能の映像にそえる記譜の研究
研究代表者 藤田隆則(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教授)
研究分担者 高橋葉子(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター客員研究員)
河村晴久(シテ方観世流・同志社大学嘱託講師)
永原順子(大阪大学大学院言語文化研究科講師)
中嶋謙昌(灘高等学校教諭)
玉村恭(上越教育大学大学院学校教育研究科准教授)
有松遼一(ワキ方高安流・同志社女子大学非常勤講師)
研究協力者 清水元美(エイキョービデオ)
【2020年度 成果】
京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター「伝音アーカイブズ」能〈羽衣〉楽譜付(その1、その2)
You Tube 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター
リンクから見ることができます。
【2020年度 研究活動】
2019年度末に完成したNoh as Intermediaは、能〈半蔀〉〈小鍛冶〉の各パートの微細な表現の解明を、美学的な視点から、言い換えれば享受者、鑑賞者の立場からおこなったHPであった。能の映像にそえられた記譜も、八割のかたちを基礎にしているとはいえ、研究者側による「聞こえ(=どうあったか)」を主眼とした記譜となっていた。それとは反対に、〈羽衣〉の映像にそえる楽譜は、実演者側の意図(=どうあるべきか)を最大限に尊重する方向で、制作することにした。
本年度に計画した作業の段取りは次の5工程であった。(1)手の名称一覧表の作成、(2)総譜の原案作成、(3)出演者らによる訂正、(4)〈羽衣〉の上演映像への貼り付け、(5)出演者による注釈。(1)から(3)までは、完全に終えることができた。
(1)の一覧表は、2019年度末に、一応の完成をみていたが、本年度、研究分担者で手分けして目をとおし、さらに精度をあげて完成させた。〈羽衣〉全体を八割譜にすると、302クサリとなる。中には、手の名前が曖昧なクサリもあったが、〈羽衣〉の出演者らに確認しつつ、ひとつに決定した。(2)の総譜は、研究代表者が、原案を作成した。これを各研究分担者と出演者に見せて、粒や掛け声の確認、修正をお願いした。掛け声の引きは「ヤア」か「ヤァ」か、長音記号を使うか使わないかなど、選択の最終判断を出演者自身にゆだねた。
次に(4)、校正の終わった301クサリ(301枚のシート)を映像にはりつける作業にはいった。まずは試作映像1をつくり、最終的なレイアウトを決定した上で、試作映像3を作成した。映像3では、右側に縦に八割譜、そして下には音声の波形、右下にタイマーをはりつけている。能の1拍ごとの伸縮の様子が視覚的にわかるようにするための配慮である(上部にある大きなタイマーはのちに削除する予定)。試作映像3は、仮に公開しているもので、完全なものではない。さらなる改訂が必要である。
このほかに、試作映像2を作成した。試作映像2は、右に八割譜、下に謡の旋律をしめす3線譜を、かりにおいた映像である。映像を学校教育などのために使うならば、囃子に加えて、謡の3線譜つまりわかりやすい横書き楽譜を貼り付けることが不可欠である。これを〈羽衣〉全曲にわたって貼り付けることを計画中である。なお、右側の縦書きの八割の上部に、手の名前を掲載することも計画しており、作業をはじめつつある。
本研究によって出来上がった楽譜は、既存の楽譜(八割譜)と見かけ上ほとんど変わらないかたちに落ち着たものと言ってよい。しかし、その背後には、長時間の迷いの過程と、多くの犠牲を引き受けた上での決断・選択という過程が存在している。本年度は、インタビューや研究会によって、そういった過程を実際に出演者らと共有し、経験することができた。とくに石井流については、流儀を代表する手付が刊行されていないことから、迷いと決断の過程が大きくクローズアップされた。インタビューなどでの言葉を通じて、その過程を具体的に記述する作業をおこなわなければならない。積み残しの課題である。
残された課題は、もうひとつある。研究会を重ねる間に、実際の音や動きに比べて、八割譜があまりに平板な殺風景なものに見えてしまうということが、しばしば問題となった。そこで必要なのは、手付や型付の濃淡をしめすことである。ではどのように? これが新たな課題として浮上した。〈羽衣〉のようにしばしば演奏されて、即興の余地のなさそうな作品であっても、全体の構造あるいは流れの中には、ゆるやか/厳格、差し替え(あるいは省略)可/不可、地/紋(聞かせどころ)、緊張/流せる、緩/急などといった対比によって表現できるような、パフォーマンスの時間上、行程上の変化がある。
出演者へのインタビューそして研究分担者らの経験知をもとにして、302クサリのシート1枚1枚に対し、いまこの瞬間、演奏者は「どのようなことをしているのか」「何を考え、何に身構えていなくてはならないか」などを説明していく必要がある。能楽師の「仕事の現場real」(NHKの番組名を拝借する)を、できるかぎり言葉で伝える作業が、将来の課題である。
最後にもうひとつ。記譜にかんする考察、記譜そのものの工夫は、歴史上さまざまに行われてきた。本研究を、過去のさまざまな工夫と比較し、相対化して概観する作業も、実際にはまだ手付かずのままである。
【2019年度 研究活動】
当初、本研究の目的として、以下の2つをかかげたので、それぞれについて報告する。
1, 金剛流の能《半蔀》《小鍛冶》の映像のウェブ化において採用してきた記譜法の再検討
2, 観世流の能《羽衣》映像のウェブ化に向けた作業
1について
金剛流の能《半蔀》《小鍛冶》のウェブ化は、スタンフォード大学を中心に、すでに6年前から作業がおこなわれてきている。本研究では、これまでに進められてきた能の謡や囃子の楽譜化の再検討をおこなった。研究分担者の高橋葉子、中嶋謙昌、玉村恭、永原順子らと、囃子それぞれの楽器のかけ声や粒(打音)の記し方について、意見交換をおこなった。
囃子は、すべて八拍子の枠組みの中で、つまり、それぞれの拍が八拍子の中のどの位置(あるいは何拍目)であるかがしっかり意識された上で演奏される。その意味では、八割(やつわり)という記譜のフォーマットは、能の囃子の理屈にかなった記譜法である。だが、拍子に合わない部分の演奏においては、ある打音が、八拍子の中の何拍目に来るべきか、必ずしも明快ではない。流派ごとに解釈がちがうこともある。たとえば大鼓のアシライの打ち出しの打音は、八拍子の8拍目なのか2拍目なのか。また、序之舞の序の部分の小鼓の「ハ○」は、3拍目なのか4拍目なのか。
記譜にさいしては、どちらか一方を選択するしかないが、上のようなことから、記譜は、曖昧なほうがよい場合があることが、深く理解された。曖昧さを積極的に表現するため、記譜法のさらなる工夫が必要であることが認識された。
ウェブサイト「インターメディアとしての能」は、3月26日に、URL公開をおこない、一連の祝賀記念イベントをおこなう予定であったが、そのイベントが中止になり、その際におこなわれる予定だったシンポジウム「デジタル・ヒューマニティズの未来へ」も中止となった。能楽の技法を、(1)言葉+映像で、(2)一句から小段、段というさまざまな縮尺において、(3)聴覚と視覚、時間と空間の相互作用の芸術(intermedia)として、記述・分析・提示する試みが、これまでは視覚的な側面だけに偏りがちであったデジタル・ヒューマニティズを、どのように変えていく可能性をもつのか、興味をもってのぞみたかったが、将来の課題となった。
2について
2018年12月25日に撮影した観世流の能《羽衣》映像を、2021年3月までに、ウェブサイトにアップする計画がある。映像の瞬間瞬間において、謡や囃子が何をしているのか、それをナビゲートするための楽譜をつけて、アップしようという計画である。本年度は、その準備のための基礎作業をいくつかおこなった。具体的には《羽衣》全曲を小段ごとに分解したエクセルの表を作成した。第一に、それぞれの小段における八拍子(あるいは四拍子)の枠(いわゆる「クサリ」)の数をカウントした。第二に、それぞれの枠(クサリ)に対して、大鼓、小鼓の手の名称を書き加えた。大鼓については、中嶋が、小鼓については、永原が記入を担当した。また、太鼓の手については高橋が、笛の唱歌については、玉村がそれぞれ担当して、囃子の入る箇所、全302クサリの囃子の手の一覧表が完成した。
次なる課題は、ひとつひとつのクサリを、どのように記すかである。楽譜を大きくわけると、実際に出ている音の記録としての側面と、このように演奏したいという意図を記した側面と、その両面が混在しているのがふつうである。一般の手附は、八拍子が均等な線で記され、そこにかけ声、打音、謡の文句などが配列されることになっており、それで、われわれはお稽古をし、おこなわれている演奏の基本的な構造を知ることができる。しかし、能の演奏のもっともエッセンシャルな部分は、音の存在しない偶数拍(8拍目や2拍目など)で、ひとつのパートの演奏が開始され、または、他のパートとの同期がおこるというところである(いわゆる「コミをとる」という現象)。その「コミをとる」偶数拍にくらべて、奇数拍にくる音は、コミやそれにつづくかけ声の結果であり、他のパートやあらかじめ存在する拍子の流れに合わせて発せられるものでは、決してない。
このことを深く議論した上で、われわれは、8,2,4,6,8などの偶数拍だけを表記する、あたらしいタイプの八割フォーマットを開発した。
この新しいフォーマットが、どのような効果をもつことになるのかは、いまはまだ不明である。だが、偶数拍が特別であるということ、そしてそのことをしめす伝書や技術書類は、存在するのだろうか。われわれの新しいフォーマットについて、歴史的な根拠をさぐるべく、鴻山文庫に所蔵される『洋々集』『謡鏡』など、いくつかの囃子と謡の伝書を、またワキの型付なども、複写した。
2020年度は、初年度に蒐集することのできた伝書類を読む作業も行いつつ、ウェブサイトに楽譜をはりつける作業をおこなっていく。
【研究目的】
能楽の映像は、テレビの放映、商業的な販売物だけではなく、インターネット上にもあふれかえっているが、時間的な進行をつかさどる(あるいはナビゲートする)要素としては、謡の言葉がしめされているのみである。舞踊・音楽(あるいは音曲)の記譜(節付、型付、手付など)が、詳しく提示されることはまったくない。
理由はいくつも考えられる。1、記譜を映像にそえる作業は、その労力の割に必要とされていない。2、流派による統一的な記譜が確定していない場合がある。3、上演においておこる即興的バリエーションが記譜から逸脱する可能性がある。4、そもそも記譜は一般公開されるべきではないという考え方がある。
以上のような問題を乗り越えて、舞踊・音楽の技法にかんする記譜を、能の映像にそえてしめすことには意義がある。能楽の時間的な進行をつかさどる要素は、動き、声、囃子によって、多重的に構成されるからである。ノリ、ハコビ、呼吸、序破急、緩急。いずれもが、多重的なテクスチャーの中に生まれるものである。
本研究の目的は、能の時間的な進行をつかさどる、舞、謡、囃子といった複数のパートを、複数の次元(あるいは縮尺)において、やはり多重的な記譜(いわゆるスコア)として提示することについて熟慮し、学術的な研究の場においても、また小学生や幼児に対して提供される教育の場においても、幅広く役立てることのできる能の記譜のモデルを提示することである。
具体的には、研究代表者がかかわってきている金剛流の能《半蔀》《小鍛冶》の映像のウェブ化において、採用してきた記譜法を再検討することが、第一の目的である。第二の目的は、文化庁の伝統音楽普及促進事業として撮影済みの観世流の能《羽衣》(省略なし版)の映像のウェブ化に向けて、上にあげた4つの問題点をクリアする方策を考え、記譜を動画に重ねて提示する際の提示方法を考案し、それを具体的に実現することである。
【研究計画・成果公開の方法】
2019年度
金剛流の能《半蔀》《小鍛冶》のウェブ化については、申請者はすでに、スタンフォード大学と京都市立芸術大学との共同プロジェクトとして、6年前から取り組んでいるが、2019年内の完成が予定されている。完成のあかつきには、国内外におけるウェブサイトの今後の利用可能性をさぐる小規模な国際シンポジウムを、米国やシンガポールからのゲストをまじえておこなう予定である。場所は京都の金剛能楽堂、時期は2020年3月下旬を予定している。なお、ウェブ公開にあたっては、法政大学所蔵の作り物資料の写真を利用する予定がある(許可申請中)。
観世流の能《羽衣》については、2018年12月に、ワキの登場から最後まで、省略を一切くわえていない能一番を、すでに撮影済みである。この映像にそって、謡、型付、手付を、時代をこえて、流派をこえて、可能なかぎり収集し、記譜を作成する作業を開始する。その際、深く知りたい鑑賞者の求めにも応じられるように、それぞれの記譜の歴史的変遷をたどる作業、流派ごとのバリエーションを比較する作業も、同時におこなう。また、公開の仕方(コンセプトとデザイン)については、出演者である能楽師、映像の編集者と相談をもつ場をもうける。
法政大学所蔵の資料については、「高安流秘伝書」(能研〔六〕(伝書・型付・頭付之部)-18)ほかの複写をおこないたい。
2020年度
《羽衣》のウェブ公開に向けた相談を継続し、実務作業を開始する。ウェブ上において、楽譜は、ちょうど、自動車のナビゲーション装置がそうであるように、複数の縮尺でおこなわれなければならない。たとえば鼓であれば、粒と掛け声ひとつずつのレベル、手の名前のレベル、小段や段のレベルでしめすことが必要となる。これらのレベルわけは、すでにスタンフォード大学との共同プロジェクトにおいて実現されているものであるが、その主なターゲットは海外の音楽研究者や作曲家であった。《羽衣》についてはターゲットを、おもに日本語で教育をおこなっている小中高などの学校教育の現場、および能の時間的進行の認識を学術的に把握することをめざす高等教育の現場、としたい。両方の場に役立つかたちに、記譜のデザインを考案していく作業をおこなう。作業を進めるについては、出演者、映像の編集者にくわえて、学校教育関係者とも相談をかさねていく。
ウェブサイトのとりあえずの完成予定を2021年3月末とする。