公募型共同研究 活動報告
上杉家の伝来能楽面の学際的調査研究
研究代表者 浅見龍介 独立行政法人文化財機構東京国立博物館学芸企画部課長
研究分担者 川岸瀬里 独立行政法人文化財機構東京国立博物館学芸企画部研究員
門脇幸恵 独立行政法人日本芸術文化振興会国立演芸場営業課主任
研究協力者 花田美穂 米沢市立上杉博物館学芸員
海老沢るりは 三井記念美術館学芸員
【研究目的】
本研究は、戦国大名時代からの伝統を有する上杉家に伝来した能狂言面の所在調査と、学際的手法を取り入れた研究を行うことにより、上杉家の能道具の解明と新たな能楽研究の方法論の確立を第一の目的とする。
上杉家の能狂言面は、第二次世界大戦中に米沢から東京へ疎開されたが、終戦後も米沢へは一面も戻らず、その一部が東京国立博物館に寄託保管されるのみで、所在情報は途絶えていた。ところが、「能狂言面の美術史的アプローチによる基礎的研究」(平成26~28年度科学研究費 基礎研究(B))の調査において、佐野美術館所蔵能面の一部に上杉家の伝来面の可能性を見出した。それは、昭和初期に撮影されたモノクロ写真に残された面袋と面箪笥の特徴から導き出したもので、東京国立博物館の寄託資料や上杉家の文献類との照合により明確にするべきものである。このように、有名な能面コレクションであっても、伝来不明の作品が多々存在することから、改めて付属する資料と共に調査を行うことで、行方が知れない上杉家伝来面の所在調査を進めたい。また、従来の美術史研究にあっては、彫刻史と染織史の調査対象として分断されてきた能面と面袋を、それぞれの研究領域における実績を尊重しつつ統合させることで、能楽研究の中で立ち遅れている能道具調査の基礎データ作成基準を構築することにつなげたい。伝存作品が少ない金剛流の能面の特徴を検証する上にも、上杉家の能面は極めて重要であり、三井記念美術館の旧金剛家伝来面、京都金剛家の能面とともに比較研究することで、新たな能楽の歴史の解明の一助とする。
【研究方法】
作品調査:東京国立博物館の上杉家伝来面と面袋の基礎データを作成する。一部X線・CT画像による調査も併用し、その基準に従い、佐野美術館の所蔵能面と面袋の悉皆調査を行いデータの蓄積を行う。
次に、京都金剛家伝来面とその面袋の調査、並行して平瀬露香旧蔵面の所在確認と調査を試みる。後者は、大阪歴史博物館にある程度の情報はあるが、広く学芸員や実演家から情報提供を仰ぎ、ある程度の纏まりを持ったコレクションが見いだせれば、調査を行う。
文献調査:上杉家の能楽関係文献は既に一部が公刊されているが、未調査資料も多数存在することから、これらの調査を行い、上杉家の能道具の全容を把握したいと考える。文献資料は上杉博物館並びに上杉神社に保管されるため、米沢において調査を行い、不足があれば上杉博物館に情報の補完を依頼する。
能面と面袋の特徴を整理することで上杉家の伝来面の特徴を抽出し、上杉家の文献資料と照合させることで、所在不明の伝来面の特定を進める。
【期待される成果及び波及効果】
現在の能楽は、他の伝統芸能と異なり国の保護政策が最も立ち遅れている。本研究は、従来の文化財保護法の類型の枠を跨ぎ調査研究を行う手法を用いるため、美術史の分野における「能楽有形文化財群」としての概念の構築に繋がると考える。また、能楽研究においても文献研究とともに作品研究の重要性が浸透するものと考える。そして更に、無形と有形に分断された現在の能楽保護政策に、「能楽」という無形の文化財と、それを支える相即不離の有形文化財の包括的保護体系の構築を推進する大きな流れを生み出すものと確信する。
【研究活動】
*調査記録
2017年8月5日 佐野美術館
古写真との照合により佐野美術館が所蔵する60面中3面が、面・面袋とも合致し、上杉家伝来品と確認できた。特に佐野美術館所蔵の面箪笥は、古写真にある上杉家の面箪笥と同型であることもわかった。しかし、面箪笥の抽斗に金蒔絵で記された面の名称は一致しなかったことから、上杉家には複数の面箪笥が存在したことを示し、今後の調査において検証していくこととした。
2017年11月19・20日 東京国立博物館
東京国立博物館所蔵の32面および面袋・面当と、古写真との照合を行った。結果、30面が古写真と合致し、内23面は面袋・面当とも同定出来た。所蔵する32面中2面が古写真にないことから、古写真は当時の所蔵面のすべてではないことがわかった。併せて、館内資料や台帳等の調査も実施し、東京国立博物館が調査、選択したうえで購入した経緯を推測した。
2018年2月1・2日 上杉博物館
伝来の歴史を辿るために、45面の名称を記した天明元年(1781)の『御装束幷御道具帳』、126面の名称と作者を記した寛政2年(1790)『能道具目録』などの文献資料を調査した。また、上杉家の能楽を知るために重要な型付などの資料撮影も行った。
2018年2月8日 京都金剛家
金剛宗家所蔵面には、上杉家伝来面を見出すことは出来なかったが、金剛宗家から近代以降の能面の移動に関する貴重な情報を得た。
2018年2月28日 梅若万三郎家
所蔵面中3面が古写真と合致する上杉家伝来面と見られるが、面袋、面当ともに古いものは残っておらず断定はできなかった。*今回調査は叶わなかったが、ほかにも3面上杉家伝来の可能性のある面が見出せたため、今後継続して更なる調査を進めたい。
*現存作品
東京国立博物館所蔵面 32面
佐野美術館所蔵面 3面
梅若万三郎家所蔵面 (3面)
某家(未調査) (1面)
某家(未調査) (1面)
某所(未調査) (1面)
(計35面*6面が加わるか)
天明元年(1781)の『御装束幷御道具帳』は、47面の名称と面袋、面紐について記すが、作者名はない。寛政2年(1790)の『能道具目録』は名称、収納する箪笥の箱、作者名についての記載があり、126面中、101面には赤鶴18、福来16、春若15など、伝説的な面打の名前が記されている。近世の面打では河内13、大和6、近江5、児玉長右衛門1で、出目家系統はない。現存が確認できる作品では、河内作とある東京国立博物館の笑尉(「天下一河内」の焼印あるが、書体が特殊、知らせ鉋なし)、佐野美術館の釣眼(焼印なし、鼻孔の間の知らせ鉋は不明瞭、菊花形はなし)、大和作とある梅若万三郎家の阿瘤尉(現状面裏に「小牛作」の銘がある)など、それぞれ作者名の信憑性には問題がある。児玉長右衛門作とされる梅若万三郎家の小町媼には銘記はなく、むしろ制作は室町時代に遡る可能性があり、すでに調査した38面の中で最も古い作と見られる。「舞歌」の陰刻がある大癋見など江戸時代以前の作と見られるものはわずかで、大半が江戸時代の作だが、近世世襲面打家の作品が少ないのも上杉家の能面の特色と言える。
上記2件の「道具帳」によると、天明元年以降、寛政2年までに80面ほど増えたことがわかるが、九代藩主上杉鷹山と十代藩主上杉重定は、財政難にあっても父東岳院の贅沢だけは黙認していたという状況と関係があるかもしれない。今後、米沢藩の資料を読み込むことで探って行きたい。
【成果の発信】
平成31年1月29~3月31日、今回の調査の成果を盛り込んで東京国立博物館に於いて特集「上杉家伝来の能面能装束」として32面の能面を展示し、図録も制作する。これは上杉家伝来品をまとめて展示する初めての機会であり、広く研究成果を発信し、能楽への興味関心を高める機会ともなることを確信する。
【成果】
- 論文「運慶の独創性とその源」浅見龍介 『興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」』図録
- 論文「能狂言面の神と鬼」浅見龍介・川岸瀬里 『東京国立博物館特集リーフレット』
- 論文「実演用能装束とは」「能楽の包括的伝承を考える」門脇幸恵 『実演用能装束の保存継承に関する研究』 東京文化財研究所
- 論文「賀多神社所蔵の能道具について」 門脇幸恵 『賀多神社能狂言装束調査報告書』服飾分野の資料情報発信に向けた基礎的調査(一) 文化学園大学和装文化研究所
- 論文「豊橋魚町能楽保存会の能道具について」 門脇幸恵 『豊橋魚町能楽保存会所蔵能狂言装束調査報告書』服飾分野の資料情報発信に向けた基礎的調査(二) 文化学園大学和装文化研究所
- 研究発表「能楽の未来のために」門脇幸恵、日本音楽芸術マネジメント学会10回冬の大会シンポジウム(2017.12.15武蔵野音楽大学)