謡曲の良さの評価とそれを規定する音響特徴の検討
- 研究代表者:木谷俊介(北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科講師)
- 研究分担者:木谷哲也(シテ方宝生流能楽師)
- 研究協力者:宝生和英(シテ方宝生流宗家・能楽師)
- 研究協力者:西村聡(公立小松大学国際文化交流学部教授)
【2023年度 研究成果】
- 木谷俊介,磯山拓都,鵜木祐史,“謡曲の良さに寄与するスペクトル・時間変調情報の検討,”日本音響学会2023年秋季研究発表会講演論文集,1-Q-4,2023年9月26日,名古屋,2023.
- 木谷俊介,牧勝弘,饗庭絵里子,中内茂樹,“能楽師とオペラ歌手による歌唱の空間放射特性,”日本音響学会2024年春季研究発表会講演論文集,2-5-5,2024年3月7日,東京,2024.
本共同研究では,謡曲に着目し、謡曲の良さを規定する音響特徴量とその由来を明らかにするとともに、謡曲の良さを表す表現語を示すことを目的とする。歌唱の良さの評価は,歌声の高さやリズムが楽譜とどれだけ一致しているかが評価の対象となっている(Tsai & Lee, 2012)。しかし,楽譜に合っていることは歌唱の評価の一部に過ぎず,これらの手法では歌唱に対する知覚上の「良さ」を評価できているとは言えない。本年度は,謡曲の良さを説明可能な音響特徴を明らかにすることを目的に研究を行った。
まずは,熟練度の異なる発話者の音声を防音室あるいは静かな部屋で収録した謡曲を用いて心理評価実験を行った。心理評価実験は,サーストンの一対比較法を用いた。この実験では,対で提示される二つの評価刺激(謡曲)に対して,「どちらが良いと感じますか?」と実験参加者に問い,質問に該当すると感じる方の謡曲を一つ選択させた。刺激はヘッドホンから提示された。実験参加者は,能楽の経験のない者であった。「良さ」についての例示などは行わず,実験参加者の主観として良いと感じる方を選択させた。その結果,謡曲の良さについての心理スケールを導出することができ,熟練度にしたがって評価刺激が並ぶことが示された。
次に,上記の実験で用いた評価刺激をスペクトル・時間変調(STM)分析した。この分析では,音刺激の持つ変調情報をスペクトル方向と時間方向で導出することができる。音声を分析した場合,スペクトル方向の変調情報には,声帯と声道に由来する特徴が導出される。時間方向の変調情報には,ビブラートや空間の響きに由来する特徴が導出される。STM分析の結果,評価刺激ごとのSTM情報を導出することができた。
最後に,謡曲の良さの心理スケールと謡曲のSTM情報に対して,部分的最小二乗回帰(PLS)を用いた分析を行った。PLSは,心理評価の結果と物理特徴との繋がりを明確にすることができる分析である。PLSの結果,謡曲の良さに関わるSTM情報,すなわち音響特徴がスペクトル変調の中域に現れることを明らかにすることができた。このSTM情報は,声道構造に由来するものであるため,謡曲の良さには声道の動き,動かし方が重要であると考えられる。
本年度は,ヘッドホン提示によって謡曲の良さに関わる音響特徴を明らかにしたが,次年度は空間における謡曲の良さを明らかにすることを目指す。また,謡曲の良さに関わる評価語についても検討を進める。
【研究目的】
本研究の目的は、謡曲の良さを説明可能な音響特徴を明らかにすることである。能楽の良さを表現する言葉の 一つに「幽玄」がある。幽玄の辞書の意味は、奥深さや優美さであるが、それらが正しく能楽の良さを表現できているかは定かではない。また、能楽の何が幽玄(あるいは奥深さや優美さ)を鑑賞者に感じさせているのかは 明らかになっていない。本研究では、能楽を構成する様々な要素のうち、謡曲に着目し、謡曲の良さがどのよう な表現語によって評価可能なのかを明らかにする。さらに、その表現語を規定する物理特徴を明らかにする。 世阿弥は花鏡(1424)の中で「能では幽玄であることが第一に大事である」としている。ただし、幽玄がどのようなものであるかの研究はされているものの、実際の能楽鑑賞によって幽玄がどのように感じられているのか は明らかになっていない。能楽の指導者達も幽玄であるかどうかを指導の軸にはおいていないようである。しか し、幽玄という言葉を使わなくとも、良い謡曲となるように指導を行っており、この良さを言語化できれば、謡 曲における幽玄がなんであるのかを示すことや、良い謡曲の指導方法への応用が可能となると考えられる。 申請者は、先の 2 年間で本共同研究助成によって、謡曲の収録とスペクトル・時間変調分析による謡曲の音響 特徴を明らかにしてきた。話声や熟練度の違いによる謡曲のスペクトル変調、時間変調の特徴を明らかにすることができた。一方で、その特徴が謡曲の良さとどのように繋がっているかは未解明のままである。本研究では、 謡曲のスペクトル変調情報および時間変調情報と謡曲の良さの評価を結びつけることによって、謡曲の良さを説 明可能な音響特徴を明らかにする。謡曲の良さは、複数の評価語を用意し、各評価語の心理スケールを作成し、 それらの相関をみることによって評価する。その心理スケールと各音響特徴を部分最小二乗回帰によって結び付 けることによって、謡曲の良さを規定する音響特徴を明確にする。