2016_10_8
第19回能楽セミナー「能をめぐる学際研究」
2016年10月8日(土)13:30-17:00
法政大学ボアソナードタワー26階スカイホール
「コンピュータを使った謡の分析」伊藤克亘(法政大学情報科学部教授)
「伝統芸能(文楽+能)の匠の技を応用するロボティクスデザイン研究」中川志信(大阪芸術大学アートサイエンス学科教授)
「歴史工学から解読する能―弘化勧進能絵巻の復元」高村雅彦(法政大学デザイン工学部教授)
全体討議 コメンテーター:御法川学(法政大学理工学部教授)・横山太郎(跡見学園女子大学文学部准教授)
第19回能楽セミナーは「能をめぐる学際研究」と題し、能楽を研究の素材とした理工系の研究発表をおこなった。
初めに能研所長の山中よりセミナーの趣旨説明があった。能楽を成り立たせている諸要素(謡・舞・面装束舞台等)を科学の対象として、客観的に扱う研究の必要性と、能の伝統の中で育まれてきた知恵や美意識が、最先端の技術や研究と相互に影響し、大きな成果に繋がる可能性を提言。
伊藤氏の発表は、謡をコンピュータ分析する手法とその結果について。謡の強吟、弱吟などの特徴を明確にかつ具体的に解明し、その成果の一部を公開した。中川氏は、文楽の人形の動きを取り入れた、拡張動作の可能なロボットの研究開発の発表。今後はロボットの表情に能(能面)の感性を取り入れていきたいとの発言もあった。高村氏は、弘化勧進能絵巻に描かれた舞台空間のすべて(舞台・桟敷・楽屋・敷地等)を、CG復元した際に用いた寸法体系確定の手法等についての発表。復元された空間では謡と囃子がどのように聞こえたのか、音響の復元についても言及があった(会場前ロビーにて、高村氏とゼミの学生が作製した弘化勧進能の模型も展示)。参加者70名。
コメンテーター 御法川学氏によるセミナー所感
2016年10月8日、法政大学能楽研究所が主催する第19回能楽セミナーにコメンテーターとして参加した。セミナーのテーマは、「能をめぐる学際研究」である。全くの門外漢である自分にとってコメンテーターはかなりの難題であったが、気の知れた先生方からの依頼で、うっかり気軽に引き受けてしまった。結果、日本の古典芸能である能楽の奥深さや面白さを僅かばかりでも知ることが出来た以上に、理工系の研究いわゆるエンジニアリングの可能性と課題について再確認できたことが望外の収穫であった。
さて、エンジニアリングとは対象の数値化あるいは数式によるモデル化である。対象が自動車だろうと伝統芸能だろうと、これが唯一無二のアプローチである。数値化するというと何だか味気ない気もするが、昨今の数値化は生半可な数値化ではなく、コンピュータは人の感覚の分解能など遥かに超越したデータ量を瞬時に処理しているから、人間にはもはやその粗さを感知することができない。だからその気になれば、能楽の音や所作をコンピュータに取り込んで数値化し、寸分違わず再現することは可能だろう。いっぽうで、モデル化とは単純化であり現象の抽出である。ここがエンジニアリングのキモであり、理工学者の腕の見せ所でもある。
講演お一人目の伊藤先生は能楽の「謡」をコンピュータで分析し、特徴を抽出した。理工系の若者なら誰でも知っているコンピュータ音声「ボーカロイド」に謡を歌わせたデモが披露された。謡に見られる独特な発音がそれなりに再現されており、意外と上手いなと感心してしまった。達人芸の領域である謡でも数値モデル化は可能性があるということか。お二人目の中川先生はプロダクトデザインの専門家である。魅力ある商品とはスペックで売らず、消費者の心理に訴えるエモーションで売るのだという観点は、実はエンジニアの泣き所でもある。例えばロボットデザインにおいては、わざと動きをぎこちなくして心を感じさせ、アニメーションや文楽の世界では、嘘の動き(オーバーアクション)を基本とする。効率重視のエンジニアリングと相反する部分が、モノづくりには必須であることがわかる。最後の高村先生は、建築史、アジア都市がご専門であり、今回は「弘化勧進能絵巻の復元」プロジェクトを披露された。弘化5年に秋葉原万世橋付近で興行されたという勧進能の舞台を図面化、模型化し、また音響特性などを復元されていた。個人的に能は静寂に包まれた厳かな伝統芸能かと勝手に思っていたが、都会の喧騒の中で、興行として行われていたことが新鮮であった。
私の専門は機械の騒音を下げる技術に関する研究である。音の発生、伝搬、知覚のメカニズムを知ることが大事な分野である。騒音も楽音も音のメカニズムは一緒なので、能楽で言えば謡や楽器にはまず興味が湧く。能管の「ひしぎ」と呼ばれる音は超音波の領域で、耳には聞こえないのだが、最近は音質に影響するとしてその領域まで考慮することがある。鼓は紐の握りを変えて何種類もの音を出すが、これは鼓の張力を変化させて共振モードを変え、音階を作っているのだった。さらには、能舞台の非対称構造や、そこに音響的な意味があるのかなど、工学的な興味は尽きない。伝統芸能の本質を議論する素地ができていない自分にとっても楽しいディスカッションだった。次回は、先生方が仰っていた、「気配」、「余白の美学」といった次元にも、技術が踏み込んでいくのだろうと思うと、例えそれが無謀であっても、わくわくするし、エンジニア魂に火が付いた一日であった。