「能楽意匠」の研究―基本と変容の検証―(2022年度より継続)
- 研究代表者:門脇幸恵(女子美術大学芸術学部工芸学科非常勤講師)
- 研究分担者:永田智世(根津美術館学芸員)
- 研究協力者:宮本圭造(法政大学能楽研究所教授)
- 研究協力者:池田芙美(サントリー美術館主任学芸員)
- 研究協力者:原田一敏(ふくやま美術館館長)
- 研究協力者:Khanh Trinh(Museum Rietberg、Curator)
【2023年度 研究成果】
本年度は、「能楽意匠」を有する工芸作品の調査を中心に行い、2022年度に調査・整理した鴻山文庫の「小謡本」の挿絵や「能絵作品」と意匠との関係を検証した。工芸作品の研究においては、所有者・発注者の身分の違いにより用いられる意匠にも差異があると考えられていたが、共通するモチーフがいくつか用いられていたことが解った。そして、そこには「小謡本」の様な版本の存在が大きいことが解ったので、その幾つかを以下に記す。
A.狩野派と「能楽意匠」
2022年度は、版本挿絵として描かれた能の図様について、版元や作者などについて検討したが、2023年度は〈狩野派と能絵〉の関係に焦点を絞り、実際の調査を踏まえて研究を進めた。
今回、研究の中心としたのが、法政大学能楽研究所の所蔵する「能絵鑑」である。「能絵鑑」と呼ばれる一連の画帖群は、現在、国立能楽堂所蔵本・宇和島伊達家(宇和島伊達文化保存会)所蔵本・法政大学能楽研究所所蔵本(以下、能研本とする)の3本が知られている。とくに能研本は、六代将軍・徳川家宣の命により、お抱え絵師の狩野春湖が手掛けたと推測されている(宮本圭造「能・狂言と絵画:描かれた能・狂言の系譜」『能楽研究 能楽研究所紀要』37号、2013年3月)。能研本の箱書や付属資料には「春湖」の名が記され、本作の作者を春湖とする根拠の1つになっている。
能研本について、絵画史的視点から作品調査を実施した結果、使用されている群青や緑青などの絵具や、衣文の線などが、狩野派の技法に近いことが確認できた。また、人物の面貌は狩野派の特徴を有しているが、中枢絵師(奥絵師)の描写からはやや距離があり、表絵師であった春湖の表現として、違和感のない表現であった(図1、2)。一方、一部の人物に類型化が見られ、中心的モチーフ以外には、弟子の手が入っている可能性が示唆される(図3)。
なお、木挽町狩野家出身の朝岡興禎による画人伝『古画備考』では、能研本の作者である春湖について、「元春笑弟子後探幽弟子トなり徳川家ニ仕 又永真(註:安信のこと)弟子トなりて狩野を名のる」と記しており、探幽と、その弟の安信門下に属していたことが判明する。当時の狩野派は、探幽や安信ら奥絵師を頂点としたピラミッド型の序列のもとに統制されていた。そして、奥絵師たちは、大名屋敷で行われる能楽の舞台にしばしば招かれており、演目に関する知識も有していた。加えて、安信には謡曲『桜川』の「網之段」に取材した「若衆舞踊図」(愛知県美術館 木村定三コレクション、図4)などもあり、奥絵師も能関連の主題を手掛けていた。
以下は仮説になるが、狩野派における格や、知識量を考えると、表絵師たちが描いた「能絵鑑」の原本、あるいはその核となる部分は、奥絵師を中心とした狩野派の中枢絵師たちによって形成された可能性がある。そして、狩野派で学んだ橘守国による『謡曲画誌』(能楽研究所蔵など)に見られる膨大な能の情報量を考えると、その知識は弟子たちの間にもかなり広がっていたと推測される。
本研究のテーマである「基本と変容の検証」を考察するため、まずは「基本」にあたる狩野派の能絵について検討した。奥絵師による能絵の実例や模本、制作の記録に関する調査、そして、その図様が模写や版本などの形で「変容」していく様子については、今後の課題としたい。(池田芙美)
B.蒔絵作品における「能楽意匠」
蒔絵に関しては江戸時代の作例について実際に調査を行いながら検討した。
それにあたり注目したのは、門脇幸恵(研究代表者)の2022年度調査報告にある、能楽研究所蔵の享保二十年(1735)刊『謡曲画誌』(中村三近子編、橘守国画)である(以下、画誌と称する)。橘守国(1679~1748)は、狩野探幽の弟子である鶴澤探山に学んだ狩野派の画を能くした絵師で、多くの絵本・画譜等も手掛けており、それらは後世まで影響を与えている。そこで画誌の調査をあらためて行った。池田芙美(研究協力者)によれば、画誌は狩野派による能絵の本画がベースにあると考えられるという(前項参照)。
画誌についての研究は多くないが、本研究においては松岡まり江氏による論考が興味深い(「橘守国画『謡曲画誌』小考」、『演劇映像学』2012、早稲田大学演劇博物館、2012年)。松岡氏は画誌について「守国の序にある「「校画ノ一助ニ便セントス」という言葉通り、他の絵師達が能・謡曲を主題にとる画を描くにあたっては、本書は画題事典替わりとなっただろう」とし、絵画作品への影響の探索を期待されているが、そのことは下絵師が介在する蒔絵でも検証できる可能性は十分にあるだろう。
蒔絵は漆で描いた部分が硬化しないうちに金などの金属粉を蒔き付けて、文様を表す技法である。漆と金といういずれも高価な材料を用いるために、受容層をある程度特定することが可能である。とはいえ限られた時間でテーマとなる「基本と変容の検証」を考察するためには悉皆調査は難しいことから、大名家に伝来した謡曲意匠をもつ蒔絵作品に的を絞ることとした。
候補としてあげたのは、「謡寄蒔絵提重」(紀州徳川家伝来、江戸時代19世紀、根津美術館蔵 図5)、「牡丹蒔絵手付きたばこ盆」(紀州徳川家伝来、江戸時代19世紀、たばこと塩の博物館蔵 図6)、「謡曲蒔絵鼻紙台」(江戸時代18世紀、鍋島報效会蔵 図7)、「謡曲蒔絵煙草盆」(江戸時代19世紀、鍋島報效会蔵 図8)、「謡曲蒔絵棚」(津軽家伝来、江戸時代19世紀、光信公の館蔵 図9)である。
各作品の概要と検証の詳細については別稿を期すが、顕著な影響関係が見られたのが、「謡寄蒔絵提重」(以下、提重と称する)である。例えば「井筒」で比較してみると、画誌では井戸を覗く童子と童女が描かれるが(図10)、提重では井戸の形状、釣瓶の位置はそのままに、人物だけが抜け落ちている(図11)。提重には全部で49の場面が描かれているが、同様の事例が複数確認できる。特定のモチーフのみで主題を表す手法は留守文様と呼ばれ工芸作品でよく見られるが、基本に画譜があり、その変容の過程を明確に見ることができることは興味深い。その傾向をつかめたことが本研究の一つの成果といえる。未だ突き詰められない点もあるが、紀州徳川家と能の関係も含めて宮本圭造(研究分担者)の助言を引き続き受けながら、他の作例との比較も通じて、今後さらなる検討を加え稿を成したい。
(永田智世)
C.染織作品に表わされる「能楽意匠」
2022年度に報告した「小袖模様雛型本」の数冊に能楽意匠が収載されており、少ないが先行研究も散見される。中でも遠藤貴子氏の「小袖模様雛型本にみる謡曲意匠の研究」―古典文学を資料としてー、筑波大学図書館情報メディア研究科 2017年12月)は文芸作品との関係を詳しく検証されておられるが、「雛型本」の本来の目的である、主に町人富裕層用の呉服発注見本としての役割が多きいことを考えると、「触れ流し御能組」に上演頻度を求めたことで留められた点は惜しいと感じている。
元禄三年(1690)刊と考えられている「高砂ひいながた」(図12)には、能の内容と掲載されている意匠が直接的に結びつくものばかりではなく、むしろ言葉遊びを楽しむような意匠も多々含まれている。これは日本の文化の中に「留守模様」の様に意匠の背景にある物語世界をイメージしたり、または複数の意匠から連想ゲーム的に絵解きを楽しんだりしながら、教養のベースを高め合う文化があったためと考えられる。これは、その後の染織作品の意匠にも認められる特徴と考えている。
上方と江戸の差異はあるにせよ、富裕層とはいえ町衆の教養としての能は、曲名を知って、能のあらましが解って、謡の一節が口ずさめる、または一指し舞うことができるまでが大方の目指すところだったのではないだろうか。勿論、謡文化は今思う以上に浸透していたことは謡本が大ベストセラーだったことでも明らかではあるが、より多くの町人層が教養のために手に取ったのは「小謡本」や「絵入謡本」で、それにより能の各曲のイメージが左右されたのではないかと考えた。当時の謡本・小謡本の版元が雛型本の出版にも携わっていたことは刊記により確認出来ることから、本稿では染織作品の意匠にその影響を探ってみた。
a「浅葱地御所解模様単小袖」ビクトリア州立美術館保管(図13)
「御所解模様」とは、花鳥風月や景観と共に様々な文芸意匠を全面に表わした小袖のことで、主に高位の武家女性が用いた。本作には花木や水流とともに「石橋」「杜若」「鉢木」「小督」「放下僧」、「養老」「菊慈童」「敦盛ヵ」「烏帽子折」「鞍馬天狗ヵ」等を示す幾種類もの小道具や作り物などの能にまつわる意匠が、染と刺繍で表わされている。多くの御所解には文芸意匠と呼ばれる物語を暗示する意匠が散りばめられるが、その一つとして能の意匠が含まれることはよくあるが、本作の様に能の意匠ばかりを散りばめた作品は珍しい。
b「紺地能道具模様小袖」個人蔵(図14)
富裕な町人層の婦人が用いたものと考えられる。衽から裾とフキに、面箱、白色尉、黒色尉、中啓、複数の烏帽子、鼓、能管、松の立木、素の藁屋、芦囲いの藁屋、芦刈鎌などの能道具や作り物が描き表されている。小袖の流行の変化に伴い裾模様が主流となた時代に、狭くなった模様を描けるキャパシティーに合わせて象徴的に能を表わすようになった。
c「花色地能道具模様小袖」個人蔵(図15)
身頃の下半分に能の作り物や面、小道具類を染め表した子供用の衣料。
子供の目にも楽しく解りやすく映る様、明るい色彩と大きめの意匠表現で「嵐山」「紅葉狩」「鉢木」「金札」「鳥追舟」「猩々」「張良」が表される。「小謡本」や「訓蒙図彙」などの道具図が基になっていると考える。
d「納戸地高砂模様帷子」個人蔵(図16)
夏の女性の麻素材の衣料。幕末~明治頃になると、模様を表す範囲がさらに狭くなるが、小さな松葉と松毬、箒とエブリだけを糊防染と色指し、そして金糸の刺繍のみで「高砂」を表している。これに酷似した意匠は鍋島家に伝来する鼻紙台の蒔絵にもあることから、これらに共通する本歌もあったものと考えられる。
以上はほんの一部にすぎないが、衣料のみならず江戸中後期から明治初期にかけて作られた祝儀用の「掛袱紗」にも、「翁」「鶴亀」「高砂」「猩々」「石橋」など祝言性の高い能の演目が様々に意匠化されて用いられているが、そのデザインソースの多くが「小謡本」等の版本にあることも確認できた。これはいずれ稿を改める。
さて、ここで「能絵」や舞台面から遠い意匠として、「羽衣」と「鉢木」を紹介しておく。
工芸作品に表わされる「羽衣」は、詞章や舞台面を描いた能絵作品とは結びつかない「翼状」の衣を表わす作品が多い。恐らく、迦陵頻伽と天人のイメージの混同かと考えられるが、この翼状の羽衣を小謡本に確認することが出来る。小謡本にある「羽衣」の挿図は、大きく分けて三種類あり、舞台面を描いたもの、天女の姿を描いたもの、そして松に掛かる衣を描いたものである。松に掛かる翼状の「羽衣」は、貞享三年(1686)江戸・経屋吉兵衛刊の〔小うたひ百番〕に掲載されており(図17)、この版を基にしたと考えられる後出の小謡本にも、多少の差異はあっても羽衣が翼の様に描かれている。嘉永三年(1850)菊屋七郎兵衛刊『大宝小謡諸祝言』には、富士を背景に松に掛かる立派な「翼」の羽衣が表わされている(図18)ことも確認できる。この挿絵が蒔絵作品に表された意匠に最も近いと感じている。
次に能の「鉢木」の作り物は角型に組んだ箱に棒地を巻いた箱に、松・梅・桜を寄せ植え状に作られるが、工芸作品の意匠の多くは、陶器の植木鉢にそれぞれ植えられた松・梅・桜の盆栽が表わされることが多い。大名家に伝来する「能絵」の類に、この手の植木鉢が描かれる作品は管見に入らない。しかし、18世紀中ごろからの江戸の盆栽ブームは様々な錦絵にも描かれた。殊に盆栽を愛でたことでも有名な三代目尾上菊五郎(1784~1849)の人気と共に、植木と歌舞伎役者を描いた錦絵が幾種類も販売された(さいたま大宮盆栽美術館2017年10月~ 秋季特別展「三代目尾上菊五郎改メ、植木屋松五郎!? ―千両役者は盆栽狂」田口文哉学芸員企画)。こうした影響も少なからず感じられるが、やはり能の意匠となると、錦絵ではなく小謡本の挿絵の影響が強いのではないかと考える。小謡本の「鉢木」の挿絵に植木鉢が現れるのは、元禄三年(1690)正月、山岡四郎兵衛刊『頭書絵入小うたひ百番』(図19)が先駆けに近いと考えられる。また天保十三年(1842)正月、京都・菱屋弥兵衛、大坂・加島屋清助、綿屋平兵衛、綿屋喜兵衛刊『四季雑分広用小謡袋』に至っては絵付の植木鉢も描かれるようになる(図20)。この様な絵付植木鉢は鳥居清長の錦絵にも描かれており、当時流行したものであったと考えられるが、市井の流行を発信する版本や錦絵などの影響が大名家の工芸作品にも及んでいたことは驚きであると同時に、江戸時代の文化を考える上での一視点となるのではないかと考える。
【まとめ】
本年度の研究では、工芸作品に表わされた能の意匠を、謡本の装丁や能絵、さらには版本の挿図等と比較検証することにより、能の演目がどのようなイメージに捉えられ、波及したのかを、絵画史、漆工芸史、染織史並びに能楽研究それぞれの視点で辿ってみた。特に注目したのは絵入謡本や小謡本などに描かれた能の意匠が大名調度にも見られることだった。それは、Aで池田が述べた大名家の奥画師や表画師には明確な区別があり、それぞれ担うべき役割も異なっていたと考えられていること。またBで永田が検証した大名家の蒔絵作品の下絵は抱えの画師に描かせたと考えられていることなどから、それらの粉本が町画師に齎され、版本の挿絵に反映されたと考えるのが順当であろう。しかし、加賀藩の御細工所では、お抱えの御細工者の中に、町方の腕の良い職人を採用していたことが解っており、町方出身の技術者が下絵を手掛けたとは考え難いが、文化の潮流は一方向ではなく、対流があったことも考慮すべきではないかと考える。
本研究は、「能楽意匠」の濫觴を探りたいとの思いで始めたが、菊慈童の齢にも匹敵する能楽の歴史を考えても決して容易いことではないことを改めて実感した。しかし、今まで武家のものとの思いに捉われがちだった能が、実はかなり市井に浸透していたこと、そしてその基になったのが「絵入謡本」や「小謡本」であったことが明らかとなった。
現在確認できる「能楽意匠」と呼ばれるモチーフには、江戸時代の版本の挿絵が少なからず影響を与えており、市井に出回る版本の意匠が大名調度にも影響を与えていた可能性を見出すことが出来た。能の版本が文化の伝播の方向性に対流を与える存在であり、今後双方向での検証が必要になるであろうと考える。本研究の手法はまだ始まったばかりである。検証課題は多々あり、更に検証を深めたいと考える。(門脇幸恵)
【研究目的】
本研究は「能楽意匠」の指標を作成することを目的とする。
従来の美術史研究における「能楽意匠」の定義は極めて曖昧で能の内容との乖離を感じるものもある。能は本説世界のみならず、歌枕や漢詩、神道・仏教、さらには東山御物に象徴される「唐物」の世界観などを広範に吸収しているため、他ジャンルの研究者には極めて難解とされる。従って各部門研究において能に造詣が深いと考えられている先達が示した「能楽意匠」をそのまま踏襲していることが多く、能の内容と乖離しているものも多い。そうした現状に鑑み、本研究では主に刊記年の明らかな版本謡本の挿絵や表紙絵にある意匠を曲ごとに編年で整理する。また、年紀や文献により制作年が特定される、若しくは技法等により制作年代がほぼ確定できる工芸(絵画)作品に表された意匠を能楽文献にある画像と比較検証し、能楽意匠の需要と変容の流れを読み解き、画像による指標を作成する。そして、いずれデータベースとして能楽振興の一助となることを目指すものである。