節の可視化のための能楽師の暗黙知の構成要素の明確化
- 研究代表者:伊藤克亘(法政大学情報科学部教授)
- 研究分担者:田中敏文(金剛流能楽師、公益財団法人立石科学技術振興財団理事)
- 藤田隆則(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教授)
- 研究協力者:山中玲子(法政大学能楽研究所所長・教授)
【2022年度 研究成果】
- 本研究の成果を情報処理学会および電子情報通信学会が主催する FIT2023(9/6~9/8)に投稿予定。
代表者が進めている謡の節の可視化の精度・有効性を向上させるために以下の2点に取り組む。
1) ヨワ吟での音高の取り方の流儀の差異や個人裁量範囲の明確化と多層的モデルの構築
2) ヨワ吟の音組織の音響指標の確立
この目標達成のために、シテ方各流儀の能楽師へのインタビュー・アンケート調査により、謡に関する暗黙知の構成要素を引き出すことを目的とする。2021年度は、インタビュー調査の調査方法の決定と試行を行った。また分析・評価用の謡を収録した。今年度はそれに基づき、宝生、金春、喜多流の能楽師にインタビューした。
インタビュー調査では、体系化のために、シテ方各流儀の共通点、相違点を明らかにする。そのため、音階の演奏上での運用、音階の利用方法(旋律の進行方法)、音階の構成音について10項目からなる調査を設計し、試行した。また、可視化手法に基づき歌声シンセサイザ(Vocaloid) でインタビュイーの謡を可視化し、妥当性の主観評価を行った。
インタビュー調査は、2022年度は宝生流、金春流、喜多流各1名の能楽師に対して行った。2021年度の金剛流2名、観世流2名の能楽師の結果も踏まえて、音階の演奏上での運用については以下のような知見が得られた。
1) 曲の最後が上(ハル)で終止する場合の運用(上音以外での終止の有無と謡本指示との関係)(インタビュー1)
金剛流:通常はハルで終止。曲柄によって上より低い「内ニハル」も、謡本の指示あり・なし両方
観世流:通常はハルで終止。曲柄によって上より低い「メリバリ」も、謡本の指示なし(内ニハルとメリバリは同じまたは近い音高を取ると考えられる。)
宝生流:ハルことはなく、常に上より低い音で終止する。謡本には「ハル」と書いてある。
金春流:ハルことはなく、常に上より低い音で終止する。その高さには自由度があり、裁量範囲である。謡本では最後のゴマの横に「中」と書いてある。
喜多流:上を超えて上ウキまでハって終止する。謡本には「上」と書いてある。
2) 上ウキから下降する場合の音程の種類と名称(インタビュー5)
金剛流:上(名称なし、例外的)、半中(中下げ)、中(本下げ)
観世流:上(スクイ落し、頻繁)、中ウキ(中落し)、中(本落し)
宝生流:上(名称なし、たまにある)、中、下
金春流:上(名称なし、たまにある)、中、下
喜多流:上(名称なし、たまにある)、中(中下げ)、下(本下げ)
3) 呂の音は2つあるか?(インタビュー9)
金剛流:2つある、通常の呂(下から完全4度下)からさらに低い呂(下から完全5度下)を謡うことがある(謡本の指示なし)
観世流:1つ(下から完全4度下)
宝生流:1つ(理想的には下から完全5度下)
金春流:1つ(理想的には下から完全5度下)
喜多流:1つ(下から完全4度下)
4) ヨワ吟の甲(かん)の音高と頻度(インタビュー10)
金剛流:上の完全5度上。「姨捨」に1回出てくるだけ
観世中:上の完全5度上。「鸚鵡小町」と「松浦佐夜姫」(復曲能)に1回出てくるだけ
宝生流:上の完全5度上。曲のクセ、キリなどに必ず1回は出てくる
金春流:上の完全5度上。クリ節の装飾音として頻繁に出てくるが、一瞬で目立たない。頭に抜く感じ。
喜多流:なし(昔はあったという話もある)
ある程度共通点、相違点が明らかになった。詳細を分析した上で、来年度の本調査を実施する予定である。また、可視化の評価については、おおむね問題ないとのことであった。
音程に関しては収録した録音データを用いて検証し、評価する予定である。
【2021年度 研究成果】
- 論文「楽譜情報を用いた能の謡のメロディの可視化(仮題)」伊藤克亘・田中敏文『デジタル・ヒューマニティーズ』(日本デジタル・ヒューマニティーズ学会日本語論文誌)
代表者が進めている謡の節の可視化の精度・有効性を向上させるために以下の2点に取り組む。
1) ヨワ吟での音高の取り方の流儀の差異や個人裁量範囲の明確化と多層的モデルの構築
2) ヨワ吟の音組織の音響指標の確立
この目標達成のために、シテ方各流儀の能楽師へのインタビュー・アンケート調査により、謡に関する暗黙知の構成要素を引き出すことを目的とする。2021年度は、インタビュー調査の調査方法の決定と試行を行った。また分析・評価用の謡を収録した。
インタビュー調査では、体系化のために、シテ方各流儀の共通点、相違点を明らかにする。そのため、音階の演奏上での運用、音階の利用方法(旋律の進行方法)、音階の構成音について10項目からなる調査を設計し、試行した。また、可視化手法に基づき歌声シンセサイザ(Vocaloid) でインタビュイーの謡を可視化し、妥当性の主観評価を行った。
インタビュー調査は、金剛流2名、観世流2名の能楽師に対して行った。音階の演奏上での運用については以下のような知見が得られた。
1) 曲の最後が上(ハル)で終止する場合の運用(上音以外での終止の有無と謡本指示との関係)
金剛流:通常はハルで終止。曲柄によって「内ニハル」も、謡本の指示あり・なし両方
観世流:通常はハルで終止。曲柄によって「メリバリ」も、謡本の指示なし
(内ニハルとメリバリは同じまたは近い音高を取ると考えられる。)
2) 上ウキから下降する場合の音程の種類と名称
金剛流:上(名称なし、例外的)、中ウキまたは半中(中下げ)、中(本下げ)
観世流:上(スクイ落し、頻繁)、中ウキ(中落し)、中(本落し)
3) 呂の音は2つあるか?
金剛流:2つある、通常の呂からさらに低い呂を謡うことがある(謡本の指示なし)
観世流:1つ
ある程度共通点、相違点が明らかになった。詳細を分析した上で、来年度の本調査を実施する予定である。また、可視化の評価については、おおむね問題ないとのことであった。
【研究目的】
代表者が進めている謡の節の可視化の精度・有効性を向上させるために以下の2点に取り組む。
1) ヨワ吟での音高の取り方の流儀の差異や個人裁量範囲の明確化と多層的モデルの構築
2) ヨワ吟の音組織の音響指標の確立
この目標達成のために、シテ方各流儀の能楽師へのインタビュー・アンケート調査により、謡に関する暗黙知の構成要素を引き出す。また分析・評価用の謡を収録する。
【研究の背景】
謡は音楽的に難解である。一般人が習うにしても、能楽師や研究者などの専門家が客観的に説明するにしても難しい。その要因を以下にあげる。
① 西洋音楽とは大きく異なる音楽性。[発声]呼吸法、発声法、音高のゆれなど[音組織]音律(西洋音楽ではドとレがどのように違うのか)、音階(どのような音が使われるのか)[リズム]
② 数百年に渡る家元制度のもとでの実践と経験による伝承方法。
③ 流儀毎の主義主張による差異。
④ 流儀毎の謡本に記載された楽譜情報と実音声との乖離。
【研究目標】
経験に基づく知識、いわゆる暗黙知は言語化されない知識を伝承できる一方で、言語化されていないため、取りこぼしがあっても気づかないという問題がある。暗黙知は言語化されないが、その要素は明確であることもあるといわれている。節に関して、暗黙知の構成要素の一部を可視化することで、能楽と謡の普及と保存に寄与することを目指す。
【現状の課題】
謡のナビキ(音高の揺れ)が西洋音楽のビブラートと異なる点と、楽譜情報で同一音が継続する場合でも音高が上昇することを考慮して謡本と音響信号を対応づける手法を開発した(以下はヨワ吟の例)
この処理結果が、聴感の捉えた音高変化とある程度一致していることを確認した。今後の課題はこの手法の有効性を客観的に評価し、より聴感に近づくように補強または調整することである。
ヨワ吟は、聴感の捉える音高は西洋音楽と同じく階段状に変化する。従来研究では、ヨワ吟は核となる上・中・下音の音程が完全4度になる音律であるといわれる。図の例でも、中音と上ウキ音は定説通り完全5度となっている。しかし、上音と中音は完全4度の差はない。現状の可視化のモデル化では、音律に関しては順序(高いか低いか)だけのモデル化に留まっている。また、ナビキに関しては、西洋音楽のビブラートと同様に中心周波数から音高が揺れるというモデルを採用しているが、上記の例でも「みやまも」の「まも」の部分ではその前提にあっていない。ヨワ吟の謡が上・中・下音を中心に2オクターブという広い音域に発展したことにより、音階構造が複雑化している。その複雑化した部分の音高の取り方に、流儀の主張やこだわりによる差異が表出しているとの仮説に基づき、流儀毎の差異、個人の裁量範囲などを明確にし、ヨワ吟の音律・音階の明確化を目指し、それにより、謡の可視化の精度をあげるとともに、可視化がこれらの差異を明確化するのに役立つことを示す。