『闇の夜鶴』を通して江戸中期の謡実態を探る
- 研究代表者:樹下文隆(神戸女子大学文学部教授)
- 研究分担者:大山範子(神戸女子大学古典芸能研究センター非常勤研究員)
- 研究分担者:高橋葉子(京都市立芸術大学客員研究員)
- 研究分担者:長田あかね(神戸女子大学古典芸能研究センター非常勤研究員)
- 研究分担者:藤田隆則(京都市立芸術大学教授)
- 研究協力者:荒野愛子(神戸女子大学大学院後期博士課程)
- 研究協力者:朝原広基(大阪大学大学院前期博士課程)
【研究目的】
江戸中期の越後村上藩主内藤弌信の家臣による『闇の夜鶴』全2 冊(法政大学能楽研究所鴻山文庫三七75)は、近世初期の各種謡伝書を取捨選択したと思しき記事、筆者の実体験や伝聞による回想記事、曲毎の謡い方や演じ方を詳述した記事など、多様な内容を含んだ極めて特異な能謡伝書である。本研究では、まず本書の翻刻を手掛けながら内容の全体と詳細な細目整理を試み、かつそれぞれの記事の根拠となる資料を捜索しようとする。本研究の目的は、本書を手掛かりとした江戸中期における謡の実態解明にある。
本書は、特定の相伝者を意図したものと思われるが、伝授者の謡師匠というわけでもなさそうで、謡や能の故実に詳しい作者が、家中の若手のために謡の心得や故実に関する知識を披露したものと思われる。そのため、一般的な伝書の体裁とは異なり、「体系的」な記載がなされていない。共同研究のメンバーは、かつて広島藩家中の者の手になる江崎家旧蔵謡伝書『師伝書』を取り上げて、その読解を試みたことがある(『神戸女子大学古典芸能研究センター紀要』12 号、13 号、2018、19 年)。本書も素人の謡愛好家が自身の見聞を披露するという点で類似している。ただ、『師伝書』は福王同門の謡学習者に向けた、師の教えやエピソードを盛り込んだものであるのに対し、本書の筆者は観世大夫重記の弟子と思われ、舞台に立った経験もあるようだが、特に流儀や相承関係とかかわりなく、自身の経験や当時の能謡に関して知り得た情報を思いつくままに書き記したものと思われる。江戸中期における素人の能楽愛好家の見聞記というのが本書の位置付けであろう。それゆえ、本書は江戸中期の謡文化を考える上で、極めて有効な資料たりうると考える。本書の読解を通して、当時に謡伝書がどのように読まれていたのか、節付けは流儀をどの程度反映しているのか、記されている歴史的事象からわかることは何か、当時の能の上演実態はいかなるものか、どのような曲に興味・関心が寄せられていたのかなど、様々なテーマに関して調査していくことで、江戸中期の能楽事情を明らかにしようとするのが本研究の最終的な目標である。
本研究のメンバーは、前述した『師伝書』の他、『謡秘伝鈔』(神戸女子大学古典芸能研究センター伊藤正義文庫)の翻刻と『音曲袖珍宝』(法政大学能楽研究所鴻山文庫三七115)の校異調査(『神戸女子大学古典芸能研究センター紀要』15 号、2021 年)、『塵芥抄』系諸本の比較研究(『神戸女子大学古典芸能研究センター紀要』16 号、17 号、2022、23 年)などの共同研究を実施してきた。その蓄積のもとに、「内容すこぶる豊富な」(『鴻山文庫蔵能楽資料解題 中』)『闇の夜鶴』の読解に挑むことで、能謡伝書の様々な問題点を見出すことができると考えている。