鷺流狂言宝暦名女川本(能研本)の総合的研究(2023年度より継続)
- 研究代表者:永井猛(米子工業高等専門学校名誉教授)
- 研究分担者:稲田秀雄(山口県立大学名誉教授)
- 研究分担者:伊海孝充(法政大学文学部教授)
【研究目的】
未翻刻の残り1冊の間狂言台本「真替間」の翻刻を完成させ、公開したい。「真替間」(269丁)は、真の間狂言と替のアイが68曲収められており、現在は伝わらない珍しい替間なども含まれている。また、江戸初期の古い演出等もとどめており、それらを、翻刻作業を通して抽出し、検証していければと思う。
「真替間」も丁数が多く、翻刻本文を一括して『能楽研究』に掲載していただくことは無理かもしれない。分載していただくか、能楽資料叢書の1冊として出していただけることを願っている。能楽資料叢書の1冊として出していただけるのなら、檜書店蔵の間狂言本「羅葛部」(修羅物と葛物の部。50曲所収)も加えて、現存する宝暦名女川本の間狂言320曲(替の詞章も含み、実質は250曲ほど)を通覧できるようにしたい。
【2024年度 成果】
- 翻刻 永井猛・稲田秀雄・伊海孝充「鷺流間狂言・宝暦名女川本「真替間」翻刻」(『能楽研究』第49号、野上記念法政大学能楽研究所、2025年3月31日)
- 研究発表 稲田秀雄「間狂言詞章の〈古態〉―鷺流台本と脇型付―」(藝能史研究会例会、オンライン会議、2024年8月9日)
本研究は、2018年に発見され、能楽研究所の所蔵となった宝暦名女川本の離れ7冊(「能研本」と略称。本狂言3冊、間狂言4冊)について、その資料的価値を多角的に探っていこうとするものである。宝暦名女川本は、狂言鷺流分家の鷺伝右衛門家の高弟である名女川辰三郎(?-1777)が1761(宝暦11)年ごろまでに筆写した全20冊程度の狂言台本(内1冊は狂言伝書)である。
本年度は、能研本の間狂言台本「真替間」の翻刻作業を行った。「真替間」とは、真の間(しんのあい)と替間(かえあい)を意味し、台本の背に他台本と区別するために書かれた漢字3文字の見出しだが、これをもって冊名としている。読み方は不明だが、とりあえず「しんかえあい」と読んでおく。真の間31曲(36種)、替間52曲(84種)を収め、重複を除くと計70曲所収している(これまで68曲所収としていたが、70曲所収に訂正する)。
真の間とは、野村又三郎「和泉流狂言秘書(其四)」(『謡曲界』1931年12月)に、「真、行、草、語間の事」として、「真の語は、神、仏、天子の御事、都(スベ)て故実来歴縁記の事を真の語とする、心持真に守りて語るべし」とあるように、通常の間狂言に比べて、神仏の縁起、人物とか場所・出来事に関する故事来歴などが詳しく語られている。
「真替間」のように、これほど多くの真の間が書き留められた台本は珍しい。宝暦名女川本と同じ鷺伝右衛門派の嘉永・安政(1848-1860)頃の実践女子大常磐松文庫蔵「鷺流狂言伝書『間之記』」(通称;吉見本。以前は「野中本」と言われていたが、野中儀右衛門は吉見家から一時的に借覧していただけなので、「吉見本」と改める)では、「真の間」は姿を消す。鷺仁右衛門派では、能研蔵「鷺流狂言型付遺形書」の〈鞍馬源氏〉に「長キ真ノ間」とあるぐらいである。現在では、大蔵流の〈春日龍神〉の替間として「真の間町積」がある程度で、和泉流の替間等にはない。
「真の間」が他台本にあまりないことから、宝暦名女川本に書き留められる頃の鷺伝右衛門派で新たに作りだされたものが多かったのではなかろうか。真の間は通常の間を詳しくしたもので、通常の間と異なる点からは替間の一種といえる。「真替間」の冊は、通常と異なる、間狂言の特殊演出を集めたものといえる。
宝暦名女川本には、「遠雑類」という本狂言の稀曲集、「遠応立」という間狂言の稀曲集があるが、「真替間」も目先の変わった演目・演出等を好む観客層に向けての必要から書き留められたものではなかろうか。
「真替間」の30〈軒端梅 真〉には1740(元文5)年の江戸城二之丸で名女川辰三郎が、54〈江嶋(道者)〉には1755(宝暦5)年12月21日の江戸城本丸奥能で鷺仁右衛門方(『触流し御能組』では鷺音次郎)が演じたとある。
「真替間」には、「元祖直本ノ写」(3〈高砂 真〉)、「大鷺仁右衛門殿正本ヲ写」(9〈志賀 極真〉)などとあり、初世鷺伝右衛門政俊(了意。1608-1680)、鷺仁右衛門正次(宗玄。1560-1650)の時代の詞章を知ることが出来る。鷺流では、古くから「真の間」があったらしい。ただ、「真替間」のように多くはなかったのではなかろうか。
宝暦名女川本と同時代の鷺仁右衛門派の実態が不明だが、鷺流の演出の特徴として、「替え装束が相当にあ」った(松本亀松『能の歌舞伎系譜』六芸書房、1956)と伝えられるように、装束ばかりでなく、詞章等を通常と変えて変化を持たせたのではなかろうか。
宝暦名女川本の間狂言に古態性があることを、稲田秀雄が「間狂言詞章の〈古態〉―鷺流台本と脇型付―」と題して、8月9日の藝能史研究會例会(オンライン会議)で発表した。慶長期(1596—1615)前後のワキ方の型付である『福王流古型付』と鷺・大蔵・和泉流の主要な間狂言台本を年代順に並べて語句等を比較していった。〈箙〉の「生田の八幡」は宝暦名女川本をはじめ鷺流に共通し、〈殺生石〉の落ちた鴈を「非時のお汁に」というのは宝暦名女川本・吉見本などの鷺伝右衛門派に共通しており、慶長期の表現が継承されていることを指摘した。〈海人〉〈天鼓〉〈藤戸〉の最後で管絃の役(笛・太鼓・笙・篳篥)を望むがワキから「いづれもなるまい」と言われ、それなら大盃でお相手をというのが宝暦名女川本「真替間」と共通する。仁右衛門派には管絃の役を望むことはない。大蔵流は最後に「いびきを」吟じましょうと言う。和泉流も「いびきの役」をと言う。ここでも、宝暦名女川本に古い演出が残っているのである。この発表には、昨年度写真撮影をした和泉流の落合博志氏蔵「和泉流『間』」(本狂言の天理本と同筆。「正保和泉本」と仮称)が比較検討に使われている。大蔵流の大蔵虎明本(「寛永虎明本」と仮称)・『大蔵虎明間之一本』(「万治虎明本」と仮称)と同時代の和泉流の最古の正保和泉本が揃った意義は大きい。これに鷺流の宝暦名女川本を加え、これらを起点として、流派ごとの間狂言台本を時代順に並べて比較していけば、間狂言の変遷、流派の特徴などが解明できることと期待される。この発表は、間狂言台本の比較研究の新しい可能性を示すものである。