近世邦楽詞章における謡曲摂取用例データベースの作成
研究代表者 日置貴之(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)
研究分担者 田草川みずき(千葉大学文学部准教授)
中野顕正(弘前大学人文社会科学部助教)
古川諒太(東京大学大学院生)
研究協力者 鎌田紗弓(東京大学大学院総合文化研究科特別研究員PD)
【2021年度 研究成果】
論文「江戸長唄の謡曲摂取——宝暦期を中心に——」古川諒太『東京大学国語国文学論集』17、2022年3月刊行(予定)
データベース「常磐津節詞章謡曲摂取用例データベース」
データベース「『紀海音全集』文字譜データベース」(未完)
2021年度は、2019年度公募型共同研究(「近世邦楽詞章における謡曲摂取の研究と用例データベースの作成」)の成果である長唄詞章謡曲摂取用例データベースの公開に向けた準備および、長唄以外の近世邦楽の詞章・音楽面における能・謡曲の影響を検討すべく、新たなデータベース作成を行うことを、主たる目的とした。
また、能楽研究所を中心とした科研費・基盤研究Aのプロジェクト(「能の「ことば」の包括的・領域横断的研究に向けたオンライン・リソース構築」)の採択が決定し、本プロジェクトの研究代表者・分担者・協力者が、その近世ブランチ(近世邦楽および文芸全般への能楽の影響の検討を行う)における研究を担当することとなったため、両プロジェクトを連携しての研究を行うことを目指した。
具体的には、長唄と同様に歌舞伎と結びついて発展した近世邦楽の代表的なものである常磐津節の詞章における謡曲からの摂取の用例データベースの作成(研究分担者古川が主に担当)および、前年度に続いて近松門左衛門と同時代に活躍した義太夫節の作者である紀海音の全集に準拠した文字譜データベースの作成(研究代表者・日置、分担者・田草川が主に担当)を行った。常磐津節データベースについては、現在最終確認中であり、年度内の完成が見込まれている。『紀海音全集』文字譜データベースは、データ入力、研究代表者・分担者によるデータチェックとも予定より遅れ気味であり、現在40%程度の入力が完了した状態である。これらについては、完成を目指し、長唄データベースとともに、上記科研費プロジェクトで作成される他のデータベースとの連携等を視野に入れつつ、順次公開していく。
この他、より広い近世邦楽・文芸への能・謡曲からの影響の検討を目指すべく、近世小説等の研究者との連携を図って、情報共有を進めたほか、研究分担者・中野は、大織冠説話・中将姫説話等、いくつかの題材を具体的に取り上げて、中世の説話や能から、近世初期の説経・古浄瑠璃を経て、義太夫節等へ至る展開を検討することを予定しており、今年度は間狂言台本等の資料調査を行った。
【2020年度 研究成果】
・田草川みずき「『田村麿鈴鹿合戦』と阿漕浦伝説」、郡司正勝先生研究会編『歌舞伎の出口・入口』2020年4月、pp.64-73
・古川諒太「江戸中後期の歌舞伎研究」東京大学大学院人文社会系研究科修士論文、2021年3月
【2020年度 研究活動】
2019年度公募型共同研究(「近世邦楽詞章における謡曲摂取の研究と用例データベースの作成」)の成果として、近世期の長唄(『日本歌謡集成』所収曲)における謡曲摂取のデータベースを作成した。本研究では、このデータベースの活用および内容の発展、長唄以外の近世邦楽と謡曲との関係の考察を行うことを目指し、2020年度は以下の課題に取り組んだ。
①『紀海音全集』文字譜索引の作成(日置)
②古浄瑠璃・義太夫節における謡曲摂取状況の調査(田草川、中野)
③長唄データベースを活用した学位論文の執筆(古川)
④正本等に基づく長唄データベースの増補(全員)
①については、21年度中に入力・確認作業を終了し、公開可能なデータを完成させる予定である。②では田草川が論考を発表しており、来年度以降は他の研究メンバーもともに、『古浄瑠璃正本集』所収の複数の曲について具体的な検討を進める方針となっている。古川による修士論文(③)は、12月に提出され、審査が終了している。前記長唄データベースを活用し、歌舞伎における長唄中の謡曲摂取について、その利用方法や年代による変化を詳細に考察したものである。これらの研究の中で浮上した長唄データベースの問題点等は研究メンバー全員で共有し、21年度に改善を行っていく。
【研究目的】
近世の浄瑠璃太夫・宇治加賀掾が「浄るりに師匠なし、只謡を親と心得べし」と述べ、俳諧師にとっても謡曲が必須の教養であったこと、近代の正岡子規や夏目漱石らがいずれも謡曲を嗜んだことなどからも容易に理解されるように、能楽および謡曲は、後代の文学・芸能・文化に多大な影響を与えた、日本文学史・文化史の展開を考える上で重要な位置を占めるジャンルである。しかし現状では、能楽・謡曲が後代の文化に対して与えた影響の規模や範囲を把握する研究は進んでおらず、日本文学史・文化史上において能楽が与えた影響の幅を測定できるまでには至っていない。こうした問題意識のもと、本研究では能楽の享受史を考える上での重要な事例である近世邦楽を対象に、能楽が与えた影響の規模・範囲を測定するための基礎となる用例データベースの作成を目指すものである。それにより、日本文学史における謡曲の位置づけの一端を解明するとともに、近世邦楽・文学の典拠研究にも資する知見を提供することが、本研究の目的である。
近世邦楽における能楽・謡曲摂取の様相については従来から研究が存在するものの、邦楽の詞章に着目した文芸的側面からの検討は少なく、多くは音曲的側面からの検討である。本研究では、こうした従来の音曲的側面からの研究の蓄積を踏まえつつ、主として詞章面からの検討を推し進め、それにより、音曲・詞章の両側面を包括する見地からのデータベース構築を目指すものとする。その際、謡曲摂取例について、近世文芸・芸能研究(近代の歌舞伎における松羽目物や、狂言舞踊等の研究を含む)としての観点、および謡曲作品解釈との比較という観点から、それぞれに検討を加え、個々の用例ごとに謡曲引用の意義・意図を考察してゆくこととする。
なお、本研究は2019年度共同研究「近世邦楽詞章における謡曲摂取の研究と用例データベースの作成」を継承するものである。2019年度共同研究では、特に長唄における用例を検討対象とし、データベース化のための用例収集をおこなったが、本研究ではその成果を継承しつつ、
・用例収集対象範囲の拡大:特に浄瑠璃(主に古浄瑠璃および義太夫節)を想定。
・引用元となる謡曲詞章の側の本文異同の検討
・各用例ごとの詞章以外の情報の付与:流儀、底本、作者、劇場、音楽的特徴など。
・各用例ごとの精密な検討
といった点から、更にデータベースの内容を拡充してゆきたいと考えている。特に、2019年度の共同研究では十分に考察することのできなかった、詞章上の謡曲引用箇所と、節付の上で謡曲を模した箇所との対応関係がどのように現れているのかという点を可視化することを目指す。これにより、上述の通り従来から研究の蓄積がある、音曲的側面からの研究と、本研究が意図する詞章面からの研究との間の架橋を実現したい。