英語版能楽事典編集のための国際研究集会
テーマ型共同研究「国際的視野に基づく新たな方法論構築のための能楽研究」(研究代表者:山中玲子)のプロジェクトの一つである英語版能楽事典編集のための国際研究集会を、2015年7 月 23・24 日に法政大学市ヶ谷キャンパス・ボアソナードタワー 26 階会議室 Aにおいて開催しました。
■第 1日/ 7月 23日(木)
13:00 - 13:10開会挨拶・趣旨説明(山中玲子)
13:10 - 13:50能のテキスト構造(ポール・アトキンス、竹内晶子)
13:50 - 14:50能の演出(モニカ・ベーテ、高桑いづみ、山中玲子)
15:00 - 15:40曲目解説(パトリック・シュウェマー、中司由起子)
15:40 - 16:20現代思想の中の能(横山太郎)
16:30 - 17:00討議
■第 2日/ 7月 24日(金)
10:00 - 10:40能と宗教(トム・ヘヤー、高橋悠介)
10:40 - 11:20能楽論(玉村恭)
11:20 - 12:00討議
13:30 - 14:00能の歴史(宮本圭造)
14:00 - 14:40女流能のこと(バーバラ・ガイルホルン)
14:50 - 16:20能トゥデイ:能楽素人・比較の視点から(ディエゴ・ペレッキア)、能楽師ができるまで(マイケル・ワトソン)、現代の能の公演形態(山中玲子)
16:40 - 18:00討議、今後の予定、Google コミュニティーについて
2013 年度から編集方針を検討する研究会を重ねてきた本プロジェクトは、既存の事典を単に英訳するのではなく、新しい視点で最新の研究成果を反映する encyclopedia の編纂を目的としている。項目解説のみならず、以下に挙げるような能を知る上で必要なテーマについて、まとまった分量のエッセイを収録することが特徴である。また、日本人研究者と海外の研究者がグループを作り共同で作業を進めることにより、お互いの方法論を学ぶ意図もある。今回の研究会は、各メンバーが現段階の構想について中間報告をし、その後、問題点・編集方針を議論する形で進められた。
一日目は四つのセクションの報告があった。「能の構造―様々な約束事―」を担当するポール・アトキンス氏(ワシントン大学准教授)と竹内晶子氏(法政大学教授)は、トピックスとして①シテとワキの関係性、②圧縮される時間、③実在の人物であるかのように架空のキャラクターを扱うこと等、7 項目を取り上げる予定。能の物語にはどのような特徴・劇的な意味があるのか、について包括的かつ網羅的な視点で解き明かすことを目指す。「能の演出」はモニカ・ベーテ氏(中世日本研究所所長)・高桑いづみ氏(東京文化財研究所無形文化遺産部無形文化財研究室長)・山中玲子氏(法政大学能楽研究所所長・教授)。他の演劇ジャンルの専門家にも理解してもらえるように、専門用語ばかりを用いるのではない形で、能の特徴を分かりやすく説明することを目指す。山中氏は能の演出全体についての前書きを、高桑氏は音楽面を中心とする解説を担当する。ベーテ氏は、作リ物・能舞台・装束・面・
型に関する新しい視点でのエッセイの構想について報告した。「曲目解説」の担当は、パトリック・シュウェマー氏(上智大学客員研究員)と中司由起子氏(法政大学能楽研究所兼任所員)。〈羽衣・自然居士・姨捨〉など全 9 曲についての試案を報告。最新の研究成果を反映し、文学的でありつつ実際の舞台進行に誤解が生まれない形での曲目解説のあり方、舞事の記述方法等が議論された。「現代思想の中の能」は既存の事典にはない項目。担当者の一人である横山太郎氏(跡見学園女子大学准教授)は「20 世紀日本における知的言説と能楽」と題して、能楽がどのように知的言説の対象となり、どのように語られていたのか、について戦前・戦後に分けて報告した。
二日目は五つのセクションについての報告がなされた。「能と宗教」は、トム・ヘヤー氏と高橋悠介氏(神奈川県立金沢文庫学芸員)の担当。近年研究の進展が目覚しい分野であり、その成果を反映させた解説を目指す。高橋氏は、能の祝言性、能における亡霊の供養や鎮魂、シャーマニズム(憑きもの)等のトピックスを挙げた。トム・ヘヤー氏は、能において重要な部分を占める浄土教と禅について、具体的な曲を例として論ずることになる。「能楽論」は玉村恭氏(上越教育大学准教授)とシェリー・クイン氏(オハイオ州立大学教授)の担当。玉村氏がクイン氏との討議の結果を報告した。世阿弥の能楽論は哲学論として解釈することも可能だが、演劇に興味を持つ学生や一般の人が着目すると思われる事柄に照準を合わせて、演劇論として解釈する方針。世阿弥以外の能楽論についてもここで扱う。「能楽の歴史」は、宮本圭造氏(法政大学能楽研究所教授)らが担当。宮本氏は、①能成立以前、②能楽の成長期、③戦国期の能楽、④豊臣秀吉と能、⑤江戸時代の能、⑥近代の能、の六つに区分して、通史を概説。最新の研究を盛り込み、能楽通史が更新される見通しである。「能楽の歴史」の中のトピックスとして、バーバラ・ガイルホルン氏(ベルリン自由大学学術教員)が「女流能」について中世の女性芸能者から現代に至るまでを通史的な視点で捉える報告をした。「能トゥデイ」のセクションは、ディエゴ・ペレッキア氏(立命館大学衣笠総合研究機構プロジェクト研究員)・マイケル・ワトソン氏(明治学院大学教授)・山中玲子氏の三氏が発表。能楽師の修業・能の興行・家元制度など、現代の能楽についてテーマとして扱う。
ペレッキア氏は「能楽素人・比較の視点から」、ワトソン氏は「能楽師ができるまでとその後」、山中氏は「現代の能の公演形態」について報告した。全体討議では、上記のほか encyclopedia として追加する必須項目や全体の書式について話し合われた。多くのメンバーが一堂に会したことで、問題点や編集方針のすり合わせができ、大変有意義な研究集会であった。参加者は申し込み制で、二日間でのべ 59 人。今回都合により参加できなかった方のうち、能楽の歴史についてアイケ・グロスマン氏(ハンブルク大学 Asst. Prof.)、秘伝についてスーザン・クライン氏(カリフォルニア大学准教授)、能とギリシア悲劇についてメイ・スメサースト氏(ピッツバーグ大学名誉教授)、能とメディアについてレジナルド・ジャクソン氏(ミシガン大学Asst. Prof.)等が執筆される。ここにすべてをあげることはできないが、この他にも多くの諸氏の協力を得て、内容のさらなる拡充を図ることとなる。
本プロジェクトの意義と研究集会の所感 トム・ヘヤー氏(プリンストン大学教授)
An English“Encyclopedia”of Noh?
At the end of July, at the Nogami Memorial Noh Theater Research Institute of Hôsei University, a group of noh scholars of diverse origins met to plan an encyclopedia of noh drama. Although it may seem elementary, let’s examine the choice of the words “encyclopedia” and “noh” in this context, to see what sorts of challenges the project faces.
An early topic of conversation was what sort of reference work this one should be. Would it be a “dictionary,” a “reference source,” a “guide,” . . .? –– all these terms seemed to impose an intellectual approach that didn’t correspond well with the aims of the group. In the end, we chose “encyclopedia,” in the hope that such a claim will not only encourage broad coverage of our topic, but also allow entries to vary formally as seems appropriate to their content. We aspire to a diverse readership. We hope noh scholars will be among our readers, of course, but we also want to provide a resource for other scholars of Japan and for actors and performers around the world, whether they have a Japanese connection or not. Entries will be undertaken in most cases by pairs of scholars, one working in the Japanese academic world, another from elsewhere, in many cases from the English speaking world, but also from other important centers of noh studies.
Other references for noh in Western languages are out of date. They were written before recent developments in noh scholarship and performance, and could not, of course, take account of those developments. They also belonged to a different age intellectually; in our project, we will direct attention to fields of study that were not prominent in noh studies for long stretches of the past century. We plan to consider the role of women in noh, for instance, much more fully than has been done in a Western language reference work before. We are also urged on by how much better noh performance is understood around the world than it was when those earlier references were written. There is a new audience ready for a deeper engagement with the art.
Our early consideration of the word “encyclopedia” at the research workshop was paired with a somewhat belated discovery that we hadn’t fully decided what we meant by “noh.” Of course the original planners of the project had considered carefully how to approach many aspects of noh performance, history and criticism, but the question of where kyogen belongs in our project wasn’t settled until later in our discussions. It seemed impossible to ignore kyogen in any encyclopedia of noh –– kyogen has not only been a critical partner to noh historically, but kyogen performances today attract an enthusiastic and growing audiences (audiences that should be interested in noh as well!).
By the same token, however, we didn’t feel we would be able to deal with kyogen in as much detail as noh, largely because there are fewer documents relating to kyogen in the early centuries of the two arts. (Whereas noh has had its own amanuenses since the early fifteenth century, the transmission of the performance tradition in kyogen was more exclusively by word of mouth.)
7 月末、法政大学能楽研究所において encyclopedia of noh dramaの編集会議が開かれ、さまざまな専門を持つ国内外の能楽研究者が参会した。初歩的なことと思われるかもしれないが、本プロジェクトにおける encyclopedia と noh の用語選択について述べたい。
会議の早い段階で、この出版物を何と呼ぶべきか、が話題となった。dictionary か reference source か、はたまた guide か…?どの用語も私たちの目的には相応しくなかった。広範囲にわたる話題を包括するだけでなく、内容に合ったさまざまな文書の形式を許容することから、最終的に encyclopedia が選ばれた。本書は幅広い読者層を想定している。能楽研究者はもちろんのこと、他ジャンルの日本研究者や役者・実演家など、能楽に興味のある世界中の人たちに向けてのものである。
本書の項目は、原則として日本の研究者と海外の研究者とが組んで執筆する。海外の研究者のほとんどは英語圏であるが、その他の国からも能楽研究の場で中心的に活躍するメンバーが参加している。
従来の参考書は、新たな学問のジャンルが拓かれた現代の読者にとって物足りないものとなってしまった。能楽という演劇を世界中でよりよく理解してもらうために、例えば「能における女性の役割」といった今まであまり注目されていなかったテーマを積極的に扱うのが本書の編集方針である。能楽に興味を持ってくれるはずの新しい聴衆はまだまだ沢山いるのだ。
noh の語が何を示すのかという話題は、会議の後半で取り上げられた。企画の初期段階で、能についてはどのようなアプローチが有効か注意深く検討されていたが、狂言は具体的に決められていなかった。歴史的に見て能にとって重要なパートナーである狂言は、encyclopedia of noh drama にとって欠くことのできない項目である。狂言に関する古資料は少ないため、能と同じように詳述することはできないが、数多くの熱心な狂言の観客たちは能についても関心を寄せるはずである。(抄訳:深澤希望)