脇型付「能之秘書」の解読と注釈を通した固定期以前の能演出の研究
- 研究代表者:中司由起子(法政大学能楽研究所兼任所員)
- 研究分担者:岩崎雅彦(國學院大學文学部教授)
- 小田幸子(明治学院大学非常勤講師)
- 山中玲子(法政大学能楽研究所所長・教授)
- 深澤希望(法政大学能楽研究所兼任所員)
- 大日方寛(ワキ方下掛リ宝生流能楽師)
【2022年度 研究成果】
オンラインによる研究会をほぼ月一回おこない、担当曲ごとに現代語訳をつけて解釈を検討した。具体的な動作、舞台上の位置取り、移動の経路などの詳細な情報までもわかるように現代語訳をおこなっている。索引のもととなる用語を抜き出し、さらにメンバーで解釈の相違があった箇所、現行演出と異なる点、流儀の違いなどの問題点をデータとして蓄積している。全118曲のうち100曲の解釈と問題点の抽出を終えた。
現代語訳の作業を通して、現在とは異なる演技・演出などをいくつも確認することができた。例として以下に示す。
〈角田川〉
・ワキツレは「二人でも一人でもよい」の記述。→現行は一人。
・ワキは舟が着岸した演技をする。「かつくりとする心体也。しな、けいこに有也」→現行ではしない演技。
〈班女〉
・少将、従者(ワキ)、太刀持ちが登場。→現行少将(ワキ)、従者(ワキツレ2-3人)
・アイが再登場する。「狂言をよひ、はん女之事を尋て」
・ワキは結末のロンギでも謡う。「ろんきのまにも立て言也」
〈藤戸〉
・クセの後、シテが詰め寄る演技があること。ワキの対応。「大夫によって、曲舞の末に、ワキへすがりつく仕方がある。しかし少しもそれには関わらないでいる。シテに心をかけないのが、習いである」→現行ではシテはすがりつかない。ワキは自身のさしている刀を押さえる(下掛宝生)
〈梅枝〉
・萩藁屋の作リ物は出ていない「ワキは楽屋の方を少し受けて(向いて)、宿を借りる」→現行は萩藁屋・羯鼓台が出る。
〈自然居士〉
・ワキがシテに烏帽子を着せる。
〈張良〉
・ワキが沓を取る演技「沓のありかはその時々でわからないので、機転をきかせる。もしも沓が台の際に落ちてしまった場合には、下りて両小足(左右の足で少しずつ蹴る)で沓をけり出しても問題ない。丁度よい場所にあれば、そのままにしておく。人目につかないようにすべきである」
〈朝長〉
・「間の謡(待謡)はそのまま謡う。ツレは謡わない。一人で謡う間の謡には習いがある。秘事である」→現行下掛宝生:常は二人で謡い、「懺法」の際は一人で謡う。
〈安宅〉
・ワキ出立「髪を結い、裃を着る。刀。鎮扇」→現行は梨子打烏帽子に直垂
〈七騎落〉
・ワキが自害しようとする際の演出「「腹きらん」と言い、弓矢を捨て、刀に手をかける。アイが後ろより抱いて引き留める」
これらは、どれも演技・演出が固定化する以前の様子を伝えるものであるといえる。本資料の成立時期や流儀の特定に関わるものとして、ここにあげなかった事例も含め、古写謡本やほかの型付資料などとの比較をおこなって考察を進めていく。
研究会ではワキ方下掛宝生流の大日方氏に現代のワキの演技について助言を受けているが、他の流儀についても調査の必要性を感じ、2023年3月7日にワキ方福王流宗家の福王茂十郎氏に聞き取り調査をおこなう予定である。結果は研究メンバーで共有し、今後の考察に反映させる。本資料の後半にはワキ方の習いの曲が所収されており、それらの内容についても今後インタビューをおこなうつもりである。
【2021年度 研究成果】
「能之秘書」の書誌について、慶應義塾大学斯道文庫の佐々木孝浩先生にお願いして、ご教示いただく機会を設けた。その結果をふまえ書誌を作成した。
オンライン研究会をほぼ毎月一回開催し、担当曲を決め解釈を検討した。現代語訳の作業を通して、具体的な動作、舞台上の位置取り、移動の経路、間狂言の内容等の詳細な解釈をおこなった。用語化した言葉、解釈の相違があった箇所、現行演出と異なる点、流儀の違いなどの問題点を、注釈に活かすデータとして蓄積している。とくに流儀の違いに関しては確認すべき項目を集め、来年度の福王流・高安流の能楽師にインタビューをする際に用いる予定である。現在、全118曲のうち、67曲の解釈と問題点の抽出を終えている。来年度は引き続き解釈の作業をおこなうとともに能楽師への聞き取りを実施する。
これまでの研究会を通して見えてきた特徴の主なものを以下にあげる。
〔演技の質〕
〈羽衣〉衣を見て、取て、両の手にて高だか*と持、正方へ向。よひかへされて、してへ向。「しはらく」と言時ノ、「しはらく」と言俄に、左へ引のきして、手もちあしき様にする也。後ハ、はつかしけにて、さし出す。「それ久かた」にて、なをる也。
〈鵺〉「それハ御身にかるまてハなく候」と言、あらけなくふりきり、脇座の方へ行。狂言によひ帰されて、「それはくるしからす候。某法身を以とまるへし」と、あらけなく言、なをる。
本資料には上記に示したように、ワキの心情を直接的に表現する所作が数多く書き留められている。これらは現在の演技では心持として意識されることはあっても、実際の演技として表出されることはほとんどない。詞章に密着し、場面に即した演技を書き留める点が本資料の特色の一つといえる。
〔間狂言〕
本資料では、複式夢幻能の間狂言場面で最初の台詞をワキから述べるのか、アイから述べるのかを明記する点が特徴である。
①〈井筒〉中入過て、立て、「いかに在所の人の渡り候か」。
②〈忠度〉 立て、中入に心を付也。直に太このまへまて行、間をよふ。「少たつね申度事候間、是へ御出候へ」言。本座へなをる。
③〈敦盛〉 立て、在所の者をよふ。狂言よりかゝる事も在之。
④〈仏原〉 狂言、かゝる吉。ならい也。
現在はアイからワキに声をかける演出がほとんどであるが、本資料では①・②のようにワキがアイを呼び出し、間狂言が始まる例が非常に多い。慶長期前後の型付である『福王流古型付』でもワキが最初に呼び掛ける場合が多く、ワキから間狂言の場面を始めるのが、江戸時代初期の基本的な間狂言の演出であったと考えられる。
ワキから声を掛ける場合とアイからの場合の両様を記す例は、本資料では③の〈敦盛〉のほかには〈融〉と〈雲林院〉だけであり、『福王流古型付』の方に用例が多く見られる。
④の〈仏原〉や〈八島〉〈芭蕉〉等の特定の曲において、アイから声をかける演出になっているのは現行と変わりがない。
時代が下るに従い、現在の演出のようにアイから声を掛ける曲が増えていくことが想定できるかもしれない。万治三年完成の『わらんべ草』には、上演前にアイがワキと打合せをする際の注意点を述べた記事に以下のようにある。
脇より間を呼び出す類は、大方、脇より云合に参る。間よりかゝる間ならば、狂言より行がよし。大方かゝる間多し。
ワキからアイを呼び出す種類の場合は、たいてい、ワキ方より事前の相談に参る。アイより「かかる(声を掛ける)」間狂言ならば、狂言方より相談に行くのがよい。おおかた、「かかる間狂言」が多い。
大蔵虎明のころにも両様の曲があったこと、しかしアイから声を掛ける間狂言の方が多いと虎明が認識していたことがわかる。『貞享松井本』の段階になると、両様を併記する曲もあるが、アイから声をかける曲が圧倒的に多い。ワキとアイのどちらからでも声を掛けてもよいという意識は薄れ、アイから声を掛ける演出へ次第に固定化していった可能性がある。
【研究目的】
本研究で扱う法政大学能楽研究所蔵「能之秘書」は、118曲分のワキ方の所作を書き留めた型付である。ワキ方の古い型付としては、慶長前後頃の「福王流古型付」(伊藤正義編『福王流古伝書集』和泉書院)や、寛文以前の下掛リ系の内容とされる「脇所作付」(表章「京観世浅野家所蔵文書について」『法政大学文学紀要』30号)が知られているが、現存するワキの古型付は、シテの古型付に比べて多いとはいえない。よって本研究では①「能之秘書」の資料的価値を明らかにし、②現代とは異なり定型化していないワキの演技の分析を通して、能演出の固定化以前の様相を解明することを目的とする。
「能之秘書」については2019年度から2020年度の公募型共同研究にて、校訂本文の作成、問題点の分析、本資料に特有の用語の抽出をおこなってきた。校訂本文は完成の途中にあるが、研究会にて問題点を検討する中で、「能之秘書」が「福王流古型付」や浅野家「脇所作付」と同様に古い時代の型付であることが判明しつつある。例えば、上記の江戸時代初期の型付と同じように、「能之秘書」が所作だけでなく、間狂言の場面におけるワキとアイの応答の内、ワキの詞もていねいに書き留める形式であること、現代のワキは演じていない場面にて「〇〇心在之」「〇〇心持」「〇〇の体」等の表現で、詞章や場面に即した感情や、その心持から導かれる演技を指示している例が多くあることなど、「能之秘書」の古さを示す点が指摘できる。引き続き研究を進めて、校訂本文を完成させ、曲ごとに現代と異なる演技演出の分析をおこないたいと考えている。