新出・宝暦名女川本(能研本)の総合的研究
- 研究代表者:永井猛(米子工業高等専門学校名誉教授)
- 研究分担者:稲田秀雄(山口県立大学国際文化学部文化創造学科教授)
- 伊海孝充(法政大学文学部日本文学科教授)
【2022年度 研究成果】
- 論文 稲田秀雄「宝暦名女川本「六人僧」における小舞の問題」『山口県立大学国際文化学部紀要』29号、2023年3月31日
- 翻刻 永井猛・稲田秀雄・伊海孝充「鷺流間狂言・宝暦名女川本「語立雑」翻刻」『能楽研究』第47号、野上記念 法政大学能楽研究所、2023年3月31日
- 研究発表 稲田秀雄「宝暦名女川本間狂言覚書」六麓会12月例会、オンライン開催、2022年12月29日
本年度は、昨年度に引き続き、新出の間狂言台本の翻刻作業を行った。間狂言4冊の内、昨年は「脇末鱗」を翻刻したが、本年は「語立雑」を翻刻した。語リアイと立シャベリとその他の間狂言を50曲集めた冊である。
間狂言について稲田秀雄が、「宝暦名女川本間狂言覚書」と題して12月29日の六麓会例会(オンライン)で発表した。宝暦名女川本の間狂言の記述には、江戸初期の大蔵虎清『間・風流伝書』や大蔵虎明「万集類」と対応、または補完する物が見出されることを紹介した。〈白楽天〉のアイの末社の神が、通常と異なって弓を持って出る時には、キリの謡も弓に因む謡に替わり、〈賀茂〉にも弓を持つ時は謡が違うとあること、また、〈春日龍神〉の猿が出てシャベリ、三段ノ舞を舞う「真猿」、〈白楽天〉の海産物尽くしの小舞を舞う「鱗情(精)」、〈老松〉の稚児と立衆の出る「松笠」などがあることで、江戸初期の古態が見られ、鷺流に残存する古態性を間狂言からも捉えることができるのではと指摘した。
間狂言研究については、基本となる台本の資料的な位置付けなどが十分でなく、系統的な整理も進んでいない。そのためにも資料の収集が不可欠で、今年度は能楽研究所蔵「大蔵八右衛門流能間」「松井万蔵筆大蔵流間狂言」の撮影を行った。
昨年度は、宝暦名女川本の中でも資料的価値の高い、稀曲集の「遠雑類」をとりあげ、その全曲の伝承経路について考察を加えた。結果としては、鷺伝右衛門派の最古本である享保保教本と曲名は同じでも内容が異なるもの、狂言記系諸本に基づくと考えられるもの、また、新たに独自に作られたと思われる曲があることが分かった。
このように狂言記系諸本から取り入れ、また新たに作ってまで曲数を増やし、稀曲を集成した背景としては、徳川綱吉・家宣時代(元禄・宝永・正徳期)の盛んな稀曲上演の要望に応えるためだったことが想定出来る。綱吉・家宣時代は、名女川家3代六右衛門(1675-1759)が1706(宝永3)年に廊下番として召し出され、近藤と改姓し、江戸城内で盛んに上演した時期と重なる。宝暦名女川本には、同書の間狂言の多くに1706(宝永3)年までの年数書きがあること等から、3代六右衛門関係資料の投影が考えられる。
本年度は、「遠雑類」の中から〈六人僧〉を取り上げて、稲田秀雄が「宝暦名女川本「六人僧」における小舞の問題」と題して、『山口県立大学国際文化学部紀要』29号に発表した。〈六人僧〉は1639(寛永16)年に近衛信尋が南都での上演を見ているが、最古本は『続狂言記』(1700年刊)である。2人の男にいたずらで髪を剃られた男が、仕返しに2人の男の妻達を夫達が川でおぼれて死んだとだまして髪を剃らせ、さらに男達には妻達が夫の跡を追って自害したと嘘をついて男達に菩提を弔うためと頭を剃らせるが、在所に帰った男達、妻達はだまされていたことを知って腹を立て、だました男の妻の頭を剃ってしまう。頭を丸めた6人は、これを菩提の種として後生を願おうと、皆で念仏を唱えて終わる。鷺伝右衛門派の江戸後期の小舞集に「六人僧」と題するものが収録され、この小舞が本当に〈六人僧〉で舞われたのか疑問視されていた。新出の宝暦名女川本〈六人僧〉には、和解した6人が酒盛りして小舞を舞うという結末が添えられていた。小舞の詞章は、能〈田村〉の謡をもじり、「地主」を「尼衆・時衆」の意にとって、最後は「別事(別離)」に至る、つまりは仏道修行に出るというものである。鷺伝右衛門派では、稀曲探索の風潮にそって、〈六人僧〉を『続狂言記』から取り入れ、小舞を伴う酒宴の場面を加えた形に改変したものと考えられる。〈六人僧〉は、剃髪から発心に至る〈悪坊〉〈悪太郎〉と同じ中世的な「酔人出家譚」の枠組みを継承するが、〈六人僧〉を原典とする落語「大山参り」や黄表紙などでは剃髪しても出家せず和解するという近世的な展開が見られる。宝暦名女川本〈六人僧〉は、その中間、中世的な要素と近世的な展開の交錯が認められることを指摘した。
【2021年度 研究成果】
- 論文「宝暦名女川本「無縁聟」と江山本「銀三郎」」稲田秀雄(『山口県立大学国際文化学部紀要』28号、2022年3月31日)
- 翻刻「鷺流間狂言・宝暦名女川本「脇末鱗」翻刻」永井猛・稲田秀雄・伊海孝充(『能楽研究』第46号、野上記念 法政大学能楽研究所、2022年3月31日)
- 研究発表「新出・宝暦名女川本に見る鷺流稀曲の伝承」稲田秀雄(藝能史研究會例会、オンライン開催、2021年10月8日)
2021年度は、コロナウィルス感染拡大のために、調査・会合が出来ず、メールで意見交換をしながらの共同研究となった。
宝暦名女川本は、1761(宝暦11)年頃、鷺流分家の鷺伝右衛門家の高弟・名女川辰三郎(?-1777)によって書写された全20冊程度の狂言台本である。曲数のまとまった台本としては、鷺伝右衛門派の最古の享保保教本と幕末の常磐松文庫本の中間に位置する。
これまで全20冊程度のうち、檜書店蔵の7冊(檜本と略称。本狂言5冊「出女類」「鬼山座」「主類部」「近雑類」「習風部」、間狂言1冊「羅葛部」、伝書1冊「萬聞書」)の現存が確認されていた。
2018年、所在不明だった笹野堅氏旧蔵の7冊(本狂言2冊「盗類雑」「遠雑類」、本狂言秘伝集1冊「本書綴外物」、間狂言4冊「脇末鱗」「語立雑」「真替間」「遠応立」)が古書展に出品され、法政大学能楽研究所の所蔵となった。2019~2020年度に公募型共同研究の採択を受けて「新出・鷺流狂言『宝暦名女川本』の離れ(笹野本)についての基礎研究」として、この新出の7冊の調査と概要紹介をした。成果は、能楽研究所紀要『能楽研究』44号(2019年)、45号(2020年)に書誌と本狂言2冊、本狂言秘伝集1冊の翻刻本文を紹介した。当初は、旧蔵者の名に因んで「笹野本」と略称していたが、所蔵が法政大学能楽研究所(略称「能研」)に移ったことを機に、「能研本」と略称している。
この基礎研究に引き続き、本年度からは能研本を中心に宝暦名女川本全体の資料的価値の見直し、宗家の鷺仁右衛門家との違い、他流派台本との比較など、より広い視点から総合的に検討を加えてみようと思い、研究を進めている。
能研本ばかりでなく、檜本も併せて研究していくためには檜本の精細な写真が必要となる。そこで、伊海孝充が2021年8月24日、檜書店から檜本7冊の貸し出し、並びに写真撮影の許可を受け、9月7日、能研にて写真撮影をした。
能研本の中でも、珍しい狂言が集められている「遠雑類」は、資料的に貴重なものである。10月8日、稲田秀雄が藝能史研究會例会(オンライン開催)で「新出・宝暦名女川本に見る鷺流稀曲の伝承」と題して「遠雑類」を取り上げて、所収曲31曲の伝承経路を探った。
台本比較により、享保保教本を継承したとおぼしき曲(〈猪狸〉〈鶯聟〉〈受法〉〈餓鬼十王〉)もあるが、曲名が同じでも内容が異なる曲(〈絹粥〉〈恋聟〉〈無縁聟〉など)があり、享保保教本の狂言が名女川家へ伝授されていなかったのではないかと指摘した。狂言記系台本に基づくと考えられる曲が13曲(〈昆布布施〉〈六人僧〉〈六地蔵〉〈樋酒〉〈手負山賊〉〈双六僧〉など)もあり、また、他流台本に依らず、類曲を参照して独自の内容に作った曲もある(〈無縁聟〉〈登知波呉(どちはぐれ)〉〈口真似聟〉〈東大名〉)ことを明らかにした。
このように狂言記系諸本から取り込み、また独自に作ってまで曲数を増やし、稀曲を集成(収集)した背景として、徳川綱吉・家宣時代(元禄・宝永・正徳期)の盛んな稀曲上演の風潮の影響が考えられる。綱吉・家宣時代は、名女川家3代六右衛門(1675~1759)が1706(宝永3)年に御廊下番として召し出され、近藤と改姓し、江戸城内で盛んに上演した時期と重なる。そして、宝暦名女川本全体に3代六右衛門関係資料の投影が見られることからもそれは裏付けられるのではないかとの見解を示した。
11月20日には、鴻山文庫蔵「鷺流五番綴本(3冊15曲)」、能研蔵「鷺流伝書 影写本(風流、狂言謡頭附、脇セリフ)」「鷺定経相伝鷺流伝書(小舞、語り、装束附)」「鷺流装束附」の撮影を行った。これらの資料と宝暦名女川本とを比較することにより、宝暦名女川本の鷺流内での歴史的な位置付けをはかるのに有効である。
11月25日には、鴻山文庫蔵「名女川家旧蔵幕末能狂言番組」の撮影を行った。鷺伝右衛門派の実際の上演状況を知ることが出来る点で貴重である。
12月2日には、鴻山文庫蔵「大蔵乙之丞書状〔名女川庄三郎宛〕」「観世鉄之丞書状」「江戸城奥御用廻状」「鷺伝右衛門書状〔名女川庄三郎宛〕」「名女川旧蔵幕末書状」「鷺寛太郎書状〔名女川宛〕」「大蔵千太郎〔名女川庄三郎宛〕」「名女川庄三郎書状(観世大夫宛)」「名女川辰三郎・六左衛門隠居家督相続覚書」「嘉永4年5月奥詰につき名女川庄三郎覚書」「嘉永年中名女川庄三郎出勤度数書」の撮影を行った。名女川家の鷺伝右衛門派内での立場等が垣間見える資料である。
2019~2020年度に引き続き、能研本の間狂言の翻刻作業を行った。間狂言台本の中で稀曲を集めた「遠応立」の翻刻公開を目指したが、分量が多過ぎ、今年度は「脇末鱗」1冊の翻刻本文を『能楽研究』第46号に掲載していただいた。「脇末鱗」は、脇能と末社(まっしゃ)の神(しん)、物の精(鱗(うろくず)の精など)の登場する間狂言50曲所収している。
稲田秀雄が「宝暦名女川本「無縁聟」と江山本「銀三郎」」という論文を『山口県立大学国際文化学部紀要』28号に発表した。「遠雑類」には〈無縁聟〉と共に、「無縁聟ト同事」「長門の江山氏ヨリ来ル」と注記のある〈銀三郎〉が収められている。江山家は長州藩狂言方の家である。前者を宝暦名女川本〈無縁聟〉、後者を江山本〈銀三郎〉として、両者の違いと、他流派との比較検討をした。比較の結果、江山本〈銀三郎〉は大蔵流の虎明本にも近い古風な演出を残し、享保保教本〈吟三郎〉とも共通する中心趣向を持つが、宝暦名女川本〈無縁聟〉は、他流の〈無縁の聟〉とは内容が違い、曲名をもとに台本等の伝授によらず独自に新しく作られたものらしいことが判明した。これも、徳川綱吉・家宣時代の稀曲探索の結果、新しく作られたものではないかと考えられる。
【研究目的】
宝暦名女川本は、1761(宝暦11)年頃、鷺流分家の鷺伝右衛門家の高弟・名女川辰三郎によって書写された全20冊程度の狂言台本である。曲数のまとまった台本としては、鷺伝右衛門派の最古の享保保教本と幕末の常磐松文庫本の中間に位置し、それぞれに欠けた曲などを相補う点でも貴重な台本である。これまで全20冊程度のうち、檜書店蔵の7冊(檜本と略称。本狂言5冊、間狂言1冊、伝書1冊)のみの現存が確認され、研究に供されていた。
ところが、2018年、長年行方不明だった笹野堅氏旧蔵の7冊(本狂言2冊、本狂言秘伝集1冊、間狂言4冊)が古書展に出品され、法政大学能楽研究所の所蔵となった。2019~2020年度に公募型共同研究の採択を受けて「新出・鷺流狂言『宝暦名女川本』の離れ(笹野本)についての基礎研究」として、この新出の7冊の調査と概要紹介をすることが出来た。成果は、能楽研究所紀要『能楽研究』44号(2019年)、45号(2020年)に書誌と本狂言2冊、本狂言秘伝集1冊の翻刻本文を紹介した。当初は、旧蔵者の名に因んで「笹野本」と略称していたが、所蔵が法政大学能楽研究所(略称「能研」)に移ったことを機に、「能研本」と称するのがふさわしいと話し合い、今は「能研本」と略称している。
本研究は、2年間の基礎研究を踏まえて、鷺流の宗家である鷺仁右衛門家との違い、大蔵弥右衛門家、大蔵八右衛門派、和泉流の宗家系、三宅派などとの比較検討を行い、鷺伝右衛門派の独自の演出、趣向などを抽出できればと考えている。本狂言3冊の翻刻公開はできたが、間狂言台本の4冊の翻刻が残っている。本狂言と間狂言の本文研究と平行して、間狂言の翻刻公開をめざしたい。