公募型共同研究 活動報告
在外能装束の調査研究-分野横断的検証による
研究代表者 長崎巌 共立女子大学家政学部教授
研究分担者 渡邊雅子 メトロポリタン美術館元主任研究員
Joyce DENNEY ニューヨーク州立ファッション工科大学非常勤准教授
門脇幸恵 国立演芸場営業課主任
【研究目的】
能楽は、その演出と相即不離の関係にある面・装束など類稀な道具を創製・発展させ、工芸品として昇華させた。しかし、明治時代以降の大名家の売立により市場に放出されるが、多くが国内外を問わずその価値ゆえに博物館等施設の保管するところとなっている。ところが、海外流出した作品は全容が解明されているわけではなく、比較的所在確認の進んでいる能面に比して、能装束においてはその存在の把握も充分行われていない。近年、米国内における存在確認はかなりの進捗が見られるものの、欧州における研究はなく、その正確な所在情報すらないのが現状である。そこには、博物館等施設における研究分野の縦割りによる弊害、つまり能面は彫刻作品として、能装束は染織作品として、それぞれの部門の研究・保管対象と看做されてきたことも一因する。本研究においては、染織文化史、テキスタイル研究、日本絵画史、能楽文化財をそれぞれ専門とする研究者で構成するチームの特質を生かし、そのネットワークを活用して、能装束の所在確認を行いつつ、実作品の調査に当たり、分野横断的検証を試みるものである。
【研究方法】
1. 研究分担者各自のネットワークを集合させ、能装束・能楽資料の存在確認を積極的に進めつつ、能装束の存在が確認できた博物館等施設を中心に調査を行い、情報を集約させる。
2. 日本の染織作品を保有する館においても、能装束の特徴が解らず日本のテキスタイルとして一括保管されている場合があるため、広く日本美術及びテキスタイルの保有情報を基に、能装束の特徴を紹介し照合を求め、作品調査にあたりつつ能楽への理解を促進させる。
3. 海外へ流出した経緯および流通経路の確認と検証を進める。これは経緯を知る人物や情報が減少する昨今、喫緊の課題であると考える。
4. 意匠学の編年研究に基づく染織文化史研究の視点で、現存する能装束作品の研究を行い、その変容の基軸を絵画史研究の基軸と照合させることで、整合性及び相違点を明らかにし、意匠における新たな基軸を作る。
【期待される成果及び波及効果】
海外における能装束の存在確認が進むと同時に、保有館に能装束の特徴及び魅力を認識させる機会となる。また海外における日本美術研究の方法論に能楽研究の視点と実績が活用され、その必要性が浸透すると考える。
また、研究成果を能の演出の変化の時期と照合させ、その特徴をより明確にすることで、無形の伝承に有形の輪郭を見出すことが可能となると考える。そして能楽研究のための染織史・絵画史研究の調査手法・研究手法を見出すことで、能楽研究の新たな方法論の可能性が示されると考える。
【2015年度 研究活動】
(1-2)11月22日(土)~12月2日(火):長崎巌・門脇幸恵により、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(V&A)及びアシュモレアン美術館の調査を行った。結果、下記の新知見を得た。
1.今様能狂言衣裳の実態の解明
アシュモレアン美術館所蔵「黄繻子地露芝蝶花菱七宝繋花筏桐鳳凰模様縫箔」(1989年にオークションで購入)は江戸時代・18世紀中頃の作品と考えられるが、紅平絹の裏地に「六番 林壽三郎所持(印)」と墨書があり、幕末から明治にかけて流行した「今様能狂言」の役者が所持したものであることが明らかとなった。「今様能狂言」は従来の能楽に歌舞伎的趣向を加味したもので、先行研究によると(註)その装束は本行の能楽と同じもの、あるいは類似のものであったとされるが、その舞台に直結する道具類の実物は確認されていなかった。伝承によると、宝生流の佐野吉郎が「林壽三郎」亡き後、その所持していた装束を譲り受けた、と言われているが、現在金沢能楽美術館にある佐野家伝来作品には、その伝来を示すものは確認できない。本作品は「林壽三郎」が座長を務めていたと考えられる安政5年(1858)頃~壽三郎が亡くなる明治16年(1883)まで一座にあったことを示すものであり、将に本行の能に用いられていた装束をそのまま使用していたことを示す実物資料でとして、その学術的価値は極めて大きい。
2.能装束裂を用いた打敷
ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館所蔵の「紅白萌黄段若松模様唐織打敷」は、石川県大聖寺江沼神社所蔵の唐織と同意匠同配色の作品であり、恐らく近しい大名家の伝来能装束が再利用された可能性を示唆している。
(2-1)10月18日(日)~24日(日):長崎巌・門脇幸恵・Joyce Dennyによりボストン美術館・ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン付属美術館の調査を行った。結果、下記の新知見を得た。
1.越前松平家伝来作品の可能性
a.「紺地雲羽団扇模様袷狩衣」b.「紫地桧垣紋尽模様袷狩衣」c.「萌黄地雷紋毬鋏模様袷法被」
以上3点には共通して、番号と名称が墨書された「方形の白平絹」が裏地背縫い中央に縫い綴じられている。さらにaとbの裏地には、「常盤橋」の改印や墨印がある。これらの特徴は髙島屋コレクション、松坂屋コレクション、彦根城博物館所蔵作品にも見られるが、特に髙島屋コレクション作品のいくつかには「霊」と墨書されたものもあり、「常盤橋」「霊岸島」の越前松平家江戸屋敷を示すものと考えられる。また、昭和4年の同家の売立目録にも、c.は写真が、a.とb.は名称が掲載されており、伝来が明らとなった。
また、a.とbには畳紙が伴っており、その番号が白平絹の方形布に記された番号と合致することも明らかとなった。越前松平家の能楽関係資料は乏しいが、今後文献資料及び、他の作品の調査による検証を継続したい。
(2-2)小島咲により、上記(2)の調査ノートからの調書を作成するとともに、(2-2)については、長崎による先行研究と校合作業を行い、ボストン美術館の全点の最新調書を作成した。
本研究は、分野の異なる研究者それぞれの視点を共有することで得られた知見が多々ある。それを長崎は在外日本染織研究の一部として、Joyce Denneyは東洋染織の技法の研究に、渡邊雅子は日本画における意匠研究に、門脇は能道具の歴史研究へとそれぞれフィードバックし、継続的して調査・研究を行い、成果を発表したいと考える。さらに、今回の調査により得られた情報は、各所蔵館へもフィードバックし、能装束を通じてより多くの能楽の情報をUK,USAの博物館等施設の来館者に発信することが可能となり、能楽の国際化の振興に大きく寄与すると信じる。
【2015年度 成果】
- 書籍 「LES COSTUMES DE NO」『DU NO A MATA HARI』 長崎巌 Musée Guimet, 平成27年4月
- 解説 “Book review of Kimono: A Modern History by Terry Satsuki Milhaupt, Impressions” Joyce Denney, The Journal of the Japanese Art Society of America, 36 (2015), 202-211.
- 研究発表 「劇場の役割と伝統芸能の継承に関する展望―劇場・音楽堂等の活性化に関する法律に鑑みて」 門脇幸恵 日本音楽芸術マネージメント学会発表(11月7日)
- 研究発表 「能道具の伝来はどう探るか―高島屋コレクションを遡る―」 門脇幸恵 シンポジウム法政大学能楽研究所 「近世大名の能道具が語るモノガタリ」 2016年3月6日(法政大学)会)
【2014年度 研究活動】
平成26年度はイギリスにおける能装束の調査を行った。事前の情報収集では、英国内で能装束を保管している博物館は、ロンドン・V&Aミュージアムとオックスフォード・アッシュモレアン博物館、また大英博物館が挙がった。今回調査に赴き、大英博に能面は保管されていたが、能装束は収蔵されていないことが明らかとなった。
V&Aは、英国最大のテキスタイルコレクションを有するが、その総数に比すると能装束の保有数は少なかった。能装束の形状が保たれている作品は、狩衣1、唐織1、厚板2領のみ。現在は掛袱紗に作りかえられているが、石川県大聖寺の江沼神社に伝来する大聖寺藩前田家伝来の能装束と全く同様の唐織を用いたものであることが確認できた。
また、ジャポニズムの影響下にあったヨーロッパを象徴する、黒繻子地に歌舞伎舞踊の「石橋物」の意匠が切り付けで表された遊女の打掛も保管されていた。
アッシュモレアン博物館には、縫箔が1領保管されるのみであった。その他には、江戸時代・19世紀の振袖1、袈裟1、横被1があった。
「黄繻子地露芝蝶花菱七宝繋花筏桐鳳凰模様縫箔」は1989年に購入したそうだが、江戸時代・18世紀中頃の作品と考えられる。裏地に「六番 林壽三郎所持(印)」と墨書があり、幕末から明治にかけて流行した「今様能狂言」の役者が所持したものであることが明らかとなった。「今様能狂言」は従来の能楽に歌舞伎的趣向を加味したもので、その装束は本行の能楽と同じもの、あるいは類似のものであったとされるが、これにより、本行の能に用いられていた装束をそのまま流用していたことが明らかとなった。
【2014年度 成果】
- 論文 「能装束の歴史と松井家の能装束」 長崎巌 『国立能楽堂平成二十六年度特別展示松井文庫創立三十周年記念-松井家の能』国立能楽堂・2015年1月
- 論文 「明治の美術染織と江戸時代の伝統染織」 長崎巌 『共立女子大学家政学部紀要』第61号、共立女子大学、2015年1月
- 論文「名物裂の概念の成立と受容の実態」 長崎巌 『総合文化研究所紀要』第21号、共立女子大学総合文化研究所、2015年2月
- クーリエ並びに図録編集、能面・文献作品解説執筆 門脇幸恵 文化庁海外展『Theatre of Dreams, Theatre of Play: Nō and Kyōgen in Japan』AGSNWシドニー、2015年6月14日~9月14日
- 図録解説 「Noh and the Samurai」 門脇幸恵 『Japanese Art at the Time of the Samurai』 『Samurai: Beyond the Sword』 デトロイト美術館、2014年3月8日~6月1日
- 図録解説 The Samurai and Genji monogatari(The Tale on Genji)渡邊雅子『Japanese Art at the Time of the Samurai』『Samurai: Beyond the Sword』図録、デトロイト美術館、2014年3月8日~6月1日
- 図録解説 Luxury and Propriety:Edo-Period Noh Costumes and Samurai Women’s Garments in the Detroite Institute of Arts, Joyce Denney 『Japanese Art at the Time of the Samurai』 『Samurai: Beyond the Sword』、デトロイト美術館、2014年3月8日~6月1日
- 書籍 『古社寺の装飾文様 素描でたどる天平からの文化遺産』上・下巻、長崎巌pp.4-9を担当 、青幻舎、2014年4月
- 総合編集・作品解説 『国立能楽堂平成二十六年度特別展示松井文庫創立三十周年記念-松井家の能』 門脇幸恵 国立能楽堂、2015年1月
- 研究発表 「The origin of the modern kimono」 長崎巌 メトロポリタン美術館シンポジウム “Kimono: A Modern History”、2014年10月20日
- 研究発表「Histry of National Noh Theatre Collection」 門脇幸恵 『Theatre of Dreams, Theatre of Play: Nō and Kyōgen in Japan』 AGSNWシドニー関連企画シンポジウム、2014年8月