鷺流狂言宝暦名女川本(能研本)の総合的研究
- 研究代表者:永井猛(米子工業高等専門学校名誉教授)
- 研究分担者:稲田秀雄(山口県立大学名誉教授)
- 伊海孝充(法政大学文学部教授)
【2023年度 研究成果】
- 翻刻 永井猛・稲田秀雄・伊海孝充「鷺流間狂言・宝暦名女川本「遠応立」翻刻」(『能楽研究』第48号、野上記念法政大学能楽研究所、2024年3月25日)
- 研究発表 稲田秀雄「宝暦名女川本間狂言「竹生島」私注」(六麓会10月例会、大阪大学豊中キャンパス、2023年10月8日)
- 研究発表 稲田秀雄「宝暦名女川本間狂言「鵺」に見る〈古態〉」(六麓会12月例会、オンライン会議、2023年12月29日)
本研究は、2018年に発見され、能楽研究所の所蔵となった宝暦名女川本の離れ7冊(「能研本」と略称。本狂言3冊、間狂言4冊)について、その資料的価値を多角的に探っていこうとするものである。宝暦名女川本は、狂言鷺流分家の鷺伝右衛門家の高弟である名女川辰三郎(?-1777)が1761(宝暦11)年ごろまでに筆写した全20冊程度の狂言台本(内1冊は狂言伝書)である。
本年度は、能研本の間狂言台本「遠応立」の翻刻作業を行った。「遠応立」は、遠い(上演されることの稀な)応答のアイ(アシライアイ)・立シャベリを102曲所収している間狂言台本である。本狂言台本にも「遠雑類」という珍しい狂言が集められた1冊がある。能・狂言の稀曲が集められている背景としては、徳川綱吉・家宣時代(元禄・宝永・正徳期)の盛んな稀曲上演の要望に応じるためだったと思われる。綱吉・家宣時代は名女川家3代六右衛門(1675-1759)が1706(宝永3)年に廊下番(後に土圭之間番)として召し出され、近藤と改姓し、江戸城内で盛んに上演した時期と重なる。宝暦名女川本の間狂言台本に1706(宝永3)年までの年数書きが多く見られることからも、3代六右衛門の書き留めたものを元にしていることが考えられる。
「遠応立」の〈守屋〉の後注には、「先年西ノ御丸御奥ニテ御能御座候節此間にて相済申候由」とあるが、この能は江戸時代には家宣時代に2例の上演記録があるだけなので、その頃の間狂言の詞章を伝えるものと推定できる。
稀曲上演にあたって、時には間狂言を新作する必要があったと思われる。「遠応立」の〈駒形猩々〉の後注に「駒形猩々と云謡ハ。四百番目程の謡本之内ニ有」とあって、番外謡の版本で「三百番本(1686(貞享3)年刊)」「四百番本(1689(元禄2)年刊)」などと通称されるものを参照していたことが知られる。間狂言の詞章には、謡本の詞章をそのまま使っているものが多くみられ、意味不明の語句もそのまま使っていたりする。
「遠応立」の特徴としては、間狂言のセリフばかりでなく、その前後のシテ・ワキ等の謡などがかなり長文にわたって版本等から引用されていることである。知らない曲の内容理解と、狂言方の出番を確認するためには必要だったのであろう。
間狂言を通しての宝暦名女川本の資料としての有用性について、稲田秀雄が「宝暦名女川本間狂言「竹生島」私注」と題して10月8日の六麓会10月例会(大阪大学)で発表した。宝暦名女川本〈竹生島〉には伝右衛門派と鷺流の家元である仁右衛門派の両方の詞章が書かれ、両者には違いがあることを指摘した。仁右衛門派では、社僧(アイ)が宝蔵の扉を開ける時に「ごとごとごと、ぎいぎり…」と音を立てるが、伝右衛門派にはない。伝右衛門派には大蔵流・和泉流と同様、扉を開く所作もない。扉を音をたてて開く所作は江戸初期以前と推定される法政大学鴻山文庫蔵「升形本『あい之本』」にもあり、仁右衛門派には古態が伝承されていたことを明らかにした。
宝暦名女川本の間狂言の古態性について、稲田秀雄が「宝暦名女川本間狂言「鵺」に見る〈古態〉」と題して、12月29日の六麓会12月例会(オンライン会議)で発表した。慶長期前後の『福王流古型付』には鵺の「尾は尺八、鳴く声は笛」とあり、これは大蔵流・和泉流にはないが、宝暦名女川本を初めとする鷺伝右衛門派においては江戸末期までほぼ受け継がれた。鷺仁右衛門派では元文本間本には見えるものの、江戸末期には削除の傾向にある。また、『福王流古型付』には鵺を「十八刀突いた」とある。大蔵流の江戸初期台本には見出されるが、能の本文の通りの「九刀」に改変される傾向にあり、江戸末期には弥右衛門派・八右衛門派ともに「九刀」となるか、または「九」の削除となる。和泉流では「十八刀」は江戸中期まで残存。鷺流で「九日突かれた」となっており、伝右衛門派では江戸末期まで受け継がれたが、同時期には、仁右衛門派とともに「九刀」へと改変される傾向がみられた。
2024年1月29日には、和泉流の間狂言台本としては最古の落合博志氏蔵『間』を写真撮影することが出来た。和泉流の本狂言の最古本である天理本と同筆で、大蔵流の虎明本と同時代の貴重な資料である。同本によって、間狂言研究は新しい時代を迎えることが出来ると期待される。
【研究目的】
宝暦名女川本は、1761(宝暦11)年頃、鷺流分家の鷺伝右衛門家の高弟・名女川辰三郎(?-1777)によって書写された全20冊程度の狂言台本である。曲数のまとまった台本としては、伝右衛門派最古の享保保教本と幕末の常磐松文庫本の中間に位置する。
これまで全20冊程度のうち、檜書店蔵の7冊(檜本と略称)が知られていたが、2018年に所在不明だった笹野堅氏旧蔵の7冊が発見され、能楽研究所の所蔵となった。2019年度に公募型共同研究の採択を受けて「新出・鷺流狂言『宝暦名女川本』の離れ(笹野本)についての基礎研究」として、この新出の7冊の調査と概要紹介をした。7冊の内、本狂言2冊「盗類雑」「遠雑類」と本狂言秘伝集1冊「本書綴外物」も『能楽研究』44号(2019年)、45号(2020年)に翻刻紹介することが出来た。当初は、旧蔵者の名に因んで「笹野本」と呼んでいたが、能楽研究所に所蔵されたのを機に「能研本」と略称している。
2021年度からは、「新出・宝暦名女川本(能研本)の総合的研究」と題して、能研本の資料的価値を他台本・他流派との比較など、より広い視野から総合的に検討を加えてみた。能研本には、徳川綱吉・家宣時代の稀曲上演の影響があること、曲によっては古い演出をとどめていることなどが分かってきた。また、間狂言4冊の内の「脇末鱗」「語立雑」の2冊を『能楽研究』46・47号(2021・2022年)に翻刻紹介出来た。
本研究は、これまでの成果をふまえて、未翻刻の「遠応立」と「真替間」の2冊の間狂言台本の翻刻を通して、稀曲上演の実態、古演出の具体例を明らかにしていければと思っている。間狂言研究については、基本となる台本の資料的な位置付けが十分でなく、系統的な整理も進んでいない。流派ごとの主要な間狂言台本の整理をして、宝暦名女川本の資料的な位置付けを図りたい。間狂言ばかりでなく、本狂言も含めた宝暦名女川本全体の資料的な価値を明らかにしていきたい。