能楽研究所蔵及び国立能楽堂蔵一噌流伝書の調査研究-演奏技法及び江戸期地方伝承の解明にむけて
研究代表者 森田都紀(京都造形芸術大学芸術学部准教授)
研究分担者 高桑いづみ(東京文化財研究所特任研究員)
山中玲子(法政大学能楽研究所所長・教授)
宮本圭造(法政大学能楽研究所教授)
【2020年度 研究活動】
1、能楽研究所蔵 島田家文書の調査研究
①資料整理・目録作成
前年度に引き続き、資料整理を行って目録作成に向けた作業を進めた。新型コロナウイルスの感染拡大を考慮して中止せざるを得ない時期もあったが、謡本や番組等を除く囃子手付類六十点あまりを中心に整理し、目録の下案を作成した(→このうち笛手付に関する項目を別添)。資料を整理するなかで、囃子手付は、大正期から昭和期にかけて島田巳久馬(1889~1954)が実際に勤めた舞台の演出を自ら書き留めたものと、江戸期や明治期の演出を書写したものとに大別されることが判明した。
前者には、舞台の日付、曲名、シテやワキの所作、大小太鼓の特殊な手組、謡の詞章と笛のアシライのきっかけ、笛の唱歌、囃子事の寸法、流儀間の異同、八割譜などを詳細に書き記すものも残されており、今後、丹念に読み解いて、明治期から大正・昭和初期にかけての一噌流の演奏実態を確かめることが必要である。後者には、江戸後期の「安宅延年之舞」の一噌流唱歌付・型付や、「安宅延年之舞」の平岩流唱歌付・小鼓手附などが含まれており、安永四年以前に一噌流・宝生流の「安宅延年之舞」が成立していたことや、江戸後期に一噌流に随身した平岩流において「延年之舞」のような重い習い物でも一噌流と同じ譜を吹いていたことなどが確認される。また、江戸中期の一噌流宗家平政香がまとめた唱歌付(序文「寛政三年辛亥秋七月 平政香」)を島田は筆跡まで真似て精密に書写しており、宗家の伝承に強い関心とこだわりを持っていたことも窺われる。今後は個々の手付の詳細な分析を行い、特徴的な演出や近世以前の芸の変遷の一端を紐解くことも課題である。
②島田の経歴調査
島田の経歴に関して、明治期以降に発行された『能楽』や『謡曲界』等の雑誌記事を手がかりに調査を開始した。熊本県で友枝家や桜間家の引き立てを受けていた島田は明治四十四年春頃に上京したが、同年九月、観世喜之の破門問題を受け一噌流宗家一噌又六郎に破門された。大正四年に一噌流に復帰するまで小鼓方幸清次郎の牽引する囃子方とともに九皐会を主な活動の場とし、他会には出勤停止となる苦しい時期を過ごしたことが確認される。しかし、復帰後は活動の場を広げ、昭和二十三年に宗家代理に就く頃には一噌流を代表する笛方として主だった舞台で活躍した。島田家文書には、破門期間中に島田が幸清次郎との結びつきを強めもっぱら幸清流相手となって活動していたことを示す資料や、一噌流復帰の際に矢継ぎ早に又六郎から発行された複数の一噌流入門免状が含まれており、今後、それらの資料と雑誌記事の内容とを突き合わせて島田の経歴の詳細を確かめることを課題として挙げたい。
2、国立能楽堂蔵 一噌流伝書の調査研究
①起請文の解析
国立能楽堂蔵一噌流伝書は、同家が津藩に提出した由緒書の控え、手付類など、約七十点の資料から成るが、とりわけ重要なのは、同家のもとに門弟から提出された十四点の起請文である。入門起請文の他、獅子・乱・式三番等の習事相伝にかかるものが多く、分家一噌家が免状発行権を持つ家元に准ずる立場にあったことを示している。起請文の提出者の素姓についてはいまだ調査が及んでいないが、津藩家中の武士が過半を占めているのではないかと思われる。本伝書には、他に元禄元年から幕末の文久二年にかけての習事相伝者の一覧を書き留めた「一噌流笛秘曲相伝者記録」なる資料も残されており、そこには起請文が現存しない相伝者の名前も多く挙がっている。今後はこれら相伝者の素姓の確認作業に努め、分家一噌家の免状発行権がどの程度の範囲まで広がっていたのかを確かめる必要があろう。
②資料の翻刻
江戸初期に遡り得る二点の手付について、各自の分担を決めて翻刻作業を開始した。そのうち一点には紙色や書き方の異なるものが数種混ざり、紐も解けて乱丁が起きていたので、内容を検討して判る範囲で正しい順に並べ替えた。研究会では難読部分の解消に努め、凡例案の検討も進めている。今後は、本家に伝承されている手付類との比較や、翻刻や影印が公刊されている手付類との比較を行って、資料の系統や成立年代を探るとともに、本家とは異なる独自性がどの程度あるのかを明らかにすることが求められよう。今後の課題としたい。
【2019年度 研究活動】
【能楽研究所蔵 島田家文書の調査研究について】
島田家文書は、昭和初期に一噌流宗家代理を務めた一噌流笛方・島田巳久馬(1889~1954)が所持した未公開史料である。2019年度は、全容を把握するために史料を整理し、仮目録作成に向けた作業を進めた。
史料整理の結果、本文書は約百七十点(仮)にのぼり、その中心は囃子の手付類であることが判明した。手付類の大半は一噌流笛の手付であり、島田自身が日常の舞台の控えとして記した唱歌付や頭付をはじめ、江戸期に上演した秘事の唱歌の写し、一噌要三郎の手になる唱歌付などが存在する。また、島田は大変筆まめだったようで、能の演目ごとに笛の演奏の要点をまとめたカードを200枚程残している。これらのカードはまとまった手付から書き写されたり、日々の実践を踏まえて書き記されたりしたものであろう。さらに、笛手付類に、鷺畔翁より島田宛の狂言アシライの唱歌付が存在することも特筆される。この手付は、鷺流が久しぶりの舞台を九皐会にて踏んだことに関連して授受されたと考えられる。以上の笛手付類は、いずれも当時の笛の演出の具体相を知る上で貴重な史料といえる。
また、囃子の手付類には、幸清流小鼓の手付が多数含まれている。その内容は、基本的な舞事から秘事までの幅広い曲目を網羅するものである。加えて、幸清次郎より島田宛に発行された幸清流免状と免状料控えも存在する。免状には「幸流の笛 島田三熊」「幸流笛」などの文言がみえ、島田と幸清流との間に深い関わりがあったことがわかるが、具体的なところは不明であり今後の検証が必要である。
手付類以外のものもいくつか記しておきたい。まず、金剛巌や喜多実をはじめとする様々な人物からの出演依頼状の類がある。中には、昭和期に観世華雪が復曲した〈求塚〉試演会にあたって、観世元正が島田に出演依頼をした書状と謡本も存在し、謡本には笛の旋律型の名称が朱で書き入れられている。これらの史料からは、復曲や新曲の依頼の過程を窺い知ることができる。
また、大正4年~昭和3年にかけて一噌流12世又六郎より島田宛に発行された一噌流免状も多数存在する。これらは、九皐会に出勤したことにより明治44年に一噌流宗家に破門された島田が、大正4年に観世喜之の破門問題が解決したことを受け再び入門を果たしたことを示すと推測される。さらに、昭和16年一噌流13世鍈二より島田宛の「免状料規定」と「習事大概」も残されており、又六郎亡き後に宗家を継いだ鍈二によっても引き続き島田に免状が発行されていた。以上の免状類は、当時の島田の動向を知る上でも重要な史料といえる。
このほか、鍈二亡き後の流儀の方針を決めるために昭和23年、流儀の要人が集まって行われた会議の控えも存在している。
次年度は、引き続き、仮目録作成に向けて史料の整理を行うとともに、とくに重要な史料については誌面等で紹介していきたい。
【国立能楽堂蔵 一噌流伝書の調査研究について】
国立能楽堂一噌流伝書は、津藩抱えの一噌流分家一噌八郎右衛門家に伝来する笛伝書である。2019年度は、史料をデジタルカメラで撮影した。次年度は、引き続き、史料の整理と調査を行い、仮目録作成に向けた作業を進めたい。
【研究目的】
能の演出に関する研究は、所作や作リ物などを中心に近年さかんに行われるようになった。だが囃子、ことに能管は物語の情景を彩る重要な存在でありながら先行研究が少なく、演奏技法や伝承について未解明な点が多い。本研究は、近年 能楽研究所が入手した島田家文書と、昨秋に国立能楽堂蔵となった一噌八郎右衛門家伝来笛伝書類を対象に、江戸時代における一噌流の地方伝承の実態、演奏技法の形成過程、近現代における伝承実態を明らかにしようするものである。島田家文書は、昭和初期に一噌流宗家代理を務めた一噌流笛方・島田巳久馬(1889 1954)が所持した史料で、島田が他の役者とやりとりした書状や、自身の稽古の記録、免状、秘事をふくむ手付類などからなり、いずれも未公開史料である。島田には、九皐会に出勤したことで一時期家元より破門された経緯があるが、島田の書状や稽古の記録類からその時期の動向がうかがわれる可能性がある。また、手付には島田によるもののほか、一噌要三郎(1852-1910)や12世一噌又六郎(1872-1938)によるものも存在するので、藤田大五郎(1915-2008)の影響を強く受けた 現行の演奏技法が成立する以前の、一噌流の演奏実態が明らかになることも期待される。 島田と藤田はともに12世又六郎に師事したが、島田は破門、藤田は10年ほどで師と死別している。その中で、両者がどのように芸を練り上げていったのか、現存する録音資料の検討をまじえながら、一噌流の芸の変遷を史料とともにたどりたい。
一方、国立能楽堂蔵の一噌八郎右衛門家伝来笛伝書類は、一噌流分家・八郎右衛門家 に江戸期から昭和期にかけて相伝されたもので、家系図・過去帳を表裏に装丁したもの、秘曲伝授を行った門人帳、津藩の家中から提出されたと思われる起請文のほか、手付類がいくつか存在する。相伝の経緯、伝承体系、演奏技法の実態などを具体的に調査するとともに、宗家系の伝承とも比較し、八郎右衛門家の独自性についての検証を進める。 一噌流の研究はこれまで宗家系を中心になされ、江戸期における地方伝承の具体相はほとんど明らかになされていないが、研究代表者は江戸期の仙台藩の一噌流の伝承を検証し、宗家とは異なる伝承があったことを確認している。江戸期には地方で多様な伝承が展開していた可能性が示唆されるなか、津藩における一噌流の伝承を紐解く本研究は、地方における伝承実態を具体的に解明することになり、従来の能楽史研究に寄与するところは大きい。
以上の調査により、江戸期から昭和期にいたるまでの一噌流をとりまく実態が歴史的 かつ多角的に 浮かび上がると思われる。
【研究計画 】
2019年度
初年度は、史料の整理を中心に進める。必要に応じて原本をデジタルカメラで撮影し、全容を把握するための仮目録作成に向けた作業を行う。
また、これまで研究代表者は、1990年代に活躍した笛方役者の演奏について、音源資料をもとに演奏技法の細かい差異を分析する検証を行ってきたが、本研究ではその方法論を活かした検証もおこなう。具体的には、研究分担者・高桑が所属する東京文化財研究所蔵の、文化財保護委員会作成の音源資料やSPレコードを分析し、島田の芸風を把握しつつ、史料との照合を行う。
なお、島田家文書と一噌八郎右衛門家伝来笛伝書類は分かれて調査を行うことになるので、研究会を 2~3 回程度開催し、調査の進捗を報告しあう。
2020年度
引き続き、史料調査・整理を行う。特に重要と思われる史料については翻刻を行い、調査の成果を公開の研究会で外部にも広く報告する。