公募型共同研究 活動報告
長唄における謡の影響についての研究
研究課題名 長唄における謡の影響についての研究
研究代表者 坂本 清恵 日本女子大学・文学部・教授
分担者 高桑 いづみ 国立文化財機構東京文化財研究所・特任研究員
配川 美加 日本女子大学・文学部・学術研究員
星野 厚子 国立文化財機構東京文化財研究所・無形文化遺産部・客員研究員
【研究背景】
中世に始まった総合芸術である能楽は、時代を経るに従い、他の音曲へさまざまな影響を与えていく。野上記念法政大学能楽研究所が2012年度に文部科学省の定める共同利用・共同研究拠点「能楽の国際・学際的研究拠点」に認定された一環の研究として「口承資料としての現代能楽の研究」をテーマとして研究を重ねてきた。その研究のうち、長唄に摂取された謡の研究として、「鶴亀」について音楽面、アクセント面から検討を行ったが、その結果、これまで金田一春彦氏が提唱し、定説とされてきた「長唄はアクセント変化に応じて旋律をかえる」という説は適切ではないことが判明した。金田一氏が指摘する古い東京アクセントを新しい東京アクセントに変えたのではなく、京阪式アクセントを古い東京アクセントに変えた可能性をうかがうことができた。これは長唄が取り込んだ謡が、現在の胡麻章を反映しない形ではなく、京阪式のアクセントを反映しているものであった可能性をうかがわせる。
【研究目的】
本研究では、謡を取り込んだ長唄の曲について、謡の詞章、旋律、拍子、リズムなどを、どのように摂取したのかについて、日本音楽、日本語アクセント、演奏者の立場から解明することを目的とする。
長唄の古い録音類、譜本類からと、それぞれの長唄曲が取り込まれた時代の謡本の胡麻章などと比較検討することにより、単なる歌詞の摂取に留まらず、謡が長唄に音楽として、言葉としてどのように取り込まれたのかを明らかにしていきたい。
さらに、謡が近世音曲に摂取された内容を検証することにより、それぞれの長唄曲が謡を取り込んだ時点にいての謡の音声、音楽的実態の解明に寄与するものと考える。
【研究方法】
能狂言を取り込んだ長唄には、以下のものが挙げられる。
「安宅松・操三番叟・今様望月・老松・勧進帳・鞍馬山・小鍛冶・五条橋・猿舞・四季の山姥・
時雨西行・賤機帯・石橋・高砂丹前・綱館・二人椀久・俄獅子・ 雛鶴三番叟・船弁慶・娘道成寺・
吉原雀・連獅子・若菜摘・末広狩・官女・鏡獅子・靱猿・大原女・外記猿・舌出し三番叟・橋弁慶」
これらは、東京文化財研究所が所蔵するSPレコードに収められている。録音のデジタル化を行なったあと、演奏を五線譜に起こすとともに、早稲田大学演劇博物館および東京芸術大学所蔵の明治期の採譜や長唄小十郎譜とを比較しながら、音声、旋律、拍子、アクセントなどを抽出する。
さらに、享保期の謡本の胡麻章などの施譜を抽出した長唄の音声と比較し、長唄にどの程度、謡の旋律や京阪式のアクセントや古い音声が取り込まれたかを確認していく。
【期待される成果】
近世音曲は能狂言の音声をその影響下にあることを表現しながらも、独自の音曲に改変していくが、長唄の場合には謡らしさをどの部分に取り込んだのかを解明したい。
また、曲全体を取り込んだものと、謡の一部を取り込んだものがあるが、特に前者に、古い時代の謡が伝えていた京阪式アクセントの影響が見られるのではないかと予想している。長唄小十郎譜も大正期のものと、昭和になって書き換えられたものでは唄の旋律が変わるので、古い譜本に京阪式アクセントやかつての謡の旋律を残していることを解明できると考える。
長唄に謡のどのような音楽的な特徴が反映しているのか、長唄の演奏がいつどのように変わったのか、日本語アクセント変化を長唄がどのように受け入れたのかなども明らかにできるものと考える。
なお、この研究の成果として、日本女子大学文学部・文学学術院学術交流企画「長唄に摂取された謡―旋律とアクセント―」として公開する予定である。
【研究活動】
本研究は、長唄における謡の摂取方法(詞章、旋律、拍子、リズム等)について、長唄の古い録音・譜本類と謡本の胡麻章を比較検討し、謡が長唄に音楽・言葉としてどのように取り込まれたのかを、日本音楽、日本語アクセント、演奏者の立場から解明を行った。謡を摂取した曲について東京文化財研究所所蔵SPレコードからデジタル化をおこない、「老松」「京鹿子娘道成寺」について、五線譜に起こし、早稲田大学演劇博物館および東京芸術大学所蔵の明治期の採譜や長唄小十郎譜の音声、旋律、拍子、アクセントを比較研究した上で、享保期謡本の胡麻章等の施譜と比較し、謡の旋律や京阪式アクセントや古い音声の実現状況を調べた。検討曲のうち「京鹿子娘道成寺」は、長唄としては古い時代の作品(宝暦3年[1753]初演)であり、長唄と能の影響関係を時代順に追っていく手始めの曲にふさわしいところから特に研究を深め、その成果を日本女子大学文学部文学研究科学術交流企画「長唄に摂取された謡」として、長唄の実演をまじえて発表した。当該曲は、上方で上演されて江戸へ下ったという経緯があるが、これまで指摘されてきた「鞠唄」に唄よりも三味線の旋律に上方アクセントが残るっていることを示した。また、江戸時代中頃に謡の特徴的な発音として整理された舌内入声音「ノム」とその連声は長唄には取り込まれず、詞章のみを摂取し、長唄らしい音声表現を行っていることを明らかにした。拍子については、「江村の漁火」の1句が近古式とも異なり、江戸中期の謡本と同じ当タリで唄っていることが判明した。大ノリ以外では、中ノリも古い地拍子で唄われている。
【成果】
- 論文 「現代能楽の音便」、「鼻的破裂音の産出にかんする予備的検討―英語と謡の対照―」 坂本清恵 アクセント史資料研究会 『論集』 12、2月
- 研究発表 日本女子大学学術交流企画「長唄に摂取された謡」(日本女子大学、12月) ① 配川美加「京鹿子娘道成寺」曲目解説、② 配川美加・坂本清恵・日吉栄寿「「京鹿子娘道成寺」に残る上方アクセント」、③ 坂本清恵「「京鹿子娘道成寺」の発音―謡との比較―」、④ 高桑いづみ「長唄にみる謡の近古式地拍子」