哲学・医学・能―よく生きるためのまなびとあそび―
シンポジウム「哲学・医学・能―よく生きるためのまなびとあそび―」を開催しました。
日時:2018年11月24日(土)14:00~18:00 開場13:30
会場:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー26階 スカイホール
プログラム
趣旨説明
山中玲子(法政大学能楽研究所所長)「夢の感覚・この場所の記憶 ―夢幻能のしくみと魅力― 」
稲葉俊郎(東京大学付属病院循環器内科医助教)「能楽と医学の接点 意識のあわい」
山内志朗(慶應義塾文学部教授)「魂と風と聖霊と」
ディスカッション
2018 年度をもって第一期の終了を迎える本拠点「能楽の国際・学際的研究拠点」は、国内外で活躍するさまざまな分野の研究者・実演者と協力し共同研究を進めてきました。従来型の能楽研究の進展に加えて、コンピュータでの謡分析、CG による演能空間の復元、ロボットデザインへの応用等の新しい研究も次々に動き出している今、これまで築いてきた能楽研究のプラットホームに、さらに医学・哲学との接点を見いだす意図で、本シンポジウムを企画しました。
はじめに、山中玲子(能楽研究所所長)が趣旨説明を行い、続いて「夢の感覚・この場所の記憶 ―夢幻能のしくみと魅力―」と題し、世阿弥が作り出した夢幻能の構造(あの世から現れた霊が過去の物語を語るという設定や、夜明けとなり夢が覚める結末)と、思い出の場所に積み重ねられた記憶について、主に〈井筒〉を例にして述べました。
次に、稲葉俊郎氏(東京大学附属病院循環器内科医助教)は「能楽と医学の接点 意識のあわい」と題した講演で、人間の身体の成り立ち(一個の卵母細胞+一個の精子→ 100 兆個の細胞=身体)を端緒に、体が複雑になることで脳も複雑化したこと、意識しきれない部分を無意識に任せるようになること、頭頂眼という視覚器が退化し松果体という眠りのサイクルを担当する器官ができたこと等を紹介。その後、話題は「意識と無意識」へと移り、夢は意識と無意識をつなぐもので、能はその「あわい」をうまく使った芸能であること、いっぽう歌舞伎のエンターテインメント性は「意識」の世界に傾いたものであること、芸術・芸能・夢・瞑想は「あわい」がつなぐこと等を指摘されました。最後に、芸術・芸能と医療の接点について、芸能は思いを残して死んだ人たちを描き、夢は死者との対話であり鎮魂でもあるとし、それが能の真髄とまとめられました。
山内志朗氏(慶應義塾大学文学部教授)の「魂と風と聖霊と」と題する講演は、宮沢賢治『風の又三郎』の冒頭「どっどど どどうど どどうど どどう青いくるみも吹きとばせ」の風の描写を朗読することから始まりました。山内氏の師である坂部恵の「風の通い路」(『坂部恵集』5、岩波書店、2007)を主軸に、風と霊魂がどう関わるか、風と息は仲間であること、風がめぐることと生命的なつながり等について語られました。また、古代ギリシア人が「地水火風」とした世界の基本的構成要素に、日本人にとっては世阿弥が言う「花」が含まれると指摘。人生の豊かさを「花」「時分の花」として捉えることと、「存在」という抽象的な問いに立ち向かうことに、夢幻能の世界とスコラ哲学の世界のつながりが見えるとし、「花」と「存在」の共通性について述べられました。
ディスカッションは山中の司会で進行し、登壇者間で活発な議論が交わされました。その後フロアーからは、横山太郎氏(跡見学園女子大学准教授)によって、夢や能をみるという「あわい」の体験とは、「私が私であることが緩む感覚」とのコメントが出されたのをはじめ、話題は多岐にわたりました。
参加者は135 名。能楽研究所シンポジウムの常連の方々はもちろんのこと、医療関係者や哲学に関心のある方々も多数お運びくださり、拠点第一期の集大成として、能の可能性を考える上での新たな視野が拓かれたシンポジウムとなりました。