間狂言台本の流派間の比較研究(2025~27年度)
- 研究代表者:永井猛(米子工業高等専門学校名誉教授)
- 研究分担者:稲田秀雄(山口県立大学名誉教授)
- 研究分担者:伊海孝充(法政大学文学部教授)
【研究目的】
能・狂言研究において、間狂言の研究が立ち遅れている。というのは、基本となる間狂言台本が不足していたからである。ただ、近年、主要な台本が発見、発掘され、この遅れも取り戻せつつある。
これまでは、大蔵流のみ1639(寛永16)年の『大蔵虎清間・風流伝書』、1635・1636(寛永12・13)年の「大蔵虎明本(仮称「寛永虎明本」)」、1660(万治3)年の『大蔵虎明間之一本(仮称「万治虎明本」)』から1685(貞享2)年の「貞享松井本」などと江戸初期の間狂言の様子が分かる台本が揃っていた。ただ、これらに匹敵する和泉流の台本、鷺流の台本が不足していた。
ところが、昨年、正保(1644~1648)頃の成立と考えられる、落合博志氏蔵「和泉流『間』(仮称「正保和泉本」)」の写真撮影をすることが出来、その全容を知ることが出来た。この本は、本狂言の天理本と同筆で、大蔵虎明の間狂言台本と比較することにより、江戸初期の流派間の違い等が明らかになることが期待できる。
鷺流の江戸初期の間狂言台本がなかったが、1739(元文4)年の本間久近筆の「鷺流間狂言附」(鴻山文庫蔵。通称「元文本間本」)、1761(宝暦11)年頃の名女川辰三郎筆の鷺流狂言伝書(檜書店蔵・法政大学能楽研究所蔵。通称「宝暦名女川本」)が発見、発掘され、順次翻刻公開されつつある。
元文本間本は能楽資料叢書8『間狂言資料集成』(法政大学能楽研究所、2024)に翻刻紹介された。宝暦名女川本は、私たちが『能楽研究』46~49号(2022~2025)に翻刻発表し、未翻刻は「羅葛部(修羅物と葛物の部)」の1冊となっている。
本研究は、宝暦名女川本の「羅葛部」の翻刻を完成させ、さらには正保和泉本の翻刻を進めることにより、間狂言の流派間の違い、さらには、同じ流派でも宗家と分家の違いなど各流派の特徴を明らかにすることを目標とする。
【2025年度 成果】
- 翻刻 永井 猛 稲田秀雄 伊海孝充校訂 能楽資料叢書10『宝暦名女川本間狂言集成』(野上記念法政大学能楽研究所 共同利用・共同研究拠点「能楽の国際・学際的研究拠点」、2026年3月31日)
- 論文 稲田秀雄「間狂言詞章の〈古態〉―宝暦名女川本等諸流台本の比較からー」(野上記念法政大学能楽研究所 共同利用・共同研究拠点「能楽の国際・学際的研究拠点」、2026年3月31日)
本研究は諸台本の比較を通して、より古い間狂言の姿を探り、それがどう時代と共に変化してきたのか、そして流派間にどういう違いを生じているのか等を探ることを目的とする。
ところが、流派間で、翻刻・影印公開されている台本数に違いがあり、時代によっては比較すべき台本が揃っていない。研究の基盤となる基礎資料が不足しているのである。まずは主要な台本の発掘、翻刻紹介に努めつつ、流派間の比較研究を進めていくしかないのが現状である。
台本数が多いのは大蔵流で、1635・1636(寛永12・13)年の虎明本(87曲。大蔵宗家蔵。仮称「寛永虎明本」)、1639(寛永16)年の『大蔵虎清間・風流伝書』(222曲。鴻山文庫蔵)、1660(万治3)年『大蔵虎明間之一本』(154曲。大蔵宗家蔵。仮称「万治虎明本」)から1685(貞享2)年の「松井兵右衛門筆間之本」(181曲。能研蔵。略称「貞享松井本」)など、江戸初期台本が揃っており、翻刻公開もされている。
それに対し、鷺流では江戸初期の台本が発見されていない。ただ、1761(宝暦11)年頃書写の宝暦名女川本には、寛永・元禄・宝永などの年記があり、江戸初期の鷺流の様子を窺い知ることが出来る点で貴重である。そこで、私たちは宝暦名女川本を『能楽研究』46号~49号(2022~2025)に順次翻刻発表してきた。能研蔵の4冊は翻刻公開できたが、檜書店蔵の1冊が残っていた。本年度は、この檜書店蔵の1冊の翻刻をし、これまでの4冊と合わせて、現存5冊322曲を能楽研究叢書10『宝暦名女川本間狂言集成』として3月に能研から出版していただけることとなった。
宝暦名女川本は鷺伝右衛門派の台本だが、家元の鷺仁右衛門派にも1739(元文4)年の本間久近筆「鷺流間狂言付」(124曲。鴻山文庫蔵。仮称「元文本間(ほんま)本」)があり、能楽資料叢書8『間狂言資料集成』(2024)に翻刻公開された。
また、和泉流にも正保(1644~1648)頃の成立と考えられる「和泉流『間』」(落合博志氏蔵。240曲。仮称「正保和泉本」)がある。落合氏によって2006(平成18)年の能楽学会で紹介され、研究に利用されるようになった。この本は、本狂言の天理本『狂言六義』と同筆である。
大蔵流の虎明本等と和泉流の正保和泉本、それに鷺流の宝暦名女川本、元文本間本を加えて、これらの比較を通して、江戸初期から中期の間狂言の様相が把握可能となった。
ようやく揃ってきた台本を使って、稲田秀雄が「間狂言詞章の〈古態〉―宝暦名女川本等諸流台本の比較から―」(能楽資料叢書10『宝暦名女川本間狂言集成』所収)という題で、古くからの間狂言の詞章がどの流派に継承されているかなどを明らかにした。具体的には、慶長期の『福王流古型付』(伊藤正義編『福王流古伝書集』和泉書院、1993所収)、または江戸初期頃の『能之秘書』(横山太郎編『わざを伝える 能の技芸伝承の領域横断的研究』能楽研究叢書9、能研、2024所収)という脇方の文書に断片的に記されているアイの詞章の、江戸初期以降の間狂言台本への継承状況を検討した。〈箙〉の「生田の八幡へ参る」というセリフは、大蔵・和泉流には伝わらず、鷺流に伝承された。〈殺生石〉の「雁が落ちる」「お非時の汁にする」というセリフは宝暦名女川本を初めとする鷺伝右衛門派に継承された。〈海人〉〈天鼓〉〈藤戸〉のアイが管絃の役を望むことは諸流で継承されたが、比較的に忠実に伝えたのは鷺流、特に伝右衛門派であった。〈鵺〉の「尾は尺八、鳴く声は笛」も伝右衛門派で受け継がれた。以上から、『福王流古型付』のアイのセリフが全て鷺流のものかというと、そうはいえないようである。〈鵺〉の「十八刀突く」というセリフは鷺流にはなく、大蔵・和泉流にある。〈盛久〉でアイが戯言(ざれごと)を言ってワキから「いやさやうの事にてハなきぞとよ」とたしなめられるが、この戯言に該当する詞章が鷺流にはなく、和泉流の正保和泉本にのみ見られる。これらから、『福王流古型付』のアイのセリフは、鷺・大蔵・和泉という流派に分かれる前の古い時代のアイの姿をとどめている可能性のあることを指摘した。
『福王流古型付』と共通するアイのセリフの多い、宝暦名女川本を初めとする鷺流諸本には、慶長期あるいはそれ以前に遡り得る古態的要素を多くとどめているといえ、今後も引き続き検証する必要がある。
