倫理思想学から拓かれる謡曲の地平―救済の解釈をめぐる学際的研究―(2025年度)
- 研究代表者:倉持長子(国士舘大学文学部文学科日本文学・文化コース専任講師)
- 研究分担者:吉原裕一(国士舘大学文学部文学科日本文学・文化コース准教授)
【研究目的】
本研究は、1年にわたり、倫理思想学研究者と中世文学・芸能研究者が共同で世阿弥の謡曲を精読・調査・考察し、かつその成果について各分野の研究者と学際的な討議を重ねることにより、世阿弥の修羅物に描かれる救済について総合的に解明する目的でおこなわれるものである。
天野文雄「思想という点からみた能楽研究」(『中世文学』52巻、2007年)が指摘する通り、戦前では桑木厳翼「謡曲の世界観」をはじめ花田凌雲、姉崎正治らによる謡曲の思想的研究が見えるが、戦後の能楽研究において、とりわけ謡曲にみられる思想的側面への注意はあまり払われてこなかったといえよう。天野が例外として挙げた相良亨『世阿弥の宇宙』(1990)に加え、中世文学研究者の鳥居明雄『鎮魂の中世 能 伝承文学の精神史』(1989)、また近年では謡曲と伝書を繋ぐ上野太祐の諸研究や、芸道・武士道研究者の吉原裕一による世阿弥作品論など、倫理思想学的見地からの謡曲解釈が呈されているものの、能楽研究の側から十分な反応を得られているとは言い難い状況にある。
確かに、倫理思想学的見地からの謡曲解釈は、実証的ではないとの誹りを免れないかもしれないが、その一方で、作者が作品を通じて具現化しようとした世界観、さらには作者や観客が持つ中世固有の思想や価値観を抽出する重要な方法の一つであるといえる。そこで、本研究では、これまで「謡曲における救済の描かれ方」をテーマとしてそれぞれに研究をおこなってきた倫理学研究者と中世文学・芸能研究者が、まず双方の視点から倫理思想学的な謡曲の先行研究について批判的かつ建設的な検討をおこない、次に世阿弥の修羅物における救済の描かれ方について調査・考察をすすめていく。考察発表に際しては、演劇学や宗教学等の専門家からの見解も交え、倫理思想学が謡曲の解釈にいかに貢献しうるか、将来的な展望も示していく目論見である。