卅八 同(誓願寺) 真 「都の内に名に聞へたる仏閣多シといへど。其中ニも此誓願寺と申ハ。忝も仁((人))王卅九代天智天皇ハ。政(マツリゴト)たゞしう慈悲深き御心にて。一切衆生を利益被成れんが為に。か様に当寺を御建立被成。西方極楽無量寿仏の御本尊。春日大明神の御作ニテ御座候。左有ニ仍テ老若共に〔日夜〕貴賤群集仕ル。又あれに見へたる石塔ハ。以往((いにしへ))の和泉式部の御墓ニテ御座候。此和泉式部と申ハ小野々宮の未((末))孫に。助高郷((卿))の娘共又大江の権之佐の息女共申。此御方を和泉式部と申子細ハ。橘の師基公ノ御未。和泉守道貞郷の妻成シ故。則和泉式部と申て。女子を一人持給ふをば小式部と申せシが。是も無隠哥人成由承ル。其比一条院の后上東門院と申奉ルハ。御堂ノ関白道長公の姫宮にて御座候ひしが。御門に我をとらじと思ひ給ふ。取分敷嶋の道に名高き官女数多有中にも。式部ハ和哥の達者と誉レをとられ。ことに菩提の道を心がけ後世を大事と思召故。法花経第七の心を哥に。くらきよりくらき道にぞ入ぬべき。はるかにてらせ山の葉((端))の月と。かく詠じ【給ひ】常に浄土を願ひ給ひ。毎日当寺へ御参有しが。誠にりんじう無疑。往生の素懐をとげ給ひたる由申伝へ候。此寺に付様々子細有実〔ニ承〕候へ共。委事ハ存も不レ致。先我等の存為((たる))は如此ニ候   卅九 同(誓願寺) 極真 「去程ニ此誓願寺と申ハ。忝も仁((人))王卅九代天知((智))天皇と申奉ルハ。古今無双の賢王ニテ御座シ。国土ヲ恵民を摩。殊に菩提の道を大事と思召ニより。西方極楽弥陀如来ヲ。拝ンと深ク天を祈給ふに。則天より二人の童子降。正((生))身の弥陀仏拝シ度思召さバ。堅問字堅字国親子の。仏師に被仰付よと有〔ニ〕より。御願成就ヲ不斜被思召軈弐人被仰付シ所ニ。夜々に明神顕れ給ひ。二人の仏師にまじわり給ふ故に。春日大明神の神作とハ申習す。誠に此仏ハ正身の無量寿仏ニテ御座候。一切衆生利益の御為ニ。御建立有為((たる))御寺と承り及候、又お尋被成るゝ和泉式部と申ハ。御堂ノ関白道長公の御娘。上東門院と申奉ルハ。一条院の后ニテ世上に其名ヲ聞へ。〔取分〕敷嶋の道に名高キ官女有。中ニも和泉式部と申御方ハ。小野々宮の御未((末))ニ祐高郷((卿))の息女共。又大江の権之佐の娘共様々に申習ス。此御方を和泉式部と申子細ハ。橘の師基公の未((末))孫ニ。和泉守道貞郷ノ妻女成ルに仍テ。和泉式部とハ申候。御子一人まふけ給ふを則小式部と申て。是も無隠哥の上手成由聞及候。有時法花経の第七化城(ゲシヤウ)仮愈(ユナ)品の中の従明((冥))の心を和泉式部の哥に。くらきよりくらき道にぞ入ぬべき。遥にてらせ山のはの月と被遊。常に後世菩提の事を心〔ニ〕がけ。毎日当寺へ御参有たるにより。りんじう慥に往生素懐ヲとげ給ふ由承る。去ル仍((ママ))テ当寺ニ御墓を立置レ。則あれに見へたる石塔ハ。和泉式部ノ御験にて候。此寺ニ付色々子細有実候へ。先拙者の承りたるハ如此ニ候 〔△法花経ノ第七化城仮兪品ノ中ノ従明ノ心ヲ正本ニモ如此有違申候由左ノ通リ △法花経ノ第三ノ巻化城仮兪品(ゲシヤウユホン)第七ノ中ノ従冥(シウミヤウ)入於冥(ニウヲミヤウノ)心ヲ(コヽロヲ)〕   四拾 誓願寺 独事 (「)去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれども。つら??人間の有様をおもんみるに。今未((末))の代とて驚。後生を願ふ至ラぬ者ハ。卅三枚の札を首に懸巡礼致者も有。古遠〔ノ〕人ハ高野山ニ上りいはい五輪を立。或ハ信濃の善光寺へ籠ル人も有が。拙者抔ハ他所他国へ行事もなく。幼少より王城に(ヲヽゼウアタリニ)住といゝ。殊ニ小河面ニ宿を持たれバ。日夜朝暮心安誓願寺へ参候。夫ニ就(ニツキ)我等の近所ニ。朝〔な〕夕な咄人の被申事ニハ今夜の夢に。昔より誓願寺と打為((たる))額をのけ〔ラレ。只今一遍〕上人の御手跡ニテ 〔是より常の通り (「)何とも思召合せらるゝきハ無御座候か〕 「されバこそきどく成事を仰らるゝ物哉。夫ニ就有人御物語被成たるハ。和泉式部ハ衆生斎渡((済度))の為ニ。一たん人間に生れたれ共。本地ハかぶの菩薩のけしんにて御座有たると申す。殊更式部ハ当寺を頼て。是成せきとうを立置れ。今式部の御墓成由申せバ。御本尊の御告ハ疑ひもなき御事成間。恐ケ敷申事なれ共。昔より誓願寺と打たる額をのけられ。六字の名号に御なし有かしと存ル 「左有らバ諸へ此よし相触申さうずる   四拾一 玉葛 真 「去程に玉葛と申ハ。頭ノ中将の御息女ニテ。御母は夕顔の上 と申奉りしが。去子細有テ夫婦の御中。思わぬ外たへ??にならせ給ひ。五条他((あた))りにかすかなる躰にて忍給ふ故。御母夕顔の上ハ物うく思召。中将の方への御哥に。山賤のかきほありともおり??ハ。あわれをかけよ瞿麦(ナデシコ)の露と。か様にあそばされたる故に。夫より息女をなでしこと申たる実候。其後源氏の君夕顔の上に御心を掛給ひ。忍ひ??に御契り有シが。是ぞあまよの物語に。頭の中将の云シ君よと思召。よその契りハかれ??にて一入御中むつましきころ。有時何某の院へ供なひ給ひしに。甲斐なく物のけにとられさせ給ひ。夕顔の上ハ空敷成給ひ為((たる))由申。其比玉葛の君ハ。未いとけなく御座有し程に。夕顔の上の御乳母痛敷存ジ。母上の忘形見と思ひそだて参らせしが。乳母〔ノ〕男大宰府のせうニ成りテ此筑紫へ下りシ間。独り都に留置参らせん事も心元なく存シ。玉葛をも九州へともなひ奉り。彼方此方と月年を送りシ程に。次第??に美敷(ウツクシク)成立給ふを。筑紫人聞伝へテ色々様々に心を掛ケ。何かと申せど御靡(ナビキ)なかりしゆへ。扨ハおさへてうばひ取申さんなどゝ。其沙汰頻に有つるを聞召。田舎に有はてん事を浅間敷思召程に。乳母早船に乗せ申都へにげ登((上))りけるが。遥々の海路なればあやうく思召。殊に響(ヒヾキ)の洋(ナダ)などゝ申。あらき波路をしノがせ給へバ。我何事なく都に登ルにおいてハ。八幡初瀬に参らんと御立願有シに。誠ニ仏神の御恵ミ成か。なんなく京都に着せ給ひ。九条他りにかすか成ルやどりにしのばせ給ふ。御立願の事なれば初瀬詣であらんとて。大和路へおもむかせ給ふに。以往((いにしへ))母上に宮使せし右近と申女房の有つるが。なでしこの御行衛おぼつかなく思ひ。祈の為に是も当寺へ参り給ふが。南((何))方寄((奇))特成事ニて候ぞ。同シ宿りに御着有て。玉葛を見奉りテ右近の哥に。二本の杉の立とを尋ずハ。古河野辺に君を見ましやと読。是偏に観世音の御利生ぞとよろこび。頓テ都へ御供申シ。源氏にかくと被申ければ。夕顔の上を痛敷う思召ニより。玉葛をも御あわれミなされ。三条の院へ移シ御申有り。程なく髪((髭))黒の大将の北ノ方に御なし給へバ。若君あまたまふけ給ひ。宜御はんじやう有たる由承る。又玉葛と申名ハ源氏の御哥に。恋わたる身ハそれならで玉葛。いかなる筋を尋きぬ覧と。かく遊して夫より此君を。玉葛とハ申習す 先我等の存たるハ如此ニ候   四拾二 井筒 真 「先此寺を在原寺と申子細ハ。在原業平の御建立〔有り〕為((た))ルニ仍テ。在原寺とハ申実候。又此業平と申ハ平城天皇の王子。阿保親王第五の御子。御母ハ桓武天皇の御娘。伊藤内親王ニテ御座候が。貞観年中に御建立有為((たる))故に。則寺号ヲモ貞観寺トハ名付申シ。又在原寺共申。いにしへ此所に紀の有常と申御方の御座ス。是ハ崇神天皇廿六代〔ノ〕孫。名虎の郷((卿))の御子ニテ御座候ひしが。其御息女と業平互ニ幼(ヲサナキ)時節ハ。是成井筒ニ立奇((寄))水鏡等御覧シ。朝暮御狂有しが。何も御藐(カタチ)美敷御座セバ。我がカゲヲ人のかげと御争有り。朝暮戯給ふ時節。後には夫婦の機関(カタライ)をなすべしと。迭ニ跡無ク云機関(カタライ)月日ヲ送給ひしが。程無ク生立給ひて後。息女ハ美女のほまれを取給わんなどゝ沙汰の有ル比。〔是より常ノ通り〕   四拾三 胡蝶 真 「先此所ハ一条大宮と申て。其無隠名所ニて候。又是ニ見へ為((たる))古き宮ハ。以往((いにしへ))光源氏の住(スマセ)給ひ為由承ル。然ルに源氏君と申ハ。〔忝も〕醍醐天皇第二の王子。御母ハ按察(アセチ)大納言の御娘。桐壺ノ更衣ニテ渡らせ給ふが。七歳の御時源性(ミナモトノシヤウ)を給り。はゝ木々に中将葵に大将。夫より次第??に御位まして。後にハ牛車の宣旨を蒙り。藤裏葉ニハ大政天皇の尊号を得給ふニ(〇左有ニ)拠テ時の覚代の聞へ肩ヲならぶる人なければ。宮殿などの心詞ニ及がたく。金殿とう??に四角重ル内ニ。雲の八重畳をしきならべ。広庭にハ大キク池を堀((掘))山をつかせ。がゞとそびへたる所にハ大木古木を植置れ。其奥より瀧を落シ。彼方此方の霞あひたる木末も。さながら錦をわたせるにことならず。比ハ弥生廿日余りの事成ニ。余所にハ盛り過なんと見へし。桜も匂を発シ南枝の花早開テ。日景の枝ハつぼミたるも有り開も有に。藤もこゝちよげに咲乱。【今を盛】其折節是成御橋の本の梅花。今を盛成に鶯の宿木つとふ   四拾四 当麻 真 「先此当麻寺と申ハ。忝も用明天皇六拾二年〔ニ〕。役行者御建立被成。類(タグイ)無少霊地なれば。当寺へ一度御参詣の輩ハ。成仏の縁を結給ふ由承ル。去程に此曼荼羅(マンダラ)のおこりハ。仁((人))王四拾七代廃帝(ハイダイ)天皇の御宇ニ。横佩(ヨコハギ)の右大臣豊成(トヨナリ)公ノ御息女。中将姫と申て御座候ひしが。眉目(ミメ)藐(カタチ)いうにやさ敷御座(ヲハシマ)せバ。両親不浅御寵愛被成シ所ニ。誠に生死の習貴賤の隔(ヘタテ)なけれバ。母上みまかり給ふ故。息女ハ御幼少より後世ニ深ク思ひ被入けるか。七才の御年より毎日称讃浄土経怠り給ハざりしに。昔より継母(ケイボ)の悪心程怖敷(ヲソロシキ)事ハ御座なきぞ。未御年ニもたらぬ姫君ニ。色々様々無真(ムシツ)を構へ雲雀(ヒバリ)山へ捨給ひ為((たる))と申ス。去共仏神の御哀(アハレ)ミにや。ふしぎの御命を助り給ひ。二度南都へ御帰落(キラク)有し刻。既(スデ)ニ后ニ立給わんと沙汰の有を。中将姫ハ此世の楽(タノシミ)無益(ムヘキ)と思召か。夜ニ紛(マギレ)忍出て当寺へ御出被成。御ぐしをおろさせ給ひ。御名をぞ法如(ホウニヨ)と申奉り。則紫雲(シウン)庵(アン)と申草庵(ソウアン)ニ閉籠(トヂコモリ)。おこなひすまして御座スが。弥後生一大事と思召。硯(スヾリ)をならし筆を染。一廻の間に称讃経一千巻書顕(アラハ)シ。今ニ当寺の御宝ニテ御座候。又有時法女本堂へ御参有ツテ。大願をおこし給ふ様。我正((生))身の弥陀如来ヲ正〔サ〕ニ拝奉らずハ。永水食ヲ留メ堂中ニ死せんとて。六月十一日より昼夜(チウヤ)信心(シンジン)をおこし。仏念(ネンブツ)し給ふ折節。一人〔ノ〕老尼(ラウニ)来り給ふを。法女如何成御方ぞと問せ給へバ。御身西方を弥念ジし間。我極楽のしやうごんを。曼荼羅ニ織付拝せ申べし。然らバ百駄の蓮の茎(クキ)を集置給へとて。其まゝ化シテ見へさせ給ハざれバ。法女随喜(ズイキ)ノ思ひをなし。急蓮の茎を御用意有りテ待給へバ。彼尼来り自(ミツカラ)糸をとり 〔是より常ノ通り〕   四拾五 龍田 真 「先当社龍田ノ明神と申ハ。〔〇((朱))〕仁((人))王四拾代天武天皇四年ニ。風神ヲ此龍田立野へ勧請被成ル。然ハ此御神と申奉ハ。忝も〔〇次((朱))〕伊弉諾伊弉冊尊。何も朝露を吹払ひ給ひしが。自神ト成給ひけるを。則風神ト名付偈仰申為((たる))由承ル。去ハ風水の難を除給ひて。五穀成就国土安全成事も。偏ニ当社の御利生成とて。毎年二ケ度の御祭事を。内裏より執行わせられテ。前方より勅使御下向被成。誠ニ夥敷事ニテ有ツルガ。中比打絶テ今ハ早無御座候。又紅葉を御神木と崇申事ハ。当国三輪の御神木ハ杉なり。当社ハ紅葉ニ愛(メデ)給ふニ仍テ。紅葉を御神木と崇申候。夫のミならず有難御事ハ。二柱ノ御神天ノ浮橋の上ニテ。天ノ瓊(ト)矛(ホコ)を指をろし下界をさがし給ふに。其矛(ホコ)の滴瀝(シタヾリ)の潮(ウシヲ)凝(コリ)塊(カタマツ)テ。一の淡路島嶋と成為由申ス。彼矛を当山ニ埋給ふにより。則此山を矛山とハ申習ス。其御矛の上より生出為木なれバ。矛ノ鋒(ハサキ)ノ刃(ノヤイバ)ノ如ク当山ノ紅葉ハ八葉御座候。誠(コト)ニ八ツハ神道ニ貴ミ給ふ数成由申。又?ヲ使者と云ケル事ハ。昔禁中ニ四?(ケイ)の祭トテ〔〇((朱))〕?ニ神ヲ祭付テ御座テ。都の四方の〔〇次((朱)) 都ノ〕関々へ御放(ハナシ)被成(ナサル)ル。先東ハ鈴鹿山ノ関。北ハ逢坂西ハ須广((磨))の関。南ハ此龍田の関へ被遣候。惣ジテ?ハ早天より早ク声を出シ。万林ニ時を告(ツゲ)けれバ有詩ニモ。?既鳴(ニハトリスデニナイテ)忠臣待旦(チウシンアシタヲマツ)などゝ作られしも。鳥鳴テより朝帝のまつり事おこなわるゝと申。当社におひて甚秘数多有とハ申せども。委事ハ存も致さず。先承為ハ大方如此に候   四拾六 三輪 真 「去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我か朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神国々に地をしめ給ひ。威光区々((まちまち))成とハ申せ共。中ニも当社三輪の明神と申御事ハ。色々の神秘御座有事と承テ候。先一説にはやまとた((ママ))びもゝそ姫の尊と申候。又ハ天照太神の御子大己(ヲヽアナ)貴(ムチ)の尊共申候。大物主の神と夫婦のかたらひを被成しが。男(ヲ)の御神ハ形(カタチ)ヲかへし夜な??御通候を。当社明神見顕シ給ひて候へハ。我等にはぢを御ミ(ヲンミ)せ候とて大空(ソラ)をふんで。御(ミ)室山に上り頓テ神さりまして候。然ハ其時大市(チ)ニはうむる人。あふ坂山の石を取おこしてはこひ候か哥をよミていわく。あふ坂につきてのぼれる石村を。たこじにこさはこしえてんかも。か様ニも候当社の神秘かと申けに候。又当社ハ住吉大明神共。夫婦の契りを籠かよひ御申有たると承ル。御哥にも住吉のきしもせさらん物ゆへに。ねたくや人にまつといわれんとあそばされたると申候。いや何角と独事を申た〔是ヨリ常ノ通り〕   四拾七 同(三輪) 替 「是ハ和州三輪の里に住居する者ニて候。我宿願ノ子細有ニより。明神へ七日の日参仕候。今日ハ満参にて候程に参らばやと存ル。我等ハ当社ヲ別て信仰致スニより。此程神主殿へ参り。明神の謂ヲ尋て候えハ。当社明神ハ伊弉諾伊弉冊の尊。天の岩倉の苔莚ニテ。男女ノかたらひをなし。日神月神蛭子素戔嗚の尊と申て。四人の御子ヲ儲給ふ。其素戔嗚の御子ニ大己貴と申奉ルハ。則此三輪の明神の御事ニテ候。然ハ余の御神ハ御社拝殿なと。結構に取りおこなわせられ候が。当社明神ハ御社もなく。杉を御神木共又御神躰共崇申候。いや独言を申内に神前に参りつひた。荒有難や。七日の日参成就いたし満足仕て候。頓テ下向致さう 荒ふしぎや。御神木の下枝に衣か懸りて有。是を能々見候へハ。此山陰に御座有。玄賓僧都の御衣かと存ル。いかなる事ニかけ置せられたるぞ。是より直ニ僧都へ参。御衣の様躰を尋ばやと存る。是へ参じて候 「尤毎日参うずるを。此程宿願の子細有テ。明神へ七日の日参仕候。今日ハ満参にて候程ニ。参詣仕て候へハ。御神木の下枝に。貴僧の御衣か懸りて候により。いか様成事によりかけをかせられたるぞ。ふしんに存じ神前より直ニさんじて候 「中々の事 「是ハ寄((奇))特成事を仰候。夫ハうたがひもなき。当社明神にて御座あらふずると存候。夫をいかにと云に。神ニも五衰三熱とやら申て。くるしミ御座有ルと申候。此度僧都の御法力をもつて。くるしみをまぬかれんと思召。御衣を御所望有たると存候。併我等の見申たる事ハ。まことしからずおぼしめさりやうずる間。是より御出有て。御衣の様躰を御覧あれかしと存ル   四拾八 鵜飼 〔初ノせりふ常ノ通り 尤川崎の辻堂也 中入過テかゝル 是も常ノ通り〕 「扨お尋有度とハ如何様成御用にて候ぞ 「何と此所ニて鵜遣ひの。果たる子細を咄せと被仰るゝか。是は思ひも寄ぬ事を仰らるゝ物かな。彼鵜遣ひハ我等の手ニかけ。眼前に見申為((たる))事ニて候。其上お僧の思召寄てお尋被成るゝを。存せぬと申もいかゞなれば。荒々語テ聞せ申さうずる 〔是より常ノ間語ル 尤間の内咄の様ニ語ル 口伝有り 間のとめの前ニ(「)去ル人の見付皆々にいけん申やう と云所を〕 某の見付皆々に異見申様。いかにとが人成共左様にないためそといゝて。他りの人を退テ広く置。大竹を取ニやり一間程宛ニ切せ。二宛ニわりたルを三所網テ。其簀の上ニ彼鵜匠を緩りと寝させ。片端(カタハシ)よりきり??と巻ひて。強き縄を以テ五所しつかとしめ。両のはじに大きな石を二つ結付。一切((殺))他((多))生の利((理))に任せ。伊沢((石和))川の渕へ湛浮((だんぶ))とはめたハ。何方漢然((おとなし))ひ異見ニてハ無御座候か 〔ワキシカ?? (「)夫ハかへつてふとくしん成事ニて候 ト云〕 「尤仰にて候へ共。か様の悪人を一人殺さねバ。大勢の者の為ニ悪敷故。大の虫をたすけ小の虫を殺す道理成り。某ハ随分慈悲を致たると存ルに。けつく不得心なと被仰るゝ。扨只今ハ何と思召寄テ。鵜匠の事をお尋被成るゝぞ。近比不審ニ御座候 「是ハ寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。扨ハおそうの御心中貴う座スニより。以性((往))の鵜匠の亡魂顕出。声詞を替シ為かと致推量。余りニ不便成事なれば。一石ニ一字書付。彼者の跡を懇に御弔あれかしと存ル 「さあらバ我等も石をひらうて参らせうずる 「心得申候 〔「なんぼうおとなしい意見ニてハ無御座候か ワキ「左様の事ハ帰テふとくしんニて候 「某ハ随分慈悲を致たると存れバ。けつくふとくしんなと被仰るゝ。扨只今ハ何と思ひ寄りて。鵜つかいの事をお尋有たるぞ ふしんニ存候〕   四拾九 賀茂 御田 シテ「か様ニ罷出為((たる))者ハ。都加茂の明神に仕へ申神職の者ニて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我か朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光区々((まちまち))成りとハ申せ共。中にも当社賀茂の明神ハ。忝も王城の鎮守ニテ。天下を守給ふ御神なれば。一入御威光新に御座候。されバ就夫当社にをいて。年中に神拝様々多シといへど。中ニも今月今日の御神ばひを。御田植の御神事と申子細ハ。先当社の御田を植初メ。萬民百性((姓))相伝を催す。殊ニ此比ハ田水もゆたかなれば。急ぎ植女達を喚出シ。神田(ジンデ)ンの祭事を調申さばやと存ル 〔ト云テ橋掛ノ方ヲむいて〕 やあ??五月夫女達。いつもの如ク拵て早々出られ候へ哉 〔ト云テ笛の上ニなをる 扨さかりはニてさうとめ出テ橋掛りへならひ大こ打上〕 立頭「上山の 皆々「かミやまの。かもの川浪ゆたかなる。神田(ミトシロ)御田を植ンとて。植女の袖をつらね。?笠の葉を?ならべつれ。?いざミ?たうへを急かん。?? 〔ト云テふたいを一返廻りテ又橋掛りへならひテ大こ打上テ〕 立頭「(中)苗代ヲ 皆々「(中)なわしろを?(上)泥等と?ならしすましつゝ。?水も?豊に水口を。?祭り納ル神の御田。み(下)のるも?ほどなかりけり。?? 〔シテ聞ミヽ立テシテ柱のさきニて扇をひろけほねのあいよりのぞき正面へ行笑うテ〕 シテ「やあ??五月夫女達ハ。いつもより奇羅美な出立で。殊ニ早々拍子物でお出やつたよ 立頭「中々何がか様に天下納り。万目出度折柄じやと存テ。皆若ひ衆をとものふて。拍子物で是迄出まして御座る シテ「おゝか様の目出度折柄にハ。下々よりも取おこなふが専でおりやる。〔左有ハ〕某ハいつものごとく水口をまつらうずる間。旁々も夫にてお拵やれ 〔ト云テ笛吹ノ方へ行テたすきかけゑぶりをもち〕 立頭「心得まして御座る。いざ皆拵ませう ツレ「よふ御座らふ 〔ト云テ橋掛りニ下ニいてうしろをむいて右のかたをぬいて松ばを左りニ持〕 シテ「何と拵ハ出来ておりやるか 立頭「此方何もよう御座ルがこなたのハ出来て御座るか シテ「中々此方も出来ておりやる。さらハ水口を祭りまするぞ 立頭「よう御座らふ 〔シテゑぶりのさきの方下ニしてゑに扇ヲひろげ向の方ニ左手ニテ持そへタネヲロシヲ云〕 シテ「まいらせ候。??。夫年の年号ハよき年号。初ツテ白銀の花咲こかねの真((実))なり開。神物和合する時を以テ敬白。たとへ春のたなをろしハすくなく共。秋にもならばせまぢに千束町に萬束たるべしと。祭納て声上げ。?(下)田植ひ五月夫女?。植ひ??さうとめ 皆々「目出度御田植に。苗代に折たち シテ「?折立チて?。??。?(下)田植ハ?五月夫女。笠(下 )買てきせうぞ 皆々「(下)?笠こうてたぶならば?。??。?猶も?田をば植よ シテ「?(上)いかに植女冨岡山に白玉椿の。花の?咲た見よかし 皆々「?(上)八千代を重て?さひたるぞ目出度 シテ「?早苗とる?山田の。?水筧もりにけり? 皆々「?引尻目縄?に露そかゝりたる シテ「?皐月の?作女房と春の?鶯と? 皆々「声くらべせう春の?と シテ「早苗取( 下 )とて手を取ぞおかしき 皆々「とをたらば大事か若ひ?時の?習よう シテ「?(上)いかに植女?。化粧?ぶミかほしひか? 皆々「化粧ぶミたぶならばさそな嬉しからまし シテ「(上)化粧ぶミとつたりとなんにせうぞみめわる 皆々「つら?にくひ男の?云た事の腹立 シテ「(上)誠に腹が立ならば水鏡をみよかし 皆々「?五月夫女の景((影))?移す苗代の角々?の水は鏡かわ? シテ「?(上)鏡(カヽミ)ハ?見たりとも顔ハよごれたり 皆々「顔ハよごれたりともー思ふ人ハ持たり シテ「(上)いかに植女?此所の?山々に?花の?さいた見たるか 皆々「?実急度?見たれ?ばこかねの花も?さひたり シテ「おふ目出たや 皆々「をふ目出たや シテ「実目出度かりける誠にめてたかりけり 皆々「目出度御代にハ千丈萬丈。?とう?みふれり。ふれりや??とうみふれり 〔ト云ながら松はを左右へなけるていをしてかくやへ入ル シテはさうとめを見をくりテ夫よりゑふりを両の手ニてまわしながら小廻して正面むくとしやぎりとめ〕 〔たねおろしト云 △(シテ「)まいらせ候?? 其時神主能方ニむかひみな口をまつりおさめて声をあげ (シテ「)田植ひそうとめ 常ノ時ハ是を云テよし 長ク云ハ習也 △まいらせい?? 夫年の年号ハよき年号始(ハシマリ)テ(ハシ)金(マツテ)銀の花咲白金のみ(ニミナ)な(ル)り 神物和合する時を以て祝言と名付ク 惣して春のたなおろおしハすく(綴じ込みがきつくて読めず)敬白 タトヘハ春ノ種ヲロシハスクナクトモ(数文字あり)小金ノ花咲白金のミナルヨキ方ニ向ナラシヲ以テマツリヲオサメテ声を上テ〕   五拾 同(賀茂) 御子神主 シテ「か様に罷出為((たる))者ハ。都賀茂の明神に仕へ申神職の者にて御座候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光区々((まちまち))成りとハ申せ共。中ニも当社賀茂の明神ハ。忝も王城の鎮守にて。天下を守り給ふ御神なれば。国々在々所々よりも。朝夕袖を連ね踵を継テ。参詣の輩数多御座候。就夫我等の是へ出ル事別の義にても御座なひ。播州室の明神の神職の御方。只今御参詣の由申間。先あれへ参り如何様成人ぞ見申さうずる。いや惣の市を同道致さう。なふ??市おりやるか。少是へお出やれ アト「わらハを喚せらるゝハ。何事で御座ルぞ。シテ「いや別の事でもおりなひ。殊の外目出度事が有ルハ アト「夫ハ先よひ御事で御座る シテ「則室の明神の御事は。当社と同一躰の御神なれば。室の明神の神職の御方。只今是へ御参詣じやに仍テ。某ハあれへいでうと思ふ程に。いざそなたも出さしませ アト「誠にそれは目出度事で御座る。さあらバわらハも参りませう シテ「中々いざゆかしませ 〔是ヨリ〈大社〉ノ御子神主同前〕   五拾一 大社 御子神主 シテ「是え罷出為((たる))者ハ。当社大明神ニ仕へ申神職の者にて候。先我朝ハ神国なれハ。霊神国々に跡を垂給ひあまた有とハ申せ共。中にも当社の御事ハ。諸神ニ弥増霊現((験))新成御神なれば。不思義((議))の神秘様々御座候。夫ニ付当月を他国にて遍ク神無月と申に。当社へハ日本の神々御影降((向))被成るゝ故ニ。当社(シヨ)にてハ神有月と申候。是ニ付様々の寄((奇))特御座候。左有ニ仍テ当今の臣下左様の寄瑞を聞召及ばせ給ひ。御神事をおかミ申さうとて。只今御社参の由申間。先あれへ参り御礼をも申上ケ。又似合の御用有ニおいてハ走り廻うと存ル。いや惣の市をも同道致さう 〔ト云テまくの方ミて〕 なふ??市おりやるか。少是へお出やれ アト「わらハを喚せらるゝハ何事で御座るぞ シテ「いや別の事でもおりなひ。殊外目出度事が有ハ アト「夫ハ先よひ事で御座る シテ「則当今の臣下当社の神秘を拝ミ度思召。只今此所へ御参詣ぢやが。何と目出度事てハなひか アト「誠に目出度事で御座ル シテ「某ハあれへ出ふと思ふ程に。いざそなたも出さしませ アト「さあらばわらハも参りませう シテ「中々いざゆかしませ アト「先こなた御座れ シテ「夫ならバ身共の参らふ おりやれ?? アト「心得ました シテ「何とおもわしますぞ。か様のじせつ生おふて。此様な大慶な事ハおりなひ アト「いや是と申も。偏ニ当社の御威光目出さのまゝで御座ル シテ「其通りでおりやる。扨勅使ハどこ許に御座ルぞ アト「さればどこ元に御座るやら シテ「いやあれにぢや。扨々きらびやかな出立でおりやルハ アト「其通りで御座ル シテ「いざあれへ出う アト「よふ御座らう シテ「先御礼申候。是ハ当社に仕へ申神職の者にて候が。此所へ御参詣の由承り取物も取あへす罷出て御座る。何にても御用あらバ仰付られうする。随分走りめくり申さうずる。先神を御すゞしめの為ニお神楽を上申さうするが何と御座らふ 〔ワキシカ??有〕 畏テ候。一段の御きげんに申上た。某も身拵をせう程に。そなたも急て用意めされひ アト「心得ました 〔ト云テ二人共ニ太皷座ニ下ニいてシテハ水衣のかたを取り手拍子ヲ持 御子ハ鈴を右に持左りに扇ひろけて持 鈴のならぬやうにさきをひろげた扇にておさゑてふたいへ出る也 シテハしてはしらの先へ出かたひさ立テ下ニいる〕 アト「お神楽こそめでたふおわしませ。命長ふちうよふのぞひて 〔ト云ト笛吹出ス 聞合テ鈴ヲふり出し少さきヘ出跡へさがり扨目付柱の方へ行角取テ又大臣柱の方へ行角取テすぐに左り右りへ大廻りして小廻り 扨ぶたいさきへ出ル時鈴をぐわら??とふりとめる シテも御子の舞内ハ手拍子打テイル 尤拍子の打様ハどう成共笛に合せテ打テよし〕 アト「遥成沖にも石の見へけるハ。恵比須のごせの腰懸石 〔ト云テ正面へ鈴ヲふつて出跡へさがり中廻りしてひやうし援 〇-〇-〇-〇-〇 夫より左右へずいぶんのる シテミてうつりのつて立ト御子扇をうしろにあて鈴を前へさし出し左りの足を上テシテ柱の方行 シテも御子の通りに足上ケテ手拍子打なから入替り大臣柱の方へ来ルト御子下ニぐわつして鈴をふる 又右へぐわつして鈴をふる シテも御子の通りにまねをする 又御子立テ元の座へ行 此時も右之通り足上テ行 シテも同前 入替りて又左右へくわつして鈴ふる 扨立テ左右へ鈴と扇をふり分テ大廻り小廻りしてしやぎりにてとめる 鈴と手拍子後見持出テ太皷座ニ置ク〕 〔どひやうしと云時ハ皷ヲ細キ竹ニテ打 是ハ小皷のあしらい有故ハなし 神楽ニテハびやうしト云 いせんハ打たる事も有よし 其時ハ小皷あひしらいなしよし 夫故狂言に持物ハどひやうしと云ハわろし 手拍子ト云物なり〕 〔前の間常の通り 是ハ御子同道せず ワキへかゝる時のしよう (神主「)御神事をおかミ申さうずるとて只今御参詣の由申間先あれへ参御礼をも申上又似合の御用有ニおいてハ随分走り廻ふと存ル 誠にか様のじせつ生おうて此様な大慶な事ハおりなひ 是と申も当社の御いくわうの目出たさのまゝぢや 扨勅使ハ何方に御座ルぞ さればこそ是に御座ル 扨も??きらびやかな事かな あの中へ某のかやうの有(テイ)さま(デハ)でハ中々でられまひ さりながらですハ成まひ 急〔テ〕罷出申さう 先御礼申候。定て何者ぞと思召れうずる。是ハ当社明神に仕へ申神職の者ニて候 誠に是迄の御参詣神も一入御よろこびにて御座有ふずる 扨我等にも何にても御用有ニおいてハ仰付られうずる 随分走りめぐり申さうずる 先神を御すゝめ((ママ))の為ニみかぐらを上られうするか (神主)「畏テ候 一段の御きげんに申出した 急テ惣の市をよひ出し申さうする 惣の市おりやるか (御子)「誰で御座ルぞ (神主)「いや某ぢや (御子)「何事で御座ルぞ (神主)「そなたハおしりやらぬか 都よりまれ人の御参詣被成則お神楽を上ませひと有事じや 急で其用意をめされいと云事じやよ (御子)「夫ハめてたひ事で御座る さらハ用意致ませふ (神主)「一段とよからう 某も身こしらへを致しどひやうしを打申さふ (御子)「よふ御座らう〕 〔(神主)「なふ??市殿おりやるか (御子)「わらハをよばせらるゝハ何事て御座ル (神主)「別の事てハなひ 当社の神秘をおかまんとて雲の上びとの御参詣ハ目出度事でハなひか (御子)「被仰るゝ通り国々在々より貴賤くんじゆをなすさへ御いくわうじやと存ルに殊ニ雲の上人の御参詣ハ一入当社の御いとくで御座る (神主)「さあらバお神楽を上テ神をすゝしめませうと存ルが何とおりやらう (御子)「一段とよふ御座らう 二人共ニしたくをして出テ神主シテ柱のきわにかたひさ立テ下ニイル 御子ハ作物の方ヲかけて下ニイルト神主(「)さらバお神楽をはしめさしませ ト云ト作物の方ミテ和哥を云出して立正面向テ左右へ出一返廻りてひやうし 〇─〇─〇─〇─〇 小廻りして留ル 下ニ居ルト神主(「)ちかごろ目出度こそおりやれ 今度ハいかにもうきにういてお神楽をあげさしませ (御子)「心得ました ト云テ又作物の方ヲかけて二段目の和哥を云出シながら立正面へ出テ左右へ行角取テ大廻り小廻り 神主うつり立テ入替御子拍子又入替り御子ハふたい神主ハはしかゝり一の松のあたりにて拍子御子の通りニまねする 夫より御子橋かゝりの方へ行テのつてよび出ス躰をして神主御子ニついてふたいへ出ル しやぎりとめ〕   シテ 出立 厚板 水衣 狂言袴 きやはんニてくゝり 腰帯 扇 手拍子 立帽((ママ))子又黒風折ニテモ   アト 神子 薄((箔))の物 白ねり 水衣 そばつぎ こしおひ 末広 鈴 かづら はねもとゆひ 尤そばつぎうしろをはねてこしおびする 又白ひしけの水衣ニテモ 鈴ニ房付ル 〔葛かけやうの事 葛帯する時ハ耳を出して葛をかける物也 又かつらおびなき時ハ耳の見へぬやうに耳の上からかけべし〕 〔神楽笛ノ事 春日森田ハ神楽ヲ吹 一噌ハ湯立ヲ吹ト云〕 〔小鼓ノ事 幸五郎次郎流ニテハ狂言和哥ヲ云内より小皷打出シ習有 幸清次郎方ニテハ和哥ヲ云テから小皷打出シ其間笛ヲ待テ居ル 頭ヲ打テ地ニ直ルと笛吹出ス 狂言も笛吹出ス迄鈴ふらすに待テ 但シ五郎次郎方ニテハ和哥の内打出ス故ニ和哥過テも笛ヲまたセル事なし 森田流ニハ真神楽有り  観世新九郎大倉喜右衛門方ニテハ笛の吹出シ小皷の打様常ノ通り 尤幸五郎次郎方ニテもへいぜひハ常の通りに致候由 幸清次郎方ニテも其人か打被申候時ハ右の心持ニテ打被申候 夫故狂言も清次郎相手ノ時ハ心得て有候 小皷打出シヲ能聞テ笛ヲ吹出スト鈴ヲふるやうすべし 外の流義((儀))の様に和哥を上テ其まゝ鈴をふり候へハ小皷頭を打内ニテ聞にくし さるに仍テ笛も見合テ吹出ス 狂言も其ごとく少まつて居テ笛ヲ吹出スト鈴をそろ??とふり舞テよし〕 〔御子ヲしてにして勤ル事も有り 下面常ノ通り 但シひたゝれの乙ノ面ヲカケ笹の葉ト鈴ヲ持テ舞事も有よし 是ハふミ出し舞やうに習有り〕 〔鷺流ニテハ神主ト御子と両人出ル故ニ神楽を上テくれいと云事ヲワキニいわする 前方ニ云合へし 惣して下面事ニハワキ詞ヲ云 末社事ニハワキ詞ヲいわす 併高安彦太郎流ニテハ〈大社〉の御子神主或ハ〈氷室〉ニテも詞ヲいわず 夫共ニ前方ニ尋へし 大蔵流にてハ里人を出して (「)御神楽を上テ被下い といわする 夫故御子神主里人以上三人 狂言ハ神主と御子斗成故ワキノ方より神楽の事を云テもらう 高安流ニテ神楽の事をいわぬ時ハ狂言常の通り詞なくしても懸りテ詞有通りニ間云テもよし 又こたへなくて懸りハいな物と思ふならハ語者の?((了))見次第ニテワキへかゝらすに神主と御子詞云テすくに神楽を始る事も有り 口伝〕   五拾二 同(大社) 祝詞 (「)讃語再拝??と。ツヽしミうやまつて申す。月の数ハ十二月。日の数ハ三百五拾余ケ日。五人の神楽おのこ八人の八乙女。さしくる塩の花をくミ。ちりがおもてをきりはらひ。向矢前にきしんたまうず。さらば市殿お神楽を始られ候へ (「)此君の。??。千代の御神楽まいらすれば。神もうれしくおぼしめせ?? 君も安全民百性((姓))。国土長久所も繁昌に。此御神の守り給へハ目出度や 〔〇狂言神楽打出シ 幸五郎次郎家大事 前▲?─〇─〇 ▲?─〇─〇 ▲─▲?─〇 〇 ▲?─〇 〇 是より乙斗  後▲─▲▲〇〇〇 是より乙斗〕 〔〈大社〉の祝詞の由長州江山氏ノ書物ノ中ニ書テ有り (「)あなうましのみはしのもと末広もごをる秋津国ゆたかにすめる宝前にへいはくさゝけ奉る 君万せいをいのる所に〕 〔御子神主和哥替 (「)みかけうつろうますかゞみ〕   五拾三 白髭 道者 シテ「是ハ江州白髭の明神ニ仕へ申社僧にて候。去程に我等の是へ出ル事別の義にても御座なひ。当社の上葺の観((勧))進の為に。海上をば某の承テすゝめまらする。則今日も罷出うと存ル 〔ト云テ初ニ乗テ出一の松ニ置たる舟の方へ行乗テ大臣柱の方へ足ニ懸引テ行〕 今日ハ一段の天気て満足致た。先是へ待合せう 〔(「)未道者舟もミへぬ 先ハ是ニ待合せう 共云 道者三人出舞台ニテ次第〕 道者三人「むすひし講の末とげて。??。清水詣急がん 〔地ヲ取〕 立頭「是ハ北国方の者成ルが。某清水講をむすんで御座ル。只今思ひ立清水詣てと心指候 道者三人「住馴し我古里を立出テ。??。足にまかせて行程に。名にのみ聞し近江路や。海津の蒲に着にけり 立頭「急間是ハはや海津の蒲に着て御座る。扨是から舟に乗せられうか但し陸を御座らふか ツレ「何も何と思召ぞ。殊外草臥て御座る程に舟がよふ御座らふ 立頭「夫ならば爰に某の存た者が御座ル程に。舟の才覚を致ませう。ツレ「一段とよふ御ざらふ 立頭「夫に皆またせられひ ツレ「心得て御座る 立頭「ていしゆ御座るか 舟頭「誰て御座る。はてよふ御座つた。是ハどれへ御座る 立頭「何も若ひ衆をともなふて清水詣致す。夫ニ就テ皆草臥た程に。舟に乗たひとおしやる 舟の才覚をしておくりやれ 舟頭「安い事 随分足早い舟を持テ御座る程に是に乗せませう 立頭「夫ハ嬉しう御座ル。さあらバ頼まする 舟頭「心得まして御座ル 〔ト云テ舟ヲ取ニ楽やへ入ル〕 立頭「皆御座ルか ツレ「是に居まする 立頭「一段とよい舟を才覚致たハ ツレ「夫ハ嬉しう御座ル 〔舟持出ル シテ柱の先ニ置ク〕 舟頭「いざさらば舟に乗せられひ 立頭「心得て御座ル 〔皆舟にのツテ〕 立頭「今日ハ一段と長閑で御座ル 舟頭「其通りで御座ル 〔こぐてい〕 はや舟を出しまするぞ シテ「最早大方道者舟のくる時分ぢや。そろり??と出うと存ル。いやあれに舟が見ゆる おゝひ 〔ト云テ手ニてまねく〕 舟頭「おゝひ シテ「道者舟よ 舟頭「あふ道者舟よ シテ「御登り 〔手ヲ上テ〕 舟頭「中々 シテ「英((えい))急て参らう 立頭「いや又お出やつたよ シテ「舟中殊の外にきやかに御ざるよ 舟頭「仰せらるゝ通りて御座る 立頭「してあれハ何人で御座る 舟頭「あれハ白髭の明神の勧進聖て御ざる シテ「中々舟頭殿のおしやるごとく。是ハ当社明神の上葺の為に海上をバ某の承テすゝめまらする。少各々ニも心持次第入させられひ 立頭「尤入ませふか去りながら。荷物を悉ク陸へ廻したに仍テ。手前にかいしき御座らぬ シテ「何が御人躰の旅を被成るゝに。路銭のなひと申事が御座らふぞ。其上此白髭の明神ハ海上の守護神なれば。目出たふ頓而足がるに御下向被成るゝ様に入させられひ。舟頭殿頼まする 舟頭「おしやる通りで御座る。御手前に御座らバ少宛入させられい 立頭「何が明神の事じや程に。手前にあらハ入ひで何と致さうぞ。最前申ごとく荷物を悉ク陸へまわひたに依テ一銭も御座なひ。下向ニ入ませう 舟頭「あふ夫ならば先余の舟へ行しませ シテ「何が旅を被成るゝとて五銭拾銭なひと申事が御座らうぞ。早う入させられひ 立頭「何しに偽を申そうぞ 一銭も御座なひ 舟頭「あれ程に被仰るゝに余の舟へ行しませ シテ「やあらそちハ合点の行ぬ事をいわします。たとひ入まひと仰られうとまゝよ。よい様にいわうとハせひで 立頭((舟 頭))「又あれ程ことわけを被仰るゝに。むりにと云様なしたるひ事が有物か。此上ハ皆の入れうと仰られうとまゝよ。某のおさへて入さしませぬ程に シテ「何と皆のいれうと仰られう共。そちがおさゑて入させまひ 舟頭「中々 シテ「やあら汝ハ聞へぬ事を云。そちも明神の影で海上を家にして浮世を渡ル者が。ていど其つれな事を云か 舟頭「ていどゝ云てなんとしよう シテ「目に物見せう 舟頭「そちがぶんで目に物見せだて置てくれい シテ「夫ハ誠か 舟頭「誠ぢや シテ「心((真))実か 舟頭「心実ぢや シテ「是ハざれ事 舟頭殿頼まする 舟頭「わこりよが其けいはくな顔をしたと云て。もちいる事でハなひ おかしませ シテ「是程に云を合点せぬか 舟頭「中々 シテ「一定か 舟頭「一定じや シテ「くやもふがな 舟頭「なんのくやむ物じや シテ「悔な男。悔な道者 たいれゐの。雲をしのぎ念行の。かうをつむ事一日二日。一食だんじき達行居行。か程貴キ観進聖に。などか奇特のなかるべき。ぼろおん?? 南無水神?? 〔ト云テじゆずをすりて〕 たつた今に目に物を見せうぞ 〔鮒の情((精))出ル 早笛 一ノ松ニテ〕 地「不思義((議))や沖の方よりも。??。大?一喉顕れ出テ。道者に向ひ。いかれる有さままのあたりなる奇特かな 〔鮒舞ばたらき 太皷打上テ〕 ふな「抑我朝に。びぶつのかずハおふけれど。中にこと成ル近江?の鱠のあじこそすくれたれ。??。〔打切テ〕 三人「道者ハ是を見るよりも。かゝる奇特に驚て。十((重))代の破れ小袖。十徳帷子皆脱捨テ。勧進聖にあたへけれバ。鮒ハよろご((ママ))びをどりはねて。舟の綱を口にくわへてばつくか間をへんしが程に。賢((堅))田の浦に引付て。夫より都に登((上))せけり。上一じんより下萬民まて。??。鮒おる事こそ目出度けれ 〔道者すわふの上ニても又ハ羽織ニてもぬいて勧進ひじりにやる時にシテ(「)ちとそうもおりやるまい と云テ請取ル〕 〔間済テふな入 其次に道者 扨舟頭舟持入ル 其跡にシテ舟持入ル 初ニふな 次ニシテ舟持入 其跡ニ道者 次ニ舟頭舟持入テ吉〕   シテ 出立 無地熨斗目 狂言袴 脚伴((絆))ニテ括ル かうし 頭巾 腰帯 じゆず 十徳又ハ水衣ニテモ 一舛ひ しやくヲ右腰にさす 舟ヲ両手ニテ持かいさほを右 ノ手ニ持そへてのり出一の松の他りに置 シテ柱ノ 先ニテ名乗   鮒  厚板 そばつぎ 狂言袴括ル又ハかるさんニテモ 黒たれ 鮒かぶる 腰帯    舟頭  嶋ノ物 狂言上下 こしおび 後ニ楽ヤへ舟を取にゆく   道者 三人 熨斗目 狂言袴括ル 腰帯 扇子 羽織又ハ掛ずわふにても 〔(シテ「)か様に候者ハ・江州白髭の明神ニ仕へ申勧進ひじりニて候・去程に珍敷からぬ御事なれど・先日本ハ小国ながら神国にて・仏法はんじやうの目出度お国ニて御座候・殊更国々在々に至ルまで・諸神数多おわしますとハ申ながら・取分当社明神ハ一入霊神ニて・なかんづく此浦の守護神ニてわたらせ給へバ。一切の輩ハ老若男女によらず・其身にもおふせぬ事をのミ申に・諸願成就かいりやう満足致事珍敷からぬ御事にて候・然ハ我等の是へ出る事よのぎにあらず・当社においていさきの明神とて・白髭の明神うわぶきの奉加の為・拙者の様成者ニ被仰付諸国へ数多被遣て有ルか・此海上をバ某の承て勧進の致により・取物も取あへず罷出た・さりながら是ハ殊の外はやいそうな程に・先あれへ舟をさしよせて上下の旅人をまとふと存ル〕 〔春日流ニテハ鮒出ル時早笛ト斗いへハ初斗ふく あとをたのむといへばあとまであしらいを吹よし 〇同出羽と云トかたひしぎばかりを吹 あ〔ト〕のあいしらいハなし ふきそらしと云トしやぎりを吹〕   五拾四 江嶋〔 シテ方中入雷上打 狂言モライシヨニテ出ル〕 (ヲモ)「か様に候者ハ。都方の(※)者成か〔※ニ住居致者ニテ候。〕某毎年弁才天講をむすんで参詣仕ル間。此度も若い衆を同道致し。只今江嶋詣と心指候 〔打切テ〕 道行「住馴し我が古里を立出テ。〔打切テ〕??足にまかせて行程に。大井川をも打渡り。?蔦の細道分過て?。〔打切〕 箱根のとうげ程もなく。江嶋にこそ着に?けれ。??? 〔ヲモ「急間。是ハはや江嶋に着いて御座る。さあらバ神前へ参ませう 皆々「一段とよふ御座らう ヲモ「いざおがませられい 皆々「心得て御座る 〔ト云テ皆々造物の方向テ拝ス〕 ヲモ「そくさいゑんめいに御守被成て被下ませい 二「ぶうん長久に守らせられて被下ませい 三「子孫はんぜうに御守り被成て被下ませい 四「ちんじちうようの御座りませぬように。まもらせられて被下ませい 五「悪事さいなんの御座りませぬやうに。御守り被成て被下ませい 〔ト云ト早笛吹〕 ヲモ「殊の外海上があれまする。何も是へよつて御座れ 皆々「心得ました 〔ト云テ〕地謡の前ニ一かわにならびて下にいるト。うの鳥の情((精))出ル〕 (地)「ふしぎやおきよりまとり一ツ。??。神前さして飛来りかつごうするこそ。寄((奇))特なれ 〔舞はたらき 太皷打上テ〕 「?いで??さらバ(〔ヒヤウシ堰@   堰]‐堰l)?うのとくを?(〔※〕)?〔※カヘシヨリ少正面へ出ル〕語り申さん。地(〔※〕)神四代〔※少シ左へ開右のてにて四つかぞへル〕。彦(〔※〕)ほゝてみの尊〔※正面へ右のてを出しテあとへ引〕。と(〔※〕)よ玉?姫と〔※又正面へ出ル〕?契り給ひ。?磯(〔※〕)辺に〔※さしまわし〕?御(〔※〕)産やをたて給ふ時も〔※すくいてさしこミあとへひく〕。我(〔※〕)等が羽?にて〔※ひたりみきの両そでをミる〕ふ(〔※〕)?かせ給へバ程なく尊。生れ給ふ〔※正面ニテ扇両手ニテ前へ折返シ左のてに持左り廻りて大臣柱の方へ打こみて又前へ折右のてに持さし廻し扇かさし左の方へくわつし三ツしながら廻る 立テ正面へ出両手ニテはたゝきをする〕。又ハ大河ふちほらのおくまで〔も〕。いちもつのあらうども。(〔※〕)鮎(アユ)はへ鯉なまず。〔※下の方をさし右へ小廻りする〕かづきあげ。す(〔※〕)くいあげ。〔※両てにて扇を持正面へすくい〕隙なく魚をく(〔※〕)う時ハ。〔※両てにてくうてい〕つ(〔※〕)ミも〔※右の方へさし廻し〕むくいもわすれはてゝ。?(〔※〕)???。〔※きりかへしてさゆふとめなり〕納ル御代とぞ成にけり 〔御本丸中奥ニテ宝暦五年十二月廿一日右ノ通リニテ仁右衛門方ニテ相勤申候〕   シテ ウノ情出立 厚板 そばつぎ 狂言袴 脚絆ニテ括ル 腰帯 黒垂 輪かんむりの上にうの鳥の造物いたゝき 面うそふき    道者 五人出ル 段のしめ又ハ腰替り かけずわふ 袴くゝり 腰帯 扇 小サ刀 〔正本ニハ次第ニテ道者出ルト有 シテ中入雷上成故囃子方次第ハ打不申候間次第の謡ヲやめて中入雷上ニテ出初名乗ニ致候〕 〔道者次第「我あらましの末とけて??江嶋詣いそかん 昔ハ(地「)つミもむくいもわすれはてゝ皆なますこそ成にけれ ト謡  他流ニテハ(地「)わすれはてゝ成仏するこそうれしけれ ト謡 仁右衛門方ニテハ(地「)わすれはてゝ納ル御代とそなりにけり ト云〕   同 江嶋 道者 シテ「か様に罷出為((たる))者ハ。相模の国江嶋の弁才天ニ仕へ申社僧にて候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我朝ハ天地開闢より神国なれバ。霊神国々に跡をたれ給ひ。威光区々((まちまち))成とハ申せ共。中ニも当嶋の天女の御事は。福徳自在を叶給へハ。国々在々所々よりも参詣の人々多ければ。神前のにぎわしう座ス御事。凡并為ル神も無御座候。就夫我等の是へ出ル事余の義ニ不レ非。此度ざうくが有つテ宮建立のすゝめまらする。今日も道者衆の通らバすゝめニ入うと存る。先此所に待合まらせう 道者次第「我あらましの末とげて。??。江嶋詣急かん 〔地ヲ取ル〕 立頭「是ハ都方の者成が。某弁才天講をむすんで参詣仕ル間。此度若ひ衆を同道仕り(イタシ)。只今江嶋参詣(モウテ)と心指候 道行「住馴し我か古里を立出テ。〔打切テ〕 ??。足にまかせて行程に。大井河?をも打渡り。蔦の細道分過テ?。箱根の峠程もなく。江嶋ニこそ着ニ?けれ??? 立頭「急間。是ハ早江嶋ニ着て御座ル。左有らバ神前へ参ませう 立衆「一段とよふ御座らう 〔神前ニておがむ 其内ニシテ見付テ〕 立頭「さらバ下向致さう 立衆「よふ御座らう シテ「されバこそ道者が見ゆる。是ハ当社へ御参詣で御座ルか 立頭「中々参詣致で御座ル シテ「是(某)ハ(ハ)当嶋の天女に仕へ申社僧で御座るが。此度ざうくが有ツテ。宮建立をすゝめまする。各々も心持次第ニ入させられい 立頭「尤入ましとうハ御座れ共。乍去荷物を悉ク路次ニ置て御座ルに仍テ。手前にハかひ敷御座らぬ シテ「何が当社へ御参詣被成た旁々の。五銭三銭のなひと申事が御座らふぞ。目出度お下向被成るゝ様に入させられひ 立頭「最前も申通り。持合があらば入ませうが。何も持合ぬ程に。又外へすゝめに御座れ シテ「持合ひの有のないのと仰らるゝハ過分の事で御座る。壱銭弐銭の事で御座る。殊に是ハ大勢デ御座る。ひらに何も入させられひ 立頭「やあら其方ハ聞分もなひ 事わけて云に。むりにと云様なくどひ事が有物か。其様な鈍な事ハいわぬ物じや シテ「やいそこな者 立頭「何事ぢや シテ「人につこう詞こそあれ。身共ハ天女につかわるゝ社僧じや。鈍ななどゝ云て目に物を見せうぞ 立頭「夫ハ誰か シテ「身共が 立頭「わごりよの目に物見せだて置てくれい シテ「夫ハ誠か 立頭「誠ぢや シテ「こふハ云。どふぞ何も少シづゝ入させられひ 立頭「其方がけいはくな顔をしたと云ても。もちゆる事でハない シテ「是程にいへども合点せぬか 立頭「中々 シテ「夫ハ誠か 立頭「誠ぢや シテ「一定か 立頭「一諚じや シテ「くやもふがな 立頭「なんのくやむ物じや シテ「くやむな道者。??たいれいの。雲をしのぎ念行の。こふをつむ事一日二日。一食だんじき立行居行。か程貴キ観((勧))進聖ニ。などか寄((奇))特のなかるべき。ぼろをん??。南無龍神??。たつた今に目ニ物を見せふぞ 〔ふきそらしニて鵜鳥の情((精))出ル〕 地「不思きや沖より真鳥一ツ。??。神前指テ飛来り渇仰するこそ。寄特なれ 道者「道者ハ是を見るよりも。懸ル寄特ニ驚テ。十((重))代の破れ小袖。十徳帷子皆ぬき捨テ。観進聖にあたへけれハ シテ「そふもおりやるまい ウノセイ「鵜の鳥ハ悦いさミ。猶も鵜の徳を語り申さん 〔舞はたらき 太皷打上テ〕 地「出々さらバ鵜の徳を語り申さん。地神四代。炎出見尊。豊玉姫と契り給ひ。磯辺ニ御産を立給ふ時も。我が羽ニてふかせ給へバ程無ク尊。生給ふ。又ハ大河渕洞の奥迄も。一ツもあら鵜共。鮎はゑ鯉鯰。かづき上ケ。すくい上ケ。隙無ク魚をくう時ハ。罪もむくいも忘はてゝ。??。皆鱠ニ社成ニけれ〔おさまる御代こそ目出たけれ〕   五拾五 和布刈 鱗 シテ「か様に罷出為((たる))者ハ。長門国文字((門司))の浦に住鱗の情((精))ニテ候。去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先吾朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に跡を垂。数多御座スとハ申ながら。中にも長門の国早友((鞆))の明神は。本地玉奇((ママ))姫にて御座す。又是に地をしめ給ふ住吉も。同シ海神ニテ御座候 〔皆一度ニいつる〕 いやわこりよ達ハ。何と思ふて打そらふてハ出さしましたぞ たこ「わごりよが何やら用有さうにするに仍テ。何事かと思ふて是迄出た シテ「わごりよ達も其通りか 皆々「中々 シテ「そちハなんぢや くらげ「身共ハ海月の情じや シテ「してわごりよハ蛤の はまぐり「中々 シテ「章魚?何とおもわしますぞ。毎年の事とハ云ながら。明日ハ元日なれば。神主殿のおでやつてわかめを刈。神前へ備らるゝと有が。大慶な事でハなひか 皆々「其通りぢや共。皆よろこぶ事じや シテ「我等ごときの中より御供ニ備らるゝと有ハ。先中間での外分((聞))でハなひか 皆々「誠にわごりよがいわるゝ通りじや共 シテ「殊に当年ハ目出度告の有テ。神主殿も早ク御出じやと云よ 皆々「夫ハ目出度事じや シテ「か様の折柄打そらふて出られたこそ幸なれ。酒宴を始メ目出たふ謡ふて帰らふ 皆々「是ハ一段とよからふ シテ「さあらバ身共のあけうか 皆々「中々 シテ「納る御代のしるしとて 〔太皷打上テ〕 皆々「納る御代のしるしとて。鱗の酒宴を見るめわかめ。女郎貝の思ひざしや。つけざしのすへんに盃ハいりて。海月になれば。?(エイ)ひらめくを。小?(アイ)と思ふてひれふする。誰もいるか。さよりでかれを。いなせひと申せば。さばかりおゝき。数の子共〔の〕。せいごきすこ。なまこやふりこ。足ながたこまで。わにあしにあゆミより。いとより細き。腰をいたけば。?(カナガシラ)かゝゑ。いかめしそふに。ゑひや??とおこぜとなりて。塩引にせんと。しるもしらぬもをしなめて。??。料理に成こそ。目出たけれ 〔しるもしらぬもをしなめて。納ル海中に。入にけり トモ云〕   シテ 出立 厚板 水衣 狂言袴 脚絆ニテクヽル 腰帯 扇 みるのずきん 面うそ吹   海月出立 シテ同前 海月頭巾 面のぼりひげ   ?出 立 厚板 そばつぎ 狂言袴 脚絆ニテクヽル 腰帯 ?作物いただく 面見徳   蛤 薄((箔))の物 さけ帯 葛 はねもとゆひ 末広 面おと   章魚  下ニ厚板上ニ厚板つぼ折テ 狂言袴 脚絆ニテクヽル 腰帯 蛸頭巾 面見徳 (挟み込みの紙片三枚。シテの詞章の抜書) (「上」とある紙片)  (「)れいしんくに??ニあとをたれ・あまたこざ候と申なから・なかにもながとのくにはやとものめうじんわ・本じ玉よりひめニて御座候・又これニちをしめたもう住吉も・おなしかいじんニて御座候 (「中」とある紙片) (「)をでやつてわかめをかり・しんせんゑそなへらるゝとあるが・たいけいなことでわないか〇われらこときのなかよりをともニつれさせらるゝハ・まつちうげんでのがいぶんでハないか〇 (「下」とある紙片)  (「)ことにとうねんなめでたいきつそうのありて・かんぬしどのもはやく御いでじやというよ〇かようのをりからうちそろうてでられたこそさいわいなれ・しゆゑんをはじめめでとううとをてかゑろう・   五拾六 嵐山 猿婿 シウト「是ハ嵐山に住居仕ルましにて候。今日ハ最上吉日なれば。聟殿のおりやらふと申さるゝ。夫ニ付喚出して申付ル事が有ル 〔ト云テさるのまねにて(「)太郎官者いるかやい と云こゝろをする〕 きやつ?? ?? ?? ??々々 太郎「きやつ?? ?? ?? ?? 〔(「)はあ と云心 さるのまね〕 シウト「きやつ?? ?? ?? 〔(「)いたか と云心なり〕 太郎「きやつ?? ?? ?? 〔(「)おまへに と云心〕 シウト「きやつ?? ?? ?? ?? きやつ?? ?? ?? ?? 〔(「)はやかつた けふハ日かよひに依テ聟殿かおりやらうと有ルか ト云こゝろなり〕 太郎「きやつ?? ?? ?? シウト「きやつ?? ?? 太郎「きやつ?? 〔ト云トシウトハ常の通り大臣柱の方に座ニ居ル 太郎官者ハシウトノあとニ下ニイル〕 〔一セイニテ娘猿聟猿太郎官者猿供猿皆橋懸りに并正面の方見て立ならびサシコヘ〕 皆々「けふすでに壬申の日吉とて。聟入( )するこそ嬉( )しけれ。シテ「是ハ三吉野々真猿ニて候が。今日ハ最上吉日なれバ。唯今嵐山へ聟入仕らばやと存候 〔打切テ〕 シテ「三吉野々花の木末をはい出て 〔打切テ〕 皆々「花の梢をはい出て。馬に乗ねと車坂。素袍袴を着なからも。大口峠打過テ 〔打切テ〕 猶行先ハ橋中の。あめじまきをもよそに見て。三笠の山の木末成ル。木の葉猿をもさそうなる。嵐の山に着にけり 〔聟よめざるに(「)きやつ?? と云 よめざるも(「)きやつ?? と云 むこざるのまねにて太郎官者ざるをよひ出し云付ル 太郎官者ざる畏たと云心にてざ((ママ))るのまねにてうけて案内を(「)きやつ?? と云時シウトの方の太郎官者ざる又猿のまねにて出ル むこか参たと云心を猿のまねニて云ト心得た と云心にて(「)きやつ?? と云テ舅のそばへ行下ニイテむこ殿の御出被成たと云心にてさるのまねニテ云 しうとこふお通り被成いと云心にて(「)きやつ?? と云ヲ請テ又太郎官者猿の方へ行テ(「)きやつ?? と云時太郎官者猿も(「)きやつ?? と云テ舅方の太郎官者猿ハしうとの跡に下ニいる むこの方の太郎官者猿ハ橋かゝりの方をむいてこふお通り被成ひ と云心にて(「)きやつ?? と云 扨シテも(「)きやつ?? と云テ女ざるに通れと(「)きやつ?? と云 女猿ふたいへ出ル時舅猿(「)きやつ?? と云と女ざるハ大臣柱のきわに居る むこさる通りシテ柱のさきにいる 其内ニ供さる樽とつとの付テ有ルぼうのまん中を持テ舅の方の太郎官者猿にわたす 請取テぶたいのまん中へ持テ出舅の方へ見せ(「)きやつ?? と云 舅見て(「)きやつ?? と云と太皷座へ持テ行テ下ニ置 扨常の通りさかつき出す こしかけのふたまんなかに置ク 樽ヲ以て出ル 舅猿のまねにてしぎ有テのミて聟にさす むこのむ内ニ舅小謡諷ふト盃をひかへている〕 シウト「?猿子をいだ居て? 皆々「?せいしやうの陰にかくれぬ。鳥花をふくんでへきがんの前にをゝつなるも。今さら思ひしられたり。花水((見ず))ハいかてか此山にひとよあかさん? 〔扨しうとへ盃ヲもとし舅いたゝきのむ内ニシテ小うたひ〕 シテ「?かけてかよへや岩橋の? 皆々「?高間の原ハ是なれや。神楽哥始テやまと舞いざやかなでん? 〔ト謡テ扨舅女猿ニ盃ヲさす 女のんで下ニ置クト舅さるのまねニテ(「)きやつ?? ト云トシテも(「)きやつ?? と云テ〈七つニ成子〉を舞 地ヲ付ル 扨舞過テ盃ヲ舅へ返ストシテ其まゝ謡出ス〕 シテ「酒宴なかばの猿のきやう。 ??(地付ル)。さす盃もたびかさなれば皆御顔ハまつかになつて。きつ??とならはせ給ふ。おもしろかりけるふせひかな。?? 〔打切テ〕 シウト「舅ハ是を見るよりも。聟(地付ル)殿のつつ立あがる。舞の袂のおもしろさに。いだせる駒ハどれ??ぞ シテ「市((一))のへいだて二のへいだて。三に黒ごましなのをとれ。舟頭殿こそゆふけんなれ。とまり??を詠((眺))つゝ。扨(カノ)か(マタ)の獅子と申にハ。白((百))済国にて普賢文珠のめされたる。猿と獅子とハ御使者の物。猶千秋や万歳と。俵をかさねて面々に。??。??。たのしうなるこそ目出度けれ 〔ト云テシテシウトシテ柱の先ニテ猿のまねをしてはいる〕 〔但シシテシウト二人舞台へ出テ正面ニ両方へかたひさ立テ下にいてたがひに角かけてかほを見合テ猿のなくまねする〕 〔(舅)「是ハ都の西嵐山ニ年久敷住ましにて候。召仕ふ者を呼出シ申付ふと存ル。太郎冠者いるかやい〕 〔(シテ)「是ハ和州三吉野のましにて候。今日ハさいじやう吉日なれバ。何も引つれ。只今都の西嵐山へ聟入仕候〕 〔(舅)「はてよふこそ出させられた (シテ)「とふにも参りませうを〕 〔「青梅の事ヲ云事も有り (シテ)「扨々からい酒で御座ル ヲ云 小謡過テ後がよし〕   シテ 出立 紅ノ段のしめ 掛ずわふ 狂言袴 脚伴((絆))ニテ括ル 腰帯 猿の頭巾 面猿 扇    〇女 猿 薄((箔))ノ物 さけをび ひなん 女猿ノ面       小サ刀 こゆいゑぼし(「小サ刀 こゆいゑぼし」は聟猿の出立か)   太郎官者猿 熨斗目 狂言上下 腰帯 猿ノ頭巾 面猿   〇供 猿 じゆばん かるさん ずきん ゆかけ たび  面猿 樽トツト棒ニ付かたけ出ル   舅  色なし段熨斗目 すわふ上下 小サ刀 扇 猿ノ頭巾 折ゑぼし   太郎官者 熨斗目 狂言上下 腰帯 扇      さかづきせうぎのふた 〔能之時ハしうともかけすわふにして狂言袴くゝり申候とらいじょを打 すわふ上下ニてハらいしよを太皷うたぬなり〕 〔しうとさるハふるきさるの面よし 太郎さるハ常のさる面よし〕 〔但シシテしうと物ぬき有時ハ二人トモニさるのじゆばんかるさん 上ニシテ箔の物 シウトハ段のしめすわふ上下 狂言つくしなど此出立よし〕 〔(舅「)猿子いたいて しうと謡小謡ハ〈皷の瀧〉と云謡ノ内ニ有之〕   五拾七 白楽天 ?蛙 アト「か様に候者ハ。大和の国葛城山ニ住鶯の情((精))にて候。ゐや是え〔出為((たる))者ハ〕けうがつた者ぢやが何者ぞ シテ「是(ソレガシ)ハ津の国住吉の浜に住蛙の情ニテ有よ アト「夫ハ如何様なる子細により。是迄出られて有ぞ シテ「只今是へ出ル事余の義にてもなし。唐の太子の賓客白楽天日本の知恵をはからん為。肥前の国松浦が沖迄着為により。住吉大明神我朝の知恵を。白楽天ニはから〔ハ〕れてハ口惜きと思召。魚((漁))翁の姿と現し出向ゐ給ひ。色々白楽天と御問答有り。唐にハ詩を作つテ遊と云テ詩を作ル。明神ハ〔楽天ニ負シト思召〕日本ニハ哥を読テ慰候とて。歌を読給ひければ楽天肝おつぶし。日本にハ汝が様成賤敷者も哥を読かと不審申せバ。明神我等ごときの者ハ云ニ及ばず。水に住蛙迄も哥を読と仰られた。然らば其証拠ハととハれた時に。何共被成りやう様が有まひ程に。其証拠に出テ。先祖の哥を読たるを申さうずると存是迄出たが。旁々ハいか様成者ぞ アト「某ハ大和の国葛城山ニ住鶯の情なるが。其方がいわるゝごとく。鶯も哥を読たる事が有ルと被仰たるにより。若も証拠ハと有時に。なにともなされう様が有まひと思召。御心中が神通ニて葛城の明神に通シ為ニより。急で参れとの御事ニより是迄出テ有よ シテ「聞わけた。身共ハ住吉のほとりに住に仍テ。早ク聞付たハ道理じやが。そなたハ何として聞付たと思ふて不審にあつたが。子細を聞て不審がはれた アト「扨そなたの証拠が聞たひ シテ「おふ語て聞せう。昔紀のよしさねと云者住吉へ参詣して。木の本にうつくしき女有を見て心をかけしに。女今ハ思ふ事有。重而爰(コヽモ)へ(トエ)来り給へ〔かならずあわん〕といゑば。尤とてたがひに別ぬ。次の年約束のごとく浦(カノト)へ(コロエ)行テ相待ければ。女の面影とおほしきハ見へず。いさごの上に蛙のはい廻りける〔ヲフシンニヲモイ〕其跡を見れば三十一字有。読てみれば住吉の浜の見るめもわすれねば。かりそめ人にまたとわれぬ〔ル〕。是たゞしき事ニて候。某ハ其蛙の子孫にて有ニより是迄出た。又旁々の証拠が聞たひ アト「さあらハ語テ聞せふ。仁((人))王四拾六代孝謙天皇の御宇ニ。葛城山に一人の僧有リ。弟子をさきだてゝ深くなげきしに。三年せ過テて((ママ))の春〔ハルカノ寺ノ〕軒葉の梅に鳴鶯の声を聞けバ。初陽毎朝来不遭還本棲ト鳴。文字ニ写して見れば。初春のあしたごとにハきたれども。あわでぞかゑるもとの住家にと有。則〔住吉ノ明神ト此〕哥をひいて仰られたるに依テ。某ハ其鶯の子孫なれバ是迄来つテ有ハ シテ「夫ハ近比ぢや。やあ何と云ぞ。はや証拠もいらず白楽天が帰ルと云か。夫ならバあれゑ参ルに及ばぬ事じやが。何とおもわしますぞ アト「おふもはや行にハ及まいぞ シテ「扨々是ハ目出度事。いざ両人目出度相舞にして帰ルまひか アト「一段とよからう シテ「?(和歌)津の国の。岸(〔※〕)の〔※キシダトモ云〕蛙鳴すさミ?。二人「?たねまく哥の。心かな? 〔三段ツレ舞〕 ?住(〔※〕)の江の。〔※カヘしより扇こしにさしテニテ〕??。水(〔※〕)の蛙の〔※下の方サシ廻し〕さ(〔※〕)へづり出れば?〔※両手つくばいて二ツ三ツとび〕 アト「?(〔※〕)花に鳴〔※正面高ク見て〕。鶯ハ。木(コズヘ)に飛(〔※〕)あがり〔※一ツトビ〕舞かなで? シテアト「是(〔※〕)迄なりとて〔※サシマハシ又シテも扇持テ〕?蛙諸共ニ。??(〔キリカヘシ〕)。我住家へこそハ帰りけれ 〔跡ニテ蛙ハいとまごひし物まねのごとくにしてはいる 鴬も鳴まねしてはいる〕 〔左右ニテトメル〇かわづハ(「)もはやおいとま申さう と云テ扇こしにさし両手のゆびをひろげて下にいて二つ程とんでかくやへはいる うくいすハ両そてをすぼめてシテのあいさつすると(「)おうほけきやう と云テはいるなり〕   シテ 出立 厚板 そばつぎ 狂言袴括り 腰帯 黒頭上ニ蛙の作物 面見徳 扇   アト 鶯情 薄((箔))の物 かるさん 水衣 腰帯 白たれ 天冠の上ニ鶯作物 面うそ吹 扇 〔初春の朝毎ニハ来レドモあわずぞ帰ル元住家ニトヨメリ 有時蛙ノ鳴声ヲ文字ニ写シテヨメバ △住よしの浦のみるめもわすれねばかりにも人の(ニ)よはれぬるかな〕   五拾八 同(白楽天) 鱗情((精))((精))((精))サカリハ「鱗も。??。我が日の本を思ふゆへ。色々の魚共。?みるめ和布若((ママ))?よろこふ。思ひ??にとりもちて。もろこし人にさゝけん。?? 〔ト云テ常ノ通酒盛スル〕 ヲモ「?あら??目出度ハ。七こんまでの。お肴とて。めし出さるゝせうくわんの品々。うしをにこ((ママ))けいりちがいきりたひとゝろ((ママ))しらなます。さしミにゑいさけうほ??。すばしりもまいる。是までなりとて。お座敷をたちうを。いさゝいなんと夕浪〔ニ〕いるか〔も〕??ミやうきちまいらんと申けり?   五拾九 難波 替 「是ハ津の国難波の王子ニ仕へ申末社の神ニテ候。扨も仁((人))王拾六代。応神天皇崩御ならせ給ひて後。難波の王子ハ菟道の尊に。御位ニ御付あれとの御事也。又菟(ウ)道(ヂ)の尊ハなにが又。難波の王子さへ左様ニ被仰候に。弟の身として位に御付候事。有間敷いと被仰候間。三年世の間御位定り申さす候ニより。国々より御調物みち??て御座候。其折節伯((百))済国より。王人といゑる相人来り占申様ハ。難波の王子の御位ニ御付有りて。目出たからふと占ひ申。頓テ御位に付給ふ。国々の御調物納り申民の祝かきりなし。其時帝の御哥ニ。高きやにのほりて見ればけふりたつ。民のかまどハにきわひにけりと被遊候。又此(コレ)成梅の名木成子細ハ。草木心無とハ申せ共心も御座候ぞ。御位定り不申候へハ三年世の間。此梅冬籠りして開不申候。御位定り申候へバ春の如ク開キ申候。此心を相人の哥に。難波津ニ咲や此花冬籠。今ハ春辺と咲や此花と読給ふ。是哥の父共申実((げに))候。又葛城の大君勅ニよりみちのくへ御下り候が。御心たけく御座候て民の脳(ナヤミ)申。有人申候ハ男の心やわらく御事ハ。女ニしかしと有けれバ采女と申女ニ。盃を持せ御側近ク参らせ候へハ。少シやわらぎ給へハ采女の哥ニ。浅香山陰さへ見ゆる山の井の。あさくハ人を思ふ物かハと遊候。是ハ哥の母共申由承て候。是ハ長物語申て候。某是へ罷出ル事も別の子細ニても御座無候。都より稀人此所へ御出候間。舞楽奏し慰(ナグサ)め申さうずるとの御事成り。相人ハ太皷を遊ばされうずるとの御事じや。某には太皷を能所に。直シ申せとの御事ニより罷出た。先たいこをなをさうと存ル   六拾 同(難波) 真 「か様に罷出為((たる))者ハ。津の国難波の梅の青葉の情((精))ニて候。去程に此梅花の名高謂ハ。昔応神天皇に王子数多有シカド。帝の御位を難波の王子へ譲給へハ。帝位ハ望なしとてつがせ給ハねば。さあらバと思召菟道の御子へ被参せるゝを。現在の嫡々だに請給ハぬ御位を。我弟の身ニて春宮に立ン事。中々思ひもよらぬと被仰。彼方此方と御辞退被成。三年世が間御位定らざる故。国々の御調(租税)物(〔充)満(満〕)々けれど不納して。さながら愁を催折ふし。漢の高祖に八世の孫。王人といゑる相人。百斉((済))国より初テ此土に渡ルに。天下の事を奏ジ((ママ))させ給へば。是ハ難波の君の御位に即せ給ひ。天下豊ならふずると慥にはんじ申により。重而難波の王子へ被仰ければ。其時何と思召候やらん御位を請取御申被成。大鷦鷯の帝と崇奉り。唐王の堯舜にも弥増ンとの御事ニ候。其時帝位に泊(〔泊漂)御(貢〕)調物も悉ク納り。諸人国々に帰り万歳を歌(ウトフ)を聞〔シ〕召。叡慮(エイカン)不斜して御詠哥に。高きやに登りて見れば煙立。民のかまどハにぎわひにけりとか様ニ有為((たる))と申ス。又吾朝ニ名木多シといへど。取分此梅の霊木成子細ハ。天子の御位定らざる内。三年が間冬籠して花のさかざりしが。難波の君の御即位あれバ色香一入妙にして。花も殊外咲乱れしを御覧じ王人の哥に。難波に咲や此花冬籠り。今をはるべとさくや此花と。かくめでたき君を添哥なれば。此詠哥ハ哥の父成と。貫之も古今の序に筆を染られし故。弥天下に無隠名木にて候 〔是より常ノ通り〕   六拾一 雨月 真 「か様ニ候者ハ。摂州津守の浦住吉大明神ニ仕へ申末社の神にて御座候。去程に我朝ニ霊神数多あれど。中ニも当社大明神と申奉ルハ。昔表(ウハ)筒男(ツヽヲ)中筒男底筒男と申ハ。住吉の三神にて御座す。其後神功皇后。異国の夷を御退治の時。住吉の三神ハ御舟の守護神となつて。鬼麗高麗契旦国迄。悉ク日本に靡(ナビキ)随へ。今ニ国土豊に治(ヲサマ)ル事も。偏ニ当社の御神徳ニテ御座ス。左有ニ仍テ此住吉の里に大宮作をし給ひ。同ク神功皇后をも一所に御祝被成為((たる))ニ仍テ。住吉を四所明神と云ハ此子細ニテ候。殊ニ我朝安全の守護神ニテ。中ンづく哥の道をもつはら専(セン)ニ守り給ふニより。三拾一字の言の葉をつらぬる程の人ハ。別而歩を運ひ給ふ。就夫仁((人))王七拾四代の帝。鳥羽の院の北面の侍。佐藤兵衛憲清といつし人。浮世をいとわんために元結切り。法名西行法師と申哥人。此年月当社への信心深キ故。此度嵯峨野々奥より参詣申さるれバ。明神の御納受なのめならずして。釣台(ドノ)の辺(ホトリ)の御神木の松の下に。柴の庵を結び老人夫婦と顕レ給ふを。西行ハ立寄一夜の宿を借給ふニ。内よりも御宿ハ安き間の事。乍去爰ニ両人の者のあらそひの有ハ。此庵のやね成就いたさぬ其子細ハ。姥ハ月を見ん為家根を葺ジと云。又祖父ハ雨の音をきかん為にやねを葺うと申す。此論(ロン)に付哥の下の句を思ひ出したり。則其歌ハ賤が軒葉((端))をふきぞ煩ふ。此上の句を旅人の御つぎ有にをいてハ。お宿ハおしミ申間敷とあれバ。其時修行者心に思わるゝ様。是ハ雨月の二ツをあらそふ心成と思ひ。折しも比ハ秋の最中(モナカ)の事成に。雨ハふれ月ハたまれど((ママ))ゝにかくにと返哥のあれば。あら面白の哥の心や。左様に月を思ひ雨をいとわぬ人。是におとまりあれとて内へしやうじ入。賤のいとなむわざなればとて夜もすがら。月を詠メ衣(コロモ)を打躰をまなび給ふ。はや夜もしんこうになり。鳥のおさまれば御休あれ。我もともにまどろまんと云捨テ帰り給ふ。重而ハ舞楽を奏し。旅人を慰メもふさんとの御事なれば。其由相触申さうずる。やあ??皆々承り候え。当社住吉大明神ハ。今度ハ#Iか頭に移りましまして。旅人を慰メ給わんとの御事なれば。相構テ其分心得候へ??   六拾二 真無井原 御子神主 「か様ニ罷出為((たる))者ハ。当社太神宮に仕へ申神職の者ニテ御座候。去程に此真無井原と申ハ神代の古跡にて。以徃((いにしへ))天神七代伊弉諾伊弉冊ノ尊。天の磐座(イハクラ)の苔莚ニテ共(ミト)為(ノ)夫婦(マクバイ)有ツテ。一女三男を儲給ふ。日神月神蛭子素盞嗚の尊是成り。此下に嶋や有と天の逆桙にてさかし給へバ。鉾の滴こりかたまつて嶋と成を。淡路こそ出来たれと御申有シより淡路嶋と名付ク。夫より四方八方ニ国出来八ツの数共なれり。月神ハ月読の尊蛭子ハ恵比須三郎殿。素盞嗚の尊ハ今雲州大社に御座す。日神ハ忝も天照皇太神宮。女躰にて御座せ共嫡子なれバ我か朝の主(アルジ)と定メ。始ハ当国此真無井が原ニ地ヲしめて御座スが。其後摂((ママ))州山田か原に跡ヲ垂内外の神と顕れ。しきしんの二方を見せ天下ヲ守り神(シン)哥に曰ク。宮川の清き流にミそぎして。いのらん事の叶ハぬハなし。其川のほとり迄御出有しに。あめのゝあまと云猟((漁))師の参相。?と云魚を漁捕玉柏の葉ニ包。神に捧ケ申に一入御悦有シとて。今も人々例ヲわすれず彼葉ニ包?をそなゆ。人間も五月三日ニ柏の葉に包食事ヲもちゆ。此所にも毎年御神事多シといへ共。取分ケ五月三日の祭礼をバ。とよけの祭と申て南方目出度執行ひ。諸国に守護しむ御座すも皆此御神の分ン神。外宮内宮トテ替り為((たる))様に思へど哥を聞に有難シ。かたそぎちぎハ内外に替れ共。誓ひハ同じ伊勢の神風ふきつとふる故民さかゆ。木火土金水をからざる衆生なければ。地水火風空の恵にあつからん者なし。扨も有難と思ふ内に泪こぼるゝこそ。神の道なれ天照皇太神宮 〔是より神子神楽常ノ通り 出立も同前〕   六拾三 御裳濯 末社 「か様に候者ハ。忝も日域の守護神。皇太神宮ニ仕へ申す末社の神にて御座候。去程に御裳((マ)河(マ))の由来と申ハ。仁((人))王拾壱代垂仁天皇の御宇に。天照太ン神の御鎮座有ルべしとて。皇女(クハウジヨ)倭(ヤマト)姫(ビメ)の尊御神鏡(シンケイ)を御戴。大和の国より近江の国へ御出有。夫より爰かしこと尋廻(メグ)りて。伊勢の国二見の浦より川路について御あかり有ルに。其折節興玉の神ハ田(デン)作の翁と現じ。倭姫に間見へ委ク語ていわく。我此山に住事三拾八萬をへたり。誠にやことなきかミの霊地なれば。此所に御座を御しめあれと被申為((たる))に。殊に天照太神の御託宣座テ。神代の昔より此伊勢の国さをさだ(ハタラヘノコウリ〔※〕)〔※ハタウヘト直ス〕の。五十鈴(イスヾ)の川上に宮ふと敷たてゝ御座被成。君を守護し国家を守給ふ。忝も是ハ天照太神の御げん成由申習す。又其折節倭姫ハ老翁の教の如クに。いすゞ河を渡り尋入(Y)給(Y)ひたるニ仍テ。其時(Z)河(Z)を越給ひたる所を今ニ神が瀬と云ウ。御あかり有為山ヲ神路山と申ス。左ハ夫ニ付神路山にふる雨のおとハ神秘ニテ。たをさの(Z)も(Z)ミをまく如ク成ルに仍テ哥(ZVY)ニ(ZVY)。千早振神路山の村雨ハ。種をまくなるおとぞきこゆると。か様に読給ひ為ルと申ス。又此河上ニ五十鈴の有故ニ五十鈴川と申を。以徃((いにしへ))倭姫〔ノ〕もすそをすゝぎ給ふに仍テ。夫より御裳染((ママ))河とハ申習ス。忝も此いせ天照皇太神宮ハ。古今(コヽン)ニ我朝のさうびやうとあをがれさせ給ひて。四海をおゝご被成るゝ目出度御神にて御座候。先是ハ神徳の目出度子さい。又承れハ〔当今に使((仕))へ御申有臣下。只今此所へ御参詣の由申間。あれへ参いか様成御方ぞ見申さうずる。〕 〔是より常の末社同前 三段舞過テ謡〈加茂〉同前也〕   六拾四 放生河 鱗 (「)か様に候者ハ。放生川に住鱗の情((精))にて候。去程に此八幡において。今月今日の御祭を。放生会の御神事と申子細ハ。八幡大菩薩胎内にて異国退治の御時。数万騎のせつがひなされたるにより。其鬼性(キセウ)の善根(センゴン)のためと申ス。然ルに此大菩薩と申奉ルハ。仁((人))王拾六代応神天王〔ノ〕御子となり。是ハ忝も仲哀天皇第四の王子。御母ハ神功皇后にておわしますが。天下をおさめ給ふ事四拾一年にして。百拾一歳の御寿命をたもたせ給ひ。欽明天皇の御宇に神と御なりあり。九州肥後の国に顕れおわしますが。御たくせん有て豊前の国宇佐の宮ニ跡を垂給ふ。其後数年のへて。此男山の峯ニ御移り被成。国冨民もゆたかに納り。別して目出度御代ニて御座候。左有ニ仍テ当社を御信向((仰))被成るゝ御方ハ。皆我先にと生たる魚を持来り。此放生河へはなち申さるゝを。是と有も異国しやうらいの御時。いてきを数万人したがゑ給ひ候ニより。御たくせん有て毎年取おこなわれ候。誠に放生会の御神事と有ハ。いけるをはなつ祭なれば。我等躰迄も有難事ぢやに。目出度少と某も舞をもふてかへらう 「あら??目出たや。??な。かゝる目出度折からなれば。我等がやうなるうろくづまても。よろこびいさミ。謡かなで。??て。もとの海中に入にけり   出立  厚板 狂言袴括り 水衣 腰帯 鱗頭巾 面うそ吹        扇   六拾五 石橋 仙人 「か様に候者ハ他((あた))り近き深山に住悴遷((仙))人ニテ候。去ル程に我等の是へ出ル事余の義にあらず。爰に【りやうしゆ(シヤウリヤウ)】ぜんと申て。我等ごときの者迄も望をなせども未不叶候。夫をいかにと申に。国土世界に於テ橋の数あまた有りといへど。中ニも此石橋と申ハ。人のかけたる石ばしにてもなし。只己と生シ為((たる))橋にて。其長サ三丈余り。横のせばさ尺にもたらぬせまくそりたる所を。物にたとふれば虹の吹為如クにて。雲にそびゑて見へたり。したハ霧深うして見へがたく。いかほど有もしれがたし。瀧の音ハ雲より落ルごとくにて。嵐にひゞきおびたゞし。橋の上ハ苔むして滑か成ル所も有ルといゑり。此橋に立向ひを見渡せバ。めくれきもつぶれ腰もたゝず足もふるひ(エ)。中々人間の分にてハかなひがたし。されば向ひハ文珠((殊))の浄土ニテ。常に花降音楽聞へ。目の前の不思義((議))様々なれば。我も??と望をなせども橋を見てハ肝をつぶし。渡らんと云者一人もなし。されども難行苦行をしてハ渡ルと申が。我等の分ニテハ難行苦行も成まひ。さりながらいつも橋の元に座して向ひをおがみ申。今日も参らふ。されバこそ是じや 〔シカ??〕 やあ??其元のとゞめくハ何事ぞ。やあ??じやあ。いや??此様な所にながひして。若獅子のいきをいに当てめいのうする事もあらふ。唯のけ??   間出 立 小嶋の厚板 水衣 狂言袴 脚伴((絆))ニテ括ル 腰帯 仙人頭巾 面鼻引 〔青霊山とテ文珠ノ浄土 青涼山トモ〕 〔此〈石橋〉ノ間ハ古来ヨリ相勤来り候 元禄ノ時分御奥御能之節ハ六右衛門此仙人間ニテ相勤申候〕   六拾六 鍾馗 立間 「抑是ハ唐玄宗皇帝に仕へ奉ル官人にて候。扨も我君三千人の后を御寵愛被成るゝ。中ニも第一の楊貴妃此程御悩頻なれバ。医者数を尽して御養生被成るれと。少の快気も得させ給ハぬ間。天子も此義如何と思召。朝(アサ)政事(マツリゴト)も絶々〔ニ〕成シ故。百官卿相女御更衣に至迄。是耳思ひ煩わせ給へバ。誠に心無鳥獣も鳴轉(サヘツ)ル声ひそか成ルに。爰に不思義((議))の知臣座すが。何事にても御吉事の可有とてハ。五日十日已前より必奇瑞を度々得給ふ〔が〕。則此(〔※〕)度も〔※今((朱))夜もきどく成ル〕不思儀((議))の夢を見給ふ。其夢中の様躰ハ昔此終南山の麓に。鍾馗といへる臣仁の有シが。幼少の時より書物を面白思われ。古仁((人))の篇立たる物の本を集メ持。夜明(ヨアケ)日の暮ル事をもわきまへず。書物に心を懸られし程に。後にハ詩文や天地の間に闇き事のなきゆへ。子を持たる者共ハ彼れに付添せ度故。又道を心懸程の輩ハ。何事にてもあれあの気に背ぬ様にと致スにより。平人にてもあれ鍾馗と伴なふ人をば。虎(コ)尾(ビ)タ人の様に世間で申習(ナ)す(ス)〔間〕((朱))。いか様一度及第致シ名を上ンと存られ。伯父の御時武徳年中に。都へ及第に登((上))られしを。跡((?))にて諸人の寄合取沙汰仕ハ。及第を遂望の叶耳ならず。禁中に召置れ。あれこそ天下の宗(サウ)匠などゝ云れ給わんハ。生国の事ハ不及申に。近国迄も文者の出たる憐と云れん事。誠に文珠((殊))などの化身かと悦て。此便を今や遅シと待所に。いか成天魔波旬の妨か。又ハ天命の尽たる故や覧。種々の難文共一言も不叶して。空敷落第し給ふ刻。鍾馗心に思わるゝやう。此年月学仕たる事を無になし。二度古郷(コキヤウ)に帰り人に面を曝ン事。面目なふや思われけん。内裏の殿?に我と首をふれて死するを。若大宮人ハ是を御覧じて。扨も短気成事お仕りたると仰らるゝも有り。又其道者ハ是社尤道理なれと。思ひ??に宣を。忝も帝此由聞召れ。けんへひ(ン)ほうゑを送被下死骸を土中に取籠置。夫より鍾馗大臣とハ申習す。然共其悪心鬼王と成ツテ。目下(マノアタリ)に色々の寄((奇))瑞をなすを。シユクユウホウニ神に祝ひ給ひて今に新成由承ル。然ハ以性((往))の鍾馗とやらんハ。此君玄宗よりハ数百年已前の事なれど。以徃((いにしへ))贈官を請し給(キウ)恩(ヲン)をほうぜん為。此度貴妃の病フヲ退治せんと。委云畢ヌト見て夢ハ覚し間。若古郷(コキヤウ)の終南山他の者。鍾馗より正しき告を得たるを奏せんと云人あらバ。急庭上へ通し被申よとの御事なり。相構テ其分心得候へ??   六拾七 一角遷((仙))人 真 「是ハ中天竺波羅奈国の。深山ニ住悴仙人ニテ候。去程ニ我等の爰元へ出ル事別の義ニあらず。爰ニ一角仙人とて独りの仙人御座す。此父仙人秋の比山ニ出テ慰給ふ時。何となく小用致されし時分秋鹿の嫁(トツク)を見て。仙人婬(イン)欲(ヨク)の心無者とハ申ながら。鹿の妻相を羨敷心出き。不覚漏(ロ)精(セイス)〔鹿其カヽレル〕を草葉ニ食シテ。懐胎シ一ツの子ヲ産レけるに。姿〔ハ〕人なれ共鹿の胎内ニ宿リシ故。頭ニ角一ツ生〔シ〕たるニ仍テ。一角仙人と云テ仙人の中ニ取りても。神通器用第一の仙人成ルが。有時雨降為((たる))後山ニ出られし時分。松の雫苔の露石岩滑成りけれハ。此仙人谷へ下ルとて濘(スベリ)テ地にぞ倒(タヲ)レける。一角ハ神通を得為者のころびたる事を瞋(イカリ)けれど。相手なけれバ誰ニ向テ腹を可立ツ様もなし。濘(スベリ)テ転(コロ)ひたハ雨の降為ゆへ成り。雨を降するハ龍王の芸なりとて。内外八海の大龍小龍をとらへて岩の中ニ封シ籠られし故。国土ニ雨を降すべき龍神なけれバ。春三月より夏末に至迄天下大きに旱魃シ。山田の苗徒ニとして其侭枯しお((を))。君民の愁を聞召。いかにしてか此仙人の通力をうしなわせ。龍神を岩の中より可出と問ヒ給ふに。有ル知臣申されけるハ。仮仙人ハ霞を喰ヒ気を飲テ。長老の頂を得たりと云共。十二観において至らぬ処かあれハこそ。道に濘(スベ)リテ瞋(イカル)心ハ有つらめ。心未枯木死灰のことくならすハ。色に耽り香に染く愛念なとかなからんや。然らハ三千の宮女の中ニ。容色勝れたらんを一人彼草庵の内へ被遣。草の枕を并へ苔の莚ヲ友として。夜もすがら羅((蘿))洞の夢に契りを結ばゞ。などか彼通力を失ハて置へきと申されけるを。諸人此義尤と同心有ニより。三千第一の后扇陀女と申すを。踏迷ひたる旅人のごとくもてなし。仙郷へ送り無命((明))の酒をしひ給ふゆへ。一角ハ前後をわきまへ給わぬ内に。封し籠たる岩屋の龍神頻りに出ンと致す間。此由一角仙人に告知らせ申さうする いかに一角仙人慥に聞給へ。旁ハ人間にまじハり酒をもちい。酔伏給ふ其内に。封し籠為岩家の龍神。悉ク出ンと仕ル間。急酔をさまし其覚語((悟))あれ。相構て其分心得候へ ??   六拾八 常陸帯 替 「か様に罷出為((たる))者ハ当社鹿嶋の大明神ニ仕へ申神職の者にて御座候 申迄ハなけれど異国の夷を随え給ひ国土豊にさこふる事も偏に当社の神の力 あとべのいそらと申時龍宮の宝干珠満珠をかりて我朝へ春日の明神と申も大和にての御名也 此所にてハ人間懐胎の力常陸帯を鹿嶋の神とあらわれ東路に草ゆひして見せをきゆるししむるも此神の恵ミおろそかに思ふへからず 明神当社へ飛来り始而御輿((腰))をかけられしハ石のみまし石の御座と文字ニ顕す 此所を古哥に千早振此山中に尋来て今こそ見つれ石のみましを 誠に有難霊神にて座す 異国へも当社ハ先懸し給ふ 吉日をもゑらまずふつと御達有しに安々と思召まゝに平ケ目出度神なれバ鹿嶋達((立))と申も此所より始ル いやよしなき(イ)事を申さうよりも先々ふれうと存ル いかに皆々今日ハ当社の御神事なれバいつものごとくきれいに出立上ハ八拾下ハ五十の人も不残出られ候へや たいりやく御祭礼の時刻にて候間最前触たるごとく急て参られ候へ 一番ハ流鏑馬 此やふさめと云ハ八町に馬場を筑八所に的を立是を流鏑馬とこそ云に今ハ略して一弐三の的筑(ツギ)ハ四半丸物草鹿小弓の遊にて候 其後獅子田楽通り候ハヽ上の郷ハ烏帽子素袍中の郷ハ具足打物かふとの宮へまとへ下の郷ハ竹の拍子団の踊り其用意して参られ候へ 扨々奇麗成事かな 上中下の郷かよふ揃為ハ不覚候 是ハ当年より弥世の中能ク冨貴に栄へ思ふ事叶わふずる瑞想((相))なり なふ扨いかゐの参詣の衆中や 急て御輿を立申さう   六拾九 西王母 替 (「)是ハ周の穆王ニ仕へ奉ル官人にて候。扨も我君ハ八匹の駒とて。天下に無隠名馬に被召霊鷲山の麓に至り。普門品の二句偈を仏より直シンニ授り。御祝なのめならず候が。今日ハ此廏ニ御行被成。四方の気色を叡覧可有との御事なれバ。百管((官))卿相ニ至迄。構へて其分心得候へ?? 「去程に今当御代此主の代ニ成ても。早後代の帝の中に賢王数多御座せど。中ニも頼奉ル周ノ穆王の御事お((を))。我等式の申ハ空おそろしき事なれと。いつも朝まつりごとおこたり不給。君臣 二ツの道を分チ。殊ニ君の御心ハ大海のごとく豊に広クおわしまして。水上清ければ流れの末もにこらざる故。万事に付ケ下として上をはかる事なく。とん成人も貧者をいやしまさるにより。弥天下泰平国土安穏に守給ふ。殊更唐土ニハ未仏法をしらざる内に。早釈尊ニ間見へ仏道をとわせ給ふ故。我此世にてハ十善の位にそなわるといへと。来世ハせつ(クゲノ)り(コト)もしゆた(百性ノ事)もへたてなけれバ。後生一大事と慈非((悲))心出させ給ひて。若国々の中ニかんはつにあひ。迷惑ニおよぶ民をあわれミ。うれひをのぞき給わん其ためと。又利を持ながら時のけんに恐テゑいゝも上ぬか。但シ地頭代官の財宝ヲ目掛。まひなひにめでゝひぶんのさばくかを。能聞召れん其為に。周ノ穆王八匹の駒とて。一日に千里をかくる程の名馬ニ被召。諸国をみずから御廻り給ふ所ニ。左様の御心中天も納受う座すか。此度崑崙山の他((あた))りにおひて。西王母と申ス僊((仙))人ニ御逢被成るゝ〔是より常の通り〕   七拾 春日龍神 町積 「か様に罷出為((たる))者ハ。春日大明神ニ仕へ申末社の神ニて候。某是へ出ル事別の義に非す。栂(トガ)尾(ノウ)明恵(ミヤウヱ)上人世仁ニ替り。神仁(ジユ)仏の三道を揚シ。常ニ春日の御神を信シ給ふ。殊ニ此御神ハ釈迦薬師地蔵観音文珠((殊))ニテお座せハ。神と隔(ヘタ)〔テ〕人間とわかち。仏と沈(シヅム)ル是皆水波の隔(ヘダテ)に替らず。雪氷(セツヒヤウ)といへ共融(トケ)テ隔無ク。一筋成ル流を組度入唐渡天の志有故ニ。御暇乞の為か只今(タヽイマ)〔サンケイ〕被成ルヽに。明神ハ栂尾明恵笠(カサギノ)解脱(ゲダツ)此両上人をバ。御両眼左右の御(ミ)手と思召ニ。遠道の別れ〔ハ〕如何なればと。使メ秀行ニ委細の段仰わたさるれバ。明恵こそ俊(スグレ)テ酋道広ク来りテ帰ルもとをざかし。仏法流布の上を尋。天台三だひ不茗野苑の有様を。仏(ブツ)跡(セキ)のこらず拝ミ度思われ。嘆るゝ事勝(アゲテ)計(カサウル)ニ及バず。此上ハ三笠山に五天竺を移(ウツ)シ。拝せ給ふべきと色々留メ給へ共。其義に応ぜず是悲((非))共と思ひ立給(社参シテ)ふ(ツヤ)ニ(シ給)より(ふに)。仏正に宣(ノタマ)様(ハク)。遠ク行ンより近ク聖教(シヨウキヨウ)を見よとて其夢ハ覚ヌ。帰りテ有聖教(シヨウキヨウ)の中を見給ふニ。誠ニ心に不能(アタハズ)。先是より大唐長安の京へ六百三拾三里の余(ヨ)。小里ニしてハ三千八百里。町積ニすれば二萬二千八百町。但シ六町一里也。又長安の都より天竺摩伽陀国の間は。八千三百三拾三里の余。是も小里に成シテ算バ五萬里の余。右のごとく町積(テウニツモツ)で(テハ)ハ三拾萬町の余也。是を五万里の小里に返シ。一日に五拾里宛歩ミ。千里ヲ廿日萬里を弐百日ニ行ならば。一千日を経て大聖(ゼウ〔城〕)に至ル。大里ニしてハ八里の余に当ル。是を一由旬といふ。毎年〔ノ〕日数三百六拾日に定(キハ)メ。正月朔日ニ長安京を出テ三年ニ当ル。十月十日ニ大聖(城)に行ン積り。去れ共此道安柄((から))ず。流砂川とて大河有。拾萬里四方深さも不違(タカハズ)。水上(スイシヤウ)より四大海へ落ル所。百万三千六百由旬なゆたがうがしやといへり。然(シカ)も川(カイ)辺石砂子を立る大嵐す。かゝる嶮難の事ハ思ふに甲斐無クテ。若七里の余も行カハ四年ニ当ル。卯月廿日仏生国ニいたらんか。夫も不定日別五里余り歩むならば五年に当ル。八月十六日ニ印度ニ着へし。日数一千 六百六拾六日也。海路の事ハ拾萬里の遠波と申。夫も風波の難恐シ〔ク〕。陸地も三角嶮(ケン)行(ギヤウ)ニして。悪鬼(アツキ)毒虫(ドクムシ)更(サラ)ニ去ルべき方も無シ。昔玄奘三蔵入唐の時節。諸王の孫李洞の詞ニ。十萬里程(テイ)多少の難。沙中ニ舌ヲ弾テ降龍授(サツク)ク。五天到日必頭白カルべし。実と五天竺ノ間抜群に遠けれバ。仏跡拝ミ廻覧程に。白ク髭為ル可きハ断成り。月ハ落長安半夜鐘と聞へし如ク。間もなく廻ル程に。三蔵も七度まて真邪神に生を奪るゝといへど。五萬里の陸(リク)かた安きに就テ。大般若の妙軸ヲ我が朝に渡シ。末世の宝と成シ給ふ。今明恵も如此クあらまほしく思召テ。〔イントノ〕仏生国の恋暮((慕))の思ひ。忍難き心にゆるさんが為。内にハ三密の加持の方便を持テ。うんゆぎやうの願望祷ル外ニハ。遠きんばんのきやうじ。ちゞに心をくだき給ふ事明神も不便に思召。此上ハ三笠の山に五天竺を移し。拝せ給ふべきとの御事成ル間。最早時刻も漸々時分哉覧。三笠山に金色の光り立チ為り。か様の時節罷出。各々仏跡を拝ミ給へ。相構テ其分心得候へ??   此 間出立 二重装束トテ。厚板ヲ。キ。狂言袴ノ脚絆ニテ括り。そばつぎ。上ニ水衣ヲキ。こし帯〔也〕。末社ずきん。面末社登り髭ノ内 扇 〔〇神儒仏の三道ヲさかし 金剛経の願望〕 〔〇常ニ春日の明神をしんし給ふ 中だうハ釈尊薬師地蔵観音文殊〕 〔〇其義にもおふぜずぜひ共と思ひ立社参してつや仕給ふ〕 〔〇遠近方をぎやうしかんちうさりかたし。ちゞに心をくだき給ふ事。明神もあわれにおほしめし。此上ハ三笠の山に五天竺をうつし。まやのたんぢやうがやのぢやうどう。じゆふうのせつほうそうりんのにうめつ。こと??く見せ参らせんとの御事なり。大国のじんけいとうのめいゑひ上人にだいせるハゑんせん朝暮雨花をそふ 八十のごそうじやくまをはんす ぢやうにいつていくばくときかよくぢやうをいでん しらずそうめいのけさをけがすことをといわる 是三ていしにあきらかなるハ我朝へハ明恵上人と出世し給ひ誠にしづまつてまなこをふさぐこそ来光を待程に身のくつるもしるまじ されハ我等も長物語によをわすれ五天竺のうつるもしらず 三笠山に金色のひかりさしたるハ人々おかませ給ひたるがとく出テ有難御法をはいし申され候へ 相構テ其分心得候へ??〕 〔送三蔵帰西城 李洞 十萬里程(シウマンリテイ)多少難(タセウナン) 沙中(ジヤチウ)弾(タンジテ)レ舌(シタヲ)授(サヅク)ニ降(コウリヤウニ)龍(コウリヤウニ)一 五天(ゴテンニ)到(イタラン)日(ヒ)応(マサニ〔ベシ〕)二(マサニ〔ベシ〕)頭(カウベ)白(シロカル)一 月落(ツキハヲツ)長安(チヤウアン)半夜(ハンヤノ)鐘(カネ)〕   七拾一 同(春日龍神) 町積 (「)是ハ和州春日大明神ニ仕へ申末社の神ニて御座候。去程に唯今此所へ出ル事余の義に不有。栂尾明恵上人入唐渡天有可と思召。御暇乞に当社へ御参詣候間。秀行ヲ以留御申候其故ハ。明慧((恵))上人と笠((置))の解脱上人とハ。明神両の御眼左右の御手の如ニ思召に仍テ。片時(ヘンシ)の間さへ別(ハナレ)御申有べき事を如何と有ル。乍去両人の中ニても笠≠フ解脱上人ハ。少慢心御座候間(ニヨリ)次郎かと頼。明恵上人ハ唯御心正直ニして。慈悲心に座す故に太郎と頼。既ニ当社社参の折節も。奈良坂迄御向ニ御出なされ候へバ。誠に心なき草木迄も枝ヲ垂。畜類鳥類に至迄出向。膝ヲ折羽を垂テ拝シ申程。貴キ御方成故ニ色々とゞめ給へ共。明恵上人は御心強ク。唯一筋に渡天の事思ひ立ベシトテ。道の積を感へ御覧ずるに。大唐長安の都(キヤウ)より天竺摩伽陀国。ハウシヤシヤウノ間五萬里有り。余の事ハ差除先此沙汰夥シ。然トモ是ハ小里ノ御事也。大里三拾六町の積なれば。八千三百三拾里ト拾二町也。小ノ五百里ヲ間ニシテ大里ならば。八千三百三拾里と拾二町也。左様ニ積ハ五萬里壹千日シヤウナリ。正月朔日ニ長安の都(キヤウ)ヲ出テ。十月十日ニ仏生国ニ至ルベシ。然共僉(ケン)難(ナン)サカシキ道なれバ。左様にハ行れまじい。一日に七里余(アマ)り歩ハ。第四年二月ニも行べキカ。又一日ニ五里余りも行バ。五歳目の六月ニも仏生国に着ベキカ。是夥敷陸地也。迚海路ヲ尋テ御覧ずれば。拾萬里の波濤と聞ル。去共古往((いにしへ))の玄奘三蔵も。六七度迄神蛇ニ性を奪はるゝと申せトモ。終ニ生を替テ行大般若の妙軸を渡シ。末世の宝と無シ給ふぞ有難。惣而天竺震旦の境に流砂葱(ソウ)嶺(レイ)。てつもんじやく水とて四ツの名有ル所有。此四つの難所を越へ給ふべき事大明神哀と思召也。流砂川と申ハ昼ハ風荒クして。砂子を飛(トバ)シテ雨ノ如シ。夜ハ又火走り発て星の如也。河を渡りてハ河原を行。川原を通りてハ河を渡ル。其数大方六百三拾六度と云り。又葱(ソウ)嶺(レイ)の大山。道の遠さハ廿日余り登ルといへり。上リテ見れハ三千世界ハ眼の内明カ也と有。か様の悪所を越給ふべき事。菟角成難ク大明神も思召テ。秀行を以テ留給ふなり。又我等の留ルハ渡天無シと云共。春日大明神の御本地を糺に。六萬億の釈迦如来ニて御座ス。釈尊出現仕(シ)給ふ已前ハ。娑婆ハ八千当来シ上品((浄飯))大王の太子と現し。拾九の御年檀(ダン)特山(ドクセン)ニ行仙人の師とたのミ。難行苦行被成六萬億に立出。磐石(バンゼキ)に座して大乗ノ法ヲ説給へ共。衆生是を聞知らず候あいだ。鹿野苑ニ御さがり有種々の法((方))便の廻シ。次第??に大乗の法を済渡((度))仕給ふ故ニ。春日大明神おわしませば此お山こそ。りつの((ママ))しゆせんなれ 山ハどうざる((ママ))かたちと現じ古今に至ル。しんとうとみさとハ平安のちまたを見せて。人間の長久の声みてり 当社に鹿を使者と号ス。是則鹿野苑かをまなびての御事也。木を植御もちいの事ほとけ三十じや((ママ))どうの御時。菩提樹の影寄かひをふじゆん成り給ふ故か。鉢子木ヲ植深山となし弥勒の出世ニあらうずる迄。目出度様子とて菩提樹の影ヲ移シ深山至らしめ給ふ也。殊更大明神と現慈悲を専と守り。霊験新成御神の留給ふ事偏ニ上人の御手柄成り。入唐渡天の止り有ニ於テハ。今夜の内ニ三笠山に五天竺を移シ。仏在世の様躰摩耶の誕生伽耶の成道。鷲峯の説法双林の入滅迄。悉クおがませ御申有べきとの御事也。神道においても此神也有難しとも云はかりなし。今は早明恵上人も渡天の事御止り有へきかと思召候間。今夜の奇特こそ感用なれ。よう??五天竺も移り候哉覧。せんかも大地も鳴動仕ル間。皆々心を静メテ御拝ミ候へ。先某ハ罷帰り候。其分心得候へ??  〔八千三百三十三里拾弐丁なり。此三里多き事ハかんれうがんくつ慥に申候。なん行より(ニ)三里多シ。算の上ニテハ三里たらぬとかんりやう申候〕   七拾二 同(春日龍神) 真猿 「か様に候者ハ。和州南都春日の御山ニ住真猿ニテ候。然は我等真猿と乍申。当社の一分成り其子細は。当社春日大明神の御本地ハ。釈迦如来ニテ御座す。天竺霊鷲山ニおいてハ。衆生を済渡((度))有べしとて。大小の法を説給へ共。衆生是を聞不知候間。鹿野(ロクヤ)園(ヲン)に御下り有。瓔珞細?(ヤウラクサイナン)の御衣を脱(ヌギ)麁弊(ソヘイ)の散衣(サンエ)めされ。四諦(シタイ)の御法を説給へハ。衆生是を聞仏法にもとづき候間。次第ニ大小の法を説給ふ。其時会座ニ五百のみご参り聴聞申けれバ。みのりの有難功力(クリキ)ニ仍テ。真猿共悉ク仏果ニ至り?(トウ)利天(リテン)ニ生ル。則其時の筋ヲ以テ此お山ニ移給ひ。慈悲萬行と顕レ衆生済渡仕給ふ。去程ニ我等の是へ出ル事別の義にあらず。此度栂尾ノ明恵上人入唐渡天有べきとて。当社へ御暇乞に参り給ふが。此上人と笠((置))ノ解脱上人とハ。大明神も両の眼左右の手の如ク思召候間。時風秀行と現じ色々御留候へ共。上人ハ大願を思ひ立為((たる))御事なれば。今更止りがたき由被仰候間。左有らバ摩耶夫人の胎内より出給ひて。双林の入滅に至迄。仏在世の様躰を三笠山へ移シ。拝せ御申有べしとて秀行御申被成候が。上人も御とまり有べきかとの。思案半成程ニ我等ニも罷出。上人の御心得参ル様ニ申せとの神勅なれば。取ル物も取不敢罷出た。扨上人ハどこ元ニ御座ルぞ。いや是ニ御座候。先御礼申候。是ハ当社の末社一色の真猿にて候。只今是え出ル事余の義にあらず。大明神の神勅ヲ請是迄罷出て候。お上人ハ此度入唐渡天の事を。大明神ハ名残惜ク思召。御留被成候へ共未御思案半成ル程ニ。弥御留り有様ニ申せとの御事により。是迄罷出テ候。か様に御留被成候も。旁を大切ニ思召故也。又入唐渡天も仏在世の時ならバこそ御尤ニ候え共。只今ハ当山こそ霊鷲山ニテ候えば。御留り有にをいてハ。今宵の内に三笠山ニ五天竺を移シ。摩耶の誕生加((伽))耶の成道。鷲峯の説法双林の入滅。悉ク拝せ御申有べきとの御事なり。かまひて御滞り被成候へ。其間御徒然に御座有ふずる間。不調法にハ候え共古徃((いにしへ))もふた事が御座ル。是を一かなでかなで申さうずる 和哥「目出たかりける時とかや 〔三段舞 常の通り〕 荒々目出たや。??な。我等が様成ルみこどもまでも。末社となれば。顕れ出て。謡かなで。是までなりとて末社の神ハ。??。本の住家に帰りけり 〔寛延四未三月六日 紀州宰相様御慰御能ノ時松井市太夫世忰市八ニ被仰付ましの間ヲ云 是ハ御手前衆也〕   猿 出立 小嶋厚板 掛すわふ こしおび 袴くゝル あさがほ成のやうなるツボフカキ長キズキン サルノ面 扇子   七拾三 同(春日龍神) 「是ハ和州南都ニ住者にて候。去程に某ねられざるまゝ。つく??と人間の有様をおもんみるに。後世の事をば仏共法共不思して。あけ暮世を渡ル業(ハザ)〔ヲ〕のミ経労(イトナミ)。年月のふる事をもわきまへず。人界ニ生を請し身なれば色香にめでゝ。殊に愛熱((執))の心不浅ざるゆへ。十悪五迷の罪深きを。唯惘然と暮ス御事我身ながらも浅間敷ク存レト。智識の床の辺ニ望ミヲ懸ケ。願念の悟(サトリ)の自力(ジリキ)の法ハ及なし。せめて貴キ僧の教ヘヲ請ント存レト。朝(アシタ)ニ有難事を聴聞しても。夕部((べ))ニハ早忘るゝ程の?(トン)智(チ)成ニ付。皆世上ニ遍ク人の流布仕ルハ。神と云も仏と云も水波の隔(ヘタ)テトあれば。我朝ハ天地開闢よりも神国ニて。霊神国国に地をしめて数多御座すとハ云ながら。中ニも此春日大明神ハ。愚癡無癡の輩を救ひ給わん御方便ニ。諸の菩薩の和光の姿を顕シ。当社と現し給ふと聞ニより。現世安穏後生善所の為ニ。当国の者ハ我等ヲ始テ不残。国々在々所々迄も朝夕袖を連ね踵を縦((継))て。老若男女共ニ日夜朝暮に歩を運へバ。神前のにきわしう座す御事。又と并たる神も無御座候。然ルに唐土(トウド)天竺広しと申せど。先仏法東漸と聞時ハ。此秋津須((洲))ニ貴僧高僧多シと雖ど。中ニも栂尾明恵上人をバ太郎と名付。笠((置))ノ解脱上人をバ次郎と頼ミ。此〔ゴ〕両人の尊正ハ当社の両眼左右の手の如クニ思召テ。天下の御祈祷をも任せ御申有由申。誠ハ左様ニも御座可有と存ル其故ハ。日外((いつぞや))明恵御登山之刻。俗在出家共ニ人間ハ申ニ不レ及。鳥類畜類迄も皆奈良坂へ御迎に出。上人を見付鳥類ハ羽をたれ畜類ハ膝を折。草木迄も正敷う囲遶渇仰之躰のあれバ。末の世にか程殊勝な御方ハ大唐ハいさ不知。和国ニハ有ル間敷との御事ニ候。就夫今日明恵御着之由風聞致すを。何れも寄合被申事ニ。いつも上人の御参詣なれば。五日十日已前より其隠無か。今迄何共沙汰致さぬ程に。夫ハ偽りてあらうと申さるれハ。古老の人の慥ニ見て来り為((たる))由の給ふ間。先某ハあれへ参て聞申さうずる 「唯今御参詣千秋万歳目出度存ル。乍去何も御社参なれバ其隠無テ。我等躰迄も路次迄御迎に伺公致すが。此度之何共取沙汰なくて。風((ふ)与(と))御参ハ不思義((議))ニ存ル 「されバこそ久敷御目にかゝらぬと存たれば。其用意被遊たる故ニ爰許も御出なく候ひつるか。乍レ然此程御登山なき事をさへ。此辺の老若共ニ待兼申つるニ。万里の滄波をしのぎ入唐渡天ハ如何と存ル。其上上人の御身ニてハ。経論聖教の内ニても尤御存知有べし。其上世間の人の申習スハ。天台山を望有人ハ比叡山へ御参あれ。五台山を拝度き御方ハ。皆吉野筑波を拝し給ふと聞。又霊鷲山の志の輩ハ。則当社を御信仰被成ルると申せバ。日本に御座有とても同シ御事成間。近比恐がましき申事なれと。入唐渡天ハ思召御とまり候へし    出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇子   七拾四 同(春日龍神) 「是ハ和州南都ニ住者ニて候。去程に珍敷からぬ御事なれど。先我か朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神数多御座すとハ申せ共。中にも当社の御本地ハ。誠哉覧釈薬地観文ニテ座すが。和光同塵の結縁ニ。権((かり))ニ春日大明神と間見へ給ひて。迷ひの衆生を八相成道被成。終ニ仏道ニ引入給ふと承り。現世安穏後生善所の為ニしるもしらぬも。国々在々所々よりも老若男女共ニ。袖を連ね踵を継。毎日毎夜歩を運ぶ衆生数かぎりなけれど。某ハ若年の比より心愚にて。いつまでも此世ニながらへべき様ニ存。菩提の道をば仏共法共不弁して。只惘然と暮しぬれば。古郷の親類遠類も。遠国他国の住居をしは(※)うゆう〔※久敷友も共云也〕も皆過行て。おのづと我一人残りたるにより。兎(ト)に角(カク)ニ人間ハ夢の浮世なるに。後生を能願わんと存ル付。日域へ仏法渡り為((た))ル八宗十宗の内ニ。先倶舎(クシヤノ)宗が初成由承レハ。此宗旨を少聞て見度と思へど。寺中ニ存知為人なければ便無シ。又法相(ホツサウ)宗のお寺と。我等の宿とハ程遠クて是ハ朝夕の参下向か成間敷と存知。扨ハ三論(サンロン)宗か華厳(ケゴン)宗ヲ床敷思へど。是ハ知音(チイン)近付の内ニ参者なければ。同行なくてハさびしからんと存。只禅宗ニならふづると思ひ三徳ニ上り。則和尚の一則(ソク)授(サツケ)ント有テ。目前の面目元来の面目。父母(フモ)未生(ミシヤウ)以前の事をいへと被仰れと。未父母(チヽハヽ)もなひ先の事ハいわれまひと存知。七大寺の内にてハ何をか頼申さん。兎やせん角やあらんと思ふ所へ。只今承れバ。栂尾明恵上人当社へ御参詣之由風聞仕ルが。誠か偽りか是より直ニ入堂致シテ。神前の他((あたり))にて窺(ウカヽイ)ひ申さう 「いやさればこそ是ニ御座候よ。此程ハ久敷上人の御参被成ぬとて。南都の人々待被申たるに。此度之御登山先以目出度存る。併何〔ツ〕も御社参被成るゝ時ハ。五日十日以前より其隠レ無クテ。皆々路次迄御迎ひニ参ルが。此度ハ何共御沙汰の無クテ。風((ふ)与(と))御参ハ不審ニ存ル 「是ハ思ひも寄ぬ事を被仰るゝ物哉。上人の御身ニて経論聖教御望ハ有間敷ニ。遥の波濤をしのがれ天竺震(シン)旦(ダン)へ御越あらバ。其間〔ハ〕明神もさび敷被思召べし。其上有古人の我等ニの給ふ様ハ。他国の霊地仏跡を拝ミ度と思わば。秋津洲〔ノ〕比叡山ハ天台山を移したり。又誰にても五台山を望有御方ハ。いづれも吉野筑波を御信仰被成べシ。能(ノウ)仁寺(ニンジ)を志ス人ハ老た若ひに不レ寄。皆四天王寺へ歩を運ヒ給へ。又一度霊山ヲ拝度と思ふ人(ヒトビト)は。則当社を(ヘ)拝(モウデ)シ(サセ)給へ。春日の御本地ハ釈迦如来ニテ御座セバ。古徃((いにしへ))〔ノ〕釈尊御入滅(ニウメツ)被成し〔所の〕。中(チウ)天竺舎(シヤ)衛(ヱ)国(コク)の須(シユ)達(タツ〔ジユンタ〕)長者の住れし。拘尸那(クシナ)城(シヤウ)の辺成名高き抜提(ハツダイ)川(カ)の。娑(シヤ)羅(ラ)双樹(サウジユ)の(クハク)林(リン)もよそならず。此三笠の山の冬枯を。是ぞ涅槃の所と観念してらいし給ふと申せバ。此和国ニ御座有ても同シ御事〔ト〕存〔ル〕間。某などの恐ケ間敷申事なれど。此度〔ノ〕大唐月氏国への渡海(トカイ)の義ハ。唯思召御留あれかしと存ル 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物かな。左様の新成御事ハ。昔も今も不聞及事なれば。勧(スヽム)ル功徳(クドク)に此辺の人々に参。拝申せと相触申さうずる 「やあ??皆々承り候へ。栂尾の明恵の御参詣ハ。入唐渡天被成るゝ御暇乞成を。忝も春日ハ慈悲萬行の御神なれバ。今夜の内ニ三笠山ニ五天竺を移シ。上人ニ拝せ奉り御留可被成との御神詫也。かゝる難有御事ハ。古今(ココン)ニも有間敷との御事なれバ。志の人々ハ罷出テ。をがミ被申よとの御事成り。相構テ其分心得候へ??    出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇子 〔中天竺舎会国(シヤヱコク)e(ジユン)陀(ダ)長者ノ住レシ舎(フ)北南城(シナンジヤウ)ノ辺ト正本ニ有 悪シ〕 〔八相宗 釈(シヤク)八相ノ事〕 〔中天竺舎衛国ノ須(シユ)達(タツ)長者ノ住レし拘尸那(クシナ)城(ジヤウ)の辺ト山三郎殿書物ニ有り 此方′ 法相宗 釈迦入滅ノ所〕   七拾五 天皷 真 「御前ニ候 「畏テ候 荒痛敷事かな。実と親の身ニテ過行子の事を思ひ出シ。愁歎(シウタン)ハ尤なれ共乍去。是ハ玉殿なれば先お〔タ〕ちやれ 〔〇((朱))〕実と年長ケ((?))たる一子を先立らるゝ事。勅命とは乍云させるとがなきに。闇々と罧(フシ)漬(ヅケ)ニせられ歎(ナゲ)るゝ事こそ余義なけれ。殊に老てハ子ニ懸らんと末頼母敷思ひ。其上世間の父母の習にて。数多持たる子の内にても一人もおろそかにハ思ハさればこそ。〔〇次((朱))〕皆人の無器用(ブキヨウ)な子ともかわいく思ひ。東西をわきまへぬ幼子(ヤウシ)さへ別をばかなしむに。ましてや成人の子を失ひ嘆(ナゲカ)るゝ事ハよぎなけれども。其方の罪深を救(タスケ)給わん御方便ニ。仏菩薩の仮りに親子と現し来り。かゝるうきめを見せ給ふと思ひ。旁の後の世ヲ大事と能願ひ。逆様(サカサマ)なれど天皷が菩提をも吊((弔))給へ。又跡式の訴訟あらバ我等迄おしやれ。随分御取合を申さうずる間。先私宅へお帰りやれや (「)只今の老人を私宅へ帰シ申て候 「さん候 扨も只今の老人が躰ハ哀な事で御座ル。御存知の如ク此程如何〔ナル〕高位の人々迄も。老た若ひに不寄遊してならぬ皷が。父王伯が打テ成様な不思義((議))な事ハ御座らぬ。是ニ付ても人の親子の中ハ申ニ不及。親類迄も大切(タイセツ)な事成ルに。あの王伯ハ子ニ別れシ老の身なれば。何とぞ御取合を以テ身命を継(ツギ)。二親の嘆(ナゲ)キ(キ)のやむように仰付られひかしと存ル 「夫こそ人口(ジンカウ)然可御意なれ。夫ならバ拙者ハ役者を相触申さうずる 「唯今管絃を以御弔可被成と有ニ付。管絃は此比初り為((たる))事かと申たれバ。いや??三皇五帝の昔より有事也 其故ハ。琴ハ?犠(フツキ)之作(ツクリ)初(ソメ)給ひテ。長サ三尺六寸ハ一年中をかたどり。緒(ヲ)を五筋懸ル事ハ五行ヲ表(ヒヤウ)シ御座す。但シ因書(インシヨ)〔周書トモ有ル〕ニ云ク。文王初テ琵琶ヲ弾(タンジ)テ一ツの緒(ヲ)ヲ加テ是を文緒(ブンシヨ)ト云。其後武(ブ)王(ハウ)又一ツノ緒(ヲ)ヲ加テ則武(ブ)緒(シヨ)と云。此七ツノ緒(ヲ)ヲ以テ宮商角徴羽(キウシヤウカクチウ)是也。復(マタ)笙(シヤウ)と簫(ヒチリキ)ヲハ?(フツ)犠(キ)氏(シ)の御妹ノ。まいくわと申皇女の初テ作り在す。太皷ハ秦(シン)ノ穆公(ボツコウ)の工(タクミ)出シ給ふが。夫のミならず鳳凰山(ホウハ〔 〕ウセン)と云所ニ石ノ皷有テ其皷の鳴(ナル)時ハ。空(ソラ)鶴(カキ)夜(クモリ)雨ノ降(フル)由申。又鐘ハ鳧氏(フ〔 〕シ〔 〕)と云人の鋳(イ)初(ソメ)為ルが。巫山(フサン)と云山ニ霜ノ降時ハ必彼鐘が鳴(ナリ)為ルと聞。又笛は馬(バ)融(ユウ)と云人池の辺を通シ時。龍の吟(ギン)ずる声ヲ聞。感(カン)ニ絶(タエ)テ面白思へと龍ハ天え上りぬれバ。残多ク思ひ竹ニ穴ヲあけ笛ヲこしらへて嘘(フケ)バ。龍の声ニ少もたがわざる由申〔ス〕。又十二律(リツ)ハ昔太唐(モロコシ)ニ三皇の御時軒(ケン)轅(エン)黄帝(ハウテイ)ノ臣下。伶(レイ)輪(リン)ニ被仰付。懈(ケイ)谷(コク)と云所の竹を切拾テ管(クダ)ヲ致シ。陽の六ツヲ律(リツ)トシ陰(インノ)六ツヲ呂(リヨ)トス。是を六律六呂(リクリツリクロ)共云。又十二律共云也。扨是ヲ太(モロ)唐(コシ)ニテ十二気(キ)ニ配(ハイ)シタル時ハ。黄鐘(ハウシヤウ)大簇姑洗(タイゾクコセン)?(スイ)賓(ビン)夷則(イソク)無(ブ)射(シキ)。此六ツをバ六(リク)律(リツ)とテ陽分也。又夾(カウ)鐘(シヤウ)中呂(チ〔 〕ウ〔 〕リヨ)林(リン)鐘南呂(シヤウナンリヨ)応(ヲウ)鐘(シヤウ)大呂(タイリヨ)。此六ツハ六(リク)呂(リヨ)とて陰(イン)分ニテ是を〔〇((朱))〕日本ニテハ一断平勝下双鳧黄鸞盤神上。是を〔〇次((朱))〕〔マタ〕数多(アマタ)ニ割(ハリ)ヌルトハ申セド。先十二調子〔ヲ〕加テ五調子ニ云時ハ。双(ソウ)調ハ肝(カン)ノ臓(ザウ)より出ル息(イキ)の音(ネ)ニテ。木(モツ)火(クハ)土金(ドゴン)水(スイ)ニ取時ハ双調ハ木(キ)也。五色ニ取ル時ハ青シ。東西南北ニ取テ云時ハ東。是ヲ五味ニ取時ハ酸(ス)シ。物のなりに喩(タトウ)レバ団(ウチハ)の如シ。四季ニ取テ申時ハ春成ル故ニ。春ハ陽気を受テ草木も悉ク生(シヤウ)出(ズ)る物なれば。人ハ生出(ウマレイツ)ルお以テ説(ヨロコビ)とシ是を祝言ニ用たり〔△((朱))〕又黄鐘(ハウシキ)ハ心(シン)の臓(ザウ)より出ル息(イキ)の音ニテ。四季ニ取テハ夏(ナツ)なれば。夏ハ有情(ウジヤウ)の類(タグイ)千草万木も。皆盛ニテ祝(イハウ)なれば説(シウ)言(ゲン)とす。五行ニ取時ハ黄鐘(ハウシキ)は火なれハ。但シ祝言も事ニ寄べし。又一越(イチコツ)調ハ脾(ヒ)ノ臓より出ル息(イキ)の音(ネ)ニテ。是ハ土を司トル物なれバ。土ハいつもおとらふる事なく。万木をはごくミたのしミ有故ニ此三ツの調子を祝言とす。又平(ヒヨウ)調ハ肺(ハイ)の臓より出ル息の音(ネ)ニテ。四季ニ取ル時ハ秋也。秋ハ半過(ナカバスギ)草木の色も替り。風の立(タ〔 〕テ)もさびしく鹿の音虫の声も哀(アハレ)ヲ催(モヨウ)シ。十二因縁(インエン)の理ヲ顕シ哀ミの声とす。又盤(バン)渉(シキ)調(ジヤウ)ハ腎(ジン)之臓より出ル息の音ニテ。是ハ冬を司(ツカサ)取〔ツ〕テ。万極(キハマ)ル時分なれば人間ニたとへハ。定命(ジヤウメウ)六拾二年の心ニテ悲(カナシ)ミ(ミノ)声也。又無調(ムジヤウ)ハ双(サウ)調黄鐘(ハウシキ)壹越(イチコツ)此三ツ之調子ニはづれて。然も律(リツ)の音成故ニ。上無調(カミムジヤウ)ヲ父とシ此調(ジヤウ)ヲ母として。此〔二ツ〕調子を加(クハヘ)テ六(リク)調子(チヤウシ)とハ申。されバ今度の管絃ハ祝言幽見(ユ〔 〕ウケ〔 〕ン)恋慕(レンボ)ニテハなし。哀傷(アイキヨウ)なれバ定て調子ハ平(ヒヨウ)調ニテ有うずると申ヲ。夫も時の調子をとらば盤(バン)渉(シキ)な事も有うと申ス。夫ニ付大唐(モロコシ)の楽器(ガクキ)ハ八音(ハチイン)とて八色也。其八ツの道具の品々ハ。金石糸竹匏土革木(キンセキシチクホウトカクボク)是也。此音楽(ヲンガク)ノ呂(リヨ)律(リツ)五音(ゴヲン)之秘曲(ヒキヨク)ノ出来(イデキタ)ル時ハ。人間ハ申ニ不レ及。目ニ見ゑぬ鬼(ヲニ)神迄も納受(ナウジウ)有。仏菩薩亡者(モウジヤ)も感に絶(タヘ)。他(タ)念(ネン)ノ無所(ムゼウ)が則(ソク)仏(ブツ)なれバ。吊ハ管絃ニ増(マシ)為(タル)事ハ有間敷と存ル。拙者ハ先役者ヲ相触申さふ  「やあ??皆々承候へ。天皷が事を不便ニ思召ニより。我君ハ呂水の堤(ツヽミ)ニ御幸被成。天の皷ヲ居置(スヘヲキ)。彼者の跡を管絃ヲ以御弔て有との御事也。管絃の役者ハ相構テ其分心得候へ?? 〔△((朱))殊ニ日本の双黄神(ソウハウジン)一平(イツヒヤウ)の巻頭巻軸(クハントウクハンヂク)の。五音(ゴヲン)のたかわぬを以祝言の第一トス。〕   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇子   七拾六 天皷 〔ヲクリノ事 楽器ノ事〕 「御前に候 〔ワキ「此者ヲ仕((私))宅へかへし候へ〕 「畏テ候。荒痛わしの事かな。旁のしうたんな尤なれ共。乍去是は玉殿なれバ先おたちやれ 近比そなたのなげかるゝハ道理でおりやる。草木だにしやうろうびやうし四つのくを請。春夏秋冬もなしとて。此地に生を請ぬ物ハなひ。見ずにあか子を失のふてさへ。朝夕わすれがたく思ひのふちとさへ成に。実と年たけたる一子を先立らるゝ事。勅命と云ながらさせるとがなきに。やミ??とふし漬にせられ。なげかるゝ事こそよぎなけれバ。ことに老てハ子にかゝらんとすへたのもしく思ひ。其上世間の父母の習にて。数多子を持たる子の内にても。一人もおろそかにハおもわぬされバこそ。皆人のぶきような子をもひとしをかわゆく思ひ。東西をわきまへぬ養((幼))子さへわかれをハかなしむに。ましてやせいぢんの子をうしなひ。なげかるゝ事ハよぎなけれ共。其方のつミふかきをたすけ給わん御方便に。仏菩薩かりに親子と現し来り。かゝるうきめをミせ給ふと思ひ。かた??の後の世を大事とよく願ひ。さかさまなれ共天皷がぼたいをも弔ひ給へ。又跡式のそせう有ば我等迄おしやれ。某随分御取合を申さうする間。先かた??ハ仕宅へおかいりやれや。あゝ扨もあわれなる事哉 〔是より間常の通り云テ脇へ懸ル〕 〔ワキ「親子の印とて皷の音の出候事なんぼうきとく成事にてハなきか 君もしんびやうに思召老人ふうふにハ数の宝を被下又天皷が跡をバ管見構((絃講))ヲ以テ御弔ひ被成へきとの御事にて候がなんぼう忝なき御事にて候〕 「何と天皷があとを管見にて御弔ひ有ふずると仰候か。扨々有難ひ御事にて候。いやそれにつき申上度事の候。管見などハまれ成事なれば。我等も管見の役を一役仕度候が。被仰付るゝ事ハ成間敷候か 〔(ワキ「)何ニてものぞミ候へ 申付ふするにて候〕 「それハ忝ない御意で御座る。さあらバ望申そうずる。先こふ横にふく物ハ何と申物にて御座候ぞ 〔ワキ「笛ト申候〕 「其笛を仕とう御ざる 〔ワキ「是ハ一大事の役ニて殊ニ幼少よりてなれ候ねハならぬものにて候間中々にわかにハ成ましく候〕 「何と笛ハ幼少より手なれねバならぬ物ぢやと仰候か。又おふきな木をくりぬき。両にかわを引はつて。是程な木を持てこう??打物ハ何と申候ぞ 〔ワキ「太皷の事にて候か〕 「誠にあれハ太皷で御座る。是に致ませう 〔ワキ「是ハなを成ましく候 じきに仕ル役さへならぬ物にて候にましてや是ハ申つきにて候間中々成ましく候〕   「仰らるればさうぢや。じきに仕ル事さへなりにくう御座るに。ましてやあれハ申つきぢや程に中々某の分てハ成ますまいが。何を仕らふ。よしをいくつもあつめて。かやうに致て吹候へば。色々の音が出て。近比面白き物にて候がなんで御座るぞ 「其せうとやらを相勤申度候 「是も成まいと被仰るゝか。何ニても望と仰らるゝに付。存寄たるを申て御座れバ。それはむつかしいの。いや成まいのと仰らるゝによつて。私も申出して近比めいわく仕て御座る。何がよふ御座らふぞ。いや思ひ出した。爰にならう役が御座る。定て管見過にハ御酒がでませう。其時分に罷出。大盃を以て御酒の相手に成ませう 「畏テ候 〔管見の道具を云事ハ〈海士〉同前なり 是ハ少々ちかい候を書テおく 〈海士〉〈天皷〉〈藤戸〉此三番同事なり   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇子 〔(「)近比そなたのなけかるゝハ道理ておりやるさりながら。草木さへ四きのくを請ル。いわんや人間ハ云に及ばぬ事なれ共さとらバこそ。まよふハしゆぜう成故。水にあかごをうしないてさへあわれむハしやう有者の習。ましてや請がたき人がいに生を請。ぶき様成子だにもおやのじひなれハかわゆく思ひ。たのあざけりをもかへりみぬに。よにかゝらハず山中にいたらんなどゝ(以下一行綴じがきつくて読めず)   七拾七 海士 「先我等の存たるハ如此ニ候 〔ワキ「ねんごろに語れ候物かな 今ハ何をかつゝみ申べき 是に御座候ハ則房崎((前))の大臣殿にて御入候〕 「左様之雲の上人とも存ぜずして。只今ハれうじを申めいわく仕りて候 〔ワキ「いや??くるしからす候 此所へ御下向も御母海士人の御ついぜんのためにて候〕 「誠に奇特成御事にて御座有。乍去大臣殿是迄御下向被成たるにより。顕れ給ひたると存候。扨御とむらいハいかやう成御事にて候ぞ 〔ワキ「則海士人の御跡をバ管見((絃))講を以テ御弔ひ可有との御事なれハ当浦において管見の役者を触テ給り候へ〕 「何と管見の以て御弔ひ被成れうずると仰候か。か様の事ハまれ成御事なれバ。我等も是迄召出されたる程に。何ぞ管見の役を一役仕度候が。何と御座らうずるぞ 〔ワキ「何ニてものそまれ候へ 申付ふずるにて候〕 「夫ハ近比忝なひ義で御座る。何成共望申うずる。竹に穴を数多あけて。こう以て吹物ハ何と申ぞ。是を仕らうずる 〔ワキ「笛ト申候 是ハ一大事の役ニて殊に幼少よりてなれ候ハねハならぬ物にて候候((ママ))間中々俄にハ成ましく候〕 「それハ又色々のねが出て面白き物で御座るに依テ申たれバ。幼少の時分よりてなれねばならぬと仰らるゝほどになりますまい。又なりを丸クし(ツカマツ)て。両にかわをはりて。よいころな手きを以て打物ハなんで御ざるぞ 〔ワキ「太皷の事にて候〕 「誠にあれハ太皷で御座る。是に致ませう 〔ワキ「是ハなを成間敷候 ぢきに仕ル役さへ俄にハならぬ物にて候にましてや是ハ申つぎにて候間中々成間敷候〕 「仰られハそうじや。ぢきに仕ル事さへ成にくふ御座るに。ましてやあれハ申つぎぢや程に。中々某の分でハ成ますまいが何を仕らう。竹を数多あつめてこう以て吹物ハなんで御ざるぞ 〔ワキ「せうと申候〕 「せうと申か。名をハ存せぬがじゆんなねの出て面白う御ざる。其上心安そうなほどに。もう是がよふ御座らふ 〔ワキ「いや??是ハなをむつかしき物ニて候間中々成ましく候〕 又一円に存ぜぬ事を俄に稽古致てハ成ますまひが。何を致さう。いや思ひ出いた。爰にならう役が御ざる。管見過ての後は定て御酒がてませうずる。其御酒の時分罷出大盃を持て。御酒のおあいてに成ませう 〔ワキ「夫こそかた??に似合たる役ニて候 又管見の役者をふれて給り候へ〕 「畏テ候 〔常の通りのふれ〕   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇子 〔越天楽 太平楽 太皷(タイコ)鉦(セウコ)皷(セウコ) 笛(フヘ)?篥(ヒチリキ)笙(セウ)〕   七拾八 藤渡 替 (「)去程に源氏の方にハ三川守範頼。三万余騎を引供し。都を立て播广((磨))の室にぞ着給ふ。平家の方の大将軍にハ。小松の新三位の中将資盛。同シク少将有盛丹後の侍従忠房。侍大将にハ越中の次郎兵衛盛次。上総の五郎兵衛忠光。悪七兵衛景清を先として。五万余艘の兵舟に乗つれて漕来り。備前の小嶋に着と聞しかバ。源氏ハ頓テ室を立て。是も当国西川尻。藤戸に陳((陣))おぞ取りたりける。   出立 長上下 熨斗目 小サ刀 扇子   七拾九 同(藤渡) おくりの事 「実と成人の子をうしないなけかるゝ事ハどうりなれども。早かへらぬ道なれば。此上ハふつと思ひきらしませ。しやうじやひつめつの習あひべつりくのことわり。もとより天命かきりあれば。一人成共のこりとゞまり。後生ぼたひをとわれんこそさいわいなれ。ひんしよが一とうとかや申せハ。こゝろざしのせつ成におよんでハ。諸仏もいかで〔か〕のふじゆし給(タマ)へバざらん。近比くり申なから。五せう三ぢうの御身なれバ。はやくしやか大師のゆいていにたり。龍女が成仏有ハ。ざんじに六こんのざいせうをさんげして。一すしに九ほんのれんだひにいたらん事をいのり。一念のとぼそをひらき給へ。又何経とやらんにハ。善ちしきハ是大いんねんととかれたり。彼浄蔵ハうまれて父のちしきたり。是ハ母の為に知しきと思われ。かた??の後世を大事とよくねかい。さかさまなれども我子のなきあとをもとふらい給へ。またあとをばよにたてさせらるゝやうに。某随分お取合を申さふずる間。先かた??ハ宿へ帰られ候へや   同 藤戸 ヲクリノ事 (「)皆人の親のぶきような子をもかわゆく存シ。東西をわきまへぬ養((幼))子さへ別をハかなしむに。ましてせいぢんの子を失ひなげかるゝ事。是ハそなたのが道理でおりやルハ。世間にをいて母の恩ハ父の恩よりあさいと云かひが事じやハ 有人の哥に哀なりよわにすて子のなきさすハ母にそいねの夢や見るらんと有ごとく幼少の時分よりわすれかたきハ母のなさけ 其上親となり子となる事も前々のちぎり浅からざるゆへなり 実と浮世のはかなき事を見るに付ても夢の内の夢まほろしのけらくなり きのふ見し人けふなし けふ有人あすをもしらず 出るいきいるいきをもまたず日ハ程なく山のはにかたむき夕部((べ))の月ハけさの別となり花ハ嵐をもまたず物のあわれは人間にかぎらずといへども老少不定〔の〕ことわりを思ふにしやうらうひやうしの道理をもたてず老たるをあとにのこしわかきがさきだつ事なれハ年をもさらにたのまれず是がよきみらいのたねぢや また今ハ頼ミ申人もふびんに思召我等迄もいたハしう存れどもはやかゑらぬ道なれバうらミの念もなけきをもふつと思ひきりてそなたか後せを大事と能願ひさかさまなれどもなきあとをも吊((弔))ひ給へ 又あとをバよにたてさせらるゝ様に某随分お取合を申さふずる間先かた??ハ宿へ帰られ候へ哉   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇子   八拾 同(藤戸)楽器〔〈海人〉〈天皷〉〈藤戸〉三番ニアリ〕 「管見((絃))の内をならバ何ぞ一役仕たひがいかゞ御座らう 「是ハ忝ない御意で御ざる。其義ならば追付望ませう。竹にあなをあまたあけて。こう持てふく物ハ何と申ぞ 是を仕らうずる 「それハ又色々のねが出て面白物で御座るに仍テ申たれバ。幼少の時分より手なれねばならぬと仰らるゝ程になりますまい。又なりを丸ク仕ツテ。両にかわをはりて。よひころなてき((手木))をもつてうつ物ハなんで御ざるぞ 「誠にあれハ太皷で御座ル。是に致ませう 「仰らるれバそうじや。ぢきに仕ル事さへなりにくう御ざるに。ましてやあれハ申つぎぢや程に。中々某の分ニてハ 成ますまいが何と仕らう。竹を数多あつめてかう持て吹く物ハなんで御座ルぞ 「せうと申か。何をバ存ぜぬがじゆんなねの出て面白御座る。其上心安そうな程に。もう是がよふ御座らふ。又一円に存ぜぬ事をにハかにけいこ致いても成ますまいが。何を致さふ。いや思ひ出いた。爰にならう役が御座る。くわげん過て定て御酒がでませう。其時分大盃を持て出御酒のお相手に成ませう。さあらバ某の役ハ是に仕り。残りの役者を相触申そうずる   同 藤渡 楽器〔〈海人〉〈天皷〉〈藤戸〉三番ニ望事ナリ〕 (「)管見((絃))の内をならハ何ぞ一役被仰付て被下いかし 「夫ハ近比忝なふ御座る。乍去一円ニ存せぬ事を俄に稽古致ても成まひが。何を仕らふずる。あゝ思ひ出して御座る 「竹を五六寸に切り吹物ハ何と申物にて候ぞ 「其ひちりきを仕らふずる。惣じて物の心安をバひちりき付と申候間。是を仕らふずる 「何とむつかしひ物ぢやと被仰るゝか。夫ならバ大きな木をくりぬき。両に革を引はつて。是程なきをもつて打物ハ何と申候ぞ 「是も成まいと被仰るゝか。然らハよしをいくつもあつめてかやうに致て吹候へハ。色々の音が出て近比面白き物ニて候が。何と申物にて候ぞ 「其のせうとやらを相勤申度候 「何と仰らるゝぞ。ひちりきにましてなをむつかしいと被仰るゝか 〔「是程な竹ニ穴をいくつもあけて。ふく物ハ何と申候ぞ〕 (「)何にても望と被仰るゝに付。存寄たるを申て御座れバ。夫ハ六ケ敷いの。いや成まいのと仰らるゝに仍テ。私も申懸つて近比めいわく仕て御座る。何がよふ御座らふぞ。いや思ひ出して御座る。爰にならふ役が御座る。管見過て御座らば。定て御酒が出ませう。其時分に罷出大盃を以て。御酒の相手に成ませう   八拾一 現在七面 蛙 〔 アトハワキニ付テ初ニ出座付テ居ル シテ中入過テ次第ニテ狂言ノシテ出ル〕 シテ狂言「法のみなそこあたゝかに。??。住家も清キ心かな。是ハ此山の麓に住者にてさむらふ。今日も御法談に参らふと存ル。そろり??参らふ。誠に此身延山ハ。霊鷲山にもおとらぬ御やまなれば。日連((蓮))上人移らせ給ひ。毎日法花経どくじゆ有り。有難御法談なさるゝ間。老若男女袖をつらねくひすをついで。あゆミをはこふ者数かぎりなく候。いや参程に御堂に着て御座る。いかに案内申候 アト「いや聞たやうな声じや。いつも参ル尼じやと見へた。扨々寄((奇))特な。あの年寄て山下から。毎日参ルハ心真な心指て御座ル。なふ??扨々毎日よふそなたハか様に早々から参らせらるゝ。近比殊勝な心指て御ざる。何がな心よい事を咄て聞せましたい シテ「いや何も外の事ハをいて。唯法花経の利益をとひてきかさせられひ アト「〔中々〕夫こそ感用((肝要))でおりやれ。法花の有難事ハ。昔釈尊御法談(ゴセツホウ)の時。八歳の龍女へんじやう男子の姿となり。南方むくせかいへ成仏する。其外女人成仏の事。余の経にはあらず此妙経に有間。能々信心のなされい シテ「扨ハ女も男になり。其外いきとしいける者も。生を替へ仏果に至ル〔ハ〕。この法花経の徳にて御座るか アト「中々有情非情迄。残らず仏果に至ルハ。此法花経の徳でおりやる シテ「扨々有難や。さらバ我(ハガ)身の上をさんげ致さう。我(カヽル)ハ真の人間にあらず。仏果(ホトケ)になしてたび給へと。?いうかと見れば其姿〔打切テ〕云かと見れば其姿。早ク蛙とあらわれて。忽お経を拝すと見へしが。光を放ツテはちすのうへに。ひよつくり??ととひあがつて。青き仏のあをはの上に。青き仏の青葉の上に。はい廻りてこそうせにけり?   狂言 シテ出立 下ニ青きじゆはん かるさん 同ずきん  手袋 足袋 見徳面 上ニむしのしめきながし さけ帯 花のほうし 中啓 面あま    アト 出立 むしのしめ 水衣 狂言ばかま きや半にてくゝル こしをび がうしずきん 扇子   シテ 出立 下にじゆはん かるさん 青きずきんか黒かしらにても そばつぎ 上にのしめ わたぼうし 扇 つへつきて成トモカヤウニモ   三代目伝右衛門いしやう付ニ有り   八拾二 橘 (「)何と漢武帝に仕へ御申被成るゝ臣下。此所ニ大成橘の出来ル由君聞召れ。左様の様躰を御覧有テ。奏聞あれとの御事ニより。是迄御下向被成たれば。立花の有所。また橘の様躰を語申せと被仰るゝか 「其事ニて候。過ぬる秋頓テ此隣の薗に橘出来ルか。次第??に大きになりて。やうやくもたいなとにも見【す】ます程に成を。所の者共ふしんに存シ。色々柵をかき。枝をおらぬやうにしつらいそたて申所に。きどく成事にて候ぞ。当所の者共申けるハ夜なよな其木の本に。人声致高笑なと仕ル音の聞ゆる程に。いか成事ぞとふしんのなせば。有人申やう是ハ誠の橘にてハ有まし。只仙人などの住家にてあらふずる。夫をいかにと云に。唐土のじよなんに費長房と申人。有時市に出テ四方の気((景))色を詠((眺))メ給ふに。一人の翁菜を売ていらるゝに行逢。何とや覧其さま人ニ勝レたる人躰なれば。帰ルさを心に懸テ見ルに。市に一つの壺をおき住家と定メ給ふ間。寄((奇))特に思ひ酒をすゝめしたしみけれハ。彼翁頓テ〔◯((朱))壺中へ同道ス。費長坊〕壺中ニ入(イリ)躰を見るニ。三千世界も目の憐(アタリ)。日月も長ウして代合((齢))久敷躰なり。翁酒肴を出(イダシ)て酒をすゝむる間。日も暮方に成程に帰ルと思ひけれは。山中を鶴のはがひニ乗り。世界を自由自在ニかける。か様のためしもあれは(リトキケバ)。此橘も仙人の住家にて有ル覧との申事ニ候。又漢光武(クハウフ)の代に加章(シヤウ)公といつし者も。皆一人の名にして八万四千歳をふると云。唐朝(トウテウ)の初より呂洞賓(リヨトウビン)と名を替て。かうせい日(ニチ)に当(アタツ)呼バ参由申伝候。西王母とだに聞しかバ出て仕へし。其間ニハこのミを住家とさたむる由承る。其外竹林の七賢(ケン)商山四皓(シヤウサンシコウ)など。木実にやどをかるとハ皆いにしへより申せバ。真実の事をハ不存候が。唯今ハ如何様成御事ニよりお尋被成たるぞ 橘をおろしぜひにおよばず。持て参りて候帰るさに。何とやらん気色かわりゐきやう薫し候間。いつれも其分心得候へ??   出立 厚板 そばつぎ 袴 きや半 官人頭巾 こしおひ   八拾三 安宅 「御前ニ候 「畏テ候。やあ??皆々承り候へ。今度此所にをいて新関を立て。山伏達を堅ク撰申せとの御事なり。かまへて其分心へ候へ?? 〔ト云ふれてワキノとなりに下ニいるト判官弁慶ト其外大せい出ル 次第道行過テ〕 「扨も??急な御用被仰付た。さあ??おりやれ?? 「まいる?? 「なふ聞しますか 「何事ぞ 「いや珍敷事が出来ハ。此度安宅の湊に新関を立て。山臥達を堅クゑらむと聞たが。わごりよハ其沙汰をバ聞ぬか 「誠に風の吹様にきいたれども。わけをハしらぬ 「左右でおりやう((ママ))。是と云も頼朝義経御中不和にならせ故に。判官殿ハ山ふしの姿にて。奥へ御下向のよしを聞被召て。夫故に関をすへられたと見へておりやる 「誠に夫故でかなあらう〔ト云テ楽ヤヘ入ル〕    旅人 弐人出ル 出立 嶋の物 袴クヽリ かたきぬ こしおひ 内一人ハもきとうにて出ル 二人共にすけかさをきる 一人ハあふら紙にて状箱((?))ほと有物を包テ巻こなわにて竹にゆい付テかたけ出ル 〔右のあしらい常にハいらぬなり 京都なとにて勧進能の時分など出申候由〕 〔金春流ニ有 道行過テ皆座ニ居ルト強力?ヲ太鼓座ニ置テから其まゝ舞台へ出シテノ方向テ下ニイテ 「いかに申候。たゞ今旅人の申候ハ。安宅の湊ニ新関を立て(スへテ)。山伏ヲとをさぬ由申候ト云事モ有リ〕   八拾四 船弁慶〔前ハ常ノ通 中入立テ〕 「珍敷柄((から))ぬ事なれ共。世の中の定なきに付ても。人間万事塞翁(サイヲヽ)が馬と申が。実も成たとへかな。今度義経ハ頼朝の御代官として。野山(ヤサン)海岸(カイガン)をふしどゝして。鬼かミよりもをそろしかりし平家を亡ぼし給ひ。天下一統成事偏義経のわさなれバ。今判官殿こそ諸国のまつりごとを極メ思召まゝに成べきに。日月あきらかならんとすれバ風雲(フウン)是をおほふ。わうしやあきらかならんとすれバ。さんしん是をうつとふこの断((ことわり))誠にて候ぞ。頼朝ハゆいかいなき者のざんしん聞召入レられ。御兄弟の御中不和にならせ給ひ。是迄の御下向返す??も口惜き次第ニテ候。さりながらせつちうのせんなうついに空敷成ルと申せ。誕生(シツセウ)のあしたよりりんぢうの夕部((べ))まで。皆約束かと存れバ世をうらむるハひか事にて候。や。よしなひ独り事を申さふより。御見舞申さうと存ル   八拾五 同(船弁慶) 狂言ノ語 (「)此譲葉(ユズリハ)が嶽(ダケ)に祖父ト姥(ウバ)ト両人住ける所に。一人の息女を持ツ。折節あの武庫山(ブコヤマ)に寡男(ヤモメヲトコ)の有けるを。則婿(ムコ)に取ル故に其嶽を聟山ト云。後ニ是成峯を譲(ユズリ)たる故に。譲葉が嶽ト申候   八拾六 同(船弁慶) 脇方え語ヲ好事 「扨武蔵殿へ申度事の候 「一年せ(ヒトヽセ)平家(ヘイケ)追討(ツイバツ)トテ御下向の折柄((から))も。某かんどう仕り目出度御上落((洛))にて候へしが。我等の舟ハきつきやうのよき御舟にて候。就夫西国の御合戦の様。さま??に取沙汰致候。其場にて戦給ひたる武蔵殿の直の御物語を。此舟の参らふずる間。承度由舟子ども所望申候。御物語候へ   八拾七 同(船弁慶) 「又願ひか御座るハ。爰元で八嶋の合戦の子細。とり??に申せ共。定説ハしかとしれませぬ。武蔵殿こそ前後の事を御存知で御座ル程ニ。とてものぎに語テおきかせ被成て被下ひ 〔ワキ八嶋ノ語有〕 「扨々忝ないきで御座るハ。日比存寄多年願がはれまして。近比満足いたいて御座る。随分情((精))を出し申さふずる 〔ワキ下ニ居テ語ル 狂言も下ニ居る 此已前勧進能之時福王立テ語ル 大場故カ八嶌を語ル〕 〔春藤ノ家ニハ語二ツ有 一ノ谷ト又外ニ語〕 青黄赤白黒 〔西ハ赤シ 東ハ白シ 北ハ黄 南ハ青シ〕 〔北ハきに南ハあをく東しろ北((ママ))くれないに染色山〕 (舞台図あり。シテ柱付近に「ムコ山」、目付柱付近に「ユツリハガタキ」) 「殊の外の嵐にて候間。武蔵殿ハ三塔一のお客僧なれバ。舟中の御祈念被成れうずる 「舟玉を上よとあらハみきの事なり 「船哥とあらバ。それハかこの者の事にて候。我等ハ君の御忍び成故。自身乗ツテ御座る 〔舟頭ハしらぬ也〕 〔舟哥の事 宝暦八年九月四日田安御殿御能ノ時〈舟弁慶〉観世太夫ワキ今ノ進藤久右衛門間ハ今三之丞ト云権之丞ト改又仁右衛門と相改候 仁右衛門に間被仰付候 ワキ方へハ語狂言方へハ舟哥を御所望有 親仁右衛門代祖父仁右衛門代ニも相勤不申候由四代程もなき由前ニも矢田次郎助年寄隠居して綸休ト申候 哥覚居申候由舟哥の事を岡田七衛門ト申者へ咄候由 七右衛門ハ次郎介か弟子ノ由 進藤久右衛門家ニ舟哥のせりふ無之由ニテ御断ニ付此度も哥ハ無之候 進藤家ニ語御座候由にて一の谷を語候由九月四日ハ御延引ニテ同廿五日ニ有之候 岡田七右衛門ハ後ニ仁右衛門弟子ニ成ル 今ノ七右衛門か親也〕  八拾八 同(船弁慶) 替 名所 「案内とハ誰にて渡り候ぞ。や武蔵殿の御下向ニて候よ。扨只今ハ何の為にて候ぞ 「安き間の御事こう??御通り候へ 「さらば奥の間へ通シ御申あらふずるにて候 「畏て候 「珍敷からねど世の詞に。我にさこふを以てテキとし。しんをあわするを以テたとひてきたりとも味方とする。紙一し成共へだつ内ニ油断ハならず。道しれるこそ禅知識(ゼンチシキ)なれと上々の御沙汰を聞ば。大国に韓信(カンシン)と云者有。其詞にこうてうつきてりやうきうかくる。こうとしゝてそう(リヤウク)くにらる 此心を答へば。高き所に有鳥をいころしてハ弓ももちいず。兎(ウサキ)をとらへて以後ハ名有犬をもころす。てきの有時こそつわ物((者))も用ひらるれ。代おさまつたれば韓信(カンシン)ハうたかわれころさる。今義経の御身ニ同シ。知者(チシヤ)の詞を聞に水は方円の器(ウツワ)に随ふ。人ハ善悪の友による尤成り。寄々申〔ザン〕そうなれば頓テ御兄弟の御中たがわる。義経の御事ハ頼朝の御代官として。風波に御身をまかせ。けんなんなるがんせきをもいとわず。やさんをふしどゝなされ。鬼かミよりもこわかりける平家を亡ぼし。天下一統成ル上ハ。義経こそ諸国のまつり事をも極メ。御兄弟月日のごとく御座あらんとこそ思ふに。日月あきらかならんとすれば風雲(フウウン)是をおわふ。わうしやきよか覧とすれバざんしん頓而うつとう。人間万事塞翁(サイヲヽ)が馬定なきかと思へバ。雪中のせんなら((う?))終ニハ墓無ク成と聞バ。誕生(シツゼウ)のあしたよりりんじうの夕部((べ))迄ふじやうにあらず。しらぬは衆生。我等躰の愚知無知(グチムチ)のひか事にて候。やよしなひ独(ヒト)り事故。御前へ延引いたひた。先お見廻申さうずる こう参候 「畏て候。唯今ハ静(シツカ)の舞の御座有つる由。其折節ハ小用有テ罷出残多存ル。され共君ニ名残を惜ミ給ふ事承り。感涙(カンルイ)ヲ流シ浮世の有様を推量(スイリヨウ)致すに。たとひ男子の身にて度々に其名を世上ニしられ。鬼かミほどの兵なり共。主君世ニ有程御馬の先へ立てはてうずると云者も。あわひよければ引ハ常の習。女性の身として今の時節。いつく迄も御供と有ハきどく共詞に及ず。遍正(ヘンセウ)男子などゝ申も。か様の事ニて御座有ふずると存ル。其上てんらんじゆんくわんとして。行としてかへらずと云事なしとかや申せバ。御運を開かれんハ眼前(モクセン)にて候 「畏テ候。御心静に被召候へ。此間ハ少シ宛あをつて御座ルが。今日ハ一段のにハで御座ル 「石わりに高浪くゝりと申て数多舟を持て候へとも。此舟をば月丸と付テ御座る。子細ハ月海上ニ浮ンデ波ニもまるゝといへ共。出てより定りて入度様ニ入。何(ナニヽ)にあたりてもそこぬる事なく。しづまずうかづなりよくして乗よき舟ニて候。殊ニ木取りの時分より釘かすがひをじやうぶに打せ。梢子(フナコ)にハてたれを数多乗せ。柁人(カンドリ)に我等の参ル上ハ。山へ成共あげ申さうずるにて候 「中々見えつゞく名所ハ。弓手に住吉めてハ西の宮芦(アシ)屋の里。生田(イクタ)の森(モリ)和田のミさき。須磨(スマ)明石(アカシ)あれに見ゆるこそ。津の国むこ山淡路(アワジ)のせとゑしまが磯。遠山ハ播摩の国諸社((書写))が嶽。其こなたに見ゆるハ高砂にて候。あの山を武庫山(フコヤマ)と云事ハ。あの嶽に住ム人。聟をとり引出物ニ出シ為((たる))とて武庫山と申ス。又舅が嶽をも後に渡したる故ニ。譲葉が嶽と云習シ。何もあの辺ニ悪雲が御座れバ骨が折レまらするが。けふハ扨思ひの外青天で御座る。武蔵殿へ少と申上たゐ事が御座るよ 「いや別の義でハ御座らぬか。御代をひらかれんハ只今の様におもわれまする間。其折柄((から))ハ是より四国西国から南蛮迄。海上の義身共独りに被仰付かしと存ル 「扨々忝なふ御座ル。去共か様のじせつハゑて御合点被成るゝ物なれ共。人に寄てかわらせらるゝがうるそふ御座る迄 「夫ハ弥々過分に〔爰ニてきもをつぶしそらをみる〕是ハいかな事。長物語致す中ニ武庫山の峯にしれぬ雲が出たよ。少成共思ひ所があれば嵐か致すが。さればこそありや?? ??さがれ。??。いかに梢子網手をさけて引。帆(ホ)中をやぶつて風を落し候へ。はあふこせ??。いや??成間敷ぞ。此程の時雨にセミもとのつまらん間。せミぎハにのぼり帆綱ヲ切テ落し候へ 「爰な人ハのらるゝ時からにんそうがわるかつたと思へば。むさとしたる事をお申しやる。武蔵殿と柁人にまかせ置。そなたハよふたらばうしおゝのふで。あかまへいてゝ寝ておりやれや 「是ハいかな事。終にあわざる事共ニて候間。皆々御立願あれかしと存ル。殊更舟中((?))のへにハ天照太御神をいわひ。其外三拾万神をまつり。綱も是皆神々の心を引。柁人かんなぎいかでかをとらん。ともにハ逆鉾竜田の明神。御心強ク思召れ候へ 〔太皷打ト目付ル所ハはしかゝり又ハして柱より三尺程さきを見べし 何もひつかりとしたを見る〕 (図あり。「〇大物の浦」を起点として、その右横に「にしの宮」「ひようこ」「わだ」「すま」「あかし」、「西」に「たかさご」「はりま」、「南」に「ゑしま」「あわち」「すミよし」、「大物の浦」の左側に「東」、下の「北」に「むこ山」とある。)   八拾九 橋弁慶 〔シテ中入スルト其侭ヲモ間(「)あゝたすけてくれい ト云テわめきなから出ル ツレツイテ出ル 跡より詞をかけル (ツレ「)やれまづまて (ヲモ「)あゝたすけて被下ひ (ツレ「)やれそこなもの 先まて?? 是ハ何事じや ト云 ヲモ間ふたいへ出ルと下ニいてもよし 又立テ居テもよし〕 (ツレ)「是ハいかな事誰ぢやと思ふたれバ〔名ヲ云テ〕気を付いやい (ヲモ)「あゝ誰じや (ツレ)「身共ぢや 何としたぞ (ヲモ)「あゝ〔名ヲ云テ〕そちか (ツレ)「中々 (ヲモ)「扨々あぶなひめにをふたが。わごりよハどれへおりやるぞ (ツレ)「某ハ去ル方へ行が。わめく声がするに仍テ。見ればそちじや程に。気を付うと思ふて是迄付いてきたが。何としたぞ (ヲモ)「扨ハ様子をしらぬか (ツレ)「いゝやしらぬ (ヲモ)「夫ならバ咄テ聞せう 聞しませ (ツレ)「心得た〔ト云トヲモ常ノ語ヲ云テ〕(ヲモ「)ぜひ共参らうずると有ル。其橋へ出テ人を切ル〔ト云テ常ノ通り〕 よし??沙那王殿ニてもあれ。またハ化生の者ニても候へ。か様のしれぬ者を唯おかんも口をしければ。今宵弁慶よりも先へ行。彼いたづら者を退治し。天下ニをいてほまれをとらふず。とかくせうぜきを見とけうと思ふて。五条の橋近クへゐたれバ。何とやら胴がふるうに仍テ。是ハ成まひ先帰らふと思ふ所ニ。何が水のたる様な小太刀をひらめかひてくる程に。是ハ成まひと思ふて。よふ??是迄逃テきたが。よい所テそなたにおふて。此様な嬉しひ事ハなひ ツレ「扨々そなたハ臆病な人ぢや。どこにか慥に見届もせいで。逃ルと云事が有物か ヲモ「いやも中々見届ける所へハゆかぬ。せめて両人ゐたらばよからうが。某一人でハ中々ならぬ ツレ「夫ならバ今度ハ両人いて。跡先からかゝつて。打殺してのきやう程におりやれ ヲモ「いやもわごりよばかりゆかしませ。身共ハ行まひ ツレ「夫ハひきやうと云物じや。身共がゆく程に気遣をさしますな。先へおりやれ ヲモ「いやゆるして呉ひ ツレ「何と云ても是悲((非))ともつれねバならぬ ヲモ「あゝ是ハ迷惑な事じや ツレ「なんのめいわくと云事が有物か。某が行程に気遣をさしますな ヲモ「是ハ五条の橋近クそうなハ。暮ひに仍テ見ゑぬ。そろ??と行う ツレ「夫がよからう ヲモ「かまゐて油断をさしますな ツレ「心得た 〔ヲモ間こわ??行てい〕 ヲモ「あゝきミがわるひぞ ツレ「やあ??じやあ ヲモ「何とおしやるぞ ツレ「いやかのしれ者が。討テくると云は ヲモ「夫ハ誠か ツレ「真ぢや ヲモ「是ハいかな事。もはやならぬぞ  ツレ「いや某ハ先へ行ぞ ヲモ「はて扨そなたハむこひ人ぢや。身共を是まてつれてきた事じや程に。一所に帰らう ツレ「いや??そなたにかもうてゐてハならぬ。先へ行ぞ ヲモ「ぜひ共一所に行ねばならぬ〔ト云テ取つく〕ツレ「わこりよハ夫にいよ〔ツキタヲシ〕 ヲモ「扨々どうよくな者じや。身共を是において何とするぞ。一所につれてゐて呉ひ。やいそこな者やひ。どこへ行ぞ。先待テ呉ひ〔ト云テツレヲ追懸テ楽ヤヘ入〕    出立二人とも常ノ通   九拾 夜討曽我  大藤内 ヲモ「あゝかなしや。あゝ?? アト「〔のふ是ハ何としたぞ??〕やいこれや何としたやい?? ヲモ「〔のふたすけてくれい。あゝかなしや〕あゝ?? アト「〔是々。まづきをはつたともたしませ〇((朱))〕やい先気をはつたともていやい〔〇((朱))〕 ヲモ「あゝ今少ときが付いた。してわごりよハ何として爰へハ来たぞ アト「いや身共ハそなたがあわたゝしうさけんで是へ出ルに仍テ。何事じやと思ふて身共ハ是迄付いてきた ヲモ「うゝ夫ならバ様子をしるまひ アト「中々身共ハ何事じやも((朱)ようすを)しらぬ程に。先きをしづめて子細があらば語テきかさしませひ ヲモ「誰も跡から追懸てハこぬか アト「いや??誰も跡からハこぬ ヲモ「しやあ アト「中々 ヲモ「夫で先おちついた。扨も??夥敷い事が有ルぞ(ハ) アト「なんとした事ぢや(ぞ) ヲモ「様子(しさい)をとつくりとはないて聞せう アト「中々急ではなさしませ ヲモ「先曽我の十郎祐成五郎時宗。親(チヽ)の河津の三郎祐重を。伊豆の国赤沢山に於テ。工藤祐経が念なふ討し程に。其妻子ハ他へ有付し故。河津が二人の子を曽我の十郎五郎と名付ク。此両人ハ親のかたきを討ント思ひ。野に伏山に臥ねらへ共(らうところに)。祐経は果報いミしく座すにより。仮初の御通りにもあまたの郎等を召連らるゝ故。討事もならず年月を送りしが。此度富士野々御狩を能幸と思ひ。随分心を付た(け)れ共よひ透間もなふて空敷帰り。今やねらふを祐経は夢にも存せられひで。某といかにも心よふ酒宴をなし(され)。遊女を集メ帯釼をとき前後もしらず休れた。身共も何が殊外酒にハ酔ひ(さけにハことのほかよい)。跡先の覚別なふねいつていたれバ。大方夜半の比でも有ふか。彼兄弟のやつが忍びこふての アト「是ハしてさてなんとしたぞ ヲモ「そこで兄弟の者が云事ハいかに祐経。大事の敵を持ながらか様にふかくぬる物か。おきよ??と。あゆミの板をどう??と踏ならいた。祐経もさすがの人なれば。心得たと詞を合せ。枕許ニ置た刀を追取テ。おきあがらふとせられた所を。なふ??かなしやなふ アト「なんとした ヲモ「早切付をつた アト「扨も??気毒な事ぢや ヲモ「されば其事ぢや。祐経〔殿〕も常々そなたのおしりやる通り。身共ハ心易ふに被成た所(ヨツ)て身共に内々おしやるハ。その方のしつた通り某ハ敵を持た。わごりよハつつとたのもしひ人ぢや程にこふ云う。自然彼兄弟の者がふミこんで狼藉をするならば。其方(ハこりよ)よいやうにはたらいて呉ひ。此事が気懸な程に。頼と呉々おしやつた所(ヨツ)で。何が某も爰ハ見すてられハせまいと思ふて。身共も刀を取ツテかゝらふとしたれバ。兄弟の者ハ水のたるやうな刀をぬいて。真黒になつて切てかゝる。何が某もぜひニ及ばず取て返し逃た アト「扨々夫ハあぶないめにおふたなふ ヲモ「いやそこで身共もわるふはにげなんだ 詞を掛た アト「なんと云てかけたぞ ヲモ「今夜の夜討の輩ハ曽我兄弟の者共なり(じや)。其証拠人ハ此大藤内とよばわつたれば。兄弟の者共がいふやうハ。たゞのかばにがさんと思ひしに。きやつおもきれとて稲妻の如ク追懸おつた。身共も最早成まひ。早切らるゝか最切るゝかと思ふて。先是迄やう??逃て来たれバそなたに逢ふた アト「扨も??夫ハ肝のつぶるゝ事じや。してそなたの手に持ハ何ぢや ヲモ「是ハいかな事(かたなじや)。なふ??うろたへた事でハないか。刀をもつたと思ふたれバ。〔此((朱))ひとへ切のもんくの次ニおひをしてやる事ヲ云 あとにかいて有り〕宵にふいたひとよきりじや アト「扨も??其方ハ夫程迄うろたゆると云事が有物か。してどこもけがハせぬか ヲモ「いやうしろがどう(なにと)やらいたむやうな 何共ないか見て呉さしませ アト「どれ??。是ハいかな事 ヲモ「なんとしたぞ アト「したゝかな疵が有ハ ヲモ「なんぢや疵が有ル アト「中々 ヲモ「夫ハ誠か アト「誠ぢや ヲモ「あゝ悲しやの。夫ならバおれハ死のふかしらぬ。あゝ助て呉ひあゝ〔ト云テたをれるなり アト笑う〕 アト「なふ??偽ぢや 疵ハなひぞ ヲモ「疵がない 〔アト「おふさて〕(ヲモ)「南方そなたがだまいても。うしろが殊外いたひ アト「いやそなたがあまり臆病な人じやに仍テだまいた。なん共ないぞ ヲモ「はて扨(ハこりよ)夫ならバそうと最前〔にいわいで。をゝきもを〇((朱))〕から云てハ呉いで大肝を。○((朱))つぶいた上に又肝をつぶいた。なんともなゐの アト「中々〔立のきまくの方ヲミテ〕やあ??そこでさわぐハ何事じや。なんぢや兄弟の者共が是へ切テ出ル 夫ハ誠か。是ハいかな事 ヲモ「なふ??なんと云ぞ?? アト「いや両人の者共が。只今是へ切テ出ルと云ハ ヲモ「なんじや兄弟の者が又是へ切テくる。あゝかなしや。身共をつれてのひて呉ゐ アト「いやそなたにかまふていてハ身共がならぬ。某ハ先へのくぞ ヲモ「あゝかなしや先まて。某をおひてどこへのくぞ。ひとつにつれてゐて呉ひ。あゝかなしやなふ。??。これやすてころしにするハ。あゝ?? ??   ヲモ 大藤内出立 下着箔の物 かるさん あついたニてもはくニても 打かけにしてちやせんがミ手ニさげおびを引すりて尺八持出ル 但し黒風折のゑぼしも持出ル事も有り 尺八トモひとへ切トモ云也   アト 嶋の物 狂言上下 こしおび 〔ひ((朱))とへ切のもんくの次におびをしてやる此通りヲ云 ヲモ「のふ??うろたへた事でハないか。かたなを持たと思ふたれバ。よいにふいた一重切じや アト「扨も??やくたいもないていじや。先おびをさしませ ヲモ「それがしハきもがつぶれて手がかなわぬ。そなたおびをしてくれさしませ アト「心得た。此やうにとりみだすと云事が有物か ヲモ「いやとるま((ママ))のもとりあへず。きもがつぶれたによつて此ていじや 〔ト云テおひをアトにしてもらい〕 アト「さりながらどこもけがハさせられぬか ヲモ「いやうしろが何とやらいたむやうなが見てくれさしませ アト「どれ??。是ハいかな事 ヲモ「なんとしたした((ママ))ぞ アト「したゝかなきずが有ルハ〕   九拾一 同(夜討曽我) ヲモ「備中の吉備津宮の大藤内と云者じやが。吉備津宮訴訟の事が有テ。祐経殿を頼ふたによつて。今夜其追従(ツイセウ)に祐経殿へいて。遊君を集メ酒盛をして。正躰もなふねていた所に。内々そなたしうもおしりやらふず。祐経ハ曽我兄弟の者共のかたきじやに仍テ。何としてやら今夜忍入て。念なふ祐経を打た所テ。某もふつと目かさめて。先やるまいぞと詞を懸たれバ。何が彼大剛の五郎十郎が。両人して切テかゝるに仍テ。刀を追取テ是迄にけてきた アト「夫ハ仕合ぢや。是ハやくたいもなひ躰ぢや ヲモ「取物も取あへず肝がつぶれたに仍。此躰ぢや アト「先おびをさしませ ヲモ「某ハ肝かつぶれて手か叶わぬ。そなた帯をして呉さしませ〔アトおひをしてやる内に〕某もたゞハにけぬ。後の証拠にもならふと思ふて。今夜の夜討ハ曽我兄弟じやとよばわつたよ アト「夫ハでかさしました ヲモ「そなたを頼む程に。某をつれてのひて呉さしませ アト「いや??わごりよの様な人の。かとうどをしたと人が聞てもいかゝな。罷成ぬ ヲモ「某をつれてのひて呉たらば。ひさうの刀なれど是をやらうぞ   九拾二 同(夜討曽我) 〔 享保拾二丁未二月廿五日 西丸ニテ嶋村長兵衛勤候〕 アト「やるまいぞ?? ヲモ「あゝかなしや アト「やれやるまひぞ?? ヲモ「なふかなしや助け呉ひ アト「やれらうぜき者討留ひ ヲモ「あゝ命をバ助て呉ひ。かなしや??〔ト云テ舞台へ出テたをれる アト見テワキへのき〕アト「是ハいかな事。誰ぢやと思ふたれば王藤内ぢや。やい気を付い王藤内。??。〔ト云テキヲ付ル〕 ヲモ「あゝ?? アト「是ハきやうがつた顔つきぢや。某をはつたりともていやい〔目ヲ明テミて大臣柱へにくる〕ヲモ「あゝ助て被下ひ。なふをそろしや?? アト「是王藤内うろたゆるな アト「身共ちやハやい〔ヲモうろたへテ〕ヲモ「命ハたすけて被下い アト「やれ爰な者。身共じやが。そちに気を付に是迄付てきたハやい ヲモ「誰ぢや アト「某ぢや〔名ヲ云テ〕ヲモ「そちか アト「中々〔ヲモほふといきついて〕ヲモ「そなたにおふて気がつゐた ヲモ「誰も跡からおつかけてハこぬか アト「いや??誰も跡からハこぬよ ヲモ「じやあ アト「中々 ヲモ「それで先をちついたが。わごりよハ爰へハ何としてきたぞ アド「いやそなたがなきさけんで出ルに仍テ。何事ぢやと思ふて是迄ついてきたよ ヲモ「なんと助経殿ハ御息災なか アト「もはや討れたとやら討れぬとやら云よ ヲモ「最早討れた アト「中々 ヲモ「あゝにが??しい事ぢや 是ハ又何事がはじまつたぞ アト「いや身共ハ何事かもしらぬ。定てわこりよがしつていよう程に。子細が有らバ語てきかさしませ ヲモ「扨ハわごりよハ此度の様子をしらぬか アト「いゝやしらぬ程ニ。先気をしづめて子細を語しませ ヲモ「夫ならバ語テきかせう〔夫ならハ様子をとくとはないてきかせう〕アト「はやうはなさしませ ヲモ「扨も??したゝかな事がはじまつた アト「夫ハどうした事ぢや ヲモ「先曽我の十郎祐成五郎時宗。親の河津の三郎祐重を。伊豆の国赤沢山におひて。工藤介経が念なふ討し程に。其妻子ハ他へ有付しゆへ。河津が弐人の子を曽我の十郎五郎と名付ク。此両人ハ親の敵を討んと忍ひ。野に伏山にふしねらへ共。介経ハ果報いミ敷クましますにより。仮染の御通りにも数多の郎等を召連らるゝ故。討事もならず年月を送りしが。此度富士の御狩をよき幸と思ひ。随分心を付たれ共よいすき間ものふて空敷帰り。今夜助経をねらうを夢にもしられいで。又某もそなたも知ル如く。吉備津宮の訴訟の事有り助経殿を頼ふだに仍テ。今夜ハ其ついしやうに介経殿へいて。いかにも心よふ酒宴をなし。遊女を集めさいつおさへつ酒盛して。正躰もなふねてゐた所に。大形夜半の比ても有ふか彼兄弟のやつが忍こふでの アト「是ハなんとしたそ ヲモ「そこて兄弟の者が云ハいかに助経。大事の敵を持ながらやうふかくぬるものか。おきよ??〔足ひやうしふミ〕と。あゆミの板を踏ならいた。助経もさすがの人なれば。心得たと詞をあわせ。枕元に置た刀を追取ツテ。おきあからふとせられた所を。なふ??かなしやなふ〔ト云テ鳴((泣))〕 アト「なんとしたぞ ヲモ「早切付おつた アト「やれ??それはにか??敷い事じや 「扨兄弟の者が水のたる様な太刀をぬいて〔ト云テ太刀をぬくまねして尺八を見付て〕是ハなんじや アト「尺八ぢやハ ヲモ「尺八。あゝ思ひ出した。宵にふいた尺八じや。なにが太刀をするりとぬいて。やつ?? ??と云て。あゝ助経殿をみぢんにしをつた〔鳴〕 アト「扨も??気毒な事じや ヲモ「されハ其事じや。助経も常々そなたのおしりやる通り。身共ハ心安ウせられたに仍テ。内々おしやるハ。其方のしつた通り某ハ敵を持た。わごりよハつつとたのもしい人じや程にこういう。しぜん彼両人(キヤウタイ)の者が踏こんでらうぜきをするならバ。其方よい様にはたらいて呉ひ。此事が気にかゝる程に。頼と呉々おしやつたに仍テ。何が某も爰ハ見すてられハせまいと思ふて。身共も刀を取てかゝらふとしたれば。兄弟の者ハまつ黒になつて切てかゝるに依て。某も是悲((非))に不及取テ返し落た アト「扨も??夫ハきものつぶるゝ事ぢや。是ハやくたいもない躰じや 先帯をさしませ ヲモ「もはや是でよいハ アト「よいと云事が有物か。身共がしてやらう ヲモ「夫ならバ某ハきもがつぶれて手が叶ハぬ。そなたおびをして呉さしませ アト「心得た〔ト云テおびしてヤル〕 ヲモ「いやそこで身共もわるうハにげなんだ 詞を掛たアト「なんと云てかけたぞ ヲモ「今夜の夜討の輩ハ曽我兄弟の者共なり。そのしやうこにんハ王藤内よとよはわつたれバ。兄弟の者共が云様ハ。たゞのかばにかさんに((ママ))思ひしに。きやつをもきれとて稲妻のごとく追懸をつた。身共も最早成まい早切るゝかもふ切るゝかと思ふて。是まで〔やう??〕にけて来れハそなたにおふた アト「夫ハあぶなひ目におふたがどこもけがハせぬか ヲモ「いやうしろがどふやらいたむやうなが。なんともないか見て呉さしませ アト「どれ??見てやらうぞ〔ト云テせなかを見て〕是ハいかな事 ヲモ「なんと有ぞ アト「したゝかなきずが有ハ ヲモ「なんじやきづが有ル アト「中々 ヲモ「それハ誠か アト「誠じや ヲモ「あゝかなしや〔ト云テたをれる アト笑テ〕アト「なふ??いつわりぢや きつハないぞ ヲモ「なんぼそなたがだましても。うしろが殊外いたゐ アト「心((真))実きづハないが。あまりそなたがおくひやうちやに仍テだまいた。きすハないぞ ヲモ「きずハない アト「中々 ヲモ「それならバそうと最前から云て呉もせいで。大きもをつふいた上に又きもをつふいた。扨わごりよを頼程に。某を国へ成とも。又そなたの宿へ(まで)成共つれていて呉ひ〔ト云内ニアトまくの方ミて〕アト「やあ??それでさわぐハ何事ぢや 何と五郎十郎か是へ切てくる 夫ハ誠か。是ハいかな事 ヲモ「なふ??何ンと云ぞ。?? アト「いや両人の者が。王藤内をうちもらしたと有テ。是え打てくると云ハ ヲモ「なんぢや兄弟の者が又是へ切テくる アト「中々 ヲモ「夫ハ誠か アト「誠じや ヲモ「あゝかなしや身共をつれてのいて呉ひ アト「いやそなたにかとうどしてハ身共までめいわくぢや。それかしハ先へのくぞ ヲモ「あゝかなしや先まで((ママ))〔ト云テアトへトリツク〕 アト「わごりよにかもふてゐてハ身共迄がめいわくじや。そちハ是に居よ〔ト云テつきこかして楽ヤへ入〕ヲモ「某をおいてどこへ行ぞ。ひとつにつれてゐて呉ひやい。あゝかなしや。ひとり是に捨て置か。たすけて呉ひ かなしや??〔ト云テ楽ヤヘ入ル〕   ヲモ 間 はくの物 かるさん 上ニはくにてもあつ板ニてもうちかけにして 手ニ尺八トさけおひ持黒風折を持テ出ル事も有り ちやせんかミ    アト 嶋の物 狂言上下 こしおひ   九拾三 同(夜討曽我) 〔 宝暦六子年壬十一月廿三日永井信濃守殿狂言尽ニテ当伝右衛門此間ヲ相勤候〕 (アド)「先気を付い (ヲモ)「誰ぢや (アド)「誰とハ身共ぢや。先きを付さしませ (ヲモ)「あゝ某ハこわいめにおふたハ (アド)「して何としたぞ (ヲモ)「何としたとハそなたハ殊外おちついてゐるが。なぜに其様におちついてゐさしますぞ (アド)「身共ハそなたがさわくに依テ。何事かと思ふてついてでたが。して是ハ何とした事ぞ (ヲモ)「さてハしんじつしらぬか〔シカ??常ノ通り〕 (ヲモ)「先伊藤入道祐近に。工藤〔助経が先祖の本地ヲ是より常の間也 今ハせいじんしてそがの十郎すけなり〕五郎時宗とて。大こうの者と聞た (アド)「してそれが何とした (ヲモ)「されば其事ぢや。内々助経殿のおしやるハ。かの両人の者が某をねらふと聞たに仍て。何とぞいわば其方を頼とおしやつた。身共も長袖でこそ御座れ。それがしも吉備津宮の神主といわるゝ程のものぢやに仍テ。左様之事も御座らバまつさきかけて。一命をもすつるがてんぢやなどゝ。内々情〔ヲ〕付てをいた。それについてわごりよもしる通り。かの二宮のざうゑいの事について。はる??と下り助経殿の御かげを以テ。そせうも大かた相叶ひ。二三日の内きこくいたすはづじや (アド)「身共もそうきいた。して?? (ヲモ)「時に助経殿ゑ云ハ。私も追付きこく致に仍テ。御いとまごひかた??ゆうくんなどをよびあつめ。いざさかもりを致さうと申たれバ。こそよからふとおしやつた (アド)「ふうそうであらふ (ヲモ)「扨夫よりけわいざか。何のかのと云テゆうくんの呼よせ。さいつさゝれつうたつゝもふつして。もはや夜がふくるに仍テ。助経殿もねやゑいらせらるゝ。某も帯ひもをといてよねんもなふねていたれば。何とやら助経殿のねやがさわぐに仍テ。よぎの袖からだまつて見てゐたれバ。あれが五郎十郎でかな有ふ。みやまぎのやうな男が二人して。介つね殿をひつはさミ。なふ??かなしや (アド)「何としたぞ (ヲモ)「介経殿の首をづでいどうどうちをとした (アド)「扨々夫ハしたゝかな事をしたな (ヲモ)「某も誰にかおとらんと思ひ。枕許に有た太刀をおつとつて。すらりとぬいて見たれバ。此尺八て有た (アド)「扨々わごりよハどんな人ぢや。日比口を聞程もない。して何とした。 (ヲモ)「そこで身共もぜひにおよばぬに仍テ。今夜の夜討ハ曽我兄弟ぢやほどに。皆々出テ討とれと云たれバ。五郎十郎がいやおのれハにくいやつのと云て。打てくるに仍テ。是ハ成まいとおもふて物とした (アド)「何とした (ヲモ)「爰まてにげてきた (アド)「はて扨わごりよハ。夫おりこうそふに何のかのと云。先わごりよの躰は何とした事ぢや。帯でもさしませ (ヲモ)「手がふるうてならぬ程に。わごりよおびをしてくれさしませ 〔常ノ通〕 (ヲモ)「なふ某ハ何とやら。せなかがいたいやうなが見て呉さしませ (アド)「どれ??。是ハしたゝかに切れた (ヲモ)「あゝかなしや。あゝいたい?? (アド)「やあ??何と云ぞ。五郎十郎が討てくる。やい爰な者。兄弟の者が討テくると云程に。はやうおきい。身共はにぐるぞ (ヲモ)「やい??某をすてゝをいてどれへ行。身共をもつれていてくれい。あゝかなしや。みどもをバすてころしにするか。たすけてくれ??   九拾四 烏帽子折 ヲモ「扨も??閙敷事かな ツヽけ??閙敷や?? 早うつゝけ??〔ト云テ舞台へ出テ(ヲモ「)わこりよ達ハ今きたか 何をうつかとしていさします〕 〔ツレ「いや何事かハしらね共そなたがつゞけ??と云たニ仍テ是迄出たハ ヲモ「扨ハ今度の様子をしらぬか ツレ「大方ハ聞たれ共然とハしらぬ ヲモ「わこりよもしらぬか 又ツレ「いゝやしらぬ ヲモ「夫ならハとくと咄テ聞せう先下ニいさしませ 二人「心得た〕 ヲモ「都三条ニ金売吉次信高と云商売人の有しが ツレ「是ハ聞及ふた者じや ヲモ「毎年五畿内の宝物を買集メ。高荷を作り奥へ下ルを。頼申長半((範))ハ此由聞召シ。彼高荷をとらふずるとて。吉次が京都を出ル時より目付を付ケ。当国赤坂の宿ニまんまと付こふたが。なんと目出たい事でハないか ツレ二人「誠に是ハ目出度事じや ヲモ「就夫て我等にけんミに参れと有ルが。何と重重の事でハないか ツレ「実と大方ハきいたれども。委ハしらなんだが。是ハ一段の事じや ヲモ「さあらバ随((時))分もよい ゐざ打立 ツレ「先一はい呑ふでゆこふでハないか ヲモ「いや??賢((検))見の役なれバ。むさと酒ニよふてハならぬ。一刻も早う参らふ 又ツレ「いかにもよからふ ヲモ「いや目出とう仕もふて呑ふ程ニ。こちへおりやれ ツレ「心得た ヲモ「いや此度何ぞ仕合をしたならバ。わごりよ達へも配分をせうぞ ツレ「中々身共等へも配分さしませ ヲモ「其段ハきずかいをさしますな。よい様ニ分テやらう程ニ。随分はたらかしませ 又ツレ「心得た ヲモ「くる程ニはや是ぢや ツレ「誠ニ是じや ヲモ「是ハ合点が行ぬ。かぎがかけずに有ルハ 二人「いかさまふしきじや ヲモ「先またしませ 〔ト云テくゞりを明ル躰 (ヲモ「)ぐわら?? と云テ内へ入中のていを見る (ヲモ「)くらうて内の様子がしれぬ ト云テ橋がゝりニテツレへ云 (ヲモ「)此やうな時の為じや たい松ヲとぼせ 三人共ニ板付の方へ向テ腰ニさいたるたい松を手ニ持又ツレより段々ひとりつゝ行なり 初のたい松ハ牛若ヲ見付テ落ス 其時にぐる 二のたい松ハ牛若の足の方へなける 其時ふミけす 三のたい松ハ牛若のむねの方へそつとなげる 牛若請取テぶたいの真中へなげる 夫を狂言取に行と牛若太刀ニてきると(ヲモ「)あいた?? ト云テふたいにたおれている ツレ二人共ニきもをつふしぶたいの方へさかしニゆく たがいにぶたいの板の上を手ニてさかし??行 或ハツレ二人してたかいにとらへテ (「)いや是ハ身共じや (「)わこりよか (「)中々 (「)どこにいるぞ (「)くらうてしれぬ なとゝ云テさかし??行 当りて詞をかけてきを付テからかたに引かけかくやへはいル〕 〔たい松をとほすと太夫の子方大臣柱ニ立テ太刀をぬいてふりあげているがあいづなり〕   九拾五 烏帽子折 〔〈現在熊坂〉トハ違ひ有〕 ヲモ「か様ニ罷出為((たる))者ハ。美濃の国青野が原の他((あたり))ニ徘?して。人の物を取テ世を渡ル者ニテ候。先都三条に金売吉次信高とて。無隠商売人の有が。毎歳五畿内の宝物を買集メ。高荷を作り奥へ下ルあきんどの有を。渠(カレ)儂が都を出ル時より目付ヲ仕テ。則今夜たるいの宿ニ泊りシ間。彼高荷を取うするとの御事ニ付。先我等ごときの小盗人共に参。あらこなしを致せ。追付長半((範))殿を初と。何も統領衆の御出あらうずるとの御事じやが。なにとて皆ハおそいぞ〔ト云テ橋懸リノ方ヲ見ル也 ツレ二人はしつて出ル〕 ツレ「さあ??。早うおりやれ。??。又ツレ「心得た ヲモ「わごりよ立((達))ハ今きたか ツレ「中々早かつた ヲモ「早かつたとハ油断な。先いそがしませ 二人「心得た ヲモ「なふ皆も手?((柄))をして。褒美(ホウビ)を取ル様にさしませ ツレ「心得た。油断をする事でハなひ ヲモ「はや是ぢや。先此垣をやぶらう 二人「よからう〔ヲモ盗人のこきりニテきるてい 但し扇ニテもよし〕ヲモ「づか??。めり??。〔ト云テかきをやふる 二人ハ橋懸の内ニいるなり〕先やぶつた。扨大戸を何としてやふらう。どうづきをかきやうか ツレ「夫ハいらぬ物じや。てこをかうてこぢはなせ 又ツレ「よからう ヲモ「わごりよもかゝれ ツレ「心得た〔ト云テ扇ヲてこにしてツレ二人こじはなし〕ヲモ「ぐわら。??。まんまとやぶつた。某ハ内の躰を見う 二人「よからう〔ヲモ内ノテイミル〕 ヲモ「なふ殊の外くらふて物のあいろが見へぬ。今の物をだせ 二人「心得た〔三人共に橋かゝりニテこしに指たるたい松を三人共にとほし〕ヲモ「身共がはいるぞ〔たい松をふつてはいる 牛若見付たい松両手ニテなける 牛若切落ス〕是ハいかな事〔ト云テ橋懸へにけてくる〕 二人「なんとしたぞ ヲモ「いや何者やらたひ松を切テおといた ツレ「やあ??切ておといた ヲモ「中々 ツレ「わごりよゆけ 又ツレ「先そちゆけ ヲモ「油断のするな ツレ「心得た〔ト云テシテ柱先へ出左手をあけて牛若の方へ行 尤ほうて行 ふミけす〕あゝかなしや〔ト云テにくる〕二人「なんとしたぞ ツレ「いや身のたい松をふみけした ヲモ「扨々ゆだんのならぬ事ぢや。今度ハわごりよゆけ 又ツレ「身共ハならぬぞ〔ト云テにぐルヲトメテ〕 ヲモ「どこへおくびやうな。にくると云事が有物か。ゆかしませ〔ト云テ二人してつき出ス こわそうにして出目付柱を見付て刀に手ヲカクル仕舞も有り 扨後ニ牛若を見付たい松を牛若の左りの手の方へなくるも有り 又たい松をふつてはいりすぐニ牛若を見付なぐるも有也 扨牛若なけ返す時ニたい松ヲ取ニ行所をきる〕 ヲモ「日比臆病者じやニ仍テ。心元なひ ツレ「なんとしそんじハせぬかしらぬ〔ト云内ニきられてよろ??として橋かゝりの方へクル〕ヲモ「今の音ハ合点がゆかぬ音じや〔ト云テそろ??シテ柱のきわへ出よろ??としてくるを見付テ〕ヲモ「なんとした。是はいかな事切れたハ 又ツレ「やあ??切れた ヲモ「夥敷い事じや 又ツレ「あいた?? ヲモ「いや是ハしたゝかな事じや。此分ニしてハ成まひ わごりよ肩へ懸ゐ。身共ハ小六殿へいて此由をいわう。先おもてじや。只つれて早うのけ??〔ト云テはいる〕 〔きられてだまつて。切戸口よりはいるも有。残りの盗人。(「)今の音ハ合点がゆかぬおとじや。身共らの分でハ成まい 只のこう。一段とよからう。たゞのけ?? ト云も有なり〕   九拾六 同(烏帽子折) ヲモ「か様に罷出為((たる))者ハ。美濃の国青野が原の他((あた))りを徘?して。人の物を取テ世を渡ル者ニテ候〔ツレ二人せきばらいヲスル 常の通りあいさつ〕〔語初ノ通り〕則今夜たるひの宿ニとまりし間。彼高荷をとらうずるとて。最前小六殿けんミに参られしが。是非共取うずるとの御事ニ付。我等ごときの小盗人共に参あらこなしを致せ。追付長半((範))殿を初メ。何も統領(トウレウ)衆の御出有うずるとの事じやが。何と目出度事でハないか ツレ「実と大方ニハ聞置れ共。委ハしらなんだが。一段の思ひ立じや よからう ヲモ「さらバ時分ハよひぞ いざうつたて 二人「心得た ヲモ「こちへおりやれ 〔扨一辺廻りのこきりニテ切やぶるてい どうつきをかけしのびて大戸ヲ明ルてい 「扨まんまとしのびこミ(「)内が暮((暗))い と云テたいまつをふつて内へ入り牛若を見付手ニ持たるたい松を牛若ニなけかくる 牛若切テ落ス 又二ノたい松ヲ取テなくる 今度ハ牛若なげ返す 扨三のたい松を又なくる 牛若ふミけして頓テ切ル也 きらるゝ者ハ又ツレなり〕 又ツレ「あいたやなふ?? ヲモ「なんときられたか 又ツレ「おふしたたかに切られた ヲモ「是ハいかな事。夥敷事哉。いや此分ならば中々成まひ程に。某ハ小六殿へいて此由をゐわふ。先是ハおも手じや。たゞつれてのけ?? ツレ「一段とよからう〔ト云テ惣皆寄て〈唐相撲〉のごとくつれて楽やへ何もはいる あとにハヲモ盗人一人残り〕 ヲモ「某ハ先小六殿へいて此由をいわふ〔ト云テ橋懸りへ行テ云〕いかに小六殿の御座候か〔小六出テシカ??〕あれへはいつて見テ御座れば。内ニハ拾六七なわつはが御座るが。さながら蝶鳥のごとく飛かけりまする。中々只者とハ見へませぬ〔小六又シカ?? (小六「)たい松のうらでハいかに〕 ヲモ「一のたい松をハ切テ落し。二の松明をなげ返す。三の続松(タイマツ)をバふミけしまして御座る。則手負(ヲイ)も御座る。某などの分ニてハ中々成間敷候〔小六シカ??有テたい松のきつきようの事ヲ云 (小六「)其たい松ハきつきようがわるい程ニ長半と談合せう と云〕 ヲモ「一段で御座る。我等ハ成ますまひ。とかく長半殿の御出なくハ成まらすまひ程に。急で御相談被成れい。のふおそろしや??〔ト云テ楽ヤへはいる〕 〔前ニ〈連歌盗人〉〈子盗人〉などあらハどうづきかけてよし 左様の事なくハ切やぶり忍こむてい斗どうづきハ無用〕   九拾七 黒塚 〔〈安達原〉替〕 「いや誠に昔より人の口ずさミに。さしあたる言の葉斗思へたゞ。帰らぬ昔しらぬ行末と申か是て御座ル。今宵の様成なさけの深ひハ有間敷と存ル。先あれへ罷出申さうずる。何と先達ハ御草臥被成て御座ルか 「某も随分草臥テ御座る。何が今朝早々より道をさいたれバ。初て此陸奥の安達原とやらんに行かゝり。俄ニ日ハ暮る。何国に人家の有をも存ぜひで。とほうもなふ致た処に。火のあかりをしるべに宿をとらふと被仰たれば。こそ御宿参らせうと有てかされた時の嬉しさハ。なふ某の一世の内にハ覚まらせなんだ。扨是成ルハ如何様な物そと御尋被成たれハ。あれハ我等ごときのいとなむわさじやと被申たを。さらば夜もすがらいとなふておみしやれと被仰たれば。心よう色々のたわむれ事を云。糸なふて御目ニかけ。其上夜さむニ成たれば。上の山に上りたきゞを取。火にたきあて申さうずると有を。女人の身にて殊に夜陰に無用と御留被成たれば。いつも通ひなれた道てくるしうないと申て。被参た心中などゝ有事ハ。おそらく女人にハためしすくなひ義で御座る。某も余りの事に。如何様是ハ人間のわさでハ御座有まひ。是と申も先達の行力のたつし給ひたる故ニ。牛王善神か或ハ一言主の御神の仮りに主と現じ。か様に御馳走被成るゝかと有て御座ルか。乍去爰に少と不思義((議))な事が御座る。夫程奥底もなひなさけの深ひ主が。我等ごときの者におしやれば断て御座ルが。何が先達程の御人ニ行者か立帰りテ。構へてわらハがねやの内ばし御らうじられなと。急度ことわられたハ不審ニハ御座なく候か 「で御座ル。余り不思義な事て御座る程に。何をかくひて被置たぞ。参て見て参らう 「いやこなたこそ御契約被成たれ。身共ハ約束仕らぬ程に。只某のそこつに参たふりで見て参らう 「あゝ 〔爰ニテねいル仕舞有 口伝 大方三段也〕 (「)なふ嬉しや。扨々きうくつな事哉。いやあの先達ハ殊外行力もきく。又心指などもよひなとゝ皆おほミやるげに御座ルが。去なからいなくせが御座る事にハ。何ぞ是をかう致さうと申ことを。おゝよからうと云て一度ても被仰た事がなひ。又某も心のゑひてハなひ子細にハ。たそ是をかう申て呉ひと云て頼事ハいや成〔り〕。又人のなしそと云事ハしたし。是も見てこひなどゝあらば。草臥たに何事なと存て腹がたとうが。なミそ??と云テひた留ニおとミやるニ仍テ。見たうてこらへられてこそ。急デ見うと存る〔ト云テ作物ヲのそいて見てきもをつぶしわきへのき手を打又おそろしさうなるていにてのぞく〕是ハいかな事。是をバ申さゞ成まひ〔ト云テつか??とあるいてワキのそはへいテ両手ニテぶたいをたゝき〕ほねゝ?? ときんゝ?? 「いや主のねやの内をな見そとハ被仰置れ共。余り見たさに見て御座れバ。人の手足をふつつ??とくひちらかし。殊ニ又山伏の。ときんをかぶりながらいくつも御座る 「急で御らふじられひ。先某ハ先へ御宿の才覚ニ参らう。   九拾八 同(黒塚) 「扨も??今夜ハ思ひもよらぬ能所に宿をかりた事哉。先あれへ罷出申さうずる。何と先達ハ御草臥にて候か 「畏て候。扨〔何〕と被思召候ぞ。今宵の主の様成情深ひ人ハ御座有間敷と存ル。夫をいかにと申に。先達も我等も今度初テ。此陸奥安達原とやらんへ参りかゝり。日を暮シ宿をとらふと存ルにも他((あたり))に人家ハなし。是ハ何と致さうと存テ十((途))方にくれて御座ル。折節こなたの火の光りを見付させられ。夫をしるべに宿をからふと被仰たれハ。内よりこそお宿参らせうと有テ。妻戸を明((開))テ入られた時の嬉しさハ。なふこなたにハ何と御座つたぞ。私などハ終に覚へぬ程の事で御座る。余りの嬉しさに某は偏に先達の行力のたつせさせられた故ニ。牛王山神役の行者の主と成て。お宿を被成たかと存て御座る 「いかにも左様で御座る。いや申て??けつかうな心入の主で御座るが。爰ニ一ツ合点のゆかぬ事か御座る。あれ程残ル所もなひ情ふかひ主が。彼の山へゆかるゝ時。常の人にさへいわれまい事て御座ルに。殊に先達程のお人にむかつて。山へ行人が取ツテ返シわらハか帰らん迄此ねやの内ばし御らうせられなと。急度ことわられた所ハ。最前の心入とハ相違致た。不思義((議))な事で御座ルが。してこなたにハ何と被思召れ候ぞ 「扨ハこなたにも左様に被思召まするか 「夫ならば余り不思義な事て御座ル程に。何をかくいて置れたぞ。某ハ急で見て参りませう 「尤で御座ルが。乍去こなたこそ見まいとお約束被成て御座れ。某は約束ハ仕らぬ。こなたにハ御存シなふて。私がそこつに(デ)参ツた様に致て。ちよとのそひて参らう 「あゝくるしうない事で御座ル 「あゝどこへも参りませぬ 「ひざをなをしまする 「いや申。扨も??おそろしひ夢を見て御座る。何者やらすさまじい者が参つテ。引立テ行々とこう見て御座ルが。心ならず立て御座ル。火があつてまぼうてねられてこそ 〔ねルテ 口伝〕 なふ??嬉しや。いか程苦労をした。いやゐとしなげに先達ハ能お人で御座ルが。乍去人と云物ニハ。何ぞひとくせめいよが有物で御座ル。今迄如何程の事をも是をこう致さうかと。某の申程の事をよからふと一度いわれた事が御座らぬ。又某もいな事て御座る。人のよからうと云事ハいや成。無用じやと云て留らるゝ程の事ハ。何に不寄仕たひ迄。それじやに依テ此ねやの内をも。不思義な事じやそち見てこひといわりやうならば。草臥たにむりな事をいわるゝと思ふて腹がたとうが。なミそ??とおとみやるに依テ。見とうてこらゑられてこそ。どうでも此様な事ハ御座なひに依テ。見ぬ内ニハむねがはれぬぞ〔ト云テ作物ヲ見て〕なふのふおそろしひ事哉。急で此由申さう。ほね?? 「最前主の閨(ねや)の内をな見そとハ被仰て御座れ共。余り見たさにちよつとのぞいて御座れば。なふ人のしこつはつこつハのきとひとしくつミ置て御座る。其上なま??とした人のもゝやかひなを。ふつつ??とくひ切ツテ置。又ときんきた者のこゝが。二つ三つころ??とこけて御座ル。急で御覧せられひ。なふをそろしや??   九拾九 同(黒塚) 「扨も??何程の宿をも取たが。今宵の主程心のやさしひ人ハ御座らぬ。いやあれへ罷出うずる。何と先達ハ御草臥ニテ候か 「扨々只今独事((言))に申如ク。今宵の様な心の優しい主バ((ママ))御座ルまい。誠ニ先達を初我等毎((如))キの者迄も。陸奥の安達原とや覧に(は)今日初テ参り。俄ニ日ハ暮ル。何と致て能からふと存た所に。火のあかりをしるへに宿を借ふと被仰たれば。こそ参らせうと云テ借れた時の嬉しさハ。某の一世の内ニハ覚ませぬ 「尤で御座る。殊ニ色々のたわむれ等を申され。其上殊の外夜さむに候程に。上の山へ上り薪を取。火に焼(タイ)テあて申さうずると有を。夜陰に女人の御無用と御留あれば。いやゐつも通ひなれたる道なれば。くるしからぬと有て参られた心中ハ。去りとてハためし少ひ事て御座ルが。何と思召れ候ぞ 「左様で御座る。某ハ余りの不思義((議))さに。是ハ先達の行力たつし給ひ為((たる))故ニ。牛王善神一言主の御神〔の〕仮りニ主と現じ箇様ニ御馳走被成るゝかと存て御座ルか。就夫不思義な事が御座ル。不要(イヤ)夫程奥底もなふ。頼母敷ひ心の優(ヤサ)しひ主の。我等ごときの者に申さるれば理て御座ルが。何が先達程の人々に行人が立帰つテ。構テわらハがねやの内ばし御らうじられなと。急度ことわられたハ不思義ニ御座ル 「扨は先達も左様に思召バ。何を隠ひて置れたぞ参て見ませう 「いやこなたこそ見まひと御約束を被成たれ。某ハ約束ハ致さず。唯身共のそこつで参た様にそと見ませう 「あゝ。いやどちへも参ませぬ 「いやなにも致シませぬが。あゝ扨々おそろしひ夢をミて御座ル。何者共不知引立て参ルと存たれば。覚ず立たそうに御座る 「あゝ火があツテまぼうてねられぬ〔口伝有〕 あゝたすかりや。いやあの先達ハ行力も殊外よし。又心立も随分よいが。爰ニ一つわるひくせが御座る。何ぞ是をか様ニ致さふかと申を。おゝよからふと一度でもおしやつた事がなひ。又某も余り意地のよいでもない。何ぞ是をこうして呉ひと人の頼事ハいやなり。人の留ル事ハ致たひ。是もゐて見てこひ等とおしやつたらば。草臥たに六ヶ敷と思ふが。なミそ??と云テお止ミやるに依テ。無理ニ見とうてこらへられてこそ。なふうれしや急で見う。あゝかなしや。是ハしらぬ顔でハいられまひ。急で申さふか。日比某をばおくびやう者者((ママ))じやと被仰るゝ程に。とくと見届ずハ申されまひ。何共此度参ルハこわ物ぢやが 〔口伝〕 なふをそろしや。骨々 「いや主のねやの内をな見そとハ仰られ共。余りにふしぎさに見て御座れば。人の股(モヽ)や臑(カイナ)ヲふつ??と喰切テ御座り。殊ニ山伏の爰が。ときんをきながら幾等も御座る 「急で御らうしられひ。先某ハ御宿を才覚に参らう   百 車僧 「か様に罷出為((たる))は。太郎房の御内成ル溝越天狗にてす。某を何故かく申ぞなれば。洛中洛外の大溝小溝を越ル事。京童都の誰にても続者のなけれバ。我程身の軽き者ハ有間敷と自慢仕たる故に。太郎房の羽先ニてそ〔ツ〕となでられ。か様に溝越天狗とハ罷成た。就夫世にハ不思義((議))成事の有ぞ。爰に車僧とて貴き僧の座スが。牛も不引人も引ぬ車に乗りて。山河行来岸石共いわず。谷峯をも陸地の如ク飛行自在に飛翔ル人の候。さあるに仍テ我程貴き者ハ。三国にも有間敷と慢心の有を。太郎房疾(ニクシ)と思召。折節彼僧が今日嵯峨野々他((あたり))へ来を。頼申御方ハ嬉敷思われ。頓テ客僧の姿と成りて出合給ひ。いかに車僧と詞を懸ケ給へハ。佳((彼))者がねそ??と何事ぞうと答ル時。太郎房ハ一首の哥に。浮世をば何とか廻ル車僧。まだ輪の内に有とこそ見れとかく仰らるれば。車僧ハ即座に。浮世をばめぐらぬ物を車僧。のりもうるべきわがあらばこそとか様に申さるゝを。某などの推量にハ。彼僧の乗たる車の輪の事かと存たれバ。一向左様にハなくして。禅の話当(ハトウ)と申て〔〇((朱))〕父母未生本来面目の話の。いや生死一大事の話の。牛窓櫺(キウサウレイ)の輪のなどゝて〔◯次((朱))〕一千七 百則斗有事を。太郎房ハ未さんぜぬと云心にて仰られたれば。車僧ハ悉クさんじて有程に。のりもうるべき話があらばこそと被申た。又太郎房ハのりもうるべき話があらばこそと云ハたそとかく被仰たを。常の詞かと存たれば是もさわなくして〔〇((朱))〕たそ??と尋ル時ハ相もせて。たそにはなれてたそに社あへ〔◯次((朱))〕是も正うたその話の心にて有実候。ときに空道風涼しと。あの虚空を吹風ハ涼しいとな。我名のミ高尾の山に(ト)云立ル。ひとハ愛岩((宕))の峯に住な。扨ツテお僧の住家はいかに。一所不住。車ハいかに。火宅の出ツ車。廻れどめぐらず引もひかれぬ車僧じや。世の中はしやうじの引手峯の松。火打袋に鶯の声。か様にしれぬ事を半時も戦かわるゝに。問ツ答へツ請ツ流ひつ一字滞事のなければ。太郎房心に思召やうハ。いや??か様の貴き僧に聊爾に詞を過((?))てハいかゞと思召。立のき給わん詞の由のなくて。我住方ハ愛岩山。少太郎坊が安((庵))室へ御尋あれと云もあへず。其侭飛て御帰被成。我等の木末に何心もなく遊山してゐたれば。急であれへ参車僧をなぶつてみよと申さるゝ程に。取物も取あへず是え罷出た。扨ゑせ坊主ハどこ元に居らるゝぞ。参りて見申さうずる。や是にだまつておりやるよ。あゝ何れ六ヶ敷さうな顔でハ有ぞ。先詞をかけう いかに車僧。?? ??。〔後ヲつよく云〕いかな鹿の角を蜂がさいたやうに。我事共思わぬ顔じや。何と致さう。や思ひ出た。とかく某をきようがつた者じやと思わるゝと見へた。少も左様にてハ御ざない。夫ならば誓文で申。愛岩山太郎坊の御内に仕へ申溝越天狗成が。則頼うだお方の仰らるゝは。嵯峨野々他((あた))りに法躰の閻魔の。車に乗つて抹香くうておりやる程に。少参つて我山のお地蔵にあやかつて。機嫌のよひやうに慰メ申せとの御事なれば。是迄伺公致いた 必お気遣あらるゝなや。何とて左様にしゆせうらしひ顔を遊すぞ。唯今申通りなれば。何事成共御心不被置に仰付られひ。其上身共も今こそか様ニ古びて御座れ。古性((往))若時分ハ殊外人に恋しのばれた身なれば。今〔デ〕も心ハ昔に替らねば。何にても御用のあらば昼夜にかぎらず被仰付。随分物をきらひて承わらうずる。なふ車僧 おかしいか車僧。??。車僧の鼻の。大きな事は。中々天狗もならぬ。何と其様にくすんだりと。わらわずとも笑せう。嵯峨松茸に。どぜう入て。ふるまふたらバ。機嫌のわるい事ハ有まひ。うれしひか車僧。面白か車ぞう。車僧の鼻のさきを。?鼠がどひやう靭を急度付て。あなたへハちよろ??。こなたへハちよろ?? ?? ??。おかしいか車僧。車僧ときりやうのうつくしい児と。車僧と二人(フタリ)ねをさせたらば。機嫌のわるい事ハ有まい。おもしろひか車僧。嬉しいか車ぞう。こそぐらふ。くつ?? ??や。可咲(ヲカシイ)か車ぞう。くつ?? ??や。〔ト云テそばへよる〕 悪痛(ア イタ)ひ??。是ハいかな事。少も笑う気色ハなくして。却而爰元をしたゝかにちやうちやくせられた。某の分でまだうへ引いるゝ事ハ成まい程に。急で頼うだ人を喚出し申さうずる。いかに太郎坊。??   出立 常ノ〈車僧〉ノ間ノ通リ 〔おかしいか車僧。腹が立か車僧。鼻のさきを。鼠が子をおふて通ルハ。其あとを鼠も子孫彦((曾孫))をともなひ。ちよろ??やちよろ??。いざやどへかへらん。あなをちやつとめかけ。こそ?? ??〕   百一 龍虎 「是ハ大唐に住居仕ル者にて候。某唐人の中ニ取テも。他国の人に通しを致て世を渡り申が。就夫何国の人哉覧唯今着レタル由承り。取物も取あへずふと罷出た。南蛮か高麗か但琉球人にても有か。どの国の人ぞあれへ参見申さうする いや旁ハ此他((あたり))にてハ見馴不申候が。何国の人にて渡り候ぞ 「中々某ハ震旦の者成が。扨ハ旁ハ日本の人候か。拙者ハ爰許にて他国の人に通師((事))仕ル者成が。何にても売商(シヤウバイ)被成度と思召物候ハヽ我等に被仰付ひ。随分調テすいきよ申さうずる 「某ハ唐土の住人なれど。未四百余州を大方も見申さぬに。日本より遥々の波濤をしのき御出有さへ気毒な事と存ル所ニ。又是よりとてん被成んと有ハ。扨々大義な御心中を拙者敷((式))の少気成者ハおはつかしく御座候 「是ハ思ひもよらぬ事を承候物かな。我等も所に住者とハ申ながら。龍虎の戦と申事。昔より慥に有物の様ニ承及候え共。眼前に見申為((たる))事ハ無御座候。乍去旅の御慰の為。古人の咄されたるを爰かしこ語ツて聞せ申さうずる (「)先大唐の都より天竺迄の道ハ大方五萬里ニハ余り為由申せバ。人ハ高いもひきいも老少不定と聞ニ。殊に其年の時季(ジキ)の病(ヤマイ)出来可致もしらで。長旅に趣き路次にて逗留あらんもいかゞなり。又下良ハごゐん通しがたき。他国に独り捨置れんもなげかしき事と云。殊更日本より唐天竺ハ大国にて。数多の高山より出るしたゝり落集リ。大川小河しんゑん胡水数百あらんに。案内しらぬ渕瀬を越給わん事うかるへし。又見馴ぬおそろしき虎狼野干のたぐひ。道をさゑぎらんもはかりがたけれバ。近比御太義な思召立にて候。又龍虎の戦と申ハ。龍ハ常にいづくに有とハ知ね共。雨をふらせんと思ふ時ハ正しうかたちを顕シ。洪水忽降ル(フリクタル)。左有に仍テ以性((往))より上リ龍下り竜是也。又虎ハ千里が野辺をすミかとして。竹林の巌洞に身をうづくまつて隠れ住。然ル所に位をあらそわんと思ふ時。あの向ひの高山の上より黒雲みち??天光稲妻頻り成折ふし。あの竹林の巌洞より毛((猛))虎悪風を吹掛飛出れバ。金龍かたちを顕し角をとぎ。虎をまかんとうづまふを。もうこハ一口ニくわんと飛テかゝル。互ニ土をうこかし勢をあらそふ。昔より龍虎の戦と申伝へ候。最前より申如ク委ことハ存も致さず。先我等の承り為ハ如此ニ候が。扨何を思召龍虎の戦を御尋有為ハ不審ニ御座候 「是ハ寄((奇))特成事を被仰るゝ物かな。扨内々承及為龍虎の戦を。旁々に御目に懸可申と存シもうこ仮りに山賤と現し。声詞を替し為かと推量仕ル。是と申もお僧の御心中貴う座すニより。御法ニ預り畜類の苦をまぬかれ度思ひ。顕出為かと存ル間。さあらバ傍に御身を隠給ひ。彼戦を御覧あれかしと存ル 「左様に候ハヽ我等も片影よりそとのぞき申さうずる 「心得申候   出立  じゆばん かるさん 官人頭巾 髭懸ル 唐うちハ又ハ唐扇ニテモ 又ハ厚板 そばつぎ こしをひ 狂言はかま 脚伴((絆))ニてくゝル 唐扇子   百二 竹生嶋 (「)去程に当嶋と申奉ルハ。一夜の内に湧出仕ル。其比伊豆の国に行基菩薩ト云。貴き聖のおわしますが。其節ハ和州いこまがだけに住せられけるが。有夜ふしぎの夢のつげ有候バ。是より北に当つて福殿いでき給わん間。早ク行守護神に定メられよと有しにまかせ。此湖浦へ来り給ひ志賀の浦を見給ふに。霞の内に嶋一つ見ゆる。はれての後彼いてきし嶋に竹一本しやうずる。頓テ文字に作り竹せうずる嶋と書て竹生嶋と読せ。様々取おこない弁才天を守護神と定メたもふ。ちかいあらた成故嶋ふつきに栄へ。しんずるともがら迄も。寿命ぢやうをんにしてとぼしき事をしらず。惣じて我朝に嶋々おふしといへども。相州江の嶋弁才天安芸の厳嶋の天女。扨当嶋の弁才天三所とハ申ながら。おそらく当社の天女こそ。とりわけ霊神にて。国々在々よりも袖をつらねくひすをつぎ。参詣の旁々其数をしらず候。やよしなひ事を申さふより。罷出て観((勧))進の申さう   百三 同(竹生島) 霊宝 ◯宝蔵の御かぎで御ざる。此かぎに付てこそ神道の物語有と申ス ◯ふたまたの竹。是ハ当嶋ゆしゆつのミぎりせうじたる竹なればとて。当所を竹生嶋とハ申実候 ◯牛の玉で御座る。牛ハ大日如来と申が。我朝の始り如来のしんと云。まれ成御宝にて候 ◯是ハこまの角にて候。いにしへハこまにもつのの有たれ共。尺((釈))尊にうめつのをりから。法座につらなりそれよりおちたると申ス ◯是ハ天女の朝夕かんきんの被成たおじゆずで御座る。朝暮かんきんの折ふしハ。百八ぼんのふのねむりをすりてさまし給ひたると申が。誠にすれて御ざる ◯是ハ七なんがわきげで。扨々見事なけかな。むねを七まとひまとふたと聞に。いつわりも有そものふ御ざる。とつくりと御らふじられい。 ◯まからと申大りきがさしたる太刀で御座る。昔のつるぎ今のながたなと申が。誠になかたななりにて候。ふるきものハさきがまくるゝと申せ共。是ハさきまでがたしかにて候   百四 葛城 (「)是ハ葛城山の麓に住者にて候。今日ハ一段と長閑なれバ。山へあがり薪をとらはやと存ル。誠ニ我等ハ浮世を渡るいとなミの事なれバ。毎日山へ参上致に付。皆人の御存知より大山なれば。心中にハ殊外大義に御座候。荒不思義((議))や。是ハ俄に雪がふりたと見へた。宿に有時ハ雲がかゝりたるか。但又風の吹おろしかと存た。惣じて山ハ雪麓ハあられ。里ハ雨と申が今日ハ何の様子も無〔ク〕して。是ハのぼるにしたがつて次第に大雪ぢや。かやうに有ふずると宿にて存じたらバ。参上致まい物を。いや是成ル客僧達ハ。只今の雪にさゝへられて御逗留被成たるか。近比不思義に御座候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝものかな。我等ごときの朝夕通ひ馴たる者だにも。何ともしのぎがたくめいわく致程の大雪に。左様に何国共なく女人の罷出て。是迄御供致さうする者。此他((あた))りにてハ不覚候が。是ハうたこふ所もなき。葛城の明神にて御座有ふずると推量致ス。夫をいかにと申に。いにしへの役の行者の生国ハ。和州葛城山の麓ちハらの里の人成が。日月の胎内に入給ふと見て懐胎し。十月ト云に正学を出生するに。未幼なき時分よりまなひのまとにいりて。一字を二字と心得ならハざるに道をさとり。後にハ万巻ノ書をもそらんじ。一ど入唐有りくじやく明王のしゆつと相伝し。悪广((魔))を思ひのまゝにつかわせ給ふ故。日本ハかミ代の昔ハ皆山々がおいしげり。夫にまぐんが住ンで時ならぬ風雨(フウウ)の致し。洪水の出て田伯をあらし諸人めいわくに及ぶと。役の優婆塞(エンノウバソク)かのしゆつと持て大峯葛城へ分テ入。深山をさがしがんくつにておこなひ。悪广のたけき心をやわらげ。五日の風十日の雨ふり。五こくしやうじゆしこくどゆたかに成事も。偏に行者の法力の故と申。夫に就誠やらん承れバ。客僧達ハいつも大峯などへ入せらるゝにハ食事も常ならずして。虎狼野狐を友としておきふししのぎ。難行捨身の行を被成るゝ事。役の行者ハ痛敷思召廻り??て程遠けれバ末世迄も心安う致様にと。此大峯葛城の間に岩橋をかけうずると有つて。牛王善神一言主の御神へ仰わたさるれば、何も然ルべきよしりやうぜう被成るゝ。其中にも葛城の御神ハ女躰の姿にてをわしませバ。余所の見るめもはづかしと思召か。夜の内にかけうずると有ルを。又行者の給ふ様ハ。かやうの高山に大ばんじやくをかさねあげて。あるひハ岩をそばだて引なをしても置べきに。夜中にハ中々成間敷と有ツテ。彼方此方と被仰るゝ内に早夜ハほの??と明けれバ。終に岩橋成就致さぬ事を。行者ハ神をうらミ殊外御いかりも被成。孔雀明王のしゆつと御となへかんたんをくだき祈給へバ。忝も不動明王のさつくの縄にて。頓テ一言主の御神を御いましめ被成。明神を岩戸の内へおしこめ。くちにハしんぎやうのまなの印をむすひかけ給へバ。つたかづらとなつて岩戸にはへかゝり。御身にまとわり御くるしミ被成たると申。か様の事を客僧の御前にて語申ハいかゞなれなれども。去ながら我等ハ代々此葛城山のふもとを住家として。明暮参上仕候ニ付古き人の雑談を承れバ。先おなぐさミばかりの為に申上ル。若只今の物語ある事に付。世間ハ天気なれ共此お山にハ雪をふらし。御とめ被成かと存るか。いか様不思義に御座候。其上神にハごすいさんねつのくるしミをまぬかれうずると思召。麓ハ清((晴))天なれ共当山にハ雪をふらせ。この岩かげお御宿に参らせられたると存ル間。あまりにあらた成事なれバ。暫是に御逗留被成。三方かぢのおこないを被成。二度葛城の明神の誠の姿を御覧あれかしと存ル。「さあらバ某ハ是より御暇申候 「心得申候   百五 葛城 〔弱木((しもと))ノ事〕 (「)是ハ思ひもよらぬ事を仰らるゝ物哉。左様の御事我等躰の存ル事にてハ御ざなく候え共。常に皆の雑談の承ルに。此葛城山の雪の内に薪を取。ゆひあつめたる木々の木末をしもく((ママ))云。しもとゆいたるかづら成を此葛城山の名によせて。しもとゝ云是に仍テ古今集の哥とやらんに。しもとゆう葛城山にふる雪の。まなく時なくおもほゆるかなと。か様に御座有ル由承及て候。然ルに此大峯葛城山の御事ハ。役行者ハ何も客僧達の。難行捨身の行を被成るゝ事をいたわしくおぼしめし。大峯葛城山の間に岩橋をかけうずるとて 〔是より常の通り〕 〔語の留に◯(「)先おなぐさミはかりに申上候。先我等の存じたるハ如此ニ候〕 「是ハ寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。さやうに何国共なく女性の罷出。是迄御供可申者。此他((あた))りにてハ覚す候が。あつはれうたかいもなき。葛城の御神にて御座有うすると致推量。其上神にハ五すい三ねつのくるしミ有と申せバ。旁々の行力達し給ひたる事を神ハ能御存被成。有難御勤をも御聴聞有。五すいのくるしミをもまぬかれうすると思召。世間ハ清((晴))天なれ共当山にハ雪を降し。此大石の陰にお宿を参らせ為((たる))と存ル間。余りに不思義((議))成御事なれバ。今少是に御逗留有り。妙成御勤をも御行有。重て真の神姿を御拝ミ有れかしと存ル 「左有ハ我等ハ御暇申。支((私))宅へ罷帰ラウスル 〔◯弱木(シモト)薪ヲ云 ◯標枝(シモト)ヲ云〕   百六 七夕 〔和歌替〕 和歌「?手向の糸のとり??に。長きや星の。契りなるらん? 「?今宵七夕の。逢夜なりとて。うしやくの橋のしも白妙の。手向の衣の。かさね??。手向の衣を重なる中の。契りのすゑこそめでたけれ?   同 同(七夕) 〔織女 替〕 元(アウ)柳(リウ)女底(シヨテイ)(ヘキ)八宿ノ内也 宿星ノ乗リ物ハ元ハ龍 柳ハ信(クマ) 女ハ幅(カツフリ) 底ハ格(ハシキ) ハ 也 サカリハ?七夕の。??。けふのあふせをいはゝ(ハヽ)んとはやし物を仕り。数々の祝言をほし??と申さん。この??? 〔酒盛して色々有 小謡などうとふ〕 ヲモ「?今宵七夕逢夜なり。われらもいかで。ひとりねせんと。云ことわりも。元宿(アウシユク)なれや。姿も妙なる柳宿女宿(リウシユクシヨシユク)の。心も底(テイ)宿壁(ヘキ)宿をへだつる身をつくしつゝ。爰やかしこによばい星。こゝやかしこによはへども。終にすはるハあはさりけり?   ヲモ 間出立 厚板 そばつぎ 狂言袴きや半ニてクヽル 官人頭巾 こしをひ 扇子 面のぼりひげ   ツレ 二人 厚板 水衣 狂言袴きや半 こしおひ 官人ずきん 扇 面うそふき けんとく   百七 降魔 〔四群〕 ザウ「か様に罷出為((たる))者ハ。第六天の魔王の内にても。四群と申て隠なき魔王成り。唯今是へ出る事余の義にあらず。浄飯大王の御子悉達(シツダ)太子。拾九より佛法にもとづき。今ハはや天竺摩竭提国。寂滅(ジヤクメツ)道場(トウヂヤウ)菩提樹下(ボ ダイジユゲ )金剛座上にして。吉祥草を敷彼上にて釈尊。陳如(ジンニヨ)阿(ア)?(ビ)跋致十力(ハツチ ジウリキ)迦乗狗利(カ セウ ク リ )太子(タイシ)。是等(コレラ)の五比丘を左右に立。すでに三拾四信(シン)だんけつ成道を始給ふ。惣而欲界(ヨツカイ)の六天ハ悉ク魔王にて候所に。釈尊成道あらバ。魔王の眷属も(モミナ)釈尊の御弟子と成べし。左様にあらば魔王ハ。一人も有かなきかのやうにならずるとて。摩醯首羅(マ ケイシユラ )浄居天(シヤウゴテン)を始として。殊外肝をつぶし。何(イヅレ)共して此成道をさまたげ申べきとて。喜楽喜見(キ ラクキ ケン)偈躰女(カツタイニヨ)と申て。隠なき美人の有に化(バケ)テたぶらかしてみんとて。高座近ク参候へハ。はや釈尊御覧じつけられて。今目の前ゑ来ル者を見れバ。第六天の魔王成り。三人の美女となり我が成道を。さまたげに来りたるなと仰られたる程に。さらぬ躰にもてなし。釈尊太子にておわせし時の。耶輸陀羅夫人(ヤ シユタ ラ ブ ニン)の事を云出シ。同女の憂身(アイシン)なれバ供に哀(アハレ)を催(モヨウ)スなり。其成道を指置て王宮に帰給へと申けれバ。釈尊誠にさわりをなすべきと思ふならバ。忽チ美女の姿を鬼面となすべしとて。御声の下より忽鬼面と成しかバ。兎角の事もいわずして急帰ぬる間。さあらバ象(ザウ)馬(メ)牛羊(ギウヨウ)此四君((群))に罷出て。成道をさまたげよとの事にて。先某一人斗出て候が。釈尊ハいか様にして御座有ぞ。御姿をも能見申て障(サハリ)の様をたくまふと存ル。釈尊ハ是に御座候。あの躰ならばさまたげる事ハ思ひもよらず候。去ながら是迄参り。此分にて帰ル事もいかゞな。少なぶつてみたい 如何仕らふするぞ。いや??能々思案(シアン)をするに。某一人しては成まい程に。残ル三人の者共を呼出して談合致さうずる。やい??残ル馬(メ)も牛羊(ギウヨウ)も。三人ながら急で御出候へ 〔三人出ル シカ?? 談合 (「)こそくらう ト云〕 サウ「いや余のなぶりハ成間敷程に。釈尊の御前を彼方此方へ飛こへはねこへして。鼻のさきをもはぢく程に致てあらバ。こと六ヶ敷うおもわりやう程に。左様に致すまいか 馬「尤左様にしたらばよからう。いざくるわう サウ「高座近う行うとすれバ。足がもぢれて行れぬよ 牛「ちかふよれば。顔へおきをさしつくる様にあつい サウ「いや又行うとすれば。目がくらふなるぞ 羊「いや只今釈尊の召れたるを見て有ルか サウ「見た か様に大ゆひをさし給いたるハ。堅牢(ケンロウ)地神に御出あれとの御事にてあらうする 馬「又こう??御手をふられたるハ。虚空(コクウ)神に御出有ツテ。魔王を迷惑させ候へとの事かと思ふハいかに サウ「長居したらバ立事もいる事も成まいぞ。いざ何方へ成共急でにげう 〔シカ??〕 「あら??おそろしや??。足本ハよろ??とよろめけば。目もくらミ杖にすがり。行べき方ハしらね共。??。足にまかせてにげにけり 〔ハヨウニゲイ??〕   象出 立 厚板 そばつぎ 狂言袴 きや半 腰帯 末社ずきん 扇 見徳面   馬出 立 厚板 水衣 狂言袴 きや半 腰帯 末社頭巾 扇 面うそ   牛出立 同前 面見とく   羊出立 同前 面鼻引 皆々竹杖をつく   百八 山姥 〔四性の事〕 (「)しかとか様に承為((たる))が。さも有まいと仰らるればぜひも御座ない。又有人の語れしハ。惣じていづれもまよいの眼より見れバ。なき者も有と見ゆる。虎が石のらんはんなどゝ申て。まだら成石を。虎と見たりし事も有り。さとりてみれば。しやう有物も。一切なきとミる されバ。有りといわんとすればなし。又なきといわんとすれバ有り。有共なき共一説定がたし。法花経ニもらん性たいしやうしつしやう化生とて。色々の生物あれバ。山姥も化生のたくいとや申べき。又有説にハ。山姑ハもろこしにも有と見へて。さんことて。いき物有りと書たる物有。是山姑とよむ。又少の間に生して少の間に。見へざる物も有りといへハ我等こときの者ハ。勝手合点のゆかぬ事にて候。扨あれに御座候御方の御名字ハ何と申候 〔らんたいしつけとて四性有り◯らんしやうと云ハかいこのたくい◯たいしやうトハ五躰ニテうまるゝ物ヲ云◯しつしやうトハ水よりしやうする物ヲ云◯けしやうとハかたちなき物云〕 〔△こたまハかたちなくして音の有様ニ聞ゆる(キコヘ)谷ニテよべバ(ヨハわれハ)峯にひゞきミねニテうてハたにへもこたへ此心ヲ哥に◯山ひこのミねにことふるほとゝきす一こへなけは二こへそきく〕   百九 雲雀山 〔鷹野〕 セコ「ほふ鷹。??〔ト云テ先へ出ル 扨犬引出ル 夫よりたかしやう鷹をすへていつる〕 ヲモ「なふ何と思ふぞ。今日の御狩ハ一段の天気なれバ。さぞ御きげんであらうと思ふ事ぢや アト「おしやる通り。此様な天気が皆の者迄仕合でおりやる セコ「其通りじや ヲモ「ほうたか??〔ト云テ一返廻リテ鷹しやうシテ柱ニテたかをなける〕 ヲモ「はゝあとつたぞ?? アト「其通りじや〔ト云テいつれも立寄(「)とつた と云テたかをとりて〕ヲモ「先まるをくら((ママ))ふ アト「よからふ ヲモ「こちへおりやれ アト「心得た〔ト云テ皆々楽ヤへ入〕   出立 不残狂言上下袴くゝル こしおひ    犬引 笹のはかたげ出ル    ヲモハたかぜう    ◯ア トハいぬ引 右ニ打つゑひだりに白きねりぐりのひぼいぬをいわへ引たるてい    ◯ツ レセコ 長キ竹づゑをつく 又ハはつきの竹をかたけ出ル事も有り    ◯作物 はりぬきのたか   百拾 雲雀山 〔初ニ男出太夫ト問答有テ中入 扨次第ニテワキ出ル 名乗道行(「)?あづさのまゆミはるくれハ??霞む外山の桜かり。雨ハふりきぬおなしくハぬるとも花の。木陰にやとらん。扨又月ハよをのこす。雪にハあくる。かたのゝみ〔の〕きんやにつゝく天の川空にぞ鳫のこへハいる??? 「いかに誰か有 「御前ニ候 「汝ハあの草村ニわけ入鳥のおつを見て来り候へ 「畏テ候 ト云テ下ニイルト其まゝ出ル 是ハ春藤流宝生流也 高安流ハ此所にて「物数をセラレイト申付候へ ワキ連其由触テ下ニイルト間出ル也 中将様御好ニテ今ハ次第の時ワキノ供して出道行謡之内橋掛ニ待テ居ル〕 ヲモ「何もいさしますか 皆々「是に候 ヲモ「何とおもわしますぞ。今日ハ長閑なり。殊に御きげんがよふて目出たふハおりないか アト「いわします通りぢや ヲモ「云までハなけれ共。今日ハ物数をしてぎよかんにあづからうと思ふが。わごりよ達も其心得で有う ツレ「おふさて此度の事ぢや程に。物数をして御ほうびに預う アト「【お主】(そなた)達ハいわれぬ相談のせず共。鳥の一つもとめたらバよからうぞ ヲモ「尤じや。いざせこを入うぞ。其草村に鳥がおるそうな。其竹にてはらわしませ ツレ「心得た アト「されバこそたつたハ ツレ「ほう鳥??〔ト云テ一廻り舞台ヲマハル〕アト「ほうとり?? ツレ「ほう鳥?? 〔ト云テ一返廻り橋掛リへクツログ〕ヲモ「何((ママ))の鳥の落たを見たか アト「中々見た ヲモ「どこぢや アト「あの草村へおりた ヲモ「さらバ急で犬を入い アト「心得た。かげ??。かげ??。鳥についたぞ。かげ??。かげ??。さあかぎあてた ヲモ「ゆだんするな アト「心得た。ヲモ「かぎあてたか アト「中々 ヲモ「それならバたてい アト「たつるぞ 皆々「中々 アト「そりたつたハ ヲモ「あゝとつたぞ?? 皆々「やれ??まんまととりすまいた ヲモ「誠に此たかのやうないちもつハ有まい。ゐつでも取はずいた事がない アト「其通りぢや ヲモ「扨々うれしや。いざこちへ渡らしませ 皆々「心得た ヲモ「御目にかけてぎよかんに預う 皆々「その通りぢや   鷹匠 おも間 肩衣右のかたぬく 袴くゝりむちをこしにさしゆかけ左のてにする たかすゆる 小サ刀   犬引  肩衣 袴くゝり 竹つへ なわ付犬の心持なり 小サ刀   せこ  もぎとうはかまばかり こしおひ 竹つへをつく 小サ刀   昔ハ 笑竹とてはの有ル竹をつきたるよし 今ハ常の竹少長クして 〔(「)ほう鳥?? ト云テ出ル 次ニ犬引扨たかぜうたかをすへて出ル。ぶたいを一返まわる。たかを合せて。(「)あゝとつたぞ?? ト云テ楽屋へはいる。あとにてたかぜう。取テすへテ(「)まづまるをくまう と云テ引込なり〕 〔うづら。いげの小鳥にハ。丸をとるなし。とかく前の通りうづらたかのなり。丸と云事ハふつごうなり〕   百拾一 輪蔵 〔鉢扣さがりはニテ出ル〕 ツレ二三人「おさまれる。??。都の春の鉢たゝき。たゝきつれたる一ふしを。茶せんめせとはやさん。此ちやせんめせとはやさん アトヲモ「扨々皆達ハはやし物で出られたよな ツレ「其事で御座る。目出度折からなれバ。何方(ナンボウ)もにぎやかなるがけなりとて。皆々をかたらうてはやし物を云合て出ておりやるよ アトヲモ「それこそ目出度けれ。某も待兼た。いざさらバ参らう。まづハ何時参れども有難様躰でハないか ツレ「誠にいつ参れども。又参たいと思ふハ此社にて有う ヲモアト「荒有難や。いざまづ紅梅殿の御前にて。緩々と通夜を申さしませ ツレ「尤皆々も左様に存る。たゞふくべの神の御前にこもらしませ ヲモアト「あらふしぎや。御社の内がにぎやかな。先こちへよらしませ シテ「抑是ハ当社天神の末社。天下に隠もなき紅梅殿の神とハ我事なり ヲモアト「是へ御出有たるハ。いか様成御方にて候ぞ シテ「何と是へ出たるを。いか成者ぞとふしんをするか ヲモアト「中々の事 シテ「我ふくべの神といわれし故ニ。鉢扣共信じてあゆミをはこび。心さしやさしければ姿をおがません為に。是迄出て有ぞとよ ヲモアト「近比有難御事にて候。先是におこしをめされ候へ シテ「汝も忝ないとハ思わぬか ツレ「是程忝ない事ハ御座らぬ程に。先みきを上とう候が何と御座有ふずる シテ「それこそふくべの神が望なれ。急でみきをまいらせ候え。富貴栄花にさかへさせうぞ ツレ「是ハ有難御座る シテ「此上ハ汝もうたひまふてふくべの神をなぐさめ候へ。うつり舞にまわふずるぞ ヲモアト「いで??さらば謡舞ふて。紅梅殿をすゞしめん。かほど目出度影向に。あふこそわれらもうれしけれと。万の事もねがいのまゝに シテ「たのしミさかふる此御代の。枝をならさぬ松のかせ。ふくべの神ハ。是迄なりとて帰り給へバ。其時各々袖にすがり。へうたんしばしととゞまり給へと引とめければ。又たち帰り。猶行末を守らんと。??。我やしろへこそ入にけれ。   シテ  ふくへの神出立 はくの物 大口 唐織か又はくの物をつぼ折 こしおひ 末広 かつらはねもとゆい 大臣ゑほし前へ折テ 面おと   又ア トツレ也 茶せんうり三人出立 のしめ 狂言袴 こしおひ 十徳 扇 かミハ常の通り 竹の枝ニ茶せんを五六本ニゆい付ル かたけていづる   アト 出立 嶋の物 狂言袴 十徳 こしをひ 角頭巾 扇 ひやうたん持出ル   吉野静〔一番能の間〕 ヲモ「つわい?? アト「ぶう?? ?? ??〔常の通〕 ヲモ「何とて皆ハおそいぞ はや出らるゝ様におしやつたによつて両人共に参たが何をしておりやる事じや アト「さればがてんの行ぬ事じや わごりよに少と尋たい事が有 ヲモ「何事じや アト「いや別の事でハない頼朝義経御中ふわにならせ給ふ事をわごりよしつたらバ咄テ聞せい ヲモ「扨ハわごりよハ其様子をしらぬか アト「いやしかとハしらぬ ヲモ「夫ならバ咄テ聞せう きかしませ アト「心得た ヲモ「別の事でハない 渡辺にて景時が申さるゝハ舟にさかろと云物を立て駒のかけ引の様にたゝかいも致たらバよふ御座らふずると被申たれバ判官殿御申被成るゝハさかろを立てハ夫ハにぐる用意の事じや我等ハにくる用意ハ中々思ひも寄ぬと被仰るゝ 其時梶原申ハ夫ハいのしゝ武者とて人のきろう由被申けれバ其時判官殿ハ殊外御りつふく被成我等をちくるいにたとへたにくいやつじやけふよりしてハ我が前へ出ル事ハ叶まじきと御申あれバ梶原のちのなんをやおそれけん頓テ判官殿よりかまくらへ先ゑゆき義経を折々にざんそう申に依テ頼朝より打手を御登せ被成るゝ間都の御住居不叶して此所を頼御出有ルをしゆとの人々心替りしせんぎまち??なり 其相談がすまぬとみゑた アト「大方其様な事て有う ヲモ「夫につき判官殿の郎等に亀井片岡伊勢駿河ひたち坊海尊武蔵坊弁慶殊ニ忠信と云ものが有といふが併如何成大剛(だいこう)の者なりとも落武者となつてからハ日比の手からも成まいと思ふことじやよ アト「誠にわごりよが云通じや ヲモ「是ハ皆はおそい事じや アト「されば常の口とはちごふて【おそい事じや】(いつれもゆだんじやよ) ヲモ「定てかつちうをたいして出らるゝかしてをそい もはやじこくもうつるにさきに出られたい事でハないか アト「其通りじや ヲモ「やあらかた??ハ此吉野十八郷のおとなの衆会(シユヱン)の座敷へぬれわらんずでハあまりでをりやる〔是よりワキノことは常の通 狂言も同前なり〕