(間狂言台本) (「羅葛部」)        (目次) 一  田村 二  箙 三  忠度 四  敦盛 五  知章 六  頼政 七  碇潜 八  道盛 九  友絵 拾  八嶌 拾一 兼平 拾二 実盛 拾三 朝長 拾四 惟盛 拾五 東北 拾六 芭蕉 拾七 采女 拾八 江口 拾九 井筒 廿  定家 廿一 野々宮 廿二 夕顔 廿三 半蔀 廿四 浮船 廿五 玉葛 廿六 胡蝶 廿七 空蝉 廿八 落葉 廿九 陀羅尼 卅  三山 卅一 六浦 卅二 姨捨 卅三 仏原 卅四 藤 卅五  檜垣 卅六  朝顔 卅七  七面 卅八  求塚 卅九  誓願寺 四拾  三輪 四拾一 龍田 四拾二 当麻 四拾三 葛城 四拾四 女郎花 四拾五 錦木 四拾六 梅枝 四拾七 須磨源氏 四拾八 小塩 四拾九 雲林院 五拾  遊行柳   一 田村 「是ハ清水の門前に住者にて候。某当寺へ日参致が。今日ハ彼方此方隙を得ずして。今におそなわり申間。急参詣仕らばやと存ル。此程ハ世間(セケン)も一段と長閑なれば。大方地主(チシユ)の花も開候わん間。立越心を慰ばやと存る。いや是成お僧ハ。此他((あた))りにてハ見馴(ナレ)申さぬ御方成ルが。何国より何方への御通りなれば是にハ御座候ぞ 「中々門前の者にて候 「心得申候 〔ト云テ下ニイテ〕 扨お尋有度とハ如何やう成御用にて候ぞ 「是ハ思ひも寄ぬ事を仰らるゝ物哉。左様の御事しかとハ存ぜす候。去ながら始(ハシメ)たるお僧の。何と思召てやらんお尋有を。一円に存ぜぬと申もいかゞなれば。あら〳〵聞及たる通り御物語申さうする 「去程に当寺(トウシ)清水(セイスイ)寺と申ハ。大同(ダイドウ)弐年に坂の上の田村丸の御願(ゴガン)に。御草創(ゴ ソウソウ)有たる由承り及候。夫を如何にと申に。昔大和の国小嶋(コシマ)寺と云所に。玄信(ゲンシン)といへる僧の有しが。一段尊ク(タツトク)慈悲(ジヽシン)心深(フカ)き人成故。正身(セウシン)の観世音の拝(ヲガミ)度と思召す所に。有時不思義((議))の夢(ユメ)の告(ツケ)有りて。木津川(コツガハ)の水上(ミナカミ)に金色(コンジキ)の光差(ヒカリサス)を。御出有有((ママ))て御覧すれば老翁(ロウヲヽ)一人。忽然(コツゼン)として御入有を尋給へハ。我が名ハ行恵(キヨウエ)居士(コジ)と答(コタヘ)ましまして。汝沙門(シヤウモン)ハ暫此地に住。一人の旦那を待。大(ダイ)伽藍(カラン)を建立(コンリウ)有れとて。東(ヒンカシ)を差((指))て行かと見へて失給ふ(ウセタモウ)。されば其行恵(キヨウヘ)居士(コシ)と有ルハ観音の御事。一人の旦那とハ田村丸を指て御申有ル。夫をいかにと云に。其以後伊勢の鈴鹿山(スヽカヤマ)に鬼神籠(コモ)り。行来(ユキヽ)の人を取国土の脳(ナヤミ)と成ルに依て。頓て此由奏聞(ソウモン)申せば。忝も帝(ミカド)ハ聞し召れ。田村丸に退治(タイシ)有れとの勅使(チヨクシ)立を。此事安からず思召。其時観音への御立願(コリウカン)に。今度鈴鹿の(スヽカノ)鬼神の安く随へ(シタカヘ)為((た))ルにおひてハ。当寺(トウジ)に伽藍(ガラン)の建立なすべしと有に。あらたなる御告(ツケ)などのましまして。軍兵(グンヒヨウ)を催し(モヨウシ)懸り(カヽリ)給ふに。神力(シンリキ)仏力(フンリキ)にて鈴鹿の鬼神の随へ(シタカヘ)給ひ。此寺の大伽藍(ダイカラン)を大同(ダイトウ)二年に立終(タテヲハ)り。則(スナハチ)寺号(シゴウ)をハ清水寺(セイスイジ)と名付置(ヲキ)て。我が朝(チヨウ)に隠(カクレ)無(ナキ)霊地(レイチ)にて座ス(マシマス)。又阿堵(アレ)ニ見え為ハ田村堂とて。多((田))村丸の御影(ミエイ)をすへ置れたる御堂(ミドウ)にて候。当寺に置数多子細の有とハ申せど。先我等の存為ハ如此に候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく童子の来り。当寺の子細委語可者。此他にてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中たつとうましますにより。いにしへの田村丸権りに(カリニ)花守と現し。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。余りに不思義成御事なれば。今宵ハ本願に御逗留有。夜ど((ママ))ゝも花を詠(ナガメ)御経をも御読誦(ドクシユ)被成。重て寄((奇))特を御覧あれかしと存ル 「門前ニ宿を持たる者なれば。御逗留の間重て御見舞申さうする 「心得申候 〔「是ハ清水の門前に住者にて候。某此中当寺へ日参致すが。今日ハおそなわり申間。いそぎ参詣仕らうずる。此間ハ一段と世間も長閑にて。地主の花も今をさかりなれば。立越心をなぐさまばやと存ル 「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。左様にいづく共知す童子の来り。当寺の御来歴。又田村丸の子細なとをくわしく語り申へき者。こゝもとにてハ覚す候が。扨ハお僧の御心中貴により。いにしへの田村丸花盛((守))とげんじ。御詞をかわされたるかと存ル間。今夜ハこかげに御逗留有り。夜と共に花を御覧じ御経をも御どくじゆ被成。重てきどくを見給ひ。其後何方へも御通りあれかしと存ル 「何ニても御用の事あらハ承ハらふする〕   出立 狂言上下 嶋ノ物 こし帯 扇 〔(「)去程ニ当寺観音寺ト申ハ嵯峨天皇ノ御願所スミトモノゴゾウエイ坂上ノ田村丸仁((人))王五拾一代平城天皇ノ御宇大同二年ニ御草創有為由ヲ承ル 其子細ハ昔大和ノ国小嶋寺ト申所ニ玄信ト云ヘル 是ヨリ常ノ通リ (「)当寺ニ大伽藍ヲ建立スヘシトテ仏前ニ有時終夜シ玉((給))ヘハ不思義成夢ノ告ナド有テトチヤウノ内ヨリカブラ矢ニタンザクヲ付テ指出シ玉フト思ヘハ其マヽ夢サメタ 見レバ彼矢ニ短尺有 其哥ハ唯タノメシメジガ原ノサシモグサ我世ノ中ニ有ランカギリハ 其外新成御事トモアレハ悦テ下向成ルヽニ朽木ノ陰ヨリ女性一人出テ是コソ御身ノ母ヨ此ツルギニテ鬼神ノ安クしたがへ名ヲ後代ニ上玉ヘトツルキヲ渡シキヘテミヘズ 是モ千寿((手))ノ御権((?))被成ト思ヒ軍兵ヲモヨフシ懸リ玉フニ鬼神ノ太刀ハ雉子ト見ヘカノツルギハわしと見ユル カヽル神力仏力成故鈴鹿鬼神ノシタカヘ玉ヒ此寺ノ大伽藍ハ大同二年ニ立終り則寺号ヲハ清水寺ト名付置 我朝ニカクレナキ霊地ニテ座ス 又アレニ見ヘタルハ田村堂トテ田村丸ノ御影ヲ居置レタル御堂ニテ候 母公ヨリ玉リタルツルキハアレ成寺ニ納置わしの尾ノ寺ト申習ス 惣シテ当寺ノ子細又田村丸ノ謂数多子細ノ有トハ申セト委事ハ存も致ス 先我等ノ存為ハ如此ニ候    寛永廿年九月二日鷺仁右衛門弟子彦右衛門書物ニ有〕 〔清水寺建立ヨリ宝永三迄九百廿七年 延暦十四年将軍号同廿四年田村丸清水寺事始 〔五十一代平城天皇 大同二年供養〕 田村将軍九百十二年 五十二代嵯峨天皇ノ御宇弘仁二年五月廿三日田村丸薨ス〕   二 箙 「是ハ生田の森に住者にて候。今日ハ生田の八幡へ参らばやと存ル。いや是成お僧ハ。此他((あた))り〔ニ〕てハ見馴申さぬ御方成が。何国より何方への御通りなれば是にハ御座候よ 「中々 此他りの者にて候 「心得申候  「平家摂州(セツシウ)福原の都に居住(キヨジウ)して。則一の谷を城郭(セウカク)に(ニ)構(カマヘ)。東生田(ヒガシイクタ)の森を大手の城戸(キト)口定給ふを。然ルを範頼(ノリヨリ)義経(ヨシツネ)ハ二手(フタテ)に分(ハケ)て押(ヲシ)奇(ヨセ)せられ。其時大手の侍(サムライ)大将(ダイセウ)にハ。梶原(カジハラ)平蔵景時(カケトキ)にて有しが。五百余騎(ヨキ)にて一同に愷(トキ)を作る。比ハ二月〔(ニンガチ)チ〕七日の事成ルに。是成梅花(バイカノ)の盛(サカリ)成を景季(カケスヘ)ハ見て。梅ハ諸花(シヨカ)の先(サキ)を懸る(カクル)物なれば。今日先懸(サキガケ)をせうずると云心にて。此花を一枝折て箙にさす。父の平蔵景(カケ)時兄の源太景季(スヱ)。次男平治同三郎も続(ツヽイ)て。五百余騎多勢(タセイ)か中へ懸(ハケ)入。散(サン)々に戦僅(ウチナサレ)五拾騎斗に討被成。颯(サツト)引て出ル時。其中ニ景季が見へざりし間。梶原取つて返し大音声(ダイヲンチヨウ)にて名乗様。是ハ鎌倉権五郎景政が末葉(バツヨウ)。梶原平蔵景時とて。一人当千の兵(ツハモノ)ぞや。平家に我と思わん人有〔ラ〕バ。景時を討テ見参(ゲンザン)に入よと云を。新中納言(トモヽリノキヨウ)被仰(キコシメサレ)ける様ハ。梶原ハ東国に聞へたる兵(ツワモノ)なり。夫をあますなもらすなうてやとて。大勢の中に取籠メ(トリコメ)給へバ。数万騎(スマンキ)の中を竪様(タテサマ)横様(ヨコサマ)。蜘手(クモテ)十文字に懸(カケ)廻り尋ければ。源太ハ退(ノケ)甲(カフト)になつて戦ひ。二丈斗有崖(キシ)を後(ウシロ)にあて。敵五人が中に取籠られ。郎等(ロウトウ)二人左右(ソウ)に立つて面(ヲモテ)も(モ)不振(フラス)戦ふ(タヽコウ)を。景時ハ見て急(イソキ)馬より飛〔ン〕(トンテ)でおり。親子して五人の敵を三人討〔ツ〕取り。残(ノコ)り二人の武者に手ヲおゝせ。弓取ハかくるも引も折によれとて。父子(フシ)トモ(トモ)一所(イツセウ)に成つて引為((たる))を。梶原が二度の掛(カケ)とハ是を申す。其時景季が是成梅花(バイクワ)を箙に差し。隠なき名を揚ケ(アケ)為に仍テ。今に此木を箙の梅とハ申習す。先我等の存為ハ如此に候 「近比寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国ともなく若き男の来。箙の梅の謂(イハレ)景季の御事など委可語者。此他りにてハ不覚候が。我等こざかしき申事なれ共。お僧の御心中貴うましますにより。景季の亡魂かりにまミへ。声詞をかわされたると存ル間。暫是に御逗留有。重て奇特を御覧あれかしと存ル 〔〇「近比きどく成事を被仰るゝ物哉。左様にいづくともなくわかき男の来り。箙の梅の子細。又かげすへの御事委可語者。此他りにてハ〔不〕覚候か。扨ハおそうの御心中たつとうましわ((ママ))すニより。かげすへのぼうこんあらわれ出。声ことばをかわされたるかと存ル間。しばらく是に御逗留有。かさねてきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔「言語道断きとく成事を仰らるゝ物哉。左様ニいづく共なく若男来り。景季の子細又ハ梅花のいわれなど委可語者。此他りにてハ不覚候が。さてハかた〳〵の御心中たつとうましますにより。かげすへのぼうこんまミへ給ひ。念比に御物語有たるかと存ル間。しばらくこれに御座候て。重て寄特を御覧じ。其後何国へも御通りあれかしと存ル〕 〔「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。扨ハお僧の御心中たつとく。殊に此花に心を付られたるにより。梶原源太のぼうこんあらハれいで。ことばをかわされたるかと存ル間。しばらく是に御逗留有り。かげすへのぼだいを御弔あれかしと存ル〕 〔「是ハ津の国須磨の浦の者にて候。今日ハ生田の八幡へ参らばやと存ル〕 〔〇「是ハ生田の森に住者ニて候。今日ハ物さびしき折からなれば。いくたの八幡へ参らはやと存ル〕   出立 狂言上下 嶋ノ物 こし帯 扇 〔梶原景時 宝永三年迄五百七年〕   三 忠則 「是ハ津の国須磨(スマ)の浦(ウラ)に住者にて候。今日ハ物徒然(サビシキ)折柄なれば。若木(ハカキ)の桜の他((あた))りへ立出心を慰ハやと存ル  「先和哥の道ハ古往(イニシヘ)今に至ルまで。弥増(イヤましニ)に(イヤましニ)さかゆくとハ申ながら。取分キ後白川(コシラカハ)の院(イン)の御宇(キヨウ)に。五條(コテヨウ)三位(サンミ)俊成(シユンセイ)の卿(キヨウ)の。千載集(センサイシウ)を撰(エラミ)給ふ由を聞。載集(せんシウ)に入れば時の面目(メンボク)を(ホドコス)と云。末の代迄も哥の家ニ生(ウ)れ。名を後代に上ン事を安からず思ひ給ひ。三十一字の言の葉(コトノハ)をつらぬる程の輩(トモガラ)ハ。住吉玉津嶋に歩(アユミヲ)を運ひ(ハコビ)。明暮此事をのミ嘆(ナケキ)申さるゝ。殊に(コトニ)其比(ソノコロ)ハ平家の公達(キンダチ)の内に。我(ハレ)劣じと(ヲトラシト)思ひ給ふ人多シといへと。中にも薩摩の(サツマノ)守(カミ)忠則(タヽノリ)ハ〔〇((朱))〕文武二道の侍なれハ〔〇次((朱))〕此集(シウ)哥に入度思召と。其時分(ジフン)勅勘(チヨクカン)の御身なれバ。望(ノソミ)の叶ハぬを無念に思ひ給ひ。なんぼう敷(しき)嶋の道にしうしんふかき御事成ぞ。平家の一門ハ寿永弐年〔〇((朱))〕の初秋に〔〇次((朱))〕都を落。西国指て下り給ふが。忠則ハ其刻俊(シン)成(せい)の卿へ御出有り。哥のよミた(ル)を書付俊成へ渡され。夫より主上へ参らんと急(イソ)かれし程に〔〇((朱))〕桂川の辺にて〔次〇((朱))ホトナク〕追(ヲツ)付奉り。安徳(アントク)天皇(テンノヲ)の供奉(グフ)被成たると申す。然ハ三位殿ハさゞなミの哥を千載集へ入レ。勅勘の御身なれば読人(ヨミビト)不知と書れたる由承る。去程に平家ハ一の谷を城(セウ)漷(カク)に構(カマヘ)へ。四国西国の能き兵(ツハモノ)を勝て(スグツテ)拾万斗籠(コク〔コメ〕)テ置れしに。西の城戸口(キトクチ)をハ薩摩の守の堅メ(カタメ)給ふ。然ルを源氏ハ纔か(ハツカ)六万余騎にて取掛(トリカケ)給ひ。義経の山より攻(ヲシ)入り給ふ程に。平家の公達(キンダチ)は驚噪(ヲドロキサハキ)。我先にと舟に乗ンと落給ふ時。忠則の心ハ剛にましませど。一人して防(フセグ)事のならされば。力不及して此辺まで挽退(ヒキノキ)給ふを。東国の兵ハ能大将と目掛。退(ノガ)さしと追欠(ヲツカケ)来ルを。取て返(カヘ)し爰にて討死(ウチジニ)被成たると申す。名将(メイセウ)の果給ひし所なればとて。跡のしるしに是成桜を植置(ウヘヲキ)れしゆへ。今に一木の桜とハ申実((げに))候。まづ我等の存したるハ如此ニ候 〇「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物かな。左様の老人ハうたごふ所もなき。薩摩守忠度の亡魂(ボウコン)にて御座有ふすると致推量(スイリヨウ)。夫を如何と申に。さいぜん旁(カタ)ハ都方の人とあれば。古里(フルサト)なつかしく思召。忠則(タヽノリ)の亡魂(ボウコン)顕出。木影(コカケ)より(ヨリ)お宿に参らせられたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。今少是に御逗留有。重てきどくを御覧あれかしと存ル 〔「言語道断きどく成事を仰らるゝ物かな。左様にいづくともなく老人来り。若きの桜の子細くわしく語へき者。此他りにてハ不覚候が。扨ハおそうの御しんぢうたつとうましますにより。忠則の亡魂あらわれ出。声詞をかわされたるかと存ル間。あまりにふしぎなる御事なれば。今少是に逗留有り。重て寄特を御覧あれかしと存ル〕 〔「是ハきとく成事を仰らるゝ物哉。かた〴〵の是まて御出有事を。一入なつかしく思ひ給ひ。たゝのりのぼうこんあらわれ出。こへことばをかわされたるかと存ル間。しばらく是に御逗留有り。重てきどくを見給ひ。其後都へ御のぼりあれかしと存ル〕 〔「是ハ摂津の国須广の浦の者にて候。今日ハ物さびしき折からなれバ。若きのさくらのあたりへ立越。花の盛ならば詠((眺))て遊ひ。又浦山のていを見て慰ばやと存ル〕 〔△春藤流にてハ間過テワキ(「)是ハ俊成の御内ニ有し者にて候 扨もとしなりなくなりたまひて後か様のすかたと罷成て候 ト云 狂言(「)左様の御方とも不存してりやうし成事を申て候 ワキ「いや〳〵不苦候〕   出立 狂言上下 嶋ノ物 こし帯 扇 〔十一月藤原基俊(モトトシ)剃髪 和哥の達者俊成ノ師也〕   四 敦盛 「是ハ津の国須磨の浦に住者にて候。今ハ物さび敷折からなれば。上野々他((あたり))へ立出心を慰はやと存ル 「去程に平家ハ寿永の比都を落。津の国一の谷ヲ城(セウ)漷(カク)に構へ御入有を。源氏の方にハ範頼(ノリヨリ)義経(ヨシツネ)を大将として。六萬余騎を二手に分て押寄られ。判官(ホウカン)殿ハ搦(カラメ)手の山より攻(セメ)入。夜明て鬨を(トキヲ)咄と(ドツト)揚(アケ)給へバ。平家にハ思わぬ方より攻(セメ)入れて驚躁(ヲトロキサハキ)。我先にと舟に乗り澳(ヲキ)ヘ出給ふ。其(ソノ)時節(ジセツ)門脇(カドハキ)の修理の(シユリノ)太夫経盛の御子。無官の太夫敦盛も御落有ルが。御秘蔵(コヒソウノ)の笛(フヘ)を忘(ハスレ)て置給ふを。敦盛ハ取乱シ。名官(メイカン)の敵へ取れたると沙汰の有てハ。御一門のなをりと思召。本陳(ホンジン)へ取つて返しふゑをとり。又此磯まで御出有中に。御座舟を始として。皆舟共ハ沖(ヲキ)へ出ければ。浪間に為左(トヤセン)隔屋(カクヤ)有(ア)覧(ラン)と思召所に。武蔵の国の住人篠党(シノトウ)の旗(ハタカシラ)頭(ハタカシラ)に。熊谷の次郎直実(ナヲサネ)と名乗つ(ナノツ)て。御返シあれと申程に取つテ返シ。馬の上にて(ムツト)組(クミ)。両馬(リヨウバ)が間に同と落ル所を。熊谷ハ流石の(サスガノ)剛(コウ)の者なれば。敦盛を取つて組臥(クミフセ)。冑(カフト)を押退(ヲシノケ)御首をかゝんとせしが。未(イマダ)生年(セウネン)十七歳なれば。薄化粧(ウスケセウニ)に潼(カネ)付て。誠に端厳(ヨウカン)美麗(ビレイ)成御姿成し程に。助申さんとて馬にのせ。我もともに馬に乗り西を差て行所ニ跡((後))より児玉党(コダマトウ)追懸(ヲツカケ)来り。熊谷こそ心替りあれ。直実共に討捕(ウチトレ)と声(コヘ)々に申間。力不及して痛敷(イタハシ)ながら敦盛を。又馬より引おろし終(ツイ)ニハ御首を給りしを。扨も痛敷(イタハシキ)事と存ぜられ。鬠(モトユイ)切り黒谷へ行。法然(ホウネン)上人の御弟子(ミデシト)となり。名おば蓮生(レンセウ)法師(ホウシ)と哉覧(ヤラン)申て。諸国を廻らるゝと聞。われらを始此憐(アタリ)の若き者の申事に。哀(アハレ)爰元へも来れかし。捕へて鼻を擯(ハジキ)執抦(シツヘイ)をあて。種々に嬲て(ナフツテ)遊(アソビ)たひとの申事に候。先敦盛の果給ひたる子細。大方か様に承及候 〔〇先敦盛の最後((期))の子細大方かやうに承及テ候 〇大方聞及たるハ如此ニ候〕 〇「唯今ハ聊尓成事を咄て御座る。此所の者の申事ニハ。哀爰許へも御座れかし。一夜のお宿をも仕りたひとの申事ニ候 「言語道断寄((奇))特成事仰らるゝ物かな。誠に悪につよき御方ハ。善にも強ひとハか様の御事で御座ル。申迄は無御座候へども。暫是に御座候て。彼御菩提(ボダイ)を心静に御弔ひあれかしと存ル 〔「左様の御方とも存ずして。只今ハそこつ成事を申めいわく仕候。当所の面々申され事に。あわれ其連生法師の爰元へも御座れかし。一やのお宿をもいたしたいとの念願にて候。扨只今ハ何と思ひよりて。敦盛の事をお尋有たるぞ ふしんに存候〕 〔「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。必悪につよき人ハ善にもつよきとハ此事にて候。惣じて弔ハ僧々にあらず俗々にあらずと申せバ。しばらく是に御逗留有り。あつもりの御ほだいを念比に御弔ひあれかしと存ル〕   出立 狂言上下 嶋ノ物 こし帯 扇 〔東山黒谷熊谷堂像有 六拾五歳ニテ出家 七拾五歳ニテ往生 延享元年迄五百卅九年 熊谷蓮生坊一書ニ恋西ト云々〕 〔忠盛 経盛 敦盛〕   五 知章 「是ハ津の国須磨の浦に住者にて候。今日ハ物さびしき折からなれば。罷出四方のけしきをもながめ心を慰ばやと存ル 「平家ハ都を落一の谷を城(セウ)漷(カク)に構へ給ふ。源氏の方にハ範頼(ノリヨリ)義経(ヨシツネ)を大将として。六万余騎を弐手に分て押寄られ。搦(カラメ)手の大将ハ九郎判官(ホウカン)にて有しが。三千余騎鵯(ヒヨトリ)越(コヘ)より押入つて。他((あた))りの家に火を懸(カケ)一同に鯨を(トキヲ)吐と(ドツト)揚給へバ。平家にハ思わぬ方より攻いられて驚(ヲドロキ)噪(サハキ)。我先にと舟に乗澳((おき))ヘ出給ふ。左有ルに仍テ〔〇((朱))〕新中納言〔〇次((朱))〕知盛の卿(キヨウ)も浜を指て御落有ルを。武蔵の国司にておわしませば見知りたるやらん。敵の中に団扇(ダンセン)の旗(ハタ)を差たる児玉党(コダマトウ)。是を遁(ノガ)さじと跡((後))より三騎追懸(ヲツカケ)来り。爰に落給ふハ大将軍と見へ給ふが。まさなふ人に後を見せ給ふぞとて。目近馳来り(ハセキタリ)しを。知盛の侍に監物(ケンモツ)太郎頼賢(ヨリカタ)ハ。究竟(クツキヨウ)の弓の上手成ルが。よつ引ひやうど舎矢(ハナツヤニ)に。真先(マツサキ)に進ン為((だる))籏差の。首の骨射さ(ホネイサ)せて馬より落ければ。二騎の者共は錣(シコロ)を傾け(カタムケ)討てかゝり。知盛(トモヽリ)危く(アヤフク)見へ給ひし程に。御子武蔵守知章(トモアキラ)中に隔た(ヘダヽリ)り給ひ。挽組(ヒキクン)て敵の首をとり立あか(タチアガリ)り給ふ所へ。又敵(カタキ)落重て(ヲチカサナツテ)知章を討奉ルを。監物太郎ハ主君(シユクン)の敵(カタキ)を矢庭(ヤニハニ)に捕り。我も自害(ジガイ)し果(ハテ)ける間に。新中納言ハ((朱)トモモリノキヤウハ)川越(イノウエ)黒の馬に乗りて。海を二三町斗游せ(ヲヨカセ)て舟に乗移り(ウツリ)。馬ハ船に立べき所なければ。磯辺に引向ケ放チ(ハナチ)給へば。名馬ハ頓て(ヤガテ)陸(クガ)に游(ヲヨキ)上り。畜類(チクルイ)なれども主君(シユクン)に名残を(ナコリヲ)惜ミ(ヲシミ)けるか。船の方を見送り足がきして嘶(イナヽキ)為((たる))と申。新中納言ハ((朱)トモモリハ)武蔵の国司(クンシ)なるにより。武州の河((川))越より来りたる馬成故に。河越((朱)井ノ上)黒と申て常にハ御秘蔵有。此馬の為に毎月一度宛。泰山府君(タイサンフクン)の祭(マツリ)を被成為((たる))と申す。其故(ソレユヘ)哉覧(ヤラン)主の命を助け(タスケ)。馬も四拾年迄生延(イキノビ)為と申す。此馬を取ツテ義経に参らせしを。頓て(ヤカテ)院の御所(コシヨ)へ上給へハ。類ひ(タクヒ)なき名馬成故。浅からず御秘蔵被成たると申。先我等の存為ハ如此ニ候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様いづくともなく若き男の罷出。知章の果給ひたる謂(イワレ)。又ハ知盛の子細など委御物語致さふずる者。此他りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中たつとうましますにより。知章の亡魂顕出。声詞をかわされたるかと存ル間。余りにふしぎ成御事なれハ。難有御経をも御読誦有。重て寄特を御覧なれかしと存ル 〔信州井上立ニて黒馬井上黒ト申す 後源家ノ侍川越の小太郎ツナギトリテシヤウトクインヘ参らせタルヲ御覧ずれハいにしへハぬしの御馬成しを子細有テ新中納言ニ給ル 又後に井上黒を川越黒と改メ〕 〔武蔵守知章 小松殿ノ御弟新中納言知盛ノ御子  阿波民部川越小太郎〕 〔〇(「)言語同((道))断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様にいづくともなくわかき男の罷出。ともあきらのはて給ひたるいわれくわしくかたるへきもの。此あたりにてハ覚ず候が。扨ハ某のすいりやう致ハ。御そうの御心中たつとうましますにより。ともあきらのぼうこんあらわれいで。声ことばをかわされたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御ことなれば。しばらく是ニ御とうりう有。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕   出立 狂言上下 嶋ノ物 こし帯 扇   六 頼政 「是ハ宇治の里に住者にて候。けふハ心指日なれば。平等院へ参らばやと存ル 「先官軍(ミヤイクサ)の発り(ヲコリ)と申ハ。源三位(ケンサンミ)頼政の(ヨリマサノ)嫡子(チヤクシ)伊豆の守仲綱の。星(ホシ)鹿毛(カケ)と云名馬を持れけるが。余り(アマリ)に秘蔵被致し故。あだにも引出す事のなけれバ。木の下(コノシタ)号(ゴウシ)自愛(ジアイ)限(カキ)りなかりし所に。其比(ソノコロ)平(タイラ)の右大将(ウダイセウ)宗盛の聞付給ひ。折々御所望被成けれ共。仲綱ハ身に替て惜敷(ヲシク)思ひ給ひ一首の哥に。恋敷ハ(コヒシクハ)来て(キテ)もみよかし身に副ル(ソウル)。影(カケ)をばいかで放遣(ハナチアル)べきと。箇様(カヨウニ)ニ詠(ヨミ)てまいらせらるれば。父の入道聞給ひ。仮(タトヒ)如何成(イカナル)名馬にてもあれ。左様に人の恋給ふを。何とて悋(ヲシミ)給ふぞと孝訓(キヤウクン)有シ程に。力不及して木の下(コノシタ)を遣被(ツカハサレ)けれバ。右大将斜ずに(ナノメナラスニ)喜(ヨロコヒ)給ひ。内厩ニ(ウチムマヤニ)立テ御寵愛(コチヨウハヒ)被成けるが。去れ共延引の程を憎し(ニクシ)と思召か。他門(タニン)一家(イツケ)の参会(サンクハイ)共いわず。其仲綱めに鞍置ケ。伊豆の守を挽出して攻(セメ)よなどゝの給ふを。源三位父子ハ伝(ツタ)へ聞。骨髄(コツヽイニ)にしミて口惜(クチヲシク)思ハれ。〔〇((朱))〕けれ共去りながら我力斗にてハ成かたく思ひ。其時後白河の院第二の御子〔〇次((朱))〕高倉の宮へ御謀叛(コムホン)の進(スヽメ)られし事が。悪事千里と其隠無して。宗盛の聞付怨(イカリ)給ふ。又大内にも聞(キコシ)召れ。以の外に逆鱗(ケキリン)有シ程に。時に(トキニ)随ふ(シタコウ)習なれハ宮ハ京都に御叶無して。治承(ジセウ)四年五月中の四日に。終夜(ヨモスカラ)三井寺へ入御(シユキヨ)被成しかば。源三位父子も家の子郎等ひきぐし。後朝(コウテウ)に園城寺(ヲンジヨジ)へ参られし刻(キサミ)。頼政の御内ニ競(キヲヽ)龍口(タキクチ)と申て。隠無(カクレナキ)兵(ツハモノ)の有しが。如何(イカヽ)思ひけん都ニ一人留りける〔〇((朱))ガ六原((六波羅))へ参り。何とかたばかりけん〕を。右大将聞召六波羅(ロクハラ)へめされ。何とて汝ハ入道の供仕らぬぞと被仰ければ。競(キヲヽ)畏テ申様。某此間三位殿を恨(ウラミ)申事の有ニより。久敷不出御仕ル故か。か様の大事を競(キヲヽ)程の者に。かくと知せ(シラセ)不給が(タマハサルガ)口惜きにより。わざと供せざる由申上ければ。扨ハ別義なし左有らバ。今よりしてハ宗盛に宮仕え(ミヤツカイ)せよかしとの給ふを。何か子細の御座候べき。然らバあつはれ心よき御馬を給ツて。此度寺への先懸仕度由申上ルを。それこそ安き事よとて〔〇次((朱))〕小糟毛(コカスゲ)と云名馬を遣(ツカハ)さル。競(キヲヽ)ハ兼て胡シ(ゴシ)為(タル)事なれバ。朝に(アシタニ)彼馬に乗り三井寺へ馳行(ハセユキ)。伊豆の守に逢(アイ)此由(コノヨシ)角(カク)と語し(カタリシ)間(アイダ)。源三位父子(フシ)渡辺等(ハタナヘトウ)ニ至(イタ)ル迄。皆々喜悦の(キエツノ)眉(マユ)を開(ヒラ)き為と申す。其侭(ソノマヽ)彼(カノ)馬の尾髪(ヲガミ)を切り。平の宗盛入道と金焼(カナヤキヲ)あて。逢坂(ヲヽサカ)差(サシ)テ追放(ヲツハナチ)ければ。元来名馬なれば恙無ク(ツヽカナク)六波羅(ロクハラ)へ来りしを。平大将聞付大きに怒(イカリ)給ひ。扨ハ競(キヲヽ)ニ竊(タハカ)られけり。何とぞして此度ハ虜(イケトリニ)にせよとて。其侭(ソノマヽ)兵を分ケテ指遣さる。左有ニ仍テ園城寺(ヲンシヨウジ)にてハ防難ク(フセギカタク)思われ。南都の(ナントノ)衆徒を(シユトヲ)頼まんと思召か。夜中に是迄御座被成て。宇治橋の板を引放(ハナ)し。源三位の一類(イチルイ)ハ是に有り。其間に宮をハ大和へ退ケ(ノケ)奉ル。然りとハ云へトモ平家の大勢遁(ノガ)さしとおつ掛来り。初の程ハ橋を隔テ(ヘダテヽ)戦ひ(タヽカヒ)しが。互ニ(タカイニ)勝負(セウフ)も見へざりし間。平家の方より名有侍三百余騎。川を渡して攻(セメ)たりし故。伊豆守兄弟(キヨウダイ)郎等(ロウトウ)悉(コト)ク討(ウタ)れし刻(キサミ)。頼政の入道ハ此(コノ)平等院(ビヨウトウイン)に有しが。流石(サスガ)の歌人(カジン)なれば辞世(ジセイ)を(ヲ)詠置(ヨミヲキ)。是成(コレナル)柴に(シバニ)扇(ヲヽキ)ヲ敷(ヒキ)。其侭(ソノマヽ)自害(ジカイ)致(イタ)されたると申す。名将(メイセウ)の果(ハテ)給ひし跡(アト)成に依て。扇の成りに柴(シハ)を取残し(トリノコシ)。今に是成を扇の柴とハ申習す。先我等の存たるは如此ニ候 〇「近比寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく老人の来り。宮軍(ミヤイクサ)の子細委可語者。此他((あた))りにては不覚候が。扨ハお僧の御心中貴うましますニより。頼政の亡魂顕れ出。声詞を替されたるかと存ル間。余りに不思義((議))なる御事なれば。暫是に御逗留有り。重テ奇特をも御覧あれかしと存る 〔「是ハ寄特成事を仰らるゝ物かな。左様に何国共しらす老人の来り。宮軍の子細。又扇の芝のいわれくわしくかたり申べきもの。此辺にてハ不覚候が。さりながら某のすいりやうにハ。いにしへのよりまさの亡魂あらわれ出。詞をかわされたるかと存ル間。しばらく是に御とうりう有。彼跡を御弔あれかしと存る〕   嶋ノ物 狂言((ママ)) 腰帯 上((ママ))下 扇 〔摂津守頼光ニ五代三河守頼綱カ孫兵庫守仲政カ子頼政七拾五歳〕 〔カゲナルコマノアシハヤキヲヒヤウシテコノシタト云〕 〔朝((頼))政 宝永三年マデ五百廿七年  源仲綱 渡辺競〕   七 碇潜 〇「是ハ此他((あた))りに住者にて候 今日ハ凄涼折柄なれば早友の浦に立出心を慰ばやと存ル 「先此所において平家の一門多(ヲヽ)ク果(ハテ)させ給ひ候。中にも知盛(トモモリ)ハ安徳(アントク)天皇を守護(シユゴシ)し。此早友(ハヤトモ)の沖(ヲキ)ニ出給ふ。左有に仍テ判官殿(ホウカンドノ)ハ能武者すぐつて船に乗。御座舟(ゴサフネ)を追取巻(ヲツトリマキ)。ひくなかけよと云まゝに。おめきさけんで攻(セメ)給ふ。〔マタ〕平家(ヘイケ)の方にハ能登の守教経(ノリツネ)。是又大力の精兵(セイヒヨウ)にて御在バ。指詰(サシツメ)引詰(ヒキツメ)散々に射給ひしが。矢種つきけれバ大薙刀(ヲヽナギナタ)をかいこミ討出ンとなされし所ニ。知盛の卿より使者(シシヤ)を立て宣ふ(ノタモウ)様。余りに人をほろぼして何の益か有べき。深入むやくに候と被仰けれ共。教経(ノリツネ)少も用ひ(モチヒ)給ハず。敵の舟にまきれ入り義経と組んと思召。彼舟に飛乗んとし給ふ。判官も早かりけり。大船(タイセン)を七艘迄安々と飛越給ふ間。能登殿義経(ヨシツネ)を見失ひ怒給ふ所ハ。安芸の太郎兄弟来り。能登殿の召たる舟を中に取こめ戦ければ。思ひ出たりおのれらを冥途(メイド)の供につれんとて。〔二人ノ取テ引よせ。〕左右の脇にはさミ其侭海に入給ふ。左有に仍テ知盛もつづひてゐらんと被成しが。猶も其身をおもくせんと思召。遥(ハルカ)の沖(ヲキ)に有ける碇(イカリ)の大綱ゑひや〳〵といゝて引上。甲(カフト)の上に碇(イカリ)を潜(カツキ)。なんなく入水(ジユスイ)被成たると申。先我等の存為((たる))ハ如此ニ候 〇「言語道断奇特成事を被仰るゝ物哉。左様にいづく共なく老人の罷出。御物語可申者。(イタサウスルモノ)此他にてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴うましますニより。知盛の御亡心(ボウコン)顕出。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。暫是に(此ミぎハ)御逗留有り。有難御経をも御読誦被成。其後何国へも御通りあれかしと存ル 「御用の事あらバ被仰候へ 「心得申候 〔「是ハ長門の国早友((鞆))の浦に住者にて候。此程ハ打続沖の波あらくして。我等ごときのすなとりも一円ならざれハ。今日ハ罷出浦の様子を見合申さうずる。さればこそ此中とハかわりて。海上のしつか成事かな。明日ハ早々より舟を出さうと存れバ。此様な大慶なきハ御座らぬ。いや是ハ見なれ申さぬお僧達の。海辺と申し磯に暮にかゝりたるに。やとをも御取なく是にハやすらうて御座るぞ 「是ハ思ひもよらぬ事を仰らるゝ物かな。我等も此浦にハ住者なれと。左様の御事委うハ存ぜず候。併当浦の者と思召しお尋有を。少も存ぜぬと申もいかゞなれバ。古き人の語伝へたるを承り置候間。跡先のしやべつなく物語申さうずる 「言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。惣じて此他りに左様の人ハ御座なく候。こざかしき申事なれど。拙者のすいりやうにハ。たいらの知盛の御亡心にて御座有うすると存ル間。しばらく是に御逗留成され。有難御経をも御どくじゆ有り。重てきどくを御覧なれかしと存ル〕 〔「是ハ早友の浦に住者にて候。此程ハ沖の波あら〳〵として猟((漁))もならず。今夜ハ一段と沖の方長閑成程に。いつものごとく猟を仕らふ。先磯辺へ参り。様子を見申て猟舟を出し申さばやと存ル。いや此けしきにてハ一段と長閑ニあらふずるよ 「此他りに左様の人々ハ無御座候。扨ハ某の推量にハ。平家の御一門友((知))盛 「知盛の御亡心顕れ出。声詞をかわされたるかと存ル間。しばらく此汀に御逗留有り。有難御経をも御どくじゆ被成。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕   嶋ノ物 狂言上下 腰帯 扇 〔△金剛流碇無シ やたひの舟斗 〇喜多流ニテハいかり出ル〕 〔△あきの太郎兄弟ト云所さしあいあらバたいりやう太郎兄弟ト云テよし〕 〔△能登守教経年廿六歳〕   八 道盛 「是ハ阿波の鳴渡(ナルト)に住者にて候。爰に貴き(タツトキ)お僧の御在スが。毎日毎夜御経おこたらず読誦(ドクシユ)被成るゝ間。参りて聴聞(チヨウモン)仕らばやと存ル 〔ト云テ下ニイテ〕 唯今参りて候 「さん候 拙者も早々に伺公致し。老少(ロウセウ)不定(フセウ)の世の習なれば。有難御経をも聴聞可申を。何かと仕今迄延引仕候 「心得申候。扨お尋有度とハいか様成御用にて候ぞ 「是ハ思ひもよらぬ事を被仰るゝ物かな。左様の御事しかとハ存も不致候。去りなから何と思召てやらお尋有を。勝て存せぬと申もいかゝなれば。かたはし聞及為((たる))通り御物語申さうする 「去程に平家の一門多シ(ヲヽシ)といへど。入道生国(セウコク)の(ノ)後(ノチ)都(ミヤコ)を落(ヲチ)て。讃岐の八嶋に大内(ヲヽウチ)を立被(タテラレ)。安徳天皇を行幸(キヨコウ)無シ(ナシ)奉り。猶も東国(トウゴク)の勢を防ン(フセカン)為に。次男(ジナン)宗盛(ムネモリ)を大将と号シ(ゴヲシ)。其外一類(イチルイ)寿永弐年の秋の比。摂津の(ノ)国難波(ナニハノ)方(カタ)に押渡り(ヲシワタリ)。一の谷を城(セウ)漷(カク)に構(カマ)へ給ひ。東(ヒカシ)生田(イクタ)の森を大手の城戸(キド)口として。四国西国の能兵(ヨキツワモノ)を。勝テ(スクツテ)拾萬斗籠(コメ)テ(テ)置(ヲカ)れしか。其中にも越前(ヱチゼン)の三位道盛(ミチモリ)と。舎弟(シヤテイ)能登守教経(ノリツネ)兄弟ハ。一の谷の北鵯越(キタヒヨトリゴヘ)の麓(フモト)成。山の手を両人して堅(カタ)メ給ふ。然ル(シカル)を源氏の方にハ此由聞召。範頼(ノリヨリ)義経(ヨシツネ)ハ平家追討(ツイトウ)の為に。都より六万余騎を二手に分テ。一の谷へ押寄せ(ヲシヨセ)給ひし所に。西国の軍兵(クンヒヨヲ)ハ心(コヽロ)愚(ヲロカ)成(ナル)故(ユヘ)。南北(ナンボク)の要害(ヨウカイ)を頼母敷(タノモシク)思(ヲモ)ハれ。東西(トウサイ)を専(セン)と持(モタ)れしを。九郎(クロヲ)判官(ホヲカン)ハ銕拐(テツカイ)が峯(ミネ)に上り。騎馬(キバ)を揃(ソロヘ)テ岩石(カンセキ)を落し。敵(カタキ)の城(ジヨ)に込(コミ)入。火(ヒ)を懸(カケ)一同に凱(トキ)を吐(ドツ)と上給へバ。平家にハ思ハぬ方より攻(セメ)入れて驚(ヲトロキ)譟(サワキ)。我先にと船に乗り沖(ヲキ)へ出給ふ。其時道盛(ミチモリ)も少ハ防(フセキ)給へとも(タマヘドモ)。終に(ツイニハ)ハ叶ズ(カナハス)して磯間(イソマ)近ク(チカク)退れ(ノガレ)しが。重(ヲモ)手(テ)負ひ(ヲヒ)敵(カタキ)七騎捕籠((取込))られ。湊川(ミナトカハ)の下にて討死(ウチジニ)有シ程に。北の御方小宰相(コサイセウ)の局(ツボネ)も此辺まで御落有しが。三位殿の最後(サイゴ)の由を聞給ひ。命ながらへ二度古郷(コキヨウ)に帰ても。生甲斐(イキカイモ)有間敷と思召か。此鳴渡(ナルト)の沖(ヲキ)にて身を投(ナケ)空敷(ムナシク)成給ふ。道盛(ミチモリ)小宰相(コサイセウ)の局(ツボネ)に付。数多(アマタ)子細の有とハ申せど。先我等の存為((たる))ハ如此に候 〇「言語道断奇特成事を被仰るゝ物哉。左様に何国なく老人と女性の来り。道盛小宰相の局の子細委可語者。此憐((隣))にてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴う在すにより。道盛夫婦の亡魂顕出。声詞を替されたるかと存ル間。余りに不思義((議))なる御事なれば。有難御経をも御読誦被成。重て奇特を御覧あれかしと存ル 「左有らばバ我等ハ御暇申候 〔「只今参詣テ候。我もとくに参り申へきを。かなたこなた隙を得ずして。今迄延引めいわく仕候 「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。毎日毎夜此磯辺において。御経おこたらずどくじゆ被成るゝ事を有難思ひ給ひ。道盛夫婦の御亡魂顕出。御ことばをかわされたるかと存ル間。猶々御きやうをも御とくじゆあれかしと存ル〕   嶋物 狂言上下 腰帯 扇 〔藤形((刑))部卿則堅((憲方))息女小宰相局二月十四日身ヲ投〕     九 友絵 「是ハ江州(コヲシウ)粟津(アハス)か原に住者にて候。当所の御神ばいなれば急で参らばやと存ル 「唯今お尋被成るゝ巴と申ハ。心(コヽロ)剛(コヲ)にして強(ツヨ)弓の精兵(セイヒヨウ)。討物取つテハ鬼神をも恐(ヲソレ)ず。殊ニ荒(アラ)馬乗(ムマノリ)の上手(セウス)にて。何時も一方の大将を仕り候が。壱度も不覚(フカク)の名を取たる事なかりたると承る。されども木曽殿瀬田宇治橋を破(ヤブ)られしより此かた。戦(カツセン)一度も理(リ)なくして。此辺へ御落(ヲチ)し被成し時ハ。僅(ワスカ)七騎にて有しが巴ハ薄手(ウスデ)をもおわず〔して〕。野々(ノヽ)末(スヘ)山の奥迄も付添(ツキソイ)。主君(シクン)の御供と心懸ケ居(イ)為(タル)ル所に。義仲(ヨシナカ)仰られける様ハ。木曽が最後(サイコ)まで女を連(ツレ)たると人の口難(コヲナン)もいかゞなり。汝ハ女なれば忍(シノフ)たよりも有べし。急(イソキ)古郷(コキヨウ)に帰り此由語ならば。最後の供にハまそうずるとさま〳〵御諫(ヲンイサメ)有し間。友絵(トモヱ)心に思ふ様。哀(アハレ)よからん敵(テキ)もかな名残(ナゴリ)の軍(イクサ)をし。木曽殿に見せ奉覧と待(マツ)所に。遠江の国の住人内田の三郎と名乗て。三拾騎ばかりにて馳来ル。巴思ひまふけたる事なれば。敵の中へわつて入。巴内田馬の頭を押(ヲシ)並(ナラヘ)(ムツト)組(クン)テ引寄せ。鞍(クラ)の前輪(マヘワ)に押付首かき切て。義仲の御目にかけ奉り。鎧(ヨロヒ)脱捨(ヌキステ)御形見を持。忍(シノ)びて木曽へ下着(ケチヤク)致されたると申ス。先我等の存たるハ如此ニ候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。扨ハお僧の御心中貴う在すにより。友絵の亡魂顕出。声詞をかわされたるかと存ル間。暫是に御逗留有り。彼跡を御吊((弔))あれかしと存る   嶋物 狂言上下 腰帯 扇 〔遠江ノ国ノ住人内田ノ三郎家義ト江州木曽寺ノ由来ノ本ニ有 相模ノ国ノ住人石田小太郎為久カ放矢ニテウチカブトヲイル〕   同(九) 同(友絵) 「是ハ粟津が原に住者にて候。今日ハ明神の御神事なれど。彼是隙を得ずして今迄おそなハり申て候。漸暮に及候へ共参詣仕らばやと存る 「先木曽義仲ハ平家追討の為ニ。五万余騎の軍兵(クンヒヨウ)を催(モヨウ)し信州を討立給ひ。砺波(トナミ)山供(ク)利(リ)伽羅(カラ)が嶽(タケ)。其外所々の戦(イクサ)に討勝(ウチカチ)其侭(ソノマヽ)京都え攻(セメ)登らるゝ。左有に仍テ平家ハ防に便無ク。戦ふに力なふして西国差て下り給ふを。義仲頓(ヤカ)テ都ニ入替り勢天地をしのぎしかば。法皇(ホヲヽヽ)より大将の号(コヲ)を給ふ。されどもおごりふこふして院内をも恐(ヲソレ)ず悪逆(アクキヤク)有を。前(サキノ)右兵衛佐(ウヒヨウヘノスケ)ハ聞召。急(イソキ)木曽が(キソガ)狼藉(ロウゼキ)をしづめんと。舎弟(シヤテイ)範頼(ノリヨリ)義経(ヨシツネ)を大将として。六万余騎を二手に分(ワケ)則宇治瀬田に陳(ジン)を取給ふ。されども橋を引たりし間。左右なふ軍(イクサ)もなかりし所に。佐々木の四郎高綱(タカツナ)梶原源太景(カケ)季(スヘ)を初として。宇治川を我も〳〵とこされし間。木曽殿の都を持事(モツコト)不叶(カナワス)して。北国方を心懸(コヽロカケ)落給ひ。大津の打出の浜にはた打立。落行(ヲチユク)味方(ミカタ)を集メ(アツメ)られ最後(サイゴ)の合戦(カツセン)声花(ハナヤカ)被成。終にハ主従二騎討負。則今井四郎が勇により此所迄御落有が。難方((なんぼう))痛敷御事成ぞ。流矢に当り此所にて果給ひたる由承る。先我等の存たるハ如此ニ候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく女性の罷出。木曽殿の子細委可語者。此他((あた))りにニてハ不覚候が。是ハ我等こざかしき申事なれども。是ハうたごふ所もなき巴の亡魂にて御座あらふずる。夫をいかにと申に。木曽殿の御内にハ巴山吹と申て。二人の女武者の有為((たる))よし承る。中にも巴ハ此辺まて御供申され。御形見の品々を給り古郷へ御下りあれば。一入御よしミも深き故執心を残しおかれ。今又お僧にまミへ給ひたると存ル間。お僧も左様ニ有つべしく思召ハ。暫是に御逗留被成。彼御跡を念比に御吊((弔))有。其後何方へも御通あれかしと存ル   拾 八嶋      〔嶋ノ物 狂言上下 腰帯 扇〕 「是ハ讃岐の国屋嶋の浦に住者にて候。今日ハ一段と能天気なれバ。浜へ出て塩を焼せうと存ル。〔此間ハ久々見舞ませぬほとに。定てとこもあれて御座らう〕 荒ふしぎや 塩屋の戸があひたよ。是ハ人の出入をした足跡が数多有が。や〔ア〕らいな事ぢやよ。いや是成お僧ハ。何とて人の塩やへ案内無押入つて御座るぞ 「あるじハ某成に。扨ハかた〴〵ハもうこ被仰るゝか 「実と御出家の身にて偽ハ有まひが。夫ハ如何様成者が借申たるぞ 「心得申候。扨お尋有度とハいか様成御用にて候ぞ 「讃岐へ落(ヲツ)ル平家追討(ツイトヲ)の為に。範頼(ノリヨリ)義経ハ渡辺(ワタナベ)福嶋に陳(ジン)を取。数千艘(スセンソヲ)の船を集メ(アツメ)おかれし時分。判官殿と梶原ハ逆櫓(サカロ)の遺恨(イコン)有リテ。義経ハ船五艘(コソヲ)に取乗り(ノリ)。大風(タイフウ)をも恐(ヲソレ)ず押(ヲシ)出され。阿波の国へ御上り有お尋あれば。当所〔ハ〕勝浦(カツウラ)と云所と申上ル。義(ギ)経(ケヰ)聞召シ(キコシメシ)軍の(イクサノ)門出(カドテ)に。勝浦ニ着為(ツキタル)事の目出度さよと。其まゝ桜(サクラ)葉(バ)の城(セウ)を責落(セメヲト)し。夫より讃岐(サノキ)の八嶌に押(ヲシ)よせられし程に。平家ハ是を見て取物も取敢(トリアヘ)ず。我先にと舟に乗り沖(ヲキ)へ出給ふ。左有に仍テ平家ハ舟。源氏ハ陸(クガ)の戦(タヽカイ)成に。有ル日の合戦に兵舟(ヒヨウセン)一艘(イツソヲ)磯(イソ)へ付ケ。武者一騎上り大音上ゲテ(ダイヲンセウニテ)名乗様。是ハ平家の侍(サムライ)悪七兵衛(アクヒチヒヨウヘ)景清(カケキヨ)と。たからかによばわる声を聞しより。東国(トヲゴク)の兵(ツワモノ)ハ我先にと討て(ウツテ)出ル。中にも三穂谷の(ミヲノヤノ)四郎と名乗つて。真つ先(マツサキ)懸て馳向ひ(ハセムカヒ)。鎬(シノキ)を鑛(ケツリ)鐔(ツバ)を割(ワリ)戦ふ(タヽコウ)中に。四郎が帯刀(ハカセノ)かねがさゑすきたか。但シ又景清(カケキヨ)が討(ウツ)太刀のいきをひがつよひか。鎺元(ハヾキモト)二三寸おひてほつきとおれしあひた。其まゝ引て遁(ノク)を景清ハ。美穂(ミヲノ)谷(ヤ)が甲(カフト)の錣(シコロ)を(ムスト)と拘(トラヘ)へ。うしろへゑひやと挽(ヒキ)留れ(トムレ)ハ四郎ハ一命(イチメイ)大事と前へ栄と引。互(タカイ)ニ曳哉〳(ヱイヤ)〵と挽(ヒク)勢(イキヲイ)にて。檀(ダン)の浦ハ大地震(ダイジシンノ)の如ク(コトク)鏗ひ(ユラメヒ)たると申す。去りながら左右(ソヲ)方(ホウ)の力が牛角(ゴカク)成か。鉢付(ハチツケ)の板より引ちきつて。両(リヨウ)へ百ト(ドヲト)転ふ(コロフ)勢にて(イキヲヒニテ)。跡先へ二三町濘(スベ)られし間。三尾谷ハ俯臥(ウツフシ)に転(コロバ)れて。時節(ヲリフシ)比ハ(コロハ)春(ハル)なれバ。四郎の鼻(ハナ)の頭(サキ)が落花(ラツクハ)致す。又景清ハ仰面け(アヲノケ)に転(コロバ)れし程に。ぼんのくぼにしたゝかにふミぬきをいたされたると申す。戦ハ数度有たるとハ申せ共。元暦(ケンリヤク)元(ガン)年三月〔チ〕十八日の此(コノ)合戦(カセン)が。一声花に(イチハナヤカニ)有り為((たる))と申す。先我等の存知為ハ如此ニ候  「扨々奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に老人と若き男の罷出。我等の塩屋を借申さうずる者。此他((あたり))にてハ不覚候が。扨ハうたごふ所もなき。義経の御亡心にて御座有ふずると推量致す。夫をいかにと申に。判官殿は奥にて果給ひたるとハ申せ共。此所にての御合戦を一入面白ふ思召。今又お僧にまミへ給ひ。軍物語被成たるかと存ル間。左様に有つべしく思召ハ。未は急の旅なり共。暫是に御座候て。彼御菩提(ボダイ)を念比に御弔被成。重てきどくを御覧シ。其後何方へも御通りあれかしと存ル 「御逗留の間是にハ如何なれば。我等の私宅ニお宿を仕らふずる 〔〇「是ハさぬきの国八嶋の浦に住者にて候。今日ハ一段と能天気なれバ。罷出塩をもやかせはやと存ル 此間ハ久々塩やを見まひまらせぬ程に。定てどこもあれて御座らう。あらふしぎや 塩やの戸があひて有よ。のふ是ハ人のあまた出入をした足あとが有よ。いや是成お僧ハ。何とて人の塩屋へおし入て御座るぞ 「主ハ某成に。扨ハかた〴〵ハまうご仰らるゝか 「実と御出家の身にていつわりハ仰られまいが。扨夫ハいか様成者がかし申たるぞ 「心得申候 〇「言語道断きとく仰((ママ))らるゝ物哉。左様の老人ハうたこう所もなき。よしつねの御ぼうしんにて御座有ふすると推量いたす。夫をいかにと申に。判官殿ハ奥にて果給ひたるとハ申せ共。此所にての御合戦を一入おもしろく思召。御しうしんをのこしおかれ。今又お僧にまミへ給ひたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。未ハ急のたびなりとも。しばらく是に御逗留有り。彼御ぼたひを御弔被成。重てきどくをも御覧あれかしと存ル 「御逗留の内是にハいかゝに候間。見くるしくハ御座候へども。我等のしたくに留申さうする 「心得申候 〕 〔「是ハ八嶋の浦に住者にて候。今日ハ天気能候間。浜へ出て塩を焼ふと存ル。あらふしぎや 塩屋の戸が開たよ。見れバ人の足跡も有ルよ。いや是成御僧達ハ。何とて此しをやへハおし入つて御座ルぞ 「是ハ寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。義経ハ奥にて果給ひたるとハ申せど。当浦に御心を残し給ふにより。義経の御ほうしんま見へ給ひ。念比に御ぞうたん有たると存ル間。暫是に御逗留有り。重てきどくを御覧あれかしと存る 「重てハ某が宿ニ留申さうする 「心得申候 〕   拾一 兼平 〇(「)是ハ江州(コヲシウ)粟津原(アハスカハラ)の渉人にて候。今日ハ某の渡番なれば。行来の人を舟に乗せて越ばやと存ル。喃々御僧向へ御座らハ舟に召れ候へ 「夫ハどの船に乗ておこしやつたぞ。惣じて此所の大法なれば。案内もなくして人の舟を某が得漕(ヱコガ)ズ(ス)。又我等の舟を人に漕(コカ)する事ハ致さぬが。扨ハお僧ハ妄語(モヲゴ)を仰らるゝか 「実と御出家の身ニて偽ハ御座るまひが。夫ハいか様成者が借((貸))申シたるぞ 「心得申候。扨お尋有度とハいか様なる御用にて候ぞ 「木曽義(キソヨシ)仲ハ都に討手(ウツテ)登り(ノホリ)。禁中(キンチウ)をもおそれず悪逆(アクギヤク)有を。前の(サキノ)右兵衛の(ウヒヨウヘノ)佐(スケ)ハ聞し召。いそぎ木曽が狼藉(ロウセキ)をしづめんとて。舎弟(シヤテイ)範頼(ノリヨリ)義経を大将として。六万余騎を相添て被遣。尾張の国より二手に分て登((上))ルと聞。義仲大きに驚(ヲトロキ)宇治瀬田の橋を挽(ヒキ)放し(ハナシ)。頓テ(ヤカテ)軍兵(クンヒヨウ)を分(ワケ)てさし遣さる。然りとハ雖(イヘド)東国(トヲゴク)より攻(セメ)登る(ノホル)大手の大将軍(タイセウグン)ハ。蒲(カバ)の御曹子(ヲンソウシ)範頼(ノリヨリ)ニ。一騎(イツキ)当千(トヲセン)の兵(ツハモノ)を添られ。都合(ツゴウ)其(ソノ)勢(セイ)三万五千余騎。近江の国野路(ノジ)篠原(シノワラ)に陳(ジン)を取り。又(マタ)搦手(カラメテ)の大将軍(タイセウグン)ハ。九郎(クロウ)御曹子(ヲンソウシ)義経(ヨシツネ)に。名高(ナダカ)き侍(サムライ)を数多(アマタ)つけられ。彼是(カレコレ)以上弐萬五千余騎つきそひ。宇治橋の詰(ツメ)に押寄せ(ヲシヨセ)給ふ。去れ共橋〔〇ヲ((朱))ひいたりし間〕の板をハ早引て。比ハ正月廿日余り。冬の名残と見へつるは。ゆきげた斗ぞ残りける。左有に仍テ〔〇次((朱))〕さうのふ軍もなかりし間。数万騎(スマンキ)の中より佐々木の四郎高綱(タカツナ)。梶原源太景季(カケスヘ)を始(ハシメ)として。宇治川を我も〳〵と越(コサ)れしゆへ。木曽殿の都(ミヤコ)を持事(モツコト)叶(カナハ)ずして。兼平と一所(イツシヨ)に死(シ)なんと思召か。瀬田を差(サシ)て御下り(ヲンクタリ)有所に。瀬田をば稲毛(イナケ)の三郎重成(シゲナリ)が評ひ(ハカライ)にて。田上(タナカミ)貢御(グゴ)の(ノ)瀬(セ)を被越し(コサレシ)間。瀬田を防(フセグ)事もならざれば。今井の四郎ハ主君(シクン)の覚束(ヲボツカ)なく思ひ。都を指(サシ)て登ル(ノホル)時節(ヲリフシ)。義仲に大津の打出(ウチテ)の浜(ハマ)にて行合(ユキアイ)。兼平が巻たる籏(ハタ)を上ければ。落武者(ヲチムシヤ)が三百余騎程集り(アツマリ)。最後(サイゴ)の合戦(カツセン)声花(ハナヤカ)に被成。主君(シユクン)ハ粟津(アハス)の松原にて果(ハテ)給ひ。今井の四郎ハ敵(カタキ)の中へ分テ(ワツテ)入り。馬の上より自害(ジガイ)致されたると申す。木曽殿(キソドノ)兼平(カネヒラ)の御事に付。様々子細の有実((げに))候え共。委事ハ存も致さず。先拙者の聞及為((たる))ハ如此に候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様にいづくともなく老人の罷出。舟を越さうずるもの。此他((あた))りにてハ覚ず候が。扨ハお僧ハ木曽(キソ)の(ノ)山家(ヤマガ)より御出と有ハ。兼平(カネヒラ)の亡魂(ホウコン)仮(カリ)に舟人と現し。所の名所(メイシヨ)旧跡(キウセキ)を教(ヲシ)へ給ひ為と存ル間。今少是に御逗留候て。木曽殿兼平の御菩提(ボダイ)を念比に御吊((弔))ひ有。其後古郷へ御帰りあれかしと存ル 「御用の有ハ重て被仰付候へ 「心得申候 〔〇「是ハきとく事((ママ))を仰らるゝ物かな。左様にいづく共なく老人の来舟をこさうする者。此他りにてはハ不覚候が。扨ハ我等の存ルにハ。さいぜんかた〴〵ハ木曽の山家より御出とあれハ。こきやうなつかしく思召。いにしへの今井の四郎の亡魂あらハれ〔出。〕舟をわたし給ひたるかと存ル間。あまりにふしん成御事なれハ。しばらく是に御逗留有。彼跡を念比に御弔あれかしと存ル 「此他りにおやとを持たる者なれば。御逗留の間御用あらバ被仰付れうする 「心得申候 〕 〔「是ハ江州粟津が原に住者にて候。今日ハ浦へ出て舟を渡さうと存ル。のふ〳〵お僧。向へ御座らハ舟に召れ候へ 「今日ハ某の渡番にて。余人の越事ハならす候が。かた〴〵ハ人の舟にのりて舟遊ひを召れたるか 「実と御出家の身にて偽りハ仰られまいか。夫ハいかやう成者が越申たるそ 「是ハきとく成事を仰らるゝ物哉。左様の老人ハうたこふ所もなき。今井の四郎兼平のぼうこんにて御座有ふする。夫をいかにと申に。お僧ハ木曽の山家より御出とあれは。一入なつかしう思ひ給ひ。かね平のぼうこんかりに渡守とミへ。舟をこし給ひたるとすいりやういたす。あまりにふしき成ル御事なれば。しばらく是に御とうりう有。木曽殿兼平の御ほだいを念比に御吊あれかしと存ル〕 〔△福王流ニテハシテ中入スルトワキ(「)舟頭殿〳〵 や姿を身((見))うしのふて候 ト云テ大臣柱〔ニ〕座付クト狂言出テ名乗ル 高安流ニモ有事モ有由 外ノ流ニハ無し シテ中入スルト其まゝワキ座ニ居ル 太夫後見舟ノ造物入ルト狂言シテ柱ノサキニテ名乗 仁右衛門方ニテハ常ニ是ヲ入テ云 兵揃トハ少ト違有り △(「)蒲ノ御曹子範頼に。相供なふ人々ハ。武田ノ太郎加々美ノ次郎。一条ノ次郎板垣ノ三郎。稲毛ノ三郎端見谷ノ四郎ヲ始トシテ。都合其勢三万五千余騎。近江ノ国勢田ノ詰に陳((陣))ヲ取ル。又搦手ノ大将軍ハ。九郎御曹子義経に。同相伴なふ侍ハ。保田ノ三郎大内ノ太郎。梶原源太佐々木の四郎ヲ先として。 是ヨリ常ノ通り 〕    出立 嶋ノ物 狂言上下 腰帯 扇 〔人皇五拾六代清和天皇ノ御流レ前陸奥守鎮守府将軍八幡太郎義家ノ末葉六條判官為義ノ孫也 征夷大将軍従四位下伊予守源朝臣義仲公稚名ハ駒王丸父ハ義賢 元暦元歳辰正月廿一日朝日将軍木曽義仲公行年三拾一歳 今井四郎兼平三拾三歳 義仲赤地ノ錦鎧直垂ウスカネト云甲 木曽ト兼平宝永三年迄五百廿五年〕   拾二 実盛 〇「是ハ加賀の国篠原の里に住者にて候。唯今此所へ遊行(ユキヨウ)拾四代。陀阿弥上人御着なれバ。心指のともがらハ皆々御参候へや 「誠(マコト)やらん只今承れバ。お上人ハ日中の已後物を仰らるゝを聞。座中に人の有かと存れば他に誰も見えざる折柄。問つ(トハレツ)答つ(トウツ)請つ(ウケツ)ながひつ語給ふを。所の面々寄((奇))特に思われ。拙者に不審(フシン)仕れとの御事なれば。先あれへ参り此由申さうずる。唯今参りて候 「さん候 拙者も早々に伺公致し。老少(ロウセウ)不定(フセウ)の世の習なれば。有難御経をも聴聞(チヨウモン)可申を。明暮せい路の経営にのミ心を懸。彼方此方と隙を得ずして。今迄延引迷惑仕て候 「又当所の老若申され事に。誠哉覧 お上人様ハ日中の時分。独り事を御意被成るゝ由申。余りに不思義((議))成御事なれば。少と某に尊意を得よかしと有に付。そつじながら是迄伺公致たるが。何とも思召あわせらるゝ義ハ無御座候か (「)先実盛(サネモリ)ハ北国(ホツコク)の住人成ルが。初の程ハ源氏の侍にて。武蔵の国永井(ナカイ)の(ノ)庄(シヨウ)を領地(リヨウチ)に給り(タマハリ)。夫より永井(ナガイ)の斎藤(サイトウ)別当(ベツトウ)実盛とハ申す。然れども世(ヨ)に(ニ)随ふ(シタコウ)習にて。治承(チセウ)の比(コロ)より平家の味方(ミカタ)と成り。斎藤五斎藤六とて兄弟の男子を。いつも主君(シユクン)の御前に属(ツケ)置て。別儀(ヘツギ)なく御奉公(コホウコウ)申されしが。有時東国へ出陳(シユツジン)の時分。此度永々(ナカ)の在陳(サイジン)ならば。隠無(カクレナキ)名を上うずると思ひ給へど。平家の軍兵(グンヒヨウ)にハいか成天魔(テンマ)も託添(ツキソヒ)けるか。未(イマダ)敵(カタキ)も見へぬ其先に。水鳥の立羽音(ハヲト)を聞て驚(ヲトロ)。跡をも見ずに空敷(ムナシク)帰(カイ)陳(ジン)せられ。其後此篠原(シノワラ)の合戦(カツセン)の時。実盛(サネモリ)ハ都(ミヤコ)鄙に名を得し兵成(ツワモノナル)ニより。大臣殿(ヲヽイドノ)より錦(ニシキ)の直垂(シタヽレ)を免(ユル)され。弓取つて(ユミトツテ)の面目(メンボク)是に過(スキ)じと悦(ヨロコビ)。いかさま今度ハ討死(ウチジニ)を心懸(カケ)給ひたるか。武具(ブグ)を声花(ハナヤカ)に僄々(カル)と拵(コシラヘ)。都を討立(ウツタチ)東国へ下着(ケチヤク)の(ノ)砌(ミギリ)。義仲ハ五萬余騎にて討(ウツ)て登り(ノホリ)。是にて戦に(タヽカイニ)及と(ヲヨブト)雖(イヘト)。軍半迄(イクサナカハマデ)ハ左右方(ソヲホウ)牛角(ゴカク)に有つるが。木曽殿の方にハ勢強(イキヲヒツヨク)テ。味方か少シ右手(メテ)に見えしを。懸れや〳〵と声をはかりに勇れど(イサムレト)。前(マヘ)方におくれをとりし武者なれば。下知(ゲジ)をも聞ず我先にと敗軍(ハイグン)致を。斎藤別当ハ独(ヒトリ)と無念に存ぜられ。何共して大将とくまんと巧ミ。敵の中へ分て入り〔〇((朱))〕左右へ切り廻りしが〔〇次((朱))〕光盛(ミツモリ)に渡り合討死(ウチジニ)有りたると申。先我等の存為((たる))ハ如此に候 〇「言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。何国ともなく老人の来。左様の御物語致さうずる者。此他((あたり))ニてハ不覚候が。扨ハ〔我等の存ルにハ。〕お僧の(お僧様の)御心中貴う在すにより。いにしへの斎藤別当の亡魂(ボウコン)顕(アラハレ)出。声詞を替され為かと存ル間。余りに不審成御事なれば。篠原の池の辺(ホトリ)へ御出被成。彼(カノ)跡(アト)を御弔(トムライ)有。重て寄特を御覧あれかしと存ル 「畏て候〔ト云テ立 シテ柱ノサキニテ〕やあ〳〵皆々承り候へ。此中遊行お上人ハ夢現共なき折節に。斎藤別当の亡魂来り給へハ。お上人ハ篠原の池の辺(ホトリ)へ御出被成。臨時(リンシ)の踊念仏(ヲドリネンフツ)を以。実盛の御菩提(ホダイ)を御吊((弔))有べきとの御事なれば。老若共に心指の人々ハ罷出られよとの御事なり。相構て其分心得候へ〳〵   出立 嶋ノ物 狂言上下 腰帯 扇 〔「去程に当所の人々申されけるハ遊行上人ハ日中のいご物を仰らるゝを聞 座中に人の有かと存れば他りに誰も見へさるおりふしとうつこたへつうけつなかひつ語り給ふを所の面々きとくにおもわれ拙者にふしん仕れとの御事なれば先あれゑ参り此由申さうする 只今参りて候 「さん候 拙者も早々に伺公いたし老少不定の世の習なれば有かたき御経をも聴聞申へきを明暮せいろのいとなミにのミ心をかけかなたこなたと隙を得すして今迄延引めいわく仕て候 〕 〔言語道断寄特成事を仰らるゝ物かな。左様の老人ハ。いにしへの斎藤別当の亡魂にて御座有ふするとすいりやういたす。それをいかにと申に。あとをもしか〳〵と吊人も御座なきにより。一遍の御ゑこうにもあづかり度思召顕出。声詞をかわされたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。しのはらのいけのほとりへ御出被成。彼跡を御弔有。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔去程に当所の面々申され事に。此中上人ハ日中の時分物を仰らるゝを皆々聞に。座中に人の有かと存れハあたりに誰もみへざる折から。とうつこたへつうけつなかいつかたり給ふを。老若共にきどくにおもわれ。拙者にふしん仕れと有ル程に。急参り此由申さばやと存る。只今参次て候 「我等もとくに参り申べきを。かなたこなたひまを得す延引めいわく仕候。又只今参る事よのぎにあらず。まことやらん上人様ハ。日中のいごひとり事を御意被成るゝ由申候。あまりにふしき成御事なれば。拙者にちとそんいをゑよかしと有ルにつき。そつじながら是まで伺公いたしたるが。なにとも思召合らるゝぎハ御座なく候か 「是ハきとく成事を仰らるゝ物かな。真((実))盛ハ此しのはら合戦に打れ給ひし故。亡魂顕出ことばをかわされたるかと存ル間。しのはらのいけのほとりへ御出有り。かのあとを御吊((弔))あれかしと存る 「さあらば其由相ふれ申さうずる。やあ〳〵此辺の面々承り候へ。此中上人ハ夢うつゝともなき折ふし。さねもりの亡心あらわれ給へハ。しのはらのいけのほとりにをいて。りんしのおどり念仏と以て。かの御ほだいを御弔有へきとの御事なれば。かまへて其分心得候へ〳〵〕 〔△(「)御僧の御心中たつとう御座スニより。しゆらのくげんのまぬかれたく思ひ。実盛の〕 〔△初ニワキ出ル しやうぎにこし懸テから狂言本幕ニテ出テ名乗事も有り 又ワキ出ルト其まゝ出テ太皷座ニいてワキしやうきにこしかけると太皷座より立て名乗事も有り〕 〔保元ニ義朝ノ侍 後治承ノ比ヨリ平家ノ味方 七拾三歳討死 平真貞カ子ナリ〕 〔△相模ノ国藤沢遊行寺ノ開山一遍上人ハ伊予ノ国河野七郎通広カ二男ナリ 発心シテ始ハ天台宗タリシガ十八歳ニシテ都西山善恵上人の会下ニ至リ浄土ノ一家ヲ心ムル事十トセアマリ其後建治年中ニ熊野ヘ参詣し直ニ権現ノ御正躰ヲ拝ミ奉リ神勅ヲ蒙リテヨリ諸国ヲ遊行スル事初リタリ 日蓮上人ト同時ノ人也 昔ハ方外ノ御友ニ有ナン〕   拾三 朝長 「誰にて渡り候ぞ 「さん候 朝長の御(〔ゴ〕)墓所ハ。(ハカシヨ〔ムシヨト云ガヨシ〕)あれに見へたる森の中に。塔婆(トヲバ)の数多候。中にも新(アタラシ)キか朝長の御験(シルシ)にて候間。初為(ハジメタル)御方ならバ御出有て御覧候え 「御用の事あらば被仰候へ 「心得申候 〔ト云テ太皷座ニ下ニ居ル〕 「御前ニ候 「畏て候〔ト云テ太皷座ニ下ニイテ幕の内へ入たるを見て夫よりシテ柱のさきへ立テ〕 是ハ如何な事。いつも旅人の御着(ツキ)なれバ。座敷を取をけの。いや此方へ申せのとまで有ルが。此度ハ我等に罷出宦へ(ミヤスカヘ)致せと有ハ。如何様成御方を御同道有たるぞ。何様不審に存ル〔ト云テワキ方ミテ〕 いや是ハ最前御目に懸りたるお僧にて御座候よ 我等ハ此家の主(アルジ)に仕へ申者成が。参て宮仕へ(ミヤスカヘ)致せと有により。取物も取敢ず罷出て御座る。拙者も時分の用所有て行か。又ハ頼申人の御使に参るかして。一年にハ五度も三度も彼方此方えお登((上))り仕ルが。何と心安ひ所じやと申ても。旅宿ハ万ふぢゆうな物なれば。何にても〔に〕あいの御用あらば我等に仰付られうずる。随分御地((馳))走申上うずる 「是ハ思ひもよらぬ事を仰らるゝ物かな。我等も此所に住者とハ申ながら。左様の御事しかとハ不存候乍去。旅のお慰のためここかしこ御物語申さふずる 「先左馬の頭義朝ハ平治の夜軍に討負(ウチマケ)給ひ。僅(ワスカ)の勢を引供し(グシ)東国の方を心懸御落成されしが。龍家(リウケ)越にハ逆茂木(サカモギ)を挽(ヒキ)搔(カイ)楯(ダテ)をかいて。横川(ヨコカワ)法師(ホウシ)五百人弓に矢属(ヤヲハケ)て(テ)相待けるが。大勢の中より指詰引詰射ける矢に。進(シン)朝長(トモナガ)の弓手の御膝(ヒザ)口(グチ)を健に(シタヽカニ)射(イル)を。其矢を(ソノヤヲ)貫て(ヌイテ)ことゝもせず。御乗替(ヲンノリカヘ)に召(メシ)て落(ヲチ)給ふ。御供の人々も少々有しが。頓(ヤガ)テ御暇(イトマ)給り唯(タヽ)八騎にて御落被成しが。不破(フハ)の関(セキ)をば敵(テキ)堅(カタメ)たりと思召。夫より小関にかゝり此所まで御出有しが。廿八日の夜の事なればくらさハくらし雪ハ降(フリ)。終(ツイ)に兵衛の佐殿をバ路次にてとりおとし給ひ。洋(ヨウ)々是へ着(ツカ)せ給ふを。此家のあるじハ浅からず饗応(モテナシ)奉ル(タテマツル)。時節(ヲリフシ)左馬の頭仰られけるやうハ。是より義平ハ飛騨(ヒダ)の国へ行東仙道(トウセントウ)を切テ登り(ノホリ)給へ。次男朝長ハ信州に下り。甲斐(カイ)信濃(シナノヽ)の源氏共を催(モヨウ)して上落(セウラク)あれ。我ハ東国へ下り勢を付。街道(カイドヲ)を攻(セメ)登((上))るべしと御意被成し故。頓(ヤカ)て悪源太ハ飛騨の国の方へ山路に付て御越有ル。左有に仍テ朝長も父の仰のごとく被成んと思召と。道(リウケ)にての御手難(ナン)義成ルを。何が寒天(カンテン)の時分余所(ヨソ)さへ属(ハゲシキ)雪の空に。うき近江路を陵(シノガ)せ給ひ。摺針(スリハリ)膽吹(イフキ)の大雪に御身(ヲンミ)も痓(スクミ)。行歩(キヨウフ)も次第に叶ざれバ。頓テ(ヤガテ)帳台(チヤウダイ)に入せ給ひ御心静(シスカ)に念仏(ネンフツ)と御唱(トナヘ)被成。難方((なんぼう))痛敷(イタハシキ)御事なるぞ。はたちにだにもたらせ給わで。安倍(アエ)なく御自害(ジカイ)なされ候。義朝深き御嘆(ヲンナケキ)の色(イロ)見ゑけれど。会者定離(ヱシヤセウリ)の習元来(モトヨリ)貴賤(キセン)の隔(ヘタテ)なければ。昌((正))清諫(イサメ)奉り川舟に乗せ申シ。野間(ノマ)の(ノ)内海(ウツミ)へ移(ウツ)シ奉り給ひしが。舅(シウト)の長田(ヲサダ)心替りし。主君(シユクン)左馬の頭の事ハ申に及ず。聟(ムコ)の鎌田迄を竊(タハカ)り闇(ヤミ)々と討為(ウチタル)と申す。然ハ長は一度たのまれまいらせし。其心中をたがへてはと思われ、いつも七日〳〵にハ御墓所(ゴムシヨ)へまいり。花水を手向御跡を吊((弔))ひ申さるゝ。又今日も御命日(メイニチ)に相当り墓所(ムシヨ)へ参られたるに。夫より旁(カタ)々を御同道有為ハ。如何様義朝の御一門衆か。扨は朝長の御所縁(ユカリ)の御方か。如何様唯人にで((ママ))ハ御座るまひ。我等ハくるしからぬ者なれバ。つゝまず御名字を御明し候へ 〇「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。扨ハ〔カタガタハ〕朝長の深き御よしミ成ゆへ。か様の怨敵(ヲンテキ)の中を忍びて是迄御下向ハ。誠に奇特成御事と存候。申迄ハ無御座候え共。暫是に御座候て。朝長の御菩提(ホイ〔ホタイ〕)を心静に御吊ひあれかしと存る 「夫ハ近比にて候。左有らバ長にも其通りを申。我等も是にて聴聞申さうするにて候 「心得申候 〔△帳台ト云ハ俗ニテ云奥ノ室也〕 〔△宝生流ワキ出ルト狂言おつ付出テ太皷座ニイル ワキ呼出しむしよを尋ル時ワキシテ柱ノ内ニいてはしかゝりの方ミてよふ 狂言ハ一の松に立ていて云てよし 朝長のむしよをおしへて又太皷座ニ下ニ居る シテ中入ノ時ニシテ。ツレヲ呼出シテ云付ル 夫よりシテ中入する 其間ツレふたいニつくぼうて待ていてシテかくやへ入ルトツレ立テぶたいの真中ニて(「)いかに誰か有 と云時ニ狂言シテ柱のきわにかたひさ立て下ニいる時にツレ云付ルト狂言(「)畏て候 ト云テ又太皷座行下ニ居る時ニツレ中入する とくとまくをおろして狂言シテ柱の先へ出テ立テいて間を云テワキヲ見付テ下ニいて常ノ通 △宝生流中入の時ツレヲ呼出ス事 シテ(「)いかに誰か有 ツレ(「)御前ニ候 シテ「罷出ミやつかひ致せと申付候へ ツレ(「)畏て候 大夫かくやへ入内うつぶひて待ている まくおろすと真中へ出テ狂言を呼 (ツレ「)いかに誰か有 狂言(「)御前ニ候 と云 色々有テツレ中入 右の通り 〇ツレ男太刀持也〕 〔△喜多流中入の時ぶたひの真中ニて呼出ス 狂言目付柱の方ニ下にいて請テ立て太皷座へ行下ニいてシテまくの内へいると狂言シテ柱の先へ出テ常ノ通り ツレハなし シテ狂言にじきにゐ付る 又シテ柱ニテ呼時ハ狂言橋掛ノ方ニいて請ル △又シテノ云付ルを請テシテを通し其間かたひさ立テ待ていてシテを通し橋かゝりへ行時立テ太皷座ニ入ル シテまくおろしてから 扨シテ柱の先へ出テ右の通り云合ノ時呼出ス所を尋べし〕 〔△大蔵太夫流義ニテハ中入狂言ヲ呼出ス事なし 其時ハ狂言呼出シなく候てもシテ中入して幕ヲおろすと立テ常ノ通りヲ云〕      拾四 惟((維))盛 「是ハ此浦のりやうしにて候。此中ハ彼是致て見舞不申候。今日ハ幸隙にて候間。浜へ罷出海づらを見うと存ル。いや是成お僧ハ。何国より何方への御通りなれば是にハ御座候ぞ 「去程に惟盛(コレモリ)と申ハ。平家の大将清盛の御孫なれば。重盛の御子法名を浄円(ヱン)と申て。御年廿七歳の時寿永三年三月廿八日ニ。那智(ナチ)の沖(ヲキ)にてじゆすひ有為((たる))様躰ハ。取々に申習といゑども。我等こそ柁人(カントリ)致し有増(アラマシ)御心根を承(ウケタマハル)ニ。定なきハ目前の浮世所々の軍に理なかりし故。一門味方ちり〳〵になつて。うんつきゆミおれたる有様なれば。つく〴〵と世上の有様を思召被出(イダサレ)。誠の道に深クおもむく高野山に登り。貴(タツト)き聖(チシキ)と御契約(ケイヤク)有。御さまを替られ去ル(タキグチノ)聖を(ヒシリヲ)頼ミしもらく(シバラク)山に御在(ヲワシマ)ス。有時思召るゝハ我かくながらへたるといへ共。二度人に面を合(アワス)べしとも思わず。長き(ナガキ)世の楽(タノシミ)に熊野々権現に参り。山々を廻(メグ)り拝ミ(ハイシ)奉覧と。去ル(タキグチノ)聖(ヒシリ)を伴(トモナ)ひ当浦へ御着(ツキ)の折拪((柄))ハ。与惣兵衛重景(シケカケ)石童丸(イシドウマロ)舎人(トネリ)の武郷(タケザト)上下三人より外ハ無シ。其時我等の舟に乗せ申シ押(ヲシ)出ス所に。有(アル)中嶋を御覧有ツテ。如何(イカ)成所ぞと御尋有程に。あれこそ帆立(ホタテ)嶋と申て補陀洛(フダラク)へ御参有方々ハ。あの嶋にて柱を立帆(ホウ)を引(ヒキ)〔モウス〕なりと語れバ。見物有度由仰らるゝ程に。御舟をよすると其まゝ岸(キシ)にあがり。一本成松を削(ケスリ)旧跡(メウセキ)こま〴〵と御書有ハ。祖父(ソブ)平の朝臣(アソン)清盛公(キヨモリコウ)法名(ホヲミヨウヲ)浄海(シヤウカイ)。親父(シンブ)ニ小松重盛公(シケモリコヲ)法名浄連(シヤウレン)。三位(サンミ)の中将惟盛(コレモリ)法名(ホウミヤウ)浄(シヤウ)円(ヱン)。廿七歳寿永(シユエイ)三年三月廿八日那智(ナチ)の沖ニテ入水(シユスイ)と書付。そのまゝ〔身ヲナゲ〕空敷(ムナシク)成給ふ。御供二人つゞいて身を投(ナケ)ケ。舎人(トネリ)の武郷(タケザト)もなげんとす(シケ)るを。某是悲((非))なく留て其人こそ御形見を持都へとゞけ。御跡をも弔給ふ由(モウサルヽヨシ)申ス。(ウケタマハル)聞人(イマニキクモノ)我等に至迄折々回向仕候。何と思召御尋被成候ぞ 近比不審(フシン)に御座候 「左様の御方共存ぜずして。唯今ハりやうじ成事を申迷惑仕候。然らバ是に御逗留あり。惟盛(コレモリ)の御跡を懇に御弔あれかしと存ル 〔与惣兵衛重景〇石童丸〇舎人武里御供三人〇惟盛哥〔古里の松風我を恨むらん 底のミくずとなりはつるミを〕〕 〔△平家物語ニハ山ナリノ嶋ト有 盛衰記ニハコガネ嶋ト有 間ノ本ニハ帆立嶋ト有り〕 〔「何事にて候ぞ 「我等も爰元に住居仕り候間。左様にハ承りて候へ共。所がどこか存せず候。いや思ひ出したる事の候。これもりの御弔ひの為とて。夜念仏申人の候が。爰を此人の御存じ候べし。毎夜此いそべを御通り有ルが。よう〳〵時分にて候間。是をまちてくわしく御尋有うずるにて候 トモ云〕 〔(「)扨ハ惟盛修羅ノ業因深ク座スニヨリ。常ニ此当り者((ママ))ニまミへ給ふか。終に我等ハ見不申候。申迄ハ御座なく候へ共。惟盛の御跡ヲ念比ニ御弔ひ有かしと存ル〕 〔平相国清盛 宝永三年迄ニ五百廿六年〕   拾五 東北 「誰にて渡り候ぞ 「さん候 此梅ハ和泉(イツミ)式部(シキブ)の植(ウヘ)給ふにより。其名を改メ和泉式部と申て。天下無隠名木(メイボク)なれば。心(コヽロ)静(シスカ)に御詠((眺))有うずる 「御用の事あらば被仰候え 「心得申候 「最前旅のお僧の。都初メたる人と見へて。東北院の梅花を御尋有し程に。則和泉式部と教(ヲシ)へもふしたるが。未あれに御座るか。但シ何国へも御通り有たるか参て見申さうする〔ト云テワキヲミテ〕いや最前のお僧ハ未是に御座候よ 「中々最前御目に懸りたる者にて候 「心得申候〔下ニ居テ〕扨お尋有度とハ如何様成御用にて候ぞ〔是より常の通〕 「先都の中ニ霊仏(レイフツ)霊社(レイシヤ)多シといへど。爰許ハ無隠霊地(レイチ)の中に。殊(コト)更(サラ)此東北院と申ハ。昔上東門院の御所成し時。御内に名高き哥人数多あれと。中にも和泉式部と申御方ハ。〔本国ハ〕因幡の国うぶミの里の人なりしが。和泉の守の妻(ツマ)成ゆへに。則名を和泉式部と申て。上東門院に宮付((仕))給ひし時分。幼少の時より式(シキ)嶋(シマ)の道(ミチ)に執心(シウシン)深ク。明暮ことの心色香(カ)に染(ソメ)ば。おのづから其風(フウ)を得られて。何方にて御哥合の有時も。人に先達名哥をよみ給ふにより。和哥の達者と誉(ホマレ)をとられたると申す。又あの方丈の西の妻ハ。式部の御休(ヤスミ)所にて御座候ひしを。後にか様に御寺となしても。名匠(メイセウ)の住給ひし所なればとて。作りもかへず方丈の中にこめをき。今に式部の伏戸(フシト)成由語り伝へ候。然ハ此梅を和泉式部と申子細ハ。式部の手柄(テツカラ)植給ふにより。則名を和泉式部とハ申習す。又方丈の軒(ノキ)近(チカ)く植給ふにより。軒端(ノキバ)の梅とも申実(ケニ)候。最前も語りしごとく。式部此梅を植置。春の花盛(ハナサカリ)ハ申に不及。夏の梢(コスヘ)しげる中(ウチ)にも。若炎天の梅蘂(スイ)も出ルかと疑ひ(ウタカイ)。秋ハ梅の紅葉を一入愛し(アヒシ)。冬ハ寒苔を経ル(ヘル)が面白キなどゝて。四季共に目枯せず詠((眺))メ給ひしを。忝も帝聞召勅諚(チヨクセウ)として召れしに。式部ハ梅を惜(ヲシ)ミ御文章(タマツサ)をまいらせらるゝ其哥に。勅なれば最賢(イトモカシコシ)鶯の。宿ハと(ヤドワト)問ハ(トワバ)如何(イカヾ)答ゑん(コタヱン)と。忝も天子此哥を詠覧有て。扨ハ鶯の宿の梅にて有ならば。定て名ハ鶯(ウクイス)宿梅にて有うずるとて。重て綸旨(リンシ)を被成。夫より此梅をば鶯(ウクイス)宿梅共申し。又綸旨を蒙りたる梅なれば。綸旨(リンシ)梅ニても有ふずるとの御事に候。まづ我等の存たるハ如此ニ候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様ニ何国共なく女性の来り。東北院の子細。又梅花のいわれなと委語べき者。此他((あた))りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴う(タツトウ)座す(マシマス)により。和泉式部の御亡心(コボウシン)顕(アラワレ)出。声詞をかわされたるかと存ル間。お僧も左様に有つべしく思召ば。〔末ハいそぎのたびなりとも〕暫是に御逗留被成。有難御経をも御読誦被成(アリ)。重て寄特を御覧なれかしと存ル 「御尤ニ候   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇 〔〇「言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様ニいづくともなく女性の来。東北院のばいくわのしさいくわしく語べき者。此他りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中たつとうましますにより。〔イツミ〕式部の御ぼうしんあらわれ出。こへことばを御かわし被成たるかと存ル間。しばらく是に御逗留有り。重てきどくを御覧なれかしと存ル〕 〔「誰にて渡り候そ 「御尋尤ニ候。此梅ハ和泉式部と申て。世に隠なき名木なれば。心静に御詠あらうずる 「最前都初たるお僧とて。東北院の梅花をお尋有し程に。則おしへてやり申たるが。未あれに御座ルか。但し何方へも御通り有たるか参りて見申さうする。いやいまだ是に御座候よ 「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。扨ハ都初て一見のお僧なれば。誰有て此名木の子細を。語り申べき者有間敷と思召。和泉式部の亡魂顕出。委ク御物語有たると存ル間。今宵ハ木影に御逗留有り。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔鶯宿梅後鳥羽院ノ時京洛(ニ)有(リ)二寡(クハ)婦一園(ニ)植二一株(チウ)梅(ハイ)一紅白相交(マジハル)其花最(モトモ)異(コトニ)毎春有(リ)レ鶯来(リ)宿ス可レ謂鶯花(ト)相得(ト)矣 為レ勅被レ召レ之婦作二和哥ヲ(一)云 勅なれば最賢キ鶯の宿ハと問ハいかゞ答ン。故ニ有二叡感一不移玉ハ問テ哥ニ云ニ〕 〔△薄紅梅也 初ハ五葉ト云 後綸旨ヲ蒙リ六葉ト云 今ハ紅梅ニして五葉也ト云〕 〔△御堂関白道長公ノ御願所 王城ノ鬼門ヨリ流ケル川よけの為都ノ北ト東ノ間をふさぎ御建立有ニ依テ東北院ト号ス 〇御堂関白ノ御息女一条院ノ后後ニ上東門院此所ニ住給ひ和泉式部ハ此方丈の西ノ妻ヲしつらひ軒葉に梅□植テアイシ〕 〔和泉式部後ニ平井保昌ノ妻ニ成息女ヲサダヱ小式部ト云 百人一首ノ内権中納言定頼妻 後ニイズミ式部ヲ大原ニ痤子寝明神トイハヒ〕   拾六 芭蕉 「是ハ唐土楚(ソ)国の傍(カタハラ)に住者にて候。爰に宴水の辺に貴き〔ヲ〕僧の在スが。毎日毎夜御経を不怠(ヲコタラス)読誦(ドクシユ)被成るゝ間。参て聴聞仕らばやと存ル。唯今参じて候 「さん候 拙者も早々に伺公致シ。老少不定の世の習なれば。有難御経をも聴聞申べきを。何かと仕(イタシ)今迄延引迷惑仕テ候 (「)尒((去))程に芭蕉と申物ハ。其(ソノ)情(セイ)凡(ヲヨソ)の物にてハなきかとの御事ニ候。夫を如何と申に。先春の時分より少見(ホノ)と萌出(モヘイテ)けるが。生(ヲヒ)立(タチ)次第に卒死葉(マクレハ)も綻ル(ホコロフル)とハ云ながら。太方雷(ライ)の声(コヘ)を聞てならでハ。葉(ハ)を思ひのまゝにひらかぬ物にて有由申す。然ハ漢の季((李))夫人ハ此世の縁もつきけるか。程なく空敷(ムナシク)成給ひしを。野辺(ヘン)の土(ド)中(チウ)に籠(コメ)置き。其塚の中(ウヱ)にハ芭蕉(バセウ)の生茂(ヲヒシケ)りたるを。世を渡ル狩人(カリヒト)山より鹿(シカ)をおひ出し。是を退(ノガ)さじと彼塚を追欠(ヲヒカケ)来るを。季夫人ハ痛敷(イタワシク)哉思われけん。芭蕉の景(カケ)に鹿(シカ)を隠(カク)し置(ヲキ)給ふ故。猟師(リヤウシ)ハ行(ユク)衛(ヱ)を見失ひ(ミウシナヒ)帰(カヱ)る折節。畜類(チクルイ)の非し(カナシ)さハ一声弐声鳴(ナク)を聞。狩人立帰り一矢射止メ(ウチトヽメ)申す。其時季夫人の御歌に。隠し置かひなき鹿の声たてゝ。おもひいるさの山ぞつれなきと。か様に遊されたる由承る。又雪の中の芭蕉の偽(イツワレ)ルとハ。昔唐土に王磨詰と申御方を召れ。帝より四季の芭蕉を書せ給ふに。春夏秋迄ハ残ず(ノコラス)写(ウツ)しけるが。冬の躰にても候か芭蕉を能云((書))。是に雪を健(シタヽカ)に持せたる有様ハ。言語道断珍敷見事なれど。併雪中にハ無物成によつて。雪の中の芭蕉の偽れる姿とハ。此子細にて有実((げに))候〔〇((朱))〕又芭蕉ハ仏法にも用(モチ)ひ申さるゝか。有((或))貴き僧の有しが。庭前(テイセン)に彼名草を植置れ。則其院主(インシユ)の哥に。ふる寺の庭(ニワ)の芭蕉ハ一もとの。数多にさけと秋風ぞ吹と。かくゑひじ給ひたる実候〔〇次((朱))〕是に付数多子細の有とハいへど。先我等の存為((たる))ハ如此候 〇「近比寄((奇))特成事を仰らるゝ物かな。左様に何国ともなく女性の罷出。御経を聴聞申べき者。此他((あたり))にに((ママ))てハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴う在すにより。芭蕉の情((精))仮に女と現じ。声詞をかわしたるかと存ル間。余りに不思義((議))成事なれば。弥草木成仏の御経の御法を遊し。重て寄特を御覧なれかしと存ル 「左有らバ我等ハ御暇を申。重て御見舞申上うずる 〔「只今参次て候 「我等もとくに参り申べきを。彼方此方隙をゑずし〔て今迄延〕引めいわく仕候〕 〔「是ハきどく成事を仰せらるゝ物かな。左様によな〳〵女人の来ルべき者。爰元にてハ覚へず候。扨ハお僧の御心中たつときにより。芭蕉の情((精))魂あらわれ出。有がたき御経をもちやうもん申たるかと存ル間。猶も御経御どくじゆあれかしと存ル〕 〔△高安流にてハ(「)只今さんじて候 と云所を(「)今日もおこたり申て候 と云 ワキ(「)何とてけふハおこたられて候そ (狂言)「さん候 拙者も早々に伺公いたし有難御経をもちやうもん申べきを何角と仕今迄延引めいわく仕候 〇ワキ(「)いや〳〵くるしからす候 先ゆる〳〵と被語候へ (狂言)「心得申候 「存よられざる尋事にて候へども 常ノ通リ〕 〔(「)かくしつるかいなきしかのこへたてゝおもい居るさの山にいるかな 古寺のにわのはせをハひともとのあまたになれと秋風ぞふく 〈芭蕉〉ノ間ニせうろくと云間有ルト云〕   拾七 采女 (「)是ハ和州南都に住者にて候。今日ハ物徒然((さびし))き折柄なれバ。猿沢(サルサワ)の池の辺(アタリ)へ立出心を慰はやと存ル。いや是成お僧ハ (「)唯今御尋被成るゝ采女と申ハ。国々より藐(カタチ)能(ヨキ)女を内裏(ダイリ)へ上申を。禁中(キンチウ)にて召遣れし上童(ウヘワラハ)の名にて候。然ルを昔天の帝(ミカド)の御宇成に。独(ヒトリ)の采女の有けるが。君の叡慮(ヱイリヨ)あさからずして。君(クン)辺(ヘン)を片時(ヘンシ)も立去ル事のなかりしを。昔より美女(ビニヨ)ハ悪女(アクシヨ)の敵(カタキ)とて。其(ソノ)朋友(トモトチ)の中に嫉(ネタム)も有り。又心有程の女人ハ。如何成能き月日に生じ(セウジ)て叡慮(ヱイリヨ)に叶ひ。玉躰(ヲヽテイ)に近付栄花(ヱイクハ)の身と成を。妹子にもあやからせたきなどゝ申折ふし。高ひも卑(ヒキヒ)も妹背(イモセ)の中ハ移(ウツ)り替(カワ)ル習とて。程なく愛(スサ)メられて後にハ召ざりしを。女のはかなさわ及ずながら君を恨(ウラ)ミ参らせ。有((或))時大内(ヲヽウチ)を独り(ヒトリ)忍(シノビ)出て。此猿沢の池え身を投(ナケ)空敷(ムナシク)成を。有人の見付女の身を投(ナケ)為((たる))と申を聞。近辺の老若寄て是を見るに。上なる衣ハ水の浮草のごとく波(ナミ)にゆらるゝを。捕上(トリアケ)あれなる楊柳に懸(カケ)置(ヲキ)しゆへ。今に是を衣懸(カケ)柳(ヤナキ)とハ申習す。此事たれ奏(ソウ)すとハなけれども。帝聞召れ忝も此猿沢の池の辺へ御幸有て。天子の死人の御覧せらるゝ事ハなけれども。余りの痛敷(イタワシ)さに采女が死骸(カイ)を叡覧(ヱイラン)有つて。龍(リヨウ)眼(メ〔ガン〕ニ)に御涙(ナミダ)を浮(ウカメ)メられて御哥に。脇(ワキ)母子(モコ)が祢(ね)くたれがミを猿沢の。池の玉藻と(タマモト)見るぞ悲しきと。かく遊(アソバ)されたる由申ス。又一説(イツセツ)にハ人丸の哥成由承る。然ルに当社春日大明神と申奉ルハ。元ハ河内の国平岡に御在(ヲワシマ)スが。不測(フシキ)の瑞(スイ)見(ケン)有て神護(シンコ)景雲(ケイウン)弐年に。此三笠山の本宮の峯に勧請被成。藤原の氏人よりて神木を植給ひ。かやうに夥敷(ヲヒタヽシキ)御山となれと。当社の御誓(チカ)ひに人の参詣ハ嬉しけれど。木の葉の一葉(イチヨウ)も裔(モスソ)に付てや去りぬべきと。か様に深く惜(ヲシ)ませ給ふと聞。大風大雪にハ諸木の様をきにいたし。大木の枝をふきさき古木のおれたるをも。一葉(イチヨウ)一枝(イツシ)取事もならず。おのづから偈(カツ)仰(コウ)申候。当社春日大明神の御甚秘(ゴジンビ)。又ハ采女に付数多謂(イワレ)の有とハ申せど。先我等の存為ハ如此候 〇「言語道断寄((奇))特成を仰らるゝ物哉。左様にいづくともなく女性の来り。当社の子細又ハ采女の謂など委可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴ましますにより。采女のぼうしん顕出。声詞をかわされたるかと存ル間。余りにふしぎ成御事なれば。暫是に御逗留有り。重て寄特を御覧あれかしと存る 〔「是ハきとく成事を仰らるゝ物哉。左様にいづくともしらす女性の来り。当社の御いわれと。又采女の子細なとを委ク語り申べき者。爰元にてハ覚へず候が。扨ハお僧の御心中たつときにより。いにしへのうねめのぼうこんあらわれ出。詞をかわされたるかと存ル間。しばらく是ニ御逗留有り。彼跡を御弔あれかしと存る〕 〔天ノ帝ト云ハ仁((人))王三拾九代天智天皇ノ御事〕   拾八 江口 「誰にて渡り候ぞ 「さん候 江口の長の旧跡(キウセキ)ハ。あれに見ゑたる藪(ヤフ)の中にて候間。初たる御方ならバ御出有て御覧候へ 「御用のあらば被仰候へ 「心得申候 (「)最前旅のお僧の。江口の君の旧跡をお尋有シ程に。則教てやり申たるが。未あれに御座ルか。但シ何国へも御通り有為((たる))か参て見申さうずる。いや是ハ寄((奇))特と御逗留にて候 「中々最前御目ニかゝりたる者にて候 「心得申候 〔是より常の通〕 (「)余((去))程に江口の君の本国ハ。周防の国室住(ムロスミ)の郷(ゴウ)の中。なかの御手洗(ミタライ)の御方なりしが。衆生(シユセウ)斉(サイ)渡(ド)の為に流(ナガレ)を立る身となりて。諸国を廻り給ふ所に。有時当国中嶋此江口の里へ御出有。爰をばいかなる所ぞとお尋あれば。是ハ江口の里と申上ル。扨ハ我が名に似(ニ)為(タル)所の余所(ヨソ)にも有よと思召。則此所に流(ナガレ)を立て御座候折節。西行ハ立寄一夜の宿を借り給ふ〔ニ〕。内よりもお宿ハ叶ふ間敷由申を。憲清(ノリキヨ)ハ何となく。世の中を厭(イトウ)までこそかたからめ。仮(カリ)の宿りを惜(ヲシ)む君かなとよミ給へバ。長ハをしまぬ由の御返哥有たる由承る。誠に江口の君ハ普賢菩薩(フケンボサツ)の化身(ケシン)成由申す。夫を如何にと云に。播磨(ハリマ)の国書写(シヨシヤ)の開山性空(カイサンシヤウクウ)上人ハ。ならびなき貴僧にて御座すゆへ。円教(ヱンギヤウ)寺を行澄して御座候時分。正身の普賢菩薩(フケンボサツ)と((ママ))拝ミ申度と。一七日文珠(モンシユ)に御祈誓(コキセイ)あれば。満(マンス)ル夜の夢(ユメ)の告(ツケ)に。津の国江口の長を御覧せよと有〔ニ〕つき。其まゝ是へ御出有しに。時節(ヲリフシ)長ハ船遊(フナユサン)を被成。拾人の遊女(ユウシヨ)を集(アツメ)メ酒宴(シユヱン)のなして御入有を。上人ハ閉目艮悉と(ヘイモクソソト)観念を無シ。是を能御覧有に。疑(ウタガイ)もなき普賢菩薩(フケンボサツ)にて御座候を。又開目則見(カイモクソツケン)と両眼(リヨウガン)の開(ヒラキ)き御覧すれば。本の江口の君にて有為由承ル。其後ハ真(マコト)の普賢菩薩(フケンホサツ)と顕れ(アラワレ)。光明(コウミヤウ)を放(ハナ)チ紫雲に乗じ。拾人の遊女ハ十羅刹(セツ)女と現じ。召たる御舟ハ白象と成テ。西方指て去り給ひ為(タル)とやらん承候。去ながら今も月の明々(メイ)と面白き折節ハ。此川辺を御舟に召れけるか。河逍遥(セウヨウ)の遊謡の音の聞ゆると申す。先我等の存為ハ如此に候 ○「言語道断寄特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく女性の罷出。仮(カリ)の宿りをおしまぬ由の返哥(ヘンカ)のことわり御物語致さう ずる者。此他((あた))りにてハ不覚候が。扨ハ我等の推量には。お僧の御心中貴う在すにより。いにしへの江口の長の亡魂(ボウシン)かりに顕れ。声詞を替されたるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれバ。暫是に御逗留有り。重て寄特を御覧なれかしと存る   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇 〔「是ハきとく成事を仰らるゝ物哉。左様に女人の古哥の理(コトハリ)を申さん人。爰元にてハ覚へず候。扨ハお僧の御心中貴きにより。いにしへの江口の君のぼうこんあらわれいで。詞をかわされたると存る間。しばらく是に御逗留り((ママ))有り。彼跡を御弔あれかしと存る〕 〔「言語道断寄特成事を仰らるゝ物かな。左様にいつく共なく女性の来り。かりのやどりをおしまぬ由の御返哥など申へき者。此他りにてハ覚ず候が。扨ハお僧の御心中たつとうましますにより。江口の君の御ぼうしんあらわれ出。こゑことばを御かわし被成たるかと存ル間。あまりにふしぎなる御事なれば。しばらく御とうりう有。かの御ぼだいをねんころに御とむらいあれかしと存ル〕 〔△中国周防くまげの郡中のミたらひ江ノ里たけのしたと云人の息女おさな名ハしゆんちよひめ御ともの上郎四五人有もろすミ川をかなたこなたへ御ゆうらん有り もろすミのなかのほどなるわたらひにかぜもふかぬに((ぞ?))さゞ波ぞたつ 此哥ハ六こんしやうに叶給ふたねと申ス 御舟の上に白雲お((ママ))ふをあの雲の立とまりたる所に定めうずると御舟を出ス はりまの国室津にて姫一人舟にのりそひ給ふ そい姫と云ハ是也 其きしをはなれ海上をへて白雲立とまりしゆんちよひめ尋給ふ 是ハ津の国中嶋の郡江口の里と申ス 本国ハ江の里是ハ江口の里上り給ひ衆生斉渡為((ママ))に流を立テ御座ス 其比より皆人江口ノ君と申ス 浪の音を上人聞召ニいちぶんぶつ。しやかむにぶつ。ぶふんぶつ。たほうぶつと聞ル 是ふもんほんのようもんなり 江口ノ里((ママ))我姿を上人が御存し有たるとて其まゝ天上し給ふ 上人名残をしく思召舟のともづなに御手をかけ給へハつな切テ君ハ天上被成るゝ 御手にとまりつなと思召ハ白象の尾ニテ有シ程ニ持テ諸社((書写))山ニ帰り今ニわか朝第一の霊宝ト申ス〕 〔△善仲善筭熊野よりからす飯をはこび天竺赤井の水を以テ大般若ヲ書写こんしこんでいなり 後ニ弐人仙人となり行方不知 後太子開夫より書写山と書なり しやうがうハ念仏の行者なり 性空上人宝永三年迄七百十年〕 〔世をいとう人としきけはかりのやとこゝろとむなと思ふばかりそ〕   拾九 井筒 「是ハ和州礒の上((石上))に住者にて候。今日ハ某の志ス日なれば。在原寺へ参らはやと存ル (「)昔此在原(アリワラ)寺と申にハ。在原の業平紀の有常の息女。夫婦住せ給ひたる所にて候。然ハ業平も有常の息女も。末いとけなかりし時ハ友達がたらいし。互に寄合御遊候時分。是成井筒に立寄水鏡(カヾミ)を見給ふに。何も御藐(カタチ)美敷(ウツクシク)お座せバ。我が陰(カケ)を人の陰と御争(アラソイ)有り。終朝夕終(アサナユウナ)手に手を取替し御狂(クルイ)有しが。程なく生(ヲイ)立給ひて後。息女ハ美女の誉(ホマレ)を取給わんなどゝ沙汰の有比。宰中将ハ彼御方を床敷思召。幼少の時云置(ヲキ)し事を思ひ出され。御玉章(タマスサ)をまいらせらるゝ其哥に。筒井幹(ツヽイツヽ)井筒に懸(カケ)シまろかだ((ママ))け。老(ヲヒ)にけらしないもミざるまにと。か様によミて参らせらるれば。頓(ヤガ)テ返哥の有ける。くらべこし振分髪(フリワケカミ)も片過(カタスギ)ぬ。きミならずして誰か上べきと。互(タガイ)に心とげてよミかわされし故。終にハ靡(ナビカ)せ給ひし程に。御契り浅柄((から))ぬ事にて有為((たる))と申す。去れ河内の国高安の里に。有ル女の有りており〳〵通給えば。定て息女厭(イトヒ)申されうずると思召所に。左様に御座なきを不審(フシキ)に思ひ給ひ。いつものごとく高安通ひと号(ゴウ)して御内を御出有り。庭の一村薄(スヽキ)の景(カケ)に立奇(ヨリ)御覧ずれば。紀の有常の息女ハそれをば夢(ユメ)にも御存シなく。夜半斗と思敷時分妻戸を明テいで。物案(モノアン)し姿(スガタ)にて暫(シバラ)クやすらひ給ひ。君が河内通ひの道の程の心元なきと有ル哥をゑひし給ふを業平聞召。か様に心替りのなき人を嫉(ネタミ)ミつる事よと。却(カエツ)テ我が身の心中を恥敷(ハツカシク)思召。夫より高安通ひを不通(フツト)と思ひ切り。夫婦の御中猶睦敷(ナヲムツマシク)有為と申す。業平紀の有常の御事に付。数多子細の有とハ申せど。先我等の存たるハ如此に候 ○「言語道断奇寄((奇))特成事を仰せらるゝ物かな。左様の女性ハうたごふ所もなき。紀の有常の息女の御亡心にて御座有うずると致推量。余りにふしぎ成御事なれば。暫是に御逗留有り。重てきどくを御覧なれかしと存ル 〔「言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様にいづく共なく女性の罷出。なり平紀の有常の息女の御事くわしく可語者。此他((あた))りにてハ覚す候が。扨ハ我等のすいりやう致ハ。御僧の御心中たつとうましますにより。有常の息女の御亡心あらわれいて。声詞を御かわし被成たるかと存る間。しばらく是に御逗留有。重てきとくを御覧あれかしと存ル〕 〔「是ハきどく成事を仰らるゝ物かな。左様に女人のふるき事を語り可申者。爰元にてハ覚す候が。扨ハお僧の御心中貴きにより。いにしゑの紀の有常の息女の亡魂顕出給ひ。御詞を替されたると存ル間。しばらく是に御逗留有り。彼跡を御弔あれかしと存る〕 〔是((朱))ハ大事 常ハぬくへし〕 〔●((朱))あまりにふしき成御事なれバ。すへハいそぎのたびなりとも。しばらく此所に御とうりう有。なり平ふうふの跡を御弔被成。其後いづくへも御通りあれかしと存ル〕 〔仁((人))王五拾一代平城天皇三男阿保親王ノ御子五人 大江音人行平元平仲平業平 御母ハ桓武天皇ノ御姫宮伊藤親王ノ御子初ハ左近将監 在原ノ庄玉((給))り在五中将寛享((元慶))元年正月十五日ニ左近ノ権中将ニ任られ元慶四年 宝永三年迄ニ八百廿七年〕 〔天長二年(淳和天皇ノ御宇)乙(キノト)巳卯月二日奈良都ニ出生朔日共有り 七才ニテ天上のすきびたいのかふりをき 最後哥ついに行道とハかねて聞しかときのふけふとハおもわざりしを〕 〔崇神天皇廿六代ノ孫名虎ノ卿御子紀ノ有常 紀(キノ)静子(シツケイコ)名虎(ナトラ)玉(キヨクイ)ニ近付臣下〕   廿 定家 ○「是ハ洛中に住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれば。千本の他((あたり))へ立出心を慰ばやと存ル (「)先都の中の名所(メイシヨ)旧跡(キウセキ)ハ申に及ず。辺土の山野(サンヤ)深谷(シンコク)の地竸(チケイ)迄も。我が日の本に(モトハ)ハ類(タグイ)少き事成に。まして洛外(ラクガイ)の中に面白ク思われ。古人の住れたる所多しといへど。中にも藤原の定家(テイカ)の卿。此辺の心(コヽロ)聚(スゴク)物哀(モノアワレ)に思召。あれ〔ナル〕宿りを立置れ。折々ハ御出有りて歌を詠(ヱイ)し。心を慰給ひたる所と(ヨシ)承る。然ハ比ハ陽月(ユウケツ)の事成に。時雨(シグレ)の音(ヲト)を聞て世の中ハ人間の。妄(モウ)語(ゴ)綺(キ)言(コン)悪(アツ)口(ク)両(リヨウ)舌(セツ)ハ申に及ず。四節(シセツ)ハ折をたかへぬと有る下心を以て。(シグレ)雨(シグレ)時を知ると云題(ダイ)にて。偽(イツワリ)のなきよなりけり神無月。たがまことより時雨(シグレ)染(ソメ)けんと。かく遊して夫より彼額(コノガク)を。時雨の亭(チン)と書き為((たる))と申す。又其比ハ後(ゴ)鳥(ト)羽(バ)の院(イン)の御宇(キヨウ)成に。式子(シヨクシ)内親王と申御方。始ハ賀茂の斎院(イツキ)に備り(ソナワリ)給ふが。後に大内に住せ給ひし刻。和哥の友にて定家の卿と合巹(ムツマシ)キ比。御哥合に恋(コヒ)の哥をよミ給ふを君聞召。思ひ中(ウチ)にあればこそかゝる言(コト)の葉(ハ)を詠(ヱイ)し給へとあれば。内親王ハ(の)とがちんほう((陳防))にあらず。哥人ハ見ぬ名所を知るとの給ふ。去れ共其(ソノ)故(ユヱ)哉(ヤ)覧(ラン)程無クおりて。観義(カンキ)寺にいさせられしかども。天((殿))上の交り(マジワリ)無て(ナクテ)ハ有り甲斐無ク(カイモナク)思召か。頓(ヤガ)テ(テ)劫去(コウキヨ)ならせ給ひし程に(タモウホドニ)。験(シルシ〔ケン〕)を跡の立置れし所に。程無ク仙人掌草(ツタカツラ)の生茂(ヲヒシケ)りたるを。有僧の取のけて置けるに。又一夜の間に前のごとくまとひしを。各(ヲノ)々御覧し草木(ソヲモク)心なしとハ申せ共。此(コノ)蔦(ツタ)葛ハ尋(ヨノ)常ならぬと御不審(コフシン)被成しを。有(アル)黠(コサカシキ)人(ヒト)の申され事に。是ハ定家(テイカ)の執心(シウシン)蔦(ツタ)となつて。か様に御墓(ハカ)にはいかゝるかとの給ふを皆人のきひて。夫より仙人掌草(ツタカツラ)をば定家(テイカ)かづらとハ申習す。先我等の存たるハ如此に候 ○(「)言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。左様にいづくともなく女性の罷出。式子(シヨクシ)内親王の子細委ク可語者。此他りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴う座すにより。一遍の御回向にも預り度思ひ。冥途の苦ミをもまぬかれ度思召。是迄顕れ出給ひたるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれば。末ハ急の旅成共。今少是に御逗留有り。重て奇特を御覧なれかしと存る 〔△「是ハ此他りに住者にて候。今日ハ物さびしき折からなれば。罷出心をなぐさまばやと存ル〕 〔△(「)是ハきとく成事を仰らるゝ物かな 都初テ一見のお僧なれば此所の子細を語申者有間敷と思召式子内親王の御亡心まミへ給ひ御詞を御かわし給ひたると存ル間暫是に御逗留有りかの御ほだひを御弔あれかしと存る〕 〔(「)是ハ千本の他りに住者ニて候 此間ハ寒風におそれ何方へも罷出ス紅葉の色を見る事もなければけふハ立出しくれのはれまに木々の木末冬かくるゝ有様を詠((眺))メテ心を慰ばやと存ル〕 〔(「)さればこそ初よりふしぎの御尋と存て候へしが扨ハ左様の子細にて御尋候かさいぜんも物語申ごとく御覧候へ今も蔦かつら這まとひ候へハ尚もはなれがたきしうしんをまぬかれ度思召顕出給ひたるかと〕 〔内親王ハ仁((人))王八拾二代鳥羽院ノ姫宮 玉のをよたへなばたへねながらへバしのぶる事のよはりもと((ママ))する 内親王 あはれしれしもよりしもにくちはてゝよゝにふりにし山あひの袖 定家 歎くともかうともあわん道ぞなき君かつらきの峯の白くも 内親王〕 〔千本松原ニ定家卿旧跡有 京極入道定家卿也〕   廿一 野々宮 ○(「)是ハ嵯峨(サガ)野々他((あた))りに住者にて候。今日ハ野々宮の御神事なれば。急参詣仕らばやと存ル。いや是成お僧ハ。此他りにてハ見馴(ミナレ)申さぬ御方成ルが。いづくより何方への御通りなれば是にハ御座候 「去程に此野々宮と申ハ。伊勢斎宮に御達有ル人の。仮(カリ)に移(ウツ)り御(ヲ)在(ワシマ)す(ス)。御精進(シヤウシン)屋の為に立置れたる所と承る。是にて御身を清(キヨ)メられ。夫より桂(カツラ)の祓(ハライ)にあひ。竹の都に御在す由申習す。然はいにしへ六条の御息(ミヤス)所の御息女。斉(サイ)宮にたち給わんとて。此野々宮へ移(ウツラ)らせ給ふ。御母御息所ハ源氏と御契(チギ)り深かりしが。葵上に付空敷成(ムナシクナシ)給ふ故。夫より源氏も心能(コヽロヨク)思召さる間。息所の斉宮に離(ハナ)れ(レ)難(カタ)きと号して。伊勢へ御下有べきとて是へ御出有ル。光源氏ハ御息(ミヤス)所の御心。愁気(ツラキ)者とハ思召ど流石(サスカ)また。別れ給わん事も最愛(イトウシク)思ひ給ひ。此野々宮へ訪ひ(トフラヒ)参らせらるゝ。其折節殊(コト)更(サラ)成物の音など聞へけれど。源氏渡り(ワタリ)御(ヲ)在す(ワシマス)由聞召れて。御遊をもやめられたると申す。其時源氏の君ハ榊(サカキ)の枝を折て。翠簾(ミス)の中に差置(サシヲキ)給へば御息所。神が木ハしるしの杉もなき物を。いかにまかへておれる榊(サカキ)ぞと。か様に遊ばさるれバ源氏の御返哥(ヘンカ)に。乙女子があたりとおもへば榊葉(サカキハ)の。かをなつかしミ留てこそをれと。互(タカイ)によミかわし御申有り。扨色々様々の御恨(ウラ)ミ共にて月も傾(カタム)けば。光源氏ハ御帰り有。御息所ハ都の方名残(ナゴリ)を(ヲシク)しく思召ど。力不及して伊勢へ御下り有たると申す。先我等の存為((たる))ハ如此に候 ○「近比寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様にいづく共なく女性の罷出。野々宮の子細又ハ御息所の謂(イワレ)。委(クワシク)御物語致さうずる者。此辺りにてハ不覚候が。扨ハお僧の御心中貴う在すにより。御息所の御(コ)亡(ホウ)心(シン)仮(カリ)に顕レ(アラワレ)。声詞をかわされたるかと存ル間。余りにふしぎ成御事なれば。しばらく是に御逗留有り。彼跡を御弔あれかしと存ル 〔△「是ハ此他に住者にて候。今日ハ野々宮の御神拝なれハ。急で参らふと存ル。いや是成お僧ハ。何国より御参り被成たるぞ〕 〔△「是ハきとく成事を仰らるゝ物かな。左様に女人のこつぜんときたり。此所の子細ヲ語べき者。爰元にてハ覚ず候が。扨ハお僧の御心中貴きにより。いにしへの御息所の御亡心まミへ給ひ。御雑談成されたると存ル間。末ハ急きの旅なり共。今宵ハ木景((陰))に御逗留有り。彼御菩提を御弔あれかしと存ル〕 〔「是ハさがのゝ他に住者にて候。今日ハ野々宮の御神事なれば。罷出心を慰ばやと存ル〕 〔「言語道断きどく成事を仰らるゝ物かな。左様にいづくともなく女性のきたり。野々宮のしさい又ハミやす所のいわれなど。くわしく語へき者。此あたりにてハ覚す候が。扨ハおそうの御心中たつとうましますにより。いにしへのミやす所の御ぼうしんあらハれ給ひ。こゑことばを御かわし被成たるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。すゑハいそぎのたびなりとも。しばらく此所に御とうりうなされ。かの御ほだひをねんごろに御弔あれかしと存ル〕   廿二 夕顔                  是ハ五条他((あた))りに住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれば。何某の院へ立出心を慰ばやと存る (「)去程に夕顔の上と申ハ。頭(トヲ)の中将の御思ひ人にて御座候しが。去ル子細有りて五条他りに隠て住せ給ふ所に。光源氏六条の御息(ミヤス)所へ通ひ給ふ折節。この五条他りを御通(トヲ)り有しが。御車の中よりさしのぞき給へば。比ハ夏の暮(クレ)ツ方に。白き花のこゝちよげにはいかゝりたるを御覧じ。御随身(ゴズイシン)に何(ナン)の花ぞとと(ト)わせ給へば。あれハ夕㒵の(ト)申花成由答(コタ)へけるを。一房(ヒトフサ)折て参れと有し時。内よりも女の白き扇の妻(ツマ)こかしたるをもて出。是にすへて参せられよ。枝もなさけなげなめるをと申さるゝ。其時惟光(コレミツ)して上げるを。源氏の君ハ今の扇を見給ふに。心あてにそれかとぞ見る白露の。光りそゑたる壺盧(ユウカホ)の花と云。哥を書(カキ)付たるを御覧せられ。夫より何角と竊(タバカ)りて源氏を通わせ申されたるに。五条他りの事なれば隣(トナリ)にハ物詣(モノモウデ)とて。夜深きよりも御嶽精進(ミタケシヤウジ)の御声。鳥(トリ)の沙鳴(カラコエ)松(マツ)の(ノ)響(ヒヾキ)。萬物さわがしき事を六ケ敷く思召。夫より何某の院へ伴(トモナ)ひ御申有に。路次すがら御哥共数多有実((げに))候え共。夫までハ聞不申候。扨何某の院に御座候折節。六条の御息所(ミヤストコロ)生霊(イキリヤウ)と(ト)なつて(ナツテ)。夕顔の上を取り申されたる由承る。先我等の存為((たる))ハ如此に候 ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。最前かたがたハ豊後の国より御出とあれハ。玉葛(タマカツラ)の事をなつかしく思召。夕顔の上の亡魂(ホウコン)顕(アラワレ)出。声詞をかわされたるかと存る間。余りに不思義((議))成御事なれバ。今少御逗留(ゴトヲリウ)有。重て寄((奇))特をも御覧あれかしと存ル 〔「是ハ都五条他りに住む者にて候。今日ハ物さびしき折柄なれバ。川原の院へ立出心を慰ばやと存る〕 〔「御車の内よりさしのぞき給へハ比ハ秋の夕つかたの事成に〕 〔「此五条あたりの事なれバ。となりにハ物もふてとてよふかきよりも。みたけそうじのミこゑ。其外よをわたる賤のいとなミ申。よろつ物さわかしき事をむつかしく思召。なにかしのいんゑともなひ御申有に。ろしすがら哥共数多有実候へども。それまてハきゝも及す候。扨川原のいんに御座候時分〕 〔「是ハきとく成事を仰らるゝ物哉。最前お僧ハぶんご八国より御のほり有たると御申あれば。玉かつらのゆかりを懐敷思召。夕顔の上のぼうこんまミへ給ひ。御詞をかわされたると存る間。しばらくこれに御逗留有り。かの御ぼだひを御とむらいあれかしと存る〕 〔八月十五日ト有秋ノ夕ツ方か 心あてにそれかとそ見る白露のひかりそへたる夕かほの花 よりてこそそれかとも見めたそかれにほの〴〵見ゆる花の夕かほ 源氏 おりてこそ〕 〔八月十五日ニ小家泊り焼((暁))月何某院へいざない行同十六日に夕顔空敷なり 何某院トハとをるの大臣の住れし六条河原のいんを云〕 〔源氏物語系図ノ巻ニ三位中将のむすめ夕顔の上ちゞの大臣蔵人の少将ときこへし時通いて玉かつらをうめり 其後夕がほのやどりにて源氏にそい何某の院とかやにてものゝけにとられうせぬ 年十九才〕   廿三 半蔀 ○「御前に候 「畏て候〔ト云テ立シテ柱のサキニテ〕皆々承り候え。花の供養をなさるゝ間。色よき花を参らせよとの御事なり。又志(コヽロサシ)の(ノ)輩ハ(トモカラハ)皆御参あれ。其分心得候へ〳〵〔ト云テ太皷座ニ下ニイル 中入過テ又ワキノそばへ行テ下ニイテ〕 「いかに申候。只今の様子ハ何と思召さるゝぞ 「是ハ思ひもよらぬ事を仰らるゝ物哉。我等も左様の御事しかとハ不存候。乍去何と思召てやらお尋有を。勝て不存と申もいかゞなれば。あら〳〵聞及たる通御物語申さうずる。〔ト云テ語りハ〈夕顔〉の間を云〕一房折て参れと有し時。(トコロニ)内よりも女のはん((ママ))しとミをあげて白き扇お持て出。是にすへて参らせられよ〔ト云事を入テ云〕 〔「なにがしのいんへともなひ御申有に。ろしすがら哥共あまた有げに候へども。それまてハ聞も及ず候。先我等の存したるハ如此ニ候ト云也〕 「是ハ寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左有らバ是より五条へ御出有りて。はしとミの様躰を御覧なれかしと存ル 「さあらバ我等も御跡より参り申さうする 「心得申候 〔扨何某の院ニ御座候折節。六条の御息所いきりやうとなつて。夕がほの上を取り申されたると申。と云事ヲ〈夕顔〉の間の時ハ語る。〈はしとミ〉の間に云時ハ。此所をバぬきてよし。入テ云ハわるし   同(廿三) 同(半蔀) 下懸り時 「是ハ洛中に住者にて候。爰に紫野々(ムラサキノヽ)他((あた))りに貴僧(タツトキウ(ソ)ヲ)の御在す(ヲワシマスガ)が。一夏の中花の供養なさるゝ間。難有御経をも聴聞致し。又立花の躰をも見申さばやと存ル〔ト云テ下ニ居テ〕唯今参て候。 「さん候拙者も早々に伺公致し。有難御経をも聴聞(チヨウモン)申べきを。何角と致し今迄延引迷惑(メイワク)仕りて候 「是ハ思ひよらぬ事をお尋被成るゝ物哉。左様の御事しかとハ不存候乍去。荒々聞及たる通り御物語申上うずる ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左様何国共なく女性の罷出。か様(クハシク)の御物語致さうずる者。此他((あた))りにてハ不覚候が。扨ハ我等の推量(スイリヨウ)いたすハ。お僧の御心中貴(タツトウ)うましますにより。夕顔の上の御亡心顕れ給(イ)ひ(デ)。今又お僧にま見へ給ひたるかと存ル間。余りにふしぎなる御事なれば。是より五条他りへ御出有り(ナサレ)。半蔀(ハシトミ)の躰を御覧あれかしと存る  「さあらば我等も御賑((暇))申候〔○さあらバ我等も御あとより参申さうする トモ云〕 〔「一ふさおりて参れと有し時。はん((ママ))しとミの内よりも。女の白き扇の妻((端))こかしたるをもて出〕 〔宝生方脇狂言より懸ル 「是ハ此他りに住者ニて候。爰ニたつとき僧のおわしますが。花のくようを被成るゝ間。急参詣いたし。難有御経をも聴聞申さばやと存ル。只今参じて候〕 〔高安流狂言名乗 名乗過トワキ(「)なふ〔〳〵〕御身ハ此他りの人にて渡り候かト云〕 〔○「是ハ五条他に住者にて候。爰に紫野々辺にたつときそうのおわしますが。いちげの間花のくようをなさるゝ程に。参てちやうもん申さばやと存ル。只今参テ候。 「拙者も早々伺公いたし。老少不定のよのならいなれば。有難御経をもちやうもん申べきを。せいろのいとなミにばかり心をかけ。後生の道にうとき事面目も御座なく候〕 〔清少納言○枕の(宝永三年迄六百八十年)さうし三ニ○あはれなる物 孝ある人の子 鹿の音 よき男のわかきかミたけさうじしたる へだてゐてうち行ひたるあかつきぬかなどいミしうあはれ也 へたてゐてうち行ひたる暁のぬか。ぬかハ額突(ぬかづき)とて礼拝する事也〕 〔御嶽精進(ミタケサウジ)ニ別所ニはなれゐてみろくを礼拝するさま也 金峯山(キンフセン)の金剛(コンガウ)蔵王(サホウ)ハ。過去しやか現在くわんおん当来弥勒と也〕 〔夕かほの巻ニミたけさうしにやあらん たゞ翁びたる声にぬかづくはきこゆると云々 又なもたうらいだうしとぞおかむなるともいへり まふづるほどの千日精進して金峯山に参也〕 〔夕㒵宿ニ源氏座ス時源氏ヲおこす 源氏未夜ふかきからハ鳥もなかぬと云 夕かほもはや鳥がうとふと云 それハからこへト云習有ル由 一切((説))ニハからこへと云ハふくろうの声とも云〕   廿四 浮船 ○「是ハ宇治の里に住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれば。小嶋が崎へ立越心を慰ばやと存る 「古性((いにしえ))此宇治の里に高位の人々住せ給ふ時分。上巻の大君と中の君と申て。御兄弟の姫君御座候を。姉君を薫(カヲル)中将床敷思召ど。何かと有りて御靡(ナビキ)なかりたると申ス。又中の君ハ匂兵部卿の北の方に成給ふ。其折節総角(上巻)の大君空敷(ムナシク)御成有を。薫(カヲル)中将御しうせうの余りに。いか成かたしろもがなと嘆(ナケキ)給ふにより。中の君のおとりの腹に浮舟と申を。薫(カヲル)中将に見せ給へハ此宇治に置給ふを。郁(カヲル)と申ハ自然に御身薫(ガワリ)申す。〔マタ〕匂宮ハ色々の移(ウツシ)を留テ匂ひたれば。郁(カヲル)匂宮ハ何れともわきがたく有為((たる))と承る。故に浮舟石山寺へ御参りあらんとて。衣裳(イシヤウ)など裁縫鬧(タチヌイイソガ)敷(ワシク)夜。匂宮(ニヲヽミヤ)ハ薫(カヲル)の真似(マネ)をして忍入(シノビイリ)浮舟と契(チキリ)りをこめ。夫より折々通ひ給ふが。爰(コヽ)ハ人目(ヒトメ)繁(シケシ)シとて舟にのせ。おちなる家へ行給ふとて。橘の小嶋が崎(サキ)に差(サシ)寄せ給ひ。時季のかわらぬかけを御覧じて匂宮の哥に。歳婦(トシフ)ともかわらぬ物か橘(タチバナ)の。小嶌が崎に契(チキ)る心ハと。かく遊(アソ)せ((ママ))ば浮船の御返哥に〔○((朱))〕橘の小嶋ハ色もかわらじを〔○次((朱))〕此浮舟ぞ行衛しられんと。此哥により浮舟と申由聞及候。其後匂宮の文の使を。郁(カヲル)の御内の者見とがめ。かくと申上たる由浮舟の聞付。此宇治川へ身を投(ナケ)ンと思召。暁(アカツキ)方(カタ)妻(ツマ)戸をあけて橋へ出給ふに。何となき男のいだきてこの下に置たるを。小野の尼初瀬詣(モウデ)の帰ルさに。俄に煩此宇治の院に伯((泊))り申され。横川の僧都(ソヲツ)を喚(ヨビ)下シ給ふに。僧都のほうしばら見付尼にかくと申せハ。尼上劬(イタワリ)小野へ伴(トモナ)ひ。僧都(ソヲツ)の御祈(ゴキトウ)にて妖怪(モノヽケ)もさり。後にハ尼になりおこなひの隙にハ。我が身の昔を思ひ出されけるか。手習など遊したる故に。小野にてハ手習の君と申由聞及候。先我等の存たるハ如此ニ候 ○「是ハきどく成事を仰せらるゝ物哉。左様にいづくともなく女性の舟に乗り。篙(サヲ)を指来ふずる者。此他((あた))りにてハ不覚候が。扨ハ我等のすいりやうにハ。お僧の御心中たつとうましますニより。浮舟の御亡心顕出。左様に委ク御物語被成たるかと存ル間。あまり不思義((議))成御事なれば。是より小野へ御出有り。あれにてうきふねの御ほだひを念比に御弔あれかしと存る 〔(「)浮舟の御ぼだいを御とむらい被成。其後いつくへも御通りあれかしと存ル トモ云ナリ〕 〔△女性の舟にさほさし来らふずる者。此辺にてハ覚へす候が。扨ハ御心中たつとふましますにより。いにしへのうき舟ハ此所にすミ給ふが。後にハ小野へ御出有。あれにてはて給ふと申せハ。古郷なつかしく思召。うき舟の御ぼうしん顕出。御ことばを替し給ひたると存ル間。あまりにふしぎ成。御事なれハ是より〕 〔○年ふともかわらし物か橘のト正本ニ有○源氏ニハ年ふともかわらぬ物か橘のト有り 謡ニテハ○橘の小嶋の色ハかわらじを○源氏ニ橘の小嶋ハいろもかわらしを〔ト〕有〕 〔横川小聖トハ恵心(宝永三年迄ニ六百九十三年)僧都ノ御事 中ノ宮ノ伯父〕  ┌太上天皇 桐壺帝  ─   └前坊(センボウ) 秋好中宮ト云      御母ハ六条御息所   廿五 玉葛 (「)是ハ和州初瀬に住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれば。ふたもとの杉の他((あた))りへ立出。心を慰ばやと存ル (「)去程に玉葛の内侍(ナイシ)と申ハ。先父君ハ頭(トウ)の中将にて。夕顔の上の御息所((ママ))成しが。五条他りに隠れてをわしますころ。仮(カリ)初に光源氏と御契(チギ)り有ツテ。川原の院へ倡引行(イザナワレユキ)。そこにて空敷(ムナシク)成給ひたると申す。左有に仍テ。夕顔の上の御乳母(ヲンメノト)。此(コノ)玉(タマ)葛(カツラ)をいたわり申所に。其比(ソノコロ)乳母(メノト)の(ノ)男筑紫(ツクシ)へ下りしゆへ。力不及して御幼少(コヨウセウ)の時九州(クシウ)へ御供申されしが。其後乳母(メノト)の男程なく相果(アイハテ)しにより。彼方此方(カナタコナタ)と思召内ニ。次第〳〵に美敷(ウツクシク)成立給ひしを。筑紫(ツクシ)人聞伝(ビトキヽツタ)へて心を懸。様々に申を御同心(ゴトヲシン)なければ。扨ハ抑(ヲサヱ)テ集(ウバイ)取り申さんなどゝ。其沙汰頻(シキリ)に有ツるを聞。田舎(デンジ)に有りはてん事を浅間敷思召。乳母(メノト)を連(ツレ)舸(フネ)にて迯登(ニケノホ)り給ふが。遥々(ハル)の海路(カイジ)なればあようお((ママ))く思ひ給ひ。我何事なく都に登((上))ルにおいてハ。八幡泊(ハツ)瀬へ参覧と御立願(リウカン)の有るが。誠ハ仏神の御恵(メグ)ミにより。難(ナン)無(ナク)く京都に着(ツカ)せ給ふ。御立願の事なれば初瀬詣有に。古性(イニシヘ)夕顔に召遣れし右近と申女房の有つるが。撫子(ナデシ子)の御行衛祈(キトヲ)の為に当寺へ参り玉葛を見付其時右近歌に。二本(フタモト)の杉のたちどを尋ねずハ。古河野辺に君を見ましやとよミ。都へ登((上))源氏にかくと申されければ。夕顔の上(ウヘ)を痛敷(イタハシウ)思召により。玉葛を頓テ喚とり給ひて。髭黒の大将(ダイシヨウ)の北の方に御なし候。又玉葛と申名ハ源氏の御歌に。恋渡ル(コヒワタル)身〔ハ〕それならで玉葛。いか成ルすじを尋きぬらんと。かく遊ばして夫よりこのきミを。玉かづらとハ名付申ス。先我等の存たるハ如此に候 ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左様にいづくともなく女性の䈇を指シテ来(チイサキ舟ニサホヲサシテ)。二本の杉の子細なと。〔クハシク〕語べき者。此他にてハ覚す候が。扨ハ旁の御心中貴う在すにより。玉葛の亡心顕。〔御〕詞を替((交))されたると存間。余りに不思義((議))なる御事なれば。彼跡を御弔あれかしと存る 〔「是ハ初瀬の里に住者にて候。今日ハ物さびしき折からなれば。初瀬寺へ参らばやと存る〕 〔△「是ハ初瀬の門前ニ住者にて候。今日ハ物さびしき折からなれバ。二もとの杉のあたりへ立越。色付木々の木末を見て慰ばやと存ル。いや是成お僧ハ。いづくより御出被成たるぞ〕 〔「是ハ奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に女性のちいさき舟にさほをさし来ルへき者。此辺にてハ覚ず候が。扨ハお僧の御心中たつときにより。いにしへの玉葛の亡魂あらわれ出。御詞を替されたるかと存ル間。しばらく是に御逗留有り。彼御ぼだひを御弔あれかしと存ル〕 〔玉葛父ハ塔((頭))ノ中将 母ハ三位中将ノ息女夕㒵ノ上 玉葛四歳ノ時名ヲ撫子 筑紫人太夫ノ源悪党人 筑紫の国胸かた((宗像))の郡ひゞきのなだ 夕㒵ノ上ノ御乳母子ニ右近 哥ニ二本ノ○玉葛哥ニ初瀬川はやくもことハしらねどもけふのおゝせに身さへなかれぬ○二本の杉のたちとをわすれすハトモアリ〕 〔長谷寺建立ヨリ宝永三年迄千三十余年〕   廿六 胡蝶 「是ハ都一条辺に住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれバ。罷出心を慰ばやと存る 「先此所ハ一条大宮と申て。其隠なき名所にて御座候。又是に見へたる古き宮ハ。古性((いにしえ))光源氏の住せ給ひたる由承る。然ルに源氏の君と申ハ。忝も醍醐(ゴダイゴ)天皇第二の王子。御母ハ按察使(アセヂ)大納言の御娘。桐壺(キリツホ)の前にて渡らせ給ふが。七歳の御時源の性((姓))を給り。夫より次第〳〵に御位まして。後ニハ牛車(ギウシヤ)の宣旨(センジ)を給り。藤(フヂ)の裏(ウラ)葉(バ)にてハ太政(ダジヤウ)天皇の尊号を得給ふニより。誰肩(タレカタ)をならぶる者なかりたると申す。其折節是成御橋の本の梅花今を盛成に。報春鳥(ウグイス)の宿り木伝ふ(ツトウ)羽風に。匂ひもいとゞ香敷(カウバシ)ク有為((たる))と申す。夫に就胡蝶と云物ハ春の暮(クレ)より夏秋を送(ヲクリ)り。千草(センソウ)万木(ホク)ニ戯(タワムレ)をなし申せバ。梅ハ初春(ハツハル〔シヨシユン〕)に咲(サク)物なれば。梅花に縁(ヱン)なき事を悲(カナシ)ミ申に。其比此紅(カウ)梅のいつよりも遅(ヲソク)く開(サキ)たるを悦(ヨロコビ)。此花に胡蝶(コチヨウ)飛移(トヒウツ)り種々に珍敷(メツラシケニ)戯(タワムレ)けるを。紫の上より秋の比中宮への御哥に。花園(ハナソノ)の胡蝶押(コチヨウヲサ)へ(ヘ)や(ヤ)下草(シタクサ)に(ニ)。秋まつ虫ハ疎く(ウトク)ミる覧と。か様によミまいらせらるれバ御返哥に。小蝶にもさそわれなまし心あり【て】。八重荼蘼(ヤヱヤマフキ)をへだてざりせ〔バ〕と遊されたる由承ル。誠に此花の盛(サカリ)の時分ハ。輿車(コシクルマ)【の】数多(アマタ)立並(ナラ)ビ(ビ)車馬(ジヤバ)道をもふさぎ。大宮人の御遊覧被成シ所なれど。今ハか様にあれはてゝ名耳(ナノミ)斗にて候。まづ我等の存為((たる))ハ如此ニ候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。此他((あたり))にて小蝶の子細を委可語者ハ覚ず候が。扨ハお僧の御心中貴うましますにより。小蝶の情((精))顕出。梅花に縁なき輪廻(リンヘ)の心をまぬかれ度思ひ。【顕出】声詞を替((交))し為かと存ル間。暫是に御逗留有。重てきどくを御覧あれかしと存る 〔「是ハ都一条辺ニ住者ニて候。此間ハ何方へも罷出ず候間。今日ハちと罷出心をなぐさまばやと存ル〕 〔○「是ハ一条辺に住者にて候。今日ハ物さび敷折柄なれハ。罷出心を慰はやと存ル 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物かな。左様にいづく共なく女性の罷出。小蝶の子細委ク語べき者。此他ニテハ覚す候が。扨ハお僧の御心中たつとうましますにより。小蝶の情顕れ出。梅花にゑんなき輪遍(リンヘ)の心を(マヌカ)れ度思ひ。声詞を替したると存る間。暫是に御逗留有。よとともに花ヲ詠((眺))有難御経をも御どくじゆ被成。小蝶のまことのすかたを御覧あれかしと存ル〕   出立 熨斗目 長上下 小サ刀 扇 〔○シテ中入前舞台ニ下ニイテ小てうの物語有 地ヘトル間出テ吉〕   廿七 空蝉 〔〈碁〉ニモ用ル 能ハ違有〕 「所の者と御尋有ルハ如何様御用にて候ぞ 「心得申候 (「)去程に光源氏此所へ御出被成たる様躰。又空蝉(ウツセミ)の御事を尋ルに。源氏御物禁(イミ)にて御門の侍。伊予の亮(スケ)と啓者(イヽシモノ)の所へ御出有しに。面白き泉水遣(センスイヤリミヅ)なとを(シツ)理(ライ)様々に饗応(モテナシ)申され候所ニ。光ル源氏伊予の亮(スケ)が妻(ツマ)を(ヲ)一目(ヒトメ)御覧し思ひそめ給ひ。彼女のいたる所へ忍(シノヒ)入せ給へ共。靡(ナビキ)申事なかりたる程に。有時伊予の亮夷中(イナカ)へ下り。人すくな成ル折節をよき折柄(シフン)と思召。其女の弟ニ小君(コキミ)と申者をかたらひ。一ツ御車にのせ中川へ御出有り。車よりハ小君(コキミ)斗おろし。源氏ハ御車の内にかくれさせ給ひ。人しづまりて小きミをしるべに内を覗(ノゾキ)給へバ。継娘(マヽヒメ)と碁(ゴ)を打て居たりしが。早打はてゝ臥(フシ)たるを御覧し忍入らせ給へバ。彼女急て隠けるを。継娘(マヽヒメ)のかくるゝと思召ければさわなくして。娘を残し置我か着たる衣(キヌ)を蝉(セミ)の蛻(ヌケカラ)のごとくにして。主(ヌシ)ハ見へ不申候間源氏ハ心ならず。御かたたがひも是(コレ)故(ユヘ)と。人にもれ(レ)けん事も浅ましく思召れ。是悲((非))なく娘とかたらひ御申被成。せめて御心指の節なるにや。脱為(ヌキタル)衣(キヌ)を取りて帰り給ひ。其晨(ソノアシタ)御文を遣わされたると申す。其時の御哥に。空蝉(ウツセミ)の身(ミヲ)を替(カヘ)に(テ)げるこのもとに。なき人がらのなつかしきかなとよミ給ひたるにより。彼女を夫より空蝉(ウツセミ)とハ申たる実((げに))候。扨伊予のすけ死(シヽ)て後。空蝉(ウツセミ)尼(アマ)になり申たるを。源氏もとの御心をわすれ不給(タマワス)し(シテ)て。二条東(ヒかシ)の台(タイ)ニ置(ヲカ)せられたると申す。とかく源氏の御心ね。誠に怖敷(ヲソロシキ)事と承る。惣じて是ニ付数多子細の有実候へ共。先我等の存たるハ如此に候 「言語道断奇特成事を被仰るゝ物哉。さてはうたこふ所もなき。空蝉の亡魂(ホウシン)にて御座有ふずる。夫をいかにと申に。此他((あた))りにて左様の人ハおぼへす候が。扨ハ我等の推量致ハ。お僧の御心中たつとうましますニより。空蝉の亡魂(ボウシン)顕出。声詞をかわされたるかと存ル間。誠左様に有つべしく思召ば。暫是に御逗留有り。彼跡をねんころに御弔あれかしと存ル 〔「是ハ此他りに住者にて候。今日ハ物さびしき折からなれバ。罷出心をなぐさまばやと存ル〕 〔○「所の者とハ誰にて渡り候ぞ 「さん候此所ハ。三条京極中川のやとりとて。無隠名所にて候間。心静に御詠((眺))メ有うする 「御用の事候ハヽ重て仰られ候へ 中入後テ「さい〔前〕旅の御僧の。此所初たる御方と見へ申て候が。未是ニ御座候か。但し何国へも御通り有たるか参りて見申さうずる。いや是ハきどくと御逗留にて候 「中々さい前御目にかゝりたる者にて候 「心得申候〕 〔△謡ニ空蝉ハ哥二首 空蝉の羽ニ置露の木かくれに。忍々にぬるゝ袖かな 空蝉の身をかへてげる木の下ニ。なき人がらのなつかしきかな 軒端の萩((荻)) 小君〕 〔△〈碁〉ノ時ハ中入ノ間斗(「)是ハ此他りニ住者ニて候 ト云 常ノ通り 謡ニ哥一首有 初ニ脇よむ 空蝉の身をかへてける木の下ニなき人からのなつかしきかな〕 〔△〈碁〉ト〈空蝉〉とハ能方ニちがひ有り 間ハ両方共ニ同間ニテよし〕 〔○「言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様の女性ハ此他りにハ不覚候か。扨は我等のすいりやう致すハ。うつせミの御ほうしん顕れ【出】給ひ。御詞を替されたると存ル間。余りにふしき御((ママ))事なれば。しばらく是に御逗留被成。重て寄((奇))特を御覧あれかしと存ル〕   廿八 落葉 「是ハ此他((あた))りに住居致者て御座ル。今日ハ物徒然折柄なれば。罷出四方の気色を見て心を慰ばやと存ル 「此落葉の宮と申ハ朱雀院(シユシヤウイン)第二の姫宮。御母は一条の御息所と申せしが。落葉の下に柏木右衛門督北の方に成給ふ。其後夕霧(ユウキリ)の大将不浅思ひ寄給へ共。さすが言葉にも打出給わず。御徒然をいと念比に御音信有り。いか様次手もがなと思召月日を送り給ふに。有ル時御母御息所(ミヤストコロ)御物気((怪))とていとう煩わせ給ひければ。都ニて御祈りいかゞと思召此山里へ御出有ルを。大将の君も頓てとむらひ来り給ふに。元より鄙の(ヒナノ)御住居なれば。まらうと入奉る(タテマツル)べき所もなく。宮の他り近き方へ移し(ウツシ)参らせらるゝに。はや夕日も西へかたふけば供奉(グフ)の人々御車を返し給ひ。夕暮(ユウクレ)の霧(キリ)立まぎれくらかりければ。大将の君ハ能折柄と思召。人の陰(カケ)について。ひそかに忍(シノヒ)入見給へバ。折節宮ハ北の御さうし戸に立そひて御在すを(ヲワシマスヲ)。余りたゑかね引留給(ヒキタマタマ)ひしに。御身ハ内に入給へども。御物裳ハとまりしを宮驚(ヲトロキ)おわしませど。年月思召よりつる事共仰られ。心そら成有様御覧ぜらるゝにも。宮もつらくハ思ひ給わぬ御心の岩木(イハキ)ならねば。折節虫のねに打そへてよわ〳〵とならせ給ふ。扨互に打とけ給ひ鹿(シカ)の音(ネ)滝のおとも一つに乱あひ。明方の月くまなふすミわたり霧(キリ)にもさし入ければ。荻(ヲギ)原や軒端の露にそぼちつゝ。八重立霧を分て行べきと。かく詠(ヱイ)し泣々(ナク)立帰り給ふ由承る。是ニ付色々(イロ)子細有実((げに))候へ共。田舎の者なれば委(クワシキ)事ハ存も致さず。先我等の聞及たるハ大方如此に候 「是ハ寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。惣じて此他りにて左様の女性ハ覚ず候が。扨ハ我等の推量いたすハ。お僧の御心中貴うましますにより。いにしへの落葉の宮の御亡心顕れ出給ひたるかと存ル間。お僧も左様に有つべ敷思召ば。暫是に御逗留有り。有難御経をも御どくじゆ被成。重て寄特を御覧あれかしと存ル 〔○(「)是ハ此他りに住者ニテ候。今日ハものさびしき折からなれバ。罷出心を慰はやと存ル 「是ハきどく成事を仰らるゝ物かな。左様の女性ハ此辺にてハ覚す候が。扨ハうたがいもなき。いにしへの女二ノ宮の御ぼうしんにて御座有ふずると存ル間。しばらく是に御逗留有。かさねテきどくを御覧し。其後何方へも御通りあれかしと存る〕 〔小野ニハ一条院ノ御息所御物気ニテ暫ク住せ給ひ御息女落葉宮も母子ニ付テ住せ玉ヒ〕   廿九 陀羅尼落葉 〔小野落葉 京落葉〕 「是ハ小野の里に住者にて候。今日ハ物さびしき折柄なれバ。罷出四方の気色を見て。心を慰はやと存ル 「去程に落葉の宮と申ハ。朱雀院(シユシヤウイン)女二の宮一条の御息所の御息女成が。柏木右衛門の北の方にて御座候。又女三の宮ハ落葉の宮の御妹にて。光源氏の北の方ニ成給ふ。其比夏の暮ツ方の事成に。六条院にて御鞠(マリ)の興行(コヲキヨウ)の有し時。右衛門督も御出被成しに。折節女三宮にてなれたる虎毛のねこ御翠簾(ヲンミス)の外へ出申を。纏り竹にて上給へハ。女三宮の御姿見へ(ヲンスガタミヘ)けるを。柏木右衛門一目(ヒトメ)御覧し給ひ。夫より賤心無ク忘かたく思われ。女三ノ宮の御乳母(メノト)を頼御玉章(タノミヲンタマスサ)を被遣。其後女三の宮にあひ参らせられて。御契(チキ)り浅(アサ)柄(カラ)ぬ事にて御座有たると申。左有ニ仍テ右衛門督御内成女二の宮へ。両葛((もろかづら))落葉をいかにひろひけん。名ハ睦敷((むつまじき))かざしなれどもと。か様に哥を詠テ送り給ふニより。女二の宮をおちばの宮と申も此子細にて有実((げに))候。され共右衛門相果為((たる))後ハ。御母御息所一所に住給ひたる由承ル。先我等の存たるハ如此ニ候。 「是ハ奇特成事を仰らるゝ物哉。惣じて此他((あた))りにて左様の心有ふずる女性ハ不覚候が。扨ハ我等の推量致すハ。御僧の御心中貴う座すにより。古性((いにしえ))の女二の宮の御亡心まみへ給ひ。御詞を替れ為かと存ル間。誠左様に思召ハ。有難御経をも御読涌((誦))被成。重テ寄((奇))特を御覧あれかしと存ル 〔柏木右衛門督後ニ柏木権大納言ト云 母ハ二条大((太))政大臣女子〕 〔もろかづらと云ハかづらの枝日吉より来ル 加茂より葵のは来ル 是をかづらにてゆひ付ルヲ云〕   卅 三山 〔桂子 耳無山〕 「誰にて渡り候ぞ 「さん候当所において見へわたりたる山々多し(ヲヽシ)といへど。中にもあれにミゑたるか三ツ山にて候間。初為((たる))御方ならば御出有て御覧候へ 「御用のあらば仰られ候へ 「心得申候 「最前旅のお僧の。此所初たる御方と見へて。三ツ山の事をお尋有し程に。則教へて遣申たるが未あれに御座ルか。但し何国へも御通り有たルか参りて見申さうずる。いや是ハ寄((奇))特と御逗留にて候 「中々最前御目に懸り為者にて候 「心得申候〔ト云テ下ニ居テ〕 扨お尋有度とハいか様御((ママ))用にて候ぞ〔是より常の通り〕 (「)去ル程に此三ツ山と申ハ。当国において隠無名所にて御座候。又一男二女と申ハ。南に見へたるをハ香久山と申て。男山にて有由承ル 其子細ハ。昔柏手の公業(キンナリ)と啓人の御座有たるが。西に見へたる畝傍山の麓(フモト)に住せし。桜子といへる色好の女の候。又是成耳無山の麓に桂子と申遊女の有しが。公業二人の女の方へ。仮初に通ひ契をこめられ候所に。後にハ二道かけて浅からぬ契にて御座有為と申す。去ながら公業何とか思われけん。桜子の方へ斗通ひ桂子の方へハ音倍((信))もなく。程過参られ候に仍テ。桂子此躰を見て所詮命有ルとても専なしとて。公業をも桜子をも深ク怨(ウラミ)。耳無山の池へ身を投ケられたるを。他((あた))りの者共驚騒き。頓テ捕上候へ共早空敷成し間。土中に籠られたると申す。左有に仍テ耳(ミみ)無(なし)山(ヤマ)を身(み)無(なし)山トモ申実((げに))候。まづ我等の存たるハ如此ニ候 ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物かな。左様に何国共なく女性の来り。三ツ山の子細委可語者。此他りにてハ覚す候が。扨ハ我等の推量致すハ。お僧の御心中貴う在すニより。桂子の亡魂(シウシン)顕出。声詞を替されたるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれバ。暫是に御逗留有り。彼跡を懇に御弔あれかしと存ル 「さあらバ我等ハ御暇申候 〔「か様に候者ハ。和州耳無山の麓に住居する者にて候。此間ハ隙なきゆゑ何方へも罷出((ママ))候程に。今日ハ此他りへ立出心を慰ばやと存ル いや是成お僧ハ。此他りにてハ見なれ申さぬ御方成ルが。いづくより御出被成候ぞ〕 〔△(「)是ハ和州耳無山のふもとに住居する者ニテ候。此間ハ一円隙なきゆゑいつ方へも罷出ず候。今日ハ耳無川のあたりへ立出。心を慰はやと存ル いや是成お僧ハ。此他りてハ見なれ申さぬ御方なるが。いづくよりいつ方へ御こしなれハ是ニハ御座候そ〕 〔「言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。それハうたこふ所もなき。かつらごのしうしんにて御座有ふずる。それをいかにと申に。お僧の御心中たつとうましますゆへ。御弔にもあづかり度思ひあらわれ出。三ツ山のいわれを説話有たると存る。まこと左様に思召ハ。しばらく是に逗留被成。彼あとを御弔あれかしと存ル〕   卅一 六浦 ○「是ハ此他((あた))りに住者ニテ候。今日ハ物徒然折柄なれば。称名寺へ参らばやと存る 「尒((去))程に当寺の開山(カイサン)ハ一遍(イツヘン)上人にて御在す(ヲワシマス)。夫をいかにと申に。先此一遍上人の元祖(クワンソ)ハ。伊予(イヨ)の河(コウ)野一(イチ)俗(ソク)にて有つるが。三十余(ミソジアマ)りの比より忽(コツ)然(セン)と発(ホウ)心(シン)のおこし。黒谷(クロタニ)の法(ホウ)然(ネン)上人より五代目の御弟子(ミデシ)となり。名をば知信坊(チシンホウ)と申す知者(チシヤ)なり。智恵(チヱ)も道心(トヲシン)も深クして。後にハ一遍(イツヘン)上人と申て。衆生済度(シユセウサイド)のために諸国を修行(シユキヨウ)被成。念仏と((ママ))御弘メ(ヒロメ)有り天下に隠なく候が。有時熊野参詣(クマノサンケイ)被成しに。則権現に対面(タイメン)有ツテ直(〔シキ〕)に正言(シヤウゴン)と。南無阿弥陀仏決定(ケツジヤウ)往生(ヲヽジヤウ)の御札を。上人へまいらせられたる程の難有((ママ))御方と申す。然ハ此国を御修行(コシユキヨウ)の刻(キサミ)当寺(トウジ)を御建立(ゴコンリウ)被成。念仏(ネンフツ)三昧(サンマイ)の道場(ドウジヤウ)に定めんとて。則寺号(シコウ)をハ称名寺(セウミヤウジ)と申て。殊勝(シユセウ)第一の御寺にて御座候。左有ニ仍テ。御逗留の内此本堂の庭ニ。鶏冠(カイテ)の木を植給ふに。浮世の楓(カイテ)よりも色よく紅葉(コウヨウ)仕候程に。当寺の飾(カサリ)とて寺(シ)僧(ソヲ)達(タチ)も皆々是を賞翫(シヤウクワン)仕給ふを。又其後藤原の定家の卿の御孫。為家(タメイヘ)の次男為佐(タメスケ)の卿と申御方。在鎌倉(サイカマクラ)なされし故。初冬(ソトウ)の時分各々(ヲノ)を伴ひ(トモナヒ)御出有しに。此鶏冠(カイテ)の色こゝちよげ成を御覧じ。山々の紅葉さゑいまだ色薄きに。此庭の鶏冠のたぐひなく紅葉(コヲヨウ)致事。誠(マコト)に錦(ニシキ)を飾(カサル)共是にハいかでまさるべきと思召か哥に。いかにして此ひともとに時雨(シクレ)けん。山にさきだつ庭の紅葉ばと。かく遊されければ。草木心なしとハ申せとも。併(シカシ)此もみぢ和哥の言葉(コトバ)にかゝりたる事を面目(メンホク)とや思ひけん。其次(ツグ)の年より一葉(ヒトハ)も紅葉せずして。毎年青葉にておのづから落(ラク)葉仕たるを。各々ふしん被申しを。又有人の申けるハ。是は唯(タヽ)都(ミヤコ)墨染(スミソメ)桜(サクラ)と云合たるかと。皆々木(モク)心(シン)を感(カン)じたまひたる由承る。先我等の存為((たる))ハ如此に候 ○(「)言語道断(コンゴトヲダン)奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく女性の来り御物語致さうするもの。此他りにてハ不覚候が。〔サテ〕是ハ我等の推量致ハ。もミぢの情((精))女(ニヨ)〔ニント〕あらわれ〔イデ〕。声詞を替したるかと存る間。余り不思義((議))成事なれば。暫是に御逗留有。重てきどくを御覧あれかしと存る 〔△「是ハ相模の国六浦の里に住者にて候。今日ハ何とやらんつれ〳〵なる折からなれば。せうめうじのあたりへ立出。山々のもミちを見てなくさまはやと存る。いや是成お僧ハ。いつくより御参被成たるそ〕 〔△「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。左様にいづく共なく女性の来り。古き事語へき者。爰元にてハ不覚候か。扨ハおそうの御心中たつとうましますニより。此名木のせい女人とけんじ。詞をかわしたるかと存ル間。末ハいそぎのたびなりとも。こよいハ是に御逗留被成。よもすがら御法をも遊し。其後ハいづくゑも御通りあれかしと存る〕 〔△鎌倉中納言為相卿〕 〔△一遍上人伏見ノ院ノ御宇ノ人也 時宗(ジシウ)宝永三年迄四百卅二年 元文四年迄四百六十四年ニ成 年代記抜書ニ有り〕 〔△相模国藤沢遊行寺ノ開山一遍上人ハ。伊予ノ国河野(カウノヽ)七郎通廣カ二男也。発心シテ始ハ天台宗ニテ十八歳ニシテ。都西山善恵上人ノ会下ニ至り。浄土ノ一家ヲ心ムル事十トセアマリ。其後建治年中ニ熊野ヘ参詣シ。直ニ権現ノ御正躰ヲヲカミ奉リ神勅ヲ蒙リテヨリ。諸国ヲ遊行スル事ハジマレリ 日蓮上人ト同時ノ人也。又日蓮ヨリ一遍上人ヘ御遣シ遊ケル。御経ハ藤沢ニ有ケルトソ。昔ハ方外ノ御友ニ有ナン〕   卅二 姨捨 「是ハ此他((あた))りに住者にて候。今宵ハ名月なれば姨捨山ニ上り。田毎の月を見て慰ばやと存ル。いや是に御座候御方ハ。夕間暮にてしかとハ見へす候が。何国より御出被成たるぞ 〔○(「)是ハ此他ニ住者ニテ候 今日ハ物さひしき折柄なれハ伯母捨ノ山ノ辺へ罷出心ヲ慰ばやと存る △此せりふおしへテよし〕 「先此姨捨山(ヲバステヤマ)と申ハ。昔ハ更科(サラシナ)の里とて隠無名所にて御座候を。其後姨捨山と申子細ハ。いにしへ此里に姨姪(ヲイ)住し者の有シが。彼(カノ)姨(ヲバ)常(ツネ)に管(カ)見(ゲン)の遊(アソヒ)哥連歌などゝて。年歴迄(トシフルマテ)明暮(アケクレ)遊興(ユウキヤウ)に心を尽(カケ)。士農工商(シノウコウシヤウ)の家々の経営(ハカチ)もなかりし間。なんぼう世にハ不徳心成者の有ぞ。唯更級(サラシナ)山ニ捨置べしとて頓て此山に捨られし程に。夫より此山を姨捨山とハ申習す。則当山に捨られても。猶弥増(イヤマシ)に和哥の道に心を入慰けるか哥に。我が心慰メ(コヽロナグサメ)かねつ更級(サラシナ)や。姨捨山に照(テル)月を見てとかく詠(ヱヒ)じ。終(ツイニ)に空(ムナ)敷(シク)成為((たる))由語伝へ候。又有人の哥に。月景をあかず見るとも更級や。山の麓(フモト)に長居(ナカイ)すな君。是ハ此山末更級と申せし時の事にて御座有由承及候。是に付色々様々子細の有実((げに))候え共。先我等の存為ハ如此に候が。何故只今ハ御尋近比不思義((議))御座候。 ○「言語道断寄((奇))特事((ママ))を仰らるゝ者哉(モノカナ)。扨ハ旁々(カタ)の此山ニ初テ御登(ノホリ)り有り。殊更名月を御詠((眺))メ被成るれバ。古性((いにしえ))捨られし老女ハ。もふしうの雲晴がたき故顕出。声詞を替シたるかと存ル〔間。暫ク此所ニ御座候いて。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕ま((※))ことに今宵ハ一入月もくまなく面白き夜ごとゝ申シ。又老女のしうしんを残したる心指。彼是以て暫此所にやすらひ給ひ。心静に月を御詠メあれかしと存ル〔※○是((朱))ハ大事ぬくべし〕 〔「是ハしなのゝ国おばすて山の在所に住者ニて候。今日ハ物さびしき折からなれバ。罷出さらしなの月をも詠メ。心をなぐさまばやと存る〕 〔「是ハきどく成事を被仰るゝ物哉。扨ハ我等のこざかしき申事なれども。彼おば此山ニすてられししうしんの残し。今又かた〴〵にまミへたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれバ。暫是ニ御逗留有り。重てきどくを御覧なれかしと存ル〕   卅三 仏原 「是ハ加賀の国ニ住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれば。草堂(ソウドウ)の他((あた))りへ立出心を慰ばやと存ル 「去程に大政(ダイジヤウ)の入道清盛ハ。日の本を思ひのまゝに納((治))られし故(ユヘ)。不思義((議))の事をのミ色々したもふ。其比都に遊女数多有中に。負(トチ)と云白拍子が娘に。祇王祇女とておとゝひ有しが。娘の祇王をバ平相国(ヘイソウコク)の召置れ。朝夕御寵愛(コチヨウワイ)量り(カギリ)なかりし所に。三年せ(ミトセ)に成りて此加賀の国の白拍子(シラヒヨウシ)に。名をバ仏と申せし人の有りて。美女(ミソ)の誉(ホマレ)をとり舞も上手成しが。有時西八条へ参りけるを。当寺((時))京都ニて名を得し仏御前。是迄参候と申されけれバ。大((太))政の入道聞召。いかに遊女成と祇王があらん所へハ。神共いへ仏共いへ叶間敷ぞ。とう〳〵出よとの給ひ帰りけるを。祇王清盛へ申されける様ハ。仮令(タトヒ)舞(マイ)を御覧(ゴラン)し哥を聞し召(メ)さずとも。御対面計(タイメンバカリ)あれかしと申に付。召返(メシカヘ)されて時勢(イマヤウ)を謡。并に(ナラヒニ)舞をまわせて御覧すれば。権門(ケンモン)の人々耳目(ジモク)を驚(ヲトロカシ)し。息をつめて是のミ感(カン)シ給ふ。殊(コト)に眉(ミ)目(メ)藐(カタチ)声(コヘ)よく舞も上手成ゆへ。相国(ソウコク)仏御前へ御心を移(ウツ)されければ。祇王の思われん所も忝辱(ハヅカシ)とて。先此度ハ御暇(イトマ)をたべと申を。其如ク(ゴトク)あれが有を憚(ハヾカル)においてハ。祇王ニ出よと御使有し程に。なからん跡の忘形見(ワスレカタミ)とや思われけん。一首の歌をぞよまれける。萌出(モヘイヅル)るも枯る(カルヽ)ゝも同し野辺(ノべ)の草。いづれか秋にあわではつべきと。此哥を年月住馴(スミナレ)れし障子(シヤウジ)ニ書付。すご〳〵と出られし故。浮世を恨(ウラ)ミ廿一にて髪ををろされければ。妹の祇女も母の負(トチ)も尼(アマ)になり。嵯峨(サガ)の奥に柴(シバ)の庵(アン)を結(ムス)び。一心不乱(シツシンフラン)に念仏を申所に。仏御前ハ次の年の初秋の時分。一間所(ヒトマノトコロ)に書たる哥を見て。いづれか秋にあわではつべきとハ実((げに))もと思ひ。浮世を厭(イト)わん為に忍出。嵯峨(サガ)の奥へ尋(タツネ)行。祇王にあひて我身の過無(トカナキ)由を語り。四人一所(イツシユ)に居て浄土をねかわれしが。仏御前ハ此所の人成故。後にハ古郷(コキヨウ)に帰り是にて果られたると申す。左有ニ依て此草堂(ソヲトウ)のあるじハ仏成由承及候。先我等の存したるハ如此に候 ○「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左様の女性ハうたごふ所もなき。仏御前の御亡心にて御座有ふずると推量致す。余りに不思義((議))成ル御事なれば。暫是に御逗留有り。重てきどくを御覧あれかしと存る       第五王子一品式部卿  無官無位  上総介始賜平姓 鎮守府将軍常陸大丞 ○桓武天皇 ○葛原親王 ○高見王 ○高望王 ○良望 後国香                       讃岐守   刑部卿   大政大臣 ○貞盛 ○経衡 ○正度 ○正衡 ○正盛 ○忠盛 ○清盛                             備前刺史   二月八日薨                             ビシウリシ  宝永三年マテ                                    五百廿六年ニ成 〔平時信 時子平清盛妻八条二位殿      滋子号建春門院高倉院母〕 〔仁((人))王八十一代安徳言仁養和一寿永二 三種神器簒奪疏云三種神器者神書之肝心正法之樞機也 三器ノ次第ハ玉一鏡二劔三此則出生之次テ如此云々 此三ハ大事ノ重宝ナレバ其徳ヲタヤスク云ヘキニアラズ所詮ハ三種ノ霊宝胸中ニ収テアリ 人今己(コ)々ノ境界ニ沙汰スル事別而有難事也 神璽○宝釼○内侍所〕 〔(「)言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様にいづく共なく女人の来。白拍子の古性((いにしえ))御物語仕へき物覚ず候ガ。扨ハおそうの御心中たつときゆへ。ほとけ御前の亡魂目見へ給ひ。声詞を替されたると存る間。しばらく是に御座候て。かのぼだいを御弔あれかしと存る〕   卅四 藤 「是ハ越中の国多田の浦に住者にて候。今日ハ能天気にて候程に。浦へ罷出心を慰ばやと存ル。〔今日ハ能天気なれハ浦辺に立出心ヲ慰ばやト存ルト直ス〕 (「)先此海を布施の海と申し。又此他((あた))りを田子の浦共申候。是成松にかゝりし藤を多田の浦藤と申子細ハ。昔(ムカシ)奈良(ナラ)の帝(ミカト)の御時。大伴(ヲヽトモ)の家持(ヤカモチ)の卿(キヨウ)越中の守にて。御座有し時。此所へ御出有〔り〕様々の御遊覧の折節。此藤今を盛(サカリ)と咲乱(サキミダレ)候を御覧し。春の名残をいとゝ思われ給ひ。御花を御寵愛(ゴチヨウアヒ)被成御酒宴(シユヱン)有りたると承ル。去程に此藤の花是成汀(ミキワ)に(ニ)陰(カケ)うつり。水の底(ソコ)きよく見へ候程に一首の哥をよミ給ふ。藤波のかげなる海のそこきよく。滴(シツク)の石を玉と我ミると被遊候。其時御供に候ひし綱(ナハ)丸(マル)と申御方取あへず。田子の浦底(ソコ)さへに(ニ)ほ(ホ)ふ(ウ)藤なミの。かさしてゆかん見ぬ人のためと。よミ給ひしより此所を田子の浦と申。夫より是成藤を多子の浦藤と申習候。しかのミならず家持(ヤカモチ)の卿(キヨウ)ハ。大納言旅人(タビンド)の御子。萬(マン)葉集(ヤウシウ)の作者と聞ゆる哥人にて御座す(ヲハシマスユヘ)故。其後世々(ヨヽ)の集にも。田子の浦藤と読(ヨマレ)れたる哥数多有由聞及候。誠に此花ハしなひながく色ふかく御座候。昔こそ御賞翫(ゴシヤウカン)も候へども。おんごくの事なれば只今ハ誰見る人もなく候。か様の物語も古き人の申伝へたる斗にて候。先我等の存為((たる))ハ如此ニ候 「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。それハ疑ふ(ウタコウ)所もなき。此花の情((精))にて御座有ふずると存候。夫をいかにと申に。草木の情神と現し人と成シ(ナラン)事。唐土我朝ニもためしおふく候由聞及ひ候。中にも藤ハかづらのたぐひ。松にかゝりて栄へをのべ。色紫の空(ソラ)にまよひ春の名残の花なれば。昔今の詩哥にも数多もてはやされ候えば。此藤にも情の有りて。仏果(ブツカ)をゑんと思ひ女の姿と顕。お僧貴き御方成程に。詞を替したるかと存ル間。末ハ急の旅成共。今宵ハ此所に御逗留被成。重て寄特を御覧なれかしと存ル 〔「是ハ此他りに住者にて候。今日ハ物さびしき折からなれば。田子の浦のあたりへ立出。心を慰ばやと存る〕 〔「是ハ越中の国日見の里に住者にて候。今日ハ物さびしきおりからなれば。罷出四方のけしきをながめばやと存る〕 〔「言語道断きどく成事を仰らるゝ物哉。左様の女性ハ此他りにてハ覚す候が。扨ハ我等のすいりやうにハ。草木心なしとハ申せ共。お僧の御心中たつとうましますにより。ふじのせいかりに女人と現じ。声詞をかわしたるかと存ル間。有難御経をも御どくじゆ有。かさねてきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔「言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。それハうたごふ所もなき。此花のせいにて御座有うずる。それをいかにと申に。草木のせい神とけんじ人間となりしこと。わかんにもためしおふきよし聞及候。中にもふじハかつらのたぐい。まつにかゝりさかへをのべ。いろむらさきのそらにまよい春の名こりの花なれハ。古今のしいかにもあまたもてはやされ候へハ。此藤にも情の有りて。仏くわをゑんと思ひ女のすかたとあらわれ。おそうたつとくおわしますゆへ。ことばをかわしたるかと存ル間。末ハいそぎのたびなりとも。こよいハ此所に御逗留被成。重てきどくを御覧あれかしと存ル △今伝右衛門少直ス〕 〔△大納言贈従二位安丸孫大納言旅人(タビンド)ノ子ニテ百人一首ノ内大伴家持也 陸奥出羽按察使鎮守府将軍中納言家持也 大伴宿祢也〕 〔△藤謡南部備後守殿只今ノ殿より五代前ノ備後守殿御造被成宝生ノ家喜多ノ家ヘ被遣夫より能出来間初ニ大蔵弥右衛門方へ被遣候由宮野弥兵衛申候〕   卅五 檜垣 〔作物中入ニ楽屋ヘ入ル〕 〇「是ハ此辺に住居する者にて候。然は当国岩戸に貴(タツト)きお僧の御座すが。毎日毎夜御経をこたらず読涌(トクシ)被成るゝ間。参りて聴聞(チヨモン)仕らばやと存る〔ト云テ下ニイテ〕唯今参りて候 「さん候拙者も早そうに伺公致し。老少不定の世習なれば。有難御経をも聴聞申べきを。何角と仕今迄おそなわり申て候 「尒((去))程に檜垣の女と申ハ。本国ハ筑前(チクセン)の国大宰府(ダザイフ)の白拍子にて有シガ。後にハ此白川の辺(ヘン)ニ柴(シバ)の庵(イヲリ)を締(ムスヒ)。鄰(アタリ)に檜垣ヲ補理(シツライ)住し故。皆人夫より檜垣の女と申たる実((げに))候。然ルに彼の白拍子のわかくさかんなりし時ハ。誠(マコト)に眉(ミ)目(メ)藐(カタチ)声(コヘ)よく舞も并なき上手成ルにより。聞人感(カン)を催(モヨウ)し。見る人毎(ゴト)に偏(アマネク)心を迷(マヨ)ハさぬハ御座なかりたると申ス。有ル時此辺を藤原の興(ヲキ)則(ノリ)通り給ひし刻。何と哉覧よし有りげなる庵の有し故。供奉(グブ)の人々水や有と答せ給へば。庵の内よりも腰にハ梓(アスサ〔ツ〕)の弓を張。額(ヒタイ)にハ四海の浪を湛(タヽヱ)し老(ロウ)女の。水を持出来ルとて哥に。年(トシ)経(フレ)ばわが黒髪も白川の。水はぐむまでおひにけるかなと。か様に詠じ為((たる))由承ル。此みづを((ママ))ぐむまでと申詞を我等毎の者ハ。水の事かと存じたればさわなくして。年より衰(ヲトロヱ)腰の屈(カヽミ)たるをよそをひて詠じ為心成よし聞及候。則此哥が後撰(ゴセン)集ニ入為と申す。其後老女ハ程なく相果たると申ス 〇「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様ニ何国なく老女の水を捧(サヽゲ)申さふずる者。此他にてハ覚す候が。扨ハ我等の推量致ハ。古性((いにしえ))の檜垣の女顕出。声詞を替たるかと存ル間。余りにふしぎ成御事なれば。有難き御経をも御読誦有。重て寄特を御覧あれかしと存る   卅六 朝顔 「是ハ都一条辺に住者にて候。今日ハ志日なれバ。仏真(ブツシン)寺へ参らばやと存ル 「先当寺をば一条大宮仏真寺(フツジンジ)と申ス。然ハ桐壺(キリツボ)ノ帝(ミカト)の御弟(ヲトヽ)に。式部(シキフ)の宮(ミヤ)と申が住給ひたる所にて候。是に姫宮御座候ひしを。初ハ加茂の斎宮に備り給ひしが。御かたち余人(ヨジン)にすぐれ心殊にあひにして。萬世の類(タグヒ)ひすくなき御姿なれば。神慮(シンリヨ)もいかゞと思召。情(ナサ)の道とて光源氏心をかけ御申有り。度々御文をまいらせられけれとも。源氏の君のわりなき御事をのミ。心をつくし被成るゝ御くせなれど。さりながら姫宮終(ツイ)に(ニ)打とけ給わで。折節の御文の返哥まであそばされ。殊更神かけたる御身なれば。中々かけはなれおわしますに。其時節父式部(シキフ)卿(キヨウ)なく成給ひ。御ぶくにより程なくおり居させ給ひしを。猶々思ひやミ給わず情をつくさせ給ひ。過にし方をのミ思ひ給ひし由を。朝顔(アサカヲ)の方へ哥によミてまいらせらるゝ。見しおりの露ハすられぬ朝㒵の。花のさかりハすきやしぬらんと。か様に遊されしゆへ朝顔の斎院とハ申たる由承ル。然ハ斎院の御返哥に。あれはてゝきりのまがきにむすぼふれ。有ルかなきかにきゆる朝㒵と。かく御身をひげしてよまれしを。源氏弥増(イヤマシ)ニ玉章(タマツサ)お((を))遣されけれど。御心強ク御なびきなくして。父式部卿の女御(ニヨゴ)の宮と一ツ所に住給ひし間。女御の宮ハ何とぞして斎院の。光君と御契りあれかしと思召ど。源氏の御心の定なきをよくしろしめして。女御の宮の御心にも叶ひ給ハで。唯御文の音信(ヲトズレ)斗有為((たる))と申ス。又庭の荻(ハギ)朝顔ハ。斎院生死(シヤウジ)無常(ムシヤウ)の(ヲ)念じ給ひし。其折節より植(ウヱ)置れ為と承る。先我等の存たるハ如此に候 「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。扨ハお僧は元ハ都の人とあれば。古里なつかしく思ひ給ひ。朝㒵の斎院の御亡魂(ホウコン)顕れ給ひたるか。但又荻朝顔の情((精))仏(フツ)果(カ)の縁(ヱン)を請度存じ。かりにまみへたるかと存ル間。今宵ハ爰に御逗留被成。有難御経をも御読誦アリ【被成】。其後何国へも御通りあれかしと存ル 〔桐壺帝ノ御弟モヽソノヽ式部卿〕   卅七 七面 (「)是ハ此山中に住木こりにて候。誠に我等こと(テイノ)きのわさ程浅ましき事ハなく候間。此比ハ山をも打捨申す。又去ル人の仰らるゝハ仙人も薪を取てこそ。万をさとり給へと御おしへ被成るゝ程に。けふハ山ニ入木をこらはやと存する (「)去程に天上天下唯我独尊。釈迦如来ノ御使と有しハ。本地上行菩薩のさいたん日連((蓮))大聖人成由申。導師当山に移らせ給ふ。比ハ文永十一年卯月十三日。爰に庵室を結ひ度思召せ共。けんなんなれバ叶さるに。山の神来ツテりく地になしかやうにさかゆる。昔ハ霊鷲山にて八ケ年の説法に。世尊妙法花経をとき給ひ。今日蓮此地において彼経をどくじゆし給へハ。誠ニ霊鷲山かとはいす。殊に深山なれバ草木てきたいをなさず。実と身を延たればとてしんゑんさんと名付給ふ。御経どくじゆの折節何国共不知女性一人。毎日をこたらず参詣して聴聞する。有時女性高座近ク来り。浅間敷ハ女人なりとてさめ〳〵と((泣))。上人聞給ひ。此経ハ女人悪人をもきらハず。草木迄もうかまずと云事なければ。うたがいなくたもつてけふハ名をなのれ。人間にあらずと尋給ゑバ。誠にけしき替ルと見へしが。仏前成くわひんの水を便りとしてもくぜんに大蛇となる。天地もひゞき震動す【る】ちやうじゆおどろきさわく中にも。各々上人を弥々たつとめ((ママ))らいはいす。導師大虵に向テ。こんしんよりふつしんに至るまでよくたもて〳〵と。第五の巻を追取て頭を打給へバ。 拾二のかくりん即座に落テ成仏とくだつのミとなる。其の落たる角をはいになし絵具に入れ。あらわすかたちを写してじやぎやうのまんだらと名付。当山くをんじ霊宝と成由承及て候。其女性ハ此峯にまします七おもての明神。去ルに仍聖人の御詞に。我何国にてしゝたりとも此山にこそしんハ残し置ん。殊に御詠哥にも。たちわたるみのうき雲もはれぬべし。たへぬミのりのわしの山かぜ。かやうに遊しわれたうたいにおもわん者ハ。何事もしんゑん山の峯の雲と思へ。尋バいでゝ対面せん此ぶつごにまかせ。国々在々より袖をつらねくひすをむすび。参詣申かた〴〵門前ニいちをなす。又児の舞と云もかふの菩薩の舞楽をひようし。其年髪をおろせば花ちらす。ちとせの松も一度ハ枝朽。一じつのきんくわもしんゑん山の。白雲と思ふべき由の教へ成と申か。何と思召寄てお尋有ぞ不思義((議))ニ存ル  「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様の女性ハ疑ふ所もなき。此山の御神七面大明神にて御座有ふずると致推量。余りに不思義成御事なれば。暫是に御座候て。重て奇特を御覧あれかしと存る 〔日連聖人御父ハ聖武天皇ノ御末遠江守実名次郎重忠ト云 御母ハ清原氏天武帝ノ閑院山崎左近義兼ノ御娘也 然ルニ重忠三十三才ノ御時建仁三年五月十七日ニ子細有之安房ノ国長佐郡とうぜうの郷湊に流レ給ふ 御母十九年の間日輪を信しさせ給ふ 有夜日輪御母のむねをてらさせ給ふと御夢に御覧し身こもらせ給ふ 人王八十五代後堀川院ノ御宇貞応元年二月十六日ニ御誕生 御名を薬王丸と申ス 十二才ノ時同国清住((澄))寺道善坊ヲ師と頼出家シ蓮長坊ト申ス 延応元年十月八日十八才にて自ラ日蓮と改人王八十八代後深草院建長五年四月廿八日三十三才にて朝日ニ向ひて南無妙法蓮花経を唱へ給ふ 文応元年七月十六日鎌倉松葉か谷草庵ニテ安国論を書国主時頼へ遣ス 弘長元年五月十二日四十才ニて伊豆ノ国伊東の浦へ流レ同三年五月廿二日流罪ノ難ヲ赦れ文永八年九月十二日ニ鎌倉由井ガ浜へ引出ス日朗日真俗四人土の籠へ打込鎌倉殿ニ不思義((議))有テ赦れ同十三日本間六郎左衛門か宿ニ入今夜ハ十三や聖人天ニ向自我偈を読誦まします時ニ庭上の梅ノ木末ニ星下り給ふ 扨聖人を武蔵の前司願テ又文永八年十月十日ニ佐渡の嶋へそ流しける 同十一年二月八日ノ夜鎌倉殿夢を見て赦免 同三月十二日日朗土ノ籠ニをわします請取テ佐渡の嶋へ急かるゝ 十二日ニ聖人の御供してもうらの津より舟に召れ漕出ス 舟おのづからうづまく 妙法蓮花経の七字を波の上に書給ふ 是則波動の題目トテ今ノ世迄有り 五十三才同五月十二日かまくらを立テ甲斐のくに波本井ノ郷に入給ふ 六月十七日身延山ニ庵のむすび給ふ時十六七才の女夜ひる共に参詣す 是七面千((?))余年住鎮守として七面大明神成り 弘安五年九月八日身延ヲ立テ武蔵国千束の郷池上村右衛門尉宗長か宿ニ入 弘安五年十月十三日辰ノ刻御年六十一歳享保七年迄四百四十一年ニ成ル 千束ノ郷池上村長永山本門寺ニテ〇年代記ニハ宝永三年迄四百廿五年ト有リ 其後人王九十五代後光厳(クハウゴン)院ノ御時大覚聖人雨の祈り被成し時二夜三夜ふるニ仍テ日蓮大菩薩日朗ヲ菩薩日像菩薩と論((綸))旨ヲ被下大覚聖人ヲ大僧正ニ任らる 〇虵形ノまんたらハ聖人御けうけをさづけ給へハ高座成てくわひんの水を手に請て姿(スカタ)たちまちはたひろの赤虵となつて蓮師則ゑにうつし相模の国小田原の谷村郷浄永寺ノ第一ノ宝物也〕 〔日連上人明和三年迄四百八拾五年ニ成 年代記抜書ニ有リ〕   卅八 求塚〔若菜〕 「是ハ此他((あた))りに住者にて候 今日ハ物徒然折柄なれバ罷出心を慰ばやと存ル  「古性((いにしえ))此所に智(チ)努(ヌ)の健男(マスラヲ)と申人の御座候が。菟名負(ウナイ)の処女(ヲトメ)と申て人の息女の御入候所へ。御玉章(タマツサ)を参らせられ候所に。又此里に佐々田(サヽダ)といへる男(ヲトコ)の有しが。なんぼう気毒(キトク)成御事ニて候ぞ。同日の同時一度に玉章を参らせられ候程に。此おとめ思召様ハ月日こそおふきニ。二人か様に文を給り候程に。しよせん何方へも返事申間敷シとて使返し給ふを。両人の使帰りて此由かくと申せバ。又時をかへ日をかゑ文を参らせけれ共。いつも同しごとくに出合申により。終に御返事もなく候へハ。此事世上に隠無クして。二人のおつと出合てさあらば勝負をけつし。其かちまけにより定べきとて。此生田川にうかミたる鴛鴦(ヲシドリ)を射ら(イラ)れしに。二人一度に放(ハナ)チ給へハ。誠に奇特(キドク)成事ぞ二ツの矢此鳥の両のつばさにあたり候。又後の勝(セウ)負(フ)にも此如(ゴト)ク(ク)なり。其外いか様の勝負を致され候え共。同じごとくに候により。後には又二人共に忍々(シノヒ)て御通ひ候えども。同し時出合たがひに心をつくされ候所に。此処女(ヲトメ)思召様ハ。か様の思ひも我あればこそと思召。生田河に身をなげ底(ソコ)の水屑(ミクス)と成べしとて其時の御哥に。おもわけず我が身捨(ステ)けん津の国の。生田の河ハなのミなりけりと。か様に遊し終(ツイ)に空敷(ムナシク)成給ふ。此由二人の男聞給ひ。驚(ヲトロキ)此川に走(ハシ)り来り。身を投(ナケ)給ひたるも我々故なりと云て。二人指違(サシチカヘ)へ空敷(ムナシク)成を。此辺の者とも痛敷(イタハシク)存じ捕(トリ)り上ケ。三人の三所に塚に筑(ツキ)籠(コメ)メテ置シより。求塚とハ申習す。先我等の存たるハ如此ニ候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物かな。誰有ツテ罷出。左様の御事委可語者。此他りにてハ覚す候が。扨ハ我等の推量致ハ。御僧の御心中貴うましますにより。うなひのおとめの亡魂顕出。声詞を替されたるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれば。彼跡を念比に御弔有り。重て寄((奇))特を御覧あれかしと存ル 〔〇「是ハ津の国生田ノ森に住者ニて候。今日ハ物さびしき折からなれバ。もとめづかのあたりへ立出。心をなぐさまばやと存ル〕 〔「是ハきどく成事を仰らるゝ物哉。誠に彼者共ハじやいんのごういんにより。くげんをうくるとすいりやういたす。是と申もかた〳〵の御心中たつとうましますニより。彼者のゆうれひ顕出。声詞をかわしたるかと存ル間。御僧も左様に有つべしく思召バ。きやくゑんながら御弔あれかしと存ル〕 〔「是ハ生田の里に住者にて候。今日物さひ敷折柄なれハ。生田川の他へ立出心を慰はやと存ル〕 〔「是ハきとく成事を仰らるゝ物かな。扨ハ我等のすいりやう致ハ。おそうの御心中たつとうましますニより。彼者ハ前世のいんくわのどうりにより。あへなきはてやうをいたしたる者なれハ。一へんの御ゑこうにもあづかり度思ひ。今又かた〴〵にまみへたるかと存ル間。あまりにふびん成事ニて候間。有難御経をも御どくじゆ有り。重てきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔思ひわび我身すてけん津の国の生田の川ハ名のミなりけり〕 〔おもわけ(万葉集)ず我身をすてん津の国の生田の河ハなのミなりけり〕 〔天ノ帝か後堀河院の御宇か 女ノ塚ノ左右ニ二人ノ夫ヲ筑込置女ノ塚ニナラベテ二ツ筑為((たる))ニ依テ求為塚ナレハトテ求塚トハ申候〕 〔和泉国信田(サヽダ)ト云所血沼賤ヲ壮士 生田里莞会処女 当所ニ篠田ト云男〕 〔是ハきどく成事を仰らるゝ物かな。左様の女性ハ此他にてハ覚へ((ママ))候が。扨ハ我等のすいりやうにハ。うないのおとめのゆうれいにて御座有うずると存候。其子細ハさなきだに女ハ五せうのつミふかきに。二人の男ハ恋路にまよい。せつせうかいをやぶり殊に身をなげむなしく成。我身も横死をいたしたれバ。かた〳〵くるしミおふく有へしと存ル間。おそうもきやくゑんながら御弔なされ。其後いづくへも御通りあれかしと存ル〕   卅九 誓願寺〔 ワキ出テ次第道行ノ内ニ狂言出テ太皷座ニイル ワキ道行過テ大臣柱ニせうぎニこしかけると狂言立シテ柱ノサキニテ名乗〕 (「)是ハ都小河(ヲガハ)表に住者にて候。只今此所へ一遍上人の御着(ツキ)有り。六拾万人決定(ケツシヨウ)往生(ヲヽセウ)の御札を。国土(コクド)に御弘(ヒロ)メ被成るゝ間。志(コヽロサシ)の(ノ)輩(トモカラ)ハ皆々御参り候へ哉〔ト云テ太皷座ニイル シテ中入有テ立ツ〕 (「)去ル程に小河表の面々。今夜不(フ)測(シキ)の夢(ユメ)を見申さるゝ。其夢中(ムチウ)の様躰(ヨウダイ)ハ。昔より誓願寺(セイクワンジ)と打たる額(ガク)をのけ。上人の御手跡(シユセキ)にて。六字(ロクジ)の名号(ミヨウゴ)ニ被成るゝと。独夢(ヒトリユメ)を見たと語申せバ。我も見た〳〵と同意の由成を。其侭(ソノマヽ)打置んも余りなり。定て拙者ハ程近う参らふずる間。此由上人へ少窺(チトウカガイ)申せと有ニより。取物も取敢(トリアヘ)ず是迄罷出た。急で参らうずる〔ト云テ下ニイテ〕唯今参りて候 「心得申候 「某なとハ万事打置早々に伺公致し。有難御経をも聴聞(チヨウモン)申。或(アルイ)ハ(ハ)似合(ニアイ)の御用をも承べきを。老少(ロウセウ)不定(フセウ)の世とハ思ハで。世路(セジ)の(ノ)経営(キヨウヱイ)に斗り心を懸。後生(ゴセウ)の道ニ疎(ウト)き事面目も御座なく候。又〔たゞ今参ル事よのきにあらず〕今夜小川表の面々。不(フ)測(シキ)の(ノ)夢(ユメ)を見申さるゝ其夢相(ムソヲ)の様躰(ヨヲダイ)ハ。昔より誓願寺と打たる額(ガク)を除(ノケ)られ。上人様の御手跡(シユセキ)にて。六字の名号(ミヨウゴウ)に御なし有と。男女共に同如クに夢を見申に付。か様の寄((奇))特成事なれバ。定て上人様へも御告(ヲンツケ)のなき事ハ候まじ。拙者に此由少窺(ウカヾヘ)申せと各(ヲノ)申さるゝ〔ニ〕付。是迄伺公致て御座ル。何(ナニ)共(トモ)思(ヲホシ)召(メシ)合(アハ)らる(サルヽ)ゝ義ハ(ギハ)無御座候か 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。左有らバ弥陀(ミダ)の(ノ)教(ヲシ)へに任(マカ)せ。六字の名号に御なしあれかしと存ル 「畏て候 皆々此辺の人々御聞あれ。昔より誓願寺と打為((たる))額(カク)をのけられ。上人の御手跡にて六字の名号になし給わんとの御事なり。相構テ其分心得候へ〳〵 〔「左様に候ハヽ何もへも其由相ふれ申さうずる。やあ〳〵此辺の面々御聞あれ。むかしよりせひくわんじと 〇カヤウニモ云〕   四拾 三輪 「か様に罷出為((たる))者ハ大和の国三輪の在所に住者ニて候。某此程明神へ日参致すが。今日ハかなたこなた隙を得すして。今におそなわり申間。急参詣仕らばやと存ル。誠に珍敷柄ぬ御事なれど。先我が朝ハ天地開闢(カイヒヤク)より神国なれバ。霊神国々に地をしめ給ひ。威光(イコウ)区々(マチマチ)成とハ申せ共。中にも当社三輪の明神は。御神躰に何事の御(ヲ)在す(ワシマス)と(トハ)ハしらね共。我(ワレ)等(ラ)毎(ゴト)きの愚(グチ)無痴(ムチ)の輩(トモカラ)ハ。其身にもおふぜぬ事をのミ祈誓(キセイ)〔申に〕。万叶ぬと云事のなきにより。毎日(マイニチ)毎夜(マイヨ)老若(ロヲニヤク)男女(ナンニヨ)共に。袖(ソデ)を連ね踵(ツラネクビス)を継デ(ツイデ)。歩(アユミ)をはこぶ衆生数(シユセウカス)かぎりなければ。神前の一入にきわしう在す(マシマス)御事。又と并たる神も無御座候。いやよしなき独言(ヒトリゴト)を申内におそなわり申た。今少急申さうずる。当社ハいつも始て参りたる心ちして。有難さのまゝかんるいのうかむまてに候。あらふしぎや爰(コヽナ)な御神(ゴシンボク)に衣のかゝりて有(アル)よ(ヨ)。これハ細(サイ)々見た様に覚ゆるが誰のぞ。実((げに))と今思ひ出した。玄賓僧都(ゲヒンソウス)の衣にて候間。是より僧都へ参り此由申さうずる〔ト云テ下ニ居テ〕只今参りて候 「さん候拙者も早々に伺公致し。老少不定の世のならひなれば。有難御法をも聴聞(チヨウモン)申。或ハ御座敷や庭前(テイゼン)をも清メ。又お前にて。似合の御用可承を。俄に不叶用所((ママ))御座候て。今迄延引迷惑仕りて候。又御存知の如ク此程明神へ宿願の有ツテ。毎日参詣申間只今参れバ。神前の杉の一の枝に衣のかゝりて有を。何とや覧幾(イク)たび見馴(ナレ)たる様に存シ。近々(チカ)と寄て能詠(ナカ)むれば。正(マス)う(シウ)僧都様の御法の衣かと存ル。いかにお僧の御衣ニてもあれ。あの神木にハ御座有間敷事成が。さりとてハ。寄((希))代成事と存シ。あれよりすぐに伺公致したるが。何共思召合らるゝ義ハ御座なく候か。「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。当社にハ女躰の姿にておわしますと申シ。其上神(ソノウヘカミ)にハ五衰(スイ)三熱(ネツ)の苦(クルシ)ミ有ルと申せハ。僧都の衣を御手(ミテ)にふれられ。五衰の苦をもまぬかれ度思召。一衣(ヱ)を御所望被成為かと存ル間。あまりに不思義((議))成御事なれば。急神前へ御出被成。衣の様躰を御覧なれかしと存ル 〔△高安流ニてハ(「)只今参て候 ト云所を〇今日もおこたり申て候ト云〕 〔(「)霊神数多おわしますとハいへと。中ニモ当社大明神ハ又とならびたる神も御座なく候。かれこれよしなきひとり事を申ておもわぬ外路しに逗留仕た。今少急申さうずる 見なれたるやうにおもひ 当社ハ女躰の姿もおわしますと申シ。其上神にハ五すい三ねつのくるしミ有ルと申ぜ((ママ))ハ。僧都の衣ヲみてにふれられ。ごすいくるしミをもまぬかれ度思召。一ゑを御所望被成たるかとすいりやう致す。あまりか程にあらた成御事なれば。急神前へ御出有テ衣の様躰を御覧あれかしと存る〕 〔△和州三輪祭十二月上の卯日也〕    四拾一 龍田 「是ハ和州龍田の山下に住者にて候。今日ハ明神へ参ばやと存ル 「去程に珍敷柄((から))ぬ御事なれど。先我が朝ハ天地開闢より神国なれば。霊神国々に地をしめ給ひ。威光(イコウ)区々(マチ)成とハ申せ共。中にも此龍田の明神の御本地(コホンチ)ハ。龍田彦(タツタヒコ)共(トモ)立田姫(タツタヒメ)共申て。女躰(ニヨタイ)の神(シン)茂(モ)一所(イツシヨ)に御座候故か。神代の初より紅色(コウシヨウ)にめて給ひて。当社にハ紅葉を御神木とも。又ハ御神躰共崇(アガメ)御申有などゝ申す。然は当国三輪の明神ハ。杉をのミ御神躰と崇奉ル。併此所の(シカシナカラコノトコロノ)紅葉の名高き子細ハ。昔(ムカシ)伊弉諾(イサナキ)伊弉冊の(イサナミノ)尊(ミコト)。天逆桙(アマノサカホコ)を此山に埋(ウス)ミ給ふにより。当山(トヲサン)ハ(ハ)其(ソノ)御鉾(ミホコ)の守護神(シユゴシン)にて。此お山をも鉾山(ホコサン)と名付在す(マシマス)。彼御つるきの上より生(ヲモ)出たる木なれば。当山のもミぢハ常の(ツネノ)と替りて。鉾(ホコ)のはさきやいばのごとく八葉(ハチヨウ)有(アル)と申す。誠ハ左様にも御座候ひけるぞ。御覧せらるゝ如ク(ゴトク)か程に古木(コボク)のおふく。神前の瑞籬内(イカキノウチ)まて生茂け(ヲモシケレ)れども。一葉も(イチヨウモ)不散(イラサス)一枝(イツシ)折事もならず。おのづからにして偈仰(カツコウ)申奉ル。されば一年(ヒトヽセ)帝(ミカト)も紅葉の御行(ミユキ)有ニ。此河上に雞冠木(カイデノキ)数多候を。初冬(ソトウ)冬至(トウジ)のころをひ。龍田河に紅葉の散(チリ)うきたハ。さながら錦を張た(ハレル)ごとく成を。主(シ)上(シヨウ)叡覧(ヱイラン)有つて御製(コセイ)に。立田川紅葉乱てながるめり。わたらば錦中や終(タヘ)なんと。か様遊されたるよし承る。又其後家隆(カリウ)の哥に。一姿(ヒトスカタ)をもしろくよまれたると申す。龍田川紅葉をとづる薄氷(ウスコウリ)。渡らば是も中や絶(タヘ)なんと。かく詠じ給ひたる実((げに))候。先我等の存為((たる))ハ如此ニ候 〇「是ハ寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。左様にいづく共しらず。女性の来り。〔是迄御供申〕当山の謂などを委語り申べき者。爰元にてハ覚ず候が。扨ハ我等存ルにハ。当社明神権((か))りに人間と見へ(ま見へ給ひ)。御詞をかわされたると存ル間。暫是に御逗留あり。重て龍田姫(タツタヒメ)の誠の御姿を御覧じ。其後何国へも御通りあれかしと存ル 〔「是ハ此他((あた))りに住者にて候。今日ハ龍田の明神へ参らばやと存ル 「言語道断きどく成事を仰らるゝ物哉。左様にいづく共なく女性の来り。御道しるべ申べき者。此あたりにてハ不覚候が。扨ハかた〴〵の御心中たつとうましますにより。いにしへの立田姫かりに人間とけんじ。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれバ。弥神前において御きねんを被成。重てまことの神すがたを御拝ミあれかしと存ル〕   四拾二 当麻 〇「是ハ此他((あたり))に住者にて候。今日ハ我等の当麻寺へ参ばやと存る 「尒((去))程に当寺にをいて曼荼羅(マンタラ)を織(ヲリ)給ひ為((たる))子細ハ。仁((人))王四拾七代の帝(ミカト)の御時。横佩(ヨコハキ)の右大臣豊成公(トヨナリコウ)の御息女。中将姫と申ス御方。幼少の時より後生(ゴセウ)一大事と思召ニより。未御年にもたらざる人の。あのごとく成御心中ハ寄((奇))特成との御沙汰にて候。一度(ヒトタビ)ハ山深き方に御身を隠されしが。後にハ此寺へ御出有り御髪(ヲンカミ)をおろされ。御名をば法女と哉覧((やらん))申て。大誓願(ダイセイクハン)を発し(ヲコシ)給ふ様。正身の弥陀(ミダ)如来(ニヨライ)を拝み(ヲカミ)ミ奉らずハ。此草庵のいづ間敷き(マシキ)と有ツテ。明暮(アケクレ)念仏と御申有所ニ。有((或))時弥陀如来尼(アマ)と現(ケン)し来り給ふを尋(タツネ)給へバ。おことの呼(ヨヒ)給ふにより是迄来り為由御申有り。然らば蓮(ハス)の茎(クキ)を数多(アマタ)集メ(アツメ)給へ。極楽の様躰を曼荼羅(マンダラ)に織(ヲリ)付。拝せ御申有可との御事により。百駄の蓮(ハス)の茎(クキ)を集(アツメ)メ置給へば。彼(カノ)尼(アマ)来りてミずから糸をとり。あれ成池ニテすゝぎ給へば五色(ゴシキ)と成ルを。是成木にほし置給ふにより。池をも染殿(ソメド)の井(イ)とハ申シ。是成桜をも濯(ソメ)桜とハ申習ス。是に仍テ此花五色(ゴシキ)に咲たるなどゝ承る。其後(ソノノチ)観音(クハンヲン)と(ト)弥陀(ミタ)来迎(ライコウ)有つて。此寺の乾(イヌイ)の角(スミ)にして。酉過より寅の前方ニ。一丈五尺の曼荼羅(マンダラ)を織立給ひ。極楽の様躰上品(シヨウホン)上生(シヨウセウ)。中品(チウホン)中生(チウセウ)下品(ゲホン)下生(ケセウ)の九品(クホン)の躰(テイ)を。あきらかに顕し給ひたると申す。其折節もと末(スヘ)同如ク(ヲナジゴトク)成竹が誦((涌))出して。彼曼荼羅の軸(ジク)〔ニ〕成為と申ス。然ハ此竹一夜に生し為により。一夜竹共啓シ(モウシ)。又節(フシ)の間(マ)唯(タヽ)一重(イチヨ)成に仍テ。一重竹とも申実((げに))候。其後彼尼あの二上山を指て登り給ふにより。尼上が嶽(タケ)とハ申習す。先当寺の謂大形か様に承り候 〇「近比奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国ともなく老女と若き女の来。当寺の子細又ハ中将姫の御事。委御物語致さうずる者。此他りにてハ覚す候が。扨ハ疑ふ所もなき。いにしへの化尼(ケニ)化女(ケジヨ)仮りにまミへ。声詞を御かわし被成たるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれば。暫是に御逗留有。重て寄((奇))特を御覧あれかしと存る 〔〇((朱))有時弥陀如来尼と現シ来給ふを尋給へバ。おことのよび給ふにより。是迄参たる由御申あれバ。其時中将姫我等ねんし((ふ))つと申候が。扨ハ阿弥陀如来ニテましますかとあれば。中々の事御身女人成る故。老女と現じ参りたる由仰けれバ。中将姫念願叶ひ為と思召。かんるひをながし給ひ。さあらバ末世の衆生さいとの為きどくおかむへきとあれば。しからばはすのくきをあまたあつめ給へ。極楽の様躰をまんだらに織付。拝せ御申可有との御事ニより。百駄の蓮のくきをあつめ置給へハ。其比ハ天平宝字七年。癸ノ卯六月廿三日ノ夜。西方より正身ノ観世音織姫と顕れ来り。又ハ名をにんらい共申候。彼尼来りミづから糸ヲトリ〔〇次((朱))〕〕 〔中将姫さしあいの時ハなかがミひめト云〕 〔初ハ河内ノ国はしの里当所へ引レ山号寺号ヲ替 〇仁王四拾七代廃帝天皇御時中将姫名〇にんらひト云ケニケ女四十九代光仁天皇御宇 廃帝天皇ノ御宇南都花園町豊成公屋形花檀ノ跡也トソ 三棟町ハ中将姫生レ給ふ所也 素良住 金春の地謡云 中将姫宝永三年迄九百卅二年ニ成 中将姫ヲおいうしないし時ハ天平宝字 中将姫善心比丘尼ト云 後ニ法如ト云々 〇一夜竹(ヒトヨダケ)一丈五尺間節無故ニ或ハ一節竹共云 仁王四拾五代聖武天皇天平十九丁亥年 中将姫生ル 同四拾九代光仁天皇宝亀六乙卯年 十四日廿九才卒ス 中将姫と云ヲ観世流ニテハ直ス なかがみひめト云〕 (〈葛城〉の間) 〔〈葛城〉の間常の間ニテハ家ノ者かくべつワキノ弟子語間ニせりふ申候間常の間を語間ニなをし候を写置候 大蔵流語間 当代ハ仁右衛門方ニテも語間も云也〕 〔「是ハ和州葛城山ニ住居仕ル山がつにて候。今日ハ一段とよき天気なれバ。山にのほりたきゞをとらばやと存ル 「いや是に見なれぬ客僧の御座候。よのふ〳〵かた〳〵ハ何とて此所にやすらふて御座候ぞ 〔是ヨリ常の通り〕〕 〔「去程に此葛城の明神と申ハ。女躰の神にておわしますと申す。誠や覧世上にあまねく取さた致ハ。何も客僧達の大ミねなどへ入せらるゝに〔是ヨリ常の通り シマイニ〕常に古き人の御ぞうたんの承レハおなくさミ斗に申上ル。先我等のぞんじたるハ如此ニ候 「言語道断きどく成事を仰らるゝ物かな。我等ごときの朝夕かよいなれたる者だにも。なにともしのぎがたくめいわく致程の大ゆきに。左様の女人の罷出是迄御供可申者。此他((あたり))ニテハ覚ず候が。是ハこざかしき申事なれとも。うたがいもなき葛城の明神にて御座有ふずるとすいりやういたす。其上神にハ五すい三ねつのくるしミ有と申せバ。かた〴〵の行力たつし給ひし故ニ。有難みのりをも御てうもん有り。五すいのくるしミをもまぬかりやうずると思召。此たいせきのかげにおやどをまいらせられたると存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。しばらく是に御逗留有り。有難御つとめをも御おこなひ被成。重て誠の神すがたを御おがみミあれかしと存ル〕   四拾三 葛城 〔〈雪葛城〉〕 「か様に候者ハ(是ハ和州葛城山に住)。(是ハ和州葛城山に住)葛城の麓(フモト)に住居する(ツカマツル)山賤(ヤマガツ)にて候。今日ハ一段と能天気なれば。山に登り薪(タキヽ)をとらばやと存ル。我等ハ浮世を渡るいとなミの事なれバ。毎日山ゑ上り候に付。人の御存知より大山にて。心中に殊外太義に御座候。荒ふしぎや。是ハ雪(ユキ)が降た(リ)と見へたよ。宿に有し時ハ唯雪が懸り(カヽリ)たるか。又ハ風の(カセノ)吹(ユキ)颪(ヲロシ)にても有りと存たれば。是ハ登るに随て(シタカツテ)次第に大雪にて候。か様にあらふずると宿にて存したらバ上り申間敷物を。唯我等ハいつもの事かと存て山上致シ迷惑(メイハク)に存ル。いや是に客僧(キヤクソヲ)の御座候よ。如何(イカニ)申。旁々(カタ)ハ何ぞ御用有りて是に御座ルか。又只今の雪に支られ(サヘラレ)て御逗留被成たるか 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物かな。我等ごときの朝夕通ひ馴たる者だにも。何共陵難(シノギカタ)ク迷惑(メイハク)致ス程の大雪に。左様の女人の罷出是迄御供申可者。此他((あた))りにてハ覚す候が。是ハ拙者の小(コ)賢(サカシキ)啓事(モウシゴト)なれど。承れば此葛城(コノカツラキ)の明神ハ。女躰(タイ)の姿(スカタ)にて御在ス(ヲハシマス)と申せバ。あつはれ疑(ウタガ)ひもなき葛城の御神にて御座有ふずる其(ソノ)故(ユヘ)ハ。誠哉覧(マコトヤラン)世上に人のあまねく取沙汰仕ルハ。何レも【客僧((白紙貼付で隠す))達の大峯などへ入せらるゝに】ハ食事も常ならず。殊(コト)に嶮き(ケワシキ)谷峯を伝(ツタ)ひ。高山の道も見へず宿もなき山野に行暮(クレ)。狐狼(コラウ)野干(ヤカン)の友として起臥し(ヲキフシ)給ひ。難行(ナンキヨウ)捨身(シヤシン)の行を被成るゝ事を。役(ヱン)の行者痛敷ク(イタワシク)思召。此大峯葛城山の間に岩橋をかけうずるとて。護王(コヲウ)善神(センジン)一言(ヒトゴト)主(ヌシ)の御神等に仰合さるれバ。何も然可由領掌(リヤウシヤウ)被成るゝ。中にも此葛城の明神ハ女躰(タイ)の姿にて御在(ヲハシマ)せバ。余(ヨソノ)所の(ヨソノ)見るめも恥敷(ハスカシ)ク思召。夜の内に懸うずると有を。又諸神の仰らるゝ様は。か様の高山に大石〔トモ〕を重上。岩を峙(ソハダテ)古木大木を折懸(カケ)。或ハ引たをしても置べきに。夜中にハ中々成間敷と有り。彼方此方と仰らるゝ中に早夜ハ明ければ。終に岩橋の成就(シヤウシユ)仕らぬ事を。行者ハ殊外御怒り(イカリ)被成。有難(アリカタキ)御経をも御読誦(ドクシユ)有り。肝胆(カンタン)を摧(クダ)き祈(イノリ)給へバ。忝も不動明王のさつくの縄にて。頓テ一言(ヒトゴト)主(ヌシ)の御神を御禁メ(イマシメ)有たると申す。誠にか様の説話(モノカタリ)を客僧の御前にて咄申ハいかゝなれど。乍去代々此葛城山の麓(フモト)を住家として。明暮山上致す間。常に古き人の雑談(ソヲダン)をも承りたれば先お慰斗に〔申上((貼り紙))ル まつわれらの存たるハ如此御座候〕【申上((貼り紙の下))ル。若只今の物語有事にて候ハヽ。自然左様】の下心を以て。麓(フモト)ハ一段と能天気なれ共。か様に俄に雪を降し(フラシ)。殊に日を暮し御留有り為((たる))ハ何様不審(フシン)に御座候。其上皆々人の申さるゝハ。神にハ五衰(ゴスイ)三熱(サンネツ)の苦(クルシ)ミ有ルと申せば。旁々(カタ)の行力達シ給ひ為事を神ハ能御存被成。有難き御勤(キヨウ)をも御聴聞(トクシユ)有り。五衰のくるしミをもまぬかれうずると思召。世間ハ清((晴))天なれ共当山ハ雪を降(フラ)し。大石(タイセキ)の(ノ)陰を(カケヲ)やどに参らせられたるかと推量(スイリヨウ)致す。余りかほど奇特成御事なれば。有難(アリカタキ)御勤(ヲンツトメ)をも御行ひ(ヲコナヒ)有り。重て真(マコト)の神姿を御拝ミあれかしと存ル 「左有らハ某ハ御暇啓候 〔(「)あまりにふしぎ成御事なれハ。未((末))ハ急の旅なりとも。暫是ニ御逗留有り〕 〔「さあらバ我等ハ御いとま申。支((私))宅へ罷帰らふずる 「御尤ニ候〕 〔△〈葛城〉の間に。しもとゝ云事有。春藤流のせりふに云。其時ハ間ニ違有り。常ノ時ハ。鷺流の間ハ。右ノ通り。大蔵流ハ語間なり。近比ハ仁右衛門方ニテも語間致候由。○しもとゝ云間ハ真ノ間ノ本ノ内ニ有り〕 〔役行者宝永三年迄千六年又元禄十二年千年忌共有 年代記抜書ニハ元文四年迄千三十八年ト有り〕   同(四拾三) 葛城 「か様に候者ハ。葛城山の麓に住居仕ル者にて候。今日ハ世間も長閑(ノドカ)にて候程に。山ニ上り薪をとらばやと思ひ候。我等ハ浮世を渡ル経営の事なれバ。毎日山へ上り候ニ付。大山の事なれば人の御存じよりも心中ニ太義に御座候。あらふしぎや。是ハ雪が降たるものにて候よ。宿に有し時ハたゞ雪がかゝりたるか風の吹颪たる(フキヲロシタル)かと存たれバ。是ハ上ルにしたかつて次第に大雪にて候よ。か様にあらふずると宿にて存たらば上り申間敷キを。唯いつもの事と存じ山上致シ〔我等も〕迷惑存る。いや是ニ客僧の御座候よ。いかに申。只今の雪にさゑられて是に御逗留被成たるか 「是ハ寄((奇))特成事を被仰るゝ物かな。爰へ左様の女人の上らうずる事ハ。思ひもよらぬ事成が我等の推量仕ルハ。此葛城の明神ハ女躰の神にて御座すと申せバ。あつはれ葛城の御神にてあらうずると存ル其子細は。旁の行躰と申ハ。一段の難行(ナンキヨウ)にて御座有よし風聞(フウブン)申せば。此折節成共暫クやすませ御申あらふすると思召。麓ハ能天気なれ共。か様に俄に雪(ユキ)を降し(フラシ)。殊に日をもくらし御留有りたるハ。旁々をいたわり少成共御やすめあらんと有事にてハ御座有間敷と存ル。皆々人の申さるゝハ。神にハ五衰(コスイ)三熱(サンネツ)の苦(クルシ)ミ有と申せバ。客僧の行力達し為((た))ル難有御勤をも御聴聞(ヲンドクシユ)有り。苦(クルシミ)ミをもまぬかれうずると思召シ。世間(セケン)ハ清((晴))天なれども当山にハ大ゆきを降(フラ)し。此大石の影(カケ)をお宿に参らせられたると存ル。誠哉覧((やらん))世上に皆々取沙汰致すハ。客僧の大峯などへ入せらるゝ事ハ。人論((倫))はなれた高山の道も見へず宿もなき。山野に虎狼(コラウ)野狐(ヤカン)をとぎとしておき(ヲキ)ふし給ひ。難行(ナンキヨウ)捨身(シヤシン)の行をなさるゝ事を。役の行者ハ痛敷思召。此大峯葛城山の間に岩橋をかけうずるとありて。牛王(コヲウ)善神(センシン)一言主(ヒトコトヌシ)の神なとに仰渡さるれバ。此葛城の明神ハ女躰の姿にてましませば。余所(ヨソ)の見るめも恥敷(ハツカシク)思召。夜の内に懸うすると有を皆々の被仰るゝ様ハ。か様の高山に大石共を引たをしそはだてゝ置べきに。夜中にハ中々成間敷と有り。かなたこなたと仰らるゝ内に早夜ハ明ければ。岩橋成就(シヨウシウ)仕らぬ事を。行者ハ腹をたてこと白主の神を。有難き経文を以て御禁メ有為ルと申す   四拾四 女郎花 ◯「是ハ八幡の山下に住者ニテ候。今日ハ男塚の辺へ立出心を慰ばやと存ル 〔◯今日ハ物さびしき折からなれバ。男づかの辺へ立出心ヲ慰ハヤト存ル〕 「以性(イニシヘ)此八幡の住人に。小野の頼風(ヨリカセ)と申人の御座候ひしが。訴訟(ソセウ)の事有て永々在京有し所ニ。眉目(ミメ)能(ヨキ)女に酌(シヤク)抔(ナド)とらせ給ひ。有夜の睦語(ムツゴト)ニ我(ワレ)古郷(コキヨウ)へ帰りなば。必お尋あれと契り置れ。程なく訴訟(ソセウ)叶ひ下り給ふ所ニ。三年世(ミトセ)に成りて彼女人尋(タツネ)来り。頼(ヨリ)風の舘(タテ)へ案内と云を。内よりも女房の御留守と答(コタへ)しを聞。扨ハ君の偽り(イツワリ)給ふを不知(シラス)して。女のはかなさハ誠と斗心得。是迄尋下りたるを空敷(ムナシク)して。二度古郷(コキヨウ)ゑ帰り人に面を曝ン(サラサン)事。面目なふや思ハれけん。放生川(セツセウカワ)へ身を投底(ナケソコ)の滓(ミクス)と成し比。頼風ハ社頭より御下向有しが。水辺に人の多ク有を御覧じ。如何成事ぞととわ(トハ)せ給へば。あれハ都より女の人を尋て来り為((たる))が。あわぬを恨(ウラ)ミ身を投(ナケ)為由申を。不審(フシキ)に思召寄て見給へハ。疑(ウタガヒ)もなき以往(イニシへ)人にて有し程に。余りに心中を不便(フビン)に思われ。頼風も同ク(ヲナジク)沈ミ(シツミ)果給ひしを。此辺の人々痛敷(イタハシク)ク存ぜられ。二人共に塚に筑籠(ツキコメ)。則是成を男塚女塚とハ申習す。然ハ一つの塚より草花(ソヲカ)一本生(ヲヒ)出たるを。見馴ぬ花とて不審(フシン)致所に。有黠人の(アルコサカシキヒトノ)被申事に。女郎塚(ツカ)より出為花なれば。是ハ女郎花と申さうずるとて。夫より皆人押並て(ヲシナメテ)女倍芝(ヲミナメシ)とハ申習す。先拙者の聞及為ハ如此ニ候 〇「是ハ近比奇特成事を仰らるゝ物哉。左様に何国共なく老人の罷出。女郎花の子細委語ルへき者。此他((あた))りにてハ覚ず候が。扨ハ旁の御心中貴う在スにより。頼風の亡魂まミへ給ひ。声詞を替されたるかと存ル間。余りにいたわしき御事なれば。申迄ハ無御座候え共。暫是に御逗留被成。頼風夫婦の跡を御弔有り。重て奇特を御覧じ。其後何方へも御通あれかしと存ル 〔△「是ハ八幡の山下に住者ニて候。今日ハ何とやらん物さび敷折からなれば。ふもとの野辺へ立出よもそ((ママ))うくわを見て心を慰ばやと存る〕 〔△「是ハきどく成事を仰らるゝ物かな。さてハおそうの御心中たつときにより。いにしへのよりかせ蔵人ふうふのほうこんあらわれいで。詞を替されたるとすいりやう致ス間。しばらく是に御逗留有り。彼二人のあとを御弔ひあれかしと存る〕   四拾五 錦木 ◯「是ハ陸奥狡(ミチノクキヨウ)の里に住者ニテ候。今日ハ物徒然折柄なれバ。錦塚の辺へ立出心を慰ばやと存ル 「先世上の人の夫婦(フフ)に成ル中立にハ。皆媒(ナコヲト)という事の有しが。いかなれば陸奥(ミチノク)当所の習ニハ。何れにも其媒人(ナコヲド)ハなくして。我が思ふ女の門に錦木を立し時。おふべきおつとの錦木をハ取入。あふまじきをば取入ず候。然ハ約束の木なれば采色飾を以テ(イロトリカサルヲモツテ)。則錦木とハ申習ス。いにしゑ爰に田の長(タノヲサ)の有つるが。眉目(ミメ)能(ヨク)娘を独り(ヒトリ)持たりしを。有若き男の心を懸ケ。約束の木を立申所に。彼姫取入ず置たりしを。男ハ心の内に存ルやう。此事人の勝てしらぬにをいてハ。我等もふつと思ひ切り申べきが。はや〳〵男女共に其隠なきに。あれこそ女に疎為者(ウトマレタルモノ)よなどゝ沙汰の有りてハ。生甲斐(イキカヒ)の((?))有間敷と存シ。夫より日毎(ヒコト)に立けれど。終(ツイ)につれなくおきたりし程に。男ハ思ひにあこがれ空敷(ムナシク)成たりしが。誠にかれハ二世(ニセ)までも契りけるか。ほどなくひめも相果(アイハテ)しを。二人の錦木共ニ塚に筑籠(ツキコメ)。則是成を錦塚(ニシキツカ)とハ申習す。また細布(ホソヌノ)と云子細ハ。昔此所に悪鳥(アクチヨウ)の有て。稚(ヲサナ)キ者をとりなやまし候を。子を持たる親々ハこれを悲(カナシ)ミ。いかゞわせんとたくむ所に。有黠人(アルコサカシキヒト)の申され事に。か様に化鳥(ドクチヨウ)の有りて人を捕(トル)にハ。鳥の羽ニテ布を拵(コシラへ)てきせけれハ。必心(トリ)やむ由申しかば。是を我先にと拵(コシラへ)着(チヤク)致させし時。元より鳥の羽にて織たる布なれバ。機張(ハタバリ)せまくて胸(ムネ)などのあひ申さぬを古哥(コカ)にもこひしなどにも。胸逢(ムネアイ)がたき恋とハよまれたると申す。錦木細布(ホソヌノ)の子細数多有実((げに))候へ共。先我等の存シ為((たる))ハ如此ニ候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物哉。誰有て罷出。左様の御物語致さうずる者。此他((あた))りにては覚へず候が。扨ハ我等の推量致すハ。旁々の御心中貴う在すにより。彼者ハ思ひにあこがれ空敷(ムナシク)成し者なれば。一遍(イツヘン)の御回向(コヱコウ)にも預(アツカ)り度存じ。今又お僧にまみへ。錦木細布の謂(イワレ)委(クワシク)語申されたるかと存ル間。お僧も左様に有つべしく思召バ。末ハ急の旅成共。暫是に御座候て。彼夫婦の者の跡を懇に御弔有り。其後何国へも御通りあれかしと存る 〔◯「言語道断きとく成事を仰らるゝ物哉。誰有て罷出。にしきゞほそぬのの子細くわしく可語者。此あたりにてハ覚す候が。扨ハお僧の御心中たつとうましますゆへに。かのものハ思ひにあこかれむなしく成たる者なれば。一遍の御ゑこうにもあつかり度存じ。今またお僧にまミへ給ひたるかと存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。末ハいそぎのたひなりとも。今少是に御逗留有り。有難き御経をも御とくじゆ被成。重てきどくを御覧なれかしと存ル〕 〔「是ハ錦塚ノほとりに住者にて候 ◯陸奥庄崎けふのさと〕 〔△「是ハ陸奥狭布郡の住人ニテ候 今日ハ狭布里の市なれハ罷出めづらしき物もあらハ見て取申さうずる〕 〔△「是ハきとく成事を仰らるゝ物かな 扨ハお僧の御心中たつとうましますにより古性((いにしえ))此つかに〔ツキ〕こめられし者の亡魂顕出詞を替されたると存ル間あまりにいたわしき事なれハかのふうふのあとを念比に御弔【あれかしと】其後いつくへも御通りあれかしと存ル〕   四拾六 梅枝 ◯「是ハ津の国住吉の者ニテ候。今日ハ物徒然折からなれば。罷出て月をも詠メ。又千種(チクサ)にすだく虫の音(ネ)をも聞。心を慰ばやと存る。いや是成お僧ハ。何とて此あれたる土生小屋にハ御座候ぞ。「中々此辺の者にて候 「心得申候 「先当社住吉大明神は。我朝(ワカチヨウ)に無隠(カクレナキ)霊神(レイシン)ニて御座候。夫を如何にと申に。昔(ムカシ)神功皇后(ジングウコウグウ)当社諸共(モロトモ)に。異国(イコク)の夷(エヒス)をたいらげ給ひ。鬼(キ)麗(ライ)高(コウ)麗(ライ)契丹国(ケイタンコク)迄も。不残(ノコラス)日本に靡随ふ事(ナビキシタゴウコト)。偏に当社の御神徳成に仍テ。則(スナハチ)四所(シシヨ)明神と顕(アラハ)レ御在シ(ヲワシマシ)。毎年御神事数多御座有により。われおとらじと思ひ給ふ伶人(ヒト)多シといへど。中にも富士(フジ)と云太皷の上手(シヨウス)の有りて聞人感(カン)の催(モヨウ)し。神明仏陀(フツタ)迄納受(ノウシユ)置れ給ふと申ス。然ハ其比ハ萩原(ハキワラ)の院の御宇(キヨウ)成に。天下に名〔ヲ〕得為((たる))糸竹(イトタケ)の役人の集(アツメ)メ。大裏(ダイリ)に七日の管絃(カケン)の有し時。此度ふじを禁中(キンチウ)へ召れんと諸人も申され。我も内々左様に存ル所に。摂州(セツシウ)天王(テンノウ)寺(ジ)の楽人(カクニン)浅間(アサマ)をめさるゝと聞。かれハ外(ガイ)聞(フン)かた〴〵面目なふや思われけん。萬民ニも深ク隠して都に登((上))り。此事を歎(ナケ)き申されければ。誠に仏神(フツジン)も哀(アハレ)ミ御在(ヲワシマ)すか。工卿(クキヨウ)天(テン)上人(シヨウヒト)百官(ヒヤクハン)卿相(キヤウソウ)に至(イタル)迄。悉(コト)ク御引被成しゆへ。さふなふ都(ミヤク)を給りしを。悪(アクシ)事千里(センリ)と浅間此事を聞付。若(モシ)富士が太皷叡慮(ヱイリヨウ)に叶ひてハ。命ながらへても生甲斐(イキガイ)有間敷(アルマジク)と存じ。世上にハ不得心(フトクシン)成者の有ぞ。忍入(シノヒイリ)富士を討(ウチ)シ程に。妻ハおつとの別を悲(カナシ)ミ。中々流涕(リウテイ)こがれける気色(ケシキ)見へしが。誠に妹背(イモセ)の中ハ二世まで契りけるか。程なく女も空敷なりて。跡ニハ娘の独(ヒト)り残りけるが。幼少の身にて父母(フボ)におくれし間。ひとめもあかずおきふし親をなげきて。なんぼういたわしき事成ぞ。生死(セウジ)の習とて姫も頓(ヤカ)テ打果たる実((げに))候。不便(フヒン)やなふじ存生(ソンセウ)に有し時ハ。太皷を秘蔵(ヒソウ)致て持たると思せど。其後続(ツヽク)上手(シヨウス)のなけれバ。今ハか様にこけむして御座候。先我等存じたるハ如此ニ候 △「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉。さなきだに女ハうかミがたきに。いわんやかれハ叶ハぬ事をのミ。なげきこがれはてたる者なれば。冥途(メイド)のくるしミをまぬかれ度思ひ顕出。声詞を替したるかと存ル間。余りにふしぎなる事にて候間暫是に御座候て。彼跡を御弔あれかしと存る 〔「是ハ津の国住吉の者にて候 最前ハ村雨の致たるが程のう空も晴申て候間罷出四方のけしきを見てなくさまばやと存る いや是成おそうハ何国より御越なされたるぞ〕 〔「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物哉 さなきたに女ハ五障の罪ふかきと申かめいとのくるしミをまぬかれたくおもひ彼亡こんあらわれ出ことばをかわされたるかとすいりやういたす あまりにいたわしき事なればしばらくこれに御逗留有り女人成仏の御法をも遊し其後いつくゑもお通あれかしと存る〕 〔人ヲそねむをあさましいト云 △浅間ハ天王寺の楽人 冨士ハ住吉の楽人 妻の名梅枝 △天王寺建立ヨリ宝永三年迄千百廿年 聖徳太子薨御ヨリ千八拾六年 四天王寺ハ聖徳太子御建立也 今のからんハ元和元年 卯ノ年ヨリ九年間ニ立〕 〔山号ハ荒陵(クハウリウ)山院号ハ教伝院 異名ハ難波寺ト云 △住吉ノ社宝永三年迄千四百八十六年 △萩原院仁((人))皇九拾四代花薗院ト云々〕   四拾七 須磨源氏 「是ハ津の国須磨の浦に住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれば。罷出心を慰ばやと存ル。又若木の桜今を盛成由申候間。立越ながめばやと存ル 「去ル程に此所ハ須磨(スマ)の浦と申て隠無名所ニて御座候。又是成木を若木の桜と申て。名木にて御座候其子細ハ。昔平家の公達(キンダチ)薩摩の守忠則ハ此所に住給ひし時。手ずから植置れたる桜成由申。〔又〕一説(イツセツ)にハ昔より若木の桜と申て御座有たると二説(セツ)に承り候。去程に光(ヒカル)源氏暫(シハラク)此須广の浦に御在ス(ヲハシマス)時。明暮(アケクレ)須磨(スマ)明(ア)石(カシ)の月を詠((眺))。御心を慰給ひしが。都よりきらく有へしとの御事にて。則御上落(コシヤウラク)被成。官位(クハンイ)棒(ホウ)禄(ロク)世(ヨ)にたぐいなくて。藤裏(フジノウラ)(ワ)にてハ大政(ダジヤウ)天皇光君(キミ)と申奉りたる由申ス。其外此浦ニ付。色々面白き事御座候由申せ共。委事は存もいたさず。先我等の存知為((たる))ハ如此ニ候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物か哉。左様に何国なく老人の罷出。光源氏の御事〔委ク〕御物語可申者。此他((あた))りにてハ不覚候が。扨ハ我等の推量致ハ。古性((いにしえ))此所に(※)〔※光源氏住せ給ひたる故に。御しうしんのこしおかれ。今又まミへ給ひたるかと存ル間。余りにふしぎ成御事なれバ。しばらく是に御座候て重てきどくを御覧なれかしと存ル〕住せ給ひし所なれハ。御心を残し置れ。源氏の御亡心顕出。声詞をかわし給ひたるかと存ル間。余りに不思義((議))成御事なれば。暫是に御座候て。彼跡を御弔あれかしと存ル〔右ハ前方ヨリ有之間也 ちいさく書入たるハ寛延二年五月喜多流ニテ相勤候ニ付右之間の内少々伝右衛門書入弟子相勤候〕 〔「是ハ津の国須广の浦に住者ニテ候。今日ハ物さびしき折からなれバ。浦に出心を慰ばやと存ル。又若木の桜今をさかり成由申間。立越ながめばやと存る〕 〔「先此所ハ津の国須广の浦と申て。月の名所にて天下ニ隠無所ニテ御座候。就夫是成花ハ若木の桜とて是も名木ニテ候其子細ハ。昔平家の公達薩广の守忠度と申御方。此所ニ住給ひし時。手づから植おかせられたる桜成由語つとをる。又一説ニハ若木の桜と申て昔より有たるなどゝ二せつに承り及へ共。委事ハ存せず候。去程に光源氏と申奉ルハ。忝もだいご天王((皇))第二の王子。御母ハあせぢ大納言の御娘桐壺の前ニテ渡らせ給ふが。七才の御時ミなもとのせいを給り。夫より次第〳〵に御位につかせ給へど。去ル子細有此須广の浦ニ暫ク御ざ候いし時。明暮須广明石の月を詠メ。御心を慰給ふに。都よりきらく有べしとの御事ニテ御上落((洛))被成。官位ほうろく世にたぐいなく。藤の裏葉ニテハ大政天王光君と申奉り。誰かたをならぶる者もなかりたるよし承る。惣じて此須广の浦にをいて。色々面白キ物語など有由申せど。我等躰の者なれバ委ハ存もいたさず。先我等の聞及たるハ如此ニ候〕    四拾八 小塩 ◯「是ハ此他((あた))りに住者にて候。今日ハ物徒然折柄なれバ。大原の他へ立出心を慰バやと存ル 「先当社と申奉ルハ。和州(ハシウ)春日大明神にて御座候。夫をいかにと申に。大宮人の内にても藤原氏の人々ハ。是より南都迄の路次遠クて。喜斉(キサイ)の宮(ミヤ)の御参詣も叶ひがたきにより。其比ハ〔仁((人))王五十四代〕仁明天皇の御宇嘉祥(カセウ)三年に閑院(クワンイン)の左大臣冬嗣(ツキ)公の春日を此山へ御移し被成。御祭礼(サイレイ)ハ文徳天皇仁壽元年に始り。毎歳南都(ナント)東大寺(トウダイジ)喜斉(キサイ)の宮より。厳重(ゲンシヨ)に執行われし故(トリヲコナワレシユへ)。二条の后未春(キサキイマダハル)宮の后(ミヤス)所と申時分。当社へ御参詣被成たる由申習す。忝も忠仁(チウシン)公の御娘(ヲンムスメ)。照宣(セウセン)公の御妹(ムスメ)にて。是を染殿の后(キサキ)共。又ハ五条の后(キサキ)共申シたると哉覧(ヤラン)承る。故に此后(キサキ)の行啓(キヨウケイ)被成し折節は。御供の人々ハ歴々(レキ)にて御座候ぞ。業平(ユキヒラ)の朝(ア)臣(ソン)ハ近衛司(コノヱツカサ)にて供奉(グゴ)被成たると申す。其時后(キサキ)より御供の人々に。録(ロク)を給る次でに御車よりも。在原の中将へハ御衣をまいらせられたれば。其時分業平の歌に。大原や小塩の山もけふこそハ。神代の事も思ひいづらめと。か様に詠シ(ヨミタマイ)給ひ為((たる))心ハ。忝も天照太神と天児屋(アマノコヤネノミコト)〔根〕命とハ。陰陽二柱(インニヤウフタハシラ)の御神にて御在(ヲハシマ)せバ。小塩の山も今日(キヨウ)の御社参を嬉敷(ウレシク)クや見る覧と有哥成由承る。又下心ハ末后(キサキ)に立給わぬ時。寄々御契(ヲンチキリ)被成為故に。か様に色々に心を廻(メグラ)してよミ給ひたると申ス。惣じて此社(ヤシロ)の由来(ユライ)を委語においてハ。春日ハ四所明神の御事なれば。神秘(ジンビ)の子細数多有実((げに))候え共。先我等の存したるハ此此ニ候 ◯「言語道断寄((奇))特事((ママ))を仰らるゝ物かな。左様に何国共なく。〇((朱))老人の花をかざして罷出。委語べき者此他りにてハ不覚候が。扨ハ我等の推量いたすハ。古性((いにしえ))の在原の業平仮りに顕れ。声 詞を御替し被成たるかと存ル間。暫是に御座候へ((ママ))て。重て奇特を御覧あれかしと存る 〔◯((朱))老人の花ヲかさして罷出。当社の子細又ハなり平のいわれなど。くわしく語へき者此他〕 〔「言語道断きとく成事を仰らるゝ物かな。左様にいづくともなく老人の花をかさして罷出。左様の御物がたり致さうずる者。此あたりにてハ不覚候が。扨ハ我等のすいりやうにハ。業平の御ぼうしんにて御座有うずると存ル間。あまりにふしぎ成御事なれば。しばらく是に御とうりうあり。重てきどくを御覧あれかしと存ル 「御用のあらハ重て仰候え〕 〔「言語道断寄((奇))特成事を仰らるゝ物かな左様にいつく共老人の花をかさして罷出当社の子細又ハなり平のいわれなとくわしく語へき者此他りにてハ覚す候が扨ハ我等のすいりやう致ハいにしへのなり平かりにあらわれ声詞を御かわし被成たると存ル間しばらく是に御座候て重てきどくを御覧あれかしと存ル〕 〔「是ハ矢((八))瀬の辺に住者にて候。此間ハ一段と長閑なれば。大原や小塩の花をも詠((眺))メ。又明神へも参らはやと存ル〕 〔嘉祥三年正月三日 二条ノ后未春宮ノ御息所ト申ハ藤原氏ニテ御在ス故貞観三年三月三日ニ当社へ御参詣〕 〔五拾三代淳和天皇天長五年染殿后生ル 仁明天皇 順子ト云五條后号藤原冬嗣ノ娘 文徳天皇 染殿后◯惟仁ヲ生給ふ藤良房娘 ◯忠仁公贈ル 清和天皇 二条后 ◯藤原基経ノ妹昭宣公贈ル 惟仁〕 〔仁明天皇ノ御時承和ノ比僧(※)正遍正〔※享保十二 八百五十年 宝永三迄八百十六年◯八百廿七年◯八百七十年〕在(〔※〕)原業平〔※元慶四年五月八日卒ス〕出羽郡司女小野小町同時人也 承和二年〔乙卯〕三月廿一日弘法大師御入 宝永三年迄八百七十二年〕   四拾九 雲林院 〔みじかきせりふ〕 是ハ都に住居たす者にて候。去程に某毎年春にもなれば。爰かしこの花を残らずミあるき候に。夫に就今朝人のはないて通ルをきけバ。雲林院の花がいまを盛成とて。おもふ友達打つれ行を聞。浦山敷存られ罷出た。まづいそいで参らうずる。誠に都の内に名花多シと申せど。雲林院〔の花〕ハとりわき見事成と申ス。何角と云内に早参りて候よ。去れバこそ花見の衆が数多有と見へた(テ)。こし車が夥敷い事じや。爰にハ屏風を引上座にハ児(チゴ)若(ワカ)衆を置。然べき僧達の数多おりやるそ。いか様一寺と有ル御方と見へた。〔マタ〕むかいの(ムコウノ)きよれんの内(ミスノウチハ)にハ定て公家(クゲ)門跡(モンジキ)のお衆さふな。爰に又男女ともに打まじハリて。さかもりの有ハ(此躰ハ)町衆さうなよ。扨も〳〵此花の所から折にふれて。さきものこらすちりもはじめぬ木末(コズへ)の有様〔カナ〕。大伴(ヲヽトモ)の黒主(クロヌシ)か哥のさまにハなけれ共。拙者躰ハ山がつ同前((然))なれバ。こかげにしばらくやすまばやと存ル。いや是成御方ハ都人とハ見へ(二テハ御座なげに)申さぬがいつくより(見へて。いかさまゆへ有御方と見へ申たが◯)御登((上))にて候ぞ 〔「中々此他((あた))り者((ママ))ニテ候 「是ハ思ひもよらぬ事を仰らるゝ物かな。我等も此他り住((ママ))者とハ申ながら。誠につたなき山がつのるいなれば。左様の御事一円に無案内ニて候さりながら。お尋有をかつて存せぬと申もいかゝなれば。聞及たる通り御物語り申さうずる◯先此雲林院と申ハ。むかしハゑいさんのまつじにて有たるが。誠やらん天だいしうとぜんしうと宗論の有し時、りやうほうざんよりだいとうこくしの御出有り。其時のしうろんにこくしの御かち有りて。それより此所がだいとくじの内に成たると申ス。又此雲林院の花の名木成事ハ。古き哥にも数多みへて候。なにざうく法師の哥に。桜ちる花の所ハはるながら。ゆきぞふりつゝきゑがてにするなどゝ御入候。其上有哥に。はる風ハ花のあたりをよぎてふけ。心づからやうつらうとみんと。又いにしへのなり平の御事ハ。いせ物語にことつくしたるやうにうけ給る。此物語ハいせのつくられたるにより。則いせ物語とハ申由承候。先我等の存たるハ如此ニ候〕   同(四拾九) 雲林院 「是ハ都ニ住者にて候。去程に某(ソレガシ)寝(ネラ)れざるまゝつく〳〵と物を案ずるに。明日にてもあれ我等旅他国を仕らん時。しらぬ人が何国の御方ぞと答ふ(トヲウ)ずるに。生国(セウコク)ハ京都の者にて有ルと申さバ。定て所を聞テ奥床敷ウ(ヲクユカシウ)可(ソンス)レ存に(ベクニ)。明暮唯惘然(タヽホウセン)と徒(イタツラ)ニ暮(クラ)して。御家(ヲイへ)近(チカ)クても手習致さねばもんもうなり。又公家(クケ)門跡(モンシキ)の御目掛らるゝと云へど。詩(シヨ)連句(レンク)を聞てもわけをしらねば面白うなし。左有ニ仍テ哥連歌の時も。其道が無案内なればねむうなりて。幼少の時より悪ク(ハルク〔アシ〕)そたちハ。四条五条の河原へ行テ稚ひ(ヲサナヒ)衆(シウ)と。向ひ礫(ツブテ)にて印地(インチ)ヲ初め。追(ヲヽツ)ツ卒死(マクツ)ツ逃(ニケツ)ツ狂ひ(クルヒ)遊て(アソヒテ)後ハ。夏の暮ニハ爰かしこの辻相撲をとり。小路(コウシ)謡(ウタイ)高小哥(タガコウタ)にて暮せバ。此比ハ若ひ衆に異見(イケン)のいわう年にても。〔又〕十能七芸が一つもなきと存シはつかしう思へ共。俄(ニハカ)に老て(ヲイテ)の学文(カクモン)もならざれば。観学院(カンガクニン)の雀(スヽメ)ハ蒙求(マウギウ)を囀(サヘスル)と云も偽り(イツハリ)なり。又人ハ善悪の友によると云も空事(ソラゴト)か。但シ都ニても某ハ能人とハ有徳(ウトク)。田夫(デンフ)な者と斗り友ないたる故なれバ。せめて今からハ悪敷(ワルキ〔アシキ〕)事を致さぬ様ニと存シ。毎年春ハ衣更着(キサラキ)弥生(ミセウ)の比(コロ)を得て。爰かしこの花を思ふ友どち打連見るに。南枝花初テ開と云ニ付。先南を指て行キ吉野初瀬の花を詠(ナカ)メ。其より醍醐(ダイコ)山科(ヤマシナ)祇園(ギヲン)清水(キヨミス)霊山(リヨウセン)の桜を見為((たる))が。早北山(ハヤキタヤマ)辺の山桜ハ凡(ヲヨソ)開ント(ヒラカント)存じ。明日より鞍馬(クラマ)高尾の花を見うと存ル所ニ。今朝人(コンチヨウヒト)の咄テ通ルを聞申せバ。雲林院の花が今を盛成ルとて。老た若ひによらずともなひ行を聞。夫ならば先程(マツホド)近(チカ)き所を見うと存シふと罷出た。〔ト云テ道行小廻りして〕常に通ル時ハ京都の内と云ながら路次も遠ひ様なが。心嬉しうて行ハ足もかろひか早参たよ 〔幕方ミテ〕 去ればこそ花見の衆がおゝひと見へて。あきごし車が門前に数多有よ〔一ノ松ニテ正面ミテ〕あれにハ屏風を立上座にハ児若衆(チコワカシウ)を置き。可レ然僧達(ソウタチ)の数多並居(ナミイテ)て。思ひざしの付ざしのなどゝ云て酒宴(シユヱン)有ハ。如何様一寺(イチジ)と有ル名(メイ)地(チ)の御方と見へたよ。爰ニ又男女共に数多こぞり居て。小哥手拍子こわだかなハ。さながら町しうそうな〔爰ハワキ正面ヲミル〕向ひのぎよれんの内ニハいかにもしんびやうに酒盛して。みすきてうの内よりも吹くる風のかうばしきハ。何様公家門跡のお衆さうな〔爰ハ正面ヲミル〕扨々此花の所柄(トコロカラ)折にふれて。咲(サキ)も残らずちりもはしめぬ木末(コスへ)の有様。さながら白雲(シウクモ)のたなびきたる躰に殊ならず。か様の面白き所が誠の延年(ヱンネン)であらふに。大伴(ヲゝトモ)の黒主(クロヌシ)が哥のさまにハなけれ共。拙者て(セツシヤテ)ひハ(イハ)山賤(ヤマカツ)同前(トウセン)成ル者なれば。木影(コカゲ)に暫休バやと存ル〔ト云テワキヲミテ〕いや是ニ見馴ぬ御方の御座候。いかに申。すかた〳〵ハ都人にてハ御座なげに見ゑて。いか様故有(ユへアル)ル御方と見へ給ひたるが。何国より御登((上))り為ル(ナサレタル)ぞ 「是ハ思ふもよらぬことを被仰るゝ物かな。我等も此他((あた))りに住者とハ申ながら。誠につなたき山賤(ヤマカツ)のるいなれば。左様の御事一円に無案内ニて候。乍去お尋有を勝て存せぬと申もいかゝなれバ。聞及為通り御物語申さうずる 「先此雲林院(ウンリンニン)と申ハ。昔(ムカシ)ハ叡山(ヱイサン)の末寺(マツ ジ)にて有為が。誠や覧天台宗(テンコンシウ)と禅宗(センシウ)と宗論(シウロン)の有し時。龍宝(レウハウ)山より大燈国師(タイトウコクシ)の御出有り。〔其時の宗論国師の御勝有り〕て。夫より此所が大徳寺の内に成為と申す。又此雲林院の花の名木成事ハ。古き哥にも数多見へて候。何(ナニ)承均(ゾウク)法師(ホツシ)の哥に。桜ちる花の所ハ春ながら。雪ぞ降(フリ)つゝきへがてにするなどゝ御入候。其上有哥に。春風ハ花の他りをよぎてふけ。心づからやうつらうと見んと。又以性(イニシへ)の業平(ナリヒラ)の御事ハ。伊勢物語にことつくしたる様に承ル。此物語ハ伊勢の作られ為により。則伊勢物語とハ申由承ル。先我等の存たるハ如此ニ候 ◯「言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物哉。左様の御物語致さうずる者。此他にてハ不覚候が。扨ハ我等の存ルにハ。最前旁(カタ)々ハ津(ツ)の国芦屋(アシヤ)の里の人とあれば。摂州(セツシウ)芦屋の里ハ昔より。有(アリ)原(ハラ)家(ケ)の知ル由し給ふ所成由聞申せバ。公光(キンミツ)となつかしウ思召〔ニ〕。其上旁々ハ幼少の時より。伊勢物語を面白う思ひ給(テナレ)ふ故。業平の夢(ユメ)に見え給ひたるかと推量致す。但又【かた〳〵】哥道(カトウ)に執心(シウシン)深(フカ)きをかんじ。住吉大明神か玉津嶌(タマツシマ)の御神の仮りに老人とまみへ。声詞を御替し被成為かと存ル間。余りにふしぎ成御事なれバ。今少是に御逗留有り。重てきとくを御覧あれかしと存ル 〔◯「摂州芦やの里ハ昔より。有((在))原けのしる由し給ふ所成由聞ハ。公光となつかしう思ひ(クヲモイタマイ)。なり平の夢に見へ給ふかとすいりやういたす。夫ヲいかにと申に。かた〴〵ハ幼少の時よりいせ物語を手がけ。哥道にしう心ふかきをかんじ給ひ。住吉大明神か玉津嶋の御神かりに老人とまミへ。声詞を御替し被成たるかと存ル間。あまりにふしき成御事なれハ。今少シ是ニ御とうりう有り。重てきどくを御覧あれかしと存る〕 〔「言語道断寄((奇))特成事を被仰るゝ物かな 扨ハかた〳〵のいせ物語をてなれ哥道にしうしんふかきをかんじ給ひ住吉大明神か玉津嶋の御神の老人と現しまみへ給ひたるかたゞし又かた〳〵ハ津の国芦やの里の人とあれハ摂州芦やの里ハ昔より有原けのしるよしし給ふ所成由聞(キケ)ハきんミつとなつかしう思召なりひらの夢に見へ給ふかと存ル間爰に暫ク御逗留有り木景((陰))に臥テ重てきどくを御覧あれかしと存る〕 〔宗論の有シ時禅宗ノ方ヨリ大燈国師の御出有リ〕   同(四拾九) 雲林院 〔 家許((元))元祖所持書写常ノ間トハ少々カハリ有リ〕 「是ハ九重に住者にて候。去程に某(ソレガシ)寝(ネラレ)られざるまゝつく〳〵と物を案ずるに。明日にてもあれ我等旅他国を仕覧時。しらぬ人がいづくの御方ぞととわふずるに。生国(シユセウ)ハ京都の者にて有ルと申さば。定て都と聞て奥床敷(ヲクユカシウ)う存べきに。明暮只惘然(タヽホウセン)と徒(イタツラ)に暮して〔〇((朱))〕飛鳥井殿の他((あた))りに久敷住ンテモ。終(ツイ)に鞠(マリ)を一度けたる事も無シ〔◯次((朱))〕お家近うても手習いたさねば文盲(モンモウ)なり。公家(クゲ)門跡(モンジキ)のお目懸らるゝといへ共。諸連句(シヨレング)を聞ても分(ワケ)をしらねば面白うなし。また歌連哥(ウタレンガ)の時も其道が無案内なればねむうなりて。幼少の時より徒にそだちて。四条五条の川原へ行ておさなひしうと。向ひ飛礫(ツフテ)にて印地(インチ)を初メ。追ツ(ヲツ)卒死(マクツ)ツ逃ツ狂ひ(ニケツクルヒ)慰て後ハ。夏の暮にもなれば爰かしこの辻相撲を取り。小路謡高小歌までにて暮せバ。此比ハ若ひ衆に異見(イケン)の居(イ)わう年にても。十能七芸が一つもなきと存シ今ハ頻(シキリ)にはづかしう存れど。俄に老ての学文もならされば。勧学院(カンガクイン)の雀(スヽメ)ハ蒙求(モウキウ)を囀と(サエツルト)云も偽り(イツハリ)なり。又人ハ善悪の友に寄と云も虚言(ソラゴト)か。但(タヽシ)都(ミヤコ)にても某ハ能人とハおもわて。田夫(デンフ)な衆と斗咄たる故なれば。せめて今からハ悪敷(アシキ)事を致さぬ様にと存じ。春にもなれば衣更着(キサラキ)弥生(ミセウ)の比(コロ)を待て。爰かしこの花を思ふ友どち打つれみるに。南枝花初て開クと云に付。先南を指て行吉野初瀬の花を見。夫より醍醐(ダイコ)山科(ヤマシナ)祇園(キヲン)清水霊山(リヨウセン)の桜を見たるが。早北山辺の山桜も凡(ヲヨソ)開(ヒラカ)ンと思ひ。明日より鞍馬(クラマ)高尾(タカヲ)の花を見うと存ル所に。今朝人の云て通るを聞けば。雲林院の花今日(ケウヲ)盛成とて。老た若ひによらず。伴(トモナ)ひ行程に。先ほど近き所から見うと思ひ罷出た。先急で参らう。いや京都の内とハ云ながら。常に参る時ハ路次も遠様に覚るが。心面白うて行バ足も軽いかはや参着たよ。さればこそ花見の衆がおゝひと見へて。空輿(アキコシ)車が数多有よ。あれにハ屏風をたて上座にハ児若衆(チコハカシウ)を置。然べき僧達のあまた並(ナミ)居て。思ひざしのつけざしのなどゝ云て酒宴(シユヱン)の有ハ。如何様一寺(イチジ)と有名地(メイチ)の御方とみゑた。又向の御簾(キヨレン)の内に如何にも神妙に酒盛して。簾几(ミスキチヨウ)帳の内より吹くる風のかふばしきハ。定て公家(クケ)門跡(モンシキ)のお衆さうな。爰に又男女共に打まじわり群居て(コソリイテ)。小哥手拍子を打てこわだかなハ。何様此躰ハ町衆(マチシウ)さうな。扠も此花の所から折にふれて。咲も残らず散も初ヌ((?))木末の有様。去乍白雲の靉靆(タナビキ)為((たる))にことならず。か様の所が真(マコト)の延年(エンネン)であらふに。大伴(ヲヽトモ)の黒(クロ)主(ヌシ)が哥の様にハなけど。拙者躰ハ山賤(ヤマカツ)同前((然))なれば。木影(コカケ)に暫やすまばやと存ル。いや是成木の本なわ都人とハ御座なけにみへて。いか様故有御方と見へ給ひたるが。何国より御登((上))被成たるぞ 「是ハ思ひもよらぬ事をお尋有物かな。我等も此辺にハ住者なれど。誠につたなき山(ヤマ)賤(カツ)の類なれば。左様の御事一円(イチヱン)無案内(フアンナイ)ニて候。乍去お尋有を所に有ながら。勝て知らぬと申もいかゞなれば。片端(カタハシ)聞及為通を御物語申さうする 「先此雲林院と申ハ。昔ハ叡山(ヱイサン)の末寺(マツジ)にて有為が。真(マコト)や覧(ラン)天台宗(テンコンシウ)と禅宗(センシウ)と宗論の有て。龍宝山(レウハウサン)ハ大燈国師(トウコクシ)の御出被成。其時の宗論に国師の御勝(ヲンカチ)有りて。夫より此所が大徳(タイトク)寺の内に成為と申。又此雲林院の花の名木成事ハ。古き哥にも数多見へ候。何承均(ソウク)法師(ホウシ)のうたに。桜散(チル)花の所ハ春ながら。雪(ユキ)ぞ降(フリ)つゝきへがてにするなどゝ御入候。其上有哥に。春かぜハ花のあたりをよぎてふけ。心づからやうつらふとみん。又古性(イニシへ)の業平(ナリヒラ)の御事ハ。伊勢物語にことつくしたる様に承ル。夫ニ就此物語ハいせの被作為故に。則(スナハチ)伊勢(イセ)物語と申由風聞致が。何故此事を唯今お尋ハ不審(フシン)に御座候 「言語(コンコ)道断(トウタン)奇特(キトク)成事を仰らるゝ物哉。扨は旁のいせ物語をてなれ。哥道に執心(シウシン)ふかきを感(カン)じ給ひ。住吉大明神か玉津嶋(タマツシマ)の御神の老人(ロウジン)と現(ゲン)じ間(マ)見へ給ひたるか。但(タヽシ)又旁々(マタカタ)ハ津の国芦屋(アシヤ)の里の人とあれば。摂州(セツシウ)芦屋(アシヤ)の里(サト)ハ昔より。在原家(アリハラケ)のしるよしし給ふ所成由聞バ。公光となつかしう思召。業平(ナリヒラ)の夢(ユメ)に見へ給ふかと存ル間。爰に暫(シハラク)御逗留(コトウリウ)有り。木景臥(コカケフシ)て重て寄((奇))特を御覧あれかしと存る 〔雲林院ノ由来雲林院ハ天台宗ニテ開基八百年斗ニ有之 京都紫野ノ内ニ寺地有之 花ノ名所ニテ昔ハ歴々ノ衆参詣有リテ詩哥トモ多ク有三百歳已前近ハ有リ 唯今ハ逆転ニテウジイト云所也 人皇五拾四代仁明天皇ノ御子常康ト申親王ノ屋鋪也 常康出家シ給テ五拾六代清和天皇ノ貞観年中ニ仁明天皇御恩ホウジヤノ為居所ヲ寺ト号シ遍昭僧正ヲ移シ天台宗ノ寺トナスナリ〕 〔遍昭ハ五拾代桓武天皇ノ孫良峰(ヨシミネ)安世(ヤスヨ)ト申人ノ子ニテ俗名ヲ宗貞ト云也 俗ノ時子二人有 一人ハ素性ト云 一人ハ由信ト云二人トモニ出家也 由信ヲ雲林院ノ別当トナスナリ〔僧正遍昭ハ宝永三年迄八百拾六年ト年代記ニ有リ〕雲林院ハ大徳寺ノ門前大宮口也〕 〔龍宝山大徳寺開山正灯国師但両朝国師也 三百七十年宝永三年迄〕 〔雲林院ニテ花ノ発ヲ見テ詠ル 承均法師〔下ニそうく法師とかな付アリ〕〕 〔桜ちる花のところハ春なからゆきぞふりつゝきへがてにする〕 〔右ノ哥冷泉院為相御筆ニテ古今集ノ巻物下ノ巻ニ有之〕 〔法師ノ事ホツシトツメテ云ハ三論宗ニテ云〕 〔ホウシト云ハ天台宗法相宗ニテ云也〕 〔元((天))長九年壬子雲林院立ト年代記ニ有〕 〔仁((人))王五拾一代平城天皇ノ三男阿保親王御子五人御母ハ桓武天皇ノ御姫宮〕 〔伊藤親王ノ御子初位(クハン)左近将監在原ノ庄ヲ玉ウ 在五中将寛享元年正月十五日左近ノ権中将ニ任玉フ 元慶四年卒シ五月八日ニ 五人兄弟一大江大臣(ノヲトニト)◯中納言(八百十四年)行平◯盛平トモ又守平トモ書 元平トモ有 中平◯在原業平八百廿七年ニ成ル 宝永三年迄〕 〔七条后ノ官女伊勢 父ハ藤原継蔭カ娘 七百九十一年〕   五拾 遊行柳 〔近代語間ヲ云〕 か様に罷出為((たる))者ハ芦野々里に住者にて候 此間ハ何方へも罷出す候間今日ハ清水の辺へ行心を慰はやト存ル 「先あれに見えたるが先年より有来り為道成を。遊行上人初て此の道をふみわけ給ひ。此柳の下に一夜をあかし。一入朽木を御賞翫(シヨウカン)有〔タル〕とて。いつ共(トモ)なく遊行柳と申習て候。然は仁((人))王七拾四代。鳥(トハ)羽の院の北面(ホクメン)の侍に佐藤兵衛則清(ノリキヨ)ハ。よしなき恋故浮世をいとひ。世の有様をつく〴〵とかんじ給ふに。夢(ユメ)の中(ウチ)の夢。風の前のともし火きゆるハ道ぞといへ共。きのふ見し人ハけうなし。いづるいきいるをまたぬ浮世に。ましてあすハしらずまじわりて。心に物をおもわせんもつらしと。元結切りすて西へ行とて出られしを西行と云そむる。墨の衣に身をやつし。諸国修行の折節此所に来り給ひ。清水の流れ柳の姿面白くや思ひ。木陰(コカゲ)に立寄よミ給ひしうたに。道野辺に清水流るゝ柳陰。しばしとてこそ立とまりつれと。か様によミ給ひしより此方。此木も心有てかみとり〔モ〕常ならずわかやぎて。世上にしられ和哥の達者なりし西行なれ共。言葉(コトバ)一つたらざるとて。藤原の則仲(ノリオキ)にハならさかの哥を。いか成人か。ときあかし。佐藤兵衛則清ハ阿濃(ノ)の哥を発心(ホツシン)修行(シユキヨウ)してふしむ(ン)をひらくと云(モヲシ)習す。柳の事ハれいぢんのがくにも入さいばらなどにも。あをやぎなどゝいふうたひ物にもさくし。又異国(イコク)にハ。とうのめいくわうの后楊貴妃(ヨウキヒ)のかたちをほめて。ふやうハおもてのごとしに(クニシテ)て。柳ハまゆのことしなどゝ。皇帝(クワウテイ)も詞をのミ。されて候(タルガ)〔◯((朱))〕由。隠もなき名木なれば。西行もしんをのこされたるが〔◯次((朱))〕。此木も月をハよろこびおぼろ成夜ハ姿をかへ。道人などのお通りの時ハまぼろしのやうに見ゆるとハ申せど。我等躰の目にハ見へず。所に沙汰致せバ〔ト〕申上候が。何と思召寄てお尋有ぞ不思義((議))ニ存ル 「扨夫ハ只今の事にて候か。それこそうたごう所もなき。朽木の精にて御座有ふずる。草木心なしとハいへ共。上人様此所へ御下向を有難ク存ジ。人間と現じ十念をさづかり。道しるへ致其((?))ゑんをのそミたるかと存ル〔間〕。末ハ御急成共。暫此所に御逗留被成。草木国土しつかいじやうぶつの御ゑこうあれかしと存ル 〔◯「是ハみちのく白川のせきに住者ニテ候。此間ハ何方へも罷出ず候間。今日ハふるつかの柳の他((あた))りへ立出。ゆきゝのたび人を見て心を慰ばやと存ル ◯「是ハきどく成事を仰らるゝ物かな。扨ハうたごふ所もなき。くちきの柳の情((精))にて御座有ふずるとすいりやういたす。夫をいかにと申に。草木心なしとハ申せ共。お上人たつとき御方なれば。御十念をもさづかり度思ひ。くちきのせいあらわれ出。御道しるへ致たるかと存ル間。末ハいそきのたびなりとも。しばらく是に御とうりう有り。六字ふだんのみのりを遊し。其後いづくゑも御通りあれかしと存る 「左有らハ我等ハ御いとま申候〕   同(五拾) 遊行柳 〔 立間ハ前方ハ相勤候 今ハ大方語間ニスル〕 「か様に罷出為((たる))者ハ。陸奥白川の辺に住者にて候。去れハ世上の人の心ハ皆替ル故。仏ハ一切(イツサイ)衆生(シユセウ)を助(タスケ)給わん御方便(ホウヘン)に。仏法(フツホウ)を八宗九宗(ハツシウクシウ)に分てとき置給ふを。迷ひ(マヨヒ)の凡夫(ボンブ)ハ我宗躰こそ殊勝(シユシヨウ)なれ。かれ(カレ)の是のと思ひ〳〵に用(モチ)いて。日夜(ニチヤ)朝暮(チヨウボ)共に男女によらず。袖をつらねくびすをついで。仏前へ参ルを聞。殊に仏法東漸(フツホウトウセン)と云にあつまのはてに住ながら。仏道をも求めず後世をも願ず。唯惘然(ボウセン)と暮(クラス)事を浅間敷存ル折ふし。只今人の御物語有つるハ。遊行上人奥へ御通り被成たる由申間。追付て十念をさずからばやと存ル。殊更(コトサラ)古道(コドウ)とて。登((上))り下りの旅人も。常にハ通ハぬ方へ御座有たると申ス。定ておくり迎(ムカイ)の人も多クあらんに。昔の海道へ行給ひたるハ。何ぞ御用の有か。去りとてハ寄((奇))代な事で御座る。よし〳〵順道(ジユントウ)にてもあれ又ハ閑道(カントウ)にても候え。菟角お目に懸らねば残多(ノコリヲヽキ)程に。今少急申さうずる。さればこそ是に御座候よ。我等ハ陸奥白河(ミチノクシラカハ)の関(セキ)に住者にて候が。御下向の由承り。取物も取敢ず是迄参りて候。殊に是ハ古道とて今ハ人の通らぬに。爰元無案内にて道に踏迷ひ(フミマヨヒ )給ひたるか。いか様不審(フシン)ニ御座候 「言語道断奇特成事を仰らるゝ物かな。是成柳ハ名高き古木にて候其子細ハ。鳥羽の院の侍佐藤兵衛憲清。後に西行と申哥人。有時此道を通り給ひ。木の本に立寄一首の哥に。道野辺に清水流るゝ柳陰。しばしとてこそ立とまりつれと。か様によミ給ひし哥が。則新古今(コキン)に入たる故に。此柳ハ我が朝に無隠名木なれば。草木心なしとハ申せ共。此老木にかぎつて心も有ふずると存ル。殊に先(サキ)の遊行も是へ御通り有たるに。今の上人ハ新道(トウ)を御下向被成るゝ事を残多思ひ。青柳(アオヤキ)の情(セイ)是迄御供申シ。御十念をもさづかりたると推量いたす。余りにふしぎ成御事なれば。暫是に御逗留有リ。六字不断の御法を遊し。重て奇特を御覧 あれかしと存ル 「御用の事あらハ被仰候へ (「)心得申候 〔「六字不断の御法を遊し。其後何方へも御通りあれかしと存ル 「然らバ我等ハ御いとま申候〕 〔◯ホツシトハ三論宗 ホウシトハ天台宗法相宗ニテ云〕 〔◯((朱))西行物語ニ宗清ニスヽメラレ四歳成子ヲ縁ヨリケヲトシ出家ス 俵藤太七世後胤康清か子 西行法師ハ武道達者和哥ノ名匠建久三年八月ニ廿七歳ニテ出家す 後鳥羽院北面ノ侍佐藤兵衛範清 ◯((朱))康清か子 ○俵藤太秀郷カ七世後胤康清也〕 〔◯藤成・((朱))豊澤・((朱))林雄・((朱))秀郷・((朱))千常・((朱))文修・((朱))文行・((朱))公光・((朱)) 公清・((朱))秀清・((朱))康清・((朱))義清 或則清又憲清・((朱))藤原康清カ子又泰清◯〕 〔◯右兵衛尉法名円位後改西行東鑑ニ云保延三年八月 遁世年八拾一 年代記ニ宝永三迄五百九年ト有リ〕