アンビエント音響が謡曲における日本的音質感に与える影響
- 研究代表者:木谷俊介(北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科助教)
- 研究分担者:木谷哲也(シテ方宝生流能楽師)
- 研究協力者:宝生和英(シテ方宝生流宗家・能楽師)
【2022年度 研究成果】
- 論文 木谷俊介 “謡曲の良さの評価手法についての検討” 日本音響学会『2023年春季研究発表会講演論文集』2-4-7,2023.
様々な話者、様々な空間(能舞台や防音室、無響室)や様々な能面をかけた状態で音声の収録を行った。また、舞台や能面の周波数特性を計測した。これらの収録、計測データを用いて、話者の謡が空間や能面によってどのように音質が変化しているのかを周波数分析、時間-スペクトル変調分析によって検討した。その結果、話者の熟練度を指標とすると、話者の熟練度が上がるほど、周波数成分、時間-スペクトル変調情報が減少することが明らかとなった。この結果は、熟練度が上がるほど、謡に必要な周波数や変調情報だけを発話できていることを示している。
【2021年度 研究成果】
能舞台および能面のようなアンビエントの変化によって謡がどのように変化し、その変化が音質の違いとしてヒトに知覚されるかどうかを明らかにすることが本研究の目的である。2021年度は、初年度ということもあり、本実験に入る前段の取り組みとして以下の3つの成果があった。
・能面の選定
能面の違いによる謡の変化を明らかにするために、4つの能面を能面師に相談のうえ選定した。性別、口の開き方、生地の厚さの異なる4面とした。
・謡の収録(個人内の変化)
アンビエントの変化によって謡が変化するのかを事前検討として、様々な環境で研究分担者の謡を収録した。収録場所は防音室と2か所の能舞台とし、それぞれの場所で謡い方および能面の異なる条件で謡を収録した。
・謡の収録(個人間の変化)
上記の事前検討によって、アンビエントの変化によって謡が変化することが予想されたため、アンビエントによる謡の変化は能楽師によって同じ傾向の変化であるのかを明らかにするために、2名の謡を舞台および能面の異なる条件で収録した。
【研究目的】
本研究では、謡曲が持つ日本的音質感について明らかにすることを目指す。ここでは、能舞台や能面といった謡曲に関わる環境(アンビエント)情報に着目し、口から放射後の謡曲を変調するアンビエント音響に着目する。本研究の目的は、スペクトル・時間変調情報を対象とし、ヒトが幽玄を知覚する謡曲特有の物理特性を明らかにすることである。謡曲を含む能の音を耳にしたとき、おそらく多くの日本人が能のものであるとわかるであろう。世阿弥は花鏡(1424)の中で「能では幽玄であることが第一に大事である」としている。奥深くはかり知れない様子を表す「幽玄」という言葉は、まさに日本の伝統的な音質感の理解のことである。本研究では謡曲に着目し、「日本的音質感としての幽玄を知覚させる物理特徴は何であるか」について、謡曲に含まれるヒトの発声だけに焦点を当てるのではなく、舞台空間および能面によるアンビエントの変化にも着目する。スペクトル・時間変調のうち、スペクトル変調は声帯の情報と声道の情報を示すことが知られている。つまり、スペクトル変調は声帯や声道の使い方の変化を測る指標となる。一方時間変調は空間に放射された音の変調を示すことが知られている。つまり、時間変調は口から放射された後の舞台や能面による音声の変化を測る指標になる。したがって、スペクトル変調と時間変調を同時に評価できるスペクトル・時間変調情報は音声と舞台・面によって成立する舞台芸術としての能の謡曲を分析する手法として最適であるといえる。謡曲のスペクトル変調成分を明らかにすることで、声帯および声道をどのように変化させることによって、幽玄が生じる(幽玄を知覚させる)のかを明らかにする。また、謡曲の時間変調成分を明らかにすることで、アンビエントの違いがどのように幽玄の知覚に影響を与えているのかを明らかにする。